桐の花とカステラ

北原白秋




 桐の花とカステラの時季となつた。私は何時も桐の花が咲くと冷めたい吹笛フルートの哀音を思ひ出す。五月がきて東京の西洋料理店レストラントの階上にさはやかな夏帽子の淡青い麦稈のにほひが染みわたるころになると、妙にカステラが粉つぽく見えてくる。さうして若い客人のまへに食卓の上の薄いフラスコの水にちらつく桐の花の淡紫色とその暖味のある新しい黄色さとがよく調和して、晩春と初夏とのやはらかい気息のアレンヂメントをしみじみと感ぜしめる。私にはそのばさばさしてどこか手さはりの渋いカステラがかかる場合何より好ましく味はれるのである。粉つぽい新らしさ、タツチのフレツシユな印象、実際さはつて見ても懐かしいではないか。同じ黄色な菓子でも飴のやうにすべつこいのはぬめぬめした油絵や水で洗ひあげたやうな水彩画と同様に近代人の繊細な感覚に快い反応を起しうる事は到底不可能である。
 新様の仏蘭西(ふらんす)芸術のなつかしさはその品の高い鋭敏な新らしいタツチの面白さにある。一寸触つても指に付いてくる六月の棕梠(しゆろ)の花粉のやうに、月夜の温室の薄い硝子のなかに、絶えず淡緑の細花を顫はせてゐるキンギン草のやうに、うら若い女の肌の弾力のある軟味に冷々とにじみいづる夏の日の冷めたい汗のやうに、近代人の神経は痛いほど常に顫へて居らねばならぬ。私はそんな風に感じたのである。

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 短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である、古い悲哀時代のセンチメントのエツキスである。古いけれども棄てがたい、その完成した美くしい形は東洋人の二千年来の悲哀のさまざまな追憶おもひでに依てたとへがたない悲しい光沢をつけられてゐる。その面には玉虫のやうな光やつつましい杏仁水(きようにんすゐ)のやうな匂乃至一絃琴や古い日本の笛のやうな素朴な Lied のリズムがうごいてゐる。なつかしいではないか、若いロセツチが生命の家のよろこびを古いソンネツトの形式に寄せたやうに私も奔放自由なシムフオニーの新曲に自己の全感覚を響かすあとから、寥しい一絃の古琴を新らしい悲しい指さきでこころもちよく爪弾きしたところで少しも差支へはない筈だ。市井の俗人すらその忙がしい銀行事務の折折には一鉢のシネラリヤの花になにとはなきデリケエトな目ざしを送ることもあるではないか。私はそんな風に短歌の匂に親しみたいのである。

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 その小さい緑の古宝玉はよく香料のうつり香の新しい汗のにじんだ私の掌にも載り、ウイスキイや黄色いカステラの付いた指のさきにも触れる。而して時と処と私の気分の相違により、ある時は桐の花の淡い匂を反射し、また草わかばの淡緑にも映り、或はあるかなきかの刺のあとから赤い血の一滴をすら点ぜられる。
 私は無論この古宝玉の優しい触感を愛してゐる。而巳(しかのみ)ならず近代の新しいそして繊細な五官の汗と静こころなき青年の(こまや)かな気息に依て染々(しみじみ)とした特殊の光沢を附加へたいのである。併し私はその完成された形の放つ深い悲哀を知つてゐる。実際完成されたものほどかなしいものはあるまい。四十過ぎた世帯くづしの仲居が時折わかい半玉のやうなデリケエトな目つきするほどさびしく見られるものはない。わかい人のこころはもつと複雑かぎりなき未成の音楽に憧がれてゐる。マネにゆき、ドガにゆき、ゴオガンにゆき、アンドレエエフにゆき、シユトラウス、ボオドレエル、ロオデンバツハの感覚と形式にゆく。かの小さな緑玉エメロウドの古色は私がそれらの強烈な色彩の歓楽に疲れたとき、やるせないたましひの余韻を時としてしんみりと指の間から通はすだけの事である。即かりそめの病に飲む一杯の古いシヤンペンの味である。

