本はどのように消えてゆくのか

津野海太郎




 はたして紙と活字の本はなくなるのか。
 おそらくなくなるだろう。
 ただし私は、いずれは日本語表記から漢字がなくなるだろう、と本気で考えているような人間でもある。いつか、われわれの書く文章から漢字が一つのこらず消えてなくなる日がやってくる。そのころまでには紙と活字の本だって自然消滅しているにちがいない。
 それまで百年、二百年、いや三百年か。
 いずれにせよ遠いさきの話だ。マルチメディアや光ファイバー・ネットワークによって、あすにも紙と活字の本がなくなるかもしれないといった危機意識の盛りあげ方は、ちょっと古いのではないか。そんなにおどかさないでほしい。
 遠い将来、もし本がなくなるとしたら、それはどのようにしてなくなるのだろう。紙と活字の本はどんな段階をふんで消滅の時をむかえるのか。
 それを考えるには、まず「本とはなにか?」を定義しておく必要がある。いろいろな定義のしかたがあろうが、私としてはまず、本のモノとしての側面に注目したい。私は単純な人間だから単純にいってしまう。私たちのような日本語人間にとっての本とは、まず第一に、

 ※(丸1、1-13-1)明朝体の文字をタテヨコそろえて組み、
 ※(丸2、1-13-2)それを白い紙の上にインクのしみとして定着し、
 ※(丸3、1-13-3)綴じてページづけしたもの。

 を意味する。これらの条件のうちの一つか二つが変化した程度では、本がなくなった、とはいわない。定義上、これらの条件のすべて、つまり本というモノのしくみがまるごと別のものにとってかわられて、はじめて「紙と活字の本は消滅した」ということができる。

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 日本語で読み書きする人間にとって、とわざわざことわったのは、※(丸1、1-13-1)の「明朝体の文字をタテヨコそろえて組む」という条件を重視したいと思ったからだ。
 楷書をお手本にした、タテの線が太くてヨコの線が細い印刷用の書体が明朝体である。それを五十音図のようにタテヨコきちんとそろえて組みあげる。これを桝形組版という。見出し文字や広告コピーの類をのぞけば、私たちのまわりにある印刷物の本文は、基本的には、すべて桝形組版によって印刷するきまりになっている。もちろん、このページもそうなっているはずだ。もしそうなっていないとしたら、この本をつくった編集部はシロウトのあつまりということにされてしまう。それほどにこの組版ルールの規範力はつよいのである。
 桝形組版の習慣は、日本では明治のはじめにできあがった。この国の活版印刷術は中国のそれをお手本にしている。中国は漢字の国だから、目に見えない正方形の枠に合わせてすべての文字がデザインされる。それをまねて、われわれの先人たちは、それぞれに大きさがいちじるしくことなるかな文字をも、同面積の、小さな正方形に押しこめてデザインしなおすことに成功し、そのことによって、かな漢字まじり文のタテ組み印刷が可能になった。なかなか美しい。そして読みやすい。だからこそ桝形組版は、こんにちにいたるまで、これほどつよい規範力を発揮しつづけることができたのである。
 いま私たちは意識の底の底まで明朝体と桝形組版によって条件づけられ、ほかの組版方式が可能だなどとは考えようともしなくなっている。
 しかし、しょせんは明朝体も桝形組版も、特定の時代に、特定のだれか(ひとりではない)が発明した人工物なのである。おまけに本格的に成立してから、まだ百年ほどしかたっていない。とすれば絶対に変わらないと考えるよりは、いずれは変わると考えておいたほうが自然だろう。
 明朝体は決定的かつ最終的なかたちか。
 おそらくそうではない。その証拠に、中国ではもう二十年もまえに明朝体を捨てて、より手書き文字にちかいなだらかな書体や字体(草書体や略字体)を本文印刷にもちいるようになっている。中国人のおおくがその事態を平然と受け入れてきた。日本人だけが「われわれは明朝体以外の書体は絶対に受けつけないぞ」といいはる不動の根拠をもっているとも思えない。現に、つい最近も、
