横浜及び異人館情調

木下杢太郎




 題はかう定めたが、今朝は僕の情調が統一して居ないから何になるか分らない。頭の明なかくの後ろに押しかけて居るいろいろのすがた抽出ひきだして見よう。
 昨夜ゆふべは一晩かかつて「異人館遠望の曲」といふのを書かうと思つた。いろいろ苦心したが到頭思ふやうに行かなくつて大へん腹立たしかつた。
 その時自分の心持を集中させようと思つて明治十年頃の異人館の三枚続きの錦絵を壁にかけて置いたが、それもそのまま魔力なく、今は朝の日に黄ばんで居る。
 それでも、今まだ僕の耳の奥の方には、遠い/\潮のやうに懐しく悲しい異人館遠望の歌のメロヂイが鳴つて居る。僕はどうかして、昔揺籃の内で聞いた「野毛の山から」の歌、そのふしの起した濃い情調を、「記憶」の霧深い月夜から明るい今に出して来たいと思ふ。それは無益であつた。恐らくば僕の企ては音楽を藉りないでは成就しまい。……桜の花の間から赤い煉瓦の異人館が見える。三階の楼には米利堅の号旗ふらふが立つて居る。港に面した側には緑色に塗つた軒の露台ばるこんがある、若い夫婦らしい異人が落日で赤く染まつた水平線のぼんやりした春の日の空を眺めてゐる。腹の所に車の付いた三本檣さんぼんますとの乗合蒸気船が黒い煙をあとに残して、やうやう暮れてゆく港の外に向ふ。しばししてかすんだ船の檣に黄ろい痛々しい航海燈がつく。
 琴、笙、羅面絃らべいか、いろいろの音を集めたやうなおるごるの悲しい曲が起る。亜米利加何番の商館の大広間に晩餐会が開かれる。その窓、その軒には美しい日本のべにの提灯が吊られる。若い二人の異人もいひ難く弱く柔かな春の悲哀かなしみを抱き乍ら露台ばるこんを離れる。
 いつかもう街には緑金色の燈がついた。紫に青んだ白壁の高塀から、ぱつととろけた白金のやうな桜の花が燃え出る。
 かかる時ゆるやかな角の音が遠くに起る。四輪車が丁度街角を曲つて異人館の下にかかる。女の人達は赤い日傘をつぼめた。南京、輿かご、人力車、町の娘、洋妾らしやめん、阿蘭陀ジエネラル……春の夜の市街の雑踏の中で一群の四輪車の人々は夜の旅人の悲しい心持になつて、窓の奥、あやしい楽曲の方を見上げる。……
 古いつたない錦絵は兎に角これ丈の情調を包蔵してゐる。同じ事は詩でゆかないだらうか。恐らく僕が詩で失敗したのは、僕の詩的感応の力が弱いのは別として、詩それ自身がそれに不便なものだつたのに相違ない。
 始めて吾等は音楽を要求するに至る。
 長唄、浄瑠璃、謡……色々なものを少しづつ聞いて見たことがある。然しその形造る情調は一定の範囲を脱しない。其他常盤津、一中、端唄……凡ての之等の江戸的、上方的の徳川音楽は、僕のあたまに娘道成寺、順礼、一立斎が江戸百景、長春、歌麿が絵本の趣味、豊国が歌舞伎の絵を思ひ浮ばせる事が出来るが、既にもう、幕末、維新、明治初年の情調とは無関係だ。
 僕等の耳に熟せざる西洋音楽に至つては、更に僕等が本然の Sentiment とは没交渉だ。唯時々日比谷あたりで、支那の楽器の調子を納れた異国趣味の音楽などに出遇ふと多少分るやうにも Intime にも思ふ。僕等の一生では併し、各自めい/\に西洋音楽を解して、それから日本の作曲家のつくつて呉れた新しい日本の音楽を楽しむといふ時期は来ないだらう。
 僕等の一生はやはり音楽ぬきの一生で終るだらう。
 僕には絵を画くことも出来ないが、横浜に対する僕の心持は「屋上庭園」の二号にまづい Dessin で表はして見ようと思つてゐる。
 それはあの頃の外国商品の ※(アキュートアクセント付きE小文字)itquette[#「※(アキュートアクセント付きE小文字)itquette」はママ] に模して、若い異人と日本の華魁おいらんとが、西洋風の間で一つ三味線を弾いてゐる図で出すのだ。後ろに桜、洋館、港の黒船。………それから下に横浜幾番、…… & Co. Paris. といふやうな屋号。
 西洋へも日本の絵画は初め商品にくつついていつたさうだ。趣味の細い Goncourt 兄弟などはその熱心な蒐集者だつたさうだ。日本で今盛に製造して支那で出す燐寸の商標には、力めて支那人向きの絵をかくが、それにも増して面白いのは、西洋の商品、わけてもキヤラコ、モスリン、天竺金巾などについて来た Etiquette に日本人に好まれさうな絵を西洋人が画いたのである。これはしまひには日本の絵かきにかかせたらしいが、初めのうちのには珍奇なのがあつたらしい。そこに一種の異国趣味エキゾチズム異時交錯アナクロニズムとがあつて面白い。
 日本に於ける外国趣味伝来は、仏教渡来の古きむかしはしばらく措き、元亀、天正乃至安政より明治に至るまでにいろいろの面白い美的影響を残してゐる。装飾的絵画及び異国趣味の音楽の好材料だらうと思ふ。
 長崎、平戸の方はむしろ南蛮及吉利支丹趣味である。それは新しい横浜の異人館情調よりはもつと面白い。
 いつか五十年祭の時に僕は態々横浜を見にいつた。然し今の目ではもう異人館情緒は捕へることは出来なかつた。
 異人館情調はもとより少年の羅曼底情調である。然し自分の一度経験した情のあぢはひは、どうかして一遍世の中のうちへ出したいと思ふ。





底本:「日本随筆紀行第八巻 横浜 かもめが翔んだ」作品社
   1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「木下杢太郎全集 第七巻」岩波書店
   1981(昭和56)年6月
入力:浦山敦子
校正:円野
2024年7月20日作成
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