泡鳴五部作

斷橋

岩野泡鳴





 今夜も必らず來るからと、今度はよく念を押して置いた。然し、餘り自分ばかりで行くのもかのぢよ並びにその家へきまりが惡い樣だから、義雄は今一文なしで困つてゐる氷峰をつれて行つてやらうといふ氣になり、薄野すすきのからの歸り足をまたかれの下宿へ向けた。
 いつもの通り、案内なしであがつて行き、氷峰の二階の室のふすまを明けると、かれとお鈴とがびツくりして、ひらき直つた。お鈴はまた裁縫に行く時間をごまかし、氷峰のもとへ押しかけて來て、何かあまえてゐたところであつたらしい。
「こりやア失敬した、ね」と云つて、義雄が這入はいつて行き、早速飯を云ひつける樣に頼んだ。
「また、ゆうべも御出馬か」と、氷峰が冷かす。
「今夜は一緒に行かう。」
「よからう。」氷峰も義雄と同じ樣にねむさうな樣子だ。お鈴は、今まで赤らめてゐたその顏へ急に不平らしい色を加へて、かれをちらと見た。
「お鈴さん、さう燒かなくツてもいいぢやアないか、ね?」
「わたしやそんなこと知らない、わ。」かのぢよは恥かしさうに笑ひながら云ふ。
「それでも、君」と、氷峰はにこつきながら、「とう/\結婚することだけは僕も承諾したよ。」
「あら、そんなこと云はないでも――」
「云つたツてかまはないぢやアないか?」義雄はからかひ半分に、「僕があなたの邪魔をするぢやアなし、さ。お鈴さん、とう/\成功した、ね。」
 お鈴は再び顏を赤くした。そして、座に堪へられなくなつたかの樣に、あわただしく歸つてしまつた。
「きのふ、實は承諾を與へたのぢやが、あいつ、おほ喜び、さ。」かう云つて、氷峰は、きのふ、お鈴の兄龜一郎が泣き附くやうに頻りに懇願したので決つたこと。その兄弟等は妹の棄て場を得て、喜んでゐるだらうと云ふこと。然し自分の樣なづぼらのものには、器量や學問より、經濟向きの天才あるものを妻とする必要があること。その點はかの女の兄弟も確かに誇りとして保證してゐること。その話の進行の爲め、あす、山に行つて、自分の兄と相談して來るつもりであること。などを、語つた。且、この長い間解決のつかなかつた問題が解決した喜びに、お鈴の兄の龜一郎が不斷の謹直にも似ず、薄野行きを發議したので、ついて行つたことを加へた。義雄はそれで氷峰のねむさうな原因が分つた。
 それから、有馬の家に歸つて見ると、東京からまた原稿料と、樺太廳の知人で、第○部長をしてゐる者に個條書きにして照會した木材拂ひ下げに關する返事とが來てゐた。返事は、即ち、左の通りだ――
  御問合に就き返事
一、木材輸出見本として、樺太島森林より立木を賣拂ひ出願するには、その數量に制限なし。但し、立木代金四百圓以上に亙るものは、本島森林賣拂ひに關する法律勅令未だ發布前なるを以つて、一願件として處分すること能はざるに依り、分割するを要す。
二、本島に於て枕木を伐出したるものは、元露國時代に於て、西海岸エストル川にて、落葉松からまつの枕木を製作し、義勇艦隊の船に積み込み、大連方面へ輸送したる形跡ある外、他に之を認めず。
三、占領後、枕木を製作し、輸出せるもの未だこれなし。
 但し、本島に於て主なる木材トドマツ、エゾマツ、落葉松の三種にして、就中なかんづく落葉松は材質強く、土中又は濕地にも腐朽せざる點よりして、枕木には、適當するも、伐木工賃及び運搬費の關係と利益少きとの爲め、北海道の栓、タモ等の枕木に及ばず。また、餘り大材少き爲め、一挺取りなり。日本鐵道にては、未だ一挺取りの枕木は使用せざる筈なり。
四、トドマツ、エゾマツはマオカ附近にても之を拂下ぐることを得るも、マオカ附近には落葉松なし。その最も多きところは、大泊おほどまりより豐原に至る間と、大泊よりトンナイチヤに至る間なり。
五、伐木税、即ち、立木賣拂代金は、最低價立木一尺〆(尺〆とは長さ十二尺の一尺角、十二立方尺を云ふ)に附き、金拾五錢なるも、事業上の性質、即ち輸出材の如きは、奬勵の趣旨に依り、割引の特典あり。
六、七、一尺角、二尺角等と拂下代價に區別なし。立木尺〆にて計算せらるるものなり。
八、枕木に適する徑一尺以上の立木のみ撰伐する事も、今日の處何等制限なし。
九、伐木税とは立木賣拂代金を意味するものにて、他に營業税などある事なし。
十、賣拂ひを受けんとするには、本島に寄留するに及ばす。
 以上、不慣れなる事業家のくどい伺ひに對する返事としては、なか/\親切に書いて呉れてある。且、大泊や卜ンナイチヤの名に接すると、義雄は行つて見ようとしてつひに行けなかつたところだから、今一度樺太へ舞ひ戻つて、亞庭灣内及び東海岸をまはつて見たくもなる。また、エストル川の名を聽くと、その川が廣がつた樺太一等の好風景なるライチシカ湖(アイノが死んで泣くと稱した水海だ)を遠く海上から樺太廳の巡邏船に乘つてながめたことを思ひ出す。
 然し、義雄はこの返事を受け取る前、既に、樺太木材が枕木としては、一挺取りになるから、不適當だといふことを承知してゐた。で、普通の建築材並びに板などとして出すのに、樺太の方の事情は、この返事に自分の實際の見聞と調査とを加へて大抵の標準が附いた。
 それに、運賃の多くかからない法も考へてあるし、北海道のこの種の木材の事情は、お鈴の弟、原口鶴次郎から調べて貰つてある。鶴次郎は年が若いにも拘はらず某木材會社の手腕家であつたが、餘り放蕩をするので、近頃、剩員淘汰と共にやめられた男だ。實業雜誌の初號にも北海道木材のことを書いたくらゐで、その方の智識は先づ信用出來ると、義雄は思つてゐるのだ。
 義雄には、また、古くからの知人、寧ろ先輩で、石炭に關係してゐるものが一人東京にある。かれは、その人とは、曾て西貢米さいごんまい輸入――失敗であつたが――を計畫した時にもあひ棒であつた。そこから資金を調達させて、木材屋をやらうといふのである。
 それへ詳しく書いた計畫を送つたが、その手紙の意味は勇夫婦に何とも話さなかつた。と云ふのは、渠等かれらに對して義雄が隔意を持つて來たばかりではない。云つて置いて、また駄目であつたら、渠等の笑ひの種を増してやるばかりであるからだ。
 かう思つて、義雄は長くゐればゐるほど冷やかになつて行く自分と勇との友情のたよりないのをおぼえた。氷峰、その他は近頃になつて知り合つた人々だから、若し冷淡になつても、當り前だとも思はれる。然し二十年來、たとへうすくあつたとは云へ、同窓であり、同信仰であり、同背信者であり、同僚であり、離れてゐても、音信を絶やさなかつた友人同志が、却つて實際に接近した爲めにその友情の冷やかになつて行くのは、自分に關係が薄いからである。
 そして、自分に關係の薄いものは、義雄の主張する哲理上、やがて自分の宇宙その物からも消えてしまふのだと思ふ。

 然し冷やかになつて行くのは、この友情ばかりではない。
 札幌さつぽろに着いた當座は、羽織を脱いでも暑くツて仕やうがなかつた盛夏が、早や、いつのまにか過ぎ去つて、秋の風らしいのが吹き出してゐる。
 義雄は放浪の爲めに心を奪はれ、また、この數日間は、女に熱くなつてゐるので、そんなことには無頓着であつたが、けふ、初めて單物ひとへものでは如何にも寒いのに氣がついた。
 そして、義雄が銘仙のひとへをあはせにすることを頼みに、近處の仕立物をする婆アさんの家へ行く時、お綱が門そとで百姓馬子から青物を買つてゐるのに注意すると、馬の背の荷には、もう、茄子なす胡瓜きうりなどは全くなくなつて、おびただしかつた※(「舌+低のつくり」、第3水準1-90-58)まくわ瓜、唐もろこし、林檎りんごなども――高くなつたのであらう――甚だ少い。その代り、北海道の栗とも云ふべき胡桃くるみやココア(ココのなまりだ)が這入つてゐる。「ココア、ココア」と、細い優しい聲をして、一人の婆アさんがココの實を籠に入れて賣りに來たので、札幌の秋にはいい聯想だと思つて、義雄はそれを買つて見た。
 かれがまだ故郷にゐた時、姉や友達につれられて、山へしひを拾ひに行つたことが度々あるが、その椎の實の味を思ひ出す樣な味がする。そして、有馬の子供にも與へたのを、渠等がちひさい手でその皮をじき取り、その中身をうまさうに喰つてゐる樣子を見て、義雄も自分の子供であつた無邪氣の時代のことを思ひ浮べた。
 その時代と今とは丸で考へが違つてゐる。考へが違ふばかりでなく、人間その物も丸で違つてゐる。かう思ふと、その間に出沒現滅した種々複雜な事件と經驗とが一時に目の前に集つて來る樣だ。
 椎とココア――故郷と札幌――秋と云ふ引き締つた感じが一刹那に強烈になつて來ると、然し、自分は、どうしても、生々複雜な自然界、東京といふ酒色と奮鬪との都に育つた人間であつて、呑氣な、消極的天然の廣がる世界にぐづ/\放浪してゐるべきではないと思はれる。そして、かのストリンドベルヒが考へてゐる「成り行きが運命」といふ樣な消極的、死滅的放浪の程度では滿足出來ない自分であるを感ずる。「冷やか味を感じて來たのは、これが第一の原因だらう。」かう思ふと、種々苦心して考へ出す大小の計畫もまことに空疎なものになつて、自分で自分をあざむいてゐる樣な氣がする。そして、あの敷島と一緒にゐる時だけが、まだしも、自分の最も活氣がある時だと考へられる。
「早くかのぢよに行くに限る!」心でかう叫んで、家を出ようとすると、
「また行くのだらうが――」勇は心配さうにして、「さう使つてしまつては、あとで困りはしないか?」
「そのかはせだけは」と、お綱さんも口を出し、「わたしが預つて置きませう。」
「その方が君の爲めにいいよ」と、勇がすすめるにまかせ、
「ぢやア、これは」と、義雄は原稿料のかはせをお綱に渡し、「どうせ、あなたの方にも食料を出さなければならないのだから、そツくりあげることにして置きます。」
 かう云つて、義雄は渠等に對する肩みが多少廣くなつたのをおぼえた。渠は渠等の世話になるのを氣の毒といふことは知つてゐながら、來た金を先づ渠等に拂ふ義務があるのを忘れてゐたのだ。


 夜が近づいたので、義雄が氷峰を誘ひに行くと、原口鶴次郎と共に晩酌をやつてゐた。
「お鈴さんもいよ/\」と、渠は鶴次郎に向つて云ふ、「決つたさうです、ね。」
「あれも實は厄介拂ひをしたのです。」鶴次郎は義雄に猪口ちよくをさしながら、「さう云ふと、島田君にきまづい樣に聽えますが、島田君にも正直に話した通り、こちらの厄介物が島田君の爲めに少しは取り柄があるのだから、まア、おほ目に見て、五分五分に考へて貰ふの、さ。」
 氷峰は酒で赤くなつた顏をただにこ/\させてゐる。そして、
「この原口君もつれて行かうぢやないか」と云ふ。
「よからう」と云つて、義雄は鶴次郎に猪口を返す。
「僕は酒もその方も好きだから」と、鶴次郎は年に似合はず、他の年うへな二人よりも酒の行けるのが自慢であつた。
 渠のひたひには、燒けどうの大きな跡が赤く殘つてゐる。それを氣にしてか、奇麗に分けた髮の端をその上にかぶせて、その半ばを隱してある。それが却つて初めて見る人の目に立つた。
 義雄は鶴次郎に樺太から來た返事を見せ、渠から、木材をいよ/\切り出すとなつた時の用意などをその返事に照らして種々注意せられた後、氷峰と鶴次郎とを案内して、井桁樓へ行つた。そして、つう氣取りで裏門から這入り、奧二階へあがると、番頭は階段ぎはの西洋間へ三人を入れた。疊の上に食卓一つしかない殺風景な室だ。義雄の考へでは、けさ、あれだけ云つて置いたから、直ぐ敷島の部屋へ這入れるものと思つてゐた。氷峰等も亦そのつもりであつた。
 むツと忿怒ふんぬの氣が義雄のあたまにのぼつた。そして、やツぱり女郎は女郎だと思ふと、わざと思ひ切つて、高砂樓かその他へ行きたくなつた。
「僕ア今夜に限りまはし部屋はいやだぞ。」義雄はのぼせた樣な顏いろを無頓着な態度にまぎらしながら、番頭につぶやく。
「どうも、生憎あいにくふさがつてをりますので」と、番頭はもみ手をする。
「けさから、さう云つて置いたぢやアないか?」
「それならさうと承知してをりますと、番頭の方ではお待ち申す手筈に致して置きますが――敷島さんが何ともお話がなかつたので――」
 さう聽いて、義雄は一しほ女の不都合なのを感じた。氷峰等もこちらの鼻息が餘り荒いのを悟つたらしく、
「それでは、出よう」と、立ちあがる。
「歸らう!」義雄も帽子をかぶる。
「まア、ちよツとお待ち下さい。」番頭が立ち去る跡を、三人はぞろ/\出る。然し義雄はまだ未練があるので、一番あとに出たのだ。

 すると、番頭の注意を受けた敷島が急いでやつて來て、階段の手摺りに添うた廊下で義雄をくひ止め、
「來たの?」無邪氣さうに、あかの這入つてゐない友禪縮緬いうぜんちりめんに包まれたからだをひツたり義雄に添はせた。そして、左りの手を手摺りに當てて、醉つてゐるたいをささへる。
 女の息は非常に酒臭い。
「來たのぢやアない、歸るのだ!」
「どうして?」
「‥‥‥‥」こちらをゑぐるやうにあまえた樣子だが、とぼけてゐるのだらうと見たので、「どうしてもない、さ、おさしつかへだ。」
「あなたが餘り遲いからだ、わ――もう、來ないと思つて――」
「無論、もう、來やアしない」と、今夜に限らず、永久にといふ決心のこもつた強い調子だ。
「ぢやア、歸るの?」かう云つた言葉は輕く出た樣であつたが、その聲は顫へてゐた。こちらはかの女のふるへ聲を感じただけ、反對に一層恨みがましい不平を以つて猛烈に見つめたので、女は目ではそれを見返しつつからだをかはした。そして、
「ああ!」と歎息して、ちよツと兩手を目に當てたが、あとは手もち無沙汰のやうに無言で義雄の跡にいて來る。
「‥‥‥‥」男も無言で而もあとを向かない。
 下廊下をとほつて、裏玄關のおり口まで來た時、
「では、さよなら」と、女は土間へは降りないで挨拶する。
「‥‥‥‥」義雄はそれをふり向きもしないでがらす戸を明け、氷峰等のあとを追つて行きかけたが、かうして出て行くのを女がそのままに何ともしないなら、それまでのことだと思ふ。
 然し友人等に對して餘り面目ない樣な氣がすると同時に、女もけさまでの樣子とはうつて變つて、餘り冷淡だといふ不平が伴つて來る。その不面目と不平とが、自分の身づから警戒しながらも、知らず識らず落ち入つた實際の戀らしいのを呪ふのだ。然し、「遊女に自分の戀を受ける資格はない。」かう考へて自分で自分を慰めながら、裏門を出た。そして、どこへ行かうか、かしこへ行かうかと、取りとめのつかない相談をしてゐると、
「あなた――あなた、ちよツと。」敷島が門外へ來て義雄を呼ぶのだ。
「それだ」と、渠は心では飛びつく樣に喜びながらも、無言で、澁々らしく振り向く。
 風にそよぐ柳の枝葉しえふに月の光が映じて、その下にしよんぼり優しい影を投げて、友禪縮緬の顫へてゐさうに立つてゐる女の顏も、色電氣を浴びた如く青白い樣に見える。敷島は義雄を門内に呼び入れ、
「遊んで行つたらいいぢやありませんか?――折角、お友達も來てゐるのに」と、訴へる樣に云ふ。
「然し」と、義雄は冷淡をよそほひ、「お前が人を馬鹿にしてゐるから、ねえ。」
「生憎で、それは仕かたがないとして、さ。」
「實際、仕方がなかつたのぢやアない――承知してゐながら、部屋をふさげたんだ。」
「さう?――では、どうしても歸るの?」女は身を跡へ引く。それがこちらには熱心の不足からと見えたので、
「知れたこツた」と、何だか云はなければならない樣に思つた。
「ぢやア、花子さんのところへ行くのでせう。」女の聲は恨めしさうにも聽えた。花子とは高砂樓にゐる義雄のなじみだ。かれは、敷島をからかふ度毎に、その子の方がずツと自分に乘り氣だといふ樣なことを語つた。そして、敷島は、毎日暇さへあれば行く裁縫の師匠のもとで、花子にも會ふからよく話をするが、かう/\云ふ顏かたちの女だらうと、義雄に説明して聽かせたこともある。
「さう、さ。」斯う義雄の今の語勢が云はせたが、渠は決して實際に花子のところへは行きたくない。花子ばかりではない、敷島を知つてからは、他の知不知しるしらぬのどこへでも行きたくないのだ。
 氷峰等は、義雄のぐづ/\してゐるのを見て、再び門を這入つて來て、自分等は別にどこといふ目的があるわけでないのだから、君さへよければ、ここに決めよう。一度這入つて、出たのは氣の毒でもあるから、と云ひ出す。
「どうぞ、さうして下さいよ。さうでないと、わたしも朋輩に顏が合はしにくいから。」
「ぢやア、もとへだ」と、義雄も景氣づいて答へる。
「もとへ、もとへ」と、氷峰と鶴次郎とは女と共に聲を揚げながらあがつて行つた。然し義雄には、それが自分に對する侮蔑ぶべつの口眞似とも受け取れた。
 氷峰が義雄を初めてここへ連れて來た時買つた女のちひさい部屋へ、皆が先づ通された。そこで鶴次郎の相方も決まり、男三名、女三名、都合六名の酒盛りとなつた。
 氷峰は黄いろい聲でしやべる。鶴次郎は太い聲で浪花節をうなる。そのそれ/″\の女も上手に相手をしてゐる。然し義雄は敷島に對して普通よりも深くなつてゐるだけ、どことなく、却つて今のいさかひの隔てが出來た樣に感じられる。
 猪口ちよくのやり取りは、ほかの女らに對する面目もあるから、親しさうにやつてゐたが、話をすると、どこか角が立つのだ、それを融和するつもりでもあらう、氷峰は敷島の顏を見つめてゐたあげく、
「なるほど、君はよく見ると美人の方ぢや、わい」と云ふ。
「はい/\、美人ですとも、札幌一の」と、敷島は初めてにこついた。
「わたしは、それで、日本一よ」と、氷峰のが茶化す。
「それはさうと、敷島さんは」と、鶴次郎のが云ふ、「今晩、どうかしてるよ。」
「飮み過ぎ、さ」と、氷峰のも云ひ添へる。「晝間からつづいてるのだもの。」
「どうせ、燒け酒、さ。」敷島はほうり投げた樣に云つて、義雄を見たが、直ぐに目をそらし、
「歸つて呉れいて頼むお客は、いくら頼んでも飮んでゐるし、さ、とまれと云ふ人はとまらないで歸りかけるし、さ。」
「でも、それだけ全盛なら、えいぢやないか?」これは鶴次郎の相手の言葉だ。
「かうなると、繁盛はんじやうばかりが面白いわけではないと思ふよ。」かう云つた敷島は澄し込んでゐる。
「たまには、色男さんにも來て貰ひたいと、さ。」これは氷峰の女のだ。
「田村君も」と、氷峰が口を出し、「もう、色男になりましたのか、なア、樺太からの舞ひ戻りの癖に。」
「そして、もう、悋氣りんき喧嘩をやり出した」と、鶴次郎が云ひ添へる。
「そんなことを云ふのア却つて野暮だ、よし給へ。」義雄は一向浮かないが、こんなところで本氣に不愉快がつてゐる心の中を見透かされるのも厭さに、敷島を促して、「おい、この婆アさん、唄でも歌へや。」
「そんな重寶なわたしでは御座りませんよ」と、かの女は笑つて見せる。
 義雄は申しわけに鶴次郎と一緒にへたの端唄はうた都々逸どどいつを歌つたが、實際の氣分は重苦しいので、それを醉ひにまぎらし、
「ああ、醉つた」と、横になり、兩足を敷島の膝にのせ、じッと女を見つめながら、
「馬鹿だ、なア、おまへは」と云ふ。
「どうせ、馬鹿ですよ。」女も渠を見返す。
「醉つたのなら、君等はどこへでも行き給へ。」氷峰は義雄等を立たせて、「僕はこの部屋が地獄の落ちつきどころぢや。」
縁喜えんぎでもないことを云ふの、ね。」
 氷峰の相方の聲を跡に聽き殘して、義雄は敷島の手に引かれて廊下へ出た。そして、初めて自分等二人だけになつたので、女を廊下の電燈のもとに睨みつけて、
「馬鹿野郎!」一と聲、強く浴びせかけたつもりだが、さう強くは出なかつた。女はつらさうに見えるほどじツと見つめたが、ただ默つて行かうとする。
 すると横あひの誰かの部屋から、
「何だと、畜生!」かう叫んで、大の男が飛び出して來た。
 二人は驚いたが、男の跡からまた女が出て來た。
「あんたのことぢやアないよ」と云つて、再び抱き込んでしまつた。男の足はよろ/\してゐた。
「全體、どうしたんだ」と、義雄が初めて尋常な問ひを發した。
「あなたが」と、敷島は笑ひながら、「馬鹿野郎と云つたから、さ。」
「さうか?」渠も吹き出して、「馬鹿女郎と云へばよかつたんだ。」
「何も、そんなことは云はんでもよろしい――直きに人を馬鹿とか、意久地なしとか、畜生とか云ふけれど、わたしだツて」と、女は義雄の手をしかと握り詰め、「氣が氣でないよ。」
「そりやア、おれの方から云ふ言葉だらう。」渠は女と目を見合はす。
「では、云つて御覽」と、手を離す。
「僕でも矢ツ張り恥かしいぢやないか」と、今度は義雄の方から女の肩に手をかける。
 そして、さツきちよツと這入つて出た西洋間の、食卓を片寄せて、電燈の眞下に床を延べてある室へ這入つた。


「向うはいつから來てゐるんだ」と、これは茶を飮みながらの話だ。
「晝間からよ。」
「晝間から? ぢやア、お前がさツき云つたのとは違ふ。」
「どうして、さ?」
「どうしてもあるもんか、お前はおれを待つてゐても來ないから、他の客を入れたと云つたぢやアないか?」かう云つて、義雄は今、氷峰の女の部屋で、女どもが向うの飮み客の話をしたのを思ひ合せ、この女がその場のがれのうそを語つたのを、女の爲めに、非常に不信用の樣に考へた。そして、女が、
「それはさうであつたけれど、本當は、あなたの來る頃までと云つて置いたのに、誰れかいい人を待つてるからだらうと、矢鱈やたらにお酒を飮んで動かないの」と辯解する。
「それもまたうそなのだらう。」そして、女の本部屋で、三味太鼓の音や唄の聲が賑やかにしてゐるのが、しやくにさはつて仕やうがない。
「そんなことはどうでも、さ、來て呉れたら本望ぢやないか」と、女が云ふのも信じないで、
「お前に取つちやア、客が一人でも殖えさへすりやア本望だらう――僕はそんなことを云ふんぢやアない。」
「わたしが濟まんことをしたのが惡かつたの、ね、許して頂戴。――直き來るから、おとなしくして――」
「おい、待てよ。」義雄は女のそツけなく立ちあがつたのを引きとめた。然し、今少し詰責してやらうと思ひかまへてゐる鼻さきを、このそツけ無さにうち折られたので、がツかり力ぬけがした。そして、醉ひにまかせて、火鉢のそばに倒れ、自分のひぢまくらをしながら、女の顏をわざと細目にした目で見つめて、「そんなに向うの男が可愛かあいいのか?」
「可愛いのは、ね」と、女は義雄の胸のそばに來て坐わり込み、「あなたばかりよ。」渠の胸を片手で押さへて、渠の顏のそばへ自分の顏を持つて來た。
「よせ」と、然し、渠はそれを押しのけた。女の仕ぐさをも冷やかに見て、眞實だとは受け取らなかつたからである。
 女の目には一二滴、涙が出て、夜露の樣に電燈の光にきらめいたのがこちらに見えたが、かの女が指をそろへて立てた兩手をそこへ當てたかと思ふと、直ぐその露は見えなくなつた。
「どうせ、もう、今晩切り來ないつもりだらう――」と云ひながら、女がまた立ちかけるのを押さへて、義雄は、
「おい、どんな人なんだ、向うのお客は?」
 女は正直に語つた――山から來た客で、停車場から直ぐ手荷物まで持ち込んであること。ここを宿にして用しをしてゐること。晝間から飮んでゐて、もう、二三十本平らげたこと。自分がつきツ切りは面倒だから、藝者を呼ばしてあること。そんな仕拂ひは、すべて自分も割り前が取れるから、いい客だといふこと。このゆふ方には歸つて貰ふつもりであつたが、義雄に對する意氣張りで、わざと飮みつづけてゐること。などを、うち明けた。