「この国の読書人、印刷人が、なぜ執拗に明朝体の漢字(中略)にこだわるのか、つねずね疑問に思っていた」
 と、篤学の(私などとはちがう)活字研究家、片塩二朗氏が「文字の風景」(『印刷雑誌』一九九五年五月号)という文章で書いていた。くわしくは触れない。ようは、標準的な本文用書体が明朝体しか存在しないこの国の現状は、ちょっとさびしすぎるのではないかというのである。
 タテヨコきちんとそろった枡形組版も、かならずしも絶対的なものではない。
 とくに一九七〇年代以降、写植オフセット印刷がさかんになるにつれて、組版は鉛活字の物理的制約からぬけだし、グラフィック・デザイナーたちのあいだで「詰め貼り」や「詰め打ち」の手法が一般的なものになった。写植文字をハサミやカッターで切りはなし、一つ一つの文字のボリューム(大きさや太さ)に合わせて、字間距離をこまめに詰めたり拡げたりして貼りなおす。それが詰め貼りである。詰め打ちでは、この作業を写植オペレーターが代行する。
 こうした詰め打ちや詰め貼りが活字組版によってやしなわれた私たちの美感にあたえた影響は、意外に大きかったようである。おかげで、タテヨコきちんとそろった桝形組版の支配力がいくぶんか揺らぎはじめたように私には感じられる。いまは広告コピー類にかぎられているが、遠からず、通常の本や雑誌の本文組みにもこの手法が進出してくるにちがいない。すでにパソコン用DTPソフトの世界では、写植の詰め打ちルールをそのまま踏襲して、こまかい詰め組みを自動的に処理できなければ商売にならない状況になっている。
 ただし、いまの段階で、こうしたデジタル組版の結果が十分に美しく読みやすいものになっているかといえば、とてもそうは思えない。疑うひとは、たとえば井伏鱒二の短編小説を手持ちのDTPソフトで何通りかに詰め組みしてみよ。ついでにそれをヨコ組みで印刷してみよ。私はやってみた。とうてい読めたものではなかった。
 本文印刷となると、これまでのようなデザイナー主導の、読みやすさよりも見た目を重視する詰め打ちルールによってでは処理しきれない問題がいくらもでてくる。なぜか。写植詰め打ちは書体デザインの枠を正方形に固定したまま、とりあえず字間距離だけを微調整してみせるアクロバットの産物にすぎないからだ。ほんとうに読みやすいデジタル本文組版を可能にするには、詰め打ち以前に、おそらく、ひらがな書体そのものをプロポーショナル・フォント化しておく必要があるのだろう。
 ことわるまでもなく、アルファベットでは文字の大きさが一つずつことなる。たんにことなるだけでなく、たとえばmの幅を一とすれば、nはその二分の一、iはさらにその二分の一にあたるといった比例上プロポーションの正確な取り決めがある。組版にさいしても、たとえば大文字のVとAがならんだ場合は、AがVの横腹に喰いこむくらいきつく詰めて組むというように、隣接する二文字のボリュームにおうじた字間距離が厳密にさだめられている。この組版ルールは一朝一夕にできあがったものではない。グーテンベルクによる可動活字ムーヴァブル・タイプの発明以来、読みやすく美しいページ面をつくるべく、ヨーロッパの印刷人たちが長い時間をかけて工夫をかさねてきたことの結果なのだ。
 もし私たちが、詰め組みによって読みやすく美しい本文組版を実現したいと本気でねがうならば、こうした欧米の組版ルールにならって、一つ一つのかな文字が占める面積を一定の比率で変えるところにまですすんでゆかざるをえまい。ひらがなをプローポーショナル・フォント化し、それをモノスペースド・フォント(すべての文字が同面積をしめる)としての漢字と、すっきり組み合わせるしかたを工夫するのだ。そこまでやってはじめて、詰め組みはデザイナー諸氏の器用仕事のレベルをこえることができる。いわば、かな漢字まじり文の第二次組版革命である。
