一
悪夢よ、私の安息を乱さないでくれ。
闇の力よ、私を悩まさないでくれ。
印度という国が英国よりも優越している二、三の点のうちで、非常に顔が広くなるということも、その一つである。いやしくも男子である以上、印度のある地方に五年間公務に就いていれば、直接または間接に二、三百人の印度人の文官と、十一、二の中隊や連隊全部の人たちと、いろいろの在野人士の千五百人ぐらいには知られるし、さらに十年間のうちには彼の顔は二倍以上の人たちに知られ、二十年ごろになると印度帝国内の英国人のほとんど全部を知るか、あるいは少なくとも彼らについてなんらかを知るようになり、そうして、どこへ行ってもホテル代を払わずに旅行が出来るようになるであろう。闇の力よ、私を悩まさないでくれ。
今から約十五年ほど前に、カマルザのリッケットという男がクマーオンのポルダー家に滞在したことがあったが、ほんの二晩ばかり厄介になるつもりでいたところ、リューマチ性の熱が
ドクトル・ヘザーレッグは普通の開業医であるが、内職に自分の
ヘザーレッグは今まで印度へ来ていたうちでは一番上手な医者ではあるが、彼が患者への指図といえば、「気を鎮めて横になっていなさい」「ゆっくりお歩きなさい」「頭を冷やしなさい」の三つにきまっている。彼にいわせれば、多くの人間はこの世の生存に必要以上の仕事をするから死ぬのだそうである。彼は三年ほど以前に自分が治療したパンセイという患者も、過激な仕事のために生命を失ったのだと主張している。むろん、彼は医者としてそういうふうに断定し得る権利を持っているので、パンセイの頭には
「パンセイは故国を長くはなれていたのが原因で死んだのだ」と、彼は言っている。「彼がケイス・ウェッシントン夫人に対して悪人のような振舞いをしようがしまいが、そんなことはどちらでもかまわない。ただ私の注意すべきところは、カタブンデイ植民地の事業がすっかり彼を疲らせてしまった事と、彼が女からきた色じかけのくだらない手紙のことをくよくよしたり、嬉しがったりしたということである。彼はちゃんとマンネリング嬢と婚約が整っていたのに、彼女はそれを破談にしてしまった。そこで、彼は
私にはヘザーレッグのこの解釈は信じられない。私はいつもヘザーレッグが往診に呼ばれて外出する時には、よくパンセイのそばに坐っていてやったが、ある時わたしはもう少しで叫び声を立てようとしたことがあった。それから彼は、低いけれども
執筆中に彼は非常に激昂していた。そうして、彼の
私の医者はわたしに休養、転地の必要があると言っている。ところが、私には間もなくこの二つながらを実行することが出来るであろう。――
死刑囚が絞首台にのぼる前に
この物語を知っているものは、私の医者と私の二人である。しかも私の医者は、わたしの頭や消化力や視力が病いに
三年前に長い
こんなことは、自分に多少なりとも虚栄心がある間は白状の出来ることではないのであるが、今の私にはそんなものはちっともない。さて、こうした恋愛の場合には、一人があたえ、他の一人が受けいれるというのが常である。ところが、われわれの前兆の悪い馴れそめの第一日から、私はアグネスという女は非常な情熱家で、男まさりで――まあ、しいて言うなら――私よりも純な感情を持っているのを知った。したがってその当時、彼女がわれわれの恋愛をどう思っていたか知らないが、その後、それは二人にとって実に
その年の春にボンベイに着くと、私たちは別れわかれになった。それから二、三ヵ月はまったく逢わなかったが、わたしの賜暇と彼女の愛とがまたもや二人をシムラに
一八八二年の八月に、彼女はわたし自身の口から、もう彼女の顔を見るのも、彼女と交際するのも、彼女の声を聞くのさえも
「ねえ、ジャック」と、彼女はまるで永遠に繰り返しでもするように、馬鹿みたような声を立てるのであった。「きっとこれは思い違いです。……まったく思い違いです。わたしたちはまたいつか仲のいいお友達になるでしょう。どうぞ私を忘れないでください。わたしのジャック……」
わたしは犯罪者であった。そうして、私はそれを自分でも知っていたので、身から出た
あくる年わたしは再びシムラで逢った。――彼女は単調な顔をして、臆病そうに仲直りをしようとしたが、私はもう見るのも
わたしが注意して観察したら、彼女はこの希望だけで生きていることに気がついたかもしれなかった。彼女は月を経るにつれて血色が悪く、だんだんに痩せていった。少なくとも諸君と私とは、こういった振舞いはよけいに断念させるという点において同感であろうと思う。実際、彼女のすることはさし出がましく、