「そりや面白い、おれもこれから一つその向うを張らうか?」義雄は自分で自分のからだを引き起したが、言葉だけの意氣込みは實際にはなかつたのだ。
「無駄だから、およしなさい。」かの女は向うで不時の割り前を澤山取れるから、あなたにはさう使はせたくないと云つたが、それが却つて、義雄には、氣に入らないのだ。自分を邪魔にして早く寢かせて置かうとするのだと取つた。それに、また、
「ゆうべからとまつてゐるのだらう」と、口に出してしまふと、どうしても、さうだと白状させたくなつて來る。女は段々問ひつめられても、
「いいえ、違ひます」の一天張りだ。
「ぢやア、もう、どちらでもいい――うるさい!」
「うるさいのはあなたの方でせう――?」
「だから、もう」と、燒けツ腹になつて、「行け、行け!」低い而も強い調子で命令してから、にらみ付けて「馬鹿!」
「さう憎けりやア行きます、わ」と、立ちあがつたが、そのままには行きかねたやうに、こちらに寢卷きを着かへさせて呉れてから、
「ぢやア、待つてて、ね。」念を押して、女は出て行つた。また、指を揃へた兩手を目に當てたが、義雄はそれをかの女の癖と見て、必らずしも泣きをまぎらせる爲めではあるまいと思ふ。
 そのあとへ鶴次郎の女が來て、障子を明けたところで、聲をかけたので、義雄は仰向けに寢てゐた首をあげると、その女が云ふには、
「どうかしましたか?」
「何を?」
先刻さつきはほかのお客と喧嘩らしかつたので――」
「ああ、あれか?――何でもなかつた。」
「では、安心ですけれど」と云つて、それは立ち去つた。
 義雄が首を下して獨り考へて見ると、向うの客は自分に對して、見ず知らずの癖に、大分確執を持つてゐるらしい。それが敷島の朋輩どもにも分つてゐるから、先刻の樣な醉ツ拂ひに喧嘩を吹きかけられたのをも、かげでは、その客が飛び出して來たのかと心配したのかも知れないと思ふ。
「馬鹿々々しい!」自分で自分に云つては見たが、敷島の部屋では、まだ三味や太鼓の音がしてゐる。客は自分で太鼓を打ちながら歌つてゐるらしい。藝者の笑ひらしいのも聽える。時々、敷島の意氣な歌聲もする。そして、客が何か云ふと、かの女と藝者とのどツと笑ふもろ聲もする。
「淺薄な奴等は仕やうがない。」心で耳を塞ぐ樣に努めてゐても、參禪の座でまだ悟りといふ一種の催眠状態に向はない心に世の有象無象うざうむざうが現はれて來る樣に、三味線のばち、太鼓の棒、客の顏、藝者の目つき、おいらんの膝などが氣になつて眠られない。
 心は渠等と一緒に敷島の部屋にゐて、渠等と一緒に浮れ出してゐたのだらう。渠等の太鼓入りの唄ごゑにつれて、自分も浮れた唄を歌つてゐる。そして、自分が樺太で騷いだ時、度々親しみのあつた唄などが出ると、床の中にだらけたまま、別々に投げ出された手や足までが、一樣に生氣づいて來て、「あ、こりやこりや」と、踊り出しさうだ。
 それが、義雄には、如何にも悲痛で、悲痛で溜らない。必らずしも自分の失敗や、不如意や、本氣の戀の成就しないことやが、直接の原因ではないと思ふ。渠は現在の内容を最も充實的に握ると云はれる刹那主義の現在主義、生々主義である。
 渠の考へでは、自己と刹那とを離れたものはすべて無能力の過去――くうだ。そして自分の失敗は、もう過ぎ去つてゐるから、空だ。今の戀も亦、過ぎ去りかけてゐるから、もう、半ば空だ。
 然し、さういふ樣に空々くう/\になる經驗を背景として、まの當り、刹那の生氣を全身に感じて來ると、智、情、意の區別ある取り扱ひが行はれなくなつてしまつて、無區別な瞑想場裏に、手足の神經と腹の神經とあたまの神經とが、一致して、兎角空理に安んじ易い思索を具體化し、自己といふ物を盲動現實力の幻影にする。
 その幻影が義雄の生命だ。それさへ握つてゐれば、渠は決して、人の所謂いはゆる世界に對して、頓悟、漸覺、理想だの、無理想だのと云はない。人の所謂社會に對して道徳だの、不道徳だのと云はない。その代り、渠は孤獨の自己としての自己の悲痛を食はざるを得ないのだ。
 そのかてが、今は、すなはち、敷島に對して殘つてゐる戀だ。三味、太鼓の音だ。身づから踊り出したい樣な空氣だ。かういふものがすべて自己といふたこの手足で、それを義雄は喰ふよりほかに道がない。面白い樣な而も悲痛慘憺の自己を手足のさきまで感じて、渠は涙にむせびかけた。
 そして、三味や太鼓の音が絶えて、今度は女のひそ/\話が聽えると、何を語つてゐるのかと、渠は身を起して耳を澄ます。そして、それに男の太い聲がまじると、がツかりした樣にまた身を仰向けに横たへる。
 渠はこんなに鋭敏に全身の努力を出したことは稀れなのだ。
 そして、人の聲もぴつたりやむと、どこかの部屋から時計のねむたさうな音が聽えたばかりで、一樓中は全く、疲れてしまつたかの樣に、しんと靜まつた。
 この疲勞の靜肅の間にも、然し、義雄の心には三味や太鼓、手や足の合奏が聽える。敷島部屋の賑ひがそツくり自分の部屋へ移つて來たやうに――
「とん、とん/\。」
「ちやん、ちや/\ちやん。」
「は、どん/\。」
「こりや/\。」
 そしてその歌までが繰り返される。
 渠の神經は非常に興奮してゐるのだ。三味線の撥、太鼓の棒までが醉ツ拂つて踊り出す。すると、その撥が自分の手となり、その棒が自分の足となり、その手足がまた自分の體をゆり起して、藝者やおいらんの居眠りをしてゐるうへへ自分をつツ立たしめる。
 渠は、自己の靈が拔け出したのだらうと、身づからそれに見入つてゐると、それが山から來た客の姿らしくも見える。
「畜生!」かう叫んで見たが、その瞬間に、渠ばかりではない、自分も亦畜生の本能を發揮するに於いて、何の憚るところもない人間だと氣がつく。自分が考へてる刹那主義の最も具體的な悲痛哲理に據らなければならないのだが、それに據つた無飾むしよくの本能を人間が獨りおほびらに押し通すところに、眞の努力、勇氣、奮鬪、誠實、戀と生命とがあるのだと思ふ。
 この時、廊下に、草履の音がばた/\して來た。
「敷島ではないか」、耳をそば立てたが、その音は通り過ぎて、おもて二階の方へ遠く、死に行くものの如く消えてしまつた。

 また草履の音が二度も聽えたが、いづれも自分には關係がない。
 敷島の部屋からは、また女同士らしいひそ/\話が起る。然し男の聲はしない。
「もう、醉ひつぶれてゐるのだらう」と思ふ。
 やがて、そこの障子が明いて、廊下へ出た女が敷島と藝者とらしかつたが、疲れ切つてるらしい低い投げ出す樣な聲が聽えただけで、ばた/\とどこへか分れてしまつた。
 時計も疲れた音で二時を打つかと思ふと、また、別なのが跡もどりした樣に一時を打つ。また、やがて、三つの音が數へられる樣になる。
 實際何時だか分らない。義雄が自分の時計を出して見ると、卷くのを忘れてゐたので、それはとまつてゐる。何となく、むしやくしやするところであつたから、それをつかんで、
「この寢ぼけ野郎!」と叫んで、よこに投げつけた。
 手水場てうづばへ行つて、その行き來に、階段のおり口の手すりぎはから、敷島の部屋を注意すると、あの屏風が立てまはされてゐるのだらう、その影らしいのが障子に映つてゐて、あかるいところは上の方少しばかりだ。ささやき聲がしてゐるか、どうか、それまで聽き取れるところへは近づかなかつた。
 また、仰向けに床へ這入る。
 あたまは重く、目は落ち窪んだ樣な氣がするが、冴えた神經が自分を眠らせて呉れない。あちらの部屋や、ゆうべの部屋にある樣な箪笥もなく、茶箪笥もなく、また屏風もない。たださへだだツ廣い室が、人待ち遠しい時には、なほ更ら徒らにだだツ廣い樣に見える。そして、廊下のばた/\が聽えて來るたんびに、それかとばかり氣がじれて、ます/\神經の過敏を來たす。
 からだはむなしく疲れるばかりで、自分のたわいのないむづがゆい樣な氣持ちが、横になつても下伏したふしになつても、何だかがらんとして、つかまへどころがない。
 うは目ぶたと下目ぶたとがくツつきかけるほど、睡魔は自分の中に押し寄せてゐるのだが、どうしても、一つ、足りないものがあるのを思ひ浮べると、脚下に大きなほら穴が明いてゐる。そして、その底知れずの穴の上に、空にかかつた輪の如く、自分は浮んでゐる。
 あたままでがふら/\して、その置きどころもない。ただあツたかく包まれた中に、また仰向いて、からだをだらりと延ばすと、酒か酒的思想かに爛熟したと思はれる筋肉の骨ぶしのゆるみから、何だか金色の花が咲き出す。然しその花々には、いづれも、かをりと生氣とが乏しい。
 まだ不足なものが滿たされないからであらう――かう考へて、電燈の光に目をつぶると、暗い身をしぼる必然の力ばかりが勃興して來る。
 然し一向に敷島のやつて來るけはひがない。
 そのうち、時計は三時を打つのもあれば、四時を打つのもある。そして、こツそりやつて來た客らしいのは、一人、二人づつ、もう、歸つて行くのだ。廊下が再びばたつき出した。
 ふと目を開らくと、西洋窓のがらす戸から、そらの白んでゐるのが見える。
「馬鹿にしてゐやアがる、なア」と、自分に叫んで、自分にはほろ/\自分の世界に於ける寂しさをしぼる涙がこぼれた。そして女のことなどは寧ろ忘れられた。

「氷峰等を呼び起して、酒を飮み直さうか」と考へたが、いツそのこと、歸つてしまはうと思ふ。
 必らずしも女が戀しいのではない、然し再び女を思ひ出すと、そんな薄情な、無感覺な女風情ふぜいを戀したのが殘念なのだ。
 蒲團蹴立てて起きあがり、それでも細帶を締め直してから、唐戸を排して氷峰の部屋へ行かうとすると、階段の手すりのところで、敷島の青い顏に出くわした。
「どこへ行くのよ。」女はこちらの氣が立つた顏を見て、おこる樣に云ふ。
「もう、歸る!」かう云つた切り、女を見ないで行きかけるのを、女は引きとめ、
「そんな野暮はするものぢやないよ」と、男を引ツ張つて室に引き入れる。そして蹴飛ばしてある夜着が海豚いるかの腹わたの樣に赤い裏を出してゐる床の上に坐わらせる。
「‥‥‥‥」こちらは女のするままになつてゐながらも、默つてゐた。
「だだツ兒、ねえ、あなたは。」かの女はこちらが苦しさうな息づかひの無言で目をうるませてゐるのを見て、男の膝につツ伏した。そしてまた直ぐ氣を取り直したかして、「もう、泣くのはよしませう、ね」と云ふ。
 かれは、まだ何とも云はず、兎に角、怒りは直つたといふしるしに横になると、女はその上へ夜着をかける。そして、なほ、そばに坐わつたまま、如何にも疲れて、たわいがないといふ樣なあくびだ。
「‥‥‥‥」こちらもそれにつられて大きなあくびをして、「もう夜が明けたんだ。」獨り言の樣に云ひ、あの氷峰のこんなところでばかりの早起きが呼び起しに來るだらう。さうすれば、いつもの樣にさきへ歸らせず、自分も渠と一緒に歸つてしまはうと思ふ。
「夜が明けたツて」と、またあくびをして、「ゆツくりしてもいいだらうぢやないか?」
「いや、けふは直ぐ島田と一緒に歸る。」
「さう急がんでも――ぢやア、これツ切りだと云ふの?」
「或はさうかも知れない。」
「ああ!」かう低い嘆聲を發して、女は例の兩手を目に當てたが、「こんな商賣はいやだ、いやだ! 親と主人に氣の毒でさへなければ、勝手に自廢して、好きな人に就く!」
 それから、ゆうべからの話になつた――向うの客を義雄が來る時刻までに歸してしまはうと思つたが、歸らないのが癪だから、酒に醉ひつぶしてしまはうと思つたが、なか/\つぶれないうちに、女の方が危ふくなつて來たこと。やがて客が床の間の床板を枕に寢入つてから、暫らく藝者(それを敷島は自分の一番親しい色男だと笑つて説明した)と互ひにつらい身の上ばなしをしたこと。藝者が歸つてから、客をほうつて置いて、左近の部屋へ行き、左近さこんと二人で今まで眠つてゐたこと。それは酒の相手を長くした爲め、疲れ切つてゐたので、一睡しなければ、何の勤めも出來ないと思つたからと云ふこと。などを、語つた。
「では、なぜおれのところへ來て、一睡しないのだ?」
「からだに毒だから」との答へだ。
 こちらは、それでも氣まづく思つたが、女として尤もらしい、また、事實らしく思はれる點もあるので、それ以上をなじることはしなかつた。そしてただ目をつぶつてゐると、女は安心した樣な聲で云つた。
「今夜は醉つて、醉つて、醉ひつぶれて、さん/″\あなたを困らしてやらうと思つてたのに、當てがはづれてしまつた。――然し、まア九時までがいのち、ね。」


 義雄は、北海實業雜誌に奉公する小説として、「金」といふ、横濱の貧乏車夫がマニラの富くじに當つて狂死する實話を書いた切りである。今一と口の方のかはせも來たので、その金を資本にして、毎晩の樣に井桁樓に行くのだ。女が一度期どきに散財せず、毎晩の樣に來てくれろと云ふので、初めてそこへあがつてからと云ふもの、一と晩も缺かしたことがない。
「第二の伊藤さん」と云ふ評判が直ぐ義雄の知人間、またその知人の知人間に廣まつた。まだ、伊藤公爵來道の餘波が世間に殘つてゐたからの類推であらう。渠等は義雄をどんな女にでも、また、幾人の女にでも關係をつける男だと思つてゐる。それがこの評判を生じた所以ゆゑんである。然し義雄自身に取つては、今やただ敷島ひとりしかゐないのである。またその他の女を思ふ餘地が存してゐないのである。
 渠は女に妻子のあることを話した。めかけ見た樣なものがあることも話した。然しそんなものは一切忘れて、敷島を愛してゐるのである。
 女も亦その一身に關することはすべてうち明けてしまつた。函館の妓樓に勤めてゐる姉と二人で故郷の病身な親を世話してゐることも、借金とては僅か百圓ばかり殘つてゐることも、みんな分つてしまつた。
 こちらは北海道を巡歴して歸つて來たら、きツと何か一つの事業を握れるだらうと思つてゐるから、その頃になつて、身受けをしてやり、都合によれば、來年は一緒に樺太へ行かうと受け合つた。女はまた、さうなれば、自分の持つてゐる箪笥も、衣物きものも、すべて人の妻としての役に立つ樣になるからと喜んだ。
 朝別れると女は手紙をよこし、手紙を見ると男は行きたくなるのだ。そして、義雄は晝間だけは氷峰もしくは勇のところで眠るか、若しくは、札幌區立病院へ行つた。小樽の森本春雄が兼ての鼻茸はなたけを治療して貰ふ爲め入院してゐるからである。
 春雄は齒ぐきの上から頬肉の裏がはを切り開かれ、鼻のあたりの骨が削られたのだ。意外の大手術を魔藥なしにやられたので、一時は氣絶したさうだ。顏のたて横に厚い繃帶を卷かれて、三等室に這入つてゐる。
「二等室には明きがなかつたから」と、渠は義雄に申しわけをしてゐたが、義雄はその入院料の安いのを知つて、お鳥を東京で醫師のもとに通はせるよりも、こんなところへ入れた方がよかつたと、あとの祭りだが、思ひ附いた。
 義雄は、一日のうちに、必らず一度づつは、青臭い妓樓と藥臭い病院とのにほひを嗅ぐわけだ。そして、その別々なにほひを別々に嗅ぎ分けることが出來る間は、まだ自分の本性ほんしやうがあると思つた。


 東京の石炭商なる知人に照會した木材事業に關する一件は、返事が來たが、
「とても見込みがないから、よせ」と云ふのである。かさね/″\の不成功を義雄は非常に心苦しく思つた。
 自分は詩歌小説の創作や、思索的發見や、戀愛など云ふ、比較的に精神的、内部的な事業の實行ばかりで、かの俗衆の所謂事業をその最も表面的、外形的な方面まで成功する見込みがないのだらうか?
 不成功は必らずしも論ずるに及ばない。また返り見るに足りない。内部的に見れば大成功者の豐太閤も、外部から見れば結局の失敗者だ。精神的に自己の滿足を得たナポレオンも表面から云へば大失敗だ。最近に於いて、伊藤公爵の如きは、外表に對する成功の爲めに、却つて内部的發展を妨げられてゐる氣味がないではない。だから、成功は必らずしも問ふところではない、と。
 然し、その境に踏み込んだ以上は、せめてそこを一度は充分に蹂躪じうりんして見たいものだと、義雄は憤慨するのだ。世界に向つて大貿易を開らくのも、一國をまとめてその手中に操縱するのも、自己一身に立て籠つて本能の無飾的な發展を全くするのも、事業並びに實行としては、決してその大小と高下とはない。
「ただ、然し、思ふままに、外面的な實行にも、もツと自己を發展して見たい。」これが義雄の野心を切實に刺戟する動機である。
 かれは、かういふ苦肉策を考へる時には、いつも、幼時教へられた東西歴史の交渉研究に必要なジンギスかん、タメルラン、アチラなどの事蹟を思ひ浮べるのである。渠等は歐洲人の領地をただ蹂躪しただけで、渠等が去ると同時に、何等の偉蹟をも建設しなかつたと云はれる。且、また、渠等の如き東洋的英雄豪傑は、破壞でなければ、酒色のことしか知らなかつたと云はれる。歐洲人がさう云ふのはまだしもだが、東洋の日本人までがさう云ふのだ。
 然し、これは、歐洲の歴史家が歐洲の歴史を辯護する爲めの俗習的見解である。然らざれば、歐洲の智識ばかりに心醉してゐるわが國のハイカラ學者等が、歐洲人の口吻を眞似てゐるに過ぎない。然らざれば、また、世の俗習家がジンギス汗等に向つて、渠等の公明正大な、男性的な、東洋的な、本能上の行動を、自分の俗習見に照らして、けち臭く解釋してゐるのだ。
 ジンギス汗等が後世の爲めに何等の建設もなかつたのは、渠等の自己發展、自己滿足のほかに、何等のけちな俗習見もなかつた證據である。「子孫の爲めに美田を買はず」といふ言葉も、俗習家には、ただ自己を空しくして、他の爲めに誠意を盡す意味に解せられてゐるが、それは單に公明正大を僞はる手段に過ぎない。
 義雄の考へは反對だ。自己を少しでも空しくすれば、却つて自己の誠意を缺く樣になるのみならず、自己の存在をも危くすることになるのだ。世人の所謂美田を買はないのは、國家民衆の爲めばかりでなく、子孫の爲めにも、空しく盡す樣な餘裕がないほどに、自己を充實させて置く必要があるからである。
 そして、ジンギス汗等は、豐太閤と等しく、義雄の主張する自己充實に於いて殆ど遺憾がなかつた。この自己充實説は刹那主義に於いて最も充分に發揮せられるものであるから、自己の刹那に關係がない過去もしくは未來に於いて、何等の建設もしないのは、乃ち、却つて美田を買はない所以であつて、最も僞りのない公明正大だと、義雄は思ふ。渠の自我中心説は世界に對して日本中心説となつてゐる。そして、渠はそれを刹那主義で發揮するのを歐米の僞文明國に對してもはばからないのである。

 然し、義雄に取りては、木材事業の計畫が駄目になつたと同時に、樺太の弟からまたハガキが來て――なぜ封書でよこさないのだと、義雄は心で怒つた――從兄弟いとこの製造主任が謀反むほん心があつて、自分の不始末から起つた困難にも拘らず、その困難と負財増加とに堪へかね、それを免れる爲めに、早く義雄等の協同から、喧嘩づくにでも、脱してしまひたい樣な態度を見せて來たから、義雄に早く來て呉れろと云ふのである。さうでないと、一大事件が初まると附け加へてある。
 弟から見れば、その事業の總括者たる兄の義雄から、渠の出發後は代理となつてああしろかうしろと命令されてゐるので、この兄弟に信用を失つてゐる從兄弟の怪しい行爲は充分注意して、さうさせない樣にしなければならない。
 然し、無學で惡ずれのした從兄弟は、また、年上であるから、自分よりもずツと年下の代理主權者の遠慮勝ちな注意と命令とに默つて從つてゐる筈がない。兩者の反目は、義雄が出發の際あやぶまなかつたのでもない通り、テイヤとホロドマリに於ける義雄の兩製造所の對立となつたのだ。
 ホロドマリには、義雄の弟が東京から仕込んで行つた釜、その他の機械を据ゑて、東京からつれて行つた人々と共に住んでゐる。テイヤには、從兄弟が鰊釜にしんがまを代用して、かの惡辣あくらつな世話人に抱き込まれてゐる。初のうちは、テイヤで蟹が多く取れた時は、人夫を雇つてホロドマリへ運搬し、そこでの不足を補つてゐたらしいが、原料が高い上にそんな手間賃まで高く出すのだから、とても、引き合ふものではない。
 渠等の生活さへ僅かにでも出來てゐるのか、どうか、疑はしいほどである。
 義雄は、弟の所謂「一大事件」とは、樺太で抵當に這入つてゐる所有物件を取られてしまふことであるのを、知つてゐないではない。が、然し今、自分が相當の金を持たないで行つたとて、何の效能もないばかりでなく、自分までが物件と共にさし押へられてしまふに過ぎないのだ。その上、また、行つて歸るだけの用意もない。
「どうせ、過半は斷念したこの事業であるから、早く切りあげてしまへ。萬一、樺太に於ける所有物件だけが來年まで安全になる相談が附けばよし、附かなければ、それは從兄弟と共に放棄してもいいから、あとのものはそちらを引きあげて歸つて來い。自分は二三日のうちに北海メールの補助のもとに北海道巡遊に出る。それが濟んでも、歸京するか、當地になほ滯在するか、どちらとも分らない。――
「兎に角、この鑵詰事業の失敗の爲めに、自分等の家も今どうなつてしまつたか分らない状態にあるのだから、自分は別に何かの事業を見つけるまで二三年は放浪の身になるだらう。お前もその覺悟で一先づ東京へ歸れ。――
「どうせ、お前は不勉強の、學問ぎらひで、父の在世中から學校をやめたかつたのである。自分はその意を汲んで、お前を直ぐ自分の事業にたづさはらせ、熟練の結果によれば、學校の保證など入らずに獨立もさせようと思つたのだが、失敗の爲めにそれも出來ない。――
「然し今更ら歸京して再びあの大學部の殘りをやれないのを恨むにも及ぶまい。徴兵猶豫がなくなるのなどは、決して苦にする場合ではない。お前は、來年の試驗期には、どうしても徴兵に應じて見なければならないのだ。然しそれはそれとして、お前一個の方針はお前一個で考へろ。東京に於いて抵當に這入つてゐる家のことも、自分にただ形式的な愛を迫る妻子のことも、すべて考へる餘裕のない自分は、なほ更らお前のことなど考へてゐられない。――
「特にことわつて置くが、自分は清水しみづお鳥とは手が切れたつもりだ。その點は、もう、心配するに及ばない。」
 以上の文句を書き入れた封書に、添へ書きとして、「以後の報告は矢ツ張り有馬氏當てでよこすがいい。然し返事が行くとは思ふな。但し、その報告は封書に限る」と加へ、但し書には圈點けんてんを打つて、弟に送つた。


 札幌に來てから早や一ヶ月と十日あまりになつた。義雄の放浪的諸計畫も今や殘つてゐるのはただ北海道巡歴といふ問題で、それもその依頼者なる北海メール社の意向がまだ實際には分つてゐない。元氣の沮喪した義雄には、薄野すすきの遊廓の井桁樓の青くさい一室で、自分も好きだし向うもさうだと思はれる敷島と、毎日相會ふのが唯一の生命であるかの樣になつてゐる。
 ところへ九月二十七日、メール主筆巖本天聲から使ひをよこし、ゆふかたから自宅へ飯を喰ひに來て呉れろとあつたので、義雄は行つて見ると、天聲は、
「いよ/\頼むから、出かけて貰ひたい」と云ふ。然し約束したパスはまだ旭川の支社から返つて來ないので、兎に角、社からそのつもりで預つてゐる二十圓だけを渡すから、その金と紹介状とを以つて、同社の支局並びに天聲の友人等を渡つてゐて呉れろ。旅行中の記事が段々メールに出るうちには、
「また、どうともするから」とのことである。
「それぢやア、君、何のことはない、君の友人を喰ひつぶしに歩くわけで、少しも僕の勞力に對する尊敬も謝禮もあつたものぢやアない!」かう云つて、義雄は多少忿懣ふんまんの氣味で、自分が樺太の通信を東京の或新聞に引き受けた時でも、その三倍もしくは四倍分を受け取つたことを語る。
「まアさう云はんで」と、天聲はおだやかに構へて、「それだけ受け取つて呉れ給へ。あとで、また、僕も考へがないではないのぢや。」
「君の考へは當てにならないから、ね。然し北海メール社がおれを馬鹿にしてゐるんだ。」いツそのこと、斷然ことわつてしまはうかと、義雄は思つた。
 この問題は、初めは義雄から申込んで、天聲に周旋させたのである。然し社の待遇がこんなことで終るのなら、天聲の周旋と奔走とを無にしてしまつてもかまはないと、義雄は思ふ。然し、また、考へて見ると、この相談がもツと都合よく行くものと信じてゐたから、東京へ歸る旅費に拵らへた金を毎晩の井桁樓通ひに使ひ果してしまつたところだ。暫らく自分を外へでも向けなければ、札幌の友人等に對しても、おめ/\とぶらついてゐることは出來ない。
 あとでまたどうともするといふ言質もあるのだから、天聲の親切もしくは申し譯に兔じて、兎に角出かけてやらう。社が貧乏な上に、事務の方には無勢力な天聲の言質ではあるが、相當に原稿を書かせて置いて、人をおツ放す樣なことはすまい。
 よしんば、おツ放す内心で原稿を踏み倒されたにしても、義雄自身望んでゐた旅行が出來ると同時に、その旅行記に於いて滿身の鬱憤うつぷんを漏すことも出來る。
「この場合、それよりほかに道がない」と思ひ直し、かれは天聲が暫時の別れを送る用意の酒を受けた。
「樺太の方は全く駄目ですか?」
「うん、先づ駄目と斷念してゐるから、何か一つ北海道でやりたいのだ。」
「君のいつか話した牧草培養でもやり給へ――僕の名義で出願した百萬坪が許可されたら、その半分は僕が貰ふつもりだから、君にも分けてやらう。」
「そりやアいい、ね」と、義雄は聽き流すと、
「實際だぞ」と、天聲は二三杯の酒に赤くなつた顏をつき出す。そして「では、よろしく頼む」などいふ話があつた。旅行には明日出發と定め、天聲の家を出てから、その足で義雄は敷島の爲めに別れの一夜を明しに行つた。


 九月二十八日、義雄が札幌を出發したのは午後の汽車である。
 車中で、ふと氣がつくと、あたまを繃帶した子供を連れた女客が三組乘り合してゐる。それが子のあたまを縁として話し合ふのを聽くと、いづれも、札幌の病院へ行つた歸りで、
「あなたのもですか?」
「わたくしの子供も」といふ樣な挨拶だ。どうせ、その母なる人々もしくはその亭主等の舊惡露顯の一端であらうと義雄には思はれた。
 煉瓦石の製造場があるにちなんで、煉瓦餅といふのを賣つてゐる停車場で、その子供が一人減り、そのまた次ぎで一人減り、みんなゐなくなつた頃、義雄の汽車は岩見澤に着した。直ぐ北海メール支社の主任を訪ふと、札幌へ行つて留守だ。止むを得ず、或宿屋へ行つた。出早々この不自由では、とても駄目だと思ふ。
 然し義雄と同宿になつた婆アさんがあつて、隣室から手紙を讀んで呉れろと云つて來たので、その話を聽いて見ると、岩見澤に陶器の原料を産する場所がある。そして、そこへ工場を設けて、西京から職人を呼び寄せる準備をしてゐるとのことである。この婆アさんが酒の氣をぷん/\にほはせて語るところに據ると、室蘭線の停車場苫小牧とまこまいで料理店をやつてゐるかみさんだが、その稼業かげふでは儲けが少いので、人のやらない事業をと思つて、そこに考へがついたのださうだ。京都あたりで十五錢、二十錢する陶器が、運賃と割れとを見込んでだらうが、北海道では、實際五十錢から六十錢する。それを運賃らず、割れも尠く製造出來るものとすれば、五十錢が四十錢、三十錢に賣れても利益は充分に望まれる、と。
 事業熱にかかつてゐるに等しい義雄には、樺太へ空しくつぎ込んだ自分の資本――而も東京の家宅を抵當にして拵へた資本――のことが殘念に思ひ出されて、こんな婆アさんに對しても、遺憾! 自分は一個の敗北者であるといふ感じを抱かざるを得ない。と同時に、氷峰を見込んで密會を申し込んだ若杉貞子の目的も、亦、この岩見澤に於いて陶器製造をやる力になつて貰ふことであつたと云ふことを思ひ出すと、利益の勘定しかたまでが矢ツ張り同じやうであつた。あの女はその後どうしてゐるか知らないが、兎に角、この婆アさんに先んじられてしまつたのだ、な、と義雄は考へる。そして、人は誰れでもぐづ/\してゐるうちに、他の人に追ひ越されてしまふものだといふことを痛切に感じた。
 その翌日、支社の主任と近傍を巡囘し、本道にまだ一つしかない甲種農學校、空知そらち教育會附屬圖書館(には、活動圖書館の設けがあつて、管内各村に巡囘させてゐる)、所々の田園、果樹園、牧場、または、かの腐爛病に罹つた林檎畑の恐るべき荒廢の跡をも見た。
 また、ところ/″\、唐もろこしの實を澤山軒に釣るした農家があるのは、樺太で云へば、漁師の戸外におほ蟹を繩で結はへて釣るす型を、北海道的百姓で行つたのだと考へたし、また、途中で葬式の行列に出會つては、自己を捨てて行く馬鹿者を送るその馬鹿者共もあると思つたが、皆が餘りしをらしい樣子をして行くので、横切るわけにも行かず、停立脱帽してその列を通した。
 然しそんなこと/″\よりも、義雄が最も多くの注意を引いたのは、岩見澤牧畜生産販賣組合(この種の組織はまだわが國に例が少い)と、その北海道バタ製造所とである。若し牛を飼ふとすれば、種を目的とするか、然らざれば、バタや乾酪チーズ、鑵詰などを製するまで行かなければうそだと考へた。
 そして、義雄の手帳には、次ぎの如く書き下されてある――牛乳五六升で、バタ一斤。牛、一匹一日の産、五升より一斗二升。年、五六ヶ月間。一年、平均十二三石(七八石のもあり)。バタ一斤、七十錢。十二石に付き二百斤、百四十圓也。牛一匹の飼料一ヶ月平均三圓、一ヶ年三十六圓也(舍飼、放牧等をこめて)。バタ製造機械のうち、セパレータ二百圓。タル(チヤン、増返機)三十圓。壓搾機(オーカ)六十圓。驗脂機八十圓等を込めて、五百圓入用。