 今後、この国の印刷に、こうした大変化が実際に生じるのだろうか。
 わからない。しかし、われわれの本を本たらしめる三つの条件のうち、「明朝体の文字をタテヨコきちんとそろえて組む」という※(丸1、1-13-1)の条件が、やや安定性をうしないはじめてきたことだけはたしかなようだ。絶対に動くまいと思いこんでいた不随意筋がピクッと動いたので自分でもびっくりした。まあ、そういった段階なのではあるまいか。

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 では、※(丸2、1-13-2)の「白い紙の上にインクのしみとして定着する」という条件はどうだろう。
 紙の発明から千九百年がたち、ようやく人類は、白い紙をしのぐ可能性をひめた文字表示のための新しい道具を手に入れかけている。コンピューターのディスプレイ画面がそれである。
 ――紙にかわるディスプレイ画面に、文字列を、インキのしみではなく電子的な画像として表示する。
 このしくみがアメリカで生まれてから三十年たった。日本語ワープロの出現からだけでも十五年。書くための道具としてのコンピューターは、早くも、いちおうの成熟段階に達しつつあるようだが、読むための道具としてはまだまだ。ディスプレイ画面上の読書が紙と活字の本にくらべて、かけねなしに気持いいものになりえているなどとはとてもいえない。
 ディスプレイ画面での読みやすさは、紙の上での読みやすさとおなじものではありえない。コンピューターのディスプレイ画面を、新しい紙、いわば紙以上の紙にまできたえあげるためには、これまでの紙とインキを前提にした組版とは別の組版ルールがどうしても必要になる。それなのに、この国では上っ調子なマルチメディア談義ばかりで、本格的なディスプレイ組版への努力などまったくなされていないも同然じゃないか。そう考えて私は、ことあるごとにブツブツ不平をとなえつづけてきたのだが、つい最近、ボイジャージャパンが同社の電子本「エキスパンドブック」作成用に開発したツールキット(電子的道具箱)の新版に接して、ほんのすこしではあるが悲観の度合いが減った。
 エキスパンドブック本体については別に書いたので、ここでは触れない。
 このアメリカ渡りの電子本作成用ツールキットを、つい最近(一九九五年)、ボイジャージャパンのすぐれたプログラマー、祝田ほうだ久氏が徹底的につくりかえてしまった。その試作品をなんどか見せてもらって感服した。ソファに寝ころんだまま、ちょっとはなれたモニターに表示される電子本のページを、パソコン・ゲーム用のリモート・コントローラーでめくったりすることもできる。おそらく祝田さんは、「寝ころんで読めない本など本とはいえない」という電子本批判派の意見をまえに、かれなりの反論を具体的なやり方でこころみておこうと考えたのだろう。
 そのほかにもいろいろ面白い工夫がなされていたが、この文章との関連でもっとも印象的だったのは、かれが標準としてえらんだ18ポイント明朝体(本明朝)のタテ組み表示の読みやすさだった。
 紙の本であれば本文活字は9ポイントが基本になる。大きくても、せいぜい10ポイントまで。18ポイントではあまりにもでかすぎて読んだ気がしない。ところが意外なことに、祝田さんの電子本では、その巨大文字がけっこう読みやすく自然なものに感じられるのだ。これまで私は、
 ――おそらくディスプレイ組版の基本は10ポイントか12ポイント程度に落ちつくのではないか。
 と漠然と考えていたのだが、いっぺんに考えが変わった。紙の本を18ポイントで組めば、読んだ気がしないだけでなく、9ポイントの本よりも大幅にページ数がふえる。そのぶん値段も高くなるし、かさばって扱いにくくなる。でも電子本なら、その心配はいらない。だったら一気に大きくしてしまえばいい。「コロンブスの卵」である。紙の本によってつくられた常識によりかかっているだけではだめ。きたるべき組版革命には、もっと思い切った発想が必要なのだということがよくわかった。