去年また私たちは逢った。――前の年と同じ時期である。そうして、前年とおなじように彼女は飽きあきするような歎願をくりかえし、私もまた例のごとくに
シーズンが終わると、私たちは別れた。――言いかえれば、彼女はもうとても私と逢うことは出来ないと
――可愛いキッティ・マンネリングのご機嫌とり、わたしの希望、疑惑、恐怖、キッティと二人での遠乗り、身をおののかせながらの恋の告白、彼女の返事、それから時どきに黒と白の
わたしはキッティ・マンネリングを愛していた。実に心から彼女を愛していた。そうして、私が彼女を愛すれば愛するほど、アグネスに対する嫌厭の念はいよいよ増していった。八月にキッティと私とは婚約を結んだ。その次の日に、私はジャッコのうしろで呪うべき饒舌家の苦力らに逢った時、ちょっとした一時的の憐憫の情に駆られて、ウェッシントン夫人にすべてのことを打ち明けるのをやめてしまったが、彼女はわたしの婚約のことをすでに知っていた。
「ねえ、あなたは婚約をなすったそうですね、ジャック」と言ってから、彼女は息もつかずに、「何もかも思い違いです。まったく思い違いです。いつか私たちはまた元のように仲よしのお友達になるでしょう。ねえ、ジャック」と言った。
わたしの返事は男子すらも畏縮させたに違いなかった。それは
「どうぞ私を忘れないでください。ね、ジャック。わたしはあなたを怒らせるつもりではなかったのです。しかし本当に怒らせてしまったのね、本当に……」
そう言ったかと思うと、ウェッシントン夫人はまったく倒れてしまった。わたしは彼女を心静かに家に帰らせるために、そのまま顔をそむけて立ち去ったが、すぐに自分は言い知れぬ下品な卑劣漢であったことを感じた。私はあとを振り返ると、彼女が人力車を引き返さしているのを見た。
そのときの情景と周囲のありさまは私の記憶に焼き付けられてしまった。雨に洗いきよめられた大空(あたかも雨期の終わるころであったので)、濡れて黒ずんだ松、ぬかるみの道、火薬で削り取ったどす黒い崖、こういったものが一つの陰鬱な背景を形づくって、その前に苦力らの黒と白の法被や黄いろい鏡板のついたウェッシントン夫人の人力車と、その内でうなだれている彼女の金髪とがくっきりと浮き出していた。彼女は左手にハンカチーフを持って、人力車の蒲団にもたれながら失神したようになっていた。わたしは自分の馬をサンジョリー貯水場のほとりの抜け道へ向けると、文字通りに馬を飛ばした。
「ジャック!」と、彼女が
一週間ののちに、ウェッシントン夫人は死んだ。
二
夫人が死んだので、彼女が存在しているという一種の重荷がわたしの一生から取り除かれた。わたしは非常な幸福感に胸をおどらせながらプレンスワードへ行って、そこで三ヵ月間をおくっているうちに、ウェッシントン夫人のことなどは全然忘れ去った。ただ時どきに彼女の古い手紙を発見して、私たちの過去の関係が自分の頭に浮かんでくるのが不愉快であった。正月のうちにわたしは
その年、すなわち一八八五年の四月の初めには、私はシムラにいた。――ほとんど人のいないシムラで、もう一度キッティと深い恋を語り、また、そぞろ歩きなどをした。私たちは六月の終わりに結婚することに決まっていた。したがって、当時印度における一番の果報者であると自ら公言している際、しかも私のようにキッティを愛している場合、あまり多く口がきけなかったということは、諸君にも
それから十四日間というものは、毎日まいにち
この点をどうか頭においてもらいたいのだが――たとい医者がどんなに反対なことを言おうとも――その当時のわたしは全くの健康状態であって、均衡を失わない理性と絶対に冷静な心とを持っていた。キッティと私とは一緒にハミルトンの店へはいって、店員がにやにや笑っているのもかまわず、自分でキッティの指の太さを計ってしまった。指環はサファイヤにダイヤが二つはいっていた。わたしたちはそれからコムバーメア橋とペリティの店へゆく坂道を馬に乗って降りて行った。
あらい
そのとき、たちまちにペリティの店の向う側を黒と白の
それにしても、彼女はもう死んでしまって、用は済んでいるはずである。なにも黒と白の法被を着た苦力をつれて、白昼の幸福を妨げにこなくてもいいわけではないか。それで私は、まずあの苦力らの雇いぬしが誰であろうと、その人に訴えて、彼女の苦力の着ていた法被を取り替えるように懇願してみようと思った。あるいはまた、わたし自身がかの苦力を雇い入れて、もし必要ならばかれらの法被を買い取ろうと思った。とにかくに、この苦力らの風采がどんなに好ましからぬ記憶の流れを
