日の光を浴びて

水野仙子




(一)


 れど、れど
 きみなければ
 わたしのこゝろはいつもよる

 れど、れど
 わたしは目盲めしひ、耳聾みゝしひ、唖者おふし
 きみもせず、きも

つてゐる……。」
 さうつぶやきながら、わたし部屋へやすみからまくらめぐらして、あかるい障子しやうじはうにそのおもてけた。南向みなみむきといふことなんといふ幸福かうふくことであらう、それはふゆ滋養じやう大半たいはん領有りやういうする。ひかりいま頑固かたくなあさこゝろいて、そのはれやかな笑顏ゑがほのうちに何物なにものをもきずりまないではかないやうに、こゝをけよとばかりぢられた障子しやうじそとかゞやきをもつてつてゐる。
 わたしはそれにしたがはないではゐられなかつた。をのべて、しかしなか/\とゞきさうもなかつたので半身はんしんして、それでも駄目だめだつたのでたうとうあがつてまで、障子しやうじ左右さいうひらいた。日光につくわうやはらかにみちびかれ、ながれた。そのひかりやうや蒲團ふとんはしだけにれるのをると、わたしかゞんでその寢床ねどこ日光につくわう眞中まなかくやうにいた。それだけの運動うんどうで、わたしいきははづみ、ほゝがのぼつた。そしてしばらまくらについてからも皷動こどうをさまらなかつた。
つてゐる……。」
 それはほんたうに幸福かうふくことである。けれども……皷動こどうまつたしづまつて、ながれがもとのゆるやかさにかへつたころきはめてしづかにあゆつてるものびしさを、わたしこゝろむかへなければならなかつた……それはちからよわふゆだからだらうか? いや! どうして彼女かのぢよちからあなどこと出來できよう。おきでないかあのものしづかなかけひおとを。とほりにゆき眞白ましろやまつもつてゐる。そして日蔭ひかげはあらゆるものの休止きうし姿すがたしづかにさむだまりかへつてゐる。それだのにおなゆきいたゞいたこゝのひさしは、彼女かのぢよにそのつたこゝろあたゝめられて、いましげもなくあいしづくしたゝらしてゐるのだ。

(二)


 タツ! タツ! タツ! あゝあのおと形容けいようするのはむづかしい、なんといふ文字もんじまづしいことであらう、あれあんなにやさしい微妙びめうおとをたてゝゐるのに……。それは如何いかにも、あの綺麗きれいゆきけて、つゆたまになつてとひなかまろむのにふさはしいおとである……まろんだつゆはとろ/\とひゞきいざなはれてながれ、ながれるみづはとろ/\とひゞきみちびいてく。
 なんといふしづかさだらう!もなくひさしからつゆる。水晶すゐしやうくだけてちるやうに、いやひかりそのものが[#「る」はママ]やうに……。

 れど、れど
 みじかいに
 いつまでわたしがつたなら

 凝乎じいつと、ふゆなかよこたへられたわたしからだなかで、やはらかなあたゝかさにつゝまれながら、なんといふものさびしいこゑをたてゝわたしのこゝろのうたことだらう!一寸ちよつとでも身動みうごきをしたらそのこゑはすぐにえよう、まばたきをしてさえもそのこゑえる。

 うま背中せなかくらおいて
 淺間あさまけむりおほぎつゝ
 ふもとをめぐりますらむ……

 ふる草津くさつかくれて、冬籠ふゆごもにも、遙々はる/″\高原かうげんゆきけて、うらゝかなつてゐる。
つてゐる……。」
 さうしみ/″\おもつたときに、なみだらしいものがあたゝかくわたしひとみをうるほしてゐた。
    ○
 みじかいのちではあつた。それはふゆさだめられた運命うんめいである。内端うちは女心をんなごゝろくにもかれずこほつてしまつたのきしづくは、日光につくわう宿やどしたまゝにちひさな氷柱つらゝ[#ルビの「つらゝ」は底本では「つゝらい」]となつて、あたゝかな言葉ことばさへかけられたらいまにもこぼれちさうに、かけひなか凝視みつめてゐる。
 夕暮ゆふぐれともさむさはいそいでかへつてた。雨戸あまどをさすもなく、いままでとほくのはやしなかきこえてゐたかぜおとは、巨人きよじんの一あふりのやうにわれにもないはやさでかけて、そのいきほひのなかやまゆきを一んでしまつた。そのおとづれにすつかりさました地上ちじやうゆきは、あふられ/\てかぜなかにさら/\とあがり、くる/\とかれてはさあつとひといへ雨戸あまど屋根やねことまかしてゐる。その風雪ふうせつの一にぎりのつぶては、時々とき/″\のやうな欄間らんますき戸障子としやうじなかぬすつて、えぬつめたいものをハラ/\とわたし寢顏ねがほにふりかけてゆく。寢息ねいきもやがて夜着よぎえりしろ花咲はなさくであらう、これが草津くさつつねよるなのである。けれどもれては何物なにものなつかしい、吹雪ふゞきよ、遠慮ゑんりよなくわたしかほでゝゆけ!