 岩見澤は石狩原野にあつて、鐵道四通の中心でありながら、市中は餘り活動してゐる樣にも思はれない。家々の建築具合を見ても、假建築が永久的な住ひになつた樣なのが多く、發展の最中に不景氣の爲めにあたまを押へられてしまつたといふあり樣が見える。多分、都會の發達に必要な「近在」なるものが少く、且、汽車の客は通り過ぎてしまふのが多い爲めだらう。假建築のままにくすぶつてゐる店などがすくなくはない。
 義雄はこの町の他日の發達を致すべき財源地、萬字炭山へも行つて見たかつた。同炭山は幌向ほろむい川の上流にあり、水準點以上に三百七十萬噸、水準下のを合すれば一千萬噸以上の炭量を有すると云はれ、露頭は累々として沿岸に連なつてゐるさうだ。然し渠は、ゆふかた、一先づ支社へ引ツ返すと、本社から電話がかかつてゐて、直ぐちよツと歸れ、都合のいいことが出來たといふことである。
 最終列車で義雄は札幌へ向つたが、車窓からながめると、舊暦十五夜の月は廣漠たる石狩の大原野を照し、秋の夜氣が渠の寂しい周圍に迫つて來る。
 考へると、六月から家を出て、樺太並びに北海道に一と夏を送つたのである。都がなつかしい氣がして來て、札幌へ向ふのが東京へ歸る樣だ。
 きのふの晝間見た大原野の一部なる幌向原野は、不毛な泥炭地で、見渡す限り茅ばかりの、一面にじめ/\したところだと思つた。然し、今、汽車がその一端を走つてゐると、人家のともし火が一つ二つ見える。そして多くの人々の返り見ない、こんな泥炭の大濕地ヤチにも、小開墾者が寂しく住んでゐるのかと思ふと、そのともし火は義雄自身の樣な一文なしの寂しみを表してゐる。
 如何に北海道といふ自由な天地に來ても、金がなければ、何等の計畫も成立しないと等しく、かの火をともす家人が、一個人として、如何にその一小地積を開墾し得たとても、殆どその效力はなからう。この原野全體が濕地ヤチであるのだから、その全體を乾燥させる爲めの大排水工事をしない以上は、かれが動かす鍬さきから、不毛の濕りが、義雄の所謂刹那の生氣を離れ行く劣敗者の周圍に集る虚無の死の如く、渠の周圍に攻め返して來る。
 かういふことを考へながら、義雄は札幌驛に着したが、その足で直ぐ車を天聲の宅へ飛ばすと、もう、戸が締つてゐた。それを叩き起して、二人はうちと外での對應だ。
「全體、どう云ふ話なんだ?」
「なアに、今度道會議員の遠藤長之助君が、土木勸業調査員として、膽振いぶり、日高、天鹽てしほ後志しりべし、渡島などを巡廻するので、丁度場合がいいから、うちの社長が遠藤君に説き勸めて、君に隨行を頼むことにしたんだ。君も、不服はなからう――費用は、すべて、遠藤君が道廳から受け取る分から出るんだ。」
「そりやア、好都合になつた、ね。」
「然し、北海道を囘るには、馬でなければ行かんので、君が馬に乘れるか、どうだらうツて心配して居つたぞ。」
「馬と云つて、どうせ驛遞馬だらうから大した心配にやア及ばない、さ。」
「乘れるか?」
「乘つて見せる、さ。僕も子供の時乘つた切りだが、樺太にまた行くとすりやア、どうしても馬の稽古をして置かなけりやアならないと思つてゐるところだから――」
「ぢやア、あす、遠藤君に會つて見給へ――それに、和服では馬の上が寒いから、洋服をどうか都合すると云うてをつたから。」
「では、あす、會はう――ところで、今夜、とめて貰へないか?」
「そりやちよツと困る、なア」と、天聲は言葉の調子が折れた。「もツと時間が早ければ、蒲團を借ることも出來るけれど、もう、遲いから、なア。」
「よし、それぢやア失敬する。」義雄はあすを誓つてそこを離れた。そして月下を獨りまた薄野に行き、敷島の不意を驚かせた。
 道會議員遠藤長之助は、北見のおほ百姓で、多くの小作人を使つて農業を經營するかたはら、牧馬業にも手を出してゐるし、某木材會社にも關係がある。また砂金の出る山川を持つてゐる。
 もとは、ちひさい居酒屋を見た樣なことをして金を儲けたのだ。北海道へ流れ込んだ、殆ど無職業の、勞働者等を客とし、自分が兵隊のあがりであるを誇りに、亂暴や無錢飮食をやるものをおどしつけるつもりで、渠は店の出口に鐵砲を持つて控へてゐたので、一時、鐵砲酒屋の名を得てゐた。
 それが長之助一代で立派なおほ身代になつたのだが、道會議員として道會にあらはれると、その落ちついた達辯の爲めに、初演説のそも/\から、こんな見識家が北見の田舍にもゐたのかと、世人に驚かれたさうだ。他日は必らず代議士の候補者になるだらうとは、人も期しわれも望んでゐるところだ。
 その渠は、さきに義雄を歡迎したうちの松本雄次郎(矢張り、道會議員)と共にメールの社長を中心として、もしくはそれを利用して、自己勢力の擴張に努めてゐるのが、今囘、義雄との關係を結ばせることになつたのである。
 遠藤の札幌に於ける住宅は、南二條の七丁目にある。鐵柵をめぐらしたおほきな構へで、誰れが住むにも廣過ぎる家だ。そしてそれを借りたもので失敗しないものはないと云ふいまはしい評判まで立つてゐる家だ。然し遠藤はそれを割合に安く借り受けて、事業の關係上、渠を音づれる東京、その他からの客に對して、見識張つてゐるのである。
 義雄は薄野からの歸りに、近處まで行き、その家を一人の婆アさんに尋ねると、
「あの大盡さんのところでせう」と、わざ/\そのそばまでついて來て教へて呉れた。
 玄關のがらす戸を明けて這入り、案内を乞ふと、番頭らしい四十恰好かつかうの男が出て來て受けついで呉れる。それに導かれて、長い廊下に添うて奧の客間へ通ると、既に二三人の客がゐた。
 初對面の挨拶を濟ましてから、先客の用談が濟むのを待つてゐる間に、床の間の唐紙一と幅に寫したどこかの石碑の銘や大きな鐵製の鶴の置き物や、三角棚の書物や庭の大きな籠に入れてある多くの鳩や、などをながめながら、義雄は主人の話し振りや人物に注意した。強ひて落ちついてはゐるが、兩の眉の上で筋肉が動く樣子が、多少、過激な精神を持つてゐる人と見えた。
 先客が歸つてから、再び丁寧な挨拶を改め、それから今囘の調査旅行の目的、順序やら、義雄の隨行承諾に對する感謝やら、道廳からも別に案内者として技手が一人行くことを語つた。そして、主人は、
「一緒に行つて下さることになると、あなたの評判な自然主義のお説をも道々伺ひたいのですが、馬はどうでせう」と問ふ。
「それは、なアに」と、義雄は心配させない樣に答へて、「下手へたですが、大丈夫です、子供の時に落ちた經驗も二三度ついてゐますから。」
「それなら、結構です。」主人は微笑しながら、「馬はどうしても落ちて見にやアなりません。」
「然し子供の時のことですから、今度またやり直します。」
「はツ、は!」主人は笑つて、「まア、成るべく車や馬車の利くところはそれにすることに致しませうから――」
 かういふ話があつた後、義雄はちよツとからだの寸法を取られ、いづれ出發の時までに、間に合せだが、洋服一式を屆けるからといふ言葉を與へられて、いとまを告げた。
 義雄は、天聲の注意に從ひ、自分の人生觀並びに藝術觀の批評なる田村義雄論の出てゐる中央公論を一部主人の手に殘したが、主人遠藤に對しては、榮養分に富んだ、血色のいい、これからまだ何か仕事をしさうな、四十四五の地方紳士といふ印象しか受け取らなかつた。


 義雄は、かの未見みけんの敵であつた山の客がした如く、敷島の部屋を宿やど見た樣にして、晝間は氷峰や、勇や、入院中の森本などをまはり歩いた。
 九月末日の晝頃、北海道實業雜誌社に行つて見た。社長川崎の怒鳴つてゐる聲が玄關まで聞えるので、前から期待されてゐた社長と氷峰との衝突が果して初まつた、な、と思ひながら、這入つて行く。
 川崎と氷峰とは碁を打つたらしい、盤をその間にして、激烈な對談になつてゐた。川崎は眞ツ赤になつて形を正してゐると、氷峰は青くなつて、勝手にしろといふ風に、兩手を膝に置いて肩をいからし、あたまを少し下げて横を向いてゐる。
「ぢやア、お前はどうしてもやめると云ふのか?」川崎は氷峰をにらみつけると、
「は、やめます。」氷峰は社長を見返へして、「ほかのものでもやれると社長は云うとるさうぢやから、やれる人を入れたらよからう――僕は雇ひ人ぢや。」氷峰が兼てから不平に思つてゐたことで、社長は渠の實力をあり振れたものの樣に考へてゐるが、氷峰自身には、自分でなければ、現今、この雜誌をやれるものはないと自信してゐるのは、義雄もよく承知してゐる。
 このいや味を含めた確答に接し、
「この野郎!」川崎は重い碁盤をはねのけ、氷峰の膝に迫り行き、「お前はけちな雇ひ人根性こんじやうでをるのか?」
「‥‥」
「おれに二千五百圓足らずもつぎ込ませて置いて、まだ雇ひ人根性でをるのか?」
「‥‥」
「返事せい、氷峰! おれはお前の兄から頼まれて、お前の爲めに出してやつたのぢや。」
「然し雇ひ人扱ひをすれば、雇ひ人ぢや。」
「さうひねくれるものぢやないぞ。誰れがこんな事業に澤山なお金を無條件で出すものがある? お前の爲めならばこそぢや。」
「そんなら、その樣にやらせて呉れりやよからうぢやないか? 僕を信じないで、會計を置いたのはまだしも惡いことはない。然しその會計がかういふ仕事に不慣れな爲め出て來る疑ひを、直ぐ僕が不都合でもしとる樣に思ひ取るのは、社長として、間違ひぢやと思はれる。」
「おれも何も知らないのぢやから、會計にもよく分る樣にお前が云うて聽かすがえい。」
「いくら云うても分らなければ仕かたがない、さ――今の樣なことを云うて、僕につツかかつて來るのは失敬ぢや。少くとも、僕は社長に次いで、主幹といふ名義になつてをるのぢや。」
「そりや會計も、主幹の云ふことが分らんのに直ぐおれのところへ苦情を持ち込むのは惡い。」
「島田さん」と、これも青くなつてゐる會計がやツと再び氷峰に向つて口を切つて、「わたしが惡かつたのですから、改めてあなたにあやまります。これからは、十分あなたに教へて貰つて、あなたの云ふ樣に致しますから――」
「無論、さうして貰はねば困る。新聞や雜誌の事業は山の鑛夫を使ふ樣には行かんものぢや。然し、社長、ここ、少くとも百圓の手金を打たねば、印刷屋が原稿を組み出さんぢやないか?」
「だから、おれがそれだけは工面してやると云うとるぢやないか?」
「では、社長からさう云うて貰はう。」かう氷峰は多少氣拔けがしたやうに云つた。と云ふのは、いツそのこと、きのふ社長が斷言した樣に、金はもう一文も出來ないとけふも斷言して貰ひたかつたと、あとで義雄に語つた。渠は、さうして貰つて、雜誌を全く自分の物にして新たに經營し直さうと思つてゐた。それが却つて、「おれがそれだけは工面してやると云うとる」など、實は云ひもしないが空景氣をつけるのは、どうも當には出來ない。「多分、またあの動きのつけなくされる禿安はげやすの手にかかるのだらう。」と推察されたが、それでも、手金だけ出來さへすれば、當座の運びはつくからと、氷峰は社長の言葉を捕へたのだ。

澤山さはやまを呼べ、澤山を」と、川崎が印刷屋の主人のことを云ふので、氷峰は社員を電話かけに使はす。
 これで衝突の一段落がついたので、義雄は川崎に改めて挨拶すると、
「旅行はどうなりました」と、川崎が尋ねる。
「改めて、遠藤さんと一緒に出ることになりました。」
「それは結構ぢや――さア、一つ。」川崎は自分と義雄との間に碁盤を引き寄せた。氷峰も、會計も、表面は打ち解けた樣になつて、二人の打ち方を見ながら、いろんな口嘴くちばしを入れる。
 そのうち、澤山がやつて來た。川崎は碁盤に向つて、局面の不利なのを訴へる樣に、
「おい、大將、しツかりして呉れんと困るぢやないか?」
「わたくしの方でも」と、澤山は受けて、「實際、困つてをるのです。ほかの仕事をことわつても、あなたの方の仕事は間に合はす樣にしてをりますから、世間では全く實業雜誌の印刷所になつたやうに思はれてをりますので――」
「思はれてもえい、さ。」川崎はなほ死に物ぐるひの石を打ち込みながら、「もう、大分お前の方へ入れてあるから。」
「それは無論結構ですが――月末の給料を渡さないと、職工が働きませんので――」
「だから、おれが今云ふのじや。」川崎は少し威猛高ゐたけだかになつて、「手金はおれが工面するから、もう二日待て、その代り、第二號をずん/\組んで貰はう。」
「ぢやア、さう願ひます」と、澤山も承知する。
「印刷屋の方はうまく行つたが、」川崎は義雄と氷峰とを見て、「碁は負けぢや、なア。」かう云つて、石を投げてしまふ。そして、氷峰が餘りおれのあたまを亂させるので負けたのだといふ笑ひ聲を殘して、川崎は歸つてしまふ。
 その後で、氷峰は義雄や澤山に向ひ、
「社長はいつも喧嘩さへ吹きかけると、僕の手に乘つてしまふ。きのふまで一文も出來んと云うてをつたのが、おこつたあげく、百圓だけは出すと云うてをつたなどと、勝手な熱を吹くのぢや。然し、結局、出しさへすれば、こちらはえいのぢやから――」
「わたくしの方でも」と、澤山は氷峰に向ひ、「かう毎月ぐれる樣では、それが爲めに雇うて置く職工が動きませんので困ります。」
「そりや實際ぢや。」氷峰が受けて、「いツそ、僕が全くこの仕事をやる樣になれば決してこんなことにはならしやせんが、なア。」
「かう貧乏な身代しんだいでは、會計が一番困ります」と、會計も口を出す。
「今月も社員の給料は取れないのぢや。僕の下宿料は何とかして延ばして置くにしても、ほかの社員等で女房や子供もあるものは、實におほ困りだらう――僕が先月の樣に少しは立て換へてやりたいにも、もう、質屋に持つて行く物もないし、なア。」氷峰は義雄の方を見て、「また、誰れか金のある女を見つけようか、なア。」
「例のはどうしたか知らないが」と、義雄は貞子に先んじて婆アさんがやりかける陶器事業のことを思ひ出す。「あの岩見澤の陶器に適する土と云ふのは、ほかの人で掘り出すものがあるぞ。」かう云つて、渠が實際に聽いて來た通りを氷峰に話す。
「それぢやから、新らしい事業はうか/\してをられん――直ぐ他人が嗅ぎつけてしまふから。」
「本當だ、ねえ。」
「あれも、然し、おれが相手にせなんだので、困つてをるだらう。」
「そりやア、どうだか分らない。」
 こんな話をしてゐるうちに、澤山は歸つて行つた。そして、氷峰も停車場へ行かなければならないので、義雄も一緒にその社を出た。
 實は、山に歸つてゐたお君さんがけふ母と共に札幌を通過して、相州鎌倉の親戚の方へ向ふのである。これは、氷峰の兄夫婦がお君に氷峰を思ひ切らせる爲め、いよ/\氷峰の建策を實行する樣になつたのだ。
 氷峰は自分の妻にするつもりのお鈴をつれて姉と姪との迎へに行き、一晩は札幌にとまらせようとして、それを勸めたが、「いツそ、おりないで行つた方がよからう」と姉は承知しなかつた。そしてお君はこはい顏をして氷峰を一目見た切りで、渠にも、お鈴にも、口を聽かなかつた。
「實は、姙娠したんぢや」と、氷峰はあとで云つた。


 遠藤自身が俥に乘つて持つて來て呉れた洋服、ホワイトシヤツ、裏毛つきメリヤスのシヤツ、ズボン下、並びに附屬品を、義雄は有馬の家で受け取つた。すべてで、それでも、二十五圓か三十圓はかかつたらしいと、勇は勘定して見た。そして、ズボン釣りと、編みあげ靴とを義雄は自分で買つた。
 勇とお綱さんとは、義雄がそれを着て見るのを手傳つたのだ。義雄は七八年來、學校、宴會、旅行などにも、洋服といふものを嫌つて、一切着なかつたのだが、樺太にゐるとすれば、どうしても、馬と洋服とは避けられないと思つたこともあるので、今囘も、その嫌ひを撤囘したわけだ。
 勇夫婦はカウスボタンをつけて呉れたり、折り襟をはめて呉れたり、チヨツキを着せて呉れたり、上衣の袖を入れて呉れたりした。大抵は義雄のからだに相應してゐるが胴のところが少しゆるいので、チヨツキの下に、勇の厚い綿入れ胴衣どうぎをつけた。
 義雄が鏡に向つて見ると、自分の痩せぎすの姿が洋服を着てふくれたので、からだに比例して、少しちひさ過ぎるあたまが急に目に立つ樣になり、その顏の中でまた比較的ちひさい目がまた目に立つ樣になつた。
「おほ、ほ、ほ!」お綱さんはそれを見て、思はず吹き出す。
「どうしました?」義雄はわざと何氣なく、そのちひさい目を圓くして見せた。
「おほ、ほ、ほ!」今度は腹をかかへて苦しさうに笑ふ。
「どうしたと云ふんだ、馬鹿な奴だ!」勇はまじめ腐つてその妻をたしなめる。
「ただ田村さんの洋服すがたは初めてで、何だかをかしかつたものですから」と、お綱さんは僅かに笑ひををさめる。
 義雄自身にも、着ごころがいいわけではなかつたが、無頓着な渠には、洋服地の粗末なのや、不體裁なのは左ほど氣にもならなかつた。そして、却つて、新らしい物をつけたといふことは、樺太で銘仙の衣物が出來た時と同じ樣に、ちよツと氣持ちがよかつた。
 義雄はこの洋服に着かへてしまつて、何となくにこ/\してゐるのを見て、
「それでお行きになれば、今晩はいつもより持てませう」と、お綱さんは冷かす。
「さうだ、ね」と、勇も云つて、その心での冷笑が見えた。
「どうせ、假りの貰ひ物だから」と、義雄は渠等の言葉を追窮はしないで、「これで今夜は暫らくのお別れだから、毛唐人けたうじんの眞似でもして、女どもを笑はせる、さ。」
「君は衣服の點に於いては非常な保守主義であつたらしい、ね。」
「なアに、思想に於いても、一面には保守主義だぞ。」義雄は眞面目になり、「僕の『國家人生論』に於いては、外國の浮ついた思想などは決して採用しないし、僕が「表象主義」を論ずるには、わが神代の人間、すなはち、神々の生活を引證してあるのを見紿へ。神道の根源は僕の所謂いはゆる強烈生活にあるのだが、古來並びに現代の神道家等が無學で、俗習にとらはれてゐるから、僕等の云ふことなどが分らないのだ。渠等にして、若し活眼を開らく時があつたら、僕の肉靈合致がふち説の如きは、わが國の神代に既に行はれてゐたことを知るだらうよ。」
「それで思ひ出したが」と、勇は一册の木版本を持ち出して來て、「君の云ふ樣な説に似たのがこの本にも少しあるよ。」
 さし出したのを見ると、明治十八年版で、新居守村といふ少教正の「氣象考」だ。赤裸々に男女陰陽の關係を歌であらはしたり、説明したりして、その間の天地萬物の生々的威力は陽根の氣にもとゐするといふ思想が一貫してゐるらしい。
「これはどこにあつたのだ?」
「夜店で買つたのだ。」
「おもしろさうだから、旅行から歸つたら、貸して貰ふよ。」
「それもいいが、君がそんな考へだとは氣がつかなかつたから、一つ僕等の組織してゐる神主等の會で演説して貰ひたい、ね。君も知つてる通り、僕は國學院出の學校教師だけに、今でも神主には交際がある。」
「それはやめ給へ、演説をやるのはいいが、僕の思想には激烈な點もあるから、君の迷惑を引き起しても氣の毒だから。」
 こんな話をして、義雄はゆふ方そこを出た。そして氷峰の下宿に向つた。この日から、然し、義雄は北海道の古本屋に氣をつける樣になつた。

 氷峰が南二條西一丁目の下宿屋鈴木に移つた當座は、そこの浮氣なかみさん――と云つても、婆アさんだ――にも持てて、餘り飮まない酒を飮まされてかの女の寢床に引ツ張り込まれかけたこともあつた。が、若いお鈴が毎日の樣にやつて來るので、ねたみの眼を持つて見られる樣になつた上、移つた當時、多少の前金をやつた切り、少しも拂ひが出來ないので、渠は餘りいいお客さんとは思はれなくなつてゐる。
 義雄はそれを知つてゐるのみではなく、自分がまた氷峰には、有馬の家と同樣に、もしくはそれ以上に、厄介をかけたので、この下宿屋の敷居をまたぐことが何となく氣の引ける樣になつてゐる。
 然しさういふ氣が出れば出るだけ、義雄はわざとさうした氣ぶりを見せないで勢ひよく二階の梯子段をあがつて行き、
「氷峰、ゐるか」と、から紙を引き明ける。
「やア、出來た、な」と、氷峰はこちらの洋服すがたを見てゐる。
「どうだ、似合ふか?」
「さうだ、なア、まア、二十圓の判任官ぢや。」
「馬鹿云ふな。」義雄は渠に向つてあぐらをかいた。それから、あす、先づ膽振いぶり、日高の方面へ出發することを語り、朝は早く起きなければならないので、今夜は一緒に遊廓へ行つて呉れないかと云ふことを頼む。
「僕は君の目ざまし時計になるのはいや、さ。」氷峰は實はこれからお鈴がやつて來て、一緒に雲右衞門を聽きに行く約束があることを打ち明ける。
 雲右衞門の人氣は川上の來た時よりも盛んである。札幌でも、小樽でも、函館でも、これまでは、浪花節と云へば奈良丸より知らなかつたのであるが、前者が大黒座でたツた一週間打つたのに、それだけで札幌は後者を忘れてしまつたかの樣に賑はつた。メール社の社長の如きは、その徒を引きつれて、一ますを初めから買ひ切りにしてゐたくらゐで、義雄が今囘の旅行に關してメール社長に會ひに行つた時も、晩はいつもゐなかつた。そして、會つた時には、頻りに雲右衞門のことを賞讃したので、義雄は社長を餘ほど趣味の低い人だと思つた。
「あんなものはやめ給へ」と、義雄は氷峰に云つたが、その興行は今夜がおしまひなので、實際に引きとめることはできなかつた。然し氷峰は外套がなければ寒からうからと、自分の冬のインバネスを義雄に貸した。
 獨りで本屋をひやかした後、義雄は井桁樓へあがり、敷島の部屋へ這入ると、義雄がまだ坐らないうちに、
「あら、洋服が出來たの」と、女が云ふ。
「ペラ/\ペラ!」渠は火鉢のそばに立つたままだ。
「何のことだ、ねえ?」
「パン、ペン、ペンシル、ポンビキ、ペラ/\ペラ!」
「丸で毛唐人の樣だ。」
「ブラボー、ベラボー、ぶんぶく茶釜。」
「およしよ、はんか臭い!」
「ぶる/\ぶる」と云つて、義雄は金ぶちの目がねの中の兩眼を見開らいたまま、顫へる眞似をしてすくむ樣に坐つた。そして、とぼけた顏つきをして、女を見つめる。
「‥‥」女は澄ました顏で微笑してゐる。
「何をしてゐるんだ、ねえ」と、朋輩の左近が飛び出して來た。
「毛唐人が來たのよ。」
「まア、お這入り」と、義雄は云つてぺろりと舌を出したが、それはそとの者には分らないので、左近はにこ/\して這入つて來た。そして、
「洋服になつたの、ねえ」と云ふ。
「ああ、僕はけふから道廳のへツぽこ官吏になつたよ。」
「本當」と、左近が聽く。
「うそ、さ、ね」敷島は横目で疑はしさうに義雄を見る。かの女は自分の男がそんな者ではないとの考へが勝つてるらしい。鑵詰業の殆ど全く駄目になつたのはまだ話されてないし、かう毎晩やつて來て、たとへ餘分の金を使はないにしても、まだ一度も格子外に立つ樣なけちなことはないから、義雄の言葉通りうまく行けば、遲くとも、本年の末までには引かせて貰へるといふ心頼みを持つてゐたのだらう。
 義雄はまた、女の精神の最も緊縮してゐる時間こそ、元の通り可愛くて溜らないのだが、その他の時間の樣にゆるんでゐる時は、もう、さう熱心になれないので、ずツと初めの眞面目でない人、女の所謂「面白い人」にも歸つて見ることがある。そして、この頃は、本部屋でも、假部屋でも、どこにでも平氣で寢るほどになつてゐる。

 それが却つて、女には、野暮氣が拔けたとか、すゐになつたとか、本當の色男になつて來たとか見えるのであらう。が、義雄には、それが如何にも馬鹿々々しいやうな氣がして、そんなことを好む淺薄な女に心が引かれる自分を、自分で否定することもある。その否定が一方には、自分の最も眞摯しんしな涙の自覺に觸れて、女をその浮薄膚淺な空氣から救ひ出してやりたくなり、また一方には、その否定が涙もつまる極端な痛罵冷笑の變態となつて、「べら/\」、「ぶんぶく茶釜」の樣な滑稽を演ぜしめた。
 女が恐らくそのどちらをも本當に解釋してはゐないのを義雄は寂しく感じながら、
「實は、ね、僕」と、然し眞面目な態度になり、「あす、また出發するから、お別れに來たんだ。」
「あなたの出發/\は當てになりませんよ。」女は半信半疑のやうすだ。「こないだも旅行するから、暫らく會はれないと云うたのに、直ぐにまた顏を見せたぢやないか?」
「そりやア急に呼び返されたからだ。」
「何とでも云へます、わ――そんなことばかり云うて、わたしにたんと氣をもませなさいよ。」少しすねて見せた。
「おれはそんな下らないことアしないよ。本當のことを云つてるんだ。」
「わたしがこの曲輪くるわばかりに押し籠められて、世間へ出られないのをいいことにして、何とでもうそは云へる、さ。」
「お前はよツぽど疑ぐりツぽい女だ。それでなけりやア、よツぽどうぬ惚れ屋だ。おれは、まだ、そんなことでお前を喜ばせるほど、浮氣な修業はしてゐない。」
「それでも、また、一と晩ぐらゐ、高砂樓の花ちやんのところへでも行つて、歸つて來るんだらう?」
「馬鹿云ふな――こないだだつて、實際、岩見澤まで行つて來たんだ。」
「では、繪ハガキでもよこしやアえいのに――」
「そんな暇がなかつたぢやアないか――一と晩とまつて、その明くる日の晩にやア、ここへ來たではないか?」
「だから、をかしいと云ふの、さ、長く行つてる樣なことを云うて、直ぐまた來るんだもの。」
「來たら、惡いのか?」
「惡いのではない、さ――うそ云うて、ちよツとほかへ氣を拔きに行くのだらう、さ。」
「女郎ぢやアあるまいし、ね。」
「どうせ、わたしは女郎、さ――あなたの奧さんではない、さ。」また微笑に返る。
「夫婦喧嘩などおよしよ、見ツともない。」左近はそばから冷かして、「ほんとに、こないだ、行つて來たの?」
「行つて來たとも――けふから多分メールにその旅行記が旅中印象雜記として出てゐるだらうから分ることだ。これからも、それが續いて出るのだ。」
「店へ來るから、見ます、わ」と、敷島。
「今度はどこへ行くの?」と、左近。
「今度は膽振いぶりから日高の方面だから、それだけで一と先づ歸るのだが、半月ぐらゐはかかる。」
「ぢやア、本當に行くの」と、敷島は多少まじめさうに聽く。
「さう、さ。そして、汽車の利くところでないから、馬乘りばかまの代りにこの洋服が出來たのだ。」
「わたし、寂しいよ。」
「しをらしさうなことを云ふな――お茶を引くぞ。」
「繪ハガキ送つて頂戴、ね」と、左近。
「わたし、待つてるから、早く歸つて、ね」と、敷島。
「早くも遲くも、用があつて行くのだから、それが濟み次第だ。」
「ぢやア、ハガキでも、手紙でも、よこしなさいよ。」
「うん――そして、左近さんにも、お前にも、繪ハガキがあつたら送つてやる、さ。」

