夢殿

北原白秋




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上巻



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白良



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昭和九年八月中旬、台湾巡歴の帰途、神戸に迎へたる妻子と共に紀州白良温泉に遊ぶ。滞在数日。


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白良

白良の浜に遊びて

白良しららの ましららの浜、まことしろきかも。驚くと、我が見ると、まことしろきかも。踏みさくみ、ぐさとり、あなあはれ、まことしろきかも。子らと来て、足投げて、膝くみて、ただにしろきかも。白良の ましららの浜、松が根も、渚べも、日おもても、ただにしろきかも。あなあはれ、目にりて、火気ほけだちて、しろきかもや、しろきかもや、立ちても居ても。

おなじく

ましららの白良の浜はまことしろきかも敷きなべて真砂も玉もまことしろきかも 旋頭歌一首

また

ましららのまこと白浜照る玉のかがよふ玉の知らなく

まことにもしろき浜びや足つけて踏みさくみ熱き真砂まさご照る玉

音絶えてかがよふ砂浜ましろくぞ白良のま玉火気ほのけ澄みつつ

昼渚

松があらうろこに照るさへや真砂は暑し吹きあげの玉

女童めわらはすね柔毛にこげにつく砂のしろき真砂は光りつつあり

浜木綿はまゆふは花のかむりの立ち枯れてそこらただ暑し日ざかりの砂

浜木綿を、また

牟婁むろと言へば葉叢はむら高茎たかぐき百重ももへなす浜木綿の花はうべやこの花

紀の海牟婁の渚に群れ生ふる浜木綿の花過ぎにけるかも

糸しだり花過ぎ方の浜木綿は影おだしけれ火照ほでる夕波

崎の湯二趣

さき湯室ゆむろの庇四端よつまり夕凪にあるか入江向ひに

牟婁の崎荒き石湯いはゆ女童めろ居りて大わだの西日ただにあかかり

夜景

浜木綿に湯室ゆむろあかりうつりゐて真砂踏みる足音絶えぬ

短夜

短夜の白良の浜に来寄きよる波燈籠にまくわがらなどをあはれ

白良荘起臥

朝ながめ夕ありきして牟婁の津や白良の浜に玉をめでつつ

玉ひろふ子らと交らひ牟婁の崎白良の浜に七夜ななよ寝にける

砂いくつ畳にひろふ起臥おきふしも早やすずしかり唐紙たうしのべしむ
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郷土飛翔吟



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小序

我弱冠、郷関を出て処女詩集「邪宗門」を公にして以来、絶えて故国に帰ること無し。その間、歳月空しく流れて既に二十の星霜を経たり。時に望郷の念禁じ難く、徒に雲に島影を羨むのみ。偶※(二の字点、1-2-22)昭和三年夏七月、大阪朝日新聞社の求むるところにより、その旅客輸送機ドルニエ・メルクールに乗じて北九州太刀洗より大阪へ飛翔せんとす。これ日本に於ける最初の芸術飛行なり。事前、乃ち妻子を伴ひて郷国に下る。山河草木、旧のごとくにして人また変転、哀楽また新にして恩愛一のごとし。南関柳河行これなり。二十三日、本飛行を決行するに先立つて、幸ひに試乗してその太刀洗より郷土訪問飛行の本懐を達するを得たり。恩地画伯、長子隆太郎と共なり。ここにその長歌十七篇短歌二百五十三首を録す。


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序篇

海を越えて

七月十八日朝、関門海峡を渡る。

海を越ゆるただち胸うつ国つきも我が筑紫なり声に荒くも

おやの国筑紫この土我が踏むと帰るたちまち早やわらべなり

見るただち顔にあふるる親しみは故郷ふるさとにあれや帰り来にけり

我が言へば音の響に添ふごとく響きこたふる国人君は

明日飛ぶと

しき山門やまとのまほらここにして我はや飛ばむ高き青雲

南風はえのむた真夏大野を我が飛ぶと明日待ちかねつ心あがりに

産土うぶすなよこの山河をかくばかりただにし見ずて我恋ひにけり

山門の歌

山門やまとはもうまし耶馬台やまと、いにしへの卑弥乎ひみこが国、水清く、野の広らを、稲ゆたに酒をかもして、菜はさはに油しぼりて、さちはふや潟の貢と、うづの貝・ま珠・照るはた。見さくるやわらべが眉に、霞引く女山ぞやま・清水。朝光あさかげ雲居くもゐ立ち立ち、夕光ゆふかげうしほ満ち満つ。げにここは耶馬台やまとの国、不知火しらぬひや筑紫潟、我がさとは善しや。

反歌

あがうしほ明るき海のきはうまし耶馬台やまとぞ我の母国おやぐに

妻と子らに

汽車いよいよ生国筑後に近づく。

筑紫野は大き出水でみづの田つづきを簑笠つけて人遊ぶかに

筑紫はを生ましける母の国大き出水でみづの田の広ら見よ

父我はここに響けりまつぶさにこのかなしかる山河は見よ

父恋し母恋してふ子の雉子は赤と青とに染められにけり
「雀の卵」

夏山は赤と青との雉子馬の清水寺も雨こめにけり

夏かすむ女山ぞやまの岩の神籠石かうごいしけ鶯も谷にくだるか

午近く、大牟田に着けば、既に師友、肉親の人々、柳河或は南関より来りて、我等を待ちたまふに会ふ。

我が帰る心矢のごとありけらし早や着きたりと笑ひて泣かゆ
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南関・外目篇

肥後玉名郡南関なんくわん、そのかみの関町せきまち、その字外目ほかめは我が母の生地にして、我にも亦、第二の故郷たり。乃ち、大牟田より先づ出迎の叔父たちと共に上内の山を越えてその土を踏む。親戚知音の人々の喜びかぎりなし。一夜、町の招宴に臨み、竜田川の橋ぎはなる島田家に泊る。翌十九日、外目近郊の外祖父母の墓に詣で、後、石井本邸に帰る。山河旧のごとくなれども、その母の生家は既に昔の俤なし。

索麪の関町

掛けめて玉名少女がきのばす翁索麪さうめんは長きしら糸

手うち索麪戸ごと掛けめ日ざかりや関のおもてはしづけかりにし

山間やまあひは貧しき関のありやうを暑き日ざしにて敢て見て過ぐ

恩賜の時計

南関田町の島田家は我が母の異母姉の家なり。従兄敏三は帝大法科に学びて聞えし俊才なりき。いま一家すべて死に絶ゆ。

しろがねの恩賜の時計、かしこむやその子秘めにき。秒かず死ぬまででぬ。子が死にてかなしき時計、形見よと、父は後愛あとめで、命よと、いとほしと、日も夜も持ちき。時刻むその秒の、その秒すらも絶えざりき。その小さき恩賜の時計、父死にて母に伝へき。その母も、ちちちちと、その音聴きき。子の敏三びんざうあはれよと、命よと、また継ぎ巻きぬ。生けるあひだ、その臨終いまはまで、その螺子ねぢ巻きき。人の世の真実の、この音の、つきつめにけり。

反歌

時計の秒はりは進むと子が死にて父へ母へとつたふる絶えぬ

老柿

島田家その後、従妹類子(北原氏)夫妻之を継ぎたれども遠くロスアンゼルスに在り。一の叔父隆承老その跡を守る。老は生来徳望高く、今また南関町長たり。

中庭の柿の老木は庇より手のとどかむに暑き日照ひでり

乏しきを老いて豊けき大人うし見ればとりけ風呂焚け造酒みきよとめんよと

とりきも青きまで下照したてらす柿の葉ごみに風とどまりぬ

低屋根に鉄砲風呂の煙立ちあくまでも暑き西日たもてり

外目、祖父母の墓に詣でて

お墓山煙草の花にふる雨のほのあかうして身はうつつなり

この道よ椎の落葉にふる雨のいたくもふらねよくしめりつつ

外目、石井本家

母の生家石井家は南関の西、外目の丘にあり、いま二の叔父貴道氏、その兄に代りて本邸にあり、而も世の転変は甚だしく、旧時の高閣既にその半ば取りこぼたれ、庭前庭後、ただ荒るるにまかせたり。

百日紅さるすべり老木おいきしらけて厠戸かはやどの前なる石もあとなくなりぬ

白きかけあさりさわめく影のみぞただに照りかへる動きにてあり

老樹なほ存す

背戸柿やこれのをぢさが木洩れ日に身うちゆるがし我ら遊びし

蚕室の跡にて

玉名のや少女をとめ索緒くちたて煮る繭のころろ小をどる玉白かりき

そのあたりの家々をまた見てまはるに

粗壁あらかべに影して低き草庇いまも山家は貧しかるなり

零余子

裏なる三の叔父武雄氏を訪ふ。

七面鳥乳嘴にふしかき垂り尾羽張りてとめぐる庭の日ざかり今は

病みこやす人が眼うつすの庭に零余子むかごそよぎてげに外目ほかめなり

遠近を眺めて

高き屋に常眺めてしさきの山いまもこほしき一つ松見ゆ

上内かみうちは谷をへだつるさきの山肥後と筑後の境松あはれ

    §

母の里外目ほかめの夏は月夜には笛おもしろく子ら吹き立てぬ

横笛は子らが手づくり南瓜かむぼちやの花かかるあたり月夜吹きつつ

    §

幼なくて裸馬らばをせめたる山坂に磨墨川といふが響きし

    §

赤ん谷山桃実るうれ越えて鷲巣山わしのすやまは雲近かりき

夏山は霞わけつつ持て来たる山桃ゆゑにそのよきうばを (母の乳母)
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柳河・沖端篇

青櫨

葉がくりにいまだか青きはじの実の幼なごころよ我はゆめみし

とりでなすはじ木群こむらの深みどり我が水上みなかみはみ霧霽れつつ

山門やまとは丘も水際みぎは櫨群はじむらのたわわのみどりしたたりにけり

瀬高にて

十九日、外目を出でて筑後の瀬高へかかる。上庄の江崎氏を訪ふに

酒屋には酒屋よけむと嫁に来しお加代姉さもただの古嬬ふるづま

空飛ぶをおとがあやつる翼かと早やおぼすらし声おろおろに

御許おもとにはわらべ女童めわらは数群れて亦若かりしけぶりだになし

童女柳河

午後、いよいよ郷里に入る。柳河女学校にて

額髪ぬかがみゑま女童めわらはこのごとくあどなきものを恋ふとありにし

我老いぬただにかなしき額髪ぬかがみかほあげてあるその子ら見れば

夏ごろも匂ふ少女は朝ひらくからたちの花とすずしかるべし

中学伝習館にて

我、中学伝習館を学業卒へずして去りぬ。寧ろ追はれたるにちかし。而も我が今日ある、恨無くしてただ感謝あるのみ。

やらはれし我のし方ここにして早や遥かなり帰り今在り

これの子らなげき知らざり我が言ふをただおもしろと笑ひぜたる

我が声にひびきこたふる子らありて顔ことごとく笑ひくづれつ

沿道

端に近づくに、城内しろうち矢留やどみ両小学校の生徒、既に旧藩侯邸の前に整列して我が一行を迎ふるあり。雨中三時間の余も佇立したりきと。

雨にち竝びゐやまふ子ら見れば我幼なくてかくも迎へし

林泉の鴨

旧藩侯邸の林泉は古来の名苑にして、所在の鴨おのづからに集り嬉遊するもの数を知らず。

石多き林泉しまのたをりにつく鴨の寄り寄りにさびしおのがじしをる

この林泉しまかづく野鴨の夏鴨の数は光れど広き水の

びろくてかへてしづけさまさりけるこのよき林泉しまに鴨おほくゐる

昼の林泉しまいはのあひさにゐる鴨の一羽はくろしつれづれの鴨

泉石せんせきのここだあかるき真日照まひでりに青鷺がてりく鴨のあひだ

日のうちも幽けくあらし引く水のかがよふ方へ鴨の寄り行く

日は暑し林泉しまたをりにつく鴨のゆきあひの鴨のくわうと啼きたる

林泉しまの鴨おほに遊べばゆふつ方荒き野鴨もりて来にける

林泉しまや夏空の広らを飛びきたる荒き野鴨のふりもおもしろ

林泉しまや夏この夜浅きに水にゐて月の光をかづくものあり (その後に夜一首)

矢留小学

遂に我が唯一の母校矢留小学校に臨む。乃ち我、故老、旧知、児童を前にして嗚咽、しばし言葉絶ゆ。

息つめて子らまじろがず空飛ぶに何悲しきと思ふなるらし

我が言ひて絶ゆる言葉は子らはいざ老いたるどちや知りておはさむ

雲仙の山を眺むる朝霞ここに学びてわらべなりにし

村社、太神宮に詣でて

宮裏はそこらの砂の日に蒸れて土糞どふんのにほひいまにをさなき

裸足はだしには小砂ざらつく絵馬殿に幼なかりける子ら遊びにき

神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ

宮司は旧師木下登三郎先生なり。ぼそぼそと老いたまへり。

この神酒みきは中ほど黒き土器かはらけにとよと注がれていや沁みにけり

展墓

専念寺甍くろみてしづかなり我が寺と思ふはひりの照りを

閻魔堂草むす軒のうらべよりつぶやききこゆ蜂か巣ごもる

くる寺のお堀のとちかがみ源五郎虫もくろみつつあり

夕凪はいきるる草を墓所はかどには人さは来居きをり我が泣かむ見に

明治三十四年、十三にてみまかりし妹ちか子の墓は、まだ土を盛りしままなり。

土に沁む線香の火のまだ見えて散るいくつあり青き折れ屑


柳河の西南半里、我はこの沖端に生れぬ。漸くにしてその石場に帰るに、すでに夕に近し。町には祭の楼門チョウギリといふものを我が為に立て、人々、また宴を張りて泣く。

街堀まちぼりは柳しだるる両岸もろぎし汲水場くみづ水照みでりおだに焼けつつ

かいつぶり橋くぐり街堀まちぼり夕凪ゆふなぎ水照みでりけだしはげしき

我が見るは入日まともにさしあたる駐在所脇の二挺堰にちやうゐびの渦

町祠まちほこら石の恵美須の鯛のしゆの早や褪せはてて夏西日なり

その日に

もの言ひて前かがみなる甚吉は柳の洩れ日まぶしむならむ

菎蒻屋のおとの末吉泣きめだち女子めのこさびしか今はをばめく

葉柳や今の日ざしに相見れば誰彼のも薄くなりつる

生家

我が生家は今、人手にわたりて、とどろしき鑵詰工場となりぬ。初めて妻子を伴ひて、この我家にあらぬ家の門をくぐるに、胸塞がりてまた言ふこと無し。

泣かゆるに日は照り暑し湯気立ててあげまきを今かまに煮沸す

照る砂に雷管のごと花落す朱欒ザボン一木ひときが老いてお庭に

棟瓦むながはら千石船のしゆあを正目まさめ仰ぎて深き雑草あらくさ

鍋二つ汲水場くみづに伏せて明らけき夏真昼なり我家わがやなりにし

白栄しらはえくちなは奔る裏堀は水紋すゐもんの動きかげとありつつ

我が書斎たりし隠居家は、なほ遺れども、既に久しく鎖しぬ。

空しかり縁に眼をやる泉石せんせきつね水たたへ濡れてありしを

我家は菅家くわんけすゑらしたる大伯母おほをばましき敢て読みにけり

我が幼な遊びの穀倉いまなほ存す。外壁破れ、ひとへにあはれ深し。

穀倉はそと板壁のかぐろきが日中ひなかの堀に影映すのみ

十数棟にもあまりし酒倉の跡はと見れば

五月雨に麦は落穂も取りずて染色しみいろくろし土にかへらむ

青光るめくわじやの貝に眼は大き鴉降りゐてまたひでりなり

三日みか三夜みよさ炎あげつつ焼けたりし酒倉の跡は言ひて見て居り

端の鹹川

葦むらや開閉橋かいへいけうに落つる日の夕凪にして行々子鳴く

潮の瀬の落差らくさはげしき干潟には櫓も梶も絶えて船の西日に

わた越ゆと六騎がともは舟めてきほぎ連れ矢声あげにし (鮟鱇組)