「キッティ」と、私は叫んだ。「あすこに死んだウェッシントン夫人の苦力がやって来ましたよ。いったい、今の雇いぬしは誰なんでしょうね」
キッティは前のシーズンにウェッシントン夫人とちょっと逢ったことがあって、蒼ざめている彼女については常に好奇心を持っていた。
「なんですって……。どこに……」と、キッティは訊いた。「わたしにはどこにもそんな苦力は見えませんわ」
彼女がこう言った
「どうしたというんです」と、キッティは叫んだ、「何をつまらないことを
強情なキッティはその優美な小さい頭を空中に飛び上がらせながら、音楽堂の方向へ馬を駈けさせた。あとで彼女自身も言っていたが、馬を駈けさせながらも、私があとからついて来るものだとばかり思っていたそうである。ところが、どうしたというのであろう。私はついてゆかなかった。私はまるで気違いか酔っ払いのようになっていたのか、あるいはシムラに悪魔が現われたのか、わたしは自分の馬の手綱を引き締めて、ぐるりと向きを変えると、例の人力車もやはり向きを変えて、コムバーメア橋の左側の欄干に近いところで私のすぐ目の前に立ちふさがった。
「ジャック。私の愛するジャック!」(その時の言葉はたしかにこうであった。それらの言葉は、わたしの耳のそばで呶鳴り立てられたように、わたしの頭に鳴りひびいた。)「何か思い違いしているのです。まったくそうです。どうぞ私を
人力車の
どのくらいの間、わたしは身動きもしないでじいっと見つめていたか、自分にも分からなかったが、しまいに馬丁が私の馬の手綱をつかんで、病気ではないかと
店の内には二組か三組の客がカフェーのテーブルをかこんで、その日の出来事を論じていた。この場合、かれらの愚にもつかない話のほうが、私には宗教の
それから私は、十分間ぐらいも雑談していたに相違なかったが、そのときの私には、その十分間ほどが実に限りもなく長いように思われた。そのうちに、外でわたしを呼んでいるキッティの声がはっきりと聞こえたかと思うと、つづいて彼女が店のなかへはいって来て、わたしが婚約者としての義務をはなはだ怠っているということを婉曲に詰問しようとした。私の目の前には何か
「まあ、ジャック」と、キッティは呶鳴った。「何をしていたんです。どうしたんです。あなたはご病気ですか」
こうなると、嘘を教えられたようなもので、きょうの日光がわたしには少し強過ぎたと答えたが、あいにく今は四月の
自分の部屋に腰をおろして私は、冷静にこの出来事を考えようとした。ここに私という人間がある。それはテオパルド・ジャック・パンセイという男で、一八八五年度の教養のあるベンガル州の文官で、自分では心身ともに健全だと思っている。その私が、しかも婚約者のかたわらで、八ヵ月以前に死んで葬られた一婦人の幻影に悩まされたというのは、実に私としては考え得べからざる事実であった。キッティと私とがハミルトンの店を出たときには、わたしはウェッシントン夫人のことを何事も考えていなかった。ペリティの店の向う側には見渡すかぎり塀があるばかりで、きわめて平平凡凡な場所であった。おまけに白昼で、道には往来の人がいっぱいであった。しかも、そこには常識と自然律とに全然反対に、墓から出た一つの顔が現われたのであった。
キッティのアラビア馬がその人力車を突きぬけて行ってしまったので、誰かウェッシントン夫人に生き写しの婦人が、その人力車と、黒と白の法被を着た苦力を雇ったのであってくれればいいがと思った最初の希望は
「人力車の幻影などは、人間に怪談的錯覚性があることを説明するに過ぎない。男や女の幽霊を見るということはあり得るかもしれないが、人力車や苦力の幽霊を見るなどという、そんなばかばかしいことがあってたまるものか。まあ、丘に住む人間の幽霊とでもいうのだろう」
次の朝、わたしはきのう午後における自分の常軌を逸した行為を
彼女はしきりにジャッコのまわりを馬で廻りたいと言ったが、私はゆうべ以来まだぼんやりしている頭で、それに弱く反対して、オブザーバトリーの丘か、ジュトーか、ボイルローグング街道を行こうと言い出すと、それがまたキッティの怒りに触れてしまったので、私はこの以上の誤解を招いては大変だと思って、その言うがままにショタ・シムラの方角へむかった。
