貧乏な少年の話

新美南吉





 六年生の加藤大作君かとうだいさくくんが、人通りのない道を歩いてくると、キャラメルのはこが一つ落ちていた。
「あれ、キャラメ……」
 大作君はかがんでそれをひろおうとした。しかし急にある考えがうかんで、ひろうのをやめた。人に空箱あきばこをひろわせてはずかしい思いをさせようという、だれかの意地わるないたずらかも知れない。どこかにかくれてみていて、それを大作君がひろうととたんに「わアい、いいものひろったなア。」とひやかすつもりかも知れない。そういえば、あたりがばかにひっそりしている。このひっそりしているのがくさいのである。
 そこで大作君はキャラメルの箱を横眼よこめでにらみながら通りすぎると、うしろからあんのじょう、「だいくん、だいくん。」とよんだ者がある。ふりかえったがだれもいなかった。
 すると道ばたの、いま白い花をいっぱいにつけたくちなしのいけがきの一ところが、がさがさと動いて、「ここだよ、ここだよ。」とよんだ。
 大作君だいさくくんはすこしもどって、すきまからのぞいてみた。黒いがまたたきながら笑っていた。なんだ、大頭の吉太郎君よしたろうくんである。
 だが、こいつは油断ゆだんのならぬやつだ、ぼくをわなにかけようとしたんだ、と大作君はすこしはらが立った。
 大頭の吉太郎君は自分のしかけたわなが失敗したので、ご機嫌きげんをとるようににこにこしながら、
「はいってこいよ、あそこのあなから。」
といった。
 大作君は、うんといって、その穴から吉太郎君の家の屋敷やしきにはいった。そこはお金持の吉太郎君の家の土蔵どぞうのうらで、みかんの木が五六本うわっていた。
「な、だいくん、あっこにキャラメルのはこが落ちてるだろう。」
と吉太郎君がひそひそ声でいった。こんなふうに、ひそひそ声で話しかけられると、つまらないことでも重大な意味があるように感じられるものだから、大作君はいけがきのすきまからあらためてキャラメルの箱をみた。そしてをぱちくりやって、
「うん。」
と、やはり声をひそませて答えた。
「あいつをだれかがきっとひろうから、みてよかよ。貧乏なやつがきっとひろうぞ。」
 大作君だいさくくんは、ついいましがた、自分がそれをひろおうとしたこと、そして自分がわなにかけられようとしているのに気づいてはらを立てたことをわすれてしまった。こんどはためす立場にかわったのだ。人をためすとなると、また一だんと興味きょうみがわくものである。
「うん。」
と大作君は、もう吉太郎君よしたろうくんの味方になりながら、うなずいた。
 ふたりは、くちなしの葉や花しべに顔をさわられながら、すきまから道の上の小さいはこを熱心にみつめ、はやく貧乏なやつがこないかと、道の左右をうかがっていた。
 こうして、人に知られずに、人をためすということは、なんとむねのときめくことであろう。すずめをとらえるために風呂桶ふろおけのふたを庭に立てて、その下にもみをまいておき、雀がそこにだまされてくるのを、ものかげからみているときの、あのひそやかなよろこびにている、と大作君は思った。
 それにしても、道というものはなかなか人の通らぬものだ。そしてまた村というものは、ばかにひっそりかんとしたものである。黄金虫こがねむしが一ぴき、はねを鳴らしてふたりの鼻先を通ったとき、ふたりはあやうくおどろきの声をあげるところであった。黄金虫がこんなべらぼう翅音はおとを立てるとは知らなかったのである。
 と吉太郎君よしたろうくんが、
「だれかくるぞ。」
 こうささやいた。ほんとうに、だれかくるけはいがした。
 大作君だいさくくんが冷たいいけがきの中へ顔をつっこんでみると、ちょうど、こういうことでためすには手ごろだと思われる初等科二三年の子どもが、何かぶつぶついいながらくるのがみえた。しかしどうも見覚えのある子どもだ、と大作君は思った。そのはずである、それは大作君の弟の幸助こうすけだった。
「なんだ、幸……」
 しかし大作君はだまってしまった。もう幸助はすぐ近くにきていたのである。もうなりゆきにまかすばかりだった。
 大作君は息の根がとまった。――幸助があれをひろうか、ひろわないか……
「はァん、はァん、ちゃッちゃッちゃッ。」
と幸助は、ひとりのときいつでもやるように、わけのわからぬことをうたいながら、片手かたてでいけがきの葉をむしったりして近づいてきたが、急にだまってしまった。ついにキャラメルのはこを発見したのだ。
 大作君は両眼りょうめをつむりたかったが、それはまた卑怯ひきょうなことのような気がしたので、そのままみていることにした。
 はたして幸助こうすけは、キャラメルのはこをひろった。そして中を改めてみて(むろん、からだった)ポケットにしまいこむと、またさっきのつづきを、
「はァん、はァん、ちゃッちゃッちゃッ。」
とうたいながら、いってしまった。