(三)


 クリスマスの裝飾さうしよくもちゐた寄生木やどりぎおほきなくすだまのやうなえだが、ランプのひかり枝葉えだはかげせて天井てんじやうつるされてゐる。よるいろにそのみどりくろずみ、可愛かあいらしい珊瑚珠さんごじゆのやうなあかねむたげではあるけれど、荒涼くわうりやうたるふゆけるゆゐ一のいろどりが、自然しぜんからこの部屋へやうつされて、毎日まいにちどれだけわたしなぐさめることであらう。しかしあのあか水々みづ/″\したは、ながい/\野山のやまゆきえるまでのあひだを、かみ小鳥達ことりたち糧食りやうしよくにとそなへられたものではないかとおもふと、痛々いた/\しくなたれたひとつみおそろしい。そのときあのあかちひさながどんなにほろ/\とゆきうへにこぼれたことであつたらう!
 んでゐるむねには、どんな些細ささいふるえもつたはりひゞく。そして凝視みつめれば凝視みつめほどなんといふすべてがわたししたはしくなつかしまれることであらう。火鉢ひばちあかいのも、鐵瓶てつびんやさしいひゞきに湯氣ゆげてゝゐるのも、ふともたげてみた夜着よぎうらはなはだしく色褪いろあせてゐるのも、すべてがみなわたしむかつてきてゐる――このとし、このつきこのよる――すべてがわたしにそれでいゝ!おゝ、そとにはますます吹雪ふゞきれることよ。
「あれが人世じんせいなのだ!」
「そして室内こゝは?」
「これもやつぱり!」
 わたし戸外そとみゝそばだて、それからすこくびをもたげてしづかな部屋へやなか見廻みまはしながら、自問自答じもんじたふをした。
    ○
 ぽかりといたら、あさかまへたやうに硝子ガラスそとからわたしのぞいてゐた。ゆめうつゝさかひごろに、ちかくで一ぱつ獵銃れふじうおとひゞいたやうだつけ、そのひゞきで一そうあたりがしづかにされたやうなあさである。
 やまくづして、それに引添ひきそふやうにてられたこのいへの二かいからは、丁度ちやうどせまらぬ程度ていどにその斜面しやめんそらの一とが、仰臥ぎやうぐわしてゐるわたしはいつてる。ゆきおほはれたそのくづしの斜面しやめんに、けもの足跡あしあとが、二筋ふたすぢについてゐるのは、いぬなにかゞりたのであらう、それとも、雪崩なだれになつてころりてかたまりのはしつたあとでもあらうかと、そんなことわたしおもふともなくおもつてゐた。
 そらあをかつた。それはきつ風雪ふうせつれた翌朝よくてうがいつもさうであるやうに、なにぬぐはれてきよあをかつた。混沌こんとんとしてくるつたゆきのあとのはれ空位そらぐらひまたなくうるはしいものはない。にはひかりがあり反射はんしやがあり、そらにはいろうるほひとがある。空氣くうきんで/\すみつて、どんな科學者くわがくしやにもそれが其處そこにあるといふことを一わすれさせるであらう。
 そのうつくしいそらうばはれてゐたを、ふと一ぽん小松こまつうへすと、わたし不思議ふしぎなものでも見付みつけたやうに、しばらくそれにらした。その小松こまつは、何處どこからかひかりけてるらしく、丁度ちやうどぎんモールでかざられたクリスマスツリーのやうに、枝々えだ/\光榮くわうえいにみちてぐるりにかゞやいてゐた。
朝日あさひたのらしい。」
 さうおもつてわたしはまだ自分じぶんにはかくされてゐる太陽たいやう笑顏ゑがほ想像さうざうなかさがもとめた。けれどもわたしはそれをさうながつにはおよばなかつた。小松こまつ刻々こく/\かゞやきをしてつた。そして、いままでその背景はいけいをなしてゐたそらは、そのあをさは、刻々こく/\ひかりうみしつゝあつた。
 まぶしいものが一せん硝子ガラスとほしてわたしつた。そして一しゆんのち小松こまつえだはもうかつた。それはひかりなかひかかゞや斑點はんてんであつた。太陽たいやうが、朝日あさひが、かれみづからが、やまそらとをかぎつたゆきせんに、そのかゞやおもてあらはしかけてゐた。ひかり直線ちよくせんをなしてその半圓はんゑん周圍しうゐつた。かれようとおもへばわたしをつぶらなければならなかつた。そのために幾度いくたびまぶたぢ/\した。なみだおもむろにあふれでゝもう直視ちよくししようとはしない眼瞼まぶたひかり宿やどしてまつてゐた。
 それは太陽たいやう強烈きやうれつ光線くわうせんわたしひとみつたからではなかつた。反對はんたいに、ひかりやはらかにわたしむねつたのである……。
「……いゝ、それでいゝのだ、たとひわたし明日あしたぬとしても!一しやうをかけて目指めざしてわたし仕事しごとすこしもまだがつけられなかつたとて、たとひ手紙てがみきかけてあつたとて、いととほしたはりがまだ半襟はんえりからかれないであつたとて、それでんだとて、それでいゝのだ! いつわたしがこのからされたつて、あのひかりすこしもかはりなくる。それと同樣どうやうに、いつまでわたしがこのやくたなくきてゐても、やつぱりかはりなくあのひかりる!」
 あゝ、おてんとうさま!
 わたしあがつて、をりからはこばれて金盥かなだらひのあたゝな湯氣ゆげなかに、くさからゆるちたやうななみだしづかにおとしたのであつた。
(一九一九、一月)





底本:「讀賣新聞」讀賣新聞社
   1919(大正8)年2月6日、7日、9日
※底本で「…」は3点ではなく4点になっています。
※「得ず」「襟」「枝」「枝葉」「枝々」「光榮」「枝」「半襟」のルビに使われていた、「江」を字母とする変体仮名は、普通仮名にあらためました。
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
2011年1月23日作成
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