 朝、七時二十分の汽車に間に合ふ樣、義雄は薄野すすきのを出て、車を走らせる途中、旅かばんを取りに、ちよツと有馬の家へ寄り、靴を脱ぐのが面倒臭いから、障子が明いてゐるのを幸ひ、靴脱ぎのそばに立つて、
「有馬君」と、聲をかけた。勇がまだ學校へ出かけはしなからうと思つたからである。然し、「もう出かけました。」お綱さんが臺どころから來て、あがり口に膝をつき、片手を障子のふちに當てながら、「ゆうべから心配してをりましたですよ。お鳥さんから今行くから青森まで迎へに來いといふ電報が來ましたので――」
「え、電報が!」義雄は棒立ちになつた。と云ふのは、殆ど忘れてゐたお鳥の羽根ある鳩の如く飛んで來る姿が見える樣で、その戀しさがふと一時に電流の如く身を打つたからである。
「お留守にあけて見たのはいけませんでしたか知れませんが――」お綱さんは電報の本紙を取つて來て、坐わつて義雄に渡し、「急用ででもあつたら、あなたにお知らせしないのは却つて惡いからと申して、うちのが明けて見たので御座います。」
「いや、それはかまはないのですが――」義雄が默讀して見ると、
「イマタツアヲモリマテムカヘニコイ。」
 義雄は困つたといふ樣子をして、お綱さんを見ると、お綱は、
「ゆうべ、うちのが早くお知らせするがいいと申し、井桁樓とかへ電話をかけに行きましたが、そんな人は來てをらんと云うたさうです。」
「行つてたことは行つてたのですが、僕の名を本當におぼえてゐなかつたのでせう。」
「それで、島田さんや、巖本さんのところをたづね囘つたさうです。」
「そりやア、氣の毒でした、ねえ。――然し困つた、なア」と、義雄は手をあたまへあげて、少し滑稽じませてお綱さんの顏を見る。
「戀しいので」と、お綱は冷笑しながら、「あなたを追ひかけて來るのです、わ。」かう云つて、義雄の顏を見返した時は、お綱はちよツと頬を赤らめた。
「なアに」と、義雄はそれを見なかつたふりで云つた、「他の男にまた棄てられたので止むを得ずやつて來るのかも知れません。」
「何にしてもお出でになるのでせう――?」
「然し迎へには行けないから、獨りで來いといふ電報を途中の驛まで打ちませう。」
「それで屆きますか?」
「列車が分りさへすれば、本名を云つて屆くでせう。」
「けれども、その列車が――?」
「そりやア時間表に照り合すと分らないことはないだらう。」義雄はこの電報が上野でお鳥から受け取られた時間を汽車の時間表に合はせて、どの列車にかの女が乘つたかといふことを調べようとしたが氣がせいてなか/\分らない。「兎に角、汽車に乘つてからにしよう」と、行きかける。
 すると、お綱さんはあわてた樣な、また心配さうな顏をして、膝をついたままからだを延ばし、
「あなたのお留守にお出でになると、どう致しませう?」
「濟まないが、僕の歸るまであなたのうちへ頼みます――蒲團は借りさせて。」
「蒲團などのことはかまひませんが――」かう、何だかいやさうな樣子が見えたのだが、義雄には今のところ、別に處分の仕かたがないので、
「まア、さう有馬君に頼んで下さい――行つて來ますから。」渠は待たせて置いた車に飛び乘つた。

 義雄が停車場へかけ附けると、まだ遠藤も誰れも來てゐない。
 先づ北海メールを買つて、自分の原稿が出初めたか、どうか調べて見たが、まだ、その第一囘が出てない。そして、けふは十月三日だ。
 こないだのはたツた二囘分だが、これから毎日の雜記を一囘もしくは二囘に書くとして、その掲載された新聞は自分の記事中に出る國々、村々へ、同新聞紙販賣擴張の爲め、無代價で二三百枚づつ配布されるのである。
 それが若し何等の反響もなかつたとすれば、その責任は自分にあることになる。それを思ふと、ちよツと戰慄せんりつせざるを得ない。が、「樺太通信」を東京の新聞に受け合つた經驗もあり、また、こないだで、多少北海道的な筆ならしをしてあるので、左ほど心配とも思はない。
「どうせ、けちな地方新聞のことだ」と、けさの記事に目を通しながら、輕蔑の念も出る。然し、自分も進んで受け合つたり、下等なのでも、洋服を拵らへさせたりした上は、遠藤に面して、さうおろそかに出來ない。義雄がお鳥の來るのをほうつて置くのは半ばは一たびしたこちらの約束を重んずる爲め、また半ばはかの女に對する愛がさう熱心でなくなつてゐる爲めだ。
 然しかの女はどの列車で上野を出たらうと調べて見ると、電報を出したと同時に乘れば、米澤、山形まはりのである。まさか、それには乘るまい、夜中の海岸線であらう。然しまた、晝頃から夜なかまで、上野の休息所か宿屋かにゐるだけの甲斐性がかの女にはあるまいと思ひ直すと、あわて過ぎて、山形まはりのに乘つたかも知れないと考へられる。そして、義雄はそれと決めてしまふ。
 然し渠は睡眠不足の爲め眠くツて仕やうがない。そのせゐか、まだ人げの少い空氣の冷やかさをおぼえて、ストーヴでも欲しいくらゐだ。氷峰からインバネスを借りて來たのが最も好都合であつたと思ふ。
 二等待合室のふツくりしたどす赤の天鵞絨びろうどベンチに腦天からふらつくからだの腰をおろし、外套の袖に引ツくるまつて目をつぶる。すると、自分はがらんとした樣な内部の疲勞に添ふあツたかみを敷島の部屋から引いてゐる。
 綺麗に整つた部屋に、綺麗にふき清めた長火鉢――それをそとにした屏風のかこひの薄暗がり――二枚がさねのやはらかい夜着、蒲團――女のこまやかな情愛。それが全身にぬくみを與へて呉れるが、そのあツたかみのありがを無形の手で探つて見ると、まだ朝飯を喰はない空腹に思ひ當つたばかりで、どこだか一向に分らない。
 その空腹で分らないのが矢ツ張り冷やかみを感じさせるのである。その冷やかみが落ちつかうとする自分の心を十分に落ちつけさせて呉れない。自分の後ろの明いた窓から這入つて來る朝風を浴びて、自分は兩顎りやうあごの根からがく/\して來る。そして、鐵道構内の線路を往復する空機關車の汽笛の、鋭い而も熱のない響きが、自分のはき慣れない靴をはいてゐる足もとから、山の清水か何かの樣にぞツとしみ込んで來る。
 自分はこの冷氣と空腹とねむ氣とからのがれようとする樣に兩眼を再び明けた。
 いきなり見えたのはお鳥を思ひ出させる年頃のハイカラ女であるが、それはパン、鑵詰、飮料品、並びに西洋料理の店の番人だ。
 その店は義雄のベンチと相向つた側にある。渠はそこへ歩み寄つて、乘つてから喰ふパンを買つた。サンドヰチを買はうとしたのだが、まだ出來て來ないと番人が答へたからである。
「けさは可なり冷えます、なア。」かの女がしツかりした口調で愛相を云ふので、
「さうだ、ねえ」とばかり、もとの場所へ戻つたが、さうして見ると、寒いのはあながち自分の疲勞してゐる爲めばかりではない。と、かう義雄は考へた。そして、番人の女があれだけしツかり物であるらしいのを見ると、それと同じ年恰好かつかうのお鳥もその獨り旅の汽車の上をさう心配してやるにも及ぶまい。自分が心配するのは、お鳥を矢ツ張り可愛がり過ぎてゐるからだらうと思ふ。
 そこへ二人、三人と、旅客が這入つて來たが、そのうちに古ぼけたインバネス、半ズボン、わらぢ掛けの官吏らしい人がゐる。義雄はこれが案内者の技手だらうといふ見當をつけた。
 もう、あと五分間といふ時、遠藤長之助は洋服の上へ黒羅紗らしやのマントをかけてやつて來た。この出で立ちで、若し劍をさげエリザベス時代の帽子をかぶれば、さし當り、陰鬱拔きのハムレトの役割りが出來よう。このマントが馬上の用意には最もよからうと、義雄は思つた。
 遠藤は人々の横合ひから出て來た自分の番頭に切符を買ふ命令を與へてから、義雄と半ズボンとを引き合せ、
「このお方が道廳の技手、長濱滿吉君です――お名前はお存知でせうが、田村義雄君です」と、兩者の話し合ふ橋渡しが濟む。
 それから、直ぐ渠等は汽車に乘つた。技手の長濱は兎角遠慮勝ちにこそ/\と三等車へ行つたので、遠藤はボーイをして同室へ連れて來させた。
「さア、もう占めたものだ。」遠藤は汽車が出かけると安心した樣に身を窓ぎはへもたせかけて云ふ。
「これからはわれ/\の旅です、ぜ。紅葉も色づきかけると早いから、旅行中にいいところを見ることができませう。」
「さうですか、ね――然し僕はまだ朝飯前ですから、失敬します。」義雄は無遠慮ながらポケトからパンを出して、それを少しづつ口に入れた。汽車のがた/\がひもじい腹に響いて困るからだ。然し話は絶やさない。
「ゆうべ、實は、東京から電報が來て、こちらへ出向くから青森まで迎へに來いとあつたのです。然しこの場合、獨りで札幌まで來させるより仕方がないので、さう電報を打つつもりです。」
「岩見澤で乘り換へですから、あすこで打つのがいいでせう。――さうより仕方が御座いません、なア、今、あなたに拔けられちやア困りますから――」
「本當です。」義雄は素直に答へたが、相手の口調に多少の勿體もつたいがついてゐなかつたか知らんと考へて、如何に筆の上に權威があるにしても、洋服を拵らへて貰つたり旅費を出させたりする不體裁を返り見ないではゐられなかつた。
 然し義雄は腹が段々出來るに從つて勢ひがつき、汽車の動搖にもしツかり堪へられる樣になつたので、窓外をも眺めると、汽車は幌向ほろむい川が石狩川に合するそばをとほつてゐるのが分る。それから、例の泥炭地の間になる。
 遠藤は義雄に向ひ、鐵道に添うた場合、場合に關するいろんな説明をした。煉瓦製造のなかなか成功してゐること。石狩川は底が深いので、内地の治水家等はそれを理由に水害の恐れなどはない筈だといふが、北海道の川はすべて事情を異にしてゐて、如何に深くとも、沖積土の崩れ易い地盤の廣野を甚しく右曲左折、婉退曲進するのであるから、一夜水勢が増加すると、用意のない堤防をずん/\突き破つて、新らしい川筋を拵らへてしまふのであること。幌向原野の泥炭地は一望千里の如く空しく廣がつてゐるが、早く大排水工事をやつて、地盤を乾したら、國家の爲めに多大の開墾地が出來ること。これは、他にも美唄びばい原野、雨龍うりゆう原野なども同じ事情だから、來年の議會に提出する拓殖案には、こんな泥炭地排水工事費も含んでゐること、などだ。
 岩見澤での乘り換へに二時間の休息があつた。その間に、義雄はお鳥に送る電報、
「リヨカウチウユヘヒトリデコイ」といふのを、山形まはりの青森線に當る弘前ひろさき停車場へ宛て、受信人を上野十二月二日正午發列車中の清水お鳥として打電した。


 長濱技手は、一番多く旅なれてゐるからでもあらう、最も輕い出で立をしてゐる。そして手に持つ物などは一つも持つてゐない。次ぎに、遠藤議員のだが、可なり大きな風呂敷包みがあつた。渠は、それを、邪魔になるだらうからと云つて、茶屋にあづけた。そして、義雄に向ひ、
「あなたの革鞄かばんも、とても、持つて行けますまいから、おあづけになつたら――?」
「さうでせう、ね」と、義雄は受けて、中の物をより分けにかかる。
「馬といふ奴は厄介な物で」と、遠藤は云ふ、「人を乘せて呉れるばかりで、荷物などア持たしません。」
「また、持つ必要もないでせう――僕はこの原稿紙と手帳があれば、僕の役目は濟ませることが出來るのですから、それに、地圖です、ね。」義雄がそれを出しかけると、
「北海道の地圖なら」と、遠藤は押へて、「わたくしが詳しいのを持つてゐます。」
「それは結構です。」義雄はかう應じたが、自分はまた自分だけのしるし付けを要すると思つたから、矢張り自分のを原稿紙や手帳と共にちひさな風呂敷に包んで、首に結はへつけて見た。
 再び汽車に乘つて、稻穗のよく實る水田が廣がつてゐる栗山や由仁ゆにを通過する時、義雄は一種のおそろしみを感じた。ほかでもない、この邊にお鳥の實兄が刑事探偵をしてゐるのである。かの女がやつて來て、義雄の待遇の具合によつては、或は、燒けを起して、恥ぢも何もかまはず、すべてを兄にぶちまけてしまふかも知れない。かの女の苦しんでゐるいやな病氣は、元は、義雄から移つた。それが知れたら、兄はかの女を怒ると同時に、どんな復讐を義雄にするか分らない。向うの人物が分らないから、一層それが義雄には思ひやられるのである。
「然しその時はまたその時だ」と、義雄は心であきらめをつけた。
 夕張炭山線の分岐點なる追分を過ぎ、安平あびら早來はやきた遠淺とほあさなど云ふ驛を經て、膽振いぶりの沼の端に至つて、一行は汽車を降りた。
「馬車があればよう御座いますが、なア」と、遠藤は義雄のことを思つて呉れてゐたが、がたくり馬車があつた。義雄等はそれに乘つて、樽前山をずツと後ろにして、一面の火山灰地なるイリシカベツ原野を殆ど一直線につけてある長い道路に添ひ、勇拂ゆうふつを通つて鵡川むかはに進み、そこにその日の宿を取つた。
 平野にいぢけくねつた槲の木、海濱に赤い實を結んだ濱なす、どこまでも一直線に氣持ちいい道路、木材流送の爲めに毎年汎濫して沖積土の堤防をずぶ/\解き崩す鵡川などが義雄の心に最も深い印象を與へた。
 十月四日、鵡川に初霜があつた。薄雪うすゆきの樣に白い道を進んで日高に入ると、さすが馬産國だけに、親馬が通ると、そのあとへ必ず小馬がてく/\ついて行くのに出會ふことが多い。そして、沙流さる川にかかつた九十五間のおほ橋の欄間らんかんには、驅け馬を切り拔いてある。また、アイノ人の本場平取村が近いだけに、髯武者のアイノや口のあたりに入れ墨したメノコを見ることが多く、その一セカチ(男兒)の如きは、義雄等の馬車について一二町も走つた。
 門別から荷馬車に乘り換へたが、その村を拔ける時、後ろを返り見ると、遙か西方に膽振の樽前山の噴火が見えた。眞ツ直ぐに白い煙りが立つてゐるかと思へば、直ぐまたその柱が倒れて、雪と見分けが附かなくなつた。
 義雄はそれを見て考へた、あれほど活氣ある火力を根としながらも、空天くうてんにつツ立つた煙りは周圍の壓迫に負けて倒れるのであるから、地腹に隱れた火力は、丁度、義雄自身が發展の出來ない鬱憤であらうと。
 がうツと、一と聲物凄い響きが渠のあたまの中でしたかと思ふと、その火山の大爆發當時のありさまが暝目のうちに浮んだ。その時、西風が吹いてゐるのであらう、日高の方面へ向つて、その噴出した熔岩の灰が雲と發散して、御空みそらも暗くなるほどに廣がつた。
 その結果が、今、義雄の目を開らいて見る火山灰地である。數百年もしくは數千年以前に出來たその地層がまざ/\と殘つてゐて、膽振から日高の一半に渡つて地下六七寸乃至一尺のところに、五寸乃至一尺の火山灰層となつて、その白い線が土地の高低を切り開らいた道路の左右に郵便列車の中腹の如く、くツきりととほつてゐる。

 厚別あつべつから、いよ/\乘馬でなければならなくなつたが、義雄は腰がふらつきながらも心配したほどでもなかつた。右には出張つた小山のつづきを、左りには洋々たる太平洋の海面を見おろし、落馬しても怪我はない砂濱を驅けらせる時など、尻の痛いのも忘れて、渠の心は延び/\した。そして、下下方しもげはうまで五里の道を、もツとも他の乘り手に從つてだが、午後二時から四時までの二時間に乘つて來ることが出來た。
 日高附近は至るところ、耕地よりも牧場、牛よりも馬を主としてゐて、國柄と事業方針との明らかによく一致してゐるところを見ると、義雄は自分の事業心に思ひ合せてなか/\懷かしくなつた。その上、染退しぶちやり川の奧には、大理石があるさうだし、松前侯が掘りかけた金鑛もあるさうだし。また鐵鑛があるのだらう、磁石がとまつたことがある。などいふことを聽くと、もう、さういふ石や金屬のにほひが鼻さきにちらついて來る。
 下下方しもげはうの宿に着いてから、
「トリキタカヘン」といふ電報を勇に當てて打つた。それと行き違ひに勇から轉送して來た電報には、
「ダイジオコルスグコイ」とあつた。樺太の弟からで、その大事とは製造事業に關する弟と從兄弟との衝突で――弟は義雄の代理として金錢上の締めくくりをしなければならないが、製造かたの從兄弟が動かなければ全く融通が利かないのである。それが爲めに、あちらで抵當に這入つてゐる所有物件を債權者から沒收されることになるといふのだらう。然し、もう、如何に製造かたが働らいても、蟹のあがる時期でないから、どうせ駄目とあきらめてゐる義雄には、それが左ほど大事でもなかつた。その上、弟なり、從兄弟なりをはたから見れば、義雄等すべての上に關する金錢もしくは勞力を用ひながら、見す/\分り切つた失敗をやつた馬鹿もの共だといふ輕侮の念も加はつて來て、その實、泣きたい樣な心持ちが却つて非常に不眞面目の返電となつた。すなはち、
「ドウセダメカツテニカヘレ」と、これだ。
 そして、お鳥に關する勇の返電を待ちながら、義雄は遠藤と共に碁を打つたり、村長並びに地方有志の陳状を聽いたりしてゐたが、一向その返事は來ない。それが氣になつて溜らないのである。
 とこへ這入つてからも、疲れてはゐながら、ゆうべの樣に眠りつけない。お鳥が到着しさへすれば、勇が出さないでも、かの女から直接に返電しさうなものだ。それが來ないのを見ると、まだ途中にまごついてゐるのか知らん? ひよツとすれば、途中であの病氣が惡くなり、困つてゐるのではなからうか? 或は、また汽車か宿屋で違つた男に出會ひ、急に變心して、方向を轉じたのではなからうか?
 どうせ、不信用な女だから、自分と離れてゐれば、どんなことがあるか分らない。よしんば、やつて來たとて、自分の重い責任が出來るだけだから、いツそ、變心して呉れた方が面倒臭くないのかも知れない。どうせ、女の病氣の爲め同衾どうきんも出來ない。いや、同衾するのを自分は恐れてゐる。自分は青年時代の樣な戀愛神聖論者ではない。内容の空しいのを知らない樣な理想家ではない。肉靈の合致がふちしない戀などで、自分はどうせ滿足出來ない。
 さうかと云つて、また、お鳥が初めてその心身を投げ出した時のこまやかな情交を義雄が記憶してゐるばかりに、自分並びにかの女の病氣中數ヶ月間、渠はただ手足の接觸ばかりによつて滿足してゐたこともあるのを思ひ出される。
 あの皮膚の美しさ、やはらかさ! 敷島などの、とても、及ぶところでない。そして、敷島との關係も、やがて絶えるのだらう。どうせ、自分の全部を見て呉れた上の戀ではないからと思ふ。
「あ、こりや/\」といふ聲に目を開らくと、義雄と褥を並べて寢てゐる遠藤の寢言であつた。直ぐまたぐう/\いびきをかいてゐる。
「ああ呑氣にはなれない。」敷島が渠自身に期待するのも、矢ツ張り、かの山の客や遠藤の樣な男であつて、決して渠自身ではないと考へられる。
 渠の考へは、かうして、お鳥と敷島と樺太とを幾遍となく巡囘するので、ます/\睡魔の入り込む透きがない。
 渠は苦しまぎれに起き出でて、ランプの光と冴える神經に筆を持たせて、けふの「印象雜記」を書いた。
 その翌朝、雨ををかして馬上、新冠にひかつぷの御料牧場を見に行く途中で、染退しぶちやり川荒廢の跡を調べ、中下方なかげはうに於ける淡路あはぢ團體の農村を見た。この村を見ては、義雄は自分の故郷淡路に關する記憶を呼び起さずにはゐられなかつた。
 王政維新の頃、淡路に於いて稻田騷動なるものがあつた。阿波藩の淡路城代稻田氏が藩から獨立しようとする逆心があると誤解し、阿波直參ぢきさんの士族どもが、城代並びにその家來(阿波藩から見れば、「また家來」)を洲本すもとの城に包圍した。そして、義雄の江戸から引きあげて來た父並びにすべての親戚は包圍軍の方に加はる關係であつた。
 それが爲めに、稻田がたの士族の子弟(全くの田舍者だ)が勢力ある小學校に於いては、義雄は「江戸ツ子の部落民」として、いつも排斥され、迫害されてゐた。同國の部落民が「ねツから、ね」と云ふからである。義雄の孤立的な陰鬱性と傲慢な獨立心とはこの間に養はれたものだと、義雄自身もさう考へてゐるのだ。
 ところが、稻田がたで淡路にゐ殘つた士族どもは殆どすべて意久地なしばかりで、その他はみな明治四年(まだ、義雄の生れない時)、明治十八年(義雄が小學校を出た頃)の兩度に、その城主に從つて北海道へ移住した。そして、渠等には淡路をなつかしい故郷と思ふ樣な氣がなかつたと云ふのは、かの騷動の時、渠等のうちには、その妻女は直參派の爲めに強姦されたり、姙婦はその局部を竹槍で刺し通されたといふ樣な目に會つてゐるものがあるからである。
 この鬱憤並びに主君と同住するといふことが渠等の北海道開拓に對する熱心の一大原因であつたらうと、義雄は考へた。第一囘の移住者等が國を船出する時は三百戸ばかりあつたが、紀州の熊野沖で難船し、百五十戸分の溺死者を生じた爲め、半數だけ(それが、現今では、僅かに三十戸)が北海道開拓の祖である。それが中下方なかげはうにあるが、第二囘の五十戸は、今、同じ川添ひの碧蘂るべしべ村にある。兩村は實に北海道の模範村になつてゐる。
 一見して、耕耘かううんに熱心なことや永久的設備をしてかかつたことなどが分る。
 石狩原野の如きは、札幌でも、岩見澤でも、矢鱈やたらに無考へで樹木を切り倒したり、燒き棄てたりして、市街地や田園などに風致がなくなつたばかりでなく、風防林までも切り無くして、平原の風を吹くがままにしたところがある。然し淡路人の村には、大樹のところ/″\切り殘して風致を保つてゐる上に、家屋も他の方面で見る樣な假小屋的でなく、永久的な建築をしてある。
 遠藤も、この中下方に這入つてからは、道すがら馬をとどめて、あたりを頻りにながめてゐたが、後れて進む義雄を返り見て、
「どうです、この邊の田園的風致は! わたくしの理想は、北海道中至るところにかういふ村を拵らへさせたいのです。」
「いいです、ね。」義雄も渠のそばに近よつて馬をとどめる。
 無理想の刹那的充實を主張する義雄に取つては、理想の、何のと云ふことは下等に聽えるのであるが、地方紳士の言としては、別に反對するほどのこともないから、進んで簡單に淡路團來道當時の事情を語つて聽かせた。
「は、はア!」遠藤は感心して、「さういふ悲慘なことが原因になつて、かう云ふ美しい村落が出來たのです、なア。」
「面白い理由があるでせう」と義雄は得意になつた。そして、自分もまた、この村の黨與たうよの子弟からいぢめられたのが元で、今でも故郷に對しては恨みこそあれ、何等のなつかしみもないことを遠藤等に語る。然しこの村の一農家の生垣をめぐらした庭内に憇ひ、子供の時に聽いた淡路なまりの言葉に接した時は、何となくなつかしい氣がした。そして、染退しぶちやり川が年々五十町も百町歩も渠等の沖積土質の田を缺壞して行く爲め、その度毎に村人の戸數が減じて行くことを説明された時は、自分の身がその沖積土の如く喰ひへらされて行く思ひがした。
 馬に多少の興味が出て來たのと牧畜に考へがあるのとで、義雄は御料牧場に行つても遠藤と共に注意して同場長の説明などを聽いた。
 全數、千七百餘頭――そのおもな種類はトロター、ハクニー、サラブレド、クリブランドベー、トラケーネンなどだが、競馬用にはサラブレドが最もよく、この種の第二スプーネー號と云ふのが園田實徳の一萬五千圓で買つた馬の父であつた。そのうち馬屋から引き出して歩かせて見せたが、それ/″\特色があつた。脊の高いのや毛艶のいいのや、姿勢の正しいのや、足の運びの面白いのや――そして、アラビア種のすべて目が鋭く涼しいのが、最も深い印象を義雄の心に殘した。
 周圍二十里、面積三萬三千二百十町歩、放牧區域七十二區、各區をめぐる牧柵の延長七十里に達する大牧場――高臺の放牧地は、天然のままだが、造つた樣に出來てゐて、あたか間伐かんばつしたかの如く、樹木がいい加減に合ひを置いて生えてゐる地上には牧草が青々と育つて、實に氣持ちのいい景色だ。義雄等は、行きには、その間を驛遞えきていの痩せ馬に乘つて得意げに走つたが、立派な馬を澤山見た歸りには、渠等は一種の恥辱を感じた如く、逃げる樣にして驅け出した。
 市父いちぶ並に遠佛とほふつのヌツカにアイノの家が十餘戸ある。義雄等はその一つを訪問して見たが、耕地を持つてゐて、不完全(雜草を充分に拔き取つてない)ながら、農業をやつてゐるだけに、生活状態が樺太に於ける一般土人よりも多少進歩してゐる。家には立派な床板も張つてあり、子供は小學校で習つた字を綺麗に障子に書いてあつた。
 ゆふかた、昨夜のと同じ宿に引ツ返し、馬上八里の疲れを湯に這入つてくつろげてから、
「あれをみな買はうと思ひますが、なア」と遠藤は物思はしげに云ふ。
「そりやアいいです、ね。」義雄は牧場で見て來たうちの、七八頭の拂ひ下げ馬のことだと思ふ。有名な第二スプーネー號の種を孕んでゐるのも這入つてゐる。然し渠がさう云ふのに物思はしげなのは、拂ひ下げ代金三千餘圓の工面くめんを考へてゐるらしかつた。
 遠藤は北見に一大牧馬場を持つてゐる。それが、昨年不時の大雪の爲めに、放牧の馬と共に、一夜のうちに一丈ばかりも下に埋められた。そのまま凍死した馬が多かつたが、少數は積雪の中から首だけ出してゐたので、辛うじて掘り出すことが出來た。その埋め合せに、一層いい種類の馬を買ひたいので、渠は御料牧場を一つにはおもな目的にして來たのだと語つた。
「人間なら、とても、そんな馬鹿らしい眞似はしてをりますまいが」と、渠は矢ツ張り凍死した馬どもを思ひ出す樣子をして、「然しそこがまた馬の可愛いところです。いつも人間を信じて、人間の云ひなり放題になつてをるところへ持つて來て、いきなり、ひどい雪に會うたのだから、溜らない。強い奴こそあせつて、首だけでも出してをつたから助かつたものの、弱い奴は丸でもがき死をした樣なものだ。」
 面白いので、義雄はいろ/\馬の話を聽いてゐたが、今夜も亦返電は勇からも、お鳥からも來なかつた。
 夜に入つて大風雨があり、慣れない海岸の旅亭で、物凄い浪の音が不安な枕に響いて來ては、いツそのこと、おほ津浪でもやつて來て、自分と共にお鳥、敷島、事業の念などもすツかり消えてしまふがいいと云ふ樣な空想も起つた。そして、その空想が實際津浪が寄せて來はしないかと思はれるほどの浪の音に合體して、義雄は夜ぢゆう安らかな夢に入ることが出來なかつた。