 大作君だいさくくんははずかしさで顔がほてった。その顔をみられるのがいやなので、いっそいつまでもいけがきにつっこんでいたかったほどである。
 吉太郎君よしたろうくんと顔を見合わせると、吉太郎君が、なんといっていいか困ったように顔をゆがめた。すると大作君は、うちは貧乏だ! という考えが頭からおっかぶさってきて、どう立っていていいかわからなかった。
 そこで失敬しっけいもいわないで、しかられたねこのようにごそごそと、さっきのあなから外に出た。


 大頭の吉太郎君にわかれてから、大作君はもう四つ五つの道かどをまがってきた。こんなふうに景色をかえているうちに、たいていの不愉快ふゆかいなおもいは消えてしまうものである。ところが、今日きょうはそうでなかった。家は貧乏びんぼうだ、というおもいは、しゅうねんぶかく大作君のあとをつけてきた。まるで、追っても追ってもついてくるすて犬のように。
 大作君だいさくくんは、何もいままで自分の家の貧乏びんぼうなことを知らなかったわけではないのだ。しかしこんなぐあいに、まざまざとみせつけられたのは今日きょうがはじめてであった。
 四年生の三学期に大作君は体操たいそうをなまけてばかりいたことがあった。それで、体操の点がおつへいになるだろうということは、前からうすうす思っていた。しかし通知票つうちひょうをもらって、じっさいそこに、体操丙と書かれてあるのをみたときには、いやこれであたりまえだ、と思いながらも、がっかりしてしまったものだ。
 大作君が、いぜんからうすうす知っていた自分の家のまずしいことを、今日のできごとでまざまざとみせつけられたのは、体操丙の通知票をみたときと同じようなことであった。
 そこで大作君は、おとなのことばでいえば、自分の家の貧乏をはっきり認識にんしきした。さらに、貧乏であることをしみじみはずかしく感じたのである。
 人は、つまずいてすてんころりとぶざまにころんだりすると、ころんだ自分にはらを立てて、もういっぺんわざと、こんどはもっとひどく、ころんで自分をいじめることがあるものだが、大作君も、自分の家の貧乏なことがよくわかり、そしてそれがうたがいもなくはずかしいことであるとわかってみると、こんどはわざと、自分の家がどんなに貧しいはずかしいらし方をしているかをおもい出して、ますますはずかしさを味わってみたくなった。
 ――第一、大作君だいさくくんの家では子どもが多すぎるのだ。大作君をかしらにして八人いる。そしてお母さんはまだこれからあかぼうをうむかも知れないのである。何しろこんなに生まれるということはお父さんも意外だったそうだ。それが証拠しょうこに、お父さんははじめ三人だけは、大作、速男はやお幸助こうすけと、ていねいな名前をつけた。そして四人目が生まれたときにはじめて、これは今後何人生まれるかわからない。それならば、いちいち考えて名をつけているわけにはいかないというので、四人目の弟からは、ろう郎、ツ子、郎と、番号式につけたのだそうである。この話をよく大作君はお父さんから笑い話としてきかされ、そのつど、おかしくて大笑いした。しかし考えてみれば、こんなことのどこがおもしろいものか。ぜんぜん貧乏びんぼうくさい話じゃないか。
 子どもが多いので大作君の家では、服をひとりひとりに買ってあてがうということはないのだ。たとえば大作君が使った洋服を、つぎの速男が使ってわるくし、それをつぎの幸助が使ってぞうきんみたいなものにしてしまい、それをつぎの四郎と五郎が使っていっそうちぎれちぎれにしてしまうと、最後は赤ん坊たちのむつきになるというあんばいだった。
 帽子ぼうしかばんや教科書、そのなんでもそういうふうに、年上から年下へ手わたされていくのであった。おかしいことにの上のこぶまでがそうだった。つまり最初に、大作君の左の眼の上が赤くつやつやとふくれあがってまぶたが重くなる。一週間もして大作君のそれがなおると、つぎの速男がちゃんとそれをうけついで、左の眼の上をはらしている。速男がなおれば幸助、つぎは四ろう、五郎という順にいく。たんこぶまでが、リレーのバトンのように、から眼へうけわたされていくというのは、まったくばかげた、一せんとくにもならない話ではないか。
 いや、その弟どもが、またひとりひとり考えてみると、いかにも貧乏びんぼうたらしいのである。
 速男はやおはやせっぽちで、大作君だいさくくんからゆずりうける服がいつもだぶだぶのくせに大ぐいである。そして家では速男を西瓜すいかぐいの名人といっている。それは、はやくたべることと、皮を紙のようにうすくのこしてあとはすっかりたべてしまう芸当のためにもらった名前である。
 つぎの幸助こうすけは、なんでもひろってきて、人のみないところにかくしておき、ひとりでとてつもないことを大まじめに考えているという変なやつだ。たとえば、茶色の小石をマッチばこに入れて持っていて、めったにみせてはくれないが、それは土の中にうめておくとだんだん大きくなり、さらにそれを清水のわくところにつけておくと、すきとおってきて宝石ほうせきになるのだそうだ。
