「一刀流神傳無刀流開祖從三位山岡鐵太郎門人」「鹿島神傳直心影流榊原建吉社中東京弘武會員」といふ長々しい肩書のついた田舍廻りの撃劍遣ひの興行があるといふので理髮床や辻々の茶店に至るまでビラが下つた、撃劍の興行といふのが非常に珍らしいのにその中には女の薙刀つかひが居るといふのと、誰でも飛入の立合ができるといふのと、女の薙刀つかひを打負したものには銀側時計を呉れるといふことゝで界隈の評判になつた、興行の日は舊の三月三日で桃の節句をあて込みであつたが、生憎その日の空が怪しかつたので次の日へ日おくりになつた、四日は珍らしい程うらゝかな日であつた、夜の興行ではあるが灯ともし頃からもう客足がついた、場所といふのはつひこの間まで女芝居のあつた莚圍ひの假小屋で芝居の折とやゝ違つて見えるのは、いくたびか雨にうたれた染分の幔幕を以て圍まれて居ることである、パチパチヽヽヽヽといふ賑かな竹刀の音とボウヽヽドンヽヽといふ法螺と太鼓の掛合ひの音とがあからさまに表へ聞えるので假小屋の近邊は何となく活氣を帶びて居る、小屋の中は角力でいへば地稽古といふ格であらう、二組の劍士が頻りに打ち合つて居る、そつちで胴を切られたかと思ふとこつちで面を取られる、まるで滅多打の姿でしばらくの退屈ふせぎには妙劑である、竹刀の打合をして居るのは小屋の中央でそこには鋸屑が一杯しきつめてある、その周りが土間で土間のうしろが棧敷である、棧敷の一方には「飛入勝手次第」と大書した張札が下つてその傍には「飛入劍士席」としてある、見物人がもう殆んど一杯になつて地稽古もだらけて來た頃道具を肩へかけた連中が木戸の方から六七人ゾロゾロと這入つて來たが「飛入劍士席」と張札のある棧敷へ一固りに腰を下した、間もなく拍子木を打つと共に地稽古の劍士は去つて場中は遽にひつそりとしたが、やがて赤革の胴を着けた上に萠黄の筒袖の羽織をはおつた年の若い男が手には軍扇を携へて出たが「これから愈々餘興として紅白旗取勝負といふのを御覽に入れますが、これが終りますれば飛入さんとの三本勝負もありまするし、なほ他にも御座いますれば何卒滿場一致の諸君はゆる/\と御見物の程を願ひます」と切口上をいつて片方の床几に腰をかけた、はじめからの餘興も面白いが滿場一致の諸君も妙である。さうして見物人は茫然としてこの男を見つめて居るのも益々可笑しい、以上がすむと左に面小手を
「こなた赤方香車の役石井よし女こなた白方……
と名を呼び上げると各々面小手を付ける、面小手を付けると中央に出て三歩位の距離に片膝をついて扣へて居る、行司が、
「勝負は正しい所を三本ッ
と言ひわたすと互に立ち上つて身構をする、薙刀の尖と竹刀の尖とが三四寸相交つて居る、行司が念入に兩方を見比べてさつと軍扇を引くと共に力は兩方の體に充滿する、暫くの間は互に聲を掛け合つたが薙刀が「お面ッと打ち込んだ、薙刀が打ち込むと同時に竹刀は頭上に揚げられたのでこの一撃は空しくなつた、竹刀は薙刀を受けると共に敵の手元に切り込まんとしたのであつたが、薙刀の切つ返しが瞬く間に右の脛を襲つたので、その暇もなく一尺ばかり飛び上つた、薙刀は再び效を奏しなかつたが敵の姿勢を立てなをさぬうちに逆に左の脛を切つ返したので、バキッといふ音がしたかと思ふと薙刀つかひは「お脛といひながら突つ立つた、「低いぞ/\なんだそんな所ぢや駄目だと竹刀の方は承知しない、「いゝとこですよ、あれよりいゝとこは有りませんよと薙刀つかひの爭ひかたは非常にやさしいのである、「さうだとも充分いつてらァ、くず/\云ふない女に負けた癖にと薙刀つかひの出た側のぢき埒の外に扣へて居た見物の一人が叫んだ、行司はしばらく微笑を含んで伏目になつて考へてるやうであつた、