 ただし祝田さん自身は、「マッキントッシュの画面解像度があがれば、もっと小さな文字でもくっきり表示できるようになる。18ポイントはそれまでの暫定的措置にすぎない」という意味のことをいっていた。
 もちろんそうだと思うが、私は私でまた別のことを考えた。
 かつて手写本の時代には、本にしるされた文字は現在のものよりもはるかに大きかった。なにしろ人間が自分の手で書くのだから、いくら小さくしたいと思っても限界がある。日本の木版本もそう。文字の小型化は鉛活字の出現によってはじめて可能になったのである。文字表示の技術や素材がちがえば、それにおうじて読みやすい文字の大きさもちがってくる。とすれば、ディスプレイ画面にふさわしい文字の大きさが活字本のそれとちがってきたとしても、なんのふしぎもない。むしろ、紙とインクの本にもとめるものを、そのまま、ガラス板と光点でつくられた本に求めてしまうこと自体にむりがある、と考えてしまったほうがいいくらいのものなのだ。
 いまある本のかたちは遠く紀元一世紀の中国における紙の発明にはじまる。つぎにグーテンベルクによる鉛活字の発明がきて、そこから、それらの活字をどのように組み合わせたら読みやすく美しいページ面がつくれるかという組版上の工夫が、さまざまにこころみられるようになった。
 電子本の場合も同様である。そのためにかかった時間こそ大きくことなるが、この三十年、ディスプレイ装置(新しい紙)の開発に端を発し、ついで、そこに文字を表示するしくみ(活字の発明に対応する)が徐々に整備されてきた。おそらく今後は、この新しい文字表示システムをつかって読みやすく美しい画面をつくるにはどうすればいいか、というディスプレイ組版にかかわる問題が、しだいにクローズアップされてゆくにちがいない。
 これからの社会では紙にかわって、ディスプレイ画面で読む機会が急速にふえる。
 いきおいヨコ組みが中心になると思うが、そうなったとき、あくまでもタテ書きを前提にデザインされた明朝体のままで突っ走ることができるかどうか。おそらくむずかしいだろうというのが私の意見である。表示文字の大きさを変えてみるだけではなく、ヨコ組み、フォントの再デザイン、かな文字中心のプロポーショナル組版、行間や余白の設計しなおしといった新しい文章表示の方法が、一つ一つ、これまでの私たちの常識をひっくりかえすようなしかたで大胆にためされることになるはずだ。

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 こうした実験がいくつも積みかさねられるうちに、ある日、ふと気がついたら、骨がらみの旧派読書人であるはずの私までが、ディスプレイ画面で、ごく自然に本を読んでいたというような事態が、じっさいに生じてしまうかもしれない。ありえないことではない。そのとき「紙の上に文字列をインクのしみとして定着する」という※(丸2、1-13-2)の条件は、事実として別のものにとってかわられることになる。そうなれば必然的に、※(丸3、1-13-3)の「複数の紙を綴じてページづけしたもの」という条件も大幅な変容をこうむらざるをえまい。
 現在、フロッピーディスクやCD‐ROMのかたちで流通している電子本は、「エキスパンドブック」を先頭に、これまでの紙と活字の本のかたちをできるだけ忠実に模倣しようとつとめている。ディスプレイ画面をページに見立て、それをめくってゆくというしくみを電子的にまねてしまおうというのである。
 しかし、こうした折衷的なやり方がいつまでもつづくとは思えない。
 最近、翻訳がでたジェイ・デイヴィッド・ボルターの『ライティング・スペース――電子テキスト時代のエクリチユール』(産業図書、一九九四年)という本は、たったいま開始されたばかりの電子本の未来を「ページからウィンドウへの変化」としてとらえている。紙の本の場合、私たちは指でページをめくりながら読みすすむが、電子本ではディスプレイ画面上に複数のウィンドウ(伸び縮み自在の小画面)をひらき、それぞれに別のテキストや絵や図表やビデオ・ムービーやサウンドを呼びこんで、それらを自由に組み合わせながら読む(見る、聞く)ことになる。そして究極的には、この電子的な読書空間は光ファイバー網を通じて世界中の電子図書館とむすばれることになるにちがいない。そうボルターはいうのである。