私たちは道の大部分を歩いて、それから尼寺の下の一マイルばかりは馬をゆるく走らせて、サンジョリー貯水場のほとりの平坦なひとすじ道に出るのが習慣になっていた。ややもすれば
平地の中央で、男の人たちが婦人の一マイル競走に応援している声が、なんとなく恐ろしい事件が待ち構えているように感じさせた。人力車は一台も見えなかった。――と思うとたんに、八ヵ月と二週間以前に見たものとまったく同一の黒と白の法被を着た四人の苦力と、黄いろい鏡板の人力車と、金髪の女の頭が現われた。その一瞬間、わたしはキッティも私と同じものを見たに相違ないと思った。――なぜならば、私たちは不思議にもすべてのことに共鳴していたからである。しかし、彼女の次の言葉で私はほっとした。
「誰もいないわね。さあ、ジャック。貯水場の建物のところまで二人で競走しましょう」
彼女の
私はまるで物に
それまでの私は口から出まかせにしゃべっていたが、その後は自分の命を失わないようにするために、私はしゃべることが出来なくなったのである。私はサンジョリーから帰って、それからお寺へ運ばれるまで、なるべく口をとじてしまうようになった。
三
その晩、私はマンネリング家で食事をする約束をしたが、ぐずぐずしているとホテルへ帰って着物を着かえる時間がないので、エリイシウムの丘への道を馬上で急いでいると、闇のうちに二人の男が話し合ってゆくのを耳にした。
「まったく不思議なこともあるものだな」と、一人が言った。
「どうしてあの車の走った跡がみんな無くなってしまったのだろう。君も知っている通り、うちの女房はばかばかしいほどにあの女が好きだったのだ。(僕にはどこがいいのかわからなかったがね。)それだもんだから、どうしてもあの女の古い人力車と苦力とを手に入れたいと
私はこの男の最後の言葉を大きい声で笑ったが、その笑い声に自分でぞっとした。それではやはり人力車の幽霊や、幽霊が幽霊を雇い入れるなどという事があるのであろうか。ウェッシントン夫人は苦力らにいくらの賃金を払うのであろうか。かれら苦力は何時間働くのであろうか。そうして、かれら苦力はどこへ行ったのであろうか。
すると、私のこの最後の疑問に対する明白なる答えとして、まだ
「気違いだ。可哀そうに……。それとも酔っているのかもしれない。マックス、その人を
それはたしかに、ウェッシントン夫人の声ではなかった。
私がひとりで喋べっているのを立ち聴きしていた先刻の二人の男が、私を介抱しようとして戻って来た。かれらは非常に親切で、思いやりがあった。かれらの言葉から察すると、私がひどく酔っているのだと思っているらしかった。私はあわててかれらに礼を言って、馬を走らせてホテルに帰って、大急ぎで衣服を改めて、マンネリング家へ行ったときは約束の時間よりも五分遅れていた。わたしは闇夜であったからというのを口実にして弁解したが、キッティに恋びとらしくない遅刻を反駁されながら、とにもかくにも食卓に着いた。
食卓ではすでに会話に花が咲いていたので、わたしは彼女のご機嫌を取り戻そうとして、気のきいた
食卓はずいぶん長い間かかって終わった。わたしは全く名残り惜しいような心持ちでキッティに別れを告げた。――たぶん、また戸の外には幽霊が私の出て来るのを待っているのだろうと思いながら。――例の赤鬚の男(シムラのヘザーレッグ先生として私に紹介された)が途中までご一緒に参りましょうと言い出したので、私も喜んでその申しいでを受けた。
わたしの予感は誤まらなかった。幽霊はもう樹蔭の路に待ち受けていた。しかも、私たちの行く手を悪魔的に冷笑しているように、
「ねえ、パンセイ君。エリイシウムの道で何か変わった事でもあったのですかね」
この質問があまり
「あれです」と言って、わたしは灯の方を指さした。
「私の知るところによれば、化け物などというものはまず酔っ払いの
非常にありがたいことには、例の人力車が私たちを待ち構えてはいたけれども、二十ヤードほどもさきにいてくれた。――そうしてまた、この距離は私たちが歩こうが、またゆるく駈けさせようが、いつでも正しく保たれていた。そこでその夜、長いあいだ馬に乗りながら、私はいま諸君に書き残しているとほぼ同じようなことを彼にも話した。
「なるほど、あなたは私が今までみんなに話していた得意の話のうちの一つを、台なしにしておしまいなすった」と、彼は言った。「しかしまあ、あなたが経験してこられたことに免じて勘弁してあげましょう。その代りに、わたしの家へ来てくだすって、私の言う通りになさらなければいけませんよ。そうして、私があなたをすっかり癒してあげたら、もうこれに
