門
夏目漱石
宗助は
先刻から
縁側へ
坐蒲團を
持ち
出して
日當りの
好ささうな
所へ
氣樂に
胡坐をかいて
見たが、やがて
手に
持つてゐる
雜誌を
放り
出すと
共に、ごろりと
横になつた。
秋日和と
名のつく
程の
上天氣なので、
徃來を
行く
人の
下駄の
響が、
靜かな
町丈に、
朗らかに
聞えて
來る。
肱枕をして
軒から
上を
見上ると、
奇麗な
空が
一面に
蒼く
澄んでゐる。
其空が
自分の
寐てゐる
縁側の
窮屈な
寸法に
較べて
見ると、
非常に
廣大である。たまの
日曜に
斯うして
緩くり
空を
見る
丈でも
大分違ふなと
思ひながら、
眉を
寄せて、ぎら/\する
日を
少時見詰めてゐたが、
眩しくなつたので、
今度はぐるりと
寐返りをして
障子の
方を
向いた。
障子の
中では
細君が
裁縫をしてゐる。
「おい、
好い
天氣だな」と
話し
掛けた。
細君は、
「えゝ」と
云つたなりであつた。
宗助も
別に
話がしたい
譯でもなかつたと
見えて、
夫なり
默つて
仕舞つた。しばらくすると
今度は
細君の
方から、
「ちつと
散歩でも
爲て
入らつしやい」と
云つた。
然し
其時は
宗助が
唯うんと
云ふ
生返事を
返した
丈であつた。
二三
分して、
細君は
障子の
硝子の
所へ
顏を
寄せて、
縁側に
寐てゐる
夫の
姿を
覗いて
見た。
夫はどう
云ふ
了見か
兩膝を
曲げて
海老の
樣に
窮屈になつてゐる。さうして
兩手を
組み
合はして、
其中へ
黒い
頭を
突つ
込んでゐるから、
肱に
挾まれて
顏がちつとも
見えない。
「
貴方そんな
所へ
寐ると
風邪引いてよ」と
細君が
注意した。
細君の
言葉は
東京の
樣な、
東京でない
樣な、
現代の
女學生に
共通な
一種の
調子を
持つてゐる。
宗助は
兩肱の
中で
大きな
眼をぱち/\させながら、
「
寐やせん、
大丈夫だ」と
小聲で
答へた。
夫から
又靜かになつた。
外を
通る
護謨車のベルの
音が二三
度鳴つた
後から、
遠くで
鷄の
時音をつくる
聲が
聞えた。
宗助は
仕立卸しの
紡績織の
脊中へ、
自然と
浸み
込んで
來る
光線の
暖味を、
襯衣の
下で
貪ぼる
程味ひながら、
表の
音を
聽くともなく
聽いてゐたが、
急に
思ひ
出した
樣に、
障子越しの
細君を
呼んで、
「
御米、
近來の
近の
字はどう
書いたつけね」と
尋ねた。
細君は
別に
呆れた
樣子もなく、
若い
女に
特有なけたゝましい
笑聲も
立てず、
「
近江の
おほの
字ぢやなくつて」と
答へた。
「
其近江の
おほの
字が
分らないんだ」
細君は
立て
切つた
障子を
半分ばかり
開けて、
敷居の
外へ
長い
物指を
出して、
其先で
近の
字を
縁側へ
書いて
見せて、
「
斯うでしやう」と
云つた
限、
物指の
先を、
字の
留つた
所へ
置いたなり、
澄み
渡つた
空を
一しきり
眺め
入つた。
宗助は
細君の
顏も
見ずに、
「
矢つ
張り
左樣か」と
云つたが、
冗談でもなかつたと
見えて、
別に
笑もしなかつた。
細君も
近の
字は
丸で
氣にならない
樣子で、
「
本當に
好い
御天氣だわね」と
半ば
獨り
言の
樣に
云ひながら、
障子を
開けた
儘又裁縫を
始めた。すると
宗助は
肱で
挾んだ
頭を
少し
擡げて、
「
何うも
字と
云ふものは
不思議だよ」と
始めて
細君の
顏を
見た。
「
何故」
「
何故つて、
幾何容易い
字でも、こりや
變だと
思つて
疑ぐり
出すと
分らなくなる。
此間も
今日の
今の
字で
大變迷つた。
紙の
上へちやんと
書いて
見て、ぢつと
眺めてゐると、
何だか
違つた
樣な
氣がする。
仕舞には
見れば
見る
程今らしくなくなつて
來る。――
御前そんな
事を
經驗した
事はないかい」
「まさか」
「
己丈かな」と
宗助は
頭へ
手を
當てた。
「
貴方何うかして
入らつしやるのよ」
「
矢つ
張り
神經衰弱の
所爲かも
知れない」
「
左樣よ」と
細君は
夫の
顏を
見た。
夫は
漸く
立ち
上つた。
針箱と
糸屑の
上を
飛び
越す
樣に
跨いで
茶の
間の
襖を
開けると、すぐ
座敷である。
南が
玄關で
塞がれてゐるので、
突き
當りの
障子が、
日向から
急に
這入つて
來た
眸には、うそ
寒く
映つた。
其所を
開けると、
廂に
逼る
樣な
勾配の
崖が、
縁鼻から
聳えてゐるので、
朝の
内は
當つて
然るべき
筈の
日も
容易に
影を
落さない。
崖には
草が
生えてゐる。
下からして
一側も
石で
疊んでないから、
何時壞れるか
分らない
虞があるのだけれども、
不思議にまだ
壞れた
事がないさうで、その
爲か
家主も
長い
間昔の
儘にして
放つてある。
尤も
元は
一面の
竹藪だつたとかで、それを
切り
開く
時に
根丈は
掘り
返さずに
土堤の
中に
埋て
置いたから、
地は
存外緊つてゐますからねと、
町内に二十
年も
住んでゐる
八百屋の
爺が
勝手口でわざ/\
説明して
呉れた
事がある。
其時宗助はだつて
根が
殘つてゐれば、
又竹が
生えて
藪になりさうなものぢやないかと
聞き
返して
見た。すると
爺は、それがね、あゝ
切り
開かれて
見ると、さう
甘く
行くもんぢやありませんよ。
然し
崖丈は
大丈夫です。どんな
事があつたつて
壞えつこはねえんだからと、
恰も
自分のものを
辯護でもする
樣に
力んで
歸つて
行つた。
崖は
秋に
入つても
別に
色づく
樣子もない。たゞ
青い
草の
匂が
褪めて、
不揃にもぢや/\する
許である。
薄だの
蔦だのと
云ふ
洒落たものに
至つては
更に
見當らない。
其代り
昔の
名殘りの
孟宗が
中途に二
本、
上の
方に三
本程すつくりと
立つてゐる。
夫が
多少黄に
染まつて、
幹に
日の
射すときなぞは、
軒から
首を
出すと、
土手の
上に
秋の
暖味を
眺められる
樣な
心持がする。
宗助は
朝出て
四時過に
歸る
男だから、
日の
詰る
此頃は、
滅多に
崖の
上を
覗く
暇を
有たなかつた。
暗い
便所から
出て、
手水鉢の
水を
手に
受けながら、
不圖廂の
外を
見上げた
時、
始めて
竹の
事を
思ひ
出した。
幹の
頂に
濃かな
葉が
集まつて、
丸で
坊主頭の
樣に
見える。それが
秋の
日に
醉つて
重く
下を
向いて、
寂そりと
重なつた
葉が一
枚も
動かない。
宗助は
障子を
閉てゝ
座敷へ
歸つて、
机の
前へ
坐つた。
座敷とは
云ひながら
客を
通すから
左樣名づける
迄で、
實は
書齋とか
居間とか
云ふ
方が
穩當である。
北側に
床があるので、
申譯の
爲に
變な
軸を
掛けて、
其前に
朱泥の
色をした
拙な
花活が
飾つてある。
欄間には
額も
何もない。
唯眞鍮の
折釘丈が二
本光つてゐる。
其他には
硝子戸の
張つた
書棚が
一つある。けれども
中には
別に
是と
云つて
目立つ
程の
立派なものも
這入つてゐない。
宗助は
銀金具の
付いた
机の
抽出を
開けて
頻に
中を
檢べ
出したが、
別に
何も
見付け
出さないうちに、はたりと
締めて
仕舞つた。
夫から
硯箱の
葢を
取つて、
手紙を
書き
始めた。一
本書いて
封をして、
一寸考へたが、
「おい、
佐伯のうちは
中六番町何番地だつたかね」と
襖越に
細君に
聞いた。
「二十五
番地ぢやなくつて」と
細君は
答へたが、
宗助が
名宛を
書き
終る
頃になつて、
「
手紙ぢや
駄目よ、
行つて
能く
話をして
來なくつちや」と
付け
加へた。
「まあ、
駄目迄も
手紙を一
本出して
置かう。
夫で
不可なかつたら
出掛けるとするさ」と
云ひ
切つたが、
細君が
返事をしないので、
「ねぇ、おい、
夫で
好いだらう」と
念を
押した。
細君は
惡いとも
云ひ
兼たと
見えて、
其上爭ひもしなかつた。
宗助は
郵便を
持つた
儘、
座敷から
直ぐ
玄關に
出た。
細君は
夫の
足音を
聞いて
始めて、
座を
立つたが、
是は
茶の
間の
縁傳ひに
玄關に
出た。
「
一寸散歩に
行つて
來るよ」
「
行つて
入らつしやい」と
細君は
微笑しながら
答へた。
三十
分許して
格子ががらりと
開いたので、
御米は
又裁縫の
手を
已めて、
縁傳ひに
玄關へ
出て
見ると、
歸つたと
思ふ
宗助の
代りに、
高等學校の
制帽を
被つた、
弟の
小六が
這入つて
來た。
袴の
裾が五六
寸しか
出ない
位の
長い
黒羅紗のマントの
釦を
外しながら、
「
暑い」と
云つてゐる。
「だつて
餘まりだわ。
此御天氣にそんな
厚いものを
着て
出るなんて」
「
何、
日が
暮れたら
寒いだらうと
思つて」と
小六は
云譯を
半分しながら、
嫂の
後に
跟いて、
茶の
間へ
通つたが、
縫ひ
掛けてある
着物へ
眼を
着けて、
「
相變らず
精が
出ますね」と
云つたなり、
長火鉢の
前へ
胡坐をかいた。
嫂は
裁縫を
隅の
方へ
押し
遺つて
置いて、
小六の
向へ
來て、
一寸鐵瓶を
卸して
炭を
繼ぎ
始めた。
「
御茶なら
澤山です」と
小六が
云つた。
「
厭?」と
女學生流に
念を
押した
御米は、
「ぢや
御菓子は」と
云つて
笑ひかけた。
「
有るんですか」と
小六が
聞いた。
「いゝえ、
無いの」と
正直に
答へたが、
思ひ
出した
樣に、「
待つて
頂戴、
有るかも
知れないわ」と
云ひながら
立ち
上がる
拍子に、
横にあつた
炭取を
取り
退けて、
袋戸棚を
開けた。
小六は
御米の
後姿の、
羽織が
帶で
高くなつた
邊を
眺めてゐた。
何を
探すのだか
中々手間が
取れさうなので、
「ぢや
御菓子も
廢しにしませう。それよりか、
今日は
兄さんは
何うしました」と
聞いた。
「
兄さんは
今一寸」と
後向の
儘答へて、
御米は
矢張り
戸棚の
中を
探してゐる。やがてぱたりと
戸を
締めて、
「
駄目よ。
何時の
間にか
兄さんがみんな
食べて
仕舞つた」と
云ひながら、
又火鉢の
向へ
歸つて
來た。
「ぢや
晩に
何か
御馳走なさい」
「えゝ
爲てよ」と
柱時計を
見ると、もう
四時近くである。
御米は「
四時、
五時、
六時」と
時間を
勘定した。
小六は
默つて
嫂の
顏を
見てゐた。
彼は
實際嫂の
御馳走には
餘り
興味を
持ち
得なかつたのである。
「
姉さん、
兄さんは
佐伯へ
行つて
呉れたんですかね」と
聞いた。
「
此間から
行く
行くつて
云つてる
事は
云つてるのよ。だけど、
兄さんも
朝出て
夕方に
歸るんでせう。
歸ると
草臥れちまつて、
御湯に
行くのも
大儀さうなんですもの。だから、さう
責めるのも
實際御氣の
毒よ」
「そりや
兄さんも
忙がしいには
違なからうけれども、
僕もあれが
極まらないと
氣掛りで
落ち
付いて
勉強も
出來ないんだから」と
云ひながら、
小六は
眞鍮の
火箸を
取つて
火鉢の
灰の
中へ
何かしきりに
書き
出した。
御米は
其動く
火箸の
先を
見てゐた。
「だから
先刻手紙を
出して
置いたのよ」と
慰める
樣に
云つた。
「
何て」
「そりや
私もつい
見なかつたの。けれども、
屹度あの
相談よ。
今に
兄さんが
歸つて
來たら
聞いて
御覽なさい。
屹度左樣よ」
「もし
手紙を
出したのなら、
其用には
違ないでせう」
「えゝ、
本當に
出したのよ。
今兄さんが
其手紙を
持つて、
出しに
行つた
所なの」
小六はこれ
以上辯解の
樣な
慰藉の
樣な
嫂の
言葉に
耳を
借したくなかつた。
散歩に
出る
閑があるなら、
手紙の
代りに
自分で
足を
運んで
呉れたらよささうなものだと
思ふと
餘り
好い
心持でもなかつた。
座敷へ
來て、
書棚の
中から
赤い
表紙の
洋書を
出して、
方々頁を
剥つて
見てゐた。
其所に
氣の
付かなかつた
宗助は、
町の
角迄來て、
切手と「
敷島」を
同じ
店で
買つて、
郵便丈はすぐ
出したが、
其足で
又同じ
道を
戻るのが
何だか
不足だつたので、
啣え
烟草の
烟を
秋の
日に
搖つかせながら、ぶら/\
歩いてゐるうちに、どこか
遠くへ
行つて、
東京と
云ふ
所はこんな
所だと
云ふ
印象をはつきり
頭の
中へ
刻み
付けて、さうして
夫を
今日の
日曜の
土産に
家へ
歸つて
寐やうと
云ふ
氣になつた。
彼は
年來東京の
空氣を
吸つて
生きてゐる
男であるのみならず、
毎日役所の
行通には
電車を
利用して、
賑やかな
町を二
度づゝは
屹度徃つたり
來たりする
習慣になつてゐるのではあるが、
身體と
頭に
樂がないので、
何時でも
上の
空で
素通りをする
事になつてゐるから、
自分が
其賑やかな
町の
中に
活てゐると
云ふ
自覺は
近來頓と
起つた
事がない。
尤も
平生は
忙がしさに
追はれて、
別段氣にも
掛からないが、
七日に一
返の
休日が
來て、
心がゆつたりと
落ち
付ける
機會に
出逢ふと、
不斷の
生活が
急にそわ/\した
上調子に
見えて
來る。
必竟自分は
東京の
中に
住みながら、ついまだ
東京といふものを
見た
事がないんだといふ
結論に
到着すると、
彼は
其所に
何時も
妙な
物淋しさを
感ずるのである。
さう
云ふ
時には
彼は
急に
思ひ
出した
樣に
町へ
出る。
其上懷に
多少餘裕でもあると、
是で
一つ
豪遊でもして
見樣かと
考へる
事もある。けれども
彼の
淋しみは、
彼を
思ひ
切つた
極端に
驅り
去る
程に、
強烈の
程度なものでないから、
彼が
其所迄猛進する
前に、それも
馬鹿々々しくなつて
已めて
仕舞ふ。のみならず、
斯んな
人の
常態として、
紙入の
底が
大抵の
場合には、
輕擧を
戒める
程度内に
膨らんでゐるので、
億劫な
工夫を
凝すよりも、
懷手をして、ぶらりと
家へ
歸る
方が、つい
樂になる。だから
宗助の
淋しみは
單なる
散歩か
觀工場縱覽位な
所で、
次の
日曜迄は
何うか
斯うか
慰藉されるのである。
此日も
宗助は
兎も
角もと
思つて
電車へ
乘つた。
所が
日曜の
好天氣にも
拘らず、
平常よりは
乘客が
少ないので
例になく
乘心地が
好かつた。
其上乘客がみんな
平和な
顏をして、どれもこれも
悠たりと
落付いてゐる
樣に
見えた。
宗助は
腰を
掛けながら、
毎朝例刻に
先を
爭つて
席を
奪ひ
合ひながら、
丸の
内方面へ
向ふ
自分の
運命を
顧みた。
出勤刻限の
電車の
道伴程殺風景なものはない。
革にぶら
下がるにしても、
天鵞絨に
腰を
掛けるにしても、
人間的な
優しい
心持の
起つた
試は
未だ
甞てない。
自分も
夫で
澤山だと
考へて、
器械か
何ぞと
膝を
突き
合せ
肩を
並べたかの
如くに、
行きたい
所迄同席して
不意と
下りて
仕舞ふ
丈であつた。
前の
御婆さんが
八つ
位になる
孫娘の
耳の
所へ
口を
付けて
何か
云つてゐるのを、
傍に
見てゐた三十
恰好の
商家の
御神さんらしいのが、
可愛らしがつて、
年を
聞いたり
名を
尋ねたりする
所を
眺めてゐると、
今更ながら
別の
世界に
來た
樣な
心持がした。
頭の
上には
廣告が
一面に
枠に
嵌めて
掛けてあつた。
宗助は
平生これにさへ
氣が
付かなかつた。
何心なしに一
番目のを
讀んで
見ると、
引越は
容易に
出來ますと
云ふ
移轉會社の
引札であつた。
其次には
經濟を
心得る
人は、
衞生に
注意する
人は、
火の
用心を
好むものは、と三
行に
並べて
置いて
其後に
瓦斯竈を
使へと
書いて、
瓦斯竈から
火の
出てゐる
畫迄添へてあつた。三
番目には
露國文豪トルストイ
伯傑作「
千古の
雪」と
云ふのと、バンカラ
喜劇小辰大一座と
云ふのが、
赤地に
白で
染め
拔いてあつた。
宗助は
約十
分も
掛かつて
凡ての
廣告を
丁寧に三
返程讀み
直した。
別に
行つて
見やうと
思ふものも、
買つて
見たいと
思ふものも
無かつたが、たゞ
是等の
廣告が
判然と
自分の
頭に
映つて、さうして
夫を
一々讀み
終せた
時間のあつた
事と、それを
悉く
理解し
得たと
云ふ
心の
餘裕が、
宗助には
少なからぬ
滿足を
與へた。
彼の
生活は
是程の
餘裕にすら
誇りを
感ずる
程に、
日曜以外の
出入りには、
落ち
付いてゐられないものであつた。
宗助は
駿河臺下で
電車を
降りた。
降りるとすぐ
右側の
窓硝子の
中に
美しく
並べてある
洋書に
眼が
付いた。
宗助はしばらく
其前に
立つて、
赤や
青や
縞や
模樣の
上に、
鮮かに
叩き
込んである
金文字を
眺めた。
表題の
意味は
無論解るが、
手に
取つて、
中を
檢べて
見やうといふ
好奇心はちつとも
起らなかつた。
本屋の
前を
通ると、
屹度中へ
這入つて
見たくなつたり、
中へ
這入ると
必ず
何か
欲しくなつたりするのは、
宗助から
云ふと、
既に
一昔し
前の
生活である。たゞ
History of Gambling(
博奕史)と
云ふのが、
殊更に
美裝して、
一番眞中に
飾られてあつたので、それが
幾分か
彼の
頭に
突飛な
新し
味を
加へた
丈であつた。
宗助は
微笑しながら、
急忙しい
通りを
向側へ
渡つて、
今度は
時計屋の
店を
覗き
込んだ。
金時計だの
金鎖が
幾つも
並べてあるが、
是もたゞ
美しい
色や
恰好として、
彼の
眸に
映る
丈で、
買ひたい
了簡を
誘致するには
至らなかつた。
其癖彼は
一々絹糸で
釣るした
價格札を
讀んで、
品物と
見較べて
見た。さうして
實際金時計の
安價なのに
驚ろいた。
蝙蝠傘屋の
前にも
一寸立ち
留まつた。
西洋小間物を
賣る
店先では、
禮帽の
傍に
懸けてあつた
襟飾りに
眼が
付いた。
自分の
毎日掛けてゐるのよりも
大變柄が
好かつたので、
價を
聞いて
見樣かと
思つて、
半分店の
中へ
這入りかけたが、
明日から
襟飾りなどを
懸け
替た
所が
下らない
事だと
思ひ
直すと、
急に
蟇口の
口を
開けるのが
厭になつて
行き
過ぎた。
呉服店でも
大分立見をした。
鶉御召だの、
高貴織だの、
清凌織だの、
自分の
今日迄知らずに
過ぎた
名を
澤山覺えた。
京都の
襟新と
云ふ
家の
出店の
前で、
窓硝子へ
帽子の
鍔を
突き
付ける
樣に
近く
寄せて、
精巧に
刺繍をした
女の
半襟を、いつ
迄も
眺めてゐた。その
中に
丁度細君に
似合さうな
上品なのがあつた。
買つて
行つて
遣らうかといふ
氣が
一寸起るや
否や、そりや五六
年前の
事だと
云ふ
考が
後から
出て
來て、
折角心持の
好い
思ひ
付をすぐ
揉み
消して
仕舞つた。
宗助は
苦笑しながら
窓硝子を
離れて
又歩き
出したが、それから
半町程の
間は
何だか
詰らない
樣な
氣分がして、
徃來にも
店先にも
格段の
注意を
拂はなかつた。
不圖氣が
付いて
見ると
角に
大きな
雜誌屋があつて、
其軒先には
新刊の
書物が
大きな
字で
廣告してある。
梯子の
樣な
細長い
枠へ
紙を
張つたり、ペンキ
塗の一
枚板へ
模樣畫見た
樣な
色彩を
施こしたりしてある。
宗助はそれを
一々讀んだ。
著者の
名前も
作物の
名前も、一
度は
新聞の
廣告で
見た
樣でもあり、
又全く
新奇の
樣でもあつた。
此店の
曲り
角の
影になつた
所で、
黒い
山高帽を
被つた三十
位の
男が
地面の
上へ
氣樂さうに
胡坐をかいて、えゝ
御子供衆の
御慰みと
云ひながら、
大きな
護謨風船を
膨らましてゐる。それが
膨れると
自然と
達磨の
恰好になつて、
好加減な
所に
眼口迄墨で
書いてあるのに
宗助は
感心した。
其上一度息を
入れると、
何時迄も
膨れてゐる。
且指の
先へでも、
手の
平の
上へでも
自由に
尻が
据る。それが
尻の
穴へ
楊枝の
樣な
細いものを
突つ
込むとしゆうつと
一度に
收縮して
仕舞ふ。
忙がしい
徃來の
人は
何人でも
通るが、
誰も
立ち
留つて
見る
程のものはない。
山高帽の
男は
賑やかな
町の
隅に、
冷やかに
胡坐をかいて、
身の
周圍に
何事が
起りつゝあるかを
感ぜざるものゝ
如くに、えゝ
御子供衆の
御慰みと
云つては、
達磨を
膨らましてゐる。
宗助は一
錢五
厘出して、
其風船を
一つ
買つて、しゆつと
縮ましてもらつて、それを
袂へ
入れた。
奇麗な
床屋へ
行つて、
髮を
刈りたくなつたが、
何處にそんな
奇麗なのがあるか、
一寸見付からないうちに、
日が
限つて
來たので、
又電車へ
乘つて、
宅の
方へ
向つた。
宗助が
電車の
終點迄來て、
運轉手に
切符を
渡した
時には、もう
空の
色が
光を
失ひかけて、
濕つた
徃來に、
暗い
影が
射し
募る
頃であつた。
降りやうとして、
鐵の
柱を
握つたら、
急に
寒い
心持がした。
一所に
降りた
人は、
皆な
離れ/″\になつて、
事あり
氣に
忙がしく
歩いて
行く。
町のはづれを
見ると、
左右の
家の
軒から
家根へかけて、
仄白い
烟りが
大氣の
中に
動いてゐる
樣に
見える。
宗助も
樹の
多い
方角に
向いて
早足に
歩を
移した。
今日の
日曜も、
暢びりした
御天氣も、もう
既に
御仕舞だと
思ふと、
少し
果敢ない
樣な
又淋しい
樣な
一種の
氣分が
起つて
來た。さうして
明日から
又例によつて
例の
如く、せつせと
働らかなくてはならない
身體だと
考へると、
今日半日の
生活が
急に
惜くなつて、
殘る
六日半の
非精神的な
行動が、
如何にも
詰らなく
感ぜられた。
歩いてゐるうちにも、
日當の
惡い、
窓の
乏しい、
大きな
部屋の
模樣や、
隣りに
坐つてゐる
同僚の
顏や、
野中さん
一寸と
云ふ
上官の
樣子ばかりが
眼に
浮かんだ。
魚勝と
云ふ
肴屋の
前を
通り
越して、
其五六
軒先の
露次とも
横丁とも
付かない
所を
曲ると、
行き
當りが
高い
崖で、
其左右に四五
軒同じ
構の
貸家が
並んでゐる。つい
此間迄は
疎らな
杉垣の
奧に、
御家人でも
住み
古したと
思はれる、
物寂た
家も
一つ
地所のうちに
混つてゐたが、
崖の
上の
坂井といふ
人が
此所を
買つてから、
忽ち
萱葺を
壞して、
杉垣を
引き
拔いて、
今の
樣な
新らしい
普請に
建て
易へて
仕舞つた。
宗助の
家は
横丁を
突き
當つて、
一番奧の
左側で、すぐの
崖下だから、
多少陰氣ではあるが、
其代り
通りからは
尤も
隔つてゐる
丈に、まあ
幾分か
閑靜だらうと
云ふので、
細君と
相談の
上、とくに
其所を
擇んだのである。
宗助は
七日に一
返の
日曜ももう
暮れかゝつたので、
早く
湯にでも
入つて、
暇があつたら
髮でも
刈つて、さうして
緩くり
晩食を
食はうと
思つて、
急いで
格子を
開けた。
臺所の
方で
皿小鉢の
音がする。
上がらうとする
拍子に、
小六の
脱ぎ
棄てた
下駄の
上へ、
氣が
付かずに
足を
乘せた。
曲んで
位置を
調へてゐる
所へ
小六が
出て
來た。
臺所の
方で、
御米が、
「
誰?
