――その第八話です。
現れたところは日光。
それにしても全くこんな捉まえどころのない男というものは沢山ない。まるで煙のような男です。仙台から日光と言えば、江戸への道順は道順であるから、物のはずみでふらふらとここへ寄り道したのに不思議はないが、どこで一体あの連中を置き去りにしてしまったものか、仙台を夜立ちする時はたしかにあの江戸隠密達二人と一緒の筈だったのに、日光めざして今市街道に現れたその姿を見ると、お供というのは眉間傷と退屈の虫だけで、影も姿もただのひとり旅でした。その上に着流し雪駄ばき落し差しで、駕籠にも乗らずにふわりふわりと膝栗毛なのです。
だが退屈男だけに、そのふわりふわりの膝栗毛が、何ともかとも言いようのない膝栗毛でした。
「ウフフ……。木があるな」
山道であるから木があったとて不思議はないのに、さもさも珍しげに打ち眺めては、しみじみと感に入りながら、またふわりふわりとやって行くのです。行ったかと思うと、
「雲茫々、山茫々、
口ずさんでは立ち止まり、立ち止まっては谷をのぞき、のぞいてはまた歩き、歩いてはまた立ち止まって、風のごとく、
だから、チョッピイヒョロヒョロ、ピイヒョロヒョロと、たそがれかけた夕空高く
「はて
いぶかりながら見眺めているとき、実に不意でした。
「貴様、まだまごまごしておるかッ。神域を
けたたましく怒号しながら、不審なその鳥刺しを突然叱りつけた
「ウフフ、犬も歩けば棒に当るじゃ。ゆるゆる見物致すかな」
のっそり近寄っていったのを知ってか知らずか、老神官は
「何じゃい。何じゃい。まだ失せおらぬかッ。老人と思うて
「でも、あの……いいえ、あの、どうも、相済みませぬ。ついその、あの、何でござりますゆえ、ついその……」
ぺこぺこしながら鳥刺しがまた、声までも細々と蚊のような声を出して、言葉もしどろもどろに一向はきはきとしないのです。
「実はあの……、いいえ、あの、重々わるいこととは存じておりますが、ついその、あの何でござります。せめて、あの……」
「せめてあの何じゃい!」
「五ツか六ツ刺さないことには、晩のおまんまにもありつけませんので、かようにまごまごしているのでござります。何ともはや相済みませぬ。どうぞ御見逃し下さいまし……」
「嘘吐かッしゃいッ。刺さねばおまんまにありつけない程ならば、あれをみい、あれをみい、あちらにも、こちらの畠にも、あの通り沢山いるゆえ、ほしいだけ捕ればよい筈じゃ。それを何じゃい、刺しもせずに竿を持ってうろうろと垣のぞき致して、
「御尤もでござります。おっしゃることは重々御尤もでござりまするが、実はその、あの、何でござります。わたくし、ついきのうからこの刺し屋を始めましたばかりでござりますゆえ、なかなかその思うように刺せんのでござります。それゆえあの、ついその……」
「こやつ、わしを老人と見て侮っておるな! ようし! それならば消えて失くなるようにお
よぼよぼしながら社務所の内へとって帰ったかと見えたが、程たたぬまに
「小僧ッ、これでも消えぬかッ」
すべてが全くすさまじい変化でした。足腰のしゃんと立ったのは言うまでもないこと、声までがしいんと骨身にしみ透るように冴え渡って、手の内がまた免許皆伝以上、しかも流儀は短槍にその秘手ありと人に知られた青江信濃守のその青江流なのです。
「ほほう、老人、なかなか味をやりおるな」
何かは知らぬが事ここに及んでは、もう退屈男もゆるゆると高見の見物ばかりしていられなくなりました。不審な鳥刺しの身辺に漂う疑惑は二の次として、弱きに味方し、強きに当る早乙女主水之介のつねに変らぬ旗本気ッ腑は、人も許し天下も許す自慢の江戸魂でした。ましてや穏かならぬ真槍がくり出されるに至っては、あれが啼くのです、しきりと、あの眉間傷が夕啼きを仕出したのです。――のっそり木蔭から現れて、すいすいと足早に近よりながら、血色もないもののように青ざめている鳥刺しの手元から、黙って静かにトリモチ竿を奪いとると、
「御老体、なかなか御出来でござるな」
ウフフとばかり軽く打ち笑いながら、ふうわり鳥竿を神官の目の前に突き出して、いとも朗かに言いました。
「いかがでござるな。退屈の折柄丁度よいお対手じゃ。この構え、少しは槍の法に
「なにッ?――何じゃい! 何じゃい! 見かけぬ奴が不意におかしなところから迷って出おって、貴公は、一体何者じゃ!」
「身共でござるか。身共はな、ウフフフ、ご覧の通りの風来坊よ。いかがでござるな。青江流とはまたちと流儀違いでござるが、少々は身共も槍の手筋を学んでじゃ。退屈払いに二三合程お