 つぎの四郎はまだ国民学校にあがったばかりだ。声がいいというので学芸会に出て唱歌をうたったが、家にいるときは、つぎのようなくだらん歌をいつでもくりかえしうたっている。
たかじゃっぽォ
ぽんひゃァりィ
りくぐんのォ
乃木のぎさんがァ
がいせんすゥ
すずゥめェ
めじろォ
ろしやァ
やばんこォくゥ
クロバトキン
……
 このばかげたしりとりうたはいつまでうたってもきりがない。きいてるとうんざりしてしまうのだ。
 つぎの五郎ごろうは、耳の先をぴくぴく動かすことができる。みんながめずらしがって、動かしてみせろというと、まだちいさいので、いい気になって、を細め、口をさるのようにつぼめ、耳をぴくつかせてみせるのである。
 まだ大作君だいさくくんの家の貧乏びんぼうな話はいくらでもあるが、そう一度に全部おもい出せるものではない。ここまでおもい出したとき、大作君はもう家のそばまできてしまった。
 いつもなら物置小屋の横を通って、さっさと庭にはいるのだが、今日きょうは物置小屋の横で足がとまってしまった。ことのついでに、自分の家がどんなに貧乏くさいかみてやれ、と大作君は思ったのだ。
 大作君だいさくくんは、物置小屋の横から自分の生まれた家を観察するため、顔をすこしさしだしたとき、泥棒どろぼうでもしようとしているかのように、うしろめたく感じた。
 井戸いどばたで小さい女の人が、油っ気のないかみをいいかげんにぐるぐるとまきつけて、洗濯せんたくをしていた。それが大作君のお母さんだった。そのうしろにはビールばこがおいてあって、中にあかぼうがはいっていた。ビール箱はお父さんが買ってきて、ちょっと細工してつくった「乳母車うばぐるま」であった。
 赤ん坊を、八つぐらいの男の子どもがあやしていた。あやす玩具おもちゃは何かといえば、すりきれて、もう使えなくなったほうきであった。その男の子どもが大作君の弟の四郎しろうであった。
 これはもう、申し分のない貧乏びんぼうな景色であるように大作君には思えた。やれやれ、自分の家はこんなんだったのか。
 大作君はげんなりと力もぬけて、物置小屋のかべにもたれていた。


 大作君は、あることはわすれてしまい、あることはおぼえている。憶えていることは、たびたびおもい出す機会があるので、ますます心にきざみこまれていく。
 自分の家は貧乏びんぼうだ、ということは、大作君だいさくくんの心からいつまでも消えてゆかなかった。
 ある日の昼休みの時間に、大作君は鉄棒てつぼうをしていた。しり上がりでうまくくるりとまわって、からだをくのがたに鉄棒にかけて、さて向こうをみたとき、大作君のは、ちょうど校舎こうしゃの屋根の上にいる人かげにとまった。
 その人かげは小さくて、顔などははっきりみえなかったけれども、大作君のお父さんであることは、大作君にはすぐわかった。お父さんの職業しょくぎょうというのが、屋根職人やねしょくにんであったからだ。今日きょうは校舎の屋根の、こわれたかわらをとりかえにきたのに相違ない。
 お父さんだとわかると、大作君ははずかしくなってきた。こりゃ、こんなところにいるといけないぞ、つぎに尻上がりしたやつがきっとみつけるだろう、そしてこんなことをいうかも知れない、「あッ、おい、みれよ。大くんがれのお父つあんが屋根の上におるぞ。」
 そこで大作君は、さっとすなの上に飛びおりると、お父さんの姿すがたのみえない小使室の方へ走っていった。そこのさくらの木の下では、兼男君かねおくんたちが地雷火遊じらいかあそびをしていたので、仲間なかまに入れてもらって、お父さんのことをわすれてしまった。
 午後の一時間目は綴方つづりかたであった。先生が扉口とぐちにあらわれたのをみると、綴方帳のひと荷物を重そうにかかえていられる。十日ほど前に「私の家」という題で書いた綴方を返してくださるのだ。
 大作君はむね一撃いちげきをくらった。なんだかわるいことがはじまるぞ、という予感があった。大作君は、その綴方つづりかたを書いたじぶんは、まだ貧乏びんぼうがそれほどはずかしいこととは思わなかったので、自分の家の貧乏なことを得意とくいになって書いてしまったのだ。たとえば、こんなふうに書いたところもあった。「ぼくの家はびんぼうだ。しかしのぐち英世ひでよの家はびんぼうだったと先生は教えてくれた。ぼくもしっかり勉強してのぐち英世に負けないようにしよう……」
 当番の者が綴方帳をくばっていたとき、みんなの頭の上でミシミシッという音がした。先生はあおむいて天井てんじょうをみた。生徒たちも天井をみた。大作君だいさくくんもそれにつられて天井をあおいだが、すぐうつむいてしまった。お父さんがちょうど教室の真上まうえにきたその足音だということをさとったからである。
 するとだれかが、うしろの方で「瓦屋かわらやさんだ。」と小さい声でいった。大作君は耳の中でせみが一ぴきじーんと鳴き出したように感じた。