兄さん?」と
聞いた。
宗助は、
「やあ、
來てゐたのか」と
云ひながら
座敷へ
上つた。
先刻郵便を
出してから、
神田を
散歩して、
電車を
降りて
家へ
歸る
迄、
宗助の
頭には
小六の
小の
字も
閃めかなかつた。
宗助は
小六の
顏を
見た
時、
何となく
惡い
事でもした
樣に
極りが
好くなかつた。
「
御米、
御米」と
細君を
臺所から
呼んで、
「
小六が
來たから、
何か
御馳走でもするが
好い」と
云ひ
付けた。
細君は、
忙がしさうに
臺所の
障子を
開け
放した
儘出て
來て、
座敷の
入口に
立つてゐたが、
此分り
切つた
注意を
聞くや
否や、
「えゝ
今直」と
云つたなり、
引き
返さうとしたが、
又戻つて
來て、
「
其代り
小六さん、
憚り
樣。
座敷の
戸を
閉てて、
洋燈を
點けて
頂戴。
今私も
清も
手が
放せない
所だから」と
依頼んだ。
小六は
簡單に、
「はあ」と
云つて
立ち
上がつた。
勝手では
清が
物を
刻む
音がする。
湯か
水をざあと
流しへ
空ける
音がする。「
奧樣是は
何方へ
移します」と
云ふ
聲がする。「
姉さん、ランプの
心を
剪る
鋏はどこにあるんですか」と
云ふ
小六の
聲がする。しゆうと
湯が
沸つて
七輪の
火へ
懸つた
樣子である。
宗助は
暗い
座敷の
中で
默然と
手焙へ
手を
翳してゐた。
灰の
上に
出た
火の
塊まり
丈が
色づいて
赤く
見えた。
其時裏の
崖の
上の
家主の
家の
御孃さんがピヤノを
鳴し
出した。
宗助は
思ひ
出した
樣に
立ち
上がつて、
座敷の
雨戸を
引きに
縁側へ
出た。
孟宗竹が
薄黒く
空の
色を
亂す
上に、
一つ
二つの
星が
燦めいた。ピヤノの
音は
孟宗竹の
後から
響いた。
宗助と
小六が
手拭を
下げて、
風呂から
歸つて
來た
時は、
座敷の
眞中に
眞四角な
食卓を
据ゑて、
御米の
手料理が
手際よく
其上に
並べてあつた。
手焙の
火も
出掛よりは
濃い
色に
燃えてゐた。
洋燈も
明るかつた。
宗助が
机の
前の
坐蒲團を
引き
寄せて、
其上に
樂々と
胡坐を
掻いた
時、
手拭と
石鹸を
受取つた
御米は、
「
好い
御湯だつた
事?」と
聞いた。
宗助はたゞ
一言、
「うん」と
答へた
丈であつたが、
其樣子は
素氣ないと
云ふよりも、
寧ろ
湯上りで、
精神が
弛緩した
氣味に
見えた。
「
中々好い
湯でした」と
小六が
御米の
方を
見て
調子を
合せた。
「
然しあゝ
込んぢや
溜らないよ」と
宗助が
机の
端へ
肱を
持たせながら、
倦怠るさうに
云つた。
宗助が
風呂に
行くのは、いつでも
役所が
退けて、
家へ
歸つてからの
事だから、
丁度人の
立て
込む
夕食前の
黄昏である。
彼は
此二三ヶ
月間ついぞ、
日の
光に
透かして
湯の
色を
眺めた
事がない。
夫ならまだしもだが、
稍ともすると
三日も
四日も
丸で
錢湯の
敷居を
跨がずに
過して
仕舞ふ。
日曜になつたら、
朝早く
起きて
何よりも
第一に
奇麗な
湯に
首丈浸つて
見樣と、
常は
考へてゐるが、
偖其日曜が
來て
見ると、たまに
悠くり
寐られるのは、
今日ばかりぢやないかと
云ふ
氣になつて、つい
床のうちで
愚圖々々してゐるうちに、
時間が
遠慮なく
過ぎて、えゝ
面倒だ、
今日は
已めにして、
其代り
今度の
日曜に
行かうと
思ひ
直すのが、
殆んど
惰性の
樣になつてゐる。
「どうかして、
朝湯に
丈は
行きたいね」と
宗助が
云つた。
「
其癖朝湯に
行ける
日は、
屹度寐坊なさるのね」と
細君は
調戲ふ
樣な
口調であつた。
小六は
腹の
中で
是が
兄の
性來の
弱點であると
思ひ
込んでゐた。
彼は
自分で
學校生活をしてゐるにも
拘はらず、
兄の
日曜が、
如何に
兄にとつて
貴といかを
會得出來なかつた。
六日間の
暗い
精神作用を、
只此一日で、
暖かに
回復すべく、
兄は
多くの
希望を二十四
時間のうちに
投げ
込んでゐる。だから
遣りたい
事があり
過ぎて、十の二三も
實行出來ない。
否、
其二三にしろ
進んで
實行にかゝると、
却つてその
爲に
費やす
時間の
方が
惜くなつて
來て、つい
又手を
引込めて、
凝としてゐるうちに
日曜は
何時か
暮れて
仕舞ふのである。
自分の
氣晴しや
保養や、
娯樂もしくは
好尚に
就いてゞすら、
斯樣に
節儉しなければならない
境遇にある
宗助が、
小六の
爲に
盡さないのは、
盡さないのではない、
頭に
盡す
餘裕のないのだとは、
小六から
見ると、
何うしても
受取れなかつた。
兄はたゞ
手前勝手な
男で、
暇があればぶら/\して
細君と
遊んで
許ゐて、
一向頼りにも
力にもなつて
呉れない、
眞底は
情合に
薄い
人だ
位に
考へてゐた。
けれども、
小六がさう
感じ
出したのは、つい
近頃の
事で、
實を
云ふと、
佐伯との
交渉が
始まつて
以來の
話である。
年の
若い
丈、
凡てに
性急な
小六は、
兄に
頼めば
今日明日にも
方が
付くものと、
思ひ
込んでゐたのに、
何日迄も
埒が
明かないのみか、まだ
先方へ
出掛けても
呉れないので、
大分不平になつたのである。
所が
今日歸りを
待ち
受けて
逢つて
見ると、
其所が
兄弟で、
別に
御世辭も
使はないうちに、
何處か
暖味のある
仕打も
見えるので、つい
云ひたい
事も
後廻しにして、
一所に
湯になんぞ
這入つて、
穩やかに
打ち
解けて
話せる
樣になつて
來た。
兄弟は
寛ろいで
膳に
就いた。
御米も
遠慮なく
食卓の
一隅を
領した。
宗助も
小六も
猪口を二三
杯づゝ
干した。
飯に
掛ゝる
前に、
宗助は
笑ひながら、
「うん、
面白いものが
有つたつけ」と
云ひながら、
袂から
買つて
來た
護謨風船の
達磨を
出して、
大きく
膨らませて
見せた。さうして、それを
椀の
葢の
上へ
載せて、
其特色を
説明して
聞かせた。
御米も
小六も
面白がつて、ふわ/\した
玉を
見てゐた。
仕舞に
小六が、ふうつと
吹いたら
達磨は
膳の
上から
疊の
上へ
落ちた。それでも、まだ
覆らなかつた。
「それ
御覽」と
宗助が
云つた。
御米は
女だけに
聲を
出して
笑つたが、
御櫃の
葢を
開けて、
夫の
飯を
盛ひながら、
「
兄さんも
隨分呑氣ね」と
小六の
方を
向いて、
半ば
夫を
辯護する
樣に
云つた。
宗助は
細君から
茶碗を
受取つて、
一言の
辯解もなく
食事を
始めた。
小六も
正式に
箸を
取り
上げた。
達磨はそれぎり
話題に
上らなかつたが、これが
緒になつて、三
人は
飯の
濟む
迄無邪氣に
長閑な
話をつゞけた。
仕舞に
小六が
氣を
換へて、
「
時に
伊藤さんも
飛んだ
事になりましたね」と
云ひ
出した。
宗助は五六
日前伊藤公暗殺の
號外を
見たとき、
御米の
働いてゐる
臺所へ
出て
來て、「おい
大變だ、
伊藤さんが
殺された」と
云つて、
手に
持つた
號外を
御米のエプロンの
上に
乘せたなり
書齋へ
這入つたが、
其語氣からいふと、
寧ろ
落ち
付いたものであつた。
「
貴方大變だつて
云ふ
癖に、
些とも
大變らしい
聲ぢやなくつてよ」と
御米が
後から
冗談半分にわざ/\
注意した
位である。
其後日毎の
新聞に
伊藤公の
事が五六
段づゝ
出ない
事はないが、
宗助はそれに
目を
通してゐるんだか、ゐないんだか
分らない
程、
暗殺事件に
就ては
平氣に
見えた。
夜歸つて
來て、
御米が
飯の
御給仕をするとき
抔に、「
今日も
伊藤さんの
事が
何か
出てゐて」と
聞く
事があるが、
其時には「うん
大分出てゐる」と
答へる
位だから、
夫の
隱袋の
中に
疊んである
今朝の
讀殼を、
後から
出して
讀んで
見ないと、
其日の
記事は
分らなかつた。
御米もつまりは
夫が
歸宅後の
會話の
材料として、
伊藤公を
引合に
出す
位の
所だから、
宗助が
進まない
方向へは、たつて
話を
引張たくはなかつた。それで
此二人の
間には、
號外發行の
當日以後、
今夜小六がそれを
云ひ
出した
迄は、
公けには
天下を
動かしつゝある
問題も、
格別の
興味を
以て
迎へられてゐなかつたのである。
「どうして、まあ
殺されたんでせう」と
御米は
號外を
見たとき、
宗助に
聞いたと
同じ
事を
又小六に
向つて
聞いた。
「
短銃をポン/\
連發したのが
命中したんです」と
小六は
正直に
答へた。
「だけどさ。
何うして、まあ
殺されたんでせう」
小六は
要領を
得ない
樣な
顏をしてゐる。
宗助は
落付いた
調子で、
「
矢つ
張り
運命だなあ」と
云つて、
茶碗の
茶を
旨さうに
飮んだ。
御米はこれでも
納得が
出來なかつたと
見えて、
「どうして
又滿洲抔へ
行つたんでせう」と
聞いた。
「
本當にな」と
宗助は
腹が
張つて
充分物足りた
樣子であつた。
「
何でも
露西亞に
秘密な
用があつたんださうです」と
小六が
眞面目な
顏をして
云つた。
御米は、
「さう。でも
厭ねえ。
殺されちや」と
云つた。
「
己見た
樣な
腰辯は、
殺されちや
厭だが、
伊藤さん
見た
樣な
人は、
哈爾賓へ
行つて
殺される
方が
可いんだよ」と
宗助が
始めて
調子づいた
口を
利いた。
「あら、
何故」
「
何故つて
伊藤さんは
殺されたから、
歴史的に
偉い
人になれるのさ。たゞ
死んで
御覽、
斯うは
行かないよ」
「
成程そんなものかも
知れないな」と
小六は
少し
感服した
樣だつたが、やがて、
「
兎に
角滿洲だの、
哈爾賓だのつて
物騷な
所ですね。
僕は
何だか
危險な
樣な
心持がしてならない」と
云つた。
「
夫や、
色んな
人が
落ち
合つてるからね」
此時御米は
妙な
顏をして、
斯う
答へた
夫の
顏を
見た。
宗助もそれに
氣が
付いたらしく、
「さあ、もう
御膳を
下げたら
好からう」と
細君を
促がして、
先刻の
達磨を
又疊の
上から
取つて、
人指指の
先へ
載せながら、
「どうも
妙だよ。よく
斯う
調子好く
出來るものだと
思つてね」と
云つてゐた。
臺所から
清が
出て
來て、
食ひ
散らした
皿小鉢を
食卓ごと
引いて
行つた
後で、
御米も
茶を
入れ
替へるために、
次の
間へ
立つたから、
兄弟は
差向ひになつた。
「あゝ
奇麗になつた。
何うも
食つた
後は
汚ないものでね」と
宗助は
全く
食卓に
未練のない
顏をした。
勝手の
方で
清がしきりに
笑つてゐる。
「
何がそんなに
可笑しいの、
清」と
御米が
障子越に
話し
掛ける
聲が
聞えた。
清はへえと
云つて
猶笑ひ
出した。
兄弟は
何にも
云はず、
半ば
下女の
笑ひ
聲に
耳を
傾けてゐた。
しばらくして、
御米が
菓子皿と
茶盆を
兩手に
持つて、
又出て
來た。
藤蔓の
着いた
大きな
急須から、
胃にも
頭にも
應へない
番茶を、
湯呑程な
大きな
茶碗に
注いで、
兩人の
前へ
置いた。
「
何だつて、あんなに
笑ふんだい」と
夫が
聞いた。けれども
御米の
顏は
見ずに
却つて
菓子皿の
中を
覗いてゐた。
「
貴方があんな
玩具を
買つて
來て、
面白さうに
指の
先へ
乘せて
入らつしやるからよ。
子供もない
癖に」
宗助は
意にも
留めない
樣に、
輕く「さうか」と
云つたが、
後から
緩くり、
「
是でも
元は
子供が
有つたんだがね」と、さも
自分で
自分の
言葉を
味はつてゐる
風に
付け
足して、
生温い
眼を
擧げて
細君を
見た。
御米はぴたりと
默つて
仕舞つた。
「あなた
御菓子食べなくつて」と、しばらくしてから
小六の
方へ
向いて
話し
掛けたが、
「えゝ
食べます」と
云ふ
小六の
返事を
聞き
流して、ついと
茶の
間へ
立つて
行つた。
兄弟は
又差向ひになつた。
電車の
終點から
歩くと二十
分近くも
掛る
山の
手の
奧丈あつて、まだ
宵の
口だけれども、
四隣は
存外靜かである。
時々表を
通る
薄齒の
下駄の
響が
冴えて、
夜寒が
次第に
増して
來る。
宗助は
懷手をして、
「
晝間は
暖たかいが、
夜になると
急に
寒くなるね。
寄宿ぢやもう
蒸汽を
通してゐるかい」と
聞いた。
「いえ、
未です。
學校ぢや
餘つ
程寒くならなくつちや
蒸汽なんか
焚きやしません」
「さうかい。
夫ぢや
寒いだらう」
「えゝ。
然し
寒い
位何うでも
構はない
積ですが」と
云つた
儘、
小六はすこし
云ひ
淀んでゐたが、
仕舞にとう/\
思ひ
切つて、
「
兄さん、
佐伯の
方は
一體どうなるんでせう。
先刻姉さんから
聞いたら、
今日手紙を
出して
下すつたさうですが」
「あゝ
出した。二三
日中に
何とか
云つて
來るだらう。
其上で
又己が
行くとも
何うとも
仕樣よ」
小六は
兄の
平氣な
態度を
心の
中では
飽足らず
眺めた。
然し
宗助の
樣子に
何處と
云つて、
他を
激させる
樣な
鋭どい
所も、
自らを
庇護ふ
樣な
卑しい
點もないので、
喰つて
掛る
勇氣は
更に
出なかつた。たゞ
「ぢや
今日迄あの
儘にしてあつたんですか」と
單に
事實を
確めた。
「うん、
實は
濟まないがあの
儘だ。
手紙も
今日やつとの
事で
書いた
位だ。
何うも
仕方がないよ。
近頃神經衰弱でね」と
眞面目に
云ふ。
小六は
苦笑した。
「もし
駄目なら、
僕は
學校を
已めて、
一層今のうち、
滿洲か
朝鮮へでも
行かうかと
思つてるんです」
「
滿洲か
朝鮮? ひどく
又思ひ
切つたもんだね。だつて、
御前先刻滿洲は
物騷で
厭だつて
云つたぢやないか」
用談はこんな
所に
徃つたり
來たりして、
遂に
要領を
得なかつた。
仕舞に
宗助が
「まあ、
好いや、さう
心配しないでも、
何うかなるよ。
何しろ
返事の
來次第、
己がすぐ
知らせてやる。
其上で
又相談するとしやう」と
云つたので、
談話に
區切が
付いた。
小六が
歸りがけに
茶の
間を
覗いたら、
御米は
何にもしずに、
長火鉢に
倚り
掛かつてゐた。
「
姉さん、
左樣なら」と
聲を
掛けたら、「おや
御歸り」と
云ひながら
漸く
立つて
來た。
小六の
苦にしてゐた
佐伯からは、
豫期の
通り二三
日して
返事があつたが、それは
極めて
簡單なもので、
端書でも
用の
足りる
所を、
鄭重に
封筒へ
入れて三
錢の
切手を
貼つた、
叔母の
自筆に
過ぎなかつた。
役所から
歸つて、
筒袖の
仕事着を、
窮屈さうに
脱ぎ
易へて、
火鉢の
前へ
坐るや
否や、
抽出から一
寸程わざと
餘して
差し
込んであつた
状袋に
眼が
着いたので、
御米の
汲んで
出す
番茶を
一口呑んだ
儘、
宗助はすぐ
封を
切つた。
「へえ、
安さんは
神戸へ
行つたんだつてね」と
手紙を
讀みながら
云つた。
「
何時?」と
御米は
湯呑を
夫の
前に
出した
時の
姿勢の
儘で
聞いた。
「
何時とも
書いてないがね。
何しろ
遠からぬうちには
歸京仕るべく
候間と
書いてあるから、もうぢき
歸つて
來るんだらう」
「
遠からぬうちなんて、
矢つ
張り
叔母さんね」
宗助は
御米の
批評に、
同意も
不同意も
表しなかつた。
讀んだ
手紙を
卷き
納めて、
投げる
樣にそこへ
放り
出して、四五
日目になる、ざら/\した
腮を、
氣味わるさうに
撫で
廻した。
御米はすぐ
其手紙を
拾つたが、
別に
讀まうともしなかつた。それを
膝の
上へ
乘せた
儘、
夫の
顏を
見て、
「
遠からぬうちには
歸京仕るべく
候間、
何うだつて
云ふの」と
聞いた。
「
何れ
歸つたら、
安之助と
相談して
何とか
御挨拶を
致しますと
云ふのさ」
「
遠からぬうちぢや
曖昧ね。
何時歸るとも
書いてなくつて」
「いゝや」
御米は
念の
爲、
膝の
上の
手紙を
始めて
開いて
見た。さうして
夫を
元の
樣に
疊んで、
「
一寸其状袋を」と
手を
夫の
方へ
出した。
宗助は
自分と
火鉢の
間に
挾まつてゐる
青い
封筒を
取つて
細君に
渡した。
御米はそれをふつと
吹いて、
中を
膨らまして
手紙を
収めた。さうして
臺所へ
立つた。
宗助は
夫限手紙の
事には
氣を
留めなかつた。
今日役所で
同僚が、
此間英吉利から
來遊したキチナー
元帥に、
新橋の
傍で
逢つたと
云ふ
話を
思ひ
出して、あゝ
云ふ
人間になると、
世界中何處へ
行つても、
世間を
騷がせる
樣に
出來てゐる
樣だが、
實際さういふ
風に
生れ
付いて
來たものかも
知れない。
自分の
過去から
引き
摺つてきた
運命や、
又其續きとして、
是から
自分の
眼前に
展開されべき
將來を
取つて、キチナーと
云ふ
人のそれに
比べて
見ると、
到底同じ
人間とは
思へない
位懸け
隔たつてゐる。
斯う
考へて
宗助はしきりに
烟草を
吹かした。
表は
夕方から
風が
吹き
出して、わざと
遠くの
方から
襲つて
來る
樣な
音がする。それが
時々已むと、
已んだ
間は
寂として、
吹き
荒れる
時よりは
猶淋しい。
宗助は
腕組をしながら、もうそろ/\
火事の
半鐘が
鳴り
出す
時節だと
思つた。
臺所へ
出て
見ると、
細君は
七輪の
火を
赤くして、
肴の
切身を
燒いてゐた。
清は
流し
元に
曲んで
漬物を
洗つてゐた。
二人とも
口を
利かずにせつせと
自分の
遣る
事を
遣つてゐる。
宗助は
障子を
開けたなり、
少時肴から
垂る
汁か
膏の
音を
聞いてゐたが、
無言の
儘又障子を
閉てゝ
元の
座へ
戻つた。
細君は
眼さへ
肴から
離さなかつた。
食事を
濟まして、
夫婦が
火鉢を
間に
向ひ
合つた
時、
御米は
又
「
佐伯の
方は
困るのね」と
云ひ
出した。
「まあ
仕方がない。
安さんが
神戸から
歸る
迄待つより
外に
道はあるまい」
「
其前に
一寸叔母さんに
逢つて
話をして
置いた
方が
好かなくつて」
「さうさ。まあ
其内何とか
云つて
來るだらう。
夫迄打遣つて
置かうよ」
「
小六さんが
怒つてよ。
可くつて」と
御米はわざと
念を
押して
置いて
微笑した。
宗助は
下眼を
使つて、
手に
持つた
小楊枝を
着物の
襟へ
差した。
中一日置いて、
宗助は
漸く
佐伯からの
返事を
小六に
知らせてやつた。
其時も
手紙の
尻に、まあ
其内何うかなるだらうと
云ふ
意味を、
例の
如く
付け
加へた。さうして
當分は
此事件に
就て
肩が
拔けた
樣に
感じた。
自然の
經過が
又窮屈に
眼の
前に
押し
寄せて
來る
迄は、
忘れてゐる
方が
面倒がなくつて
好い
位な
顏をして、
毎日役所へ
出ては
又役所から
歸つて
來た。
歸りも
遲いが、
歸つてから
出掛る
抔といふ
億劫な
事は
滅多になかつた。
客は
殆んど
來ない。
用のない
時は
清を十
時前に
寐かす
事さへあつた。
夫婦は
毎夜同じ
火鉢の
兩側に
向き
合つて、
食後一
時間位話をした。
話の
題目は
彼等の
生活状態に
相應した
程度のものであつた。けれども
米屋の
拂を、
此三十日には
何うしたものだらうといふ、
苦しい
世帶話は、
未だ
甞て
一度も
彼等の
口には
上らなかつた。と
云つて、
小説や
文學の
批評は
勿論の
事、
男と
女の
間を
陽炎の
樣に
飛び
廻る、
花やかな
言葉の
遣り
取りは
殆んど
聞かれなかつた。
彼等は
夫程の
年輩でもないのに、もう
其所を
通り
拔けて、
日毎に
地味になつて
行く
人の
樣にも
見えた。
又は
最初から、
色彩の
薄い
極めて
通俗の
人間が、
習慣的に
夫婦の
關係を
結ぶために
寄り
合つた
樣にも
見えた。
上部から
見ると、
夫婦ともさう
物に
屈托する
氣色はなかつた。それは
彼等が
小六の
事に
關して
取つた
態度に
就て
見ても
略想像がつく。
流石女丈に
御米は一二
度、
「
安さんは、まだ
歸らないんでせうかね。
貴方今度の
日曜位に
番町迄行つて
御覽なさらなくつて」と
注意した
事があるが、
宗助は、
「うん、
行つても
好い」
位な
返事をする
丈で、
其行つても
好い
日曜が
來ると、
丸で
忘れた
樣に
濟ましてゐる。
御米もそれを
見て、
責める
樣子もない。
天氣が
好いと、
「ちと
散歩でもして
入らつしやい」と
云ふ。
雨が
降つたり、
風が
吹いたりすると、
「
今日は
日曜で
仕合せね」と
云ふ。
幸にして
小六は
其後一度もやつて
來ない。
此青年は、
至つて
凝り
性の
神經質で、
斯うと
思ふと
何所迄も
進んで
來る
所が、
書生時代の
宗助によく
似てゐる
代りに、
不圖氣が
變ると、
昨日の
事は
丸で
忘れた
樣に
引つ
繰り
返つて、けろりとした
顏をしてゐる。
其所も
兄弟丈あつて、
昔の
宗助に
其儘である。それから、
頭腦が
比較的明暸で、
理路に
感情を
注ぎ
込むのか、
又は
感情に
理窟の
枠を
張るのか、
何方か
分らないが、
兎に
角物に
筋道を
付けないと
承知しないし、また
一返筋道が
付くと、
其筋道を
生かさなくつては
置かない
樣に
熱中したがる。
其上體質の
割合に
精力がつゞくから、
若い
血氣に
任せて
大抵の
事はする。
宗助は
弟を
見るたびに、
昔の
自分が
再び
蘇生して、
自分の
眼の
前に
活動してゐる
樣な
氣がしてならなかつた。
時には、はら/\する
事もあつた。
又苦々しく
思ふ
折もあつた。さう
云ふ
場合には、
心のうちに、
當時の
自分が
一圖に
振舞つた
苦い
記憶を、
出來る
丈屡呼び
起させるために、とくに
天が
小六を
自分の
眼の
前に
据ゑ
付けるのではなからうかと
思つた。さうして
非常に
恐ろしくなつた。
此奴も
或は
己と
同一の
運命に
陷るために
生れて
來たのではなからうかと
考へると、
今度は
大いに
心掛りになつた。
時によると
心掛りよりは
不愉快であつた。
けれども、