夕凪の干潟に黒き粒だちは片手の小蟹貝ひろひ

註、ここの蟹すべて片手なり。

西日して潮満つるまの夕干潟営み長く蟹ぞつぶやく

夕凪の干潟まぶしみ生貝なまがひ弥勒みろくむく子の額髪ぬかがみにして

西日にはあげまきむきて居るならし後姿うしろぶかき四五の女童めわらは

女童めわらはや我は思へば額髪ぬかがみのかぐろき瞳此方こなた見あげつ

潮くさき突堤うろこに沁むる夏西日音あわて落つるむつごろ影あり

註、沖端にては突堤をうろこと云ふ。石にて鱗のごとく畳める故なるべし。尚「むつごろ」は小さき山椒魚に似たる魚にて、よく潟を走り、突堤の石垣にも登る、前世紀の遺物の由。日本にていま棲息するはこの土地のみ。

魚市場落日いりひあかきに手品師は鍔までもりゆうとたうを呑みつも

乳母

字、筑紫村のほとりに、妹の乳母を訪れて、同じくその日、

風かよふ蘆のまろ屋に息ほそり白鷺のごとやるうばはや

老の息かくて絶えなむ女童めわらはほとどころさへも知りきと泣くを

朝の揮毫

柳河町の旧友川野三郎氏宅に泊る。盛んなりしこの柳河にての歓迎の一夜も明けて、

墨を磨り若かへるでは朝光あさかげのすずしきがほどをゆとりもたなむ

夏の三柱宮

高畠公園の三柱神社は藩祖を祀る。二十日、ここに詣でてまた幼き日を偲ぶ。

太鼓橋欄干橋らんかんばしをわたるとき幼子をさなご我は足あげきほひし

三柱宮みはしらぐう水照みでりしじなる石段いしきだに瑪瑙の小蟹ささと音あり

神楽殿砂吹きあぐる白南風しらはえに小蟹ちり走る鋏立てたり

宮地嶽神社は、その裏参道にあり。

鹹涸川しほひがはゐぜきの下の葦むらに行々子鳴きて鳰はお堀に

水路舟行

二十日、再び沖端に帰りて、人々と共に楽しむと柳河まで小舟に棹さしのぼる。恩地画伯も同舟なり。

我つひに還り来にけり倉下くらしたや揺るる水照みでりの影はありつつ

註、倉下とは倉の庇の内らの壁。

夏真昼わが故郷ふるさとに干して巻線香のにほひかなしも

しづかさは殿とののお倉の昼鼠ひるねずみちよろりとのぼりまたもぬかに

註、昼鼠とは土俗に水陽炎の影をいふ。

御船倉水照みでりゆたかに舟うけて吹き通る風の夏はすずしさ

御船倉いとど明るき水のは蛙のこゑもよくとほるなり

水のべは柳しだるる橋いくつ舟くぐらせて涼しもよ子ら

土橋をわが往きかへる柳かげ青銭あをぜに一つ投げてわたりし

南風はえすずし籠飼ろうげあげをるふなわきをわが舟にして声はかけつつ

風のさき黄なるカンナの群落ぐんらくに舟しかへす今はまぶしみ

橋ぎはの醤油竝倉西日さし水路すゐろは埋む台湾藻の花

背戸ごとに小舟もやへる汲水場くみづにはをりをり女居りて日暑し

夏堀なつぼりせば水曲みわたの葦むらはたださわさわし小舟しつつ

二十年前

処女詩集「邪宗門」の上梓の直後なりけむ。かかるわかき日の帰省の夢を境として、その後二十年絶えて帰省することなし。之等の感懐も今は昔となりぬ。

合歓

葉のとぢてほのくれなゐの合歓ねむの花にほへる見れば幼な夕合歓

水のべにいまだをさなき合歓の花ほのかにあかく君もななむ

鳰の浮巣

水のまち棹さし来れば夕雲や鳰の浮巣のささ啼きのこゑ

旗雲と匂だちたる月の出はたぐふすべなしあかき旗雲

幼な遊び

過ぎし日の幼な遊びの土の鳩吹きて鳴らさな月のあかりに

爆竹の花火はぜちる柳かげ水のながれは行きてかへらず

汗あゆる夏のゆふべはすがすがし葦の葉吹きてあるべかりけり

菱売のこゑ

都べへ立たむ日近し菱売の向脛むかはぎ黒く秋づきにけり
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童子柳河 追憶篇


かば前脚曲げて、蹄上げ、内腹蹴れと、尾の張りに力こめよ、跳ぶごとく描けよと見せぬ。土けぶりあとにあがらむ、いきほひ和子わこもかくあれ、早や描けと筆持たしめき。末爺すゑぢぢ、三代に仕へて老ゆる大きぢぢよく馬描きぬ。よく見よと雲に馬描く和子や我や、三つ児のたましひ、かくぞ生きぬく。

反歌

馬描かば内にためたる蹴上げよと老いたる泣きぬ幼児に言ひて

描く馬よ青雲のぞむいきほひの上なかりしが墨はかすれき

石合戦

石うてやよしや若殿、何負けむ、石場の子ら、小舟にて早や漕ぎ出だせ、石積めよ、水棹みさをとれ、土橋どばしくぐれ、鳰鳥の火のあたま、いま夕日、それとかかれと、我が仰ぐやかた築地ついぢ、濠めぐるここをよろしと、采配やささとかかれと、前うちの金の鍬形、紙鎧、桜縅の大将我は。

反歌

十二万石殿との若子わくごはさもあらばあれここに六騎ろつきの町の子我は

註、石場は字石場町、六騎とは平家の六騎、ここに落ちのびて漁る。故にこの町の漁師を時俗六騎と呼ぶ。

外ながめ

風の日は風をながめて、雪の日は雪をながめて、玻璃戸越し、大き店さき、あしたにはもちひ焼かせて、日暮にはお膳竝べて、さて師走、我が家の市、馬ぞ、しびぞ、鰤ぞ、牛ぞと、おもしろと、見るとながむと、子供らの一の和子わこ我は。

反歌

外厠そとかはや戸ごとあけたる町すぢに冬は西日の寒けかりにし

初売

あらたまの年のはつ売、暁を大戸あけさせ、早や待つにこぞり入り来る。たうたうと人ら入り来る。やまきた[#「仝」の「工」に代えて「北」、屋号を示す記号、262-8]の濃染手拭、酒の名の「うしほ」の盃、引出よと祝ふとわけて、我が老舗しにせ酒はよろしと、あらの桝酒にみがくと、春や春、造酒みき造酒みきよと、酒はかり、朱塗の樽のだぶすぬき、神もきかせとたがたたき、たたきめぐれば、ほのぼの明けぬ。

反歌

春の夜としたたりあまる豊造酒とよみきは朱塗の樽に添ひて流れつ

習字

太竹の青き筒、つやつやし筒に、たぷたぷと素水さみづ入れ、硯の水さやけし、墨磨れと、かたへぎ、注ぎてまはりぬ。きほひける何なるならし。幼などちそのかの子らの、筒袖の、その中にしも級長われは。

反歌

女童めわらははほのかなりしか小硯の赤間がせきに墨片けて

雲畦先生

幽人雲畦先生は我が書の師なりき。

よくしきあてに墨磨りからやうのをたしなみとしよを楽しみと

田のそなた堀に柳のしだれたる離家はなれ※(「窗/心」、第3水準1-89-54)に老いていましき

藩札

藩札はあかき紙ぎれ、皺にかびくさきさつ、うちすたり忘られし屑、うち束ね山と積めども、用も無し邪魔ふさげぞと、はふられてあはれや朽ちぬ。竹鉄砲紙の弾丸たまよし、花火筒につめよ押しこめ、煙硝よめとはじけと、ぱんぱんと響け、火花よ飛びちれと、幼な児我は。

反歌

しゆうしゆうと花火ふきる竹の筒をさならすでにきほひそめにし

青銭

青銭あをぜには穴あきぜによ、字のおもて寛永通宝、裏に波文久永宝、よく数へよく刺しくと、手もすまにそろへて締むと、幼な児や息づかし我、青太藺あをふとゐひし小縄の、りつよきその緒くくりて、夜々をなげきし。

反歌

青銭の穴あき銭をかなしよと父のみ前にきて数へつ

魚市

魚市は師走の市、歳のすゑ、大つごもり前の三日みつか、雪よ霰ふる中を、塩鰤や、我が家の市、競り市や、魚市場、いくさや、船に馬に大八車だいはち、わさりこ、えいやえいや、かららよ、えいやえいや、人だかりわらわら、はいよ、天秤、担棒おうこ、走る走る、えや肩掻きわけて。

諸国船しよこくぶねとしの塩鰤りあぐとかんもものかは裸でおらぶ

千石船

師走業しはすがふ我がの市は大歳おほどしと千石船のれててにし

南風はえにして千石船の箱ぐるま金比羅までも我は曳かせつ


へらや篦、漆掻く篦、篦はよし、色掻き交ぜ、たらりとよ、垂りしたたらす。ぬめりや漆のねばり、たらりとよ一つかへし、つるりとよ二つかへし、日に透かし、時をや見る。乾きやうるひや、にほひとや持ち味。漆は、漆はや、あやかし、こは子らよ生物いきもの、かく言ひて一つかへし、二つかへし、たらりとよ、つるりとよ、をぢは見てゐつ、春の日永を。

反歌

りいとど仏師がい掻く赤漆篦うちかへし春もいぬめり

白鷺 童ぶり

夕焼には、夕焼にはの、白鷺がべにつける。白鷺が潟のそこりに足なづむ。簑毛風にそよいで。ハレヤ、霞の雲仙、島原は追風おひての一と潮、風さきの向う突堤うろこ三潴みづまばの、のうもし。

反歌

春もやや潟の水曲みわたを行きありく白鷺の眼の黒くするどさ

童子柳河

涼しさは水豊かなる柳かげ葦笛吹きて我等行けりし

夏の照り葦辺行く子は魚籠びくもちて何か真顔まがほの我にかも似る

今ぞ見む郷国くにわらべがどの顔も我によく似る太郎によく似る (妻に)

町内

菎蒻屋桶にいも磨り、飴形屋掛けて飴練る、蚊ばしらや春より立たむ。藍俵夏よむ。綿うたすをばはさもあれ、提灯屋おいの猫脊が、さてゑがく牡丹に唐獅子、太神宮祭近しと、子供組きほふよろしと、えやうやと受け合ふものから、向ひ屋の浄瑠璃の師匠、越太夫を我は。

反歌

照る日にはかさを干しめ雨ふれば提灯にあかき牡丹きける

柳河風俗

菱採りはか揺りかく揺り桶舟に両手もろてきしてその菱堀を

菱売は久留米絣の筒袖に手もすねも黒く菱やとふれ
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飛翔篇

太刀洗飛行場

昭和三年七月二十二日、午後一時十分、愈※(二の字点、1-2-22)一期の郷土訪問飛行を決行せむとす。恩地孝四郎画伯同乗、幼児隆太郎をも伴ふ。乃ち太刀洗飛行場に参集す。

驟雨のあと日の照りきたる草野原におびただしく笑ふ光を感ず

草原にまだしづくする格納庫日は直射たださして白雨しらさめ過ぎぬ

蟻のごと兵列小さく曲り来て格納庫かく銀灰ぎんくわいの照り

照りを来し頭右かしらみぎして過ぎにけり二列縦隊の地上作業の兵

空は夏光沢つやあるはたてうるほひて格納庫の上の白き断雲きれぐも

新野飛行士この人あり

飛行帽まぶかに笑ふ逞ましきこの赭顔しやがん見れば期するあるなり

単葉ドルニエ・メルクール機両翼張り大き安らあり尾を地に据ゑぬ

平らけき今日の地平のあさみどり軽気球あがる空気がありぬ

音に澄みまはるプロペラ風はやし我が天翔る時ちかづきぬ

その後にて、妻のいふを聴くに

滑走し去りてふはりとあがる単葉機の流るるがごとき脊筋せすぢなりしと

雲ぎはに機体消えてより胸せまる虫のすだきを原に聴きぬと

離陸、柳河へ柳河へ

飛ぶただちくう大地だいちの入りかはるこの驚きにわれくつがへる

滑走しとどろこたへしいつ知らず身は離陸して軽きに似たり

上昇し早やはねかろしあをあをと退しぞき流るる筑紫国原

単葉のドルニエ・メルクール軽快なり今影落す遥か下の原に

雲のさき遥かにし見む我が軽き合金属の銀灰ぎんくわいよく

上梶あげかぢを護謨の滑車に照りつむる陽ははげしくて下空むな

海胆ひとでなす草山脊筋せすぢ朱砂すさなるが眼下まなしたに暑し匍匐ほふくしたりぬ

久留米師団合歓ねむほの明し影つけて二列行進の兵隊が見ゆ

いよいよ柳河見ゆ

さはに柳しだるる四つ手網今ぞ盛夏の柳河が見ゆ

我が飛翔かけりこぞて見む郷人くにびとに心はあがむなしかりけり

故郷の

故郷ふるさとの水のことごと、柳河や橋のことごと、たまゆらと、空ゆ一期いちごと、我が見ると、飛ぶとかけると、我が和子わこ連れぬ。

反歌

柳河は城をめぐりななめぐり水めぐらしぬ咲く花蓮はなはちす

柳河上空旋回

草家古り堀はしづけき日の照りに台湾藻ウオータアヒヤシンスの群落が見ゆ

柳河、柳河、空ゆうち見れば走りる子らが騒ぎの手にとるごとし

大殿おほとのほりは広らと水照みでりして内なる池の鴨むらも見ゆ

殿の池ここだおどろく鴨むらの飛ぶまあらせずその上過ぎぬ

うち低み榎かぐろ布橋ぬのばしの日ざかりの靄我は飛び過ぐ

遂に恩讐を超えぬ

伝習館ここぞと思ふ空にして大旋回一つあとは見ずけり

端上空旋回

空よりぞ我が沖端を見る時し機体ことごとが光る眼なりき

鯉のぼりけふは視界に吹きながし沖端あり飛びて行くなり

    §

矢留やどみもてに書く子ら見れば白光びやくくわうつよしヤの字一つ書く

矢留校に呼ぶ

子らよ見よ、われかくかける、かのわらべ、かく今翔る。空はよ、皆飛ぶべし、山河よ越えむに、時なし、またたく間ぞ、なりかぶら矢留やどみの子ら、いざやきほひ、土たたら踏み飛べや。

    §

嵐なす羽風我が切りとよもすと的の矢留やどみの空飛び抜けぬ

泣かむかに我は突き入る低空ていくうを子らぞ騒げるその仰ぎ見に

命なり散華の五色ごしき早や撒きて地に著かぬまを突入す我は

六歳むつの子が強く口めこらふるに父なるわれが何ぞわななく

    §

風立てて我がの空を過ぎにけるこのたまゆらよ機は揺れ揺れぬ

大揺れに我がの甍すれすれと飛び過ぎにける今ぞその空

我が挨拶メツセージ夏は青田のただ中と子らを目がけて落下傘落す

雲仙と有明の海ひと目見したちまちわめき機は旋回す

右に見し今は左翼にある海の浩蕩として筑紫潟ここは

いやあがり国原恋ふるその父をこの子は空に神を見むとす

父よ、児は遂に飛びぬ

父の顔ありありと見る雲間にて涙すぢなすわれ堪へむとす

大牟田上空

煙吐く煙突りん大傾斜おほなだり我が驚くと見やる間も無し

三池山中

この日、南関を見失ひ、あらぬ山中を旋回す。

夏照りの山の小峡をがひにひそかなる部落あり我は空ゆ見むとす

わらべひとり空を仰ぐは山中に路あるならし歩みゐるなり

南関上空

二十三日、本飛行に先立ち、南関の上空を求む。

母の里外目ほかめの空は雨雲のあひ青くうるひ母の眼かとも

山方は野町原町北の関その関越えて官軍は

註、野町、原町もともに村の名。南関は西南戦争の時官軍の本陣なりし由。

棚畑の煙草の花の夏霞祖父おほちちのみ墓今ぞ飛び越ゆ

石の井に釣瓶は置きて影ありしきのふの庭の空通り過ぐ (二の叔父の家)