ウフフ、また軽く笑って老神主の目の前二寸あたりの近くへ、ずいともち竿を突きつけると、ふわりふわりとその先を泳がせました。――と見えた一刹那、ヒュウと手元にしごいて繰り出したかと見えるや、術の妙、技の奥儀、主水之介程底の知れない男もない。しなしなと揺れしなっていた二間余りの細い竹がピーンと張り切って、さながらに鋭利な真槍の如くに、ピタリ、老神主の黒目を狙っているのです。かと見えるやそれがまた再びふわりふわりと左右へ泳いで、ある刹那にはその竿先が八本にも見え、次の刹那にはまた二十本位にも見えて、動いたかと思うと途端にピタリとまた黒目を狙い指しながら、千変万化、実にすばらしい妙技でした。
「若僧やるな! 鳥刺しといい貴様といい、愈々
いささか事志と違ったと見えて、勿論、真槍は同じ構えにつけたままだったが、老神官少々たじたじとなりながら鋭く言い
「ウフフ、またそれをお尋ねか。御老体、ちとお耳が遠うござりまするな。身共はな――」
「なにッ、耳が遠いとは何を言うかい。
「わははは、誰の指し図とは御老体、耳が遠いばかりか脳の方も少々およろしくござらぬな。身共はな、このうしろの奴じゃ、こやつのな――」
ひょいとふり返って見ると奇怪でした。小さくなって慄えてでもいるだろうと思いのほかに、あの男がいないのです。いつのまにどこへ消えてなくなったものか、あの不審な鳥刺しの姿が見えないのです。しかもその刹那! さらに不審でした。
「また来やがッたか。やッつけろ。やッつけろ」
「構わねえ、のめせ! のめせ! 御領主様の廻し者に違えねえんだ。
突然、口々に罵り叫んだ声が聞えたかと思うや同時に、どッと
聞えて来た方角は鎮守の森の奥の、こんもりと空高く聳える木立ちに囲まれた、社殿のうしろと
「逃げた。逃げた。野郎め、そッちへ逃げたぞッ」
「追ッかけろッ。追ッかけろッ。逃がしてなるもんかい! 逃がせばこんな奴、御領主様に何を告げ口するか分らねえんだ! 叩き殺せッ、叩き殺せッ」
怒号と共にバタバタという足音が聞えたかと思うや、必死にこちらへ逃げ走って来たのは、意外! あの消えて失くなった鳥刺しなのです。追うて来たのがまたさらに奇怪! 十人、二十人、三十人――、いやすべてでは五六十人と覚しき農夫の一隊でした。しかもその
一
百姓一揆?
どきりと退屈男の胸は高鳴りました。一揆だったら事穏かでない。――まさに由々敷重大事なのです――その刹那、足の早い農民の両三人が砂煙あげつつ鳥刺しの背後に殺到したと見るまに、早くすでに四ツ五ツ、棍棒の乱打がその背を襲いました。同時にそれを見眺めるや、
「くくらッしゃい! くくらッしゃい! 殺してしまわばあとが面倒じゃ。殺さずにくくらッしゃい! 以後の見せしめじゃ。くくッて痛い目にあわさッしゃい!」
さすがに虐殺することだけは制止したが、自身先に立って手槍を
「控えおらぬか。騒ぐでない。何をするのじゃ」
「何だと!」
「邪魔ひろぐねえ」
「どこから出て来やがったんだッ」
「
どッと口々に
「控えろと申すに控えおらぬか! これをみい! 身共もろ共痛い目にあわすはよいが、とくと先ずこれを見てから命と二人で相談せい!」
静かに威嚇しつつ、深編笠をバラリとはねのけて、ずいと農民達の面前に突きつけたのはあれです。あの眉間傷です。
「………

「………

「のう、どうじゃ。ずうんと骨身までが涼しくなるようなよい疵であろうがな。近寄ればチュウチュウ鼠啼き致して飛んで参るぞ」
「………

「………

ぎょッとなって身を引きながら、いずれも農民達はやや暫し
「やッつけろ。やッつけろ。構わねえからやッつけろ。どこのどやつだか知らねえが、邪魔ひろぐ奴アみなおいらの
「違げえねえ。一ぺん死にゃ二度と死なねえや! いってえおいらお
声と同時です、殺気を帯びたどよめきがさッと人波のうしろに挙ったかと見えるや一緒で、バラバラと投げつけたのは咄嗟の武器の石つぶてです。
「わはは。さてはこの眉間傷もその方共には猫に小判と見ゆるな。面白い。石と矢とは少しく趣きは異なるが、篠崎先生が秘伝の矢止めの秘術、久方ぶりに用いて見るも一興じゃ。投げてみい! 受け損じなばお代は要らぬ。見事に止めて見しょうぞ。投げい! 投げい! もそッと投げて見い!」
泰然自若、雨と
「わッははは。当らぬぞ。当らぬぞ。――左様々々。今のはやや法に
