其中日記

(一)

種田山頭火




 九月廿一日

庵居第一日(昨日から今日へかけて)。
朝夕、山村の閑静満喫。
虫、虫、月、月、柿、柿、曼珠沙華、々々々々。
・移つてきてお彼岸花の花ざかり
    □
・蠅も移つてきてゐる
近隣の井本老人来庵、四方山話一時間あまり、ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。
――矢足のが真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――
樹明兄も来庵、藁灰をこしらへて下さつた、胡瓜を持つてきて下さつた(この胡瓜は何ともいへないうまさだつた、私は単に胡瓜のうまさといふよりも、草の実のほんとうのうまさに触れたやうな気がした)。
酒なしではすまないので、ちよんびりシヨウチユウを買ふ、同時にハガキを買ふことも忘れなかつた。
今夜もよう寝た、三時半には起床したけれど。
・さみしい食卓の辛子からいこと
・柿が落ちるまた落ちるしづかにも

 九月廿二日

秋雨しめやかである、おちつかせる雨である。
其中一人とおさまつてゐると、身心が自然になごんでくる。
駅の売声がようきこえる。
跣足でポストまで、帰途、蓼を折つてきて活ける、野趣横溢、そして秋気床間に満つ。
百舌鳥が啼く、だいぶ鋭くなつた、秋の深さと百舌鳥の声の鋭さとは正比例する、いや、秋が深うなれば百舌鳥は鋭く啼かざるを得ないのだ。
  改作二句
・伸びて伸びきつて草の露
・柿は落ちたまゝ落ちるまゝにしてをく
『後記』昨日の誤写を補足して置かう、――いはゞ引越祝をやつた記事の追加だ。――
今夜はどうしても飲まなければならないのだつた、引越祝と軽視すべきぢやない、結庵入庵の記念祝宴なのだ、しかも私は例によつて文なしだ、恥を忍んで、といふよりも鉄面皮になつて、樹明兄から五十銭銀貨三枚を借りる(返さなければ掠奪だ!)、街へ出て、鮹、蒲鉾、酒、煙草、葉書を買うて来る、二人でやつてゐるうちに、冬村君もやつてきて、三人で大に愉快にやつた、めでたしめでたし、万歳万歳。――
・身にちかくあまりにちかくつくつくぼうし
 昼虫のしづけさを雨が落ちだした
夕方、樹明、敬治二兄同道来庵、酒、魚、鮨、すべて持参だから恐入る、飲む、話す、笑ふ、酔ふ、そして三人いつしよに街へ出た、ちよんびり飲み直して宿屋に泊つた、三人ともいづれ劣らぬ脱線常習者なのだ、三人いつしよにぶらついて脱線しなかつたのだから、まことに不思議な愉快だつた。

 九月廿三日

彼岸の中日、其中庵の開庵祝日でもある。
朝早く帰庵して拭いたり掃いたりする、御飯を炊きお菜を拵らへて、待つてゐる。……
間もなく二兄がニコ/\してやつてくる、すぐまた酒にする(此酒は私が買つた、敬治坊から頂戴したお祝儀で!)、そして三人で近隣の四五軒を挨拶して廻る、手土産として樹明兄がカルピスをあげる。
これで、私も変則ながら、矢足の住人となつた訳だ。
何といつても、樹明兄の知人が多く、敬治坊の親戚が多いのだから、私も肩身広く落ちつけるといふものだ。
夕方、三人で散歩する、後の山はよかつた、庵の跡、宮の跡、萩が咲きみだれてゐる、夕日がおだやかにしんみりと照らす、物と物、心と心とが融け合ふやうだ。
夜は、さらに水哉、冬村二君も来庵、かしわでうんと飲んだ、酔ふた酔ふた、みんなが去つてゆくのが癪に障るほど酔ふた(私は時々、親しい人々に対しては駄々児気分を発散するらしい)。
今日の忘れられない事は、米を頂戴した事、無花果を食べた事、酒のよかつた事(昨日から今日へかけてよく飲んでよく食べたものだ、酒五升、鶏肉五百目、その他沢山である)。
・つく/\ぼうしつく/\ぼうしと鳴いて去る
・咲いてこぼれて萩である
・秋ふかう水音がきこえてくる
  農学校即事
 鵞鳥よ首のべて何を考へてる

 九月廿四日

晴れて独りだ。
咳で苦しむ、時々苦しむのが本当だ。
昨日のかしわの骨でスープをつくる。
山村庵居のしづけさやすらかさは何ともいへない。
柿が落ちる、蜂がくる、閑寂を楽しむ

 九月廿五日

こづいて苦しくて寝てゐられないので、三時に起きて働らく、秋らしくない気分だつた。
樹明兄来庵、種子を貰ふ、早く畠をこしらへて、播かなければならない。
暮れてから、樹明兄再度来庵、藤本さんと同伴、夜間撮影をやつて下さる。
藤本さんは大商店の息子さんだ、オートバイでやつてきてゐる、それに便乗して街へ出る、そして樹明、山頭火の酒宴がはじまつた、うまい酒だつた、こゝろよく酔うて戻つて、ぐつすり寝た。
・灯ればしたしく隣があつた

 九月廿六日

よく寝られたので、よい気持で読んだり耕したりするうちに、もう正午近くなつた、そこへ樹明兄突然顔を見せる、昨夜あれからひとりで飲みすぎて少し脱線したのでまたやつてきたといふ、飲みすぎ脱線には理解あまりある私だ、さつそく酒と豆腐とを買つてくる、いはゆる迎酒の苦さ旨さを味ふ、ほろ酔になつて出かける、途中で別れて、樹明兄は自宅へ、私は湯屋へ。
それがいけなかつた、こんどは私の飲みすぎ脱線だ、酔つぱらつて路傍に寝てしまつた(後から聞けば、私の寝姿を見た者が二三あるらしい)、とう/\帰庵かなはずしてK婆さんの家で夜を明かした、そして未明、ふら/\歩いてゐたら、非常線にひつかゝつた、しかしそこは海千河千の私だ、うまくいひぬけた、『ずゐぶん早い散歩ですねえ』と刑事先生びつくりしてゐた!
よい酒とわるい酒とがあるやうに、よい酔とわるい酔とがあるとすれば、昨夜の酒は、いや今夜の酒はたしかにわるい酒であり、わるい酔だつた。
インバイに戯れ、ハダシで散歩するなんてことは悪趣味ぢやない、悪行そのものだ、ことに禅宗坊主に於てをやである。……

 九月廿七日

曇、雨、晴れでないので助かつた。
風呂へはいつて一切を洗ひ落して戻ると、樹明さんと武波さんとがにや/\して待つてゐられた、悪行露見、罪業深重、いさぎよく白状して呵々大笑したことである、さうする外ないではないか!
草の日向の蛇がかくれる穴はあつた
秋の蚊のないてきてはたゝかれる

 九月廿八日

大連の青葉君から、熊本の元寛君から、どちらもうれしいたよりがあつた。
咳が出て困る、喘息になりはすまいかと自他共に心配しないでもないが、不死身にちかい私のからだマヽらと放任して安心してゐる、また、このぐらゐの苦しみはあつてよろしい、近来どうも安易に流れ自堕落になつてゐるから!
夜は樹明兄に招かれて、学校の宿直室で夕飯を御馳走になつた、一杯やつたことは書くまでもあるまい、咳嗽薬まで戴いてきた。
今夜の酒は何とよい酒だつた、そしてよい酔だつた。
今日の特種は、クドをこしらへたことである、なか/\よく出来た、自分ながら感心する(樹明兄も感心してくれた)、これで炭代がういてくる、それだけ酒代が。

 九月廿八日[#「九月廿八日」はママ]

好晴、伐木の音がこゝろよくきこえる。
樹明さんが吉野さんを連れてきて庵を描いて下さつた、三八九復活号の裏表紙に刷るのである、私は文字で庵を写さう。
夜、国森令弟わざ/\海の幸――小鯛一籠――を持つてきて下さつた、魚に添へてある青紫蘇の香が何ともいへないフレツシユだつた、早速焼いて酢に漬けた、あゝ、この好下物あつて酒なしとは……、うらめしや。
・しづけさはこほろぎのとぶ
 夜の奥から虫があつまつてくる

 九月三十日

憂欝な一日だつた。
土を耕やして大根を播いた、土のなつかしさ、したしさ、あたゝかさ、やはらかさ、やすけさ、しづけさ。……
ぼつ/\稲刈がはじまつた、豊年満作だ。
門外不出、もちろん酒なし。
暮れてから樹明兄来庵、野菜をたくさんいたゞいた、これだけあれば当分は安心してゐられる、野菜ばかりぢやない、別にまた一升寄贈だ、涙の出るほどうれしかつた。

 十月一日

寝苦しくて三時にはもう起きてゐた、御飯炊も朝の勤行も、何もかもすんだのにまだ明けない。
天地高朗、日月清明の気候だ。
今日も畠いぢり、二畝耕やした、石ころ、草の根を除くのはかなり骨が折れるけれど愉快だ、ひともじを植ゑつけた。
昨夜のお布施で買物をする、私がどんなにつゝましく買物をしたか、左の通りだ。――
一、十銭 醤油二合  一、九銭 ハガキ六枚
一、七銭 味噌百目  一、十八銭 焼酎一合五勺
一、二銭 蠅取紙一枚 一、三銭 湯銭
一、八銭 上草履一足 一、十銭 玉葱代
一、五銭 辛子粉   一、五銭 豆腐二丁
   合計金 七十七銭也(残存金二十三銭)
菜葉を漬けた、重石をたづねてあるいたが。
一杯やつてゐるところへ、樹明兄が一升さげて来た、山村の饗宴がはじまる、おしまひには街へまで延長する、そしてとう/\わやになつてしまつた。
かういふ風では罰があたる――と考へてゐたが、果して罰があたつた、一切我今皆懺悔、しつかりしろ。

 十月二日

近頃にない熟睡だつた。
晴、昨夜の残酒を傾ける。
省みて愧ぢない生活
郵便配達夫が柿を御馳走してくれといふ、私の柿ではないけれど、さあさあ好きなだけ食べなさい、食べろといはれる私の代りに、うまいかね。
萩が咲きこぼれてゐる、煙がうす/\のぼつてゐる。
終日籠居、孤独と沈黙と、そして閑寂と沈潜との一日だつた。
家の周囲の雑草が刈られた、萩も薄もみんな。
こうろぎを聴いてゐると、ずゐぶん上手下手がある、濁つたのがだん/\澄んでくるのが解る、虫の声もなか/\複雑だ。
咳嗽がひどくて苦しんだ、しかしそれが同時に私を自堕落から救ふのも事実である。

 十月三日

晴、時々曇る、私の身心のやうに。
百舌鳥が啼く、その声もだいぶ鋭くなつたやうだ。
火吹竹をこしらへる、何といふ時代後れ!
後の山路を歩く、萩が多い。
大根の芽生はうれしい、自分で耕して自分で播いた、それが芽を吹いた、ありがたいやうな、すまないやうな気持。
・ゆふべのさみしさはまた畑を打つ

 十月四日

咳入つて覚める、声が嗄れて胸の奥が鳴る、罰は甘んじて受けなければならない。
出勤前の樹明兄、私の安否を心配して一寸来庵、その温情かたじけなし。
今日は殺生デーともいひたい日だつた、早朝、座敷で百足を殺した、掃除の時に蝶々を殺した、井戸からイモリをくみあげた、また、蛙をとびこませた、庭で蜂を殺した、カマキリを殺した、畠では蚯蚓、※(「虫+車」、第3水準1-91-55)、ケラ、を殺した。……
殺さないまでも、彼等の夢を驚かして気の毒だつた、人間が土を耕やすのは、ケラにとつては安眠妨害、蚯蚓にとつては家宅侵入だらう、人間は時として虫にも劣つてゐる。
帰宅前の樹明兄、先夜写していたゞいた写真を持つて来庵、よく写つてゐる、あまりに私らしい、同時にあまりに私らしくない写真でもあつたが、とにかく、禅坊主としての私、庵主としての私は出てゐる、感謝々々。
藁麦の花はいゝ、声が嗄れて話すことがむつかしくなつた、何だかさみしくなる。
さういふ私を気の毒と思つてだらう、樹明兄が乏しい弗入から五十銭玉一つをおいていつた、ありがたしとばかり、すぐ駅通りまで出かけて、焼酎と豆腐とを買うて戻つて、ゆつくり、しんみり、やりました、うまかつた、ありがたかつた、酔うた、酔うた、いつとなく前後不覚になつてしまつた。
改めて御礼をいふ、南無樹明如来、焼酎大明神、豆腐菩薩。……
・三日月、おとうふ買うてもどる
・新道まつすぐにして三日月
ヨルへ咳入る(改作)
 わたしがはいればてふてふもはいる庵の昼
・ひとりで酔へばこうろぎこうろぎ

