門
夏目漱石
宗助は
先刻から
縁側へ
坐蒲團を
持ち
出して
日當りの
好ささうな
所へ
氣樂に
胡坐をかいて
見たが、やがて
手に
持つてゐる
雜誌を
放り
出すと
共に、ごろりと
横になつた。
秋日和と
名のつく
程の
上天氣なので、
徃來を
行く
人の
下駄の
響が、
靜かな
町丈に、
朗らかに
聞えて
來る。
肱枕をして
軒から
上を
見上ると、
奇麗な
空が
一面に
蒼く
澄んでゐる。
其空が
自分の
寐てゐる
縁側の
窮屈な
寸法に
較べて
見ると、
非常に
廣大である。たまの
日曜に
斯うして
緩くり
空を
見る
丈でも
大分違ふなと
思ひながら、
眉を
寄せて、ぎら/\する
日を
少時見詰めてゐたが、
眩しくなつたので、
今度はぐるりと
寐返りをして
障子の
方を
向いた。
障子の
中では
細君が
裁縫をしてゐる。
「おい、
好い
天氣だな」と
話し
掛けた。
細君は、
「えゝ」と
云つたなりであつた。
宗助も
別に
話がしたい
譯でもなかつたと
見えて、
夫なり
默つて
仕舞つた。しばらくすると
今度は
細君の
方から、
「ちつと
散歩でも
爲て
入らつしやい」と
云つた。
然し
其時は
宗助が
唯うんと
云ふ
生返事を
返した
丈であつた。
二三
分して、
細君は
障子の
硝子の
所へ
顏を
寄せて、
縁側に
寐てゐる
夫の
姿を
覗いて
見た。
夫はどう
云ふ
了見か
兩膝を
曲げて
海老の
樣に
窮屈になつてゐる。さうして
兩手を
組み
合はして、
其中へ
黒い
頭を
突つ
込んでゐるから、
肱に
挾まれて
顏がちつとも
見えない。
「
貴方そんな
所へ
寐ると
風邪引いてよ」と
細君が
注意した。
細君の
言葉は
東京の
樣な、
東京でない
樣な、
現代の
女學生に
共通な
一種の
調子を
持つてゐる。
宗助は
兩肱の
中で
大きな
眼をぱち/\させながら、
「
寐やせん、
大丈夫だ」と
小聲で
答へた。
夫から
又靜かになつた。
外を
通る
護謨車のベルの
音が二三
度鳴つた
後から、
遠くで
鷄の
時音をつくる
聲が
聞えた。
宗助は
仕立卸しの
紡績織の
脊中へ、
自然と
浸み
込んで
來る
光線の
暖味を、
襯衣の
下で
貪ぼる
程味ひながら、
表の
音を
聽くともなく
聽いてゐたが、
急に
思ひ
出した
樣に、
障子越しの
細君を
呼んで、
「
御米、
近來の
近の
字はどう
書いたつけね」と
尋ねた。
細君は
別に
呆れた
樣子もなく、
若い
女に
特有なけたゝましい
笑聲も
立てず、
「
近江の
おほの
字ぢやなくつて」と
答へた。
「
其近江の
おほの
字が
分らないんだ」
細君は
立て
切つた
障子を
半分ばかり
開けて、
敷居の
外へ
長い
物指を
出して、
其先で
近の
字を
縁側へ
書いて
見せて、
「
斯うでしやう」と
云つた
限、
物指の
先を、
字の
留つた
所へ
置いたなり、
澄み
渡つた
空を
一しきり
眺め
入つた。
宗助は
細君の
顏も
見ずに、
「
矢つ
張り
左樣か」と
云つたが、
冗談でもなかつたと
見えて、
別に
笑もしなかつた。
細君も
近の
字は
丸で
氣にならない
樣子で、
「
本當に
好い
御天氣だわね」と
半ば
獨り
言の
樣に
云ひながら、
障子を
開けた
儘又裁縫を
始めた。すると
宗助は
肱で
挾んだ
頭を
少し
擡げて、
「
何うも
字と
云ふものは
不思議だよ」と
始めて
細君の
顏を
見た。
「
何故」
「
何故つて、
幾何容易い
字でも、こりや
變だと
思つて
疑ぐり
出すと
分らなくなる。
此間も
今日の
今の
字で
大變迷つた。
紙の
上へちやんと
書いて
見て、ぢつと
眺めてゐると、
何だか
違つた
樣な
氣がする。
仕舞には
見れば
見る
程今らしくなくなつて
來る。――
御前そんな
事を
經驗した
事はないかい」
「まさか」
「
己丈かな」と
宗助は
頭へ
手を
當てた。
「
貴方何うかして
入らつしやるのよ」
「
矢つ
張り
神經衰弱の
所爲かも
知れない」
「
左樣よ」と
細君は
夫の
顏を
見た。
夫は
漸く
立ち
上つた。
針箱と
糸屑の
上を
飛び
越す
樣に
跨いで
茶の
間の
襖を
開けると、すぐ
座敷である。
南が
玄關で
塞がれてゐるので、
突き
當りの
障子が、
日向から
急に
這入つて
來た
眸には、うそ
寒く
映つた。
其所を
開けると、
廂に
逼る
樣な
勾配の
崖が、
縁鼻から
聳えてゐるので、
朝の
内は
當つて
然るべき
筈の
日も
容易に
影を
落さない。
崖には
草が
生えてゐる。
下からして
一側も
石で
疊んでないから、
何時壞れるか
分らない
虞があるのだけれども、
不思議にまだ
壞れた
事がないさうで、その
爲か
家主も
長い
間昔の
儘にして
放つてある。
尤も
元は
一面の
竹藪だつたとかで、それを
切り
開く
時に
根丈は
掘り
返さずに
土堤の
中に
埋て
置いたから、
地は
存外緊つてゐますからねと、
町内に二十
年も
住んでゐる
八百屋の
爺が
勝手口でわざ/\
説明して
呉れた
事がある。
其時宗助はだつて
根が
殘つてゐれば、
又竹が
生えて
藪になりさうなものぢやないかと
聞き
返して
見た。すると
爺は、それがね、あゝ
切り
開かれて
見ると、さう
甘く
行くもんぢやありませんよ。
然し
崖丈は
大丈夫です。どんな
事があつたつて
壞えつこはねえんだからと、
恰も
自分のものを
辯護でもする
樣に
力んで
歸つて
行つた。
崖は
秋に
入つても
別に
色づく
樣子もない。たゞ
青い
草の
匂が
褪めて、
不揃にもぢや/\する
許である。
薄だの
蔦だのと
云ふ
洒落たものに
至つては
更に
見當らない。
其代り
昔の
名殘りの
孟宗が
中途に二
本、
上の
方に三
本程すつくりと
立つてゐる。
夫が
多少黄に
染まつて、
幹に
日の
射すときなぞは、
軒から
首を
出すと、
土手の
上に
秋の
暖味を
眺められる
樣な
心持がする。
宗助は
朝出て
四時過に
歸る
男だから、
日の
詰る
此頃は、
滅多に
崖の
上を
覗く
暇を
有たなかつた。
暗い
便所から
出て、
手水鉢の
水を
手に
受けながら、
不圖廂の
外を
見上げた
時、
始めて
竹の
事を
思ひ
出した。
幹の
頂に
濃かな
葉が
集まつて、
丸で
坊主頭の
樣に
見える。それが
秋の
日に
醉つて
重く
下を
向いて、
寂そりと
重なつた
葉が一
枚も
動かない。
宗助は
障子を
閉てゝ
座敷へ
歸つて、
机の
前へ
坐つた。
座敷とは
云ひながら
客を
通すから
左樣名づける
迄で、
實は
書齋とか
居間とか
云ふ
方が
穩當である。
北側に
床があるので、
申譯の
爲に
變な
軸を
掛けて、
其前に
朱泥の
色をした
拙な
花活が
飾つてある。
欄間には
額も
何もない。
唯眞鍮の
折釘丈が二
本光つてゐる。
其他には
硝子戸の
張つた
書棚が
一つある。けれども
中には
別に
是と
云つて
目立つ
程の
立派なものも
這入つてゐない。
宗助は
銀金具の
付いた
机の
抽出を
開けて
頻に
中を
檢べ
出したが、
別に
何も
見付け
出さないうちに、はたりと
締めて
仕舞つた。
夫から
硯箱の
葢を
取つて、
手紙を
書き
始めた。一
本書いて
封をして、
一寸考へたが、
「おい、
佐伯のうちは
中六番町何番地だつたかね」と
襖越に
細君に
聞いた。
「二十五
番地ぢやなくつて」と
細君は
答へたが、
宗助が
名宛を
書き
終る
頃になつて、
「
手紙ぢや
駄目よ、
行つて
能く
話をして
來なくつちや」と
付け
加へた。
「まあ、
駄目迄も
手紙を一
本出して
置かう。
夫で
不可なかつたら
出掛けるとするさ」と
云ひ
切つたが、
細君が
返事をしないので、
「ねぇ、おい、
夫で
好いだらう」と
念を
押した。
細君は
惡いとも
云ひ
兼たと
見えて、
其上爭ひもしなかつた。
宗助は
郵便を
持つた
儘、
座敷から
直ぐ
玄關に
出た。
細君は
夫の
足音を
聞いて
始めて、
座を
立つたが、
是は
茶の
間の
縁傳ひに
玄關に
出た。
「
一寸散歩に
行つて
來るよ」
「
行つて
入らつしやい」と
細君は
微笑しながら
答へた。
三十
分許して
格子ががらりと
開いたので、
御米は
又裁縫の
手を
已めて、
縁傳ひに
玄關へ
出て
見ると、
歸つたと
思ふ
宗助の
代りに、
高等學校の
制帽を
被つた、
弟の
小六が
這入つて
來た。
袴の
裾が五六
寸しか
出ない
位の
長い
黒羅紗のマントの
釦を
外しながら、
「
暑い」と
云つてゐる。
「だつて
餘まりだわ。
此御天氣にそんな
厚いものを
着て
出るなんて」
「
何、
日が
暮れたら
寒いだらうと
思つて」と
小六は
云譯を
半分しながら、
嫂の
後に
跟いて、
茶の
間へ
通つたが、
縫ひ
掛けてある
着物へ
眼を
着けて、
「
相變らず
精が
出ますね」と
云つたなり、
長火鉢の
前へ
胡坐をかいた。
嫂は
裁縫を
隅の
方へ
押し
遺つて
置いて、
小六の
向へ
來て、
一寸鐵瓶を
卸して
炭を
繼ぎ
始めた。
「
御茶なら
澤山です」と
小六が
云つた。
「
厭?」と
女學生流に
念を
押した
御米は、
「ぢや
御菓子は」と
云つて
笑ひかけた。
「
有るんですか」と
小六が
聞いた。
「いゝえ、
無いの」と
正直に
答へたが、
思ひ
出した
樣に、「
待つて
頂戴、
有るかも
知れないわ」と
云ひながら
立ち
上がる
拍子に、
横にあつた
炭取を
取り
退けて、
袋戸棚を
開けた。
小六は
御米の
後姿の、
羽織が
帶で
高くなつた
邊を
眺めてゐた。
何を
探すのだか
中々手間が
取れさうなので、
「ぢや
御菓子も
廢しにしませう。それよりか、
今日は
兄さんは
何うしました」と
聞いた。
「
兄さんは
今一寸」と
後向の
儘答へて、
御米は
矢張り
戸棚の
中を
探してゐる。やがてぱたりと
戸を
締めて、
「
駄目よ。
何時の
間にか
兄さんがみんな
食べて
仕舞つた」と
云ひながら、
又火鉢の
向へ
歸つて
來た。
「ぢや
晩に
何か
御馳走なさい」
「えゝ
爲てよ」と
柱時計を
見ると、もう
四時近くである。
御米は「
四時、
五時、
六時」と
時間を
勘定した。
小六は
默つて
嫂の
顏を
見てゐた。
彼は
實際嫂の
御馳走には
餘り
興味を
持ち
得なかつたのである。
「
姉さん、
兄さんは
佐伯へ
行つて
呉れたんですかね」と
聞いた。
「
此間から
行く
行くつて
云つてる
事は
云つてるのよ。だけど、
兄さんも
朝出て
夕方に
歸るんでせう。
歸ると
草臥れちまつて、
御湯に
行くのも
大儀さうなんですもの。だから、さう
責めるのも
實際御氣の
毒よ」
「そりや
兄さんも
忙がしいには
違なからうけれども、
僕もあれが
極まらないと
氣掛りで
落ち
付いて
勉強も
出來ないんだから」と
云ひながら、
小六は
眞鍮の
火箸を
取つて
火鉢の
灰の
中へ
何かしきりに
書き
出した。
御米は
其動く
火箸の
先を
見てゐた。
「だから
先刻手紙を
出して
置いたのよ」と
慰める
樣に
云つた。
「
何て」
「そりや
私もつい
見なかつたの。けれども、
屹度あの
相談よ。
今に
兄さんが
歸つて
來たら
聞いて
御覽なさい。
屹度左樣よ」
「もし
手紙を
出したのなら、
其用には
違ないでせう」
「えゝ、
本當に
出したのよ。
今兄さんが
其手紙を
持つて、
出しに
行つた
所なの」
小六はこれ
以上辯解の
樣な
慰藉の
樣な
嫂の
言葉に
耳を
借したくなかつた。
散歩に
出る
閑があるなら、
手紙の
代りに
自分で
足を
運んで
呉れたらよささうなものだと
思ふと
餘り
好い
心持でもなかつた。
座敷へ
來て、
書棚の
中から
赤い
表紙の
洋書を
出して、
方々頁を
剥つて
見てゐた。
其所に
氣の
付かなかつた
宗助は、
町の
角迄來て、
切手と「
敷島」を
同じ
店で
買つて、
郵便丈はすぐ
出したが、
其足で
又同じ
道を
戻るのが
何だか
不足だつたので、
啣え
烟草の
烟を
秋の
日に
搖つかせながら、ぶら/\
歩いてゐるうちに、どこか
遠くへ
行つて、
東京と
云ふ
所はこんな
所だと
云ふ
印象をはつきり
頭の
中へ
刻み
付けて、さうして
夫を
今日の
日曜の
土産に
家へ
歸つて
寐やうと
云ふ
氣になつた。
彼は
年來東京の
空氣を
吸つて
生きてゐる
男であるのみならず、
毎日役所の
行通には
電車を
利用して、
賑やかな
町を二
度づゝは
屹度徃つたり
來たりする
習慣になつてゐるのではあるが、
身體と
頭に
樂がないので、
何時でも
上の
空で
素通りをする
事になつてゐるから、
自分が
其賑やかな
町の
中に
活てゐると
云ふ
自覺は
近來頓と
起つた
事がない。
尤も
平生は
忙がしさに
追はれて、
別段氣にも
掛からないが、
七日に一
返の
休日が
來て、
心がゆつたりと
落ち
付ける
機會に
出逢ふと、
不斷の
生活が
急にそわ/\した
上調子に
見えて
來る。
必竟自分は
東京の
中に
住みながら、ついまだ
東京といふものを
見た
事がないんだといふ
結論に
到着すると、
彼は
其所に
何時も
妙な
物淋しさを
感ずるのである。
さう
云ふ
時には
彼は
急に
思ひ
出した
樣に
町へ
出る。
其上懷に
多少餘裕でもあると、
是で
一つ
豪遊でもして
見樣かと
考へる
事もある。けれども
彼の
淋しみは、
彼を
思ひ
切つた
極端に
驅り
去る
程に、
強烈の
程度なものでないから、
彼が
其所迄猛進する
前に、それも
馬鹿々々しくなつて
已めて
仕舞ふ。のみならず、
斯んな
人の
常態として、
紙入の
底が
大抵の
場合には、
輕擧を
戒める
程度内に
膨らんでゐるので、
億劫な
工夫を
凝すよりも、
懷手をして、ぶらりと
家へ
歸る
方が、つい
樂になる。だから
宗助の
淋しみは
單なる
散歩か
觀工場縱覽位な
所で、
次の
日曜迄は
何うか
斯うか
慰藉されるのである。
此日も
宗助は
兎も
角もと
思つて
電車へ
乘つた。
所が
日曜の
好天氣にも
拘らず、
平常よりは
乘客が
少ないので
例になく
乘心地が
好かつた。
其上乘客がみんな
平和な
顏をして、どれもこれも
悠たりと
落付いてゐる
樣に
見えた。
宗助は
腰を
掛けながら、
毎朝例刻に
先を
爭つて
席を
奪ひ
合ひながら、
丸の
内方面へ
向ふ
自分の
運命を
顧みた。
出勤刻限の
電車の
道伴程殺風景なものはない。
革にぶら
下がるにしても、
天鵞絨に
腰を
掛けるにしても、
人間的な
優しい
心持の
起つた
試は
未だ
甞てない。
自分も
夫で
澤山だと
考へて、
器械か
何ぞと
膝を
突き
合せ
肩を
並べたかの
如くに、
行きたい
所迄同席して
不意と
下りて
仕舞ふ
丈であつた。
前の
御婆さんが
八つ
位になる
孫娘の
耳の
所へ
口を
付けて
何か
云つてゐるのを、
傍に
見てゐた三十
恰好の
商家の
御神さんらしいのが、
可愛らしがつて、
年を
聞いたり
名を
尋ねたりする
所を
眺めてゐると、
今更ながら
別の
世界に
來た
樣な
心持がした。
頭の
上には
廣告が
一面に
枠に
嵌めて
掛けてあつた。
宗助は
平生これにさへ
氣が
付かなかつた。
何心なしに一
番目のを
讀んで
見ると、
引越は
容易に
出來ますと
云ふ
移轉會社の
引札であつた。
其次には
經濟を
心得る
人は、
衞生に
注意する
人は、
火の
用心を
好むものは、と三
行に
並べて
置いて
其後に
瓦斯竈を
使へと
書いて、
瓦斯竈から
火の
出てゐる
畫迄添へてあつた。三
番目には
露國文豪トルストイ
伯傑作「
千古の
雪」と
云ふのと、バンカラ
喜劇小辰大一座と
云ふのが、
赤地に
白で
染め
拔いてあつた。
宗助は
約十
分も
掛かつて
凡ての
廣告を
丁寧に三
返程讀み
直した。
別に
行つて
見やうと
思ふものも、
買つて
見たいと
思ふものも
無かつたが、たゞ
是等の
廣告が
判然と
自分の
頭に
映つて、さうして
夫を
一々讀み
終せた
時間のあつた
事と、それを
悉く
理解し
得たと
云ふ
心の
餘裕が、
宗助には
少なからぬ
滿足を
與へた。
彼の
生活は
是程の
餘裕にすら
誇りを
感ずる
程に、
日曜以外の
出入りには、
落ち
付いてゐられないものであつた。
宗助は
駿河臺下で
電車を
降りた。
降りるとすぐ
右側の
窓硝子の
中に
美しく
並べてある
洋書に
眼が
付いた。
宗助はしばらく
其前に
立つて、
赤や
青や
縞や
模樣の
上に、
鮮かに
叩き
込んである
金文字を
眺めた。
表題の
意味は
無論解るが、
手に
取つて、
中を
檢べて
見やうといふ
好奇心はちつとも
起らなかつた。
本屋の
前を
通ると、
屹度中へ
這入つて
見たくなつたり、
中へ
這入ると
必ず
何か
欲しくなつたりするのは、
宗助から
云ふと、
既に
一昔し
前の
生活である。たゞ
History of Gambling(
博奕史)と
云ふのが、
殊更に
美裝して、
一番眞中に
飾られてあつたので、それが
幾分か
彼の
頭に
突飛な
新し
味を
加へた
丈であつた。
宗助は
微笑しながら、
急忙しい
通りを
向側へ
渡つて、
今度は
時計屋の
店を
覗き
込んだ。
金時計だの
金鎖が
幾つも
並べてあるが、
是もたゞ
美しい
色や
恰好として、
彼の
眸に
映る
丈で、
買ひたい
了簡を
誘致するには
至らなかつた。
其癖彼は
一々絹糸で
釣るした
價格札を
讀んで、
品物と
見較べて
見た。さうして
實際金時計の
安價なのに
驚ろいた。
蝙蝠傘屋の
前にも
一寸立ち
留まつた。
西洋小間物を
賣る
店先では、
禮帽の
傍に
懸けてあつた
襟飾りに
眼が
付いた。
自分の
毎日掛けてゐるのよりも
大變柄が
好かつたので、
價を
聞いて
見樣かと
思つて、
半分店の
中へ
這入りかけたが、
明日から
襟飾りなどを
懸け
替た
所が
下らない
事だと
思ひ
直すと、
急に
蟇口の
口を
開けるのが
厭になつて
行き
過ぎた。
呉服店でも
大分立見をした。
鶉御召だの、
高貴織だの、
清凌織だの、
自分の
今日迄知らずに
過ぎた
名を
澤山覺えた。
京都の
襟新と
云ふ
家の
出店の
前で、
窓硝子へ
帽子の
鍔を
突き
付ける
樣に
近く
寄せて、
精巧に
刺繍をした
女の
半襟を、いつ
迄も
眺めてゐた。その
中に
丁度細君に
似合さうな
上品なのがあつた。
買つて
行つて
遣らうかといふ
氣が
一寸起るや
否や、そりや五六
年前の
事だと
云ふ
考が
後から
出て
來て、
折角心持の
好い
思ひ
付をすぐ
揉み
消して
仕舞つた。
宗助は
苦笑しながら
窓硝子を
離れて
又歩き
出したが、それから
半町程の
間は
何だか
詰らない
樣な
氣分がして、
徃來にも
店先にも
格段の
注意を
拂はなかつた。
不圖氣が
付いて
見ると
角に
大きな
雜誌屋があつて、
其軒先には
新刊の
書物が
大きな
字で
廣告してある。
梯子の
樣な
細長い
枠へ
紙を
張つたり、ペンキ
塗の一
枚板へ
模樣畫見た
樣な
色彩を
施こしたりしてある。
宗助はそれを
一々讀んだ。
著者の
名前も
作物の
名前も、一
度は
新聞の
廣告で
見た
樣でもあり、
又全く
新奇の
樣でもあつた。
此店の
曲り
角の
影になつた
所で、
黒い
山高帽を
被つた三十
位の
男が
地面の
上へ
氣樂さうに
胡坐をかいて、えゝ
御子供衆の
御慰みと
云ひながら、
大きな
護謨風船を
膨らましてゐる。それが
膨れると
自然と
達磨の
恰好になつて、
好加減な
所に
眼口迄墨で
書いてあるのに
宗助は
感心した。
其上一度息を
入れると、
何時迄も
膨れてゐる。
且指の
先へでも、
手の
平の
上へでも
自由に
尻が
据る。それが
尻の
穴へ
楊枝の
樣な
細いものを
突つ
込むとしゆうつと
一度に
收縮して
仕舞ふ。
忙がしい
徃來の
人は
何人でも
通るが、
誰も
立ち
留つて
見る
程のものはない。
山高帽の
男は
賑やかな
町の
隅に、
冷やかに
胡坐をかいて、
身の
周圍に
何事が
起りつゝあるかを
感ぜざるものゝ
如くに、えゝ
御子供衆の
御慰みと
云つては、
達磨を
膨らましてゐる。
宗助は一
錢五
厘出して、
其風船を
一つ
買つて、しゆつと
縮ましてもらつて、それを
袂へ
入れた。
奇麗な
床屋へ
行つて、
髮を
刈りたくなつたが、
何處にそんな
奇麗なのがあるか、
一寸見付からないうちに、
日が
限つて
來たので、
又電車へ
乘つて、
宅の
方へ
向つた。
宗助が
電車の
終點迄來て、
運轉手に
切符を
渡した
時には、もう
空の
色が
光を
失ひかけて、
濕つた
徃來に、
暗い
影が
射し
募る
頃であつた。
降りやうとして、
鐵の
柱を
握つたら、
急に
寒い
心持がした。
一所に
降りた
人は、
皆な
離れ/″\になつて、
事あり
氣に
忙がしく
歩いて
行く。
町のはづれを
見ると、
左右の
家の
軒から
家根へかけて、
仄白い
烟りが
大氣の
中に
動いてゐる
樣に
見える。
宗助も
樹の
多い
方角に
向いて
早足に
歩を
移した。
今日の
日曜も、
暢びりした
御天氣も、もう
既に
御仕舞だと
思ふと、
少し
果敢ない
樣な
又淋しい
樣な
一種の
氣分が
起つて
來た。さうして
明日から
又例によつて
例の
如く、せつせと
働らかなくてはならない
身體だと
考へると、
今日半日の
生活が
急に
惜くなつて、
殘る
六日半の
非精神的な
行動が、
如何にも
詰らなく
感ぜられた。
歩いてゐるうちにも、
日當の
惡い、
窓の
乏しい、
大きな
部屋の
模樣や、
隣りに
坐つてゐる
同僚の
顏や、
野中さん
一寸と
云ふ
上官の
樣子ばかりが
眼に
浮かんだ。
魚勝と
云ふ
肴屋の
前を
通り
越して、
其五六
軒先の
露次とも
横丁とも
付かない
所を
曲ると、
行き
當りが
高い
崖で、
其左右に四五
軒同じ
構の
貸家が
並んでゐる。つい
此間迄は
疎らな
杉垣の
奧に、
御家人でも
住み
古したと
思はれる、
物寂た
家も
一つ
地所のうちに
混つてゐたが、
崖の
上の
坂井といふ
人が
此所を
買つてから、
忽ち
萱葺を
壞して、
杉垣を
引き
拔いて、
今の
樣な
新らしい
普請に
建て
易へて
仕舞つた。
宗助の
家は
横丁を
突き
當つて、
一番奧の
左側で、すぐの
崖下だから、
多少陰氣ではあるが、
其代り
通りからは
尤も
隔つてゐる
丈に、まあ
幾分か
閑靜だらうと
云ふので、
細君と
相談の
上、とくに
其所を
擇んだのである。
宗助は
七日に一
返の
日曜ももう
暮れかゝつたので、
早く
湯にでも
入つて、
暇があつたら
髮でも
刈つて、さうして
緩くり
晩食を
食はうと
思つて、
急いで
格子を
開けた。
臺所の
方で
皿小鉢の
音がする。
上がらうとする
拍子に、
小六の
脱ぎ
棄てた
下駄の
上へ、
氣が
付かずに
足を
乘せた。
曲んで
位置を
調へてゐる
所へ
小六が
出て
來た。
臺所の
方で、
御米が、
「
誰?