笑いつつ、パッと躱してはさッと躱し、掴んで投げる小石はこれをバラバラと編笠の楯で受け止め、そうして悠揚自若、只もう見事の二字に尽きるすばらしさでした。いや、これこそはまさしく
「貴公、なかなか――」
「何でござる」
「当節珍らしい
「わはは、先ず左様のう。自慢はしとうないが、焼き加減、味加減、出来は少し上等のつもりじゃ。刀剣ならば先ず平安城流でござろうかな。大のたれ、

「
「傷の早乙女主水之介と
「なにッ、何だと!」
「のめせ! のめせ!」
「それきいちゃもう我慢が出来ねえんだ。こいつも同じ旗本だとよう! のめせ! のめせ! 叩きのめせ!」
はしなくも名乗った旗本の一語をきくや、手を引いていた農民達が、再びわッと
「またッしゃい! 待たッしゃい! 旗本は旗本でも、この旗本ちと品が違うようじゃ! 投げてはならぬ。
「でも、同じ旗本ならおいらはみな憎いんだ。うちの御領主様もその旗本なればこそ、お直参風を笠に着て、あんな人でなしのむごい真似をするに違げえねえんだ。やッつけろッ。やッつけろッ、構わねえから叩きのめせッ」
「待たッしゃいと言うたら待たッしゃい! そのように聞き分けがござらぬと、わしはもう力を貸しませぬぞ。物は相談、荒立てずに事が済めばそれに越した事はないのじゃ! 手を引かッしゃい! 手を引かッしゃい! それよりあれじゃ、あれじゃ。あの男を早く!――」
制しておいてひょいとみると、どこにもいない。あのいぶかしい鳥刺しはいつのまにまた消えて失くなったものか、折から迫った夕闇に紛れて巧みに逃げ去ったらしく、影も形も見えないのです。
「小鼠のような奴じゃな。よいよい。いなくばよいゆえ、二度とあいつめを寄せつけぬよう、充分見張りを固めて、静かに待っておらッしゃい、よろしゅうござるか。
奇怪から奇怪につづく奇怪に、いぶかしみながら佇んでいる退屈男のところへ歩みよると、老神主沼田正守は言葉も鄭重に
「貴殿の胆力に惚れてのことじゃ。お力を借りたい一儀がおじゃる。あちらへお越し召さらぬか」
「ほほう、ちと急に雲行がまた変りましたな。借り手がござらば安い高いを申さずにお用立て致すこの傷じゃ。ましてや旗本ゆえに恨みがあると聞いてはすておけぬ。いかにも参りましょうぞ。どこへなと御案内さッしゃい」
導いていったところは社務所の中でした。
しかし、この社務所が只の社務所ではないのです。部屋一杯に和漢の書物が所構わず積んであって、その上に骨がある。馬の骨、鹿の
「ウフフ。これは少々恐れ入った。御老体もちと変り種でござりまするな」
変り者たる点に於ては決して人後に落ちる退屈男でないが、これはいかにも大変りでした。胆力双絶の主水之介もいささか呆れ返って、ひょいとそこの床の間に掛けてある軸を見ると、はしなくも目を射たものは次のごとくに書き流された
「予ガ子々孫々誓ッテ守ルベシ、
「ほほう
読み下すと同時に退屈男は、はッとなって意外げにきき尋ねました。
「珍しい一軸じゃ。御老体、当所はそれなる軸に見える大和田家の知行所か」
「左様でおじゃり申す。何やら驚いての御容子じゃが、貴殿大和田殿御一家の方々御知り合いでおじゃりますか」
「知らいで何としょう。それに見える八郎次殿はたしか先々代の筈、当主十郎次は身共同様同じ八万騎のいち人じゃ。それにしても、十郎次どのの所領にめぐりめぐって参ったとは不思議な奇縁でござるな」
おどろいたのも無理はない。軸に書かれた八郎次の孫なる当代大和田十郎次は、旗本も旗本、
「騒ぎは何でござる。どうやら百姓共の容子を見れば、一揆でも起しそうな
「それがいやはや、さすがの沼田正守、あきれ申したわい。かりにも御領主どのゆえ、
「きびしいと申すは、
「どう仕って、米や俵の取立てがきびしい位なら、まだ我慢が出来申すというものじゃが、あれじゃ、あれじゃ、
「目篇とは何でござる」
「目篇に
「ウッフフ。わッははは! 左様でござるか。
「左様々々。その
「と申すと?」
「
「一揆の談合をこの境内でしたと申さるるか」
「左様々々。ひと口に申さばまだ談合中じゃが、相談うけたのが、何をかくそうこのわしなのじゃ。同じ御領内に鎮守の
「なるほど、事の仔細も御所望の筋もしかと分り申した。もしこの主水之介が否と申さば?」
「知れたこと、この場に先ず御貴殿を血祭りに挙げておいて、老体ながら沼田正守、一揆の一隊引具し、今宵にも御領主の屋敷に乱入いたし、力弱き農民百姓達を苦しめる助の平の大和田十郎次めにひと泡吹かすまででおじゃるわ」