「大作君のお父つあんだ。」と、すぐ横の吉太郎君よしたろうくんが、必要もないのに大きな声ではっきりみんなに教えた。そこでみんなは大作君の顔をみた。大作君はどうしようもなくはずかしいのであった。
 綴方帳がもどってきたのでそこを開いてみると、「優」という赤い字と、文のそちこちに打ってあるあわつぶのようなまるとが、大作君のにとびこんだ。大作君は喜ばしい気持ちと困ったなという気持ちとを同時に味わった。優であることはうれしかったが、いつもの例で、優の者はたいてい自作を朗読ろうどくすることになっていたから、それは困るのであった。
 わるいことというものはすべり台のようなもので、そのはしにのってすべりはじめると、するすると、いきつくところまでいってしまうのである。大作君だいさくくんはそれをよく知っていた。きっとこれからはずかしい目に合うんだ。
 その通りだった。大作君はまっさきに朗読ろうどくをあてられた。なぜなら大作君の綴方つづりかたがいちばんの傑作けっさくなんだそうだ。やれやれ。
 大作君は思い切って、立って読んだ。「ぼくの家はびんぼうだ。ぼくの家ではお父さんひとりがお金をもうける。お父さんは屋根しょくにんだ。」するとそのとたんに、また頭上で、ミシミシと音がした。まるで大作君のお父さんが屋根の上で朗読をきいていて、「そうだ、そうだよ。」とあいづちを打ったようなぐあいであった。あまりそれがぴったり合っていたので、みんなはどっと笑った。先生までつりこまれて笑ってしまわれた。
 それから先も、ところどころで、屋根の上のお父さんは、ミシミシとあいづちを打ったり、とっぴょうしにパシャンとわれがわら窓先まどさきへ投げおろしたりして、子どもの大作君の綴方朗読をめちゃめちゃにしてしまった。みんなはそのたびに笑った。
 みんなは、むろん大作君の家の貧乏びんぼうなことを笑ったのではないだろう。親と子が屋根の上と下で、同時に音をたてているのがおもしろかったのだろう。しかし大作君はみんなが大作君の家の貧乏をあざわらったように思えた。何しろ大作君は、貧乏がはずかしいことと思いこんでいたので。
 このことがあってから、大作君だいさくくんは意気地がなくなってしまった。いぜんは大作君のからだ針金はりがねのようにぴいんとしたものがはいっていた。それはいってみれば「何くそ! ぼくは優等生だぞ。ぼくの家は貧乏びんぼうだってなんにもうしろぐらいことはないぞ。公明正大な貧乏だぞ!」といったような気持ちであった。だから、そのじぶんは、大作君はどんなに帽子ぼうしあながあいていたって、どんなに洋服のそでがよれよれになっていたって、人にみられてはずかしいなどと思わなかった。それがこのごろではまるでちがってきた。あの針金のようなものが体からぬけてしまったので、どうかすると立っているのさえ難儀なんぎなことがあった。いっそ、みみずのように地べたをはっていたいと思うようなことがあった。そして人にながめられると、すぐ自分のみなりの貧乏くさいことを気にするのであった。それも、あとから考えるとばかばかしいようなことが気になった。たとえば、下から二つ目のボタンがひしゃげていることとか、むねのあたりにこびりついている味噌汁みそしるのとばっちりだとか。また、お母さんにかみをかってもらったあとでは、頭のうしろを気にした、そこが弟たちのように虎刈とらがりになっていやしないかと思って。
 いぜんには大作君は明快めいかいに口がきけたものだ。何々であります、とか、いいえちがいます、とか、最後のことばまではっきりいえたものだ。それがこのごろでは、半分くらい何かいうと、あとはゴム風船から空気がぬけたように、消えてしまうというあんばいだった。たとえば「あッ、ひこ――」というと、もう力がぬけてしまって、あとの「おきが飛んでおるよ。」ということができないのであった。また歌にしても、「ふ、な、」というともうやめてしまうので、きいている者には、大作君だいさくくんが「ふなさァかァやァまやァすゥぎさァかとォ」という児島高徳こじまたかのりの歌をうたうつもりだったのか、それとも「ふなすくいにいこうかよオ」というつもりだったのか、とんとわからなかったのである。
 また、いぜんには大作君は、どんなことでも、大頭の吉太郎君よしたろうくんなどには負けなかったもんだ。競走きょうそうなら、吉太郎君が十メートルくらい先に走ってから大作君がスタートを切っても、運動場を一周してくるうちには、楽々と吉太郎君をぬいてしまったし、相撲すもうなら、不意に吉太郎君がうしろからくみついてきても、こしを二つほどひねれば、吉太郎君はよっぱらいのようにあっちこっちよろける、そこでわきばらへ手をまわして足をかければ、かるく吉太郎君はたおれてしまったものである。ところがある日、意外なことが起こった。いつものように砂場すなばで勝ちぬき相撲をやっていた大作君は、そこでひとり相手をたおした。するとうしろからだれかが大作君の腰にしがみついてきた。大作君はいつもするように腰をひねったが、相手はなかなかてごわかった。うしろからぐんぐんおしてきた。大作君は、こいつはいけないと、足の爪先つまさきに力を入れてふんばろうとしたが、思うように力がはいらなかった。そして浮足うきあしでいるうちに、砂場の外へおし出されてしまった。ふりかえってみて、大作君はおや、と思った。いつも簡単かんたんにひねりつぶしていた大頭の吉太郎君だったからだ。自分が意気を失ったことを、このとき大作君だいさくくんははっきり知ったのである。