「見物のお方も勝負があつたといふしパキッと云ふ音があんまりいゝ音でしたから仕方がありますまい、それでは二本目ッ
二本目になつた時は竹刀の方の働きは一層目立つたやうに見られた、切り込むのはいつも薙刀で「お突きッお小手お脛ときびしく攻めつけるのであるが、竹刀も中々力めたもので薙刀が大分攻めあぐんだ、十七八の娘ではさう息のつゞくものでない、疲れたさまが稍見えてきた手元に奮撃して來た竹刀を受け損じて、ポカンといふ響と共にお面を取られた、やさしい薙刀つかひは不服を言はなかつた、三本目は決戰であるので念入に立ち合つた、さうして打込んだり切つ返したり疲れた薙刀つかひの働きは目ざましい、竹刀は再び手元へつけ入つて「お面ッと大喝して打ち下したが、こんどは薙刀の柄でパチリと受け留めたかと思ふとはなれ際に外から脛を掻つ拂つたのが充分であつたので、相手の竹刀は不服を唱へる餘地もなく「女に負けたつて口惜しくはないがなどゝ捨臺詞で引込んだ、相手は薙刀つかひのために起つた、薙刀つかひの疲は肩で息をするまでに明に見られるのであるが、更に立ち替つて出る相手に向ふため片膝をついたまゝ扣へて居る、白方の旗は桂馬と記したのに立て替へられた、「桂馬の役なにがしと呼び上げられたのが同じく竹刀の若
「これは神代鎌と申しましてこれに附いて居るのは鎌でありましてさきから御承知の鎗でございますが、突けば鎗打てば鳶口曳けば鎌といふのですから中々骨が折れます、こんどの勝負は面白いでしやう
と説明していよ/\立合になつた、神代鎌の方は例の悠然としたものであるが、竹刀の方はいかにもコセ/\とこせついて時々こつ/\と神代鎌のさきを叩いて見ては氣味の惡いといふ態度で逃足になつて居たが、「ヤお突きとそつと突いたと思つても決して受け流すことが出來ないので、彼の首はそのたびごとにぐらり/\と横を向く、しかし中々彼は降參しない、「駄目だ/\など、怒鳴りながら竹刀で左右に拂ふのであるが彼の竹刀の動く時は鎌は手元へ引きつけてあるので、何遍でも喉元へ鎌が屆く、さうかと思ふと鎌を頭へ引つかけては引張られるので彼は行くまいと爭ふのである、鎌が頭からはなれたかと思ふと、空明になつた足へつけ込んで引張られるので、ひつくり返り相になつては左の足でひよん/\と跳ねては倒れるのを防ぐ、さうするとまた喉へくるといふので彼は頗る忙しいのでありながら竹刀が一向役に立たない、見物人は土間から棧敷から手を打つてはワッワと笑ふのである、「なんだいべら棒竹刀でやれ竹刀で、丸で相手ぢやねえや、子供を相手にするやうなもんだべら棒と、場中が沸き返るやうに笑つて居る中で一人から怒鳴つたものがあつた、彼は息せき切つて居る、薙刀つかひの娘に助言をしたさつきの男である、一同はまたこれがために笑つた、赤方はまた銀將の旗を立てられた、さうして立ち替つたのは背は低いが胴の太いがつちりとした三十四五の壯者である、行司が「赤方銀將の役神戸なにがしと呼び上げると相手の神代鎌に對する得物は三尺位の樫の棒のさきへ二尺ばかりの麻繩のうらには錘のついたものである、神戸なにがしは、麻繩のさきの錘を目にも留まらぬやうに振り廻しつゝ立向つたが、神代鎌もたやすくは手出しがならぬといふ鹽梅で構へて居る