 十月五日

めづらしく朝寝した、もう六時に近かつた、それほど私は心地よく酔うたのである。
柿の落葉はわるくない、掃いてゐるうちに、すぐまた落ちる、それがかへつてよろしい、掃き寄せて、その樹、その実を仰ぐ気持はうれしい。
前の家から柿を貰つた、さつそく剥いだ(私はあまり木の実を食べないが、柿だけは以前から食べる)、いはゆる山手柿を味つた、うまかつた、私は柿を通して木の実が好きになるだらうと思ふ。
柿は枝振も木の葉も実も日本的だ(茶の木が花が日本的であるやうに)。
この秋日和! もつたいないほどである。
達麿忌である、廓然無聖、冷暖自知。
樹明兄から約束の通りに寄贈二品、一は白米、これは胃腸薬として、そして他は砂糖、これは風邪薬として。
ウソでもない、ジヨウダンでもない、ホントウだ、私にはもう食べるものがなくなつてゐたのだ、風邪をひいて咳が出て咽喉がいたいのに砂糖湯さへ飲めなかつたのだ。
だから、今日の樹明はメシヤだつた!
何と久しぶりに、そして沢山、甘い物を飲んだことよ。
寥平兄からなつかしいたよりがあつた、熊本はなつかしくもいやな土地となつた、私にとつては。
湯屋でゆつくり、そして酒屋でいつぱい、それから栄山公園の招魂祭へいつた、そこは小郡町唯一の遊覧地である、まづ可もなし不可もなしだらう。
ゆう/\としてぶら/\帰庵すると、樹明兄が待つてゐた、招魂祭で早引けだつたから、ちよいと寄つてみたといふ、忙しい/\といひながら(事実、彼は農学校の書記であり、山手の百姓であり、小郡町の酒徒であり、そして私たち層雲の俳人でもあるのだ)来庵せずにはゐられないところに(そして私自身も彼の来庵を期待してゐる)、そこに私たち二人の友情があり因縁があるのだ、私としては彼の世話になりすぎると思うてゐるけれど、彼としては私に尽し足らないと考へてゐるかも知れない(彼の場合はやがて敬治坊のそれでもあらうか)。
今日はほうれんさうを播いた、昨日のやうに二うね耕したのである(樹明兄は一気呵成に、まつたく彼らしく一うね耕してくれた)。
播く――何といふほがらかな気持だらう。
・朝やけ雨ふる大根まかう
 うれておちる柿の音ですよ
・ふるさとの柿のすこししぶくて
  秋晴二句
・秋晴れの空ふかくノロシひゞいた
 秋晴れの道が分れるポストが赤い
  招魂祭二句
 ぬかづいて忠魂碑ほがらか
 まひるのみあかしのもゑつゞける
    □
・秋ふかく、声が出なくなつた
 道がなくなり萩さいてゐる
 このみちついて水のわく
・またふるさとにかへりそばのはな
 そばのはな、こゝにおちつくほかはない
    □
 虫も夜中の火を燃やしてゐる

 十月六日

夜が長くなつた、朝晩はなか/\寒い、空の高さ、星の美しさはどうだ、今朝などは、まつたく雲がなかつた。
今日も土いぢり、芽生えるものを味ふ。
油虫よ、殺したくはなかつたけれど。――
秋風を感じた(心よりも身に於て)。
 ひとりごといふ声のつぶれた
・お寺の鐘も、よう出来た稲の穂

 十月七日

任運自在、起きたい時に起き、食べたいだけ食べる。
さびしさには堪へうる私だけれど、うるささにはとても/\。
毎日待つてゐるのは、朝は郵便、昼は新聞、夕は樹明、そして夜は!
午前中、秋晴半里を逍遙した、彼岸花はすつかりすがれた、法師蝉もあまり鳴かなくなつた、たゞ柿が累々として赤くうれてゆく。
四辻におもしろい石地蔵尊が立つてゐられた(ダイカンヂゾウ!)。
樹明兄を往訪して、明日の山口行を取消さうと思つてるところへ来訪、残念だけれど、こんなに声が嗄れてゐてはとても行乞は出来ないから。――
いよ/\煙草の粉末までなくなつた、酒屋へは無論、湯屋へも行けない(それでもヤキモキしなくなつたゞけは感心)、それにしても胃袋よ、お前はたつしやでふとくなつたね!
 墓がならびそうしてそばのはな
 大空たゞしく高圧線の列
 家がとぎれてだん/\ばたけそばばたけ
・刈田はれ/″\と案山子である
    □
・貧乏のどんぞこで百舌鳥がなく
(これは私自身をうたうたのではない、けふ歩いてゐるうちに、ある貧家を見た時の実感である、しかし、それがその時の私を表現してゐないといふのではない、いや、私自身を表現してはゐようが、自己の直接表現ではない)
    □
・明けてくる熟柿おちる
 茶の木が実をもつてゐる莟つけてゐる
(『捨てきれないもの』ありやなしや、いへいへ)

 十月八日

けさも早かつた、朝が待遠かつた、もう火鉢が恋ひしい。
だいぶ長く乞食をしたので、ちよい/\乞食根性が出てきて困る、慎其独、恥づかしい。
土を運ぶ、蚯蚓の家を破壊した。
よいたより、うれしいたより、ありがたいたより。
街へ出かけた、いろ/\の買物、そしてとう/\またわやになつた、Tさんの店で、Kさんの店で。
買物をさげてかへる、樹明兄が山口からの帰途を立寄つた、酒と魚とを持つて。
酔うて寝てゐた、樹明兄が敷いてくれた寝床のなかに! ぐつすり寝た。
・隣も咳入つてゐる柿落葉
 ひとり住めば木の葉ちるばかり
 住みなれて茶の花さいた
・みほとけのかげわたしのかげの夜をまもる
┌雨ふるふるさとは――┐
│灯かげ日かげ――  │
└  日かげ二句   ┘

我昔所造諸マヽ
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔

衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上心
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙

 十月九日

晴、昨日の今日だから身心がすぐれない、朝寝して残酒残肴を片付けてゐたら、六時のサイレンが鳴りだした。
即今の這是だ、参。
一人はよいかな、日向ぼつこしてゐる私は一人だよ。
湯屋まで出かける、イージーゴーイングな自分に鞭ちつゝ早々帰庵した。
ゲルトなし、アルコールなし、エゴなし。
Sさん一家族みんなで柿もぎに来た、子供はうるさいね、裏畑の柿をもぐべく、近所の娘さんが二人連れで来た、ナツメを下さいといふ、サア/\おとりなさい、いんぎんに礼をいつて行つた、若い女性はやつぱりわるくないな。
・酔へばやたらに人のこひしい星がまたゝいてゐる
 裏からつめたく藪風のふきぬけてゆく
・わかれてもどる木の実をひらふ
・秋あつくせりうりがはじまつた
・月に咲けるはそばのはな
・寝るよりほかない月を見てゐる
  (放哉坊の句とは別な味があると思ふが)
昨日の買物(此言葉はよい)、――
一、端書切手     十銭(私の買物はいつでも郵便局からはじまる、何故!)
一、線香 一     六銭    一、茶 一袋     十銭
一、煙草(バツトナデシコ)十一銭    一、小バケツ    十二銭
一、いりこ五十目  十三銭    一、菜葉二把     四銭
一、焼酎一合    十二銭    一、ノート一冊(日記用)八銭
   合計金 八十六銭也
(財布にまだ一円ばかり残つてゐたが、例のワヤで、酒や豆腐や松茸になつてしまつた)
とにかく、近頃の私は飲みすぎる、遊びすぎる、生死の一大事を忘れてはゐないけれど、やゝすてばち気分に堕してゐることを痛感する、こんなことで何が庵居だ、何の句作だぞといひたくなる、清算、精進、一念一路の真実に生きよ。
私は柿を愛する、実よりも樹を、――あの武骨な枝、野人的な葉、そこには近代的なものはないが、それだけ日本的だ、日本的なもの以外には何物もない(もつとも近来だいぶ改良されてはゐるが)。
小さな犯罪、それを私は敢てした、裏畑の茗荷の子を盗んだのである、忘れられた茗荷の子だ、不運なその子は私の胃の腑で成仏しなければならなかつた。
  追加二句
・三日月のどこやら子供の声がある
・夜なべの音の月かげうつる

 十月十日

今朝も朝寝だつた、といつても五時過ぎだつたが。
咳嗽には閉口する、閉口しながら、酒は飲むし、辛いものは食べるし、そして薬は飲まないのだから、それが当然だらう。
暁の百舌鳥の声は鋭い。
俊和尚からのハガキ一枚、それがどんなに私を力づけたか(昨日、預けてあつた冬物を、寒いので急に思ひだしたといつて送つてくれたのである)。
ほんとうによいお天気だ、洗濯をする(三枚しかない)、雑巾がけをする、気持がシヤンとした。
さてもうらゝかな景色ぢやなあ、ほがらかなことでござる。
大根を間引く、間引いたのはそのまゝお汁の実。
人間は――少くとも私は――同じ過失、同じ後悔を繰り返し、繰り返して墓へ急いでゐるのだ、いつぞや、口の悪い親友が、私のぐうたらを観て、よく倦マヽませんね、おなじ事ばかりやつてゐて、――といつたが、それほど皮肉を感じたことはなかつた、現に、小郡に来てからでも、私は相も変らず酒の悪癖から脱しえないではないか。……
午後入浴、自分で剃髪する、皮膚がピリ/\するので利マヽ帽をかぶつたまゝで起居する、いやどうも自分ながら古くさくなつたぞ、破被布を羽織つて、茶人帽をいたゞいて火鉢の縁を撫でゝゐては、あまりに宗匠らしい、咄。
 二葉となりお汁の実となり(大根の芽生に)
 日本晴れの洗濯ですぐ乾く
・萩もをはりの、藤の実は垂れ
・くみあげる水がふかい秋となつてきた
 ふるさとのそばのあしいよ/\あかし
 さみしさがけふも墓場をあるかせる
さみしいから(或る日はアルコールでまぎらすけれど)あてもなくあちこちあるきまはる、藁麦畑、藷畑、墓場、大根畑、家、人。
このあたりは柿も多いが椿も多い、前のF家の生垣は椿である、ところ/″\に大椿がある、実がなつてゐる、家に乾してもあるだらう。
井戸の水が毎朝めつきり減つてゆく、釣瓶の綱をつないでもまたつないでも短かくなる、こゝにも深みゆく秋の表現がある。
だん/\食べるものがなくなつてゆく、――もう醤油も味噌も酢もなくなつたが、――まだ塩がある(米だけは、ありがたいことは大丈夫だ、樹明菩薩が控へておいでだから!)。
掃くよりも落ちるが早い柿の葉だ、掃いたところへ散つた葉はわるくない(私もだいぶ神経質でなくなつたやうだね)。
夕ぐれ、ばら/\と降つた、初時雨だらうか、まだ時雨が本質的でなかつた。
晩課諷経の最中に誰だか来たけはいを感じたが、そのまゝ続ける、すんでから出てみると、農学校の給仕君が、樹明君からの贈物だといつて、木炭一俵を持参してゐる、かたじけなく頂戴、時雨のなかを帰つてゆく彼に頭をさげた。
夜は十日会の月次例会、集まつたものは樹明、冬村二君に過ぎつマヽたが、しんみりとした、よい会合だつた、ことに折からの時雨がよかつた、時雨らしい音だつた、樹明君の即吟に、
三人ミタリのしぐれとなつた晩で
といふ一句があつた、まことにみたりのすべてであつた、別れる前にあまり腹が空いたので(といつて食べるものを売るやうな店は近くにないので)白粥を煮て、みんなで食べた、おいしかつた、とろ/\するやうな味はひだつた、散会したのは十二時近く、もうその時は十一日の月がくわう/\とかゞやいてゐた。
・落ちついてどちら眺めても柿ばかり
・ゆふべうごくは自分の影か
 月夜のわが庵をまはつてあるく
・月からこぼれて草の葉の雨
 夕雨小雨そよぐはコスモス
・ぬれてかゞやく月の茶の木は
 わが庵は月夜の柿のたわわなる
 壺のコスモスもひらきました
    □
 しぐれてぬれて待つ人がきた
 しぐれて冴える月に見おくる
 月は林にあんたは去んだ

 十月十一日

マヽれて朝寝、もう東の空が白んでゐた、どうも咳が出て困る、幸にして音声はとりもどしたが、咽喉が痛い。
寒うなつた、米を磨ぐ水のつめたさが指先からしみこんでくる、今朝は何だかしようぢようたるものを感じた。
待つてゐる音信が来ない。
しかし、よいお天気で、よい気分で。
塩で食べてゐたが、辛子漬も菜漬もおしたじがないとうまくないので(といふのも私にはゼイタクだが)、財布をはたいてみたら、一銭銅貨が四つあつた、そこで小さいマヽを探しだして醤油買に出かける、途中でその売子さんに逢ふ、ついでだから彼の手数を煩はさないですむので、一杯詰めて貰ふ、一升二十銭といふから、まさに一銭五厘位の支払だ、支払ふとしたら、いらないといふ、あげますといふ、彼は私の風采(破被布に利久帽だ)を見て、おせつたいするつもりらしい、そこで妥協してお賽銭一銭あげて、ありがたく万事解決した、彼は若い鮮人だつた、鮮人から報謝をうけたのはこれが二度目だ、一度は行乞流転中にどこかで鮮人の若いおかみさんから一皿の米をいたゞいたのである。
昨夜の事を考へる、草庵――時雨――白粥――はあまり即きすぎて句にもならないが、それは涙ぐましいほどの情愛だつた、うれしかつた。
駅の物売の声がよくきこえる、風向のよい夜などはハツキリきこえる、だが何といふ言葉だかはあまりよく解らない、よく解つては困ります、べんたう、すし、ビール、まさむね、サイダーなどとやられては、食べたくなつたり、飲みたくならうではないか、風よ、向うへ吹け。
山東菜を漬けてをいたのがちようど食べ頃となつた、うまい、うまい、これからは自分で作つて自分で漬けて食べられます。
三八九の原稿整理。
私の事を私よりも周囲の人々がヨリ心配して下さる、私はあんまりノンキかも知れない、ノンキなルンペン!
 郵便やさん、手紙と熟柿と代へていつた
 垣のそとへ紫苑コスモスそして柿の実
 秋風、鮮人が鮮人から買うてゐる
・ふるさとはからたちの実となつてゐる
・わが井戸は木の実草の葉くみあげる
・あの柿の木が庵らしくする実のたわわ
・そこらいつぱい嫁入のうつくしさ干しならべてある
これで午前の分をはり、めでたし/\。
どうも腹が空つてくると飲みたくなる、空腹へギユツとひつかける気持は酒好きの貧乏しか知らない、そこでまだ早いけれど夕飯にして、また出かける、どこへでも行きあたりばつたりに行くのである、いはゞ漫談に対する漫歩だ。
一時間ばかり歩きまはつて戻つてくると、誰やら庵の前で動いてゐる、樹明君だ、忙しい中を新菊を播いて、チサを植ゑてくれてるのである、ありがたし/\。
飲む酒も食べる飯もないから、辛子漬でお茶をいれてあげる、辛子漬の辛いのも一興でないことはあるまい。
ばら/\としぐれた、今夜もしぐれるらしい、かうしてしぐれもだん/\本格的になつてゆく。
貧すりや鈍するといふ、まつたくだ、金がないと、とかく卑しい心が出てくる、自家の醜劣には堪へがたい。
毎日待つてゐるのは――そしてそれが楽しみのすべてといつていゝが――朝は郵便、それから新聞、それから友人だ、今日はその三つがめぐまれた。
・人がゐてしぐれる柿をもいでゐた
・庵のぐるりの曼珠沙華すつかり枯れた
・つゆくさ実をもち落ちつかうとする
夜はまた粥を煮て食べた、私には粥がふさはしいらしい、その粥腹で、たまつた仕事をだいぶ片付けた。
これでまづ今日いちにちのをはり、あなかしこ/\。
横になると咳が出る、絶え入るばかりに咳き入るといふが、じつさいさうである、咳き入つてゐると、万象こんとんとして咳ばかりになる、しばらくして小康、外へ出て歩く、何とよい月だらう。