老人おいびとのその眼に小さき愛鷹はしたかと見え来む我か山は飛び越ゆ

町のをさそのおいゆゑに山峡の小峡をがひの関に空翔けくだる

諸葉もろはてらてらい照り黒瓦今ぞ見え来つそのとし見つ (島田家二首)

その家の低空にしてきぞ浴びし風呂の煙の早や立ちそめぬ

老柿と築石つきいしあぜに日の照りて草屋がいくつ関のせせらぎ

幼くて裸馬をせめたる山河を桑の葉照はでりに空かけめぐる

瀬高の上空をも、またあらためて

かみむねもま黒に群がるはそのかの子らしよくましけり

本飛行

二十三日、はじめて本飛行に就く。南関の上空よりそのまま一路ただ大阪へ大阪へと飛ぶ。

てんの路ひとすぢとほり遥かなり今飛ぶべきはこの航路のみ

眼下まなした深田ふけだに映る日の在処ありどかがやきしるし月のごと見ゆ

昼がすみ水曲みわたの明りほのぼのと合歓かふかの花は咲き匂ふらし

天つ辺は飛びつつ泣かゆまなしたに虹の輪円くち明るめり

目にとめてしたなる虹の中飛ぶは単葉機我の蜻蛉あきつなす影

北のかた雲にかぐろき山の英彦えいげんならむ尖りる見ゆ

我が飛ぶや山はさやらずたたなはりたたなはる蒼き梢のみ見る

山なるは森厳にして雲湧けりこずゑかぐろき杉の群立むらだち

空行けば目もこほしかも山ふかく人家居して衣干す見ゆ

物駭ものおどろき悲しかるらし山のたを嶮峻にして鹿走り

プロペラは音ひびかへれいつ知らず密雲みつうんの中に入りてしばあり

新野飛行士生地の上を過ぐ、二首

密雲のま中衝きゆく我が下に嘉穂のこほりはありと言ふかや

山中は音響かへば雨雲の上行く脊をか妹見けむかも

夏山は思はぬ岩に飛沫しぶきしてたぎつ川瀬の水わかれ見ゆ

我が飛翔かけりしきりにかなし女子をみなごの小峡の水浴みあみ夏は見にけり

飛びつつをぎやう失ひし夕影はまさにをみなはぎを見けむか

深山木みやまぎ黒檜くろひ木群こむらに濡れて降りしばかりの雲るるなり

深山辺よあはれは久し人入りておのづからなる道通ふ見ゆ

四方の雲ひたにしづけくなりにけり山峡ふかく瀬のたぎち見ゆ

真夏空絶えず涌きるいつくしき白木綿雲しらゆふぐもの中わくるなり

ここの空真夏けつつしづかなり行きあひの白き雲の部厚さ

じんじんと山上百メートルを飛びつつあり緑に徹る命あるのみ

裸童らどう居る山の中なる風景の何ぞ空なる我に

雑草あらくさの高原斜面なだり緑なす気流に乗ると一気に我は

ひた恋ふる地上のみどりぎやくにして流動し去るすべてなるなり

国東くにざきは積乱雲のいやあがる夏空青し灘に映ろふ

ひた飛びに周防へ向ふ灘の空何かあと追ふ音ある聴かゆ

簑嶋は玉にかつづるひと簑の雨うつくしく光るその嶋

航空はしづけきものと人言ふを夕海の空をわたりうべなふ

よくのうら滑車に映る影見れば微動しつつあらし飛行はつづく

飛ぶものは尾翼びよく平らに今あらし瀬戸の内海うつみの夏夕霞

水平動感じつつあり夕暮は思ふともなく母恋ふらしき

天上に桃の和毛にこげをひた撫でてはかなやと言ふも我がうつつなり

たまゆらと翔るたまゆらあめにして我がひたかじるくれなゐの桃

厳嶋潮満ちたらし海中わだなかと鳥居ひたりて鹿あがる見ゆ

空に観て活字かんなす家群いへむらに都市の真実の声はあるなり

夕かげはくが岬々さきざき嶋のさきとほながく見て高度かうど行くなり

雲のくれ夕紫になみなして屋嶋ぞと思ふ嶋々暮れぬ

翼のかげ支柱に映りしづかなる飛行はつづくゆふ火照ほてる海

ほのぼのと匂ふ淡路のそなた空飛びつつは見ゆ霞む夕浪

早やかなし和田の岬の夕潮にいも洗ふごとく子らぞみ合ふ

水のべの天満てんまの祭篝焚き空翔りし我やそぐはず
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終篇

二十四日、我空を飛びて大阪へ向ふあひだ、妻は子らを伴ひて、太刀洗より大分なる生家へ下る。我、行を了るや、その翌の日、紅丸に乗じて、そを迎ふと航海す。かくして、別府、大分、由布院に淹留旬日、再び妻子と瀬戸の内海を渡りて帰る。その折の長歌竝に短歌二三。

大分にて

白雉はくち城お濠の蓮のほの紅に朝眼あさめよろしも妻がふるさと

母びと

母びとはかなしかるかな。老いましてなほとやさしな。妻と来て、お許に来て、今日けふくつろぐと、子らもゐて。茶寮にはのはひり、石いくつ水うつあひだ、彼方そなた見て、もの言ひてます物ごしのあはれ、よくぞ似る妻が母刀自、子らにもけだし。

反歌

水うちて残んの日かげ濡れたるにもの言ひてます母のしたしさ

おなじく

街中まちなかは瓦重なる夕かげをまだじじとある蝉が庭木に

瀬戸内海

しづかや船ゆきゆく。安らや船ゆきゆく。飛ぶべくはその空飛びぬ。ひさびさや会ふべく会ひぬ。子らにしも父が母国おやぐに、まつぶさに見よとし見せぬ。さて見むと、母の里をも、子ら見よと隈なく行きぬ。淡路嶋かよふ千鳥、明石の浦、このそよぐすずしき風に、親子づれかへさ安しと、この日なか、波折なをり光ると、甲板かふはんに鼠出でぬと、おもしろとその影見やる。

反歌

きぞ飛びて空ゆながめし瀬戸の海を今日船路ふなぢ行き波のわたる

空ゆ見しまたき淡路の夕がすみ船はすべなもただに片附く

あとのたより

君が飛ぶことごとの人が仰ぎぬと涙せりとぞ友ら言ふかも

その空は涙たまりて見ざりきと下べのその我も見ざりき
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郷土と雲海



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昭和五年五月、かの郷土飛翔の事ありて翌々年、われ再び、北九州に所用ありて下る。この間一ヶ月余、郷里柳河、沖端、母の里南関、外目にも帰省するを得たり。その折の新唱之なり。なほ、この帰途、再び太刀洗より大阪へ、大阪より羽田へ一気に飛翔し、感懐また新なるを覚ゆ。此篇またおのづからにして郷土飛翔吟の続篇を成す。録長歌四首、短歌九十五首。


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帰省篇

月光荘雑詠

月光荘は柳河瀬高町高椋公夫君邸の離家に我が名づけしものなり。この行ほとんどこの水荘に宿る。

月夜

積藁に電柱のかげかしぎゐて堀の向ひはよき月夜なり

この川やまだ張りすててあらはなる蜘蛛手の棚もよき月夜なり

註、蜘蛛手は四つ手網。

月夜なり馬鈴薯畑ばれいしよばたの片側は壁白う照りて家廂やびさしのかげ

昼間見し麦の立穂たちほと思ふいろ月の光に見えそめにけり

きやろと啼きけろと啼きつぐこゑきけば蛙も月に出てあそぶらし

内庭

庭のに月の光のありしときかへでの影もしひとありにし

この庭の湿りがたもつつちのいろ月の光にかがよひにけり

月夜照る庭の木立をちかぢかと見つつゐにけり暗き渡廊わたり

まことのみは言ひにけりよかりけり月の光に坐りつつ思ふ

註、昼講演せり。

うちしらむ月のありどの雲のいろあふちの花は揺れそめにけり


縦川を斜に見やる縁のに吾が眺めつつ涼しがりをる

この節句せくちまきのしろと刈る葦のいきれは繁し中分けて刈る

国つぶり節句せくちまき梔子くちなしの実に染めてから葦の葉に巻く

誰が棄てし暑さぞ

菱の葉に白き扇のなづさへばあはれ水照みでりの夏もぬめり

再び夜景

とちかがみ揺れ合ふ見ればいとどしく月明りして飛ぶ羽虫あり

月の空夜の明方となりぬらし黄にあかり来る麦の穂のいろ

水郷の朝

夏の夜ははや明けにけり瓦家の瓦に赤き煙突が見ゆ

やはらかきからしのさやあかる日の光こほしみわれは行くなり

荒壁あらかべに夏の朝日の照りてゐて漆の花の影もうつれり

うしろ射す夏の朝日にわが渡る土橋どばしのへりのすかんぽの花

土橋の朝まだ早し揺りゆりてそら豆売りが籠かつぎくる

花まじる深田ふけだの草ののぎの穂は夏の朝日に見るべかりけり

穂に立つ麦の畑の中道なかみちにうねりつつやはらかき土

しらしらと米の磨ぎ汁流れゐて藻の葉にまじる鮒のなきがら

ついかがむおと女童めわらは影揺れてまだ寝起らし朝の汲水場くみづ

うちしめりなにかまばゆきの曇りあふちの花はいまだ了らず

裏町の媼

見るすでに涙はためつ。会ふすぐと眼に手はあてつ。およしをば六騎ろつきがながれ、我が乳母めのと、そのかの一人。笛鳴るに太鼓とよむに、水祭また御らうぜよ、舟よしと、さて棹さしぬ。蚕豆そらまめと麦秋の頃、舟舞台水にうかびて、老柳堀にしだれて、ひりへうと子らぞ吹きける、撥上げてとうとたたきぬ。見えずをば、舟多きから、我が言へば、さらばかくませ、このにと、両手もろてあとにす。さて負はれ、のびあがり、見ゆと見ゆとし我が言へば、なよあはれ、五十年いそとせの昔のぬくみ、よろぼふ腰に力をむる。

反歌

ひりへうと笛が鳴るから夏祭三神丸さんじんまる小舟をぶねさもらふ

宮永の媼

海老腰や家の子のをば、寺詣で左手後ひだりあとあて、片手杖、なむなむのをば和子わこよしと、こなたかなしと、ひさびさぞよくわせぬとぞ、せはしとぞ、早や膳まゐる。あのよろし蟹よ蝦蛄しやこよ、それよこれよ、そをめせ、かくめせとあはれ、中つつき、からほじりあはれ。かの和子にものいふさまよ、雛鳥にふふますごとよ、かたへつき、にじり寄り、さて暑さよとな、またあふぎゐる。ほれほれと箸もてまゐる。その和子はかくなる歳を、老いづくを、蟹や蝦蛄しやこさもこそあらめど、身の老の、その海老腰の、おのれ知らずて。

反歌

すかとぐ蟹の甲羅は黄のとろを尿ししぶくろほぜりとりてすてたり

女友だち

額髪ぬかがみの幼な女童めわらは、そのごとく今も囲むに、早や老いてふふむものなし。子をなして幾人いくたりの親、死なしめてあとのこる妻、かしましと世にいふきはか、さて寄りて我にかくいふ。そのかみよ、そ様うれしと、ほのぼのと思ひ秘めきと、とりどりやひとりびとりに、こそよこそよと膝すり寄せぬ。うちらぎ何すとすらし、泣かゆとて早や過ぎにけり。見る眼さへ鄙のおうなの歯ぐきあらはに。

反歌

女童めわらはに目もくれずとふ男童をわらべあるひはほのに何かおそれし

大江の幸若

筑後山門郡瀬高在の大江の幸若は今は日本に唯一のものとして珍重せらる。或る日、特に迎へられてその大江の村社に参観す。柳河の老儒渡辺村男先生の東道なり。社内、舞手と我等の外殆ど人影無く、俗塵絶ゆ。

蝉のこゑしづけき森のここの宮幸若かうわかの舞の時ぞ移ろふ

麦のれ蒸すや五月さつき野平のだひらにお宮ましまし小つづみの音

曲舞くせまひ大江おほえ幸若かうわか足ずりにえやとたたらと舞ひ澄ましける

立烏帽子たてゑぼし袴長引きさ刀素襖すあをの袖は張りて舞ひつつ

幽けさは笛や羯鼓かつこほかにして舞ふものならし扇手に

打烏帽子脇とつれとが片膝に待つ間かがよふひとひらの雲

舞殿のとばりは匂ふ夏がすみ後水尾のみかどくだしたまへる

人な知り宮の幸若足ぶみに遊ぶ五月さつきのたたら曲舞くせまひ

舞殿に舞ひつつくる昼の照り撫子もちて仰ぐ女童めわらは

野の宮よ翁嫗おぎなおぐなののどのどに石につい居り舞ふを見に

墨の香のながれてしづむ青若葉誰に書けとふ紙かのべたる

城内

裏堀は藻をかいくぐるにほ居りて遥けきは啼けり城内しろうちらしも

或る月夜

竝倉のしづけき生鼠壁なまこ月夜にて鳰は寄りゆくその向うの葦に

ユーカリのしろき月夜のかげにしてこなぎも花に咲きにつらむか

船小屋

湯のやかた築石垣つきいしがきあひ飛びて源氏蛍も早や末ならし

南関、大津山

一族、我が為に集りて、半日を清遊す。

大津山おほつさんここの御宮の見わたしをうからがものと我等すずしむ

小岱山せうたいさん霞むおもて端山はやまには関の名残りの書院松見ゆ

山帰来葉ばらんはや山はこほしき日のむれもちひくるまむその葉摘みたむ

北の関・南の関

北の関の村は、筑後の山門と肥後の玉名の境にあり、そを越ゆれば母の里南の関、関町ともいふ。

朱砂すさにして雨ふりながす朝の道山片附けば北の関見ゆ

ふかみどりはじの木かげにつ見れば童女どうによかなし母によく似て

玉名郡たまなごほり関の山家は築畦つきあぜ石塊いしくれ黒く夏まけにけり

朱砂すさながらさびし山家の壁のいろ薄日蒸したり母の関町
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北九州雑唱

