我が長歌の総てを収めて、此の『篁』を成す。主として小田原の山荘にありて、竹林の日夕を楽しみ、移りゆく季節の風と光とに思を寄せたる、そのをりをりの古体を蒐めたり。
かの山荘はまことに篁の中にありて、その蕭々の音は、常に颯々たる松籟に唱和し、簡朴にしてそぞろに幽致にも満ちたりしかど、震災後、大破して繕ふに由なく、ただ辛うじて住むを得たりき。
我が長歌も亦かくのごとし。長歌とは言へども、あながち万葉の古体にもあらず、貧しき詩魂は時に新様の我趣を求めて、自ら姿容を破る。もとより流通するところの所縁ただに和歌の一体に繋ることをのみ幸とすべきか。また言ふところ無し。
昭和四年 暮春
白秋
[#改丁]
眺めても眺めあきずよ 親しめば親しむがまま 幽けきもありのさながら かかはらず またさまたげず 竹は竹 我は我ゆゑ 竹がうれしも
[#改丁][#ページの左右中央]
[#改ページ]
大君。日の本の若き大君。神 ながら朗らけき現人神 。青空やかぎりなき。国土 やゆるぎなき。万づ世の皇統 。皇孫 や天津日継。ああ、我が天皇 。大君。道の大君。大稜威。今こそは依り立たせ、けふこそは照り立たせ。高御座 輝き満つ、日の御座 ただ照り満つ。御剣や御光添ひ、御璽 やいや栄えに、数多 の御鏡や勾玉や、さやさやし御茵 や、照り足らはせ。大君。我が大君。現 つ神 。神ゆゑに、雲の上の生日 の光采 りてますかも。
[#改丁][#ページの左右中央]
[#改ページ]
反歌
この殿はうべもかしこし白妙の不二の高嶺をまともにぞ見る
[#改丁]
[#ページの左右中央]
[#改ページ]
冬ごもりうらさびぬらし。隣りべは日のあたるよと、萩も枯れ萱も枯れぬと、よろしよと、見つつぬくもる、吾が和 ぎごころ。
反歌
おのづからうらさびぬらし萩の戸のへだての垣も枯れて匂ひぬ
つれづれと眺めあかぬを、枯れしとて萩は刈られぬ。ほほけしと薄も刈りぬ。ほのぬくみ刈りつる人も、うちたばね、かつぎていにぬ。日あたりの、となりの庭の、そのよろしさを。
反歌
枯れはてて萩は薄は刈られける日のたむろべのよろしみ来るを
春はまだととのはざらし。土かづく黄の福寿さう、蕗の薹、萎 へ葉の霜の苺や、裏藪の小すみれもまだ、枝 べのつくつくしまだ、日あたりの枯れし芝生の、下萠 えもまだ。
土見れば土の香 立つを、はなはだし、春はをさなし。蕗の薹いづらにふふむ。つくつくし萠え立つやいつ。置く霜のややに浅くも、こぬか雨ややに繁くも、裏藪や、菫さく辺 の、いまだなじまず。
反歌
隣りべの春もをさなしたき火して梅のつぼみをしたしとを見れ
かにかくにうつらふ冬や、隙間洩る風を寒むみと、破 れはてし家にこもると、はららうつ雨のこまかに、置く霜の置くと解 くれば、ふる地震 のふると消 につつ、おのづから霞立つ日ののどけくなりぬ。
反歌
いつしかとなごに来ぬらし
冬ごもり、こもりあかねど、寒き日は吾 もちぢまりぬ。春まつと妻は急 けども、のどならむ家も壊 えたり。子が愛 づる薄葉鉄 の太鼓、その紅 き片面 剥げしに、土盛りて、せめて植ゑむと、福寿草霜に抜き来ぬ、二株三株。
反歌
児が
おもしろの春や、この朝、花しろき梅のはやしに、をさな鵙 来てををりける。草餅の蓬よろしと、黄粉 つけ、食みつつきけば、いはけなの鵙や子の鵙。ふふみ音 の、まだなづむ音 の、うぐひすの鳴まねびをる。頬白のふりまねびをる。しづ枝 ゆり、ゆり遊びをる。移り飛びをる。
反歌
梅おほきとなりやかたは明るくて花のさかりををさな鵙飛ぶ
春鳥の枝 に揺る声の、ゆく水のかがよふ音の、朝風の松のひびき、夕風の小竹 のさゆれの、おのづから我よあはれと、あはれにも恍 れて、しらべて、あるべきものを。