 十月十二日

好晴、まことに秋空一碧だ。
急に右の胸がいたくなつた、風邪をひきそへて、あんまり咳をしたためらしい、だるいからすこし散策する(この程度の病気を持つてゐることは、私のためには却つて可いかも知れない)。
製材所の仕事を観る、よく切れる鋸だな。
或る友への消息に、――
……私もだん/\落ちついてきました、そして此頃は句作よりも畑作に身心をうちこんでをります、自分で耕した土へ自分で播いて、それがもう芽生えて、間引菜などはお汁の実としていたゞけるやうになりました、土に親しむ、この言葉は古いけれど、古くして力ある意義を持つてゐると痛切に感じました。……
柚子のかをり(にほひでなくてかをりである)、そのかをりはほんとうによろし。
今日の御飯はよく出来た、これもほんとうにおいしい。
 蓮を掘る泥まみれ泥をかいては
・秋のひかりの大鋸のようきれる
・近眼と老眼とこんがらがつて秋寒く
・芋の葉、それをちぎつてつゝんでくれる
・ゆふ空から柚子の一つをもぎとる
百舌鳥がしきり啼く、あの声に聴き入つて、死身の捨身になつたこともあつたが、今はどうだ! あゝ。
散歩してゐて、コスモスのうつくしさがハツキリ解つた、あの花は農家にふさはしい、或はこぢんまりとした借家にふさはしい、はかないけれどもしたしみのある花だ(茎もまた)。
昼寝した、ぐつすり寝たが、覚めて何物もなかつた。
アルコールについて、そしてニコチンについて一考察。
御飯のうまいのは釜底が焦げつくまで炊きあげた場合だ、いひかへればその一部が犠牲になつた時に全体が生きるのである、こゝにも浮世哲学の一節を読む。
樹明君、私のために小遣銭を捻出して持つてきてくれた、そして一升飲んだ、地主家主のJさんもいつしよに。
それからがいけなかつた、――ワヤになつてしまつた、カフヱーからカフヱーへと泳ぎまはつた――それでも帰ることは帰つた、こけつまろびつ、向脛をすりむいだり、被布を裂いたり、鼻緒を切らしたりして。――

 十月十三日

秋晴、昨夜のたゝりでぼんやりしてゐる。
珍客来、川棚温泉のKさんが訪ねてきた、彼は好きな男だ、姿も心持も(彼は子供のやうに熟柿をよろこんだ)。
いつしよに街へ出た、別れてから、買物、入浴、一杯ひつかける、そしてそれからがまたいけなかつた、Kさんをひつぱりだして飲み歩いた、M屋からS軒へ。
さうらうとして戻つたら、樹明君がちやんと座つてゐる、午後一度来たといふ、そして夜中また来たのだといふ、話したり、食べたり、飲んだり(ちようど焼酎があつた)笑つたり、悔んだり、寝たり、起きたり、もう十二時だらうか。
ぐつすり寝る、夢まどかではないが、のんびりした一夜だつたよ。
どうもいけない、回光返照すべし、退いてもう一度、自分を、自分の周囲を見直すべし。
せつかくの浄財を不浄化しては罰があたるぢやないか、恥づべし、恥づべし。
・何もない熟柿もいであげる
・壺のコスモスみんなひらいた
今日の買物を附け添へて置かう、こんなにつゝましくして、そしてあんなにやりつぱなしだから助からない!
一、 七銭  赤味噌  百目    一、七銭  はぎ  五匁包
一、 六銭  醤油   二合    一、五銭  大根  三本
一、 二十銭 焼酎   二合    一、九銭  ハガキ 六枚
一、 七銭  バツト  一     一、十銭  並そば 二杯
 〆金 七十一銭也

 十月十四日

曇、折角の豆名月が台なしになつてしまつた。
終日憂欝、畑の草をとつてごまかす、大根おろしはうまかつた、間引菜の味噌汁も。
ほうれんさうがほつ/\芽をふいてきた。
柿の葉がだいぶ赤らんできた。
J夫人が子供を連れて柿もぎに来た、子供はうるさい、柿の落葉よりも。
呉服屋さんが、戸惑ひしたのだらう、御用はございませんかといふ、見るだけでも見てくれといふ、嫌になつてしまう。
夕時雨、あの音には何ともいへないものがある。
まことにしづかである、今にして思へば、私は川棚温泉で拒まれてよかつた、とてもあそこでは落ちつけなかつたらうし、また、こゝほどしんみりしなかつたらう。
・ゆふ空の柚子二つ三つ見つけとく
・わたしひとりのけふのをはりのしぐれてきた
・寝覚まさしく秋雨であつた(即興)
夜中にふと眼がさめたら雨がふつてゐた、それはしよう/\とした秋雨だつた、そこでおのづから此一句がある。――

 十月十五日

けさは早かつた、すべての行事がすんでもまだ明けなかつた、おちついて読書した。
時々鉄砲の音が聞える、今日から狩猟解禁、鳥や獣の受難時季が来たのである。
朝の鐘声はよいな、鶏の声よりも。
出勤前の樹明来庵、わざ/\胃の妙薬を持つてきて下さつたのである(白米ですよ!)。
どうも咳が出て切ないから昼寝、そしたら嫌な夢。
茶の花がいちりん、ほんとうにいちりん咲いてゐた、さつそく一輪※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)のコスモスと代へる、まことに茶の花は床しい花である。
蛇が蛙に喰ひついてゐた、あんなに小さい蛇があの蛙を犠牲にしてゐることは、いかに彼の闘争心が強いかを如実に示してゐる、しかし彼に難はない、彼は生きなければならないから、生きずにはゐられないのだから、ことに冬眠の前である、できるだけ栄養分を摂取しなければなるまい、彼は生存の純一な慾望のためにのみ蛙を殺したのである、人間ほど卑劣でない強慾でない。
松の会の同人(平野多賀治)君から、浜松名産『浜納豆』を贈つて下さつた、さつそく頂戴する、これで一杯も二杯も三杯も飲めるといふものだ、私一人には多すぎるから、樹明、冬村、両君にお裾分する(関西にはあまり納豆が喜ばれない)。
Jさんがよい菜葉を持つてきて下さつた、半分は惣菜に、半分は漬物にする、今日はいろ/\のものを頂戴する日だ。
午後は文字通りの一浴一杯。
夜食は菜葉粥、近来の御馳走であつた。
いざよひ月がおもむろに昇る、それを眺めてゐると、何となく人恋しくなる。……
ずゐぶん長く遊んだ、三八九が出来たら行乞に出かけやう、遊んでゐると、しらず/\我儘になつてゐる。
月を眺めてゐたが、咽喉がいけないので砂糖湯を飲み、厠にはいつてゐると、誰やら来たらしい、そのまゝ返事をする、やつぱり樹明君だつた、誰もがみんなさびしいのだらう。
持つて来て貰つた茶をがぶ/\飲んで別れる、いつもの癖で、送つて出て、月を見あげながら尿する。
・土の虫のちぎられたまゝ土にもぐる
 月にむいて誰をまつとなくくつわむし
 ふけてあぶらむしがはふだけ
・住みついて煤のおちるにも(改作)

 十月十六日

夜あけのしぐれはさびしくわびしく身にしみた。
けさの空はうつくしかつた、月はもとより、明星のひかりが凄艶、いや冷徹であつた。
かまどを焚いてゐて虫――こうろぎの声をきいてゐると、虫も私も老いたりの感がある、それとおなじやうに、お経をあげてゐると、虫の声も私の声も寂びてきたと思ふ。
苦茗をすゝる前に、まづ最初の一杯を観世音に献じる、そして仏といふものが、したしみふかい存在として示現する。
・あぶらむしおまへのひげものびてゐる
 あかつきのあかりで死んでゆく虫で
・水音のしんじつ落ちついてきた
 もうはれて葉からこぼれる月のさやけさ
 柿がうれてたれて朝をむかへてゐる
    □
・露も落葉もみんな掃きよせる
・秋の朝の土へうちこみうちこむ
・朝の秋風をふきぬけさせてをく
・秋空の電線のもつれをなをさうとする
・枇杷から柿へ、けさの蜘蝶の囲はそのまゝに
  浜納豆到来、裾分して
 秋空、はる/″\おくられて来た納豆です
酒壺洞君からやうやく手紙が来た、無論、よいたよりだつたが、君の身辺に或る事件が起つて、それがためにこんなにおくれたと知つては、ほんとうに気の毒である、才人酒壺洞君にもさうした過失(勿論それは君自身の犯したものではないけれど)があるとは、まことに世の中は思ふまゝにはならぬものだと、改めて教へられた。
句集代の小為替を現金に代へて貰つて、いろ/\の買物をする、そして最後にはワヤまで買つてしまつた、そのワヤは私としてあまりに非常識な、そしてあまりに高価なものだつた、幸にして冬村君の好意によつて非常事を処理することが出来たことは出来たが、――冬村君にはすまなかつた、何ともかともいひやうがない。
ぼうとして戻つてきた、手の火傷がいたい、茶碗をこはした、むしやくしやして寝てゐるところへ樹明君がやつてきた、とても起きあがれないので寝たまゝでむちやくちやを話す、君も或る事件でむしやくしやしてゐる、いつしよに飲みにゆかうといふのも断つて、そのまゝ悪夢を見つゞけた。……
かうして生てゐてどうするんだ、生きてゐる以上は生きてゐるに値するだけの生活(たとへそれはたゞ主観的であつても)を営まなければ嘘だ、もう嘘には倦いた、本当らしい嘘をくりかへしては今日まで存らへてゐたが。……

 十月十七日

終日就床、昨日の飯を食べてゐた。
自己清算、それが出来なければ私はもう生きてゐられなくなつた、いさぎよく、自己決算でもやれ(やれるかい)。
自殺はやつぱり嫌だ、嫌なばかりぢやない、周囲の人々に迷惑をかける、それは自分をごまかすばかりでなく、他人の好意に悪感を酬いるばかりだ。
死ぬにも死ねない、生きるにも生きられない、ヂレンマだ、こゝに宗教的、殊に禅の飛躍がなければならない。
・あてもなくあるけば月がついてくる
・月も林をさまよふてゐた
夜、菜葉粥をこしらへて食べた、それでだいぶ身心がなごんだ。
買物――昨日の買物をつけてをく。
一、 九銭   ハガキ六枚    一、 十銭   湯札四枚
一、十二銭   昆布五十目    一、二十三銭  日和下駄一足
一、二十銭   焼酎二合     一、 七銭   バツト一ツ
  〆金 八十一銭
     外にワヤ代(冬村君の保證によつて懸)
    □
・こゝろおちつかず塩昆布を煮る
・さみしさへしぶい茶をそゝぐ
長い、長い一夜だつた、展転反側とはこれだらう、あれを思ひこれを考へる、ガランとして、そしてうづまくものがあつた。……

 十月十八日

曇、やつと平静をとりもどした、お観音さまの御命日なので普門品読誦、胸がいたい、罰だ、みんな自業自得だ、いつさいがつさい投げだして清算しよう、さうするより外に私の復活する方法はない。
郵便がきた、新聞がきた、さてこのつぎには何がくるか、何もない!
出かける元気もないし、出かければロクな事はないし、それではどうするか、寝るか読むか書くか、よろしい、土いぢり草とりがいちばんよろしい。
       □
白船老から手紙と半切とが来た、これで其中庵も持つべきものを一つ持つことが出来た訳だ、多謝多謝。
だん/\晴れる、空も人も。
自から閉門を申渡して蟄居謹慎、しんみりと土に遊んだ
さみしいといひ、いら/\するといふ、すべてがワガママだ、このワガママがとれなければ私は救はれない。
・ひとりで障子いつぱいの日かげで
・おちつけば茶の花もほつ/\咲いて
 煮えるもののかげがある寒いゆふべで
しづかに読む、そして読経、しづかに暮れていつた。
・みほとけのかげにぬかづくもののかげ
    □
・闇夜かへつてきてあついあついお茶
・秋の夜ふかうして心臓を聴く

