私は虎狩の話をしようと思う。虎狩といってもタラスコンの英雄タルタラン氏の獅子狩のようなふざけたものではない。正真正銘の虎狩だ。場所は朝鮮の、しかも京城から二十里位しか隔たっていない山の中、というと、今時そんな所に虎が出て
堪るものかと云って笑われそうだが、何しろ今から二十年程前迄は、京城といっても、その近郊東小門外の平山牧場の牛や馬がよく夜中にさらわれて行ったものだ。もっとも、これは虎ではなく、豺(
ぬくて)という
狼の一種にとられるのであったが、とにかく郊外の夜中の独り歩きはまだ危険な頃だった。次のような話さえある。東小門外の駐在所で、
或る晩巡査が一人机に向っていると、急に恐ろしい音を立ててガリガリと入口の
硝子戸を引掻くものがある。びっくりして眼をあげると、それが、何と驚いたことに、虎だったという。虎が――しかも二匹で、
後肢で立上り、前肢の爪で、しきりにガリガリやっていたのだ。巡査は顔色を失い、早速部屋の中にあった丸太棒を
閂の代りに扉にあてがったり、ありったけの椅子や卓子を扉の内側に積み重ねて入口の
つっかい棒にしたりして、自身は
佩刀を抜いて身構えたまま生きた心地もなくぶるぶる
顫えていたという。が、虎共は一時間ほど巡査の
胆を冷させたのち、やっと諦めて
何処かへ行って
了った、というのである。
此の話を京城日報で読んだ時、私はおかしくておかしくて仕方がなかった。ふだん、あんなに威張っている巡査が――その頃の朝鮮は、まだ巡査の威張れる時代だった。――どんなに
其の時はうろたえて、椅子や卓子や、その他のありったけの
がらくたを大掃除の時のように扉の前に積み上げたかを考えると、少年の私はどうしても笑わずにはいられなかった。それに、そのやって来た二匹連れの虎というのが――後肢で立上ってガリガリやって巡査をおどしつけた其の二匹の虎が、どうしても私には本物の虎のような気がしなくて、
脅された当の巡査自身のように、サアベルを
提げ長靴でもはき、ぴんと張った八字
髭でも撫上げながら、「オイ、コラ」とか何とか言いそうな、稚気満々たるお
伽話の国の虎のように思えてならなかったのだ。
さて、虎狩の話の前に、一人の友達のことを話して置かねばならぬ。その友達の名は趙大煥といった。名前で分るとおり、彼は半島人だった。彼の母親は内地人だと皆が云っていた。私はそれを彼の口から親しく聞いたような気もするが、或いは私自身が自分で勝手にそう考えて、きめこんでいただけかも知れぬ。あれだけ親しく付合っていながら、ついぞ私は彼のお母さんを見たことがなかった。
兎に
角、彼は日本語が非常に
巧みだった。それに、よく小説などを読んでいたので、植民地あたりの日本の少年達が聞いたこともないような江戸前の言葉さえ知っていた位だ。で、一見して彼を半島人と見破ることは誰にも出来なかった。趙と私とは小学校の五年の時から友達だった。その五年の二学期に私が内地から龍山の小学校へ転校して行ったのだ。父親の仕事の都合か何かで幼い時に
度々学校をかわったことのある人は覚えているだろう。ちがった学校へはいった初めの
中ほど
厭なものはない。ちがった習慣、ちがった規則、ちがった発音、ちがった読本の読み方。それに理由もなく新来者を
苛めようとする意地の悪い沢山の眼。全く何一つするにも笑われはしまいかと、おどおどするような萎縮した気持に追い立てられてしまう。龍山の小学校へ転校してから二三日
経ったある日、その日も読方の時間に、「児島高徳」のところで、桜の木に書きつけた詩の文句を私が読み始めると、皆がどっと笑い出してしまった。
赧くなりながら一生懸命に読み直せば読み直すほど、みんなは笑いくずれる。しまいには教師までが口のあたりに薄笑いを浮かべる始末だ。私はすっかり厭な気持になって
了って、その時間が終ると大急ぎで教室を抜け出し、まだ一人も友達のいない運動場の隅っこに立ったまま、泣出したい気持でしょんぼり空を眺めた。今でも覚えているが、その日は猛烈な
砂埃が深い霧のようにあたりに
立罩め、太陽はそのうす濁った砂の霧の奥から、月のようなうす黄色い光をかすかに洩らしていた。あとで解ったのだけれども、朝鮮から満洲にかけては一年に大抵一度位はこのような日がある。つまり
蒙古のゴビ砂漠に風が立って、その砂塵が遠く運ばれてくるのだ。その日、私は初めて見るその物すさまじい天候に
呆気に取られて、運動場の
界の、
丈の高いポプラの
梢が、その白い埃の霧の中に消えているあたりを眺めながら、直ぐに
じゃりじゃりと砂の溜ってくる口から、絶えずペッペッと唾を吐き棄てていた。すると突然横合から、奇妙な、ひきつった、ひやかすような笑いと共に、「ヤアイ、恥ずかしいもんだから、むやみと唾ばかり吐いてやがる。」という声が聞えた。見ると、割に背の高い、痩せた、眼の細い、小鼻の張った一人の少年が、悪意というよりは嘲笑に充ちた笑いを見せながら立っていた。
成程、私が唾を吐くのは確かに空中の埃のせいではあったが、そういわれて見ると、また先程の「天
勾践を空しゅうする
勿れ」の恥ずかしさや、一人ぼっちの
間の悪さ、などを
紛らすために必要以上にペッペッと唾を吐いていたことも確かに事実のようである。それを指摘された私は、更に先程の二倍も三倍もの恥ずかしさを一時に感じて、カッとすると、前後の見境もなしに、その少年に向って
ベソを掻きながら跳びかかって行った。正直にいうと、何も私はその少年に勝てると思って跳びかかって行ったわけではない。身体の小さい弱虫の私は、それまで
喧嘩をして勝ったためしがなかった。だから、その時も、どうせ負ける覚悟で、そしてそれ故に、もう半分泣面をしながら跳びかかって行ったのだ。所が、驚いたことに、私が散々叩きのめされるのを覚悟の上で目をつぶって向って行った当の相手が案外弱いのだ。運動場の隅の機械体操の砂場に取組み合って倒れたまま
暫く
揉み合っている中に、苦もなく私は彼を組敷くことが出来た。私は内心やや
此の結果に驚きながらも、まだ心を許す余裕はなく、夢中で目をつぶったまま相手の胸ぐらを小突きまわしていた。が、やがて、あまり相手が無抵抗なのに気がついて、ひょいと目をあけて見ると、私の手の下から相手の細い目が、まじめなのか笑っているのか解らない
狡そうな表情を浮かべて見上げている。私はふと何かしら侮辱を感じて急に手を
緩めると、すぐに立上って彼から離れた。すると彼も続いて起き上り、黒いラシャ服の砂を払いながら、私の方は見ずに、騒ぎを聞いて駈付けて来た他の少年達に向って、きまり悪そうに目尻をゆがめて見せるのだ。私は
却って
此方が負けでもしたような
間の悪さを覚えて、妙な気持で教室に帰って行った。
それから二三日たって、その少年と私とは学校の帰りに同じ道を並んで歩いて行った。その時彼は自分の名前が趙大煥であることを私に告げた。名前をいわれた時、私は思わず聞き返した。朝鮮へ来たくせに、自分と同じ級に半島人がいるということは、全く考えてもいなかったし、それに又その少年の様子がどう見ても半島人とは思えなかったからだ。何度か聞き返して、彼の名がどうしても趙であることを知った時、私は
くどくど聞き返して悪いことをしたと思った。どうやらその頃私はませた少年だったらしい。私は相手に、自分が半島人だという意識を持たせないように――これは此の時ばかりではなく、その後一緒に遊ぶようになってからもずっと――努めて気を
