長長秋夜

小熊秀雄




――ぢやん、ぢやん、ちゆう、やは朝鮮語で長い長い秋の夜といふ意味。

朝鮮よ、泣くな、
老婆ロツパよ泣くな、
処女チヨニヨよ泣くな、
洗濯台パンチヂリに笑はれるぞ、
トクタラ、トクタラ、トクタラ、
それ、あの物音はなんの音か、
お前が手にした木の棒から
その音がするのだ、
あつちでも、こつちでも村中で
夜になるとトクタラ、トクタラトクタラ、
朝鮮の山に木がない
おや、それはお気の毒さま、
家には食ひ物がない
おや、それもお気の毒さま、
『あゝ、良い子だ、良い子だ、
 みんなそのことを神様が
 知つてござらつしやる。』
老婆ロツパは体を左右にふりながら
馴れた調子で木の台の上の
白い洗濯物をパンチで打つてゐる。
トクタラ、トクタラ、
『あゝ、えゝとも、えゝとも、
 良い音がするぢや――。』
わしの娘や息子のことは判らぬぢや
だが、わしの親父や先祖のことは
ふるい朝鮮のことは
この年寄の汚ない耳垢が
いつも耳の中でぶつぶつ語つてくれるぢや、
青い月の光のもとの村の屋根の下の
女達が
長長秋夜ぢやんぢやんちゆうや
トクタラ、トクタラ
幾千年の昔から
木や石の台の上で白衣をうつて
糊をおとしてシワをのばして
男達にさつぱりとしたものを、
着せて楽しく、
朝鮮カラスも温和しく
洛東江の水も騒がなかつたし
今のやうにめん事務所の
面長がなにかと
書きつけをもつてうるさく
人々の住居すまゐを訪ねてこなければ
息子や娘も村にをちついてゐて
老人たちの良い話相手であつたのに
近頃はなんと、そはそはしい風が
村の人々の白衣の裾を吹きまくり
峠を越しさへすれば
峠のむかふに幸福があると云ひながら
村を離れて峠をこしたがり
追ひ立てられるやうに
若い者は峠をこえてゆく
お前の可愛い許嫁いひなづけ
貧乏な村を去つて行つた
いまは壮健たつしやで東京で
働いてゐるさうな
そしてゴミの山やドブを掘つくりかへして
金の玉を探してゐるさうな
一つ探しあてたら
すぐ処女ちよによよ、お前を迎へにくる
あゝ、だがそれはいつたい
何時のことやら
去つてゆくものはあるが
帰つてくるものがない、
夜つぴて歌をうたつた
声自慢、働き自慢の
わしの連れ合ひも死んでしまつた、
わしの糸切歯ももう
糸を切る力がなくなつた、
洗濯台ぱんちぢりをうつぱんちも重い
いくら追つても朝鮮烏奴は逃げない
虫は泣きやまない
なにもかにもみんなして
この老婆ロツパを馬鹿にしくさる
たのしい朝鮮は何処へ行つた、
古い朝鮮はどこへ行つた、
神さまや、天が、
朝鮮を押へつけて御座らつしやるのか。
そしてママ寄も若いものも
夜つぴて苦しさうに寝返りをうつ、
トクタラ、トクタラトクタラ、
パンチヂリの音も
昔のやうに楽しさうでない
丘の上に月がでても
昔のやうに若者たちは
月の下をさまよひ歩かない、
哀号――、悪魔に喰はれてゐるのだ、
老婆は聴いた
ボリボリと音をたてて悪魔が
山の樹を喰つてしまつたのを、
娘は河へ水を汲みに行つて溺れ死ぬ
若い者は飲んだくれたり
博打ばくちをうつたり
地主さまに楯突いたり、
農民組合とやらをつくつたり
村をとびだしたり
若い者は何かと言へば
すぐ村の半鐘をうちたがる、
トクタラ、トクタラ、トクタラ、
老婆ロツパが精魂こめて
パンチヂリで白く新しく
晒した朝鮮服も
若いものは着たがらない
麦藁帽子をかぶつたり
洋服をきたり、ポマードをつけたり
そして老婆達にまで
昨日、面長さまから呼び出しがあつた
面事務所にぞくぞくと村の衆は
集つてきた、
高いところから
面長は村の衆にママ鳴る、
――世の中は、日進月歩ぢや、
  文明文化の今日こんにち
  第一に規則をまもるべし
  納税の義務
  つまりは年貢はかならず収むべし
それから、特に
婆共は、よつく聞け
糞たれ頑固どもは
夜つぴて
トクタラトクタラ
パンチヂリをやつてゐる
やかましうてたまらん、
第一にあのトクタラは
牛のために良くない、
牛の神経にさはるから
乳の出が悪うなるわい、
第二に服装改善の
主旨の下からして
白い朝鮮服は明日から
一切着ることならん、
黒い服にしろ
黒い服はよごれがつかぬ、
したがつて洗濯をする必要がない
トクタラトクタラの
洗濯婆あどもは
パンチヂリをやめて
明日から縄をなへ
  トクタラ、トクタラと
  けしからん奴ぢあ――、
面長はぶるると体をふるはせてママ鳴る、
若いものは去つてゆく
ただ老人たちは何時までもその場を去らない、
老人たちは鷺のやうに体を折りまげ
なべ鶴のやうに地面にへたばり