 十月十九日

曇、雨が近いらしい。
けさも朝寝、といつても五時過ぎ、咳で覚めたのである、いやな夢も見たのだ、小人夢多し、是非もないかな。
火を焚くことが上手になつた、習ふより慣れろだ、今までは木炭で自炊してゐたのだが。
百舌鳥が啼く、サイレンが鳴る、両者は関係がないけれど、私の主観に於ては融合する、百舌鳥は自然のサイレン、サイレンは人間の百舌鳥か。
苦茗、といふよりも熱茗をすゝる、まづ最初の一杯を仏前に供へることは決して忘れない、私にも草庵一風の茶味があつてもよからう、しかし、酒から茶への転換はまだ/\むつかしい。
寒い、ほんとうに寒い、もう単衣でもあるまいぢやないか、冬物はこしらへて送つてあげますといつてよこした人が怨めしい、といふのも私の我儘だけれど。
今日の御飯は可もなく不可もなし、やつぱり底が焦げついて香しくなるやうでないとおいしくない。
朝課諷経は食後にして、大根おろしに納豆で食べる、朝飯はいちばんうまい。
畑を見まはる、楽しみこゝにあり、肥料をやつたので、ひよろひよろ大根がだいぶしつかりしてきた、白菜はもう一度間引しなければなるまい、ひともじの勢のよさ、何とほうれんさうが伸ぶことぞ、新菊は芽生える/\。
掃く、柿の落葉だけだ、雑草はそのまゝにしてをけ、土地は誰の独占物でもない、雑草だつて生えて伸びて茂る権利があらうぢやないか。
暫らく読書、新聞がきたから新聞を読む。
早目に昼飯、塩昆布でお茶漬さら/\。
日中諷経は修證義、その語句が身にしみる。
樹明君から胃の薬(いや白米大菩薩)到来、これで当分餓える心配なし、それにしてもいつまでも知友の厚情に甘えてゐてはならない、行乞、行乞、行乞に出かけやう、そして安易と我侭とを解消しよう(此一項は、読書の項の前に記入すべきだつた)。
樹明君の来信の一節に『しばらく菜根を噛んで静養して下さい』とある、まことにその通り、今日は文字通りの菜根デーだらう。
茶の花を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しかへる、さびしい、ゆかしい花なるかな。
郵便さんがとう/\来なかつた、めづらしい事だ。
Jさんの妻君がいつものやうに子供多勢ひきつれて柿もぎに来た、子供はやつぱりうるさい、柿はしづかなのに。
憂欝が忍び足でやつてきた、それからのがれるには、歩くか、飲むか、寝るか、三つの手段があるが、歩くだけの元気なく、飲むほどの銭がなく、寝てみたが寝つかれないので、入浴と出かける、二銭五厘の遣悶策だ、あたゝかい湯に浸り、髯を剃つたら、だいぶ気軽になつた。
四日ぶりに街へ出かけたのだが、人間は人間の中へはいりたがる、それが自然でもある、私にだつてそれが本当だらう。
川ぞひのみぞそばのうつくしさ、私はしばし見惚れた、此地方のそれは特別にうつくしいと思ふ。
歩けばきつと蛇の二三匹におびやかされる、けふもまた蛙が喰ひつかれて断末魔の悲鳴をあげてゐた、いたましいとは思ふけれど、私はどうすることも出来ない、蛙よ、汝は汝の運命のつたなきを泣け!(芭蕉が大井川のほとりで秋風の捨児に与へたと同一の語句だ)
夕飯も茶漬でぼそ/\だつた。
晩課諷経は普門品にする、偈頌の後半部はまつたくうれしい、身心がのび/\するやうだつた。
夜は読んだり書いたり、さて寝ようかなと思つてゐるところへ、樹明君の足音が聞える、久振だな、といつても四日振だ、それほど二人はしげ/\逢つてゐた、逢はずにはゐられないのだ。
あれこれ話しつゞけてゐたが、いよ/\農繁期に入つたのでまた暫らく逢へまいといふので、一杯やることに相談一決(いつでも異議のあつたことがない!)私は支度、君は街まで一走り。
いゝ酒だつた、罐詰もうまかつた、私が大部分平らげた、そしてずゐぶん酔うて、君を困らしたらしい、例の常習的変態デマをとばしたのだらう、とにかく、私は親友に対しては駄々ツ児だ。
幸にして(樹明君が今夜はいつもとちがつてしつかりしてゐた)ワヤにならなかつた、ありがたかつた。
送つて出て月がある、――それから、粥を煮て食べた、このあたりの行為は夢遊病者に似てゐる。
     就寝前の言葉として(附記)
飛躍はなかつた、しかし、たしかに諦観はあつた、自己超越に近いもの、身心脱落らしいもの、さういふ心境への第一歩を歩んだと信じてゐる。
・秋空、うめくは豚(追加)
・朝は陽のとゞくところで茶の花見つけた
 めをとで柿もぐ空が高い
 秋の山の近道の花をつんでもどる
・たそがれる木かげから木かげへ人かげ

 十月二十日

まつたく朝寝だつた、六時のサイレンで眼が覚めたのだ、それほど、昨夜は快く酔うたのである。
そしてまた、よい御飯、よいお汁だつた。
山へ石蕗の花を貰ひに行く、そこにもこゝにも黄金色のかたまりがかゞやいてゐる、野の花としても、また庭の花としても賞美するに足る、すこし盛りをすぎてはゐたが、欲しいだけのものは貰つた、戻つて、ふと袖や裾を見ると、草の実だらけだ、これは一本まゐつた、花だけ求めたのはやつぱり人間のエゴだ。
長崎の十返花君から、枇杷二部とハガキ、同誌はこぢんまりと気がきいてゐたが、どうやら気がきゝすぎてきた様子、もう止めるかも知れないといふマヽ因の一つはこゝにあらう。
百舌鳥がしきり啼く、そして私は胃が悪い、むろん痔はよくない。
昼御飯を食べてから湯屋まで出かける、今日も道すがら、みぞそばの美にうたれた、帰途は前の家のF老人と道連れになり、世間話をつゞけた。
空家の庭園から、コスモスと鶏頭とを盗んできて仏様にあげる。
北九州の炭坑町で、酌婦と坑夫とのダイナマイト心中があつたさうな、いかにも北州マヽらしい、そして病酌婦と失職坑夫との心中らしい。
塩昆布をこしらへる、昆布五銭、醤油十銭。
柿と娘、――これは日々見る活画題だ。
町のお寺で幼稚園の遊戯を見物してゐるうちに、涙ぐましくなつて閉口した、白髪のセンチメンタリスト、あはれむべきかな。
夕方、どうでも雨になりさうだから畑のものに肥料をやる、かうしてをけば、どうやらかうやら野菜だけは自給自足が出来るらしい(いろ/\の意味で自給自足だ、たとへば肥料に於ても)。
虫の声、その声もおとろへたなと思つた。
壺の茶の花が二つ開いた。
燈火したしむべし、孤独よろこぶべし。
・草もかれゆくこうろぎとびあるく
・山から花をもらつてもどれば草の実も

 十月廿一日

曇、それから晴、いよ/\秋がふかい。
朝、厠にしやがんでゐると、ぽと/\ぽと/\といふ音、しぐれだ、草屋根をしたゝるしぐれの音だ。
・おとはしぐれか
といふ一句が突発した、此君楼君の句(草は月夜)に似てゐるけれど、それは形式で内容は違つてゐるから、私の一句として捨てがたいものがある。
   追加三句  (帰郷 やつぱりうまい水があつたよ、の句と共に句賛の三句とする)
・露のしたゝるしたしさにひたる
・別れて遠い秋となつた
 朝から百舌鳥のなきしきる枝は枯れてゐる
けさはほどよい起床だつた、すべてがおだやかに運ばれた、何かうれしい事でもないかな。
敬治坊からの返信は私を微苦笑させた、いづくもおなじ秋の夕暮、お互に借金の風にふきまくられてゐる。
どれ散歩でもせうか、それはまことに露のそゞろあるきでござりまする、はい、はい。――
こゝに庵居してからもう一ヶ月になる、落ちついたことは落ちついたが、まだほんとうに落ちついてはゐないらしい。
其中庵風景――その台所風景の傑作は酒徳利の林立であらう、いつでも五六本並んでゐないことはない。
I老人、竹伐りにきて、縁側でしばらく話しあふ、しづかでうらやましいといふ、誰でもがさういふ、そして感にたへたやうにあたりを見まはす、まあひとりで、かうしてやつてごらんなさいと私の疳の虫が腹の中でつぶやく、かうした私の生活は私みづから掘つた私の墓穴なのだ。……
竹を伐る――伐られる竹――葉のそよぎ――倒されて枝をおろされて、明るみに持ちだされて。――
寝て起きて、粥を煮て食べる、――今日も暮れた。
・もう、暮れる百舌鳥は啼きやめない
暮れてから(あまり暗いので、それは勘で歩いたのである)学校へ樹明君を訪ねる(彼は今晩宿直だから来るやうにといつてきたのである)、例によつて一杯よばれる、風呂にもよばれる、そして雑誌にもよばれたといつてよからう、ひきとめられるまゝに泊る、帰つたところで仕方もないから、もつとも帰つた時にお茶なりと飲むつもりで、炭をいけ床をのべてきたのだが。
読みつゝ寝た、昆虫の愛情についての記事が面白かつた、かういふ科学記事を読んでゐると、人間執着がとれてくる、動物としての自己他己観照が出来るやうになる。

 十月廿二日

眼がさめて、あたりを見まはすと変だ、変な筈だ、学校の宿直室に樹明君と枕を並べて寝てゐたのである、そして頭痛がする、胃の工合もよろしくない、昨夜飲みすぎたためか、硝子戸を密閉してをいたためか、そのいづれのためでもあらう、朝食をよばれる、麦飯と味噌汁と沢庵漬、器物が殺風景だつたが、それでもおいしく頂戴した、新菊と本とを貰つて戻る、金木犀の香がうれしかつた。
戻つてすぐ掃除、読経、それから炊事。
今日は郵便が来ない、新菊のおひたしはおいしかつた。
昼寝の夢を鮮人の屑買が破つた(売るものなんかあるもんかい、買ひたいものばつかりだ)。
読書、読むうちに日が暮れて夜が更けた。
たしかに私は飲みすぎる、食べすぎる、そして饒舌りすぎる。
窓いつぱいの日かげのてふてふ

 十月廿三日

晴、朝月があつた、よかつた。
鶏の声、お寺の鐘の音、百舌鳥が啼く、虫も鳴いてゐる、朝の音楽もなか/\よろしい。
蝶が身のまはりをバタ/\とびまはつてゐたが、読んでゐる雑誌のページに卵を産みつけた、何といふ忙しさ、しかし無理もない、こんなに秋も深うなつたのだから。
午後、湯にはいつてくる、農学校の運動会でみんな行くやうだが、今の私には行くだけの興味が持てない、あたりの秋色を味はひつゝ戻つた、戻つてよかつた、樹明君が留守にあがりこんで寝ころんでゐる、彼はデリケートな部分をいためて、痛い/\と苦しんでゐる、それは罰といへば罰だが、私としては一刻も早く樹明君が健康と幸福との持主となることを願はずにはゐられない。
学校まで引きかへして、そしてまた樹明君がやつてきた、一人では気がまぎれないので、ぢつとしてゐられないといふ、病む人に対してゐると私も病む人のやうに感じる、私だつて咳嗽で苦しんでゐるのだ、塩昆布に茶をかけては飲み、飲みして、とう/\薬マヽに二杯も飲んだ。
樹明君がお土産――といふより外ない――として塩鱒を二尾持つてきてくれた、早速台所につりさげる、そこらあたりが急ににぎやかになつた、うれしいなあと子供のやうによろこぶ、樹明大明神様々だ。
十時頃まで話す、話し倦くる塩マヽ昆布湯を飲んで。
暗夜送つて出て長い尿する

 十月廿四日

時雨模様、だん/\晴れて秋日和となる。
昨夜、樹明君が手をとつて教へてくれた三平汁(?)はめづらしくもあり、うまくもあつた。
今日から節食(節酒は書くまでもなし)。
時雨を聴く(音の世界、いや声の世界)、私の境涯
・しぐれ空のしらみつつしぐれだした
・しぐれては百舌鳥のなくことよ
・朝からしぐれて柿の葉のうつくしさは
 しぐれてきた裏藪に戸をしめる
 しぐれる落葉はそのまゝでよし
・もぎのこされて柿の三つ四つしぐれてゐる
 もうはれてしぐれの露が干竿に
虫があはたゞしくとぶ、こほろぎの恋、かまきりの恋、いなごの恋、今は恋のシーズン、やがて凋落の季節だ。
左の親指を火傷したので、右手ばかりでいろ/\やつてみる、やつてやれないことはないけれど、不自由千万である、指一本の力、その恩恵といつたやうなことを考へさせられる、そして片手の生活といふやうなことも。――
菜を間引く、雑草がはびこるには閉口する(神仏の前には菜も雑草もおなじものだらう)。
昼飯をすましてから学校へゆく、樹明君が宿直だからである、コヽアをよばれる、コヽアそのものよりもミルクがおいしかつた。
風呂をもらふ、夕飯をよばれる(樹明君は病気で飲めないのに私ひとり飲むのはすまなかつたが)、夜になつて戻つた、菜葉をたくさんさげて。
友はよいかな、ありがたいかな。
手探りで井戸の水をくんだ、何となく思ひが深かつた。
ふるればおちる葉となつてゐた
あつい茶をのんで、ぢつとしてゐる、身心が水のやうにおちついてきた、生死事大、無常迅速。……