遣ったのだ。が、その心遣いは無用であったように見えた。というのは、趙の方は自分で一向それを気にしていないらしかったからだ。現に自ら進んで私にその名を名乗った所から見ても、彼がそれを気に掛けていないことは解ると私は考えた。
併し実際は、これは、私の思い違いであったことが解った。趙は実は此の点を――自分が半島人であるということよりも、自分の友人達がそのことを何時も意識して、恩恵的に自分と遊んでくれているのだ、ということを非常に気にしていたのだ。時には、彼にそういう意識を持たせまいとする、教師や私達の心遣いまでが、彼を救いようもなく不機嫌にした。つまり彼は自ら其の事にこだわっているからこそ、逆に態度の上では、少しもそれに
拘泥していない様子を見せ、ことさらに自分の名を名乗ったりなどしたのだ。が、この事が私に解ったのは、もっとずっと後になってからのことだ。
とにかく、そうして私達の間は結ばれた。二人は同時に小学校を出、同時に京城の中学校に入学し、毎朝一緒に龍山から電車で通学することになった。
その頃――というのは小学校の終り頃から中学校の初めにかけてのことだが、彼が一人の少女を慕っていたのを私は知っている。小学校の私達の組は男女混合組で、その少女は副級長をしていた。(級長は男の方から選ぶのだ。)背の高い、色はあまり白くはないが、髪の豊かな、眼のきれの長く美しい娘だった。組の誰彼が、少女
倶楽部か何かの口絵の、
華宵とかいう挿絵画家の絵を、よく
此の少女と比較しているのを聞いたことがあった。趙は小学校の頃から
其の少女が好きだったらしいのだが、やがてその少女もやはり龍山から電車で京城の女学校に通うこととなり、往き帰りの電車の中で
ちょいちょい顔を合せるようになってから、更に気持が
昂じてきたのだった。ある時、趙はまじめになって私にその事を洩らしたことがあった。はじめは自分もそれ程ではなかったのだが、年上の友人の一人がその少女の美しさを
讃めるのを聞いてから、急に
堪らなく其の少女が貴く美しいものに思えてきたと、その時彼はそんなことを云った。口には出さなかったけれども、神経質な彼が此の事についても又、事新しく、半島人とか内地人とかいう問題にくよくよ心を悩ましたろうことは推察に
難くない。私はまだはっきりと覚えている。ある冬の朝、南大門駅の乗換の所で、偶然その少女に(全く先方もどうかしていて、ひょいとそうする気になったらしいのだが)正面から挨拶され、面喰ってそれに応じた彼の、寒さで鼻の先を赤くした顔つきを。それから又同じ頃やはり電車の中で、私達二人とその少女とが乗合せた時のことを。その時、私達が少女の腰掛けている前に立っている
中に、脇の一人が席を立ったので、彼女が横へ寄って趙の為に(しかし、それは又同時に私のためとも取れないことはないのだが)席をあけてくれたのだが、その時の趙が、何という困ったような、又、嬉しそうな顔付をしたことか。…………私が何故こんな
くだらない事をはっきり
憶えているかといえば――いや、全く、こんなことはどうでもいいことだが――それは勿論、私自身も
亦、心ひそかに其の少女に切ない気持を抱いていたからだった。が、やがて、その彼の、いや私達の
哀しい恋情は、月日が経って、私達の顔に次第に
面皰が
殖えてくるに従って、何処かへ消えて行って了った。私達の前に次から次へと飛出してくる生の不思議の前に、その姿を見失って了った、という方が、より本当であろう。この頃から私達は次第に、この奇怪にして魅力に富める人生の多くの事実について鋭い好奇の眼を光らせはじめた。二人が――勿論、大人に連れられてのことではあるが、――虎狩に出掛けたのは丁度其の頃のことだ。併しついでだから、順序は逆になるが、虎狩は
後廻しにして、その後の彼について、もう少し話して置こうと思う。それから後の彼について思い出すことといえば、もう、ほんの二つ三つしか無いのだから。
元来、彼は奇妙な事に興味を持つ男で、学校でやらせられる事には殆ど少しも熱心を示さなかった。剣道の時間なども大抵は病気と称して見学し、真面目に面をつけて
竹刀を振廻している私達の方を、例の細い眼で嘲笑を浮べながら見ているのだったが、ある日の四時間目、剣道の時間が終って、まだ面も
脱らない私のそばへ来て、自分が昨日三越のギャラリイで熱帯の魚を見て来た話をした。大変昂奮した口調でその美しさを説き、是非私にも見に行くように、自分も一緒に、もう一度行くから、というのだ。その日の放課後私達は本町通りの三越に寄った。それは恐らく、日本で最も早い熱帯魚の紹介だったろう。三階の陳列場の囲いの中にはいると、周囲の窓際に、ずっと水槽を並べてあるので、場内は水族館の中のような
仄青い薄明りであった。趙は私を先ず、窓際の中央にあった一つの水槽の前に連れて行った。
外の空を映して青く透った水の中には、五六本の水草の間を、薄い絹張りの小
団扇のような美しい、非常にうすい平べったい魚が二匹静かに泳いでいた。ちょっと
鰈を――縦におこして泳がせたような
恰好だ。それに、その胴体と殆ど同じ位の大きさの三角帆のような
鰭が
如何にも見事だ。動く度に色を変える玉虫めいた灰白色の胴には、派手なネクタイの柄のように、赤紫色の太い
縞が幾本か鮮かに引かれている。
「どうだ!」と、熱心に見詰めている私の傍で、趙が得意気に言った。
硝子の厚みのために緑色に見える気泡の上昇する行列。底に敷かれた細かい白い砂。そこから生えている巾の狭い水藻。その間に装飾風の尾鰭を大切そうに静かに動かして泳いでいる菱形の魚。こういうものを
じっと眺めている中に、私は
何時の間にか
覗き眼鏡で南洋の海底でも覗いているような気になってしまっていた。が、
併し又、
其の時、私には趙の感激の仕方が、あまり仰々しすぎると考えられた。彼の「異国的な美」に対する愛好は前からよく知ってはいたけれども、
此の場合の彼の感動には多くの誇張が含まれていることを私は見出し、そして、その誇張を
挫いてやろうと考えた。で、一通り見終ってから三越を出、二人して本町通を下って行った時、私は彼にわざとこう云ってやった。
――そりゃ綺麗でないことはないけれど、だけど、日本の金魚だってあの位は美しいんだぜ。――
反応は直ぐに現れた。口を
噤んだまま正面から私を見返した彼の顔付は――その
面皰の
あとだらけな、例によって眼のほそい、
鼻翼の張った、脣の厚い彼の顔は、私の、繊細な美を解しないことに対する
憫笑や、又、それよりも、今の私の意地の悪いシニカルな態度に対する抗議や、そんなものの交りあった複雑な表情で
忽ち充たされて了ったのである。その後一週間程、彼は私に口をきかなかったように憶えている。…………
彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと憶えていて、
他の事は大抵忘れて
了っている。人間の記憶とは大体そういう風に出来ているものらしい。で、この他に私のよく憶えていることといえば、――そう、あの三年生の時の、冬の演習の夜のことだ。
それは、たしか十一月も末の、風の冷たい日だった。その日、三年以上の生徒は漢江南岸の
永登浦の近処で発火演習を
行った。