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 私の哀しい Nostalgia がまた一絃の古琴にたまたま微かな月光の如くつかずはなれず付纏ふ時に、ある若い人達の集団はこれを唯一の楽器として、行住座臥、凡ての清新な情緒センチメントと凡ての苦い神経の悦楽とを委ねて満足してゐる。新人の悲哀は古い詠嘆の絃にのぼせて象徴の世界を観照すべくあまりに複雑であり、深刻であり、(し)かも而かも傷ましいほど痛烈である、わが友よ、古い楽器の悲哀を知れ。さうしてその幽かな哀調の色に執し過ぎて些かだにその至醇なる謙譲の美徳を傷つくるな。
 ある時はビーヤホールのかたかげにその慎しい音色を懐かしむこともある。しかし私には白昼夏の光のふりそそぐ日比谷公園の音楽堂の上に、凡ての満足と充実した凡ての生の歓喜とを以てその古琴独奏の(ほこり)を衆人の目前に曝すだけの勇気はない。そはあまりに無惨である。新人よ、汝の意の趣くままに、汝の心境の移りゆくままに、ある時は新しい戯曲に、小説に、パントマイムに、秋の日のはかないロマンツアに、太棹に、匈牙利(ハンガリ)古曲に、ピアノソロに、或は菅絃楽オーケストラの高き調にゆき、銀笛を吹き、道化た面して弄玩品おもちやの鉄琴をもうちたたけ。さうして時々その古い一絃の古琴のうへに疲れたる汝の柔軟しなやかな白い手をさしのべよ。遊び尽くした小鳥の日暮れて古巣の梢にかへるやうに、日光と快楽とに倦んだ心のさみしい灯心草の陰影をもとめるやうに。

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 古い小さい緑玉エメロウドは水晶の函に入れて刺戟の鋭い洋酒やハシツシユの罎のうしろにそつと秘蔵して置くべきものだ。古い一絃琴は仏蘭西わたりのピアノの傍の薄青い陰影のなかにたてかけて、おほかたは静かに眺め入るべきものである。私は短歌をそんな風に考へてゐる。
 さうして真に愛してゐる。

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 私の詩が色彩の強い印象派の油絵ならば私の歌はその裏面にかすかに動いてゐるテレビン油のしめりであらねばならぬ。その寂しい湿潤うるほひが私のこころの小さい古宝玉の緑であり、一絃琴の瀟洒な啜り泣である。
 私の新しいデリケエトな素朴でソフトな官能の余韻はこの古い本来の哀調の面目を傷けぬほどの弱さに常に顫へて居らねばならぬ。
 (そ)してしみじみと桐の花の哀亮をそへカステラの粉つぽい触感を加へて見たいのである。

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 単なる純情詩の時代は過ぎた。私らはシムプルな情緒そのものを素朴な古人のやうに詠歎することに最早や少からぬ不満足を感ずる。赤子の如く凡てをフレツシユに感ずる心はまた品の高い文明人の渋いアートに醇化されねばならぬ。私は涙を惜しむ。何らの修飾なく声あげて泣く人の悲哀より一木一草の感覚にも静かに涙さしぐむ品格のゆかしさが一段と懐しいではないか。実際、思ふままのこころを挙げてうちつけに掻き口説くよりも、私はじつと握りしめた指さきの微細な触感にやるせない片恋の思をしみじみと通はせたいのである。
 鳴かぬ小鳥のさびしさ……それは私の歌を作るときの唯一無二の気分である。私には鳴いてる小鳥のしらべよりもその小鳥をそそのかして鳴かしめるまでにいたる周囲のなんとなき空気の捉へがたい色やにほひがなつかしいのだ、さらにまだ鳴きいでぬ小鳥鳴きやんだ小鳥の幽かな月光と草木の陰影のなかに、ほのかな遠くの※(「木+解」、第3水準1-86-22)(かし)の花の甘い臭に刺戟されてじつと自分の悲哀を[#「悲哀を」は底本では「非哀を」]凝視めながら、細くて赤い嘴を顫してゐる気分が何に代へても哀ふかく感じられる。私は如何なるものにも風情ある空気の微動が欲しい。そのなかに桐の花の色もちらつかせ、カステラの手さはりも匂はせたいのである。

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 私の歌にも欲するところは気分である。陰影である、なつかしい情調の吐息である。……

(小さい藍色の毛虫が黄色な花粉にまみれて冷めたい亜鉛(トタン)のベンチに匐つてゐる…………)
 私は歌を愛してゐる。さうしてその淡緑色の小さい毛虫のやうにしみじみとその私の気分にまみれて、(つたな)いながら真に感じた自分の歌を作つてゆく…………

 五月が過ぎ、六月が来て私らの皮膚に柔軟やはらかなネルのにほひがやや熱く感じられるころとなれば、西洋料理店レストラントの白いテエブルクロスの上にも紫の釣鐘草と苦い珈琲(コーヒー)の時季が来る。
 わたしはこのいつもの詩のやうになつた Essey を植物園の長い薄あかりのなかでいまやつと書き了へたところだ。





底本:「日本の名随筆 別巻30 短歌」作品社
   1993(平成5)年8月25日第1刷発行
底本の親本:「日本近代文学大系 第二八巻――北原白秋集」角川書店
   1970(昭和45)年4月発行
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2010年3月2日作成
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