 十月廿五日

まつたく朝寝だつた、床の中でサイレンを聞いたのだから。
寒い、寒い、冬物がほしいなあ、ことに今日はどんより曇つてゐるので、何だか陰気くさくて仕方がなかつた。
井戸端で菜葉を洗ふ。
落ちたるを拾ふ、のぢやない、捨てたのを拾ふのぢや!
さみしいよりもわびしかつた。
風、――林の風に耳を澄ました。
樹明君から来信、すまない、すまない、ほんとうにすまない。
味噌を頂戴した、田舎味噌のおいしさは。
夜は読書、露伴道人の洗心録はなか/\面白かつた。
寝苦しかつた。

 十月廿六日

すべてがもう冬の近いことを思はせる、とりわけ風の音が。
夜来の風のために、けさは落葉がいつもより多かつた。
郵便を待つても待つても来なかつた、頭が痛い。
よくない手紙――書きたくない手紙を書いた、ウソとマコトとをとりまぜて、泣言と愚痴と嘆願とを述べ立てた、あゝ嫌だ。
樹明居を往訪する、病気見舞でもあるし、お詑びでもある(私のワヤの余沫が同君へまで飛んだのである)、対坐してゐるのも気の毒だから、水を腹いつぱいよばれて戻つた(こゝの井戸はもう水が涸れて濁つて、とても生水は飲めない)。
・暮れてなほ柿もいでゐる
・明けるより柿をもぐ
・柿をもぐ長い長い竿の空
 あるけば寒い木の葉ちりくる
・秋のすがたのふりかマヽてはゆく
・ひとりの火がよう燃えます(改作)
・法衣ぬげば木の実ころころ(〃)
・更けてあたゝかい粥がふきだした
 夜をこめて落ちる葉は音たてゝ
あぶら虫にはとても好感は持てないけれど、あぶら虫の恋を考へるとき、いぢらしいやうな、おかしいやうな気分になつて殺したいところを逃がしてやることもある。
夜は読書、一茶を読んだ、私は趣味的に彼をあまり好かないけれど、彼の作品にはあたまがさがる(さげるのぢやない)。
また風邪をひきそへたらしい、ひきそへ、ひきそへ、ひきそへて、さて、その風邪はどうなる?

 十月廿七日

もう足袋がほしい、つめたさを感じつゝ、明星のまたゝき、片われ月の寒いかげを眺めた。
しかし、日中はよいお天気で、日向ぼつこがうれしい。
防府まで出かけるつもりだつたが(いふまでもなく金策のために)、頭痛悪寒がするので、床をとつて寝た、読むに層雲(今月は早くて来月号が今日来た)があるのはありがたい。
いよ/\閉戸子となつた、そして時々自分をあさましいと思ふ、あさましい事を考へるから、そして行はないでもないから。
石蕗の花のよさを知つた、野に咲いてゐても、また、床に活けてあつても。
りんだうの花を一つ見つけた、さつそく仏前にそなへた。
柿の木を所有するものは、その実に囚へられて、柿のうつくしさを知らない、あはれむべし。
さみしさは心の底から湧く、環境のためでない、境遇のためでない、性格のためである、センチと笑はれても仕方がない。
ゆふべ、あんまりさみしいから柚子をもいだ、ゆかしい匂ひかな、柚子味噌をこしらへるつもりだつたけれど、めんどうくさくなつたのでやめた、それでもすこし慰められた。
苦があつて句はない、苦を観照するだけの余裕を持つて初めて句が出来る。
もう醤油がなくなつた(それを買ふことが出来れば問題はない)、まだ味噌がある、塩がある、菜葉もあれば塩魚もあるぢやないか。
寒いのに冬物がない、ふつと思ひついて、レーンコートを下に着込んだら、めつきりあたゝかくなつた、このコートは関東大震災の時にS君から貰つたそれである、今夜はまた、あの当時の事をおもひ、S君の温情を味はつた。
昼も夜も寝てばかり、それでも食べることは一人前以上だ、驚くべき食慾であり、大きすぎる胃の腑である、もつとも私たちのやうなルンペン乃至ルンペン生活をやつてきた人間が、食慾を失ひ、そして食べるものを食べなくなれば、もうお陀仏である、彼等(私たちとはいひきれないから)は食べることが即ち生きることだから。――

 十月廿八日

六時のサイレンが鳴つてから起きた、飯を炊き汁を煮る、そして食べてまた寝る、今日も動けさうにない。
孤独よろこぶべし――が、孤独あはれむべし――になつてしまつた。
井戸がいよ/\涸れてきた、濁つた水を澄まして使ふ、水を大切にせよ、水のありがたさを忘れるな、水のうまさを知つてはじめて水の尊さが解る
秋日和、それはつめたさとぬくさとが飽和して、しんみりとおちつかせる、しづかで、おだやかで、すべてがしみ/″\として。
ぐずり/\して存らへてゐる、寝るでもなく、起きるでもなく、読むでもなく、考へるでもなく、――生きてゐるでもなく。――
あんまり気がめいりこむから、歩くともなく歩いた、捨てられた物を拾ふともなく拾ひつゝ(それはホントウのウソだ!)。
・ただ百舌鳥のするどさの柿落葉
・放つよりとんでゆく蜂の青い空
 子供も蝗もいそがしい野良の日ざしかたむいて
・秋の野のほがらかさは尾をふつてくる犬
 たそがれる家のぐるりをめぐる
・空からもいで柚味噌すつた
・真昼あはたゞしいこうろぎの恋だ
・秋の夜のふかさは油虫の触角
 秋の夜ふけてあそぶはあぶらむし
 障子たゝくは秋の夜の虫
・秋ふかうなる井戸水涸れてしまつた
 こゝろつめたくくみあげた水は濁つて
    □
・みんないつしよに柿をもぎつつ柿をたべつつ

 十月廿九日

けふもよいお天気で。
一雨ほしい、畑のものがいら/\してゐる。
憂欝、倦怠、焦燥。――
掃く、拭く、そして身心を清める。
とう/\水までなくなつた、米もおぼつかなくなつた。
待人来るか来らぬか、敬坊は、樹明老は。――
けふから貰ひ水、F家へいつたら誰もゐない、四季咲の牡丹がかゞやいてゐた、無断でバケツマヽに一杯、よい水を貰うて戻る(倹約すれば一日バケツ一杯の水で事足るのだから幸である)。
待人はなか/\来ない、出たり入つたり、歩いたり佇んだり、さても待遠いことではある、待たれる身にはなつても待つ身にはなるなといふ、ほんに待つ身につらい落葉かなだ!
もう諦めて、コツ/\柚子の皮を刻んでゐたら、さうらうとして樹明老がやつて来た、病気といふものはおそろしい、あれほど元気な君が二三日の間にすつかり憔悴してしまつてゐる、それでも約を履んで来てくれたとは――なぜ敬坊は来ないのか、すこし腹が立つた――ありがたい/\、うれしい/\、しかも、生きの飯鮹をさへ持つてきてくれたのだ、この鮹まさに千両!
御馳走は何もない、橙湯をあげる、そして何かと話して、たそがれの草道で別れた、お互にたつしやでうまい酒をのむやうになりたい、至祷々々。
茶の花――石蕗の花
観音経――修證義
飯鮹は、煮るに酒も醤油もないから茄でゝをく、此地方の地口に、「ようもいひだこ、すみそであがれ」といふのがある、敬坊が来たら、酢味噌で食べさせて、うんと不平をいつてやらう。
今夜はさびしい、樹明君(老の字は遠慮しよう)がおいていつたバツトをふかしながら物思ひにでもふける外ない。
・お留守しんかんとあふれる水を貰ふ
・待つて待つて葉がちる葉がちる
・あるくほかない草からぴよんと赤蛙
    □
・つぎ/\にひらいてはちる壺の茶の花
・秋の夜のどこかで三味線弾いてゐる
・葉がちるばかりの、誰もこない

 十月卅日

けさは早かつた、そしてとてもいゝお天気だつた、文字通りの一天雲なし、澄みきつて凛とした秋だつた。
かうしてゐると、ともすれば漠然として人生を考へる、そしてそれが自分の過去にふりかへつてくると、すべてが過ぎてしまつた、みんな死んでしまつた、何もかも空の空だ、といつたやうな断見に堕在する、そしてまた、血縁のものや、友人や、いろ/\の物事の離合成敗などを考へて、ついほろりとする、今更、どんなに考へたつて何物にもならないのに――それが山頭火といふ痴人の癖だ。
落葉を掃いてゐるうちに、何となしにうれしくなつた、よいたよりがあるかも知れない、敬坊は今日こそやつてくるだらう、……ところが、悪い手紙が来た(S女から)、予期しないではなかつたけれど、悪い手紙はやつぱり悪い、読むより火に投じた。
しかし、私は、だいぶ長らく私自身から遊離してゐた私は今、完全に私自身をとりもどした、私は私自身の道を歩む外ない、私自身の道――それは絶対だ。
私は知らず識らず自堕落になつてゐた、与へられることになれて与へることを忘れてゐた、自分を甘やかして自分を歎いてゐた、貧乏はよい、しかし貧乏くさくなることはよくない、貧乏を味ふよりも貧乏に媚びてゐた、孤独を見せびらかして孤独をしやぶつてゐた。……
樹明君から胃の名薬(一名白米)が到来した、何といつても米と水と塩とさへあれば、私は当分死なゝいですむ、命の恩人だ、井月の口吻をまねすれば、千両、千両!
殺されて、焼かれて、油虫が香ばしい匂ひを発する、人間は残忍至極の動物なるかな(油虫は人間を害しはしない)。
午後、敬治坊を待合せるべく樹明君来庵、夕方まで話しながら待つてゐたが敬治坊遂に来ない、敬治坊よ、二人まで待ちぼけさせるとはあんまりひどいぞ。
樹明君が畑を中耕してくれた(君は病人であることを忘れてはならない、そして畑作りの私が中耕を御存じなかつたことも忘れてはならない)、中耕、中耕、なるほどさうか!
昨日今日のよい気分が夜になつて少々いら/\してきた、早く寝床にはいる、とても寝つかれはしないけれど。
・電燈から子蜘蛛がさがりれいろうと明ける
・朝はよいかな落ちた葉も落ちぬ葉も
 とほくちかく稲こぐひゞきの牡丹咲いてゐる
・こんなところに茶の花がけさの雰囲気
・掃いてきて何とこれがらつきようの花
 わたくしのほうれんさうが四つ葉になつた
 あゝしてかうして草のうへで日向ぼこして
 蠅が、秋蠅がもつれより
・病人を見送つて落葉する木まで
・恋のこうろぎが大きい腹をひきずつて(改)
今日の所感二三追記する。――
茹でた章魚タコを切りながら、章魚といふものをよく見て、もう章魚のうまさの半分を無くしてしまつた、それほど章魚は怪物だ、グロのグロだ、章魚を最初に食した人間はよほどの人間(賢愚によらず)であつたに違ひない、海鼠も怪物だが、彼には何処となく愛嬌がある、章魚を食べるに比べては、蚯蚓や蛞蝓や蜘蛛や百足位は何でもないのに、前者は賞美せられて、後者は見向きもされない、なるほど習慣といふものは恐ろしいと思ふ。
坊主の綽名を鮹ともいふ、頭部がつるりとしてゐるからだらうが、私ばかりでなく坊主には鮹好きが多い、とにかく私は鮹好きだが、自分で料理すると、あのぬめ/\した吸盤が眼について、食慾をそゝられない、総じて日本料理はで最初に食べ、そしてで味ふ品が多いが、鮹は見ないで、舌、いやで食べるべきだらう。
畑をいつも飛びまはつてゐるこうろぎも、もう孕んでゐるらしい、手や足が一本位ないのが多い、恋の痛手とはこのことだらう。
といふものには特殊な情趣がある、今日は樹明君と二人で粥を煮て食べたが、何だかしみ/″\としたものを感じた、庵には誰も来ない二人で二人の夜を――といふ樹明君の近作があるが、あのあつい粥をふき/\すゝりあふところにはしたしさそのものが湯気のやうにたちのぼるやうだつた。
十七日から今日まで十三日間、よく私も辛抱した、十七日の朝、財布をしらべたら二十五銭あつた、そこで十銭が醤油、五銭が撫子、十銭が焼酎となつて、まつたくの一文なしとなつた、そして今日まで一文なしで暮らしてきたのである(米とか味噌とはマヽ別にして)、酒も暫らく飲まない、飲まうにも飲めない(もつとも、その間に樹明君に三度ほど御馳走になつた)。
夜になつて風が出て、木の葉がしきりに落ちる、落葉は見てよりも聞いてさみしい、また聞くべきものだらう。

 十月卅一日

昨日よりもよいお天気で。――
そして私はいら/\して、とてもぢつとしてはゐられないので、十時過ぎ、冷飯を掻きこんで、ぶらりと外へ出た、さて何処へ行かうか、行かなければならないところもなければ(あることはあるけれど行けない)、行きたいところもない、まあ、秋穂方面でも歩かうか。
途中、駅のポストへ出したくない――だから同時に出してはならない手紙を投じた。
椹野川に沿うて一筋に下つてゆく、潮水に泡がういて流れる、秋の泡とでもいはうか、堤防には月草、撫子が咲き残つてゐる、野菊(嫁菜ではない)がそここゝに咲いてゐる、砂ほこりが足にざら/\して何だか物淋しい、やたらに歩いて入川の石橋に出た、海は見えないけれど、今日は立干をやつてるさうで、鰡が上つてくる、それを網打つべく二三人の漁夫が橋の上で待つてゐる、見物人が多い、私マヽその一人となつて暫らく見物した、そして労れたので、そこからひきかへした、名田島の中央を横ぎつて、駅の南方をまはつて帰庵したのは夕方だつた、それから水を貰ふやら、粥を煮るやら、お菜をこしらへるやらするうちに、すつかり暮れてしまつた。
出来秋の野良仕事はまことにいそがしい、その間をぶらつく私は恥づかしかつた、私はまつたく不生産的人間だ、社会の寄生虫だ!
夜は早寝した、明日は朔日だ、よし、明日からは働かう。
・水音の秋風の石をみがいてゐる
 水はたたへて秋の雲うつりゆく
   ざれうた一首
 何もかもウソとなりたる世の中に
  マコトは酒のうまさなりけり