斥候に出た時、小高い丘の
疎林の間から下を眺めると、
其処には白い砂原が遠く連なり、その中程あたりを鈍い刃物色をした冬の川がさむざむと流れている。そしてその遥か上の空には、
何時も見慣れた北漢山のゴツゴツした
山骨が青紫色に空を劃っていたりする。そうした冬枯の景色の間を、
背嚢の革や銃の油の匂、又は
煙硝の匂などを嗅ぎながら、私達は一日中駈けずり廻った。
その夜は漢江の岸の
路梁津の川原に天幕を張ることになった。私達は疲れた足を引きずり、銃の重みを肩のあたりに痛く感じながら、歩きにくい川原の砂の上をザックザックと歩いて行った。露営地へ着いたのは四時頃だったろう。いよいよ天幕を張ろうと用意にかかった時、今まで晴れていた空が急に曇って来たかと思うと、バラバラと大粒な
雹が烈しく落ちて来た。ひどく大粒な雹だった。私達は痛さに堪えかねて、まだ張りもしないで砂の上に拡げてあったテントの下へ、我先にともぐり込んだ。その耳許へ、テントの厚い布にあたる雹の音がはげしく鳴った。雹は十分ばかりで止んだ。テントの下から首を出した私達は――その同じテントに七八人、首を突込んでいたのだ。――互いに顔を見合せて一度に笑った。その時、私は趙大煥もやはり同じテントから今、首を抜き出した仲間であることを見出した。が、彼は笑っていなかった。不安げな
蒼ざめた顔色をして下を向いていた。側に五年生のNというのが立っていて、何かけわしい顔をしながら彼を
咎めているのだ。一同があわててテントの下へもぐり込んだ時、趙が
肱でもって、その上級生を突飛ばして、眼鏡を叩き落したというのらしかった。元来私達の中学校では上級生が甚だしく威張る習慣があった。
途で会った時の敬礼はもとより、その他何事につけても上級生には絶対服従ということになっていた。で、私は、その時も趙が
大人しくあやまるだろうと思っていた。が、意外にも――あるいは私達がそばで見ていたせいもあるかも知れないが――仲々素直にあやまらないのだ。彼は
依固地に黙ったまま突立っているばかりだった。Nは
暫く趙を憎さげに見下していたが、私達の方に
一瞥をくれると、そのままぐるりと後を向いて立去って了った。
実をいうと、此の時ばかりでなく、趙は前々から上級生に
睨まれていたのだ。第一、趙は彼等に道で逢っても、あまり敬礼をしないという。これは、趙が近眼であるにも
拘らず眼鏡を掛けていないという事実に
因ることが多いもののようだった。が、そうでなくても、元来年の割にませていて、彼等上級生達の思い上った行為に対しても時として憫笑を洩らしかねない彼のことだし、それにその頃から荷風の小説を
耽読する位で、硬派の彼等から見て、
些か軟派に過ぎてもいたので、これは上級生達から睨まれるのも当然であったろう。趙自身の話によると、何でも二度ばかり「生意気だ。改めないと殴るぞ。」と云って、おどかされたそうだ。
殊に
此の演習の二三日前などは学校裏の崇政殿という、昔の李王朝の宮殿址の前に引張られて、あわや殴られようとしたのを、折よく其処を生徒監が通りかかったために危く免れたのだという。趙は私にその話をしながら口のまわりには例の嘲笑の表情を浮かべていたが、その時、又、急にまじめになってこんな事を云った。自分は決して彼等を恐れてはいないし、又、殴られることをこわいとも思っていないのだが、それにも拘らず、彼等の前に出ると
顫える。何を馬鹿なとは思っても、自然に身体が小刻みに顫え出してくるのだが、一体これはどうした事だろう、と
其の時彼は真面目な顔をして私に訊ねるのだった。彼は何時も人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべ、人から見すかされまいと常に身構えしているくせに、時として、ひょいとこんな正直な所を白状して見せるのだ。もっとも、そういう正直な所をさらけ出して見せたあとでは、必ず、直ぐに今の行為を後悔したような
面持で、又もとの冷笑的な表情にかえるのではあったが。
上級生との間に今云ったような
経緯が前からあったので、それで彼も、その時、素直にあやまれなかったのであろう。其の夕方、天幕が張られてからも、彼はなお不安な
落著かない面持をしていた。
幾十かの天幕が河原に張られ、内部に
藁などを敷いて用意が出来ると、それぞれ、中で火をおこしはじめた。初めの中は
薪がいぶって、とても中にはいたたまれなかった。やがて、その煙もしずまると、朝から
背嚢の中でコチコチに固まった握飯の食事が始まる。それが終ると、一度外へ出て人員点呼。それがすんでから各自の天幕に帰って、砂の上に敷いた藁の上で休むことになる。テントの外に立つ
歩哨は一時間交代で、私の番は
暁方の四時から五時までだったから、それまでゆっくり睡眠がとれるわけだった。その同じ天幕の中には私達三年生が五人と(その中には趙も交っていた。)それに監督の意味で二人の四年生が加わっていた。誰も初めの中は仲々寝そうにもなかった。真中に砂を掘って
拵えた急製の
炉を囲み、火影に赤々と顔を
火照らせ、それでも外からと、下からと沁みこんでくる寒さに
外套の
襟を立てて頸を縮めながら、私達は他愛もない雑談に
耽った。その日、私達の
教練の教官、万年少尉殿が危く落馬しかけた話や、行軍の途中民家の裏庭に踏入って、其の家の農夫達と喧嘩したことや、
斥候に出た四年生がずらかって、秘かに懐中にして来たポケット・ウイスキイの壜を傾け、帰ってから、いい加減な報告をした、などという詰まらない自慢話や、そんな話をしている中に、結局何時の間にか、少年らしい、今から考えれば実にあどけない
猥談に移って行った。やはり一年の年長である四年生が主にそういう話題の提供者だった。私達は目を輝かせて、経験談かそれとも彼等の想像か分らない上級生の話に聞き入り、ほんの詰まらない事にもドッと娯しげな歓声をあげた。ただ、その中で趙大煥一人は大して面白くもなさそうな顔付をして黙っていた。趙とても、こういう種類の話に興味が持てないわけではない。ただ、彼は、上級生の
一寸した冗談をさも面白そうに笑ったりする私達の態度の中に「卑屈な
追従」を見出して、それを苦々しく思っているに違いないのだ。
話にも飽き、昼間の疲れも出てくると、めいめい寒さを防ぐために互いに身体をくっつけあいながら藁の上に横になった。私も横になったまま、毛のシャツを三枚と、その上にジャケツと上衣と外套とを重ねた上からもなお
ひしひしと迫ってくる寒さに暫く顫えていたが、それでも何時の間にかうとうとと睡って了ったものと見える。ひょいと何か高い声を聞いたように思って、眼を覚ましたのは、それから二三時間もたった後だろうか。その途端に私は何かしら悪いことが起ったような感じがして、じっと聞耳を立てると、テントの外から、又、妙に
疳高い声が響いて来た。その声がどうやら趙大煥らしいのだ。私は
はっと思って、宵に自分の隣に
寐ていた彼の姿をもとめた。趙はそこにいなかった。恐らくは歩哨の時間が来たので外へ出ているのだろう。が、あの、妙におびやかされた声は? と、その時、今度はハッキリと顫えを帯びた彼の声が布一枚隔てた外から聞えてきた。
――そんなに悪いとは思わんです。
――なに? 悪いと思わん?――と今度は別の太い声がのしかかるように響いた。
――生意気だぞ。貴様!
