其中日記

(三)

種田山頭火




かうして          山頭火
ここにわたしのかげ
昭和八年三月二十日ヨリ
同年七月十日マデ

 三月二十日 初雷。

また雨だ、うそ寒い、何だか陰惨である、しかし庵は物資豊富だ。
春来、客来、物資来だ。
けふもよい手紙は来なかつた。
風がふいて煤がふる、さみしくないことはない。
ちしやにこやしをやる。
樹明君の事が何となく気にかゝる。
野韮、これは一年食べつゞけても食べきれないほど生えてゐる。
笹鳴、夕霧。……
よく寝られた、よすぎる食慾とよい睡眠。

 三月廿一日 彼岸の中日。

早く起きて星空を仰いだ。
入庵してから半周年(去年の秋の彼岸の中日に入庵したから)。
晴、朝月のある風景。
草餅が食べたいな。
澄太さんからペーパー頂戴。
樹明来、飲み歩いた、いけなかつた、おなじワヤでもタチのよくないワヤだつた、懺愧の冷汗。
白魚の吸物だけはおいしかつた、蓬餅も。
いつになつたら、ほんとうに酒が味はへるのだらう!
酔うて、そして淋しく戻つて寝た。

 三月廿二日

曇、冷たい雨となつた。
樹明君が昨日の事を心配してやつてきた。
すべての従来の悪念悪行を捨てさるべし。
終日終夜、寝てゐた、寝る外ないから。
嵐の前、死の前――そんな気持だつた。
サケとスシとを与へられた、ありがたや。

 三月廿三日

身心すこし軽くなる。
味噌汁をこしらへて、そればかり吸ふ、何といふうまさ。
昨日も今日も一句なし。
夜、樹明来、福神漬でお茶を飲んで、もうワヤはやるまいと誓約した。
時々ワヤをやつてもかまはないけれど、後悔するやうなワヤはいけない。

 三月廿四日

晴、春風しゆう/\として天地のどかであつた。
朝は塩昆布茶。
或る場所に或る人間を訪ね、たゞ不快を与へられて戻つた、おかげで近来とかく怠りがちの自己省察が十分に出来た。
非家庭的、非社会的、非国家的な私である、私は非人情的に生きる外ない。
晩には、味噌汁をこしらへて吸ふた、おいしかつた。
空腹と鼠とシヤモジ――何とユーモラスな事実の題材!
これを書きあげるだけのユーモアが私にあるかどうか!
   やうやく三句
・ゆんべの雨がたたへてゐる、春
・朝から小鳥が木の実たべにきてゐる雨あがり
・夜のふかうしてあついあついお茶がある

 三月廿五日

雨、春雨、終日独坐。
待つてゐる手紙は来ない、でも、柳は芽ぶいた、桜はふくらんだ、とつぶやいてゐる。
ナマケモノといふ動物を思ひ出さずにはゐられないほど、此頃はなまけてゐる、どうもグウタラから抜けきれない。
味噌漬をかぢりながら湯ばかり飲んでゐる。
少しばかり三八九仕事。
労働と遊戯について考へる、人生は「あそび」にまで持ち来されねばならないと思ふ。
夜、寝床にはいつてゐる私を敬治君が起した(私の第六感はやつぱり正しかつたのである)。
お土産の鑵詰を下物にしてお土産の酒を飲んだ、そして二人いつしよに寝た(さうする外ないのだが)、うれしかつた。
・林は朝のしづくしてゐる藪柑子
・ぬれて水くむ草の芽のなか
・石垣の日向のふきのとうひらいてゐる
 とう/\寝られなかつた鼠の執着

 三月廿六日

日本の春、小鳥の声、人間の声。
朝酒はよいかな、敬君はまだこのよさを解しない(解すれば不幸だが!)。
飯の白さも四日ぶり、敬君ありがたう。
俊和尚からうれしい手紙。
二人で歩いて二人で入浴、何日ぶりの入浴か、髯を剃る。
樹明君を学校に訪ねる、校庭の何とかいふ桜はもう咲いてゐた。
魚を買ふ、酒を借る、樹明君が七面鳥の肉をどつさり持つて来る、春は三重奏の酒宴のはじまりはじまり。
うまい肉だつた、よい酒だつた、今夜はおとなしく別れた、このところ樹明君大出来、あつぱれなおちつきぶりだつた、私と敬坊とはたしかに落第だつた。
ヨーヨーをやつてみる(樹明君が持つて来たので)、誰だかヨーヨーとひやかす。
出来るだけ借金を払ひ、出来るだけ買物をする、酒屋へ弐十弐銭、米屋へ弐十三銭、そして古本屋へ十銭払ふべく行つたら、彼はいつのまにやら夜逃してゐた、近頃ユーモラスな題材が多い。
落し物をした、――拾ふことあれば落すことあり、善哉々々。
一人となつて、千鳥が鳴くのを聞いた、やつぱりさびしい。
ねむれないから本を読む、本を読むからねむれない、今夜は少々興奮したのだらう、とかくしてまた雨となつたらしい。
鼠が天井を走る、さても辛棒強い鼠かな、庵主に食べる物がなくなつても、鼠には食べる物があるのか、不思議だな。
敬君がヒヨを一羽拾うてきた、打たれてまだ間がないと見えて、傷づいた胸がぬくかつた。
△西田天香さんの息子、本間俊平さんの息子、共に不良ださうなが、考へさせる人生の事実だ。
 あれは九州といふ春の山また山
・うららかな、なんでもないみち
・林も春の雨と水音の二重奏
・かろいつかれのあしもとのすみれぐさ
 ママとよばれつつ蓬摘んでゐる
・藁塚ならんでゐる雑草の春
 あれこれ咲いて桜も咲いてゐる
・春はまだ寒い焚火のそばでヨーヨー
・みんなかへつてしまつて遠千鳥

 三月廿七日

どうやら霽れさうだ。
ちよつと郵便局まで、冬村君の工場でしばらく話した、花見の約束をする、ハナ(花)ノシタより、ハナ(鼻)ノシタ!
すみれ、げんげ、なのはな、いろ/\の草花が咲きはじめた。
晩酌二合、甘露の甘露だつた。
しづかな一日、小鳥が啼いて、私が考へて、そして雨。
・工場のひゞきも雨となつた芍薬の芽
・ぬかるみ赤いのは落ちてゐる椿
 雨あがり、なんと草の芽が出る出る
・けさはお粥を煮るとて春のカビ
・春さむく針の目へ糸がとほらない
 春夜、どこからきたのか鼠の声
・わらやねふけてぬくい雨のしづくする
 あすはお節句の蓬つむと乙女が来た
   追加二句
・お彼岸まゐりの、おばあさんは乳母車
・春さむく小舟がいつさう