 いまの段階では、ウィンドウはまだきわめて扱いにくい。ページを順々にめくってゆくだけの安楽な読書になれた人びとが、いくつものウィンドウを自分で手際よく編集しながら読みすすむ日々の知的重労働に、はたして、どれだけ耐えられるものなのだろうか。
 そうした疑問もないわけではないが、それでも私は、この仮説はなかなかいいところをついていると思う。
 ここでの中心問題はネットワークである。さきほど私は「今後はディスプレイ上で読む機会が急速にふえるだろう」と書いた。いまのところ、私たちは紙で読めるものを、わざわざディスプレイ上で読まねばならない必要をとくに感じていない。だが、デジタル・データ化された日本語の本や論文が、ネットワークをつうじて、いつでも簡単に入手できるようになったとしたらどうか。いちいちそれを紙に印刷してから読むのでは、紙がもったいないし、だいいち手間がかかってしようがない。
 となれば、ほかに道はない。やはりディスプレイ両面で読むしかないのである。
 そのさい、いま私たちが現にそうしているように、ネットワークから入手したデータを、ワープロやテキスト・エディター(簡易ワープロ)などの文字処理ソフトを利用して読むというやり方ですむとは思えない。ワープロやエディターは書くための道具である。読むための道具ではない。気持よく読むためには、どうしても、それ専用の道具が必要になる。その原始的なものが、現在、「ブラウザー」の名で呼ばれている読書用ソフトの一群である。おもに必要にせまられた個人や小集団がつくったもので、ネットワーク上でシェアウエア(入手したのち、つかえると思ったら少額の代金を自発的に支払う小型ソフト)として流通している。ブラウジングは「拾い読み」という意味だから、ブラウザーは拾い読みのための道具。ネットワークからもってきたテキストをそこに読み込むと、章や節に自動的に文節化され、必要な個所にすぐに飛んでゆけるしくみになっている。
 ただし、いまも「原始的」といったように、ブラウザーは、いそがしい世の中で大量の情報を効率的に処理するために工夫された実用一本槍の道具にすぎない。科学論文や報告書などをバサバサ拾い読んだり飛ばし読んだりする程度ならいいが、それによって小説やエッセイや哲学や歴史の本を読もうなどという気分にはとてもなれない。
 私が知っているせまい範囲でいえば、きたるべき読書用ソフトのさきがけとしての潜在力をもっているのは、やはり、さきに触れたエキスパンドブックの新しいツールキットしかないようである。たんに電子本をつくるための道具というだけでない。テキスト・データに簡単な指定記号を書き入れ、このツールキットに読みこむと、ほぼ瞬時に、タテ組み(ヨコ組みでもいい)、適切な余白つき、ページに分割され、目次や索引をそなえた、いまある活字本にきわめてちかいかたちに変形させることができる。これなら私の好きな上田秋成や長谷川四郎や翻訳のジョージ・オーウェルだって、なんとか読んで読めないことはないような気がする(まだ読んでいない)。
 かくして何十年かのち――。
 現在の技術がもっともっと進展していったさきで、いまあるものよりもはるかに扱いやすく洗練されたブラウザーやウィンドウ技術が開発されたとしよう。私たちの意識のうちで明朝体桝形組版という規範がグラリと揺らぐ。白い紙の上のインクのしみが薄れ、綴じてページづけしたものとしての本のしくみが次第にその特権性をうしなってゆく。この過程に並行して出現するのが、たぶん、つぎのような本、つぎのような読書習慣である。

※(丸1、1-13-1)ネットワークをつうじてデータを人手し、