人力車は執念ぶかく、まだ前のほうにいた。そうして、私の赤鬚の友達は、幽霊のいる場所を精密にわたしから聞いて、非常に興味を感じたらしかった。
「錯覚……。ねえ、パンセイ君。……それは要するに眼と脳髄と、それから胃袋、特に胃袋からくるのですよ。あなたは非常に想像力の発達した頭脳を持っている割に、胃袋があまりに小さすぎるのです。それで、非常に不健康な眼、つまり視覚上の錯覚を生ずるのですよ。あなたの胃を丈夫になさい。そうすれば、自然に精神も安まります。それにはフランスの治療法によって肝臓の丸薬がよろしい。あなたは今日から私に治療を一任させていただきたい。なにしろあなたは、つまらない一つの現象のために、あまりに奪われ過ぎていますからな」
ちょうどその時、私たちはブレッシングトンの坂下の木蔭を進んで行った。
人力車は
「さあ、胃と脳と眼から来る錯覚患者のためにも、こんな山の
私たちの行く手に耳をつんざくような爆音がしたかと思うと、一寸さきも見えないほどの砂煙りがぱっと立った。
「ねえ、もし僕たちがもう少し前へ進んでいたらば、今ごろは生き埋めになっていたでしょう。まだ神様に見捨てられなかったのですな。さあ、パンセイ君。
私たちは引っ返して教会橋を渡って、真夜中の少し過ぎたころに、ドクトル・ヘザーレッグの家に着いた。
それからほとんどすぐに、彼はわたしの治療に取りかかって、一週間というものは私から離れなかった。そのあいだ幾たびか私はシムラの親切な名医と近づきになった自分の幸運に感謝したのであった。日増しに私のこころは軽く、落ちついてきた。そうしてまた、だんだんにヘザーレッグのいわゆる胃と頭脳と眼から来るという「妖怪的幻影」の学説に共鳴していった。私は落馬してちょっとした挫傷をしたために四、五日は外出することも出来ないが、あなたが私に逢えないのを寂しく思う前には全快するであろうというような手紙を書いて、キッティに送っておいた。
ヘザーレッグ先生の治療は、はなはだ簡単であった。肝臓の丸薬、朝夕の冷水浴と猛烈な体操、それが彼の治療法であった。――もっとも、この朝夕の冷水浴と体操は散歩の代りで、彼は慎重な態度で私にむかって、「挫傷した人間が一日に十二マイルも歩いているところを婚約の婦人に見られたら、びっくりしますからな」と言っていた。
一週間の終わりに、瞳孔や脈搏を調べたり、摂食や歩行のことを厳格に注意された上で、ヘザーレッグは私を引き取った時のように、むぞうさに退院させてくれた。別れに臨んで、彼はこう祝福してくれた。
「ねえ、私はあなたの神経を
私は彼の親切に対してお礼を言おうとしたが、彼はわたしをさえぎった。
「あなたが好きだから、わたしが治療してあげたなどと思わないでください。私の推察するところによると、あなたはまったく無頼漢のような行為をしてきなすった。が、同時にあなたは一風変わった無頼漢であるごとく、一風変わった非凡な人です。さあ、もうお帰りになってもよろしい。そうして、眼と頭と胃から来る錯覚がまた起こるかどうか。見ていてごらんなさい。もし錯覚が起こったら、そのたびごとに十万ルピーをあなたに差し上げましょう」
三十分の後には、私はマンネリング家の応接間でキッティと対座していた。――現在の幸福感と、もう二度と再び幽霊などに襲われないで済むという安心に酔いながら。――私はこの新しい確信にみずから興奮してしまって、すぐに馬に乗ってジャッコをひと廻りしないかと申し出たのであった。
四月三十日の午後、私はその時ほど血気と単なる動物的精力とを身内に溢るるように感じたことはかつてなかった。キッティはわたしの様子が変わって快活になったのを喜んで、
私はサンジョリー貯水場に行って、自分はもう幽霊に襲われないという自信をたしかめるために馬を急がせた。私たちの馬はよく走ったにもかかわらず、わたしの
「どうしたの、ジャック」と、とうとう彼女は叫んだ。「まるでだだっ
ちょうど私たちが尼寺の下へ来た時、わたしの馬が路から
「なんでもありませんよ」と、私は答えた。「ただこれだけのことです。あなただって一週間も家にいたままでなんにもしなかったら、私のようにこんなに乱暴になりますよ」
上上の機嫌で囁 き、歌い、
生きている身を楽しまん。
造化 の神よ、現世の神よ、
五官を統 る神様よ。