 春立村の如きは、シヤモ(和人)とアイノとの見すぼらしい雜居部落で、板どりやその他の草をさかさまに編み並べて、家の壁板に換へてある。そして、板もしくは草の家根には、それが暴風に飛ばされない爲め、澤山の石ころをのせてある。海岸には昨夜の名殘りおほ浪がうち寄せてる。その浪もとに立つて、みるめの樣な襤褸ぼろをまとつたシヤモやアイノが、長い紐のさきに石を結びつけたのを浪間へ投げ込んでは、昆布を拾ひあげてゐる。それが高い崖の上を驅ける義雄等によく見えた。
 火山灰がなくなるに從つて、日高の道は平原から山路になる。そして、膽振いぶり鵡川むかはまで三間幅であつた縣道が、そこから二間半に狹まり、また二間しかなくなつた上に排水用意が足りないので、いつもじめ/\して乾かない。
 もと浦河支廳長をしてゐた某の如きは、韓太子來遊の際、他の馬車と衝突して、自分の馬車が顛覆した爲め、大怪我をして、いまだに療養中だと聽く。
 また、義雄等の聽かされたのに據ると、三石村の村長は、崖崩れの爲めにその乘り馬車が直下數十丈の荒磯へころげ落ちかかつた。幸ひ馬の前足が道路のふちにとまつたばかりに、僅かに引きあげられて、生命に異状がなくツてすんだ。足の強い馬であつたからでもあらうが、その時馬の努力と云つたら、今思つても凄いほどで、その眼からは光が出る樣、全身はびツしより熱汗を發したさうだ。
「馬はそれで可愛がられるのです」と、遠藤が云つた。
「さうでせう、ね――然し」と、義雄は話に力を入れて、「馬ばかりがさうではないでせう。人間もさうした努力がいのちです。熱心が目の玉から火を發するほどの刹那をねらはなければ、とても、自己の立ち場を確かめることは出來ません。」
「御尤もです、なア。」
「僕はいつも考へてゐますが、現代では、大きな事業家と云はれる人々に最も多くさういふ境界きやうがいを經驗してゐるものがあります。」かう云つて、渠は政治家などでもまだ/\今のところ不眞面目があり過ぎること。文藝界の人々はまたその上を越して馬鹿呑氣のんきであること。然し渠の主張する樣な緊張した熱心と眞面目とが、物質的な實業界から政治界に及び、外部的な政治界から内部的な文藝界に充實するに至ると、わが日本が世界の一強國どころでなく、世界唯一の優強國になること、などを語る。
「は、はアー」遠藤は分る樣な、また分らない樣な顏つきをして、「自然主義とは、つまり、さう云ふことになるのですか?」
「いや」と、義雄はいろんな説もあることを説明しようと思つたが、相手が、どうせ、大した智識のある人でないのだから、ただ結論だけを答へ、「僕の自然主義がさうなんです。人生に對する態度は今の話の馬の如く、刹那の全人的努力、間、髮を入れない場合にばかり現ずるのですから、そこに萬事が歸着するのです。」
 こんな話をしながら、三石川、鳧舞けりまひ原野を過ぎ、浦河に着した日の夜、遠藤を主として一行の爲めに歡迎會が開らかれた。その席で、遠藤は、一場の演説をしたが、その紳士的態度に義雄も少からず感服して、それに花を持たせる爲め、義雄自身は有志から望まれた演説をも斷わつた。これは、一つには、北海メール記者とばかり思ひ誤たれるのを好まなかつたにも依るのである。そして、渠は自分の通る跡々へ自分の旅行記が載つたメール新聞が到着する毎に、どんな結果が生ずるだらうかと、ひそかに心配した。
 その日、義雄は自分のゐどころを勇に電報で知らせたが、矢ツ張り、何の返事も來なかつた。
「餘り失敬ぢやアないか」と云つてやりたかつたが、それよりも、いツそ、そんなことは忘れて、自分自身の旅行――これしか、今の義雄には、活動の生命が殘つてゐないも同樣だ――を眞面目にやらうと決心した。

十一


 遠藤は臨時道會が召集される爲め一旦歸札きさつする必要が出來たので、長濱技手は勿論、義雄も共に歸路につかなければならないのだが、ここから歸るのも、十勝とかちへまはつて帶廣停車場へ出るのも、時日に於いてさう大した違ひがないので、義雄は遠藤に相談の上自分だけは前進することにした。
 西舍にししやの國有種馬牧場を見てから、遠藤並びに長濱技手に別れ、義雄は浦河支廳の一技手を從へて幌別ほろべつ川を渡つた。二百町歩の耕地を流したこの川には橋がないので、渠等は馬を泳がせたのである。
 樣似しやまにを進んで、冬島を過ぎ、あざ山中のオホナイといふあたりに來ると、高い露骨な岩山が切迫してゐて、僅かに殘つた海岸よりほかに道がない。おほ岩を穿うがつたトンネルが多く、荷車、荷馬車などはとても通れない。人は僅かに岩と浪との間を行くのであつて、まごついてゐると、寄せ來る浪の爲めに馬の腹までも潮に濡れてしまふ。
 或高い岩鼻をまはる時など、仰ぎ見ると、西日に當つて七色を映ずる虹の錦の樣なおほ瀧だ。その裾を、瀧に打たれながら、驅け拔けなければならなかつた。その次のおほ瀧は高さ五十尺、幅七八尺、俗に白瀧といふ。そのもとに、ぽつねんと立つてゐる南部人の一軒家がある。夫婦子供四人の家族だ。板や雜草で組み立てた、そして家根には石ころをつみ重ねた家だ。
 近年殆ど漁がなく、毎年、昆布百四五十圓から二百圓、フノリ並びにギンナン草二三十圓、ナマコ三四十圓ぐらゐの收入を以つて、僅かにその生活を維持してゐる。もう、やがて雪がやつて來るが、それにとぢ籠められては、山へのぼつて、でも切るより仕かたがなくなるさうだ。
 さう聽いて、義雄が頭上を仰ぐと、その山は直立した崖で、殆ど道もついてゐない。山に迫られ、やがてまた冬に迫られるこの家族の寂しみを思ひやると、義雄の現在もそれと同じ窮迫の状態である。が、然し、天然と境遇と生活とに徹底して、自己の内容を把握する鋭敏な神經を有しない人々に對しては、義雄は木石に向ふと同樣大した同情も起らなかつたのである。却つて、そのあたりの潮が吹きかかる岩の間、岩の間から澤山のミソバヘ並びに岩レンゲ――いづれも、熱帶産の植物の樣に、葉が厚いので、義雄の求めてゐるあツたかい感じを與へる――を一株づつ摘み取り、それを瀧と一軒家と自分等の馬に水を飮ましたとのなつかしい記念にした。
 幌萬川の橋ぎはで、小製材會社を見て、日暮近くになつたに拘らず、また三四里を進んで幌泉ほろいづみについた。そして、けさ、浦河の宿で貰つた繪ハガキ(宿を撮影した物、その他にはどんなのもない)を、約束であつたから、敷島と左近とに出した。そして、札幌で薄野すすきのを殆ど一日もかかさなかつた習慣は、義雄をしてこの村の昔から有名な遊廓――と云つても、今は三軒しかない――を見舞はしめずには置かなかつた。
 ここにはアイノ人がゐないと云ふ。その理由は、あつても、雜種ばかりだからである。日高は東になるに從つて火山灰がなくなり、火山灰がなくなるに從つて土地がよく、土人が消えて行く。アイノはいつもいい土地を發見する先導者であるが、それをよく開墾する努力をしないので、生存競爭上、いつも和人の爲めに追ツ拂はれて、そのあとを占領されてしまつた。
 このあたり、牧場に牧柵がなく、耕地に却つて柵をめぐらしてある。年中雪が降らないので、最も自由な放牧を爲し、いつ馬の子が生れたかも知らず、また馬が山のおやぢ(熊)にさらはれたのも知らずにゐることがあるさうだ。義雄等は朝立ちの用意をしてゐるのに、一向馬が來ないのを怒つたが、驛遞の人が三里も四里も山奧まで馬をつれに行つてゐるからだと聽いて見ると、まんざら無理もないと思つた。
 太平洋に突出する北海道の東南端、襟裳岬えりもさきは、幌泉の宿から僅かに三里だ。そして東海岸に出るには、同道三難道の一なる猿留さるる山道を踏まなければならない。
 追分坂を歌別から庶野しよやに越え、在田牧場の前をとほつて行くと、谷々の樹木は半ば紅葉して、その間から、東海のあを波が見え隱れする。そして段々高いところ、高いところへ登つて行くのである。よくおやぢの出るところださうだが、生き物のにほひがするのは、義雄と、技手と、馬子の愛奴アイノセカチと、それらが乘る馬と、ついて來た小馬と、しかなかつた。
 如何にも寂しいからであらう、氣がせかれ、自然に馬をぼツ立てるので、馬子のセカチは義雄等に注意して、そう馬の尻を打つなと云ふ。早くつかれさせては、途中で倒れてしまふおそれがあるからである。
 いよ/\猿留さるるの難道に來たり、それを降つて見ると、俗に七曲りと云ふのは、その實、十三曲りも十四曲りもあつて、それがおの/\十間または二十間づつに曲り、何百丈の谷底へ落ちて行くのである。馬上から見あげ、見おろすと、ぞツとして、目もくらんでしまふ。親の乳を追つて義雄等について來た小馬(三ヶ月の)は、或曲り角で石ころに乘つて倒れ、すんでのこと谷底へころげ込むところであつた。
 そんなにしてまでも、ポニイと云ふものは、てく/\と、どこまでも、親馬について來るのである。義雄は、これによつて、かの米國の文豪ア※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ングの書いたうちにあるリプ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンヰンクルの子が、ぎやア/\泣きながら、リプの嬶アにつきまとふ形容に小馬を持ち出してあるのを思ひ出した。
 猿留村に着したのは午後二時頃であつたが、驛遞ではつぎ馬がない。且、あすも十一時頃でなければ用意が出來ないと云ふので、そこにとまるのも胸くそ惡くなり、勇を鼓して、もう一と驛さきまで徒歩することにした。然し二里半だと聽いたのが、實際四里あつたには閉口した。
 一里ばかり海岸を行き、それから山道に這入ると、日高の國境を越えて、十勝になる。二人とも足はつかれて來るし、日暮れには近くなるし、薄暗い低林ていりんの間の葉は半ば赤く、紫色の花は既にしぼんだブシ(とりかぶと)の立ち並んだ道路を進み、屡々しばしば小川を渡る度毎に、おやぢが出はしないかと心配した。
 義雄は、樺太の奧山に入る時、熊よけに、汽船から借りて來た汽笛代用の喇叭を吹いたが、さういふ用意がないので、下手な調子で銅鑼聲どらごゑを張りあげ、清元やら、長唄やら、常磐津やら、新内やら、都々逸どどいつやらのおさらひをして歩いた。その功徳くどくによつてか、幸ひ、おやぢの黒い影も白い影も現はれなかつた。
 然し猿留さるるの七曲りに似たつづらをりを登る時などは、唄も盡き、聲もよわり、足も亦疲れ切つた。これを越えれば、もう直ぐだらうといふのを力にして、やツとのことで山の脊まで達し、それから勾配こうばいのゆるい下り坂になつたが、今度はまた非常に喉が渇きからだ中びしよ濡れの汗が氣になる樣になつた。義雄は、勇から借りて來た厚い綿入れの胴着を通して、上着のおもてまで汗がしみ出した。
 然し道に澤山生えてゐる小萩が、葉毎葉毎に露を帶びてゐるのは、それを見るだけでも實に氣持ちがいい。それで思ひ出したのだが、義雄等が國境を越える時ちよツと雨に會つたのが、こちらでは非常におほ降りであつたらしい。その名殘りで道もじぶ/\してゐるし、萩の葉毎には觸れてこぼれる白露が置いてゐる。
 その露を踏み分けて進むと、そのこぼれが靴を通して熱した足にひイやりと浸み込む。それが、義雄にはコツプで冷水をがぶつくよりもうまい味であつた。

 直ぐだらうと思つた音調津おしらべつがなか/\來ない。薄暗くなつては來るし、道路にはまた雨後の溢れ水が一杯だ。水をよけて通るだけの勇氣も出ず、ただ一直線にびしやり/\歩いて行くと、靴の中に水が這入つて、一しほ足が重い。畑らしいものはあるが人家は一つも見えない。
「もう、野宿なり、何なりしよう」とまで疲勞して、どろ水の中をかまはずぶツ倒れてしまひたくなつた。
 あかりが一つ見えたが、それも直ぐ隱れてしまつた。またその次ぎの驛へ進んでゐるのではないかといふ疑惑が起つたので義雄は立ちどまつて、あと戻りしようかとも考へた。
 義雄よりも一層疲れてゐるらしい技手はそれでも、土木技手だけに、流水の中にも開鑿かいさく道路をさぐり行き、草むらの間にも正當な新道をたどり行くので、初めは苦しまぎれにずん/\先きに立つてゐた義雄は、つひに渠に從つて暗夜を僅かに進んで行つた。
 漸く驛遞の家に着いたので、あすの馬をあつらへ、そこから四五町さきの宿屋へ案内されるまでがまた一里も歩く樣に氣がかれた。
 翌日、音調津おしらべつから廣尾に來て、そこで技手と別れ、義雄獨りの旅になつた。種馬試驗の爲めに巡囘してゐる馬政官の一行も同じ方へ出發の爲め、驛遞の馬はすべてその方に約束濟みなので、義雄はアイノの家から競馬用のを借りて次ぎ馬とした。それが荒い馬で頻りに驅けたがつた。
 そこからは段々海岸を遠ざかるのであるが、殆ど何物にも會はない寂しい原野の、樹木と茅がやとの間に開らけた細い、しめツぽい道を風と水の響きとに急がせられて行く時、或小橋を渡る手前で、馬が急に戰慄して跡ずさりする。その一刹那に、馬上の人も戰慄した。そして義雄は自分と馬とが一身同體で、同一の神經が同一にかよつてゐるのだといふことを感じた。
「さア、おやぢだ」と覺悟すると、どこにゐるか見えないので、あとへも先へも出られない。然し早く前進するにかずと決心して、馬を蹴立てても、鞭撻しても動かない。馬が後ろへ曲げようとする首を手綱によつて引ツ返し、その手綱を兩手でぐツと引き締め、兩足で馬の腹を蹴ると同時に、「行け」一と聲高く命令した。馬は思ひ切つたかの如く前方へ驅け出したが、渠自身の怪しいと思つたところをよける樣にして驅けた。義雄がそこへ目を注ぐと、異樣な木の切り株が熊のうづくまつた形になつてゐた。
 それから、平坦な道路へ出た時は、その左右に※(「木+解」、第3水準1-86-22)かしはの木が植ゑつけたかの樣に生え、それが紅葉してゐて、ところ/″\、雜草を切り開らいて、燕麥えんばくを刈り取つた跡がある野塚原野で、――この風景は丸で大きな造り庭と云つてもいい。冬になれば、然し、積雪が五尺に及ぶと云ふ。ひげ武者のアイノに道を聽いて後、義雄がこの紅葉した濶葉樹密接林の間を驅ける時、目をつぶると、その葉毎/\に當る風の音が急雨のやつて來るかと驚かれた。まして目を開らくと、遠くの山々にはあま雲が迫つてゐて、今にも降つて來さうな暗影を渠の頭上に投げる。
 一種のおごそかなびと戰慄とに追はれて驅け行き、豐似とよに川を渡つたところの物品販賣所に一服した。この店は、山手の農家と、原野に澁を取る目的で※(「木+解」、第3水準1-86-22)の皮を剥ぐのを仕事にするもの等とを相手にしてゐる。ここで、かの馬政官の一行に追ひつかれたから、義雄はそのあとについて行かうと思つた。
 然し馬政官の一行は次ぎの宿まで行けばいいので、進みが如何にものろい。義雄はその乘り馬がまだ弱つてゐない上、けふ中に次ぎの、次ぎの宿まで行くつもりだから、無言で一行を乘り越した。すると、あとの方で、
「驅け足!」といふ聲が聽え、やがて一行はずん/\義雄を拔いてしまつた。渠は止むを得ず渠等のあとについて同じく驅け足をした。十餘町ばかり驅けて、今度は、理由を述べて失敬し、渠等よりもずツと早く大樹たいきに着したが、次ぎ馬の都合が惡いので渠も亦そこにとまることになつた。
 音調津おしらべつで注文してもなかつたビールがここにはあつたので、何よりもさきにそれを飮んで、元氣をつけ、怠つてゐた雜記三日分を手帳に控へた材料から一時に書き出した。そして、樺太以來、見聞と取り調べとを控へて來た手帳が段々餘地のなくなつて來たのをおぼえた。そして、勇にまた電報を打つても相變らず返事がない。
 十月十日の朝、大樹たいきに初霜が濃く置いてゐた。凍死馬追悼標といふのが立つてゐるのを見て、義雄は自分について來た馬子が兩足とも膝までしかないのを思ひ合はせた。この馬子はもと郵便脚夫で、大樹から以平いたらたらきまで四里半ばかり、その間に人家が一軒もないところを往來してゐたが、不意の大雪に會つて凍傷を起し、兩足を切斷されたのである。
 不成功に終つた牧場の牧柵が朽ちツ放しになつてゐるのを左右に見て進むと、茅の中にはきりぎりすがうら寂しく鳴いてゐるし、カケスが澤山飛びまはつてゐる。山葡萄の黒い小粒な實が多い原野は矢ツ張り、※(「木+解」、第3水準1-86-22)の密接林だ。幅の廣い道路がついてゐるが、日に人が一人通るか、二人通るか分らない道であるから、雜草が跋扈ばつこしてゐて僅かに一筋か二筋の細い路になつてゐる。
 以平いたらたらきで馬を換へた時、ついて來る馬子もなくなつた。そして、三里半、また人家もない※(「木+解」、第3水準1-86-22)とすすきとの高原を進まなければならない。義雄は非常に飽きが來た。自分の神經までが單調子になつた。然しそれが却つてよく單調子の天然に親しんで來て、見渡す限りの原野が孤寂こじやくな自分の自覺内に這入つて來た。すすきの野を出でて※(「木+解」、第3水準1-86-22)の林に入り、※(「木+解」、第3水準1-86-22)林を出でてまた薄の野に入る。それが馬上の渠にはどこまでも自分の神經範圍を進んでゐる。ただ乘り馬が荒馬あれうまなので、道を左右にそれて、なか/\すすきの間を出ない。通りがかつたアイノに手傳はせて、本筋へ引き出し、うんといぢめてやつたので、やツと乘り手の自由になる樣になつた。
 道が一直線に渡つてゐるので、んだ自分は獨り手に前進してゐる。思ひはうつら/\都の友人のことや、長くまたは近く會はない愛婦あいふどもの上に馳せてゐると、馬も亦半ば眠つてゐたのだらう。つまづいて倒れかけた。氣がついて、義雄が手綱を引き締め、馬の重い首を上げさせると、また驅け出す。この時、渠は遠藤の云つた通り、馬は如何にも正直で、可愛いものだと云ふことが分つた。馬の戰慄は直ぐ乘り手に響き、乘り手の惰眠は直ぐ馬にうつるのである。
 ふと見渡せば、義雄は青、黄、または紅色であや取つた大風景を進んでゐる。種々な色の競進會をとほつてゐる。晴れ渡つた天空の藍のもとに、馬上の人は黒く地に投影し、すすきのぼツとした穗は近く遠くかさなり合つて、うす綿を敷きつらねた樣な原野に、木々の枝葉は青に、淺黄に、黄に、赤に、また紅。山は遠く薄墨の遠近と高低とを以つてうねり行き、その後ろから幸震岳さつなひだけがかしらを現はし、眞ツ白に雪を積んでゐるのが見える。そして海上らしい方面には、地平線と相つらなつて、灰色の雲が平らかに日光に輝いてゐる。
 行く手の※(「木+解」、第3水準1-86-22)林をのぞんで急ぐといつまで行つても、すすきの野だ。そして、目の前に遠く、矢ツ張り、同じ樣な林が見える。いつそれに這入つて、いつそれを拔けるのか分らないほど、近よつて見れば、まばらな紅葉林だ。北海道の特色なる十勝原野のそのまた特色は、かつて氷峰が云つた通り、この以平いたらたいらの高原だと、義雄は初めて感づいて見れば、なほ更ら名殘りが惜まれた。そして、暫らく馬をとどめると、馬の一と聲いなないたのが如何にも山野の魔氣を呼び寄せる樣で、自分ながら自分の孤獨の立たずまひに堪へられなかつた。
 前驛もさうであつたが、幸震さつなひ(ここも驛遞の一軒家しかない)でも、朝は、もう、ストーブを焚いてゐた。ここから二里ばかり來ると、人家や大豆小豆の耕地が多くなり、十月十日の午後、いよ/\帶廣に着することになつた。そして、廣尾からこちら(は十勝の郵便範圍だ)の雜記原稿を一まとめにして郵送した。
 義雄は小百里の道を馬に乘つたので、僅か七八日のうちに可なり立派な乘馬術をおのづから實習したわけだ。然しそれ以外には、旅行といふ、義雄には、何と云つても止むを得ざる一種の全人努力的な生活をして、その日/\を送つて來ただけで――さて、これから、汽車で歸札きさつするとして、遠藤が臨時道會の終りを待つて再び旅行に出かけるまでは、ぼんやりしてゐなければならない。
「お鳥のことなどは、もう、どうでもいい」と思つて、旅行その物の生命に親しむと、どうせ、臨時道會の終りまでにはまだ一週間もある。その間に、ガス深い釧路くしろまで行つて見たくなつた。その旅費を送れといふ手紙をメール社の天聲へ出し、二日ばかり伏古ふしこ音更ねとふけ兩村に行つて、そこのアイノ部落とアイノ傳説等を研究した。そして、その結果が、出來ることなら、そこにこの冬を通して立て籠り、アイノ語を習得し、まさに滅亡せんとするアイノ人種の古來有してゐた文學を收集したくなつた。
 如何に考へても、東京へは暫らく歸りたくないし、その上お鳥が來てゐるに相違ないのであるから、さうする基礎をつくりたかつたのであるが、天聲から電報があつて、「スグカヘレ」と云ふのであつた。
 十四日、帶廣を大雨の中に出發し、ヘケレベツ(アイノ語、清い水)をとほつて、新得しんとくから、十勝國境ののぼりになり、義雄等の列車に汽關車が前後についた。このあたり、ナラ、カシハが多く、その葉が赤くまた黄ばんでゐる間を、たまに榛の木の葉のどす青いのがまじつてゐた。見渡せば、右も左も黄葉紅葉の賑ひで、その中に、蝦夷松えぞまつまたは椴松とどまつの霜にめげない青針り葉の姿が、ここかしこ、枝をかさねて、段々にとがり立つてゐる。
 このいい景色の大谿谷を義雄等の汽車は、大小六曲りも七曲りもして、雪よけトンネルをくぐりながら、のぼつて行く、雨は晴れてゐた。窓から首を出すと、列車がうはばみの如くうねつてのぼる、そのうねりの跡が幾度にも折れて見え、ただレールが渦道を畫がいてゐないのが違ふだけで、丁度、ロキイ山中の谿谷鐵道の寫眞の樣だ。わが國第一の大工事と云ふのは、まことに嘘ではない。
 七曲りも曲りのぼつて、第一の實際トンネルを拔けると、十勝原野の秋色は、遠く義雄の視線と直角に横たはつた薄墨うすずみの低山の一直線に限られ、近い野山はゆふ空と共にほの赤くかすんで見える。丸で雄大なおほパノラマの樣な幻影だ。義雄はこの幻影によつて實際の北海道を内的に抱擁してしまつたと思ふ。
 この時、またおほ吹き降りがあつたが、第二のトンネルを通り拔けると、もう、石狩の國へ這入つたので、汽車は細いナラ、カシハ、ハンの木、松や清い小流れの間をそろ/\とくだり出すのである。夜に入つて旭川の宿に着し、義雄は心當てにした青年詩人で、そこの某新聞記者をしてゐるものに會ふと、あす早朝、新聞社に内證で旭川を家旅もろとも逃げ出し、先づ小樽へ行き、そこに興行中の雲右衞門の補助にすがり、東京へ歸ると云ふ。
 社で滿足に約束の俸給を拂はれない爲め、まご/\してゐては、越年をつねんの用意にも困るからといふわけだ。義雄も、これを聽いて、自分のうか/\してゐるうちに、もう、段々冬が迫つて來るのだ、な、と思つた。
 旭川は北海道中でも最も寒い處で、石油が凍る爲め火が消えることもあると聽いてはゐたが、義雄の到着した夜は、風も強く、渠のこの旅行中初めておぼえる冷氣だ。原稿を書きながら、火鉢を抱かなければ手が動かない。そとを通るゆで出しうどんの聲を聽くと、ここの十月十四日が東京の十一月を、もう、過ぎた樣な寒さを感ずる。そして、からころ云はせて通る人の下駄の齒音に、もう、冬がいてついてゐはしないかとまで思はれた。
 北海道で馬車鐵道の敷設されているのはこの旭川町だが、その鐵道によつて、師團裏なる新高臺しんかうだいの近所へ行き、その高臺の紅葉を遠望しながら、近文ちかぶみの舊土人部落を徘徊して見た。そして、思ひ出したのは、この部落のアイノの所有地を、東京の某富豪が本道の前長官と相謀り、土人等をたばかつて立ちのかしめ、師團に高く賣りつけようとして失敗したことだ。
 幸ひにして、北海道の人士が土人に同情したから、土人は無事であつて、今では、その所有地を和人に貸與して、それからあがる借地料を以つて、道廳は日本流の家を建ててやつたが、矢張り、住み難いからであらう、渠等は冬になると、その結構な家を物置き同樣につかつて、却つて、別なところへ半ば穴小屋の樣なものを造り、そのなかに住ひする。
「どうせ、劣敗の人種だから」と、義雄は仕かたないのだと思つたが、また考へると、渠等が耕作にたづさはらず、建てた家に住むことが出來ないのは、渠自身が實業をやらうとしても動きがつかず、殆ど住むところがない状態になつてゐるのと、大した違ひはない。アイノ文學のやがて滅亡に歸しかけてゐるのを、またその文學が耶蘇教的外人の偏見で研究されてゐるのを、一つ、自分が正當に收集してやらうと云ふのも、つまり、自分も亦おのづからそんな劣敗者であるからのけちな思ひ附きではないか知らんと反省する。
「たとへさうだとしても、今のところ、止むを得ない」と、渠はまた考へ直す。そして伏古ふしこ並びに音更ねとふけ兩部落に於ける樣な好都合の案内者もなく、また笠もなく、じめ/\と冷える小雨こさめの中を、相變らず見すぼらしい部落のあちらこちらを徘徊しながら、アイノ古謠「蟲のくどき」を低い聲で口ずさむ。
「アルクラン、モコラン、アクス、バイカラ、アン。」
 乃ち、「一と晩寢た。さうしたら、春が來た」と。然し渠には、どうしたらいいか分らない冬が來かかつてゐるのである。
「クコロアペウチ(わが家の火神)、――ソイワアン、カモイ(そとにゐます神達。)」
 と叫びたくなつた。が、然し、渠には、多神も一神も主義上、禁物である。
 氣を轉じて、再び鐵道馬車に乘り、今度は、東京の砲兵工廠を除いては、わが國唯一のアルコール製造所なる神谷酒造合資會社旭川釀造場を見に行つた。資本金三十萬圓、一ヶ年の釀造高六千石、賣上高ほぼ八十萬圓。一石につき、賣價百三十五圓、そのうちに九十四圓の税を含む。原料は殆ど唐きびだが、馬鈴薯の時期一ヶ月だけはそれを以つてする。用途はおもに火藥、セルロイド、模造皮などの工業向きだ。と、かう、義雄の手帳に控へられた。
 三丈ばかり高さがある獨逸ドイツ製の大酒精機を備へて、四時間に三石のアルコールが取れるさうだが、三階でそのしぼられたアルコールを受けるところを見ると、針のさきほどながらす管からただ滴々と垂れてゐるばかりだ。そして、フーゼリンを全く拔き取つたアルコールをナラのおほ樽に入れて置くと、たる木地きぢと和合して、純粹のヰスキが出來る。この過程は實にわが刹那主義のランビキにかかつた努力のそれと同じ樣だと、義雄は觀じたのである。
 そのさわやかなヰスキに醉つた勢ひで、渠は再び汽車に投じ、紅葉に有名な神居古潭かもゐこたんまで來た。山と山とが迫つて來て、石狩川がその間を流れる。その一方の岸に添つて汽車が走るのであるが、この邊、※(「木+解」、第3水準1-86-22)かしははなく、ナラ林が四方に紅葉してゐた。

