レイクランヅはハイカラな避暑地の目録には
それに、レイクランヅといふ村の名も變だ。湖水なんか無いんだから、そのほか、附近には取立てゝ云ふ程の物もない平凡なところだ。
村から半哩ばかりのところに、イーグル・ハウスといふ大きな廣い建物がある。それは
イオリンとギタとの合奏位に過ぎないが、週に二度の園亭の舞踏會で、音樂が聽ける。イーグル・ハウスの常客連は、たゞ遊びに來るといふだけでなく、必要上保養に來る人達である。彼等は、一年中動く爲めに、二週間ごとに卷くことを必要とする時計にも譬へるべき、忙しい人達である。方々の都會の學生、時には畫家や、その邊の古い地層の研究に沒頭してゐる地質學者などの顏も見える。こゝで夏を送る幾組かの家族もある。又、この土地で「學校の姉さん達」と呼ばれてゐる忍從を旨とする婦人宗教團の團員達も、よく疲れた顏を見せる。
イーグル・ハウスから三四町行くと、面白いものがあるが、若しイーグル・ハウスが土地案内を出せば、それを一つの名物としたに違ひない。それは、もう
つてはゐないが、古い/\水車小屋なのである。ヂョウシア・ランキンの言葉を借りていへば、それは「合衆國唯一の水車のかゝつた教會であり、又、會衆席とパイプオルガンとを備へた世界唯一の水車小屋」である。イーグル・ハウスのお客達は、毎日曜日にその古い水車小屋の教會へ行つて、純潔な基督教徒は、經驗と勞苦との臼に毎年初秋の候になると、イーグル・ハウスへ、エイブラム・ストロングといふ人が逗留に來たが、彼は人々の敬慕の的となつてゐた。レイクランヅでは、彼は『エイブラム師』と呼ばれた。雪白の髮、しつかりとした
『エイブラム師』は遠くからレイクランヅへやつて來るのである。彼は北西の大きな喧騷の都會に住んでゐて、そこに製粉所を持つてゐる。しかし、その製粉所には會衆席があつたり、オルガンがあつたりはしない。それは大きな、不恰好な、山のやうな製粉所で、蟻塚をめぐる蟻のやうに、貨物列車が終日そのまはりを動いてゐる。さて、この『エイブラム師』の過去と、前に云つた教會になつた水車小屋の歴史との間には、深い關係があつた。まづそれから話さなければならない。
その教會が水車場であつた時、ストロング氏がそこの主人だつた。彼ほど陽氣で、粉まみれで、忙しくて、幸福な水車屋さんはなかつた。彼は水車場の路の向ひ側の田舍家に住んでゐた。仕事は
彼の樂しみは彼の小娘のアグレイアだつた。これは亞麻色の髮をした、ヨチ/\歩きの小娘には、一寸過ぎた名前だが、山の人達は響きのいゝ、立派な名前を好んだ。母親が、何かの本の中にそれを見付けて、つけたのだつた。しかし、幼い頃のアグレイアは、その名には構はず、自分を平常「ダムズ」と呼んできかなかつた。水車屋とその妻とは、アグレイアから、度々その不思議な名のもとを訊き出さうとしたが、結局分らなかつた。たうとう彼等は次のやうな推測に達した。家の後ろに
アグレイアが四つの頃、彼女と父との間に、天氣さへよければ決して缺かしたことのない日課が、毎日午後繰返された。夕食の支度が出來ると、母親はきまつて、アグレイアの髮に櫛をあて、綺麗なエプロンをかけてやる。そして、道の向うの水車場へ、お父さんを迎ひにやるのである。水車屋さんは、娘が戸口から
「くるまが
つて、粉がひける。
粉 まみれ粉屋 は上機嫌。
いちんち歌つて、のんきに稼 ぎ、
かはいゝ子のこと思つてる。」
するとアグレイアは彼の方へ飛んで行つて、叫ぶ、「とうちやん、ダムズをお家へ連れてつて。」彼は彼女を肩に
つて、粉がひける。いちんち歌つて、のんきに
かはいゝ子のこと思つてる。」
アグレイアの四度目の誕生日が過ぎて、一週間ばかり
勿論、出來るだけ手を盡して搜した。近所の人達が集つて、森や山を何哩もの間搜して見た。又水車の