 十一月一日

曇、早起、御飯を食べて、御経をあげて、さて本でも読まうかといふところへ樹明君が長靴をひきずつてきて、ひよつこり顔をだした、顔色がよろしい、今朝は部落の早起会で(彼は青年団長である)仕事をすましてそのまゝ来たといふ、敬治坊からの手紙を見せる。
果して敬治坊は耽溺沈没したのだつた、関の鴉に笑はれたらしい、私へは、叱られるから手紙を出さないと書いてある、私には彼を叱る資格はないが、彼を叱るだけの熱意を私が持つてゐることを知つてくれてゐるのはうれしい、お互にもう過去をすつかり清算してもよい、いや、さうしなければならない時期になつてゐる。
敬治坊、これからは、うまくない酒、悔をのこすやうな酒は、お互に断然あほらないことを誓約しようぢやないか、そしてそれを断然実行しようぢやないか、敬治坊!
物の声といふものはおもしろいものである、けさも、鶏の鳴声や汽車の音響によつて、もう夜明けにちかいことを知つた、大気の関係で、同一の音がいろ/\に響くものである、そしてけさはまた風の工合で、駅売の触声がよく聞えた、べんとう、べんとう、――だが、ビール、正宗は聞きとれなくて仕合だつた。
私の無一文を気の毒がつて、樹明君が彼も此頃乏しい銭入から風呂銭として、二十銭おいていつた、私はその十銭白銅貨二つを握つて、考へた。――
これは樹明君へ与へる山頭火報告書である。――
一 金三銭 入浴料一回分    一、四銭 撫子小包
一 金五銭 焼酎五勺      一、五銭 醤油二合
  (此誤記は不用意の皮肉だ) 一、三銭 端書弐枚
 〆金弐拾銭也 差引残金なし
この報告書の具体的記述はかうである。――
正午のサイレンをきいてからぶらりと出た、まづ風呂にはいつた、まだ風呂が沸いてゐないので、待つ間におかみさんから針と糸とを借りて、ほころびを縫ふたも一興、それから例のをギユツ、まことにこれは一週間振の一浴であり、一週間振の一杯(正確にいへば半杯)だつたのである、そして今日は椹野川にそうて溯つた、この道にもいろ/\のおもひでがある、身にあまる大金をふところにして山口の税務署へいそいだこともあれば、費ひ果して二分も残らず、ぼう/\ばく/\としてさまよふたこともある、そんな事を考へたり、あちこちの山や野や水を眺めて、とう/\大歳駅まで来てしまつた、そして新国道をひきかへしたが、かへりついたのは薄暗い頃であつた。……
朝も三平汁、昼もおなじ三平汁(三平汁は樹明直伝のもの、朝も三平、昼も三平、そして晩も三平だつたら、合して九平、クヘイ、クヘイ)、晩はにんぢん葉の煮付、何を食べてもうまい、此点に於て、私はほんとうに幸福だ、やつぱりメグマレテヰル!
 朝早い柿をもぐより食べてゐる(樹明君に)
・この山里へ朝からひゞくは柿買車で
 わが庵の更けては落葉の音するだけ
・道はひとすぢの、バスがくる蟹がよこぎる
・重荷おもくて高きへのぼるたかい空
ちよつとそこらの枯枝をひろひあつめたゞけで、茶を入れるほどの湯はわいた、その茶のよろしさ、あたゝかう身ぬちへしみ入つた。
仏説四十二章経を読んだ、恥ぢ入つた、出家沙門とは何ぞや、あゝいたい、いたい、いたい。
今日の新聞の運勢欄が眼についた、かう書いてあつた、――一白の人、満山紅葉の錦を以て飾られし如く美々し、――これは美々しすぎる、そんなに美々しくなくてもよろしい、ちよい/\、ところ/″\美々しければ結構ですよ、それはとにかく、もう紅葉シーズンとなつた、見わたす山の雑木紅葉がうつくしい、石の鳥井に銀杏のかゞやき、白壁土蔵に楓の一もと、などはありふれた月並風景だけれど、さすがに捨てがたいものがある、小高い丘の雑木二三本、赤く、黄いろく、もみずつてゐるのは、たちどまつて眺めずにはゐられない。
私が秋晴半日逍遙してゐる間に、樹明君が帰宅の途上、立寄つたらしい、いつぞや無心しておいた原稿紙がちやんと机の上に持つてきてある、そして汽車、自動車の新らしい時間表が襖に貼りつけてある、多謝々々。
今夜は久しぶりおいしい水をのんだ、F家の井戸の水はよい水だ。

 十一月二日

昨夜は割合によく眠れたので、今朝の眼覚めもわるくない、お天気は照つたり曇つたり、晴れた方が多く温かだつた。
夢窓国師夢中問答集を読む。
やつと酒壺洞君から鉢の子到着、これは寄贈用として。
今日も出歩かずにはゐられなかつた、早昼飯を食べてから、西へ西へとたどつた、道が時々なくなるので、引き返したり、がむしやらに雑草を踏み分けたりして、やうやく小山を一つ越えて、嘉川へ着いた、こゝにもおもひでがある(周中三年生として下関へ修学旅行途上の一泊地だつた、等、等)、そしてそこから旧国道を戻つて来た、土ほこりには閉口した、そのために、だん/\憂欝になつて、とう/\頭痛がしだした。
夕方、樹明君来庵、茶をのんで、粥をたべて、しばらく話しあつた、君も近来禁酒で(疾病のために)、そして私が怠慢なので(三八九の原稿も書かないから)、何となく不機嫌だつた、私は内心、気の毒やら申訳ないやらで恐縮したことである。
関門日々新聞の九星欄を見ると、――一白の人、紅葉の美も凋落し葉を振ひ落せし如き日――とある、これではたまらない、何とかならないものかな、もつとも、私はいつも裸木だが!
山の野菊(嫁菜の類)、龍胆がうつくしかつた、ひたゝきもめづらしく可愛かつた、この小鳥を見たのは何年ぶりだらう、山柿や櫨紅葉のよいことはいふまでもない。
りんだうを持つてかへつて活けた、山の花として満点。
・みんなもがれてこの柿の木は落葉するばかり
・この山奥にも田があり蝗があそんでゐる
・りんだうはつゝましく蔓草のからみつき
・見はるかす野や街や雲かげのうつりゆくを

 十一月三日

天地玲瓏として身心清明、菊花節。
ほんとうによいたよりがあつた、同時にそれは恥づかしい(受取人の私には)たよりでもあつた。
句集を寄贈発送する、ほがらか/\。
樹明君来庵、ひさしぶりに飲んだ、酔うて歩いた、歩いてまた飲んだ、別れてから少ワヤ、おそくかへつてきてお茶漬をたべる、独身者は気軽でもあればみじめでもある。
葉が落ちる、柿、枇杷、棗。――
・秋はほがらかな日かげ、もう郵便がくるころ
・みほとけはひとすぢのお線香まつすぐ
・落葉ふる奥ふかくみほとけを見る

 十一月五日[#「十一月五日」はママ]

今日一日は殆んど寝て暮らした、もつたいないことである。
昨夜はやつぱり飲みすぎ歩きすぎだつた、しかし脱線ではなかつた、混線程度にとゞまつた。
それでも労れた、何しろ半月ぶりだつたから――もつとも時々あのぐらゐの酒と乱歩とがないと、生存してゐられない。
 寝てをれば花瓶の花ひらき
・今日の落葉は落ちたまゝにしておかう

 十一月六日[#「十一月六日」はママ]

朝寝した、晴れてゐる、元気回復、何でもやつてこい!
敬坊から来信、「松」十一月号が来る。
落葉を掃きつゝ、身も心ものびやかに、大空を仰ぎつゝ。
何となく人の待たれる日、といつて誰も来ないけれど。
正午のサイレンをきいてから湯屋へ、かへりみち、墓場の黄菊(これがほんとうの野菊であると思ふ)を無断頂戴して来て、仏前に供へ奉つた。
銀杏かゞやかに、山茶花はさみしく。
このあたりには雀がゐない、どうした訳だらう、私は雀に親しみを持つてゐる。
裏を歩いたついでに拾うてきた枯枝で、ゆふべの粥がうまく出来た、何でもない事だけれど、ありがたい事である。
日ごろはつゝましく、あまりにつゝましく、そして飲めばいつも飲みすぎる、――これも性であり命である、一円をくづして費ふ人もあれば、そのまゝ費ひ果す人もある。
業報は受けなければならない、それは免かれることの出来ないものである、しかし業報をいかに受けるかはその人の意志にある、そして生死や禍福や、すべてを味到することが出来る力は信念にのみある。
 もう穴に入るまへの蛇で日向ぼこ
・ほがらかにして親豚仔豚
・夕日の、ひつそりと落葉する木の
・音がして落ちるは柿の葉で
・あれは木の実の声です
・夜はしぼむ花いけてひとりぐらし
夜に入つてから樹明君来庵、渋茶をすゝりながらつゝましく話して別れた、月も林のかなたに、汽車の響がもうだいぶ更けたらしい調子になつてゐた。
アルボースせつけんのきゝめが意外にてきめんなのに驚かされた、まだ二回しか使はないが、それでも頭部のかゆがりがかゆマヽくなくなつた、私が此頃とりわけいら/\している源因の一つは、このかゆがりがかゆくてかゆくて、かけばいたむし、かかずにはゐられないし、それこそ痛し痒しの苦しみだが、そのかゆがりにあると思ふ、しかし痒いところを掻く時の気持は何ともいへない快さである。

 十一月六日

けさも朝寝、お寺の鐘を床の中で聴いた、空はどんより曇つてゐるが私の心は重くない。
妙な、珍らしい夢を見た、Sさんが訪ねてきたのである、そしてさらにKさんも訪ねてきたのである、そこへ父があらはれる、彼の彼女があらはれる、あの懐かしくてならない老祖母までがあらはれてくれたのであつた。……
ひたきがきて、そこらで啼いてゐる、すぐ出て見たけれど、枝から枝へうつるらしい姿は眼に入らない、やがてどこかへ飛んでいつてしまつた。
雀がゐないのはまことにさびしい、樹明君の説では、このあたりは藁屋ばかりで巣がかけられないからだらうとの事、さうかも知れない、では私が一つ雀の宿をこしらへてあげやうか。
はらみこうろぎは腹がおもくてとべないので、よち/\あるいてゐる、子蜘蛛がおほぜいで網を張るおけいこをしてゐた。
午後一浴(一杯がないのは残念々々)、もうトンビをきてゐる人もあるのに私はまだ単衣だ、KSよ、早く送つてちようだい。
酒屋さんが空罎とりにやつてきた、酒のことを話し合ふ、酒では私も専門家の一人だ(酒客としても、またかつては同業者としても)、今日の会話はこれだけ。
日暮頃から、やうやう雨になつた、慈雨といつてよからう、野良仕事には困るだらうけれど、水不足には一層困るから。
・山をあるけば木の実ひらふともなく
・水くんでくる草の実ついてくる
 森はまづいりくちの櫨を染め
夜はしづかだつた、雨の音、落葉の音、そして虫の声、鳥の声、きちんと机にむいて、芭蕉句集を読みかへした、すぐれた句が秋の部に多いのは当然であるが、さすがに芭蕉の心境はれいろうとうてつ、一塵を立せず、孤高独歩の寂静三昧である、深さ、静けさ、こまやかさ、わびしさ、――東洋的、日本的、仏教的(禅)なものが、しん/\として掬めども尽きない。

 十一月七日

とう/\朝寝坊になつてしまつたが、眠られないより眠られる方がよろしい、よき食慾はあつたけれど、よき睡眠はなかつたから。
今日は立冬、寒い、寒い、洟水が出るから情ない、冬隣から初冬へ。
晴れてはあたゝかく、曇れば寒い。
樹明君からサクラ到来、そのためでもあるまいが、少し跳ねて少しワヤ!