今日迄宗助は、
小六に
對して
意見がましい
事を
云つた
事もなければ、
將來に
就て
注意を
與へた
事もなかつた。
彼の
弟に
對する
待遇方はたゞ
普通凡庸のものであつた。
彼の
今の
生活が、
彼の
樣な
過去を
有つてゐる
人とは
思へない
程に、
沈んでゐる
如く、
彼の
弟を
取り
扱ふ
樣子にも、
過去と
名のつく
程の
經驗を
有つた
年長者の
素振は
容易に
出なかつた。
宗助と
小六の
間には、まだ
二人程男の
子が
挾まつてゐたが、
何れも
早世して
仕舞つたので、
兄弟とは
云ひながら、
年は
十許り
違つてゐる。
其上宗助はある
事情のために、一
年の
時京都へ
轉學したから、
朝夕一所に
生活してゐたのは、
小六の十二三の
時迄である。
宗助は
剛情な
聽かぬ
氣の
腕白小僧としての
小六を
未だに
記憶してゐる。
其時分は
父も
生きてゐたし、
家の
都合も
惡くはなかつたので、
抱車夫を
邸内の
長屋に
住まはして、
樂に
暮してゐた。
此車夫に
小六よりは
三つ
程年下の
子供があつて、
始終小六の
御相手をして
遊んでゐた。ある
夏の
日盛りに、
二人して、
長い
竿のさきへ
菓子袋を
括り
付けて、
大きな
柿の
木の
下で
蝉の
捕りくらをしてゐるのを、
宗助が
見て、
兼坊そんなに
頭を
日に
照らし
付けると
霍亂になるよ、さあ
是を
被れと
云つて、
小六の
古い
夏帽を
出してやつた。すると、
小六は
自分の
所有物を
兄が
無斷で
他に
呉れてやつたのが、
癪に
障つたので、
突然兼坊の
受取つた
帽子を
引つたくつて、それを
地面の
上へ
抛げつけるや
否や、
馳け
上がる
樣に
其上へ
乘つて、くしやりと
麥藁帽を
踏み
潰して
仕舞つた。
宗助は
縁から
跣足で
飛んで
下りて、
小六の
頭を
擲り
付けた。
其時から、
宗助の
眼には、
小六が
小惡らしい
小僧として
映つた。
二
年の
時宗助は
大學を
去らなければならない
事になつた。
東京の
家へも
歸へれない
事になつた。
京都からすぐ
廣島へ
行つて、
其所に
半年ばかり
暮らしてゐるうちに
父が
死んだ。
母は
父よりも六
年程前に
死んでゐた。だから
後には二十五六になる
妾と、十六になる
小六が
殘つた
丈であつた。
佐伯から
電報を
受け
取つて、
久し
振りに
出京した
宗助は、
葬式を
濟ました
上、
家の
始末をつけ
樣と
思つて
段々調べて
見ると、
有ると
思つた
財産は
案外に
少なくつて、
却つて
無い
積の
借金が
大分あつたに
驚ろかされた。
叔父の
佐伯に
相談すると、
仕方がないから
邸を
賣るが
好からうと
云ふ
話であつた。
妾は
相當の
金を
遣つてすぐ
暇を
出す
事に
極めた。
小六は
當分叔父の
家に
引き
取つて
世話をして
貰ふ
事にした。
然し
肝心の
家屋敷はすぐ
右から
左へと
賣れる
譯には
行かなかつた。
仕方がないから、
叔父に
一時の
工面を
頼んで、
當座の
片を
付けて
貰つた。
叔父は
事業家で
色々な
事に
手を
出しては
失敗する、
云はゞ
山氣の
多い
男であつた。
宗助が
東京にゐる
時分も、よく
宗助の
父を
説き
付けては、
旨い
事を
云つて
金を
引き
出したものである。
宗助の
父にも
慾があつたかも
知れないが、
此傳で
叔父の
事業に
注ぎ
込んだ
金高は
決して
少ないものではなかつた。
父の
亡くなつた
此際にも、
叔父の
都合は
元と
餘り
變つてゐない
樣子であつたが、
生前の
義理もあるし、
又斯う
云ふ
男の
常として、いざと
云ふ
場合には
比較的融通の
付くものと
見えて、
叔父は
快よく
整理を
引き
受けて
呉れた。
其代り
宗助は
自分の
家屋敷の
賣却方に
就て
一切の
事を
叔父に
一任して
仕舞つた。
早く
云ふと、
急場の
金策に
對する
報酬として
土地家屋を
提供した
樣なものである。
叔父は、
「
何しろ、
斯う
云ふものは
買手を
見て
賣らないと
損だからね」と
云つた。
道具類も
積ばかり
取つて、
金目にならないものは、
悉く
賣り
拂つたが、五六
幅の
掛物と十二三
點の
骨董品丈は、
矢張り
氣長に
欲しがる
人を
探さないと
損だと
云ふ
叔父の
意見に
同意して、
叔父に
保管を
頼む
事にした。
凡てを
差し
引いて
手元に
殘つた
有金は、
約二千
圓程のものであつたが、
宗助は
其内の
幾分を、
小六の
學資として、
使はなければならないと
氣が
付いた。
然し
月々自分の
方から
送るとすると、
今日の
位置が
堅固でない
當時、
甚だ
實行しにくい
結果に
陷りさうなので、
苦しくはあつたが、
思ひ
切つて、
半分丈を
叔父に
渡して、
何分宜しくと
頼んだ。
自分が
中途で
失敗つたから、
責めて
弟丈は
物にしてやりたい
氣もあるので、
此千
圓が
盡きたあとは、
又何うにか
心配も
出來やうし
又して
呉れるだらう
位の
不慥な
希望を
殘して、
又廣島へ
歸つて
行つた。
それから
半年ばかりして、
叔父の
自筆で、
家はとう/\
賣れたから
安心しろと
云ふ
手紙が
來たが、
幾何に
賣れたとも
何とも
書いてないので、
折り
返して
聞き
合せると、二
週間程經つての
返事に、
優に
例の
立替を
償ふに
足る
金額だから
心配しなくても
好いとあつた。
宗助は
此返事に
對して
少なからず
不滿を
感じたには
感じたが、
同じ
書信の
中に、
委細は
何れ
御面會の
節云々とあつたので、すぐにも
東京へ
行きたい
樣な
氣がして、
實は
斯う/\だがと、
相談半分細君に
話して
見ると、
御米は
氣の
毒さうな
顏をして、「でも、
行けないんだから、
仕方がないわね」と
云つて、
例の
如く
微笑した。
其時宗助は
始めて
細君から
宣告を
受けた
人の
樣に、しばらく
腕組をして
考へたが、
何う
工夫したつて、
拔ける
事の
出來ない
樣な
位地と
事情の
下に
束縛されてゐたので、つい
夫成になつて
仕舞つた。
仕方がないから、
猶三四
回書面で
徃復を
重ねて
見たが、
結果はいつも
同じ
事で、
版行で
押した
樣に
何れ
御面會の
節を
繰り
返して
來る
丈であつた。
「
是ぢや
仕樣がないよ」と
宗助は
腹が
立つた
樣な
顏をして
御米を
見た。三ヶ
月ばかりして、
漸く
都合が
付いたので、
久し
振りに
御米を
連れて、
出京しやうと
思ふ
矢先に、つい
風邪を
引いて
寐たのが
元で、
腸窒扶斯に
變化したため、
六十日餘りを
床の
上に
暮らした
上に、あとの
三十日程は
充分仕事も
出來ない
位衰へて
仕舞つた。
病氣が
本復してから
間もなく、
宗助は
又廣島を
去つて
福岡の
方へ
移らなければならない
身となつた。
移る
前に、
好い
機會だから
一寸東京迄出たいものだと
考へてゐるうちに、
今度も
色々の
事情に
制せられて、つい
夫も
遂行せずに、
矢張り
下り
列車の
走る
方に
自己の
運命を
托した。
其頃は
東京の
家を
疊むとき、
懷にして
出た
金は、
殆んど
使ひ
果たしてゐた。
彼の
福岡生活は
前後二
年を
通じて、
中々の
苦鬪であつた。
彼は
書生として
京都にゐる
時分、
種々の
口實の
下に、
父から
臨時隨意に
多額の
學資を
請求して、
勝手次第に
消費した
昔をよく
思ひ
出して、
今の
身分と
比較しつゝ、
頻りに
因果の
束縛を
恐れた。ある
時はひそかに
過ぎた
春を
回顧して、あれが
己の
榮華の
頂點だつたんだと、
始めて
醒めた
眼に
遠い
霞を
眺める
事もあつた。
愈苦しくなつた
時、
「
御米、
久しく
放つて
置いたが、
又東京へ
掛合つて
見樣かな」と
云ひ
出した。
御米は
無論逆ひはしなかつた。たゞ
下を
向いて、
「
駄目よ。だつて、
叔父さんに
全く
信用がないんですもの」と
心細さうに
答へた。
「
向ふぢや
此方に
信用がないかも
知れないが、
此方ぢや
又向ふに
信用がないんだ」と
宗助は
威張つて
云ひ
出したが、
御米の
俯目になつてゐる
樣子を
見ると、
急に
勇氣が
挫ける
風に
見えた。こんな
問答を
最初は
月に一二
返位繰り
返してゐたが、
後には
二月に一
返になり、
三月に一
返になり、とう/\、
「
好いや、
小六さへ
何うかして
呉れゝば。あとの
事は
何れ
東京へ
出たら、
逢つた
上で
話を
付けらあ。ねえ
御米、
左うすると、
爲やうぢやないか」と
云ひ
出した。
「それで、
好ござんすとも」と
御米は
答へた。
宗助は
佐伯の
事をそれなり
放つて
仕舞つた。
單なる
無心は、
自分の
過去に
對しても、
叔父に
向つて
云ひ
出せるものでないと、
宗助は
考へてゐた。
從つて
其方の
談判は、
始めから
未だ
嘗て
筆にした
事がなかつた。
小六からは
時々手紙が
來たが、
極めて
短かい
形式的のものが
多かつた。
宗助は
父の
死んだ
時、
東京で
逢つた
小六を
覺えてゐる
丈だから、いまだに
小六を
他愛ない
小供位に
想像するので、
自分の
代理に
叔父と
交渉させ
樣抔と
云ふ
氣は
無論起らなかつた。
夫婦は
世の
中の
日の
目を
見ないものが、
寒さに
堪へかねて、
抱き
合つて
暖を
取る
樣な
具合に、
御互同志を
頼りとして
暮らしてゐた。
苦しい
時には、
御米が
何時でも、
宗助に、
「でも
仕方がないわ」と
云つた。
宗助は
御米に、
「まあ
我慢するさ」と
云つた。
二人の
間には
諦めとか、
忍耐とか
云ふものが
斷えず
動いてゐたが、
未來とか
希望と
云ふものゝ
影は
殆んど
射さない
樣に
見えた。
彼等は
餘り
多く
過去を
語らなかつた。
時としては
申し
合はせた
樣に、それを
回避する
風さへあつた。
御米が
時として、
「
其内には
又屹度好い
事があつてよ。さう/\
惡い
事ばかり
續くものぢやないから」と
夫を
慰さめる
樣に
云ふ
事があつた。すると、
宗助にはそれが、
眞心ある
妻の
口を
藉りて、
自分を
飜弄する
運命の
毒舌の
如くに
感ぜられた。
宗助はさう
云ふ
場合には
何にも
答へずにたゞ
苦笑する
丈であつた。
御米が
夫でも
氣が
付かずに、なにか
云ひ
續けると、
「
我々は、そんな
好い
事を
豫期する
權利のない
人間ぢやないか」と
思ひ
切つて
投げ
出して
仕舞ふ。
細君は
漸く
氣が
付いて
口を
噤んで
仕舞ふ。さうして
二人が
默つて
向き
合つてゐると、
何時の
間にか、
自分達は
自分達の
拵えた
過去といふ
暗い
大きな
窖の
中に
落ちてゐる。
彼等は
自業自得で、
彼等の
未來を
塗抹した。だから
歩いてゐる
先の
方には、
花やかな
色彩を
認める
事が
出來ないものと
諦らめて、たゞ
二人手を
携えて
行く
氣になつた。
叔父の
賣り
拂つたと
云ふ
地面家作に
就いても、
固より
多くの
期待は
持つてゐなかつた。
時々考へ
出した
樣に、
「だつて、
近頃の
相場なら、
捨賣にしたつて、あの
時叔父の
拵らへて
呉れた
金の
倍にはなるんだもの。あんまり
馬鹿々々しいからね」と
宗助が
云ひ
出すと、
御米は
淋しさうに
笑つて、
「
又地面?
何時迄もあの
事ばかり
考へて
入らつしやるのね。だつて、
貴方が
萬事宜しく
願ひますと、
叔父さんに
仰しやつたんでせう」と
云ふ。
「そりや
仕方がないさ。あの
場合あゝでも
爲なければ
方が
付かないんだもの」と
宗助が
云ふ。
「だからさ。
叔父さんの
方では、
御金の
代りに
家と
地面を
貰つた
積で
入らつしやるかも
知れなくつてよ」と
御米が
云ふ。
さう
云はれると、
宗助も
叔父の
處置に
一理ある
樣にも
思はれて、
口では、
「その
積が
好くないぢやないか」と
答辯する
樣なものゝ、
此問題は
其都度次第々々に
背景の
奧に
遠ざかつて
行くのであつた。
夫婦がこんな
風に
淋しく
睦まじく
暮らして
來た二
年目の
末に、
宗助はもとの
同級生で、
學生時代には
大變懇意であつた
杉原と
云ふ
男に
偶然出逢つた。
杉原は
卒業後高等文官試驗に
合格して、
其時既に
或省に
奉職してゐたのだが、
公務上福岡と
佐賀へ
出張することになつて、
東京からわざ/\
遣つて
來たのである。
宗助は
所の
新聞で、
杉原の
何時着いて、
何處に
泊つてゐるかを
能く
知つてはゐたが、
失敗者としての
自分に
顧みて、
成効者の
前に
頭を
下げる
對照を
耻づかしく
思つた
上に、
自分は
在學當時の
舊友に
逢ふのを、
特に
避けたい
理由を
持つてゐたので、
彼の
旅館を
訪ねる
氣は
毛頭なかつた。
所が
杉原の
方では、
妙な
引掛りから、
宗助の
此所に
燻ぶつてゐる
事を
聞き
出して、
強いて
面會を
希望するので、
宗助も
已を
得ず
我を
折つた。
宗助が
福岡から
東京へ
移れる
樣になつたのは、
全く
此杉原の
御蔭である。
杉原から
手紙が
來て、
愈事が
極つたとき、
宗助は
箸を
置いて、
「
御米、とう/\
東京へ
行けるよ」と
云つた。
「まあ
結構ね」と
御米が
夫の
顏を
見た。
東京に
着いてから二三
週間は、
眼の
回る
樣に
日が
經つた。
新らしく
世帶を
有つて、
新らしい
仕事を
始める
人に、あり
勝ちな
急忙しなさと、
自分達を
包む
大都の
空氣の、
日夜劇しく
震盪する
刺戟とに
驅られて、
何事をも
凝と
考へる
閑もなく、
又落ち
付いて
手を
下す
分別も
出なかつた。
夜汽車で
新橋へ
着いた
時は、
久し
振りに
叔父夫婦の
顏を
見たが、
夫婦とも
灯の
所爲か
晴れやかな
色には
宗助の
眼に
映らなかつた。
途中に
事故があつて、
着の
時間が
珍らしく三十
分程後れたのを、
宗助の
過失でゞもあるかの
樣に、
待草臥れた
氣色であつた。
宗助が
此時叔母から
聞いた
言葉は、
「おや
宗さん、
少時御目に
掛ゝらないうちに、
大變御老けなすつた
事」といふ
一句であつた。
御米は
其折始めて
叔父夫婦に
紹介された。
「これが
彼……」と
叔母は
逡巡つて
宗助の
方を
見た。
御米は
何と
挨拶のしやうもないので、
無言の
儘唯頭を
下げた。
小六も
無論叔父夫婦と
共に
二人を
迎ひに
來てゐた。
宗助は
一眼其姿を
見たとき、
何時の
間にか
自分を
凌ぐ
樣に
大きくなつた
弟の
發育に
驚ろかされた。
小六は
其時中學を
出て、
是から
高等學校へ
這入らうといふ
間際であつた。
宗助を
見て、「
兄さん」とも「
御歸りなさい」とも
云はないで、たゞ
不器用に
挨拶をした。
宗助と
御米は一
週ばかり
宿屋住居をして、
夫から
今の
所に
引き
移つた。
其時は
叔父夫婦が
色々世話を
燒いて
呉れた。
細々しい
臺所道具の
樣なものは
買ふ
迄もあるまい、
古いので
可ければと
云ふので、
小人數に
必要な
丈一通り
取り
揃えて
送つて
來た。
其上、
「
御前も
新世帶だから、
嘸物要が
多からう」と
云つて
金を六十
圓呉れた。
家を
持つて
彼是取り
紛れてゐるうちに、
早半月餘も
經つたが、
地方にゐる
時分あんなに
氣にしてゐた
家邸の
事は、ついまだ
叔父に
言ひ
出さずにゐた。ある
時御米が、
「
貴方あの
事を
叔父さんに
仰やつて」と
聞いた。
宗助はそれで
急に
思ひ
出した
樣に、
「うん、
未だ
云はないよ」と
答へた。
「
妙ね、あれ
程氣にして
入らしつたのに」と
御米がうす
笑をした。
「だつて、
落ち
付いて、そんな
事を
云ひ
出す
暇がないんだもの」と
宗助が
辯解した。
又十日程經つた。すると
今度は
宗助の
方から、
「
御米、あの
事は
未だ
云はないよ。どうも
云ふのが
面倒で
厭になつた」と
云ひ出《》した。
「
厭なのを
無理に
仰やらなくつても
可いわ」と
御米が
答へた。
「
好いかい」と
宗助が
聞き
返した。
「
好いかいつて、もと/\
貴方の
事ぢやなくつて。
私は
先から
何うでも
好いんだわ」と
御米が
答へた。
其時宗助は、
「ぢや、
鹿爪らしく
云ひ
出すのも
何だか
妙だから、
其内機會があつたら、
聞くとしやう。なに
其内聞いて
見る
機會が
屹度出て
來るよ」と
云つて
延ばして
仕舞つた。
小六は
何不足なく
叔父の
家に
寐起してゐた。
試驗を
受けて
高等學校へ
這入れゝば、
寄宿へ
入舍しなければならないと
云ふので、
其相談迄既に
叔父と
打合せがしてある
樣であつた。
新らしく
出京した
兄からは
別段學資の
世話を
受けない
所爲か、
自分の
身の
上に
就いては
叔父程に
親しい
相談も
持ち
込んで
來なかつた。
從兄弟の
安之助とは
今迄の
關係上大變仲が
好かつた。
却つて
此方が
兄弟らしかつた。
宗助は
自然叔父の
家に
足が
遠くなる
樣になつた。たまに
行つても、
義理一遍の
訪問に
終る
事が
多いので、
歸り
路には
何時も
詰らない
氣がしてならなかつた。
仕舞には
時候の
挨拶を
濟ますと、すぐ
歸りたくなる
事もあつた。かう
云ふ
時には三十
分と
坐つて
世間話に
時間を
繋ぐのにさへ
骨が
折れた。
向ふでも
何だか
氣が
置けて
窮屈だと
云ふ
風が
見えた。
「まあ
可いぢやありませんか」と
叔母が
留めてくれるのが
例であるが、さうすると、
猶更居にくい
心持がした。それでも、たまには
行かないと、
心のうちで
氣が
咎める
樣な
不安を
感ずるので、
又行くやうになつた。
折々は、
「
何うも
小六が
御厄介になりまして」と
此方から
頭を
下げて
禮を
云ふ
事もあつた。けれども、それ
以上は、
弟の
將來の
學資に
就ても、
又自分が
叔父に
頼んで、
留守中に
賣り
拂つて
貰つた
地所家作に
就いても、
口を
切るのがつい
面倒になつた。
然し
宗助が
興味を
有たない
叔父の
所へ、
不精無精にせよ、
時たま
出掛けて
行くのは、
單に
叔父甥の
血屬關係を、
世間並に
持ち
堪へるための
義務心からではなくつて、いつか
機會があつたら、
片を
付けたい
或物を
胸の
奧に
控へてゐた
結果に
過ぎないのは
明かであつた。
「
宗さんは
何うも
悉皆變つちまいましたね」と
叔母が
叔父に
話す
事があつた。すると
叔父は、
「
左うよなあ。
矢つ
張り、あゝ
云ふ
事があると、
永く
迄後へ
響くものだからな」と
答へて、
因果は
恐ろしいと
云ふ
風をする。
叔母は
重ねて、
「
本當に、
怖いもんですね。
元はあんな
寐入つた
子ぢやなかつたが――どうも
燥急ぎ
過ぎる
位活溌でしたからね。それが二三
年見ないうちに、
丸で
別の
人見た
樣に
老けちまつて。
今ぢや
貴方より
御爺さん/\してゐますよ」と
云ふ。
「
眞逆」と
叔父が
又答へる。
「いえ、
頭や
顏は
別として、
樣子がさ」と
叔母が
又辯解する。
こんな
會話が
老夫婦の
間に
取り
換はされたのは、
宗助が
出京して
以來一
度や二
度ではなかつた。
實際彼は
叔父の
所へ
來ると、
老人の
眼に
映る
通りの
人間に
見えた。
御米は
何う
云ふものか、
新橋へ
着いた
時、
老人夫婦に
紹介されたぎり、
曾つて
叔父の
家の
敷居を
跨いだ
事がない。
向から
見えれば
叔父さん
叔母さんと
丁寧に
接待するが、
歸りがけに、
「
何うです、
些と
御出掛けなすつちや」などゝ
云はれると、たゞ
「
難有う」と
頭を
下げる
丈で、
遂ぞ
出掛けた
試はなかつた。
流石の
宗助さへ一
度は、
「
叔父さんの
所へ一
度行つて
見ちや、
何うだい」と
勸めた
事があるが、
「でも」と
變な
顏をするので、
宗助は
夫限決して
其事を
云ひ
出さなかつた。
兩家族はこの
状態で
約一
年ばかりを
送つた。すると
宗助よりも
氣分は
若いと
許された
叔父が
突然死んだ。
病症は
脊髓腦膜炎とかいふ
劇症で、二三
日風邪の
氣味で
寐てゐたが、
便所へ
行つた
歸りに、
手を
洗はうとして、
柄杓を
持つた
儘卒倒したなり、
一日經つか
經たないうちに
冷たくなつて
仕舞つたのである。
「
御米、
叔父はとう/\
話をしずに
死んで
仕舞つたよ」と
宗助が
云つた。
「
貴方まだ、あの
事を
聞く
積だつたの、
貴方も
隨分執念深いのね」と
御米が
云つた。
夫から
又一
年ばかり
經つたら、
叔父の
子の
安之助が
大學を
卒業して、
小六が
高等學校の二
年生になつた。
叔母は
安之助と
一所に
中六番町に
引き
移つた。
三
年目の
夏休みに
小六は
房州の
海水浴へ
行つた。そこに
一月餘りも
滯在してゐるうちに九
月になり
掛けたので、
保田から
向ふへ
突切つて、
上總の
海岸を
九十九里傳ひに、
銚子迄來たが、そこから
思ひ
出した
樣に
東京へ
歸つた。
宗助の
所へ
見えたのは、
歸つてから、まだ二三
日しか
立たない、
殘暑の
強い
午後である。
眞黒に
焦げた
顏の
中に、
眼だけ
光らして、
見違へる
樣に
蠻色を
帶びた
彼は、
比較的日の
遠い
座敷へ
這入つたなり
横になつて、
兄の
歸りを
待ち
受けてゐたが、
宗助の
顏を
見るや
否や、むつくり
起き
上がつて、
「
兄さん、
少し
御話があつて
來たんですが」と
開き
直られたので、
宗助は
少し
驚ろいた
氣味で、
暑苦しい
洋服さへ
脱ぎ
更へずに、
小六の
話を
聞いた。
小六の
云ふ
所によると、二三
日前彼が
上總から
歸つた
晩、
彼の
學資は
此暮限り
氣の
毒ながら
出して
遣れないと
叔母から
申し
渡されたのださうである。
小六は
父が
死んで、すぐと
叔父に
引き
取られて
以來、
學校へも
行けるし、
着物も
自然に
出來るし、
小遣も
適宜に
貰へるので、
父の
存生中と
同じ
樣に、
何不足なく
暮らせて
來た
惰性から、
其日其晩迄も、ついぞ
學資と
云ふ
問題を