反歌
子よあそべ、父も遊ばむ、母呼ばむ、来り遊ばむ。日あたりにつくしも立ちぬ。つくしべに蓬も萠えぬ。枯萱の裏むらさきの、ほのぬくみ、かがやく根にはあなあはれ、白きなづなの花も群れたる。
反歌
うらなごむ春日よろしみ蓬生や花のなづなを踏みて暮しつ
匂だちとみに春めく蓬生の下べのしめり踏めばかなしも
春の草まだやはらかしとりまぜて摘むとためけり子ろが帽子に
土筆摘み、妻と子と摘み、うすあかき土筆の茎の緑だつその秀 の粉 の、かなしとも吾 も妻も摘め、をさな児もしみみ摘みをる、そのをさなさを。
反歌
鍬入れて、繁 に篩 ひて、掻きならす土はよき土。春雨のよべのしめりに、けさ蒔くや、種子はひなげし、金蓮花、伊勢のなでしこ。向日葵は間 をよくあけて、枇杷のべに糸瓜は寄せて、蒔かずしも朝顔夕顔、おのづからまかせたらなむ、垣の根かたに。
反歌
盛る土に足あとつけて子も蒔くと
このごろはくつろぎにけり。歌よめばよくもあしくも、墨磨れば濃けれうすけれ、うれしくも恍 れて書きけり、かなしくも恍 れて書きけり、ただ楽しみて。
反歌
歌ふらくおのれ楽しむものならし楽しみてあらむひとりこもりて
おもしろの春の小雨 や、うら向けに羽織かぶりて、 かつぎ、石いくつ飛び、童 さび、声うちあげて、翁こそ帰り来ましぬ。柿がもと、白梅がもと、かうかうと帰り来ましぬ。先生らしも。
反歌
柿
[#改丁]
[#ページの左右中央]
[#改ページ]
水きよき多摩のみなかみ、南むく山のなぞへ、老杉の三鉾五鉾、常 寂 びて立てらくがもと、古りし世の家居さながら、大うから今も居りけり。西多摩や造酒屋 は門櫓 いかしく高く、棟さはに倉建て並 め、殿づくり、朝日夕日の押し照るや、八隅かがやく。八尺 なす桶のここだく、新 しぼりしたたる袋、庭広に干しも列 ぬと、咽喉太 の老いしかけろも、かうかうとうちふる鶏冠 、尾長鳥垂り尾のおごり、七妻 の雌 をし引き連れ、七十羽 の雛を引き具し、春浅く閑 かなる陽 に、うち羽ぶき、しじに呼ばひぬ。ゆゆしくもゆかしきかをり、内外 にも満ち溢るれば、ここ過ぐと人は仰ぎ見、道行くと人はかへりみ、むらぎもの心もしぬに、踏む足のたどきも知らず、草まくら、旅のありきのたまたまや、我も見ほけて、見も飽かず眺め入りけり。過ぎがてにいたも酔ひけり。酒の香の世々に幸 はふ、うまし国うましこの家 ぞ、うべも富みたる。
反歌
大御代の多摩の酒屋の
西多摩の山の酒屋の鉾杉は三もと五もと青き鉾杉
武蔵野や多摩のみなかみ、御嶽道 払沢 の口、春浅き日南 のそとに、餅搗くや爺は杵とり、臼のべや婆は手に捏ね、ぽたらことのどに対 ひゐ[#「対ひゐ」はママ]、ぽたらこよゆるにとめぐる。閑 かなるここらの里も、雛祭ちかづきぬらし。御形 咲き蓬萠えたり。古りぬれど雛もかざれり。山もあり川もありけり。こもり啼く子ろも居るらし。道埃 しろじろ立てて、吹き過ぐと風はさむけど、雲ゆけば日ざし洩れ来て、おのづからうら安の世や、ぽたらこと爺は杵とり、ぽたらこと婆は捏ねつつ、水すする。
反歌
春なれば草の蓬も搗きこめてのどかなるらし
道のべののどの餅搗きおもしろと見つつあかずも杵の手ぶりを
めぐり見つ見つつあかずも搗くたびに杵にのり来る餅のふくらみ
搗きたての
きさらぎや多摩の山方 、まだ寒き障子 の内、人影の、手に織る機の、ていほろよ筬 うつらしき。立ちとまり、うつらに聴けば、からりこよ、杼 の鳴るらしき。三 の花咲き湿 る、山の井の、下井の水も滴るらしき。
反歌
山かげの
[#改丁]