 それよりいっそういけないことが大作君の心の中に起こった。ときどき、自分の家、弟妹たち、いやお父さんお母さんたちをさえも、他人のように冷淡れいたんでじっとみるようになったことだ。たとえば、夜一家が一つのあかりの下に集まってにぎやかに夕飯ゆうはんを食べている。そんなとき大作君ひとりは、しんねりむっつりとおしだまって、小さい弟妹たちを、がきみたいなやつらだなア、耳の中にあかをためたりして、などと思ってみているのである。また、ご飯のときには勝手場へ持ってこられ、お客のあるときには居間いまの方へ持ってゆかれ、風呂ふろにはいるときには土間の方にさし出され、たった一つで五つ分ほどのはたらきをする十六燭光しょっこうの電燈をみては、こんなことは家が貧乏びんぼうである証拠しょうこになるばかりで、すこしも自慢じまんのたねになることじゃないと考えているのである。こんなときは、大作君のからだは家族の中にありながら、心は遠くにさまよっているので、とつぜん、家の者みなが何かのことで笑い出したりすると、大作君はゆめからさめた人のようにきょろんとして、おくればせにすこし笑うのであった。
 ときには大作君は、貧乏くさいというので、弟の中のだれかれをにくんだりした。
 宝蔵倉ほうぞうぐらの前で、少年たちが模型もけいグライダーを飛ばしていた。みんな大なり小なりグライダーを持っていたが、なかに大作君の弟の幸助こうすけだけが持っていなかった。幸助はそこで、みんなの飛ばすグライダーをひろう役目をさせてもらっていた。みんなの手から飛んでいったグライダーが宝蔵倉ほうぞうぐらの戸かかべにあたって地べたに落ちる。すると幸助こうすけが走っていって、それをひろってくる。幸助は、ひろって持ち主のところまでいくあいだ、グライダーを持つことができる、それによってわずかに自分のグライダーよくをみたしていたのである。だから幸助は、その役をうばわれないようにみんなのご機嫌きげんをとっていた。ちょうど上衣うわぎのポケットのすみにあながあいていたので、ポケットにつっこんだ手の人指指ひとさしゆびをその穴から出して、「ピストルだぞ、ピストルだぞ。」といっては、二つ三つおどけてとびあがってみせるのであった。そんなことが何かの愛嬌あいきょうになるつもりでいるのであった。大作君だいさくくんは、みていてまったくなさけなかった。なんというはじさらしだ! 大作君は幸助をものかげによんだ。そして、兄さんのいかりをちっとも知らないで天使のように無邪気むじゃきな顔をしてやってきた幸助の横びんたを、「ばかッ」とさけびざま、びしゃんとぶたずにはいられなかった。
 こうして、貧乏びんぼうったらしいまねをしていた弟は、大作君ににくまれてなぐりとばされた。しかし貧乏くさいからとて、お父さんやお母さんをにくむことが大作君にできたろうか。
 それは大麦のうれるころのある日だった。そのじぶんお父さんは、瓦屋かわらやの方の仕事がひまなので、いそがしい百姓家ひゃくしょうやへ一日か半日ずつやとわれて、百姓仕事を手つだいにいっていた。正午ひる近く大作君は、お父さんのところへ弁当べんとうを持ってゆくよう、お母さんからいいつかった。大作君は弁当を持って、和五郎わごろうさんの麦畠むぎばたけの方へいった。そこの畠でお父さんは手つだっているはずだった。
 菓子屋かしや勝助かつすけさんと床屋とこやの家のあいだを通りぬけると、西の方に和五郎わごろうさんの麦畠むぎばたけがみえた。もう麦はみなかられて、たばねられてあった。畠のこちらのすみでは、和五郎さんとおかみさんが脱穀だっこくしていた。向こうからだれかが麦をかたにかついで運んできた。その人は少年のようにすとすとと畠中はたなかを走って運んでいた。はじめ大作君だいさくくんは、それがどこかの少年かと思った。なぜならおとなはめったに走ったりしないものなので。しかし、大作君がもっと近くへいって、和五郎さんとおかみさんが笑いながら「加重かじゅうさん、そう走らんでもええがン、もっとぼつぼつやっとくれや。」といっているのを聞くと、それがほかならぬお父さんの加重さんであることがわかった。
 お百姓ひゃくしょうの和五郎さんとおかみさんは、加重さんの走り方がおかしいといって笑いころげた。ふたりは、加重さんがおどけてそんなことをしていると思ったのだ。大作君もはじめそう思って、和五郎さんたちといっしょにお父さんの方をみながら、笑って立っていた。なんというひょうきん者のお父さんだろう。