まだ私の歌い終わらないうちに、私たちは尼寺の上の角をまわって、さらに三、四ヤード行くと、サンジョリーが眼の前に見えた。平坦な道のまん中に黒と白の法被と、ウェッシントン夫人の乗っている黄いろい鏡板の人力車が立ちふさがっているではないか。私は思わず手綱を引いて、眼をこすって、じっと見つめて、たしかに幽霊に相違ないと思ったが、それからさきは覚えない。ただ道の上に顔を伏せて倒れている自分のそばに、キッティが涙を流しながらひざまずいているのに気がついただけであった。生きている身を楽しまん。
五官を
「もう行ってしまいましたか」と、わたしは
キッティはますます泣くばかりであった。
「行ってしまったとは……。何がです……。ジャック、いったいどうしたの。何か思い違いをしているんじゃないの。ジャック、まったく思い違いよ」
彼女の最後の言葉を耳にすると、私はぎょっとして立ち上がった。――気が狂って――しばらくのあいだ
「そうです、何かの思い違いです」と、私はくりかえした。「まったく思い違いです。さあ、幽霊を見に行きましょう」
私はキッティの腰を抱えるようにして、幽霊の立っている所まで彼女を引っ張って行って、どうか幽霊に話しかけさせてくれと哀願した。
それから、自分たち二人は婚約の間柄であるから、死んで地獄でも二人のあいだの
「どうもありがとう、パンセイさん」と、キッティは言った。「もうたくさんです。わたしの馬を連れておいで」
東洋人らしい落ちついた馬丁が、勝手に走って行った馬を連れ戻して来ると、キッティは
その別れの言葉――私は今もって書くに忍びない。私はいろいろに判断した結果、彼女は何もかも知ってしまったということが一番正しい解釈であると思った。わたしは人力車のほうへよろめきながら行った。私の顔にはキッティの鞭の跡がなまなましく紫色になって血が流れていた。私はもう自尊心も何もなくなってしまった。ちょうどその時、多分キッティと私のあとを遠くからついて来たのであろう、ヘザーレッグが馬を飛ばして来た。
「先生」と、私は自分の顔を指さしながら言った。「ここにマンネリング嬢からの破談通知の
ヘザーレッグ先生の顔を見ると、こうした
「わたしは医者としての名誉に賭けても……」
「冗談ですよ」と、わたしは言った。「それよりも、私は一生の幸福を失ってしまったのですから、私を家へ連れて行ってください」
私がこんなことを話している間に、例の人力車は消えてしまった。それから私はまったく意識を失って、ただ、ジャッコの峰がふくれあがって雲の峰のように渦を巻いて、わたしの上に落ちてきたような気がしていた。
四
それから一週間の
「キッティさんから返してきたあなたの手紙がここにあります。さすがに若い人だけに、あなたもだいぶ文通をしたものですね。それからここに指環らしい包みがあります。それにマンネリングのお父さんからの丁寧な手紙がつけてありましたが、それは私の
「で、キッティは……」と、私は
「いや、その手紙は彼女のお父さんの名にはなっていましたが、むしろ彼女の言っている言葉でしたよ。その手紙によると、あなたは彼女と恋に
わたしは
「さて、あなたはもう物を選択する力を回収していますね。ようござんすか。この婚約は破られるべき性質のものであり、また、この上にマンネリング家の人びともあなたを苛酷な目に逢わせようとは思っていません。ところで、いったいこの婚約は単なる囈語のために破られたのでしょうか、それとも
そこで、この五分間――今でも私はこの世ながらの地獄のどん底をさぐり廻っていたような気がする。同時に、疑惑と不幸と絶望との
「この地方の人間はばかばかしく道徳観念が強い。それだから彼らに発作をあたえよ、ヘザーレッグ、それからおれの愛をあたえてくれ。さて、おれはもう少し寝なくっちゃならない」
それから二つの自己がまた一つになると、過ぎ去った日の事どもをだんだんにたどりながら、ベッドの上で
「しかしおれはシムラにいるのだ」と、私はくりかえして自分に言った。「ジャック・パンセイというおれは、今シムラにいる。しかもここには幽霊はいないではないか。あの女がここにいるふうをしているのは不合理のことだ。何ゆえにウェッシントン夫人はおれを独りにしておくことが出来なかったのか。おれは別にあの女に対してなんの危害を加えたこともないのだ。その点においてはあの女も同じことではないか。ただ、おれはあの女を殺す目的で、あの女の手に帰って行かなかっただけのことだ。なぜおれは独りでいられないか。……独りで、幸福に……」
