「白秋詩集」序

北原白秋




 詩は芸術の精華である。この詩の道を行ふ外に、私は生れて何一つ与へられてゐなかつた。これが為めに、私はただ一すぢに詩に仕へて来た。詩に生き、詩に痩せ、詩に苦しみ通して来た。人間としてのかうがうしい歓びも、人間の果知れぬ寂しさも、私はたゞ詩に依つてのみ現す事が、ただ私の取るべき道であつた。
 私は歌つた。歌はねばならなくなつて、私はただ歌つた。かうして私の詩が流れ出して来た。こんこんとして大地の底から湧き上り溢れ出づるものの如く、これらは皆私の心肉から真実に溢れて言葉となつたものであつた。とりもなほさず私のものであつた。
 私は何も彼も貧しい。忝いこの大自然界の荘厳相の微塵でもこの凡下の私が知り得よう筈もなかつた。今にしても何一つ私の知り得たものは無い。その初め私はただ幼子の驚きを驚きとした。さうして昼も夜も美しい童話の王子のやうに紅と紫金との夢の彼方ばかりを追ひ求めてゐた。続いてはただ不可思議極るあらゆる官能と神経の陶酔から殆ど救はれ難き自己魔酔にまで、迷眩させられて了つた。近代頽唐の所産たる「邪宗門」が既に是を証する。而も私の生涯に一大転機を劃した苦しい恋愛事件の後、私は新に鮮に蘇つた。全く新生の黎明光が私の心霊を底の底までも洗ひ浄めてくれた。私は皮を脱いだ緑蛇のごとく奔り、繭を破つた白い蛾の如く羽ばたき廻つた。私は健康で自由で、而も飽くまでも赤裸々で、思ひきり弾み反つて躍つた。光りかがやく法悦、あらゆるものが歓びに満ち満ちて私に見えた。其三崎、小笠原の生活から再び東京へ帰ると、一時はまた一種の狂喜的な霊感から殆んど我を忘れた礼讃唱名の日夜を送つた。その発作が止むと、いつとなく次第に無常の光明を観じ、その寂光の浄土を思慕する落ちついた静謐な心に目醒めて来た。さうしていよいよ一切の実相をあるがままに肯け入れると共に己れをまたあるがままにその中に置く、即ち人間はただその本元に還り、ただ自然のままに己れを還す、かうした恭礼三昧の境地に私は私自身を見出して来た。
 畢竟するに真の高い詩は愛あり慈悲ある心から生れてくるのだ。さうして静かなおとなしやかな真の感激の底からこそ真のよき詩は溢れて来るのだ。何事にも深く頭を垂れ、いよいよ深く遜るべきであつた。私はここまで漸く到達したように思へる。真の詩は執し尽して終に詩を忘れ果てた刹那に初めて縹緲たる声を放ち、真の愛は執し尽して真に我を忘れ果てた、その没我の境地に到つて初めて光り耀くものだ。この没我の微妙境の中に真に恍惚として掌を合はせるものは幸である。
 然し、ただ私は恥づる。
 かうして、これまで私の創つて来た詩の凡ては凡てが今日の私を生む苦しい準備の層積であつた。顧ると感慨交々臻る。
 私が詩を創り初めたのは十五六歳の頃、さうだ、まだ中学の一二年時代からであつた。それからもう殆ど二十年近くになる。その数量から云つても可なりに夥しい。その詩風から云つてもまた幾変遷してゐるかわからない。本集に輯めた二十歳以後の所作を通じて見ても純情の小曲もあれば断章もあり、音楽的象徴詩もあれば絵画風のそれもある。印象詩もあれば景物詩もある。さうして第二期の象徴詩もあれば小唄俗謡の類もあり、短唱もあれば長歌もあり、童謡もあれば新らしい散文詩体もある。その形式も種々雑多で複雑を極めてゐる。殆ど明治の末期から今日に到る現代日本のあらゆる詩体の推移がここに綜覧され得たと見ていい。而も思ひきつて古典的な礼讃体もある。
 凡てを通じて、得る所の多かつたのは全く「邪宗門」「思ひ出」「雪と花火」の時代であつた。その以後は次第にその数を減じた。これは貧しい実生活の上から障害され尽したのである。それに一時は短歌の創作に熱注した故もあり、後、また散文の創作に転じたからでもある。
 本集には既刊の「邪宗門」「思ひ出」「雪と花火」「真珠抄」「白金の独楽」「わすれなぐさ」「白秋小唄集」「とんぼの眼玉」等の諸詩集と、未刊の三崎詩集「畑の祭」、及びその後諸雑誌に載せたまゝ公刊の機を失つた大正五年の諸作、それに加ふるに、「邪宗門」前の少年期の長篇その他を綜括した。で、殆ど私の詩の凡てを網羅したと云つても差支無い。かうしていよいよこの綜合詩集全二巻を以て、私は昨日の私と潔く別れる。
 考へると私の歩いて来た道は随分華麗でもあつたが、随分の難路でもあつた。この道は今やいよいよ一足毎に高く、一足毎に雲深く、弥深く閑寂無二のものとなりつつある。
この道や行く人なしに秋の暮
 切に芭蕉のこの句が思ひ出される。結局は矢つ張り私一人の道だ。
大正九年八月
小田原木兎の家にて
白秋識





底本:「白秋全集 3」岩波書店
   1985(昭和60)年5月7日発行
底本の親本:「白秋詩集 第一巻」アルス
   1920(大正9)年9月3日刊行
初出:「白秋詩集 第一巻」アルス
   1920(大正9)年9月3日刊行
※底本における表題「序」に、底本の親本名を補い、作品名を「「白秋詩集」序」としました。
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年3月11日作成
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