 だが、そのうちに大作君は顔がこわばってきて、笑えなくなってしまった。そして笑えなくなった顔の、ぎゅッとひきゆがむのが感じられた。深い悲しみが大作君をおそったのだ。
 大作君にはいまわかった、お父さんがひょうきんでそんなまねをしているのではないことが。お父さんは真剣しんけんだったのだ。早くその仕事をしてしまいたかったのだ。つぎの仕事で一せんでも多くもうけるために。いわば貧乏びんぼうが、おとなの加重かじゅうさんをこんなに子どものようにはたけの上を走りまわらせているのであった。なんという悲しいながめであろう。
 大作君だいさくくんはもうみていられなかった。はじと悲しみで、からだがふるえるのをとめられなかった。


 六月の終わりの暑い日に、近くの町の公園グランドで連合競技会れんごうきょうぎかいが行なわれた。
 その最後の種目は、六年男子の綱持競走つなもちきょうそうであった。長さ五メートルぐらいの一本の綱を一組二十人の者が持って、距離きょり四キロを走破そうはするのである。そしてこの競走のだいじなところは、二十人のうちひとりでも落伍らくごしてはだめだということだ。
 なんだか知らないが、戦線における皇軍こうぐんのある仕事をしのばせるから、大作君たちはこの競走には勝とうという悲壮ひそうな決意が、はじめからみんなのはらの中にできていた。
 いざ出場となると、大作君たちはおたがいの緊張きんちょうした顔を、いやに黒くげんこつみたいに小さいなアと思いながら、もくもくとはだしになり、運動帽うんどうぼうのふちのひもを頭がいたくなるほどしめなおした。
 たくさん出てきた。およそ三十組くらいの縦列じゅうれつが、長くひかれた白線の前にならんだ。大きい学校からは数組出ているのだろう。大作君の学校は小さいので、二十人出ると六年男子はほとんどみんなである。
 それから競走きょうそうがはじまった。先頭の徳一君とくいちくんが「ヨイショッ」と声をかけると、それをみんなが「ヨイショッ」とうける。はじめはあたりいっぱい「ヨイショ」や「コラショ」や「オ一二」の声があったので、大作君だいさくくんたちの声はそれにのまれてしまって、自分たちの「ヨイショ」なのか、ひとの「ヨイショ」なのか区別もつかなかった。
 グランドをたてにつっきって、両側をヒマラヤシーダの並木なみきではさまれた細い道から往還おうかんへ出た。そのじぶんにはもう、平行していく組も走っているということはなかった。ただ大作君たちにしつこく追いすがってくるのは、線色のそろいの帽子ぼうしをかぶった知らない学校の一組だけであった。がそれも、飴屋あめやの前の最初の曲がり角をまわったころには、もう数メートル大作君たちよりおくれていた。大作君たちはトップではなかったが、そうとう前の方に走っているつもりであった。
 かけ声の「ヨイショ」と足とがよくそろって、調子は上々であった。練習のときなら、ひょうきんな兵太郎君へいたろうくんがこのあたりで「コラショイ」と突拍子とっぴょうしな声をあげたり「アリャリャン」「スチャラカ、ポンポン」などとでたらめをいったりしてにぎわすのだが、今日きょうはやはりほんとうの競走だからまじめになっているのか、それとも、ゆうべアイスキャンデーを七本たべて今朝けさはちょっと腹工合はらぐあいがわるいといっていたから、そのせいなのか、どちらか知らないが、ともかく変な声は立てなかった。
 稲荷いなりさんの門前に立っている赤旗あかはたをまわってひきかえすのであったが、そこにいき着くまでに大作君だいさくくんたちは三つの組を追いぬき、赤旗のところでもみあって、また二組ぬいた。しかしそのじぶんには、みんなの呼吸こきゅうがだいぶん苦しそうになっていた。かけ声の「ヨイショ」もはじめのような元気なひびきを失って、うめき声のようになった。中にはもうそれに声を合わせないで、だまって走っている者もあった。だまっている者は、きっと横腹よこばらのいたむのやむねの苦しいのをじっとこらえているのだ、と大作君は思った。
 大作君は、腹もいたまねば胸も苦しくなかった。この調子ならまだ十キロぐらい走れる、と思った。しかしがちらちらして、風景がはっきりうつらなかった。ときどき、道の角の花をつけた夾竹桃きょうちくとうや、太陽の直射ちょくしゃ背中せなかの毛を繻子しゅすのように光らせて道ばたに休んでいる牛の姿すがたが、眼にとびこんでくるだけであった。
 公園の入口のみえる長い直線道路に出たとき、大作君たちは急にかけ声をやめてしまった。すぐまえを、紫色むらさきいろのはちまきした一組が足なみそろえて走っていた。大作君たちの組がだまってしまったのは、あの強敵きょうてきをぬこうという、みんなの決意のあらわれだ、と大作君は思った。
