寫生斷片

長塚節




 余は天然を酷愛す。故に余が製作は常に天然と相離るゝこと能はず。此に掲ぐるものは長き文章の一部にして我が郷の田野の寫生なり。一は其冐頭にして二は其結末なり。素より斷片なり、一篇の文章としては見るべからず。余は近時本誌の文章の天然描寫の一段に於て多大の進境を認むると共に喜悦の念禁ぜざるものあり。天然必しも悉く美なるに非ず。然れども他の美ならずとする處のものを以て自らは之を美なりと感ずるに何の妨かあらむ。而して自ら感じたる處を極力文字に現はす時直ちに讀者を醉はしむことを得べし。これ文章の力なり、否感情の尊き所以なり。余が此の寫生の如きは極めて拙なるものなりと雖天然描寫に志す諸君の爲めに多少の參考たるべきを信ず。併せていふ、余は本誌過去一年間の製作品に就いて及び文章に就いて余が考ふる處を述べて次號に發表せんとす。甚だ多忙ならざる限り必ず其約を履むべし。


 小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。岡は田と櫟林と鬼怒川の土手とで圍まれて他の一方は村から村へ通ふ街道へおりる。田は岡に添うて狹く連つて居る。田圃を越して竹藪交りの村の林が田に添うて延びて居る。竹藪の間から草家がぼつ/\と隱見する。帚草を中途から伐り離したやうに枝を擴げた欅の木が、そこにもこゝにもすく/\と突つ立つて居る。田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外されずに立つて居る。「オダ」には黄昏に鴫でも來て止る位のこてとだらう[#「こてとだらう」はママ]、見るから淋しげである。鬼怒川の土手には篠が一杯に繁つて居るので近くの水は其蔭に隱れて見えぬ。のぼる白帆の梢に半分だけ見えて然かも大きい。土手の篠を越えて水がしら/\と見えるあたりはもう遙かの上流である。だから篠の梢を離れて高瀬舟の全形が見える頃は白帆は遙かに小さく蹙まつて居る。土手の篠の上には對岸の松林が連つて見える。更に其上には筑波山が一脚を張つて他の一脚を上流まで延ばして聳えて居る。小春の筑波山は常磐木の部分を除いては赭く焦げたやうである。其赭い頂上に點を打つたやうに觀測所の建物がぽつちりと白く見える。稍不透明な空氣は尚針の尖でつゝくやうに其白い一點を際立つて眼に映ぜしめる。櫟の林は此の狹く連つて居る田と鬼怒川との間をつないで横につゞいてをる。田も遙かのさきは櫟林に隱れて鬼怒川も上流はいつか櫟林に見えなくなる。櫟の木はびつしりと赭い葉がくつついてをる。岡の畑は向へいくらか傾斜をなしてをるので中央に立つて見ると櫟の林は半隱れて低い土手のやうに連つて見える。林の上には兩毛の山々が雪を戴いてそれがぼんやりと白い。此の如き周圍を有して岡の畑は朗かに晴れてをるのである。土は乾き切つてをる。既に二三寸に延びた麥は岡一杯に薄く緑青を塗つたやうである。そこにもこゝにも百姓が小さく動いてをる。麥をうなつてをるものもあるが大抵は芋掘の人々である。四五人の手で芋を掘つてをる畑の縁には馬が茶の木に繋いであつて俵が轉がつてをる。此俵があれば遠くからでも芋掘の人々であることが解る。馬は退屈まぎれにどうかすると茶の木をむしることがある。其時一人が驅けて來て轡をがちんと一つ極めつけて叱り飛ばせば、復たおとなしくなつてぱさり/\と尾を動かしてをるのである。各自の手もとは忙しい。然し岡は只長閑なさまである。日は稍傾いた。忽然筑波山の絶頂から眩ゆい光がきら/\と射して來た。毎日同一の時刻に此の光は此の岡へ強く射し掛けて來るのである。百姓の或者は筑波山で火を燃やすのだらう抔といつてをる。然しそれは觀測所のガラス窓が日光を反射するのである。岡の畑に變化が起つたとすれば數時間に只これ丈である。ガラス窓の反射はやがて消えてしまつた。芋掘の人々は勿論此の光は知らなかつた。兩毛の山々がぼんやりとした日は西風が吹かないので隨つて暖かい。暖かい日は土いぢりの芋掘りには此の上もない日和である。街道へおり口の畑にも、一組芋を掘つてをる。隣づかりの桑畑は葉が大凡落ちて其芋畑へも散らばつてをる。青いよわ/\した小麥が生え出してをる。小麥は芋の間に二畝づゝ作つてある。芋の莖はべつたりと茹でたやうである。女は芋の莖を菜刀でもとから切つて先へ出る。菜刀といふのは庖丁のことである。後から男が鍬のさきで芋の株を掘り起す。ぴか/\と光る鍬の先を、ざくつと芋の株へ斜に突き立てゝぐつと鍬を持ちあげると大きな土の塊がふわりと浮きる。鍬をそつと拔いて先の株へ移る。小麥へ障らぬやうに極めて丁寧に掘つてはさきへ/\行く。女は莖を切り畢ると後へもどつて掘つてある大きな土の塊を兩手で二尺許り揚げてどさりと打ちつける。こまかな土がほぐれてこゞつた子芋の塊から白い毛のやな根がぞろつとあらはれる。それから芋と/\を兩手の平でぶり/″\とはがしてやがて俵を立てゝ入れる。さうして穴の土を手のさきでならして先の塊をほぐす。乾いた畑に濕つた丸い穴のあとが一つづつ殖えて行く。日光が其土をあとから/\とこまやかに乾かして行く……。