「わはは。いや、面白い面白い。身共を先ず血祭りに挙げるとはさも勇ましそうに聞えて、ずんと面白うござりますわい。老いてもなお負けぬ気な、その御気性、主水之介近頃いちだんと気に入ってござる。ましてや世の
「なに! 御力となって下さるか。
「いや、待たれよ。待たれよ。お待ち召されよ」
「百姓共を悦ばすはよいが、十郎次と身共面識があるだけに、
「見張りどころか、まるで屋敷牢でござりますわい。しかもじゃ、十郎次の助の字、
「いかさまのう。聞いただけでも眉間傷が
「おる段ではない。何にお使い召さる御所存じゃ」
「江戸への飛脚じゃ。おらば屈強な者を二人程御連れ願えぬか」
「心得申した。すぐさま選りすぐって参りましょうわい」
まもなくそこへ見るからに
主水之介至極無事息災じゃ。旅は江戸よりずんと面白いぞ。さて、そなたに火急の用あり。飛脚に立てたるこの者共を道案内に、
疵の兄より
菊路どのへ
不思議です。いかなる策を取ろうというのか。飛脚の送り主は愛妹菊路でした。あの美男小姓霧島京弥にその愛撫をまかせて、るす中存分に楽しめと言わぬばかりに粋な
「すぐ行け。ほら、路銀じゃ。二十両あらば充分であろう。夜通し参って、夜通し連れて参るよう、金に絲目をつけず手配せい」
その場に
「鳴りを鎮めて容子を窺うことが上策じゃ。一揆は国の御法度、ひとりなりとも罪に問わるる者があっては身共が折角の助力も水の泡ゆえ、その
心得たとばかり駈け出そうとしたその刹那! わッと言うけたたましい
「やられました! やられました! あいつめが、あの鳥刺しの奴めが密訴したに違げえねえんです! 御領主様が捕り方を差し向けましたぞッ。一揆の相談するとは不埓な百姓共じゃと怒鳴り散らして、三十人ばかりの一隊が捕って押えに参りましたぞッ」
「なにッ――」
老神官正守は言うまでもないこと、退屈男も期せずして
「ウフフ。策はあるものじゃ。待たれよ! 待たれよ! お待ち召されよ!」
ねじ鉢巻に
「行ったら危ない。捕らせてやらっしゃい。あとからすぐにそっくり頂戴に参らばようござるわい」
「………?」
「お分りでござらぬか。あれじゃ。あれじゃ。あの大和田八郎次どのお残しの一書じゃ。労役人夫必要の時あらばいか程たりとも微発苦しからずと、子々孫々にまで言いきかせてござるわい。すぐにあとから追っかけて参って、引かれていったあの者共をそっくり頂戴して参るのよ」
「いやはや、なる程。わしも軍学習うたつもりじゃが、若い者の智慧には敵わぬわい。ようおじゃる。ゆるゆるひと泡吹かしてやりましょうわい」
塵を払って、白髯をなでなで至極取り澄ましながら出て行くと、老神官は大きく呼ばわりました。
「みなの衆、行かッしゃい! 行かッしゃい! あとは沼田正守、きっと御引受け申すゆえ、おとなしゅう引かれて行かッしゃい!」
ざわざわとやや暫し農民達のざわめきがつづいていたが、いずれも心に何事か察するところがあったと見えて、まもなく捕り方達に引かれて行く静粛な足音がきこえました。
表はすでにもうとッぷり暮れ切って、時刻は丁度宵六ツ下り。そうしてポツリポツリと、
それゆえにこそ表はさらに暗い。顔をかくし、姿をかくして、どこの何者か知られぬためには
「身共もお供仕る。そろそろ参りましょうぞ」
「待たッしゃい。待たッしゃい。こういう事は威厳をつけぬと兎角利き目が薄いでな。装束を着けて参ろうわい」
沼田正守はなかなかに人を喰った変り者でした。物々しい神主の表装束に着け替えるのを待ちうけて、二人はただちにあとを追いかけました。――道は八丁あまり。
うしろに嶮しい山を控えて、屋敷はさすがに知行高二千八百石の名に恥じない御陣屋風の広大もない構えでした。
「おう、御手柄じゃ。御手柄じゃ。手もなく曳いて参ったようじゃな。みなで何名じゃ」
「五十七名でござります」
「左様か、不埓な奴らめがッ。百姓下民の
ぴったり閉め切った門の中で、声も威丈高に罵っているのは、どうやら目ざす大和田十郎次のようでした。
「ウフフ、助の字十郎次やりおるな。まてまて、今沼田の正守ひと泡吹かせてやろうわい。早乙女どの、主水之介どの、年はとってもこの位の高塀、乗りこせぬわけではおじゃらぬがな、装束が邪魔になって身の自由が利かぬのじゃ。手伝って下され。――左様々々。どッこいしょ。ほほう、なかなかよい眺めじゃ。では、お先に飛びおりますぞ」
つづいてヒラリ上がった退屈男共々、難なく二人は塀をのりこえて、屋敷の庭先に侵入すると、臆せずに近よっていったのは、心地よげに百姓達のくくされるのを見眺めていた十郎次の前です。しかも、老神官沼田正守の言い方は、また実に高飛車で、この上もなく不敵でした。