 三月廿八日 旧暦節句。

時化、霰さへ落ちた。
宵から朝まで、ぐつすり寝たので気分爽快、仕事が出来る。
鼠の悪戯には閉口する、よし持久戦だ、糧道を断つてやらう!
心のうちに雨がふる、――私もやつぱりまだセンチメンタリストだ!
糸菜――京菜を買ふ、一株一銭(小売値段が)とは安すぎる、何だか腹立たしくなつた、――が、煮てもうまい、漬けてもうまい。
滓酒一杯、それで虫をごまかす。
飯を食べないでも、嫌な行乞はしたくない、この気持は行乞の体験のない人には解らないらしい。
理智、理解、理論といふものが考へさせられる。
摂取不捨といふことも、同時に考へさせられる。
夜、冬村君来庵、お節句の蓬餅を貰つた、さつそく焼いて食べる、うまいうまい、つゞいて樹明君来庵、上機嫌だ、塩昆布茶をすゝりつゝ話す、そしておとなしく別れた、すこし淋しかつたが。
・春寒い鼠のいたづらのあと
・春がしける日のなにもかも雑炊にしてすする
・たたきだされて雨はれる百合の芽である
・春時化のせせらぎがきこえだした
・林も水があふれる木の芽
 土のしじまの芽ぶいてきた雑草
 草萠えるあちらからくる女がめくら
 籠りをれば風音の煤がふる
 暮れるまへの藪風の水仙の白さ
 どこかで家が建つだいぶ日が長うなつた
・やつと山の端の三日月さん
   追加一句
 春時化シケ、米がなくなつて餅がある

 三月廿九日

快晴、春霜、なか/\寒い。
近郊散策、七句拾ふ。
△アスフアルトプラント(新国道舗装用の)を観る、人間と機械、機械と自然、この関係をはつきり理解しなければならない。
さくらのつぼみがふくらんだ、春、春、春だ。
新聞所載の九星表を見たら、『うか/\と山路に入つて、踏み迷ふ如き日』とあつた、足元御用心。
午後、意外にも敬治君来庵、自宅からわざ/\酒と餅とを持つて!
なかよくおとなしく飲んだり食べたり、山へ登つたり野を歩いたりした。
山から蘭を三株持つて帰つて、茶瓶に植ゑた、やんがて咲くだらう。
日あたりのよい隠れ場処といふ語句を思ひついた。
夜、敬治君機嫌よく実家に帰る、樹明君はとう/\来なかつた、宴会があると聞いたから、おそくなつて、――といふ次第だらう。
街をあるけば街のせつなさ
山へのぼれば山のさみしさ
ひとりかなしみ
ひとりなぐさむ
こんな小唄が出来るとは、私はどこまでも孤独な痴人だ!
・山羊もめをとで鳴くうららかな日ざし
・一つが鳴けばみんな鳴く春の野の牛
・落ちては落ちては藪椿いつまでも咲く
・工夫にレールが長いエンヤラヤ
 春の野の汽鑵車がさかさまで走る
・春風のアスフアルトをしく
 水をへだてて笹鳴くやうまくなつたな
・山の椿のひらいては落ちる
・春の山をのぼる何でもない山
・山ふところはいちはやく蘭に莟をもたせ
・枯木のてつぺんで啼いてゐるのは渡鳥
・いちりん※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しの椿いちりん
・春山をのぼる下駄が割れて

 三月三十日

昨日の今日だから、さすがに胃腸の工合がよろしくない、酒の飲みすぎ、餅の食べすぎ、――お粥をこしらへる。
こゝろたのしく、朝、昼、晩、お粥ですました。
朝、樹明来、やつぱり昨夜は酔中彷徨だつたさうな、顔色がよくない。
午前中は山中漫歩、句と躑躅と土筆とを得た。
△貧乏はかまはないが、借金のない貧乏でありたい。
人間山頭火を観て下さい、俳人とか禅宗坊主とかいはないで。
また米がなくなつた、餅もなくなつた、私も空腹、仏様も、また鼠も!
△酒はいつもうまいが、春の酒よりも秋の酒。
なまけた一日、たべること第一。
ちしやが萎れて枯れるのは、搾取のためでなくて立枯病であることを教へられたので、まづ安心、さつそく灰を与へた。
△遊ぶ日の朝酒、働らいた日の晩酌。
自然を出来るだけ自然のまゝで味ふべし。
夕方、樹明君を通して敬治君から呼び出し、すぐ出かける、第一窟から宿直室へ、――酒、むきみ貝、樹、敬、山の三重奏、ぢやない、キミチヤンを加へて四重奏。
戻つて寝てゐたら、敬坊ひよろりと御入来、例の如くいつしよにごろ寝、まあ/\この程度の脱線ならよか/\。
・鴉まつすぐに墓場まできてなく
 伐られなければならない樹の影の水しづかにも
・ひなたの六地蔵どれも首がない
・によきによき土筆がなんぼうでもある
・つかれて街からもどるそらまめの花
・誰か死にさうな鴉がカアとなくばかり
・穴から草の芽の空

 三月三十一日

曇后晴。
敬坊起きるよりヨーヨー、春はのどかである、間もなく出立帰宅。
うれしいたより、とりわけて緑平老からのそれはうれしいものであつた。
友人知己へのかへしに、『老来春来共によろしく』とも『春は春風に吹かれて』とも書いた。
いよ/\春のあたゝかさとなつた、あたゝかくなるほどプロは助かる、足袋を穿かないだけでも。
△バスのほこりも春らしい。
酒が酒を飲む――むしろそれがよいではないか。
やうやくにして亡母の持越法事を営む、案内したのは樹明氏だけ、とてもしめやかな酒だつた。
樹明君が今晩ほど悲しい顔をしてゐたことはない(昨夜の酔興を自省して)、そして今晩ほど嬉しい色になつたこともない(今晩の酒によつて心機一転して)、友よ、道の友よ、お互にしつかりやりませう。
快い睡眠をめぐまれた。
 今日がはじまる日ざしを入れて
・一人が一人を見送るバスのほこり
  常套的小唄一つ
声をそろへて エンヤラヤ
力をあはせて エンヤラヤ
さてものどかな地つきかな

 四月一日

起きたのは五時前、何と身も心ものびやかな弥生のあけぼの!
霜がふつてゐる、なか/\つめたい。
三八九の仕事、倦けると畑いぢり、ほうれんさうはおしまひになつた。
花菜を水仙に活けかへる、水仙のつめたマヽもよいが花菜のあたゝかさもよい。
蛙がなき蟻がはひ蝶々がまふ、雑草の花ざかり(まだ早いが)。
白木蓮が咲いてゐた、その花のうつくしさよりも、その花にまつはるおもひでがさびしかつた。
学校からの帰途、樹明君が立ち寄る、待つても待つても敬治君は来ない、二人とも少し憤慨して、二三杯やつて別れる。
敬治君はとう/\来なかつた、何か事故が突発したのだらう、とにかく無事であつてくれ。
人間は人形ぢやない、――これは大切な事だ、人間は人形ぢやないから、人間は人形には解らない。
・こぼれ菜の花や霜どけ
 春霜の菜葉を摘んでおつけの実
 お花をきれば春霜のしたたり
 仕事屑が捨ててあるそこら雪の下
 やうやくたづねあてた家で牡丹の芽
・子供がねつしんに見てゐる機械がよう廻る
・あたたかさ野山にみち笹鳴うつる
・まつたく春風のまんなか
・身のまはりは草もそのまま咲いてゐる
・鳥かげのいりまじり草の青さも
・ちぎられた草の芽の霜
・干しものすぐ干せた木の芽草の芽
・音は朝から木の実をたべにきた鳥か
   澄太さんに
 わかれてからの韮の新芽のこんなに伸びた
   敬治君に二句
 けふはあんたがくるといふ菜の花を活けて
 花菜活けてあんたを待つなんとうららかな
   追加二句
・明けはなれて木の実うまからうつぐみの声
・いちにちだまつて小鳥の声のもろもろ
△念ずれば酒も仏なり、仏も酒なり。
樽見て酔ふ境地はうらやまし。
権兵衛が飲めば田伍作が酔ふやうになりたし。

 四月二日

けさも早かつた、そして寒かつた、うらゝかな春日。
敬坊は脱線したらしい、何となく気にかゝつてゐた、そこへさうらうとして彼がやつてきた、うれしいやうな、かなしいやうな、そしてさみしいやうな気持だつた。
樹明君もやつてきた、三人で山へのぼつた、よかつた。
暮れてから、敬坊といつしよに湯屋へ、それからKへ、私だけ戻つた。
   敬君に
・菜の花を水仙に活けかへて待つ
   敬坊をうたふ二句
 費ひはたして日向ぼこしてゐる
 酔ひしれた眼にもてふてふ
・伸びはうだいの南天の実の食べられてゐる
 藪で赤いのは椿
・かすかに山が見える春の山
・寝ころべば昼月もある空
 山のあなたは海といふほのかふくれてゐる
・花がひらいてゐて机の塵(酔後)

 四月三日

くもり、花ぐもり、宿酔の気がある。
敬坊をKから連れて戻る、ちいちやんを借りて来る。
山のぼり会は雨となつたので、たゞの飲み会となつてしまつた、樹、敬、山、そしてちいちやんを加へて四重奏、其中庵はまさに春らんまんだつた。
それからがいけなかつた、いつしよに街へ出たのがいけなかつた、私だけは早く帰つたが、残つた二人はムチヤクチヤだつたといふ。
夜おそく敬治君が戻つてきた、さらにおそくなつて樹明君がやつてきた、ぼろ/\どろ/\だ、いつしよに寝る、私だけは早く起きてそこらを片附ける、さば/\した。
今後は酔後断じて、敬治君や樹明君といつしよに街へ出ないことを決心する、そして私一人に関する限りに於て、料理屋やカフヱーや、さういふ享楽境、遊蕩場所へ立ち寄らないことを誓約する、それぐらゐの覚悟を持つてゐなければ、とうてい真実の生活は出来ない、随つて真実の句も生れない。
不思善、不思悪、清濁併せ飲む境地へはまだ/\遠い、私はさしあたり私独りだけでも澄みきりたい。

 四月四日

雨、回光返照の雨。
樹明君は学校へ、敬治君は自宅へ、私は其中庵主として。――
閑寂のよろこび、自分の長短がはつきり解る。
何年ぶりかで牛乳を飲む(樹明君が敬治君のために持参)。
敬治君の顔は悲しかつた、樹明君の顔は痛ましかつた、私の顔は淋しかつたらう!
・濁つた水で木かげ人かげ
・白木蓮があざやかな夕空

 四月五日

曇、そして晴。
やうやくにしていよ/\自己革命の時節が到来した。
九時半の汽車で来庵の大前誠二さんを駅で迎へる、お土産として灘の生一本、茹章魚、干鰈。
灘の生一本は何ともいへない醇酒だつた、さつそく一本頂戴した、酔心地のこまやかさ。
ちよつと街へ出て、お酌をしてくれる酒二三杯。
夜は樹明、冬村の二君来庵、四人でおもしろく飲んで話した。
道をおなじうするもののよろこび。
椿の花、お燗ができました
酒がどつさりある椿の花

 四月六日

ごろ寝から覚めて、あれやこれやと忙しい(私の貧しい寝床は大前さんに提供したから)、冬村君が手伝つてくれる、樹明君もやつてくる。
其中庵の春、山頭火の春。
九時すぎ別れる、がつかりしてさみしかつた。
敬坊の手紙はかなしい。
夕方、樹明再来、つゝましく、といふよりも涙ぐましく対酌。
・昼月へちぎれ雲
 裏口からげんげたんぽぽすみれ草
・芽ぶく梢のうごいてゐる
・みんなかへつてしまつて春の展望
・このさみしさは蘭の花
・水をくむ影する水を
 酔ひたい酒で、酔へない私で、落椿
・やりきれない草の芽ぶいてゐる
・出てあるいてもぺんぺん草
・昼月のあるだけ
・自分の手で春空の屋根を葺く
・水音、寝ころぶ
・石ころに日はさせども
・死をまへにして濁つた水の
・ひとりがよろしい雑草の花
 春の夜のひとりで踊る
 身にせまりやたらに芽ぶいてきた
 なんぼでも虫がゐる夜のふかくして
・月と雲と、水をくむわたくし
 摘んできて名は知らぬ花をみほとけに

 四月七日

花ぐもり、雨となつた。
今朝はさすがの私も飲みたくない、飲めない、飲みすぎ食べすぎのたたりで気分がすぐれない、午前中は山野を逍遙した。
酒には溺れるべし、それ以上を求めるのは間違なり。
まづ、其中庵は其中庵臭を去れ、山頭火は山頭火臭を捨てろ、耽溺趣味、陶酔気分を解消せよ。
△宗教は阿片にあらず、現代の宗教は現代の人々を麻痺せしめるだけの魅力を持つてゐない。
ぐつすりと春のねむり。
・笹鳴くや墓場へみちびくみちの
・がらくたを捨てるところ椿の落ちるところ
・咲くより剪られて香のたかい花
・酔ふたが雨の音
・忘れられて空へ木の実のゆれてゐる
・出て見れば雑草の雨

 四月八日

雨、花まつりの日。
句集半切代入手、払うて買うて、すぐまた無一文。
酔へばいら/\する、酔はなければぢつとしてゐられない、といつて!
△酒のために苦楽のどん底をきはめることができたのである、尊い悪魔であつたよ、酒は!
今日の身心は雨と酒とでぐつしよりだつた、だがあまり悔いるほどではなかつた、悔いたところで詮もないけれど。
・山に霧が、さびしがらせる霧が山に
   追加一句
・日向ぽかぽかと歯がへやさんが歯がへしてゐる

 四月九日

まだ降つてゐる、書入れの日曜日が台なしになつて困つた人が多からう、まことに花時風雨多しである。
寝て暮らした、寝るより外になかつたから。
暮れてから、招かれて、樹明君を宿直室に訪ねる、気がすゝまなかつたのだが、そして遠慮してゐたのだが、逢へばやつぱり嬉しい。
ふくらうのさびしいうた! 百花春至為誰開!
肉慾の奴隷に堕しつゝある自分を鞭つ。
・月のはばかりへちつてきた木の葉いちまい
・なんとわるいみちのおぼろ月
・あれはうちの灯、ぬかるみをもどる
・しだれざくらがひつそりとお寺である
・釣瓶の水がこぼれるなつめの実(追加)

 四月十日

曇、やうやくにして晴、そこらから花見のぞめきがきこえる。
悪筆を揮うて送る、この悪筆が米代になるとは!
知足安分の一日
△私の好きな着物はドテラとユカタ、浴衣に褞袍をかさねた快さ。
すべてが、よりよくなるためのものでなければならない、今日は昨日より、明日は今日よりよりよい生活でなければならない、さて、よいとは何か、よりよい生活とは何か。――
木を見て林を見ない人間! さういふ人間であつてはならない。
よく読み、よく考へた一夜だつた。
・やたらに咲いててふてふにてふてふ
 便所の窓まで芽ぶいたか
・雑草にうづもれてひとつやのひとり
・雑草ばかりで花見の唄のきこえるところ
・花のよな木の芽ゆれつつ暮れる家
 春の夜を落ちたる音の虫
・気ままに伸んで香のたかい花つけて
・あれは木蓮の白いゆふざれがきた(改作)
 かめば少年の日のなつめの実よ(追加)
 遠く花見のさわぎを聞いてゐる

 四月十一日

日本晴、春や春、春の春。
うらゝかな空腹だ(いやな行乞はやめとかう)。
天地荘厳、摂取不捨。
今日は絶食的断食である、絶食は他力的、断食は自力的、具体的に説明すれば、米がなくなつた、それもよからう、米なしデーにしてをく、である。
溜池の杭の上に甲羅を干してゐる亀を見た。
公園へ花見連中が繰り込むのを見ても何とも感じないが、山あがり(田舎人のピクニツク)へ行く一家族を見ると、何となく心を動かされる、そして、私の生活のムリ、といふよりもウソを解消しなければならない、と思ふ。
しづかなよろこび――空の、山の、草木の、土の、――流れる水にも、囀づる小鳥にも、吹き去る風にも。――
△近頃どうも心持がきたなくなつたことを感じる、あさましい事実である、銭をほしがるのは貧乏のせいだが、物をむさぼるのは心の卑しさがのぞけないからである。
・芽ぶかうとする柿の老木のいかめしく
・芽ぐむ梨の、やつとこやしをあたへられた
・おばあさんは草とるだけの地べたをはうて
・蕗の葉のひろがるやかたすみの春は
 花が咲いたといふ腹が空つてゐる
・機械がうなる雲のない空(アスフアルトプラント)
 亀がどんぶりと春の水
・月へならんで尿するあたたか
・花見のうたもきこえなくなり蛙のうた
・春の夜を夜もすがら音させて虫
よい月だつた(陰暦三月十七日)、寝るには惜しい月だつたが、寝床で読書してゐると、樹明酔来、私を街へ引張り出して、飲ましてくれたが、どうしても酔へなかつた。
△私にはもう春もない、花もない、大きい強い胃袋があるだけだ。
ルンペンの自由と不自由とをおもひだした。
△酒は女に酌してもらふより、山を相手に飲め。

 四月十二日

うら/\と春景色である。
ぢつとしてゐられなくなつたから、こゝで一杯、そこで一杯と借りて飲んだ、そして米を少しばかり借りて来た、あはれといふもおろかである。
銭を持たないために、いひかへれば、私はズボラのために、他から軽蔑され、自分で軽蔑した。
酔うて倒れてゐるところへ、樹明君が来た、酔うても愚痴を捨て切らない私といふ人間はさぞみじめだつたらうよ。
・借せといふ貸さぬといふ落椿
・ここに花が咲いてゐる赤さ
・これが御飯である

 四月十三日

春にそむいて寝てゐた。――
・夫婦で筍を掘る朝の音
・桜の句を拾ふ吸殼を拾ふ(自嘲)

 四月十四日

くもり、しづかにふりだした。
身辺整理、まづ書くべき手紙を書いてだす、それから、それから。
雀が、めつたにおとづれもしない雀が二三羽きてくれた。
昨日の夜明け方にはたしかにホトトギスの初声もきいた。
樹明来、もう夜が明ける一升マヽを持つて!
したしや雀がやつてきてないてゐる雨

 四月十五日

どうやら晴れるらしい。
さびしいかな、樹明君の酔態。
酒だけはあるから酒だけ飲む、飲めば酔ふからおもしろい。
ワヤに大小なし、高下なし。
ぐでん/\に酔つぱらつて戻つて、そして寝ましたよ。
小鳥よ啼くなよ桜が散る
蠅がなく、それだけか
さくらまつさかりのひとりで寝てゐる

 四月十六日

寝てゐる、夢と現実とがカクテール。
飲む酒はまだあるけれど、食べる飯は一粒もない。
・いつもみんなで働らく声の花がちる
 さくらちるさくらちるばかり
・伸びた草へ伸びた草で
・街へ春風の荷物がおもい

 四月十七日

残つてゐた酒をあほつたら、ほろ/\になつた、ふら/\と出かけて樹明君から米代を借りた(といふよりも奪つた)。
△飯をたべたら身心が落ちついてきた、――私は今更のやうに、食べることについて考へさせられた、米の飯と日本人
しつかりしろ、と私は私によびかける、いや私をどなりつけた。
 鴉が啼いて椿が赤くて
 あるきまはれば木の芽のひかり
・街はまだ陽がさしてゐる山の広告文字
・暮れのこる色は木の芽の白さ
私はずぼらでありすぎた、あんまりだらしがなかつた、いはゆる衣架飯袋にすぎなかつた。……

 四月十八日

晴れ晴れとした、うれしい手紙も来た、そして。――
私には財布の必要はない、郵便局で小為替の金を受けて、その足で、払ふ、買ふ、すぐまた無一文だ、さつぱりしてよろしい!
コツプ酒に酔うてゐたら、樹明君がきた、いつもとちがつて大真面目だつた。
電燈がどうしてもつかない、故障だらうと思つて電気局へ行つたら、電燈料の滞納(二ヶ月分)だから、点燈差止との事、なるほど無理もない、仕方がないから蝋燭を買つてきて御飯にする、そして寝た、寝たがえゝ、寝たがえゝ。
私の貧乏もいよ/\本格的になつてきた。
 晴れてつめたい朝の洗濯赤いもの
・よいお天気の葱坊主

 四月十九日

曇、雨となつて、花見もおしまひ。
△まつたく泣笑の人生だ、泣くやうな笑ふやうな顔だ、いや、笑ふことが泣くこと、泣くことが笑ふことになつてしまつたのだから。
夜は早く寝た、灯がなくては読書も出来ないから。
・考へる人に遠く機械のうなる空
・筍を掘るひそかな筍

 四月二十日

雨、曇、そして晴、私の気分もその通り。
やつと古道具屋でランプを探しだして手に入れることができた、古風な新鮮味といつたやうなものを感じる、私には電燈よりもランプが相応してゐる。
呪ふべき焼酎よ、お前と私とはほんとにくされ縁だねえ。
夜おそく樹明君来庵、何か胸に痞えるものがあるらしく、頻りに街へ行かう、大に飲まうとすゝめたけれど、私は頑として応じなかつた、とう/\諦めて寝てしまつた、善哉々々。
・街の雑音のそらまめの花
 せり売の石楠花のうつくしさよ
・シクラメン、女の子がうまれてゐる
・花がちる朝空の爆音
・草から草へ伸びる草
・せゝらぎ、何やら咲いてゐる

 四月二十一日

曇、平静な身心、晴。
樹明君がきまりわるさうな顔をしてゐる、昨夜は脱線しないでよかつた、酔うて苦しみをごまかすのは卑怯だ。
小鳥の声がいらゞたしくなつた、恋、交接、繁殖。
蕗がだいぶ伸びたので摘む、蛇がのろ/\して驚かす。
雑草を活けかへる、いゝなあとばかり見惚れる。
山東菜を播いた。
ランプのあかりで読書。
・梨の花の明けてくる
・咲いてゐる白げんげも摘んだこともあつたが
・竹藪のしづもりを咲いてゐるもの
・蕗をつみ蕗を煮てけさは
 麦笛ふく子もほがらかな里
 雑草ゆたかな春が来て逝く
・播いてあたゝかな土にだかせる
・おもひではあまずつぱいなつめの実
・いらだたしい小鳥のうたの暮れてゆく
・ぬいてもぬいても草の執着をぬく
昨夜はとう/\徹夜、それだのに今夜も睡れさうにない。
性慾をなくしたノンキなおぢいさん! 私もどうやらそこまで来たやうだ(去年は性慾整理で時々苦しんだが)。

 四月廿二日

快晴、しかし何となく気が欝ぐ、この年になつて春愁でもあるまい、もつとも私は性来感傷的だから、今でも白髪のセンチメンタリストかな。
山へのぼつた、つつじの花ざかりだ、ぜんまいはたくさんあるが、わらびはなか/\見つからない、やつと五本ほど摘んだ(これだけでも私一人のお汁の実にはなるからおもしろい)、そしてつゝじ一株を盗んできて植ゑて置いた。
柿が芽ぶいた、棗はまだ/\、山萩がほのかに芽ぶかうとしてゐた、藤はもう若葉らしくなつてゐた。
昨日は蕗、今日は蕨、明日は三つ葉。
雀がきた、雀よ雀よ、鼠がゐた、鼠よ鼠よ。
みみづをあやまつて踏み殺し、むかでをわざと踏み殺した。
山で虻か何かに刺された。
持つてゐる花へてふてふ、腕へとんぼがとまつた。
すばらしい歌手、名なし小鳥がうたつてゐた。
今日は敬坊が、そして樹明君も来庵する筈なので、御馳走をこしらへて待つてゐる、――大根の浅漬、若布の酸物、ちしやなます、等々!
春は芽ぶき秋は散る、木の芽、草の芽、木の実、草の実――自然の姿を観てゐると、何ともいへない純真な、そして厳粛な気持になる、万物生成、万象流転はあたりまへといへばそれまでだけれど、私はやつぱり驚く。――
夕方、電燈工夫が来て、電燈器具をはづして持ちかへつた、彼は好人物、といふよりも苦労人らしかつた、いかにも気の毒さうに、そして心安げにしてくれた。
それにしても待つてる友は来ないで、待たない人が来たものである。
こゝで敬坊と樹明君との人物について、我観論を書き添へて置くのも悪くあるまい、両君とも純情の人である、そしてそれは我儘な人であり、弱い人であることを示してゐる、純なるが故に苦しみ我儘なる故に悩む、君よ、強い人となれ、私も。
   濫作一聯如件
・みほとけに供へる花のしつとりと露
・朝風のうららかな木の葉が落ちる
 仏間いつぱいに朝日を入れてかしこまりました
・山へのぼれば山すみれ藪をあるけば藪柑子
・山ふところはほの白い花が咲いて
・によきによきぜんまいのひあたりよろし
・山かげ、しめやかなるかな蘭の花
 うつろなこゝろへ晴れて風ふく
・雲のうごきのいつ消えた
 燃えぬ火をふくいよ/\むなし
 まひるのかまどがくづれた
 いちにち風ふいて何事もなし
 椿ぽとりとゆれてゐる
・鳥かけが見つめてゐる地べた
・墓場あたたかい花の咲いてゐる
 ほそいみちがみちびいてきて水たまり
・春ふかい石に字がある南無阿弥陀仏
 春たけなはの草をとりつつ待つてゐる
・ようさえづる鳥が梢のてつぺん
 親子むつまじく筍を掘つてをり
・筍も安いといひつつ掘つてゐる
 木の芽へポスターの夕日
暮れてもまだ敬坊は来ない、樹明君も来ない、いら/\してゐるところへやつとやつて来た、御持参の酒を飲みつゝ話してゐると、樹明君もやつてきた、三人とも酔ふた、酔うて。――
樹明君近来の口癖はブチコワスゾである、何カヲブチコワサズニハヰラレナイホド、君は悩み苦しみ焦立つてゐる、そこで、私が先づ茶碗をぶちこはす、樹明君喜んで皿を投げつける、ガチヤンガラガラ、どうやら胸がすいたらしい。
酔つぱらつた三人は必然的に街へ出かけた、そしてまた飲んでさらに酔ふた、私と敬坊とは腕を組んで、さうらうまんさんとして駅前の宿屋に泊つた。
今夜は文字通りにどろ/\になつた、泥田を這ひまはつたのだから、からだは泥まみれだつた(こゝろはあまり汚れなかつたが)。

 四月廿三日

明けて飲み、暮れて別れた、とにかく忘れることのできない一日一夜だつた、めでたくもありめでたくもなし、喝。
戻つて来て、室内を掃除し、茶を沸かし飯を食べる。
敬坊よ、夫婦喧嘩も時々はよからう、それはほがらかでなければならない、陰惨であつてはならない。
私には喧嘩する相手もない、独相撲でもとるか!
・こころ澄めば蛙なく
昨日の二十二句は此一句に及ばない。

 四月廿四日

晴、すべてが過ぎてしまつた! といふ気持、しかし昨夜はマヽれてぐつすりねむれたので悪い気持ではない。
身のまはりを片づける。
出来るだけの買物をする、――米、醤油、石油、そして焼酎一杯。
初めて春蝉をきいた、だるくてねむくなる、五日ぶりに入浴、さつぱりした、しづかに読書。
酒もよいが茶もわるくありませんね
F家のおばさんから、例のブチコハシをひやかされた、あゝいふ気分はとても彼女等には理解できぬらしい、喧嘩でもしたのだらうと思つてる。
三ツ葉のおしたし、葉わさびをふつて貯蔵する(敬坊のお土産)。
夜、樹明君来庵、まじめな、酔つぱらはない、なごやかな樹明を見せてくれたのでうれしかつた。
・たどりきてからたちのはな
・からたちの咲いてゐる始業の鐘の鳴る
・何もかも過去となつてしまつた菜の花ざかり
 今日がはじまるサイレンか
・ゆふべは豚のうめくさへ
・右からも左からも蛙ぴよんぴよん

 四月廿五日

曇、間もなく雨となつた、そして一日一夜降り通した。
のらりくらり、かういふ生活にはもう私自身がたへきれなくなつた。
敬君からの手紙は悲喜こも/″\であつた、君、君の家庭に平和あれ。
 朝ぐもりの草のなかからてふてふひらひら
・ここまではうてきた蔦の花で

 四月廿六日

ふと水音に眼がさめた、もう明けるらしいので起きる。
身も心もすべてが澄みわたる朝だつた。
正法眼蔵拝誦、道元禅師はほんたうにありがたい。
・春雨の夜あけの水音が鳴りだした
・唱へをはれば明けてゐる
・朝の雨にぬれながらたがやす
・白さは朝のひかりの御飯
・ぬれてしつとり朝の水くむ
・水にそうて水をふんで春の水
・春はゆく水音に風がさわいで
・春の水のあふれるままの草と魚
・晴れて旗日や機械も休んでゐる(追加)
・蕗の皮がようむげる少年の夢
誰かきた声がする、出て見ると、嘉川の万福寺の御開帳で、御案内旁御詠歌連中を連れて来ましたといふ、私は困つた、私には差上げる銭も米もないのだ、何もありませんが、といふと、それではまた、といつて帰つていつた、まことにお気の毒だつた、すみませんでした。
敬治君へ手紙を書く、――何よりも先づ金銭の浪費をやめなければなりません、現代の社会組織下に於ては、我々にとつて、金銭の浪費は生命の浪費です、これを宗教的芸術表現でいへば、それは仏陀の慧命の浪費です。……
純情は尊いけれど、それを裏付ける強い意志が伴はないならばたゞそれだけにとゞまる、……よい酒とは昨日を忘れ、明日を思はず、今日一日をホントウに生かしきることが出来るやうに役立つ酒でなければなりません、……とにかく、酒に求めないで、酒を味ふやうにならなければウソですね。
ちよいと出かけて、ちよいと一杯。
夕方、帰途、樹明来、さびしい顔で酒が飲みたい、飲まずにはゐられないと訴へる、が、私は今や八方塞がりのどうすることも出来ない、もじ/\してゐると、君が一筆書いた、それを持参して一升借りて戻る、――悪い酒ではなかつたが寂しい酒だつた、あゝ、三人でうれしい酒を飲みたい!

 四月廿七日

晴、冷、このあたりでは苗代風といふ。
昨夜も飲みすぎ食べすぎ、そしてまた朝酒。
雑木を雑草に活けかへる。
散歩、――新国道を嘉川まで、釈迦寺拝登、御開扉会、帰途は山越、白い花をつけた雑木がよかつた。
初めて燕を見、初めて蚊に喰はれた。
雀、蜂、蟻、庵をめぐつて賑やかなことである。
蕗のうまさ、ほろにがい味は何ともいへない。
樹明君来庵、春風微笑風景を展開した。
・青空の筍を掘る
・春山の奥から重い荷を負うて鮮人
・蕗のうまさもふるさとの春ふかうなり

 四月廿八日

けふも晴れてつめたい、きのふのやうに一天雲なし。
ちよつと散歩したが――郵便局までハガキを出しにいつたが――一文なしではあまり興がのらない。
蕗はうまいなあ、まいにち食べても、なんぼ食べても。
午前は読書、午後は畑仕事、晴耕雨読でなくて、或読或耕だ、とにかく好日だつた。
 春空雲なくなまけものとしなまけてゐる
・春蝉もなきはじめ何でもない山で
・裏からすぐ山へ木の芽草の芽
・けふも摘む蕗がなんぼでも
・みんな芽ぶいてゐる三日月
・三日月さんには雲かげもなくて

 四月廿九日

天長節日和とでもいはうか、まことにのどかな日だつた。
前の竹藪の持主から筍を頂戴した、掘りたてのホヤ/\だ、ありがたかつた。
午前は山を歩いた、若葉のうつくしさ、若草のうつくしさ。
午後は青年団員の競技をしばらく見物したが、私にはスポーツのおもしろさが解らない(すべての勝負事に興味を感じない私だ)。
運動総務の一人として樹明さんは少しばかり興奮してゐるらしい。
さう/\戻つて畑地を耕した、この方が私には愉快でもありまた相当してゐるやうだ。
筍はうまかつた、蕗とはちがつたうまさがある、だが、私は歯がいけなくなつて、ほろ/\抜けるから来年はどうかな(鬼よ笑へ!)。
 大空をわたりゆく鳥へ寝ころんでゐる
 春たけた山の水を腹いつぱい
・晴れきつて旗日の新国道がまつすぐ
・けさも掘る音の筍持つてきてくれた
・摘めば散る花の昼ふかい草
・送電塔が山から山へかすむ山

 四月三十日

曇、をり/\雨、夕方からどしやぶり。
晩春から初夏へうつる季節に於ける常套病――焦燥、憂欝、疲労、苦悩、――それを私もまだ持ちつゞけてゐる。
・春もどろどろの蓮を掘るとや
・春がゆくヱンジンが空腹へひびく
・くもりおもたい蛇の死骸をまたぐ
・食べるもの食べつくし雑草花ざかり
・春はうつろな胃袋を持ちあるく
・蕗をつみ蕗をたべ今日がすんだ
・菜の花よかくれんぼしたこともあつたよ
・闇が空腹
・死ぬよりほかない山がかすんでゐる
・これだけ残してをくお粥の泡
・米櫃をさかさまにして油虫
・それでも腹いつぱいの麦飯が畑うつ
・みんな嘘にして春は逃げてしまつた
 どしやぶり、遠い遠い春の出来事
・晴れてのどかな、肥料壺くみほして(追加)
・楢の葉の若葉の雨となつてゐる
 雨に茶の木のたゝかれてにぶい芽
・ゆふべのサイレンが誰も来なかつた
朝は、筍をたべてはお茶をのみ、晩は蕗をたべてはお茶をのんだ、昼御飯としては葱汁! 野菜デーだつた。
△米櫃に米があるならば、味噌桶に味噌があるならば、そして(ゼイタクをいつてすみませんが)煙草入に煙草があるならば、酒徳利に酒があるならば。――
△春があれば秋がある、満つれば缺げる、酔へば醒める、腹いつぱいも腹ぺこ/\も南無観世音、オンアリヨリカソワカ。
△飯の美味をたゝへ、胃の正直をほめよ。
夕方からどしやぶり、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ、ふれ。
大降りの中を樹明君来庵、さつそく銀貨を投げだす、大降りの中を酒買ひにいつた、つゝましい酒だつた、樹明君が御飯をたべてくれたのはめづらしくもまたうれしいことであつた。
 どしやぶりのいなびかり、酒持つて戻るに
・蛙とんできて、なんにもないよ
 雨の水音のきこえだしてわかれる
 わかれていつた夜なかの畳へ大きな百足
それは大きな百足だつた、五寸以上あつた、私はぞつとして打ち殺さうとして果さなかつた。
長虫――蛇、百足、いもり、とかげ、蚯蚓――はまつたく嫌だ。
今日の食事には嘘があつた、――といふのは、日記をつけてしまつてから、飯が食べたくて、そして煙草が吸ひたくてやりきれなかつたから、私一流の、窮余の策を弄して、酒と米と煙草とを捻出したのである、――それはかうである、――A店で一杯ひつかけて(此代金十一銭)その勢でB店で煙草一包(此代金四銭、抵当として端書三枚預けて置いた!)を手に入れ、さらにC店で白米二升(此代金四十六銭)を借りて来たのである。
何と酒がうまくて、煙草がうまくて、そして飯のうまかつたことよ、私は涙がこぼれさうだつた(この涙はどういふ涙ぞ)。

 五月一日

くもり、だん/\晴れて、さつきの微風が吹く、雨後の風景のみづ/\しさを見よ。
山蕗を採つて煮た、半日の仕事だつた。
何日ぶりの入浴か、身心さつさうとしてかへる。
樹明来(筍と卵とのお土産持参)、うち連れて、夕の街をあるく、夜の街を飲みまはる、――いつもとはちがつて、よい散歩、よい飲振、よい別れ方だつた。
飲食過多、それはやつぱり貪る心だ、戒々々。
・酔ひざめの、どこかに月がある
・月の落ちる方へあるく
・落ちてまだ月あかりの寝床へかへる

 五月二日

曇、明るい雨となつた。
早朝、樹明来、ほがらか/\、素湯とわさび漬で、節食、どうやら過飲過食の重苦しさがなくなつた。
何だか泣きたいやうな気分になる、老いぼれセンチめ!
・柿若葉、あれはきつつきのめをと
・草をとりつつ何か考へつつ
・くもり、けふはわたしの草とりデー
・まこと雨ふる筍の伸びやう
・いつまでも話しつゞける地べたの春
・見るとなく見てをれば明るい雨
△すべての物品をに換算する私だつたのに、いつからとなくで換算するやうになつた、例へば、五十銭の品物はだと考へてゐたのが、だと考へるやうになつた、そして、酒さへあれば、といふ私が、米さへあれば、の私となつてゐる。……
・さいてはちつてはきんぽうげのちかみち
・たれかきたよな雨だれのあかるくて
・もう暮れる火のよう燃える
・竹の子のたくましさの竹になりつつ
・によきによきならんで筍筍
・親子で掘る筍がある風景です
   樹明君に
・なんとよいお日和の筍をもらつた

 五月三日

曇、風が出て寒かつた。
草取、入浴、散歩。……
樹明君が帰宅の途中を寄つてくれる、忠兵衛もどきで酒を捻出して飲む、精進料理のよい酒だつた。
句もなく苦もなし、楽もなく何物もなし、めでたし/\。

 五月四日

晴、なか/\つめたい。
待つてゐるものは来ない。
山の色がうつくしうなつた、苗代づくりがはじまつた。
敬君へ手紙を書いた、悪口を書いたけれど、私の友情はくんでもらへるだらう、敬君、しつかりしてくれたまへ、たのむ。
まじめな身心で畑仕事、蚯蚓の多いのには閉口した。
夜は樹明君を宿直室に訪ねる、よく話しよく飲みよく食べた、ずゐぶん酔ふたが、習慣と心構へとがはたらいて、おとなしく戻つて寝た(残つた酒を持つて!)。
・山は若葉の、そのなかの広告文字
 山肌いろづき松蝉うたふ
・なんにもなくなつて水の音
・石にとんぼはかげをすえ

 五月五日

曇、端午、男の祝日、幸にして酒がある、朝から飲む、今日一日は好日であれ。
終日閑居、昼寝したり、読書したり、蕗を摘んだり、草をとつたり、空想したり、追憶したりして。
若葉の月はよかつた。
今日は一句も出来なかつた。

 五月六日 立夏。

早起すぎた、明けるのが待遠かつた。
晴、ネルセルシーズンだ。
入雲洞君の手紙はありがたかつた、黎々火君のはがきはうれしかつた、しげ子さんのたよりはかなしかつた。
暮春と貧乏との関係如何!
酒を借り、魚を借りて来て、樹明君を招待した、よい酒宴であり、よい月見であつた。
 食べたものがそのまゝで出る春ふかし(何ときたない、そして何とまじめな句かよ
・ほしものほどようほせた藤の花
・ゆふべしめやかな土へまいてゆく
・影は若葉で柿の若葉で(十二日の月)
・ずんぶりぬれて枯れて一本松(追加)
  今日の買物
一、七銭   バツト
一、四銭   なでしこ
一、十二銭  醤油
一、十二銭  いりこ
一、十銭   マツチ
一、弐十弐銭 焼酎
一、弐十弐銭 白米
一、三銭   酢
一、三銭   菓子
一、五銭   湯札
  (入金壱円五十銭)
一、十七銭  魚
        (借)
一、九十五銭 酒

 五月七日

晴、待つてゐる。――
黎々火さんが予想よりも早くやつてきてくれた、草花の苗をどつさり持つて、――さつそく植ゑる、――縞萱、小米桜、桔梗、雁皮草、熊笹蘭、友禅菊、秋田蕗、等、等。――
萱と蕗とがとりわけて気に入りました、ありがたう、ありがたう、君は純な若人である、私はまた一人のよい友をめぐまれた。
樹明君が悪酔姿でやつてくる、昨夜の酒が酒をよんだらしい、バリカン(昨夜わざと置いていつた)を眺めながら、頭を撫でながら、ひそかに案じてゐたが、やつぱり案じた通りだつたらしい、樹明君よ、独りで呷る酒はよくない、さういふ酒から離れて下さい、頼みます。
夕方、みんな別れる、私はまた一人となつて月を眺めた、今日はまことにしめやかな一日であつた、酒なしの、おいしい御飯をたべたゞけでも。
 日の照る若葉はゆらぐともなく
・草の葉ふかくきり/″\すのをさなさよ
・ぢつとしてたんぽゝのちる
・放たれて馬にどつさり若草がある
・夏山のせまりくる水をくみあげる
・からころ/\水くみにゆく
・月あかりの筍がつちり
・蕗の葉の大きさや月かげいつぱい
・月のあかるい別れ姿で

 五月八日

曇、暑くもなく寒くもない、まさに行乞日和。
草花を見まはる、やつぱり秋田蕗がよいな。
九時頃から四時頃まで嘉川行乞、まことに久しぶりの行乞だつた、行乞相も悪くなかつた。
嘉川は折からお釈迦様の縁日、たいへんな人出、活動写真、節劇、見世物、食堂出張店、露店がずらりと並んでゐた、どの家でも御馳走をこしらへてお客がゐた、朝から風呂も沸いてゐた、着飾つた娘さん、気取つた青年が右徃左徃してゐた、その間を私と、そしてオイチ薬売とが通るのは時代逆行的景観であつた、そして空腹へ焼酎一杯は私をほろ/\させるに十分だつた、何とまあ自動車の埃、まつたく貧乏人はみじめですね。
帰庵して冷飯を詰め込んだところへ、ひようぜんとして樹明来、そして私もひようぜんとして、いつしよにまたお釈迦様へ、おかげで人、人、埃、埃、その中をくぐつていつて、腰掛で飲む、一杯二杯三杯、十杯二十杯三十杯、――自動車で小郡駅へ、それから窟へ、おばさんのところへ、それでも庵へもどつて雑魚寝、少し金を費はせすぎて気の毒でもあり相済まなかつた。
今夜は窟で大にうたつた、樹明君も私も調子を合せて、隣室の若衆を沈黙さしたほどうたつた、身心がすうとした。
・村はおまつり、家から家へ、若葉のくもり(行乞)
・蕗の葉のまんなかまさしく青蛙
・若葉、高圧線がはしる
・水底の月のたたへてゐる
 麦の穂、ごた/\店をならべて(釈迦市)
 やつぱり私は月がある路を私の寝床まで
  本日の行乞所得
白米 二升八合
現金 二十三銭

 五月九日

晴、酔うて労れて、いつもより寝過した、六時前ではあつたが。
樹明君は腫れぽつたい顔をしてゐる、お茶も御飯も食べないで、さう/\帰つていつた。
私も過飲過食で胃が悪い、とても秋穂行乞はやれさうもないので、地べたに莚をしいて寝た、土が何より薬だ、土のなごやかなつめたさが身心のつかれを癒やしてくれます。
過ぎたるは及ばざるにしかず、――酒の場合に於て最も然り、そして、過ぎやすく及びやすし――最も然り。
終日無言、悠然観山、一切無事。
十五夜の月はうつくしかつた。
ぐつすりねむつた、たんぼでもねむられるからありがたい。
・ひなたの葉をひろげてやる(秋田蕗移植)
・若葉しづもりまんまるい月が
・ゆふべひとときはさびしい若葉で

 五月十日

晴、行乞しなくちやならない、どれ出かけやう。
出かけることは出かけたが、風が吹くし留守が多いし、気分もよくないので、中途から引き返した、行乞所得は――
白米 七合
銭  六銭
間引菜のお汁はおいしかつた。
・人がきたよな枇杷の葉のおちるだけ
・生きられるだけは生きやう草萠ゆる
                 (追加二句)
・萠ゆる草枯るる草に風が強い
・晴れて風ふき仕事を持たない
・やつぱりひとりがよマヽしいマヽ雑草(再録)

 五月十一日

起きてまづ空を仰ぐ、そして日暦をめくり捨てる、――けふもすばらしいお天気だ、あれこれしてゐるうちにおそくなつて、とう/\行乞に出そこなつてしまつた。
・どうにもならない矛盾が炎天
・けふは蕗をつみ蕗をたべ(訂正再録)
・ゆふべはよみがへる葉の大きく青く
・のぼりつめたる蟻の青空
・やつと芽がでたこれこそ大根
・なんとかしたい草の葉のそよげども
   行乞
・つかれてもどるそらまめのはな(再録)
・草にうづもれうれしい石かな
 わかれてのぼる月をみて
・ふるつくふうふう月がぼマヽ
Kおばさんがヒヨコリと来た、掛取かとビク/\したが、そこまで来たので、そしてその人を待つてゐるので、チヨツと寄りましたといふ、といふ訳で、安心して三十分ばかり四方山の話をした。
松蝉がなく、柿が花をつけた、蛙もうたふ。
茶の試製をやつた、珍妙な茶ができた、これでも無いより有る方がよい。
樹明君がきて、飯を御馳走になりたいとは! 酒を飲む君の顔はかゞやいてゐるが、飯を食べる姿は、あゝ、みじめだつた、私もさみしいけれど、君はもつとさみしさうだつた。
生活にムリがあつてはいけない、ウソがあつては助からない。

 五月十二日

晴、上々吉の天候でもあり気分でもあつた。
旅立の用意いろ/\、これも身心整理の一端だ。
八時頃から行乞と出かける、山口まで急行、四時間あまり行乞、帰庵の途中――農学校附近で、六時のサイレンを聞いた。
新聞も今日限りで一時購読中止。
行乞は自他を省察せしめる、人さま/″\の心かな。
空腹(昼食ぬきなので)へ焼酎一杯はうまかつた、うまかつた。
  本日の行乞所得
米  一升二合
銭  四十七銭
黎々火さんの手紙はあたゝかだつた、樹明さんはどんな様子か、血族と絶縁してしまつた私には友がなつかしくてならない。
・雀したしや若葉のひかりも
・若葉はれ/″\と雀の親子
・いちにち石をきざむや葉ざくらのかげ
・ツルバシぶちこんで熱い息はいて
 五月十三日 朝から
           『行乞記』
 五月十九日 夕まで





底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年11月30日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について