旅行に就いて

長塚節




 余は旅行が好きである、年々一度は長途の旅行をしなければ氣が濟まぬやうになつた。兎に角全國歩いて見たい積りで地圖の上に朱線の殖えるのを樂みの一つにして居る。時には汽車や汽船の便を借りることもあるが、大抵は徒歩である。隨つて身體には苦勞を掛けて、歸りには顏が黒くなつて頬骨が出る。それで苦勞をすればする程、旅行の面白味が増して、話の種が殖えて來る。人に旅中の話をすれば、人も面白いといふ。自分は益々得意になる。偶々旅行して、どれだけ面白味があるのだと反問するものがあるが、旅行をしたことの無い者には、旅行の面白味は分るものではない。枇杷の木に黄色な實が熟したとて、下から見たゞけでは味はわからぬ。一つでもちぎつて見れば、枇杷のうま味は直にわかる。旅行をして見れば、旅行の面白味は直に知れる。素裸になつてただごろ/″\して居る者は、長い暑中休暇を短くして暮すものである。五十餘日を回顧して何物も頭に浮び來るものが無いからである。旅行をすれば、其處に追懷といふものがある。短い時日でも、長くするのは變化と活動とに富める旅行の賜である。特別の事情ある者は格別、然らざるものには、切に休暇中の旅行を勸める。多くの學生の間には、必便宜を有して居ても、躊躇して居るものがあることゝ思ふ。此は余が以前は非常な旅行嫌ひで、僅に一日の遠足でも出ることが稀で、素より修學旅行などに隨伴したことがなく、唯恐れてばかり居つたことに徴して、十分に想像が出來るのである。然し實際旅行をして見ると、案外に人が親切で一向苦にならぬものである。
 余の旅行は極めて簡易な仕方である。最初の用意は旅費で、これが出來ると、豫め歩かうと思ふ方面の地圖を披いて旅費に相應した行程を定める。參謀本部の二十萬分の一の分圖であれば、何處へ泊つて何處へ出るといふことが、大抵は大なる間違なく極めることが出來る。たとへば下妻と下館との間が幾里、下館と結城との間が幾里といふことが分るからである。余は何時でも手帳へ豫じめ宿泊する土地を記入して置く。全くの徒歩ならば一日五六十錢で餘は十分に支へてゆくことが出來る。旅費と行程とが定まれば、旅裝の支度になる。余は大抵旅行の時期を夏から秋の初めと定めておくが、此れは旅裝の輕便を欲するからで、學生の旅行期と一致して居る。單衣一枚着たまゝで、肌衣はシヤツとヅボン下と越中褌とを別に一組荷物へ入れる。肌衣は忽に汗じみて仕まふものであるから、時々洗濯を要するが、天候の如何によつて出來ないことがあるから、其時の用意である。木曾街道もだん/\美濃に近づくに從つては、俗に金時の生れたと稱する泣きびそ山などといふ峻嶺が聳えて來る。愈々街道十曲峠といふ峠一つで美濃になるといふ所に、木曾川へ落ち込む流れがある、日は※(「火+(暇−日)」、第3水準1-87-50)くが如く照りつけるので、其流れの岸で休息した。余は不圖洗濯をしたくなつたので、褌まで取つて清洌な水に押し揉んで、※(「火+(暇−日)」、第3水準1-87-50)くが如き石の上へ引き延して、大巖の蔭へござを敷いて、洗濯物の乾く間眠つた。眼を開いて見ると緑深い山と/\の間から見える眞蒼な空に、折々白い雲がふわ/\と出てすぐに山へかくれる。緑樹の梢が搖ぐかと思ふと凉しい風が流れを渡る。一寸足を動かすと足の先が冷たい水につかる。實に何ともいへぬ心持であつた。洗濯物は一時間ばかりで乾いた。素裸になつて身體を洗つて、乾し上げた肌衣を着て出た時は生れ變つたやうであつた。洗濯物は少しは生乾でもよい。それは直に復た汗じみるからである。洗濯は宿屋で盥を借りてもよい。翌朝生乾でも復た汗になるからである。