「大和田どの、わざわざと人夫共をお揃え下さって、色々とどうも御足労でおじゃる。急にちと
「なにッ?」
「いや、わしじゃ。わしじゃ。たびたび無心を言うて相済まぬがな。御身がおじい様の八郎次どのから、いつ何時たりとも苦しからずと、有難い
「まてッ、まてッ、待たッしゃい!」
「御用かな」
「おとぼけ召さるなッ。祖先の御遺訓ゆえ御入用ならば労役人夫やらぬとは申さぬ。決してさしあげぬとは申さぬが、この百姓共には詮議の筋がある。おぬしにはこやつらの手にせる品々、お分り申さぬか」
「これはしたり、九十の坂を越してはおるが、まだまだ両眼共に確かな正守じゃ。鍬をもち、鎌をも構え、中には竹槍
「何と召されたも、かんと召されたもござらぬわッ。かような物々しい品を
「いやはや困った
「何でござる! 何のために左様なもの用意させてござる!」
「
「ならぬ!
「これはしたり、名君名主になろうには、もう少し物の道理の御修業が御肝要じゃ。いかにもあすという日がおじゃる。しかしな、民百姓というものは、日のうちこそ大事、大事な日中を使い立て致さば、お身が
「いいや、なりませぬ! 断じてやることなりませぬ!
「分らぬ御方じゃな。特にこの方々呼び集めたのは、力も人の一倍、働らきも人一倍でおじゃるゆえ、わざわざえりすぐってお
「それともなんでござる!」
「いいやな、これ程申してもお用立出来ぬと仰せあるならば、致し方がおじゃりませぬゆえな、今から江戸へ急飛脚飛ばして、寺社奉行様のお
「………!」
「あははは。ちと雲行がおよろしくござらぬと見えて、俄かにぐッと御
「………!」
「何と召さった。大分歯ぎしりをお噛みのようじゃが、虫歯ならば沼田正守医道の心得がおじゃるゆえ、ことのついでに癒して進ぜましょうかな」
「勝手にさッしゃい!」
「なるほど。では、御借り申してもようおじゃるかな」
「くどいわッ。それほどこの百姓共がほしくば、とっとと連れて行かッしゃい!」
「なるほど、なるほど。御年は若いがさすがに急所々々へ参ると、よく物が御分りでなによりにおじゃる。祖先の御遺訓を守るは孝の第一、神を敬するは国の誉、そなたも豊葦原瑞穂国にお生れの立派な若殿様じゃ。わははは。いやなに、わははは。では、みなの衆、帰ってもよいそうじゃ。お互い物の道理の分る御慈悲深い御領主様を戴いて、
「よッ!」
「何じゃな」
「待たッしゃい!」
「ほほう、まだ御用がおじゃりますかな」
「不審な奴があとにおる。そのうしろの深編笠は何者でござる!」
「ははあ、なるほど、これでござるか。この者はな、わしの伜じゃ」
「なにッ。そなたには妻がない筈、それゆえ変屈男と評判の筈じゃ。独身者に子供があるとは何とされた!」
「妻はのうてもわしとて男でござりますわい。若い時に
飛んだ落し胤の主水之介が、また大層もなく心得ているのです。
「父上。思わぬところで旧悪がバレましたな。ウフフ。では、どうぞお先に、うしろから送り狼が五六匹狙うているようでござりますゆえ、ちょッと追ッ払ってから参ります」
何者か編笠の中の正体を見届けようとつけ狙って来た小者の方へ、ずいと静かにふり向くと、パチンと高く
早くも強敵と知ったか、たじたじとなってうしろに引いたのを、
「わッははは。軍師が違うわ。うしろ楯におつき遊ばす軍師がお違い申すわ。夜食に
すういと消えていった主水之介のその影のあとから、くやしげに屋敷の門が音も荒々しく締まりました。
そうしていち夜があけました。――深い霜の朝です。
つづいてまたひと夜があけました。――やはりいちめんに深い霜です。
三日目の朝がさらに訪れました。――満目荒涼いちめんに白々として、やはり深い霜です。
日光から江戸まではざッと三十里、飛脚でいって、早駕籠で来るならば、三日目のその今日あたりは、もうそろそろ妹菊路が駈けつける頃でした。待つうちに陽がおち、丁度夕方――。
「御老体」
「何じゃな」
「身共にわるい癖が一つござってな」
「なるほど、なるほど。里心がおつき申したか」
「どう仕って。宿までさせて頂いて、いろいろと御造作に預る
「ウフフ。これはどうも恐れ入った。
「御好物か」
「恥ずかしながらこの通り、今日は出そうか今日は出そうかと、そなたに気兼ねして実はこの本箱の奥に隠しておいたのじゃ。口の合うたが幸い、早速に用いましょうわい」
変り者同士の、きくだにまことに胸のすくような
「お兄様! お兄様! あの、お兄様はどこにござります」