[#ページの左右中央]
[#改ページ]
反歌
月蒼き潯陽江の春浅しふなべり低め四つ手張りたる
たださへや月の光は
口あけしぽちりと紅くそめにけり小さき木彫のいつくしき魚
魚売りの爺 が日永や、ふち広 の菅の編笠、たよたよと担棒 かつぎて、はらはらに片手まはして、前籠に魚かすくなき、後 の籠魚か多かる。後の籠地にしひきずる、重かるらしも。
反歌
菅笠の
米つくと、杵は踏みゐつ。雁射ると、弓弦 張りゐつ。足に踏む、をかしかりけり。手にし張る、あはれなりけり。米つきは下べ見てゐつ。雁射るは空べ見てゐつ。とざまかうざま。
反歌
米つくとうつらうつらに踏む杵のこなた踏む時かなたあがりぬ
雁射ると
高砂の牡丹社の子か、命こめ、荒く彫りけむ。つたなけど静立 つ牛の、をさなけどゆゆし力や。男 ごころよ、ひたぶる恋ふと、下ふかく燃ゆる思の、えは堪へね、なほし堪ふると、遊びつつ、遊び彫りけむ、くるしくも寂 びつつ寂 びけむ、外 には見せずも。
反歌
荒彫の木彫の牛のみぎり角ほきり欠きたり思ひかねきや
[#改ページ]
〔「水仙と菊」の章に〕
春はまだ浅き菜畠、白き鶏 日向あさるを、水ぐるままはるかたへの、障子さみしくあけて、女 の童 ひとり見やれり、外 の青き菜を。
反歌
この春や
〔「孟宗と月」の章の長歌「孟宗と月」の末尾に〕
反歌
物すごき孟宗藪の月あかりかげるかと見れば騒ぐ葉の影
〔「秋山の歌」の章に〕
この秋よ、雲は白うて、事もなき世にしあるかな。山村のここの水之尾、樋 のへりにみそ萩さきて、みそ萩に水だまはねて、水ぐるまやまずめぐれり、その水口 に。
反歌
水ぐるままはる樋口のかがやくは夕日か水にさしあたるらし
〔「岡の鉾杉」の章の長歌「榧と栗」の末尾に〕
反歌
この寺の老木の栗のいが栗はまたすがれたり榧の木のまへ
榧は榧さしも青けど落葉木の栗は栗とて枯れにけるかも
〔「米の白玉」の章の長歌「米の白玉」の末尾に〕
反歌
米櫃に米のかすかに音するは白玉のごとはかなかりけり
〔「童と母」の章の長歌「麻布山」の末尾に〕
反歌
垂乳根と詣でに来れば麻布山子供遊べり日のあたりよみ
母と来て佇み
〔「童と母」の章の長歌「童と母」の末尾に〕
反歌
急に涙が流れ落ちたり母上に裾からそつと蒲団をたたかれ
[#改丁]
[#ページの左右中央]
[#改ページ]
アイヌはよ、老いしアイヌ。神アヱオイナ、アイヌ・ラクグル(アイヌの臭ひある人)の後、神 ながら の頭 、土の体 、柳の背骨、シネ・シツキ・プイコロクル(眼窩の人)神々の髪の毛の人。彼こそはげに、カムイ・オトプ・ウシユ・グルなれ。
彼アイヌ、眉毛かがやき、白き髯胸にかき垂り、家屋 の外 に萱畳敷き、さやさやと敷き、厳 かしきアツシシ、マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、ふかぶかとその眼凝 れり。
彼アイヌ、蝦夷島 の神 、古伝神 、オキクルミの裔 。ほろびゆく生ける屍 。夏の日を、白き日射を、うなぶし、ただに息のみにけり。
彼アイヌ、家屋 の空見ず、さやら葉の青の長葉の、アイサク・ピヤパ(髯なき稷)フレ・ピヤパ(赤き稷)チヤク・ピヤパ(はぜ稷)ヤムライタ・ヨコアマム(藪虱に似し稷)、また、脚高の熊檻 、仔 の熊の赤き舌見ず、汗垂らし、拭ひもあへず。
彼アイヌ、老いたる鷲、古り皺み、病み倦んずる者。ましら髯、いつかしきアツシシ、マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、オンコそぎ、心恍れり。