兄さん?」と
聞いた。
宗助は、
「やあ、
來てゐたのか」と
云ひながら
座敷へ
上つた。
先刻郵便を
出してから、
神田を
散歩して、
電車を
降りて
家へ
歸る
迄、
宗助の
頭には
小六の
小の
字も
閃めかなかつた。
宗助は
小六の
顏を
見た
時、
何となく
惡い
事でもした
樣に
極りが
好くなかつた。
「
御米、
御米」と
細君を
臺所から
呼んで、
「
小六が
來たから、
何か
御馳走でもするが
好い」と
云ひ
付けた。
細君は、
忙がしさうに
臺所の
障子を
開け
放した
儘出て
來て、
座敷の
入口に
立つてゐたが、
此分り
切つた
注意を
聞くや
否や、
「えゝ
今直」と
云つたなり、
引き
返さうとしたが、
又戻つて
來て、
「
其代り
小六さん、
憚り
樣。
座敷の
戸を
閉てて、
洋燈を
點けて
頂戴。
今私も
清も
手が
放せない
所だから」と
依頼んだ。
小六は
簡單に、
「はあ」と
云つて
立ち
上がつた。
勝手では
清が
物を
刻む
音がする。
湯か
水をざあと
流しへ
空ける
音がする。「
奧樣是は
何方へ
移します」と
云ふ
聲がする。「
姉さん、ランプの
心を
剪る
鋏はどこにあるんですか」と
云ふ
小六の
聲がする。しゆうと
湯が
沸つて
七輪の
火へ
懸つた
樣子である。
宗助は
暗い
座敷の
中で
默然と
手焙へ
手を
翳してゐた。
灰の
上に
出た
火の
塊まり
丈が
色づいて
赤く
見えた。
其時裏の
崖の
上の
家主の
家の
御孃さんがピヤノを
鳴し
出した。
宗助は
思ひ
出した
樣に
立ち
上がつて、
座敷の
雨戸を
引きに
縁側へ
出た。
孟宗竹が
薄黒く
空の
色を
亂す
上に、
一つ
二つの
星が
燦めいた。ピヤノの
音は
孟宗竹の
後から
響いた。
宗助と
小六が
手拭を
下げて、
風呂から
歸つて
來た
時は、
座敷の
眞中に
眞四角な
食卓を
据ゑて、
御米の
手料理が
手際よく
其上に
並べてあつた。
手焙の
火も
出掛よりは
濃い
色に
燃えてゐた。
洋燈も
明るかつた。
宗助が
机の
前の
坐蒲團を
引き
寄せて、
其上に
樂々と
胡坐を
掻いた
時、
手拭と
石鹸を
受取つた
御米は、
「
好い
御湯だつた
事?」と
聞いた。
宗助はたゞ
一言、
「うん」と
答へた
丈であつたが、
其樣子は
素氣ないと
云ふよりも、
寧ろ
湯上りで、
精神が
弛緩した
氣味に
見えた。
「
中々好い
湯でした」と
小六が
御米の
方を
見て
調子を
合せた。
「
然しあゝ
込んぢや
溜らないよ」と
宗助が
机の
端へ
肱を
持たせながら、
倦怠るさうに
云つた。
宗助が
風呂に
行くのは、いつでも
役所が
退けて、
家へ
歸つてからの
事だから、
丁度人の
立て
込む
夕食前の
黄昏である。
彼は
此二三ヶ
月間ついぞ、
日の
光に
透かして
湯の
色を
眺めた
事がない。
夫ならまだしもだが、
稍ともすると
三日も
四日も
丸で
錢湯の
敷居を
跨がずに
過して
仕舞ふ。
日曜になつたら、
朝早く
起きて
何よりも
第一に
奇麗な
湯に
首丈浸つて
見樣と、
常は
考へてゐるが、
偖其日曜が
來て
見ると、たまに
悠くり
寐られるのは、
今日ばかりぢやないかと
云ふ
氣になつて、つい
床のうちで
愚圖々々してゐるうちに、
時間が
遠慮なく
過ぎて、えゝ
面倒だ、
今日は
已めにして、
其代り
今度の
日曜に
行かうと
思ひ
直すのが、
殆んど
惰性の
樣になつてゐる。
「どうかして、
朝湯に
丈は
行きたいね」と
宗助が
云つた。
「
其癖朝湯に
行ける
日は、
屹度寐坊なさるのね」と
細君は
調戲ふ
樣な
口調であつた。
小六は
腹の
中で
是が
兄の
性來の
弱點であると
思ひ
込んでゐた。
彼は
自分で
學校生活をしてゐるにも
拘はらず、
兄の
日曜が、
如何に
兄にとつて
貴といかを
會得出來なかつた。
六日間の
暗い
精神作用を、
只此一日で、
暖かに
回復すべく、
兄は
多くの
希望を二十四
時間のうちに
投げ
込んでゐる。だから
遣りたい
事があり
過ぎて、十の二三も
實行出來ない。
否、
其二三にしろ
進んで
實行にかゝると、
却つてその
爲に
費やす
時間の
方が
惜くなつて
來て、つい
又手を
引込めて、
凝としてゐるうちに
日曜は
何時か
暮れて
仕舞ふのである。
自分の
氣晴しや
保養や、
娯樂もしくは
好尚に
就いてゞすら、
斯樣に
節儉しなければならない
境遇にある
宗助が、
小六の
爲に
盡さないのは、
盡さないのではない、
頭に
盡す
餘裕のないのだとは、
小六から
見ると、
何うしても
受取れなかつた。
兄はたゞ
手前勝手な
男で、
暇があればぶら/\して
細君と
遊んで
許ゐて、
一向頼りにも
力にもなつて
呉れない、
眞底は
情合に
薄い
人だ
位に
考へてゐた。
けれども、
小六がさう
感じ
出したのは、つい
近頃の
事で、
實を
云ふと、
佐伯との
交渉が
始まつて
以來の
話である。
年の
若い
丈、
凡てに
性急な
小六は、
兄に
頼めば
今日明日にも
方が
付くものと、
思ひ
込んでゐたのに、
何日迄も
埒が
明かないのみか、まだ
先方へ
出掛けても
呉れないので、
大分不平になつたのである。
所が
今日歸りを
待ち
受けて
逢つて
見ると、
其所が
兄弟で、
別に
御世辭も
使はないうちに、
何處か
暖味のある
仕打も
見えるので、つい
云ひたい
事も
後廻しにして、
一所に
湯になんぞ
這入つて、
穩やかに
打ち
解けて
話せる
樣になつて
來た。
兄弟は
寛ろいで
膳に
就いた。
御米も
遠慮なく
食卓の
一隅を
領した。
宗助も
小六も
猪口を二三
杯づゝ
干した。
飯に
掛ゝる
前に、
宗助は
笑ひながら、
「うん、
面白いものが
有つたつけ」と
云ひながら、
袂から
買つて
來た
護謨風船の
達磨を
出して、
大きく
膨らませて
見せた。さうして、それを
椀の
葢の
上へ
載せて、
其特色を
説明して
聞かせた。
御米も
小六も
面白がつて、ふわ/\した
玉を
見てゐた。
仕舞に
小六が、ふうつと
吹いたら
達磨は
膳の
上から
疊の
上へ
落ちた。それでも、まだ
覆らなかつた。
「それ
御覽」と
宗助が
云つた。
御米は
女だけに
聲を
出して
笑つたが、
御櫃の
葢を
開けて、
夫の
飯を
盛ひながら、
「
兄さんも
隨分呑氣ね」と
小六の
方を
向いて、
半ば
夫を
辯護する
樣に
云つた。
宗助は
細君から
茶碗を
受取つて、
一言の
辯解もなく
食事を
始めた。
小六も
正式に
箸を
取り
上げた。
達磨はそれぎり
話題に
上らなかつたが、これが
緒になつて、三
人は
飯の
濟む
迄無邪氣に
長閑な
話をつゞけた。
仕舞に
小六が
氣を
換へて、
「
時に
伊藤さんも
飛んだ
事になりましたね」と
云ひ
出した。
宗助は五六
日前伊藤公暗殺の
號外を
見たとき、
御米の
働いてゐる
臺所へ
出て
來て、「おい
大變だ、
伊藤さんが
殺された」と
云つて、
手に
持つた
號外を
御米のエプロンの
上に
乘せたなり
書齋へ
這入つたが、
其語氣からいふと、
寧ろ
落ち
付いたものであつた。
「
貴方大變だつて
云ふ
癖に、
些とも
大變らしい
聲ぢやなくつてよ」と
御米が
後から
冗談半分にわざ/\
注意した
位である。
其後日毎の
新聞に
伊藤公の
事が五六
段づゝ
出ない
事はないが、
宗助はそれに
目を
通してゐるんだか、ゐないんだか
分らない
程、
暗殺事件に
就ては
平氣に
見えた。
夜歸つて
來て、
御米が
飯の
御給仕をするとき
抔に、「
今日も
伊藤さんの
事が
何か
出てゐて」と
聞く
事があるが、
其時には「うん
大分出てゐる」と
答へる
位だから、
夫の
隱袋の
中に
疊んである
今朝の
讀殼を、
後から
出して
讀んで
見ないと、
其日の
記事は
分らなかつた。
御米もつまりは
夫が
歸宅後の
會話の
材料として、
伊藤公を
引合に
出す
位の
所だから、
宗助が
進まない
方向へは、たつて
話を
引張たくはなかつた。それで
此二人の
間には、
號外發行の
當日以後、
今夜小六がそれを
云ひ
出した
迄は、
公けには
天下を
動かしつゝある
問題も、
格別の
興味を
以て
迎へられてゐなかつたのである。
「どうして、まあ
殺されたんでせう」と
御米は
號外を
見たとき、
宗助に
聞いたと
同じ
事を
又小六に
向つて
聞いた。
「
短銃をポン/\
連發したのが
命中したんです」と
小六は
正直に
答へた。
「だけどさ。
何うして、まあ
殺されたんでせう」
小六は
要領を
得ない
樣な
顏をしてゐる。
宗助は
落付いた
調子で、
「
矢つ
張り
運命だなあ」と
云つて、
茶碗の
茶を
旨さうに
飮んだ。
御米はこれでも
納得が
出來なかつたと
見えて、
「どうして
又滿洲抔へ
行つたんでせう」と
聞いた。
「
本當にな」と
宗助は
腹が
張つて
充分物足りた
樣子であつた。
「
何でも
露西亞に
秘密な
用があつたんださうです」と
小六が
眞面目な
顏をして
云つた。
御米は、
「さう。でも
厭ねえ。
殺されちや」と
云つた。
「
己見た
樣な
腰辯は、
殺されちや
厭だが、
伊藤さん
見た
樣な
人は、
哈爾賓へ
行つて
殺される
方が
可いんだよ」と
宗助が
始めて
調子づいた
口を
利いた。
「あら、
何故」
「
何故つて
伊藤さんは
殺されたから、
歴史的に
偉い
人になれるのさ。たゞ
死んで
御覽、
斯うは
行かないよ」
「
成程そんなものかも
知れないな」と
小六は
少し
感服した
樣だつたが、やがて、
「
兎に
角滿洲だの、
哈爾賓だのつて
物騷な
所ですね。
僕は
何だか
危險な
樣な
心持がしてならない」と
云つた。
「
夫や、
色んな
人が
落ち
合つてるからね」
此時御米は
妙な
顏をして、
斯う
答へた
夫の
顏を
見た。
宗助もそれに
氣が
付いたらしく、
「さあ、もう
御膳を
下げたら
好からう」と
細君を
促がして、
先刻の
達磨を
又疊の
上から
取つて、
人指指の
先へ
載せながら、
「どうも
妙だよ。よく
斯う
調子好く
出來るものだと
思つてね」と
云つてゐた。
臺所から
清が
出て
來て、
食ひ
散らした
皿小鉢を
食卓ごと
引いて
行つた
後で、
御米も
茶を
入れ
替へるために、
次の
間へ
立つたから、
兄弟は
差向ひになつた。
「あゝ
奇麗になつた。
何うも
食つた
後は
汚ないものでね」と
宗助は
全く
食卓に
未練のない
顏をした。
勝手の
方で
清がしきりに
笑つてゐる。
「
何がそんなに
可笑しいの、
清」と
御米が
障子越に
話し
掛ける
聲が
聞えた。
清はへえと
云つて
猶笑ひ
出した。
兄弟は
何にも
云はず、
半ば
下女の
笑ひ
聲に
耳を
傾けてゐた。
しばらくして、
御米が
菓子皿と
茶盆を
兩手に
持つて、
又出て
來た。
藤蔓の
着いた
大きな
急須から、
胃にも
頭にも
應へない
番茶を、
湯呑程な
大きな
茶碗に
注いで、
兩人の
前へ
置いた。
「
何だつて、あんなに
笑ふんだい」と
夫が
聞いた。けれども
御米の
顏は
見ずに
却つて
菓子皿の
中を
覗いてゐた。
「
貴方があんな
玩具を
買つて
來て、
面白さうに
指の
先へ
乘せて
入らつしやるからよ。
子供もない
癖に」
宗助は
意にも
留めない
樣に、
輕く「さうか」と
云つたが、
後から
緩くり、
「
是でも
元は
子供が
有つたんだがね」と、さも
自分で
自分の
言葉を
味はつてゐる
風に
付け
足して、
生温い
眼を
擧げて
細君を
見た。
御米はぴたりと
默つて
仕舞つた。
「あなた
御菓子食べなくつて」と、しばらくしてから
小六の
方へ
向いて
話し
掛けたが、
「えゝ
食べます」と
云ふ
小六の
返事を
聞き
流して、ついと
茶の
間へ
立つて
行つた。
兄弟は
又差向ひになつた。
電車の
終點から
歩くと二十
分近くも
掛る
山の
手の
奧丈あつて、まだ
宵の
口だけれども、
四隣は
存外靜かである。
時々表を
通る
薄齒の
下駄の
響が
冴えて、
夜寒が
次第に
増して
來る。
宗助は
懷手をして、
「
晝間は
暖たかいが、
夜になると
急に
寒くなるね。
寄宿ぢやもう
蒸汽を
通してゐるかい」と
聞いた。
「いえ、
未です。
學校ぢや
餘つ
程寒くならなくつちや
蒸汽なんか
焚きやしません」
「さうかい。
夫ぢや
寒いだらう」
「えゝ。
然し
寒い
位何うでも
構はない
積ですが」と
云つた
儘、
小六はすこし
云ひ
淀んでゐたが、
仕舞にとう/\
思ひ
切つて、
「
兄さん、
佐伯の
方は
一體どうなるんでせう。
先刻姉さんから
聞いたら、
今日手紙を
出して
下すつたさうですが」
「あゝ
出した。二三
日中に
何とか
云つて
來るだらう。
其上で
又己が
行くとも
何うとも
仕樣よ」
小六は
兄の
平氣な
態度を
心の
中では
飽足らず
眺めた。
然し
宗助の
樣子に
何處と
云つて、
他を
激させる
樣な
鋭どい
所も、
自らを
庇護ふ
樣な
卑しい
點もないので、
喰つて
掛る
勇氣は
更に
出なかつた。たゞ
「ぢや
今日迄あの
儘にしてあつたんですか」と
單に
事實を
確めた。
「うん、
實は
濟まないがあの
儘だ。
手紙も
今日やつとの
事で
書いた
位だ。
何うも
仕方がないよ。
近頃神經衰弱でね」と
眞面目に
云ふ。
小六は
苦笑した。
「もし
駄目なら、
僕は
學校を
已めて、
一層今のうち、
滿洲か
朝鮮へでも
行かうかと
思つてるんです」
「
滿洲か
朝鮮? ひどく
又思ひ
切つたもんだね。だつて、
御前先刻滿洲は
物騷で
厭だつて
云つたぢやないか」
用談はこんな
所に
徃つたり
來たりして、
遂に
要領を
得なかつた。
仕舞に
宗助が
「まあ、
好いや、さう
心配しないでも、
何うかなるよ。
何しろ
返事の
來次第、
己がすぐ
知らせてやる。
其上で
又相談するとしやう」と
云つたので、
談話に
區切が
付いた。
小六が
歸りがけに
茶の
間を
覗いたら、
御米は
何にもしずに、
長火鉢に
倚り
掛かつてゐた。
「
姉さん、
左樣なら」と
聲を
掛けたら、「おや
御歸り」と
云ひながら
漸く
立つて
來た。
小六の
苦にしてゐた
佐伯からは、
豫期の
通り二三
日して
返事があつたが、それは
極めて
簡單なもので、
端書でも
用の
足りる
所を、
鄭重に
封筒へ
入れて三
錢の
切手を
貼つた、
叔母の
自筆に
過ぎなかつた。
役所から
歸つて、
筒袖の
仕事着を、
窮屈さうに
脱ぎ
易へて、
火鉢の
前へ
坐るや
否や、
抽出から一
寸程わざと
餘して
差し
込んであつた
状袋に
眼が
着いたので、
御米の
汲んで
出す
番茶を
一口呑んだ
儘、
宗助はすぐ
封を
切つた。
「へえ、
安さんは
神戸へ
行つたんだつてね」と
手紙を
讀みながら
云つた。
「
何時?」と
御米は
湯呑を
夫の
前に
出した
時の
姿勢の
儘で
聞いた。
「
何時とも
書いてないがね。
何しろ
遠からぬうちには
歸京仕るべく
候間と
書いてあるから、もうぢき
歸つて
來るんだらう」
「
遠からぬうちなんて、
矢つ
張り
叔母さんね」
宗助は
御米の
批評に、
同意も
不同意も
表しなかつた。
讀んだ
手紙を
卷き
納めて、
投げる
樣にそこへ
放り
出して、四五
日目になる、ざら/\した
腮を、
氣味わるさうに
撫で
廻した。
御米はすぐ
其手紙を
拾つたが、
別に
讀まうともしなかつた。それを
膝の
上へ
乘せた
儘、
夫の
顏を
見て、
「
遠からぬうちには
歸京仕るべく
候間、
何うだつて
云ふの」と
聞いた。
「
何れ
歸つたら、
安之助と
相談して
何とか
御挨拶を
致しますと
云ふのさ」
「
遠からぬうちぢや
曖昧ね。
何時歸るとも
書いてなくつて」
「いゝや」
御米は
念の
爲、
膝の
上の
手紙を
始めて
開いて
見た。さうして
夫を
元の
樣に
疊んで、
「
一寸其状袋を」と
手を
夫の
方へ
出した。
宗助は
自分と
火鉢の
間に
挾まつてゐる
青い
封筒を
取つて
細君に
渡した。
御米はそれをふつと
吹いて、
中を
膨らまして
手紙を
収めた。さうして
臺所へ
立つた。
宗助は
夫限手紙の
事には
氣を
留めなかつた。
今日役所で
同僚が、
此間英吉利から
來遊したキチナー
元帥に、
新橋の
傍で
逢つたと
云ふ
話を
思ひ
出して、あゝ
云ふ
人間になると、
世界中何處へ
行つても、
世間を
騷がせる
樣に
出來てゐる
樣だが、
實際さういふ
風に
生れ
付いて
來たものかも
知れない。
自分の
過去から
引き
摺つてきた
運命や、
又其續きとして、
是から
自分の
眼前に
展開されべき
將來を
取つて、キチナーと
云ふ
人のそれに
比べて
見ると、
到底同じ
人間とは
思へない
位懸け
隔たつてゐる。
斯う
考へて
宗助はしきりに
烟草を
吹かした。
表は
夕方から
風が
吹き
出して、わざと
遠くの
方から
襲つて
來る
樣な
音がする。それが
時々已むと、
已んだ
間は
寂として、
吹き
荒れる
時よりは
猶淋しい。
宗助は
腕組をしながら、もうそろ/\
火事の
半鐘が
鳴り
出す
時節だと
思つた。
臺所へ
出て
見ると、
細君は
七輪の
火を
赤くして、
肴の
切身を
燒いてゐた。
清は
流し
元に
曲んで
漬物を
洗つてゐた。
二人とも
口を
利かずにせつせと
自分の
遣る
事を
遣つてゐる。
宗助は
障子を
開けたなり、
少時肴から
垂る
汁か
膏の
音を
聞いてゐたが、
無言の
儘又障子を
閉てゝ
元の
座へ
戻つた。
細君は
眼さへ
肴から
離さなかつた。
食事を
濟まして、
夫婦が
火鉢を
間に
向ひ
合つた
時、
御米は
又
「
佐伯の
方は
困るのね」と
云ひ
出した。
「まあ
仕方がない。
安さんが
神戸から
歸る
迄待つより
外に
道はあるまい」
「
其前に
一寸叔母さんに
逢つて
話をして
置いた
方が
好かなくつて」
「さうさ。まあ
其内何とか
云つて
來るだらう。
夫迄打遣つて
置かうよ」
「
小六さんが
怒つてよ。
可くつて」と
御米はわざと
念を
押して
置いて
微笑した。
宗助は
下眼を
使つて、
手に
持つた
小楊枝を
着物の
襟へ
差した。
中一日置いて、
宗助は
漸く
佐伯からの
返事を
小六に
知らせてやつた。
其時も
手紙の
尻に、まあ
其内何うかなるだらうと
云ふ
意味を、
例の
如く
付け
加へた。さうして
當分は
此事件に
就て
肩が
拔けた
樣に
感じた。
自然の
經過が
又窮屈に
眼の
前に
押し
寄せて
來る
迄は、
忘れてゐる
方が
面倒がなくつて
好い
位な
顏をして、
毎日役所へ
出ては
又役所から
歸つて
來た。
歸りも
遲いが、
歸つてから
出掛る
抔といふ
億劫な
事は
滅多になかつた。
客は
殆んど
來ない。
用のない
時は
清を十
時前に
寐かす
事さへあつた。
夫婦は
毎夜同じ
火鉢の
兩側に
向き
合つて、
食後一
時間位話をした。
話の
題目は
彼等の
生活状態に
相應した
程度のものであつた。けれども
米屋の
拂を、
此三十日には
何うしたものだらうといふ、
苦しい
世帶話は、
未だ
甞て
一度も
彼等の
口には
上らなかつた。と
云つて、
小説や
文學の
批評は
勿論の
事、
男と
女の
間を
陽炎の
樣に
飛び
廻る、
花やかな
言葉の
遣り
取りは
殆んど
聞かれなかつた。
彼等は
夫程の
年輩でもないのに、もう
其所を
通り
拔けて、
日毎に
地味になつて
行く
人の
樣にも
見えた。
又は
最初から、
色彩の
薄い
極めて
通俗の
人間が、
習慣的に
夫婦の
關係を
結ぶために
寄り
合つた
樣にも
見えた。
上部から
見ると、
夫婦ともさう
物に
屈托する
氣色はなかつた。それは
彼等が
小六の
事に
關して
取つた
態度に
就て
見ても
略想像がつく。
流石女丈に
御米は一二
度、
「
安さんは、まだ
歸らないんでせうかね。
貴方今度の
日曜位に
番町迄行つて
御覽なさらなくつて」と
注意した
事があるが、
宗助は、
「うん、
行つても
好い」
位な
返事をする
丈で、
其行つても
好い
日曜が
來ると、
丸で
忘れた
樣に
濟ましてゐる。
御米もそれを
見て、
責める
樣子もない。
天氣が
好いと、
「ちと
散歩でもして
入らつしやい」と
云ふ。
雨が
降つたり、
風が
吹いたりすると、
「
今日は
日曜で
仕合せね」と
云ふ。
幸にして
小六は
其後一度もやつて
來ない。
此青年は、
至つて
凝り
性の
神經質で、
斯うと
思ふと
何所迄も
進んで
來る
所が、
書生時代の
宗助によく
似てゐる
代りに、
不圖氣が
變ると、
昨日の
事は
丸で
忘れた
樣に
引つ
繰り
返つて、けろりとした
顏をしてゐる。
其所も
兄弟丈あつて、
昔の
宗助に
其儘である。それから、
頭腦が
比較的明暸で、
理路に
感情を
注ぎ
込むのか、
又は
感情に
理窟の
枠を
張るのか、
何方か
分らないが、
兎に
角物に
筋道を
付けないと
承知しないし、また
一返筋道が
付くと、
其筋道を
生かさなくつては
置かない
樣に
熱中したがる。
其上體質の
割合に
精力がつゞくから、
若い
血氣に
任せて
大抵の
事はする。
宗助は
弟を
見るたびに、
昔の
自分が
再び
蘇生して、
自分の
眼の
前に
活動してゐる
樣な
氣がしてならなかつた。
時には、はら/\する
事もあつた。
又苦々しく
思ふ
折もあつた。さう
云ふ
場合には、
心のうちに、
當時の
自分が
一圖に
振舞つた
苦い
記憶を、
出來る
丈屡呼び
起させるために、とくに
天が
小六を
自分の
眼の
前に
据ゑ
付けるのではなからうかと
思つた。さうして
非常に
恐ろしくなつた。
此奴も
或は
己と
同一の
運命に
陷るために
生れて
來たのではなからうかと
考へると、
今度は
大いに
心掛りになつた。
時によると
心掛りよりは
不愉快であつた。
けれども、
今日迄宗助は、
小六に
對して
意見がましい
事を
云つた
事もなければ、
將來に
就て
注意を
與へた
事もなかつた。
彼の
弟に
對する
待遇方はたゞ
普通凡庸のものであつた。
彼の
今の
生活が、
彼の
樣な
過去を
有つてゐる
人とは
思へない
程に、
沈んでゐる
如く、
彼の
弟を
取り
扱ふ
樣子にも、
過去と
名のつく
程の
經驗を
有つた
年長者の
素振は
容易に
出なかつた。
宗助と
小六の
間には、まだ
二人程男の
子が
挾まつてゐたが、
何れも
早世して
仕舞つたので、
兄弟とは
云ひながら、
年は
十許り
違つてゐる。
其上宗助はある
事情のために、一
年の
時京都へ
轉學したから、
朝夕一所に
生活してゐたのは、
小六の十二三の
時迄である。
宗助は
剛情な
聽かぬ
氣の
腕白小僧としての
小六を
未だに
記憶してゐる。
其時分は
父も
生きてゐたし、
家の
都合も
惡くはなかつたので、
抱車夫を
邸内の
長屋に
住まはして、
樂に
暮してゐた。
此車夫に
小六よりは
三つ
程年下の
子供があつて、
始終小六の
御相手をして
遊んでゐた。ある
夏の
日盛りに、
二人して、
長い
竿のさきへ
菓子袋を
括り
付けて、
大きな
柿の
木の
下で
蝉の
捕りくらをしてゐるのを、
宗助が
見て、
兼坊そんなに
頭を
日に
照らし
付けると
霍亂になるよ、さあ
是を
被れと
云つて、
小六の
古い
夏帽を
出してやつた。すると、
小六は
自分の
所有物を
兄が
無斷で
他に
呉れてやつたのが、
癪に
障つたので、
突然兼坊の
受取つた
帽子を
引つたくつて、それを
地面の
上へ
抛げつけるや
否や、
馳け
上がる
樣に
其上へ
乘つて、くしやりと
麥藁帽を
踏み
潰して
仕舞つた。
宗助は
縁から
跣足で
飛んで
下りて、
小六の
頭を
擲り
付けた。
其時から、
宗助の
眼には、
小六が
小惡らしい
小僧として
映つた。
二
年の
時宗助は
大學を
去らなければならない
事になつた。
東京の
家へも
歸へれない
事になつた。
京都からすぐ
廣島へ
行つて、
其所に
半年ばかり
暮らしてゐるうちに
父が
死んだ。
母は
父よりも六
年程前に
死んでゐた。だから
後には二十五六になる
妾と、十六になる
小六が
殘つた
丈であつた。
佐伯から
電報を
受け
取つて、
久し
振りに
出京した
宗助は、
葬式を
濟ました
上、
家の
始末をつけ
樣と
思つて
段々調べて
見ると、
有ると
思つた
財産は
案外に
少なくつて、
却つて
無い
積の
借金が
大分あつたに
驚ろかされた。
叔父の
佐伯に
相談すると、
仕方がないから
邸を
賣るが
好からうと
云ふ
話であつた。
妾は
相當の
金を
遣つてすぐ
暇を
出す
事に
極めた。
小六は
當分叔父の
家に
引き
取つて
世話をして
貰ふ
事にした。
然し
肝心の
家屋敷はすぐ
右から
左へと
賣れる
譯には
行かなかつた。
仕方がないから、
叔父に
一時の
工面を
頼んで、
當座の
片を
付けて
貰つた。
叔父は
事業家で
色々な
事に
手を
出しては
失敗する、
云はゞ
山氣の
多い
男であつた。
宗助が
東京にゐる
時分も、よく
宗助の
父を
説き
付けては、
旨い
事を
云つて
金を
引き
出したものである。
宗助の
父にも
慾があつたかも
知れないが、
此傳で
叔父の
事業に
注ぎ
込んだ
金高は
決して
少ないものではなかつた。
父の
亡くなつた
此際にも、
叔父の
都合は
元と
餘り
變つてゐない
樣子であつたが、
生前の
義理もあるし、
又斯う
云ふ
男の
常として、いざと
云ふ
場合には
比較的融通の
付くものと
見えて、
叔父は
快よく
整理を
引き
受けて
呉れた。
其代り
宗助は
自分の
家屋敷の
賣却方に
就て
一切の
事を
叔父に
一任して
仕舞つた。
早く
云ふと、
急場の
金策に
對する
報酬として
土地家屋を
提供した
樣なものである。
叔父は、
「
何しろ、
斯う
云ふものは
買手を
見て
賣らないと
損だからね」と
云つた。
道具類も
積ばかり
取つて、
金目にならないものは、
悉く
賣り
拂つたが、五六
幅の
掛物と十二三
點の
骨董品丈は、
矢張り
氣長に
欲しがる
人を
探さないと
損だと
云ふ
叔父の
意見に
同意して、
叔父に
保管を
頼む
事にした。
凡てを
差し
引いて
手元に
殘つた
有金は、
約二千
圓程のものであつたが、
宗助は
其内の
幾分を、
小六の
學資として、
使はなければならないと
氣が
付いた。
然し
月々自分の
方から
送るとすると、
今日の
位置が
堅固でない
當時、
甚だ
實行しにくい
結果に
陷りさうなので、
苦しくはあつたが、
思ひ
切つて、
半分丈を
叔父に
渡して、
何分宜しくと
頼んだ。
自分が
中途で
失敗つたから、
責めて
弟丈は
物にしてやりたい
氣もあるので、
此千
圓が
盡きたあとは、
又何うにか
心配も
出來やうし
又して
呉れるだらう
位の
不慥な
希望を
殘して、
又廣島へ
歸つて
行つた。
それから
半年ばかりして、
叔父の
自筆で、
家はとう/\
賣れたから
安心しろと
云ふ
手紙が
來たが、
幾何に
賣れたとも
何とも
書いてないので、
折り
返して
聞き
合せると、二
週間程經つての
返事に、
優に
例の
立替を
償ふに
足る
金額だから
心配しなくても
好いとあつた。
宗助は
此返事に
對して
少なからず
不滿を
感じたには
感じたが、
同じ
書信の
中に、
委細は
何れ
御面會の
節云々とあつたので、すぐにも
東京へ
行きたい
樣な
氣がして、
實は
斯う/\だがと、
相談半分細君に
話して
見ると、
御米は
氣の
毒さうな
顏をして、「でも、
行けないんだから、
仕方がないわね」と
云つて、
例の
如く
微笑した。
其時宗助は
始めて
細君から
宣告を
受けた
人の
樣に、しばらく
腕組をして
考へたが、
何う
工夫したつて、
拔ける
事の
出來ない
樣な
位地と
事情の
下に
束縛されてゐたので、つい
夫成になつて
仕舞つた。
仕方がないから、
猶三四
回書面で
徃復を
重ねて
見たが、
結果はいつも
同じ
事で、
版行で
押した
樣に
何れ
御面會の
節を
繰り
返して
來る
丈であつた。
「
是ぢや
仕樣がないよ」と
宗助は
腹が
立つた
樣な
顏をして
御米を
見た。三ヶ
月ばかりして、
漸く
都合が
付いたので、
久し
振りに
御米を
連れて、
出京しやうと
思ふ
矢先に、つい
風邪を
引いて
寐たのが
元で、
腸窒扶斯に
變化したため、
六十日餘りを
床の
上に
暮らした
上に、あとの
三十日程は
充分仕事も
出來ない
位衰へて
仕舞つた。
病氣が
本復してから
間もなく、
宗助は
又廣島を
去つて
福岡の
方へ
移らなければならない
身となつた。
移る
前に、
好い
機會だから
一寸東京迄出たいものだと
考へてゐるうちに、
今度も
色々の
事情に
制せられて、つい
夫も
遂行せずに、
矢張り
下り
列車の
走る
方に
自己の
運命を
托した。
其頃は
東京の
家を
疊むとき、
懷にして
出た
金は、
殆んど
使ひ
果たしてゐた。
彼の
福岡生活は
前後二
年を
通じて、
中々の
苦鬪であつた。
彼は
書生として
京都にゐる
時分、
種々の
口實の
下に、
父から
臨時隨意に
多額の
學資を
請求して、
勝手次第に
消費した
昔をよく
思ひ
出して、
今の
身分と
比較しつゝ、
頻りに
因果の
束縛を
恐れた。ある
時はひそかに
過ぎた
春を
回顧して、あれが
己の
榮華の
頂點だつたんだと、
始めて
醒めた
眼に
遠い
霞を
眺める
事もあつた。
愈苦しくなつた
時、
「
御米、
久しく
放つて
置いたが、
又東京へ
掛合つて
見樣かな」と
云ひ
出した。
御米は
無論逆ひはしなかつた。たゞ
下を
向いて、
「
駄目よ。だつて、
叔父さんに
全く
信用がないんですもの」と
心細さうに
答へた。
「
向ふぢや
此方に
信用がないかも
知れないが、
此方ぢや
又向ふに
信用がないんだ」と
宗助は
威張つて
云ひ
出したが、
御米の
俯目になつてゐる
樣子を
見ると、
急に
勇氣が
挫ける
風に
見えた。こんな
問答を
最初は
月に一二
返位繰り
返してゐたが、
後には
二月に一
返になり、
三月に一
返になり、とう/\、
「
好いや、
小六さへ
何うかして
呉れゝば。あとの
事は
何れ
東京へ
出たら、
逢つた
上で
話を
付けらあ。ねえ
御米、
左うすると、
爲やうぢやないか」と
云ひ
出した。
「それで、
好ござんすとも」と
御米は
答へた。
宗助は
佐伯の
事をそれなり
放つて
仕舞つた。
單なる
無心は、
自分の
過去に
對しても、
叔父に
向つて
云ひ
出せるものでないと、
宗助は
考へてゐた。
從つて
其方の
談判は、
始めから
未だ
嘗て
筆にした
事がなかつた。
小六からは
時々手紙が
來たが、
極めて
短かい
形式的のものが
多かつた。
宗助は
父の
死んだ
時、
東京で
逢つた
小六を
覺えてゐる
丈だから、いまだに
小六を
他愛ない
小供位に
想像するので、
自分の
代理に
叔父と
交渉させ
樣抔と
云ふ
氣は
無論起らなかつた。
夫婦は
世の
中の
日の
目を
見ないものが、
寒さに
堪へかねて、
抱き
合つて
暖を
取る
樣な
具合に、
御互同志を
頼りとして
暮らしてゐた。
苦しい
時には、
御米が
何時でも、
宗助に、
「でも
仕方がないわ」と
云つた。
宗助は
御米に、
「まあ
我慢するさ」と
云つた。
二人の
間には
諦めとか、
忍耐とか
云ふものが
斷えず
動いてゐたが、
未來とか
希望と
云ふものゝ
影は
殆んど
射さない
樣に
見えた。
彼等は
餘り
多く
過去を
語らなかつた。
時としては
申し
合はせた
樣に、それを
回避する
風さへあつた。
御米が
時として、
「
其内には
又屹度好い
事があつてよ。さう/\
惡い
事ばかり
續くものぢやないから」と
夫を
慰さめる
樣に
云ふ
事があつた。すると、
宗助にはそれが、
眞心ある
妻の
口を
藉りて、
自分を
飜弄する
運命の
毒舌の
如くに
感ぜられた。
宗助はさう
云ふ
場合には
何にも
答へずにたゞ
苦笑する
丈であつた。
御米が
夫でも
氣が
付かずに、なにか
云ひ
續けると、
「
我々は、そんな
好い
事を
豫期する
權利のない
人間ぢやないか」と
思ひ
切つて
投げ
出して
仕舞ふ。
細君は
漸く
氣が
付いて
口を
噤んで
仕舞ふ。さうして
二人が
默つて
向き
合つてゐると、
何時の
間にか、
自分達は
自分達の
拵えた
過去といふ
暗い
大きな
窖の
中に
落ちてゐる。
彼等は
自業自得で、
彼等の
未來を
塗抹した。だから
歩いてゐる
先の
方には、
花やかな
色彩を
認める
事が
出來ないものと
諦らめて、たゞ
二人手を
携えて
行く
氣になつた。
叔父の
賣り
拂つたと
云ふ
地面家作に
就いても、
固より
多くの
期待は
持つてゐなかつた。
時々考へ
出した
樣に、
「だつて、
近頃の
相場なら、
捨賣にしたつて、あの
時叔父の
拵らへて
呉れた
金の
倍にはなるんだもの。あんまり
馬鹿々々しいからね」と
宗助が
云ひ
出すと、
御米は
淋しさうに
笑つて、
「
又地面?