 ひっそりして大作君たちは紫のはちまきにせまっていった。敵も大作君たちをみとめるや、声を消してしまった。ひっそりとして二つの組は必死になった。そして大作君たちは、ひっそりとして追いぬいていった。
 ついに公園グランドにはいった。周囲に歓呼かんこの声がわあッとあがった。自分たちは優勝だ! 自然に「ヨイショッ」が口をついて出た。
 審判しんぱんの先生がきて、すぐ頭数あたまかずをかぞえた。そして「おやひとりたらんぞ。」といった。それからまた数えなおしてみた。「ひとりたらん。」そう気の毒そうにいった。
「だれだ、だれだッ。」
と先頭の徳一君とくいちくんが、あせで、川からあがったばかりのようにぬれた顔を殺気立ててどなった。
 だがみんなは、決勝点についたという思いでもう気力がぬけ、ぽうとしていた。もう何も考えられなかった。はやくこしをおろしたいばかりであった。
 大作君だいさくくんたちはにれの大木のかげにいって休み、やがてだんだん元気がかえってきた。そしてそれまでに、落伍らくごしたのは大頭の吉太郎君よしたろうくんであることがわかった。稲荷社いなりしゃの前で赤旗あかはたをまわるとき三組ばかりいっしょになってもみあったが、あのときのどさくさで、吉太郎君が落ちたことをだれも気づかなかったのだろう。受持ちの鈴木先生すずきせんせいは自転車を借りて吉太郎君をむかえにいった。道ばたにへたばっているかも知れないからだ。
 大作君たちのとなりの控席ひかえせきに帰ってきたよその学校の組の中で、ひとりのふとった少年があおくなってのびた。ふたりのつきそいの先生は、それ水を持ってこい、それおうぎであおれ、と大さわぎをしていた。本部のテントの中から、急をきいて、白い服の看護婦かんごふや女の先生が飛んできた。えらいことになった、と大作君だいさくくんたちは思った。そして、吉太郎君よしたろうくんがああいうふうになってもどってこないようにと、心の中にみんなは願った。もう、競走の勝敗のことなどすっかりわすれていた。
 吉太郎君は帰ってきた。みんなが願っていた通り、元気で帰ってきた。先生のうしろから自転車の荷かけにまたがって、血色のいい顔をにこにこさせながら帰ってきた。すこし元気すぎるほどだ。でもまあよかった。みんなは、ほっとして帰りじたくにかかった。
 公園を出て、川のつつみを電車の停留場ていりゅうじょうの方へ歩いていった。みんなはつかれでぼんやりしていたので、だれひとりものをいおうとしなかった。
 電車を待つために、大作君たちは停留場の外の葉桜はざくらの日かげにこしをおろして、向こう側のかりとられた小麦畠こむぎばたけの方をぼんやりみていた。先生は事務所じむしょの中へはいってゆかれた。
 小麦のかりとられたあとに一輪の矢車草の花がさいていて、なんということなく、みんなのをひいた。
「あんなとこに、矢車草があるげや。」
 そう兵太郎君がいった。
「うん。」
と大作君が答えた。
 するとみんなのうしろにすわって、すこしきまりわるそうにしていた大頭の吉太郎君よしたろうくんが、
「とってこうか。」
といって、小走りに走っていき、二メートルほどの赭土あかつち傾斜けいしゃをいせいよくかけのぼった。
 みんなは顔を見合わせた。吉太郎君がすこし元気すぎるのだ。あんなに元気なら、なぜ最後までがんばらなかったのか。みんなの心にはいまになって、優勝をとりにがしたいまいましさがよみがえってきた。
 吉太郎君は矢車草をとって、みんなのそばにもどってきた。
「やろか。」
といってとなりの周造君しゅうぞうくんの方にさし出した。
 みんなにはそのときはっきりと、吉太郎君がみんなのご機嫌きげんをとろうとしていることがわかった。良心にやましい点があるのだ。つまり、まだ走れるところをつなをはなしてしまったのだ。
「周造、そんなものをうけとるな。」
 そう徳一君とくいちくんが親分みたいにげんとして命令した。おとなしい周造君はちょっとまごついたが、ついにがき大将だいしょうの徳一君の命にしたがった。吉太郎君はべそをかいていた。
 いまはみんなは、吉太郎君がひごろいやらしいやつであったことをおもい出した。親しげに人の耳のそばに口をよせてきて、つまらぬつげ口をしたかと思うと、もうつぎの日には、ほかの者の耳に口をよせて、ちらちら横眼よこめでこちらをみながら、何かこちらのことをつげ口しているというふうのやつであった。また、つきとばされたりすると、面と向かってくるのではなくて、げらげらと下品に笑いながら、よいどれのまねなどしながら、べたべたとはりついてきて、たわむれのようにみせかけながら、相手の服に鼻汁はなじるをなすりつけたりして復讐ふくしゅうするというふうの卑劣ひれつな奴であった。
 しかしいまさらおこったって、どうにもならない。みんなはあきらめてまたぼんやり小麦畠こむぎばたけの方をみていた。