彼アイヌ、よく黙 し、念じ、かつ、しかく黙 せり。彼、キム・ヲ・チパスクマ(山の教義)の徒、チクニ・アコシラツキ・オルシユペ(樹の守護の教義)の徒、地上の者、聖シランパの子、黙想者、聖トボチの僕 。彼はかく念ずらし。アトニ・ウエンユク(悪楡)よ去れ。ニ・アシユ・ランゲ・グル(をを汝立木人よ)キサラハ・ランゲ・シヌブル・カムイ(をを汝木の皮の尊き鬼神よ)オー・トイヤン・クツタリ(汝地上に拡張せる者よ)総て善し、吾 は拝せり。吾 は老い、吾 は嘆けり。吾 は白し、早や輝けり。吾 は消えむ、ああ早や、吾 が妻、吾 が子、吾 が弟 、吾 が族 の、残れる者、ことごとく滅 せん。オンコ(いちゐ)よ、吾 が削る、紅柔 き兎の肉 なすオンコよ、しかく光らん。
彼アイヌ、老いたる鷲。蝦夷島 の神、古伝神 、オキクルミの裔 。ほろびゆく生ける屍 、光り、かつ白き屍 。彼アイヌ、眉毛かがやき、白き髯胸にかき垂り、厳 かしきアツシシ、マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、夜 なす眼の窩 のアイヌ、今は善し、オンコ削ると、息長 に息吹 き沈み、恍 れ遊び、心足らふと、そのオンコ、たらりたらりと削りけるかも。
[#改丁]彼アイヌ、眉毛かがやき、白き髯胸にかき垂り、
彼アイヌ、
彼アイヌ、
彼アイヌ、老いたる鷲、古り皺み、病み倦んずる者。ましら髯、いつかしきアツシシ、マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、オンコそぎ、心恍れり。
彼アイヌ、よく
彼アイヌ、老いたる鷲。
大正五年五月(葛飾にて)
童と母 麻布山
大正六年二月(葛飾にて)夜の雪 鳥の啼くこゑ
大正十年六月(葛飾にて)
アッシジの聖の歌 米の白玉
犬と鴉 立枯並木の歌
潮来の入江
大正十一年一月(小田原にて)犬と鴉 立枯並木の歌
潮来の入江
黎明の不尽 遠山脈の歌
秋山の歌 湯どころの秋
竹と曼珠沙華 竹の林の歌
蜩の歌 岡の鉾杉
榧と栗 孟宗と月
冬の山岨 冬の棚田
荒浪千鳥 落葉行
落葉吟 水仙と菊
竹林の早春 元旦の夜のこと
蕗の薹 聴けよ妻ふるもののあり
ころころ蛙の歌
大正十二年三月(小田原にて)秋山の歌 湯どころの秋
竹と曼珠沙華 竹の林の歌
蜩の歌 岡の鉾杉
榧と栗 孟宗と月
冬の山岨 冬の棚田
荒浪千鳥 落葉行
落葉吟 水仙と菊
竹林の早春 元旦の夜のこと
蕗の薹 聴けよ妻ふるもののあり
ころころ蛙の歌
造り酒屋の歌 餅つきの歌
道のべの春 浅春
大正十四年二月(小田原にて)道のべの春 浅春
水之尾の秋
大正十二年九月(小田原にて)竹と我
大正十三年三月(小田原にて)最勝閣にてよめる長歌ならびに反歌
大正十三年四月(小田原にて)
冬ごもり ととのはぬ春
日あたり をさなき春
見え来る春 福寿草
春鵙 あるとき
のどか つくし
種子蒔 この頃は
月光と魚 魚売
米と雁 荒彫の牛
大正十四年四月(小田原にて)日あたり をさなき春
見え来る春 福寿草
春鵙 あるとき
のどか つくし
種子蒔 この頃は
月光と魚 魚売
米と雁 荒彫の牛
双柿舎
大正十五年一月(小田原にて)老いしアイヌの歌
昭和三年十月(世田ヶ谷にて)言祝
附記 …以上は潮音(大正五年)三田文学(大正六年)行人(大正九年)大観(大正十年、十一年)日光(大正十二年、十三年、十五年、昭和二年)改造(大正十三年)行楽(大正十四年)婦人の友(昭和三年)等に発表せられたるところに係る。
なほ「童と母」「麻布山」の如きは葛飾に於て成れりと雖も、その取材に至つては曩の麻布の生活に得たるものなり。