私が初めて目をさました時は、あたかも正午であったが、私が再び眠りかかった時分には太陽が西に傾いていた。それから犯罪者が牢獄の
翌日もわたしはベッドを離れることが出来なかった。その朝、ヘザーレッグは私にむかって、マンネリング氏からの返事が来たことや、彼(ヘザーレッグ)の友情的
「そうして、この同情はむしろあなたが当然受くべきものであった」と、彼は愉快そうに結論をくだした。「それに、あなたが人世の
私はもう癒ったような気がした。
「あなたはいつも親切にしてくださいますね、先生」と、私は言った。「しかし、もうこの上あなたにご心配をかける必要はないと思います」
こうは言ったものの、わたしの心のうちでは、ヘザーレッグの治療などで、私のこころの重荷を軽くすることが出来るものかと思っていた。
こう考えてくると、また私の心には、理不尽な幽霊に対してなんとなく反抗の出来ないような、頼りない、さびしい感じが起こってきた。この世の中には、自分のしたことに対する罰として死の運命を宣告された私よりも、もっと不幸な人間が少しはいるであろうから、そういう人たちと一緒ならばまだ気が強いが、たった独りでこんなに残酷な運命のもとにいるのはあまりに無慈悲だと思った。結局、あの人力車と私だけが虚無の世界における単一の存在物で、マンネリングやヘザーレッグや、その他わたしが知っているすべての人間こそみんな幽霊であって、空虚な影、まぼろしの人力車以外の大きな灰色の地獄それ自身(この世の人間ども)が私を苦しめているのだ、というような考えに変わっていった。
こうして
五月十五日の午前十一時に、私はヘザーレッグの家を立ち去って、独身者の本能からすぐに倶楽部へ行った。そこではヘザーレッグが言ったように、誰も彼もわたしの話を知っていて、妙に取ってつけたように気味の悪いほど親切で、
私は倶楽部で昼飯を食って、四時頃にぶらりと外へ出ると、キッティに逢えはしないかという漠然とした希望をいだきながら木蔭の路へ降りていった。音楽堂の近くで、黒と白の法被がわたしのそばに来るなと思う間もなく、ウェッシントン夫人のいつもの歎願の声が耳のそばに聞こえた。実は外へ出た時からすでに予期していたので、むしろその出現が遅いのに驚いたくらいであった。それからまぼろしの人力車と私とはショタ・シムラの道に沿って、摺れすれに肩を並べながら黙って歩いて行った。物品陳列館の近所で、キッティが一人の男と馬を並べながら私たちを追い越した。彼女はまるで路ばたの犬でも見るような眼で、私を見返っていった。ちょうど夕方ではあり、雨さえ降っていたので、私がわからなかったというかもしれないが、彼女は人を追い越してゆくに挨拶さえもしなかった。
こうしてキッティとその連れの男と、私とわたしの無形の愛の光りとは、ふた組になってジャッコの周囲を徐行した。道は雨水で川のようになっている。松からは
「おれは
それから倶楽部で耳にしたきょうの出来事の二、三、たとえばなにがしが所有の馬の
もう一度、わたしは疲れた足を引き摺りながら尼寺の坂道を登って、平坦な道へ出た。そこからキッティと例の男とは馬をゆるやかに走らせたので、私はウェッシントン夫人と二人ぎりになった。
「アグネス」と、私は言った。「
幌は音もなく落ちて、わたしは死んで埋められた夫人と顔を突き合わせた。
彼女はわたしが生前に見た着物を着て、右の手にいつもの小さいハンカチーフを持ち、左の手にやはりいつもの名刺入れを持っていた。(ある婦人が八ヵ月前に名刺入れを持って死んだことがあった。)さあ、こうなって来ると、わたしは現在と過去との区別がつきかねたので、また少なくとも自分は気が狂っていないということをたしかめるために、路ばたの石の欄干の上に両手を置いて、掛け算の表をくりかえさなければならなかった。
「アグネス」と、わたしはくりかえした。「どうか私にそのわけを話してください」
ウェッシントン夫人は前かがみになると、いつもの癖で、妙に早く首を
もしもまだ、私の物語はあまりに気違いじみて諸君には信じられないというほどでないというのであったら、私はいま諸君に感謝しなければならない。誰も――私はキッティのために自分の行為のある種の弁明としてこれを書いているのであるが、そのキッティでさえも――私を信じてくれないであろうということを知っているけれども、とにかくに私は自分の物語を進めてゆこう。