「おお、菊か。菊路か」
「あい、遅なわりました。只今ようやく参着致しましてござります。お早く! お早く! 御無事なお顔をお早く見せて下さりませ」
「まてまて、今参る今参る。ちょっと今大変なのじゃ。今参る、今参る。――そらみい。兄じゃ、よう見い。傷もあるぞ」
「ま! 御機嫌およろしゅうてなにより……。お色つやもずっとよろしくおなり遊ばしましたな」
「うんうん。旅に出ると干物なぞが頂けて食べ物がよろしいのでな。そちも
「もうそのような御笑談ばかり。――あの、それより、あの方も、あの、あのお方も御一緒にお越しなさりました」
「誰じゃ。書面にはそちひとりに参れと書いてやった筈じゃが、あの方とは誰ぞよ」
「でもあの……、いいえ、あの、あの方でござります。京さまでござります。京弥さまでござります」
「なに? ――いずれにおるぞ?」
「その駕籠の向うに……」
ひょいと見ると、恥ずかしそうにうつむきながら、駕籠の向うにかくれていたのは、まさしく妹菊路の思い人霧島京弥です。
「わッははは、そちもか。もッと出い。こッちへ出い。恥ずかしがって何のことじゃ。ウフフ、あはは。のう京弥、
「いえ、あの、そのようなことで手前、お
「なぞと言うて、嘘を申せ。嘘を申せ。ちゃんと二人の顔に書いてあるぞ。菊がねだったのやら、そちが
「ここじゃ。ちゃんとうしろにおりますわい」
「……? なるほど、左様か。いつのまにおいでじゃ。これが主水之介の妹菊路でござる」
「そちらが御妹御御意中の御小姓か」
「と、まア、左様に若い者を前にして、あからさまなことは言わぬものじゃ。役者が揃わば
「あい……」
「そち、疲れておるか」
「あい、少しばかり。……いいえ、あの、久方ぶりに懐かしいお兄様のお顔を見たら、急に元気が出て参りました。何でござります、わたくしに火急の御用とは何でござります」
「それがちと大役なのじゃ。なれどもそちとて早乙女主水之介の妹じゃ。よいか。この兄の名を恥ずかしめぬよう、この兄に成り代ってこの兄にもまさる働きをするよう、充分覚悟致して大役果せよ。と申すはほかでもないが、当大和田の
「分りました。それゆえ顔を見知られぬこの菊に、お兄様に代って懲らしめに参れとおっしゃるのでござりまするか」
「然り。なれども只懲らしめに参るのではない。ちとそこに工夫がいるのじゃ。今も申した通り、至っての女好きじゃでな。さぞかしそちとしては辛くもあろうし、きくもけがわらしい事であろうが、一つには可哀そうな十一人の
「ま! 恐ろしい! ……でも、でも仕損じて、もしも身にけがらわしい危険が迫りましたら……」
「死ね!」
「えッ!」
「いや、恥ずかしめられなば死ぬ覚悟で参れと申すのじゃ。役者はそちひとりじゃが、うしろ
「坊主

「それはあとで相分る。わざわざそちを呼び招いたのも、つまりは、やつの頭をクリクリ坊主にさせたいからじゃ。是が非でも出家にさせねばならぬ必要があるゆえ、そちが一世一代の
「でも、でも、わたし、そんな手管とやらは……」
「知るまい、知るまい、そちがはしたない
「ま!……」
「いや、怒るな、怒るな、これは笑談じゃ。いずれに致せ、一つ間違わば操に危険の迫るような大役ゆえ、行けと言う兄の心も辛いが、そちの胸も悲しかろう。なれども、天下の御政道のために、是非にも節婦となって貰わねばならぬ。どうじゃ、行くか」
「………」
「泣いてじゃな。行くはいやか」
「いえ、あの、京弥さまさえお許し下さいましたら――」
「参ると申すか」
「あい、行きまする!」
「出かしたぞ、出かしたぞ、いや、きつい当てられたようじゃ。京弥、どうぞよ。菊めが赤い顔して申してじゃ。そち、許してやるか」
「必ずともに危険が迫っても、手前のために操をお護り下さると申しますなら――」
「わはは。当ておるわ、当ておるわ、若い者共、盛んに当ておるわい。いや、事がそう決まらば急がねばならぬ。御老体、先ず事は
元より門はぴたりと締って、そこはかとなくぬば玉の濃い闇がつづき、空も風も何とはのう不気味です。
だが菊路は、涙ぐましい位にも今
「あの、物申します。わたくし、旅に行き暮れた
「なに、女子でござりますとな。待たッしゃい、待たッしゃい。宿を取りはぐれた女子とあっては耳よりじゃ。どれどれ、どんなお方でござります」
ギイとくぐりをあけて、しきりにためつすかしつ、差しのぞいていたが、菊路ほどの
「御老体、そなた屋敷の模様御存じであろう。十郎次の居間はいずれでござる」