 荷物は外に地圖雜記帳鉛筆葉書位で、あまり澤山は持たぬ。此外に大切な物は辨當箱である。余の使用するのは、長さ五寸餘巾四寸餘深一寸四分である。旅行全體からいへば、金錢が第一の必要條件であるが、單に一日/\でいへば、辨當位大切な物はない。殊に暑中の旅行で、人家の遠い所で腹がへつたら、とても仕末になるものではない、茶店か[#「茶店か」はママ]あつたとしても支度をさせるに無駄な時間を費す。辨當を持つて居れば、自分の勝手な時に腹を滿たすことが出來るのみでなく、其處に一錢の冗費をも費さぬ。湯茶が無ければなどといふのは贅澤である。一厘錢も無駄をせまいといふのは、余の旅行中の嚴重な掟である。今一つ辨當が空になれば、荷物が頓に輕くなる。此時の心持は經驗が無ければわからぬ。荷物はこれだけで、これは二包に分けて所謂兩掛といふものにして肩へかける。脚は脚絆草鞋で固めるのは極つた話であるが、草鞋掛の足袋は底が拔けても指が現はれても決して捨てぬ。旅費の節約を旨とするからである。これで笠を冠つて※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-3]を着れば旅裝は完全する。笠と※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-4]とは晴雨共に旅客に大なる便宜を與へる。余は笠は必旅行毎に一かいを求めて好個の記念とする。※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-5]の便益に至つては余の爲に大いに氣を吐かねばならぬ。雨が後ろから降りかければ、※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-6]は後ろへ廻す。前から降れば紐をしめて横へ向ける。嘗て旅客を濡らさぬ。日光がぢり/\照りつけても同樣にして暑さが凌げる。凉しい木かげで休息する時は※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-7]を地上に敷いて兩掛の荷物を枕にして一睡を貪る。疲れた身體を思ふさま延ばして路傍に轉がつた時の心持は、家の中で晝寢を貪る者には解されぬ。枕元を馬が通らうが、牛が通らうが平氣である。美濃の中津川から再び木曾川へ出る所に赤土の小松山がある。短かく痩せた女郎花がよろ/\と咲いて居る。往來の人も無い寂しい峠であつたが、赤土の禿げた處の多い山だけに非常に暑い、此の峠に只一本の大きな栗の木があつた。毬が落ち散つて居る。余はろく/\栗の毬もはらはずに、早速※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-13]を敷いて寢た。實に嬉しかつた。富貴の子が金錢の貴きを知らぬが如くに、僅に一本の栗の木の有り難さは、疲れた旅客で無ければわからぬ。此の如く※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、29-14]は起臥共に必要であるが、更に宿屋で無くてならぬ事がある。余は時として非常に粗末な宿屋へ泊る事があるのであるが、流石に其時困るのは寢具である。暑い時だから、蒲團は着なくともよいが、敷いた蒲團に肌を觸れてはならぬ。此時に備ふるものが※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、30-1]だ。※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、30-1]を蒲團の上へ敷くのだ。
 余は旅中は非常に節約をする爲め食物などはちつとも六かしい事はいはぬ。頬骨が少し位高くなつても、消化力が旺盛になつてるから、歸つてから二週間經過すれば太つて仕舞ふ。不攝生はよろしくないが、甜瓜位は飽くことを知らずに食ふ。滅相に大きな甜瓜があつたので、手拭に包んで比叡山へ擔ぎ上げたことがある。大袈裟な言ひやうだが、此甜瓜を持つたのは實際苦しかつた。然し四明が嶽の絶頂で、琵琶湖から丹波丹後の山々、奈良の方まで一目にあつめて、徐ろにこの甜瓜を噛つたのは甘かつた。唯冷水を貪るならば熱い湯を飮むがよい。熱い湯に砂糖を加へて飮むことは暑い時の好飮料である。余は關西の旅行で甘酒と飴湯とを味つて、此二つの味を解せぬものはともに旅行を談ずるに足らぬと思つた位である。