何時迄もあの
事ばかり
考へて
入らつしやるのね。だつて、
貴方が
萬事宜しく
願ひますと、
叔父さんに
仰しやつたんでせう」と
云ふ。
「そりや
仕方がないさ。あの
場合あゝでも
爲なければ
方が
付かないんだもの」と
宗助が
云ふ。
「だからさ。
叔父さんの
方では、
御金の
代りに
家と
地面を
貰つた
積で
入らつしやるかも
知れなくつてよ」と
御米が
云ふ。
さう
云はれると、
宗助も
叔父の
處置に
一理ある
樣にも
思はれて、
口では、
「その
積が
好くないぢやないか」と
答辯する
樣なものゝ、
此問題は
其都度次第々々に
背景の
奧に
遠ざかつて
行くのであつた。
夫婦がこんな
風に
淋しく
睦まじく
暮らして
來た二
年目の
末に、
宗助はもとの
同級生で、
學生時代には
大變懇意であつた
杉原と
云ふ
男に
偶然出逢つた。
杉原は
卒業後高等文官試驗に
合格して、
其時既に
或省に
奉職してゐたのだが、
公務上福岡と
佐賀へ
出張することになつて、
東京からわざ/\
遣つて
來たのである。
宗助は
所の
新聞で、
杉原の
何時着いて、
何處に
泊つてゐるかを
能く
知つてはゐたが、
失敗者としての
自分に
顧みて、
成効者の
前に
頭を
下げる
對照を
耻づかしく
思つた
上に、
自分は
在學當時の
舊友に
逢ふのを、
特に
避けたい
理由を
持つてゐたので、
彼の
旅館を
訪ねる
氣は
毛頭なかつた。
所が
杉原の
方では、
妙な
引掛りから、
宗助の
此所に
燻ぶつてゐる
事を
聞き
出して、
強いて
面會を
希望するので、
宗助も
已を
得ず
我を
折つた。
宗助が
福岡から
東京へ
移れる
樣になつたのは、
全く
此杉原の
御蔭である。
杉原から
手紙が
來て、
愈事が
極つたとき、
宗助は
箸を
置いて、
「
御米、とう/\
東京へ
行けるよ」と
云つた。
「まあ
結構ね」と
御米が
夫の
顏を
見た。
東京に
着いてから二三
週間は、
眼の
回る
樣に
日が
經つた。
新らしく
世帶を
有つて、
新らしい
仕事を
始める
人に、あり
勝ちな
急忙しなさと、
自分達を
包む
大都の
空氣の、
日夜劇しく
震盪する
刺戟とに
驅られて、
何事をも
凝と
考へる
閑もなく、
又落ち
付いて
手を
下す
分別も
出なかつた。
夜汽車で
新橋へ
着いた
時は、
久し
振りに
叔父夫婦の
顏を
見たが、
夫婦とも
灯の
所爲か
晴れやかな
色には
宗助の
眼に
映らなかつた。
途中に
事故があつて、
着の
時間が
珍らしく三十
分程後れたのを、
宗助の
過失でゞもあるかの
樣に、
待草臥れた
氣色であつた。
宗助が
此時叔母から
聞いた
言葉は、
「おや
宗さん、
少時御目に
掛ゝらないうちに、
大變御老けなすつた
事」といふ
一句であつた。
御米は
其折始めて
叔父夫婦に
紹介された。
「これが
彼……」と
叔母は
逡巡つて
宗助の
方を
見た。
御米は
何と
挨拶のしやうもないので、
無言の
儘唯頭を
下げた。
小六も
無論叔父夫婦と
共に
二人を
迎ひに
來てゐた。
宗助は
一眼其姿を
見たとき、
何時の
間にか
自分を
凌ぐ
樣に
大きくなつた
弟の
發育に
驚ろかされた。
小六は
其時中學を
出て、
是から
高等學校へ
這入らうといふ
間際であつた。
宗助を
見て、「
兄さん」とも「
御歸りなさい」とも
云はないで、たゞ
不器用に
挨拶をした。
宗助と
御米は一
週ばかり
宿屋住居をして、
夫から
今の
所に
引き
移つた。
其時は
叔父夫婦が
色々世話を
燒いて
呉れた。
細々しい
臺所道具の
樣なものは
買ふ
迄もあるまい、
古いので
可ければと
云ふので、
小人數に
必要な
丈一通り
取り
揃えて
送つて
來た。
其上、
「
御前も
新世帶だから、
嘸物要が
多からう」と
云つて
金を六十
圓呉れた。
家を
持つて
彼是取り
紛れてゐるうちに、
早半月餘も
經つたが、
地方にゐる
時分あんなに
氣にしてゐた
家邸の
事は、ついまだ
叔父に
言ひ
出さずにゐた。ある
時御米が、
「
貴方あの
事を
叔父さんに
仰やつて」と
聞いた。
宗助はそれで
急に
思ひ
出した
樣に、
「うん、
未だ
云はないよ」と
答へた。
「
妙ね、あれ
程氣にして
入らしつたのに」と
御米がうす
笑をした。
「だつて、
落ち
付いて、そんな
事を
云ひ
出す
暇がないんだもの」と
宗助が
辯解した。
又十日程經つた。すると
今度は
宗助の
方から、
「
御米、あの
事は
未だ
云はないよ。どうも
云ふのが
面倒で
厭になつた」と
云ひ出《》した。
「
厭なのを
無理に
仰やらなくつても
可いわ」と
御米が
答へた。
「
好いかい」と
宗助が
聞き
返した。
「
好いかいつて、もと/\
貴方の
事ぢやなくつて。
私は
先から
何うでも
好いんだわ」と
御米が
答へた。
其時宗助は、
「ぢや、
鹿爪らしく
云ひ
出すのも
何だか
妙だから、
其内機會があつたら、
聞くとしやう。なに
其内聞いて
見る
機會が
屹度出て
來るよ」と
云つて
延ばして
仕舞つた。
小六は
何不足なく
叔父の
家に
寐起してゐた。
試驗を
受けて
高等學校へ
這入れゝば、
寄宿へ
入舍しなければならないと
云ふので、
其相談迄既に
叔父と
打合せがしてある
樣であつた。
新らしく
出京した
兄からは
別段學資の
世話を
受けない
所爲か、
自分の
身の
上に
就いては
叔父程に
親しい
相談も
持ち
込んで
來なかつた。
從兄弟の
安之助とは
今迄の
關係上大變仲が
好かつた。
却つて
此方が
兄弟らしかつた。
宗助は
自然叔父の
家に
足が
遠くなる
樣になつた。たまに
行つても、
義理一遍の
訪問に
終る
事が
多いので、
歸り
路には
何時も
詰らない
氣がしてならなかつた。
仕舞には
時候の
挨拶を
濟ますと、すぐ
歸りたくなる
事もあつた。かう
云ふ
時には三十
分と
坐つて
世間話に
時間を
繋ぐのにさへ
骨が
折れた。
向ふでも
何だか
氣が
置けて
窮屈だと
云ふ
風が
見えた。
「まあ
可いぢやありませんか」と
叔母が
留めてくれるのが
例であるが、さうすると、
猶更居にくい
心持がした。それでも、たまには
行かないと、
心のうちで
氣が
咎める
樣な
不安を
感ずるので、
又行くやうになつた。
折々は、
「
何うも
小六が
御厄介になりまして」と
此方から
頭を
下げて
禮を
云ふ
事もあつた。けれども、それ
以上は、
弟の
將來の
學資に
就ても、
又自分が
叔父に
頼んで、
留守中に
賣り
拂つて
貰つた
地所家作に
就いても、
口を
切るのがつい
面倒になつた。
然し
宗助が
興味を
有たない
叔父の
所へ、
不精無精にせよ、
時たま
出掛けて
行くのは、
單に
叔父甥の
血屬關係を、
世間並に
持ち
堪へるための
義務心からではなくつて、いつか
機會があつたら、
片を
付けたい
或物を
胸の
奧に
控へてゐた
結果に
過ぎないのは
明かであつた。
「
宗さんは
何うも
悉皆變つちまいましたね」と
叔母が
叔父に
話す
事があつた。すると
叔父は、
「
左うよなあ。
矢つ
張り、あゝ
云ふ
事があると、
永く
迄後へ
響くものだからな」と
答へて、
因果は
恐ろしいと
云ふ
風をする。
叔母は
重ねて、
「
本當に、
怖いもんですね。
元はあんな
寐入つた
子ぢやなかつたが――どうも
燥急ぎ
過ぎる
位活溌でしたからね。それが二三
年見ないうちに、
丸で
別の
人見た
樣に
老けちまつて。
今ぢや
貴方より
御爺さん/\してゐますよ」と
云ふ。
「
眞逆」と
叔父が
又答へる。
「いえ、
頭や
顏は
別として、
樣子がさ」と
叔母が
又辯解する。
こんな
會話が
老夫婦の
間に
取り
換はされたのは、
宗助が
出京して
以來一
度や二
度ではなかつた。
實際彼は
叔父の
所へ
來ると、
老人の
眼に
映る
通りの
人間に
見えた。
御米は
何う
云ふものか、
新橋へ
着いた
時、
老人夫婦に
紹介されたぎり、
曾つて
叔父の
家の
敷居を
跨いだ
事がない。
向から
見えれば
叔父さん
叔母さんと
丁寧に
接待するが、
歸りがけに、
「
何うです、
些と
御出掛けなすつちや」などゝ
云はれると、たゞ
「
難有う」と
頭を
下げる
丈で、
遂ぞ
出掛けた
試はなかつた。
流石の
宗助さへ一
度は、
「
叔父さんの
所へ一
度行つて
見ちや、
何うだい」と
勸めた
事があるが、
「でも」と
變な
顏をするので、
宗助は
夫限決して
其事を
云ひ
出さなかつた。
兩家族はこの
状態で
約一
年ばかりを
送つた。すると
宗助よりも
氣分は
若いと
許された
叔父が
突然死んだ。
病症は
脊髓腦膜炎とかいふ
劇症で、二三
日風邪の
氣味で
寐てゐたが、
便所へ
行つた
歸りに、
手を
洗はうとして、
柄杓を
持つた
儘卒倒したなり、
一日經つか
經たないうちに
冷たくなつて
仕舞つたのである。
「
御米、
叔父はとう/\
話をしずに
死んで
仕舞つたよ」と
宗助が
云つた。
「
貴方まだ、あの
事を
聞く
積だつたの、
貴方も
隨分執念深いのね」と
御米が
云つた。
夫から
又一
年ばかり
經つたら、
叔父の
子の
安之助が
大學を
卒業して、
小六が
高等學校の二
年生になつた。
叔母は
安之助と
一所に
中六番町に
引き
移つた。
三
年目の
夏休みに
小六は
房州の
海水浴へ
行つた。そこに
一月餘りも
滯在してゐるうちに九
月になり
掛けたので、
保田から
向ふへ
突切つて、
上總の
海岸を
九十九里傳ひに、
銚子迄來たが、そこから
思ひ
出した
樣に
東京へ
歸つた。
宗助の
所へ
見えたのは、
歸つてから、まだ二三
日しか
立たない、
殘暑の
強い
午後である。
眞黒に
焦げた
顏の
中に、
眼だけ
光らして、
見違へる
樣に
蠻色を
帶びた
彼は、
比較的日の
遠い
座敷へ
這入つたなり
横になつて、
兄の
歸りを
待ち
受けてゐたが、
宗助の
顏を
見るや
否や、むつくり
起き
上がつて、
「
兄さん、
少し
御話があつて
來たんですが」と
開き
直られたので、
宗助は
少し
驚ろいた
氣味で、
暑苦しい
洋服さへ
脱ぎ
更へずに、
小六の
話を
聞いた。
小六の
云ふ
所によると、二三
日前彼が
上總から
歸つた
晩、
彼の
學資は
此暮限り
氣の
毒ながら
出して
遣れないと
叔母から
申し
渡されたのださうである。
小六は
父が
死んで、すぐと
叔父に
引き
取られて
以來、
學校へも
行けるし、
着物も
自然に
出來るし、
小遣も
適宜に
貰へるので、
父の
存生中と
同じ
樣に、
何不足なく
暮らせて
來た
惰性から、
其日其晩迄も、ついぞ
學資と
云ふ
問題を
頭に
思ひ
浮べた
事がなかつたため、
叔母の
宣告を
受けた
時は、
茫然して
兎角の
挨拶さへ
出來なかつたのだと
云ふ。
叔母は
氣の
毒さうに、
何故小六の
世話が
出來なくなつたかを、
女丈に、一
時間も
掛かつて
委しく
説明して
呉れたさうである。それには
叔父の
亡くなつた
事やら、
繼いで
起る
經濟上の
變化やら、
又安之助の
卒業やら、
卒業後に
控えてゐる
結婚問題やらが
這入つてゐたのだと
云ふ。
「
出來るならば、
責めて
高等學校を
卒業する
迄と
思つて、
今日迄色々骨を
折つたんだけれども」
叔母は
斯う
云つたと
小六は
繰り
返した。
小六は
其時不圖兄が
先年父の
葬式の
時に
出京して、
萬事を
片付けた
後、
廣島へ
歸るとき、
小六に、
御前の
學資は
叔父さんに
預けてあるからと
云つた
事があるのを
思ひ
出して、
叔母に
始めて
聞いて
見ると、
叔母は
案外な
顏をして、
「そりや、あの
時、
宗さんが
若干か
置いて
行きなすつた
事は、
行きなすつたが、
夫はもう
有りやしないよ。
叔父さんの
未だ
生きて
御出の
時分から、
御前の
學資は
融通して
來たんだから」と
答へた。
小六は
兄から
自分の
學資が
何れ
程あつて、
何年分の
勘定で、
叔父に
預けられたかを、
聞いて
置かなかつたから、
叔母から
斯う
云はれて
見ると、
一言も
返し
樣がなかつた。
「
御前も
一人ぢやなし、
兄さんもある
事だから
能く
相談をして
見たら
好いだらう。
其代り
私も
宗さんに
逢つて、
篤くり
譯を
話しませうから。どうも、
宗さんも
餘まり
近頃は
御出でないし、
私も
御無沙汰許してゐるのでね、つい
御前の
事は
御話をする
譯にも
行かなかつたんだよ」と
叔母は
最後に
附け
加へたさうである。
小六から
一部始終を
聞いた
時、
宗助はたゞ
弟の
顏を
眺めて、
一口、
「
困つたな」と
云つた。
昔の
樣に
赫と
激して、すぐ
叔母の
所へ
談判に
押し
掛ける
氣色もなければ、
今迄自分に
對して、
世話にならないでも
濟む
人の
樣に、
餘所々々しく
仕向けて
來た
弟の
態度が
急に
方向を
轉じたのを、
惡いと
思ふ
樣子も
見えなかつた。
自分の
勝手に
作り
上げた
美くしい
未來が、
半分壞れかゝつたのを、さも
傍の
人の
所爲ででもあるかの
如く
心を
亂してゐる
小六の
歸る
姿を
見送つた
宗助は、
暗い
玄關の
敷居の
上に
立つて、
格子の
外に
射す
夕日をしばらく
眺めてゐた。
其晩宗助は
裏から
大きな
芭蕉の
葉を二
枚剪つて
來て、それを
座敷の
縁に
敷いて、
其上に
御米と
並んで
涼みながら、
小六の
事を
話した。
「
叔母さんは、
此方で、
小六さんの
世話をしろつて
云ふ
氣なんぢやなくつて」と
御米が
聞いた。
「まあ、
逢つて
聞いて
見ないうちは、
何う
云ふ
料簡か
分らないがね」と
宗助が
云ふと、
御米は、
「
屹度左うよ」と
答へながら、
暗がりで
團扇をはた/\
動かした。
宗助は
何も
云はずに、
頸を
延ばして、
庇と
崖の
間に
細く
映る
空の
色を
眺めた。
二人は
其儘しばらく
默つて
居たが、
良あつて、
「だつて
夫ぢや
無理ね」と
御米が
又云つた。
「
人間一人大學を
卒業させるなんて、
己の
手際ぢや
到底駄目だ」と
宗助は
自分の
能力丈を
明らかにした。
會話はそこで
別の
題目に
移つて、
再び
小六の
上にも
叔母の
上にも
歸つて
來なかつた。それから二三
日すると
丁度土曜が
來たので、
宗助は
役所の
歸りに、
番町の
叔母の
所へ
寄つて
見た。
叔母は、
「おや/\、まあ
御珍らしい
事」と
云つて、
何時もよりは
愛想よく
宗助を
款待して
呉れた。
其時宗助は
厭なのを
我慢して、
此四五
年來溜めて
置いた
質問を
始めて
叔母に
掛けた。
叔母は
固より
出來る
丈は
辯解しない
譯に
行かなかつた。
叔母の
云ふ
所によると、
宗助の
邸宅を
賣拂つた
時、
叔父の
手に
這入つた
金は、
慥には
覺えてゐないが、
何でも、
宗助のために、
急場の
間に
合せた
借財を
返した
上、
猶四千五百
圓とか四千三百
圓とか
餘つたさうである。
所が
叔父の
意見によると、あの
屋敷は
宗助が
自分に
提供して
行つたのだから、たとひ
幾何餘らうと、
餘つた
分は
自分の
所得と
見傚して
差支ない。
然し
宗助の
邸宅を
賣つて
儲けたと
云はれては
心持が
惡いから、
是は
小六の
名義で
保管して
置いて、
小六の
財産にして
遣る。
宗助はあんな
事をして
廢嫡に
迄されかゝつた
奴だから、一
文だつて
取る
權利はない。
「
宗さん
怒つちや
不可ませんよ。たゞ
叔父さんの
云つた
通りを
話すんだから」と
叔母が
斷つた。
宗助は
默つてあとを
聞いてゐた。
小六の
名義で
保管されべき
財産は、
不幸にして、
叔父の
手腕で、すぐ
神田の
賑やかな
表通りの
家屋に
變形した。さうして、まだ
保險を
付けないうちに、
火事で
燒けて
仕舞つた。
小六には
始めから
話してない
事だから、
其儘にして、わざと
知らせずに
置いた。
「さう
云ふ
譯でね、まことに
宗さんにも、
御氣の
毒だけれども、
何しろ
取つて
返しの
付かない
事だから
仕方がない。
運だと
思つて
諦らめて
下さい。
尤も
叔父さんさへ
生きてゐれば、
又何うともなるんでせうさ。
小六一人位そりや
譯はありますまいよ。よしんば、
叔父さんが
居なさらない、
今にしたつて、
此方の
都合さへ
好ければ、
燒けた
家と
同じ
丈のものを、
小六に
返すか、それでなくつても、
當人の
卒業する
迄位は、
何うにかして
世話も
出來るんですけれども」と
云つて
叔母は
又外の
内幕話をして
聞かせた。それは
安之助の
職業に
就てゞあつた。
安之助は
叔父の
一人息子で、
此夏大學を
出た
許の
青年である。
家庭で
暖かに
育つた
上に、
同級の
學生位より
外に
交際のない
男だから、
世の
中の
事には
寧ろ
迂濶と
云つても
可いが、
其迂濶な
所に
何處か
鷹揚な
趣を
具へて
實社會へ
顏を
出したのである。
專門は
工科の
器械學だから、
企業熱の
下火になつた
今日と
雖、
日本中に
澤山ある
會社に、
相應の
口の
一つや
二つあるのは、
勿論であるが、
親讓りの
山氣が
何處かに
潛んでゐるものと
見えて、
自分で
自分の
仕事をして
見たくてならない
矢先へ、
同じ
科の
出身で、
小規模ながら
專有の
工場を
月島邊に
建てゝ、
獨立の
經營をやつてゐる
先輩に
出逢つたのが
縁となつて、
其先輩と
相談の
上、
自分も
幾分かの
資本を
注ぎ
込んで、
一所に
仕事をして
見樣といふ
考になつた。
叔母の
内幕話と
云つたのは
其所である。
「でね、
少し
有つた
株をみんな
其方へ
廻す
事にしたもんだから、
今ぢや
本當に一
文なし
同然な
仕儀でゐるんですよ。それは
世間から
見ると、
人數は
少なし、
家邸は
持つてゐるし、
樂に
見えるのも
無理のない
所でせうさ。
此間も
原の
御母さんが
來て、まあ
貴方程氣樂な
方はない、
何時來て
見ても
萬年青の
葉ばかり
丹念に
洗つてゐるつてね。
眞逆左うでも
無いんですけれども」と
叔母が
云つた。
宗助が
叔母の
説明を
聞いた
時は、ぼんやりして
兎角の
返事が
容易に
出なかつた。
心のなかで、
是は
神經衰弱の
結果、
昔の
樣に
機敏で
明快な
判斷を、すぐ
作り
上げる
頭が
失くなつた
證據だらうと
自覺した。
叔母は
自分の
云ふ
通りが、
宗助に
本當と
受けられないのを
氣にする
樣に、
安之助から
持ち
出した
資本の
高迄話した。それは五千
圓程であつた。
安之助は
當分の
間、
僅かな
月給と、
此五千
圓に
對する
利益配當とで
暮らさなければならないのださうである。
「
其配當だつて、まだ
何うなるか
分りやしないんでさあね。
旨く
行つた
所で、一
割か一
割五
分位なものでせうし、
又一つ
間違へば
丸で
烟にならないとも
限らないんですから」と
叔母が
付け
加へた。
宗助は
叔母の
仕打に、
是と
云ふ
目立つた
阿漕な
所も
見えないので、
心の
中では
少なからず
困つたが、
小六の
將來に
就いて
一口の
掛合もせずに
歸るのは
如何にも
馬鹿々々しい
氣がした。そこで
今迄の
問題は
其所に
据ゑつきりにして
置いて、
自分が
當時小六の
學資として
叔父に
預けて
行つた千
圓の
所置を
聞き
糺して
見ると、
叔母は、
「
宗さん、あれこそ
本當に
小六が
使つちまつたんですよ。
小六が
高等學校へ
這入つてからでも、もう
彼是七百
圓は
掛かつてゐるんですもの」と
答へた。
宗助は
序だから、それと
同時に、
叔父に
保管を
頼んだ
書畫や
骨董品の
成行を
確かめて
見た。すると、
叔母は、
「ありあ
飛んだ
馬鹿な
目に
逢つて」と
云ひかけたが、
宗助の
樣子を
見て、
「
宗さん、
何ですか、
彼事はまだ
御話をしなかつたんでしたかね」と
聞いた。
宗助がいゝえと
答へると、
「おや/\、
夫ぢや
叔父さんが
忘れちまつたんですよ」と
云ひながら、
其顛末を
語つて
聞かした。
宗助が
廣島へ
歸ると
間もなく、
叔父は
其賣捌方を
眞田とかいふ
懇意の
男に
依頼した。
此男は
書畫骨董の
道に
明るいとかいふので、
平生そんなものの
賣買の
周旋をして
諸方へ
出入するさうであつたが、すぐさま
叔父の
依頼を
引き
受けて、
誰某が
何を
欲しいと
云ふから、
一寸拜見とか、
何々氏が
斯う
云ふ
物を
希望だから、
見せませうとか
號して、
品物を
持つて
行つたぎり、
返して
來ない。
催促すると、まだ
先方から
戻つて
參りませんからとか
何とか
言譯をする
丈で
甞て
埒の
明いた
試がなかつたが、とう/\
持ち
切れなくなつたと
見えて、
何處かへ
姿を
隱して
仕舞つた。
「でもね、
未だ
屏風が
一つ
殘つてゐますよ。
此間引越の
時に、
氣が
付いて、こりや
宗さんのだから、
今度序があつたら
屆けて
上げたら
可いだらうつて、
安がさう
云つてゐましたつけ」
叔母は
宗助の
預けて
行つた
品物には
丸で
重きを
置いてゐない
樣な、ものゝ
云ひ
方をした。
宗助も
今日迄放つて
置く
位だから、あまり
其方面には
興味を
有ち
得なかつたので、
少しも
良心に
惱まされてゐる
氣色のない
叔母の
樣子を
見ても、
別に
腹は
立たなかつた。それでも、
叔母が、
「
宗さん、
何うせ
家ぢや
使つてゐないんだから、なんなら
持つて
御出なすつちや
何うです。
此頃は
彼いふものが、
大變價が
出たと
云ふ
話ぢやありませんか」と
云つたときは、
實際それを
持つて
歸る
氣になつた。
納戸から
取り
出して
貰つて、
明るい
所で
眺めると、
慥かに
見覺のある二
枚折であつた。
下に
萩、
桔梗、
芒、
葛、
女郎花を
隙間なく
描いた
上に、
眞丸な
月を
銀で
出して、
其横の
空いた
所へ、
野路や
空月の
中なる
女郎花、
其一と
題してある。
宗助は
膝を
突いて
銀の
色の
黒く
焦げた
邊から、
葛の
葉の
風に
裏を
返してゐる
色の
乾いた
樣から、
大福程な
大きな
丸い
朱の
輪廓の
中に、
抱一と
行書で
書いた
落款をつく/″\と
見て、
父の
生きてゐる
當時を
憶ひ
起さずにはゐられなかつた。
父は
正月になると、
屹度此屏風を
薄暗い
藏の
中から
出して、
玄關の
仕切りに
立てて、
其前へ
紫檀の
角な
名刺入を
置いて、
年賀を
受けたものである。
其時は
目出度からと
云ふので、
客間の
床には
必ず
虎の
双幅を
懸けた。
是は
岸駒ぢやない
岸岱だと
父が
宗助に
云つて
聞かせた
事があるのを、
宗助はいまだに
記憶してゐた。
此虎の
畫には
墨が
着いてゐた。
虎が
舌を
出して
谷の
水を
呑んでゐる
鼻柱が
少し
汚されたのを、
父は
苛く
氣にして、
宗助を
見る
度に、
御前此所へ
墨を
塗つた
事を
覺えてゐるか、
是は
御前の
小さい
時分の
惡戲だぞと
云つて、
可笑しい
樣な
恨めしい
樣な
一種の
表情をした。
宗助は
屏風の
前に
畏まつて、
自分が
東京にゐた
昔の
事を
考へながら、
「
叔母さん、ぢや
此屏風は
頂戴して
行きませう」と
云つた。
「あゝ/\、
御持ちなさいとも。
何なら
使に
持たせて
上げませう」と
叔母は
好意から
申し
添えた。
宗助は
然るべく
叔母に
頼んで、
其日は
夫で
切り
上げて
歸つた。
晩食の
後御米と
一所に
又縁側へ
出て、
暗い
所で
白地の
浴衣を
並べて、
涼みながら、
畫の
話をした。
「
安さんには、
御逢ひなさらなかつたの」と
御米が
聞いた。
「あゝ、
安さんは
土曜でも
何でも
夕方迄、
工場にゐるんださうだ」
「
隨分骨が
折れるでせうね」
御米は
左う
云つたなり、
叔父や
叔母の
處置に
就いては、
一言の
批評も
加へなかつた。
「
小六の
事は
何うしたものだらう」と
宗助が
聞くと、
「さうね」と
云ふ
丈であつた。
「
理窟を
云へば、
此方にも
云ひ
分はあるが、
云ひ
出せば、とゞの
詰りは
裁判沙汰になる
許りだから、
證據も
何もなければ
勝てる
譯のものぢやなし」と
宗助が
極端を
豫想すると、
「
裁判なんかに
勝たなくたつても
可いわ」と
御米がすぐ
云つたので、
宗助は
苦笑して
已めた。
「つまりは
己があの
時東京へ
出られなかつたからの
事さ」
「さうして
東京へ
出られた
時は、もうそんな
事は
何うでも
可かつたんですもの」
夫婦はこんな
話をしながら、
又細い
空を
庇の
下から
覗いて
見て、
明日の
天氣を
語り
合つて
蚊帳に
這入つた。
次の
日曜に
宗助は
小六を
呼んで、
叔母の
云つた
通りを
殘らず
話して
聞かせて、
「
叔母さんが
御前に
詳しい
説明をしなかつたのは、
短兵急な
御前の
性質を
知つてる
所爲か、
夫ともまだ
小供だと
思つてわざと
略して
仕舞つたのか、
其所は
己にも
分らないが、
何しろ
事實は
今云つた
通りなんだよ」と
教えた。
小六には
如何に
詳しい
説明も
腹の
足しにはならなかつた。たゞ、
「
左うですか」と
云つて
六づかしい
不滿な
顏をして
宗助を
見た。
「
仕方がないよ。
叔母さんだつて、
安さんだつて、さう
惡い
料簡はないんだから」
「そりや、
分つてゐます」と
弟は
峻しい
物の
云ひ
方をした。
「ぢや
己が
惡いつて
云ふんだらう。
己は
無論惡いよ。
昔から
今日迄惡い
所だらけな
男だもの」
宗助は
横になつて
烟草を
吹かしながら、
是より
以上は
何とも
語らなかつた。
小六も
默つて、
座敷の
隅に
立てゝあつた二
枚折の
抱一の
屏風を
眺めてゐた。
「
御前あの
屏風を
覺えてゐるかい」とやがて
兄が
聞いた。
「えゝ」と
小六が
答へた。
「
一昨日佐伯から
屆けて
呉れた。
御父さんの
持つてたもので、おれの
手に
殘つたのは、
今ぢや
是だけだ。
是が
御前の
學資になるなら、
今すぐにでも
遣るが、
剥げた
屏風一
枚で
大學を
卒業する
譯にも
行かずな」と
宗助が
云つた。さうして
苦笑しながら、
「
此暑いのに、
斯んなものを
立てゝ
置くのは、
氣狂じみてゐるが、
入れて
置く
所がないから、
仕方がない」と
云ふ
述懷をした。
小六は
此氣樂な
樣な、
愚圖の
樣な、
自分とは
餘りに
懸け
隔つてゐる
兄を、
何時も
物足りなくは
思ふものゝ、いざといふ
場合に、
決して
喧嘩はし
得なかつた。
此時も
急に
癇癪の
角を
折られた
氣味で、
「
屏風は
何うでも
好いが、
是から
先僕はどうしたもんでせう」と
聞き
出した。
「
夫は
問題だ。
何しろ
此年一杯に
極まれば
好い
事だから、まあよく
考へるさ。おれも
考へて
置かう」と
宗助が
云つた。
弟は
彼の
性質として、そんな
中ぶらりんの
姿は
嫌である、
學校へ
出ても
落付いて
稽古も
出來ず、
下調も
手に
付かない
樣な
境遇は、
到底自分には
堪へられないと
云ふ
訴を
切に
遣り
出したが、
宗助の
態度は
依然として
變らなかつた。
小六があまり
癇の
高い
不平を
並べると、
「
其位な
事で
夫程不平が
並べられゝば、
何處へ
行つたつて
大丈夫だ。
學校を
已めたつて、
一向差支ない。
御前の
方が
己より
餘つ
程えらいよ」と
兄が
云つたので、
話は
夫限頓挫して、
小六はとう/\
本郷へ
歸つて
行つた。
宗助はそれから
湯を
浴びて、
晩食を
濟まして、
夜は
近所の
縁日へ
御米と
一所に
出掛けた。さうして
手頃な
花物を
二鉢買つて、
夫婦して
一つ
宛持つて
歸つて
來た。
夜露に
中てた
方が
可からうと
云ふので、
崖下の
雨戸を
明けて、
庭先にそれを
二つ
並べて
置いた。
蚊帳の
中へ
這入つた
時、
御米は、
「
小六さんの
事は
何うなつて」と
夫に
聞くと、
「
未だ
何うもならないさ」と
宗助は
答へたが、十
分許の
後夫婦ともすや/\
寐入つた。
翌日眼が
覺めて
役所の
生活が
始まると、
宗助はもう
小六の
事を
考へる
暇を
有たなかつた。
家へ
歸つて、のつそりしてゐる
時ですら、
此問題を
確的眼の
前に
描いて
明らかにそれを
眺める
事を
憚かつた。
髮の
毛の
中に
包んである
彼の
腦は、
其煩はしさに
堪えなかつた。
昔は
數學が