それと共に、明らかにピシャリと平手打の音が、そして次に銃が砂の上に倒れるらしい音と、更にまた激しく身体を突いたような鈍い音が二三度、それに続いて聞えた。私は
咄嗟に
凡てを諒解した。私には悪い予感があったのだ。ふだんから憎まれている趙のことではあり、それに昼間のような出来事があったりしたので、或いは今夜のような機会にやられるのではないかと、宵の中から私はそんな気がしていた。それが今、ほんとうに行われたらしいのだ。私は
天幕の中で身を起したが、どうする訳にも行かず、ただ胸をとどろかしたまま、暫く
じっと外の様子を
窺っていた。(
外の友人達は皆よく眠っていた。)やがて外は、二三人の立去る気配がしたあとは
しいんとした静けさにもどった。私は身仕舞をして、そっと天幕を出て見た。外は思いがけなく真白な月夜だった。そうしてテントから二
間ほど離れた所に、月に照らされた真白な砂原の上に、ポツンと黒く、小さな犬か何かのように一人の少年がしゃがんだまま、
じっと顔を
俯せて動かないでいる。銃は側の砂の上に倒れ、その
剣尖がきらきらと月に光っていた。私は傍に行って彼を見下したまま「Nか?」と訊ねた。Nというのは昼間彼といさかいをした五年生の名前だった。趙は、しかし、下を向いたまま、それに答えなかった。しばらくして、突然、ワッという声を立てて身体を冷たい砂の上に投出すと、背中をふるわせながら、おうおうと声をあげて赤ん坊のように泣き始めた。私はびっくりした。十
米ほど距てて、隣の天幕の歩哨も見ているのだ。が、趙の、この、平生に似ない
真率な
慟哭が私を動かした。私は彼を
扶け起そうとした。彼は仲々起きなかった。やっと抱起すと、他の天幕の歩哨達に見られたくない心遣いから、彼を引張って流れの近くへ連れて行った。十八九日あたりの月がラグビイの球に似た恰好をして寒空に冴えていた。真白な砂原の上には三角形の天幕がずらりと立並び、その天幕の外には、いずれも七八つずつ銃剣が組合わされて立っている。歩哨達は真白な息を吐きながら、冷たそうに銃の台尻を支えて立っている。私達はそれらの天幕の群から離れて漢江の本流の方へと歩いて行った。気がついて見ると、私は何時の間にか趙の銃を(砂の上に倒れていたのを拾って)彼の代りに
担っていた。趙は手袋をはめた両手をだらりと垂らして下を向いて歩いて行ったが、その時、ポツンと――やはり顔を俯せたままで、こんなことを言出した。彼はまだ泣いていたので、その声も
嗚咽のために時々とぎれるのであったが、彼は言った。あたかも私を
咎めるような調子で。
――どういうことなんだろうなあ。一体、強いとか、弱いとか、いうことは。――
言葉があまり簡単なため、彼の言おうとしていることがハッキリ解らなかったが、その調子が私を打った。ふだんの彼らしい所は
微塵も出ていなかった。
――俺はね、(と、そこで一度彼は子供のように泣きじゃくって)俺はね、あんな奴等に殴られたって、殴られることなんか負けたとは思いやしないんだよ。ほんとうに。それなのに、やっぱり(ここでもう一度すすり上げて)やっぱり俺はくやしいんだ。それで、くやしいくせに向って行けないんだ。
怖くって向って行けないんだ。――
ここ迄言って言葉を切った時、私は、ここで彼がもう一度大声で泣出すのではないかと思った。それ程声の調子が迫っていた。が、彼は泣出さなかった。私は彼のために適当な慰めの言葉が見付からないのを残念に思いながら、黙って、砂の上に黒々と映った私達の影を見て歩いて行った。全く、小学校の庭で私と取組み合った時以来、彼は弱虫だった。
――強いとか、弱いとかって、どういうことなんだろう……なあ。全く。――と、その時、彼はもう一度その言葉を繰返した。私達はいつの間にか漢江の本流の岸まで来ていた。岸に近い所は、もう一帯に薄い氷が張りつめ、中流の、
汪洋と流れている部分にも、かなりな大きさの氷の塊がいくつか漂っていた。水の現れている所は美しく月に輝いているけれども、氷の張っている部分は、月の光が
磨硝子のように消されて了っている。もう、ここ一週間の中にはすっかり氷結して了うだろう、などと考えながら水面を眺めていた私は、その時、ひょいと彼の
先刻言った言葉を思い出し、その隠れた意味を発見したように思って、
愕然とした。「強いとか弱いとかって、一体どういうことだろうなあ」という趙の言葉は――と、その時私はハッと気が付いたように思った――ただ現在の彼一個の場合についての感慨ばかりではないのではなかろうか、と其の時、私はそう思ったのだ。勿論、今から考えて見ると、これは私の思いすごしであったかも知れない。早熟とはいえ、たかが中学三年生の言葉に、そんな意味まで考えようとしたのは、どうやら彼を
買被りすぎていたようにも思える。が、常々自分の生れのことなどを気にしないように見せながら、実は非常に気にしていた趙のことではあり、又、上級生に
苛められる理由の一部をもその点に
自ら帰していたらしい彼を、よく知っていた私であったから、私がその時そんな風に考えたのも、あながち無理ではなかったのだ。そう考えて、さて、自分と並んだ趙のしおれた姿を見ると、そうでなくても慰めの言葉に窮していた私は、更に何と言葉をかけていいやら解らなくなり、ただ黙って水面を眺めるばかりだった。が、それでも私は何かしら心の中で嬉しかった。あの皮肉屋の、気取屋の趙が、いつもの
外出行きをすっかり脱いで――前にも言ったように、これ迄にも時として、そういう事もないではなかったが、今夜のような正直な激しさで私を驚かせたことはなかった。――裸の、弱虫の、そして内地人ではない、半島人の、彼を見せてくれたことが、私に満足を与えたのだった。私達はそうして暫く寒い河原に立ったまま、月に照らされた、対岸の龍山から
毒村県や
清凉里へかけての白々とした夜景を眺めていた。…………
此の露営の夜の出来事のほかには、彼について思い出すことといっては別に無い。というのは、それから間もなく(まだ私達が四年にならない前に)彼は突然、全く突然、私にさえ一言の予告も与えないで、学校から姿を消して了ったからだ。いうまでもなく、私はすぐに彼の家へたずねて見た。彼の家族は勿論そこにいた。ただ彼だけがいないのだ。
支那の方へ
一寸行ったから、という彼の父親の不完全な日本語の返事の外には、何の手掛りも得られなかった。私は全く腹を立てた。前に何とか
一言ぐらい挨拶があってもいい筈なのだ。私は、彼の失踪の原因を色々と考えて見ようとしたが、無駄だった。あの露営の晩の出来事が直接の動機となったのだろうか。あのことだけで、学校を
廃めるほどの理由になろうとも思えなかったが、やはり幾分は関係があるような気もした。そう考えると、いよいよ、例の、彼の言った「強い、弱い」
云々の言葉が意味のあるものに思われてくるのだった。
やがて、彼に関する色々な
噂が伝わって来た。彼がある種の運動の一味に加わって活躍しているという噂を一しきり私は聞いた。次には、彼が
上海に行って身を持崩しているというような話も――これはやや後になってではあるが――聞いた。その
何れもがあり得ることに思えたし、又同時に、両方とも根の無いことのように考えられもした。
斯うして、中学を終えると直ぐに東京へ出て了った私は、其の後、
杳として彼の消息を聞かないのだ。
