一
すゞ子のぽつぽは、二人とも小さな/\赤いお手帳をもつてゐます。この二人は、「
一ばんはじめ、
「二人ともおとなしくして乗つてお
「そして、そのお
「お祖母さま、お祖母さま、そのすゞちやんといふのはだれでございます。」と聞きました。
お母さまは、だまつて、たゞかるくわらひながら、みんなと一しよに車に乗りました。
ぽつぽは、それからこんどのお
ぽつぽは、せんとおなじやうに、お部屋のそとの、ガラス戸のところにおかれました。このお
そのお部屋のぢき目のまへは砂地でした。そして、そのすぐさきが海でした。ぽつぽはガラス戸の中から、どんよりした青黒い海を、びつくりして見てゐました。まつ正面の、ずつと
その向うを、黄色いマストをした、黒い蒸汽船が、長い
「おや/\、あんな大きな船が来た。おゝ早い/\。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」とおほさわぎをしました。
お母さまはこのお部屋へおこたをこしらへて、小さなすゞちやんが生まれてくるのをまつてゐました。そして千代と二人ですゞちやんの赤いおべゝをぬひました。
暗い冬はそれからまだながくつゞきました。昼のうちは、おもてのじく/\した往来を、お馬や荷車やいろ/\の人がとほりました。それから、お向ひのうどんやで、機械をまはすのが、ごと/\ごと/\と聞えました。
しかし夜になると、あたりはすつかり穴の中のやうにひつそりとなつて、たゞ、海がぴた/\と鳴るよりほかには、何の音も聞えませんでした。
暗い海の中には、星のやうなあかりがたつた一つ、ちかり/\と消えたりとぼつたりしました。それは、昼に赤く見えてゐた、あの
ぽつぽは、そんな晩には、さびしさうに、夜でも、
「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」となきながら、
「すゞ子ちやんはまだおうまれにならないのですか。いつでせう、いつでせう。」と聞きました。
二
そのうちに、だん/\と五月が来ました。海の空もはれ/″\とまつ
お母さまは、ネルの着ものに、青いこうもりをさして、
往来には、もういつの間にか、つばめが、海の向うから来て、すい/\とかけちがつてゐました。電信の針金にもどつさりとまつてゐました。
お父さまは、すゞちやんはいつ生れるのでせうねと、よく、小石川のお
お
すると、六月の
でも、ぽつぽにだけは、みんなだまつてゐました。ぽつぽがよろこんで、あんまりおほさわぎをするとうるさいから、あとでそつと見せてやることにしたのでした。
その晩お母さまは、すゞちやんの寝る小さな赤いおふとんをちやんとしいて、そのそばへやすみました。
お父さまがあくる朝日をさまして見ますと、ちやんとすゞちやんが生まれてゐました。まつ
「お祖母さま、小さなすゞちやんが生れて来ましたよ。」と言つてよびました。お祖母ちやまは、かけていらしつて、
「あら/\かはいゝすゞちやんね。」と言つて、それは/\およろこびになりました。すゞちやんはそれからしばらくたつて、はじめてお母さまにお乳をもらひました。
すゞちやんは、とき/″\「おぎァ/\」と泣きました。それから、「おふんにやい/\」と言ふやうにも泣きました。
ぽつぽは、はじめてすゞちやんの泣き声を聞くと、
「あれはだれでせう。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、しきりにお父さまに聞きました。お父さまは、
「あれはすゞちやんだよ。こんど生れた赤ちやんだよ。」と言ひました。すると、ぽつぽは、よろこんで、
「おやさうですか。」と、ぱた/\おほさわぎをしました。そして、
「早く見せて下さい。早く/\。」と二人でねだりました。
しかし、すゞちやんは、まだたうぶんは、そつとねかせておかなければならないので、ぽつぽのところへつれていくわけにはいきませんでした。
ぽつぽは、まいにち/\、
「どうぞすゞちやんを見せて下さい。早く見せて下さい。」と言つて、かはる/″\ねだりました。それで
「すゞちやん/\、ごらんなさい。これがおまいのぽつぽだよ。」と言ひました。ぽつぽは、
「すゞ子ちやん/\こんちは。」
「すゞ子ちやん
でも、まだ小ちやなすゞちやんは、まぶしさうに
そのうちに、だん/\と暑い八月が来ました。海はぎら/\と、ブリキを張つたやうにまぶしく光つて来ました。すゞちやんは、昼でも、小さなおかやの中にねてゐました。