 石狩川はそこに狹く深く流れて、その重くるしさうな水にくれなゐを浸すかと思へば、多少の傾斜を見せて、幾すぢも長い龍紋をゑがく。道を塞ぐ岩石の上にあふれて白絲の瀧を流すところもあれば、また、そびえる巖をめぐつて、飛ぶが如く行くところもある。また、川はばが廣がつて、水中に砂利の洲を現じたり。その洲がデルタ型に高まつて、そこに紅葉樹が生えてゐたり。そして、川が大きくまはつて、萬面、紅葉の丸山をいだくところなど、赤い間にところ/″\黒ずんだ椴松とどまつ二三本の異を點じ、流れはふつ/\と白く泡立つてゐる。雄大ではないが、實にいいながめだ。
 温泉宿を向うに見て十町ほど來ると、停車場がある。それからは、高い絶壁の上を鐵道が通つてゐる。絶壁の下をのぞくと、川の水勢と精神とが清い油となつてうどみかかり、おほきなふちとなつて幾重にもうづを卷いてゐる。このところ深さを量り得たものがないと云ふ。つまり、おもりで絲を垂れて見ても、底には岩石がでこぼこつツ立つてゐるので、六尺でとまるところもあれば、五十尺、百尺もさがるところがある。その上をとほつて、汽車が短いトンネルを拔けると、眼は潭を渡つて、ずツと上流を見通すことが出來る。兎に角、伊納から古潭こたんの下流に至る七八哩の間が絶景だ。
 この古潭の脇に、停車場から向う岸に渡る爲めの釣り橋が足場高くかかつてゐる。兩岸の岩に結んだ針がねに釣られてある有名な橋だ。然し針がねと云つても、電線の八番線が橋の上部に十六本、下部に十二本、都合二十八本通つてゐるのである。
『五人以上同時に渡るべからず』と書き附けた掲示が出てゐるのを讀んで見て、義雄はこの釣り橋のたもとで橋を渡るに躊躇しないではゐられなかつた。この制限を越えると切れる恐れがあるに思ひ及んだからである。それにまた、かかる制限が初めから附いてたものとすれば、もう、これまで何年かの間に渡つた重みがその重みだけ今の針がねを弱めてゐるに相違なかつたからである。
 たとへば、百ポンドの重みに堪へるだけの綱に百ポンド以上をかければ、その場にぷツつりと切れてしまふのは明らかに分つてゐるが、その百ポンド以下をでもたび/\かけてゐれば、しまひにはその綱は矢ツ張り切れるものだ。そしてその最後の切れた時には、たツた一ポンドだけを以つても結着がついてしまふだらう。う思つて、渠は自分の今わたらうとする橋の針がねの緊張力がまだどこまで確かで、もう、どれだけゆるんでゐるのかと云ふことが、自分の人生その物に對する緊張不緊張の反省となつてゐた。そして自分の脚下にうづ卷く底も知れない深淵に臨んでると云ふ意識が、この反省と一緒になつて、自分を――まだ渡らぬさきから――ぐら/\させた。
 尤も、向うから渡つて來る一人の人夫のゆらぎがこちらがはの銅線全體につたはつてもゐたので、それがこちらへ渡り切るのを待つて、
「あぶなくはないでせうか」と聽いて見た。そしてその言葉を口に出してしまつてから、自分ながら下らぬことを聽いたものだと思へた。現に、渡つて來たものがあるではないか?
「‥‥」あざけるやうにこちらを見た人夫は、その脊に何本かのまくら木をしよつてゐたが、「わたしのやうなものが四五名一緒に渡つても大丈夫ですよ」と云つた。
「‥‥」不斷にもさう最初の制限以上に弱らせてあるのなら、こちらには一層危險だと見えた。
 かの十勝高原を馬の脊で眠りながら驅けたほど大膽な自分が、こんな絶景とは云へ小さな景色の中にふるへをののくのをちよツと不思議に思へるが、それには、自分の内部生活に於ける立派な理由があつた。自分はあす歸れる札幌を放浪者の故郷の如く、そして到着してゐるに相違ないお鳥やすすき野の女を家族の如く思ひ出してゐたので、この思ひ出に伴ふ自分の戀や事業や放浪その物がすべて自分の生活をその場に實現する虹であつたことが分る。ところで、ここにかかつてゐる羅曼的ろまんちくな釣り橋はその附近の山々の盛んな紅葉の光りに照りはえて、矢張りあけや青に色取られたかけ橋である。それを自分が今や實際に空中高く踏みしめて渡りながら、また中絶え乃ち斷絶しやしないかと恐れるのは、むしろ自分の失敗や弱みをそのまま又自分の悲痛な緊張に轉じさせる力ではないか?
 斯う考へて來ると、自分の足場が深い淵の上にぐら/\しながら、ちよツと暝目のうちに、この絶壁や周圍の山々までが根柢から崩れる音も上流の水おとと共に聽えて、すべてが自分の内部生活なる幻影上の風景となつてしまふ。そして自分の再び明けた目の中には、かの札幌郊外の豐平とよひら川に渡した鐵橋が昨年の洪水によつて中央の土臺を掘り起され、そこから傾斜中斷してゐるのが見える。そしてその斷橋がやがてまた自分の鐵の如く堅固な姿であつた。
 義雄の一本立ちのをののきはそのまま斯う自分の内部の覺悟となり、緊張となつて釣り橋を渡れたが、その橋を渡つて後ろを振り向くと、景色はまた全く新らしくなる。汽車道の山腹、絶壁の上のナラ林。谷底に渦卷く深淵を隔てて、前方もくれなゐ、後方もくれなゐ。孤立の義雄は、雨中にも拘らず、姿の見えないゆふ日に照らされてゐた。そして、向う岸に立つてゐるもと太いアカダモの高木を、自分の札幌以來外部的にもます/\育ちあがつた姿と仰いで見た。
 温泉宿は生憎割りの惡いところにあつて、家の前後はいい風景を支配してゐないが、前面の流水は兩岸の岩にぶつかつて白い布を見える限り流してゐる。室内にこもつて近く雨の音を聽き、遠く川の流れに耳をそば立てると、今しがた見てとほつた兩岸の紅葉が、あたら惜しくも、谷の下へ下へと流れ去る樣な氣がした。
 その翌朝、目を覺ますと、きのふの清さに打つて變つて、流れは丸で濁つてゐた。
 兎に角、北海道の紅葉はかしはでなければ、ナラだ。赤いよりは、黄ばみである。
「その紅葉の盛りが、もはや二三日過ぎた」と、宿のおやぢが云つて、やがて雪が五六尺この邊に積むとつけ加へた。義雄はこれを聽くと同時に、北海道の秋は短い、そして冬の來るのが早いと云はれてゐることを、最も適切に感じ出した。
 梁自身の現在にも、もう、ぐづついてゐる餘裕はない。札幌までの切符を除いてはたツた十錢銀貨と二十錢銀貨とが二三枚自分のポケトに殘つてゐるばかりだ。名殘り惜しいが、止むを得なかつた。渠が再び釣り橋を渡り、神居古潭かもゐこたんの停車場から汽車に乘り、札幌へついたのは十月十六日の夜だ。

十二


「有馬君」と云つて、義雄ががらす戸を明けるが早いか、
「おう、待つてゐたよ。」勇も立つて障子を明け、「あの、お鳥さんが來てゐるよ。」
「さうか?」義雄は何げなささうに答へ、實は嬉しい樣な、賑やかになつた樣な心持ちを押し隱し、手早く靴を脱いでから、「あア疲れた、疲れた」と云ひながら、のツそり立つて、二三歩這入つたところで、お鳥の方にちよツと目をやる。見おぼえの東郷お召のあはせにまがひ大島の紡績がすりの羽織をつけてゐる。
「‥‥」お鳥は、お綱とさし向つてゐる爐ばたの隅から目をあげてかれを瞥見したが、直ぐ横を向いた。胸一杯の恨みがさきに立つて、いざと云はば、覺悟の柔術の手を出しもしかねなささうだ。
 義雄はかの女がその鋭鋒を隱してゐる樣子を看破したので、わざと平氣で、勇とお鳥との間に坐わり込み、ポケトから卷煙草を一本探り出し、それに火をつけて、二三度うまさうに吹かす。その實、渠は吹かすばかりだから、煙草の味を實際に味はつたことは少いのである。
「どうだツた、ね?」勇が先づ言葉を出したのに答へて、
「苦しい目もしたが、愉快でもあつたよ。」
「それはよう御座いました、ねえ」お綱さんが愛相を云ふあとについて、お鳥はにが/\しさうに、「愉快など、しなくてもえい、さ。」
「どうせ、僕の愉快は」と、義雄はお鳥の方へは向かないで、「苦しみ、さ。孤獨の自覺が宇宙を神經的に自己としてしまふその活動をやつてゐればよかつたのだ。」
「そして、それが出來たと云ふのか、ね?」勇のこの問ひには少なからぬ冷笑が含まれてゐると義雄は見たが、惡びれずに、
「無論、出來たと云つても、僕の刹那的燃燒が全人的に行つた時よりほかに、現實の眞理はないのだ。」
「まア、さう六ヶしい議論は置いて、お鳥さんに挨拶でもし給へ。――それに手紙が來てゐた」と云つて、勇が一通を持つて來たのが、大野梅吉とあつて、敷島の本名梅代うめよの手であるので、直ぐ義雄はふところへ入れた。今一つ、義雄の弟から勇に當てたハガキを見せたが、それには、もう、雪が降り出しましたとある。「樺太ぢやア、もう、雪が降り出したのだ、ね」と、義雄は云つて、實は、「電報が來ないので、心配したよ。」
「いや、出したんだ、浦河へ――然し屆かなかつたと見え、君からまた問ひ合せが來たが、どうせ屆かないのなら、電報料だけが無駄だと思つて――それに、一緒に行つたといふ技手が君の革鞄かばんを持つて來て、君は帶廣の方へまはつたが、もう、直き歸るだらうと云つたので――」
「それなら、分つたが、君がよこさなければ、これが」と、お鳥の方を見て、「よこす筈だと思つてゐたのだ。」
「僕の方はぬかりはなかつたのだ。そして、お鳥さんは兄さんのところへ行つてゐて今しがたまた來られたのだ。」
「それなら、それで止むを得なかつたのだらう。」義雄はお鳥の兄のゐる由仁ゆにを汽車でとほつたことを思ひ出した。
「樺太からのは」と、お綱が注意する。
「あア、あれはどうだ?」
「あいつは受け取つたよ。兎に角、君等に手數をかけて失敬した。――どうだ」と、初めて義雄は嘲弄の態度を以つて、お鳥を目がね越しに見つめ、「また男に棄てられて來たのか?」
「‥‥」どう出るかと、息を殺して待ち受けてゐたらしいお鳥は、何、くそツと云つたやうにこちらをにらみ、顏が赤くなるどころではない。血の氣が下つて兩手を膝の上で力ぶるひさせ、こちらを見つめる三角まなこには青い底びかりがしてゐる。暫らくかの女の呼吸を計つてから、「そんなことはどうでもよろしい、早く病氣を直せ! 病氣さへ直れば、もう、お前の世話などにならん。」
「まだ直らないのか?」義雄は止むを得ず笑ひにまぎらして、自分の方はとつくに直つたのを氣の毒にも思はれる。
「ふん」と、例の通り冷やかさうに鼻で受けて、「醫者にも行けなければ、直る筈はない、あんなに何度も手紙で云うてやるのに、手紙の意味が分らない人でもなからう?」
「そりやア、少くとも、お前よりは讀めるよ。」勇夫婦は思はずらしく吹き出した。
「讀めるなら」と、躍起になつて、「なぜ、その通り療治代を送つて呉れん?」
「送るにも、金がなかつたのだ。」
「それは、不自由なこともあつただらうが、賤業婦などに入れあげる金はあつても、わたしの方の約束は履行しないのですか?」
「ふん」と、こちらも鼻で受け、「有馬君から聞いたのだらうが、おれが女を買つたのは、米の飯と同樣、生活上の必要だ。おれは飯を喰はないで生きてはゐられない。」
「助平だから」と、お鳥は云つたが、あまり云ひ過ぎたと思つたやうに不自然にほほゑむと、勇夫婦も亦きまり惡さうに笑つた。
「そして、加集かしふは御無事か?」
「あんな奴ア見るのもいやだ!」
「ぢやア、それツ切り會はないのか」と云つて、義雄はその實際が疑はれた。あの後も一時は許してゐて、再び追ツ放されたのではないか知らんと思ふ。
「會ふもんか」と、お鳥は横を向いた。が、その樣子が義雄にはそら/″\しく見えた。
 暫らく話は絶えた。すると、お綱さんが、
「さう喧嘩にばかりなつては、御相談も出來ますまいから、仲直りをなさつたら、どうです?」
「さう」と、勇も下向きにつき出してゐた首を引き、「どちらもおとなしく話し合つたらどうだ?」
「お鳥さんも男には負けてゐる方がよろしう御座いますよ。」
「‥‥」お鳥は、ふくれて、無言だ。
「いくらおとなしく話さうたツて」と、義雄はお鳥を見て、「あの苦蟲にがむしみつぶした樣なつらをされては――」
 お鳥は勇夫婦と共に自分も吹き出した。が、然しまた負けない氣になり、意地惡さうに義雄をにらみながら、
「苦蟲でも何でも、病氣を直して呉れたらよろしい――病院に入れて貰ふ――入院さして貰ふ」
「‥‥」義雄は優しくかの女の目を迎へ、この勢ひある言葉が女のからだのびくつきと共に踊つた樣なのを、もツともな云ひぶんであると受け取つた。どうせ、兄には恥ぢだから云はなかつたらうし、ほかに世話してやる男もないとすれば、――そしてここまで追ツかけて來たのだから、さし當り、世話してやるほど親切な男はないのだらう――病氣の元が義雄自身なのが分つてゐるので、その罪ほろぼしとしてだけでも構はない、助けてやらうといふ氣になる。
 東京からよこしてゐたかの女の手紙で見ても、或時はその痛みを火のつく樣に訴へたり、或時は丸で忘れた樣に一言もそれに云ひ及んでゐなかつたりしたのは、病氣がよくなつたり、惡くなつたりした證據だ。いツそ惡くてつづくのなら、覺悟の仕樣もあらうが、よくなつた樣でまた惡くなると、實にもどかしいもので、それが度々になればなるほど、病院がよひに飽きが來て、生きながら地獄に落ちた方がいいと思ふほど、身も世もあられぬ情けなさになる。
 この不愉快と不自由とを義雄は、お鳥と一緒になる前に、經驗した。お鳥は一緒になつてから經驗して來た。そして、お鳥に就いて、義雄はまた、人の感覺の尋常な感應範圍を逸して、多少の滿足を得てゐた時代の方が長い。
 現在と雖も、お鳥が病氣を訴へなくなるまでは、これまでの習慣によつても分る通り、矢ツ張り、その時代に屬することは、義雄の承知してゐるところである。そして、お鳥の東京出發までに、加集その他の男が再び出來てゐたものとすれば、その男が義雄と同樣にこの承知をしてゐることが出來ない爲め、かの女を棄てたのだと思はれる。
 さう思ふと、お鳥を如何に多情な女としても、身體の必要上、かの女には義雄が深く疑つてゐた樣な事件は、先づ、なかつたと推斷すれば推斷することも出來よう。渠は加集とお鳥との間にあつた關係でさへ、その後、寛大にも不問に附した。それまでに至らない關係なら、なほ更ら、再びお鳥が自分の胸中に飛び込んで來た以上は、敢て問ふにも及ばない。
 加集の時は、義雄が自分から進んで行つて、お鳥とのりをもどした。今囘は、反對に、お鳥から來たのだ。と思ふと、兎に角、義雄が人に與へてしまふのを惜しがつてゐたものを、渠は失はなかつたのを嬉しくも思ふのである。
「兎に角、それでは、入院させる樣に金を拵らへて見ようが、さう、つん/\してゐられちやアいやになる、ね。」
「つん/\もする樣になつたのは、みなあなたの仕かたが惡いからです」と、お鳥は少しはやはらかになつて來る。
「遠藤議員に頼んで見るより仕かたがない」と、義雄は勇の方へふり向く。
「その位のことはして呉れさうなものだ、ね。」
「まア、早く病氣を直してあげて」と、お綱さんはお鳥と合圖するかの如く目を見合せてから、
「何とか、どちらにも御都合のよくなる樣にきめておしまひなさるのがよろしいでせう――?」
「さうしませう」と、義雄もおとなしく受けたが、自分の留守に何かお鳥に入れ智慧をしたものと感づかないではゐられなかつた。「奧さん、もう遲いから休みませう――僕等は一緒でいいです。」
「蒲團はありますよ」と、お綱が變な笑ひ方をして云ふのを聽き、義雄はその笑ひに就いてではないが、いつか、勇の叔母が來るから蒲團が不足すると云つて、ここを夜追ツ拂はれたことがあるのを思ひ出し、いやな氣がした爲め、何とも返事をしなかつた。
「では、休みませうか」と、お綱は所天をつとの方を見た。そして、また言葉をつづけ、「初めてお目にかかつた時は、大變顏の青いお方だと思ひましたが、氣が落ちつきなさつたのか、けふなどは、色のお白い、美しいお顏をしてをられます、わ。」
 お鳥は愛相笑ひをして、得意の樣子だ。お綱さんは寢床を敷きに立つた。義雄は洋服を脱ぎ初める。勇はしばらくお鳥と共に爐ばたを動かなかつた。

 勇夫婦と別々な室に別れてから、義雄はお鳥を自分のそばへ引き寄せ、茶の間で相對した時とは全く別な心持ちになつた。
「第一、旅費はどうしたのだ?」
「兄の友達が來てゐたので、その人に借りて來たの――それは、直ぐ兄から返して貰つたから、心配は入らない。」
「兄にはどう云つて置いた?」
「どうも云やせん――自分の親の家へ自分が歸るのだもの、當り前のことだ。それを姉は、他人だから、何とか、かとかけちないやみを云ふので、兄はかげで、あんなことを云はれても、さう心配しないでをれと云うて呉れた。あの東京で質に這入つてゐる衣物がないので、どうしたと聽くから、預けて來たと云うて置いた。母のかたみだから、大事にせいツて――それから、下駄を買うて呉れた。」
「實際のことが知れたら、なか/\そんなあまいことぢやアないぞ。」
「その時は、お前もそのままにはして置きやせん、さ。」
「兄がおれを殺せるか?」
「妹の爲めだもの、殺す氣なら、どうしてでも殺す、さ。」
「ぢやア、やつて見ろ。」義雄はわざと一方の腕を出す。お鳥はそれへひどく噛みついた。
「あ、痛い!」
「やかましい!」かの女は低い聲で、「聽えるぢやないか?」
「さう憎いのか?」
「憎いとも――病氣を直さないと、殺してしまふぞ。」
「然しおれが死んだら、お前の藥り代が出まい?」
「どうせ、こちらが死んでしまふおともにするのだ。」
「よして呉れよ、そんなお伴は――さうして、今までどこにゐた?」
「いろんなことをしたのよ、お前が金を送つて呉れないから、道具などは賣つてしもたし、――喰ふにも困つて、電話交換局なら口があると云うて呉れた人もあつたが、それでは寫眞が習へんし、――人仕事をして見たり、下女をして見たり――」
「どこの下女よ?」
「先生のところの。」
「寫眞學校のか?」
「うん。」
「くどかなかつたか?」
「くどかれた、さ。」自慢さうに笑つて、「然し矢ツ張り妻子のある人だもの。」
「それでもいいぢやないか?」
「お前でりたから、ね。」
「凝りたら、なぜ來た?」
「ぢやア、病氣には誰れがした?」
「初めはおれだらうが、あとは知らない、さ。」
「そんなことはない!」かう云つて、からだをゆすり、顏をくしや/\としがめる。これは、かの女があまえたり、ことを胡魔化したりする時の表情であるのは、義雄のよく知つてゐるところだ。
「お前こそ大きな聲だ。――生徒の方にもあつたらう?」
「ああ。」
「それと浮れ歩いてゐたのだらう?」
「そんなことはない、寫生の時は先生も一緒に行くから。」
「行かないで、生徒が勝手な寫生の時もあらア。」
「本當は」と、微笑しながら、「みな嘘よ。脚氣かつけでもあつたし、ふき掃除などが出來ないから、やめて來たの。」
「遊んで、寢て、喰つてゐるにやア、病院が一番樂だらうよ」と、義雄は冷かす。
「ここの人もあなたをよく云うてをらんから、早く出る方がえいよ」
「そのくらゐのことア、おれも感づいてゐらア、ね――然し、病氣はどんなだ」と、仰向あふむけにだらけさせてゐたからだを横に寢返りする。
「年中、惡い、わ」お鳥は顏を義雄に向けて「入院料の工面くめんが本當につくの?」

十三


 臨時道會が始まつてゐるので、活動家の遠藤長之助は朝から晩まで忙しいのにきまつてゐる。義雄は先づ第一に渠を訪問する爲め、朝早く出かけた。
 遠藤は食事中であつたから、暫らく義雄を待たせたが、
「やア」と、出て來てさし向ひになるや否や、「どうでした?」
 義雄は西舍にししやの牧場で遠藤と西、東に別れてからの視察を、遠藤の仕事に必要なことだけ、簡單に語つた。浦河から樣似しやまにに至る山道は、西舍に至るそれと同樣、排水用意がしてないので非常に崩れてゐるところがあつたこと。冬島村字中山、オホナイあたりには殆ど道といふ道がついてゐないこと。また、とてもつけられないこと。各村役場に於いて、農、牧、漁業の状態を取り調べたこと。襟裳岬えりもさき附近では、雪が降らない爲、最も自由な放牧をやつてゐること。猿留さるる山道のこと。などは、すべて、遠藤が義雄に託した調査事項であつた。
 遠藤は注意して聽き終つたあとで、
「それぢやア、どうしても、浦河からさきは本道路はつきません、な――よし、つけたところで、幌泉ほろいづみまでの狹い道でよいのでせう。日高から十勝の聯絡は、あの猿留の難道が厄介物だから、矢ツ張り、浦河支廳の計畫線通り、あれをよけて通すより仕かたがない。」
「そりやアさうでせう――あすこをまはる必要はないでせうから。」
「無論です、な――時に、十勝原野の紅葉はどうでした?」
「全盛でした――もう、神居古潭かもゐこたんに來た時は遲過ぎたです。」
「さうでせう、北海道の秋は短いものだ。」
「そして、次の旅行はどうなりました?」
「道會は一週間で終るのだが、それが濟むと、或會社の依頼で北見、天鹽てしほの國境にある山林を見に行きます――さう、かうしてゐると、もう、雪が降り出しますから、なア――」
 かう聽くと、義雄はこれで關係がなくなるわけだ。
「なるほど」と受けては見たが、何かの關係で渠との間をつづけてゐなければ、北海道にゐる以上は、心細いものだと思ふ。渠は北海道の山川、原野をその短い秋に迫はれて歸り來たり、而もまたこの室で、最後の秋に出會つた樣な氣がした。そして、もうこればかりが頼みだと云ふ樣に、「あの明き家買ひ占めの問題はどうでした」と問ふ。
 實は、義雄が樺太にゐる頃から考へてゐたことで、空想の樣だが實行すれば出來ないことはない計畫である。
 樺太の明治三十九年、四十年度に於ける過度の發達は驚くべきものであつた。内地や北海道の資本家が、一攫千金の見込みで、おの/\數千、數萬金を投じ、數百人、數千人の人を使つて、漁業をやつた。その間に立ちまじつては、運送屋の小さい小僧でもちよツと手荷物ぐらゐを二三町運ぶと、十圓札一枚は貰へた。金錢上の單位は十圓札で、それ以下は勘定しないと云ふあり樣であつた。
 然し全體としてはさう方外はうぐわいの儲けにもならなかつたので、大資本家からして段々引き締まる樣になり、人まかせではなく、自分身づから直接に建て網の監理をする樣になつた。そして、そのあがり高はすべて海上から直ぐおいとましてしまふので、樺太に落ちる金と云つては、ただ小資本家なる雜漁者の手から落ちるだけになつた。その沈滯と同時に、大泊おほどまりやマオカに於いて、非常に多數の新築明き家を殘した。大泊の如きは、政廳が豐原に移つたからでもあらう、全市の半數以上が無住になつてしまつた。マオカでも、三分の一はそれで、而も新築してまだ壁土も塗らないうちに放棄されたのも多い。そして、たとへば、四五千圓もかけて造つた女郎屋が、僅か二三百圓のはした金で賣り物に出てゐても、誰れも買ひ手がないほどのみじめな状態にある。
 さう云ふのを買ひ占め、そのまま取り崩し、運賃の安い和船か何かに積み込み、北海道なり、内地なりの港灣地へ持つて行つて賣つたら、必らず儲かるにきまつてゐると説明し、今囘の旅行中に、遠藤に頼んで、誰れか金主を見つけて呉れろと云つてあつたのである。

「あれは隨分突飛な計畫だから、突飛なことを好むものでなければ、話して見ても駄目ですから、なア」と遠藤は答へて、一人さういふ人物があるから話して置いたこと。それが義雄に會ひたいと云つてゐるから、會へといふことなどを語つた。
「直ぐにも會ひませう」と云つて、その人の宿所などを聽き取つた上、義雄は云ひにくかつたが、いつか話した通り、東京から關係者が一人來てゐて、それを病院に入れなければならないからとうち明け、少しまとまつた金を借りたいことを述べる。
「どなたです?。[#「。」はママ]
「なアに」と、少し云ひよどんだが、「一人の婦人です。」
「それはお困りです、なア」と輕く應じて、遠藤は別に深く追窮することもなく直ぐ心よく懷中を開らいて見て、十圓札三枚を出し、「只今、これだけしか御座いませんが、御用に立つなら、どうぞ。」
「濟みませんが、それでは、出來ますまで――」
「なアに、御心配には及びません。」
 さう心よく出られただけ、義雄は、自分も亦單に北海道の新聞記者並みに取り扱はれてゐるのではないかと、多少、不面目を感じないではなかつた。
「時に、あの」と、遠藤は一層ゆるやかに出て、「日高、膽振いぶりに關する話は、どうか早く願ひます、一度わたくしが目を通しますから。」
「あれは、けふにも書きあげてしまひます。」義雄は今囘の調査結果に據り、遠藤の日高、膽振觀――浦河で演説したのも、その一部だ――を書き綴り、遠藤の勢力範圍に觸れてゐる北海道メールに掲載する責任があるのである。それでも丁寧に書いてやらなければ、今囘の旅行に義雄がついて行つたことが、遠藤の爲めには、殆ど全く無意味な費用を投じたことにならう。渠には東京の文學者を隨行させて行つたことが既に一つの名譽となつてゐるのだらうが、北海メールの前後三十囘餘に渡るべき義雄の「雜記」には、ただ遠藤の名を二三ヶ所に出してあるだけなのだ。
「それで、調査旅行は中止なさるとしても、北見天鹽の山林との御話で思ひ出したのですが」と、義雄はこれも一つのつなぎだと思つて、さきに物集もづめ北劍の手から出た書類で、かの小樽の漁業家松田に照會して駄目であつた土地の件を持ち出し、「わたくしの知つてゐるところに、成功調査に危ふくなつてゐる土地がありますが、どうです?」
「どこです?」
「矢張り、天鹽で、何とかナイといふ川添ひの未墾地です。」
「何坪ばかり?」
「二百三十萬坪ほど。」
「ざツと七百七十町歩――面白いでせう、それに關する書類があるでせうから、見せて貰ひたいものです。」
「それは、あなたも御存知でせう、物集北劍君、あの人の手にありますから、けふにも取り寄せませう。」
「物集君は今どこにゐます?」
「大通り七丁目の角です――」
「ああ、まだあすこにをりますか? 何をしてをります?」
「今では、遊び半分に、自分の本籍地の村落の合併問題に運動してやつてゐた筈です。それに、元の北辰新報の殘務整理がある樣です。ゆうべ歸つてから、まだ會ひません。」
「お會ひになつたら、よろしく」と、遠藤が云つたのに答へて、
「かしこまりました」とは云つたが、現在、社會の表面に活動してゐる遠藤と、失敗殆ど地にまみれて浪人してゐる北劍と、たとへ仕事は違つてゐたにしろ、曾ては丸でその名聲が轉倒してゐたと云ふ時代もあることを思へば、義雄は北劍の爲めにそのいつまでもぐづ/\して、止むを得ないからでもあらうが、朝顏をいぢくツてゐたり、酒ばかり食らつたりしてゐるのを氣の毒に思ふのである。
 自分はまだ北劍の程度まで落ちてはゐないが、自分の父の遺産をつぎ込んだ樺太の事業が失敗になつた上、その協同相談も駄目になり、木材屋の計畫もうまく行かず、鐵道官吏の加藤から話のあつた牧草地も見込みなく、多く消極的だが、兎に角、努力した旅行も馬術の練達と馬に親しみが出來たばかり、これで中止になるとして見る。
 また、その上、今囘の明き家買ひ占め問題や天鹽未墾地のことが矢ツ張り駄目となれば、もう、いよ/\北海道の秋に追はれて來た通り、また金の不足に追はれて一たび決心した歸京をいよいよ斷行しなければならない。
「折角、お鳥も來たから、一緒に越年をつねんすれば出來るのに!」かう思ふと、「今一つお頼みがあるのです」と、義雄はせめて一年なりとも北海道にとどまつて、アイノ並びにその文學を研究するだけの補助を見付けて呉れないかと云ふ提議を遠藤に持ち出す。
 これは十勝アイノの部落を調査してゐた時、ふと義雄のあたまに浮んだ考へで、その調査中に、宣教師バチエラの研究には、偏見と不徹底とがあるのを發見したこと。日本人として、アイノ研究を十分にやり通した、またやり通すつもりでゐる學者がないこと。東京の帝國大學には、アイノ語學者を以て任ずる人もあるがすべてがバチエラの糟粕そうはくめてゐるものばかりで、それも半可通はんかつうに滿足してゐること。土人教育など云つて道廳などが尤もらしく國費を無駄に使つてゐるが、アイノ人が教育されて半可通のシヤモカラになつたとて、何の效能もないこと。日本の戸籍に敗殘人種の雜種が出來るのは大してありがたいことでないこと。どうせ、敗殘劣等の人種だから、義雄の生存競爭を是認する生々主義から云つても、保護したり、教育したりする必要がないこと。その代り、一時それがわが國の本土の三分の二までも占領してゐた時に出來たその文學(傳説並びに歌謠)を、渠等の永久な生命と見爲みなして原語のまま丁寧に收集してやるべきこと。渠等の史詩もしくは戰詩なるシヤコロベやユーカリを非專門的には粗雜に譯したのはあるが、まだ本當によく詩的、文學的頭腦を以つて原語通り寫し取つたものも譯したものもないこと。そして、それを義雄がやつて見たいことを語り、手帳に控へてあるアイノ歌謠のうちから、「ヤイシヤマネ」を取り出し、その原文を下手ながら歌ふ。
「ヤイシヤマネーナ!
 ヤイシヤマネーナ!
 クコロ ポン カンピ、
 ヤイシヤマネーナー!
 ナタ アララ?」
「かう云ふ風なものもあります」と、義雄はその意味を説明する。ヤイシヤマネーナとは「悲しやな」、クコロポンカンピとは「わが年若い帳場」、ナタアララとは「どこへ行つた」と云ふことで、若いメノコが漁場の帳場さんなる和人を愛してゐたが、その和人が内地へ歸つたのを戀ひ慕つて歌つたものである。アイノの哀歌の始めと稱せられ、餘りそれが流行したので、のちには、ヤイシヤマネといふことが直ちに流行唄の意味に使はれるやうになつたことまで附言する。
「それも面白いことでせうが」と、遠藤は受けて、「さういふことに金を出す特志家は今日ではないから、道廳にでもかけ合つて見ませうし、またほかに仕事もあるか知れませんから、いづれメールの社長が歸つたら相談して見ます。」
 メールの社長は衆議院議員として、今、陸軍の演習に參加してゐるので、今月の末でなければ歸らない。餘り勢力ある人でもないから、その相談は當てにならないと思つたが、
「兎に角、それではよろしく」と云つて、義雄がそこを辭する時、遠藤は、明晩西の宮支店と云ふ料理屋で、北見から講習の爲めに出て來た小學教員どもを招待するから、その席へ巖本天聲と共に來て呉れろと頼んだ。