虎狩の話をするなどと称しながら、どうやら少し先走りしすぎたようだ。さて、ここらで、
愈々本題に戻らねばならぬ。で、この虎狩の話というのは、前にも述べたように、趙が行方をくらます二年程前の正月、つまり私と趙とが、例の、目の切れの長く美しい小学校の時の副級長を忘れるともなく次第に忘れて行こうとしていた頃のことだ。
ある日学校が終って、いつもの様に趙と二人で電車の停留所まで来ると、彼は私に、いい話があるから次の停留所まで歩こうと言った。そうして、その時、歩きながら、私に虎狩に行きたくないかと言い出した。今度の土曜日に彼の父親が虎狩に行くのだが、その折、彼も連れて行って貰うことになっているという。で、私なら、かねて名前も言ってあるので、彼の父親も許すに違いないから、一緒に行こうじゃないか、というのだ。私は、虎狩などということは今迄まるで考えて見たことがなかっただけに、その時
暫く、驚いたような、彼の言葉が真実であるかどうかを疑うような眼付で彼を見返したものらしい。まったく、虎などという代物が、動物園か子供雑誌の挿絵以外に、自分の間近に、現実に――しかも自分が承知しさえすれば、ここ三四日の中に――現れてこようなどとは、それこそ夢にも考えられなかったからだ。で、私は先ず、彼が私をかつごうとしているのではないことを、再三、――彼がやや機嫌を悪くしたくらい――確かめてから、さて、
其の場所や、同勢や費用などを尋ねたのだった。そうして、その
揚句、彼の父親が承知したら、――というよりも、是非頼むから、無理にも連れて行って貰いたいと、私が言出したのは言うまでもない。趙の父親は元来昔からの家柄の紳士で、韓国時代には相当な官吏をしていたものらしい。そうして、職を辞した今も、いわゆる
両班で、その経済的に豊かなことは息子の服装からでも分った。ただ趙は――自分の家庭での半島人としての生活を見られたくなかったのであろう――自分の家へ遊びに来られるのを嫌ったので、私はついぞ彼の家へ――その所在は知っていたが、行ったことはなく、従って彼の父親も知らなかった。何でも虎狩へは殆ど毎年行くのだそうだが、趙大煥が連れて行かれるのは今年が始めてなのだという。だから、彼も興奮していた。その日、二人は電車を降りて別れるまで、この冒険の予想を、
殊に、どの程度まで自分達は危険に
曝されるであろうかという点について色々と語り合った。さて、彼に別れて家に帰り、父母の顔を見てから、私は
迂闊にも、始めて、
此の冒険の最初に横たわる非常な
障碍を発見しなければならなかった。
如何にすれば私は両親の許可を得ることが出来ようか? 困難はまず
其処にあった。元来、私の家では、父などは自ら常に日鮮融和などということを口にしていたくせに、私が趙と親しくしているのを余り喜んでいなかった。まして虎狩などという危険な所へ、そういう友達と一緒にやるなどとは、頭から許さないにきまっている。色々考えあぐんだ末、私は次の様な手段をとろうと決心した。中学校の近所の西大門に、私の親戚――私の従姉の嫁いでいる先――がある。土曜日の午後、そこへ遊びに行くと称して家を出て、その時、ひょっとしたら今晩は泊ってくるかも知れない、と言って置く。私の家にもその親戚の家にも電話はなかったし――少くとも、
之でその晩だけは完全にごまかせる訳だ。勿論、
後になってばれるにはきまっているが、その時はどんなに叱られたっていい。とにかく其の晩だけ何とかごまかして行ってしまおうと、私は考えた。珍しい貴い経験を得るためには親の
叱言ぐらいは意に介しない底の小享楽家だったのである。
その翌朝、学校へ行って、趙に、彼の父親が承諾を与えたかと聞くと、彼は怒ったような顔付で「あたりまえさ」と答えた。その日から私達は課業のことなどまるで耳にはいらなかった。趙は私に彼が父親から聞いた色々な話をして聞かせた。虎は夜でなければ餌をあさりに出掛けないこと、豹は木に登れるけれども虎は登れないこと、私達が行こうとしている所は、虎ばかりでなく豹も出るかも知れないということ、その他、銃はレミントンを使うのだとか、ウィンチェスタアにするのだとか、あたかも自分がとっくの昔から知ってでもいたかのような調子で、種々の予備智識を与えるのだった。私もふだんなら「何だ、
又聞のくせに」と一矢酬いる所なのだが、何しろ其の冒険の予想で夢中に喜ばされていた際なので、嬉しがって彼の知ったかぶりを傾聴した。
金曜日の放課後、私は一人で(これは趙にも内緒で)昌慶苑に行った。昌慶苑というのは昔の李王の御苑で、今は動物園になっている所だ。私は虎の
檻の前に行って、
佇んだ。スティイムの通っている檻の中で私から一米と隔たらない距離に、虎は前肢を行儀よく揃えて横たわり、眼を細くしていた。眠っているのではないらしいが、側に近づいた私の方には一顧だに
呉れようとしない。私は出来るだけ彼に近づいて、仔細に観察した。確かに仔牛ぐらいはありそうな盛上った背中の肉付。背中は濃く、腹部に向うに従って、うすくなっている、その黄色の地色を、鮮かに染抜いて流れる黒の縞。目の上や、耳の尖端に生えている白毛。身体にふさわしい大きさで頑丈に作られたその頭と顎。それにはライオンに見られるような装飾風な馬鹿馬鹿しい大きさはなく、如何にも実用向きな
獰猛さが感じられた。このような獣が、やがて山の中で私の眼の前に躍り出してくるのだと思うと、自然に胸が
どきどきして来るのを禁ずることが出来なかった。暫く観察していた私は今まで気がつかないでいた事を発見した。それは、虎の頬と顎の下が白いということだ。それから又、彼の鼻の頭が真黒で、猫のそれのように如何にも柔かそうで、一寸手を伸ばしていじって見たいように出来ていることも私を喜ばせた。私はそれらの発見に満足して立去ろうとした。が、私が
此処に佇んでいた小一時間の間、この獣は私に
一瞥さえ与えなかったのだ。私は侮辱を受けたような気がして、最後に、獣の
唸るような声を立てて、彼の注意を惹こうと試みた。併し無駄だった。彼は、その細く閉じた眼をあけようとさえしなかった。
いよいよ土曜日になった。四時間目の数学が終るのを待ちかねて、私は急いで家に帰った。そうして昼飯をすますと、いつもより二枚余計にシャツを着込み、
頭巾やら
耳当やら防寒の用意を充分にととのえてから、かねての計画どおり「親戚の家に泊ってくるかも知れぬ」と言って表へ出た。四時の汽車には少し早過ぎたけれども、家にじっと待っていられなかったのだ。約束の南大門駅の一、二等待合室に行って見ると、だが、もう趙は来ていた。いつもの制服ではなく、スキイ服のような、上から下まで黒ずくめの暖かそうな身軽な
なりをしている。彼の父親と、その友人もじきに来る筈だという。二人がしばらく話をしている中に、待合室の入口に、猟服にゲートルを巻き、大きな猟銃を肩に掛けた二人の紳士が現れた。それを見ると、趙は
此方から
一寸手を挙げ、彼等がそばへ来た時に、その背の高い、
髭のない方に向って、私を「中山君」と紹介した。それが初めて見る彼の父親だった。五十には少し間のありそうな、立派な体格の、血色のいい、息子に似て眼の細い小父さんだった。私が黙って頭を下げると、先方は微笑で以て之に
応えた。口をきかなかったのは、息子の趙が前以て言っていたように、日本語があまり達者でないために違いない。もう一人の、茶色の髭を伸ばした、これは一見して内地人ではないと解る方の男にも私は一寸頭を下げた。その男も黙ったまま之に応じ、趙の朝鮮語での説明を聞きながら、私の顔を見下して微笑した。