好で、
隨分込み
入つた
幾何の
問題を、
頭の
中で
明暸な
圖にして
見る
丈の
根氣があつた
事を
憶ひ
出すと、
時日の
割には
非常に
烈しく
來た
此變化が
自分にも
恐ろしく
映つた。
それでも
日に
一度位は
小六の
姿がぼんやり
頭の
奧に
浮いて
來る
事があつて、その
時丈は、
彼奴の
將來も
何とか
考へて
置かなくつちやならないと
云ふ
氣も
起つた。
然しすぐあとから、まあ
急ぐにも
及ぶまい
位に、
自分と
打ち
消して
仕舞ふのが
常であつた。さうして、
胸の
筋が
一本鉤に
引つ
掛つた
樣な
心を
抱いて、
日を
暮らしてゐた。
其内九
月も
末になつて、
毎晩天の
河が
濃く
見へるある
宵の
事、
空から
降つた
樣に
安之助が
遣つて
來た。
宗助にも
御米にも
思ひ
掛けない
程稀な
客なので、
二人とも
何か
用があつての
訪問だらうと
推したが、
果して
小六に
關する
件であつた。
此間月島の
工場へひよつくり
小六が
遣つて
來て
云ふには、
自分の
學資に
就ての
詳しい
話は
兄から
聞いたが、
自分も
今迄學問を
遣つて
來て、とう/\
大學へ
這入れず
仕舞になるのは
如何にも
殘念だから、
借金でも
何でもして、
行ける
所迄行きたいが、
何か
好い
工夫はあるまいかと
相談を
掛けるので、
安之助はよく
宗さんにも
話して
見やうと
答へると、
小六は
忽ちそれを
遮ぎつて、
兄は
到底相談になつて
呉れる
人ぢやない、
自分が
大學を
卒業しないから、
他も
中途で
已めるのは
當然だ
位に
考へてゐる。
元來今度の
事も
元を
糺せば
兄が
責任者であるのに、あの
通り
一向平氣なもので、
他が
何を
云つても
取り
合つて
呉れない。だから、たゞ
頼りにするのは
君丈だ。
叔母さんに
正式に
斷わられながら、
又君に
依頼するのは
可笑しい
樣だが、
君の
方が
叔母さんより
話が
分るだらうと
思つて
來たと
云つて、
中々動きさうもなかつたさうである。
安之助は、そんな
事はない、
宗さんも
君の
事では
大分心配して、
近い
中又家へ
相談に
來る
筈になつてゐるんだからと
慰めて、
小六を
歸したんだと
云ふ。
歸るときに、
小六は
袂から
半紙を
何枚も
出して、
缺席屆が
入用だから
是に
判を
押して
呉れと
請求して、
僕は
退學か
在學か
片が
付く
迄は
勉強が
出來ないから、
毎日學校へ
出る
必要はないんだと
云つたさうである。
安之助は
忙がしいとかで、一
時間足らず
話して
歸つて
行つたが、
小六の
所置に
就ては、
兩人の
間に
具體的の
案は
別に
出なかつた。
何れ
緩くりみんなで
寄つて
極めやう、
都合がよければ
小六も
列席するが
好からうといふのが
別れる
時の
言葉であつた。
二人になつたとき、
御米は
宗助に、
「
何を
考へて
入らつしやるの」と
聞いた。
宗助は
兩手を
兵兒帶の
間に
挾んで、
心持肩を
高くしたなり、
「
己ももう一
返小六見た
樣になつて
見たい」と
云つた。「
此方ぢや、
向が
己の
樣な
運命に
陷るだらうと
思つて
心配してゐるのに、
向ぢや
兄貴なんざあ
眼中にないから
偉いや」
御米は
茶器を
引いて
臺所へ
出た。
夫婦はそれぎり
話を
切り
上げて、
又床を
延べて
寐た。
夢の
上に
高い
銀河が
涼しく
懸つた。
次の
週間には、
小六も
來ず、
佐伯からの
音信もなく、
宗助の
家庭は
又平日の
無事に
歸つた。
夫婦は
毎朝露の
光る
頃起きて、
美しい
日を
廂の
上に
見た。
夜は
煤竹の
臺を
着けた
洋燈の
兩側に、
長い
影を
描いて
坐つてゐた。
話が
途切れた
時はひそりとして、
柱時計の
振子の
音丈が
聞える
事も
稀ではなかつた。
夫でも
夫婦は
此間に
小六の
事を
相談した。
小六がもし
何うしても
學問を
續ける
氣なら
無論の
事、さうでなくても、
今の
下宿を
一時引き
上げなければならなくなるのは
知れてゐるが、
左うすれば
又佐伯へ
歸るか、
或は
宗助の
所へ
置くより
外に
途はない。
佐伯では
一旦あゝ
云ひ
出した
樣なものゝ、
頼んで
見たら、
當分宅へ
置く
位の
事は、
好意上爲てくれまいものでもない。が、
其上修業をさせるとなると、
月謝小遣其他は
宗助の
方で
擔任しなければ
義理が
惡い。
所が
夫は
家計上宗助の
堪える
所でなかつた。
月々の
收支を
事細かに
計算して
見た
兩人は、
「
到底駄目だね」
「
何うしたつて
無理ですわ」と
云つた。
夫婦の
坐つてゐる
茶の
間の
次が
臺所で、
臺所の
右に
下女部屋、
左に六
疊が
一間ある。
下女を
入れて三
人の
小人數だから、
此六
疊には
餘り
必要を
感じない
御米は、
東向の
窓側に
何時も
自分の
鏡臺を
置いた。
宗助も
朝起きて
顏を
洗つて、
飯を
濟ますと、
此所へ
來て
着物を
脱ぎ
更へた。
「
夫よりか、あの六
疊を
空けて、あすこへ
來ちや
不可なくつて」と
御米が
云ひ
出した。
御米の
考へでは、
斯うして
自分の
方で
部屋と
食物丈を
分擔して、あとの
所を
月々幾何か
佐伯から
助て
貰つたら、
小六の
望み
通り
大學卒業迄遣つて
行かれやうと
云ふのである。
「
着物は
安さんの
古いのや、
貴方のを
直して
上げたら、
何うかなるでせう」と
御米が
云ひ
添へた。
實は
宗助にも
斯んな
考が、
多少頭に
浮かんで
居た。たゞ
御米に
遠慮がある
上に、
夫程氣が
進まなかつたので、つい
口へ
出さなかつた
迄だから、
細君から
斯う
反對に
相談を
掛けられて
見ると、
固よりそれを
拒む
丈の
勇氣はなかつた。
小六に
其通りを
通知して、
御前さへそれで
差支なければ、
己がもう一
遍佐伯へ
行つて
掛合つて
見るがと、
手紙で
問ひ
合せると、
小六は
郵便の
着いた
晩、すぐ
雨の
降る
中を、
傘に
音を
立てゝ
遣つて
來て、もう
學資が
出來でもした
樣に
嬉しがつた。
「
何、
叔母さんの
方ぢや、
此方で
何時迄も
貴方の
事を
放り
出したまんま、
構はずに
置くもんだから、それで
彼仰やるのよ。なに
兄さんだつて、もう
少し
都合が
好ければ、
疾うにも
何うにか
爲たんですけれども、
御存じの
通りだから
實際已むを
得なかつたんですわ。
然し
此方から
斯う
云つて
行けば、
叔母さんだつて、
安さんだつて、
夫でも
否だとは
云はれないわ。
屹度出來るから
安心して
居らつしやい。
私受合ふわ」
御米にかう
受合つて
貰つた
小六は、
又雨の
音を
頭の
上に
受けて
本郷へ
歸つて
行つた。しかし
中一
日置いて、
兄さんは
未だ
行かないんですかと
聞きに
來た。
又三日許過ぎてから、
今度は
叔母さんの
所へ
行つて
聞いたら、
兄さんはまだ
來ないさうだから、
成るべく
早く
行く
樣に
勸めて
呉れと
催促して
行つた。
宗助が
行く
行くと
云つて、
日を
暮らしてゐるうちに
世の
中は
漸く
秋になつた。その
朗らかな
或日曜の
午後に、
宗助はあまり
佐伯へ
行くのが
後れるので、
此要件を
手紙に
認めて
番町へ
相談したのである。すると、
叔母から
安之助は
神戸へ
行つて
留守だと
云ふ
返事が
來たのである。
佐伯の
叔母の
尋ねて
來たのは、
土曜の
午後の二
時過であつた。
其日は
例になく
朝から
雲が
出て、
突然と
風が
北に
變つた
樣に
寒かつた。
叔母は
竹で
編んだ
丸い
火桶の
上へ
手を
翳して、
「
何ですね、
御米さん、
此御部屋は
夏は
涼しさうで
結構だが、
是からはちと
寒う
御座んすね」と
云つた。
叔母は
癖のある
髮を、
奇麗に
髷に
結つて、
古風な
丸打の
羽織の
紐を、
胸の
所で
結んでゐた。
酒の
好きな
質で、
今でも
少しづゝは
晩酌を
遣る
所爲か、
色澤もよく、でつぷり
肥つてゐるから、
年よりは
餘程若く
見える。
御米は
叔母が
來るたんびに、
叔母さんは
若いのねと、
後でよく
宗助に
話した。すると
宗助が
何時でも、
若い
筈だ、あの
年になる
迄、
子供をたつた
一人しか
生まないんだからと
説明した。
御米は
實際さうかも
知れないと
思つた。さうして
斯う
云はれた
後では、
折々そつと六
疊へ
這入つて、
自分の
顏を
鏡に
映して
見た。
其時は
何だか
自分の
頬が
見る
度に
瘠けて
行く
樣な
氣がした。
御米には
自分と
子供とを
連想して
考へる
程辛い
事はなかつたのである。
裏の
家主の
宅に、
小さい
子供が
大勢ゐて、
夫が
崖の
上の
庭へ
出て、ブランコへ
乘つたり、
鬼ごつこを
遣つたりして
騷ぐ
聲が、
能く
聞えると、
御米は
何時でも、
果敢ない
樣な
恨めしい
樣な
心持になつた。
今自分の
前に
坐つてゐる
叔母は、たつた
一人の
男の
子を
生んで、その
男の
子が
順當に
育つて、
立派な
學士になつたればこそ、
叔父が
死んだ
今日でも、
何不足のない
顏をして、
腮などは
二重に
見える
位に
豐なのである。
御母さんは
肥つてるから
劍呑だ、
氣を
付けないと
卒中で
遣られるかも
知れないと、
安之助が
始終心配するさうだけれども、
御米から
云はせると、
心配する
安之助も、
心配される
叔母も、
共に
幸福を
享け
合つてゐるものとしか
思はれなかつた。
「
安さんは」と
御米が
聞いた。
「えゝ
漸くね、あなた。
一昨日の
晩歸りましてね。
夫でつい/\
御返事も
後れちまつて、まことに
濟みません
樣な
譯で」と
云つたが、
返事の
方は
夫なりにして、
話は
又安之助へ
戻つて
來た。
「あれもね、
御蔭さまで
漸く
學校丈は
卒業しましたが、
是からが
大事の
所で、
心配で
御座います。――
夫でも
此九
月から、
月島の
工場の
方へ
出る
事になりまして、まあ
幸と
此分で
勉強さへして
行つて
呉れゝば、
此末ともに、さう
惡い
事も
無からうかと
思つてるんですけれども、まあ
若いものゝ
事ですから、
是から
先何う
變化るか
分りやしませんよ」
御米はたゞ
結構で
御座いますとか、
御目出たう
御座いますとか
云ふ
言葉を、
間々に
挾んでゐた。
「
神戸へ
參つたのも、
全く
其方の
用向なので。
石油發動機とか
何とか
云ふものを
鰹船へ
据ゑ
付けるんだとかつてね
貴方」
御米には
丸で
意味が
分らなかつた。
分らない
乍らたゞへえゝと
受けてゐると、
叔母はすぐ
後を
話した。
「
私にも
何のこつたか、
些とも
分らなかつたんですが、
安之助の
講釋を
聞いて
始めて、おやさうかいと
云ふ
樣な
譯でしてね。――
尤も
石油發動機は
今以て
分らないんですけれども」と
云ひながら、
大きな
聲を
出して
笑つた。「
何でも
石油を
焚いて、それで
船を
自由にする
器械なんださうですが、
聞いて
見ると
餘程重寶なものらしいんですよ。
夫さへ
付ければ、
舟を
漕ぐ
手間が
丸で
省けるとかでね。五
里も十
里も
沖へ
出るのに、
大變樂なんですとさ。
所が
貴方、
此日本全國で
鰹船の
數つたら、
夫こそ
大したものでせう。その
鰹船が
一つ
宛此器械を
具へ
付ける
樣になつたら、
莫大な
利益だつて
云ふんで、
此頃は
夢中になつて
其方ばつかりに
掛つてゐる
樣ですよ。
莫大な
利益は
有難いが、さう
凝つて
身體でも
惡くしちや
詰らないぢやないかつて、
此間も
笑つた
位で」
叔母はしきりに
鰹船と
安之助の
話をした。さうして
大變得意の
樣に
見えたが、
小六の
事は
中々云ひ
出さなかつた。もう
疾に
歸る
筈の
宗助も
何うしたか
歸つて
來なかつた。
彼は
其日役所の
歸り
掛けに
駿河臺下迄來て、
電車を
下りて、
酸いものを
頬張つた
樣な
口を
穿めて一二
町歩いた
後、ある
齒醫者の
門を
潛つたのである。
三四日前彼は
御米と
差向ひで、
夕飯の
膳に
着いて、
話しながら
箸を
取つてゐる
際に、
何うした
拍子か、
前齒を
逆にぎりゝと
噛んでから、それが
急に
痛み
出した。
指で
搖かすと、
根がぐら/\する。
食事の
時には
湯茶が
染みる。
口を
開けて
息をすると
風も
染みた。
宗助は
此朝齒を
磨くために、わざと
痛い
所を
避けて
楊枝を
使ひながら、
口の
中を
鏡に
照らして
見たら、
廣島で
銀を
埋めた二
枚の
奧齒と、
研いだ
樣に
磨り
減らした
不揃の
前齒とが、
俄かに
寒く
光つた。
洋服に
着換える
時、
「
御米、
己は
齒の
性が
餘程惡いと
見えるね。
斯うやると
大抵動くぜ」と
下齒を
指で
動かして
見せた。
御米は
笑ひながら、
「もう
御年の
所爲よ」と
云つて
白い
襟を
後へ
廻つて
襯衣へ
着けた。
宗助は
其日の
午後とう/\
思い
切つて、
齒醫者へ
寄つたのである。
應接間へ
通ると、
大きな
洋卓の
周圍に
天鵞絨で
張つた
腰掛が
并んでゐて、
待ち
合してゐる
三四人が、うづくまる
樣に
腮を
襟に
埋めてゐた。それが
皆女であつた。
奇麗な
茶色の
瓦斯暖爐には
火がまだ
焚いてなかつた。
宗助は
大きな
姿見に
映る
白壁の
色を
斜めに
見て、
番の
來るのを
待つてゐたが、あまり
退屈になつたので、
洋卓の
上に
重ねてあつた
雜誌に
眼を
着けた。一二
册手に
取つて
見ると、いづれも
婦人用のものであつた。
宗助は
其口繪に
出てゐる
女の
寫眞を、
何枚も
繰り
返して
眺めた。
夫から「
成効」と
云ふ
雜誌を
取り
上げた。
其初めに、
成效の
祕訣といふ
樣なものが
箇條書にしてあつたうちに、
何でも
猛進しなくつては
不可ないと
云ふ一ヶ
條と、たゞ
猛進しても
不可ない、
立派な
根底の
上に
立つて、
猛進しなくつてはならないと
云ふ一ヶ
條を
讀んで、それなり
雜誌を
伏せた。「
成效」と
宗助は
非常に
縁の
遠いものであつた。
宗助は
斯ういふ
名の
雜誌があると
云ふ
事さへ、
今日迄知らなかつた。それで
又珍らしくなつて、
一旦伏せたのを
又開けて
見ると、
不圖假名の
交らない
四角な
字が二
行程並んでゐた。
夫には
風碧落を
吹いて
浮雲盡き、
月東山に
上つて
玉一團とあつた。
宗助は
詩とか
歌とかいふものには、
元から
餘り
興味を
持たない
男であつたが、どう
云ふ
譯か
此二
句を
讀んだ
時に
大變感心した。
對句が
旨く
出來たとか
何とか
云ふ
意味ではなくつて、
斯んな
景色と
同じ
樣な
心持になれたら、
人間も
嘸嬉しからうと、ひよつと
心が
動いたのである。
宗助は
好奇心から
此句の
前に
付いてゐる
論文を
讀んで
見た。
然し
夫は
丸で
無關係の
樣に
思はれた。
只此二
句が
雜誌を
置いた
後でも、しきりに
彼の
頭の
中を
徘徊した。
彼の
生活は
實際此四五
年來斯ういふ
景色に
出逢つた
事がなかつたのである。
其時向ふの
戸が
開いて、
紙片を
持つた
書生が
野中さんと
宗助を
手術室へ
呼び
入れた。
中へ
這入ると、
其所は
應接間よりも
倍も
廣かつた。
光線が
成るべく
餘計取れる
樣に
明るく
拵らへた
部屋の
二側に、
手術用の
椅子を
四臺程据ゑて、
白い
胸掛をかけた
受持の
男が、
一人づゝ
別々に
療治をしてゐた。
宗助は
一番奧の
方にある一
脚に
案内されて、
是へと
云はれるので、
踏段の
樣なものの
上へ
乘つて、
椅子へ
腰を
卸した。
書生が
厚い
縞入の
前掛で
丁寧に
膝から
下を
包んで
呉れた。
斯う
穩やかに
寐かされた
時、
宗助は
例の
齒が
左程苦になる
程痛んでゐないと
云ふ
事を
發見した。
夫ばかりか、
肩も
脊も、
腰の
周りも、
心安く
落ち
付いて、
如何にも
樂に
調子が
取れてゐる
事に
氣が
付いた。
彼はたゞ
仰向いて
天井から
下つてゐる
瓦斯管を
眺めた。さうして
此構と
設備では、
歸りがけに
思つたより
高い
療治代を
取られるかも
知れないと
氣遣つた。
所へ
顏の
割に
頭の
薄くなり
過ぎた
肥つた
男が
出て
來て、
大變丁寧に
挨拶をしたので、
宗助は
少し
椅子の
上で
狼狽た
樣に
首を
動かした。
肥つた
男は
一應容體を
聞いて、
口中を
檢査して、
宗助の
痛いと
云ふ
齒を
一寸搖つて
見たが、
「
何うも
斯う
弛みますと、
到底元の
樣に
緊る
譯には
參りますまいと
思ひますが。
何しろ
中がエソになつて
居りますから」と
云つた。
宗助は
此宣告を
淋しい
秋の
光の
樣に
感じた。もうそんな
年なんでせうかと
聞いて
見たくなつたが、
少し
極りが
惡いので、たゞ、
「ぢや
癒らないんですか」と
念を
押した。
肥つた
男は
笑ひながら
斯う
云つた。――
「まあ
癒らないと
申し
上げるより
外に
仕方が
御座んせんな。
已を
得なければ、
思ひ
切つて
拔いて
仕舞ふんですが、
今の
所では、まだ
夫程でも
御座いますまいから、たゞ
御痛み
丈を
留めて
置きませう。
何しろエソ――エソと
申しても
御分りにならないかも
知れませんが、
中が
丸で
腐つて
居ります」
宗助は、
左うですかと
云つて、たゞ
肥つた
男のなすが
儘にして
置いた。すると
彼は
器械をぐる/\
廻して
宗助の
齒の
根へ
穴を
開け
始めた。さうして
其中へ
細長い
針の
樣なものを
刺し
通しては、
其先を
嗅いでゐたが、
仕舞に
糸程な
筋を
引き
出して、
神經が
是丈取れましたと
云ひながら、それを
宗助に
見せて
呉れた。それから
藥で
其穴を
埋めて、
明日又入らつしやいと
注意を
與へた。
椅子を
下りるとき、
身體が
眞直ぐになつたので、
視線の
位置が
天井から
不圖庭先に
移つたら、
其所にあつた
高さ五
尺もあらうと
云ふ
大きな
鉢栽の
松が
宗助の
眼に
這入つた。
其根方の
所を、
草鞋がけの
植木屋が
丁寧に
薦で
包んでゐた。
段々露が
凝つて
霜になる
時節なので、
餘裕のあるものは、もう
今時分から
手廻しをするのだと
氣が
付いた。
歸りがけに
玄關脇の
藥局で、
粉藥の
儘含嗽劑を
受取つて、それを百
倍の
微温湯に
溶解して、一
日十
數回使用すべき
注意を
受けた
時、
宗助は
會計の
請求した
治療代の
案外廉なのを
喜んだ。
是ならば
向ふで
云ふ
通り四五
回通つた
所が、さして
困難でもないと
思つて、
靴を
穿かうとすると、
今度は
靴の
底が
何時の
間にか
破れてゐる
事に
氣が
付いた。
宅へ
着いた
時は
一足違で
叔母がもう
歸つたあとであつた。
宗助は、
「おゝ、
左うだつたか」と
云ひながら、
甚だ
面倒さうに
洋服を
脱ぎ
更へて、
何時もの
通り
火鉢の
前に
坐つた。
御米は
襯衣や
洋袴や
靴足袋を
一抱にして六
疊へ
這入つた。
宗助はぼんやりして、
烟草を
吹かし
始めたが、
向ふの
部屋で、
刷毛を
掛ける
音がし
出した
時、
「
御米、
佐伯の
叔母さんは
何とか
云つて
來たのかい」と
聞いた。
齒痛が
自から
治まつたので、
秋に
襲はれる
樣な
寒い
氣分は、
少し
輕くなつたけれども、やがて
御米が
隱袋から
取り
出して
來た
粉藥を、
温ま
湯に
溶いて
貰つて、しきりに
含嗽を
始めた。
其時彼は
縁側へ
立つた
儘、
「
何うも
日が
短かくなつたなあ」と
云つた。
やがて
日が
暮れた。
晝間からあまり
車の
音を
聞かない
町内は、
宵の
口から
寂としてゐた。
夫婦は
例の
通り
洋燈の
下に
寄つた。
廣い
世の
中で、
自分達の
坐つてゐる
所丈が
明るく
思はれた。さうして
此明るい
灯影に、
宗助は
御米丈を、
御米は
又宗助丈を
意識して、
洋燈の
力の
屆かない
暗い
社會は
忘れてゐた。
彼等は
毎晩かう
暮らして
行く
裡に、
自分達の
生命を
見出してゐたのである。
此靜かな
夫婦は
安之助の
神戸から
土産に
買つて
來たと
云ふ
養老昆布の
罐をがら/\
振つて、
中から
山椒入りの
小さく
結んだ
奴を
撰り
出しながら、
緩くり
佐伯からの
返事を
語り
合つた。
「
然し
月謝と
小遣位は
都合して
遣つて
呉れても
好ささうなもんぢやないか」
「それが
出來ないんだつて。
何う
見積つても
兩方寄せると、十
圓にはなる。十
圓と
云ふ
纏つた
御金を、
今の
所月々出すのは
骨が
折れるつて
云ふのよ」
「
夫ぢや
此年の
暮迄二十
何圓づゝか
出して
遣るのも
無理ぢやないか」
「だから、
無理をしても、もう一二ヶ
月の
所丈は
間に
合せるから、
其内に
何うかして
下さいと、
安さんが
左う
云ふんだつて」
「
實際出來ないのかな」
「
夫りや
私には
分らないわ。
何しろ
叔母さんが、
左う
云ふのよ」
「
鰹舟で
儲けたら、
其位譯なささうなもんぢやないか」
「
本當ね」
御米は
低い
聲で
笑つた。
宗助も
一寸口の
端を
動かしたが、
話はそれで
途切れて
仕舞つた。しばらくしてから、
「
何しろ
小六は
家へ
來ると
極めるより
外に
道はあるまいよ。
後は
其上の
事だ。
今ぢや
學校へは
出てゐるんだね」と
宗助が
云つた。
「さうでせう」と
御米が
答へるのを
聞き
流して、
彼は
珍らしく
書齋に
這入つた。一
時間程して、
御米がそつと
襖を
開けて
覗いて
見ると、
机に
向つて、
何か
讀んでゐた。
「
勉強? もう
御休みなさらなくつて」と
誘はれた
時、
彼は
振り
返つて、
「うん、もう
寐よう」と
答へながら
立ち
上つた。
寐る
時、
着物を
脱いで、
寐卷の
上に、
絞りの
兵兒帶をぐる/\
卷きつけながら、
「
今夜は
久し
振に
論語を
讀んだ」と
云つた。
「
論語に
何かあつて」と
御米が
聞き
返したら、
宗助は、
「いや
何にもない」と
答へた。それから、「おい、
己の
齒は
矢つ
張り
年の
所爲だとさ。ぐら/\するのは
到底癒らないさうだ」と
云ひつゝ、
黒い
頭を
枕の
上に
着けた。
小六は
兎も
角も
都合次第下宿を
引き
拂つて
兄の
家へ
移る
事に
相談が
調つた。
御米は六
疊に
置き
付けた
桑の
鏡臺を
眺めて、
一寸殘り
惜しい
顏をしたが、
「
斯うなると
少し
遣場に
困るのね」と
訴へる
樣に
宗助に
告げた。
實際此所を
取り
上げられては、
御米の
御化粧をする
場所が
無くなつて
仕舞ふのである。
宗助は
何の
工夫も
付かずに、
立ちながら、
向ふの
窓側に
据ゑてある
鏡の
裏を
斜に
眺めた。すると
角度の
具合で、
其所に
御米の
襟元から
片頬が
映つてゐた。それが
如何にも
血色のわるい
横顏なのに
驚ろかされて、
「
御前、
何うかしたのかい。
大變色が
惡いよ」と
云ひながら、
鏡から
眼を
放して、
實際の
御米の
姿を
見た。
鬢が
亂れて、
襟の
後の
邊が
垢で
少し
汚れてゐた。
御米はたゞ、
「
寒い
所爲なんでせう」と
答へて、すぐ
西側に
付いてゐる
一間の
戸棚を
明けた。
下には
古い
創だらけの
箪笥があつて、
上には
支那鞄と
柳行李が
二つ
三つ
載つてゐた。
「こんなもの、
何うしたつて
片付樣がないわね」
「だから
其儘にして
置くさ」
小六の
此所へ
引移つて
來るのは、
斯う
云ふ
點から
見て、
夫婦の
何れにも、
多少迷惑であつた。だから
來ると
云つて
約束して
置きながら、
今だに
來ない
小六に
對しては、
別段の
催促もしなかつた。
一日延びれば
延びた
丈窮屈が
逃げた
樣な
氣が
何所かでした。
小六にも
丁度それと
同じ
憚があつたので、
居られる
限は
下宿にゐる
方が
便利だと
胸を
極めたものか、つい
一日/\と
引越を
前へ
送つてゐた。
其癖彼の
性質として、
兄夫婦の
如く、
荏苒の
境に
落付いてはゐられなかつたのである。
其内薄い
霜が
降りて、
裏の
芭蕉を
見事に
摧いた。
朝は
崖上の
家主の
庭の
方で、
鵯が
鋭どい
聲を
立てた。
夕方には
表を
急ぐ
豆腐屋の
喇叭に
交つて、
圓明寺の
木魚の
音が
聞えた。
日は
益短かくなつた。さうして
御米の
顏色は、
宗助が
鏡の
中に
認めた
時よりも、
爽かにはならなかつた。
夫が
役所から
歸つて
來て
見ると、六
疊で
寐てゐる
事が一二
度あつた。
何うかしたかと
尋ねると、たゞ
少し
心持が
惡いと
答へる
丈であつた。
醫者に
見て
貰へと
勸めると、
夫には
及ばないと
云つて
取り
合はなかつた。
宗助は
心配した。
役所へ
出てゐても
能く
御米の
事が
氣に
掛つて、
用の
邪魔になるのを
意識する
時もあつた。
所がある
日歸りがけに
突然電車の
中で
膝を
拍つた。その
日は
例になく
元氣よく
格子を
明けて、すぐと
勢よく
今日は
何うだいと
御米に
聞いた。
御米が
何時もの
通り
服や
靴足袋を
一纏めにして、六
疊へ
這入る
後から
追いて
來て、
「
御米、
御前子供が
出來たんぢやないか」と
笑ひながら
云つた。
御米は
返事もせずに
俯向いてしきりに
夫の
脊廣の
埃を
拂つた。
刷毛の
音が
已んでも
中々六
疊から
出て
來ないので、
又行つて
見ると、
薄暗い
部屋の
中で、
御米はたつた
一人寒さうに、
鏡臺の
前に
坐つてゐた。はいと
云つて
立つたが、
其聲が
泣いた
後の
聲の
樣であつた。
其晩夫婦は
火鉢に
掛けた
鐵瓶を、
双方から
手で
掩ふ
樣にして
差し
向つた。
「
何うですな
世の
中は」と
宗助が
例にない
浮いた
調子を
出した。
御米の
頭の
中には、
夫婦にならない
前の、
宗助と
自分の
姿が
奇麗に
浮んだ。
「ちつと、
面白くしやうぢやないか。
此頃は
如何にも
不景氣だよ」と
宗助が
又云つた。
二人は
夫から
今度の
日曜には
一所に
何所へ
行かうか、
此所へ
行かうかと、しばらく
夫許話し
合つてゐた。
夫から
二人の
春着の
事が
題目になつた。
宗助の
同僚の
高木とか
云ふ
男が、
細君に
小袖とかを
強請られた
時、おれは
細君の
虚榮心を
滿足させる
爲に
稼いでるんぢやないと
云つて
跳ね
付けたら、
細君がそりや
非道い、
實際寒くなつても
着て
出るものがないんだと
辯解するので、
寒ければ
已を
得ない、
夜具を
着るとか、
毛布を
被るとかして、
當分我慢しろと
云つた
話を、
宗助は
可笑しく
繰り
返して
御米を
笑はした。
御米は
夫の
此樣子を
見て、
昔が
又眼の
前に
戻つた
樣な
氣がした。
「
高木の
細君は
夜具でも
構はないが、おれは
一つ
新らしい
外套を
拵えたいな。
此間齒醫者へ
行つたら、
植木屋が
薦で
盆栽の
松の
根を
包んでゐたので、つく/″\
左う
思つた」
「
外套が
欲しいつて」
「あゝ」
御米は
夫の
顏を
見て、さも
氣の
毒だと
云ふ
風に、
「
御拵らえなさいな。
月賦で」と
云つた。
宗助は、
「まあ
止さうよ」と
急に
侘しく
答へた。さうして「
時に
小六は
何時から
來る
氣なんだらう」と
聞いた。
「
來るのは
厭なんでせう」と
御米が
答へた。
御米には、
自分が
始めから
小六に
嫌はれてゐると
云ふ
自覺があつた。それでも
夫の
弟だと
思ふので、
成るべくは
反を
合せて、
少しでも
近づける
樣に/\と、
今日迄仕向けて
來た。その
爲か、
今では
以前と
違つて、まあ
普通の
小舅位の
親しみはあると
信じてゐる
樣なものゝ、
斯んな
場合になると、つい
實際以上にも
氣を
回して、
自分丈が
小六の
來ない
唯一の
原因の
樣に
考へられるのであつた。
「そりや
下宿からこんな
所へ
移るのは
好かあないだらうよ。
丁度此方が
迷惑を
感ずる
通り、
向ふでも
窮屈を
感ずる
譯だから。おれだつて、
小六が
來ないとすれば、
今のうち
思ひ
切つて
外套を
作る
丈の
勇氣があるんだけれども」
宗助は
男丈に
思ひ
切つて
斯う
云つて
仕舞つた。けれども
是丈では
御米の
心を
盡してゐなかつた。
御米は
返事もせずに、しばらく
默つてゐたが、
細い
腮を
襟の
中へ
埋めた
儘、
上眼を
使つて、
「
小六さんは、まだ
私の
事を
惡んでゐらつしやるでせうか」と
聞き
出した。
宗助が
東京へ
來た
當座は、