 向こうの道角を、自転車のうしろに氷のかたまりをのせた人がまがって、坂道にかかった。そのとき氷がすべり落ちた。すぐそれをひろって、その人は坂をのぼっていってしまった。そのあとにちょっとした破片はへんが一つ光って落ちていた。
 徳一君とくいちくんがそれをひろって、水道であらってきた。
「ええかァ」と徳一君はいった。「いまからこいつをまわすから、順番につぎのもんにわたせよ。」
 徳一君の手から兼男君かねおくんの手にわたった。それからつぎの者へ。こうして一片いっぺんの氷は少年たちの手をわたっていった。みんなは声を立ててその冷たさを喜んだ。中には頭の上にしばらくのせているものもあった。兵太郎君へいたろうくんは、石鹸せっけんのように両掌りょうての中でもんだので、急に小さくなってしまったようにみんなは思った。
 大作君だいさくくんはうけとった。大作君のつぎには、べそをかいて草の葉をむしっている大頭の吉太郎君よしたろうくんがのこっているばかりだった。大作君はこの氷の破片はへんをどうしようかとまよった。みんなはあきらかに吉太郎君をにくんでいた。吉太郎君なんかにわたすな、とでしらせていた。
 大作君はためらっていた。手の中の小さい氷の破片がみょうに重く感じられた。大勢の注意がそれに集まっているからだ。
 大作君もみんなのように、吉太郎君のふがいなさにはらを立てていた。すこしおなかのかげんのわるい兵太郎君へいたろうくんでさえ、最後までがんばり通したのに、どこもわるくない吉太郎君がすこしぐらい苦しいからといって、途中とちゅうすっこけてしまって、その上あろうことかあるまいことか、先生の自転車にのっけてもらって、にやにや笑いながらもどってくるなんて、じつに失敬しっけいじゃないか、と思った。
 しかし大作君のその心の、も一つおくにある何ものかが、大作君をおすのであった。大作君は、そっと、氷をうつむいている吉太郎君の手ににぎらせたのである。


 その夜、大作君はくたびれたので、柱をふまえてねそべっていた。下からみたって、いつもみなれたすかんぴんのまずしい家であった。しかし大作君の心は、いまは安らかにここに落ち着いていた。貧乏びんぼうなことになんの不平もなかった。
 そこへ風呂ふろからあがったはだかんぼうの弟たちが、湯気につつまれながら出てきた。そして大作君だいさくくんの頭のかたわらで相撲すもうをとりはじめた。どんどんと大作君の頭にひびいた。
 いつもなら大作君は、「やめんかッ」と、優等生の兄さんらしくどなるところだ。しかし今夜はしからなかった。弟たちの健康なはだかん坊をたのもしいもののようにみていた。足音が大きくひびいてくればくるほど気持ちがよかった。――おお! 力を出せ! 力のありったけを出せ! 家がつぶれるくらいあばれろ! 大作君はそう声援せいえんしたいほどだった。
 いまは、大作君の心から、ながいあいだかかっていた灰色はいいろのとばりがはらいのけられていた。――貧乏だとてはずかしがることはないのだぼくたちは健康だそしてぼくたちにはがんばる力があるんだぼくたちにはこれからどんなことだってできるのだ。――
 はじめは、ちび四郎しろうと五郎だけが相撲をしていたが、やがて速男はやお幸助こうすけも加わって、しまいには相撲というよりはめちゃめちゃの乱闘らんとうになってしまった。
「よし、こいッ。」
 そうさけんで、大作君ははね起きた。「ぼくひとりにみんなかかってこいッ。」
 みんなかかってきた。うしろからしがみつくもの、足にからまるもの、うでをひっぱるもの、大作君はたじたじとなったが、うんとふんばった。ちびの五郎を両腕でだきあげた。じたばたするのを顔の高さにまで持ちあげた。そして「神だなに上げるぞオ。」といって、そちらへ歩いていった。
 すると大作君だいさくくんは、神棚かみだなの下にたらしてはってある四角な紙にがとまった。何か免状めんじょうみたいなものだ。
「これなんだア。」
と大作君は五郎ごろうをおろしてたずねた。
 そして速男はやおから、それは幸助こうすけがたばこ、キャラメルなどの空箱あきばこや、おれくぎ針金はりがねなどをひろいためて、今日きょう役場の軍事課へ献納けんのうして、もらってきた感謝状かんしゃじょうだということをきいた。
 ――それなら幸助は、あのキャラメルの箱も献納するつもりでひろったんだ。そうだったのか。国民六年加藤大作君かとうだいさくくんは、きいていて、喜びのためにむねがあつくなるのを覚えたのである。





底本:「新美南吉童話集 2 おじいさんのランプ」大日本図書
   1982(昭和57)年3月31日初版第1刷発行
   1996(平成8)年2月15日初版第7刷発行
初出:「おぢいさんのランプ」有光社
   1942(昭和17)年10月10日
※表題は底本では、「貧乏びんぼうな少年の話」となっています。
入力:江村秀之
校正:持田和踏
2024年6月23日作成
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