※(丸2、1-13-2)それをディスプレイ画面上にデジタル文字として表示して、
※(丸3、1-13-3)複数のウィンドウを切り替えながら読む。

 そんなものは本ではない、という立場を私はとらない。もしそれがある程度まで読みやすいものになりうるとすれば、それもまた十分に本のうちなのだ。

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 そのむかし、大量生産のきかない手写本はたいへんな貴重品だったので、教会や修道院では盗難をおそれて本を鎖でつないでいた。
 活字が発明されて本はようやく自由に持ちはこびできるものになった。それとともに、私たちの読書習慣も大幅に自由度をました。わざわざ机のまえに正座しなくとも、ベッドやトイレでも読める。私なんか風呂で読み、酒場で読み、道を歩きながら読んでいる。ほかにどんな利点があろうとも、もはや人類はこの自由な読書の習慣を手ばなすことはできない。本を読むために、いちいち机上のコンピューター画面に正対しなければならないというのでは、そんなもの、鎖につながれた中世の手写本とおなじじゃないか。
 したがって、あともどりは不可能。これまでよりもさらに自由に、さらに気軽につきあえることが確実になるまでは、新しい本(電子の本)は古い本(紙と活字の本)に完全にとってかわることはできないだろう。
 でもまあ、この不自由も、いずれは、さまざまな試行錯誤のすえに、なんらかのしかたで解消されてゆくはずである。私はまだうまく想像できずにいるけれども、あと五十年もすれば、ベッドやトイレや風呂はもちろん、道を歩きながらでも読むことができる、もしかしたら、いまある本などよりもはるかに扱いやすい読書装置(ハードやソフト)がほぼ完全にできあがっているかもしれない。
 ――などと書くと、
「あと五十年だって。あんたはさっき、紙と活字の本が消えるまでには何百年もかかるだろう、といったばかりじゃないか」
 と怒る人がいるかもしれない。ごもっとも。たしかに私の発言には矛盾ととられてもしかたない面がある。もういちどここで問題を整理しておこう。
 まず「モノとしての電子本」についてだが、それが完成の域に達する時期は、おそらく、私たちがいま考えているよりもかなり早いのではないかと思う。五十年というのは、その早さ、短さをあらわす数字である。
 ただし、とりあえず電子本がモノとして完成したとしても、そのことによって、いまあるような紙と活字の本がただちに消滅するとは思えない。それが「まるごと別のモノにとってかわられる」までには、さらに長い時間が必要になるはずである。「百年、二百年、いや三百年」というのは、その遅さ、長さをあらわす数字なのだ。
 では、その間の五十年、百五十年、二百五十年という時間差には、どういう意味があるのか。ひとことでいってしまうならば、それは、われわれが印刷という複製技術が存在しない世界に慣れるまでにかかるであろう時間である。
 手写本や木版本から活字本への転換は、ほとんど一瞬のうちに終わった。日本の場合でいえば明治はじめの二十年。たったそれだけの時間で、日本人はそれまで慣れしたしんできた木版印刷物を見捨て、通常の書籍はもちろん、新聞や雑誌などの活版印刷物と日常的につきあう習慣を身につけてしまった。どうしてそんなにすばやい転換が可能だったのか。理由は明白。文字表示の技術や素材がことなるというだけのことで、この転換がおなじ印刷文化の内側に生じたできごとにすぎなかったからだ。
 いってみれば、敗戦後、日本人の朝食がご飯と味噌汁からパンとコーヒーにあっさり置きかえられてしまったみたいなもので、どんなに中身がちがおうと、ご飯もパンもおいしく食べられる食品であることに変わりはない。しかし、食事という習慣を捨てて、それを宇宙食みたいな薬品(だろう、あれは)の摂取に変えるとなれば、話はちがってくる。同様に、活字本から電子本への転換は、一つの印刷技術から別の印刷技術への転換ではない。それは印刷から印刷でないものへの転換なのだ。技術や素材ではなく概念そのものの転換である。この転換過程がそうそう簡単に完了しないであろうことは容易に推測がつく。