時々是に
類似の
質問を
御米から
受けて、
其都度慰めるのに
大分骨の
折れた
事もあつたが、
近來は
全く
忘れた
樣に
何も
云はなくなつたので、
宗助もつい
氣に
留めなかつたのである。
「
又ヒステリーが
始まつたね。
好いぢやないか
小六なんぞが、
何う
思つたつて。
己さえ
付いてれば」
「
論語にさう
書いてあつて」
御米は
斯んな
時に、
斯ういふ
冗談を
云ふ
女であつた。
宗助は
「うん、
書いてある」と
答へた。
夫で
二人の
會話が
仕舞になつた。
翌日宗助が
眼を
覺ますと、
亞鉛張の
庇の
上で
寒い
音がした。
御米が
襷掛の
儘枕元へ
來て、
「さあ、もう
時間よ」と
注意したとき、
彼は
此點滴の
音を
聞きながら、もう
少し
暖かい
蒲團の
中に
温もつてゐたかつた。けれども
血色の
可くない
御米の、
甲斐々々しい
姿を
見るや
否や、
「おい」と
云つて
直起き
上つた。
外は
濃い
雨に
鎖されてゐた。
崖の
上の
孟宗竹が
時々鬣を
振ふ
樣に、
雨を
吹いて
動いた。
此侘びしい
空の
下へ
濡れに
出る
宗助に
取つて、
力になるものは、
暖かい
味噌汁と
暖かい
飯より
外になかつた。
「
又靴の
中が
濡れる。
何うしても
二足持つてゐないと
困る」と
云つて、
底に
小さい
穴のあるのを
仕方なしに
穿いて、
洋袴の
裾を
一寸許まくり
上げた。
午過に
歸つて
來て
見ると、
御米は
金盥の
中に
雜巾を
浸けて、六
疊の
鏡臺の
傍に
置いてゐた。
其上の
所丈天井の
色が
變つて、
時々雫が
落ちて
來た。
「
靴ばかりぢやない。
家の
中迄濡れるんだね」と
云つて
宗助は
苦笑した。
御米は
其晩夫の
爲に
置炬燵へ
火を
入れて、スコツチの
靴下と
縞羅紗の
洋袴を
乾かした。
明る
日も
亦同じ
樣に
雨が
降つた。
夫婦も
亦同じ
樣に
同じ
事を
繰り
返した。その
明る
日もまだ
晴れなかつた。
三日目の
朝になつて、
宗助は
眉を
縮めて
舌打をした。
「
何時迄降る
氣なんだ。
靴がじめ/\して
我慢にも
穿けやしない」
「六
疊だつて
困るわ、あゝ
漏つちや」
夫婦は
相談して、
雨が
晴れ
次第、
家根を
繕つて
貰ふ
樣に
家主へ
掛け
合ふ
事にした。けれども
靴の
方は
何とも
仕樣がなかつた。
宗助はきしんで
這入らないのを
無理に
穿いて
出て
行つた。
幸に
其日は十一
時頃からからりと
晴れて、
垣に
雀の
鳴く
小春日和になつた。
宗助が
歸つた
時、
御米は
例より
冴え/″\しい
顏色をして、
「
貴方、あの
屏風を
賣つちや
不可なくつて」と
突然聞いた。
抱一の
屏風は
先達て
佐伯から
受取つた
儘、
元の
通り
書齋の
隅に
立てゝあつたのである。二
枚折だけれども、
座敷の
位置と
廣さから
云つても、
實は
寧ろ
邪魔な
裝飾であつた。
南へ
廻すと、
玄關からの
入口を
半分塞いで
仕舞ふし、
東へ
出すと
暗くなる、と
云つて、
殘る
一方へ
立てれば
床の
間を
隱すので、
宗助は、
「
折角親爺の
記念だと
思つて、
取つて
來た
樣なものゝ、
仕樣がないね
是ぢや、
場塞げで」と
零した
事も一二
度あつた。
其都度御米は
眞丸な
縁の
燒けた
銀の
月と、
絹地から
殆んど
區別出來ない
樣な
穗芒の
色を
眺めて、
斯んなものを
珍重する
人の
氣が
知れないと
云ふ
樣な
見えをした。けれども、
夫を
憚つて、
明白さまには
何とも
云ひ
出さなかつた。たゞ一
返
「
是でも
可い
繪なんでせうかね」と
聞いた
事があつた。
其時宗助は
始めて
抱一の
名を
御米に
説明して
聞かした。
然しそれは
自分が
昔し
父から
聞いた
覺のある、
朧氣な
記憶を
好加減に
繰り
返すに
過ぎなかつた。
實際の
畫の
價値や、
又抱一に
就ての
詳しい
歴史などに
至ると
宗助にも
其實甚だ
覺束なかつたのである。
所がそれが
偶然御米のために
妙な
行爲の
動機を
構成る
原因となつた。
過去一
週間夫と
自分の
間に
起つた
會話に、
不圖此知識を
結び
付けて
考へ
得た
彼女は
一寸微笑んだ。この
日雨が
上つて、
日脚がさつと
茶の
間の
障子に
射した
時、
御米は
不斷着の
上へ、
妙な
色の
肩掛とも、
襟卷とも
付かない
織物を
纏つて
外へ
出た。
通りを二
丁目程來て、それを
電車の
方角へ
曲つて
眞直に
來ると、
乾物屋と
麺麭屋の
間に、
古道具を
賣つてゐる
可なり
大きな
店があつた。
御米はかつて
其所で
足の
疊み
込める
食卓を
買つた
記憶がある。
今火鉢に
掛けてある
鐵瓶も、
宗助が
此所から
提げて
歸つたものである。
御米は
手を
袖にして
道具屋の
前に
立ち
留まつた。
見ると
相變らず
新らしい
鐵瓶が
澤山並べてあつた。
其外には
時節柄とでも
云ふのか
火鉢が
一番多く
眼に
着いた。
然し
骨董と
名のつく
程のものは、
一つもない
樣であつた。ひとり
何とも
知れぬ
大きな
龜の
甲が、
眞向に
釣るしてあつて、
其下から
長い
黄ばんだ
拂子が
尻尾の
樣に
出てゐた。それから
紫檀の
茶棚が
一つ
二つ
飾つてあつたが、
何れも
狂の
出さうな
生なもの
許であつた。
然し
御米にはそんな
區別は
一向映らなかつた。たゞ
掛物も
屏風も
一つも
見當らない
事丈確かめて、
中へ
這入つた。
御米は
無論夫が
佐伯から
受取つた
屏風を、
幾何かに
賣り
拂ふ
積でわざ/\
此所迄足を
運んだのであるが、
廣島以來かう
云ふ
事に
大分經驗を
積んだ
御蔭で、
普通の
細君の
樣な
努力も
苦痛も
感ぜずに、
思ひ
切つて
亭主と
口を
利く
事が
出來た。
亭主は五十
恰好の
色の
黒い
頬の
瘠た
男で、
鼈甲の
縁を
取つた
馬鹿に
大きな
眼鏡を
掛けて、
新聞を
讀みながら、
疣だらけの
唐金の
火鉢に
手を
翳してゐた。
「さうですな、
拜見に
出ても
可うがす」と
輕く
受合つたが、
別に
氣の
乘つた
樣子もないので、
御米は
腹の
中で
少し
失望した。
然し
自分からが
既に
大した
望を
抱いて
出て
來た
譯でもないので、
斯う
簡易に
受けられると、
此方から
頼む
樣にしても、
見て
貰はなければならなかつた。
「
可うがす。ぢや
後程伺ひませう。
今小僧が
一寸出て
居りませんからな」
御米は
此存在な
言葉を
聞いて
其儘宅へ
歸つたが、
心の
中では、
果して
道具屋が
來るか
來ないか
甚だ
疑はしく
思つた。
一人で
何時もの
樣に
簡單な
食事を
濟まして、
清に
膳を
下げさしてゐると、いきなり
御免下さいと
云つて、
大きな
聲を
出して
道具屋が
玄關から
遣つて
來た。
座敷へ
上げて、
例の
屏風を
見せると、
成程と
云つて
裏だの
縁だのを
撫でてゐたが、
「
御拂になるなら」と
少し
考へて、「六
圓に
頂いて
置きませう」と
否々さうに
價を
付けた。
御米には
道具屋の
付けた
相場が
至當の
樣に
思はれた。けれども
一應宗助に
話してからでなくつては、
餘り
專斷過ぎると
心付いた
上、
品物の
歴史が
歴史だけに、
猶更遠慮して、
何れ
歸つたら
能く
相談して
見た
上でと
答へた
儘、
道具屋を
歸さうとした。
道具屋は
出掛に、
「ぢや、
奧さん
折角だから、もう一
圓奮發しませう。
夫で
御拂ひ
下さい」と
云つた。
御米は
其時思ひ
切つて、
「でも、
道具屋さん、ありや
抱一ですよ」と
答へて、
腹の
中ではひやりとした。
道具屋は、
平氣で、
「
抱一は
近來流行ませんからな」と
受け
流したが、じろ/\
御米の
姿を
眺めた
上、
「ぢや
猶能く
御相談なすつて」と
云ひ
捨てゝ
歸つて
行つた。
御米は
其時の
模樣を
詳しく
話した
後で、
「
賣つちや
不可なくつて」と
又無邪氣に
聞いた。
宗助の
頭の
中には、
此間から
物質上の
欲求が、
絶えず
動いてゐた。たゞ
地味な
生活をしなれた
結果として、
足らぬ
家計を
足ると
諦らめる
癖が
付いてゐるので、
毎月極つて
這入るものゝ
外には、
臨時に
不意の
工面をしてまで、
少しでも
常以上に
寛ろいで
見やうと
云ふ
働は
出なかつた。
話を
聞いたとき
彼は
寧ろ
御米の
機敏な
才覺に
驚ろかされた。
同時に
果して
夫丈の
必要があるかを
疑つた。
御米の
思はくを
聞いて
見ると、
此所で十
圓足らずの
金が
入れば、
宗助の
穿く
新らしい
靴を
誂らへた
上、
銘仙の一
反位は
買へると
云ふのである。
宗助は
夫もさうだと
思つた。けれども
親から
傳はつた
抱一の
屏風を
一方に
置いて、
片方に
新らしい
靴及び
新らしい
銘仙を
並べて
考へて
見ると、
此二つを
交換する
事が
如何にも
突飛で
且滑稽であつた。
「
賣るなら
賣つて
可いがね。どうせ
家に
在つたつて
邪魔になる
許だから。けれども
己はまだ
靴は
買はないでも
濟むよ。
此間中見た
樣に、
降り
續けに
降られると
困るが、もう
天氣も
好くなつたから」
「だつて
又降ると
困るわ」
宗助は
御米に
對して
永久に
天氣を
保證する
譯にも
行かなかつた。
御米も
降らない
前に
是非屏風を
賣れとも
云ひかねた。
二人は
顏を
見合して
笑つてゐた。やがて、
「
安過ぎるでせうか」と
御米が
聞いた。
「
左うさな」と
宗助が
答へた。
彼は
安いと
云はれゝば、
安い
樣な
氣がした。もし
買手があれば、
買手の
出す
丈の
金は
幾何でも
取りたかつた。
彼は
新聞で、
近來古書畫の
入札が
非常に
高價になつた
事を
見た
樣な
心持がした。
責めてそんなものが一
幅でもあつたらと
思つた。けれども
夫は
自分の
呼吸する
空氣の
屆くうちには、
落ちてゐないものと
諦めてゐた。
「
買手にも
因るだらうが、
賣手にも
因るんだよ。いくら
名畫だつて、
己が
持つてゐた
分には
到底さう
高く
賣れつこはないさ。
然し七
圓や八
圓てえな、
餘り
安い
樣だね」
宗助は
抱一の
屏風を
辯護すると
共に、
道具屋をも
辯護する
樣な
語氣を
洩らした。さうしてたゞ
自分丈が
辯護に
價しないものゝ
樣に
感じた。
御米も
少し
氣を
腐らした
氣味で、
屏風の
話は
夫なりにした。
翌日宗助は
役所へ
出て、
同僚の
誰彼に
此話をした。すると
皆申し
合せた
樣に、
夫は
價ぢやないと
云つた。けれども
誰も
自分が
周旋して、
相當の
價に
賣拂つてやらうと
云ふものはなかつた。
又どう
云ふ
筋を
通れば、
馬鹿な
目に
逢はないで
濟むといふ
手續を
教へて
呉れるものもなかつた。
宗助は
矢張横町の
道具屋に
屏風を
賣るより
外に
仕方がなかつた。それでなければ
元の
通り
邪魔でも
何でも
座敷へ
立てゝ
置くより
外に
仕方がなかつた。
彼は
元の
通りそれを
座敷へ
立てゝ
置いた。すると
道具屋が
來て、あの
屏風を十五
圓に
賣つてくれと
云ひ
出した。
夫婦は
顏を
見合して
微笑んだ。もう
少し
賣らずに
置いて
見樣ぢやないかと
云つて、
賣らずに
置いた。すると
道具屋が
又來た。
又賣らなかつた。
御米は
斷るのが
面白くなつて
來た。
四度目には
知らない
男を
一人連れて
來たが、
其男とこそこそ
相談して、とう/\三十五
圓に
價を
付けた。
其時夫婦も
立ちながら
相談した。さうして
遂に
思ひ
切つて
屏風を
賣り
拂つた。
圓明寺の
杉が
焦げた
樣に
赭黒くなつた。
天氣の
好い
日には、
風に
洗はれた
空の
端ずれに、
白い
筋の
嶮しく
見える
山が
出た。
年は
宗助夫婦を
驅つて
日毎に
寒い
方へ
吹き
寄せた。
朝になると
缺かさず
通る
納豆賣の
聲が、
瓦を
鎖す
霜の
色を
連想せしめた。
宗助は
床の
中で
其聲を
聞きながら、
又冬が
來たと
思ひ
出した。
御米は
臺所で、
今年も
去年の
樣に
水道の
栓が
氷つて
呉れなければ
助かるがと、
暮から
春へ
掛けての
取越苦勞をした。
夜になると
夫婦とも
炬燵にばかり
親しんだ。さうして
廣島や
福岡の
暖かい
冬を
羨やんだ。
「
丸で
前の
本多さん
見た
樣ね」と
御米が
笑つた。
前の
本多さんと
云ふのは、
矢張り
同じ
構内に
住んで、
同じ
坂井の
貸家を
借りてゐる
隱居夫婦であつた。
小女を
一人使つて、
朝から
晩迄ことりと
音もしない
樣に
靜かな
生計を
立てゝゐた。
御米が
茶の
間で、たつた
一人裁縫をしてゐると、
時々御爺さんと
云ふ
聲がした。それは
此本多の
御婆さんが
夫を
呼ぶ
聲であつた。
門口抔で
行き
逢ふと、
丁寧に
時候の
挨拶をして、ちと
御話に
入らつしやいと
云ふが、
遂ぞ
行つた
事もなければ、
向ふからも
來た
試がない。
從つて
夫婦の
本多さんに
關する
知識は
極めて
乏しかつた。たゞ
息子が
一人あつて、それが
朝鮮の
統監府とかで、
立派な
役人になつてゐるから、
月々其方の
仕送で、
氣樂に
暮らして
行かれるのだと
云ふ
事丈を、
出入の
商人のあるものから
耳にした。
「
御爺さんは
矢つ
張り
植木を
弄つてゐるかい」
「
段々寒くなつたから、もう
已めたんでせう。
縁の
下に
植木鉢が
澤山並んでるわ」
話は
夫から
前の
家を
離れて、
家主の
方へ
移つた。
是は、
本多とは
丸で
反對で、
夫婦から
見ると、
此上もない
賑やかさうな
家庭に
思はれた。
此頃は
庭が
荒れてゐるので、
大勢の
小供が
崖の
上へ
出て
騷ぐ
事がなくなつたが、ピヤノの
音は
毎晩の
樣にする。
折々は
下女か
何ぞの、
臺所の
方で
高笑をする
聲さへ、
宗助の
茶の
間迄響いて
來た。
「ありや
一體何をする
男なんだい」と
宗助が
聞いた。
此問は
今迄も
幾度か
御米に
向つて
繰り
返されたものであつた。
「
何にもしないで
遊んでるんでせう。
地面や
家作を
持つて」と
御米が
答へた。
此答も
今迄にもう
何遍か
宗助に
向つて
繰り
返されたものであつた。
宗助は
是より
以上立ち
入つて
坂井の
事を
聞いた
事がなかつた。
學校を
已めた
當座は、
順境にゐて
得意な
振舞をするものに
逢ふと、
今に
見ろと
云ふ
氣も
起つた。それが
少時くすると、
單なる
憎惡の
念に
變化した。
所が一二
年此方は
全く
自他の
差違に
無頓着になつて、
自分は
自分の
樣に
生れ
付いたもの、
先は
先の
樣な
運を
持つて
世の
中へ
出て
來たもの、
兩方共始から
別種類の
人間だから、たゞ
人間として
生息する
以外に、
何の
交渉も
利害もないのだと
考へる
樣になつてきた。たまに
世間話の
序として、ありや
一體何をしてゐる
人だ
位は
聞きもするが、それより
先は、
教へて
貰ふ
努力さへ
出すのが
面倒だつた。
御米にもこれと
同じ
傾きがあつた。けれども
其夜は
珍らしく、
坂井の
主人は四十
恰好の
髯のない
人であると
云ふ
事やら、ピヤノを
彈くのは
惣領の
娘で十二三になると
云ふ
事やら、
又外の
家の
小供が
遊びに
來ても、ブランコへ
乘せて
遣らないと
云ふ
事やらを
話した。
「
何故外の
家の
子供はブランコへ
乘せないんだい」
「
詰り
吝なんでせう。
早く
惡くなるから」
宗助は
笑ひ
出した。
彼は
其位吝嗇な
家主が、
屋根が
漏ると
云へば、すぐ
瓦師を
寄こして
呉れる、
垣が
腐つたと
訴へればすぐ
植木屋に
手を
入れさして
呉れるのは
矛盾だと
思つたのである。
其晩宗助の
夢には
本多の
植木鉢も
坂井のブランコもなかつた。
彼は十
時半頃床に
入つて、
萬象に
疲れた
人の
樣に
鼾をかいた。
此間から
頭の
具合がよくないため、
寐付の
惡いのを
苦にしてゐた
御米は、
時々眼を
開けて
薄暗い
部屋を
眺めた。
細い
灯が
床の
間の
上に
乘せてあつた。
夫婦は
夜中燈火を
點けて
置く
習慣が
付いてゐるので、
寐る
時はいつでも
心を
細目にして
洋燈を
此所へ
上げた。
御米は
氣にする
樣に
枕の
位置を
動かした。さうして
其度に、
下にしてゐる
方の
肩の
骨を、
蒲團の
上で
滑らした。
仕舞には
腹這になつた
儘、
兩肱を
突いて、しばらく
夫の
方を
眺めてゐた。
夫から
起き
上つて、
夜具の
裾に
掛けてあつた
不斷着を、
寐卷の
上へ
羽織つたなり、
床の
間の
洋燈を
取り
上げた。
「
貴方々々」と
宗助の
枕元へ
來て
曲みながら
呼んだ。
其時夫はもう
鼾をかいてゐなかつた。けれども、
元の
通り
深い
眠から
來る
呼吸を
續けてゐた。
御米は
又立ち
上つて、
洋燈を
手にした
儘、
間の
襖を
開けて
茶の
間へ
出た。
暗い
部屋が
茫漠手元の
灯に
照らされた
時、
御米は
鈍く
光る
箪笥の
環を
認めた。
夫を
通り
過ぎると
黒く
燻ぶつた
臺所に、
腰障子の
紙丈が
白く
見えた。
御米は
火の
氣のない
眞中に、
少時佇ずんでゐたが、やがて
右手に
當る
下女部屋の
戸を、
音のしない
樣にそつと
引いて、
中へ
洋燈の
灯を
翳した。
下女は
縞も
色も
判然映らない
夜具の
中に、
土龍の
如く
塊まつて
寐てゐた。
今度は
左側の六
疊を
覗いた。がらんとして
淋しい
中に、
例の
鏡臺が
置いてあつて、
鏡の
表が
夜中丈に
凄く
眼に
應へた。
御米は
家中を
一回回つた
後、
凡てに
異状のない
事を
確かめた
上、
又床の
中へ
戻つた。さうして
漸く
眼を
眠つた。
今度は
好い
具合に、
眼蓋のあたりに
氣を
遣はないで
濟む
樣に
覺えて、
少時するうちに、うと/\とした。
すると
又不圖眼が
開いた。
何だかずしんと
枕元で
響いた
樣な
心持がする。
耳を
枕から
離して
考へると、それはある
大きな
重いものが
裏の
崖から
自分達の
寐てゐる
座敷の
縁の
外へ
轉がり
落ちたとしか
思はれなかつた。しかも
今眼が
覺めるすぐ
前に
起つた
出來事で、
決して
夢の
續ぢやないと
考へた
時、
御米は
急に
氣味を
惡くした。さうして
傍に
寐てゐる
夫の
夜具の
袖を
引いて、
今度は
眞面目に
宗助を
起し
始めた。
宗助は
夫迄全く
能く
寐てゐたが、
急に
眼が
覺めると、
御米が、
「
貴方一寸起きて
下さい」と
搖つてゐたので、
半分は
夢中に、
「おい、
好し」とすぐ
蒲團の
上へ
起き
直つた。
御米は
小聲で
先刻からの
樣子を
話した。
「
音は
一遍した
限なのかい」
「だつて
今した
許なのよ」
二人はそれで
默つた。たゞ
凝と
外の
樣子を
伺つてゐた。けれども
世間は
森と
靜であつた。いつまで
耳を
峙てゝゐても、
再び
物の
落ちて
來る
氣色はなかつた。
宗助は
寒いと
云ひ
乍ら、
單衣の
寐卷の
上へ
羽織を
被つて、
縁側へ
出て、
雨戸を一
枚繰つた。
外を
覗くと
何にも
見えない。たゞ
暗い
中から
寒い
空氣が
俄かに
肌に
逼つて
來た。
宗助はすぐ
戸を
閉てた。

を
卸して
座敷へ
戻るや
否や、また
蒲團の
中へ
潛り
込んだが、
「
何にも
變つた
事はありやしない。
多分御前の
夢だらう」と
云つて、
宗助は
横になつた。
御米は
決して
夢でないと
主張した。
慥に
頭の
上で
大きな
音がしたのだと
固執した。
宗助は
夜具から
半分出した
顏を、
御米の
方へ
振り
向けて、
「
御米、
御前は
神經が
過敏になつて、
近頃何うかしてゐるよ。もう
少し
頭を
休めて
能く
寐る
工夫でもしなくつちや
不可ない」と
云つた。
其時次の
間の
柱時計が二
時を
打つた。
其音で
二人とも
一寸言葉を
途切らして、
默つて
見ると、
夜は
更に
靜まり
返つた
樣に
思はれた。
二人は
眼が
冴えて、すぐ
寐付かれさうにもなかつた。
御米が、
「でも
貴方は
氣樂ね。
横になると十
分經たないうちに、もう
寐て
入らつしやるんだから」と
云つた。
「
寐る
事は
寐るが、
氣が
樂で
寐られるんぢやない。つまり
疲れるからよく
寐るんだらう」と
宗助が
答へた。
斯んな
話をしてゐるうちに
宗助は
又寐入つて
仕舞つた。
御米は
依然として、のつそつ
床の
中で
動いてゐた。すると
表をがら/\と
烈しい
音を
立てゝ
車が
一臺通つた。
近頃御米は
時々夜明前の
車の
音を
聞いて
驚ろかされる
事があつた。さうして
夫を
思ひ
合はせると、
何時も
似寄つた
刻限なので、
必竟は
毎朝同じ
車が
同じ
所を
通るのだらうと
推測した。
多分牛乳を
配達するためか
抔で、あゝ
急ぐに
違ないと
極めてゐたから、
此音を
聞くと
等しく、もう
夜が
明けて、
隣人の
活動が
始つた
如くに、
心丈夫になつた。さう
斯うしてゐると、
何所かで
鷄の
聲が
聞えた。
又少時すると、
下駄の
音を
高く
立てゝ
徃來を
通るものがあつた。そのうち
清が
下女部屋の
戸を
開けて
厠へ
起きた
模樣だつたが、やがて
茶の
間へ
來て
時計を
見てゐるらしかつた。
此時床の
間に
置いた
洋燈の
油が
減つて、
短かい
心に
屆かなくなつたので、
御米の
寐てゐる
所は
眞暗になつてゐた。
其所へ
清の
手にした
灯火の
影が、
襖の
間から
射し
込んだ。
「
清かい」と
御米が
聲を
掛けた。
清は
夫からすぐ
起きた。三十
分程經つて
御米も
起きた。
又三十
分程經つて
宗助も
遂に
起きた。
平常は
好い
時分に
御米が
遣つて
來て、
「もう
起きても
可くつてよ」と
云ふのが
例であつた。
日曜とたまの
旗日には、それが、
「さあ
最う
起きて
頂戴」に
變る
丈であつた。
然し
今日は
昨夕の
事が
何となく
氣にかゝるので、
御米の
迎に
來ないうち
宗助は
床を
離れた。さうして
直崖下の
雨戸を
繰つた。
下から
覗くと、
寒い
竹が
朝の
空氣に
鎖されて
凝としてゐる
後から、
霜を
破る
日の
色が
射して、
幾分か
頂を
染めてゐた。
其二尺程下の
勾配の
一番急な
所に
生えてゐる
枯草が、
妙に
摺り
剥けて、
赤土の
肌を
生々しく
露出した
樣子に、
宗助は
一寸驚ろかされた。それから
一直線に
降りて、
丁度自分の
立つてゐる
縁鼻の
土が、
霜柱を
摧いた
樣に
荒れてゐた。
宗助は
大きな
犬でも
上から
轉がり
落ちたのぢやなからうかと
思つた。
然し
犬にしては
幾何大きいにしても、
餘り
勢が
烈し
過ぎると
思つた。
宗助は
玄關から
下駄を
提げて
來て、すぐ
庭へ
下りた。
縁の
先へ
便所が
折れ
曲つて
突き
出してゐるので、いとゞ
狹い
崖下が、
裏へ
拔ける
半間程の
所は
猶更狹苦しくなつてゐた。
御米は
掃除屋が
來るたびに、
此曲り
角を
氣にしては、
「
彼所がもう
少し
廣いと
可いけれども」と
危險がるので、よく
宗助から
笑はれた
事があつた。
其所を
通り
拔けると、
眞直に
臺所迄細い
路が
付いてゐる。
元は
枯枝の
交つた
杉垣があつて、
隣の
庭の
仕切りになつてゐたが、
此間家主が
手を
入れた
時、
穴だらけの
杉葉を
奇麗に
取り
拂つて、
今では
節の
多い
板塀が
片側を
勝手口迄塞いで
仕舞つた。
日當りの
惡い
上に、
樋から
雨滴ばかり
落ちるので、
夏になると
秋海棠が
一杯生える。
其盛りな
頃は
青い
葉が
重なり
合つて、
殆んど
通り
路がなくなる
位茂つて
來る。
始めて
越した
年は、
宗助も
御米も
此景色を
見て
驚ろかされた
位である。
此秋海棠は
杉垣のまだ
引き
拔かれない
前から、
何年となく
地下に
蔓つてゐたもので、
古家の
取り
毀たれた
今でも、
時節が
來ると
昔の
通り
芽を
吹くものと
解つた
時、
御米は、
「でも
可愛いわね」と
喜んだ。
宗助が
霜を
踏んで、
此記念の
多い
横手へ
出た
時、
彼の
眼は
細長い
路次の
一點に
落ちた。さうして
彼は
日の
通はない
寒さの
中にはたと
留まつた。
彼の
足元には
黒塗の
蒔繪の
手文庫が
放り
出してあつた。
中味はわざ/\
其所へ
持つて
來て
置いて
行つた
樣に、
霜の
上にちやんと
据つてゐるが、
蓋は二三
尺離れて、
塀の
根に
打ち
付けられた
如くに
引つ
繰り
返つて、
中を
張つた
千代紙の
模樣が
判然見えた。
文庫の
中から
洩れた、
手紙や
書付類が、
其所いらに
遠慮なく
散らばつてゐる
中に、
比較的長い一
通がわざ/\二
尺許廣げられて、
其先が
紙屑の
如く
丸めてあつた。
宗助は
近付いて、
此揉苦茶になつた
紙の
下を
覗いて
覺えず
苦笑した。
下には
大便が
垂れてあつた。
土の
上に
散らばつてゐる
書類を
一纏にして、
文庫の
中へ
入れて、
霜と
泥に
汚れた
儘宗助は
勝手口迄持つて
來た。
腰障子を
開けて、
清に
「おい
是を
一寸其所へ
置いて
呉れ」と
渡すと、
清は
妙な
顏をして、
不思議さうにそれを
受取つた。
御米は
奧で
座敷へ
拂塵を
掛けてゐた。
宗助はそれから
懷手をして、
玄關だの
門の
邊を
能く
見廻つたが、
何處にも
平常と
異なる
點は
認められなかつた。
宗助は
漸く
家へ
入つた。
茶の
間へ
來て
例の
通り
火鉢の
前へ
坐つたが、すぐ
大きな
聲を
出して
御米を
呼んだ。
御米は、
「
起き
拔けに
何處へ
行つて
入らしつたの」と
云ひながら
奧から
出て
來た。
「おい
昨夜枕元で
大きな
音がしたのは
矢つ
張夢ぢやなかつたんだ。
泥棒だよ。
泥棒が
坂井さんの
崖の
上から
宅の
庭へ
飛び
下りた
音だ。
今裏へ
回つて
見たら、
此文庫が
落ちてゐて、
中に
這入つてゐた
手紙なんぞが、
無茶苦茶に
放り
出してあつた。
御負に
御馳走迄置いて
行つた」
宗助は
文庫の
中から、二三
通の
手紙を
出して
御米に
見せた。それには
皆坂井の
名宛が
書いてあつた。
御米は
吃驚して
立膝の
儘、
「
坂井さんぢや
外に
何か
取られたでせうか」と
聞いた。
宗助は
腕組をして、
「ことに
因ると、まだ
何か
遣られたね」と
答へた。
夫婦は
兎も
角もと
云ふので、
文庫を
其所へ
置いたなり
朝飯の
膳に
着いた。
然し
箸を
動かす
間も
泥棒の
話は
忘れなかつた。
御米は
自分の
耳と
頭の
慥な
事を
夫に
誇つた。
宗助は
耳と
頭の
慥でない
事を
幸福とした。
「さう
仰しやるけれど、
是が
坂井さんでなくつて、
宅で
御覽なさい。
貴方見た
樣にぐう/\
寐て
入らしつたら
困るぢやないの」と
御米が
宗助を
遣り
込めた。
「なに
宅なんぞへ
這入る
氣遣はないから
大丈夫だ」と
宗助も
口の
減らない
返事をした。
其所へ
清が
突然臺所から
顏を
出して、
「
此間拵えた
旦那樣の
外套でも
取られ
樣ものなら、
夫こそ
騷ぎで
御座いましたね。
御宅でなくつて
坂井さんだつたから
本當に
結構で
御座います」と
眞面目に
悦の
言葉を
述べたので、
宗助も
御米も
少し
挨拶に
窮した。
食事を
濟ましても、
出勤の
時刻にはまだ
大分間があつた。
坂井では
定めて
騷いでるだらうと
云ふので、
文庫は
宗助が
自分で
持つて
行つて
遣る
事にした。
蒔繪ではあるが、たゞ
黒地に
龜甲形を
金で
置いた
丈の
事で、
別に
大して
金目の
物とも
思へなかつた。
御米は
唐棧の
風呂敷を
出してそれを
包んだ。
風呂敷が
少し
小さいので、
四隅を
對ふ
同志繋いで、
眞中にこま
結びを
二つ
拵えた。
宗助がそれを
提げた
所は、
丸で
進物の
菓子折の
樣であつた。
座敷で
見ればすぐ
崖の
上だが、
表から
廻ると、
通りを
半町許來て、
坂を
上つて、
又半町程逆に
戻らなければ、
坂井の
門前へは
出られなかつた。
宗助は
石の
上へ
芝を
盛つて
扇骨木を
奇麗に
植付けた
垣に
沿ふて
門内に
入つた。
家の
内は
寧ろ
靜か
過ぎる
位しんとしてゐた。
摺硝子の
戸が
閉てゝある
玄關へ
來て、ベルを二三
度押して
見たが、ベルが
利かないと
見えて
誰も
出て
來なかつた。
宗助は
仕方なしに
勝手口へ
廻つた。
其所にも
摺硝子の
嵌まつた
腰障子が二
枚閉ててあつた。
中では
器物を