頭に
思ひ
浮べた
事がなかつたため、
叔母の
宣告を
受けた
時は、
茫然して
兎角の
挨拶さへ
出來なかつたのだと
云ふ。
叔母は
氣の
毒さうに、
何故小六の
世話が
出來なくなつたかを、
女丈に、一
時間も
掛かつて
委しく
説明して
呉れたさうである。それには
叔父の
亡くなつた
事やら、
繼いで
起る
經濟上の
變化やら、
又安之助の
卒業やら、
卒業後に
控えてゐる
結婚問題やらが
這入つてゐたのだと
云ふ。
「
出來るならば、
責めて
高等學校を
卒業する
迄と
思つて、
今日迄色々骨を
折つたんだけれども」
叔母は
斯う
云つたと
小六は
繰り
返した。
小六は
其時不圖兄が
先年父の
葬式の
時に
出京して、
萬事を
片付けた
後、
廣島へ
歸るとき、
小六に、
御前の
學資は
叔父さんに
預けてあるからと
云つた
事があるのを
思ひ
出して、
叔母に
始めて
聞いて
見ると、
叔母は
案外な
顏をして、
「そりや、あの
時、
宗さんが
若干か
置いて
行きなすつた
事は、
行きなすつたが、
夫はもう
有りやしないよ。
叔父さんの
未だ
生きて
御出の
時分から、
御前の
學資は
融通して
來たんだから」と
答へた。
小六は
兄から
自分の
學資が
何れ
程あつて、
何年分の
勘定で、
叔父に
預けられたかを、
聞いて
置かなかつたから、
叔母から
斯う
云はれて
見ると、
一言も
返し
樣がなかつた。
「
御前も
一人ぢやなし、
兄さんもある
事だから
能く
相談をして
見たら
好いだらう。
其代り
私も
宗さんに
逢つて、
篤くり
譯を
話しませうから。どうも、
宗さんも
餘まり
近頃は
御出でないし、
私も
御無沙汰許してゐるのでね、つい
御前の
事は
御話をする
譯にも
行かなかつたんだよ」と
叔母は
最後に
附け
加へたさうである。
小六から
一部始終を
聞いた
時、
宗助はたゞ
弟の
顏を
眺めて、
一口、
「
困つたな」と
云つた。
昔の
樣に
赫と
激して、すぐ
叔母の
所へ
談判に
押し
掛ける
氣色もなければ、
今迄自分に
對して、
世話にならないでも
濟む
人の
樣に、
餘所々々しく
仕向けて
來た
弟の
態度が
急に
方向を
轉じたのを、
惡いと
思ふ
樣子も
見えなかつた。
自分の
勝手に
作り
上げた
美くしい
未來が、
半分壞れかゝつたのを、さも
傍の
人の
所爲ででもあるかの
如く
心を
亂してゐる
小六の
歸る
姿を
見送つた
宗助は、
暗い
玄關の
敷居の
上に
立つて、
格子の
外に
射す
夕日をしばらく
眺めてゐた。
其晩宗助は
裏から
大きな
芭蕉の
葉を二
枚剪つて
來て、それを
座敷の
縁に
敷いて、
其上に
御米と
並んで
涼みながら、
小六の
事を
話した。
「
叔母さんは、
此方で、
小六さんの
世話をしろつて
云ふ
氣なんぢやなくつて」と
御米が
聞いた。
「まあ、
逢つて
聞いて
見ないうちは、
何う
云ふ
料簡か
分らないがね」と
宗助が
云ふと、
御米は、
「
屹度左うよ」と
答へながら、
暗がりで
團扇をはた/\
動かした。
宗助は
何も
云はずに、
頸を
延ばして、
庇と
崖の
間に
細く
映る
空の
色を
眺めた。
二人は
其儘しばらく
默つて
居たが、
良あつて、
「だつて
夫ぢや
無理ね」と
御米が
又云つた。
「
人間一人大學を
卒業させるなんて、
己の
手際ぢや
到底駄目だ」と
宗助は
自分の
能力丈を
明らかにした。
會話はそこで
別の
題目に
移つて、
再び
小六の
上にも
叔母の
上にも
歸つて
來なかつた。それから二三
日すると
丁度土曜が
來たので、
宗助は
役所の
歸りに、
番町の
叔母の
所へ
寄つて
見た。
叔母は、
「おや/\、まあ
御珍らしい
事」と
云つて、
何時もよりは
愛想よく
宗助を
款待して
呉れた。
其時宗助は
厭なのを
我慢して、
此四五
年來溜めて
置いた
質問を
始めて
叔母に
掛けた。
叔母は
固より
出來る
丈は
辯解しない
譯に
行かなかつた。
叔母の
云ふ
所によると、
宗助の
邸宅を
賣拂つた
時、
叔父の
手に
這入つた
金は、
慥には
覺えてゐないが、
何でも、
宗助のために、
急場の
間に
合せた
借財を
返した
上、
猶四千五百
圓とか四千三百
圓とか
餘つたさうである。
所が
叔父の
意見によると、あの
屋敷は
宗助が
自分に
提供して
行つたのだから、たとひ
幾何餘らうと、
餘つた
分は
自分の
所得と
見傚して
差支ない。
然し
宗助の
邸宅を
賣つて
儲けたと
云はれては
心持が
惡いから、
是は
小六の
名義で
保管して
置いて、
小六の
財産にして
遣る。
宗助はあんな
事をして
廢嫡に
迄されかゝつた
奴だから、一
文だつて
取る
權利はない。
「
宗さん
怒つちや
不可ませんよ。たゞ
叔父さんの
云つた
通りを
話すんだから」と
叔母が
斷つた。
宗助は
默つてあとを
聞いてゐた。
小六の
名義で
保管されべき
財産は、
不幸にして、
叔父の
手腕で、すぐ
神田の
賑やかな
表通りの
家屋に
變形した。さうして、まだ
保險を
付けないうちに、
火事で
燒けて
仕舞つた。
小六には
始めから
話してない
事だから、
其儘にして、わざと
知らせずに
置いた。
「さう
云ふ
譯でね、まことに
宗さんにも、
御氣の
毒だけれども、
何しろ
取つて
返しの
付かない
事だから
仕方がない。
運だと
思つて
諦らめて
下さい。
尤も
叔父さんさへ
生きてゐれば、
又何うともなるんでせうさ。
小六一人位そりや
譯はありますまいよ。よしんば、
叔父さんが
居なさらない、
今にしたつて、
此方の
都合さへ
好ければ、
燒けた
家と
同じ
丈のものを、
小六に
返すか、それでなくつても、
當人の
卒業する
迄位は、
何うにかして
世話も
出來るんですけれども」と
云つて
叔母は
又外の
内幕話をして
聞かせた。それは
安之助の
職業に
就てゞあつた。
安之助は
叔父の
一人息子で、
此夏大學を
出た
許の
青年である。
家庭で
暖かに
育つた
上に、
同級の
學生位より
外に
交際のない
男だから、
世の
中の
事には
寧ろ
迂濶と
云つても
可いが、
其迂濶な
所に
何處か
鷹揚な
趣を
具へて
實社會へ
顏を
出したのである。
專門は
工科の
器械學だから、
企業熱の
下火になつた
今日と
雖、
日本中に
澤山ある
會社に、
相應の
口の
一つや
二つあるのは、
勿論であるが、
親讓りの
山氣が
何處かに
潛んでゐるものと
見えて、
自分で
自分の
仕事をして
見たくてならない
矢先へ、
同じ
科の
出身で、
小規模ながら
專有の
工場を
月島邊に
建てゝ、
獨立の
經營をやつてゐる
先輩に
出逢つたのが
縁となつて、
其先輩と
相談の
上、
自分も
幾分かの
資本を
注ぎ
込んで、
一所に
仕事をして
見樣といふ
考になつた。
叔母の
内幕話と
云つたのは
其所である。
「でね、
少し
有つた
株をみんな
其方へ
廻す
事にしたもんだから、
今ぢや
本當に一
文なし
同然な
仕儀でゐるんですよ。それは
世間から
見ると、
人數は
少なし、
家邸は
持つてゐるし、
樂に
見えるのも
無理のない
所でせうさ。
此間も
原の
御母さんが
來て、まあ
貴方程氣樂な
方はない、
何時來て
見ても
萬年青の
葉ばかり
丹念に
洗つてゐるつてね。
眞逆左うでも
無いんですけれども」と
叔母が
云つた。
宗助が
叔母の
説明を
聞いた
時は、ぼんやりして
兎角の
返事が
容易に
出なかつた。
心のなかで、
是は
神經衰弱の
結果、
昔の
樣に
機敏で
明快な
判斷を、すぐ
作り
上げる
頭が
失くなつた
證據だらうと
自覺した。
叔母は
自分の
云ふ
通りが、
宗助に
本當と
受けられないのを
氣にする
樣に、
安之助から
持ち
出した
資本の
高迄話した。それは五千
圓程であつた。
安之助は
當分の
間、
僅かな
月給と、
此五千
圓に
對する
利益配當とで
暮らさなければならないのださうである。
「
其配當だつて、まだ
何うなるか
分りやしないんでさあね。
旨く
行つた
所で、一
割か一
割五
分位なものでせうし、
又一つ
間違へば
丸で
烟にならないとも
限らないんですから」と
叔母が
付け
加へた。
宗助は
叔母の
仕打に、
是と
云ふ
目立つた
阿漕な
所も
見えないので、
心の
中では
少なからず
困つたが、
小六の
將來に
就いて
一口の
掛合もせずに
歸るのは
如何にも
馬鹿々々しい
氣がした。そこで
今迄の
問題は
其所に
据ゑつきりにして
置いて、
自分が
當時小六の
學資として
叔父に
預けて
行つた千
圓の
所置を
聞き
糺して
見ると、
叔母は、
「
宗さん、あれこそ
本當に
小六が
使つちまつたんですよ。
小六が
高等學校へ
這入つてからでも、もう
彼是七百
圓は
掛かつてゐるんですもの」と
答へた。
宗助は
序だから、それと
同時に、
叔父に
保管を
頼んだ
書畫や
骨董品の
成行を
確かめて
見た。すると、
叔母は、
「ありあ
飛んだ
馬鹿な
目に
逢つて」と
云ひかけたが、
宗助の
樣子を
見て、
「
宗さん、
何ですか、
彼事はまだ
御話をしなかつたんでしたかね」と
聞いた。
宗助がいゝえと
答へると、
「おや/\、
夫ぢや
叔父さんが
忘れちまつたんですよ」と
云ひながら、
其顛末を
語つて
聞かした。
宗助が
廣島へ
歸ると
間もなく、
叔父は
其賣捌方を
眞田とかいふ
懇意の
男に
依頼した。
此男は
書畫骨董の
道に
明るいとかいふので、
平生そんなものの
賣買の
周旋をして
諸方へ
出入するさうであつたが、すぐさま
叔父の
依頼を
引き
受けて、
誰某が
何を
欲しいと
云ふから、
一寸拜見とか、
何々氏が
斯う
云ふ
物を
希望だから、
見せませうとか
號して、
品物を
持つて
行つたぎり、
返して
來ない。
催促すると、まだ
先方から
戻つて
參りませんからとか
何とか
言譯をする
丈で
甞て
埒の
明いた
試がなかつたが、とう/\
持ち
切れなくなつたと
見えて、
何處かへ
姿を
隱して
仕舞つた。
「でもね、
未だ
屏風が
一つ
殘つてゐますよ。
此間引越の
時に、
氣が
付いて、こりや
宗さんのだから、
今度序があつたら
屆けて
上げたら
可いだらうつて、
安がさう
云つてゐましたつけ」
叔母は
宗助の
預けて
行つた
品物には
丸で
重きを
置いてゐない
樣な、ものゝ
云ひ
方をした。
宗助も
今日迄放つて
置く
位だから、あまり
其方面には
興味を
有ち
得なかつたので、
少しも
良心に
惱まされてゐる
氣色のない
叔母の
樣子を
見ても、
別に
腹は
立たなかつた。それでも、
叔母が、
「
宗さん、
何うせ
家ぢや
使つてゐないんだから、なんなら
持つて
御出なすつちや
何うです。
此頃は
彼いふものが、
大變價が
出たと
云ふ
話ぢやありませんか」と
云つたときは、
實際それを
持つて
歸る
氣になつた。
納戸から
取り
出して
貰つて、
明るい
所で
眺めると、
慥かに
見覺のある二
枚折であつた。
下に
萩、
桔梗、
芒、
葛、
女郎花を
隙間なく
描いた
上に、
眞丸な
月を
銀で
出して、
其横の
空いた
所へ、
野路や
空月の
中なる
女郎花、
其一と
題してある。
宗助は
膝を
突いて
銀の
色の
黒く
焦げた
邊から、
葛の
葉の
風に
裏を
返してゐる
色の
乾いた
樣から、
大福程な
大きな
丸い
朱の
輪廓の
中に、
抱一と
行書で
書いた
落款をつく/″\と
見て、
父の
生きてゐる
當時を
憶ひ
起さずにはゐられなかつた。
父は
正月になると、
屹度此屏風を
薄暗い
藏の
中から
出して、
玄關の
仕切りに
立てて、
其前へ
紫檀の
角な
名刺入を
置いて、
年賀を
受けたものである。
其時は
目出度からと
云ふので、
客間の
床には
必ず
虎の
双幅を
懸けた。
是は
岸駒ぢやない
岸岱だと
父が
宗助に
云つて
聞かせた
事があるのを、
宗助はいまだに
記憶してゐた。
此虎の
畫には
墨が
着いてゐた。
虎が
舌を
出して
谷の
水を
呑んでゐる
鼻柱が
少し
汚されたのを、
父は
苛く
氣にして、
宗助を
見る
度に、
御前此所へ
墨を
塗つた
事を
覺えてゐるか、
是は
御前の
小さい
時分の
惡戲だぞと
云つて、
可笑しい
樣な
恨めしい
樣な
一種の
表情をした。
宗助は
屏風の
前に
畏まつて、
自分が
東京にゐた
昔の
事を
考へながら、
「
叔母さん、ぢや
此屏風は
頂戴して
行きませう」と
云つた。
「あゝ/\、
御持ちなさいとも。
何なら
使に
持たせて
上げませう」と
叔母は
好意から
申し
添えた。
宗助は
然るべく
叔母に
頼んで、
其日は
夫で
切り
上げて
歸つた。
晩食の
後御米と
一所に
又縁側へ
出て、
暗い
所で
白地の
浴衣を
並べて、
涼みながら、
畫の
話をした。
「
安さんには、
御逢ひなさらなかつたの」と
御米が
聞いた。
「あゝ、
安さんは
土曜でも
何でも
夕方迄、
工場にゐるんださうだ」
「
隨分骨が
折れるでせうね」
御米は
左う
云つたなり、
叔父や
叔母の
處置に
就いては、
一言の
批評も
加へなかつた。
「
小六の
事は
何うしたものだらう」と
宗助が
聞くと、
「さうね」と
云ふ
丈であつた。
「
理窟を
云へば、
此方にも
云ひ
分はあるが、
云ひ
出せば、とゞの
詰りは
裁判沙汰になる
許りだから、
證據も
何もなければ
勝てる
譯のものぢやなし」と
宗助が
極端を
豫想すると、
「
裁判なんかに
勝たなくたつても
可いわ」と
御米がすぐ
云つたので、
宗助は
苦笑して
已めた。
「つまりは
己があの
時東京へ
出られなかつたからの
事さ」
「さうして
東京へ
出られた
時は、もうそんな
事は
何うでも
可かつたんですもの」
夫婦はこんな
話をしながら、
又細い
空を
庇の
下から
覗いて
見て、
明日の
天氣を
語り
合つて
蚊帳に
這入つた。
次の
日曜に
宗助は
小六を
呼んで、
叔母の
云つた
通りを
殘らず
話して
聞かせて、
「
叔母さんが
御前に
詳しい
説明をしなかつたのは、
短兵急な
御前の
性質を
知つてる
所爲か、
夫ともまだ
小供だと
思つてわざと
略して
仕舞つたのか、
其所は
己にも
分らないが、
何しろ
事實は
今云つた
通りなんだよ」と
教えた。
小六には
如何に
詳しい
説明も
腹の
足しにはならなかつた。たゞ、
「
左うですか」と
云つて
六づかしい
不滿な
顏をして
宗助を
見た。
「
仕方がないよ。
叔母さんだつて、
安さんだつて、さう
惡い
料簡はないんだから」
「そりや、
分つてゐます」と
弟は
峻しい
物の
云ひ
方をした。
「ぢや
己が
惡いつて
云ふんだらう。
己は
無論惡いよ。
昔から
今日迄惡い
所だらけな
男だもの」
宗助は
横になつて
烟草を
吹かしながら、
是より
以上は
何とも
語らなかつた。
小六も
默つて、
座敷の
隅に
立てゝあつた二
枚折の
抱一の
屏風を
眺めてゐた。
「
御前あの
屏風を
覺えてゐるかい」とやがて
兄が
聞いた。
「えゝ」と
小六が
答へた。
「
一昨日佐伯から
屆けて
呉れた。
御父さんの
持つてたもので、おれの
手に
殘つたのは、
今ぢや
是だけだ。
是が
御前の
學資になるなら、
今すぐにでも
遣るが、
剥げた
屏風一
枚で
大學を
卒業する
譯にも
行かずな」と
宗助が
云つた。さうして
苦笑しながら、
「
此暑いのに、
斯んなものを
立てゝ
置くのは、
氣狂じみてゐるが、
入れて
置く
所がないから、
仕方がない」と
云ふ
述懷をした。
小六は
此氣樂な
樣な、
愚圖の
樣な、
自分とは
餘りに
懸け
隔つてゐる
兄を、
何時も
物足りなくは
思ふものゝ、いざといふ
場合に、
決して
喧嘩はし
得なかつた。
此時も
急に
癇癪の
角を
折られた
氣味で、
「
屏風は
何うでも
好いが、
是から
先僕はどうしたもんでせう」と
聞き
出した。
「
夫は
問題だ。
何しろ
此年一杯に
極まれば
好い
事だから、まあよく
考へるさ。おれも
考へて
置かう」と
宗助が
云つた。
弟は
彼の
性質として、そんな
中ぶらりんの
姿は
嫌である、
學校へ
出ても
落付いて
稽古も
出來ず、
下調も
手に
付かない
樣な
境遇は、
到底自分には
堪へられないと
云ふ
訴を
切に
遣り
出したが、
宗助の
態度は
依然として
變らなかつた。
小六があまり
癇の
高い
不平を
並べると、
「
其位な
事で
夫程不平が
並べられゝば、
何處へ
行つたつて
大丈夫だ。
學校を
已めたつて、
一向差支ない。
御前の
方が
己より
餘つ
程えらいよ」と
兄が
云つたので、
話は
夫限頓挫して、
小六はとう/\
本郷へ
歸つて
行つた。
宗助はそれから
湯を
浴びて、
晩食を
濟まして、
夜は
近所の
縁日へ
御米と
一所に
出掛けた。さうして
手頃な
花物を
二鉢買つて、
夫婦して
一つ
宛持つて
歸つて
來た。
夜露に
中てた
方が
可からうと
云ふので、
崖下の
雨戸を
明けて、
庭先にそれを
二つ
並べて
置いた。
蚊帳の
中へ
這入つた
時、
御米は、
「
小六さんの
事は
何うなつて」と
夫に
聞くと、
「
未だ
何うもならないさ」と
宗助は
答へたが、十
分許の
後夫婦ともすや/\
寐入つた。
翌日眼が
覺めて
役所の
生活が
始まると、
宗助はもう
小六の
事を
考へる
暇を
有たなかつた。
家へ
歸つて、のつそりしてゐる
時ですら、
此問題を
確的眼の
前に
描いて
明らかにそれを
眺める
事を
憚かつた。
髮の
毛の
中に
包んである
彼の
腦は、
其煩はしさに
堪えなかつた。
昔は
數學が
好で、
隨分込み
入つた
幾何の
問題を、
頭の
中で
明暸な
圖にして
見る
丈の
根氣があつた
事を
憶ひ
出すと、
時日の
割には
非常に
烈しく
來た
此變化が
自分にも
恐ろしく
映つた。
それでも
日に
一度位は
小六の
姿がぼんやり
頭の
奧に
浮いて
來る
事があつて、その
時丈は、
彼奴の
將來も
何とか
考へて
置かなくつちやならないと
云ふ
氣も
起つた。
然しすぐあとから、まあ
急ぐにも
及ぶまい
位に、
自分と
打ち
消して
仕舞ふのが
常であつた。さうして、
胸の
筋が
一本鉤に
引つ
掛つた
樣な
心を
抱いて、
日を
暮らしてゐた。
其内九
月も
末になつて、
毎晩天の
河が
濃く
見へるある
宵の
事、
空から
降つた
樣に
安之助が
遣つて
來た。
宗助にも
御米にも
思ひ
掛けない
程稀な
客なので、
二人とも
何か
用があつての
訪問だらうと
推したが、
果して
小六に
關する
件であつた。
此間月島の
工場へひよつくり
小六が
遣つて
來て
云ふには、
自分の
學資に
就ての
詳しい
話は
兄から
聞いたが、
自分も
今迄學問を
遣つて
來て、とう/\
大學へ
這入れず
仕舞になるのは
如何にも
殘念だから、
借金でも
何でもして、
行ける
所迄行きたいが、
何か
好い
工夫はあるまいかと
相談を
掛けるので、
安之助はよく
宗さんにも
話して
見やうと
答へると、
小六は
忽ちそれを
遮ぎつて、
兄は
到底相談になつて
呉れる
人ぢやない、
自分が
大學を
卒業しないから、
他も
中途で
已めるのは
當然だ
位に
考へてゐる。
元來今度の
事も
元を
糺せば
兄が
責任者であるのに、あの
通り
一向平氣なもので、
他が
何を
云つても
取り
合つて
呉れない。だから、たゞ
頼りにするのは
君丈だ。
叔母さんに
正式に
斷わられながら、
又君に
依頼するのは
可笑しい
樣だが、
君の
方が
叔母さんより
話が
分るだらうと
思つて
來たと
云つて、
中々動きさうもなかつたさうである。
安之助は、そんな
事はない、
宗さんも
君の
事では
大分心配して、
近い
中又家へ
相談に
來る
筈になつてゐるんだからと
慰めて、
小六を
歸したんだと
云ふ。
歸るときに、
小六は
袂から
半紙を
何枚も
出して、
缺席屆が
入用だから
是に
判を
押して
呉れと
請求して、
僕は
退學か
在學か
片が
付く
迄は
勉強が
出來ないから、
毎日學校へ
出る
必要はないんだと
云つたさうである。
安之助は
忙がしいとかで、一
時間足らず
話して
歸つて
行つたが、
小六の
所置に
就ては、
兩人の
間に
具體的の
案は
別に
出なかつた。
何れ
緩くりみんなで
寄つて
極めやう、
都合がよければ
小六も
列席するが
好からうといふのが
別れる
時の
言葉であつた。
二人になつたとき、
御米は
宗助に、
「
何を
考へて
入らつしやるの」と
聞いた。
宗助は
兩手を
兵兒帶の
間に
挾んで、
心持肩を
高くしたなり、
「
己ももう一
返小六見た
樣になつて
見たい」と
云つた。「
此方ぢや、
向が
己の
樣な
運命に
陷るだらうと
思つて
心配してゐるのに、
向ぢや
兄貴なんざあ
眼中にないから
偉いや」
御米は
茶器を
引いて
臺所へ
出た。
夫婦はそれぎり
話を
切り
上げて、
又床を
延べて
寐た。
夢の
上に
高い
銀河が
涼しく
懸つた。
次の
週間には、
小六も
來ず、
佐伯からの
音信もなく、
宗助の
家庭は
又平日の
無事に
歸つた。
夫婦は
毎朝露の
光る
頃起きて、
美しい
日を
廂の
上に
見た。
夜は
煤竹の
臺を
着けた
洋燈の
兩側に、
長い
影を
描いて
坐つてゐた。
話が
途切れた
時はひそりとして、
柱時計の
振子の
音丈が
聞える
事も
稀ではなかつた。
夫でも
夫婦は
此間に
小六の
事を
相談した。
小六がもし
何うしても
學問を
續ける
氣なら
無論の
事、さうでなくても、
今の
下宿を
一時引き
上げなければならなくなるのは
知れてゐるが、
左うすれば
又佐伯へ
歸るか、
或は
宗助の
所へ
置くより
外に
途はない。
佐伯では
一旦あゝ
云ひ
出した
樣なものゝ、
頼んで
見たら、
當分宅へ
置く
位の
事は、