 その足で、義雄はそこから最も近い北劍の家へ行つた。午前九時頃であつたが、北劍は酒に醉ツ拂つてゐた。
 當地では花が後れて咲く朝顏も、もう過ぎてしまつたので、敗殘者たる渠の樂しみは酒のほかに何もないのは、義雄も推察してやらないわけではない。然し、如何に渠自身の所謂浪人はしてゐるにせよ、細君がもとの勤めをしてゐた時代の青臭い部屋ではなし、朝から酒に醉ツ拂つてゐる北劍の状態を氣の毒に思はざるを得ない。
「だ、だ、だ、だ、誰れぢや」と、北劍はどもりと醉ひとの爲めに呂律ろれつがまはらない。細君のお豐さんの招ずるままに茶の間へあがつてゐた義雄の方を見て、渠は客間で寢ころんでた肥大のからだを半ばもちあげた。天鵞絨びろうどの襟のついてゐるメリンス友禪の夜着が渠の胸から下にかかつてゐる。
「田村さんが旅からお歸りになつたのです」と、お豐さんはやはらかい物腰で所天をつとの問ひに答へる。
「そ、そ、さうか」とまたぐツたりなる。
「‥‥」渠があれだけになるには、二三升を越えた、な、と義雄は思ひながら、「朝からえらいですね。」
「本當に困つてしまひます――時間構はずですから、なア。好きなものを好きに戴くのですによつて、構ひませんけれど、度々人さまに失禮致しまして――」
「なアに、酒ですもの、お互ひです」と、義雄はかの女と暫らく旅の話をする。そして義雄が帶廣に於いて、メール社支局の記者や、旭川新聞並びに釧路新聞の出張員等と一緒に料理屋へ行つた時、その藝者が義雄を誰れか當てて見よとその地の記者等に云はれ、島田さん(氷峰のこと)か、さなくば物集もづめさん(北劍のこと)かと答へた事實を語つた。すると、お豐さんは嬉しい樣な口つきをして、
「島田さんも、うちのも、一時はあすこまで幅が利いてをりましたから、有名な記者だと思うて、あなたをさう推じたのでせう――然し、もう、新聞社はいやです、なア」と、いつものごとが出る。かの女は、勤めてゐた時から、自分の金をいくら新聞社につぎ込んだか分らないといふ囘想を、いつも忘れられないのらしい。
「それもうまく行けばいいですが」と、義雄は云つて、筆戰上の敗北が北劍をしてかういふ状態の浪人にさせたと同時に、もとは苦勞人だけの垢拔けがしてゐるお豐をもこのヒステリ的な痩せぎすにしたのだと考へる。
 氷峰がたまに山くぢらや兎の肉を山から貰ふと、第一に北劍の細君に喰はせたいと云つて持つて行くのを義雄が思ひ起すと、さうするのは、必らずしも、北辰新報時代に女郎買ひまでの金をお豐に世話になつたと云ふ爲めばかりでなく、實に、現在かの女が病身になつてゐるのを可哀さうに思つてであらう。そして、義雄も亦感心してゐるのだが、如何に今の所天をつとにばかりうち込んで――かの女はどんなお客をでも振つてしまふので有名であつたさうだが――一緒になつた女だとは云へ、今日の樣なえない状態をよく辛抱してゐる、と。
 貰ひ娘は小學校へ行つて、今、ゐない。客間からは、北劍の雷の如きいびきが聽える。そのいびき聲を聽いて、義雄は、四十づらの朴訥漢北劍が、また今日も、その苦心と全盛との時代に今の細君に可愛がられたことを思ひ起し、氷峰が曾て義雄に語つてきかせた通り、その盃を持つたまま、無言沈默のあひだに、悲痛淋漓りんりの感に打たれて、ただ一と聲、お箱の「ああ、醉うた」を叫んだ、な、と思ひやる。
「お父さん、ちよツと起きたらどうです?――お父さん――お父さん」と、お豐さんがそばへ行つて呼び起す。
「う、うーん」と、北劍は寢たまま延びをする。
「ちよツと起きたらどうです?」
「‥‥」渠は無言で目をぱツちりと明けて、お豐の顏を見る。肥大な男に似合はず、目は大きくツて、なか/\に可愛いところがある。

「田村さんが何かお話があるとおツしやつて待つてをられます。」
「さうか」と、北劍は身を起した。そして、「失敬した。失敬した。」
「なに、そのままでもいいんだよ。」義雄は爐ばたから云ふ。
「まア、こツちへ來給へ。」北劍は夜着をわきへかい遣り、床の間のそばへあぐらをかく。
「折角寢てゐるところをすまない、ね。」義雄は客間へ入り、渠と向ひ合つて、洋服のあぐらだ。お豐は所天をつとのはねのけた夜着を方づけてる。
「いつ歸つた?」
「ゆうべだ。」
 それから、どうであつた、かうであつた、誰れに會つたか、彼れと話したかといふ樣なことの問答の末、義雄は、
「實は、いつかの書類、ね――天鹽の土地に關する。あれを遠藤君が見せて貰ひたいと云ふのだが――」
「あれか? あれは駄目ぢや。僕の方にも見たいと云ふものがあつたので、一旦返したのを、こないだ、取りにやつたら、とても話しにならん。」北劍が語るところに據ると、あの土地には二三名の關係者があつて、それが互ひに喧嘩をしてゐるので、なか/\まとまりさうもない。そして、そんなものに手を出すと、却つて面倒になるばかりだから、向うから世話を頼んで來た事件だが、今では、取り合はないのである。
 義雄は歸來早々また一つの考へが出來なかつた。歸らうとすると、
「まア、一杯やつて行き給へ。」と引きとめられ、止むを得ず暫らく腰を落ちつけた。
 然しそこを出てから、途々考へると、北劍はどうしても敗殘者だ。一方には、遠藤を初め新進の人々がずん/\出て來た北海道に於いて、渠等の不得意な筆戰場裏に再び立つのなら知らず、直接に政治界へ乘り出す如きことは、とても出來さうに思はれない。
 そして、義雄も亦自分がそれに類して行くのではないか知らんと思ふと、生存競爭、自然淘汰、優勝劣敗、適者生存、更らに進んで渠自身の所謂適者獨存などいふ言葉と共に、樺太の山林が目の前に浮ぶ。
 樺太全島の山にして、火事に會はなかつた個所は殆どない。多きは、二三度から四五度も燒かれたところがある。そして一たび山火事があると、その跡に先ず白樺が生える。それが育つと、その陰に椴松とどまつ蝦夷松えぞまつの芽ばえが出る。そして、それらの松の大きくなるところには、樺はその繁殖を停止してしまふ。その松林が燒けるとバラやイチゴや羊齒しだ類の坊主山になるが、そこに少しでも熊笹の根があると、すべてがこの笹の繁殖の爲めに征服されてしまふ。
 すると、また考へが人種問題ともつれ合つて來て、樺太のギリヤク人種やアイノ人種は白樺のたぐひで、同島に權力を振つてゐた露西亞ロシア人は松の種族だ。それが日露戰爭といふ山火事に遇つて、バラやイチゴや羊齒に當る日本の軍人、漁師、土方などが入り代り、それがまた熊笹に當る着實な日本人に統轄されかかつてゐる。
 草木は草木で競爭し、人種と階級は人種と階級で競爭し、人間はまた獸類と競爭する。北海道には、狼がゐなくなつた。それは一時道廳が懸賞を以つて退治したにも由るが、その最もおもな原因はアイノが狼の食とする鹿を取り盡したことだ。そして、そのアイノを今や和人が窮追して、敗殘劣等の人種にしてしまつた。
 義雄は北劍の落ち入つてしまひさうな運命に思ひ合はせて、自分も渠と共に第二のアイノ人の部類に這入つた樣な幻影を浮べたが、その滲憺たる幻影の中にも自分はまだ最後の努力をしてゐるのを心丈夫に感じつつ、大通りに添うて東に進み、北一條に曲り、東二丁目に、遠藤の指定した人を訪問する。

十四


 遠藤の指定した畑中新藏の家も、遠藤のと同じくなか/\門戸を張り、部屋々々もその體裁を飾つてあるが、遠藤の樣な實力がないかして、どことなく、義雄に空虚を感じさせた。床の間にかけた抱一はういつも本物らしく受け取れない。
 おほきな瀬戸の圓火鉢を挿んで、主人の新藏は義雄と相對したが、肥大なからだに肥大な聲、挨拶振りが如何にも横柄なので、この田舍者め、おれをまだ知らない、な、と義雄は第一に輕蔑の念が生じた。そして、
「實は、遠藤さんからのお話があつたので來たのですが、どうです、あの件は見込みをつけて、やつて呉れられますか?」
「見込みがあるから、お目にもかかりたいと云うて置いた。」
「なアに、僕もお宅へあがるのはわけのないことですが、これまでにいろんな計畫がすべてぐれたので、今囘のも、どうせ、當てにならなければ、初めから御相談するまでもないのです。君に方針がついてゐれば、一つ、やつて見たいと思ふだけです。先づそれから伺ひたい」と、義雄の熊度が普通に相談を持ちかけて行く人々の樣でなかつた。
「そりやア、君」と、畑中は少し狼狽して禿げたあたまを一つさげて見せて、「いよ/\やり出せば、大事業と云はねばなるまい? さう性急に云はないで、ゆツくり話して見ようぢやないか?」
「無論、御方針のつくことなら、御相談したいのです。」
「實は、わたしもいろんなことをやつて見て、失敗つづきなのぢやから、さういふ突飛なことで一儲け恢復をしたいと思うてをるので――」
「では、申しますが、それも遠藤さんに話して置きましたから、大體御承知でせう。注意してやりさへすれば決して損のない事業です。」義雄は先づその大泊おほどまりから明き屋を買ひ初め、それをそのままにつぶして船につみ込み、小樽なり、函館なり、青森、酒田、新潟なりへ運ぶ順序と手段とを説明する。そして、マオカなどは自分が實際に行つてよく知つてゐるから、種々の便利があることを語つた。
「何囘にも切つてやれることぢやから、先づ、買ひ占めに一萬圓と見て、あとは船ぢや――汽船は金がかかるし、まア、うまく相談がつけば、帆前ほまへぢやが――」
「無論、帆前船ならいいでせう――然しそれも費用がかかり過ぎると云ふなら、少し大きな和船で間に合ひます。」
「そりや、それでもえい、なア――船の方には、關係がないことはないから、一つ、當つて見ませう――兎に角、よく考へて見ねば事業と云ふ奴は兎角越中ふんどし的だから、なア。」聲高く「は、は、は、は!」と笑ふ。
「何がをかしいんだ!」義雄は心で矢ツ張り輕蔑をつづけ、わざと、圓い目をして主人を見守つたが、また、ほんの、おつき合ひに口だけゆるめて、微笑をする。そして、「では、どうか、御熟考を」と、そこに力を入れて、「願ひたいものです。」
「承知しました――よく考へて見ませう。」新藏はこれで用談は濟んだと思つたのか話頭を轉じて、その態度をうちくつろがせ、「わたくしも日露戰爭の時には儲けそこねました。」或筋から内命がだつて、露領の沿海州まで、日本ではまだ本當にやつてゐない遠洋漁業の組織で密漁船を出す計畫を、自分が仲間に這入つてやりかけたこと。密漁と云つても、軍艦が保護して呉れると同時に、その獲物は直ぐ軍艦の食糧に買ひあげられる筈になつてゐたこと。安全に利益を占め得られるのだから、汽船持ちを説きつけて、いよ/\出發するまぎはになつて、平和談判に終つてしまつたこと。などを語つた。
 然し義雄は新藏が現在何をしてゐる男であるか分らずに引き取つた。
 義雄はそこを出て北海メール社へ行き、自分の歸札きさつを報告がてら天聲に會つた。そして、
「僅かの旅費を送つて呉れたら、釧路くしろまで行つて來られたのに。」義雄が責める樣に云ふと、天聲は、
「なアに、僕は心配したのだ。遠藤君にも會つて聽いて見ると、帶廣までに君の爲めばかりに小百圓もかかつたから、またさう使はれたら困ると云うて、社が早く呼び返せと云ふので、あの電報を打つたの、さ」
「社としては、初めの二十圓しかまだ出してゐないぢやないか? それに、僕はただ一囘幌泉ほろいづみで遊んだ切り、何も無駄な使ひ方はしなかつたぞ。」
「それはさうだらうけれど――」
「無論、君のせゐぢやアないが、餘りメール社がけちだ、人のふところを目あてばかりにして、さ。――然しさう分れば、それでいいが、實を云ふと、君が帶廣へ二日間も返電をよこさないので、癪にさはつたから、原稿を中止しようとも思つたのだ。」
「まア、さう云はずに、僕の心配も思つて呉れ給へ。それに、社長が歸れば、また何とか考へもあらうから――」
「然し、そりやア當てにならないよ。ここの社長が歸つて來れば、僕も會つて置くことは置くが、餘り勢力もなく、またけちだから、社が却つて持てないのだと云ふではないか?」
「そりや、事務の方がけちなのだ。考へても見給へ、二三年間に二度も燒けて、兎に角、これだけの新築が出來たのではないか? 月々の發行部數で云へば、優に毎月儲けてをるのだが、負債を返してをるのだ。」
「そんなことアどうでもいい、さ――然し、僕は僕自身の旅行中にやつて來たことだけを、君にしろ、社にしろ、正當に認めて呉れたら、それだけで先づ滿足だ――東京の一文士――僕は文士と云ふ名詞を嫌ひだが――それが、社や道廳や人の金で、諸方を喰ひつぶしてまはつたと思はれるのは御免だから、ねえ――」
「そんなことはない――君の行つた跡、行つた跡へ新聞を無代配布もしたし、世間でも評判がえい樣だ。留守中の社長代理も面白いとめてをつたぞ。」
「讃められるのが僕の目的ぢやアない――僕は、貧乏な社が僕に盡しただけの金錢と勞力に相當した働らきをしたと、認められればいいのだ。」
 かう云ふ話をして義雄の心が多少落ちついてから、暫らく旅行中の話に移り、帶廣で天聲の名がちよツと役に立つた切り、ほかでは、決してそれを出さないで濟んだこと。旭川でも、メール支局の主任は既に陸軍演習の地に向つた留守で、却つて、反對の新聞社に紹介して貰つて、アルコール釀造場を見たこと。十勝原野や神居古潭かもゐこたんの紅葉がよかつたこと。北海道の智識は天聲よりも廣くなつただらうといふこと、などがあつた。
「それから、思ひ出したが、浦河に歡迎會があつた時、頻りに君のことを聽いてゐた藝者があつたよ」と、義雄は天聲の顏を見る。
「誰れだらう?」天聲は得意げに首をひねる。
月寒つきさつぷにゐたらしい――」
「分らない、なア――」
「おい。」義雄は應接室の椅子を立つと同時に、天聲の肩を不意に輕く叩き、「唐變木の木強漢も、なか/\油斷がならないぞ。」喜ばせ半分にかう云ふと、
「さう、さ」と、天聲もわざと反り身になつて、武骨な澄ましかたをする。
 それから、渠は北海實業雜誌社へ行つた。氷峰は空知そらち支廳へ出頭して留守だ。用向きを聽くと、昨日、公布された同支廳管内の山林拂ひ下げの一部を受けようとする運動だ。渠も亦いよいよ窮して來て一かばちかの勝負を仕出した、な、と義雄は微笑した。
 雜誌の第二號も、社長の川崎がまた禿安はげやすの手を經て苦しい工面の末、漸く昨日印刷屋の手を離れると同時に、發送濟みとなつたさうだ。會計の話によると、地方の廣告料並びに雜誌代を收集すれば、樂に第二號も行く筈であつたが、氷峰が初號からさうけちな催促をしてゐては、社の體面と信用とに關するからと云つてほうつて置くさうだ。
 それを會計が、頻りに川崎から小言を喰ふと云つて、こぼした。義雄も初めから氷峰のやり方を緩漫とは見てゐたが、會計をなだめるつもりで、
「まア、氷峰君の考へもあるだらうから、やらして置き給へ」と云つた。そして、自分の短篇小説『金』といふものが載つてゐる雜誌を二三部取つて、有馬の家へ歸つた。

 勇は學校から歸つてゐたので、渠を捕らへて義雄はお鳥に語るべきことを間接に渠に語り、遠藤が相當な金を出して呉れたことが分ると、お鳥は直ぐこれから兄のところへ行き荷物を取つて來るから、あすからでも病院に入れて呉れと云ふ。
「それがいい、ね。」勇はお鳥に云ふともなく云つて、どことなく、もぢ/\して義雄の顏いろを伺つてゐたが、「それで、こないだ中から話したかつたのだが」と、急に固くるしい口調になり、然し下を向きながら、「僕も君が暫らくだと思つてとめてゐたが、ね――」
「‥‥」いよ/\出たと、義雄は目をきよろつかせたが、わざと平氣で聽く風をしてゐると、お鳥の方が渠に代つて顏を眞ツ赤にして、額にしわを寄せる。
「長くもなるし、またお鳥さんが入院したら、その近處にゐる必要もあるだらうし、だ」と、勇は脊を延ばして義雄の顏を見た。然し、云ひにくさうにまた横を向き、煙草にまぎらせながら、
「僕の方も君が知つてる通り餘裕のある暮しではないから――さう/\世話もしてゐられないし――云つて見れば、まア、斷わりたいのだ。」
「よし、分つた。」義雄もはツきり答へて、「これから直ぐ僕は下宿屋を決めて來る! 然し君に斷わりを云つて置かなければならないが、君の家にも隨分世話になつたから旅行前に渡したかはせだけで間に合はないかも知れないが――」
「いや、あれは出來次第返すよ。」
「返せと云ふのではない、僕の札幌滯在が長くなつたのは長くなつたが、氷峰君のところにゐた方が多いので、それでなければ、遊廓で――その多い方にもまだ禮はしてないくらゐだから、君の方も待つて貰ひたいのだ。」あんにあれだけやれば十分ではないかと云ふ意をほのめかした。
「さう惡く思はれると、困るが、ねえ――」
「惡く思ふのではない、さ、はツきりした區別は立てて置く必要がある。無論、友人としての間がらは金で勘定は出來ないが、僕に對する有形的な關係は、僕も都合がよくなり次第埋め合せをつけるつもりであつたから。」
 この話がある間、お綱さんは用にかこつけてか、裏の方ばかりにゐて、出ては來なかつた。
 お鳥も、一つには、義雄の出て行つた留守を獨りでここにはゐづらくなつたのだらう、直ぐ出る汽車のあるのを幸ひ、――あす、でなくば、あさつて歸る約束で、――兄の方へ立つた。札幌區立病院に這入ることは、かの女がけさ行つて既に獨斷で決めて來た。そして、そこの三等室なら、森本春雄も這入つてゐて、義雄はよく知つてゐるので、賛成した。
 義雄はその病院の前にある下宿屋の、四疊半に爐を切つてある部屋を約束した。そこへ荷物――と云つても、づツくの革鞄かばんだけだ――を運んでから、前の病院へ春雄を見舞つて見た。
「意外に經過の長いには困つたよ。」春雄はまだ寢臺の上に寢てゐて、話をする。然し鼻を中心にした顏中の繃帶は取れてゐた。「かう長くなるなら、今年の精算をしてから這入るのであつた。にしんの方が十五萬圓、鮭鱒けいそんの方が五萬圓、それがどうしても四五萬の利益はあがつてをる筈だが、どうも、まだ精密な勘定が出來ない。」
「然し、もう、よささうではないか?」
「もうき退院が出來るが、大將は遊んでばかりをつて、僕にまかせ切りで困る。今、釧路くしろへ行つてるが、あすぐらゐここへ來る筈だ、――會ひ給へ。」
「會はう」と、義雄が答へたが、丁度その松田が來るのを幸ひ、森本から云はせて少し金を借りるつもりである。實は、お鳥が來て、かう/\いふ次第だとうち明け、遠藤から借りただけでは心細いし、そのうちには、何とか道がつくからと云ふ。
「兎に角、話して見よう。――然し、君のにも會へる、ね」と、春雄は笑つて云つた。
 然し義雄はそれには餘り立ち入らず、旅行中に見たかしはの皮剥ぎ並びに澁取りの新事業や、アルコール製造場のことや、牧場や未墾地の遊んでゐるのが多いことや、火山灰の利用方法などを話すと、年若い春雄の心は踊つて、
「早く獨立して、僕も何かやりたい」と云ふ。渠はおほきな漁場の帳場をあづかつてゐるだけに、僅かの給料で束縛されてゐるのが面白くないといふ心持がそのたださへ血の氣の少い病顏にも見えた。
 そして、その無聊ぶれうの感に湧き立つ若い血が、春雄の繃帶の取れた跡の青い顏にほとばしつたのを見て、義雄も亦、自分の深い胸の奧に於いては、溜らないほどの競爭心をふり起した。

十五


 札幌區立病院は、――義雄が有馬の家から散歩がてら出ると直ぐ横手に當るので、這入つて時々瞑想に眈つたことがある農科大學附屬博物館の、はびこつた牧草や、脊の高いアカダモや、ドロや、柳やの多い、その廣い構内の東南端に接して、――北一條七丁目の一廓の、廣く長く、まばらな鐵柵をめぐらした中に立つてゐる。白塗りの大きな西洋造りである。
 この嚴格な建て物の正門に向つた粗末な一下宿屋に、義雄は陣取りをきめたのである。渠の好きな錢湯も、その隣りに床屋つきで、直ぐそばにある。而も、それは渠が樺太から有馬の家に着して、初めて、久し振りに、東京に於けると同じ樣なくつろぎを以つてそのからだを洗つたところである。旅で隨分延びた髮を五分刈りに刈らせ、入浴して來てから、義雄は夕飯に初めて自分の下宿屋のめしを喰つた。
「お鳥はまだ汽車の上だらう」と考へて、自分の獨りが寂しくなる。火がつくと、直ぐまた宿を飛び出し、その北一條通りを右へ一町ばかり、巖本天聲の家を過ぎ、左りへ曲つて、道廳構内の白楊樹下を、今は、もう新らしい感じを起さないと考へながら通り拔け、それから北四條一丁目の氷峰の社へ行つて見た。渠は今、岩見澤から歸つたところで、編輯室に於いて、和服できんたま火鉢をしてあたつてゐる。
「さう寒いのか、ね?」義雄が不思議さうに聽くと、
「なアに」と、氷峰はにこつきながら、髮を分けてもないのが芥子坊主けしぼうずの樣に見えるあたまをくるりと一つまはして、ぬツと義雄の方へ顏を向け、「北海道人はこれがただ習慣の樣になつてをるのぢや。」かう云つて、まだその腰を動かさない。
「どうだ」と、義雄はそのそばにあぐらをかき、「山林拂ひ下げはうまく行きさうか?」
「土曜日であつたから、おくれて駄目よ――空知支廳長の宅へも行つたが、來客が多いので、ゆツくり話も出來なかつた。」
「支廳長は忙しいものだ」と、そばにゐた一社員が云ふ。
「なアに、あいつらは新聞雜誌記者にはあたまがあがらない、さ――わざと安く拂ひ下げなどして、自分等がその間で口錢取りの樣なことをやるのぢや。少しおどしつけて、えい土地を取つてやらうと思ふが、あの勢ひでは駄目ぢや。松本雄次郎も行つてをつたし、遠藤長之助も渡りをつけてをるらしいし、その他にも道會議員を初め、山師連やましれんが押しかけてゐるらしい。ほんの、形式ばかりの公布など出た時は、もう、遲い。あいつ等は丸で乞食こじきも同樣ぢや。祝ひごとがあると、さア、この時ぢやとぬかさんばかりに、われ勝ちで集つて行くのぢや。」
「それくらゐに運動しなければ、北海道の樣な新開地では、生存競爭が烈しいから」と、また別な社員が云ふ。
「獨り北海道ばかりぢやアない。」義雄はそれに附け加へて、「人生はすべて新開地だ。」
「直ぐまたお説法か?」氷峰は火鉢を下り、坐わつて、卷煙草に火をつけながら、「時に、いつ歸つた」と云ふことから、自分の知つてゐる人々や場所などの新聞を義雄から聽き取り、「雜誌の評判はどうか、な?」
「惡いことはないが、兎に角、あやぶまれてゐる、ねえ。日高でも、帶廣でも、十分肩を持つて置いたが――第二號も出來た、ね」
「出來たのは出來たが、金の寄らないので困る」氷峰は顏をまたくるりとまはして、眞面目になり、
「然し勢力が出て來たには相違ない。うちの雜誌の影響に違ひない、週刊や旬刊の雜誌體の新聞は、北星でも、北海新聞でも、みなつぶれてしまつたから――」
「ぢやア、北星の呑牛君はどうしてゐる?」
「あれは表面は休刊ぢやが、呑牛は道會の議長つき書記に旱變りして、羽織袴でこつ/\かよつてるよ。――それに、北海新聞の廢刊が面白いではないか? あの雪影がやつて來て、廢刊の辭をみなに書いて呉れと云ふから、呑牛と僕とで『廢刊を祝す』と書いてやつた。それをそツくり載せる奴ぢやから、人に馬鹿者にされるの、さ。」
「寛大なのだらう。」
「なアに、あいつは嬶アを女郎に賣り飛ばして、お多福の樣なハイカラ記者にくツついてをつたらえいのぢや。」
「可哀さうに!」