取り
扱ふ
音がした。
宗助は
戸を
開けて、
瓦斯七輪を
置いた
板の
間に
蹲踞んでゐる
下女に
挨拶をした。
「
是は
此方のでせう。
今朝私の
家の
裏に
落ちてゐましたから
持つて
來ました」と
云ひながら、
文庫を
出した。
下女は「
左樣で
御座いましたか、どうも」と
簡單に
禮を
述べて、
文庫を
持つた
儘、
板の
間の
仕切迄行つて、
仲働らしい
女を
呼び
出した。
其所で
小聲に
説明をして、
品物を
渡すと、
仲働はそれを
受取つたなり、
一寸宗助の
方を
見たがすぐ
奧へ
入つた。
入れ
違に、十二三になる
丸顏の
眼の
大きな
女の
子と、
其妹らしい
揃のリボンを
懸けた
子が
一所に
馳けて
來て、
小さい
首を
二つ
並べて
臺所へ
出した。さうして
宗助の
顏を
眺めながら、
泥棒よと
耳語やつた。
宗助は
文庫を
渡して
仕舞へば、もう
用が
濟んだのだから、
奧の
挨拶はどうでも
可いとして、すぐ
歸らうかと
考へた。
「
文庫は
御宅のでせうね。
可いんでせうね」と
念を
押して、
何にも
知らない
下女を
氣の
毒がらしてゐる
所へ、
最前の
仲働が
出て
來て、
「
何うぞ
御通り
下さい」と
丁寧に
頭を
下げたので、
今度は
宗助の
方が
少し
痛み
入る
樣になつた。
下女は
愈しとやかに
同じ
請求を
繰り
返した。
宗助は
痛み
入る
境を
通り
越して、
遂に
迷惑を
感じ
出した。
所へ
主人が
自分で
出て
來た。
主人は
予想通り
血色の
好い
下膨の
福相を
具へてゐたが、
御米の
云つた
樣に
髭のない
男ではなかつた。
鼻の
下に
短かく
刈り
込んだのを
生やして、たゞ
頬から
腮を
奇麗に
蒼くしてゐた。
「いや
何うも
飛んだ
御手數で」と
主人は
眼尻に
皺を
寄せながら
禮を
述べた。
米澤の
絣を
着た
膝を
板の
間に
突いて、
宗助から
色々樣子を
聞いてゐる
態度が、
如何にも
緩くりしてゐた。
宗助は
昨夕から
今朝へ
掛けての
出來事を
一通り
掻い
撮んで
話した
上、
文庫の
外に
何か
取られたものがあるかないかを
尋ねて
見た。
主人は
机の
上に
置いた
金時計を
一つ
取られた
由を
答へた。けれども
丸で
他のものでも
失くなした
時の
樣に、
一向困つたと
云ふ
氣色はなかつた。
時計よりは
寧ろ
宗助の
叙述の
方に
多くの
興味を
有つて、
泥棒が
果して
崖を
傳つて
裏から
逃げる
積だつたらうか、
又は
逃げる
拍子に、
崖から
落ちたものだらうかと
云ふ
樣な
質問を
掛けた。
宗助は
固より
返答が
出來なかつた。
其所へ
最前の
仲働が、
奧から
茶や
莨を
運んで
來たので、
宗助は
又歸りはぐれた。
主人はわざ/\
坐蒲團迄取り
寄せて、とう/\
其上へ
宗助の
尻を
据ゑさした。さうして
今朝早く
來た
刑事の
話をし
始めた。
刑事の
判定によると、
賊は
宵から
邸内に
忍び
込んで、
何でも
物置かなぞに
隱れてゐたに
違ない。
這入口は
矢張り
勝手である。
燐寸を
擦つて
蝋燭を
點して、それを
臺所にあつた
小桶の
中へ
立てゝ、
茶の
間へ
出たが、
次の
部屋には
細君と
子供が
寐てゐるので、
廊下傳ひに
主人の
書齋へ
來て、
其所で
仕事をしてゐると、
此間生れた
末の
男の
子が、
乳を
呑む
時刻が
來たものか、
眼を
覺まして
泣き
出したため、
賊は
書齋の
戸を
開けて
庭へ
逃げたらしい。
「
平常の
樣に
犬がゐると
好かつたんですがね。
生憎病氣なので、四五
日前病院へ
入れて
仕舞つたもんですから」と
主人は
殘念がつた。
宗助も、
「
夫は
惜い
事でした」と
答へた。すると
主人は
其犬の
種やら
血統やら、
時々獵に
連れて
行く
事や、
色々な
事を
話し
始めた。
「
獵は
好ですから。
尤も
近來は
神經痛で
少し
休んでゐますが。
何しろ
秋口から
冬へ
掛けて
鴫なぞを
打ちに
行くと、どうしても
腰から
下は
田の
中へ
浸つて、二
時間も三
時間も
暮らさなければならないんですから、
全く
身體には
好くない
樣です」
主人は
時間に
制限のない
人と
見えて、
宗助が、
成程とか、
左うですか、とか
云つてゐると、
何時迄も
話してゐるので、
宗助は
已を
得ず
中途で
立ち
上がつた。
「
是から
又例の
通り
出掛けなければなりませんから」と
切り
上げると、
主人は
始めて
氣が
付いた
樣に、
忙がしい
所を
引き
留めた
失禮を
謝した。さうして
何れ
又刑事が
現状を
見に
行くかも
知れないから、
其時はよろしく
願ふと
云ふやうな
事を
述べた。
最後に、
「
何うかちと
御話に。
私も
近頃は
寧ろ
閑な
方ですから、
又御邪魔に
出ますから」と
丁寧に
挨拶をした。
門を
出て
急ぎ
足に
宅へ
歸ると、
毎朝出る
時刻よりも、もう三十
分程後れてゐた。
「
貴方何うなすつたの」と
御米が
氣を
揉んで
玄關へ
出た。
宗助はすぐ
着物を
脱いで
洋服に
着換ながら、
「あの
坂井と
云ふ
人は
餘つ
程氣樂な
人だね。
金があるとあゝ
緩くり
出來るもんかな」と
云つた。
「
小六さん、
茶の
間から
始めて。
夫とも
座敷の
方を
先にして」と
御米が
聞いた。
小六は四五
日前とう/\
兄の
所へ
引き
移つた
結果として、
今日の
障子の
張替を
手傳はなければならない
事となつた。
彼は
昔し
叔父の
家に
居た
時、
安之助と
一所になつて、
自分の
部屋の
唐紙を
張り
替へた
經驗がある。
其時は
糊を
盆に
溶いたり、
篦を
使つて
見たり、
大分本式に
遣り
出したが、
首尾好く
乾かして、いざ
元の
所へ
建てるといふ
段になると、二
枚とも
反つ
繰り
返つて
敷居の
溝へ
嵌まらなかつた。それから
是も
安之助と
共同して
失敗した
仕事であるが、
叔母の
云付けで、
障子を
張らせられたときには、
水道でざぶ/\
枠を
洗つたため、
矢張り
乾いた
後で、
惣體に
歪が
出來て
非常に
困難した。
「
姉さん、
障子を
張るときは、
餘程愼重にしないと
失策るです。
洗つちや
駄目ですぜ」と
云ひながら、
小六は
茶の
間の
縁側からびり/\
破き
始めた。
縁先は
右の
方に
小六のゐる六
疊が
折れ
曲つて、
左には
玄關が
突き
出してゐる。
其向ふを
塀が
縁と
平行に
塞いでゐるから、まあ
四角な
圍内と
云つて
可い。
夏になるとコスモスを
一面に
茂らして、
夫婦とも
毎朝露の
深い
景色を
喜んだ
事もあるし、
又塀の
下へ
細い
竹を
立てゝ、それへ
朝顏を
絡ませた
事もある。
其時は
起き
拔けに、
今朝咲いた
花の
數を
勘定し
合つて
二人が
樂にした。けれども
秋から
冬へ
掛けては、
花も
草も
丸で
枯れて
仕舞ふので、
小さな
砂漠見た
樣に、
眺めるのも
氣の
毒な
位淋しくなる。
小六は
此霜ばかり
降りた
四角な
地面を
脊にして、しきりに
障子の
紙を
剥がしてゐた。
時々寒い
風が
來て、
後から
小六の
坊主頭と
襟の
邊を
襲つた。
其度に
彼は
吹き
曝しの
縁から六
疊の
中へ
引つ
込みたくなつた。
彼は
赤い
手を
無言の
儘働らかしながら、
馬尻の
中で
雜巾を
絞つて
障子の
棧を
拭き
出した。
「
寒いでせう、
御氣の
毒さまね。
生憎御天氣が
時雨れたもんだから」と
御米が
愛想を
云つて、
鐵瓶の
湯を
注ぎ
注ぎ、
昨日
た
糊を
溶いた。
小六は
實際こんな
用をするのを、
内心では
大いに
輕蔑してゐた。ことに
昨今自分が
已むなく
置かれた
境遇からして、
此際多少自己を
侮辱してゐるかの
觀を
抱いて
雜巾を
手にしてゐた。
昔し
叔父の
家で、
是と
同じ
事を
遣らせられた
時は、
暇潰しの
慰みとして、
不愉快どころか
却つて
面白かつた
記憶さへあるのに、
今ぢや
此位な
仕事より
外にする
能力のないものと、
強いて
周圍から
諦めさせられた
樣な
氣がして、
縁側の
寒いのが
猶のこと
癪に
觸つた。
それで
嫂には
快よい
返事さへ
碌にしなかつた。さうして
頭の
中で、
自分の
下宿にゐた
法科大學生が、
一寸散歩に
出る
序に、
資生堂へ
寄つて、
三つ
入りの
石鹸と
齒磨を
買ふのにさへ、五
圓近くの
金を
拂ふ
華奢を
思ひ
浮べた。すると
何うしても
自分一人がこんな
窮境に
陷るべき
理由がない
樣に
感ぜられた。それから、
斯んな
生活状態に
甘んじて
一生を
送る
兄夫婦が
如何にも
憫然に
見えた。
彼等は
障子を
張る
美濃紙を
買ふのにさへ
氣兼をしやしまいかと
思はれる
程、
小六から
見ると、
消極的な
暮し
方をしてゐた。
「
斯んな
紙ぢや、
又すぐ
破けますね」と
云ひながら、
小六は
卷いた
小口を一
尺ほど
日に
透かして、二三
度力任せに
鳴らした。
「さう? でも
宅ぢや
小供がないから、
夫程でもなくつてよ」と
答へた
御米は
糊を
含ました
刷毛を
取つてとん/\とんと
棧の
上を
渡した。
二人は
長く
繼いだ
紙を
双方から
引き
合つて、
成るべく
垂るみの
出來ない
樣に
力めたが、
小六が
時々面倒臭さうな
顏をすると、
御米はつい
遠慮が
出て、
好加減に
髮剃で
小口を
切り
落して
仕舞ふ
事もあつた。
從つて
出來上つたものには、
所々のぶく/\が
大分目に
付いた。
御米は
情なささうに、
戸袋に
立て
懸けた
張り
立ての
障子を
眺めた。さうして
心の
中で、
相手が
小六でなくつて、
夫であつたならと
思つた。
「
皺が
少し
出來たのね」
「
何うせ
僕の
御手際ぢや
旨くは
行かない」
「なに
兄さんだつて、さう
御上手ぢやなくつてよ。それに
兄さんは
貴方より
餘つ
程無精ね」
小六は
何にも
答へなかつた。
臺所から
清が
持つて
來た
含嗽茶碗を
受け
取つて、
戸袋の
前へ
立つて、
紙が
一面に
濡れる
程霧を
吹いた。二
枚目を
張つたときは、
先に
霧を
吹いた
分が
略乾いて
皺が
大方平らになつてゐた。三
枚目を
張つたとき、
小六は
腰が
痛くなつたと
云ひ
出した。
實を
云ふと
御米の
方は
今朝から
頭が
痛かつたのである。
「もう一
枚張つて、
茶の
間丈濟ましてから
休みませう」と
云つた。
茶の
間を
濟ましてゐるうちに
午になつたので、
二人は
食事を
始めた。
小六が
引き
移つてから
此四五日、
御米は
宗助のゐない
午飯を、
何時も
小六と
差向で
食べる
事になつた。
宗助と
一所になつて
以來、
御米の
毎日膳を
共にしたものは、
夫より
外になかつた。
夫の
留守の
時は、たゞ
獨り
箸を
執るのが
多年の
習慣であつた。だから
突然この
小舅と
自分の
間に
御櫃を
置いて、
互に
顏を
見合せながら、
口を
動かすのが、
御米に
取つては
一種異な
經驗であつた。それも
下女が
臺所で
働らいてゐるときは、
未だしもだが、
清の
影も
音もしないとなると、
猶の
事變に
窮屈な
感じが
起つた。
無論小六よりも
御米の
方が
年上であるし、
又從來の
關係から
云つても、
兩性を
絡み
付ける
艷つぽい
空氣は、
箝束的[#ルビの「けんそくてき」はママ]な
初期に
於てすら、
二人の
間に
起り
得べき
筈のものではなかつた。
御米は
小六と
差向に
膳に
着くときの
此氣ぶつせいな
心持が、
何時になつたら
消えるだらうと、
心の
中で
私に
疑ぐつた。
小六が
引き
移る
迄は、こんな
結果が
出やうとは、
丸で
氣が
付かなかつたのだから
猶更當惑した。
仕方がないから
成るべく
食事中に
話をして、
責めて
手持無沙汰な
隙間丈でも
補はうと
力めた。
不幸にして
今の
小六は、
此嫂の
態度に
對して
程の
好い
調子を
出す
丈の
餘裕と
分別を
頭の
中に
發見し
得なかつたのである。
「
小六さん、
下宿は
御馳走があつて」
こんな
質問に
逢ふと、
小六は
下宿から
遊びに
來た
時分の
樣に、
淡泊な
遠慮のない
答をする
譯に
行かなくなつた。
已を
得ず、
「なに
左うでもありません」ぐらゐにして
置くと、
其語氣がからりと
澄んでゐないので、
御米の
方では、
自分の
待遇が
惡い
所爲かと
解釋する
事もあつた。それが
又無言の
間に、
小六の
頭に
映る
事もあつた。
ことに
今日は
頭の
具合が
好くないので、
膳に
向つても、
御米は
何時もの
樣に
力めるのが
退儀であつた。
力めて
失敗するのは
猶厭であつた。それで
二人とも
障子を
張るときよりも
言葉少なに
食事を
濟ました。
午後は
手が
慣れた
所爲か、
朝に
比べると
仕事が
少し
果取つた。
然し
二人の
氣分は
飯前よりも
却つて
縁遠くなつた。ことに
寒い
天氣が
二人の
頭に
應へた。
起きた
時は、
日を
載せた
空が
次第に
遠退いて
行くかと
思れる
程に、
好く
晴れてゐたが、それが
眞蒼に
色づく
頃から
急に
雲が
出て、
暗い
中で
粉雪でも
釀してゐる
樣に、
日の
目を
密封した。
二人は
交る/″\
火鉢に
手を
翳した。
「
兄さんは
來年になると
月給が
上がるんでせう」
不圖小六が
斯んな
問を
御米に
掛けた。
御米は
其時疊の
上の
紙片を
取つて、
糊に
汚れた
手を
拭いてゐたが、
全く
思も
寄らないといふ
顏をした。
「
何うして」
「でも
新聞で
見ると、
來年から
一般に
官吏の
増俸があると
云ふ
話ぢやありませんか」
御米はそんな
消息を
全く
知らなかつた。
小六から
詳しい
説明を
聞いて、
始めて
成程と
首肯いた。
「
全くね。
是ぢや
誰だつて、
遣つて
行けないわ。
御肴の
切身なんか、
私が
東京へ
來てからでも、もう
倍になつてるんですもの」と
云つた。
肴の
切身の
値段になると
小六の
方が
全く
無識であつた。
御米に
注意されて
始めてそれ
程無暗に
高くなるものかと
思つた。
小六に
一寸した
好奇心の
出たため、
二人の
會話は
存外素直に
流れて
行つた。
御米は
裏の
家主の十八九
時代に
物價の
大變安かつた
話を、
此間宗助から
聞いた
通り
繰り
返した。
其時分は
蕎麥を
食ふにしても、
盛かけが八
厘、
種ものが二
錢五
厘であつた。
牛肉は
普通が
一人前四
錢でロースは六
錢であつた。
寄席は三
錢か四
錢であつた。
學生は
月に七
圓位國から
貰へば
中の
部であつた。十
圓も
取ると
既に
贅澤と
思はれた。
「
小六さんも、
其時分だと
譯なく
大學が
卒業出來たのにね」と
御米が
云つた。
「
兄さんも
其時分だと
大變暮し
易い
譯ですね」と
小六が
答へた。
座敷の
張易が
濟んだときにはもう三
時過になつた。さう
斯うしてゐるうちには、
宗助も
歸つて
來るし、
晩の
支度も
始めなくつてはならないので、
二人はこれを
一段落として、
糊や
髮剃を
片けた。
小六は
大きな
伸を
一つして、
握り
拳で
自分の
頭をこん/\と
叩いた。
「
何うも
御苦勞さま。
疲れたでせう」と
御米は
小六を
勞はつた。
小六は
夫よりも
口淋しい
思がした。
此間文庫を
屆けてやつた
禮に、
坂井から
呉れたと
云ふ
菓子を、
戸棚から
出して
貰つて
食べた。
御米は
御茶を
入れた。
「
坂井と
云ふ
人は
大學出なんですか」
「えゝ、
矢張左樣なんですつて」
小六は
茶を
飮んで
烟草を
吹いた。やがて、
「
兄さんは
増俸の
事をまだ
貴方に
話さないんですか」と
聞いた。
「いゝえ、
些とも」と
御米が
答へた。
「
兄さん
見た
樣になれたら
好いだらうな。
不平も
何もなくつて」
御米は
特別の
挨拶もしなかつた。
小六は
其儘起つて六
疊へ
這入つたが、やがて
火が
消えたと
云つて、
火鉢を
抱えて
又出て
來た。
彼は
兄の
家に
厄介になりながら、もう
少し
立てば
都合が
付くだらうと
慰めた
安之助の
言葉を
信じて、
學校は
表向休學の
體にして
一時の
始末をつけたのである。
裏の
坂井と
宗助とは
文庫が
縁になつて
思はぬ
關係が
付いた。
夫迄は
月に
一度此方から
清に
家賃を
持たして
遣ると、
向から
其受取を
寄こす
丈の
交渉に
過ぎなかつたのだから、
崖の
上に
西洋人が
住んでゐると
同樣で、
隣人としての
親みは、
丸で
存在してゐなかつたのである。
宗助が
文庫を
屆けた
日の
午後に、
坂井の
云つた
通り、
刑事が
宗助の
家の
裏手から
崖下を
檢べに
來たが、
其時坂井も
一所だつたので、
御米は
始めて
噂に
聞いた
家主の
顏を
見た。
髭のないと
思つたのに、
髭を
生やしてゐるのと、
自分なぞに
對しても、
存外丁寧な
言葉を
使ふのが、
御米には
少し
案外であつた。
「
貴方、
坂井さんは
矢つ
張り
髭を
生やしてゐてよ」と
宗助が
歸つたとき
御米はわざ/\
注意した。
それから
二日ばかりして、
坂井の
名刺を
添へた
立派な
菓子折を
持つて、
下女が
禮に
來たが、
先達ては
色々御世話になりまして、
難有う
存じます、
何れ
主人が
自身に
伺ふ
筈で
御座いますがと
云ひ
置いて、
歸つて
行つた。
其晩宗助は
到來の
菓子折の
葢を
開けて、
唐饅頭を
頬張りながら、
「
斯んなものを
呉れる
所をもつて
見ると、
夫程吝でもないやうだね。
他の
家の
子をブランコへ
乘せて
遣らないつて
云ふのは
嘘だらう」と
云つた。
御米も、
「
屹度嘘よ」と
坂井を
辯護した。
夫婦と
坂井とは
泥棒の
這入らない
前より、
是丈親しみの
度が
増した
樣なものゝ、それ
以上に
接近しやうと
云ふ
念は、
宗助の
頭にも
御米の
胸にも
宿らなかつた。
利害の
打算から
云へば
無論の
事、
單に
隣人の
交際とか
情誼とか
云ふ
點から
見ても、
夫婦はこれよりも
前進する
勇氣を
有たなかつたのである。もし
自然が
此儘に
無爲の
月日を
驅つたなら、
久しからぬうちに、
坂井は
昔の
坂井になり、
宗助は
元の
宗助になつて、
崖の
上と
崖の
下に
互の
家が
懸け
隔る
如く、
互の
心も
離れ
離れになつたに
違なかつた。
所がそれから
又二日置いて、
三日目の
暮れ
方に、
獺の
襟の
着いた
暖かさうな
外套を
着て、
突然坂井が
宗助の
所へ
遣つて
來た。
夜間客に
襲はれ
付けない
夫婦は、
輕微の
狼狽を
感じた
位驚ろかされたが、
座敷へ
上げて
話して
見ると、
坂井は
丁寧に
先日の
禮を
述べた
後、
「
御蔭で
取られた
品物が
又戻りましたよ」と
云ひながら、
白縮緬の
兵兒帶に
卷き
付けた
金鎖を
外して、
兩葢の
金時計を
出して
見せた。
規則だから
警察へ
屆ける
事は
屆けたが、
實は
大分古い
時計なので、
取られても
夫程惜くもない
位に
諦らめてゐたら、
昨日になつて、
突然差出人の
不明な
小包が
着いて、
其中にちやんと
自分の
失くしたのが
包んであつたんだと
云ふ。
「
泥棒も
持ち
扱かつたんでせう。それとも
餘り
金にならないんで、
已を
得ず
返して
呉れる
氣になつたんですかね。
何しろ
珍らしい
事で」と
坂井は
笑つてゐた。それから、
「
何私から
云ふと、
實はあの
文庫の
方が
寧ろ
大切な
品でしてね。
祖母が
昔し
御殿へ
勤めてゐた
時分、
戴いたんだとか
云つて、まあ
記念の
樣なものですから」と
云ふ
樣な
事も
説明して
聞かした。
其晩坂井はそんな
話を
約二
時間もして
歸つて
行つたが、
相手になつた
宗助も、
茶の
間で
聞いてゐた
御米も、
大變談話の
材料に
富んだ
人だと
思はぬ
譯に
行かなかつた。
後で、
「
世間の
廣い
方ね」と
御米が
評した。
「
閑だからさ」と
宗助が
解釋した。
次の
日宗助が
役所の
歸りがけに、
電車を
降りて
横町の
道具屋の
前迄來ると、
例の
獺の
襟を
着けた
坂井の
外套が
一寸眼に
着いた。
横顏を
徃來の
方へ
向けて、
主人を
相手に
何か
云つてゐる。
主人は
大きな
眼鏡を
掛けた
儘、
下から
坂井の
顏を
見上げてゐる。
宗助は
挨拶をすべき
折でもないと
思つたから、
其儘行き
過ぎやうとして、
店の
正面迄來ると、
坂井の
眼が
徃來へ
向いた。
「やあ
昨夜は。
今御歸りですか」と
氣輕に
聲を
掛けられたので、
宗助も
愛想なく
通り
過ぎる
譯にも
行かなくなつて、
一寸歩調を
緩めながら、
帽子を
取つた。すると
坂井は、
用はもう
濟んだと
云ふ
風をして、
店から
出て
來た。
「
何か
御求めですか」と
宗助が
聞くと、
「いえ、
何」と
答へた
儘、
宗助と
並んで
家の
方へ
歩き
出した。六七
間來たとき、
「あの
爺い、
中々猾い
奴ですよ。
華山の
[#「華山の」はママ]僞物を
持つて
來て
押付やうとしやがるから、
今叱り
付て
遣つたんです」と
云い
出した。
宗助は
始めて、
此坂井も
餘裕ある
人に
共通な
好事を
道樂にしてゐるのだと
心付いた。さうして
此間賣り
拂つた
抱一の
屏風も、
最初から
斯う
云ふ
人に
見せたら、
好かつたらうにと、
腹の
中で
考へた。
「あれは
書畫には
明るい
男なんですか」
「なに
書畫どころか、
丸で
何も
分らない
奴です。あの
店の
樣子を
見ても
分るぢやありませんか。
骨董らしいものは
一つも
並んでゐやしない。もとが
紙屑屋から
出世してあれ
丈になつたんですからね」
坂井は
道具屋の
素性を
能く
知つてゐた。
出入の
八百屋の
阿爺の
話によると、
坂井の
家は
舊幕の
頃何とかの
守と
名乘つたもので、
此界隈では
一番古い
門閥家なのださうである。
瓦解の
際、
駿府へ
引き
上げなかつたんだとか、
或は
引き
上げて
又出て
來たんだとか
云ふ
事も
耳にした
樣であるが、それは
判然宗助の
頭に
殘つてゐなかつた。
「
小さい
内から
惡戲ものでね。あいつが
餓鬼大將になつて
能く
喧譁をしに
行つた
事がありますよ」と
坂井は
御互の
子供の
時の
事迄一口洩らした。それが
又何うして
華山の
[#「華山の」はママ]贋物を
賣り
込まうと
巧んだのかと
聞くと、
坂井は
笑つて、
斯う
説明した。――
「なに
親父の
代から
贔屓にして
遣つてるものですから、
時々何だ
蚊だつて
持つて
來るんです。
所が
眼も
利かない
癖に、
只慾ばりたがつてね、まことに
取扱ひ
惡い
代物です。それについ
此間抱一の
屏風を
買つて
貰つて、
味を
占めたんでね」
宗助は
驚ろいた。けれども
話の
途中を
遮ぎる
譯に
行かなかつたので、
默つてゐた。
坂井は
道具屋がそれ
以來乘氣になつて、
自身に
分りもしない
書畫類をしきりに
持ち
込んで
來る
事やら、
大坂出來の
高麗燒を
本物だと
思つて、
大事に
飾つて
置いた
事やら
話した
末、
「まあ
臺所で
使ふ
食卓か、たか/″\
新の
鐵瓶位しか、
彼んな
所ぢや
買へたもんぢやありません」と
云つた。
其内二人は
坂の
上へ
出た。
坂井は
其所を
右へ
曲る、
宗助は
其所を
下へ
下りなければならなかつた。
宗助はもう
少し
一所に
歩いて、
屏風の
事を
聞きたかつたが、わざ/\
回り
路をするのも
變だと
心付いて、
夫なり
分れた。
分れる
時、
「
近い
中御邪魔に
出ても
宣う
御座いますか」と
聞くと、
坂井は、
「どうぞ」と
快よく
答へた。
其日は
風もなく
一仕切日も
照つたが、
家にゐると
底冷のする
寒さに
襲はれるとか
云つて、
御米はわざ/\
置炬燵に
宗助の
着物を
掛けて、それを
座敷の
眞中に
据ゑて、
夫の
歸りを
待ち
受けてゐた。
此冬になつて、
晝のうち
炬燵を
拵らえたのは、
其日が
始めてゞあつた。
夜は
疾うから
用ひてゐたが、
何時も六
疊に
置く
丈であつた。
「
座敷の
眞中にそんなものを
据ゑて、
今日は
何うしたんだい」
「でも、
御客も
何もないから
可いでせう。だつて六
疊の
方は
小六さんが
居て、
塞がつてゐるんですもの」
宗助は
始めて
自分の
家に
小六の
居る
事に
氣が
付いた。
襯衣の
上から
暖かい
紡績織を
掛けて
貰つて、
帶をぐる/\
卷き
付けたが、
「こゝは
寒帶だから
炬燵でも
置かなくつちや
凌げない」と
云つた。
小六の
部屋になつた六
疊は、
疊こそ
奇麗でないが、
南と
東が
開いてゐて、
家中で
一番暖かい
部屋なのである。
宗助は
御米の
汲んで
來た
熱い
茶を
湯呑から
二口程飮んで、
「
小六はゐるのかい」と
聞いた。
小六は
固より
居た
筈である。けれども六
疊はひつそりして
人のゐる
樣にも
思はれなかつた。
御米が
呼びに
立たうとするのを、
用はないから
可いと
留めた
儘、
宗助は
炬燵蒲團の
中へ
潛り
込んで、すぐ
横になつた。
一方口に
崖を
控えてゐる
座敷には、もう
暮方の
色が
萠してゐた。
宗助は
手枕をして、
何を
考へるともなく、たゞ
此暗く
狹い
景色を
眺めてゐた。すると
御米と
清が
臺所で
働く
音が、
自分に
關係のない
隣の
人の
活動の
如くに
聞えた。そのうち、
障子丈がたゞ
薄白く
宗助の
眼に
映る
樣に、
部屋の
中が
暮れて
來た。
彼はそれでも
凝として
動かずにゐた。
聲を
出して
洋燈の
催促もしなかつた。
彼が
暗い
所から
出て、
晩食の
膳に
着いた
時は、
小六も六
疊から
出て
來て、
兄の
向ふに
坐つた。
御米は
忙しいので、つい
忘れたと
云つて、
座敷の
戸を
締めに
立つた。
宗助は
弟に
夕方になつたら、ちと
洋燈を
點けるとか、
戸を
閉てるとかして、
忙しい
姉の
手傳でもしたら
好からうと
注意したかつたが、
昨今引き
移つた
許のものに、
氣まづい
事を
云ふのも
惡からうと
思つて
已めた。
御米が
座敷から
歸つて
來るのを
待つて、
兄弟は
始めて
茶碗に
手を
着けた。
其時宗助は
漸く
今日役所の
歸りがけに、
道具屋の
前で
坂井に
逢つた
事と、
坂井があの
大きな
眼鏡を
掛けてゐる
道具屋から、
抱一の
屏風を
買つたと
云ふ
話をした。
御米は、
「まあ」と
云つたなり、しばらく
宗助の
顏を
見てゐた。
「ぢや
屹度あれよ。
屹度あれに
違ないわね」
小六は
始めのうち
何にも
口を
出さなかつたが、
段々兄夫婦の
話を
聞いてゐるうちに、
略關係が
明暸になつたので、
「
全體幾何で
賣つたのです」と
聞いた。
御米は
返事をする
前に
一寸夫の
顏を
見た。
食事が
終ると、
小六はぢきに六
疊へ
這入つた。
宗助は
又炬燵へ
歸つた。しばらくして
御米も
足を
温めに
來た。さうして
次の
土曜か
日曜には
坂井へ
行つて、
一つ
屏風を
見て
來たら
可いだらうと
云ふ
樣な
事を
話し
合つた。
次の
日曜になると、
宗助は
例の
通り一
週に一
返の
樂寐を
貪ぼつたため、
午前半日をとう/\
空に
潰して
仕舞つた。
御米は
又頭が
重いとか
云つて、
火鉢の
縁に
倚りかゝつて、
何をするのも
懶さうに
見えた。
斯んな
時に六
疊が
空いてゐれば、
朝からでも
引込む
場所があるのにと
思ふと、
宗助は
小六に六
疊を
宛てがつた
事が、
間接に
御米の
避難場を
取り
上げたと
同じ
結果に
陷るので、ことに
濟まない
樣な
氣がした。
心持が
惡ければ、
座敷へ
床を
敷いて
寐たら
好からうと
注意しても、
御米は
遠慮して
容易に
應じなかつた。それでは
又炬燵でも
拵えたら
何うだ、
自分も
當るからと
云つて、とう/\
櫓と
掛蒲團を
清に
云ひ
付けて、
座敷へ
運ばした。
小六は
宗助が
起きる
少し
前に、
何處かへ
出て
行つて、
今朝は
顏さへ
見せなかつた。
宗助は
御米に
向つて
別段其行先を
聞き
糺しもしなかつた。
此頃では
小六に
關係した
事を
云ひ
出して、
御米に
其返事をさせるのが
氣の
毒になつて
來た。
御米の
方から、
進んで
弟の
讒訴でもする
樣だと、
叱るにしろ、
慰さめるにしろ、
却つて
始末が
好いと
考へる
時もあつた。
午になつても
御米は
炬燵から
出なかつた。
宗助は
一層靜かに
寐かして
置く
方が
身體のために