「今探しているところじゃ。待たっしゃい。待たっしゃい。いや、あれじゃ、あれじゃ。あの広縁を廻っていった奥の座敷がたしかにそうじゃ」
息をころして忍びよると、容子やいかにと耳を
「そのような
声と共に忽ちすべての手筈が運ばれたらしく、程たたぬまに主水之介達三人が窺いよっているそこの広縁伝いに、こちらへさやさやとつつましやかに
「ほほう、いかさまあでやかな小娘よ喃。道に踏み迷うたとかいう話じゃが、どこへの旅の途中じゃ」
「………」
「
「あの、日光へ行く途中でござります」
「ほほう、左様か。このあたりは道に迷いやすいところじゃ。それにしてもひとり旅は不審、連れの者はいかが致した」
「あの、表に、いいえ、表街道までじいやと一緒に参りましたなれど、ついどこぞへ見失うたのでござります」
「じいやと申すと、そなた武家育ちか」
「あい、金沢の――」
「なに、加賀百万石の御家中とな。どことのうしとやかなあたり、育ちのよさそうな上品さ、さだめて
「いえ、あの、浪人者でござります。それも長いこともう世に出る道を失いまして、
「二つにはまたどうしたと言うのじゃ」
「あの、わたくしに、このような
「ウフフ。うまいぞ。うまいぞ」
きいて戸の外の退屈男は小さく
「大事ない、大事ない。あれが手管ぞよ。手管ぞよ。今暫くじゃ、辛抱せい」
小声で叱りながら、なおじッと聞耳立てました。それとも知らずに十郎次は、菊路の巧みな誘いの一手に汚情を釣り出されたとみえて、ますます色好みらしい面目をさらけ出しました。
「聟探しの日光
「ござりましたら――」
「ござりましたら、何とするのじゃ」
「そのようなお方がござりましたら、きっと日光様が御授け下さりましたお方に相違ござりませぬゆえ、いいえ、あの、わたくしもうそのようなこと申上げるのは恥ずかしゅうござります」
きくや、実に十郎次の行動は直接なのです。直接以上に露骨でした。にじり寄ってむんずとその手をでも取ったらしい
「可愛いことを申す奴よ喃。身共がなって進ぜよう。誰彼と申さずに、この拙者が聟になって進ぜるがいやか」
「ま! でも、でもあのそんな、ここをお放し下されませ! あの、そんな今お会い申したばかりなのに、もうそんな――」
「いつ会うたばかりであろうと、そなたが可愛うなったら仕方がないわい。どうじゃ。拙者の心に随うてくれるか」
「でも、あの、あなた様は――」
「わしがどうしたと申すのじゃ」
「
「しかし、恋に上下はないわい。この通りまだ三十になったばかり、妻も
「それがあの、本当なら
「只一つどうしたと言うのじゃ」
「………」
「黙っていては分らぬ。言うてみい、只一つどうしたと申すのじゃ」
「気になることがあるのでござります」
「どういうことじゃ」
「あの、小さい時、
「馬鹿な! 修験者
「いいえ、でも、三年の間に三人の違った修験者に観て頂きましたら、三人共みな同じことを申しましたのでござります。それゆえ、ふとしたことからお情頂戴致すようなことになるとか申したその身分の高いお方というは、もしやあの、お殿様ではないかと思うて、気になるのでござります」
「では、このわしに
「あい。末々までもと申すのではござりませぬ。御出家姿となって最初の夜のお情をうけたら、
「本当にもし、どうしたと言うのじゃ」
「わたくしのような
「身をまかすと申すか!」
「あい……。いいえ、あの、わたくしもう、なにやら恥ずかしゅうて、胸騒ぎがして参りました。あの、胸騒ぎがしてなりませぬ」
愈々筋書通りに事が運ばれました。しかも、虫一つ殺さぬげに見えた菊路の手管、なかなかにうまいのです。――何と答えるか、庭先にひそむ三人の耳は異様に冴え渡りました。だが、こんなおろか者もそう沢山はないに違いない。いや、花も恥じらわしげな菊路の、触れなばこぼれ散りそうな
「剃ろうぞ。剃ろうぞ。見ているうちにそちの可愛さが、もうもう堪らずなった。ふるいつきとうなったわい。今宵は丸めたとても、あすからまた伸びて参る髪の毛じゃ。いいや、却って座興がますやも知れぬ。そうと事が決らば早いがよいゆえ、今すぐ可愛い
まことに言いようなく笑止な男です。
「十郎次の変った姿を見せてやるぞ。早うこの髪、剃りおろせい」
ごたごた暫く何かつづいていたかと思われるまもなく、ついに思い通り、頭を丸めさせられたと見えて、菊路の白々しげに、しかも、いかにも情ありげに言った声がきかれました。
「ま! おかわゆらしい……。わがまま御きき届け下さりまして、うれしゅうござります」
頃はよし!