発車は丁度四時。一行は私をいれて四人の他に、もう一人、これはどちらの下僕か知らないが、主人達の防寒具やら食糧やら弾薬やらを
荷った男がついて来ていた。
汽車に乗ってからも、並んで席を取った趙と私とは二人きりで話しつづけ、大人達とは殆ど口を交えなかった。趙は私の前であまり朝鮮語を使うのを好まないようであった。時々向い側から与えられる父親の注意らしい言葉にも極く簡単に返事するだけだった。
冬の日は汽車の中ですっかり暮れてしまった。鉄道が山地にはいるに従って、窓の外に雪の積っているらしいのが分った。汽車が目的の駅――それは沙里院の手前の何とかいう駅だと思うのだが、それが、今どうしても思い出せない。一つ一つの情景などは実にはっきり憶えているのだが、妙なことに、肝腎の駅の名前は、
ど忘れして了っているのだ。――に着いた時は、もう七時を廻っていた。燈火の暗い、低い木造の、小さな駅の前におり立った時、黒い空から雪の上を
撫でてくる風が、思わず私達の頸をちぢめさせた。駅の前にも一向人家らしいものはない。
吹晒しの野原の向うに、月のない星空を黒々と山らしいものの影が
聳えているだけだ。一本道を二三町も行った所で、私達は右手にポツンと一軒立っていた低い朝鮮家屋の前に立止った。戸を叩くと、直ぐに中から開いて、黄色い光が雪の上に流れた。みんながはいったので、私も低い入口から背をこごめて
這入った。家の中は全部油紙を敷詰めた
温突になっていて、急に温い気が
むっと襲った。中には七八人の朝鮮人が煙草を吸いながら話し合っていたが、此方を向くと一斉に挨拶をした。と、その中から、此の家の主人らしい
赤髯の男が出て来て、暫く趙の父親と何やら話をしてから、奥へ引込んだ。話は前からしてあったと見えて、やがてお茶を一杯飲むと、二人の本職の猟師と、五六人の
勢子が――猟師と勢子とは同じような
恰好をしていて、見分け難いのだが、私は趙の注意によって、彼等の持っている銃の大小でそれを区別することが出来た――私達について表へ出た。表には犬も四匹ほど待っていた。
雪明りの狭い田舎道を半里ばかり行くと、道は
漸く山にさしかかって来る。疎林の間を、まだ新しい雪を
藁靴でキュッキュッと踏みしめながら勢子達が真先に登って行く。その前になったり後になったりしながら、犬が――雪明りで毛色ははっきり判らないが、あまり大型でない――脇道をしては、方々の木の根や岩角の匂を嗅ぎ嗅ぎ小走りに走って行く。私達はそれから少し遅れて一かたまりになり、彼等の足跡の上を踏んで行く。今にも横から虎がとび出してきはしまいか、後からかかって来たらどうしよう、などと胸をどきどきさせながら、私は、もう趙とも余り話をせずに黙って歩き続けた。
上るに従って道は次第にひどくなる。しまいには、道がなくなって、
尖った木の根や、突出た岩角を越えて上って行くのだ。寒さはひどい。鼻の中が凍って、突張ってくる。頭巾をかぶり耳には毛皮を当てているのだが、やはり耳がちぎれそうに痛む。風が時々樹梢を鳴らす度に一々
はっとする。見上げると、
疎らな裸木の枝の間から星が鮮かに光っている。こうした山道が
凡そ三時間も続いたろうか。小山程の大きな巌の根を一廻りして、もう
可成疲れた私達は、
其の時、林の中の一寸した空地に出て来た。すると、私達より少し前に
其処に着いていた勢子達が、私達の姿を見て、手を挙げて合図をするのだ。みんなはそちらへ駈出した。私もハッとして、おくれずに走って行った。彼等の一人の指す所を見ると、成程、雪の上にはっきりと、直径七八寸もありそうな、猫のそれにそっくりな足跡が
印されている。そして其の足跡は少しずつ間隔をおいて、私達の来た方角とは直角に空地を横ぎって、林から林へと続いている。しかも、勢子達の一人の言葉を趙が翻訳してくれた所によると、
此の足跡はまだ非常に新しいというのだ。趙も私も極度の昂奮と恐怖のために口も
利けなくなって
了った。一行はしばらく其の足跡について、木立の中を、前後に怠りなく注意を配りながら進んで行った。まもなく其の足跡が林間のもう一つの空地へ導いて行った時、私達はその林のはずれに、多くの裸木に交った二本の松の大木を見つけた。案内人達はしばらくその両方を見比べていたが、やがて、そのくねくね曲った方の一方に
攀じのぼると、背中に負って来た棒や板や
蓆などを、その枝と枝との間に打付けて、
忽ち其処に即製の
桟敷をこしらえ上げて了った。地面から四米ぐらいの高さだったろう。その中へ
藁を敷詰めて、そこで私達は待つのだ。虎は往きに通った
途を必ず帰りにも通るという。だから、その松の枝の間にそうして待っていて虎の帰りを迎え撃とうというのだ。三本の曲った太い枝の間に張られた其の藁敷の桟敷は案外広くて、前に言った私達四人の他に、二人の猟師もそこへはいることが出来た。私はそこへ上った時、もう、少くとも後から跳びかかられる心配はなくなったと考えて、
ほっとした。私達が上ってしまうと、勢子達は犬を連れ、各々銃を肩に、
松明の用意をして、
何処か林の奥に消えて了った。
時は次第に
経つ。雪の白さで土地の上はかなり明るく見える。私達の眼の下は五十坪ほどの空地で、その周囲にはずっと疎らな林が続いている。葉の落ちていないのは、私達ののぼっている木と、その隣の松の外には余り見当らないようだ。その裸木の幹が白い地上に黒々と交錯して見える。時々大きな風が吹いてくると林は一時に鳴りざわめき、やがて風が去るにつれて、その音も海の遠鳴のように次第にかすかになって、寒い空の何処かへ消えて行ってしまう。松の枝と葉の間から見上げる星の光は私達を
威しつけるように鋭い。
そうした見張をしばらく続けている中に、先程の恐怖は大分
失くなって行った。が、そのかわり今度は寒気が容赦なく押寄せて来た。毛の靴下をはいた足の先から、冷たさとも痛さともつかない感覚が次第に上ってくる。大人達は大人達でしきりに話を交しているが、私には時々聞えてくる虎(ホランイ)という言葉の
他はまるで解らない。私も、無理にも元気をつけようと、キャラメルを頬張って、ふるえながら趙と話を始めた。趙は私に、先年此の近所で虎に襲われた朝鮮人の話をした。虎の前肢の一撃でその男の頭から顎へかけて顔の半分が
抉ったように
削ぎとられて了ったそうである。明らかに父親からの受売に違いない此の話を、趙はまるで自分が眼の前で見て来たことのように昂奮して語った。その調子は、あたかも彼が、そんな惨劇の今にも目の前で行われるのを切望しているかのようだった。そして実は私もその話を聞きながら、自分に危険のない範囲で、そのような出来事が起ればいい、というような期待をひそかに抱いたのであった。
が、二時間待っても、三時間待っても、一向虎らしいものの気配も見えぬ。もう二時間もすれば夜が明けてくるだろう。趙の父親の話によると、こうやって虎狩に来ても、いきなり新しい足跡を見付けるなんぞというのは余程運がいい方で、大抵は二三日
麓の農家に滞在させられるということだから、これはことによると、今晩は出て来ないのではないかな。そうすると、学校や家の都合で
逗留できない私は、何にも見ないで帰らなければならないことになる。そうなったら、趙は一体どうするだろう。父親と一緒に虎が出てくるまで