可からうと
思つたので、そつと
臺所へ
出て、
清に
一寸上の
坂井迄行つてくるからと
告げて、
不斷着の
上へ、
袂の
出る
短いイン

ネスを
纏つて
表へ
出た。
今迄陰氣な
室にゐた
所爲か、
通へ
來ると
急にからりと
氣が
晴れた。
肌の
筋肉が
寒い
風に
抵抗して、
一時に
緊縮する
樣な
冬の
心持の
鋭どく
出るうちに、ある
快感を
覺えたので、
宗助は
御米もあゝ
家にばかり
置いては
善くない、
氣候が
好くなつたら、ちと
戸外の
空氣を
呼吸させる
樣にしてやらなくては
毒だと
思ひながら
歩いた。
坂井の
家の
門を
入つたら、
玄關と
勝手口の
仕切になつてゐる
生垣の
目に、
冬に
似合はないぱつとした
赤いものが
見えた。
傍へ
寄つてわざ/\
檢べると、それは
人形に
掛ける
小さい
夜具であつた。
細い
竹を
袖に
通して、
落ちない
樣に、
扇骨木の
枝に
寄せ
掛けた
手際が、
如何にも
女の
子の
所作らしく
殊勝に
思はれた。かう
云ふ
惡戯をする
年頃の
娘は
固よりの
事、
子供と
云ふ
子供を
育て
上げた
經驗のない
宗助は、
此小さい
赤い
夜具の
尋常に
日に
干してある
有樣をしばらく
立つて
眺めてゐた。さうして二十
年も
昔に
父母が、
死んだ
妹の
爲に
飾つた、
赤い
雛段と
五人囃と、
模樣の
美くしい
干菓子と、それから
甘い
樣で
辛い
白酒を
思ひ
出した。
坂井の
主人は
在宅ではあつたけれども、
食事中だと
云ふので、しばらく
待たせられた。
宗助は
座に
着くや
否や、
隣の
室で
小さい
夜具を
干した
人達の
騷ぐ
聲を
耳にした。
下女が
茶を
運ぶために
襖を
開けると、
襖の
影から
大きな
眼が
四つ
程既に
宗助を
覗いてゐた。
火鉢を
持つて
出ると、
其後から
又違つた
顏が
見えた。
始めての
所爲か、
襖の
開閉の
度に
出る
顏が
悉く
違つてゐて、
子供の
數が
何人あるか
分らない
樣に
思はれた。
漸く
下女が
退がりきりに
退がると、
今度は
誰だか
唐紙を
一寸程細目に
開けて、
黒い
光る
眼丈を
其間から
出した。
宗助も
面白くなつて、
默つて
手招ぎをして
見た。すると
唐紙をぴたりと
閉てゝ、
向ふ
側で
三四人が
聲を
合して
笑ひ
出した。
やがて
一人の
女の
子が、
「よう、
御姉樣又何時もの
樣に
叔母さんごつこ
爲ませうよ」と
云ひ
出した。すると
姉らしいのが、
「えゝ、
今日は
西洋の
叔母さんごつこよ。
東作さんは
御父さまだからパパで、
雪子さんは
御母さまだからママつて
云ふのよ。
可くつて」と
説明した。
其時又別の
聲で、
「
可笑しいわね。ママだつて」と
云つて
嬉しさうに
笑つたものがあつた。
「
私夫でも
何時も
御祖母さまなのよ。
御祖母さまの
西洋の
名がなくつちや
不可ないわねえ。
御祖母さまは
何て
云ふの」と
聞いたものもあつた。
「
御祖母さまは
矢つ
張りバヾで
可いでせう」と
姉が
又説明した。
夫から
當分の
間は、
御免下さいましだの、
何方から
入らつしやいましたのと
盛に
挨拶の
言葉が
交換されてゐた。
其間にはちりん/\と
云ふ
電話の
假聲も
交つた。
凡てが
宗助には
陽氣で
珍らしく
聞えた。
其所へ
奧の
方から
足音がして、
主人が
此方へ
出て
來たらしかつたが、
次の
間へ
入るや
否や、
「さあ、
御前達は
此所で
騷ぐんぢやない。
彼方へ
行つて
御出。
御客さまだから」と
制した。
其時、
誰だかすぐに、
「
厭だよ。
御父つちやんべい。
大きい
御馬買つて
呉れなくつちや、
彼方へ
行かないよ」と
答へた。
聲は
小さい
男の
子の
聲であつた。
年が
行かない
爲か、
舌が
能く
回らないので、
抗辯のしやうが
如何にも
億劫で
手間が
掛かつた。
宗助は
其所を
特に
面白く
思つた。
主人が
席に
着いて、
長い
間待たした
失禮を
詫びてゐる
間に、
子供は
遠くへ
行つて
仕舞つた。
「
大變御賑やかで
結構です」と
宗助が
今自分の
感じた
通を
述べると、
主人はそれを
愛嬌と
受取つたものと
見えて、
「いや
御覽の
如く
亂雜な
有樣で」と
言譯らしい
返事をしたが、それを
緒に、
子供の
世話の
燒けて、
夥だしく
手の
掛る
事などを
色々宗助に
話して
聞かした。
其中で
綺麗な
支那製の
花籃のなかへ
炭團を
一杯盛つて
床の
間に
飾つたと
云ふ
滑稽と、
主人の
編上の
靴のなかへ
水を
汲み
込んで、
金魚を
放したと
云ふ
惡戲が、
宗助には
大變耳新しかつた。
然し、
女の
子が
多いので
服裝に
物が
要るとか、
二週間も
旅行して
歸つてくると、
急にみんなの
脊が
一寸づゝも
伸びてゐるので、
何だか
後から
追ひ
付かれる
樣な
心持がするとか、もう
少しすると、
嫁入の
支度で
忙殺されるのみならず、
屹度貧殺されるだらうとか
云ふ
話になると、
子供のない
宗助の
耳には
夫程の
同情も
起し
得なかつた。
却つて
主人が
口で
子供を
煩冗がる
割に、
少しもそれを
苦にする
樣子の
顏にも
態度にも
見えないのを
羨ましく
思つた。
好い
加減な
頃を
見計つて
宗助は、
先達て
話のあつた
屏風を
一寸見せて
貰へまいかと、
主人に
申し
出た。
主人は
早速引き
受けて、ぱち/\と
手を
鳴らして、
召使を
呼んだが、
藏の
中に
仕舞つてあるのを
取り
出して
來る
樣に
命じた。さうして
宗助の
方を
向いて、
「つい
二三日前迄其所へ
立てゝ
置いたのですが、
例の
子供が
面白半分にわざと
屏風の
影へ
集まつて、
色々な
惡戲をするものですから、
傷でも
付けられちや
大變だと
思つて
仕舞ひ
込んでしまひました」と
云つた。
宗助は
主人の
此言葉を
聞いた
時、
今更手數をかけて、
屏風を
見せて
貰ふのが、
氣の
毒にもなり、
又面倒にもなつた。
實を
云ふと
彼の
好奇心は、
夫程強くなかつたのである。
成程一旦他の
所有に
歸したものは、たとひ
元が
自分のであつたにしろ、
無かつたにしろ、
其所を
突き
留めた
所で、
實際上には
何の
効果もない
話に
違なかつた。
けれども、
屏風は
宗助の
申し
出た
通り、
間もなく
奧から
縁傳ひに
運び
出されて、
彼の
眼の
前に
現れた。さうして
夫が
豫想通りつい
此間迄自分の
座敷に
立てゝあつた
物であつた。
此事實を
發見した
時、
宗助の
頭には、
是と
云つて
大した
感動も
起らなかつた。たゞ
自分が
今坐つてゐる
疊の
色や、
天井の
柾目や、
床の
置物や、
襖の
模樣などの
中に、
此屏風を
立てて
見て、
夫に、
召使が
二人がゝりで、
藏の
中から
大事さうに
取り
出して
來たと
云ふ
所作を
付け
加へて
考へると、
自分が
持つてゐた
時よりは
慥に十
倍以上貴とい
品の
樣に
眺められた
丈であつた。
彼は
即座に
云ふ
可き
言葉を
見出し
得なかつたので、いたづらに、
見慣れたものゝ
上に、
更に
新らしくもない
眼を
据ゑてゐた。
主人は
宗助を
以てある
程度の
鑑賞家と
誤解した。
立ちながら
屏風の
縁へ
手を
掛けて、
宗助の
面と
屏風の
面とを
比較してゐたが、
宗助が
容易に
批評を
下さないので、
「
是は
素性の
慥なものです。
出が
出ですからね」と
云つた。
宗助は、たゞ
「
成程」と
云つた。
主人はやがて
宗助の
後へ
回つて
來て、
指で
其所此所を
指しながら、
品評やら
説明やらした。
其中には、さすが
御大名丈あつて、
好い
繪の
具を
惜氣もなく
使ふのが
此畫家の
特色だから、
色が
如何にも
美事であると
云ふ
樣な、
宗助には
耳新らしいけれども、
普通一般に
知れ
渡つた
事も
大分交つてゐた。
宗助は
好い
加減な
頃を
見計らつて、
丁寧に
禮を
述べて
元の
席に
復した。
主人も
蒲團の
上に
直つた。さうして、
今度は
野路や
空云々といふ
題句やら
書體やらに
就いて
語り
出した。
宗助から
見ると、
主人は
書にも
俳句にも
多くの
興味を
有つてゐた。
何時の
間に
是程の
知識を
頭の
中へ
貯へ
得らるゝかと
思ふ
位、
凡てに
心得のある
男らしく
思はれた。
宗助は
己れを
耻ぢて、
成るべく
物數を
云はない
樣にして、たゞ
向ふの
話丈に
耳を
借す
事を
力めた。
主人は
客が
此方面の
興味に
乏しい
樣子を
見て、
再び
話を
畫の
方へ
戻した。
碌なものはないけれども、
望ならば
所藏の
畫帖や
幅物を
見せても
可いと
親切に
申し
出した。
宗助は
折角の
好意を
辭退しない
譯に
行かなかつた。
其代りに、
失禮ですがと
前置をして、
主人が
此屏風を
手に
入れるに
就て、
何れ
程の
金額を
拂つたかを
尋ねた。
「まあ
掘出し
物ですね。八十
圓で
買ひました」と
主人はすぐ
答へた。
宗助は
主人の
前に
坐つて、
此屏風に
關する
一切の
事を
自白しやうか、しまいかと
思案したが、ふと
打ち
明けるのも
一興だらうと
心付いて、とう/\
實は
是々だと、
今迄の
顛末を
詳しく
話し
出した。
主人は
時々へえ、へえと
驚ろいた
樣な
言葉を
挾んで
聞いてゐたが、
仕舞に、
「ぢや
貴方は
別に
書畫が
好きで、
見に
入らしつた
譯でもないんですね」と
自分の
誤解を、さも
面白い
經驗でもした
樣に
笑い
出した。
同時に、さう
云ふ
譯なら、
自分が
直に
宗助から
相當の
値で
讓つて
貰へば
可かつたに、
惜しい
事をしたと
云つた。
最後に
横町の
道具屋をひどく
罵しつて、
怪しからん
奴だと
云つた。
宗助と
坂井とは
是から
大分親しくなつた。
佐伯の
叔母も
安之助も
其後頓と
宗助の
宅へは
見えなかつた。
宗助は
固より
麹町へ
行く
餘暇を
有たなかつた。
又夫丈の
興味もなかつた。
親類とは
云ひながら、
別々の
日が
二人の
家を
照らしてゐた。
たゞ
小六丈が
時々話しに
出掛ける
樣子であつたが、
是とても、さう
繁々足を
運ぶ
譯でもないらしかつた。それに
彼は
歸つて
來て、
叔母の
家の
消息を
殆んど
御米に
語らないのを
常として
居つた。
御米はこれを
故意から
出る
小六の
仕打かとも
疑つた。
然し
自分が
佐伯に
對して
特別の
利害を
感じない
以上、
御米は
叔母の
動靜を
耳にしない
方を、
却つて
喜こんだ。
それでも
時々は、
先方の
樣子を、
小六と
兄の
對話から
聞き
込む
事もあつた。一
週間程前に、
小六は
兄に、
安之助がまた
新發明の
應用に
苦心してゐる
話をした。それは
印氣の
助けを
借らないで、
鮮明な
印刷物を
拵らえるとか
云ふ、
一寸聞くと
頗る
重寶な
器械に
就てであつた。
話題の
性質から
云つても、
自分とは
全く
利害の
交渉のない
六づかしい
事なので、
御米は
例の
通り
默つて
口を
出さずにゐたが、
宗助は
男だけに
幾分か
好奇心が
動いたと
見えて、
何うして
印氣を
使はずに
印刷が
出來るか
抔と
問ひ
糺してゐた。
專門上の
知識のない
小六が、
精密な
返答をし
得る
筈は
無論なかつた。
彼はたゞ
安之助から
聞いた
儘を、
覺えてゐる
限り
念を
入れて
説明した。
此印刷術は
近來英國で
發明になつたもので、
根本的にいふと
矢張り
電氣の
利用に
過ぎなかつた。
電氣の一
極を
活字と
結び
付けて
置いて、
他の一
極を
紙に
通じて、
其紙を
活字の
上へ
壓し
付けさへすれば、すぐ
出來るのだと
小六が
云つた。
色は
普通黒であるが、
手加減次第で
赤にも
青にもなるから
色刷抔の
場合には、
繪の
具を
乾かす
時間が
省ける
丈でも
大變重寶で、
是を
新聞に
應用すれば、
印氣や
印氣ロールの
費を
節約する
上に、
全體から
云つて、
少くとも
從來の四
分の一の
手數がなくなる
點から
見ても、
前途は
非常に
有望な
事業であると、
小六は
又安之助の
話した
通りを
繰り
返した。さうして
其有望な
前途を、
安之助が
既に
手の
中に
握つたかの
如き
口氣であつた。かつ
其多望な
安之助の
未來のなかには、
同じく
多望な
自分の
影が、
含まれてゐる
樣に、
眼を
輝やかした。
其時宗助は
何時もの
調子で、
寧ろ
穩やかに、
弟の
云ふ
事を
聞いてゐたが、
聞いてしまつた
後でも、
別に
是といふ
眼立つた
批評は
加へなかつた。
實際斯んな
發明は、
宗助から
見ると、
本當の
樣でもあり、
又嘘の
樣でもあり、
愈それが
世間に
行はれる
迄は、
贊成も
反對も
出來かねたのである。
「ぢや
鰹船の
方はもう
止したの」と、
今迄默つてゐた
御米が、
此時始めて
口を
出した。
「
止したんぢやないんですが、あの
方は
費用が
隨分掛るので、いくら
便利でも、さう
誰も
彼も
拵える
譯に
行かないんださうです」と
小六が
答へた。
小六は
幾分か
安之助の
利害を
代表してゐる
樣な
口振であつた。
夫から三
人の
間に、しばらく
談話が
交換されたが、
仕舞に、
「
矢張何をしたつて、さう
旨く
行くもんぢやあるまいよ」と
云つた
宗助の
言葉と、
「
坂井さん
見た
樣に、
御金があつて
遊んでゐるのが
一番可いわね」と
云つた
御米の
言葉を
聞いて、
小六は
又自分の
部屋へ
歸つて
行つた。
斯う
云ふ
機會に、
佐伯の
消息は
折々夫婦の
耳へ
洩れる
事はあるが、
其外には、
全く
何をして
暮らしてゐるか、
互に
知らないで
過す
月日が
多かつた。
ある
時御米は
宗助に
斯んな
問を
掛けた。
「
小六さんは、
安さんの
所へ
行くたんびに、
小遣でも
貰つて
來るんでせうか」
今迄小六に
就て、
夫程の
注意を
拂つてゐなかつた
宗助は、
突然此問に
逢つて、すぐ、「
何故」と
聞き
返した。
御米はしばらく
逡巡つた
末、
「だつて、
此頃能く
御酒を
呑んで
歸つて
來る
事があるのよ」と
注意した。
「
安さんが
例の
發明や、
金儲けの
話をするとき、
其聞き
賃に
奢るのかも
知れない」と
云つて
宗助は
笑つてゐた。
會話はそれなりでつい
發展せずに
仕舞つた。
越えて
三日目の
夕方に、
小六はまた
飯時を
外して
歸つて
來なかつた。しばらく
待ち
合せてゐたが、
宗助はついに
空腹だとか
云ひ
出して、
一寸湯にでも
行つて、
時間を
延ばしたらといふ
御米の
小六に
對する
氣兼に
頓着なく、
食事を
始めた。
其時御米は
夫に、
「
小六さんに
御酒を
止める
樣に、
貴方から
云つちや
不可なくつて」と
切り
出した。
「そんなに
意見しなければならない
程飮むのか」と
宗助は
少し
案外な
顏をした。
御米は
夫程でもないと、
辯護しなければならなかつた。けれども
實際は
誰もゐない
晝間のうち
抔に、あまり
顏を
赤くして
歸つて
來られるのが、
不安だつたのである。
宗助は
夫なり
放つて
置いた。
然し
腹の
中では、
果して
御米の
云ふ
如く、
何所かで
金を
借りるか、
貰ふかして、
夫程好きもしないものを、わざと
飮むのではなからうかと
疑ぐつた。
其うち
年が
段々片寄つて、
夜が
世界の
三分の
二を
領する
樣に
押し
詰つて
來た。
風が
毎日吹いた。
其音を
聞いてゐる
丈でも、
生活に
陰氣な
響を
與へた。
小六はどうしても、六
疊に
籠つて、
一日を
送るに
堪えなかつた。
落ち
付いて
考へれば
考へる
程、
頭が
淋しくつて、
居たゝまれなくなる
許であつた。
茶の
間へ
出て
嫂と
話すのは
猶厭であつた。
已を
得ず
外へ
出た。さうして
友達の
宅をぐる/\
回つて
歩いた。
友達も
始のうちは、
平生の
小六に
對する
樣に、
若い
學生のしたがる
面白い
話を
幾何でもした。けれども
小六はさう
云ふ
話が
盡きても、まだ
遣つて
來た。それで
仕舞には、
友達が、
小六は、
退屈の
餘りに
訪問をして、
談話の
復習に
耽るものだと
評した。たまには
學校の
下讀やら
研究やらに
追はれてゐる
多忙の
身だと
云ふ
風もして
見せた。
小六は
友達からさう
呑氣な
怠けものゝ
樣に
取り
扱はれるのを、
大變不愉快に
感じた。けれども
宅に
落ち
付いては、
讀書も
思索も、
丸で
出來なかつた。
要するに
彼位の
年輩の
青年が、
一人前の
人間になる
楷梯として、
修むべき
事、
力むべき
事には、
内部の
動搖やら、
外部の
束縛やらで、
一切手が
着かなかつたのである。
夫でも
冷たい
雨が
横に
降つたり、
雪融の
道がはげしく
泥つたりする
時は、
着物を
濡らさなければならず、
足袋の
泥を
乾かさなければならない
面倒があるので、
如何な
小六も
時によると、
外出を
見合せる
事があつた。さう
云ふ
日には、
實際困却すると
見えて、
時々六
疊から
出て
來て、のそりと
火鉢の
傍へ
坐つて、
茶などを
注いで
飮んだ。さうして
其所に
御米でもゐると、
世間話の
一つや
二つはしないとも
限らなかつた。
「
小六さん
御酒好き」と
御米が
聞いた
事があつた。
「もう
直御正月ね。
貴方御雜
いくつ
上がつて」と
聞いた
事もあつた。
さう
云ふ
場合が
度重なるに
連れて、
二人の
間は
少しづゝ
近寄る
事が
出來た。
仕舞には、
姉さん
一寸こゝを
縫つて
下さいと、
小六の
方から
進んで、
御米に
物を
頼む
樣になつた。さうして
御米が
絣の
羽織を
受取つて、
袖口の
綻を
繕つてゐる
間、
小六は
何にもせずに
其所へ
坐つて、
御米の
手先を
見詰めてゐた。これが
夫だと、
何時迄も
默つて
針を
動かすのが、
御米の
例であつたが、
相手が
小六の
時には、さう
投遣に
出來ないのが、
又御米の
性質であつた。だからそんな
時には
力めても
話をした。
話の
題目で、
稍ともすると
小六の
口に
宿りたがるものは、
彼の
未來を
何うしたら
好からうと
云ふ
心配であつた。
「だつて
小六さんなんか、まだ
若いぢやありませんか。
何をしたつて
是からだわ。そりや
兄さんの
事よ。さう
悲觀しても
可いのわ」
御米は
二度許り
斯ういふ
慰め
方をした。
三度目には、
「
來年になれば、
安さんの
方で
何うか
都合して
上るつて
受合つて
下すつたんぢやなくつて」と
聞いた。
小六は
其時不慥な
表情をして、
「そりや
安さんの
計畫が、
口でいふ
通り
旨く
行けば
譯はないんでせうが、
段々考へると、
何だか
少し
當にならない
樣な
氣がし
出してね。
鰹船もあんまり
儲からない
樣だから」と
云つた。
御米は
小六の
憮然としてゐる
姿を
見て、それを
時々酒氣を
帶びて
歸つて
來る、
何所かに
殺氣を
含んだ、しかも
何が
癪に
障るんだか
譯が
分らないでゐて
甚だ
不平らしい
小六と
比較すると、
心の
中で
氣の
毒にもあり、
又可笑しくもあつた。
其時は、
「
本當にね。
兄さんにさへ
御金があると、
何うでもして
上げる
事が
出來るんだけれども」と、
御世辭でも
何でもない、
同情の
意を
表した。
其夕暮であつたか、
小六は
又寒い
身體を
外套に
包んで
出て
行つたが、
八時過に
歸つて
來て、
兄夫婦の
前で、
袂から
白い
細長い
袋を
出して、
寒いから
蕎麥掻を
拵らえて
食はうと
思つて、
佐伯へ
行つた
歸りに
買つて
來たと
云つた。さうして
御米が
湯を
沸かしてゐるうちに、
出しを
拵えるとか
云つて、しきりに
鰹節を
掻いた。
其時宗助夫婦は、
最近の
消息として、
安之助の
結婚がとう/\
春迄延びた
事を
聞いた。
此縁談は
安之助が
學校を
卒業すると
間もなく
起つたもので、
小六が
房州から
歸つて、
叔母に
學資の
供給を
斷わられる
時分には、もう
大分話が
進んでゐたのである。
正式の
通知が
來ないので、
何時纏つたか、
宗助は
丸で
知らなかつたが、たゞ
折々佐伯へ
行つては、
何か
聞いて
來る
小六を
通じてのみ、
彼は
年内に
式を
擧げる
筈の
新夫婦を
豫想した。
其他には、
嫁の
里がある
會社員で、
有福な
生計をしてゐる
事と、
其學校が
女學館であるといふ
事と、
兄弟が
澤山あると
云ふ
事丈を、
同じく
小六を
通じて
耳にした。
寫眞にせよ
顏を
知つてるのは
小六許であつた。
「
好い
器量?」と
御米が
聞いた
事がある。
「まあ
好い
方でせう」と
小六が
答へた
事がある。
其晩は
何故暮のうちに
式を
濟まさないかと
云ふのが、
蕎麥掻の
出來上る
間、三
人の
話題になつた。
御米は
方位でも
惡いのだらうと
臆測した。
宗助は
押し
詰つて
日がないからだらうと
考へた。
獨り
小六丈が、
「
矢張り
物質的の
必要かららしいです。
先が
何でも
餘程派出な
家なんで、
叔母さんの
方でもさう
單簡に
濟まされないんでせう」と
何時にない
世帶染みた
事を
云つた。
御米のぶら/\し
出したのは、
秋も
半ば
過ぎて、
紅葉の
赤黒く
縮れる
頃であつた。
京都に
居た
時分は
別として、
廣島でも
福岡でも、あまり
健康な
月日を
送つた
經驗のない
御米は、
此點に
掛けると、
東京へ
歸つてからも、
矢張り
仕合せとは
云へなかつた。この
女には
生れ
故郷の
水が、
性に
合はないのだらうと、
疑ぐれば
疑ぐられる
位、
御米は
一時惱んだ
事もあつた。
近頃はそれが
段々落ち
付いて
來て、
宗助の
氣を
揉む
機會も、
年に
幾度と
勘定が
出來る
位少なくなつたから、
宗助は
役所の
出入に、
御米は
又夫の
留守の
立居に、
等しく
安心して
時間を
過す
事が
出來たのである。だから
此年の
秋が
暮れて、
薄い
霜を
渡る
風が、つらく
肌を
吹く
時分になつて、
又少し
心持が
惡くなり
出しても、
御米は
夫程苦にもならなかつた。
始のうちは
宗助にさへ
知らせなかつた。
宗助が
見付けて、
醫者に
掛ゝれと
勸めても、
容易に
掛からなかつた。
其所へ
小六が
引越して
來た。
宗助は
其頃の
御米を
觀察して、
體質の
状態やら、
精神の
模樣やら、
夫丈に
能く
知つてゐたから、
成るべくは、
人數を
殖やして
宅の
中を
混雜かせたくないとは
思つたが、
事情已を
得ないので、
成るが
儘にして
置くより
外に、
手段の
講じやうもなかつた。たゞ
口の
先で、
成るべく
安靜にしてゐなくては
不可ないと
云ふ
矛盾した
助言は
與へた。
御米は
微笑して、
「
大丈夫よ」と
云つた。
此答を
得た
時、
宗助は
猶の
事安心が
出來なくなつた。
所が
不思議にも、
御米の
氣分は、
小六が
引越して
來てから、ずつと
引立つた。
自分に
責任の
少しでも
加はつたため、
心が
緊張したものと
見えて、
却つて
平生よりは、
甲斐々々しく
夫や
小六の
世話をした。
小六には
夫が
丸で
通じなかつたが、
宗助から
見ると、
御米が
在來よりどれ
程力めてゐるかが
能く
解つた。
宗助は
心のうちで、
此まめやかな
細君に
新らしい
感謝の
念を
抱くと
同時に、かう
氣を
張り
過ぎる
結果が、
一度に
身體に
障る
樣な
騷ぎでも
引き
起して
呉れなければ
可いがと
心配した。
不幸にも、
此心配が
暮の
二十日過になつて、
突然事實になりかけたので、
宗助は
豫期の
恐怖に
火が
點いた
樣に、いたく
狼狽した。
其日は
判然土に
映らない
空が、
朝から
重なり
合つて、
重い
寒さが
終日人の
頭を
抑え
付けてゐた。
御米は
前の
晩にまた
寐られないで、
休ませ
損なつた
頭を
抱へながら、
辛抱して
働らき
出したが、
起つたり
動いたりするたびに、
多少腦に
應へる
苦痛はあつても、
比較的明るい
外界の
刺戟に
紛れた
爲か、
凝と
寐てゐながら、
頭丈が
冴えて
痛むよりは、
却つて
凌ぎ
易かつた。
兎角して
夫を
送り
出す
迄は、しばらくしたら
又何時もの
樣に
折り
合つて
來る
事と
思つて
我慢してゐた。
所が
宗助がゐなくなつて、
自分の
義務に
一段落が
着いたといふ
氣の
弛みが
出ると
等しく、
濁つた
天氣がそろ/\
御米の
頭を
攻め
始めた。
空を
見ると
凍つてゐる
樣であるし、
家の
中にゐると、
陰氣な
障子の
紙を
透して、
寒さが
浸み
込んで
來るかと
思はれる
位だのに、
御米の
頭はしきりに
熱つて
來た。
仕方がないから、
今朝あげた
蒲團を
又出して
來て、
座敷へ
延べたまゝ
横になつた。
夫でも
堪えられないので、
清に
濡手拭を
絞らして
頭へ
乘せた。それが
直生温くなるので、
枕元に
金盥を
取り
寄せて
時々絞り
易へた。
午迄こんな
姑息手段で
斷えず
額を
冷やして
見たが、
一向はか/″\しい
驗もないので、
御米は
小六のために、わざ/\
起きて、
一所に
食事をする
根氣もなかつた。
清にいひ
付けて
膳立をさせて、それを
小六に
薦めさした
儘、
自分は
矢張り
床を
離れずにゐた。さうして、
平生夫のする
柔かい
括枕を
持つて
來て
貰つて、
堅いのと
取り
替へた。
御米は
髮の
損れるのを、
女らしく
苦にする
勇氣にさへ
乏しかつたのである。
小六は六
疊から
出て
來て、
一寸襖を
開けて、
御米の
姿を
覗き
込んだが、
御米が
半ば
床の
間の
方を
向いて、
眼を
塞いでゐたので、
寐付いたとでも
思つたものか、
一言の
口も
利かずに、
又そつと
襖を
閉めた。さうして、たつた
一人大きな
食卓を
專領して、
始めからさら/\と
茶漬を
掻き
込む
音をさせた。
二
時頃になつて、
御米は
漸つとの
事、とろ/\と
眠つたが、
眼が
覺めたら
額を
捲いた
濡れ
手拭が
殆んど
乾く
位暖かになつてゐた。
其代り
頭の
方は
少し
樂になつた。たゞ
肩から
脊筋へ
掛けて
全體に
重苦しい
樣な
感じが
新らしく
加はつた。
御米は
何でも
精を
付けなくては
毒だといふ
考から、
一人で
起きて
遲い
午飯を
輕く
食べた。
「
御氣分は
如何で
御座います」と
清が
御給仕をしながら、しきりに
聞いた。
御米は
大分可い
樣だつたので、
床を
上げて
貰つて、
火鉢に
倚つたなり、
宗助の
歸りを
待ち
受けた。
宗助は
例刻に
歸つて
來た。
神田の
通りで、
門並旗を
立てゝ、もう
暮の
賣出しを
始めた
事だの、
勸工場で
紅白の
幕を
張つて
樂隊に
景氣を
付けさしてゐる
事だのを
話した
末、
「
賑やかだよ。
一寸行つて
御覽。なに
電車に
乘つて
行けば
譯はない」と
勸めた。さうして
自分は
寒さに
腐蝕された
樣に
赤い
顏をしてゐた。
御米はかう
宗助から
勞はられた
時、
何だか
自分の
身體の
惡い
事を
訴たへるに
忍びない
心持がした。
實際又夫程苦しくもなかつた。それで
何時もの
通り
何氣ない
顏をして、
夫に
着物を
着換さしたり、
洋服を
疊んだりして
夜に
入つた。
所が九
時近くになつて、
突然宗助に
向つて、
少し
加減が
惡いから
先へ
寐たいと
云ひ
出した。
今迄平生の
通り
機嫌よく
話してゐただけに、
宗助は
此言葉を
聞いて
一寸驚ろいたが、
大した
事でもないと
云ふ
御米の
保證に、
漸く
安心してすぐ
休む
支度をさせた。
御米が
床へ
這入つてから、
約二十
分許の
間、
宗助は
耳の
傍に
鐵瓶の
音を
聞きながら、
靜な
夜を
丸心の
洋燈に
照らしてゐた。
彼は
來年度に
一般官吏に
増俸の
沙汰があるといふ
評判を
思ひ
浮べた。
又其前に
改革か
淘汰が
行はれるに
違ないといふ
噂に
思ひ
及んだ。さうして
自分は
何方の
方へ
編入されるのだらうと
疑つた。
彼は
自分を
東京へ
呼んで
呉れた
杉原が、
今も
猶課長として
本省にゐないのを
遺憾とした。
彼は
東京へ
移つてから
不思議とまだ
病氣をした
事がなかつた。
從つてまだ
缺勤屆を
出した
事がなかつた。
學校を
中途で
已めたなり、
本は
殆んど
讀まないのだから、
學問は
人並に
出來ないが、
役所でやる
仕事に
差支へる
程の
頭腦ではなかつた。
彼は
色々な
事情を
綜合して
考へた
上、まあ