宰府道

筑紫の、はじ木原こばら、木原には夕光ゆふかげ満ち、夕光に鷽鳥うそどり啼けり。宰府道、ここの木原に、飼鳥かひどりの、よき鷽鳥うそどりを、もつあらしも。

反歌

汗沁むる木彫のうそにぎりて朝行きし前を夕かへりをり

観世音寺道

麦の秋ゆふかぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ

麦の秋観世音寺をまかで来て都府楼の跡は遠からなくに

夕あかるはじの木むらの前刈るは誰が麦秋の笠の紐ぞも

水城

草ふかき水城みづき飛び越え立つ鴨のかる鴨の子をうつくしみ見む

雑餉隈、環水荘

この行、この加野宗三郎氏の水荘に淹留することまた数日なりき。

めぐる環水荘は降る雨のいろとりどりに夏いたりつつ


雑餉隈ざつしよのくま池塘つつみに映るゆか高き屋裏やうらに赤き金魚鉢見ゆ

菱生ふる広き池塘つつみの中道は雨通らせて後照あとでり暑し

老樫のこぼれ日あかく地にあるに蟻現るる待ち居り我は

積藁にひびく一つの爆音が太刀洗より近づくごとし


ほのぼのとからし焼く火の夜は燃えて筑紫ごほりの春もいぬめり

鬼菱の花さく池の月しろは夜のいよいよにけてのちなり

呼子

名護屋城址

麦黄ばむ名護屋なごやの城の跡どころ松蝉が啼きて油蝉はまだ

からの空の見はらしどころここにして太閤はありき海山の上に

おなじく、山下善敏君の山荘にて

麦の秋に白帆見わたす山幾重君がやかたは伊達の陣跡

蒼海あをうみの鯨の蕪骨ぶこつみ酒のしぼりの粕にでししとす

ここにして十時伝右衛門のすゑの子と一夜ひとよいきほひ飲みて寝にける

註、柳河の旧友。

おほらかにありつるきぞの朝酒と再眺またながめして名護屋にぞ居る

呼子港

遊女あそびめが片手漕ぎする舟かともひるちかき照りの入江見てあり
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飛行篇

白日飛行吟 飛行吟その一

まさやけく夏の微塵みぢんの澄むところみ空は青し眼の極み見ゆ

三笠山さ尾上をのへに立つ鹿のかぼそき姿あめにして見つ

青丹あをによし奈良の都の藤若葉けふ新たなり我は空行く

高行くはひたすら悒鬱さぶしまかがやき横たふ雲の眼をふたぎつつ

高蒼空たかあをぞらわがよるべなき単葉の機体の揺れは雲のつなり

鈴鹿山空木うつぎ花咲きしづかなり飛びつつし思ふ夏ふかみけり

眼下まなしたに横たふ谿は鈴鹿とぞ死の衝激をからうじて堪ふ

移りつつ雲はあるらし山襞やまひだあかきなだりに影のさしたる

雲海 飛行吟その二

雲に会ふ心したしく幽けかり高度の高さ思ふなるべし

人飛びてつま恋ふる時しあめなるや雲高光り音をひそめつ

しづかなる空の中処なかど空洞うろありてきたる待つとふけだしその空洞うろ

天つ風山吹きおろしおき長しひた吹きあつる真向ひの雲

み身ごもり雲がくります山の襞また現れて事なきごとし

雲塊うんくわいは雲塊と触れとどろけりか思ふは我の澄みゆくならむ

眼のかぎり雲たたなはるさながらを空にして思ふ大わたの海

噴く綿のおだしき雲のたたなはり影しじにして熱度けぶかき

雲塊の片陰附けばかぐろなる鷹ひとつ飛ぶとさまかはるなし

紫外線はげしき昼は陰黝き雲片附きて位置は低めつ

雲海の雲たたなはりはてなきは無風状態に置かれたるなり

挙げて光り眼は向けがたきてんなみ白雲角びやくうんかくに人交りける

てんの昼非常に光る雲角うんかくの頂にして鎮む物あり

独神ひとりがみ御身みみ隠します時すらやかく雲海はありて被ひき

雲の海に我はひびかふエンヂンの命なるなりくとありつつ

雲海の荘厳をしも我が飛びていつ果つるなし心

雲隔つ友の葬所はふりどかげ蒸していま暑からし蝉のしじ鳴き (沼津上空)
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覊旅小品



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昭和三年盛夏、常陸大津の海岸へ児童自由詩講演に赴き、その夜五浦の故岡倉天心居士の別墅に宿る。帰途、筑波に登つて山上に一泊。「五浦少女」「筑波新唱」はその折の歌。
昭和八年十一月、福島市の公会堂創立につき講演に赴く。「初冬信夫行」はその時の作。
昭和七年一月、妻子を伴ひて信州、池ノ平に遊ぶ。「雪に遊ぶ」はその折に作る。


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五浦少女

大津

大津の浜目どほり白き波際なみぎはを階上に見つつビールぽんぽん抜かしむ

順礼の墓

順礼の墓とふ影が大暑たいしよにて山のかかりにあるがしづけさ

順礼の山辺の墓は日ざかりをせせり浮きたりまりの清水に

五浦、潮見堂

潮見堂ここにぞ天心先生はうしほ眺めて飽かずしにけむ

唐風からふうの画像思へば大き人いまもゆたけくここに居らすかも

六角堂庇にしぶく夕潮の涼しきがほどを我らち見つ

五浦少女

山越やまごえよ五浦少女、日中ひなかより影をつづりて、もてなしと我にまゐると、とと、瓶子かかへ、五器そろへ、お膳持て来る。一閑張・筆・墨・硯、さて紙帳、くくり枕や、夜のものとふすま持てる。額髪ぬかがみ女童めろも交りて、ほつほつと、ひとりひとりに、軽き提げ重きはかつぎて、あなかなし五浦少女、草いきれ暑き小径こみちを、潮しぶく東の磯の潮見堂、その母家おもやまで、山越え野越え。

反歌

山越は日のあるうちぞほどほどに持て来てたもれ道は遠きに

おなじく

墨磨りに山路やまぢ越ゆると女童めわらはや硯も持ちて幼なかるべし

少女子や山ははぐさの夕かげに瓶子落して笑ひたるらし

また

早や帰れ火のひとつづり見えるは迎ひのととか山路気づかふ

印度のタゴール翁ここに泊りしといふ。

かくりて趺坐し一夜ひとよをありけらしその縁のと思ふに我は

天心居夜情

岩のにことりともこの音せぬは人さぬらしすさぶ夜の潮

潮ひびく君がやかたの跡どころ小夜ふけて聴くに磯は直ぐした

草塚にこもるこほろぎ潮騒しほさゐのとどろ立つ夜を鋭声とごゑしきりに

註、天心先生の墓あり。
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筑波新唱

五浦の帰りに筑波の麓大宝村へ廻り、横瀬夜雨氏の邸にて河井酔茗氏と約のごとく落合ひ、その午後一同筑波山へ登る。山上へ一泊す。

大宝村

ここのかど庇に繁き雑草あらくさ内外うちとの暑さなほち難し

庭苔の地湿ぢしめりながら日おもては朝から蒸してこの大き草屋

朝顔に

鉢にして花ひらきたる朝顔の五十いそあまり置きて足蹇あしなへ君は

朝顔の幾花鉢や張るひぢの君いつかしく膝は平らに

雲居立ち紫にほふ筑波嶺を麓に堪へて足蹇君は

山毛欅と青がへる

筑波嶺つくばねのいただきさやにうちひびく山毛欅ぶなの林の青がへるのこゑ

筑波嶺のいただき通る夕立よだち雨わたくし雨のくだり去りにし

山毛欅ぶなの原朝居る雲のつぶさには下しづくして音果つるなし

小筑波や山毛欅ぶな下枝しづえの若萠に蛙ころろぐこゑのさやけさ

筑波嶺のいただきよりぞ見おろして雲はうち乱る表裏おもてうらとなく

にひばり筑波をくだりあはれあはれケーブルカーの索条はや

夜雨、山にのぼる

見てのみや泣きてこらへし筑波嶺を君いまはのぼる人がそびらにて

君を負ふ人の後蹤あとつきのぼる道石ころ暑し赤き角々かどかど

山のぼる人のそびらゆもの言ひて筑波根草は君が教へし

まだ見えて人のにある君と思へいただきの雲のいまはつつみぬ

高天原たかまがはら男峰をみねの岩のいただきに影黒くある君と思へや


夜雨氏夫妻も泊る、生れて初めての蜜月遊ぞといふに、

女男めをの峰ひとつ筑波の頂にうべしづもらすこの夜いみじく

筑波嶺の男峰落ちゆく雲あらしふりつつもあるか下の葉山に

翌日、昼

おぶさりていや暑からしのぼりけるまなざしたゆく今はくだりに

筑波嶺にひとすぢかかる男女みなの川早やたえだえに君はありにし

筑波の帰りに

ここに見る霞ヶ浦は採る魚のわかさぎ色にしろく霞みぬ
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初冬信夫行

伏拝を越えて

伏拝ふしをがみ越えつつくだる道の奥道祖だうその神にぬさたてまつる

伏拝ふしをがみ越え来てひろふ日のあたりこれよりやいよよ奥のほそみち

人像ひとがたと藁の小積こづみ数立かずたちてなほうそ寒き刈田つづくか

文字摺石

みちのくの信夫文字摺かくながら日の寒うある岩のにして

冬日ぐれ文字摺石のわき遊ぶ子らが石蹴り音ひびきけり

福島対岸

ちびと啼く花吸鳥はなすひどりは水さむき阿武隈越えて何にかも
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雪に遊ぶ

池ノ平

清らけく雪に遊ぶは白鷺の水あさりするたぐひならまし

今朝ふりて清明さやけき雪や積む雪の踏めば粉に立つそのきよら雪

雪の原霧華きばな咲き満つまさしくも白くさやけきこれや一色ひといろ

風やみて紫にほふ雪のひだこの片陰につどひて居れば

妙高温泉へ下る

落葉松からまつ夕粉雪ゆふこなゆきぞつもりける末うごきつつしみらなる枝

落葉松に粉雪ふりつむ日くれがたひた滑りつつ我はありける

積む雪の下深くゆく水あらし風かとも聴くにせせらぎにけり
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満蒙風物唱



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昭和五年三月より四月にかけて四十余日、満蒙各地を巡遊す。満鉄の招聘によるなり。その情報部の八木沼丈夫君と同行す。歴遊するところ、大連を起点として満鉄沿線及び東支鉄道は満洲里に至る。尚ほ長春吉林間、奉天新義州間を往復し、また大連へ還る。即ちこの満蒙風物唱成る。うち二百十一首を録す。


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遼東春寒

東鶏冠山

寒月かんげつは谷を埋むるしかばねにまた冴えたらしあるはうごくに

いのちにて一人一人と跳び入りしまた声もなしざんの深きに

息はつめて死角しかくむかふ敵味方このるゐの中に敢て憎みし

春ならぬ寒靄かんあいにしも日は照りてこの低なだり小松繁かり

春寒き旅順の港見おろしてましぐらにはしる自動車今あり

大連、碧山荘

碧山荘は華工の収容所なり

碧山荘へきざんさう冬の日向ひなたる影の濃くしづかにて担ふ水桶

影つけて日向る荷かつぎの肩かへにけりたぶつく水桶

その裏山

人だかり大蒜にんにくのはげしきはなか分きかねつ旅に来てあり

春山はるやまと山をうづむる大群たいぐん苦力クリーさもあれや空は霞まず

軽業かるわざの子らひるがへる柱より光る春かもや山はとよもす

鳴くまでは白霊パイリンかご手に据ゑてととぞ居りける春のひねもす

春なれや苦力クリーととみて十尺とさか煙管きせる吸ひくゆらかに

くらくらと牛の煮たつ大釜の湯けぶりにしもや夕日ま赤き

丸揚げと揚ぐるさかなは手づかみに早や投げ入れて安けきごとし

大連図書館にて

はげしかるピゴーの漫画をかしとし泣きて遊ばむ旅にあらぬを

金洲

冬来り城壁じやうへきの上に立つ影の我にしもあるかひとり見おろす

岱宗寺たいそうじ咽ぶ胡弓のは引きてまだ薄日なりかんはゆるまず

熊岳城

熊岳城ゆうがくじやうかりわたるなり仰臥あふぶしに春寒きの砂湯にぞをる

望児山ばうじさん吹きらす風のかざさきは仰向きにへその寒き砂湯や

砂湯にてかじる林檎は喇嘛塔ラマたふの風寒きからひたあかき噛む

春はまだ河原の砂湯上寒し風邪ひかぬまとそこそこあがる

枯野行く幌馬車マアチヤの軋みきこえゐて春浅きかなや砂塵さぢんあがれり

湯崗子早春

湯崗子たうこうしむる竝木のあひにして帽子マオツの赤きつまみが行くなり

湯崗子氷は厚し我が買ひて赤き※(「木+虎」の「儿」に代えて「且」、第4水準2-15-45)さんざしをかきかじりつつ

遼陽

仰ぎ見てさむざむとある白塔はくたふの薄日なるなり巣くふ鵲

と馬と竝び曳き行く荷の車焼鍋ランチウならしかめ高く積む

泥濘ぬかるみは薄日の土囲どゐ片避かたよけて人影つかそのほつほつに

寂びつくしやなぎ土囲どゐもあらはなりこの冬の日の道をひろふに

冬楡ふゆにれにしらしらとある日の在処ありど土囲どゐ曲り来て我は仰ぎつ

黒豚の仔豚走り陽は寒し観音寺山のおもてれば
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奉天南北

奉天北陵

かささぎの声行き向ふ北のはれ北陵ほくりようの空に雲ぞ明れる

太宗文皇帝のみささぎとふ北陵はけだし松のみささぎ

霊廟みたまやの南おもての日のあたり氷は池にかがよひにける

牌楼パイロウの影は日向ひなたしづかなり狛犬こまいぬが見ゆうしろなで肩

奉天北陵の壇道だんだうを踏みのぼり来てひえびえとよし春の松風

寒空さむぞらにい照りうつろふ黄のいらか目もあやにしてここは霊廟みたまや

森ふかし対ひ衝立ついた石獣せきじうの影多くして音無かりけり

みささぎのこの松かげに人をりて茶をたつる湯気のほのぼの寒し

風鐸すずおと四方よもに起りて春あさし隆恩殿に向ひて歩む

朱砂すさの楼隆恩門に我が向ふ内庭うちにはさむし斑雪はだれ吹く風

帝王のただにまししぎよくきだ我ぞ踏みのぼる松風をあはれ

はしら黄金甍こがねいらかつまにして寝陵しんりようは見ゆまろ枯山からやま

鳶の声澄みつつ舞へれみささぎゑんじゆは枯れぬつかに槐は

角楼は石階いしきだせまわきのぼる高壁たかかべ内外うちと雪こごり積む

瀋陽東陵

ひむがしのたふとき山のみささぎの松ふかきところりし霊廟みたまや

みささぎの山のおもての浅茅原あさぢはらいたくも荒れぬ松はふかきを

松が粉雪こゆきちらつく日のくもり何鳥か啼けりあはれみささぎ

そり高き磴道とうだうる人ひとり東陵とうりようはげに冬によき山

山水に青丹瓦あをにかはらぞ古りにける美豆良みづら唐子からこかばこのまへ

茶膳房雪ちらつけばかささぎの声うちみだり松にるかに

鵲の飛ぶ影見ればふりみだる雪おもしろし黒と白のはね

がこもる庫裏くりの障子ぞ廂這ふけぶりはしろしほのぼのの湯気

撫順

露天掘ま澄みかあを空際そらぎはを音とどろきてまだ余寒なり

天を摩す鉄のパイプの太腕ふとうでに重油ながれ落つる音は聴くべし

三月は石炭壁に沁む雪の斑雪はだれが碧し輸炭車湯気

炭層たんそう千歳ちとせうづもる蓮の実も芽を吹き花の日に匂ふちふ

家のつと卵ほどなる大きなる瑪瑙の玉は妻にぶべし

青きもの摘む子らならしざる寄せて石炭殻は指に掻き

長春近づく

黒煉瓦焼く火の火口ほぐち夜は見えてけしきばかりをかんゆるぶめり

長春駅

日は黄なり屯積とんづみ高き豆粕に噴き立つる汽車の煙影引く

鉄のかまの大き機関車まおもてを鐘うち振れり為すあるごとし

国際列車とどろ湯気噴く鑵鳴かまなりのじんじんと澄みて待つあるごとし

移民の群

曠野あらの行く四等車といふにかほ群れて生きたかりける冬もたのめし
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鵲と楡