、さうして振り廻しつゝある錘は時々パラッと鎌のさきへ落ちてくる、鎌もその時ごとに取直すと錘はまた忽ちに振り廻はされるのであつたが、やつと打ち下ろした錘は神代鎌のさきへ一寸とかゝつたかと思ふと、繩をぐる/\とからみはじめる、鎌の方でも同じくぐる/\とめぐして解かうとする、暫は雙方ぐる/\とめぐし合つて居たが遂に二尺餘の麻繩はしつかと卷き付いてしまつた、もうどうしても離れるのではない、神戸は相手に近寄つたかと思ふと腰に挾んだ木劍を拔いてポカ/\と二つ三つ頭を叩いた、かくの如くしてこの妙な武器と武器との仕合は神戸なにがしの勝つ所となつて白方は金將の役である壯士が出た、神戸の得物は變つた、行司は説明を試みた、
「これは南蠻鐵の割棒と唱へてこれを收めておけば唯の棒でありますが、つまり丸い棒を二つに裂いてそれを合せたもので眞中一ヶ所で止めてありますから自由自在にめぐるものでありますが、柔術の極意から出たものだ相であります、これを以て敵を挾んで睾[#「睾」は底本では「」]丸を蹴り、また片々を立てゝ置きまして片々を以て向ふが飛び込む所同じく睾[#「睾」は底本では「」]丸を突き上げるといふ恐ろしい棒でございますが、これは會員が筑後の柳
と長々しい口上があつて立ち合に及ぶと神戸は割棒の片々を立て片々を斜に向けて構へたが先が動かないので「飛び込んで來ないなと言ひながら、こんどは横に開いて一方で自分の胴を挾み一方を敵に向けて構へた、ポント打ち下す太刀を受けておいてずつと進撃する竹刀の方は逃げかかる、跡を追ひまはす、とう/\竹刀と共に面をがつしりと挾んでしまつた、金將の役は手も立たず破れた、王將の役にまた竹刀を持つたのが出た、神戸の武器はまた變つた、即ち鎖鎌である、鎌のさきについた錘は非常なる速さを以てめぐるのであるが相手の竹刀が折々變な身振りをして居るうちに「小手ッといふ聲と共にポカッと音がしたのであつたが「まだ/\流れたぞ、そんなことで駄目なこつたと竹刀を持つたのがなか/\降伏しない、つゞいて「お面ッ、お胴ッといふたびにポカポカ聞えるのであるが、竹刀の方はいつがな充分とは言はぬ、「こいつ剛情な奴だなと言ひながら打ち下した錘が竹刀のほとりに止まつたかと思ふうちに竹刀はぎり/\と卷かれた、もうどうにも手が出まいと見て居ると、いきなり自分の竹刀を捨てゝかたへに落ちてあつた竹刀を拾ひ上げて更に立ち向つた、鎖鎌の地位は不利益になつた一旦からんだものは容易にとれるのでないから鎌のさきには竹刀がぶら下つて居るので自由の働きが出來ない、竹刀の方はその虚につけ入つて奇捷を
「あの鎖鎌を持つたのがこゝではまあ上手なんだ相ですな、
「いやどうもあの挾むのは妙ですな、あれでやられた日にやたまりませんな、だがあの男はからだ中がほり物だらけだ相ですね、なんのためですか知れませんが、
などゝ話をして居る、土間では「鮓よしか「煎餅よしかと商人が人込を分けて歩行いて居る、飛入劍士は各仕度に取り掛つて居る、興行仲間の一人が飛入の席へ再三往復した後白革の胴をつけたまゝ上に羽織をかけた神戸なにがしが、軍扇となにやら書いた紙とを持つて出た拍子木の音と共に場内はひつそりとした、行司の神戸は紙に書いたのを見て兩方に別れて扣へて居る劍士の姓名を呼び揚げる、飛入の劍士は背丈の延びた男で稽古着から袴から紺づくめの竹刀は短くつて而かも太いのを持つて、のつさ/\と中央へ出た、相手になるのは小柄な弱々した若
(明治三十六年)