「會うて見れば脊が高い上に、ちよツと立派な風采をしてをるから、人が胡魔化され易いが、北星で嬶ア事件を素ツ破拔いたら、呑牛のところへ談判に來て、呑牛の前で泣き出したさうぢや。」
 社員どもはそれを聽いて笑つた。義雄も自分の歡迎會が西の宮支店であつた時、菅野雪影なる人物に會つて知つてゐるから、雪影があののツぽなからだでと思ふと、ふき出さざるを得なかつた。
「君の歡迎會の時も」と、氷峰はなほ調子に乘り、「あの社だけは入れないといふ動議もあつたのぢやが、人數が少いと困るから入れて置いたら、席順が低いというて、おこつて歸つたのぢや。」
 こんな無駄話を氷峰がやつてゐると、休刊北星の主筆高見呑牛が氷峰の言葉通り羽織、袴でやつて來た。
「今頃、どうしたのぢや」と、氷峰が聽く。
「この頃、道會が内輪に妙な喧嘩があるので」と、呑牛はランプがまぼしい樣に目をぱちくりさせながら、「うるさくつて困る。相談や、寄り合や、仲裁でけふも今までかれこれしてをつた。」
「何ぢや?」
「なに、はんか臭いこと、さ――僕が今でも新聞を持つてをつたら、いい種だが、なア。」
「君ア早變りしたと、ねえ」と、義雄は口を出す。
「おお、まア、かういふありさま、さ。」呑牛は兩手を擴げて、自分を見まはす。そして、「遠藤はどうであつた、ね?」
「感心に奮發してゐたよ、宿屋などでもなか/\持ててゐた。」
「あれは、兎に角、今度の地盤を固めて置く必要があるから、どこへ行つても、ぬかりのない人物だ。」
「おれも一つ」と、氷峰は煙草の灰を拂ひながら、「あれを賛助員にでもして、少し金を出させたいのぢやが――」
「今、ないらしいよ――數日前に、勸銀から三千ばかり借りたさうだ。」
「いや、それで思ひ出すが」と、義雄は云つた。「その金で多分馬を買つたのだらう。新冠にひかつぷの御料牧場で、丁度、その金目ぐらゐの拂ひ下げ馬七八匹を約束してゐたらしかつたから。」
「あれほど、また、馬の好きな奴も少いから、なア」と、呑牛は相變らず目をぱちくりさせてゐる。
「馬の話でも」と、義雄は氷峰に、「先づ記事の材料取りに行つてやり給へ。」
「それも考へてをるが、もう、ないか知らん。」
「誰れも現金をさう長く持つてゐない、さ」と、呑牛、「松本雄次郎だツて、持つてをる時行くと、きツと出す奴だが、ねえ、ないと來たら、あれほどまた貧乏な議員もない。」
「それはさうと」と、義雄は呑牛に向ひ、「畑中新藏といふ人を知つてるか、ね?」
「ありやア名うてのおほ山師だ」と、呑牛は直ぐ答へた。「あいつは全體何をしてをるのか、誰も知らん。」
「實は、遠藤の紹介でけふ會ひに行つたのだ。」
「そりやア、あいつより見れば、遠藤はずツと眞面目だ。」
「僕もさう見て取つたが、多少山師でなければ乘つて來ない話で」と、義雄は渠に相談した事件を説明する。
「君も」と、氷峰が義雄に、「そんな山を計畫するやうになつただけ、話せる、なア。」
「然しあいつは」と、呑牛、「あぶないぜ――今、訴へられてをるから、なア、詐欺取財で。」
「そりやア困る、ねえ」と、義雄は云つて、明き屋買ひ占め事業も亦駄目かと失望する。
 呑牛は新藏のこれ(と鼻を指さきではたいて)が殆ど本職の樣で、自分もそれにかけては負け勝ちだから、五錢白銅をころがし、おもてか裏かの當て合ひで、こないだ、小拾圖も卷きあげてやつたことを白状した。そして、あいつ等はまだ知らないが、白銅は字のある方が重いので、それさへ知つてゐれば、誰れでもやつて見給へ、十囘に九囘までは裏が當るものだといふことを説明した。
「さうか、なア」と、氷峰はひまにまかせて白胴を出して試めして見る。それをころ/\ツと投げ出すと、それが右か左りの方へころげて行つて、ぱツたり倒れて裏が出る。また、ころがすと裏が出る。すると、義雄や社員も亦面白がつて、われがちにそれを眞似した。

十六


 義雄は、學校時代を、東京では父の家からかよつたし、仙臺では多く自炊して送つたので、下宿屋生活を却つてこの四十近くになつて初めて經驗するのである。
 ゆうべ一と晩は、兎に角、書生に返つた樣な氣がしてしをらしく過した。けふは晝頃に目を覺ましそれから遠藤の「日高膽振觀」を書き出したが、筆を運ぶ間に、一つには、雨降りで、何となく寒い爲めでもあらう、氣がゆるむと同時に、由仁ゆにへ行つたお鳥のことが思ひ出されて、なかなか段落が進まない。
 病院に入れるは入れるとしても、あの一年ばかりも慢性になつた病氣がさう早くきまりのつくものではない。或は全く永久の慢性になつたのかも知れない。さう云ふ不具な女と一緒になつてゐたところで、義雄自身の機能はさういつまでも空しく滿足してゐることは出來ない。
 寧ろ會はないうちは、渠は、旅行中で、再び自分の胸に飛び込んで來ようとするのを早く見たくて、見たくて溜らなかつたが、いよ/\再會して見ると、ただ厄介物に取りつかれた樣な氣にもなる。
 然し數週間入院するだけの分は與へてあるのだから、今、かの女が兄のところへ行つて留守なのを幸ひ、逃げてしまはうかとも考へられる。
 今度逃げ隱れをすれば二囘目だ。第一囘のは加集のところで自分が見附かつた。そして、そこをもふり切つて出たのが、かの女と加集と關係する初めであつた。今度ふり切れば、關係者は誰れだらう?
 勇にはその勇氣があるまいし、氷峰も亦そこまで行つてはゐないし。つまり、かの女がまだそんなことに進むまでの親しみを持つてゐるものは、札幌にはゐない。きツと、止むを得ず、兄のもとへ歸るにきまつてゐる。
「兄に歸れ、兄に歸れ」と、もう、さう決心したかの如く心で叫ぶと、おも荷をおろした樣に身が輕くなつた氣がする代り、自分と女なる物との間に、非常に大きな罅隙かげきが出來た。
 その罅隙は、義雄自身には、暗い死の影におほはれてゐる三途さんづの川の樣だ。深さも知れない底の底で、闇から闇へ通り過ぎる記憶といふ水が、がう/\と流れてゐる。その音を越えた向う岸には、美しい女が熱もなく光りもなく立つてゐるが、そこへ渡る掛け橋が絶えてゐる。
 然しそれは不思議でないと思ふ。橋とは自分の熱心であつたのだ。自分には今熱心といふ物がない。お鳥に對しては勿論、敷島に對してもさうだ。義雄は敷島に約束通り繪ハガキを一度送つたきりだし、かの女も亦義雄の留守に手紙を一度よこしてあつた切りだ。
 義雄は敷島の手紙を、お鳥に見られない爲め、きのふの朝、かはやへ這入つて讀んだが、それは渠を引きつけるだけの力がなかつた。ゆうべも、行きたいのをやめたのは、必らずしも遠藤から借りた金をそツくりお鳥に手渡ししたからばかりではない。女は旅行するといふのを半ば信じてゐないのだ、最後に別れた日の翌々日出した手紙の文句も冷淡で、ただ申しわけに、
「もう、旅からお歸りで御座いますか、ちと遊びに來て下さい、待つて居ります」と云ふのであつた。
「ああ、女はいやだ」と云ふ樣な氣で、然しまた思ひ出したりしながら、膽振日高觀の原稿を書き上げたのは午後六時であつた。遠藤の招待時間に一時間後れたわけだ。

 西の宮支店と云ふのは、義雄の歡迎會があつた中島遊園の料理屋で、その札幌の市中のはづれへ、南十數町の道を、渠はしよぼ/\雨ををかして、徒歩で行つた。日高や十勝を馬上で巡囘して來た渠は、今や、その馬も同樣なみじめさだ。
 見おぼえのある女中も二三名はゐるが、名も知らない十名ばかりの小學教員どもは、もう醉ふだけ醉ひ、喰ふだけ喰つたらしい形勢で、主人役の遠藤を捕へて、鹿爪らしく返禮の盃を獻ずるものもあれば、意表外に道化だうけて一座を笑はせるものもある。
「まことに結構な御馳走にあづかりまして、わたくし共は滿足に存じます」と、痩ぎすな、立派な頬ひげ、あご鬚の、年長らしいのが云ふそばから、
「なアに君、さう眞面目腐らんでも、遠藤さんはすゐなお方だよ」と、太つた禿げあたまの男がまぜかへし、「ねいさん、まア、さうぢや御座いませんか?」そばにゐる藝者に向つて、變挺へんてこな手つきをして見せ、愛嬌に酒をついで貰ふ。
 義雄は、遠藤によつて一座の人々に紹介されてから、渠に「道會議員遠藤長之助氏の」と割註わりちうした「膽振日高觀」を渡し、猪口ちよくを手にし出す。すると、鹿爪らしいのが先づ挨拶にやつて來て、
「われ/\は北見の田舍者ですから、かういふところへまゐりますと、多少面喰らふ方で」など云ふ。
「まア、君」と、また禿げあたまがやつて來て、「どうせ、廣告はせんでも、田舍者には決つてをるのぢや。どうか、田舍者でもあしからず――さア、うは髯の先生、五分刈りの旦那、一杯どうです」と、義雄に猪口をさす。
 義雄は、教師に經驗を持つてゐるが、不斷に先生と呼ばれるのが大嫌ひの性分だ。その上に、「うは髯の先生」とか、「五分刈りの旦那」と來ては、なほ更苦笑せざるを得ない。然し醉ひがまはつてゐるのだと思へば、遠藤の態度と同じくそれを許して、心よくその猪口を受けた。
 教員どもが皆歸つてから、巖本天聲がやつて來た。他にも招待があつたとかで、珍らしく醉つてゐる勢ひで、遠藤が若い藝者どもをからかふのにつれて、鞠子まりこといふ一人を捕へ、
「鞠ちやんばかりは僕の理想の藝者です」と、遠藤や義雄に改まつて紹介する。義雄は天聲がまたへまなことを云ふ、わい、と思つたら、果してほかの藝者どもが互ひに顏を見合はせて、冷笑の樣子を見せた。
 天聲は幅を利かせることが出來る北海メールの主筆でありながら、さう野心のない男なのだらう。遠藤の樣な多少知られてゐる、而もメールを利用しようといふ考へが十分にある人を、これまで直接に知らなかつた。義雄の旅行事件からして、天聲は、今夜、初めて遠藤に會つたのである。
 義雄は、天聲に、遠藤の調査の結果は書きあげて今渡して置いたが、新聞紙上には、筆者の名は出さず、また出されたくもないので、メール社の訪問記事とした方がよからうなど云ふ注意を與へ、別々に車に乘つて歸路についた。
 雨がどしや降りになつた夜だ。
「この毎日の樣に降る雨が、直ぐ、もう、雪に代るのです」と、遠藤が云つたのを思ひ出して、義雄は自分なる物が段々冷淡になつて來たのをおぼえると同時に、北海道の天地も段々冷えて行くのをいよ/\切實に感じて來た。
 今夜の禿げあたま教員の態度も面白くない。天聲の野暮な言葉も面白くない。自分の止むを得ず生眞面目であつたのも面白くない。さりとて、また、これから下宿屋に歸つて――多分、お鳥はまだ來てゐまい――獨りで寢るのも面白くない。然し、
「一つ、最後と思つて、敷島を見舞はう」と思ひつくと、車が薄野すすきのの仲通りへ來た時は、どうしても、それを中央の四角から一つさきの角を左りへまがらせずにはゐられなかつた。

 井桁樓を思ひ出の多い柳の裏門からあがると、番頭は義雄をおもて二階の廣間へつれて行つた。
「また、まはし部屋に寢かされるのだ、な」と豫想すれば、いツそ歸つてしまはうかとも思はれる。
 實は格子さきに立つて、金がないからと、かの女を試して見ようかとも思つた。然し、それは、いつか、かの女に云つて聽かせられた手であるから、かの女の方が却つてよく承知してゐることで、即座に
「その手は喰はぬ」と云はれては馬鹿を見るばかりだと、思ひとまつたのである。
「‥‥」
 ばたり/\と、けだるさうな草履の音をさせて廣間のそとへ來て、するりと唐紙を細目にあけ、敷島は中をのぞいた。そして、義雄がインバネスを頭からかぶり寒さうにしてゐる顏を正面に見たので、「おや、あなたであつたの。」つか/\這入つて來て、例の大きな長食卓を挿んで、相對する所に坐わり、微笑しながら、「いらツしやいまし。」丁寧なお辭儀をする。そして女が顏をあげて、じツとこちらを見てゐるところで義雄はただ無言で、にこ/\しながら考へた――今夜切りで、この後は來られるか、どうか分らない。が、女がこれまでに見せた通り、實際に自分を思つてゐるか、どうか、最後の試しをしてやらうと。
「とまつて行くの、これから」と、女が云ふのをしほに、
「さア、どうしようかと考へてるのだ。」
「折角、來たのに」と、かほ色がかはる。その變つた顏を見つめながら、
「相變らず、お前の左りの耳の下には引ツつりだこがある、ね。」
「大きにお世話です――これは梅毒からではない、ニキビのかたまりだと云つてあるのに! あなた、本當に歸るの?」
「うん」と、煮え切らない返事をして、暫らくまた無言で、女と顏を見合はせてゐたが、「實は、金がないのだ。」
「うそ、うそ。十分飮んでゐる癖に」と笑ひながら、「ぢやア、またまはし部屋だと思つて、よそへ行く氣だらう?――今夜のお客さんは早く歸ると云うてたから、あとで明きます、わ。」
「おれは、もう、まはされても、何でもそんなことには搆はない、さ。」
「それだけ、あなたの心が冷えたのでせう?」
「なアに」と、云ひ當てられたのを胡魔化すつもりで、「氣候が寒くなれば、それだけ、普通の人間なら、冷える。」
「へい、不思議です、ね。」
「‥‥」こちらはまた言葉のつぎを失ふ。
「本當にないの?」
「ないから、ないと云ふの、さ」と、眞面目腐つて答へる。
「では、わたしに何とか工面くめんせいと云ふの?」
「まア、さうでもして貰はなければ、歸るより仕かたがない。」かう云つて、女の心を見るのはここだとばかり、女の細い目の中を見つめる。
「この不景氣に、女郎が金など持つてるものか、ね?」
「現金はないとしても、さ」と、女の所謂不景氣は實際で、東京の去年あたりからの不景氣が、北海道では、やツとこの頃その絶頂に達してゐるのを思ひ合はせたが、
「お前が責任を負へば、何でもないぢやアないか?」
「責任を負ふと云へば、わたしの衣物きものを質屋へでも持つて行かせるより仕やうがない――それにしても、もう、遲いから駄目ですもの。」
「行かして見ればいい、さ。」
「もう、十一時を過ぎました。質屋は十一時までしか明いてをりません。」
「ぢやア、今夜に限らない、とまつてゐるのだから、夜が明けてからでいい」
「そんなことが出來ますか、わたしとして? 何ぼ好きな男の爲めとしても、朋輩から笑はれます。」
「笑はれたツていいぢやアないか!」
「あなたはいいか知れませんが、わたしの稼業かげふの爲めにはなりません。」
「だから、歸る、さ」と、強く叫ぶ。
「本當にないの? うそでせう?」
「うそなら、見るがいい、さ」と、お鳥が編んで呉れた毛絲の巾着きんちやくを出す。
「敷島さん、お膳はどうします?」番頭がかげから催促してゐる。
「まア、ちよつと待つて下さい。」女は大きな聲を出したが、義雄のそばへまはつて來た。そして、
「うそでせう」と云ひながら、財布をあらためたが、五錢白銅と十錢銀貨としかないので、失望の樣子だ。その樣子をこちらは見て取り、商賣女めと思つたから、
「さア、歸る」と、立ちあがる。
「どうしても、歸るの?」女も立ちあがる。
 二人は立ち向つて、互ひに無言で目と目とを讀み合つた。渠は女の目にもツとうるみが出さうなものだと考へた。
「どうせ、生き別れだ。」女は曾てこちらの云つた言葉を思ひ出してか、斯う繰り返す。
「さきへ冷えたものがさきへ死ぬんだ。」かう、こちらもまたいつか云つたことを再び云つた。
「ぢやア、もう、來ないと云ふの?」
「縁――と云つても、金だらう――があつたら、また來らア。」
「では、また通り一遍のお客として、ね?」
「その方がお前を苦しめないでよからう。」
「あなたの爲めに隨分苦勞したのに――」
「うまく云つてらア、この馬鹿!」
「また!――馬鹿はおよしなさいよ。」
「馬鹿だから、馬鹿だ。」
「どうせ、女郎などしてゐるものは馬鹿、さ」
 女も名殘り惜しいと見え、男の言葉をかう云ふ風にあしらつてゐたが、例の見えか癖かを出して兩手をちよツと兩眼に當てた。そして思ひ切つたやうに、
「仕やうがないから、番頭さんに相談して見ます」と行きかける。
「おい、ちよツと待て!」こちらは女の心が分つたかの樣にして女を呼びとめ、「實は、持つてゐるよ」と、また火鉢のそばへ坐り込む。
「それ、御覽なさい!」女もそのそばへ來て、「人を馬鹿にしてる、ねえ――見せて御覽。」
「そりや。」義雄はチヨツキの隱しから五圓札を出した。これは、渠の留守中にお鳥が來たら小使ひにも困るだらうと思つて、旅行さきから天聲に頼んで置いた物だが、それがぐづ/\後れて、やつと今夜渠に會つた時に受け取れたのだ。「實は」と、女の肩に手をかけて、「お前がどれだけおれを思つてゐるか、試して見たの、さ。」
「そして、その結果は?」
「その結果は、矢ツ張り、お前が女郎で、おれが通り一遍のお客さ。」
「あきれてしまふ、ねえ、この人は!」女は斜めにそり返つて、男をにらむ樣に見ながら、「わたし、あなたを見そこなつてゐた。」
「おれもお前を見そこなつてゐたのだ。」かう云つて、インバネスをあたまから肩におろす。
「あなたはお客?」
「お前は女郎、さ。」
「では、もと/\ぢやありませんか?」と笑ふ。
「さう、さ、もと/\だ。」こちらもおつき合ひに笑ふ。
「苦勞しただけ損であつた。」
「然し損の仕直しは、もう、仕ない方がよからう――?」
「兎に角、あなたがさきへ冷えたのだから、あなたのお言葉に據れば、あなたがさきへ死んだの、ね。」
「おれには、お前がさきへ死んだのだ。」
「うそです、わ。」
「なアに、うそはお前の本職、さ。」
「この通り」と、腕をまくつて見せ、「血がかよつてをるのに?」
「さう、さ、おれに對する愛情のない血は、おれには死人の水だ。」
「情があつても、あなたが受けなければ仕やうがない、さ」
「受けられる樣に仕ないぢやアないか?」
「どうせ、女郎ですから、ね。」
「そして、おれはお客だから。」
 番頭がまた催促に來たのをしほに、二人は立つて、まはし部屋の方へ行き、そこで酒を酌みかはした。
 義雄は初めから醉つてゐたが、敷島はいくら飮んでも醉はないと云つて、自分が正宗の二合瓶を二三本どこからか工面して來て、おほきなコツプでぐい/\あふつた。
 女はそれでもまだ醉はない、醉はないと負け惜しみを云ひながら、ぐでん/\になつてとこに這入つた。

     *    *    *

「敷島さん、お客さんが歸ると。」かう、朋輩から呼び起され、女は、
「さア、しまつた」と云つて飛び起きて行つた。
 もう、午前九時近くだ。ゆうべの天氣とは打つてかはつて、立派な日が部屋々々を照らしてゐる。女が持つて來た新らしい楊枝やうじとしやぼんと手拭ひと――これには香水がつけてあつた――を持つて、獨りで、下廊下のいつもの洗面場に行く。廊下を内庭から仕切るがらす戸を通して、庭の池の金魚や緋鯉を見ながら、楊枝をつかふのもけふ限りだらうと思ふ。
 洗面場から玄關にとほつた廊下には、がらす戸に添うて、新らしく大根を――これが多くの女郎どもの食ひ物になるのだらう――重し漬けにした大樽がいくつも並んでゐる。それに日がよく當つて、ぬか臭い氣を發してゐるが、日の光りは東京に於ける冬の日の樣に弱々しいので、急にからだに冷氣が増すをおぼえて、義雄は東京の歳の暮が來た樣に心細くなり、同時にまた氣が急にいら/\して來た。
「かう浮か/\してはゐられない。」渠は顏を拭きながら、手拭ひについた香水のにほひを嗅いだ時にかう考へた。
 敷島は男を自分の本部屋へ改めて通した。蒲團を方づけ、障子を明け放つてよく風を入れ、火鉢の火と鐵瓶の湯とを持つて來てあつた。そしてさし向ひになると、女は、
「もう、これツきり來ないつもり、ね」と、少し考へ込んだやうに云ふ。
「‥‥」義雄は曾てここでだだをねた時、仰向あふむけに寢そべつて兩足をかけたことがあるのを思い出される黒塗りの箪笥が、相變らずよくてか/\と光つてることを考へてゐた。
「あなたのやうに正直な人に會つたことがない。」女はなほ男を見つめてゐた。
「さうか、ね」と、こちらも向うを見つめて寂しい微笑をする。思ひ起すと、二人が床に這入つてから、洗ひざらひ云つてしまつたのである。東京から妾が來て、けふ、あすのうちに入院する。その妾は置き去りにするかも分らない。然し樺太の事業が全く失敗だから、どうしても一と先づ東京へ引きあげるよりほかに道がない。都合によると、北海道にとどまることが出來るかも知れないが、それにしても、妾と手を切るのは勿論、お前を受け出してやると云つた約束も、この場合、取り消しだ、と。
「さう、はツきりと、おなかを立ち割つた樣に云うて呉れる人もないものだ――その心をわたし――」
「へい」と、渠は皆まで云はせずに茶化した顏つきを見せたが、あの時、かの女に對する一種の熱い同情が自分の目か顏かに現はれようとするのを隱したのであつた。
「‥‥」女も暫らく無言でゐるので、
「もう」と、渠の方から愛想を云ふのだが、聲が二つに割れて而もおも/\しい、「あの角の湯屋へも一緒に行くことが出來ない、ね。」
「さうでせうか?」女が素直に、まだ未練が殘つてゐるらしい樣子に見えるに附けても、思ひ出はそれからそれへと渡つて、こちらの胸には一杯に溢れて來るものがある。然し、過ぎ去つた夏や秋の如く、もう、取り返しが出來ない。再び女の心のあんなあツたかみに接する時は金輪際こんりんざいなからう。たとへ、自分なる物を見そこなつて、いたづらに愉快な、もしくは徒らに快濶な、つまり樂天的な男とし、女の絶えない苦勞を忘れようとするばかりに、一時惚れ込まれたのであつたにせよ、こちらの自己のうちに一時でも強く複雜な孤獨生活を高調させて呉れたのはありがたかつた。
 然しそんなことを云つて、別れの辭にしたとて、かの女に分らう筈がないと思へば、ただ自分が自分でこの感じを味はふよりほかはない。お鳥に對しても、亦、さうだ。自分が愛した女が自分の愛に十分に信じられなくなつた以上は、早くそれと自分の所謂「死に別れ」をして、自己その物の中に出來た分泌物――愛がなくなつた女は分泌物だ――を排除しよう。それが自己の強烈生活を保つ所以ゆゑんである、と。
 女は無言で入れた茶をこちらも無言で飮んだ。
「さア歸る」と、義雄は俄かに立ちあがる。
「もう、歸るの」と、敷島も亦電氣に觸れた樣につツ立つ。
 二人は手を固く握り合つた。
「縁があつたら、また寄つて頂戴。」
「然しお前は、もう、死んだのだ。」
「その代り、生れ變つてをるか知れません。」
「‥‥」何と云ふ頓智だらう? 女のさう云ふ悧發な點はなか/\こちらも思ひ切れなかつたのだが、ここでは、もう、あと戻りする場合ではなかつた。一層思ひ切つて、「その時ア、また、おれがお前を認めることが出來まいよ。」
 それツ切り、二人は共に二階をおり、裏玄關へ來た。
 義雄は下を向いて靴の紐を結んでゐながら、自分の後ろまでふところ手をして送つて來た女の耳たぶの下に在るニキビのかたまりが、いつも自分が氣にしていぢくつて見ると、やはらかであつたことを考へてゐた。

十七


 森本春雄は、まだ病院を退ける場合でないが、東京にゐる父が卒中で死んだといふ電報を受け取つたので、急に退院の手つづきを濟せ上京することになつた。
 それを知らせがてら、渠は義雄の下宿を音づれた。そして、
「うちの大將にも困つてしまふ。人が父を失つて心配してゐるにも拘らず、自分は勝手に飮みつぶれてゐて、一向、ことを運ばして呉れないのだ。」
「どこにゐるのだ?」
幾代いくよ流連ゐつづけしてゐるらしい。そして、釧路くしろまでもつれて行つた妾は、別に宿屋へ置いてあるらしい。無駄なことにはぱツぱと金を使ひながら、僕の大事件を少しも思つて呉れない。實に困るよ。」
「いつ立つ、ね?」
「實は、けふにも立ちたいが、頼んだ金があすの朝でなければ出來ない。それに、大將が、あす、或事業の相談で登別のぼりべつ温泉まで行くので、そこまでまはつて呉れと云ふし。室蘭線へまはつて、そんなことをしてゐれば、青森を出るのが、どうしても、あさつての晩になる。」
「そりやア、困るだらうが、主人のことだから、仕やうがなからう。」
「今夜も、飮みがてらやつて來いと云つて來たが、僕はいやだ――父が死んだと云ふのに、酒など飮んでゐられるかい?」
「それもさうだ」と答へて、義雄は春雄のわさ/\した樣子が少し落ちつくのを見計らひ、自分も歸京したいこと。女は置いて行くが、自分の歸京費さへないこと。春雄に工面を頼みたいのだが、さう云ふ場合だから、どうしても、松田に話して呉れろといふこと。などを語つた。
 その翌日、春雄は松田に幾代へ呼ばれ、そこから一緒に停車場へ行つた。
 午後二時の列車だから、義雄は見送りに行くと、春雄は止むを得ず飮ませられたと云つて、大分顏が赤くなつてゐる。そして、
「かういふ次第で、君の頼みを話す樣な眞面目な時がなかつたから、汽車に乘つてから話すよ。」
「ぢやア、ぬかりなく頼む――僕も小樽の宅の方へ手紙をやつて置くから。」
 そこへ、松田が熟柿じゆくしの樣な顏をして、よろ/\とやつて來て、「やア、失敬」と、天鵞絨びろうどベンチの上へどツかり腰をおろす。八月十五日に樺太から一緒に小樽に着し、また一緒に汽車に乘り、この停車場前で別れた切り、二人はけふが久しぶりだ。
「暫らくでした」と、義雄もそのそばへ腰をかける。「釧路からまた登別ですと、ね。」
「まア、温泉へでも這入つて來る、さ――時に、あの鑵詰事業の協同問題は失敬した、な。」
「なに、どう致しまして」と、義雄は輕く答へたが、この人さへ事情を酌んで、その樺太漁場につぎ込んでゐる資本の百分の一でも千分の一でも出してくれたら、何のことはなかつたのにと思ふ。そして、氣を轉じて、「いつ小樽へお歸りです?」
「二三日で、そしたら、少しやつて來給へ。」
「いづれ伺ひます――僕も、もう、歸京したくなつてるのですから。」
「然し、君」と云つて、松田は小指を出し、「これが來たて、ね。」酒臭い息を吐く。
「は、は、は」と、義雄は受け流した。然し手紙を出す都合もあると思つたから、お鳥が入院の件を直接に話した。
 松田の妾らしいのが、同じ二等待合室の向うの方に獨りで腰かけてゐるのを見たので、義雄は見送りをわざと改札口で失敬する。
 松田がプラトフオムをよろめきながら橋ののぼり口の方へ進むあとについて、女はまたちよこちよこ歩いて行く。かの女は今一度義雄の顏を見て置かうと思つてか、ちよツとふり返つた。
 その時まで、春雄は柵を隔てて、義雄と別れを惜しんでゐた。然しそれも、
「ぢやア、失敬」と云つて、離れて行つた。
 義雄は、それを見送りながら、春雄と云ひ、敷島と云ひ、自分の範圍が段々せばまる樣な心細さをおぼえた。そして松田と關聯して藝者お仙のことを思ひ出された。自分等と同船で樺太を逃げて來たり、自分等と小樽のはと場で別れてから、あの女放浪者はどこへ行つたらう? あの時、義雄自身も亦一種の放浪者にならうとは思はなかつたのである。ところが、今やこの自分の姿は放浪をとほり越して斷橋の行き惱みになつてゐる!





底本:「泡鳴五部作 下巻」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年7月25日発行
   1994(平成6)年1月15日3刷
初出:「毎日電報」
   1911(明治44)年1月1日〜3月1日
   「東京日々新聞」
   1911(明治44)年3月2日〜3月16日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、次の箇所では、大振りにつくっています。
「五六ヶ月」
※「じッと」と「じツと」の混在は、底本通りです。
入力:富田晶子
校正:雪森
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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●図書カード