公主嶺

公主嶺馬駆る見れば裸馬らばにして著ぶくれの子が風あふり来る

寒々さむざむたむろし移る羊にてはし驚けば皆さわめきぬ

汽車は北へ

旅人たびとわれ汽車の窓べを飛びぐる木の葉のごとし風に追はれぬ

群れにけり曠野あらの寒きにぶしゆぶしゆと黒豚づれが土饅頭どまんぢゆう食む

十三時

家の影隣に映り冬日なりおもてしめたる村のひそけさ

つまり同じ影もつ家どなり春先はるさきといふに寒きにあり

浮雲 一間堡にて

かすかに我は見るなり浮雲の二塊ふたくれ三塊みくれ野の空のはてに

難民ならし

いづくへ行く群ならむ空低く雲黄なる野に人つづき見ゆ

或る枯野

ただに見る影と日向のひろき野につづくやなぎのすがれ木にして

冴えにけりやなぎくろき根の土に春のぬくみのいまだいたらず

ちかぢかと我は眺むる野の日向遊ぶ唐子からこの影走りをる

冬楡

墨にしてあるは匂はむ枯山からやまにれのほづえの細描ほそがきの線

冬の楡のしみみにほそき髪の毛は梳櫛の歯にく細みなり

冬に観る楡の寒けき墨いろは毛描の線にかば描くべし

冬楡 その二

冬楡ふゆにれのしみみかぐろきほづえにはかささぎらしき巣もあらはなり

しばしばも見つつ越え来つ枯山からやまにれやなぎの寒き日の色

寒きびし

すぢほそくひま漏る冬の日の光鵲の巣は枝にこごれり

寒林かんりん石廟せきべうさきこのあたり糞叉子フンチヤーツ掻きて人暮れ早し

石壁せきへき銃眼じゆうがんとほす空のいろ高粱稈カオリヤンがらは積みて冬なり

氷閉ぢきびしくしろき川ひとつただにかびろき枯原は見ゆ

或る野の夕光

くだら野の窪処くぼどの氷ほの青し日の夕かげの近づきにけり

日おもてと家群いへむらなごむ畑なだり高粱カオリヤンの根はよく鋤きにけり

夕日照る枯山からやまなだり地に引きてその木がたもつ影のしづかさ

車挽きて驢馬ろばと行くしづかなる夕かげの野に我も在るなり

夕光ゆふかげの疎林におよぶ野のたひら音きしませて行く車輛らし

たひらけく枯野からのあか夕光ゆふかげ遠及とほおよびつつ寒しともなき

行くものの何とはなけれ移りゐてうらめづらしき夕光ゆふかげのいろ

夕光ゆふかげのかくうらなごむ枯野からのには色すらも声にちて匂はむ

根黍

朝光あさかげ此方こなたゆ射せば縞目なす高粱カオリヤンの根は雪のごと見ゆ

畝竝うねなみの冬枯ふゆがれ根黍ねきびはてしなし夕かげあかく満ちにけるかも

落つる日に我がひた向ふ野の原は光しみつつすぐろなる土

朝出でて一往復ひとゆきかへり鋤くのみに日の赤く落つるここは大陸

地平より根黍鋤きし大き人今正面まともなる入日に赤し
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興安嶺を越ゆ

興安嶺を越ゆ

落葉松

興安嶺黒くみ立つ落葉松からまつの林は寒し雲のに見ゆ

雪の線かぎりて黒き落葉松の群落ぐんらくはよしほそき木のうれ

谿なだりしづもる雪の片空は木群こむらが黒しほそき落葉松

落葉松の木群こむらうれに立つ霧はかがよふ谿の雪解くるなり

札蘭屯を過ぎて

岩膚の岱赭に蒼む色見れば斑雪はだれ雪解ゆきげ下滴したたりにけり

山中

興安嶺越えつつぞ思ふこの山やまさしく大き大き山脈やまなみ

日をつくし大き螺状らじやうにのぼるとき興安嶺は深しと思ひぬ

白樺樹林

のぼり来て眼も澄みにけり雪の原に白樺の林しみみ光れり

谿たに秘所ひそ雪の山原に細り立つ白樺の幹は光すなり

細木原しろく直立すぐたつ白樺の木はだは清し雪のに立つ

雪線

ここ過ぎて雪は空より新たなり山ぎはの線はいふばかりなし

北のの雪に思へばつちふらし低居ひくゐる雲よ遠く来にけり

雪のひだ眼もすさまじくなりにけりあまそそり立つくろ岩角いはかど

山のや真澄みて青く流れたる稜線りようせんの空を飛ぶつばさあり

春あさき黄と青磁との蒙古のいち海拉爾ハイラルあたりよき気流なり

興安嶺くだりつくして野は曠し赤き落日いりひに汽車はま向ふ

哈爾賓ハルビン

松花江

松花江スンガリー解氷かいひようまだし橇にして船腹ふなばら赤ききはまではし

松花江スンガリーすずきこほれる春早き哈爾賓ハルビンの朝のいちに行くなり

太陽嶋

霧ふかしよりかぶれるあかきれ牛乳の壺をかかへたるらし

さすらへば命に換ふるなにものも売りつくしけりそのかなしきを

詣づらく朝の弥撒ミサにし毛のあか産子うぶごき来て母貧しかり

太陽嶋夕づく塔に鳴る鐘の影ひたすらや振りにつつあり

墓地

露西亜びとは都大路の見とほしに先づ墓地を定め寺うち建てぬ

露西亜びとはみ墓楽しと花植ゑて日曜は来る椅子しつらへぬ

キタイスカヤ

キタイスカヤ昼のほのほと職待つと手斧てうなかたへに人い寝こけぬ

春早し何の刷毛はけかもたけなるを鳥毛と立ててベンチにはゐる

街の角冬は日向とひろげたる襤褸ぼろのつぎはぎに老媼おうならありき

はぎの線颯々と行くいつくしき高踵靴ハイヒール見れば春早むなり

旅情

木製のはね折る黒き大鴉旅にし冬は買ひてかかへぬ

秋林チユウリンを出て来て思ふ露西亜の血と朝鮮とまじり少女なりにし

流離 (白系露人のさまざまをまた)

国破れ人はさすらふ毛ごろもの氷の粉屑こくづ吹きよごれつつ

凍傷とうしやうの膝に藁巻きゐざりけるをぢさが富める外套は見よ

酒みづき白髪しらがおうなは前伏しにその戸のきだ白夜はくやこごえぬ

弾く手にはれ手風琴も鳴るらめど盲目めしひ眼はかず白夜はくや昼ならず

松花江支流

橋がまへとどろ退くまもしづかなりわが汽車ゆ見る結氷けつぴようのいろ

声はして夜の汽車のに消えにけり今ちたるは蔡家屯ならむ
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沙漠の移動

四平街

聞くだにも寒き鴉のま冬には空うづむとふ街に見あげつ

我が聞きて声泣くごとし夜酒ほかにまた影もあらぬを

あら幌馬車マアチヤ疾駆し星近し三寒さんかんにしてひびく暁

鄭家屯郊外

外蒙古西吹きあげて東する沙漠の大き移動をぞ思ふ

註、蒙古の沙漠は東へ東へと移動しつつありと云ふ。

み冬の夕かげあかきすなの原空眼そらめ薄らに駱駝来れり

蒙古びと駱駝追ひつつ夕べなり早駈けに乗る驢馬の後尻あとじり

つちふらす黄沙わうさたひらただならず日はあけをどみ蒙古犬吼ゆ

註、霾るとは遠く沙塵の黄濁するを云ふ。

ひた駈けに黄沙わうさの原を乗り進む蒙古の騎馬はうしろ見ずけり

毛ぶかくてもろの耳蔽ふ蒙古帽彼ら怖れずその眼の光

黄沙わうさの原騎馬走る見ればおのづからただもはらに道とほりけり

蒙古児モンゴル陀羅海トルカイ低き沙丘の起臥おきふしはてしもしらね草枯れにけり

蒙古風吹きもつくすか石積みて山はただ一つ低きオボ山

眼を放つ草原さうげんの枯れはてもなし牛跳躍す落つる日の前

放射光はうしやくわう日は金色こんじきに凪ぎにけり地平に寒きうれの冬楡

未開放地みかいはうち目も遥かなり牛馬豚羊まさしく小さくい群れ移ろふ

註、未開放地とは蒙古の主権を以て、未だ他国人(支那人をも含む)に開放せざる土地なり。

行く行くに一つの部落あり

真名井まなゐわく沙漠のかげのひとたむろただにあはれに家居しにけり

宿舎にて

鄭家屯落つる日赤し畳にはざらつく砂の数光りつつ

傳家屯にて

傳家屯フウカトン夕かげ暗し地に低き土の家群やむらの煙あげつつ

赫爾洪得

赫爾洪得ハラハンテ夕日の照りにうつら出て駱駝もだ居り高き砂山

蘇支交戦の直後なり

赫爾洪得ハラハンテ廃墟の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)に見とほして落日らくじつ赤し汽車はひた行く

地平の落日

此所ここにして地平は高しはろばろに雲居垂れたり日の落つる雲

雲かとも山かとも思ふ地の黝朱うるみ蒙古はひろし日も落ちはてぬ

かりわたる青磁の透る空のみぞ地平に残り砂山すなやま暮れぬ

外蒙古雪のこるらしに浮きて遥けき山は島のごと見ゆ

砂丘つづく

砂窪に泡だちしるき雪のいろ夕光ゆふかげにして今は解けつつ

柔らかと砂山の雪の薄ねずみ夕棚雲ゆふたなぐもの色ふくみゐる

砂窪に火照ほでり沁み入る日の暮は眼をつぶるまもけだし匂へり

塩包

影ここだアンペラ小積こづ塩包しほづつみいま逆光に赤き日はあり

満洲里

風車丘

蘇満国境春冴えかへり砂山の低山ひくやま斑雪はだれまた吹きれぬ

満洲里マンチユリイ風車ふうしや片破かたやれ吹きるる残雪ざんせつの丘にかんぞきびしき

砂寒き低山ひくやまの裾をる駱駝後先あとさきの影が夜明よあけいばえつ

暁星あかぼし上眼うはめ駱駝はみ冬月庫倫クーロンよりかもこりもこり

風車丘ふうしやきうここにし立てば西伯利亜の低山つづき雲こごる見ゆ

駱駝の宿

内蒙古春おぼろならず早やい寝て駱駝が宿は月にしたり

駱駝づれ月夜寒きに膝折りて高粱稈カオリヤンがらの下ひびくらし

さはに瘤ある駱駝膝は折りいづ方となき上眼うはめしてあはれ
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南満春来る

吉林

旅にして春塵しゆんぢんしげししばしばも熱きしぼりにかほをあてつつ (二首汽車の中にて

熊出でて昼立ちありく森のまち敦化の雪も春はけなむ

漣や筏を洗ふかがやかし解氷期近き松花江スンガリー見ゆ

流氷りうひように添ひつつ笑ふ漣の春かがやかに果しらぬなり

北山にて

春霞むここに花咲き我が居らば武陵ぶりよう桃源たうげんの思あるべし

北山ほくざんはのどけきみ山まろ山の低山ひくやまよろひ匂よき山

風の音喇嘛ラマ塔の背に起りしが春山なれや照りつつ止みぬ

昼霞青丹あをに瓦のしづもるは春山ゆゑにかがやかにして

旅舎

旅やどり匂やかなる※(「窗/心」、第3水準1-89-54)の夕かげは見て何をとも待つ

三人の満人の姿夢に襲ふ

幽魂いうこんの来りくなる夜のほどろ春寒はるさむにしも酒やさめにし

南満春来る 吉林長春間

飲馬江インマホウその水のべに飲む馬の白きが匂ふ霞となりぬ

がんの群今かへるらし雪のこる遠山ゑんざんの空をわたりて過ぎぬ

榑挽くれひきるとかがむと手もゆたに大鋸おが長柄ながえむかひ揺り挽く

木叉子ムウサアシ頬にあててつ藍の服木根にも春はかがよふらしき

氷解け春の池塘つつみは遠目にも漣の刻み一面なれや

春いでてこぞり耕す鍬のは漣なしてかがやき連れぬ

春昼しゆんちゆうや根黍かがやき黒豚の仔豚連れ走りよき霞なり

春は今農用馬車の野に見えて二頭三頭四頭早や前駆けぬ

見てよきは春の広野に輝きて耕馬かうまがたもつ揃ふ足竝

春夕

土糞トオフイヌ掻きほけくらす人居りて春あたたかき夕光ゆふかげめづ

春ゆふべ野焼の跡に佇める白き馬見れば尾に遊ぶかに

春の野は唐子からこいだける母もて夕陽こもれるよき空気なり

春夕しゆんせきはひとりありく馬をりておのづから帰る道知るらしき

早やとも物恋ものこほしかるのいくつ満洲にして春はかすけき

本渓湖

天霧あまぎらし降る雪見れば鵲や早や群れ飛びいづこよりとなく

鵲は雪ふり乱る空にして色まぎれなしかへばたく

春雪しゆんせつのひと降りゆゑに飛び乱る鵲の羽もつやにつめり

本渓湖影清らなり春雪しゆんせつ後冷あとびえにして空の晴れたる

五竜背

きぬそそぐ水にかあらし芽楊の外面そとも光りて波紋のみ見ゆ

疲れけりとろむ蛙のは聴きて五竜背ごりゆうはい温泉にどかと足投ぐ

田は鋤きてまたえたらし土の斑雪はだれの色の明れる見れば

国境の春

解氷かいひようの渦巻きすごき黄の濁り鴨緑江はむべ大河なり

一夜ひとよに春いたりけむありなれがは氷張り裂けてとどろきにけり

鴨緑江照りひろびろしあきらかに流氷りうひようを追うてを流すなり

鋼橋かうけうの遠き正面まともる子らが衣手あかし目に近づきぬ

春まさに国のさかひの大き河氷とどろけば冬果てしなり

遼陽の春

春霞む白塔はくたふならししらしらと我が見る方に今ぞ見えつつ

湯崗子の春

湯崗子遠く来りてあはれあはれ鴛鴦をしどりの湯にひとり浸るも

うちこぞり川にとろむひきのこゑおろかながらに春ぞふけたる

娘々廟ニヤンニヤンメウかすむ日あかし見て居りてここらは低きいくつ枯山からやま

鞍山あんざんはまことよき山よく枯れてよき鞍型の春さきの山

金洲を過ぎて

大和尚山ねもごろ霞む麓べは春かたまけて紅梨ホアンリイの花

旅終る

山すそに桃の花さく大和路に茫漠とありし我が旅果てぬ
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夢殿



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昭和三年初冬、国醇会の一行と正倉院拝観に赴く。その所産、「春日の鹿」「正倉院御物抄」。
翌々五年春、満蒙旅行の帰途妻子と奈良に遊ぶ。その所作、「奈良の春」。