此処へ何日でも残るつもりだろうか。自分一人で帰るのは詰まらないな。…………そんな事を考え出すと、宵の
中からの緊張も次第に
弛んで来る。
趙はその時、持って来た
鞄の中からバナナを一房取出して私にも分けてくれた。その冷たいバナナを喰べながら、私は妙な事を考えついた。今から思うと、実に笑い話だけれど、其の時私は
まじめになって、此のバナナの皮を下へ
撒いておいて、虎を滑らしてやろうと考えたのだ。勿論私とても、
屹度虎がバナナの皮で滑って、そのためにたやすく撃たれるに違いないと確信したわけではなかったが、しかし、そんな事も全然あり得ないことではなかろう位の期待を持った。そして喰べただけのバナナの皮は、なるたけ遠く、虎が通るに違いないと思われた方へ投棄てた。さすがに笑われると思ったので、此の考えは趙にも黙ってはいたが。
さて、バナナは
失くなったが、虎は仲々出て来ぬ。期待の外れた失望と、緊張の
弛緩とから、私はやや
睡気を催しはじめた。寒い風に
顫えながら、それでも私はコクリコクリやりかけた。そうすると、趙一人おいて向うにいた趙の父親が私の肩先を軽く叩いて、
覚束ない日本語で、笑いながら、「虎よりも風邪の方がこわいよ」と注意してくれた。私はすぐに微笑を以て、その注意に
応えた。が、また間もなく、ウトウトやって了ったものらしい。そうして、それから、どの位時が経ったものか。私は夢の中で、さっき趙に聞いた話の、朝鮮人が虎に襲われている所を見ていたようだった。…………
さて、それが、どのようにして起ったか。私は不覚にもそれを知らない。ただ、鋭い恐怖の叫びに耳を貫かれてハッと我にかえった時、私は見た。すぐ眼の下に、私達の松の枝から三十
米とへだたらない所に、夢の中のそれとそっくりな光景を見た。一匹の黒黄色の獣が私達にその側面を見せて雪の上に腰を低くして立っている。そして
其の前には、それから三四間程の間をおいて、一人の勢子らしい男が、側に銃をほうり出し、両手を後につき、足を前方に出したまま
躄のような恰好で倒れて、眼だけ放心したように虎の方を
見据えている。虎は――普通想像されるように、足をちぢめ揃えて、跳びかかるような姿勢ではなくて――猫がものにじゃれる時のように、右の前肢をあげて、チョッカイを出すような様子で、前に進み出そうとしている。私はハッとしながらも、まだ夢の続きでもあるような気で、眼をこすって、もう一度よく見なおそうとした。と、その時だ。私の
耳許からバンと烈しい銃声が起り、更にバン・バン・バンと矢継早に三つの銃声がそれに続いた。鋭い
烟硝の匂が急に鼻を
衝いた。前へ進みかけた虎は、そのまま大きく口をあけて
吼りながら後肢で一寸立上ったが、直ぐに、どうと倒れて了った。それが、――私が眼を覚ましてから、銃声が響き、虎が立上って、又倒れるまでが、僅々十秒位の間の出来事であったろう。私はただ
呆気に取られて、遠くのフィルムでも見ているような気持で、ぼうっとして眺めていた。
すぐに大人達は木から下りて行った。私達もそれについて下りた。雪の上では、獣もその前に倒れている人間も共に動かない。私達ははじめ棒の先で、倒れている虎の身体をつついて見た。動く気色もないので、やっと安心して、皆その死骸に近寄った。その近所は一面に雪の上を新しい血が真赤に染めていた。顔を横に向けて倒れている虎の長さは、胴だけで五尺以上はあったろう。もう其の時は、空も次第に明けかけて、周囲の木々の梢の色も
うっすらと見分けられる頃だったから、雪の上に投出された黄色に黒の
縞は、何とも言えず美しかった。ただ背中のあたりの、思ったより黒いのが私を意外に思わせた。私と趙とは互いに顔を見合せて、ホッと吐息をつき、もはや危険がないとは知りつつも、まだビクビクしながら、今の今までどんな厚い皮でもたちどころに引裂くことの出来たその鋭い爪や、飼猫のそれとまるで同じな白い
口髭などに、そっとさわって見たりした。
一方、倒れている人間の方はどうかというと、これはただ恐怖のあまり気を失っただけで、少しの
怪我もなかった。あとで聞くと、
此の男はやはり勢子の一人で、虎を尋ねあぐんで私達の所へ帰って来たのだが、あの空地の所で一寸小用を足している時に、ひょいと横合から虎が出て来たのだという。
私を驚かせたのはその時の趙大煥の態度だった。彼は、その気を失って倒れている男の所へ来ると、足で荒々しく其の身体を蹴返して見ながら私に言うのだ。
――チョッ! 怪我もしていない――
それが決して冗談に言っているのではなく、いかにも此の男の無事なのを
口惜しがる、つまり自分が前から期待していたような惨劇の犠牲者にならなかったことを憤っているように響くのだ。そして側で見ている彼の父親も、息子がその勢子を足でなぶるのを
止めようともしない。ふと私は、彼等の中を流れている此の地の豪族の血を見たように思った。そして趙大煥が気絶した男をいまいましそうに見下している、その眼と眼の間あたりに漂っている
刻薄な表情を眺めながら、私は、いつか講談か何かで読んだことのある「終りを全うしない相」とは、こういうのを指すのではないか、と考えたことだった。
やがて、他の勢子達も銃声を聞いて集って来た。彼等は虎の四肢を二本ずつ縛り上げ、それに太い棒を通し、さかさに吊して、もう明るくなった山道を下りて行った。停留所まで下りて来た私達は一休みして後――虎はあとから貨物で運ぶことにして――すぐに其の午前の汽車で京城に帰った。期待に比べて結末があまりに簡単に終ってしまったのが物足りなかったけれども――殊に、うとうとしていて、虎の出て来る所を見損ったのが残念だったが、とにかく私は自分が一かどの冒険をしたのだ、という考えに満足して家にもどった。
一週間ほどして、西大門の親戚の所からして、私の嘘がばれた時、父から大眼玉を喰ったことは云うまでもない。
さて、これでやっと虎狩の話を終ったわけだ。で、
此の虎狩から二年程
経って、例の発火演習の夜から間もなく、彼が私達友人の間から黙って姿を消して
了ったのは、前に言ったとおりだ。そうして、それからここに十五六年、まるで彼とは逢わないのだ。いや、そう云うと嘘になる。実は私は彼に逢ったのだ。しかも、それがつい此の間のことだ。だからこそ、私もこんな話を始める気になったのだが、
併し、その逢い方というのが
頗る奇妙なもので、果して、逢ったといえるか、どうか。その次第というのはこうだ。
三日程前の
午過ぎ、友人に頼まれた或る本を探すために、本郷通りの古本屋を一通り
漁った私は、かなり眼の疲れを覚えながら、赤門前から三丁目の方へ向って歩いていた。丁度昼休みの時間なので、大学生や高等学校の生徒や、その他の学生達の列が、通り一杯に溢れていた。私が三丁目の近くの、
藪そばへ曲る横丁の所まで来た時、その人通りの波の中に、一人の背の高い――その群集の間から一際、頭だけ抜出ているように見えた位だから、余程高かったに違いない――痩せた三十恰好の、ロイド眼鏡を掛けた男の、じっと突立っているのが、私の目を
惹いた。
其の男は背が人並外れて高かったばかりではなく、その風采が、また著しく人目を惹くに足るものだった。古い
羊羹色の縁の、ペロリと垂れた中折を
阿弥陀にかぶった下に、大きなロイド眼鏡――それも片方の