好意上爲てくれまいものでもない。が、
其上修業をさせるとなると、
月謝小遣其他は
宗助の
方で
擔任しなければ
義理が
惡い。
所が
夫は
家計上宗助の
堪える
所でなかつた。
月々の
收支を
事細かに
計算して
見た
兩人は、
「
到底駄目だね」
「
何うしたつて
無理ですわ」と
云つた。
夫婦の
坐つてゐる
茶の
間の
次が
臺所で、
臺所の
右に
下女部屋、
左に六
疊が
一間ある。
下女を
入れて三
人の
小人數だから、
此六
疊には
餘り
必要を
感じない
御米は、
東向の
窓側に
何時も
自分の
鏡臺を
置いた。
宗助も
朝起きて
顏を
洗つて、
飯を
濟ますと、
此所へ
來て
着物を
脱ぎ
更へた。
「
夫よりか、あの六
疊を
空けて、あすこへ
來ちや
不可なくつて」と
御米が
云ひ
出した。
御米の
考へでは、
斯うして
自分の
方で
部屋と
食物丈を
分擔して、あとの
所を
月々幾何か
佐伯から
助て
貰つたら、
小六の
望み
通り
大學卒業迄遣つて
行かれやうと
云ふのである。
「
着物は
安さんの
古いのや、
貴方のを
直して
上げたら、
何うかなるでせう」と
御米が
云ひ
添へた。
實は
宗助にも
斯んな
考が、
多少頭に
浮かんで
居た。たゞ
御米に
遠慮がある
上に、
夫程氣が
進まなかつたので、つい
口へ
出さなかつた
迄だから、
細君から
斯う
反對に
相談を
掛けられて
見ると、
固よりそれを
拒む
丈の
勇氣はなかつた。
小六に
其通りを
通知して、
御前さへそれで
差支なければ、
己がもう一
遍佐伯へ
行つて
掛合つて
見るがと、
手紙で
問ひ
合せると、
小六は
郵便の
着いた
晩、すぐ
雨の
降る
中を、
傘に
音を
立てゝ
遣つて
來て、もう
學資が
出來でもした
樣に
嬉しがつた。
「
何、
叔母さんの
方ぢや、
此方で
何時迄も
貴方の
事を
放り
出したまんま、
構はずに
置くもんだから、それで
彼仰やるのよ。なに
兄さんだつて、もう
少し
都合が
好ければ、
疾うにも
何うにか
爲たんですけれども、
御存じの
通りだから
實際已むを
得なかつたんですわ。
然し
此方から
斯う
云つて
行けば、
叔母さんだつて、
安さんだつて、
夫でも
否だとは
云はれないわ。
屹度出來るから
安心して
居らつしやい。
私受合ふわ」
御米にかう
受合つて
貰つた
小六は、
又雨の
音を
頭の
上に
受けて
本郷へ
歸つて
行つた。しかし
中一
日置いて、
兄さんは
未だ
行かないんですかと
聞きに
來た。
又三日許過ぎてから、
今度は
叔母さんの
所へ
行つて
聞いたら、
兄さんはまだ
來ないさうだから、
成るべく
早く
行く
樣に
勸めて
呉れと
催促して
行つた。
宗助が
行く
行くと
云つて、
日を
暮らしてゐるうちに
世の
中は
漸く
秋になつた。その
朗らかな
或日曜の
午後に、
宗助はあまり
佐伯へ
行くのが
後れるので、
此要件を
手紙に
認めて
番町へ
相談したのである。すると、
叔母から
安之助は
神戸へ
行つて
留守だと
云ふ
返事が
來たのである。
佐伯の
叔母の
尋ねて
來たのは、
土曜の
午後の二
時過であつた。
其日は
例になく
朝から
雲が
出て、
突然と
風が
北に
變つた
樣に
寒かつた。
叔母は
竹で
編んだ
丸い
火桶の
上へ
手を
翳して、
「
何ですね、
御米さん、
此御部屋は
夏は
涼しさうで
結構だが、
是からはちと
寒う
御座んすね」と
云つた。
叔母は
癖のある
髮を、
奇麗に
髷に
結つて、
古風な
丸打の
羽織の
紐を、
胸の
所で
結んでゐた。
酒の
好きな
質で、
今でも
少しづゝは
晩酌を
遣る
所爲か、
色澤もよく、でつぷり
肥つてゐるから、
年よりは
餘程若く
見える。
御米は
叔母が
來るたんびに、
叔母さんは
若いのねと、
後でよく
宗助に
話した。すると
宗助が
何時でも、
若い
筈だ、あの
年になる
迄、
子供をたつた
一人しか
生まないんだからと
説明した。
御米は
實際さうかも
知れないと
思つた。さうして
斯う
云はれた
後では、
折々そつと六
疊へ
這入つて、
自分の
顏を
鏡に
映して
見た。
其時は
何だか
自分の
頬が
見る
度に
瘠けて
行く
樣な
氣がした。
御米には
自分と
子供とを
連想して
考へる
程辛い
事はなかつたのである。
裏の
家主の
宅に、
小さい
子供が
大勢ゐて、
夫が
崖の
上の
庭へ
出て、ブランコへ
乘つたり、
鬼ごつこを
遣つたりして
騷ぐ
聲が、
能く
聞えると、
御米は
何時でも、
果敢ない
樣な
恨めしい
樣な
心持になつた。
今自分の
前に
坐つてゐる
叔母は、たつた
一人の
男の
子を
生んで、その
男の
子が
順當に
育つて、
立派な
學士になつたればこそ、
叔父が
死んだ
今日でも、
何不足のない
顏をして、
腮などは
二重に
見える
位に
豐なのである。
御母さんは
肥つてるから
劍呑だ、
氣を
付けないと
卒中で
遣られるかも
知れないと、
安之助が
始終心配するさうだけれども、
御米から
云はせると、
心配する
安之助も、
心配される
叔母も、
共に
幸福を
享け
合つてゐるものとしか
思はれなかつた。
「
安さんは」と
御米が
聞いた。
「えゝ
漸くね、あなた。
一昨日の
晩歸りましてね。
夫でつい/\
御返事も
後れちまつて、まことに
濟みません
樣な
譯で」と
云つたが、
返事の
方は
夫なりにして、
話は
又安之助へ
戻つて
來た。
「あれもね、
御蔭さまで
漸く
學校丈は
卒業しましたが、
是からが
大事の
所で、
心配で
御座います。――
夫でも
此九
月から、
月島の
工場の
方へ
出る
事になりまして、まあ
幸と
此分で
勉強さへして
行つて
呉れゝば、
此末ともに、さう
惡い
事も
無からうかと
思つてるんですけれども、まあ
若いものゝ
事ですから、
是から
先何う
變化るか
分りやしませんよ」
御米はたゞ
結構で
御座いますとか、
御目出たう
御座いますとか
云ふ
言葉を、
間々に
挾んでゐた。
「
神戸へ
參つたのも、
全く
其方の
用向なので。
石油發動機とか
何とか
云ふものを
鰹船へ
据ゑ
付けるんだとかつてね
貴方」
御米には
丸で
意味が
分らなかつた。
分らない
乍らたゞへえゝと
受けてゐると、
叔母はすぐ
後を
話した。
「
私にも
何のこつたか、
些とも
分らなかつたんですが、
安之助の
講釋を
聞いて
始めて、おやさうかいと
云ふ
樣な
譯でしてね。――
尤も
石油發動機は
今以て
分らないんですけれども」と
云ひながら、
大きな
聲を
出して
笑つた。「
何でも
石油を
焚いて、それで
船を
自由にする
器械なんださうですが、
聞いて
見ると
餘程重寶なものらしいんですよ。
夫さへ
付ければ、
舟を
漕ぐ
手間が
丸で
省けるとかでね。五
里も十
里も
沖へ
出るのに、
大變樂なんですとさ。
所が
貴方、
此日本全國で
鰹船の
數つたら、
夫こそ
大したものでせう。その
鰹船が
一つ
宛此器械を
具へ
付ける
樣になつたら、
莫大な
利益だつて
云ふんで、
此頃は
夢中になつて
其方ばつかりに
掛つてゐる
樣ですよ。
莫大な
利益は
有難いが、さう
凝つて
身體でも
惡くしちや
詰らないぢやないかつて、
此間も
笑つた
位で」
叔母はしきりに
鰹船と
安之助の
話をした。さうして
大變得意の
樣に
見えたが、
小六の
事は
中々云ひ
出さなかつた。もう
疾に
歸る
筈の
宗助も
何うしたか
歸つて
來なかつた。
彼は
其日役所の
歸り
掛けに
駿河臺下迄來て、
電車を
下りて、
酸いものを
頬張つた
樣な
口を
穿めて一二
町歩いた
後、ある
齒醫者の
門を
潛つたのである。
三四日前彼は
御米と
差向ひで、
夕飯の
膳に
着いて、
話しながら
箸を
取つてゐる
際に、
何うした
拍子か、
前齒を
逆にぎりゝと
噛んでから、それが
急に
痛み
出した。
指で
搖かすと、
根がぐら/\する。
食事の
時には
湯茶が
染みる。
口を
開けて
息をすると
風も
染みた。
宗助は
此朝齒を
磨くために、わざと
痛い
所を
避けて
楊枝を
使ひながら、
口の
中を
鏡に
照らして
見たら、
廣島で
銀を
埋めた二
枚の
奧齒と、
研いだ
樣に
磨り
減らした
不揃の
前齒とが、
俄かに
寒く
光つた。
洋服に
着換える
時、
「
御米、
己は
齒の
性が
餘程惡いと
見えるね。
斯うやると
大抵動くぜ」と
下齒を
指で
動かして
見せた。
御米は
笑ひながら、
「もう
御年の
所爲よ」と
云つて
白い
襟を
後へ
廻つて
襯衣へ
着けた。
宗助は
其日の
午後とう/\
思い
切つて、
齒醫者へ
寄つたのである。
應接間へ
通ると、
大きな
洋卓の
周圍に
天鵞絨で
張つた
腰掛が
并んでゐて、
待ち
合してゐる
三四人が、うづくまる
樣に
腮を
襟に
埋めてゐた。それが
皆女であつた。
奇麗な
茶色の
瓦斯暖爐には
火がまだ
焚いてなかつた。
宗助は
大きな
姿見に
映る
白壁の
色を
斜めに
見て、
番の
來るのを
待つてゐたが、あまり
退屈になつたので、
洋卓の
上に
重ねてあつた
雜誌に
眼を
着けた。一二
册手に
取つて
見ると、いづれも
婦人用のものであつた。
宗助は
其口繪に
出てゐる
女の
寫眞を、
何枚も
繰り
返して
眺めた。
夫から「
成効」と
云ふ
雜誌を
取り
上げた。
其初めに、
成效の
祕訣といふ
樣なものが
箇條書にしてあつたうちに、
何でも
猛進しなくつては
不可ないと
云ふ一ヶ
條と、たゞ
猛進しても
不可ない、
立派な
根底の
上に
立つて、
猛進しなくつてはならないと
云ふ一ヶ
條を
讀んで、それなり
雜誌を
伏せた。「
成效」と
宗助は
非常に
縁の
遠いものであつた。
宗助は
斯ういふ
名の
雜誌があると
云ふ
事さへ、
今日迄知らなかつた。それで
又珍らしくなつて、
一旦伏せたのを
又開けて
見ると、
不圖假名の
交らない
四角な
字が二
行程並んでゐた。
夫には
風碧落を
吹いて
浮雲盡き、
月東山に
上つて
玉一團とあつた。
宗助は
詩とか
歌とかいふものには、
元から
餘り
興味を
持たない
男であつたが、どう
云ふ
譯か
此二
句を
讀んだ
時に
大變感心した。
對句が
旨く
出來たとか
何とか
云ふ
意味ではなくつて、
斯んな
景色と
同じ
樣な
心持になれたら、
人間も
嘸嬉しからうと、ひよつと
心が
動いたのである。
宗助は
好奇心から
此句の
前に
付いてゐる
論文を
讀んで
見た。
然し
夫は
丸で
無關係の
樣に
思はれた。
只此二
句が
雜誌を
置いた
後でも、しきりに
彼の
頭の
中を
徘徊した。
彼の
生活は
實際此四五
年來斯ういふ
景色に
出逢つた
事がなかつたのである。
其時向ふの
戸が
開いて、
紙片を
持つた
書生が
野中さんと
宗助を
手術室へ
呼び
入れた。
中へ
這入ると、
其所は
應接間よりも
倍も
廣かつた。
光線が
成るべく
餘計取れる
樣に
明るく
拵らへた
部屋の
二側に、
手術用の
椅子を
四臺程据ゑて、
白い
胸掛をかけた
受持の
男が、
一人づゝ
別々に
療治をしてゐた。
宗助は
一番奧の
方にある一
脚に
案内されて、
是へと
云はれるので、
踏段の
樣なものの
上へ
乘つて、
椅子へ
腰を
卸した。
書生が
厚い
縞入の
前掛で
丁寧に
膝から
下を
包んで
呉れた。
斯う
穩やかに
寐かされた
時、
宗助は
例の
齒が
左程苦になる
程痛んでゐないと
云ふ
事を
發見した。
夫ばかりか、
肩も
脊も、
腰の
周りも、
心安く
落ち
付いて、
如何にも
樂に
調子が
取れてゐる
事に
氣が
付いた。
彼はたゞ
仰向いて
天井から
下つてゐる
瓦斯管を
眺めた。さうして
此構と
設備では、
歸りがけに
思つたより
高い
療治代を
取られるかも
知れないと
氣遣つた。
所へ
顏の
割に
頭の
薄くなり
過ぎた
肥つた
男が
出て
來て、
大變丁寧に
挨拶をしたので、
宗助は
少し
椅子の
上で
狼狽た
樣に
首を
動かした。
肥つた
男は
一應容體を
聞いて、
口中を
檢査して、
宗助の
痛いと
云ふ
齒を
一寸搖つて
見たが、
「
何うも
斯う
弛みますと、
到底元の
樣に
緊る
譯には
參りますまいと
思ひますが。
何しろ
中がエソになつて
居りますから」と
云つた。
宗助は
此宣告を
淋しい
秋の
光の
樣に
感じた。もうそんな
年なんでせうかと
聞いて
見たくなつたが、
少し
極りが
惡いので、たゞ、
「ぢや
癒らないんですか」と
念を
押した。
肥つた
男は
笑ひながら
斯う
云つた。――
「まあ
癒らないと
申し
上げるより
外に
仕方が
御座んせんな。
已を
得なければ、
思ひ
切つて
拔いて
仕舞ふんですが、
今の
所では、まだ
夫程でも
御座いますまいから、たゞ
御痛み
丈を
留めて
置きませう。
何しろエソ――エソと
申しても
御分りにならないかも
知れませんが、
中が
丸で
腐つて
居ります」
宗助は、
左うですかと
云つて、たゞ
肥つた
男のなすが
儘にして
置いた。すると
彼は
器械をぐる/\
廻して
宗助の
齒の
根へ
穴を
開け
始めた。さうして
其中へ
細長い
針の
樣なものを
刺し
通しては、
其先を
嗅いでゐたが、
仕舞に
糸程な
筋を
引き
出して、
神經が
是丈取れましたと
云ひながら、それを
宗助に
見せて
呉れた。それから
藥で
其穴を
埋めて、
明日又入らつしやいと
注意を
與へた。
椅子を
下りるとき、
身體が
眞直ぐになつたので、
視線の
位置が
天井から
不圖庭先に
移つたら、
其所にあつた
高さ五
尺もあらうと
云ふ
大きな
鉢栽の
松が
宗助の
眼に
這入つた。
其根方の
所を、
草鞋がけの
植木屋が
丁寧に
薦で
包んでゐた。
段々露が
凝つて
霜になる
時節なので、
餘裕のあるものは、もう
今時分から
手廻しをするのだと
氣が
付いた。
歸りがけに
玄關脇の
藥局で、
粉藥の
儘含嗽劑を
受取つて、それを百
倍の
微温湯に
溶解して、一
日十
數回使用すべき
注意を
受けた
時、
宗助は
會計の
請求した
治療代の
案外廉なのを
喜んだ。
是ならば
向ふで
云ふ
通り四五
回通つた
所が、さして
困難でもないと
思つて、
靴を
穿かうとすると、
今度は
靴の
底が
何時の
間にか
破れてゐる
事に
氣が
付いた。
宅へ
着いた
時は
一足違で
叔母がもう
歸つたあとであつた。
宗助は、
「おゝ、
左うだつたか」と
云ひながら、
甚だ
面倒さうに
洋服を
脱ぎ
更へて、
何時もの
通り
火鉢の
前に
坐つた。
御米は
襯衣や
洋袴や
靴足袋を
一抱にして六
疊へ
這入つた。
宗助はぼんやりして、
烟草を
吹かし
始めたが、
向ふの
部屋で、
刷毛を
掛ける
音がし
出した
時、
「
御米、
佐伯の
叔母さんは
何とか
云つて
來たのかい」と
聞いた。
齒痛が
自から
治まつたので、
秋に
襲はれる
樣な
寒い
氣分は、
少し
輕くなつたけれども、やがて
御米が
隱袋から
取り
出して
來た
粉藥を、
温ま
湯に
溶いて
貰つて、しきりに
含嗽を
始めた。
其時彼は
縁側へ
立つた
儘、
「
何うも
日が
短かくなつたなあ」と
云つた。
やがて
日が
暮れた。
晝間からあまり
車の
音を
聞かない
町内は、
宵の
口から
寂としてゐた。
夫婦は
例の
通り
洋燈の
下に
寄つた。
廣い
世の
中で、
自分達の
坐つてゐる
所丈が
明るく
思はれた。さうして
此明るい
灯影に、
宗助は
御米丈を、
御米は
又宗助丈を
意識して、
洋燈の
力の
屆かない
暗い
社會は
忘れてゐた。
彼等は
毎晩かう
暮らして
行く
裡に、
自分達の
生命を
見出してゐたのである。
此靜かな
夫婦は
安之助の
神戸から
土産に
買つて
來たと
云ふ
養老昆布の
罐をがら/\
振つて、
中から
山椒入りの
小さく
結んだ
奴を
撰り
出しながら、
緩くり
佐伯からの
返事を
語り
合つた。
「
然し
月謝と
小遣位は
都合して
遣つて
呉れても
好ささうなもんぢやないか」
「それが
出來ないんだつて。
何う
見積つても
兩方寄せると、十
圓にはなる。十
圓と
云ふ
纏つた
御金を、
今の
所月々出すのは
骨が
折れるつて
云ふのよ」
「
夫ぢや
此年の
暮迄二十
何圓づゝか
出して
遣るのも
無理ぢやないか」
「だから、
無理をしても、もう一二ヶ
月の
所丈は
間に
合せるから、
其内に
何うかして
下さいと、
安さんが
左う
云ふんだつて」
「
實際出來ないのかな」
「
夫りや
私には
分らないわ。
何しろ
叔母さんが、
左う
云ふのよ」
「
鰹舟で
儲けたら、
其位譯なささうなもんぢやないか」
「
本當ね」
御米は
低い
聲で
笑つた。
宗助も
一寸口の
端を
動かしたが、
話はそれで
途切れて
仕舞つた。しばらくしてから、
「
何しろ
小六は
家へ
來ると
極めるより
外に
道はあるまいよ。
後は
其上の
事だ。
今ぢや
學校へは
出てゐるんだね」と
宗助が
云つた。
「さうでせう」と
御米が
答へるのを
聞き
流して、
彼は
珍らしく
書齋に
這入つた。一
時間程して、
御米がそつと
襖を
開けて
覗いて
見ると、
机に
向つて、
何か
讀んでゐた。
「
勉強? もう
御休みなさらなくつて」と
誘はれた
時、
彼は
振り
返つて、
「うん、もう
寐よう」と
答へながら
立ち
上つた。
寐る
時、
着物を
脱いで、
寐卷の
上に、
絞りの
兵兒帶をぐる/\
卷きつけながら、
「
今夜は
久し
振に
論語を
讀んだ」と
云つた。
「
論語に
何かあつて」と
御米が
聞き
返したら、
宗助は、
「いや
何にもない」と
答へた。それから、「おい、
己の
齒は
矢つ
張り
年の
所爲だとさ。ぐら/\するのは
到底癒らないさうだ」と
云ひつゝ、
黒い
頭を
枕の
上に
着けた。
小六は
兎も
角も
都合次第下宿を
引き
拂つて
兄の
家へ
移る
事に
相談が
調つた。
御米は六
疊に
置き
付けた
桑の
鏡臺を
眺めて、
一寸殘り
惜しい
顏をしたが、
「
斯うなると
少し
遣場に
困るのね」と
訴へる
樣に
宗助に
告げた。
實際此所を
取り
上げられては、
御米の
御化粧をする
場所が
無くなつて
仕舞ふのである。
宗助は
何の
工夫も
付かずに、
立ちながら、
向ふの
窓側に
据ゑてある
鏡の
裏を
斜に
眺めた。すると
角度の
具合で、
其所に
御米の
襟元から
片頬が
映つてゐた。それが
如何にも
血色のわるい
横顏なのに
驚ろかされて、
「
御前、
何うかしたのかい。
大變色が
惡いよ」と
云ひながら、
鏡から
眼を
放して、
實際の
御米の
姿を
見た。
鬢が
亂れて、
襟の
後の
邊が
垢で
少し
汚れてゐた。
御米はたゞ、
「
寒い
所爲なんでせう」と
答へて、すぐ
西側に
付いてゐる
一間の
戸棚を
明けた。
下には
古い
創だらけの
箪笥があつて、
上には
支那鞄と
柳行李が
二つ
三つ
載つてゐた。
「こんなもの、
何うしたつて
片付樣がないわね」
「だから
其儘にして
置くさ」
小六の
此所へ
引移つて
來るのは、
斯う
云ふ
點から
見て、
夫婦の
何れにも、
多少迷惑であつた。だから
來ると
云つて
約束して
置きながら、
今だに
來ない
小六に
對しては、
別段の
催促もしなかつた。
一日延びれば
延びた
丈窮屈が
逃げた
樣な
氣が
何所かでした。
小六にも
丁度それと
同じ
憚があつたので、
居られる
限は
下宿にゐる
方が
便利だと
胸を
極めたものか、つい
一日/\と
引越を
前へ
送つてゐた。
其癖彼の
性質として、
兄夫婦の
如く、
荏苒の
境に
落付いてはゐられなかつたのである。
其内薄い
霜が
降りて、
裏の
芭蕉を
見事に
摧いた。
朝は
崖上の
家主の
庭の
方で、
鵯が
鋭どい
聲を
立てた。
夕方には
表を
急ぐ
豆腐屋の
喇叭に
交つて、
圓明寺の
木魚の
音が
聞えた。
日は
益短かくなつた。さうして
御米の
顏色は、
宗助が
鏡の
中に
認めた
時よりも、
爽かにはならなかつた。
夫が
役所から
歸つて
來て
見ると、六
疊で
寐てゐる
事が一二
度あつた。
何うかしたかと
尋ねると、たゞ
少し
心持が
惡いと
答へる
丈であつた。
醫者に
見て
貰へと
勸めると、
夫には
及ばないと
云つて
取り
合はなかつた。
宗助は
心配した。
役所へ
出てゐても
能く
御米の
事が
氣に
掛つて、
用の
邪魔になるのを
意識する
時もあつた。
所がある
日歸りがけに
突然電車の
中で
膝を
拍つた。その
日は
例になく
元氣よく
格子を
明けて、すぐと
勢よく
今日は
何うだいと
御米に
聞いた。
御米が
何時もの
通り
服や
靴足袋を
一纏めにして、六
疊へ
這入る
後から
追いて
來て、
「
御米、
御前子供が
出來たんぢやないか」と
笑ひながら
云つた。
御米は
返事もせずに
俯向いてしきりに
夫の
脊廣の
埃を
拂つた。
刷毛の
音が
已んでも
中々六
疊から
出て
來ないので、
又行つて
見ると、
薄暗い
部屋の
中で、
御米はたつた
一人寒さうに、
鏡臺の
前に
坐つてゐた。はいと
云つて
立つたが、
其聲が
泣いた
後の
聲の
樣であつた。
其晩夫婦は
火鉢に
掛けた
鐵瓶を、
双方から
手で
掩ふ
樣にして
差し
向つた。
「
何うですな
世の
中は」と
宗助が
例にない
浮いた
調子を
出した。
御米の
頭の
中には、
夫婦にならない
前の、
宗助と
自分の
姿が
奇麗に
浮んだ。
「ちつと、
面白くしやうぢやないか。
此頃は
如何にも
不景氣だよ」と
宗助が
又云つた。
二人は
夫から
今度の
日曜には
一所に
何所へ
行かうか、
此所へ
行かうかと、しばらく
夫許話し
合つてゐた。
夫から
二人の
春着の
事が
題目になつた。
宗助の
同僚の
高木とか
云ふ
男が、
細君に
小袖とかを
強請られた
時、おれは
細君の
虚榮心を
滿足させる
爲に