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春日の鹿

三笠山

まとに見る三笠の山の朝霧はまさしく寒し奈良に来てあり

三笠山冬来にけらし高々と木群こむらうれをい行く白雲

鳥毛雲とりげぐも風吹き乱りみ冬なり三笠の山のここや裏岨うらそば

正倉院前

朝ぼらけ春日野来れば冬木には二段ふたきだ白く霧ぞ引きたる

森の手に寒き校倉あぜくらあがり正倉院は今ぞ大霜

春日神社

山茶花の朝霧ゆゑにかたへ行く鹿の子の斑毛まだらいつくしく見ゆ

耳朶みみたぶ中白なかじろ鹿子かのこ雫して朝見あげゐる山茶花の霧

公園

頼めなく夕かがやかし神無月かみなづきわかくさ山の日あたりのいろ

つれづれとつくばふ鹿のいくたむろ夕光ゆふかげの野にあらはにぞ見ゆ

鹿のかげほそりと駈けて通りけりかがやき薄き冬の日の芝

冬薄日うらなく遊ぶ鹿の子のうしろきつつ我も寒かり

二月堂

二月堂つくばふ鹿のつれづれと目も遣るならし寒きこの芝

秋の鹿群れゐ遊べど寄り寄りに立つもかがむも角無しにあはれ

猿沢の池

冬ちかき池のほとりの夕日向うつらとどまり鹿ぞ立ちたる

春日野

夕日洩る木の間に見えてかぼそきは連なき鹿の影ありくなり

鹿のこゑまぢかに聴けば杉の一木ひとき黄葉もみぢ下明るなり

群の鹿とよみ駈け来る日の暮をひたととどまり冬は幽けさ

春日野の夕日ごもりとなりにけりさむざむと立つ鹿の毛の靄

夜の小路

いつまでかもとほる鹿ぞ夜のまち家竝やなみの庇霜くだるなり

庇間ひあはひや奈良の夜ふけにつ影の大きなる鹿のもそと来てあり

池をへだてて

猿沢の柳の眺めさびにけり余光しばある興福寺の塔

池向ひ築地ついぢに明る冬ののけ寒き下坂くだり鹿りき見ゆ
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正倉院御物抄

鳥頭とりがしら漆胡瓶うるしのこへいかすかなりしろがねの※(「金+樔のつくり」、第4水準2-91-32)くさりうつつにぞ曳く

臈纈らふけち花文けもんざうはましろくてただにきよらの命びたり

鳥毛立女屏風 一首

樹のもとで立つをみなしては豊かなるかぐはしき空

ほのぼのと貴き昼は我が入りて宝蔵の古りし墨に思はむ

金銅こんどうのこごる鳥首とりくび水瓶みづがめの口ほそうしてみ冬なるなり

雑塵ざつぢん遠世とほよつつみうち透かし吾れ命あれや光り息づく

をとめ子の紅牙こうげの尺は花鳥はなとりの目もあてにしてをさなかりけり

黒柿の蘇枋の絵箱山水やまみづのながらふる音はしろがねに
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奈良の春

法隆寺にて

四十日にわたる荒涼たる我が満蒙の旅は、寧ろこの法隆寺を美しく見むためなりしが如し。

日の照りて桜しづけき法隆寺おもほえば遠き旅にありにき

朱砂すさの門春はのどけし案内者あないしやの煙管くはへてついる見れば

春日向人影映る東院の築地ついぢがすゑに四脚門見ゆ

夢殿

菫咲く春は夢殿日おもてを石段いしきだの目に乾く埴土はにつち

夢殿に太子ましましかくしこそ春の一日はけにたりけめ

夢殿や美豆良みづら結ふ子も行きめぐりをさなかりけむ春はたけな

日ざしにも春はくるか夢殿の端反はぞりいみじき八角円堂

春日神社

馬酔木あしび咲く春日の宮のまゐ蝙蝠傘かうもり催合もやひ子ら日暮なり

夕寒き庇のつまに影あるは燈籠吊れり雨のふりつぐ

春日の夕闇の廻廊わたり行くほどはほのあかりありて霧の春雨

なぎの葉にふる雨見ればしらしらとふふ馬酔木あしびも夜の目には見ゆ

大仏

灌仏会に参りあはせて

大仏殿にほふ霞のに据ゑて灌仏堂は小さき花御堂
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浜名の鴨



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昭和七年十月、遠州浜名湖畔鷲津に遊ぶ。「浜名巡航」「本興寺林泉」成る。
翌八年一月再び鷲津の本興寺を訪ふ。「続本興寺林泉」「白須賀」続いて成る。


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浜名巡航

鷲津より

冬すでに雲は低きを船立ててうち来にけりひびくみづうみ

館山寺内外

館山寺くわんざんじ松山おだうみを来てここは小春の入江さざなみ

秋晴の入江の水戸のさざらなみ鷹一羽来りにはをる

この船をすでに追ひぬきうち羽振はぶく鷹いさぎよし西北にしきたの晴

引佐細江

奥の瀬の引佐細江いなさほそえ冬水照ふゆみでり船入り進む音はじきつつ

波切といふところにて

ほの寒きしほ淡水まみづの落合は蛤のもあはれなるべし

浜名の湖

遠つあふみ浜名のみうみ冬ちかし真鴨まがもかけれり北のくらきに

冬いまに居つく秋沙鴨あきさか波切の※(「さんずい+吶のつくり」、第4水準2-78-24)うちすの潟に数寄る見れば

冬のうみに見てゆく鴨の沖べにはつぶつぶとひたり羽音すらなし

風や冬とよみ飛び立つ大族おほやから総立そうだつ鴨の羽ばたき凄し

すれすれに波のかけるひとつらはすべて首伸べぬ羽ばたく青鴨

羽ばたき頻りにしてしづもらぬかなや立つ波を北へかける鴨南へる鴨

乱り立つ鴨の羽音の高処たかどにはすでに幾羽か小さく飛ぶ影
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本興寺林泉

鷲津の本興寺は法華宗の古刹にして、その林泉の幽寂なる、譬ふべきなし。池にのぞみて、懸樋あり。

所望されて、一首

水の音ただにひとつぞきこえけるそのほかは何も申すことなし

林泉を、また

水の音聴きつつをればこの林泉しまに満つるこほろぎの声もしづけき

蓮の葉の水に影おとすうしろには低き土橋どばしありてくれの橋桁

このごときしづけき林泉しまの日あたりはただに眺めて坐りてをあらむ

物寂びてなにかゆたけきここの林泉しまよく聴きてあれば朝はしづけさ

朝曇うちむかふ山の後空あとぞらも眼にしたしかり鴨の飛ぶ影

本興寺の庭はこれかとさもこそと観てを居りけり十月末なり
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続本興寺林泉

山内

高野槙たかみ立つ冬のはれ君が御山にのぼり来にける (日瞻上人に)

ゆふ早き庫裏くりのはひりは日たむろと築地ついぢめぐらしてあか中門ちゆうもん

懸樋の音

水の音ただにひとつぞきこえけるふたたび籠りみ冬にぞ聴く

水の音まさにひびけり聴きてゐて夕かげ近き冬のこの林泉しま

池のに落ちつつとほる水の音懸樋かけひは冬のものにぞありける

より池に落つる清水しみづの音にしてひとところただにうち凹めつつ

林泉矚目

さむざむといはうつるはみ冬づく水の影ならむ観つつ幽けき

刈りこみてきだおもしろき細葉槙ほそばまきふゆの日ざしのあたるともなし

群葉むらば張る蘇鉄のそよぎ今見ればひたとしづもり寒き日のいろ

鳥の羽の冬毛ふゆげの雲ひとながれみづうみの方は空ぞ晴れたる

山茶花のはつかにのこるうれのいろおもて冷えながら檜葉ひばと親しさ

土の橋かかり低きに糸檜葉いとひばのほそぼそと垂れてみ冬ありける

糸檜葉のしだ見ればみぎはにも夕光ゆふかげおよび暮れがたみあり

いづく洩る冬の日ざしぞ赤松のそこばくの幹いとど明れり

風さむく椎の葉さわぐ林泉しまの山や松の木立はこぼれ日のして

客殿の角型すみがた屋根にさすあかりつくづくとあふぐ西も寒かり

短日みじかびの寒きこずゑののちあかりとんびくだり羽根たをりつつ

俗に文晁寺といふこの寺には、文晁の四季の大壁画あり。就中春の絵ことにめでたし。

春の山しづもる見ればおほどかににほひこもらひ墨のの山

橋のを友がり恋ふる人のかげ雪しろきゆゑに墨画おもしろ (冬)

余響

玉葉坊を俗に坂寺といふ

坂寺の高垣見れば槙垣に山茶花まじりいつくしき靄

文晁でらまかで来つつも犬のの戯むるる見ればこれも冬の

常霊山本興寺より湖水に向ふひとすぢ道唐辛子赤く掛け干しにける

近藤医院の横を過ぎて後に消息す、一首

槙垣にまじりて赤き南天の二えだ三えだ目にしまつりぬ

岸寄りにうみも暮るるか太郎鴨の首さし向けて浮くあはれなり

きこきこと湖沿うみぞひまがるひとくるま唐辛子積めり赤きそのたば

雪虫の飛びつつ曇る水の空雪にかもならむけだしかすけさ
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白須賀

遠州浜名郡白須賀

白須賀は昔の宿しゆく
ただ白し、ものさびて、
そのしとみ、はひり戸、
なべてみな同じ障子。

ただわびし、軒竝のきなみ
同じ型、
出て、はひる人すらや、
同じ影。

音も無し、なにひとつ、
埃づくものもなし。
草屋のみ、
弱き日のあたりたる。

いづこぞ遠江灘、
灘見坂ほどちかくて、
薄ら曇る低き空を
風も来ず。

冬ながら、そのたむろ
ほのなごむ家がまへ、
ここ過ぎて、きびしくも、
おもほえず、寒しとも、

白須賀は旧街道、
朱の鶏冠とさかふりたてて
軍鶏しやもれども、
そは暮のひとあかりのみ。

とほつあふみ浜名のこほり日はぬくし坊瀬越え来てここは白須賀

おなじ冬おなじしとみの日のあたり白須賀はよし古りし白須賀

ここ過ぎてなにかうつつのけほどさよ物はたく音も立ちてみたる
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富士五湖



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昭和七年、妻子と共に晩秋の富士五湖に遊ぶ。


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富士五湖

山中湖

よく響く冬は暁ふる雨のただに一色ひといろの音ぞ立ちたる

うち黄ばむ落葉松からまつ見れば狭霧立ち氷雨ひさめひびかふ時いたりけり

山中湖あかつき近し落葉松や目もさむざむと向ふ雨霧あまぎり

針樅はりもみ氷雨ひさめうちひびきいさぎよしことごとの雨よすがしとを見む

あけの雨冷えとほる玉の野葡萄えびづるのふたいろの玉は瑠璃よ紫

落葉松からまつもしみみ黄葉もみでぬたちのまことすぐなるほそき葉の神

冬向ふしみ落葉松からまつ氷雨ひさめふりいたもにじめり寒き落葉松からまつ

河口湖

鵜の島は紅葉しにける岩はなに兎出てゐてぬくとき秋や

鵜の島と舟子かこが呼ぶなるうみの島兎跳ねつつ鵜の鳥はゐず

うみの島い照る紅葉に遊べるは耳あとへ垂れてつがひ野兎

    §

秋の晴湖面こめんにあそぶ紋白蝶もんしろの影ひとつ見つつぽんぽん舟行く

西湖

西湖の熔岩壁を立つ鳥の羽ばたきを聴けば間隔かんかく正し

み冬づく西湖のすずきよく冷えて釣られたりけりとほ気先きさき

西湖はしづかなるうみ瓦焼くけむりのぼりゐて秋の色あり

精進湖

パノラマ台にのぼりて

尻高に子が乗るあとをその母と馬はすすめつよき紅葉なり

ここよりぞ富士は裾野の見わたしと水照みでりしづけき四つのうみ見ゆ

青木む富士の裾原風みだり行きはしる雲の絶ゆるまもなし

雪の富士に現はるる立ち待つと将た寒けかり繁き天雲あまぐも

帰路湖畔にて

精進湖雲あし赤く日暮なり写真とらすと家族うから

本栖湖

本栖湖もとすこくしふるうみ、霧ふかく、水皺みじわ幽かに、青木立神さ
びせす、渚ゆく人かげも見ず、風ふけばひろごるめんの、
かげ日向、黒くあかるく、をりをり映る。

同じく

パノラマ台より俯瞰す

本栖もとすうみかがよふ見れば水皺みじわ立ち霧ながれをり流るとなしに

本栖の湖雲去来ゆききしてみ冬なりこちごちに光るしろがねのめん

一色にかすけかるなり時じくをみづうみのめんへ吹きおろす雲

雲の遠に南アルプスと思ふ雪かがやき列竝つらなみ本栖湖暗し

み冬の雲もこごるか我がうみと木立神さび黒くこもらふ
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初夏北越行



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昭和四年六月、新潟、今町、国上、出雲崎各地に遊ぶ。吟懐三十四首。


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初夏北越行

新潟

夏すでに砂丘の光おぎろなし弘法麦の筆の穂のいろ

砂山の茱萸ぐみの藪原夏まけて花了りけり真砂まさご積む花

海荒く砂丘のい照りはてし無し燈台が見ゆ赤き燈台

港にはよそひましろき船いくつ夏はさやかに雲流れ見ゆ

松原、日光療院裏にて

数珠茅じゆずがやに夕づく日ざしやはらなり穂のまだ伸びぬ青き数珠茅

北越沿線

こぞるこの国原の田植どき植うるかぎりが田にとよみつつ

こぞて苗ひき植うる田植笠早やおもしろしうなかぶしつつ

日おもてのたも木にらふ夏がすみ植うる田も見ゆ早苗田も見ゆ

山里は家の南の田竝びを皆出て居らし植ゑそめにけり

今町郊外

弥彦いやひこの夏山霞ただならず国上くがみは末にうち低みつつ

おほかたは田を植ゑめぬ道の手にたもの若葉の照りふ見れば

赤々とこくれんぐわしの毛は垂れて田へ行く子らに朝そよぐなり

註、こくれんぐわしは唐もろこしの方言。

国上行

草繁き山いくつある小峡をがひとて蛙のこゑのよくひびきつつ

乙宮のおもての田居に鳴く蛙日光ひかげしづけき山片附けば

かへるでのさの明りにうつら来る植女うゑめがひとりまろき菅笠

山方やまかた国上くがみへかかる道のにぬきて竝べぬ涼し早稲苗わさなへ

植ゑそめて山田のくろの昼餉どきわらべらとよみ早やあがり来る

あしびきの山田の田居に日竝ひなみり隣り植ゑたり田竝びの友

あなさやけ小田の山田は植ゑなめて目にもみどりの風そよぐなり

ゆきかへり見つつましけむ国つぶり揺りおもしろき田うゑ菅笠

ありやともめ来て思ふ道のに君が置きたる黒き鉢の子

五合庵の蹟にいたる

国上山くがみやまのぼりつつ来し杉むらを松風のおとぞ吹きしづみたる

蔭山の夏の小峡をがひの桐の花咲きにけるかも群杉が木間こま

国上くがみの片山蔭の桐のはな遠く蛙の鳴くがしづけさ

まさしくしづけかりけり桐の花の咲きあかる上に松の音して

風そよぐ板屋楓いたやかへでの二三もとここのいほりも夏いたりけり

山かげの君がいほりの跡どころかへであかれり青蛙おをがへる鳴き

早稲田わさだには雨けぶるらし真木山のこの見おろしも蛙鳴きつつ

出雲崎良寛堂

出雲崎は良寛堂の夕つかた網かいひろげ人かがみ

出雲崎夕浪あかし我がひとり君がみ堂に詣でゐにけり

一色ひといろとうしろに蒼き夏の潮角の御堂はいつくしくして

この御堂夕かげながら詣で来て廂のつまのりのすずしさ

この御堂夕照りあかしおだしくはしづけさのかぎりたもちたらなむ

出雲崎この夕凪のはるかには日かげうつしき佐渡ヶ嶋見ゆ
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木曾長良行



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昭和二年八月、一子隆太郎を連れて木曾川、恵那峡、養老、長良川等に遊ぶ。