 宿屋へ着けば、必宿料の談判をして安くさせる。必辨當を詰めさせる約束をする。一日は一日の節約をして、一日の豫定額の内から十錢でも二十錢でも翌日へ繰越が出來れば心は甚だゆるやかに感ずる。懷中は如何にしても日々に滅却するばかりだからである。宿料を安く泊れば宿屋に不平が起らぬ。風呂の加減も聞いて呉れる。お給仕もして呉れる。床も敷いて呉れる。余は却て氣の毒に感ずる位である。余が明石の宿屋で粗末な辨當を貰つて兵庫まで來ると、ある工場の傍に腰掛茶屋があつたが、荷車引等が飯を喰つて居る。余も鰯を一皿註文したら鰯が八匹あつた。幾らだと聞いたら二錢だといはれて驚いた。以上のやうな貧乏な旅行を我慢さへすれば旅行は格別苦になるものではない。これを人に語れば人は面白いといふ。旅中に錢が無ければ身體に苦勞がかゝるが、後日になれば其苦勞が面白い話の一つになる。旅行の面白味は此後日における追懷がむしろ最なるものといつてよい。敢て長途の旅行でなくても、僅に二日か三日でも其時の事を考へると、相應に長く感ぜられる。五十日經過しても素裸でごろ/″\して居たのでは、唯ごろ/″\して居たといふに過ぎぬ。時日を長くするも短くするも方法の一つである。學生たるものは宜しく此五十日の休暇を活用すべきである。旅行の面白味に伴ふ利益は贅言を竢たぬ所で、實行して見ればすぐに了解される。二日でもよいから出たまへ。さうして家を出る時には必辨當箱へ家人の焚いた飯を詰めることを守りたまへ。此貧乏な旅行に最大切な節約の第一歩だからである。
 最後に一寸言ひおきたいことがある。それは旅中における余の名物癖である。敢て名物といはなくても、例へば會津の若松へつくと、非常に金鍔燒の多いのが目につく。此時兎に角金鍔の一つ二つを頬張つて見る。※[#「蓙」の左の「人」に代えて「口」、31-12]を着た旅客が、店頭に金鍔を頬ばることは決して人目につく憂が無い。羽前の山形近傍に、茶店に青い※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)をつけた美しい團子がある。此青い※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)は枝豆を摺り潰したのでヂンダと稱するもので、ヂンダをつけたのだからヂンダ團子だといつた。鹽で味をつけたので、甘い物では無いが面白い物だ。こんな道樂は漸く二錢の奮發で十分である。山形の山中で徑一尺に近い煎餠があつたから名を聞くと、オスゴレ煎餠といふのであつた。一枚いくらだといふと一錢づつであつた。近江の三井寺の觀音といへば、湖水を一目にした形勝の地であるが、此處で力餠といふのを團子のやうに串へ立てゝ賣つて居る。一皿が二錢であつた。近江から京都へ越える逢坂山には走り井の餠がある。※(「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)を中へ包んで三角形にした器用に出來た餠である。一盆十個で三錢。木曾街道では鳥居峠の蓬餠、上松附近の飴の餠、木曾の中心にして天下の形勝なる寢覺へ出ると寢覺蕎麥、須原には種々の花を並べた花漬などがある。中にはやゝ高價な物もあるが、大抵は二三錢から五錢以内で樂める。貧乏な旅客でも懷中にちつとの心配も要せぬ。餠のわづか一皿でも、其土地の非常な好い記念となる。消化力の旺盛になつて居る旅中には、今飯を喰つたとて、面白い名物であつたら、一皿位では胃に障るやうなことはない。此道樂は是非共學生にも勸めたいと思ふ。これも優に旅行における樂しき追懷の一つとなるからである。
(明治四十年七月十五日發行、茨城縣立下妻中學校雜誌 爲櫻 第十七號所載)





底本:「長塚節全集 第五巻」春陽堂書店
   1978(昭和53)年11月30日発行
底本の親本「長塚節全集 第六巻」春陽堂
   1927(昭和2)年
初出:「茨城縣立下妻中學校雜誌 爲櫻 第十七號」
   1907(明治40)年7月15日発行
※「豫め」と「豫じめ」の混在は底本通りです。
入力:岡村和彦
校正:高瀬竜一
2016年6月10日作成
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●表記について

「蓙」の左の「人」に代えて「口」    29-3、29-4、29-5、29-6、29-7、29-13、29-14、30-1、30-1、31-12


●図書カード