稼いでるんぢやないと
云つて
跳ね
付けたら、
細君がそりや
非道い、
實際寒くなつても
着て
出るものがないんだと
辯解するので、
寒ければ
已を
得ない、
夜具を
着るとか、
毛布を
被るとかして、
當分我慢しろと
云つた
話を、
宗助は
可笑しく
繰り
返して
御米を
笑はした。
御米は
夫の
此樣子を
見て、
昔が
又眼の
前に
戻つた
樣な
氣がした。
「
高木の
細君は
夜具でも
構はないが、おれは
一つ
新らしい
外套を
拵えたいな。
此間齒醫者へ
行つたら、
植木屋が
薦で
盆栽の
松の
根を
包んでゐたので、つく/″\
左う
思つた」
「
外套が
欲しいつて」
「あゝ」
御米は
夫の
顏を
見て、さも
氣の
毒だと
云ふ
風に、
「
御拵らえなさいな。
月賦で」と
云つた。
宗助は、
「まあ
止さうよ」と
急に
侘しく
答へた。さうして「
時に
小六は
何時から
來る
氣なんだらう」と
聞いた。
「
來るのは
厭なんでせう」と
御米が
答へた。
御米には、
自分が
始めから
小六に
嫌はれてゐると
云ふ
自覺があつた。それでも
夫の
弟だと
思ふので、
成るべくは
反を
合せて、
少しでも
近づける
樣に/\と、
今日迄仕向けて
來た。その
爲か、
今では
以前と
違つて、まあ
普通の
小舅位の
親しみはあると
信じてゐる
樣なものゝ、
斯んな
場合になると、つい
實際以上にも
氣を
回して、
自分丈が
小六の
來ない
唯一の
原因の
樣に
考へられるのであつた。
「そりや
下宿からこんな
所へ
移るのは
好かあないだらうよ。
丁度此方が
迷惑を
感ずる
通り、
向ふでも
窮屈を
感ずる
譯だから。おれだつて、
小六が
來ないとすれば、
今のうち
思ひ
切つて
外套を
作る
丈の
勇氣があるんだけれども」
宗助は
男丈に
思ひ
切つて
斯う
云つて
仕舞つた。けれども
是丈では
御米の
心を
盡してゐなかつた。
御米は
返事もせずに、しばらく
默つてゐたが、
細い
腮を
襟の
中へ
埋めた
儘、
上眼を
使つて、
「
小六さんは、まだ
私の
事を
惡んでゐらつしやるでせうか」と
聞き
出した。
宗助が
東京へ
來た
當座は、
時々是に
類似の
質問を
御米から
受けて、
其都度慰めるのに
大分骨の
折れた
事もあつたが、
近來は
全く
忘れた
樣に
何も
云はなくなつたので、
宗助もつい
氣に
留めなかつたのである。
「
又ヒステリーが
始まつたね。
好いぢやないか
小六なんぞが、
何う
思つたつて。
己さえ
付いてれば」
「
論語にさう
書いてあつて」
御米は
斯んな
時に、
斯ういふ
冗談を
云ふ
女であつた。
宗助は
「うん、
書いてある」と
答へた。
夫で
二人の
會話が
仕舞になつた。
翌日宗助が
眼を
覺ますと、
亞鉛張の
庇の
上で
寒い
音がした。
御米が
襷掛の
儘枕元へ
來て、
「さあ、もう
時間よ」と
注意したとき、
彼は
此點滴の
音を
聞きながら、もう
少し
暖かい
蒲團の
中に
温もつてゐたかつた。けれども
血色の
可くない
御米の、
甲斐々々しい
姿を
見るや
否や、
「おい」と
云つて
直起き
上つた。
外は
濃い
雨に
鎖されてゐた。
崖の
上の
孟宗竹が
時々鬣を
振ふ
樣に、
雨を
吹いて
動いた。
此侘びしい
空の
下へ
濡れに
出る
宗助に
取つて、
力になるものは、
暖かい
味噌汁と
暖かい
飯より
外になかつた。
「
又靴の
中が
濡れる。
何うしても
二足持つてゐないと
困る」と
云つて、
底に
小さい
穴のあるのを
仕方なしに
穿いて、
洋袴の
裾を
一寸許まくり
上げた。
午過に
歸つて
來て
見ると、
御米は
金盥の
中に
雜巾を
浸けて、六
疊の
鏡臺の
傍に
置いてゐた。
其上の
所丈天井の
色が
變つて、
時々雫が
落ちて
來た。
「
靴ばかりぢやない。
家の
中迄濡れるんだね」と
云つて
宗助は
苦笑した。
御米は
其晩夫の
爲に
置炬燵へ
火を
入れて、スコツチの
靴下と
縞羅紗の
洋袴を
乾かした。
明る
日も
亦同じ
樣に
雨が
降つた。
夫婦も
亦同じ
樣に
同じ
事を
繰り
返した。その
明る
日もまだ
晴れなかつた。
三日目の
朝になつて、
宗助は
眉を
縮めて
舌打をした。
「
何時迄降る
氣なんだ。
靴がじめ/\して
我慢にも
穿けやしない」
「六
疊だつて
困るわ、あゝ
漏つちや」
夫婦は
相談して、
雨が
晴れ
次第、
家根を
繕つて
貰ふ
樣に
家主へ
掛け
合ふ
事にした。けれども
靴の
方は
何とも
仕樣がなかつた。
宗助はきしんで
這入らないのを
無理に
穿いて
出て
行つた。
幸に
其日は十一
時頃からからりと
晴れて、
垣に
雀の
鳴く
小春日和になつた。
宗助が
歸つた
時、
御米は
例より
冴え/″\しい
顏色をして、
「
貴方、あの
屏風を
賣つちや
不可なくつて」と
突然聞いた。
抱一の
屏風は
先達て
佐伯から
受取つた
儘、
元の
通り
書齋の
隅に
立てゝあつたのである。二
枚折だけれども、
座敷の
位置と
廣さから
云つても、
實は
寧ろ
邪魔な
裝飾であつた。
南へ
廻すと、
玄關からの
入口を
半分塞いで
仕舞ふし、
東へ
出すと
暗くなる、と
云つて、
殘る
一方へ
立てれば
床の
間を
隱すので、
宗助は、
「
折角親爺の
記念だと
思つて、
取つて
來た
樣なものゝ、
仕樣がないね
是ぢや、
場塞げで」と
零した
事も一二
度あつた。
其都度御米は
眞丸な
縁の
燒けた
銀の
月と、
絹地から
殆んど
區別出來ない
樣な
穗芒の
色を
眺めて、
斯んなものを
珍重する
人の
氣が
知れないと
云ふ
樣な
見えをした。けれども、
夫を
憚つて、
明白さまには
何とも
云ひ
出さなかつた。たゞ一
返
「
是でも
可い
繪なんでせうかね」と
聞いた
事があつた。
其時宗助は
始めて
抱一の
名を
御米に
説明して
聞かした。
然しそれは
自分が
昔し
父から
聞いた
覺のある、
朧氣な
記憶を
好加減に
繰り
返すに
過ぎなかつた。
實際の
畫の
價値や、
又抱一に
就ての
詳しい
歴史などに
至ると
宗助にも
其實甚だ
覺束なかつたのである。
所がそれが
偶然御米のために
妙な
行爲の
動機を
構成る
原因となつた。
過去一
週間夫と
自分の
間に
起つた
會話に、
不圖此知識を
結び
付けて
考へ
得た
彼女は
一寸微笑んだ。この
日雨が
上つて、
日脚がさつと
茶の
間の
障子に
射した
時、
御米は
不斷着の
上へ、
妙な
色の
肩掛とも、
襟卷とも
付かない
織物を
纏つて
外へ
出た。
通りを二
丁目程來て、それを
電車の
方角へ
曲つて
眞直に
來ると、
乾物屋と
麺麭屋の
間に、
古道具を
賣つてゐる
可なり
大きな
店があつた。
御米はかつて
其所で
足の
疊み
込める
食卓を
買つた
記憶がある。
今火鉢に
掛けてある
鐵瓶も、
宗助が
此所から
提げて
歸つたものである。
御米は
手を
袖にして
道具屋の
前に
立ち
留まつた。
見ると
相變らず
新らしい
鐵瓶が
澤山並べてあつた。
其外には
時節柄とでも
云ふのか
火鉢が
一番多く
眼に
着いた。
然し
骨董と
名のつく
程のものは、
一つもない
樣であつた。ひとり
何とも
知れぬ
大きな
龜の
甲が、
眞向に
釣るしてあつて、
其下から
長い
黄ばんだ
拂子が
尻尾の
樣に
出てゐた。それから
紫檀の
茶棚が
一つ
二つ
飾つてあつたが、
何れも
狂の
出さうな
生なもの
許であつた。
然し
御米にはそんな
區別は
一向映らなかつた。たゞ
掛物も
屏風も
一つも
見當らない
事丈確かめて、
中へ
這入つた。
御米は
無論夫が
佐伯から
受取つた
屏風を、
幾何かに
賣り
拂ふ
積でわざ/\
此所迄足を
運んだのであるが、
廣島以來かう
云ふ
事に
大分經驗を
積んだ
御蔭で、
普通の
細君の
樣な
努力も
苦痛も
感ぜずに、
思ひ
切つて
亭主と
口を
利く
事が
出來た。
亭主は五十
恰好の
色の
黒い
頬の
瘠た
男で、
鼈甲の
縁を
取つた
馬鹿に
大きな
眼鏡を
掛けて、
新聞を
讀みながら、
疣だらけの
唐金の
火鉢に
手を
翳してゐた。
「さうですな、
拜見に
出ても
可うがす」と
輕く
受合つたが、
別に
氣の
乘つた
樣子もないので、
御米は
腹の
中で
少し
失望した。
然し
自分からが
既に
大した
望を
抱いて
出て
來た
譯でもないので、
斯う
簡易に
受けられると、
此方から
頼む
樣にしても、
見て
貰はなければならなかつた。
「
可うがす。ぢや
後程伺ひませう。
今小僧が
一寸出て
居りませんからな」
御米は
此存在な
言葉を
聞いて
其儘宅へ
歸つたが、
心の
中では、
果して
道具屋が
來るか
來ないか
甚だ
疑はしく
思つた。
一人で
何時もの
樣に
簡單な
食事を
濟まして、
清に
膳を
下げさしてゐると、いきなり
御免下さいと
云つて、
大きな
聲を
出して
道具屋が
玄關から
遣つて
來た。
座敷へ
上げて、
例の
屏風を
見せると、
成程と
云つて
裏だの
縁だのを
撫でてゐたが、
「
御拂になるなら」と
少し
考へて、「六
圓に
頂いて
置きませう」と
否々さうに
價を
付けた。
御米には
道具屋の
付けた
相場が
至當の
樣に
思はれた。けれども
一應宗助に
話してからでなくつては、
餘り
專斷過ぎると
心付いた
上、
品物の
歴史が
歴史だけに、
猶更遠慮して、
何れ
歸つたら
能く
相談して
見た
上でと
答へた
儘、
道具屋を
歸さうとした。
道具屋は
出掛に、
「ぢや、
奧さん
折角だから、もう一
圓奮發しませう。
夫で
御拂ひ
下さい」と
云つた。
御米は
其時思ひ
切つて、
「でも、
道具屋さん、ありや
抱一ですよ」と
答へて、
腹の
中ではひやりとした。
道具屋は、
平氣で、
「
抱一は
近來流行ませんからな」と
受け
流したが、じろ/\
御米の
姿を
眺めた
上、
「ぢや
猶能く
御相談なすつて」と
云ひ
捨てゝ
歸つて
行つた。
御米は
其時の
模樣を
詳しく
話した
後で、
「
賣つちや
不可なくつて」と
又無邪氣に
聞いた。
宗助の
頭の
中には、
此間から
物質上の
欲求が、
絶えず
動いてゐた。たゞ
地味な
生活をしなれた
結果として、
足らぬ
家計を
足ると
諦らめる
癖が
付いてゐるので、
毎月極つて
這入るものゝ
外には、
臨時に
不意の
工面をしてまで、
少しでも
常以上に
寛ろいで
見やうと
云ふ
働は
出なかつた。
話を
聞いたとき
彼は
寧ろ
御米の
機敏な
才覺に
驚ろかされた。
同時に
果して
夫丈の
必要があるかを
疑つた。
御米の
思はくを
聞いて
見ると、
此所で十
圓足らずの
金が
入れば、
宗助の
穿く
新らしい
靴を
誂らへた
上、
銘仙の一
反位は
買へると
云ふのである。
宗助は
夫もさうだと
思つた。けれども
親から
傳はつた
抱一の
屏風を
一方に
置いて、
片方に
新らしい
靴及び
新らしい
銘仙を
並べて
考へて
見ると、
此二つを
交換する
事が
如何にも
突飛で
且滑稽であつた。
「
賣るなら
賣つて
可いがね。どうせ
家に
在つたつて
邪魔になる
許だから。けれども
己はまだ
靴は
買はないでも
濟むよ。
此間中見た
樣に、
降り
續けに
降られると
困るが、もう
天氣も
好くなつたから」
「だつて
又降ると
困るわ」
宗助は
御米に
對して
永久に
天氣を
保證する
譯にも
行かなかつた。
御米も
降らない
前に
是非屏風を
賣れとも
云ひかねた。
二人は
顏を
見合して
笑つてゐた。やがて、
「
安過ぎるでせうか」と
御米が
聞いた。
「
左うさな」と
宗助が
答へた。
彼は
安いと
云はれゝば、
安い
樣な
氣がした。もし
買手があれば、
買手の
出す
丈の
金は
幾何でも
取りたかつた。
彼は
新聞で、
近來古書畫の
入札が
非常に
高價になつた
事を
見た
樣な
心持がした。
責めてそんなものが一
幅でもあつたらと
思つた。けれども
夫は
自分の
呼吸する
空氣の
屆くうちには、
落ちてゐないものと
諦めてゐた。
「
買手にも
因るだらうが、
賣手にも
因るんだよ。いくら
名畫だつて、
己が
持つてゐた
分には
到底さう
高く
賣れつこはないさ。
然し七
圓や八
圓てえな、
餘り
安い
樣だね」
宗助は
抱一の
屏風を
辯護すると
共に、
道具屋をも
辯護する
樣な
語氣を
洩らした。さうしてたゞ
自分丈が
辯護に
價しないものゝ
樣に
感じた。
御米も
少し
氣を
腐らした
氣味で、
屏風の
話は
夫なりにした。
翌日宗助は
役所へ
出て、
同僚の
誰彼に
此話をした。すると
皆申し
合せた
樣に、
夫は
價ぢやないと
云つた。けれども
誰も
自分が
周旋して、
相當の
價に
賣拂つてやらうと
云ふものはなかつた。
又どう
云ふ
筋を
通れば、
馬鹿な
目に
逢はないで
濟むといふ
手續を
教へて
呉れるものもなかつた。
宗助は
矢張横町の
道具屋に
屏風を
賣るより
外に
仕方がなかつた。それでなければ
元の
通り
邪魔でも
何でも
座敷へ
立てゝ
置くより
外に
仕方がなかつた。
彼は
元の
通りそれを
座敷へ
立てゝ
置いた。すると
道具屋が
來て、あの
屏風を十五
圓に
賣つてくれと
云ひ
出した。
夫婦は
顏を
見合して
微笑んだ。もう
少し
賣らずに
置いて
見樣ぢやないかと
云つて、
賣らずに
置いた。すると
道具屋が
又來た。
又賣らなかつた。
御米は
斷るのが
面白くなつて
來た。
四度目には
知らない
男を
一人連れて
來たが、
其男とこそこそ
相談して、とう/\三十五
圓に
價を
付けた。
其時夫婦も
立ちながら
相談した。さうして
遂に
思ひ
切つて
屏風を
賣り
拂つた。
圓明寺の
杉が
焦げた
樣に
赭黒くなつた。
天氣の
好い
日には、
風に
洗はれた
空の
端ずれに、
白い
筋の
嶮しく
見える
山が
出た。
年は
宗助夫婦を
驅つて
日毎に
寒い
方へ
吹き
寄せた。
朝になると
缺かさず
通る
納豆賣の
聲が、
瓦を
鎖す
霜の
色を
連想せしめた。
宗助は
床の
中で
其聲を
聞きながら、
又冬が
來たと
思ひ
出した。
御米は
臺所で、
今年も
去年の
樣に
水道の
栓が
氷つて
呉れなければ
助かるがと、
暮から
春へ
掛けての
取越苦勞をした。
夜になると
夫婦とも
炬燵にばかり
親しんだ。さうして
廣島や
福岡の
暖かい
冬を
羨やんだ。
「
丸で
前の
本多さん
見た
樣ね」と
御米が
笑つた。
前の
本多さんと
云ふのは、
矢張り
同じ
構内に
住んで、
同じ
坂井の
貸家を
借りてゐる
隱居夫婦であつた。
小女を
一人使つて、
朝から
晩迄ことりと
音もしない
樣に
靜かな
生計を
立てゝゐた。
御米が
茶の
間で、たつた
一人裁縫をしてゐると、
時々御爺さんと
云ふ
聲がした。それは
此本多の
御婆さんが
夫を
呼ぶ
聲であつた。
門口抔で
行き
逢ふと、
丁寧に
時候の
挨拶をして、ちと
御話に
入らつしやいと
云ふが、
遂ぞ
行つた
事もなければ、
向ふからも
來た
試がない。
從つて
夫婦の
本多さんに
關する
知識は
極めて
乏しかつた。たゞ
息子が
一人あつて、それが
朝鮮の
統監府とかで、
立派な
役人になつてゐるから、
月々其方の
仕送で、
氣樂に
暮らして
行かれるのだと
云ふ
事丈を、
出入の
商人のあるものから
耳にした。
「
御爺さんは
矢つ
張り
植木を
弄つてゐるかい」
「
段々寒くなつたから、もう
已めたんでせう。
縁の
下に
植木鉢が
澤山並んでるわ」
話は
夫から
前の
家を
離れて、
家主の
方へ
移つた。
是は、
本多とは
丸で
反對で、
夫婦から
見ると、
此上もない
賑やかさうな
家庭に
思はれた。
此頃は
庭が
荒れてゐるので、
大勢の
小供が
崖の
上へ
出て
騷ぐ
事がなくなつたが、ピヤノの
音は
毎晩の
樣にする。
折々は
下女か
何ぞの、
臺所の
方で
高笑をする
聲さへ、
宗助の
茶の
間迄響いて
來た。
「ありや
一體何をする
男なんだい」と
宗助が
聞いた。
此問は
今迄も
幾度か
御米に
向つて
繰り
返されたものであつた。
「
何にもしないで
遊んでるんでせう。
地面や
家作を
持つて」と
御米が
答へた。
此答も
今迄にもう
何遍か
宗助に
向つて
繰り
返されたものであつた。
宗助は
是より
以上立ち
入つて
坂井の
事を
聞いた
事がなかつた。
學校を
已めた
當座は、
順境にゐて
得意な
振舞をするものに
逢ふと、
今に
見ろと
云ふ
氣も
起つた。それが
少時くすると、
單なる
憎惡の
念に
變化した。
所が一二
年此方は
全く
自他の
差違に
無頓着になつて、
自分は
自分の
樣に
生れ
付いたもの、
先は
先の
樣な
運を
持つて
世の
中へ
出て
來たもの、
兩方共始から
別種類の
人間だから、たゞ
人間として
生息する
以外に、
何の
交渉も
利害もないのだと
考へる
樣になつてきた。たまに
世間話の
序として、ありや
一體何をしてゐる
人だ
位は
聞きもするが、それより
先は、
教へて
貰ふ
努力さへ
出すのが
面倒だつた。
御米にもこれと
同じ
傾きがあつた。けれども
其夜は
珍らしく、
坂井の
主人は四十
恰好の
髯のない
人であると
云ふ
事やら、ピヤノを
彈くのは
惣領の
娘で十二三になると
云ふ
事やら、
又外の
家の
小供が
遊びに
來ても、ブランコへ
乘せて
遣らないと
云ふ
事やらを
話した。
「
何故外の
家の
子供はブランコへ
乘せないんだい」
「
詰り
吝なんでせう。
早く
惡くなるから」
宗助は
笑ひ
出した。
彼は
其位吝嗇な
家主が、
屋根が
漏ると
云へば、すぐ
瓦師を
寄こして
呉れる、
垣が
腐つたと
訴へればすぐ
植木屋に
手を
入れさして
呉れるのは
矛盾だと
思つたのである。
其晩宗助の
夢には
本多の
植木鉢も
坂井のブランコもなかつた。
彼は十
時半頃床に
入つて、
萬象に
疲れた
人の
樣に
鼾をかいた。
此間から
頭の
具合がよくないため、
寐付の
惡いのを
苦にしてゐた
御米は、
時々眼を
開けて
薄暗い
部屋を
眺めた。
細い
灯が
床の
間の
上に
乘せてあつた。
夫婦は
夜中燈火を
點けて
置く
習慣が
付いてゐるので、
寐る
時はいつでも
心を
細目にして
洋燈を
此所へ
上げた。
御米は
氣にする
樣に
枕の
位置を
動かした。さうして
其度に、
下にしてゐる
方の
肩の
骨を、
蒲團の
上で
滑らした。
仕舞には
腹這になつた
儘、
兩肱を
突いて、しばらく
夫の
方を
眺めてゐた。
夫から
起き
上つて、
夜具の
裾に
掛けてあつた
不斷着を、
寐卷の
上へ
羽織つたなり、
床の
間の
洋燈を
取り
上げた。
「
貴方々々」と
宗助の
枕元へ
來て
曲みながら
呼んだ。
其時夫はもう
鼾をかいてゐなかつた。けれども、
元の
通り
深い
眠から
來る
呼吸を
續けてゐた。
御米は
又立ち
上つて、
洋燈を
手にした
儘、
間の
襖を
開けて
茶の
間へ
出た。
暗い
部屋が
茫漠手元の
灯に
照らされた
時、
御米は
鈍く
光る
箪笥の
環を
認めた。
夫を
通り
過ぎると
黒く
燻ぶつた
臺所に、
腰障子の
紙丈が
白く
見えた。
御米は
火の
氣のない
眞中に、
少時佇ずんでゐたが、やがて
右手に
當る
下女部屋の
戸を、
音のしない
樣にそつと
引いて、
中へ
洋燈の
灯を
翳した。
下女は
縞も
色も
判然映らない
夜具の
中に、
土龍の
如く
塊まつて
寐てゐた。
今度は
左側の六
疊を
覗いた。がらんとして
淋しい
中に、
例の
鏡臺が
置いてあつて、
鏡の
表が
夜中丈に
凄く
眼に
應へた。
御米は
家中を
一回回つた
後、
凡てに
異状のない
事を
確かめた
上、
又床の
中へ
戻つた。さうして
漸く
眼を
眠つた。
今度は
好い
具合に、
眼蓋のあたりに
氣を
遣はないで
濟む
樣に
覺えて、
少時するうちに、うと/\とした。
すると
又不圖眼が
開いた。
何だかずしんと
枕元で
響いた
樣な
心持がする。
耳を
枕から
離して
考へると、それはある
大きな
重いものが
裏の
崖から
自分達の
寐てゐる
座敷の
縁の
外へ
轉がり
落ちたとしか
思はれなかつた。しかも
今眼が
覺めるすぐ
前に
起つた
出來事で、
決して
夢の
續ぢやないと
考へた
時、
御米は
急に
氣味を
惡くした。さうして
傍に
寐てゐる
夫の
夜具の
袖を
引いて、
今度は
眞面目に
宗助を
起し
始めた。
宗助は
夫迄全く
能く
寐てゐたが、
急に
眼が
覺めると、
御米が、
「
貴方一寸起きて
下さい」と
搖つてゐたので、
半分は
夢中に、
「おい、
好し」とすぐ
蒲團の
上へ
起き
直つた。
御米は
小聲で
先刻からの
樣子を
話した。
「
音は
一遍した
限なのかい」
「だつて
今した
許なのよ」
二人はそれで
默つた。たゞ
凝と
外の
樣子を
伺つてゐた。けれども
世間は
森と
靜であつた。いつまで
耳を
峙てゝゐても、
再び
物の
落ちて
來る
氣色はなかつた。
宗助は
寒いと
云ひ
乍ら、
單衣の
寐卷の
上へ
羽織を
被つて、
縁側へ
出て、
雨戸を一
枚繰つた。
外を
覗くと
何にも
見えない。たゞ
暗い
中から
寒い
空氣が
俄かに
肌に
逼つて
來た。
宗助はすぐ
戸を
閉てた。
を
卸して
座敷へ
戻るや
否や、また
蒲團の
中へ
潛り
込んだが、
「
何にも
變つた
事はありやしない。
多分御前の
夢だらう」と
云つて、
宗助は
横になつた。
御米は
決して
夢でないと
主張した。
慥に
頭の
上で
大きな
音がしたのだと
固執した。
宗助は
夜具から
半分出した
顏を、
御米の
方へ
振り
向けて、
「
御米、
御前は
神經が
過敏になつて、
近頃何うかしてゐるよ。もう
少し
頭を
休めて
能く
寐る
工夫でもしなくつちや
不可ない」と
云つた。
其時次の
間の
柱時計が二
時を
打つた。