ストロングはそれから二年近くそこの水車をやつてゐたが、たうとうアグレイアを見付け出す望みを失つてしまつた。彼は妻と共に北西地方に移つて行つた。數年後には、その地方の重要な製粉地になつてゐるある都會の近代的な製粉工場の一つを手に入れた。ストロング夫人は、アグレイアを失つた時に受けた心の痛手から再び
彼の家業が盛んになつた時、彼はレイクランヅとその近くの古い水車場とを訪れた。そこの風物は彼にとつて、悲しみの種ではあつたが、強い彼は、常に快活さと優しさとを失はなかつた。彼がその古い水車場を、教會に改造しようと思ひ立つたのは、その時だつた。貧乏村のレイクランヅでは、とても教會など建てられない。猶ほ一層貧しい山の人達もそれを助ける力はない。そんなわけで、二十哩以内の地には、教會らしいものがなかつた。
ストロング氏はその水車場の外觀を出來るだけ變へないやうにした。大きな上射水車もそのまゝにしておいた。そこを訪れる若い人達は、みんなその水車の柔い、だん/\朽ちてゆく木に、自分の名前の
轉軸このやうにして、その古い水車場は、アグレイアの思ひ出の爲めに、彼女が嘗つて住んだ村に對して祝福を與へた。彼女の短い生涯――それは古稀にも達した多くの人々の生涯も及ばぬ大きな恩惠を
即ち、彼の北西地方の製粉工場から、「アグレイア」印の製粉を賣出したのである。それは最も堅い上等の小麥から製せられた。人々はすぐに、「アグレイア」粉が、二つの價を持つてゐることを知つた。一つは市場に於ける最高の値段であり、他は――
何處かに、火事とか、洪水とか、
これがつまり、エイブラム・ストロングのアグレイアに對する第二の記念だつた。世の詩人にとつては、これは或はあまりに功利的に過ぎて、美といふ點に於て缺くるところある題目かも知れないが、或る人々には、愛と
る清らかな、白い、或る年、カンバランド地方が、非常に困難したことがあつた。※[#「轂」の「車」に代えて「米」、U+7CD3、209-上-10]類は
エイブラム・ストロングはこれを耳にするや否や、命令を發し、例の狹軌鐵道は早速レイクランヅへ「アグレイア」粉を
それから二週間の後、エイブラム・ストロングは毎年の例によつて、イーグル・ハウスを訪れ、またいつもの『エイブラム師』になつた。
そのシーズンには、イーグル・ハウスはいつもより客が少なかつた。その中にロウズ・チエスタといふ娘が交つてゐた。チエスタはアトランタから來たのだが、彼女はその都會の百貨店で働いてゐるのだつた。これは彼女の生れて初めての休暇の旅行だつた。百貨店の支配人の細君は、以前一と夏をイーグル・ハウスに送つたことがあつた。彼女はロウズを非常に可愛がつてゐたので、三週間の休暇を、そこで暮らして見るやうにすゝめたのだつた。支配人の細君は、ランキン夫人への紹介状をチエスタに與へた。ランキン夫人は喜んでチエスタを迎へ、面倒を見た。
チエスタはあまり丈夫でなかつた。
『エイブラム師』とチエスタ孃とは大の仲好しになつた。年とつた製粉場主はランキン夫人からチエスタ孃の話を聞いて、
チエスタ孃が『エイブラム師』を友達に持つたことは
或る日チエスタ孃は、お客の一人から『エイブラム師』の
「おう、エイブラムの小父さん」彼女は言つた。「ほんたうにお氣の毒に! あたし今日まで、あなたの小さな娘さんのことを存じませんでしたの。でも、いつかはお
製粉場主は彼女を見下しながら、いつものやうに、しつかりとした微笑を浮べた。
「有難う、ロウズさん。」彼は常の快活な調子で言つた。「しかし、わしはアグレイアに會へるとは思ひませんわい。何年かの間は、わしもあれが浮浪人にさらはれたんで、まだ
「さうお考へになることが、どんなにお
「ほんたうにいゝロウズさん!」製粉場主は微笑しながら、ロウズの口眞似をして言つた。「あなたの方が一層他人思ひぢやないか?」
チエスタ孃は一寸氣まぐれを言つて見たい氣持になつた。
「あゝ、エイブラム小父さん。」彼女は叫んだ。「若しもあたしが小父さんの娘だつたといふやうだと、どんなに素的でせう。隨分ロマンテックぢやありませんか? そして、小父さんはあたしを娘に欲しいとお思ひにならない?」
「それあ欲しいとも。」製粉場主は嬉しさうに答へた。「若しアグレイアが生きてゐたとしたら、わしは何よりもあなたのやうな娘になつてゐてくれることを、あれの爲めに望みますよ。」それから彼も冗談に、次のやうに續けた。「假りにあなたがアグレイアだとしたら、あなたは吾々が水車場に住んでゐた頃のことを思ひ出せないかね?」
チエスタ孃はすぐ眞顏になつて考へ込んだ。彼女の大きな眼は遠方の何かに、ぼんやりと見据ゑられた。『エイブラム師』は彼女が急に眞面目に返つたのを面白く思つた。彼女は口を開くまで、長い間ぢつとそのまゝ坐つてゐた。
「いゝえ」彼女は長い溜息をつきながら、たうとう言つた。「水車場のことなんか、少しも思ひ出せませんわ。あたし小父さんの奇妙な小さな教會を見るまで、生れてから粉挽場を見たことがあるやうな氣がしませんわ。若しあたしがあなたの娘なら、思ひ出せさうなもんですわね。さうぢやなくつて? あたし、なんだか
「わしもさうです。」と『エイブラム師』は彼女に調子を合はせて言つた。「しかしロウズさん、若しもあなたがわしの小娘だつたことを思ひ出せないとしたら、當然誰か外の人の子だつたことを知つてゐさうなものだね。勿論、あなたは御兩親のことを覺えてゐませうね。」
「えゝ/\、あたし兩親をようく覺えてますわ――殊に父なんかは。父はまるであなたとは違つてましたわ、小父さん。あたしほんたうに冗談を言つてただけなの。さあ、もうたんとお休みになつたでせう。あなたはお
或る午後、陽も傾いてから、『エイブラム師』はたゞ一人で古い水車場へ出かけた。彼はよくそこへ出かけて行つて、道の向うの田舍家に住んでゐた頃の追憶に耽るのだつた。月日は彼の強い悲しみを
製粉場主は
り
つた急な道を、ゆつくりと登つて行つた。樹木が道端に迫つて、蔭を爲してゐたので、彼は帽子を手にして歩いた。右手は柵になつてゐて、その上を
つた。斜陽は西に開けた山峽に薄金色の光りを注いでゐた。アグレイアがゐなくなつた思ひ出の日も、あと數日で、
半ば
『エイブラム師』は水車場の戸を押し開いて、靜かに
『エイブラム師』は彼女に近づいて行つて、彼のがつしりとした片手を、しつかりと彼女の手の上に置いた。彼女は顏を上げて、口の中で彼の名を呼び、續いて何か言はうとした。
「お待ちなさい、ロウズさん。」製粉場主は
彼自身多くの悲しみを經驗して來たこの老いた製粉場主は、他人の悲しみを取り除く事に、まるで魔術師のやうな腕を持つてゐるやうに思はれた。チエスタ孃の泣きじやくりはだん/\をさまつて來た。彼女はすぐに無地の
製粉場主は何も
それは若い人達自身には、常に重大なことのやうに思へるが、それを聽く彼等の年長者の方では、囘想的な微笑を禁ずることが出來ないやうな、世間並の話なのである。かういへば大體想像もつく通り、つまり戀愛問題なのである。アトランタに一人の非常に善良な立派な青年があつて、彼はアトランタは愚か、北はグリーンランドより、南はパンタゴニアに至るまで、
「これで一體、
「あたしは、その人と結婚することが出來ないんです。」チエスタ孃は言つた。
「あなたはその人と結婚したいんですか?」
「えゝ、あたし彼を愛してますわ。」チエスタ孃は答へた。「でも――」さう言ひかけたまゝ、彼女は頭を垂れて、またすゝり泣き始めた。
「ねえ、ロウズさん。」製粉場主は言つた。「祕密があれば打明けなさい。わしは別に
「あたし小父さんを信じてますとも。」チエスタ孃は言つた。「
「これはどうしたこつた?」『エイブラム師』は言つた。「あなたは兩親を覺えてゐると言つたぢやないか。それに、
「あたし、ほんたうに親達を覺えてゐます。」チエスタ孃は言つた。「ようく覺えてますわ。あたしの最初の記憶は、
「あたし達がアトランタの近くの、河沿ひの小さな町に住んでゐた頃のこと、親達は大喧嘩を始めました。さうして彼等がお互に罵り合ひ
「あたしはその晩逃げ出しました。あたしはアトランタまで歩いて、仕事を見つけました。そして、ロウズ・チエスタと名乘つて、今日まで自活して來ました。これで、あたしが何故ラルフと結婚出來ないかといふわけがお分りになつたでせう――でも、あゝ、あたしどうしても、こんなことをラルフに言へませんわ。」
この場合、『エイブラム師』が彼女の悲しみをつまらないことだと言つたのが、如何なる同情よりも、憐憫よりもききめがあつた。
「なあんだ、チエスタさん! それだけのことか?」彼は言つた。「つまらない! わしは又何かもつと困つたことがあるのかと思つてゐた。若しその青年が
「あたし、とてもそんなことは言へません。」チエスタ孃は悲しさうに言つた。「そして、決して彼と、又他の誰とも結婚しないでせう。あたしにはそんな權利がないのです。」
その時彼等は日の照つた道を、長い影が動きながらやつて來るのを見た。續いて、それと
ライラックの枝花模樣の
『エイブラム師』とチエスタ孃とは、夕闇の迫つて來る土間から、まだ立去らうとしなかつた。彼等は默然として、恰も
忽ち彼は二十年の昔の光景の中に身を置く思ひがした。といふのは、トミがポンプを押し、フィービ孃が空氣の加減を見る爲めに、オルガンの低音部をぢつと押へたからである。『エイブラム師』の眼の前には、最早教會はなかつた。その小さな木造の建物を
り、自分が再び粉まみれの陽氣な山の水車屋さんになつたとしか思へなかつた。その上丁度夕方になつたので、間もなくアグレイアが亞麻色の髮を振り立てながら、よち/\と路を横切つて、彼を夕食に呼びに來るやうに思へてならなかつた。『エイブラム師』の眼は、ぢつと彼の昔のそれから更に一つの奇蹟が起つた。頭の上の二階には、麥粉の袋が長く並べて積んであつた。多分その一つに鼠がゐたのであらう。兎に角、オルガンの底力のある響きが、二階の床の隙間から麥粉を振り落した。そして、『エイブラム師』を頭から足の先まで、粉で眞白にしてしまつた。その時、年取つた製粉場主は通路迄歩き出して、腕を振りながら、昔うたつた粉挽歌をうたひ出した。
「くるまが
つて、
粉 がひける。
粉 まみれ粉屋 は上機嫌。」
――そして、奇蹟は更に奇蹟を生んだ。チエスタ孃は彼女の座席から身を乘り出し、顏色は麥粉のやうに眞白に血の
つて、フィービ孃はオルガンの低音鍵を押へてゐた指をゆるめた。しかし、彼女の仕事は立派に爲し
讀者諸君にして若しレイクランヅの地を
しかし、私にはこの物語で一番美しいと思はれるところがまだあるから、それだけを書き加へて置かう。それは彼等親子が、口も
「お父さん、」娘の方が、少し恥かしさうに、そして未だ信じ切れないといつた樣子で言つた。「あなたは澤山お金を持つてゐらつしやる?」
「澤山だつて?」製粉場主は言つた。「さうだね、それは程度問題だね。お前がお月樣なんぞのやうなものを買つてくれとさへ言はなければ、まあ澤山お金があるといつてよからうね。」
「アトランタへ電報を打つのは、隨分お金がかゝるでせうか?」これまでつましく暮らして來たアグレイアが
「あゝ、さうか。」父は輕い溜息をつきながら言つた。「ラルフに來るやうに言つて遣りたいんだね。」
アグレイアは父を見上げて、靜かに微笑んだ。
「あたし、彼に待つてくれるやうに言ひ度いんです。」彼女は言つた。「あたしやつとお父さんを見つけたばかりですもの。だから、