 世間は復た春が蘇生つた。鬼怒川の土手の篠の上には白帆を一杯に孕んで高瀬船が頻りにのぼる。船頭は胡坐をかいた儘時々舵へ手を掛けるだけで船は舳がぢやぶ/″\と水に逆つてのぼつて行く。冬の辛さがこゝで一度に取り返されるので此南風の味を占めては迚ても職業がやめられぬといふ時節である。篠の中には鳥馬がそつちへこつちへ移りながら下手な鳴きやうをして菜の花から麥畑へ遊びに出る…………。麥が刈られてさうして椋鳥が群を成して空を渡る頃村のうちには毎日麥搗く杵の響が大地をゆすつてどこかに聞える。麥は夜中から搗きはじめて朝になれば各一石の量を搗きあげる。椋鳥はしら/\明に西から疾風の響をなして空を掩うて渡る。さうして夕陽の沒する頃西へかへる。空を遙かに飛ぶ時に、麥搗は杵持つ手の右と左を持ち換へながら、今日も日和だと叫ぶ。椋鳥が少なくなつて稻刈になつた。刈田の跡の水のやうな冷たい秋が暮れて又冬が來た。鶸がよわ/\した羽を擴げて切ない鳴きやうをして林から刈田を飛びめぐる。さうして寒さは又小春にかへつて人々は岡の畑に芋を掘つて居るのである。
 短い日は村の林の梢に棚引いた土手のやうな夕雲に眞倒樣に落ちつゝある。横にさす光は麥の葉をかすつて赭い櫟の林が一しきり輝いた。畑のへりの茶の木の花は白々と光を帶びて居る。筑波山は見る/\濃い紫に染まつて來た。秋の末の晩稻を刈る頃から、夕日の射し加減で筑波山は形容し難い美しい紫を染め出す。百姓に聞いて見れば嘗てそんな筑波山は知らぬといふ。知らぬといふのは尤ものことである。日が落ちて殘※(「日+熏」、第3水準1-85-42)がなほ明かな數十分間は彼等の仕事が尤も捗どる時である。晩餐の支度をするために女等は今どこの畑からも一人づつ立つ立て行く[#「立つ立て行く」はママ]。女等が去つてから百姓の手もとが漸く薄闇さを感じた。頬白が淋し相に桑の枝を飛びめぐる。百姓は自己以外には頓着なしにせつせと芋を俵へつめる…………。
 村の竹藪から昇つた青い烟は畑の百姓を迎へにでも出たやうに幾筋も棚引いて、田圃から岡まで屆かうとして居る。其時黄昏の中を百姓は田圃から相前後して歸つて來る。何處ともなく鴫がきゝと鳴いて去つた。百姓の後姿を村の中へ押し込んでやがて夜の手は田圃から畑からさうして天地の間を掩うた。
(明治四十二年一月二十五日發行、爲櫻 第三十五號所載)





底本:「長塚節全集 第五巻」春陽堂書店
   1978(昭和53)年11月30日発行
底本の親本「長塚節全集 第六巻」春陽堂
   1927(昭和2)年
初出:「茨城縣立下妻中學校雜誌 爲櫻 第三十五號」
   1909(明治42)年1月25日発行
※「高瀬舟」と「高瀬船」、「芋掘」と「芋掘り」、「夕陽」と「夕日」の混在は底本通りです。
入力:岡村和彦
校正:高瀬竜一
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード