『煤煙』の序

夏目漱石




煤煙ばいえん」が朝日新聞に出て有名になつてからのち間もなくの話であるが、著者はそれを単行本として再び世間に公けにする計画をした。書肆しよしも無論賛成で既に印刷に回して活字に組み込まうとまでした位である。所が其頃そのころ内閣が変つて、著書の検閲が急に八釜敷やかましくなつたので、書肆は万一をおもんぱかつて、直接に警保局長の意見を確めに行つた。すると警保局長は全然出版に反対の意をほのめかした。もし押切つて発売に至る迄の手続をしやうものなら、必ず発売禁止になるものと解釈して、書肆は引下つた。著者はやむを得ず煤煙の切抜帳をいだいて、おほいまらながつてゐた。
 所へある気のいた男が出て来て、煤煙の全部を出版しやうとすればこそ災を招く恐れがあるので、そのうちの安全な部分だけを切り離して小冊子にまとめたらどんなものだらうといふ新案を提出した。著者は多少思考を費した上、この説に同意して、たゞちに煤煙の前半、即ち要吉が郷里きやうりに帰つて東京に出て来る迄の間を取敢とりあへず第一巻として活版にする事に決心した。
 著者の選択した部分は、煤煙の骨子でない所から云へば、著者に取つて遺憾かも知れないが、安全と云ふ点から見れば是程これほど安全な章はない。誰が読んだつて差支さしつかへないんだから大丈夫である。其上そのうへ余のる所では、肝心の後編よりかへつて出来がい様に思はれる。余は煤烟全部を読み直す暇がないので、判然はつきりした判断を下すに躊躇するが、当時の新聞は連続して欠かさず眼を通したものだから、いまだに残つてゐる、其時そのときの印象は、恐らく余に取つてたしかなものだらうと考へる。その印象を平たくひとに伝へ得る様な言葉に引き延ばして見るとうである。――煤煙の後篇はどうもケレンが多くつて不可いけない。非常に痛切なことを道楽半分人に見せる為に書いてゐる様な気がする。所が前半には其弊そのへい大分だいぶん少い。一種の空気がずつと貫いて陰鬱な色が万遍まんべんなく自然じねんに出てゐる。この意味において著者が前篇だけを世に公けにするのは余の賛成する所である。
 この前篇の特色として、読者に注意したいのは、事件の充実と云ふ事である。それを少し布衍して云ふと、事件が走馬燈のごとくに出てくると云ふ意味である。もう一つほかの言葉で説明すると、事件が発展的に叙せられないで、読者を圧迫する程ひし/\と並んで寄せ掛るのである。あたかも金をぎ合せた様に寸分の隙間なく寄せてくる。従つて読者は息がげない。事件に引き付けられて息がげないと云つても嘘ではないが、実を云ふと、むしろ苦しくつて息をぐ余裕を著書から与へられないのである。この状態はなかば事件其物そのものの性質から出る事もついでに注意したい。煤煙の主人公が郷里きやうりへ帰つてから又東京へ引き返す迄に、遭遇したり回想したりする事件は、決して尋常のものではない。こと/″\く飛び離れて強烈な色采しきさいを有してゐるものばかりである。要吉は犬の耳を塩漬しほつけにしてゐる女の夢を見たと書いてある。主人公は一ぢやうの夢に至る迄、何か天下を驚かす様な内容でなければ気が済まないのだとしか解釈出来ない。
 それだから読者の受ける感じの中には、著者が非常に苦心したなと云ふ自覚が起ると同時に、それが自分の額に反映して読む事が既に苦しくなる場合もある。又事件があまり派出はでに並んでゐるために、(その調子はいやに陰鬱ではあるけれども)殆んどセンセーシヨナルな安つぽい小説と脊中合せをしてゐる様な気も起る。
 事件が是程これほど充実してゐる割に性格が出てゐないのが不思議である。著者はあれほど性格が書いてあれば沢山ぢやないかと云ふかも知れないが、余の云ふ性格は要吉の特色を指すのである。篇中に書いてあるのは要吉の境遇である。これは濃く出てゐる。けれども其割そのわりから云ふと要吉は薄つぽいものである。何故なぜと云へば、要吉の言動が、かゝる境遇の下に置かれたる普通の人のなすべき言動以外には一歩も出てゐないからである。要吉でなくつても、誰をとらへて来ても、う云ふ境遇の下に置いたら、矢つ張り要吉の通りに働くだらうと思はれるからである。従つて是は要吉であつて、明吉めいきちでも太吉たきちでも半吉はんきちでもないといふ特殊の性格を与へてゐない。余は要吉の言動を読んで要吉と共に陰鬱にはなる、けれども成程なるほど要吉とはこんな種類の人間であると、著者から教へられた事がない。性格を上手にかく人は、これほどはげしい事件の下に主人公を置かないでも、淡々たる尋常の些事さじのうちに動かすべからざる其人そのひとの特色を発揮し得るものである。
 以上は余が煤煙の前篇を読み直して得た感想である。その当否はいざ知らずとして、この書を読む人の参考に多少なりはすまいかとおもつて序文とした。其裏面に追随する長所に至つては、読者の一見してすぐ気の付く事のみだからわざと略した。





底本:「漱石全集 第十六巻」岩波書店
   1995(平成7)年4月19日発行
初出:「東京朝日新聞 文芸欄」
   1909(明治42)年11月25日
※本稿は初出ののち、森田草平「煤烟 第一巻」金葉堂・如山堂、1910(明治43)年2月15日の序文として採録された。
※底本のテキストは、初出による。
※底本には、初出のルビを「適宜削除した。」旨の記述がある。
入力:砂場清隆
校正:小林繁雄
2003年4月1日作成
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