對州へ渡るには博多から夜出て朝着く。博多へ渡るにもさうである。汽船は荷物を主にして居るのだから客少くして我々はみじめである。何處へ行つても朝鮮といふことをいふ。釜山なども對州の人が眞先に行つてそれから壹州の人間が行つて開いた相だ。北の方へ行つて見ると面白相だが船は不便だし陸路は險惡だし病人には迚も駄目だ。丈夫の人がゆつくり歩いて居るのには屹度いゝ處である。漁で持つて居る國だから百姓は下手らしい。昨日竹敷から歸りに馬車で一緒になつた百姓が
對州名物鳶に烏又も名物屋根の石
然し鳶も烏も殆ど目に觸れず。昨日竹敷まで行つて見たが途中の民家は皆瓦葺で石を載せたといふのは少かつた。
女の馬乘脊中 に籠三巾の前掛カス卷横ぐはへ
在から嚴原の港へ朝干して居た
(明治四十五年七月二日、國民新聞 所載)