 木版にせよ活版にせよ、これまで私たちは、水のように流れる自分の想念を書くことによってせきとめ、ふかめ、それをインクのしみとして紙やその他の素材の上にしっかり定着させてつづけてきた。この定着感(教科書がそうであるように、しばしば必要以上に強化された)があるからこそ、私たちは印刷された本をなかだちに、自分の頭の中で、時間と空間をへだてた著者たちとこころゆくまで対話をかわすことができたのである。
 これに対して、デジタル・ネットワークにおける出版には印刷過程が存在しない。ディスプレイ画面上の文字はインクのしみではなく、かげろうのようにはかない一瞬の映像にすぎないのだ。それは画面上に「かつ消え、かつ結び」するだけで、原理的にも実際的にも、人間の不定形な想念をグイッとせきとめる強引な切断力をもたない。印刷が印刷でないものにとってかわられるということは、このように、印刷によってきざまれる動と静、運動と定着のリズムが私たちの社会から完全に消滅してしまうことを意味する。そのような社会で、はたして私たちは本当に本を読むなどということができるのだろうか。
 私はごくあたりまえに「ぼくの机の上にある本をもってきてよ」ということができる。しかし、それとおなじようにして、「ネットワークの中に本があるから、ちょっとここにもってきてよ」ということはできない。
 紙と活字の本が現実であるとすれば、どこまでいっても映像しか存在しない電子本は非物質的な仮想現実ヴァーチャル・リアリティの世界に属する。したがって、「印刷という複製技術が存在しない世界で読書というような行為がなりたちうるのだろうか」という問いは、「私たちは仮想現実のうちにあっても、はたしてなんらかの安定した生活習慣をつくりあげることができるのだろうか」という、さらに大きなもう一つの問いにつながってゆく。もしそこで安定した生活習慣をつくることに失敗すれば、私たちはもう、これまでどおりの意味での人間でありつづけることはできない。すなわち、人間はお化けになる。
 この文章の冒頭で「私としては、まず本のモノとしての側面に注目したい」と書いた。でも、ここまで話がすすんでくれば、ただ「モノとしての本」について語るだけではすまなくなるのはとうぜんだろう。
 本にはモノとしての面だけではなく、長期間、特定のモノとつきあいつづけることによって私たちのうちにかたちづくられた「習慣」としての面がある。紙と活字の本が、映像としての本、仮想現実としての本に「まるごと」とってかわられるためには、モノのかたちやしくみだけではなく、人間の生活習慣、本とのつきあい方が、完全に、それこそ細胞レベルで変わっていなければならない。ことは私たちが生きる日々の安心感の根拠にかかわる。人間の側にそれなりに安定した新しい読書習慣ができあがらなければ、古い本は、いくら消えたくても消えることができない。モノとしての電子本ができあがり、私たちが新しい安心感の根拠を手に入れる。やはり、ゆうに百年単位の時間がかかるのではなかろうか。
 それまでは古い本と新しい本との共存がつづく。ただし、それは一定の方向性をもった共存である。いったんデジタル・メディアがこの世に出現してしまった以上、このむとこのまざるとにかかわらず、いつか紙と活字の本はなくなる。でも、それには長い時間がかかる。新しい本と古い本との共存。それはそれで、なかなかにたのしみな環境なのではあるまいか。





底本:「本はどのように消えてゆくのか」晶文社
   1996(平成8)年2月10日
初出:「マルチメディア学がわかる」アエラ・ムック、朝日新聞出版
   1995(平成7)年3月
入力:津野海太郎
校正:富田晶子
1997年9月28日公開
2019年5月1日修正
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