本譯は、舊譯「ハムレット」とほゞ同時期に成つたものであるから、文語脈が多分に取入れられてある。今度の新刊に際し、誤植、誤譯、發音の誤り等を訂正すると共に、不調和を釀さぬ限り、耳遠い古風な語を現用のそれに近づけ、晦澁の譯語を除き、時としては、小註をも加へ、成るべく一讀の下に理解し得られるやうに、と望んだのであつた。ところが、實際となつては、種々の困難を感じた。
それには、二つの理由がある。
一つは、此作が作者の若書きであるため、總體に、實よりも華が、質よりも文が勝つてゐるから、譯もまた文飾を本位としないわけにはいかない。平明に譯すると、ほんの大意だけの移植となつて、艶も香りもないものになつてしまふからである。
次ぎに、此作の文飾は尋常一樣のそれではない。所謂ユーフューエズ體といふやつで、作者の青年時にはイギリス詞壇一般を風靡してゐた大流行の
其上、もう一つ厄介なのは弄語(語呂、地口)である。弄語は單に滑稽の爲ばかりでなく、口調を面白くするために使用されてあると考へられる以上、只大意だけを傳へたのでは譯とはならない。一讀の下に滑稽をも、また調子をも味はすやうにせねばなるまい。さう思ふと、勢ひ義譯をするより外に法はないことになる。
以上の困難のため、新修の結果が豫期通りにゆかなかつたことをお斷りしておく。
固有名詞の發音は、登場人名の表中には、ほゞ正音に近いのを掲出しておいたが、本文では、譯詞との調和上、二つには、從來呼び馴らされたを今遽かに改めるでもないと思つて、ローミオーをロミオ、ヂューリエットをヂュリエットとし、キャピューレットをカピューレットなぞとしておいた。かういふ例は他にも尚ほ有るものと諒されたい。
昭和八年七月十日
余丁町にて
譯者
〔備考〕 神話や傳説からの引喩は初學者には註釋なしでは解らない。さういふ人々の爲には、市河博士のロミオとヂュリエットの註釋書を推薦する。(研究社版)
〔備考〕 本書の口繪原色版は The works of William Shakespeare, edited by Sir H. Irving & F. A. Marshall, Vol. , 1906. より引用。
〔備考〕 本書の口繪原色版は The works of William Shakespeare, edited by Sir H. Irving & F. A. Marshall, Vol. , 1906. より引用。