其音で
二人とも
一寸言葉を
途切らして、
默つて
見ると、
夜は
更に
靜まり
返つた
樣に
思はれた。
二人は
眼が
冴えて、すぐ
寐付かれさうにもなかつた。
御米が、
「でも
貴方は
氣樂ね。
横になると十
分經たないうちに、もう
寐て
入らつしやるんだから」と
云つた。
「
寐る
事は
寐るが、
氣が
樂で
寐られるんぢやない。つまり
疲れるからよく
寐るんだらう」と
宗助が
答へた。
斯んな
話をしてゐるうちに
宗助は
又寐入つて
仕舞つた。
御米は
依然として、のつそつ
床の
中で
動いてゐた。すると
表をがら/\と
烈しい
音を
立てゝ
車が
一臺通つた。
近頃御米は
時々夜明前の
車の
音を
聞いて
驚ろかされる
事があつた。さうして
夫を
思ひ
合はせると、
何時も
似寄つた
刻限なので、
必竟は
毎朝同じ
車が
同じ
所を
通るのだらうと
推測した。
多分牛乳を
配達するためか
抔で、あゝ
急ぐに
違ないと
極めてゐたから、
此音を
聞くと
等しく、もう
夜が
明けて、
隣人の
活動が
始つた
如くに、
心丈夫になつた。さう
斯うしてゐると、
何所かで
鷄の
聲が
聞えた。
又少時すると、
下駄の
音を
高く
立てゝ
徃來を
通るものがあつた。そのうち
清が
下女部屋の
戸を
開けて
厠へ
起きた
模樣だつたが、やがて
茶の
間へ
來て
時計を
見てゐるらしかつた。
此時床の
間に
置いた
洋燈の
油が
減つて、
短かい
心に
屆かなくなつたので、
御米の
寐てゐる
所は
眞暗になつてゐた。
其所へ
清の
手にした
灯火の
影が、
襖の
間から
射し
込んだ。
「
清かい」と
御米が
聲を
掛けた。
清は
夫からすぐ
起きた。三十
分程經つて
御米も
起きた。
又三十
分程經つて
宗助も
遂に
起きた。
平常は
好い
時分に
御米が
遣つて
來て、
「もう
起きても
可くつてよ」と
云ふのが
例であつた。
日曜とたまの
旗日には、それが、
「さあ
最う
起きて
頂戴」に
變る
丈であつた。
然し
今日は
昨夕の
事が
何となく
氣にかゝるので、
御米の
迎に
來ないうち
宗助は
床を
離れた。さうして
直崖下の
雨戸を
繰つた。
下から
覗くと、
寒い
竹が
朝の
空氣に
鎖されて
凝としてゐる
後から、
霜を
破る
日の
色が
射して、
幾分か
頂を
染めてゐた。
其二尺程下の
勾配の
一番急な
所に
生えてゐる
枯草が、
妙に
摺り
剥けて、
赤土の
肌を
生々しく
露出した
樣子に、
宗助は
一寸驚ろかされた。それから
一直線に
降りて、
丁度自分の
立つてゐる
縁鼻の
土が、
霜柱を
摧いた
樣に
荒れてゐた。
宗助は
大きな
犬でも
上から
轉がり
落ちたのぢやなからうかと
思つた。
然し
犬にしては
幾何大きいにしても、
餘り
勢が
烈し
過ぎると
思つた。
宗助は
玄關から
下駄を
提げて
來て、すぐ
庭へ
下りた。
縁の
先へ
便所が
折れ
曲つて
突き
出してゐるので、いとゞ
狹い
崖下が、
裏へ
拔ける
半間程の
所は
猶更狹苦しくなつてゐた。
御米は
掃除屋が
來るたびに、
此曲り
角を
氣にしては、
「
彼所がもう
少し
廣いと
可いけれども」と
危險がるので、よく
宗助から
笑はれた
事があつた。
其所を
通り
拔けると、
眞直に
臺所迄細い
路が
付いてゐる。
元は
枯枝の
交つた
杉垣があつて、
隣の
庭の
仕切りになつてゐたが、
此間家主が
手を
入れた
時、
穴だらけの
杉葉を
奇麗に
取り
拂つて、
今では
節の
多い
板塀が
片側を
勝手口迄塞いで
仕舞つた。
日當りの
惡い
上に、
樋から
雨滴ばかり
落ちるので、
夏になると
秋海棠が
一杯生える。
其盛りな
頃は
青い
葉が
重なり
合つて、
殆んど
通り
路がなくなる
位茂つて
來る。
始めて
越した
年は、
宗助も
御米も
此景色を
見て
驚ろかされた
位である。
此秋海棠は
杉垣のまだ
引き
拔かれない
前から、
何年となく
地下に
蔓つてゐたもので、
古家の
取り
毀たれた
今でも、
時節が
來ると
昔の
通り
芽を
吹くものと
解つた
時、
御米は、
「でも
可愛いわね」と
喜んだ。
宗助が
霜を
踏んで、
此記念の
多い
横手へ
出た
時、
彼の
眼は
細長い
路次の
一點に
落ちた。さうして
彼は
日の
通はない
寒さの
中にはたと
留まつた。
彼の
足元には
黒塗の
蒔繪の
手文庫が
放り
出してあつた。
中味はわざ/\
其所へ
持つて
來て
置いて
行つた
樣に、
霜の
上にちやんと
据つてゐるが、
蓋は二三
尺離れて、
塀の
根に
打ち
付けられた
如くに
引つ
繰り
返つて、
中を
張つた
千代紙の
模樣が
判然見えた。
文庫の
中から
洩れた、
手紙や
書付類が、
其所いらに
遠慮なく
散らばつてゐる
中に、
比較的長い一
通がわざ/\二
尺許廣げられて、
其先が
紙屑の
如く
丸めてあつた。
宗助は
近付いて、
此揉苦茶になつた
紙の
下を
覗いて
覺えず
苦笑した。
下には
大便が
垂れてあつた。
土の
上に
散らばつてゐる
書類を
一纏にして、
文庫の
中へ
入れて、
霜と
泥に
汚れた
儘宗助は
勝手口迄持つて
來た。
腰障子を
開けて、
清に
「おい
是を
一寸其所へ
置いて
呉れ」と
渡すと、
清は
妙な
顏をして、
不思議さうにそれを
受取つた。
御米は
奧で
座敷へ
拂塵を
掛けてゐた。
宗助はそれから
懷手をして、
玄關だの
門の
邊を
能く
見廻つたが、
何處にも
平常と
異なる
點は
認められなかつた。
宗助は
漸く
家へ
入つた。
茶の
間へ
來て
例の
通り
火鉢の
前へ
坐つたが、すぐ
大きな
聲を
出して
御米を
呼んだ。
御米は、
「
起き
拔けに
何處へ
行つて
入らしつたの」と
云ひながら
奧から
出て
來た。
「おい
昨夜枕元で
大きな
音がしたのは
矢つ
張夢ぢやなかつたんだ。
泥棒だよ。
泥棒が
坂井さんの
崖の
上から
宅の
庭へ
飛び
下りた
音だ。
今裏へ
回つて
見たら、
此文庫が
落ちてゐて、
中に
這入つてゐた
手紙なんぞが、
無茶苦茶に
放り
出してあつた。
御負に
御馳走迄置いて
行つた」
宗助は
文庫の
中から、二三
通の
手紙を
出して
御米に
見せた。それには
皆坂井の
名宛が
書いてあつた。
御米は
吃驚して
立膝の
儘、
「
坂井さんぢや
外に
何か
取られたでせうか」と
聞いた。
宗助は
腕組をして、
「ことに
因ると、まだ
何か
遣られたね」と
答へた。
夫婦は
兎も
角もと
云ふので、
文庫を
其所へ
置いたなり
朝飯の
膳に
着いた。
然し
箸を
動かす
間も
泥棒の
話は
忘れなかつた。
御米は
自分の
耳と
頭の
慥な
事を
夫に
誇つた。
宗助は
耳と
頭の
慥でない
事を
幸福とした。
「さう
仰しやるけれど、
是が
坂井さんでなくつて、
宅で
御覽なさい。
貴方見た
樣にぐう/\
寐て
入らしつたら
困るぢやないの」と
御米が
宗助を
遣り
込めた。
「なに
宅なんぞへ
這入る
氣遣はないから
大丈夫だ」と
宗助も
口の
減らない
返事をした。
其所へ
清が
突然臺所から
顏を
出して、
「
此間拵えた
旦那樣の
外套でも
取られ
樣ものなら、
夫こそ
騷ぎで
御座いましたね。
御宅でなくつて
坂井さんだつたから
本當に
結構で
御座います」と
眞面目に
悦の
言葉を
述べたので、
宗助も
御米も
少し
挨拶に
窮した。
食事を
濟ましても、
出勤の
時刻にはまだ
大分間があつた。
坂井では
定めて
騷いでるだらうと
云ふので、
文庫は
宗助が
自分で
持つて
行つて
遣る
事にした。
蒔繪ではあるが、たゞ
黒地に
龜甲形を
金で
置いた
丈の
事で、
別に
大して
金目の
物とも
思へなかつた。
御米は
唐棧の
風呂敷を
出してそれを
包んだ。
風呂敷が
少し
小さいので、
四隅を
對ふ
同志繋いで、
眞中にこま
結びを
二つ
拵えた。
宗助がそれを
提げた
所は、
丸で
進物の
菓子折の
樣であつた。
座敷で
見ればすぐ
崖の
上だが、
表から
廻ると、
通りを
半町許來て、
坂を
上つて、
又半町程逆に
戻らなければ、
坂井の
門前へは
出られなかつた。
宗助は
石の
上へ
芝を
盛つて
扇骨木を
奇麗に
植付けた
垣に
沿ふて
門内に
入つた。
家の
内は
寧ろ
靜か
過ぎる
位しんとしてゐた。
摺硝子の
戸が
閉てゝある
玄關へ
來て、ベルを二三
度押して
見たが、ベルが
利かないと
見えて
誰も
出て
來なかつた。
宗助は
仕方なしに
勝手口へ
廻つた。
其所にも
摺硝子の
嵌まつた
腰障子が二
枚閉ててあつた。
中では
器物を
取り
扱ふ
音がした。
宗助は
戸を
開けて、
瓦斯七輪を
置いた
板の
間に
蹲踞んでゐる
下女に
挨拶をした。
「
是は
此方のでせう。
今朝私の
家の
裏に
落ちてゐましたから
持つて
來ました」と
云ひながら、
文庫を
出した。
下女は「
左樣で
御座いましたか、どうも」と
簡單に
禮を
述べて、
文庫を
持つた
儘、
板の
間の
仕切迄行つて、
仲働らしい
女を
呼び
出した。
其所で
小聲に
説明をして、
品物を
渡すと、
仲働はそれを
受取つたなり、
一寸宗助の
方を
見たがすぐ
奧へ
入つた。
入れ
違に、十二三になる
丸顏の
眼の
大きな
女の
子と、
其妹らしい
揃のリボンを
懸けた
子が
一所に
馳けて
來て、
小さい
首を
二つ
並べて
臺所へ
出した。さうして
宗助の
顏を
眺めながら、
泥棒よと
耳語やつた。
宗助は
文庫を
渡して
仕舞へば、もう
用が
濟んだのだから、
奧の
挨拶はどうでも
可いとして、すぐ
歸らうかと
考へた。
「
文庫は
御宅のでせうね。
可いんでせうね」と
念を
押して、
何にも
知らない
下女を
氣の
毒がらしてゐる
所へ、
最前の
仲働が
出て
來て、
「
何うぞ
御通り
下さい」と
丁寧に
頭を
下げたので、
今度は
宗助の
方が
少し
痛み
入る
樣になつた。
下女は
愈しとやかに
同じ
請求を
繰り
返した。
宗助は
痛み
入る
境を
通り
越して、
遂に
迷惑を
感じ
出した。
所へ
主人が
自分で
出て
來た。
主人は
予想通り
血色の
好い
下膨の
福相を
具へてゐたが、
御米の
云つた
樣に
髭のない
男ではなかつた。
鼻の
下に
短かく
刈り
込んだのを
生やして、たゞ
頬から
腮を
奇麗に
蒼くしてゐた。
「いや
何うも
飛んだ
御手數で」と
主人は
眼尻に
皺を
寄せながら
禮を
述べた。
米澤の
絣を
着た
膝を
板の
間に
突いて、
宗助から
色々樣子を
聞いてゐる
態度が、
如何にも
緩くりしてゐた。
宗助は
昨夕から
今朝へ
掛けての
出來事を
一通り
掻い
撮んで
話した
上、
文庫の
外に
何か
取られたものがあるかないかを
尋ねて
見た。
主人は
机の
上に
置いた
金時計を
一つ
取られた
由を
答へた。けれども
丸で
他のものでも
失くなした
時の
樣に、
一向困つたと
云ふ
氣色はなかつた。
時計よりは
寧ろ
宗助の
叙述の
方に
多くの
興味を
有つて、
泥棒が
果して
崖を
傳つて
裏から
逃げる
積だつたらうか、
又は
逃げる
拍子に、
崖から
落ちたものだらうかと
云ふ
樣な
質問を
掛けた。
宗助は
固より
返答が
出來なかつた。
其所へ
最前の
仲働が、
奧から
茶や
莨を
運んで
來たので、
宗助は
又歸りはぐれた。
主人はわざ/\
坐蒲團迄取り
寄せて、とう/\
其上へ
宗助の
尻を
据ゑさした。さうして
今朝早く
來た
刑事の
話をし
始めた。
刑事の
判定によると、
賊は
宵から
邸内に
忍び
込んで、
何でも
物置かなぞに
隱れてゐたに
違ない。
這入口は
矢張り
勝手である。
燐寸を
擦つて
蝋燭を
點して、それを
臺所にあつた
小桶の
中へ
立てゝ、
茶の
間へ
出たが、
次の
部屋には
細君と
子供が
寐てゐるので、
廊下傳ひに
主人の
書齋へ
來て、
其所で
仕事をしてゐると、
此間生れた
末の
男の
子が、
乳を
呑む
時刻が
來たものか、
眼を
覺まして
泣き
出したため、
賊は
書齋の
戸を
開けて
庭へ
逃げたらしい。
「
平常の
樣に
犬がゐると
好かつたんですがね。
生憎病氣なので、四五
日前病院へ
入れて
仕舞つたもんですから」と
主人は
殘念がつた。
宗助も、
「
夫は
惜い
事でした」と
答へた。すると
主人は
其犬の
種やら
血統やら、
時々獵に
連れて
行く
事や、
色々な
事を
話し
始めた。
「
獵は
好ですから。
尤も
近來は
神經痛で
少し
休んでゐますが。
何しろ
秋口から
冬へ
掛けて
鴫なぞを
打ちに
行くと、どうしても
腰から
下は
田の
中へ
浸つて、二
時間も三
時間も
暮らさなければならないんですから、
全く
身體には
好くない
樣です」
主人は
時間に
制限のない
人と
見えて、
宗助が、
成程とか、
左うですか、とか
云つてゐると、
何時迄も
話してゐるので、
宗助は
已を
得ず
中途で
立ち
上がつた。
「
是から
又例の
通り
出掛けなければなりませんから」と
切り
上げると、
主人は
始めて
氣が
付いた
樣に、
忙がしい
所を
引き
留めた
失禮を
謝した。さうして
何れ
又刑事が
現状を
見に
行くかも
知れないから、
其時はよろしく
願ふと
云ふやうな
事を
述べた。
最後に、
「
何うかちと
御話に。
私も
近頃は
寧ろ
閑な
方ですから、
又御邪魔に
出ますから」と
丁寧に
挨拶をした。
門を
出て
急ぎ
足に
宅へ
歸ると、
毎朝出る
時刻よりも、もう三十
分程後れてゐた。
「
貴方何うなすつたの」と
御米が
氣を
揉んで
玄關へ
出た。
宗助はすぐ
着物を
脱いで
洋服に
着換ながら、
「あの
坂井と
云ふ
人は
餘つ
程氣樂な
人だね。
金があるとあゝ
緩くり
出來るもんかな」と
云つた。
「
小六さん、
茶の
間から
始めて。
夫とも
座敷の
方を
先にして」と
御米が
聞いた。
小六は四五
日前とう/\
兄の
所へ
引き
移つた
結果として、
今日の
障子の
張替を
手傳はなければならない
事となつた。
彼は
昔し
叔父の
家に
居た
時、
安之助と
一所になつて、
自分の
部屋の
唐紙を
張り
替へた
經驗がある。
其時は
糊を
盆に
溶いたり、
篦を
使つて
見たり、
大分本式に
遣り
出したが、
首尾好く
乾かして、いざ
元の
所へ
建てるといふ
段になると、二
枚とも
反つ
繰り
返つて
敷居の
溝へ
嵌まらなかつた。それから
是も
安之助と
共同して
失敗した
仕事であるが、
叔母の
云付けで、
障子を
張らせられたときには、
水道でざぶ/\
枠を
洗つたため、
矢張り
乾いた
後で、
惣體に
歪が
出來て
非常に
困難した。
「
姉さん、
障子を
張るときは、
餘程愼重にしないと
失策るです。
洗つちや
駄目ですぜ」と
云ひながら、
小六は
茶の
間の
縁側からびり/\
破き
始めた。
縁先は
右の
方に
小六のゐる六
疊が
折れ
曲つて、
左には
玄關が
突き
出してゐる。
其向ふを
塀が
縁と
平行に
塞いでゐるから、まあ
四角な
圍内と
云つて
可い。
夏になるとコスモスを
一面に
茂らして、
夫婦とも
毎朝露の
深い
景色を
喜んだ
事もあるし、
又塀の
下へ
細い
竹を
立てゝ、それへ
朝顏を
絡ませた
事もある。
其時は
起き
拔けに、
今朝咲いた
花の
數を
勘定し
合つて
二人が
樂にした。けれども
秋から
冬へ
掛けては、
花も
草も
丸で
枯れて
仕舞ふので、
小さな
砂漠見た
樣に、
眺めるのも
氣の
毒な
位淋しくなる。
小六は
此霜ばかり
降りた
四角な
地面を
脊にして、しきりに
障子の
紙を
剥がしてゐた。
時々寒い
風が
來て、
後から
小六の
坊主頭と
襟の
邊を
襲つた。
其度に
彼は
吹き
曝しの
縁から六
疊の
中へ
引つ
込みたくなつた。
彼は
赤い
手を
無言の
儘働らかしながら、
馬尻の
中で
雜巾を
絞つて
障子の
棧を
拭き
出した。
「
寒いでせう、
御氣の
毒さまね。
生憎御天氣が
時雨れたもんだから」と
御米が
愛想を
云つて、
鐵瓶の
湯を
注ぎ
注ぎ、
昨日た
糊を
溶いた。
小六は
實際こんな
用をするのを、
内心では
大いに
輕蔑してゐた。ことに
昨今自分が
已むなく
置かれた
境遇からして、
此際多少自己を
侮辱してゐるかの
觀を
抱いて
雜巾を
手にしてゐた。
昔し
叔父の
家で、
是と
同じ
事を
遣らせられた
時は、
暇潰しの
慰みとして、
不愉快どころか
却つて
面白かつた
記憶さへあるのに、
今ぢや
此位な
仕事より
外にする
能力のないものと、
強いて
周圍から
諦めさせられた
樣な
氣がして、
縁側の
寒いのが
猶のこと
癪に
觸つた。
それで
嫂には
快よい
返事さへ
碌にしなかつた。さうして
頭の
中で、
自分の
下宿にゐた
法科大學生が、
一寸散歩に
出る
序に、
資生堂へ
寄つて、
三つ
入りの
石鹸と
齒磨を
買ふのにさへ、五
圓近くの
金を
拂ふ
華奢を
思ひ
浮べた。すると
何うしても
自分一人がこんな
窮境に
陷るべき
理由がない
樣に
感ぜられた。それから、
斯んな
生活状態に
甘んじて
一生を
送る
兄夫婦が
如何にも
憫然に
見えた。
彼等は
障子を
張る
美濃紙を
買ふのにさへ
氣兼をしやしまいかと
思はれる
程、
小六から
見ると、
消極的な
暮し
方をしてゐた。
「
斯んな
紙ぢや、
又すぐ
破けますね」と
云ひながら、
小六は
卷いた
小口を一
尺ほど
日に
透かして、二三
度力任せに
鳴らした。
「さう? でも
宅ぢや
小供がないから、
夫程でもなくつてよ」と
答へた
御米は
糊を
含ました
刷毛を
取つてとん/\とんと
棧の
上を
渡した。
二人は
長く
繼いだ
紙を
双方から
引き
合つて、
成るべく
垂るみの
出來ない
樣に
力めたが、
小六が
時々面倒臭さうな
顏をすると、
御米はつい
遠慮が
出て、
好加減に
髮剃で
小口を
切り
落して
仕舞ふ
事もあつた。
從つて
出來上つたものには、
所々のぶく/\が
大分目に
付いた。
御米は
情なささうに、
戸袋に
立て
懸けた
張り
立ての
障子を
眺めた。さうして
心の
中で、
相手が
小六でなくつて、
夫であつたならと
思つた。
「
皺が
少し
出來たのね」
「
何うせ
僕の
御手際ぢや
旨くは
行かない」
「なに
兄さんだつて、さう
御上手ぢやなくつてよ。それに
兄さんは
貴方より
餘つ
程無精ね」
小六は
何にも
答へなかつた。
臺所から
清が
持つて
來た
含嗽茶碗を
受け
取つて、
戸袋の
前へ
立つて、
紙が
一面に
濡れる
程霧を
吹いた。二
枚目を
張つたときは、
先に
霧を
吹いた
分が
略乾いて
皺が
大方平らになつてゐた。三
枚目を
張つたとき、
小六は
腰が
痛くなつたと
云ひ
出した。
實を
云ふと
御米の
方は
今朝から
頭が
痛かつたのである。
「もう一
枚張つて、
茶の
間丈濟ましてから
休みませう」と
云つた。
茶の
間を
濟ましてゐるうちに
午になつたので、
二人は
食事を
始めた。
小六が
引き
移つてから
此四五日、
御米は
宗助のゐない
午飯を、
何時も
小六と
差向で
食べる
事になつた。
宗助と
一所になつて
以來、
御米の
毎日膳を
共にしたものは、
夫より
外になかつた。
夫の
留守の
時は、たゞ
獨り
箸を
執るのが
多年の
習慣であつた。だから
突然この
小舅と
自分の
間に
御櫃を
置いて、
互に
顏を
見合せながら、
口を
動かすのが、
御米に
取つては
一種異な
經驗であつた。それも
下女が
臺所で
働らいてゐるときは、
未だしもだが、
清の
影も
音もしないとなると、
猶の
事變に
窮屈な
感じが
起つた。
無論小六よりも
御米の
方が
年上であるし、
又從來の
關係から
云つても、
兩性を
絡み
付ける
艷つぽい
空氣は、
箝束的[#ルビの「けんそくてき」はママ]な
初期に
於てすら、
二人の
間に
起り
得べき
筈のものではなかつた。
御米は
小六と
差向に
膳に
着くときの
此氣ぶつせいな
心持が、
何時になつたら
消えるだらうと、
心の
中で
私に
疑ぐつた。
小六が
引き
移る
迄は、こんな
結果が
出やうとは、
丸で
氣が
付かなかつたのだから
猶更當惑した。
仕方がないから
成るべく
食事中に
話をして、
責めて
手持無沙汰な
隙間丈でも
補はうと
力めた。
不幸にして
今の
小六は、
此嫂の
態度に
對して
程の
好い
調子を
出す
丈の
餘裕と
分別を
頭の
中に
發見し
得なかつたのである。
「
小六さん、
下宿は
御馳走があつて」
こんな
質問に
逢ふと、
小六は
下宿から
遊びに
來た
時分の
樣に、
淡泊な
遠慮のない
答をする
譯に
行かなくなつた。
已を
得ず、
「なに
左うでもありません」ぐらゐにして
置くと、
其語氣がからりと
澄んでゐないので、
御米の
方では、
自分の
待遇が
惡い
所爲かと
解釋する
事もあつた。それが
又無言の
間に、
小六の
頭に
映る
事もあつた。
ことに
今日は
頭の
具合が
好くないので、
膳に
向つても、
御米は
何時もの
樣に
力めるのが
退儀であつた。
力めて
失敗するのは
猶厭であつた。それで
二人とも
障子を
張るときよりも
言葉少なに
食事を
濟ました。
午後は
手が
慣れた
所爲か、
朝に
比べると
仕事が
少し
果取つた。
然し
二人の
氣分は
飯前よりも
却つて
縁遠くなつた。ことに
寒い
天氣が
二人の
頭に
應へた。
起きた
時は、
日を
載せた
空が
次第に
遠退いて
行くかと
思れる
程に、
好く
晴れてゐたが、それが
眞蒼に
色づく
頃から
急に
雲が
出て、
暗い
中で
粉雪でも
釀してゐる
樣に、
日の
目を
密封した。
二人は
交る/″\
火鉢に
手を
翳した。
「
兄さんは
來年になると
月給が
上がるんでせう」
不圖小六が
斯んな
問を
御米に
掛けた。