ダッともろ手体当てに、雨戸を難なく押し破りながら、先頭に主水之介、つづいて京弥、あとから神官正守の順でいきなり広縁に躍り上がるや、ずいと先ず退屈男が静かに部屋の中へ押し入ると、
「わッはは。俄か坊主、
「なにッ? よよッ! 貴公は!」
「誰でもない。傷の早乙女主水之介よ。江戸でたびたび会うた筈じゃ。忘れずにおったか」
「何しに参った! 狼狽致して夜中何しに参った!」
「ウフフ、おろか者よ喃。まだ分らぬか。三日前の夜、こちらの沼田先生にお
「さてはうぬが軍師となって
声に、抜きつれながら七八人の近侍達が一斉に襲いかかろうとしたのを、
「何じゃい。何じゃい。わしのこの白髯が目に這入らぬかい。片腹痛い真似を致さば、こやつでプツリ御見舞い申すぞ」
咄嗟にそこの
「京弥、
「お差し支えござりませぬか!」
「投げ捕り、伏せ捕り、気ままに致して、押えつけい」
大振袖がヒラリ
「ま! ……お見事でござります」
感に堪えたように目を涼しくしたのは菊路です。
「ウフフ。十郎次、ちと痛そうじゃな。その
心得たとばかりに、近侍の者共を槍先一つであしらいあしらい、向うに消えていった老神官を心地よげに見送りながら、主水之介はどっかと、そこの
拙者儀、領内の女共を掠めて、不埓の所業仕候段慚愧 に堪えず候間、重なるわが罪悔悟 のしるしに、出家遁世仏門 に帰依 致し候条、何とぞ御憐憫 を以て、家名家督その他の御計らい、御寛大の御処置に預り度、右謹んで奉願上候。なお家督の儀は舎弟重郎次に御譲り方御計らい下さらばわが家門の面目不過之 、併せて奉願上候。
願人 旗本小普請頭 大和田 十郎次
右証人 旗本 早乙女主水之介
大目付御係御中
「どうじゃ。十郎次、よくみい! そちを坊主にさせた仔細これで相解ろう。早う名の下に
「何じゃ。こ、これは何じゃ! 勝手にこのようなものを書いて、何とするのじゃ!」
「勝手に書いたとは何を申すぞ、この一
ぐいとその手をねじむけて、
「御老体いかがじゃ。こうして十郎次を隠居放逐しておいて、家名食禄を舎弟に譲り取らしておかば、この先当知行所の女共は元より、領民一統枕を高くして農事にもいそしめると言うものじゃ。御気持はいかがでござる。屈強な者共二三人えりすぐって、これなる上申書、すぐさま江戸へ持参するよう、御手配なさりませい」
「ウフフ、あはは、左様か左様か。病の根を枯らし取ると言うたはこの事でおじゃったかい。いや、さすがは干物がお好きなだけのものがおじゃる。飛ばそう、飛ばそう。すぐに江戸へ飛ばしましょうが、その間、丁度よい都合じゃ。今十一人の女共を救うてやったあの部屋が、錠前つき、出入りままならぬ座敷牢ゆえ、大目付御係り役人がお取り調べに参るまで、この青いお
ぐんぐん引立てて行くと、手もなく投げ込んだと見えて、ピーンと錠前のかかる音がひびき伝わりました。――刹那、ちらりと庭先を
「まだ貴様、まごまご致しおったか。事のついでに主水之介自ら手を下して、うぬも一緒に坊主にしてやろうぞ」
すいと泳いでその襟髪引ッ捕えながら、早くもすでにプツリ
「馬鹿者めがッ。行けッ。わはは、いいこころもちよ喃。御老体どうぞ御先に。では、京弥、菊路、そろそろ参ろうかい」
事もなげに、そうして悠々と引上げていった退屈男のその足どりの爽やかさ! ――救い出された女共から知らせをうけて駈けつけたと見えて、屋敷の門の前に
「殿様、有難うござります」
「お蔭で領民共一統生き返りました」
「有難うござります。有難うござります」
夜空に高く星も喜ばしそうにまたたいた。