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木曾長良行

犬山、白帝城

ちかぢかと城の狭間さまより見おろしてこずゑの合歓ねむのちりがたの花

しづかなる城とおもふをあはれなり日でりはげしく合歓ねむぞほめける

入母屋いりもやの甍ににほふ合歓のはな犬山の城は白く久しき


蹴爪に岩角がんかくをつかむ鷹一羽そのしもつ瀬ぞさをに渦巻く

岩角がんかくに鷹くろくゐる夕焼がいつまでも見えてこの水早し

犬山より木曾川を下りて

合歓ねむの花移ろふ見れば夏川や河原のい照り時過ぎにけり

花火過ぎ水にただよふ椀殻わんがらは鳰の鳥よりなほあはれなり

水車ぶね瀬々にもやひて搗く杵のしろくかそけき夏もいぬめり

笠松の四季の里にて

ふたいろの花さるすべりおほよそに月夜はしろしあかず遊ばむ

夏の夜は短き藤の実のさやのはつかに明けて風いでむとす

雀のお宿にて

松が根にそよぐ小萩のあはれさよ莚しきめ子ら昼寝ひるいせり

恵那峡

こごしいは恵那金剛に涌く雲の照りしづかにて久しかりけり

きあまる水量みかさ梢をうちひたし空ちかづきぬかひのふところ

朴ならむ岩石層に吹きあつる風ことごとく光葉てりはかへせり

養老 菊水楼にて

もてなしと杉の木群こむらに篝焚き渓流の音に添へにたりけり

けはなちいるみ山の短夜は養老の滝の音しらみつつ

長良

舟べりに羽ばたきあがる鵜の鳥を篝照らしておもしろき夜や

腰簑に風折かざをれ烏帽子ゑぼし綱さばく鵜匠は夏のものにぞありける

我が物とさばく檜綱ひづなのはらはらに鵜匠は鵜をぞ浅夜あさよあつかふ

黒き鵜は嘴黄なりそち向きに水切りて羽うつ火映り見れば

ほうほうと鵜を追ふ声の末消えて月の入るさの惜しき横雲
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下巻



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童子群像



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成城学園を思ふ歌

昭和八年四月、東都成城学園大いに紛擾す。その職員、父兄両派に分れ、抗争数月に及ぶ。教育界に於ける未曾有の不祥事なり。当時、隆太郎小学部六年に在り。篁子同じく二年に在り。即ち父兄たる故を以て、我が正しとする信念により行為す。抑※(二の字点、1-2-22)この学園たる沢柳政太郎博士総長たり。小原国芳氏その初より主として参劃経営するところなり。同博士死後、新総長小西重直博士の下に校長小原氏専らその経綸を尽す。この年初夏、総長の辞任と共に、つづいて校長を引責せしむ。その理由とするところまた故なきにあらざるべきも、小原氏に対するその道を失し、遂に教育の本義を誤る。我が立ちたる所以なり。録長歌四首短歌八十八首。

雑草に思ふ 序歌

荒地菊あれちぎく花咲きほこる道のはた子を思ふ父の濃き影ちぬ

竹煮草たけにぐさにしろくふくこの日でり堪ふべしや我もかへりみなむとす

相憎むともがらがうへに思ひいたりしみじみとあり日の照る庭に

この原や草深百合くさぶかゆりの草ぶかに匂ひこもらひきそはありにし (沢柳先生を憶ひて

成城学園また子ら行かず雑草あらくさの花咲きほこり早や文月ふづきなり

小原校長送別会

四月某日、荒涼たる校長送別会なるもの開かる。父兄その理由を知らず。ただ一部の理事及び財団の刻薄に驚く。蓋し直感すること深し。挙り起ち遂に流会す。

ひと鉢の草の花だにすゑなくに昼すさまじく師をやらふとす

追ひやら下心したはさもあれやいふことは皆うやうやし聞きのよろしさ

事はてむいきどほらくもうつつなり父母よ見よこは正眼まさめなり

母の館

母の館は児童の母たちの建設するものなり。感慨深し。

母のくわん※(「窗/心」、第3水準1-89-54)は開けど照る月の来り坐らむ椅子ひとつ無し

母の館父兄会

父兄遂に立つ、四月三十日なり。

言挙ことあぐと胸ぞ迫りて泣きにける父と母の声はみな誠なり

空見つつ何の言葉ぞ手ぶりよく説きは巧めどきもに響かず (長田博士に)

小学部

五月十二日、小学部職員、父兄を招集し、その態度を声明す、一に結束固し。

一に成城教育の精神をうち建つるもの小学部なり我疑はず

上衣うはぎぬぎ汗みづくなれやかく歎きしかく言挙ことあげ君ひたすらに (内田訓導

いふことは拙けれどもひたおもて眼は輝けり下心したけるなり (斎田訓導

我が子

子の太郎声はあげつつ帰りたり我が先生を正しと言ふなり

我が太郎まことすぐなりや幼なくもただに師を見る眼はまじろがず

心よりその師よしとし疑はぬこのをさなさに父我泣かゆ

我が立つは

此の立つはわたくしならず、人ひとりるとにあらず、皇国すめぐにをただに清むと、正しきにただにかへすと、心からいきどほる我はや。まさやけき言立ことだては、ゆるすべきよこしまは、おのが子のためとは言はじ、すべて世の子らをあはれと、胸張り裂くる。

反歌

この道よただにとほれりこごしくも敢てい行くに何かはばまむ

正しきを

正しきを正しとせずば、照る日さへ子ら疑はむ。まさやけきあかしとせずば、かぎりなく澄む月にすら、闇かとも子らはまどはむ、安寝やすいしなさね。

母の館父兄大会

五月十四日、母の館に再び父兄大会を開かむとす。事前三沢校長の命により、その扉に釘うつ。後漸く開会す。小原前校長来り初めて辞職事情を釈明す。

声絶えて道に言はずも父母の子を思ふ誠ただにとほらむ

人の子は棄てて清くば道芝の塵だにもかず風の埃に

多摩川にさらす調布たづくりさらさらに何ぞさらりと棄てて去りにし

この子らぞ父よかへれと祈るなる還り来ませや何も言はずて

この子ら

その後、紛糾、遂に休校令下さる。而も学生は皆登校し、自学自習すること常のごとし。

この子らを見つつあるけば地はけていや日は暑し影がしるしも

この子らがボールかつとばす音さへやま空にひびき痛々いたいたし我は

ほがらかに子らはあるべしおそれ無く心揺り遊び常すこやかに

きびしく今は鍛へむ事しあるかかる日にこそ光るべきなれ

女学生自学、自ら出て体操す。

馬鈴薯のうす紫の花ゆゑにわづかに堪へて子らは足踏む

反動の教員たちに

何ぞ、暴動もせざる子弟をば師を脅迫せりと誣ふる。

日のもとに父打つおのが子らありと悲しみてよき空もあるらし

道は説けことは繁くもしかれどもいきの命に触るる無くば如何に

真実を観よ

事はただに単純なり、学園のこの空を見よ。

くもしろくいゆきわたらふ夏の空松蝉まつぜみの声ぞここにしづけき

誠あらば神もくべしこの声やしづかにはあれど父の声なり

この子らは共に遊ぶを遊ぶ無しその母と母の何憎みする

六月三日

長き休校の後、この日連袂辞職したる三沢校長初め三十数名の高等及び中学部の職員たち乗り込み来る。前警視総監長岡隆一郎氏校長室にありて何事かを指揮したるものの如し。私服正服の警官四十数名監視、反小原派の帝大教授、その夫人、竝に父兄等活躍す。あはれ学園も末なるかの如く感ぜらる。かくひたざまに自由教育を善からずとするこの圧迫は如何。

何すとかここにわがしこの父は子を思ふゆゑに寄るべなく来し

手をかほに涙もろなるこのをぢさ父なるならしとみに老いにけり (奥田老)

ひでり子を思ふ母の戸に立つと寄り寄りにゐて泣きもあへなくに

子の母ぞ照る日あかきにかくばかり行きもまどひぬおもほそりして

子の母の今のなげきは道芝の照る日にえてしばりの花

ある日の朝礼

三沢校長脱帽せず、而も国家合唱の半に、中止を命じ、タクトを揮へる指揮者杉先生を壇上より突き飛ばす。「非国民」の声起る。合唱なほ粛々たり。

国の歌君が代歌ふしづかなるこのひとときは譬ふるものなし

三沢校長辞職

よしなき言立ことだてやげに退くにさへ何か一言ひとことは言はねばすまず

潔き人は退くべし棄てざまに吐き棄つることは蓋しとほらず

三会堂にて

最後の父兄大会なり。

ひたおもて君がすぐなる言挙ことあげききいさぎよし心にとほる (加納子爵)

涙共に下るこの声この子らぞかなしとはへ亦聴き難し (学生委員)

ある夜の父兄実行委員会

経過深憂に堪へず、奔命に疲る。

われに無し日はも夜も無し心ぐくただに思ふは子らが額髪ぬかがみ

事しありて君とこそ行け我どちは音清々さやさやし響かひ行かむ (加藤武雄氏に

夜のほどろ疲れ帰りて力無し山方やまかた早く蝉の啼くもよ

夜の田には蛙ころろぐ聴けよ聴けよあはれなるものは声ころろぎぬ

師を売る者

小原氏遂に告訴さる。その告訴の主は某氏なれど、その策謀の何れにあるかは歴然たり。

日は照るを将た安からし師と頼む市に引き出て早やはふり売る

夏早やも棘に花さく覇王樹さぼてんの琉球びともすべなかるらし (某々両先生に二首

国びとは心すぐなり梧桐あをぎりの青一色に表裏おもてうらも無し

その子らはかくも歎くを石うつと師父ちちなる人を将たいましめぬ

この憤りを、四首

焼きがねよはやるひづめに蹄鉄かねうつとくるぶしも火もて焼きそね

眼の白きなまの鰯はめて日乾ひぼしあまぼし串に刺せちふ

鈎爪かぎつめの脊骨曲りが鈎形かぎなりありきはらばひ石の下掘る

かげふかきしこ土竜もぐらつちやぐらたたきうちこぼち日にさらすべし

職員某々氏も亦他の職員を訴ふ。

朝なさな机ならべてありけらし今そしり合ひて子ら教へをり

告訴せられたる榎本、福上、小野三氏謹慎を命ぜらる。

何頼め降らす石かも草ごもり家居るきはは香すらえ立てず

風に立つ

心弱き職員たちに

腰弱のへろへろ、正しきを何なづむ。骨無しのとろとろ、立つべきを何けつる。深山みやま一木※(「木+解」、第3水準1-86-22)ひときかしの、風に立つ樹思へや。

反歌

男子をのこなれふぐり締めこそひよろ腰のへなへなゐしきむしろうつべし

照る日に

悪しきは沙汰過ぎたり。悪しきを見過ぐすものからじ。弱きもの詮無し。照る日に、このあかきに、何づる、人びと。五月さつきの、白雲のいゆきしづけ松むら、その姿思へや。

反歌

清明さやけかるけだし稀なりがためと草のいきれを汗してあるけり

女学部に対する圧迫いよいよ加はる

すずしかもその新月わかづきの眉あげて敢然と立つ少女ら見れば

藤棚の藤の葉とほる日のひかりつくづくとつちに見つつあらむか

少女らははげし日中もいへ居らず池のべめて秘読ひそよみにけり

朝なさなさやにのぼりし足音の早やたどたどし泣きて行くかに

或る母たちに

さかしくもをみななりけり言ふことは早やかなしけど己が子をのみ

言立ことたててつぶさにはあれ女子をみなごや背戸の春日に牛売り損ふ

よき母は清くありこそ照る月の子を抱きつつ草に立つかに

口あくるもの

朝夕しきりに文書にて誹謗する者あり、煩堪へがたし。

あなうるさ草につくばふ下闇の蚊喰がへるが咽喉のんど鬼灯ほほづき

狐狸

横議の士続出し、新聞利用またしきりなり。

日のまぎれ我は直行すぐゆく野の道を横さ走りていたち目翳まかげ

ま日照りを夜の陰草かげぐさにたぶらかすきつのやからは犬にましめ

小原国芳氏におくる歌

物言ひてさやけかるべし天つ日に事あらはなり隠すよしなし

身ひとつにただに命をこめにけるが学園はひとのものかは

夢なりやしやかなしき我がわざと君楽しみき悔いむ何無し

事すべて私ならず道ただに公ありてとほり行くべし

世に憂ふ人が言挙ことあげまつぶさに言ふことはよし多く私

悪しとなすこと僻事ひがごとしからずば神にありなむを人なりき君も

再び

憂ふ無き君たはやすし事々につくづくとへばよく投げにけり

大味も程にこそよれ幾塩と薩摩のぶりよ塩つよく沁め

めぐる人もさねなし必ずも言ふらくただに下心したに思はず

時により教へぶなり世に憎み荒ぶることも聴きて畏こさ

感深し

師、子弟、父兄、これこの学園の三位一体となすものなり。

三つの円この触れ合のまたけくもしかもほのぼのとよかりけるもの

昭和七年三月、女学校卒業式直後、小西、小原、銅直、金子諸先生同乗の自動車、電車と衝突し、転覆す。今に於て感深し。

もとし無き災いはなしこの道や心そろはざれば皆くつがへる

既に遅る

挙り立つなほしおくれき何をしかい行きためらふおぞの父母

還るなき人を待つよは落鮎や多摩の瀬合にあした釣るべし

諸人よかもかくもなしにこもる草深小百合省みななむ

児玉新総長に、一首

静かに観君はますべし善き悪しきのちつぶさなりそのときたむ

人々よ、真に思へ

草の原に蒼くいただくあまつ空げに事も無し大きむなしさ

天地とむなしかるべし身ひとつに何物も無ししかく生きなむ

思ひしみつくづくと人はありけらし朝起きてそよぐ草の葉を見よ

恩讐を越えて

夜ふかく今に思へば善き悪しきすべて遥かなりぬか垂るる我は
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童形

秋夜童女像

月あかしひと日吹き去りし風速のとどろなりしか今はもなし

わらはあかき石榴ざくろに置きてゐやまひ正し九九をこそよめ

髪いらふ童女どうによが笑顔かぐろくもえんだちにけり父をうち見つ

額髪ぬかがみのかなし女童めわらはうつら読み※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたりをりをあかく置き

わらは肩に頬をあてうつら振る垂髪たりがみ黒し肩にしばしば

ねむからばまこと寝よとしかきおこしあきらけし女童めわらはを母は

硝子戸の燈映ひうつり見ればスエタアぬぐ紅ゐの童女どうによ眠気ねむげなりけり

秋夕

ひたすらよ これの女童めわらは、文字書くと 習ふと書きぬ。その鳥の 鳥によく似ず、その魚の 魚とも見えね、あなあはれ 鳥や魚や、巧まずも なにか動きぬ、そのかげかたち

反歌

このゆふべ空やはらかし物の葉にさだかにはあらぬ狭霧なづさひ

制帽

中学生、我が子の太郎、道ゆくと、読むと、坐ると、箸とると、帽かむりゐる。制帽よ制服よただに、金釦しかとはめゐる。うれしきか小学卒へし、中学やしかほこらしき。蘇枋咲くと、あふちそよぐと、霜置くとあはれ、一学期二学期よとあはれ、日の照ると、雨ふると、風ふくと、ると起きると、制帽かむる。

反歌

はつ霜とけさは霜置く門の田に晩稲おくての黄ばみ見つつ子は居り
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風騒四部唱