御米は
其時疊の
上の
紙片を
取つて、
糊に
汚れた
手を
拭いてゐたが、
全く
思も
寄らないといふ
顏をした。
「
何うして」
「でも
新聞で
見ると、
來年から
一般に
官吏の
増俸があると
云ふ
話ぢやありませんか」
御米はそんな
消息を
全く
知らなかつた。
小六から
詳しい
説明を
聞いて、
始めて
成程と
首肯いた。
「
全くね。
是ぢや
誰だつて、
遣つて
行けないわ。
御肴の
切身なんか、
私が
東京へ
來てからでも、もう
倍になつてるんですもの」と
云つた。
肴の
切身の
値段になると
小六の
方が
全く
無識であつた。
御米に
注意されて
始めてそれ
程無暗に
高くなるものかと
思つた。
小六に
一寸した
好奇心の
出たため、
二人の
會話は
存外素直に
流れて
行つた。
御米は
裏の
家主の十八九
時代に
物價の
大變安かつた
話を、
此間宗助から
聞いた
通り
繰り
返した。
其時分は
蕎麥を
食ふにしても、
盛かけが八
厘、
種ものが二
錢五
厘であつた。
牛肉は
普通が
一人前四
錢でロースは六
錢であつた。
寄席は三
錢か四
錢であつた。
學生は
月に七
圓位國から
貰へば
中の
部であつた。十
圓も
取ると
既に
贅澤と
思はれた。
「
小六さんも、
其時分だと
譯なく
大學が
卒業出來たのにね」と
御米が
云つた。
「
兄さんも
其時分だと
大變暮し
易い
譯ですね」と
小六が
答へた。
座敷の
張易が
濟んだときにはもう三
時過になつた。さう
斯うしてゐるうちには、
宗助も
歸つて
來るし、
晩の
支度も
始めなくつてはならないので、
二人はこれを
一段落として、
糊や
髮剃を
片けた。
小六は
大きな
伸を
一つして、
握り
拳で
自分の
頭をこん/\と
叩いた。
「
何うも
御苦勞さま。
疲れたでせう」と
御米は
小六を
勞はつた。
小六は
夫よりも
口淋しい
思がした。
此間文庫を
屆けてやつた
禮に、
坂井から
呉れたと
云ふ
菓子を、
戸棚から
出して
貰つて
食べた。
御米は
御茶を
入れた。
「
坂井と
云ふ
人は
大學出なんですか」
「えゝ、
矢張左樣なんですつて」
小六は
茶を
飮んで
烟草を
吹いた。やがて、
「
兄さんは
増俸の
事をまだ
貴方に
話さないんですか」と
聞いた。
「いゝえ、
些とも」と
御米が
答へた。
「
兄さん
見た
樣になれたら
好いだらうな。
不平も
何もなくつて」
御米は
特別の
挨拶もしなかつた。
小六は
其儘起つて六
疊へ
這入つたが、やがて
火が
消えたと
云つて、
火鉢を
抱えて
又出て
來た。
彼は
兄の
家に
厄介になりながら、もう
少し
立てば
都合が
付くだらうと
慰めた
安之助の
言葉を
信じて、
學校は
表向休學の
體にして
一時の
始末をつけたのである。
裏の
坂井と
宗助とは
文庫が
縁になつて
思はぬ
關係が
付いた。
夫迄は
月に
一度此方から
清に
家賃を
持たして
遣ると、
向から
其受取を
寄こす
丈の
交渉に
過ぎなかつたのだから、
崖の
上に
西洋人が
住んでゐると
同樣で、
隣人としての
親みは、
丸で
存在してゐなかつたのである。
宗助が
文庫を
屆けた
日の
午後に、
坂井の
云つた
通り、
刑事が
宗助の
家の
裏手から
崖下を
檢べに
來たが、
其時坂井も
一所だつたので、
御米は
始めて
噂に
聞いた
家主の
顏を
見た。
髭のないと
思つたのに、
髭を
生やしてゐるのと、
自分なぞに
對しても、
存外丁寧な
言葉を
使ふのが、
御米には
少し
案外であつた。
「
貴方、
坂井さんは
矢つ
張り
髭を
生やしてゐてよ」と
宗助が
歸つたとき
御米はわざ/\
注意した。
それから
二日ばかりして、
坂井の
名刺を
添へた
立派な
菓子折を
持つて、
下女が
禮に
來たが、
先達ては
色々御世話になりまして、
難有う
存じます、
何れ
主人が
自身に
伺ふ
筈で
御座いますがと
云ひ
置いて、
歸つて
行つた。
其晩宗助は
到來の
菓子折の
葢を
開けて、
唐饅頭を
頬張りながら、
「
斯んなものを
呉れる
所をもつて
見ると、
夫程吝でもないやうだね。
他の
家の
子をブランコへ
乘せて
遣らないつて
云ふのは
嘘だらう」と
云つた。
御米も、
「
屹度嘘よ」と
坂井を
辯護した。
夫婦と
坂井とは
泥棒の
這入らない
前より、
是丈親しみの
度が
増した
樣なものゝ、それ
以上に
接近しやうと
云ふ
念は、
宗助の
頭にも
御米の
胸にも
宿らなかつた。
利害の
打算から
云へば
無論の
事、
單に
隣人の
交際とか
情誼とか
云ふ
點から
見ても、
夫婦はこれよりも
前進する
勇氣を
有たなかつたのである。もし
自然が
此儘に
無爲の
月日を
驅つたなら、
久しからぬうちに、
坂井は
昔の
坂井になり、
宗助は
元の
宗助になつて、
崖の
上と
崖の
下に
互の
家が
懸け
隔る
如く、
互の
心も
離れ
離れになつたに
違なかつた。
所がそれから
又二日置いて、
三日目の
暮れ
方に、
獺の
襟の
着いた
暖かさうな
外套を
着て、
突然坂井が
宗助の
所へ
遣つて
來た。
夜間客に
襲はれ
付けない
夫婦は、
輕微の
狼狽を
感じた
位驚ろかされたが、
座敷へ
上げて
話して
見ると、
坂井は
丁寧に
先日の
禮を
述べた
後、
「
御蔭で
取られた
品物が
又戻りましたよ」と
云ひながら、
白縮緬の
兵兒帶に
卷き
付けた
金鎖を
外して、
兩葢の
金時計を
出して
見せた。
規則だから
警察へ
屆ける
事は
屆けたが、
實は
大分古い
時計なので、
取られても
夫程惜くもない
位に
諦らめてゐたら、
昨日になつて、
突然差出人の
不明な
小包が
着いて、
其中にちやんと
自分の
失くしたのが
包んであつたんだと
云ふ。
「
泥棒も
持ち
扱かつたんでせう。それとも
餘り
金にならないんで、
已を
得ず
返して
呉れる
氣になつたんですかね。
何しろ
珍らしい
事で」と
坂井は
笑つてゐた。それから、
「
何私から
云ふと、
實はあの
文庫の
方が
寧ろ
大切な
品でしてね。
祖母が
昔し
御殿へ
勤めてゐた
時分、
戴いたんだとか
云つて、まあ
記念の
樣なものですから」と
云ふ
樣な
事も
説明して
聞かした。
其晩坂井はそんな
話を
約二
時間もして
歸つて
行つたが、
相手になつた
宗助も、
茶の
間で
聞いてゐた
御米も、
大變談話の
材料に
富んだ
人だと
思はぬ
譯に
行かなかつた。
後で、
「
世間の
廣い
方ね」と
御米が
評した。
「
閑だからさ」と
宗助が
解釋した。
次の
日宗助が
役所の
歸りがけに、
電車を
降りて
横町の
道具屋の
前迄來ると、
例の
獺の
襟を
着けた
坂井の
外套が
一寸眼に
着いた。
横顏を
徃來の
方へ
向けて、
主人を
相手に
何か
云つてゐる。
主人は
大きな
眼鏡を
掛けた
儘、
下から
坂井の
顏を
見上げてゐる。
宗助は
挨拶をすべき
折でもないと
思つたから、
其儘行き
過ぎやうとして、
店の
正面迄來ると、
坂井の
眼が
徃來へ
向いた。
「やあ
昨夜は。
今御歸りですか」と
氣輕に
聲を
掛けられたので、
宗助も
愛想なく
通り
過ぎる
譯にも
行かなくなつて、
一寸歩調を
緩めながら、
帽子を
取つた。すると
坂井は、
用はもう
濟んだと
云ふ
風をして、
店から
出て
來た。
「
何か
御求めですか」と
宗助が
聞くと、
「いえ、
何」と
答へた
儘、
宗助と
並んで
家の
方へ
歩き
出した。六七
間來たとき、
「あの
爺い、
中々猾い
奴ですよ。
華山の
[#「華山の」はママ]僞物を
持つて
來て
押付やうとしやがるから、
今叱り
付て
遣つたんです」と
云い
出した。
宗助は
始めて、
此坂井も
餘裕ある
人に
共通な
好事を
道樂にしてゐるのだと
心付いた。さうして
此間賣り
拂つた
抱一の
屏風も、
最初から
斯う
云ふ
人に
見せたら、
好かつたらうにと、
腹の
中で
考へた。
「あれは
書畫には
明るい
男なんですか」
「なに
書畫どころか、
丸で
何も
分らない
奴です。あの
店の
樣子を
見ても
分るぢやありませんか。
骨董らしいものは
一つも
並んでゐやしない。もとが
紙屑屋から
出世してあれ
丈になつたんですからね」
坂井は
道具屋の
素性を
能く
知つてゐた。
出入の
八百屋の
阿爺の
話によると、
坂井の
家は
舊幕の
頃何とかの
守と
名乘つたもので、
此界隈では
一番古い
門閥家なのださうである。
瓦解の
際、
駿府へ
引き
上げなかつたんだとか、
或は
引き
上げて
又出て
來たんだとか
云ふ
事も
耳にした
樣であるが、それは
判然宗助の
頭に
殘つてゐなかつた。
「
小さい
内から
惡戲ものでね。あいつが
餓鬼大將になつて
能く
喧譁をしに
行つた
事がありますよ」と
坂井は
御互の
子供の
時の
事迄一口洩らした。それが
又何うして
華山の
[#「華山の」はママ]贋物を
賣り
込まうと
巧んだのかと
聞くと、
坂井は
笑つて、
斯う
説明した。――
「なに
親父の
代から
贔屓にして
遣つてるものですから、
時々何だ
蚊だつて
持つて
來るんです。
所が
眼も
利かない
癖に、
只慾ばりたがつてね、まことに
取扱ひ
惡い
代物です。それについ
此間抱一の
屏風を
買つて
貰つて、
味を
占めたんでね」
宗助は
驚ろいた。けれども
話の
途中を
遮ぎる
譯に
行かなかつたので、
默つてゐた。
坂井は
道具屋がそれ
以來乘氣になつて、
自身に
分りもしない
書畫類をしきりに
持ち
込んで
來る
事やら、
大坂出來の
高麗燒を
本物だと
思つて、
大事に
飾つて
置いた
事やら
話した
末、
「まあ
臺所で
使ふ
食卓か、たか/″\
新の
鐵瓶位しか、
彼んな
所ぢや
買へたもんぢやありません」と
云つた。
其内二人は
坂の
上へ
出た。
坂井は
其所を
右へ
曲る、
宗助は
其所を
下へ
下りなければならなかつた。
宗助はもう
少し
一所に
歩いて、
屏風の
事を
聞きたかつたが、わざ/\
回り
路をするのも
變だと
心付いて、
夫なり
分れた。
分れる
時、
「
近い
中御邪魔に
出ても
宣う
御座いますか」と
聞くと、
坂井は、
「どうぞ」と
快よく
答へた。
其日は
風もなく
一仕切日も
照つたが、
家にゐると
底冷のする
寒さに
襲はれるとか
云つて、
御米はわざ/\
置炬燵に
宗助の
着物を
掛けて、それを
座敷の
眞中に
据ゑて、
夫の
歸りを
待ち
受けてゐた。
此冬になつて、
晝のうち
炬燵を
拵らえたのは、
其日が
始めてゞあつた。
夜は
疾うから
用ひてゐたが、
何時も六
疊に
置く
丈であつた。
「
座敷の
眞中にそんなものを
据ゑて、
今日は
何うしたんだい」
「でも、
御客も
何もないから
可いでせう。だつて六
疊の
方は
小六さんが
居て、
塞がつてゐるんですもの」
宗助は
始めて
自分の
家に
小六の
居る
事に
氣が
付いた。
襯衣の
上から
暖かい
紡績織を
掛けて
貰つて、
帶をぐる/\
卷き
付けたが、
「こゝは
寒帶だから
炬燵でも
置かなくつちや
凌げない」と
云つた。
小六の
部屋になつた六
疊は、
疊こそ
奇麗でないが、
南と
東が
開いてゐて、
家中で
一番暖かい
部屋なのである。
宗助は
御米の
汲んで
來た
熱い
茶を
湯呑から
二口程飮んで、
「
小六はゐるのかい」と
聞いた。
小六は
固より
居た
筈である。けれども六
疊はひつそりして
人のゐる
樣にも
思はれなかつた。
御米が
呼びに
立たうとするのを、
用はないから
可いと
留めた
儘、
宗助は
炬燵蒲團の
中へ
潛り
込んで、すぐ
横になつた。
一方口に
崖を
控えてゐる
座敷には、もう
暮方の
色が
萠してゐた。
宗助は
手枕をして、
何を
考へるともなく、たゞ
此暗く
狹い
景色を
眺めてゐた。すると
御米と
清が
臺所で
働く
音が、
自分に
關係のない
隣の
人の
活動の
如くに
聞えた。そのうち、
障子丈がたゞ
薄白く
宗助の
眼に
映る
樣に、
部屋の
中が
暮れて
來た。
彼はそれでも
凝として
動かずにゐた。
聲を
出して
洋燈の
催促もしなかつた。
彼が
暗い
所から
出て、
晩食の
膳に
着いた
時は、
小六も六
疊から
出て
來て、
兄の
向ふに
坐つた。
御米は
忙しいので、つい
忘れたと
云つて、
座敷の
戸を
締めに
立つた。
宗助は
弟に
夕方になつたら、ちと
洋燈を
點けるとか、
戸を
閉てるとかして、
忙しい
姉の
手傳でもしたら
好からうと
注意したかつたが、
昨今引き
移つた
許のものに、
氣まづい
事を
云ふのも
惡からうと
思つて
已めた。
御米が
座敷から
歸つて
來るのを
待つて、
兄弟は
始めて
茶碗に
手を
着けた。
其時宗助は
漸く
今日役所の
歸りがけに、
道具屋の
前で
坂井に
逢つた
事と、
坂井があの
大きな
眼鏡を
掛けてゐる
道具屋から、
抱一の
屏風を
買つたと
云ふ
話をした。
御米は、
「まあ」と
云つたなり、しばらく
宗助の
顏を
見てゐた。
「ぢや
屹度あれよ。
屹度あれに
違ないわね」
小六は
始めのうち
何にも
口を
出さなかつたが、
段々兄夫婦の
話を
聞いてゐるうちに、
略關係が
明暸になつたので、
「
全體幾何で
賣つたのです」と
聞いた。
御米は
返事をする
前に
一寸夫の
顏を
見た。
食事が
終ると、
小六はぢきに六
疊へ
這入つた。
宗助は
又炬燵へ
歸つた。しばらくして
御米も
足を
温めに
來た。さうして
次の
土曜か
日曜には
坂井へ
行つて、
一つ
屏風を
見て
來たら
可いだらうと
云ふ
樣な
事を
話し
合つた。
次の
日曜になると、
宗助は
例の
通り一
週に一
返の
樂寐を
貪ぼつたため、
午前半日をとう/\
空に
潰して
仕舞つた。
御米は
又頭が
重いとか
云つて、
火鉢の
縁に
倚りかゝつて、
何をするのも
懶さうに
見えた。
斯んな
時に六
疊が
空いてゐれば、
朝からでも
引込む
場所があるのにと
思ふと、
宗助は
小六に六
疊を
宛てがつた
事が、
間接に
御米の
避難場を
取り
上げたと
同じ
結果に
陷るので、ことに
濟まない
樣な
氣がした。
心持が
惡ければ、
座敷へ
床を
敷いて
寐たら
好からうと
注意しても、
御米は
遠慮して
容易に
應じなかつた。それでは
又炬燵でも
拵えたら
何うだ、
自分も
當るからと
云つて、とう/\
櫓と
掛蒲團を
清に
云ひ
付けて、
座敷へ
運ばした。
小六は
宗助が
起きる
少し
前に、
何處かへ
出て
行つて、
今朝は
顏さへ
見せなかつた。
宗助は
御米に
向つて
別段其行先を
聞き
糺しもしなかつた。
此頃では
小六に
關係した
事を
云ひ
出して、
御米に
其返事をさせるのが
氣の
毒になつて
來た。
御米の
方から、
進んで
弟の
讒訴でもする
樣だと、
叱るにしろ、
慰さめるにしろ、
却つて
始末が
好いと
考へる
時もあつた。
午になつても
御米は
炬燵から
出なかつた。
宗助は
一層靜かに
寐かして
置く
方が
身體のために
可からうと
思つたので、そつと
臺所へ
出て、
清に
一寸上の
坂井迄行つてくるからと
告げて、
不斷着の
上へ、
袂の
出る
短いイン
ネスを
纏つて
表へ
出た。
今迄陰氣な
室にゐた
所爲か、
通へ
來ると
急にからりと
氣が
晴れた。
肌の
筋肉が
寒い
風に
抵抗して、
一時に
緊縮する
樣な
冬の
心持の
鋭どく
出るうちに、ある
快感を
覺えたので、
宗助は
御米もあゝ
家にばかり
置いては
善くない、
氣候が
好くなつたら、ちと
戸外の
空氣を
呼吸させる
樣にしてやらなくては
毒だと
思ひながら
歩いた。
坂井の
家の
門を
入つたら、
玄關と
勝手口の
仕切になつてゐる
生垣の
目に、
冬に
似合はないぱつとした
赤いものが
見えた。
傍へ
寄つてわざ/\
檢べると、それは
人形に
掛ける
小さい
夜具であつた。
細い
竹を
袖に
通して、
落ちない
樣に、
扇骨木の
枝に
寄せ
掛けた
手際が、
如何にも
女の
子の
所作らしく
殊勝に
思はれた。かう
云ふ
惡戯をする
年頃の
娘は
固よりの
事、
子供と
云ふ
子供を
育て
上げた
經驗のない
宗助は、
此小さい
赤い
夜具の
尋常に
日に
干してある
有樣をしばらく
立つて
眺めてゐた。さうして二十
年も
昔に
父母が、
死んだ
妹の
爲に
飾つた、
赤い
雛段と
五人囃と、
模樣の
美くしい
干菓子と、それから
甘い
樣で
辛い
白酒を
思ひ
出した。
坂井の
主人は
在宅ではあつたけれども、
食事中だと
云ふので、しばらく
待たせられた。
宗助は
座に
着くや
否や、
隣の
室で
小さい
夜具を
干した
人達の
騷ぐ
聲を
耳にした。
下女が
茶を
運ぶために
襖を
開けると、
襖の
影から
大きな
眼が
四つ
程既に
宗助を
覗いてゐた。
火鉢を
持つて
出ると、
其後から
又違つた
顏が
見えた。
始めての
所爲か、
襖の
開閉の
度に
出る
顏が
悉く
違つてゐて、
子供の
數が
何人あるか
分らない
樣に
思はれた。
漸く
下女が
退がりきりに
退がると、
今度は
誰だか
唐紙を
一寸程細目に
開けて、
黒い
光る
眼丈を
其間から
出した。
宗助も
面白くなつて、
默つて
手招ぎをして
見た。すると
唐紙をぴたりと
閉てゝ、
向ふ
側で
三四人が
聲を
合して
笑ひ
出した。
やがて
一人の
女の
子が、
「よう、
御姉樣又何時もの
樣に
叔母さんごつこ
爲ませうよ」と
云ひ
出した。すると
姉らしいのが、
「えゝ、
今日は
西洋の
叔母さんごつこよ。
東作さんは
御父さまだからパパで、
雪子さんは
御母さまだからママつて
云ふのよ。
可くつて」と
説明した。
其時又別の
聲で、
「
可笑しいわね。ママだつて」と
云つて
嬉しさうに
笑つたものがあつた。
「
私夫でも
何時も
御祖母さまなのよ。
御祖母さまの
西洋の
名がなくつちや
不可ないわねえ。
御祖母さまは
何て
云ふの」と
聞いたものもあつた。
「
御祖母さまは
矢つ
張りバヾで
可いでせう」と
姉が
又説明した。
夫から
當分の
間は、
御免下さいましだの、
何方から
入らつしやいましたのと
盛に
挨拶の
言葉が
交換されてゐた。
其間にはちりん/\と
云ふ
電話の
假聲も
交つた。
凡てが
宗助には
陽氣で
珍らしく
聞えた。
其所へ
奧の
方から
足音がして、
主人が
此方へ
出て
來たらしかつたが、
次の
間へ
入るや
否や、
「さあ、
御前達は
此所で
騷ぐんぢやない。
彼方へ
行つて
御出。
御客さまだから」と
制した。
其時、
誰だかすぐに、
「
厭だよ。
御父つちやんべい。
大きい
御馬買つて
呉れなくつちや、
彼方へ
行かないよ」と
答へた。
聲は
小さい
男の
子の
聲であつた。
年が
行かない
爲か、
舌が
能く
回らないので、
抗辯のしやうが
如何にも
億劫で
手間が
掛かつた。
宗助は
其所を
特に
面白く
思つた。
主人が
席に
着いて、
長い
間待たした
失禮を
詫びてゐる
間に、
子供は
遠くへ
行つて
仕舞つた。
「
大變御賑やかで
結構です」と
宗助が
今自分の
感じた
通を
述べると、
主人はそれを
愛嬌と
受取つたものと
見えて、
「いや
御覽の
如く
亂雜な
有樣で」と
言譯らしい
返事をしたが、それを
緒に、
子供の
世話の
燒けて、
夥だしく
手の
掛る
事などを
色々宗助に
話して
聞かした。
其中で
綺麗な
支那製の
花籃のなかへ
炭團を
一杯盛つて
床の
間に
飾つたと
云ふ
滑稽と、
主人の
編上の
靴のなかへ
水を
汲み
込んで、
金魚を
放したと
云ふ
惡戲が、
宗助には
大變耳新しかつた。
然し、
女の
子が
多いので
服裝に
物が
要るとか、
二週間も
旅行して
歸つてくると、
急にみんなの
脊が
一寸づゝも
伸びてゐるので、
何だか
後から
追ひ
付かれる
樣な
心持がするとか、もう
少しすると、
嫁入の
支度で
忙殺されるのみならず、
屹度貧殺されるだらうとか
云ふ
話になると、
子供のない
宗助の
耳には
夫程の
同情も
起し
得なかつた。
却つて
主人が
口で
子供を
煩冗がる
割に、
少しもそれを
苦にする
樣子の
顏にも
態度にも
見えないのを
羨ましく
思つた。
好い
加減な
頃を
見計つて
宗助は、
先達て
話のあつた
屏風を
一寸見せて
貰へまいかと、
主人に
申し
出た。
主人は
早速引き
受けて、ぱち/\と
手を
鳴らして、
召使を
呼んだが、
藏の
中に
仕舞つてあるのを
取り
出して
來る
樣に
命じた。さうして
宗助の
方を
向いて、
「つい
二三日前迄其所へ
立てゝ
置いたのですが、
例の
子供が
面白半分にわざと
屏風の
影へ
集まつて、
色々な
惡戲をするものですから、
傷でも
付けられちや
大變だと
思つて
仕舞ひ
込んでしまひました」と
云つた。
宗助は
主人の
此言葉を
聞いた
時、
今更手數をかけて、
屏風を
見せて
貰ふのが、
氣の
毒にもなり、
又面倒にもなつた。
實を
云ふと
彼の
好奇心は、
夫程強くなかつたのである。
成程一旦他の
所有に
歸したものは、たとひ
元が
自分のであつたにしろ、
無かつたにしろ、
其所を
突き
留めた
所で、
實際上には
何の
効果もない
話に
違なかつた。
けれども、
屏風は
宗助の
申し
出た
通り、
間もなく
奧から
縁傳ひに
運び
出されて、
彼の
眼の
前に
現れた。さうして
夫が
豫想通りつい
此間迄自分の
座敷に
立てゝあつた
物であつた。
此事實を
發見した
時、
宗助の
頭には、
是と
云つて
大した
感動も
起らなかつた。たゞ
自分が
今坐つてゐる
疊の
色や、
天井の
柾目や、
床の
置物や、
襖の
模樣などの
中に、
此屏風を
立てて
見て、
夫に、
召使が
二人がゝりで、
藏の
中から
大事さうに
取り
出して
來たと
云ふ
所作を
付け
加へて
考へると、
自分が
持