ウェッシントン夫人は話し出した。そうして、私は彼女と一緒にサンジョリーの道から印度総督邸の下の曲がり角まで、まるで生きている婦人の人力車と肩をならべて歩いているようにして、夢中に話しながら来てしまった。すると、急に再度の発作が襲ってきたので、テニソンの詩に現われてくる王子のように、わたしは幽霊界をさまよっているような気になった。
総督邸では園遊会を催しているので、私たち二人は帰途につく招待客の群集に巻き込まれてしまった。私にはかれら招待客がみな本物の幽霊に見えてきた。――しかもウェッシントン夫人の人力車をやりすごさせるために、かれらは道をひらいたではないか。
この考えてもぞっとするような会見ちゅうに、私たちが話し合ったことは、私として話すことは出来ないし、また、あえて話したくもない。ヘザーレッグはこれについて、ただちょっと笑ってから、私が胃と脳と眼とから来る幻想に執着しているのだと批評していた。あの人力車の幻影はものすごいとともに、非常に愛すべき(それはちょっと解釈しにくいが)一つの存在であった。かつては私自身が残酷な目に逢わせた上に、捨て殺しにしてしまったウェッシントン夫人を、私はこの世に生きている間にもう一度口説きたくなってきたが、それは出来ないことであろうか。
帰りがけに私はキッティにまた逢った。――彼女もまた幽霊の仲間の一人であった。
もしもこの順序で、次の四日間の出来事をすべて記述しなければならないとしたなら、私のこの物語はいつまでいっても終わるまい。諸君も
そうして、ただその人力車には影がないという以外は、すべての点において木と鉄で出来ている一般の人力車とちっとも変わりがなかった。一度ならず私は、ある乗馬の下手な友達が、その人力車を馬で踏み越えてゆくのを呼び止めようとして、はっと気がついて口をつぐんだことがあった。また、私は木蔭の路をウェッシントン夫人と話しながら歩いていたので、往来の人たちは
わたしが床を離れて外出が出来るようになった一週間前に、ヘザーレッグの発作説が発狂説に変わっていたのを知った。いずれにもせよ、私は自分の生活様式を変えなかった。私は人を訪問した。馬に乗った。以前と同じような心持ちで食事をした。私は今までかつて感知したことのなかったまぼろしの社会というものに対して
人力車の出現は、わたしの心を恐怖と、盲目的畏敬と、漠然たる喜悦と、それから極度の絶望とで交るがわるに埋めた。私はシムラを去るに忍びなかった。しかも私はシムラにいれば、自分が結局殺されるということを百も承知していた。その上に、一日一日と少しずつ弱って死んでゆくのが私の運命であることも知っていた。ただ私は、出来るだけ静かに懺悔をしたいというのが、ただ一つの望みであった。
それから私は人力車の幽霊を求めるとともに、キッティがわたしの後継者――もっと厳密にいえば、わたしの後継者ら――と
八月二十七日――ヘザーレッグは実に根気よく私を看病していた。そうして、きのう私にむかって、病気
私は静かにこのシムラで死を待っていることを彼に告げた。実際もう私の余命は
私は英国の紳士が死ぬときのように、寝床の上に端然として死ぬであろうか。あるいはまた、最後にもう一度木蔭の路を歩いているうちに、私の霊魂がわたしから放れて、あの幽霊のそばで永遠に帰るのであろうか。そうしてあの世へ行って、わたしが遠い昔に失ってしまった純潔さを取り戻すか。あるいはまた、ウェッシントン夫人に出逢って、いやいやながら彼女のそばで永遠に暮らすのであろうか。時というものが終わるまで、私たちの生活の舞台の上をわれわれ二人が
わたしの臨終の日が近づくにしたがって、墓のあなたから来る幽霊に対して、生ける肉体の感ずる心中の恐怖はだんだんに力強くなってくる。諸君の生命の半分を終わらないうちに、死の谷底へ急転直下するのは恐ろしいことである。さらに何千倍も恐ろしいのは、諸君のまんなかにあって、そうした死を待っていることである。なんとなれば、私にはすべての恐怖をみな想像することが出来るからである。少なくとも私の幻想の点についてだけでも、わたしを憐れんでいただきたい。――わたしは諸君が今までに私の書いたことを少しも信じないであろうことを知っているから。――今や一人の男が暗黒の力のために死になんなんとしている。ああ、その男は私である。
公平にまた、ウェッシントン夫人をも憐れんでいただきたい。彼女は実際、永遠に男のために殺されたのである。そうして、彼女を殺したものは私である。わたしの