声をかぎりに
哀号をさけぶ、
――哀号、面長さま、この老い先
  短かい年寄に
  難題といふものだ
  いまさら白い朝鮮服を
  哀号
  よして色服を着ろとおつしやるが
  そんなら婆を殺して下されや
  哀号――、
  神さまからのお授り物の白衣を
  どうして脱がれませう、
  哀号――、天帝よ、先祖よ、
  面長奴が、わしから白服をうばつて
  カラスのやうな黒い服
  着ろとぬかす、面長の罰あたり奴、
  わしは嫌ぢや、
  白い服は死んでも殺されても脱がぬわ
  哀号――、哀号――、哀号――、
老婆ロツパは消えいらんばかりのかなしみと
驚愕とにわなわなしてゐる
規則は怖ろしい力をもつて
ゐることを知つてゐるから
今にも服をはぎとらられさうな恐怖に
とらはれて頭を低く
大地にこすりつけて哀号する、
――騒ぐな婆ども、
  うぬ等は、ついこないだも
  泣いたり、咆へたりした許りだ
  なにかにと………の改正には
  出しやばつて反対しくさる、
  白服を色服に変へぬやから
  ………………の主旨に
  …………ロクでなしぢや、
  さかさハリツケものぢやぞ、
面長はなだめたり、すかしたり
朝鮮の伝統的な白服を
新しい服装に改めさせようとする、
だが深いところから
水が流れてゐるやうに
老婆たちの悲しみも
深いところからやつてきてゐる
老婆は憤りと悲哀の列をつくり
夜の幕は年寄たちにとつて
重い袋のやうに心によりかゝる
足どりも力なく帰つてゆく
朝鮮よ、
お前はよし老婆達に
白衣永遠の伝統を死守させたとしても
自然の大地と、人間の心とは
その伝統をうけつがない
やつれきつた朝鮮よ、
若者たちだけが
お前の本質を知つてゐる
若いものは鉄のやうに堅い靴をはいて
鉄のやうな足音をたてる
としより達は虚ろな木履を鳴らし
精一杯不平をいひながら
面事務所から連れだつてかへつて行く、
夕靄の中に老婆の一団がかへつてゆくと
靄の中から突然老婆の
鶏の叫び声に似たさけびがきこえてくる、
数人の男と老婆の群はもみあつて
山路から崖へ逃げをりようとする、
男の一団はその行手をさへぎる
――くそ婆奴
  貴様の着物を
  これこの通り汚してやらう、
――ろくでなしの
  トクタラ婆奴
  どうしてもウヌ等が
  その服を脱がうといはぬなら、
  わしらは染屋の
  役をかつて出るわい、
逃げまどふ老婆は男達の
足で蹴られたり
手でうたれたり、
男たちは大はしやぎで
犬が老いた鶏を追つかけ廻すやうに、
手に手に墨汁をたつぷりつけた
筆をふりあげて
肩から斜めに
墨をもつて老婆の白衣にきりかゝる
――誰ぢや、
  そんな無道なことをするのは
  としよりを虐めて
  ろくなことは無いぞえ
老婆は金切声をあげて逃げ廻つたが
男達は熱心に飛びかゝつて
老婆達の白衣をさんざんに汚すことをやめない、
老婆のたかい悲しみの声はながかつた
朝鮮の夜のしづかな周囲に
ひとときの騒音がたち、
まもなくひつそりと元の静けさにかへる、
面事務所の男達の計画的な
墨の襲撃にまつ黒に汚れた
老婆のみじめな白衣、みだれた髪、
顔を歪ませて立ちあがり、立ち去る。
夜が明けると
村の老婆たちは何事もなかつたやうに
近所誘ひあつて
洛東江の河岸に打揃つて出かけてゆく、
汚された白衣を
ざぶりと水にひたすと
河は瞬間くろい流れとなる
そしてやがて黒い一條の流れは
しだいに薄れて
河下に去つてゆく
老婆の憤りの表情も
しだいになごやかになつてゆく
トクタラ、トクタラ、トクタラと
洗濯台パンチヂリを陽気にうちだす
たがひに顔見合はせて
強くすべての出来事を肯定しようとして
いたいたしい微笑の顔にかはつてゆく
かよわい手をふりあげて
強く石をうつ
強く朝鮮の歌をうたひだす
黒くよごれた白衣をパンチでうつ
うつパンチも泣いてゐる
打たれる白衣も泣いてゐる、
うつ老婆ロツパも泣いてゐる
打たれる石も泣いてゐる
すべての朝鮮が泣いてゐる





底本:「新版・小熊秀雄全集第一巻」創樹社
   1990(平成2)年11月15日新版・第1刷発行
底本の親本:「詩精神」
   1935(昭和10)年12月
初出:「詩精神」
   1935(昭和10)年12月
※表題は底本では、「長長秋夜ぢやんぢやんちゆうや」となっています。
入力:八巻美恵
校正:浜野智
1999年6月18日公開
2014年8月10日修正
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