 十一月八日

やつぱり跳ねすぎた、――飲む、寝る、――そして。
盃の焼酎に落ちて溺れて蠅が死んだ、それは私自身の姿ではなかつたか。

 十一月九日

ブランクだ、空白のまゝにしてをかう。
十日の分もおなじく、さうする外ない。

 十一月十一日

星城子君から小包が来た、今春預けて置いた古袷を送つて下さつたのである、これでやつと冬着をきることが出来る。
この一封を見よ(山頭火様御煙草銭として若干金添入してあつた)何といふあたゝかい星城子君の志だらう、剣道四段の胸に咲いた赤い花ではないか。

 十一月十二日

どうしても身心がすぐれない。
昨日、星城子君から戴いたゲルトを汽車賃にして白船居を訪ねる、いつ逢つてもかはらない温厚の君マヽ人、すこし快活になつて、夜は質郎居で雑草句会、いつものやうに与太もとばせない、引留められるのを断つて二時の夜行列車で防府まで、もう御神幸はすんでゐた、夜の明けるまで街を山を歩きまはつた、此地が故郷の故郷だ、一草一木一石にも追憶がある。
佐かた利園はやつぱりよかつた、国分寺もよかつた。
石へ月かげの落ちてきた
   □
街はお祭の、せつせと稲を刈つてゐる

 十一月十三日

ます/\憂欝になる、白船居でめぐマヽれた快活が防府でまたうばはれてしまつたのだ。
篤君に逢つたのはうれしかつた、そして東路君に逢へなかつたのは、遺憾といふよりも不快だつた。
一時の汽車で戻つた、戻つたことは戻つたけれど、ぢつとしてゐられないから、街へ出かけてシヨウチユウを呷つた、そして脱線しえられるだけ脱線したらしい(意識が朦朧としてゐたから)。

 十一月十四日――十七日

ブランク、強ゐて書けば、降つたり晴れたり、寝たり起きたり、泣いたり笑つたり。

 十一月十八日

柿はすつかり葉をおとした、裸木もそうごんなものだ。
茶の花ざかり、枇杷の花ざかり。

 十一月十九日

どうにもかうにもやりきれないから、一升借りてきて一杯やつてゐるところへ樹明君来庵、さしつさゝれつ、こゝろよく飲んだ、そして街までいつしよに出かけて、また二三杯。
私はいつものやうでなく、しつかりしてゐたが、樹明君は日頃に似合はず酔ひつぶれてしまつたらしい(私は先に帰つてきた)、君の酔態を観てゐると、私は私自身の場合よりも悲しく感じる。

 十一月二十日

未明に樹明君がひよろ/\してやつてきた、そして一日寝て暮らした、みじめな二人だつた。
樹明君は夕方に帰宅して、またやつてきた、あの良妻をごまかしたのである、私は家庭争議の起らなかつたことを喜ぶと同時に、君の酒癖を憎まずにはゐられなかつた。
樹明君の妻君に幸福あれ。
今日一日、私はめづらしく冷静だつた。

 十一月廿一日

私の近来の生活はただ愚劣の一語に尽く。

 十一月廿二日

独坐、読書。

 十一月廿三日

すこし気分がよくなつた、一升借りてきて樹明君と飲む。
夜、街の人々といつしよに飲んだ、可もなく不可もない酒だつた、樹明君から或る家庭争議を聞いた、情痴といふやうな事は私にはよく解らない。

 十一月廿四日

しぐれ、しぐれ、しぐれ。
ありがたい米をいたゞいた、お米観音とでもいはうか。
柿もぎにきたS家の子供がやたらに花をむしる、それをSがむやみにむしるなと叱る、しかしS自身が花をむしつてゐるのだ、彼はそれを花瓶に活けるではないか!
胃袋が強すぎて頭脳が弱すぎる、それが私だ、また、胃袋は正直で頭脳は横着だ、それは誰もだ。

 十一月廿五日

けふもしぐれる、身心やゝよろしくなる。
こほろぎの子、あぶらむしの子、子は何でもかあいらしい。
雨に汚れ物――茶碗とか鍋とか何とか――を洗はせる、といふよりも洗つてもらふ。
俳句講座を漫読して、乙二を発見した、何と彼と私とはよく似てゐることよ、私はうれしかつた、松窓七部集が読みたい、彼について書きたい。
けふはほんとうにしみ/″\としぐれを聴いた。
・さんざふる夜の蠅でつるみます
・たゞ一本の寒菊はみほとけに
・山茶花さいてお留守の水をもらうてもどる
・誰かきさうな空からこぼれる枇杷の花
・しぐれたりてりだしたりこゝそこ茶の花ちつて
・冬蠅とゐて水もとぼしいくらし
   改作二句
 この柿の木が庵らしくするあるじとして
 こゝにかうしてみほとけのかげわたしのかげ(晩課諷経)

 十一月廿六日

徹夜、ほんとうの自分をとりもどす。
澄むなら澄みきれ、濁るなら濁りきれ、しかし、或は澄み或は濁り、いや、澄んだらしく、濁つたらしく、矛盾と中途半端とを繰り返すのが、私の性情らしい。
いくら考へても仕方がないから歩いた、私はやつぱり歩かなければならないのだ、歩きつゝ考へ、考へつゝ歩くのだ、そして歩くことがそのまゝ考へることになるかも知れない(此場合の『歩くこと』は必ずしも行乞流転を意味しない)。
櫨を活ける、燃えあがる情熱だ、同時に情熱の沈潜だ、赤の沈黙だ、自然の説法だ。
久しぶりに掃いた、柿の葉はすつかり散つてしまつて、枇杷の花がほろ/\こぼれる、森の栗の葉がちらほらとんでくる。
落ちついて身辺整理、机の上が塵だらけだつた。
人生は『何を』でなく『如何に』ではないかとも思ふ、内容は無論大切だが、それはそれを取扱ふ態度によつてきまるのではあるまいか。
樹明君が来て、私の姿は山男のやうだとひやかす、ひやかしぢやない、じつさいなのだらう、山から来た男どころか、泥沼でもがく動物だらう。
やつぱり酒だ、最後には涸れた川へ転落した。

 十一月廿七日

敬坊のやつてくる日だ、予期すると先月のやうに違約されたとき癪にさわるから、待たないやうにして待つてゐるのだ。
午後になると、樹明君が待ちきれなくてやつてきた、連れだつて敬坊の実家附近へゆく、ゐた、ゐた、今、帰つたところだと敬坊がいふ、坊ちやんがついてゐる、奥さんの用心ぶかい策かも知れない、瘤つきの敬坊! 防腐剤添加の敬坊、坊ちやんは私を忘れてゐなかつた。
途中、茶店で食べた鰯の卯の花鮨はうまかつた。
樹明君が鯨肉、私が海老雑魚、敬坊がヱソを買ふ、酒も醤油も彼に買はせる、たいへんな御馳走だ、まづ鯨の酢の物、ヱソの刺身、たゝき魚の吸物、海老の煮付、等、等、等だ。
其中庵の饗宴だけでは足らないので、三人揃つて街へ、そして例ので要領よく飲んだ、この三人で、この始末は大出来々々々。

 十一月廿八日

しづかな一日、しぐれがわびしかつた、友がこひしかつた。
昨日、樹明君から袷、敬坊から帽子を頂戴した。

 十一月廿九日

朝早くF家から蕪と柿とを貰つた、そしてSから冬着を送つてきた、ありがたし、かたじけなし。
寒かつたが上天気だつた、私だけには。
樹明君が夕方来て、入浴(十日ぶりだつた)して着物を改めてゐる私を見て、眼をみはつた、が、紳士のやうだはマヽいつてくれなかつた。

 十一月三十日

寒い、水仕舞する手が冷たい、もう足袋なしではゐられない、いよ/\本格的に冬となつた。
まことに好いお天気である、山を歩きまはる、どてらをきて、層雲をもつて、――とんぼまでうれしがつてゐる、山笑ふは春の季題だが、秋の山だつてほゝゑんでゐる。
ほつといた音信を書く、駅のポストまで出かける。
私は柿を食べるよりも眼で味ふ、私は不幸にして、まだ木の実の味はひを解してマヽらない。
畑の野菜が食べきれないほどになつた、ちしや、ほうれんさう、しんぎくのうまさよ。
夕方から約束通りに学校の宿直室で樹明君と飲んだ、飲みすぎた、ソーセージはうまかつた、理髪して貰つてうれしかつた。
・あしもとのりんだう一つ二つひらく
 からだいつぱい陽をあびとんぼに好かれる
自省自戒の言葉二三。
夜は長かつた、暗かつた、朝が待ち遠かつた、とう/\朝が来た、死にたくても死ねない人生だ、死ねないのに死にたい人生だ。

 十二月一日

更生一新の朔日でなければならない。
何ともかともいへない好日だ。
昨夜の今朝だから、だいぶ労れてはゐるけれど、身も心も軽い、冬に春がある、さういふ今日だ。
樹明君が朝早く来た、微醺を帯びてゐる、昨夜の残りをひつかけたのださうな、ソーセージがうますぎて少々あてられたといふ、談笑ちよつとで別れる。
釣瓶から蛙がとびだした、彼は文字通りの井底蛙だつたのだ、広い大地をぴよん/\とんでいつた、彼に幸あれ。
何よりも借金取が嫌だ、それほど嫌なら借金しなければよいのに――今日の借金取はFのおばさん、彼女は最初の来庵婦人といつてよからう。
大した借金はないが、また出来もしないが、借金だけはしないやうに努めませう(つまりマヽで飲まなければよいのです)。
今日も山を歩いた、私の別荘――山裾の草原日向――で読書したり冥想したりした、来庵者はこゝへ連れて来たいと思ふ(うまい水もわいてでる)。
・けさはけさのほうれんさうのおしたし
・茶の木も庵らしくする花ざかり
・すくうてはのむ秋もをはりの水のいろ
・冬山をのぼれば遠火事のけむり
・あたゝかくあつまつてとんぼの幸福(とんぼの宿)
・赤さは日向の藪柑子
・とんぼにとんぼがひなたぼつこ
 ちろ/\おちてゆく冬めいた山の水
・ふめば露がせなかに陽があたる
    □
・お地蔵さまのお手のお花が小春日
    □
・めつきりお寒うなりました蕪を下さつた
 霜の落葉にいもりを汲みあげた
夜、樹明君が酒とソーセージとを持つて来庵、酒もうまい、ソーセージもうまい。
更けて街まで送つてゆく(といふつもりで出かけたが、途中すぐ別れた)、そしてそこらをたゞ歩いて戻つた、歩けば心がなぐさむといふのか、さりとは御苦労千万。

 十二月二日

日々好日でもない、悪日でもない、今日は今日の今日で沢山だらう。
鉄筆を握つたり、肥柄杓を握つたり。

 十二月三日

第五十回誕生日、形影共に悲しむ風情。
午後、樹明来庵、程なく敬坊幻の如く来庵、三人揃へば酒、酒、酒。
酒が足りなくて街へ。――
しぐれへ三日月へ酒買ひに行く
例によつて街を飲みマヽいたが、三人とも無事に帰庵、三人が枕をならべていつしよに寝てゐるのは珍妙だつた。
・茶の花や身にちかく冬のきてゐる
・落葉して大空の柚子のありどころ

 十二月四日

お誂向の雨、迎酒なかるべからずで、また街まで酒買ひに、……それからワヤ、大ワヤ、……昨夜のメチヤに今日はクチヤを加へた!

 十二月五日

昨日のワヤのつゞき、ムチヤクチヤだ。
敬坊をおきざりにして帰庵する、そこらを片づけてすこしおちつく、ぐつすり寝た。

 十二月六日

鉄筆を握りつゞける。
樹明来、家庭の空気が険悪ださうな、あたりまへだ、梅川忠兵衛のやうな場面を演じた罰だ、おとなしくあやまつて、しばらく謹慎すべし、あなかしこ。
風がふく、いやに身にしみる風だ。

 十二月七日

終日、三八九の仕事。
夜おそく樹明君が来てお土産の新聞包をひろげた、巻鮨、柿、ザボン、焼魚、それは或る家によばれて貰つたのだといふ、酒はないがおいしかつた。
・住みなれて茶の花のひらいてはちる
・冬日の葉からとべばとべる虫

 十二月八日

しぐれたり照つたり、何だか小雪でもふりさう。
やつと三八九出来、すぐ発送したいのだが、郵便料がない、それでもまあこれで一安心、重荷をおろしたやうな心持。
冬は濁り井のなぐさむすべもなくて
これは実感そのまゝだ、濁り水を常用してゐるせいか、先日来腹工合が妙である。
一週間ぶりに入浴、さつぱりして夜食は白粥。
強ゐられた善人はみじめだ、強ゐられた貞婦、強ゐられた高僧。
△人間は買ひかぶられるよりも見さげられた方がよい。
ムリのない生活、ムラのない生活、それは必ずしもムダのない生活ではないが。
もう凩だ、冬雨だ。
樹明君よい御機嫌でお土産持参、有難く頂戴、それは醤油一升罎、お正月までは大丈夫だ。

 十二月九日

晴れ/″\とした、自然も人間も。
昨日、発行届を出すのに、内務大臣の名を忘れてゐた、中橋か、山本か、まゝよとばかり中橋にしたら、山本だつた。
何もかも忘れるとよいのに、自分自身をも忘れてしまへ。
△型にはめて生きた人間を評して貰ひたくない、生身は刻々色もかはれば味もかはる、それでよいのだ、それが本当だ、私は私でたくさんだ、山頭火は山頭火であればけつかうだ。
食べても食べてもほうれんさうが食べきれない、といふやうな事を思ふのも人間のエゴだらう。
△木の実の味が解らないでは、自然を十分に味へない、自然は眼でも耳でも舌でも――からだぜんたいで味はなければならない。
世の中はウソもマコトもなかりけり
    火はあたゝかく水はすゞしく
これが三八九を綴ぢながらの感想だつた。
左足が神経痛で、少々びつこをひくやうになつた、けつかう、けつこう、足が一本になると身持がよくなる、よくならずにはゐまい(両足ともいけなくなつては、いつぞや樹明君と話しあつたやうに、自殺しなければなるまいから困る、自殺そのものには困らないけれど、後始末に困るだらうと思ふ)。
夜は樹明君が手伝つてくれた。
私の大根は葉ばかり出来て根が出来ない、大根でなく大葉だ、それでも今朝おろしにして食べたらうまかつた。
△自分の手で作つた野菜はヨリうまい、これはエゴぢやない、自然と自己との融合調和からくるよろこびだ(自分の所有する土地で出来た野菜だからうまいといふのはエゴだらう)。
死期遠からず――何となくこんな気分になつた、心臓の悪いことは自分でもよく知つてゐるが、それよりほかに、何物か自分に近づいてくるけはひを感じる。