お母さまは、お部屋の鏡だんすのふちから、ねてゐるすゞちやんの
すゞちやんは、
さうすると、すゞちやんの黒い
「まあ、ちやんと見えるのですね。」と言つて、うれしさうに笑ひました。お父さまは、こちらのいすにかけて見てゐました。お部屋の三方には、まつ白な、うすいカーテンがかゝつてゐました。その中に、すゞちやんの着てゐる赤いおべゝと、つるした赤いひもとが、きわだつてまつ赤に見えました。
三
お父さまは、それからまた
「すゞ子ちやん、すゞ子ちやん、こんちは。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と言つて、おじぎをしました。
お父さまは、
「こつちよ/\、すゞちやん。こつちをごらんなさい。」と言ひながら、すゞちやんをかごのまへにすゑるやうにして、ぽつぽを見せようとしました。しかし、すゞちやんは、片手をかためてしやぶりながら、ちがつた方を向いたきり、いくらをしへても、ちつともぽつぽを見ようとはしませんでした。ぽつぽは、
「まあ、まだ/\お小さいんですね。いつになつたら、すゞちやんが、ぽつぽやとおつしやるでせうね。」と、さも、まちどほしさうにかう言ひました。お母さまは、
「ほんとにいつのことでせうね。」と言ひながら、お乳の時間が来たので、すゞ子をおひざにとりました。
「なに、ぢきですよ。今にすゞちやんが一人で、ぽつぽのところへ来るやうになりますよ。」
ちようどいらしつてゐたお
「あゝ、ぽつぽに、いゝものを上げてよ。」と、お母さまは、ふと思ひ出したやうに、帯の間から、小さな赤いお手帳を出してぽつぽにわたしました。
お父さまとお母さまとは、いつもすゞちやんが早く大きくなつてくれることばかりまつてゐました。ぽつぽも、そのことばかり言つてまつてゐました。
その十一月に、ぽつぽは、また、すゞちやんや、みんなと一しよに、ちがつた町の方へ遠く引つこしました。それは、ちか/″\に
すゞちやんは、とき/″\あき子叔母ちやんのおひざにだかれて、ぽつぽのかごのところへいきました。ぽつぽはこちらのお
「まァ、すゞ子ちやんは、
ぽつぽはかう言つて、叔母ちやんとお話をしました。
それからまた寒い冬が来ました。その冬があけると、すゞちやんはそろ/\はひ/\をし出しました。それからまた青い八月がまはつて来ました。すゞちやんは、歩いてはたふれ、歩いてはたふれして、よち/\ともう
或日、すゞちやんは、よち/\とおすだれのそとへかけて出ました。あき子叔母ちやんは、
「あら、あぶない。」と言ひながら、あわてゝおつかけていきました。すゞちやんはもう少しでたふれるところを、ばたりと、ぽつぽのかごにつかまりました。
「すゞ子ちやん、こんちは、ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、ぽつぽがおじぎをしながら二人でかう言ひました。するとすゞちやんはかごにつかまつたまゝ、そのまねをして、
「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と言ひ/\おじぎをしました。あき子叔母ちやんは、それを聞いて、
「おや、今のはすゞちやんでせうか。」と、ふしぎさうな顔をして、ぽつぽに聞きました。ぽつぽはにこ/\笑ひながら、
「えゝ、おしまひのはすゞ子ちやんですよ。まァおじやうずですこと。さあ、もう一ど言つてごらんなさい。ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、言ひました。すゞちやんはまたまねをして、
「ぽッぽゥ、ぽッぽゥ。」と、おじぎをしました。あき子叔母ちやんはびつくりして、
「あら、まあ、ほゝゝ。ちよいと、すゞちやんがぽッぽゥ、ぽッぽゥつて言ひましたよ。」と、思はずおほきな声でお母さまをよびました。すゞちやんはその声にびつくりして、
「わァ。」と泣き出しました。
これは、すゞちやんが口を利いた一ばんのはじまりです。お父さまやお母さまはそれを聞いておほよろこびをしました。ぽつぽもそれはよろこんで、来る人ごとにその同じお話をしました。
すゞちやん、あの二人のぽつぽは、こんなときからのぽつぽですよ。
お母さまは、もう
ですから、すゞちやんは、大きくなつて、ごじぶんの小さなときのことがわからないときには、いつでも、ぽつぽのお手帳を見せておもらひなさい。
にやァ/\や、