弦が無くて、
紐がその代用をしている――を光らせ、
汚点だらけの詰襟服はボタンが二つも取れている。薄汚ない長い顔には、白く乾いた脣のまわりに
疎らな
無精髭が
しょぼしょぼ生えて、それが間の抜けた表情を与えてはいるが、しかし、又、其の、間の迫った眉のあたりには、何かしら油断の出来ない感じをさせるものがあるようだ。いって見れば、田舎者の顔と、
掏摸の顔とを一緒にしたような顔付だ。歩いて来た私は、五六間も
先から、すでに、群集の中に、この長すぎる身体をもてあましているような異様な風体の男を発見して、それに眼を注いでいた。すると、向うもどうやら私の方を見ていたらしかったが、私がその一間ほど手前に来た時、その男の、心持しかめていた眉の間から、何か
一寸した表情の
和らぎといった風のものがあらわれた。そして、その、目に見えない位の
微かな和らぎが忽ち顔中に拡がったと思うと、急に彼の眼が(勿論、微笑一つしないのだが)私に向って、あたかも旧知を認める時のように、うなずいて見せたのだ。私は
びっくりした。そうして、前後を見廻して、其のウインクが私に向って発せられたものであることを確かめると、私は私の記憶の隈々を大急ぎで探しはじめた。その間も、一方、眼の方は相手からそらさずに
怪訝そうな凝視を続けていたのだが、その中に、私の心の
すみっこに、ハッキリとは解らないが何か非常に長い間忘れていたような
あるものが見付かったような気がした。そして、その
会体の知れない或る感じが見る見る拡がって行った時、私の眼は既に、彼の眼差に答えるための
会釈をしていたのだ。その時にはもう私には、此の男が自分の旧知の一人であることは確かだった。ただそれが誰であったかが疑問として残ったに過ぎない。
相手は
此方の会釈を見ると、此方も向うを思い出したものと思ったらしく、私の方へ歩み寄って来た。が、別に話をするでもなく、笑顔を見せるでもなく、黙って私と並んで、自分の今来た道を逆に歩き出した。私も
亦黙ったまま、彼が誰であるかを、しきりに思い出そうと努めていた。
五六歩あるいた時、その男は私に
嗄れた声で、――私の記憶の中には、どこにも、その様な声はなかった――「煙草を一本くれ」と言い出した。私はポケットを探して、半分程空になったバットの箱を彼の前に差出した。彼はそれを受取り、片方の手を自分のポケットに突込んだかと思うと、急に妙な顔をして、そのバットの箱を眺め、それから私の顔を見た。
暫くそうして馬鹿のような顔をして、バットと私とを見比べた後、彼は黙って、私が与えたバットの箱をそのまま私に返そうとした。私は黙ってそれを受取りながらも、何だか狐につままれたような腑に落ちない気持と、又、一寸、馬鹿にされたような腹立たしさの交った気持で、彼の顔を見上げた。すると、彼は、その時初めて、薄笑いらしいものを口の端に浮かべて
斯う独り言のように言った。
――言葉で記憶していると、よくこんな間違をする。――
勿論、私には何の事か、のみこめなかった。が、今度は彼は、極めて興味ある事柄を話すような、勢こんだ
せかせかした調子で、その説明を始めた。
それによると、彼が私からバットを受取って、さて、
燐寸を取出すために右手をポケットに入れた時、彼はそこに矢張り同じ煙草の箱を探りあてたのだという。その時に、彼はハッとして、自分の求めていたものが煙草でなくて燐寸であったことに気がついた。そこで彼は、自分が何故、この馬鹿馬鹿しい間違いをしたかを考えて見た。単なる思い違いと云ってしまえば、それまでだが、それならば、其の思い違いは
何処から来たか。それを色々考えた末、彼はこう結論したのだ。つまり、それは、彼の記憶が
悉く言葉によったためであると。彼ははじめ自分に燐寸がないのを発見した時、誰かに逢ったら燐寸を貰おうと考え、その考えを言葉として、「自分は
他人から燐寸を貰わねばならぬ」という言葉として、記憶の中にとって置いた。燐寸が
ほんとうに欲しいという実際的な要求の気持として、全身的要求の感覚――へんな言葉だが、此の場合こう云えば、よく解るだろう、と、彼はその時、そう附加えた。――として記憶の中に保存して置かなかった。これがあの間違いの
もとなのだ。感覚とか感情ならば、うすれることはあっても混同することはないのだが、言葉や文字の記憶は正確なかわりに、どうかすると、とんでもない別の物に化けていることがある。彼の記憶の中の「燐寸」という言葉、もしくは文字は、何時の間にかそれと関係のある「煙草」という言葉、もしくは文字に置換えられて了っていたのだ。……彼はそう説明した。それが、此の発見がいかにも面白くて
堪らないというような話ぶりで、おまけに最後に、こういう習慣はすべて概念ばかりで物を考えるようになっている知識人の通弊だ、という思い掛けない結論まで添えた。実をいうと、私は、その間、彼自身は非常に興味を感じているらしい此の問題の説明に、あまり耳を傾けてはいなかった。ただ、そのセカセカした早口なしゃべり方を聞きながら、確かに、これは(声こそ違え)私の記憶の何処かにある癖だ、と思い、しきりに、その誰であったかを思い出そうとしていた。が、丁度、極めてやさしい字が仲々思い出せない時のように、もうすっかり解って了ったような気がしながら、渦巻の外側を流れる
芥の如く、ぐるぐる問題のまわりを廻ってばかりいて、仲々その中心にとび込んで行けないのだ。
その中に私達は本郷三丁目の停留所まで来た。彼がそこで立止ったので、私もそれに
倣った。彼は電車に乗るつもりかも知れない。私達は並んで立ったまま、眺めるともなく、前の薬局の飾窓を眺めていた。彼はそこに何か見付けたらしく、
大胯に其の窓の前に歩いて行った。私も彼について行って
覗いて見た。それは新発売の性器具の広告で、見本らしいものが黒い布の上に並べられていた。彼はその前に立って、微笑を浮かべて暫く覗いていた。その彼を、私は横に立って眺めていた。と、その時、彼のそのニヤニヤした薄笑いを横あいから覗き込んだ時、突然、私はすっかり思い出した。今まで私の頭の中で、渦巻のまわりの塵のようにぐるぐる廻ってばかりいた私の記憶が、その時、忽ち渦巻の中心に飛び込んだのだ。皮肉げに脣を曲げたあの薄笑い。眼鏡を掛けてはいるが、その奥からのぞいている細い眼。お人良しと
猜疑とのまざりあった其の眼付。――おお、それが彼以外の誰だろうか。虎に殺され損った
勢子を足で蹴返していまいましげに見下した彼以外の誰の眼付だろうか。その瞬間、一時に私は、虎狩や熱帯魚や発火演習などを
ごたごたと思い浮かべながら、これが彼であるのを見出すのに、どうしてこんなに手間を取ったろうか、と自分ながら
呆れてしまった。そうして私は今や心からの喜びを以て、後から彼の肩を打とうとした。所がその時、真砂町の方から来た一台の電車が停留所に停った。それを見た彼は、私の手がまだ彼の高い肩に達しない前に、そして、私の動作に一向気づきもしないで、あわただしく身を
翻して、その電車の方へ走って行った。そして、
ひらりと飛乗ると、車掌台から
此方を向いて右手を一寸挙げて私に会釈し、そのまま、長い身体を折るようにして車内にはいって了った。電車はすぐに動き出した。かくして私は、十何年ぶりかで逢った我が友、趙大煥を、――趙大煥としての
一言をも交さないで、再び、大東京の人混みの中に見失って了ったのだ。