 十二月十日

寒い、霜、氷、菜葉を洗ふ手がかじけた、このごろは菜葉ばかり食べてゐる、ほかに食べるものもないが。
△手といふものはありがたいものだと、手をうごかしながらつく/″\思つたことである、自己感謝とでもいふか。
貧苦と貧楽御酒漫談、などゝ他愛もない事を考へながら三八九の発送準備、それにつけても郵送料二円ほど欲しいなあ。
晩方、Jさんが白菜二玉持つてきてくれた、見事々々。
私の生活を羨むなかれ、これはウソからでたマコトだよ。
・いつしか明けてゐる茶の花
・ひらりとおちたは蔦のいちまい
・よい月夜の誰かを待つ

 十二月十一日

今日ですつかり三八九の仕事がをはつた、切手を貼つて出しさへすればよいのだが、さて質入するやうな物はなし、売るほどの品はなし、山口へ行乞するよりほかに仕方はあるまい、どこからか一枚舞ひこまないかな、咄、乞食根性!
腹がいたい、泥水のおかげだ、意味深長々々。
ふと干柿をちぎつて食べた、何といふうまさだらう、私ははじめて柿のうまさを知つた、二つ、三つ、六つ食べた、実に何ともいへない甘さだ、自然そのものの甘さだ、太陽の甘さといつてもよからう、これも一つの生甲斐だつた。
独語と寝言、独身者が老後になればね。
或る男の手記、彼はま夜中にひとり踊る、何を踊る、ステテコ、ステテコ、オツトヤレコラ、ハクシヨイ。
酒が飲みたいよりも煙草が吸ひたくてたまらないので、最後の五銭玉を握つて出かける、なでしこ四銭、それからN酒店へいつて、カケで焼酎一杯、御馳走々々々、まだ一銭銅貨が残つてゐる。
遠眼と近眼とこんがらつマヽてさびしうする。
樹明君が新そばの粉を持つてきてくれた、茶をのみながら浮世話、今夜はいやにしめつぽく語りつゞけた。
・しぐれる夜の歪んだ障子
・茶の花のちるばかりちらしてをく

 十二月十二日

雨となつてあたゝかくなつた、山口行はオヂヤンになつたが仕方ない、あすはよい日だらう、まあ、よい日としてをかう。
鴉啼がよくない、何だか気にかゝる、人の身も自分の身も。
けふもよくしぐれる、午後は風が出てさみしがらせた。
あれこれと用事がある、今月は――先月は気分が悪くて怠けたが――句稿を層雲社へ送るべくまとめた。
夜はさみしかつた、必ずしも酒がないためばかりではない。
 ほほけすゝきに風がある紅葉ちりつくし
・きものがやぶれる音をゆく霜朝
・誰も来ない茶の花がちります
・お茶漬さら/\わたしがまいてわたしがつけたおかうかう
・もう冬がきてゐる木きれ竹ぎれ
・もう凩の、電燈きえたりついたり
・月の凩の菜葉のかげ

 十二月十三日

曇后晴、山口行、寒かつた、いや冷たかつた、寒いといふのは誰もがいふ、冷たいのは寒さを身に感じたから。
初雪、屋根にも畠にも、もつともちよんぼり初雪らしく。
山口へ行つた、Sさんの奥さんに壱円五十銭借りて(売るべく持つてゐた本弐冊をあづけて)、そして三八九を発送した、やれまあ、何とはづかしい。
往復六里、歩いたが草臥れた、とても御飯では我慢しきれないでKで飲んだ、そしてそれから学校の宿直室へ、樹明君と一時間ばかり話して、戻つて寝た。
今日の小遣は。――
一 金七銭 バツト 一
一、 五銭 古雑誌
一、十五銭 焼酎二杯
これだけ、これだけ(Kの分は別、まづ一円位)。
 百舌鳥におこされて初雪
 茶の花やけさの初雪の
・寒い身のまはりをかたづける
 街は師走の、小猿も火鉢をもらつてる
 あれは監獄といふ寒い塀
 入日をまともに金借りて戻る河風
・月が、まんまるい月が冬空

 十二月十四日

三八九をだしてほつとしたのとアルコールのきゝめによつて、ぐつすりと寝た、たゞすこし胃の工合が悪い、マヽ週間ぶりにちと飲みすぎたやうでもある。
曇り寒く雨となる、今日此頃はほんとうにようしぐれる、しかししぐれはわるくない、気分がおちついて物をしんみり味ふやうになる。
煙草が粉までなくなつた、火鉢をかきまはして灰の中からバツト吸殻を見つけだしたときのうれしさ、それは砂金採集家が砂金を拾ふやうなものだろう、しかし何としても恥づかしい仕業だ、いはゆる乞食根性のいやしさだ、慾望の奴隷であるな。
いね/\と人にいはれつ年の暮――路通の乞食吟である、私は幸にして此季節には行乞に出かけなくてすみさうだ、ありがたい。
こゝろのプロレタリアであれ、清く純であれ。
白菜はおいしいね。
みんな死んでゆく、――彼も死んだ、彼女も死んだ、――心細いよりもマヽ敢ないよりも、もつと根本的なものを感じる、生死去来真実人、生死は仏の御命なり、生死去来は生死去来なり、生也全機現、死也全機現、生死になりきれ、生もなく死もないところまで精進せよ。
冬になつた老眼と近眼とこんがらかつて
老境の述懐である、しづかなあきらめである、冬日影のしめやかさである、私の自画自賛である。
昨日、山口では、俳句講座と浄土三部経とを預けて郵税を借りたが、S奥さんに対談しつゝある自分の姿を思ひだすと、それは苦笑に値するばかりだ。
山口は私にとつて第三故郷ともいふべき土地、やつぱりなつかしいうれしい気持をそゝられた、山のよさをはつきり知つた。
ゆつくりして湯田温泉に一浴したかつたが、その余裕も持たなかつた、また近いうちに出かけやうと思ふ。
・わらやしづくするあかるいあめの
・のびあがりのびあがり大根大根
・夕焼ける木の実とし落ちたどんぐり
・こんなところに水仙の芽が、お正月
昨日の山口行は私にいろ/\の事を考へさせたが、途上、花柳菜を見て宮崎を思ひ、葉牡丹を見て熊本を思つた。
△抗議二つ、その一は、独居をうらやむなかれ、その二は、古人の様式に今人をあてはめるなかれ。
さみしくなれば、畑を見てまはる、家の周囲をぐる/\まはる、それでもなぐさめられる。
いつのまにやら、干柿をすつかり食べつくした、こゝに改めてF家のおばさんにお礼を申上げなければなるまい、こんなところにも人間の推移があるからおもしろい。
夜、突然、敬坊来庵、酒と汽車弁当とを買つてくる、敬坊は何といふなつかしい人間だらう、酒がなくなり、弁当を食べてしまつてから街へ、そして例の如し。
・酒もなくなつたお月さんで
この句が悪くないならば――よくもなからうが――その程度ぐらいにふざけて酔うたのである。
・月がのぼつて何をまつでもなく
この句には此頃の私が出てゐると思ふ、待つでもないで待つてゐる私である。……

 十二月十五日

悪かつた、小郡に於ける最大悪日だつた。
小人玉を抱いて罪ありといふ、私は玉を預けられて罪を造つたのである。
筆にも言葉にも現はせない悪、毒、悔だつた。

 十二月十六日――十九日[#「十九日」はママ]

気分が悪い、樹明君といつしよになつてヨリ悪かつた、私のなげやりと樹明君のむしやくしやとが狂ほしく踊つて歩いた!

 十二月十九日

踊りつかれて、戻つてきて、読経した。――
本来空、畢竟空である、空即空色即色だ、この事実が観念としてゞなく体験として滲みだした。
執着を去れ、自からごまかすな、我を捨てゝしまへ、気取るな。――
△色即色だ、それが空即空だ、十方無礙の空であり、不生不滅の色である、色に執するが故に色を失ふ、空を観じて色に徹するのぢやない、色に住して色に囚へられないが故に空に徹するのである、喝。
私はしゆくぜんとして私を観た。――

 十二月二十日

風の、己の、その声を聴く。

 十二月廿一日

身辺をかたづけた、昨日も今日も。
夜、樹明来、暫らく話してから街へ出る、すぐ別れて、酒三杯、それでよい、それでよい。
「さびしい」から「さみしさ」へ、それから「さび」へ。
自己に執せずして人類に執する心(五十歩百歩だが)。
ウソをいふな、ホントウがいへないまでも。
食慾から食慾へ、それが人間らしい、子供の食慾、老人の食慾、その間に色々のものがある。
愛よりも信(鳥潟令嬢の結婚解消事件に対して)。

 十二月廿二日

ぐつすり寝た、大霜だ、冬至、私はうらゝかだ。
熊本の山中さんからありがたい手紙が来た。
農学校の農産物品評会、満蒙展覧会見物。
樹明君を招いて、鰯で一杯やる、暮れてから送つてゆく。
先月分の電燈料を払ひ、例のインチキカフヱーのマイナス五十銭を払ふたのは近来の大出来だつた。
台所に空罎がもう五六本並んでゐる、まことに其中庵風景の豪華版だ!
大風一過うらゝかに木の葉ちるかなである
・あぶない橋をわたれば影
 星が流れる二人で歩く寒いぬかるみ
  月並一句、自嘲自戒
 われとわが□をせばめたる茶の木哉???

 十二月廿三日

久しく滞つてゐた水が流れはじめたやうな気分だ、流れる、流れる、流れるまゝに流れてゆく。
身辺整理、出すべき手紙をだし、捨つべきものは捨てた。
自然を味へ、ほんとうに味へ、まづ身を以て、そして心を以て、眼から耳から、鼻から舌から、皮膚から、そして心臓へ、頭へ、――心へ。
・小春日をあるけば墓が二つ三つ
・風をききつつ冷飯をかみつつ
・凩のふけてゆく澄んでくる心
     △ △ △
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
今日今時、我と我が罪過を悔い悪行を愧ぢて、天上天下、有縁無縁、親疎遠近、一切の前に低頭し合掌す、願はくは此真実を以て皆共に仏道を成ぜんことを。
  昭和七年十二月二十マヽ
耕畝九拝

 十二月二十四日

雪もよひ、なか/\寒い。
米がなくなつた(煙草も)、米なしで暫らく暮らすのもよからう、事々皆好事だ。
山を歩いて、何か活けるやうなものはないかと探したけれど、何も見あたらない、仕方なしに歯朶(ネコシダ?)を五六本持つて戻つて活ける、なか/\よい。
昼食はそば粉をかいて食べる、菜葉をそへて。
大根、ほうれんさう、ちしや、新菊は食べても食べても食べきれない、何といふ豊富!
夕方からあたゝかく雨になつた、夕食はすひとん(関東大震災当時はこれが御馳走だつた、一杯五銭で)。
夜ふけて雨の音がよかつた、いつまでも眠れなかつた。
△私は聴覚的性能の持主――耳の人、或は声の詩人とでもいはうか――であるが、聞き分けるよりも聴き入る方だ
・雪もよひのみかんみんなもがれた
・風に最後のマツチをすらうとする

 十二月廿五日

けさは蕎麦汁二杯だけ。
あたゝかい手紙(平野さんから)、あたゝかい小包(山野さんから)。
不幸の幸福
よくてもわるくても生きてゐる人間だ
酒は一人で飲むものぢやない、といふやうな訳で、地下足袋を穿いて、雨のぬかるみを訪ねたら、樹明君不在、それから歩いた歩いた、飲んだ飲んだ、ワヤのワヤになつた。
誰かにいはれるまでもなく、私は私の人格がゼロであることを知りぬいてゐる、いや、私には人格なんかないのだ。
・冬雨の遠くから大きな小包

 十二月廿六日

よいところがあればわるいところがある、わるいところがあればよいところがある、重点はその分量如何にある。
心一つ、――心一つの存在である。
雨そして酒、外に何の求むるところぞ。
・冬ざれの水がたたへていつぱい
・ひとりの火の燃えさかりゆくを

 十二月廿七日

ウソもマコトもない世界に生きたい。
ウソといへばみんなウソだ、マコトといへばみんなマコトだ。

 十二月廿八日

雨、あたゝかい雨。
その雨のやうな手紙二つ、俊和尚から、緑平老から。
雨がやまない、ちつとも酔はない酒を飲みつゞけてゐる

 十二月廿九日

空は曇、私は晴。
此頃はあまり後悔しなくなつたゞけでも、私はひらけてきたやうだ。
南無元寛坊如来。
・このからだを投げだして冬山
・寝られない夜は狐なく
 山から音させて冬木負うて
・どこかそこらにみそさざいのゐる曇り
愛想を尽かしたのか、樹明君も来なければ敬治君も来ない、誰も来ない。
しづかな一日、しづかな一夜。

 十二月三十日

からりと晴れて、よーいとなあ――
樹明来、そして敬治来、三人いつしよに街へ。
酒、女、自動車、等、等、等。
インチキ、インチキ、インチキ、インチキ、インチキ。……

 十二月三十一日

昼は敬治君と、夜は樹明君と酒らしい酒を飲んだ。
ひとり、しづかに、庵主として今年を送つた、さよなら。
・冬夜の人影のいそぐこと
・鉄鉢たたいて年をおくる

インチキ ドライヴ

昭和七年度の性慾整理は六回だつた、内二回不能、外に夢精二回、呵、呵、呵、呵。





底本:「山頭火全集 第四巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年8月5日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について