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薤露

沼津薤露行

若山牧水の七週年に際し、哀傷の新たなる、遂にこの追懐吟一聯を成さしむ。

一、その庭

水の音常はかすけき庭ながら人入り乱りたづきあらなくに

まとに見て松が枝くろき日のさかりしばらくは聴かず蝉の声すら

やり水のちろろとくぐる篠の根も眼には光れど心には観ず

二、瓢と仏

うち見にはひさご枕に仮寝してただにとろほろと人ぞしたる

この仏いまだ酔ひ臥し安らなりおのづからいつか起きまさなも

うたた寝ゆあるは目ざめてたほたほと振らす瓢か酒をこほしみ

三、その人

胸を張りて朗らなりける歌ごゑの君なりしかも塵もとどめず

よく遊び常にでにし山水とさやけかりしかとどこほる無く

四、火葬場へ

狩野の川瀬にすむ鮎の若鮎の今かさ走りにほふその子ら

霊柩車火にほろびたる街ぬけてひたに香貫の道はしりつつ

かきおろすひつぎにうごく日のひかり夾竹桃は今ぞくれなゐ

五、伊豆大仁穂積忠宅に宿る、義弟山本鼎と伴なり

油もてすべなゑがくか芋の葉を露のまろびて落つるその玉

すべはなし風にかがやく芋の葉をゑがく油絵われは観てをり

六、三津の浜にて

群れつつを生簀いけす鰯子しこの片寄りにそろひさ走りめぐりやまぬかも

船にして網くりたたむ子らがこゑ夕焼の頃はとみにはやりぬ

三津みとの浜ゆふさりつかたありくと絵をく友のそばに寄りゆく

茅ヶ崎南湖院

昭和九年四月十八日、大手拓次君病歿、妻と行きて告別す。

南湖院潮騒しほざゐひくし春もややけにつつありて人は果てたり

臨終いまはまで我をたのめと沙汰せよと待ちまけし君をひとり死なしぬ

死顔の神さぶ見ればをつけて揺るるコードの影か隈だつ

電気火葬

仏は義妹富子の母刀自、落合火葬場にて。昭和九年晩春。


継ぎおこる電気火葬の火のとどろ聴きつつすべな舎利ひろひ分く

この仏えにし深からずつつましく舎利は挟みて春雨間あままなり

この骨片こつぺん息づく見れば下あかく仏はいまだ燃えていませり

目にとめてうちしらみゆくこつ火気ほけ箸につきあはせ拾ひつつあはれ

さらさらと骨粉をあけ夕さむし隠亡おんばうはよにも手馴れたりけり


迎ひ立つ軍帽ひとつまぶかなり何か立ち待つその焼がまを

火にはふる今をさかりの音聴けばおほかたは早やもほろびたるらし

電気火葬の重油の炎音立ててたけるたちまちを事は果てたり


手を洗ひつくづくと見る向う雨山の桜しろく咲きたる

若き誰彼

しみじみと堪へてゐれども身のほとり数死にけり若きともがら

かがなべてあはれよと思ふ春かけて幾人いくたりか死にし我が眼さらずも

若人わかうどは身をいたはらずほとほとに疲れつつ来しつひに死にせり
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風懐

冬夜酔歌

昭和七年の冬のことなり。深夜、池上町なる斎藤瀏将軍を驚かし、遂に暁にいたる。

ことさら我名告なのらずも夜のふけてとどと叩くは酒の神と知れ

この夜寒よさむとどと襲へば戸はあけて眼をこすりをらす我なり将軍

夜風の旋風つむじなし入るおぞや我酒出させ早やとうちころびぬる

冬の夜もとよもす酒の友どちはおろかしくしてかなしなかなか

蝿をどりなるものを仕りて

冬向ふ蝿の日向の舌ねぶりあはれ手ぶりにまね申すなり

五十九議会

五十九議会大に紛擾し、※(「窗/心」、第3水準1-89-54)硝子を破り、遂に流血の醜状を曝らす。

一茎の草の葉にすらひざまづく心は思へ彼等知るなし

朝雲の大き御気色みけしきかすかだに仰ぎまつらばただに涙ならむ

今朝やぶる硝子のひびきかんきびしかしこき方にきこえずあらなむ

血を流し汝等なれらあるべし音のみかその頭割づわりよきしこの鉢金

陣笠と電燈の笠と何そちがふみつくはただに冬の蝿のみ

歌人の或る向に

ことさへぐ何の楽しみ争ひて声音こはね高きが多くぢつつ

づる弱きやつこ空声からごゑを毛の荒ものの如くふるまふ

よそ事ながら

女弟子もつものにあらずしみじみとかく思ふゆゑに身を退く我は

師をうやまひ弟子をかなしむ遮莫さもあらばあれほかならぬかもよ男女なんによてふもの

短歌朗吟

ほのぼのと歌ひあげゆく声きけばのびうらがなしうつくしき揺り

うつしくもれたる春のゆふなげきおのれ揺りあぐる声のともしさ

よく歌ふ春もあらねば我やはたなげきわぶなり声の揺り聴き

歌ふとし声に巧まば流るべし物のかなしき心知りてな

うちあげて朗らなりける我が友の牧水のこゑの今もおもほゆ

歌ふこゑ澄みぬるきはよすべからくうつばりに塵もとどめざるべし
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春宵

春宵東金囃子

中空なかぞらに紫あかる月夜雲九十九里の浜の春のしづかさ

月や春、北之幸谷きたのかうや村方むらかたを舞ふ獅子舞の笛もこそ行け

ひたしやぎり月に吹く子が横笛は口もて吹かず腰ゆすり吹く

口あけてくわんと鳴らしたのひねり獅子はおもしろに躍り入る

東金とうがねの茂右衛門どのといふうたは春の朧のものなりけらし

月夜暮春調

水ぐるま春の月夜の野平のだひらに音立ててをり遠かすむ森

夏向ふこの夜すがらに月は照り水車しづかや米を搗く音

月夜立つる水車の音は夜ごもりとかすむ草田の低みより立つ

嶋田旭彦病篤しといふ

音ひびく春のおぼろを人すでに意識すら無しと月の曇りを

月おぼろ草田の堤歩み来て今は聴きをり蟇を蛙を

夏すでに月のゐぜき遠近をちこちに蛙啼きつつ水幅みはば明るむ

マチりて子らとうかがふ砂利道に杉菜のみなる露のこまかさ

風そよぐ蓬のうれ葉裏見せてしろき月夜を田へりるなり

KONZERT

或る夜の音楽会

大きチエロ立ちかかへつつ夜はあかし押しあててきゆうのいまだしづけさ

立ちかかへ脊丈をあまるチエロの棹新人しんじんはかなし指にそだたく

四人よたり立ち揺り弾くチエロの四つの胴張り厚うして響き合ひにけり

立ちかまへかかふるチエロは黄褐の女体なりきゆうのかいなづる胸

チエロの胸ひたかきむしりたひらなり揺り曳きにけりに光るきゆう

チヤイコフスキー交響曲第六ロ短調「悲愴」なり香蘭のことをいつかひゐき
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永日

永日

たうに立ち葉牡丹の花のどかなりうつら飛びめぐる虻と蜂と蝶

葉牡丹は薹立ちほけて日が永し花さきにけりちらら黄の花

康徳皇帝を迎へ奉る

国を挙げて声はとよめどしづかなり神とひじりのみ手とらす時

日のもとに我が大君とみそなはし春のあしたの山ざくら花


軍刀の歌

陸軍の依嘱により大陸軍の歌成る。恰も日露役三十年記念に際し、昭和十年三月十四日附、軍刀の贈を受く、靖光の新刀なり。その歌に曰く、

 大陸軍の歌

   1

青雲あをぐもの上に古く、
仰げ皇祖、
天皇の大陸軍、
道あり、統べていつなり、
建国の理想ここに、
万世、
堂々の歩武を進む、
精鋭、我等、
我等奮へり。

   2

盤石ばんじやくちかひ堅く、
守れ軍紀、
天皇の大陸軍、
ちよくあり、律は儼たり、
奉公の誠常に、
一心、
烈々の士気はとほる、
身命などか、
などか惜まむ。

   3

旭日きよくじつののぼるごとく、
揚げよ国威、
天皇の大陸軍、
風あり、軍旗燦たり、
大陸の血河すでに、
征戦、
赫々の誉高し、
忠勇曾つて、
曾つて範あり。

   4

六合りくがふを家と広く、
けよ平和、
天皇の大陸軍、
道あり、東亜我あり、
国防の一線ここに、
満蒙、
生生せいせいときぞいたる、
決然、敢て、
敢て当らむ。

大君おほきみ大御軍おほみいくさの行くごとく日はさしのぼり茜旗雲

このぶは陣太刀づくり靖光やすみつの鍛へに鍛へ魂こめし太刀

我が歌をよしとよみしてたまひたる陸軍大将の太刀ぞこの太刀

白絹しらぎぬの袋紐ときつかがしらさしいづる見れば黄金づくりの太刀

この太刀のつか猿手さるでひ垂らしあなゆゆしかもあけの緒の

柄鞘つかざやの黄金の桜あかり大将刀ぞかちの糸巻

心澄みて抜き放つ太刀春浅し眼はきつさき[#「金+氓のへん」、U+91EF、436-2]にそそぎゐにけり

よくりてにほふ焼刃のこの気先きさき新刀は清し冴えに冴えたり

丈夫ますらをやなにか歎かむ皇国すめぐにいくさならずも歌をもて我は

大将刀父のみ前にとり捧げ言ふことはなし今日はをさなさ

隆太郎に

此の太刀は皇国すめぐにの太刀きもむすびうちにうちし太刀ぞ心して

神ながら清く明らけきひた心りゆうりゆうと振る太刀に子ら見よ

あさみどり満天星どうだんの芽の日に映えて新刀はよしひとふりふたふり

うち粉叩き叩きつつゐつ此の太刀のきよの明りぞ花と照り合ふ

或る人に

大将刀抜き放ちまもる我が笑顔写真ニユースに見しといふかや

洩れ承りて

日の真昼我が大君はきこしめし今いさぎよし大陸軍の歌
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巻末記



 昭和十四年十一月十三日、寒波しきりに到つて、私の眼底は痛む。立冬既に過ぎて、この私の薄明の視野には、やうやうに我が頼む光と影とが消えつつある。私は今、口述しつつ、この巻末記を妻に書き綴らせてゐる。
 心貧しくしてかの春の日の夢殿を思ひ、その高貴と知性とに本来の郷愁を感ずるこの私は、抑々何であらうか。
 童女の朱衣がいまだにこの網膜に映像するのに、私の短日は微かに邃い。
 曾つての夏、雲海の上に出でて、飛翔し飛翔した私は、かへつて郷土のまことに触れた。
 あながち歌に遊ぶとはいはない。かの夢殿の霞にやんごとなき籠りを籠りとせられた終日ひねもすの春を慕ふものである。少くとも私の道に於て私は楽しんでゐる。
 齢知命を踰えて、いつまで稚い私であらうか。

         §

『夢殿』は、前集『白南風』の姉妹歌集である。即ち『白南風』が、大正十五年暮春、小田原より東京谷中天王寺墓畔に転住して以来、馬込緑ヶ丘、世田ヶ谷若林、砧村大蔵、等に亘る東京生活の所産であるに対し、本集は、殆同時代の覊旅の旅を主として採録した。尚、覊旅以外の人事生活篇「童子群像」「風騒四部唱」等は彼の集の「砧村雑唱」の続篇たるべきもの故是に附加した。姉妹集たる所以はここにあるのであるが、ただ年代に於てその直後、雑誌『多磨』の創刊に到る迄の、略一年間の延長がある。
 尤も覊旅歌としてはなほ『白南風』と『多磨』の期間に「白良」以外「伊豆の初夏」、「音・光・風」、「雪冠」、「渓流唱」、「水戸唱」、「河童早春賦」等の創作があつたが、これらは編輯の都合上次の集に譲ることにした。
 さてこの『夢殿』は主たる覊旅歌を上巻とし、副たる人事生活篇を下巻とした。

 本集の内容は左の如くである。
白良     長歌 一  短歌一七    富士五湖   長歌 一  短歌二四
郷土飛翔吟    一七   二五三    初夏北越行          三四
郷土と雲海     四    九五    木曾長良行          二一
覊旅小品      一    四八    童子群像      六    九七
満蒙風物唱         二一一    風騒四部唱          九〇
夢殿             四二    巻末に             一
浜名の鴨           四九
 計  長歌 三〇  短歌 九八二   総計 一〇一二
『白南風』に於て、その生活年代と、製作年月が必しも同一でない如く、本集に於てもそれらの相違がある。而もいづれも生活に準じて、編纂せられた。つまり『白南風』時代である。従つて本集は昭和二年八月より昭和十年三月に到る期間の覊旅及び身辺生活に資材を得たものであるが、その製作は昭和二年より同十四年七月に到つてゐる。
 また『白南風』がその編纂に志して以来新に感興の昂騰に乗じて殆その半に達する補作を得たるが如く、本集も亦「郷土飛翔吟」、「郷土と雲海」、「満蒙風物唱」等の大連作を初めとして、「覊旅小品」「夢殿」「木曾長良行」の諸篇に亘り、凡そ六百余首の新作を追加するに到つた。この最近六月より七月上旬へかけての日夜行に因るものである。その他旧作に於ても、削除すべきは割愛し、抄録の分も更に改訂を敢てした。又新作の分もその後の推敲に於て聊か面目を改めたかと思ふ。

 茲に煩を避けて一一に是等に就き解説をしないが、白秋年纂『全貌』その他今後の私抄について彼我対照して戴ければ幸甚である。

 前述の如く、この『夢殿』は『白南風』の姉妹歌集である。これらは楯の両面の如きものであつて、いづれもが私のものであり、同時代のものである。かの『白南風』を通じて私の歌風に変化がないことを速断した向きは、この『夢殿』と綜合して改めて見直して欲しいと思ふ。歌風に変化がなかつたのでは無く『白南風』の編纂の法が、かくあらしめたのである。
『白南風』と『夢殿』、一は静であり一は動である。或は観照に、或は叙情に、その時々に於て私は常に自由に自らの変化を変化としてゐる。
 ただ本集を読んでくださる方に願ふことは、これらの一首一首につきぢかに触れて専らに味つてほしいのである。而してまた一首を中にした四方の空間をも楽しんで欲しいことである。また作者の丹精そのものを読者その人のものとして、その鑑賞にその時を割いて欲しいのである。
 本集の編纂がその年代に五年も遅れたことは、雑誌『多磨』の創刊と共にひたすらに前進を続け、過去を顧る余裕も無かつた為であつた。既にその後作歌も千三百首に上つてゐる。これらは眼疾の前後に別つて、いづれ二冊として順次に刊行する予定である。

 編纂方法に就ては、上巻の覊旅歌は略倒叙の形態をとり、下巻に於てはその内容について分類し、その篇毎に年月の順を概ね正しくした。
 全体を通じて最も旧き作は、「木曾長良行」の犬山城や、水車船、四季の里等の景情であり、最も新らしきものは、「飛翔吟」の雲海の一連である。歌風について云へば、眼疾以後の今日のものの多くが前時代のものと交錯してゐる。
 終りにこの歌集『夢殿』は、往年の『雀の卵』編纂の当時私と苦楽を共にした鎌田敬止君が、この度八雲書林を創立するに当り、その需めに悦んで応じた。そしてまた大に柔らかに悩まされたが、それにしても私の度を超えた推敲の習癖はまた其人に煩瑣と困惑とを与へたに違ひ無かつた。
 巻頭の朱衣の童女像は、永瀬義郎君の筆であつて私の永く愛蔵するものである。その童女の面貌が私の篁子に似通つてる節もあり、その篁子をまた人人が呼んで夢殿となしたことから、この歌集はこのやうなものとなつた。

狭霧立つはじ木群こむらの深みどり我が水上みなかみはわけてかなしき





底本:「白秋全集 10」岩波書店
   1986(昭和61)年4月7日発行
底本の親本:「夢殿」八雲書林
   1939(昭和14)年11月28日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※小見出しよりもさらに下位の見出しには、注記しませんでした。
入力:岡村和彦
校正:光森裕樹
2014年11月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「仝」の「工」に代えて「北」、屋号を示す記号    262-8
「金+氓のへん」、U+91EF    436-2


●図書カード