大丈夫だらうと
腹の
中で
極めた。さうして
爪の
先で
輕く
鐵瓶の
縁を
敲いた。
其時座敷で、
「
貴方一寸」と
云ふ
御米の
苦しさうな
聲が
聞えたので、
我知らず
立ち
上がつた。
座敷へ
來て
見ると、
御米は
眉を
寄せて、
右の
手で
自分の
肩を
抑えながら、
胸迄蒲團の
外へ
乘り
出してゐた。
宗助は
殆んど
器械的に、
同じ
所へ
手を
出した。さうして
御米の
抑えてゐる
上から、
固く
骨の
角を
攫んだ。
「もう
少し
後の
方」と
御米が
訴へるやうに
云つた。
宗助の
手が
御米の
思ふ
所へ
落ち
付く
迄には、二
度も三
度も
其所此所と
位置を
易えなければならなかつた。
指で
壓して
見ると、
頸と
肩の
繼目の
少し
脊中へ
寄つた
局部が、
石の
樣に
凝つてゐた。
御米は
男の
力一杯にそれを
抑えて
呉れと
頼んだ。
宗助の
額からは
汗が
染み
出した。それでも
御米の
滿足する
程は
力が
出なかつた。
宗助は
昔の
言葉で
早打肩といふのを
覺えてゐた。
小さい
時祖父から
聞いた
話に、ある
侍が
馬に
乘つて
何處かへ
行く
途中で、
急に
此早打肩に
冒されたので、すぐ
馬から
飛んで
下りて、
忽ち
小柄を
拔くや
否や、
肩先を
切つて
血を
出したため、
危うい
命を
取り
留めたといふのがあつたが、
其話が
今明らかに
記憶の
燒點に
浮んで
出た。
其時宗助は
是はならんと
思つた。けれども
果して
刄物を
用ひて、
肩の
肉を
突いて
可いものやら、
惡いものやら、
決しかねた。
御米は
何時になく
逆上せて、
耳迄赤くしてゐた。
頭が
熱いかと
聞くと
苦しさうに
熱いと
答へた。
宗助は
大きな
聲を
出して
清に
氷嚢へ
冷たい
水を
入れて
來いと
命じた。
氷嚢が
生憎無かつたので、
清は
朝の
通り
金盥に
手拭を
浸けて
持つて
來た。
清が
頭を
冷やしてゐるうち、
宗助は
矢張り
精一杯肩を
抑えてゐた。
時々少しは
可いかと
聞いても、
御米は
微かに
苦しいと
答へる
丈であつた。
宗助は
全く
心細くなつた。
思ひ
切つて、
自分で
馳け
出して
醫者を
迎に
行かうとしたが、
後が
心配で
一足も
表へ
出る
氣にはなれなかつた。
「
清、
御前急いで
通りへ
行つて、
氷嚢を
買つて
醫者を
呼んで
來い。まだ
早いから
起きてるだらう」
清はすぐ
立つて
茶の
間の
時計を
見て、
「九
時十五
分で
御座います」と
云ひながら、それなり
勝手口へ
回つて、ごそ/\
下駄を
探してゐる
所へ、
旨い
具合に
外から
小六が
歸つて
來た。
例の
通り
兄には
挨拶もしないで、
自分の
部屋へ
這入らうとするのを、
宗助はおい
小六と
烈しく
呼び
止めた。
小六は
茶の
間で
少し
躊躇してゐたが、
兄から
又二聲程續けざまに
大きな
聲を
掛けられたので、
已を
得ず
低い
返事をして、
襖から
顏を
出した。
其顏は
酒氣のまだ
醒めない
赤い
色を
眼の
縁に
帶びてゐた。
部屋の
中を
覗き
込んで、
始めて
吃驚した
樣子で、
「
何うかなすつたんですか」と
醉が
一時に
去つた
樣な
表情をした。
宗助は
清に
命じた
通りを、
小六に
繰り
返して、
早くして
呉れと
急き
立てた。
小六は
外套も
脱がずに、すぐ
玄關へ
取つて
返した。
「
兄さん、
醫者迄行くのは
急いでも
時間が
掛かりますから、
坂井さんの
電話を
借りて、すぐ
來る
樣に
頼みませう」
「あゝ。
左うして
呉れ」と
宗助は
答へた。さうして
小六の
歸る
間、
清に
何返となく
金盥の
水を
易へさしては、
一生懸命に
御米の
肩を
壓し
付けたり、
揉んだりして
見た。
御米の
苦しむのを、
何もせずにたゞ
見てゐるに
堪えなかつたから、
斯うして
自分の
氣を
紛らしてゐたのである。
此時の
宗助に
取つて、
醫者の
來るのを
今か
今かと
待ち
受ける
心ほど
苛いものはなかつた。
彼は
御米の
肩を
揉みながらも、
絶えず
表の
物音に
氣を
配つた。
漸く
醫者が
來たときは、
始めて
夜が
明けた
樣な
心持がした。
醫者は
商買柄丈あつて、
少しも
狼狽へた
樣子を
見せなかつた。
小さい
折鞄を
脇に
引き
付けて、
落付き
拂つた
態度で、
慢性病の
患者でも
取り
扱ふ
樣に
緩くりした
診察をした。
其逼らない
顏色を
傍で
見てゐた
所爲か、わく/\した
宗助の
胸も
漸く
治まつた。
醫者は
芥子を
局部へ
貼る
事と、
足を
濕布で
温める
事と、
夫から
頭を
氷で
冷す
事とを、
應急手段として
宗助に
注意した。さうして
自分で
芥子を
掻いて、
御米の
肩から
頸の
根へ
貼り
付けて
呉れた。
濕布は
清と
小六とで
受持つた。
宗助は
手拭の
上から
氷嚢を
額の
上に
當てがつた。
兎角するうち
約一
時間も
經つた。
醫者はしばらく
經過を
見て
行かうと
云つて、
夫迄御米の
枕元に
坐つてゐた。
世間話も
折々は
交へたが、
大方は
無言の
儘二人共に
御米の
容體を
見守る
事が
多かつた。
夜は
例の
如く
靜に
更けた。
「
大分冷えますな」と
醫者が
云つた。
宗助は
氣の
毒になつたので、あとの
注意を
能く
聞いた
上、
遠慮なく
引き
取つて
呉れる
樣にと
頼んだ。
其時御米は
先刻よりは
大分輕快になつてゐたからである。
「もう
大丈夫でせう。
頓服を一
回上げますから
今夜飮んで
御覽なさい。
多分寐られるだらうと
思ひます」と
云つて
醫者は
歸つた。
小六はすぐ
其後を
追つて
出て
行つた。
小六が
藥取に
行つた
間に、
御米は、
「もう
何時」と
云ひながら、
枕元の
宗助を
見上げた。
宵とは
違つて
頬から
血が
退いて、
洋燈に
照らされた
所が、ことに
蒼白く
映つた。
宗助は
黒い
毛の
亂れた
所爲だらうと
思つて、わざ/\
鬢の
毛を
掻き
上げて
遣つた。さうして、
「
少しは
可いだらう」と
聞いた。
「えゝ
餘つ
程樂になつたわ」と
御米は
何時もの
通り
微笑を
洩らした。
御米は
大抵苦しい
場合でも、
宗助に
微笑を
見せる
事を
忘れなかつた。
茶の
間では、
清が
突伏したまゝ
鼾をかいてゐた。
「
清を
寐かして
遣つて
下さい」と
御米が
宗助に
頼んだ。
小六が
藥取りから
歸つて
來て、
醫者の
云ひ
付け
通り
服藥を
濟ましたのは、もう
彼是十二
時近くであつた。それから二十
分と
經たないうちに、
病人はすや/\
寐入つた。
「
好い
塩梅だ」と
宗助が
御米の
顏を
見ながら
云つた。
小六もしばらく
嫂の
樣子を
見守つてゐたが、
「もう
大丈夫でせう」と
答へた。
二人は
氷嚢を
額から
卸ろした。
やがて
小六は
自分の
部屋へ
這入る、
宗助は
御米の
傍へ
床を
延べて
何時もの
如く
寐た。五六
時間の
後冬の
夜は
錐の
樣な
霜を
挾さんで、からりと
明け
渡つた。それから一
時間すると、
大地を
染める
太陽が、
遮ぎるものゝない
蒼空に
憚りなく
上つた。
御米はまだすや/\
寐てゐた。
そのうち
朝餉も
濟んで、
出勤の
時刻が
漸く
近づいた。けれども
御米は
眠りから
覺める
氣色もなかつた。
宗助は
枕邊に
曲んで、
深い
寐息を
聞ゝながら、
役所へ
行かうか
休まうかと
考へた。
朝の
内は
役所で
常の
如く
事務を
執つてゐたが、
折々昨夕の
光景が
眼に
浮ぶに
連れて、
自然御米の
病氣が
氣に
罹るので、
仕事は
思ふ
樣に
運ばなかつた。
時には
變な
間違をさへした。
宗助は
午になるのを
待つて、
思ひ
切つて
宅へ
歸つて
來た。
電車の
中では、
御米の
眼が
何時頃覺めたらう、
覺めた
後は
心持が
大分好くなつたろう、
發作ももう
起る
氣遣なからうと、
凡て
惡くない
想像ばかり
思ひ
浮べた。
何時もと
違つて、
乘客の
非常に
少ない
時間に
乘り
合はせたので、
宗助は
周圍の
刺戟に
氣を
使ふ
必要が
殆んどなかつた。それで
自由に
頭の
中へ
現はれる
畫を
何枚となく
眺めた。
其うちに、
電車は
終點に
來た。
宅の
門口迄來ると、
家の
中はひつそりして、
誰もゐない
樣であつた。
格子を
開けて、
靴を
脱いで、
玄關に
上がつても、
出て
來るものはなかつた。
宗助は
何時もの
樣に
縁側から
茶の
間へ
行かずに、すぐ
取付の
襖を
開けて、
御米の
寐てゐる
座敷へ
這入つた。
見ると、
御米は
依然として
寐てゐた。
枕元の
朱塗の
盆に
散藥の
袋と
洋杯が
載つてゐて、
其洋杯の
水が
半分殘つてゐる
所も
朝と
同じであつた。
頭を
床の
間の
方へ
向けて、
左の
頬と
芥子を
貼つた
襟元が
少し
見える
所も
朝と
同じであつた。
呼息より
外に
現實世界と
交通のない
樣に
思はれる
深い
眠も
朝見た
通りであつた。
凡てが
今朝出掛に
頭の
中へ
収めて
行つた
光景と
少しも
變つてゐなかつた。
宗助は
外套も
脱がずに、
上から
曲んで、すう/\いふ
御米の
寐息をしばらく
聞いてゐた。
御米は
容易に
覺めさうにも
見えなかつた。
宗助は
昨夕御米が
散藥を
飮んでから
以後の
時間を
指を
折つて
勘定した。さうして
漸く
不安の
色を
面に
表はした。
昨夕迄は
寐られないのが
心配になつたが、
斯う
前後不覺に
長く
寐る
所を
眼のあたりに
見ると、
寐る
方が
何かの
異状ではないかと
考へ
出した。
宗助は
蒲團へ
手を
掛けて二三
度輕く
御米を
搖振つた。
御米の
髮が
括枕の
上で、
波を
打つ
樣に
動いたが、
御米は
依然としてすう/\
寐てゐた。
宗助は
御米を
置いて、
茶の
間から
臺所へ
出た。
流し
元の
小桶の
中に
茶碗と
塗椀が
洗はない
儘浸けてあつた。
下女部屋を
覗くと、
清が
自分の
前に
小さな
膳を
控えたなり、
御櫃に
倚りかゝつて
突伏してゐた。
宗助は
又六
疊の
戸を
引いて
首を
差し
込んだ。
其所には
小六が
掛蒲團を一
枚頭から
引被つて
寐てゐた。
宗助は
一人で
着物を
着換えたが、
脱ぎ
捨てた
洋服も、
人手を
借りずに
自分で
疊んで、
押入に
仕舞つた。それから
火鉢へ
火を
繼いで、
湯を
沸かす
用意をした。二三
分は
火鉢に
持たれて
考へてゐたが、やがて
立ち
上がつて、
先づ
小六から
起しに
掛ゝつた。
次に
清を
起した。
二人とも
驚ろいて
飛び
起きた。
小六に
御米の
今朝から
今迄の
樣子を
聞くと、
實は
餘り
眠いので、十一
時半頃飯を
食つて
寐たのだが、
夫迄は
御米も
能く
熟睡してゐたのだと
云ふ。
「
醫者へ
行つてね。
昨夜の
藥を
戴いてから
寐出して、
今になつても
眼が
覺めませんが
差支ないでせうかつて
聞いて
來て
呉れ」
「はあ」
小六は
簡單な
返事をして
出て
行つた。
宗助は
又座敷へ
來て
御米の
顏を
熟視した。
起して
遣らなくつては
惡い
樣な、
又起しては
身體へ
障る
樣な、
分別の
付かない
惑を
抱いて
腕組をした。
間もなく
小六が
歸つて
來て、
醫者は
丁度徃診に
出掛ける
所であつた、
譯を
話したら、では
今から一二
軒寄つてすぐ
行かうと
答へた、と
告げた。
宗助は
醫者が
見える
迄、
斯うして
放つて
置いて
構はないのかと
小六に
問ひ
返したが、
小六は
醫者が
以上より
外に
何にも
語らなかつたと
云ふ
丈なので、
已を
得ず
元の
如く
枕邊に
凝と
坐つてゐた。さうして
心の
中で、
醫者も
小六も
不親切過ぎる
樣に
感じた。
彼は
其上昨夕御米を
介抱してゐる
時に
歸つて
來た
小六の
顏を
思ひ
出して、
猶不愉快になつた。
小六が
酒を
呑む
事は、
御米の
注意で
始めて
知つたのであるが、
其後氣を
付けて
弟の
樣子をよく
見てゐると、
成程何だか
眞面目でない
所もある
樣なので、
何時かみつちり
異見でもしなければなるまい
位に
考へてはゐたが、
面白くもない
二人の
顏を
御米に
見せるのが、
氣の
毒なので
今日迄わざと
遠慮してゐたのである。
「
云ひ
出すなら
御米の
寐てゐる
今である。
今ならどんな
氣不味いことを
双方で
言ひ
募つたつて、
御米の
神經に
障る
氣遣はない」
此所迄考へ
付いたけれども、
知覺のない
御米の
顏を
見ると、
又其方が
氣掛になつて、すぐにでも
起したい
心持がするので、つい
決し
兼てぐづ/\してゐた。
其所へ
漸く
醫者が
來て
呉れた。
昨夕の
折鞄を
又丁寧に
傍へ
引き
付けて、
緩くり
卷烟草を
吹かしながら、
宗助の
云ふことを、はあ/\と
聞いてゐたが、どれ
拜見致しませうと
御米の
方へ
向き
直つた。
彼は
普通の
場合の
樣に
病人の
脉を
取つて、
長い
間自分の
時計を
見詰めてゐた。それから
黒い
聽診器を
心臟の
上に
當てた。それを
丁寧に
彼方此方と
動かした。
最後に
丸い
穴の
開いた
反射鏡を
出して、
宗助に
蝋燭を
點けて
呉れと
云つた。
宗助は
蝋燭を
持たないので、
清に
洋燈を
點けさした。
醫者は
眠つてゐる
御米の
眼を
押し
開けて、
仔細に
反射鏡の
光を
睫の
奧に
集めた。
診察は
夫で
終つた。
「
少し
藥が
利き
過ぎましたね」と
云つて
宗助の
方へ
向き
直つたが、
宗助の
眼の
色を
見るや
否や、すぐ、
「
然し
御心配になる
事はありません。
斯う
云ふ
場合に、もし
惡い
結果が
起るとすると、
屹度心臟か
腦を
冒すものですが、
今拜見した
所では
双方共異状は
認められませんから」と
説明して
呉れた。
宗助はそれで
漸く
安心した。
醫者は
又自分の
用ひた
眠り
藥が
比較的新らしいもので、
學理上、
他の
睡眠劑の
樣に
有害でない
事や、また
其効目が
患者の
體質に
因つて、
程度に
大變な
相違のある
事などを
語つて
歸つた。
歸るとき
宗助は、
「では
寐られる
丈寐かして
置いても
差支ありませんか」と
聞いたら、
醫者は
用さへなければ
別に
起す
必要もあるまいと
答へた。
醫者が
歸つたあとで、
宗助は
急に
空腹になつた。
茶の
間へ
出ると、
先刻掛けて
置いた
鐵瓶がちん/\
沸つてゐた。
清を
呼んで、
膳を
出せと
命ずると、
清は
困つた
顏付をして、まだ
何の
用意も
出來てゐないと
答へた。
成程晩食には
少し
間があつた。
宗助は
樂々と
火鉢の
傍に
胡坐を
掻いて、
大根の
香の
物を
噛みながら
湯漬を四
杯ほどつゞけ
樣に
掻き
込んだ。それから
約三十
分程したら
御米の
眼がひとりでに
覺めた。
新年の
頭を
拵らえやうといふ
氣になつて、
宗助は
久し
振に
髮結床の
敷居を
跨いだ。
暮の
所爲か
客が
大分立て
込んでゐるので、
鋏の
音が二三ヶ
所で、
同時にちよき/\
鳴つた。
此寒さを
無理に
乘り
越して、
一日も
早く
春に
入らうと
焦慮るやうな
表通の
活動を、
宗助は
今見て
來たばかりなので、
其鋏の
音が、
如何にも
忙しない
響となつて
彼の
鼓膜を
打つた。
しばらく
煖爐の
傍で
烟草を
吹かして
待つてゐる
間に、
宗助は
自分と
關係のない
大きな
世間の
活動に
否應なしに
捲き
込まれて、
已を
得ず
年を
越さなければならない
人の
如くに
感じた。
正月を
眼の
前へ
控えた
彼は、
實際是といふ
新らしい
希望もないのに、
徒らに
周圍から
誘はれて、
何だかざわ/\した
心持を
抱いてゐたのである。
御米の
發作は
漸く
落ち
付いた。
今では
平日の
如く
外へ
出ても、
家の
事がそれ
程氣に
掛ゝらない
位になつた。
餘所に
比べると
閑靜な
春の
支度も、
御米から
云へば、
年に
一度の
忙がしさには
違なかつたので、
或は
何時も
通の
準備さへ
拔いて、
常よりも
簡單に
年を
越す
覺悟をした
宗助は、
蘇生つた
樣にはつきりした
妻の
姿を
見て、
恐ろしい
悲劇が一
歩遠退いた
時の
如くに、
胸を
撫で
卸した。
然し
其悲劇が
又何時如何なる
形で、
自分の
家族を
捕へに
來るか
分らないと
云ふ、ぼんやりした
掛念が、
折々彼の
頭のなかに
霧となつて
懸かつた。
年の
暮に、
事を
好むとしか
思はれない
世間の
人が、
故意と
短い
日を
前へ
押し
出したがつて
齷齪する
樣子を
見ると、
宗助は
猶の
事この
茫漠たる
恐怖の
念に
襲はれた。
成らうことなら、
自分丈は
陰氣な
暗い
師走の
中に
一人殘つてゐたい
思さへ
起つた。
漸く
自分の
番が
來て、
彼は
冷たい
鏡のうちに、
自分の
影を
見出した
時、
不圖此影は
本來何者だらうと
眺めた。
首から
下は
眞白な
布に
包まれて、
自分の
着てゐる
着物の
色も
縞も
全く
見えなかつた。
其時彼は
又床屋の
亭主が
飼つてゐる
小鳥の
籠が、
鏡の
奧に
映つてゐる
事に
氣が
付いた。
鳥が
止り
木の
上をちらり/\と
動いた。
頭へ
香のする
油を
塗られて、
景氣のいゝ
聲を
後から
掛けられて、
表へ
出たときは、それでも
清々した
心持であつた。
御米の
勸通髮を
刈つた
方が、
結局氣を
新たにする
効果があつたのを、
冷たい
空氣の
中で、
宗助は
自覺した。
水道税の
事で
一寸聞き
合せる
必要が
生じたので、
宗助は
歸り
路に
坂井へ
寄つた。
下女が
出て
來て、
此方へと
云ふから、
何時もの
座敷へ
案内するかと
思ふと、
其所を
通り
越して、
茶の
間へ
導びいていつた。すると
茶の
間の
襖が二
尺ばかり
開いてゐて、
中から
三四人の
笑ひ
聲が
聞えた。
坂井の
家庭は
相變らず
陽氣であつた。
主人は
光澤の
好い
長火鉢の
向側に
坐つてゐた。
細君は
火鉢を
離れて、
少し
縁側の
障子の
方へ
寄つて、
矢張此方を
向いてゐた。
主人の
後に
細長い
黒い
枠に
嵌めた
柱時計が
懸つてゐた。
時計の
右が
壁で、
左が
袋戸棚になつてゐた。
其張交に
石摺だの、
俳畫だの、
扇の
骨を
拔いたものなどが
見えた。
主人と
細君の
外に、
筒袖の
揃ひの
模樣の
被布を
着た
女の
子が
二人肩を
擦り
付け
合つて
坐つてゐた。
片方は十二三で、
片方は
十位に
見えた。
大きな
眼を
揃へて、
襖の
陰から
入つて
來た
宗助の
方を
向いたが、
二人の
眼元にも
口元にも、
今笑つた
許の
影が、まだゆたかに
殘つてゐた。
宗助は
一應室の
内を
見回して、
此親子の
外に、まだ
一人妙な
男が、
一番入口に
近い
所に
畏まつてゐるのを
見出した。
宗助は
坐つて五
分と
立たないうちに、
先刻の
笑聲は、
此變な
男と
坂井の
家族との
間に
取り
換はされた
問答から
出る
事を
知つた。
男は
砂埃でざらつきさうな
赤い
毛と、
日に
燒けて
生涯褪めつこない
強い
色を
有つてゐた。
瀬戸物の
釦の
着いた
白木綿の
襯衣を
着て、
手織の
硬い
布子の
襟から
財布の
紐見たやうな
長い
丸打を
懸けた
樣子は、
滅多に
東京抔へ
出る
機會のない
遠い
山の
國のものとしか
受け
取れなかつた。
其上男は
此寒いのに
膝小僧を
少し
出して、
紺の
落ちた
小倉の
帶の
尻に
差した
手拭を
拔いては
鼻の
下を
擦つた。
「
是は
甲斐の
國から
反物を
脊負つてわざ/\
東京迄出て
來る
男なんです」と
坂井の
主人が
紹介すると、
男は
宗助の
方を
向いて、
「
何うか
旦那、
一つ
買つて
御呉」と
挨拶をした。
成程銘仙だの
御召だの、
白紬だのが
其所ら
一面に
取り
散らしてあつた。
宗助は
此男の
形裝や
言葉遣の
可笑しい
割に、
立派な
品物を
脊中へ
乘せて
歩行のを
寧ろ
不思議に
思つた。
主人の
細君の
説明によると、
此織屋の
住んでゐる
村は
燒石ばかりで、
米も
粟も
収れないから、
已を
得ず
桑を
植ゑて
蠶を
飼ふんださうであるが、
餘程貧しい
所と
見えて、
柱時計を
持つてゐる
家が一
軒丈で、
高等小學へ
通ふ
小供が三
人しかないという
話であつた。
「
字の
書けるものは、
此人ぎりなんださうですよ」と
云つて
細君は
笑つた。すると
織屋も、
「
本當のこんだよ、
奧さん。
讀み
書き
算筆の
出來るものは、
己より
外にねえんだからね。
全く
非道い
所にや
違ない」と
眞面目に
細君の
云ふ
事を
首肯つた。
織屋は
色々の
反物を
主人や
細君の
前へ
突き
付けては、「
買つて
御呉れ」といふ
言葉をしきりに
繰り
返した。そりや
高いよ
幾何々々に
御負けなどゝ
云はれると、「
値ぢやねえね」とか、「
拜むからそれで
買つて
御呉れ」とか、「まあ
目方を
見て
御呉れ」とか
凡て
異樣な
田舍びた
答をした。その
度に
皆が
笑つた。
主人夫婦は
又閑だと
見えて、
面白半分に
何時迄も
織屋を
相手にした。
「
織屋、
御前さうして
荷を
脊負つて、
外へ
出て、
時分どきになつたら、
矢張り
御膳を
食べるんだらうね」と
細君が
聞いた。
「
飯を
食はねえでゐられるもんぢやないよ。
腹の
減る
事ちうたら」
「
何んな
所で
食べるの」
「
何んな
所で
食べるちうて、
矢つ
張り
茶屋で
食ふだね」
主人は
笑ひながら
茶屋とは
何だと
聞いた。
織屋は、
飯を
食はす
所が
茶屋だと
答へた。それから
東京へ
出立には
飯が
非常に
旨いので、
腹を
据ゑて
食ひ
出すと、
大抵の
宿屋は
叶はない、
三度々々食つちや
氣の
毒だと
云ふ
樣な
事を
話して、また
皆を
笑はした。
織屋は
仕舞に
撚糸の
紬と、
白絽を一
匹細君に
賣り
付けた。
宗助は
此押し
詰つた
暮に、
夏の
絽を
買ふ
人を
見て
餘裕のあるものは
又格別だと
感じた。すると、
主人が
宗助に
向つて、
「
何うです
貴方も、
序に
何か
一つ。
奧さんの
不斷着でも」と
勸めた。
細君もかう
云ふ
機會に
買つて
置くと、
幾割か
値安に
買へる
便宜を
説いた。さうして、
「なに、
御拂は
何時でも
可いんです」と
受合つて
呉れた。
宗助はとう/\
御米のために
銘仙を一
反買ふ
事にした。
主人はそれを
散々値切つて三
圓に
負けさした。
織屋は
負けた
後で
又、
「
全く
値ぢやねえね。
泣きたくなるね」と
云つたので、
大勢がまた
一度に
笑つた。
織屋は
何處へ
行つても
斯ういふ
鄙びた
言葉を
使つて
通してゐるらしかつた。
毎日馴染みの
家をぐる/\
回つて
歩いてゐるうちには、
脊中の
荷が
段々輕くなつて、
仕舞に
紺の
風呂敷と
眞田紐丈が
殘る。
其時分には
丁度舊の
正月が
來るので、
一先國元へ
歸つて、
古い
春を
山の
中で
越して、
夫から
又新らしい
反物を
脊負へる
丈脊負つて
出て
來るのだと
云つた。さうして
養蠶の
忙しい四
月の
末か五
月の
初迄に、それを
悉皆金に
換へて、
又富士の
北影の
燒石許ころがつてゐる
小村へ
歸つて
行くのださうである。
「
宅へ
來出してから、もう四五
年になりますが、
何時見ても
同じ
事で、
少しも
變らないんですよ」と
細君が
注意した。
「
實際珍らしい
男です」と
主人も
評語を
添えた。
三日も
外へ
出ないと、
町幅が
何時の
間にか
取り
廣げられてゐたり、
一日新聞を
讀まないと、
電車の
開通を
知らずに
過したりする
今の
世に、
年に
二度も
東京へ
出ながら、
斯う
山男の
特色を
何處迄も
維持して
行くのは、
實際珍らしいに
違なかつた。
宗助はつく/″\
此織屋の
容貌やら
態度やら
服裝やら
言葉使やらを
觀察して、
一種氣の
毒な
思をなした。
彼は
坂井を
辭して、
家へ
歸る
途中にも、
折々イン

ネスの
羽根の
下に
抱へて
來た
銘仙の
包を
持ち
易へながら、それを三
圓といふ
安い
價で
賣つた
男の、
粗末な
布子の
縞と、
赤くてばさ/\した
髮の
毛と、
其油氣のない
硬い
髮の
毛が、
何ういふ
譯か、
頭の
眞中で
立派に
左右に
分けられてゐる
樣を、
絶えず
眼の
前に
浮べた。
宅では
御米が
宗助に
着せる
春の
羽織を
漸く
縫ひ
上げて、
壓の
代りに
坐蒲團の
下へ
入れて、
自分で
其上へ
坐つてゐる
所であつた。
「
貴方今夜敷いて
寐て
下さい」と
云つて、
御米は
宗助を
顧みた。
夫から、
坂井へ
來てゐた
甲斐の
男の
話を
聞いた
時は、
御米も
流石に
大きな
聲を
出して
笑つた。さうして
宗助の
持つて
歸つた
銘仙の
縞柄と
地合を
飽かず
眺めては、
安い/\と
云つた。
銘仙は
全く
品の
良いものであつた。
「
何うして、さう
安く
賣つて
割に
合ふんでせう」と
仕舞に
聞き
出した。
「なに
中へ
立つ
呉服屋が
儲け
過ぎてるのさ」と
宗助は
其道に
明るい
樣な
事を、
此一
反の
銘仙から
推斷して
答へた。
夫婦の
話はそれから、
坂井の
生活に
餘裕のある
事と、
其餘裕のために、
横町の
道具屋などに
意外な
儲け
方をされる
代りに、
時とすると
斯う
云ふ
織屋などから、
差し
向き
不用のものを
廉價に
買つて
置く
便宜を
有してゐる
事などに
移つて、
仕舞に
其家庭の
如何にも
陽氣で、
賑やかな
模樣に
落ちて
行つた。
宗助は
其時突然語調を
更へて、
「
何金があるばかりぢやない。
一つは
子供が
多いからさ。
子供さへあれば、
大抵貧乏な
家でも
陽氣になるものだ」と
御米を
覺した。
其云ひ
方が、
自分達の
淋しい
生涯を、
多少自ら
窘める
樣な
苦い
調子を、
御米の
耳に
傳へたので、
御米は
覺えず
膝の
上の
反物から
手を
放して
夫の
顏を
見た。
宗助は
坂井から
取つて
來た
品が、
御米の
嗜好に
合つたので、
久し
振りに
細君を
喜ばせて
遣つた
自覺があるばかりだつたから、
別段そこには
氣が
付かなかつた。
御米も
一寸宗助の
顏を
見たなり
其時は
何にも
云はなかつた。けれども
夜に
入つて
寐る
時間が
來る
迄御米はそれをわざと
延ばして
置いたのである。
二人は
何時もの
通り十
時過床に
入つたが、
夫の
眼がまだ
覺めてゐる
頃を
見計らつて、
御米は
宗助の
方を
向いて
話しかけた。
「
貴方先刻小供がないと
淋しくつて
不可ないと
仰しやつてね」
宗助は
是に
類似の
事を
普般的に
云つた
覺は
慥かにあつた。けれどもそれは
強がちに、
自分達の
身の
上に
就て、
特に
御米の
注意を
惹く
爲に
口にした、
故意の
觀察でないのだから、
斯う
改たまつて
聞き
糺されると、
困るより
外はなかつた。
「
何も
宅の
事を
云つたのぢやないよ」
此返事を
受けた
御米は、しばらく
默つてゐた。やがて、
「でも
宅の
事を
始終淋しい/\と
思つてゐらつしやるから、
必竟あんな
事を
仰しやるんでせう」と
前と
略似た
樣な
問を
繰り
返した。
宗助は
固よりさうだと
答へなければならない
或物を
頭の
中に
有つてゐた。けれども
御米を
憚つて、それ
程明白地な
自白を
敢てし
得なかつた。
此病氣上りの
細君の
心を
休める
爲には、
却つてそれを
冗談にして
笑つて
仕舞ふ
方が
善からうと
考へたので、
「
淋しいと
云へば、そりや
淋しくないでもないがね」と
調子を
易へて
成るべく
陽氣に
出たが、
其所で
詰つたぎり、
新らしい
文句も、
面白い
言葉も
容易に
思ひ
付けなかつた。
已を
得ず、
「まあ
可いや。
心配するな」と
云つた。
御米はまた
何とも
答へなかつた。
宗助は
話題を
變へやうと
思つて、
「
昨夕も
火事があつたね」と
世間話をし
出した。すると
御米は
急に、
「
私は
實に
貴方に
御氣の
毒で」と
切なさうに
言譯を
半分して、
又それなり
默つて
仕舞つた。
洋燈は
何時もの
樣に
床の
間の
上に
据ゑてあつた。
御米は
灯に
背いてゐたから、
宗助には
顏の
表情が
判然分らなかつたけれども、
其聲は
多少涙でうるんでゐる
樣に
思はれた。
今迄仰向いて
天井を
見てゐた
彼は、すぐ
妻の
方へ
向き
直つた。さうして
薄暗い
影になつた
御米の
顏を
凝と
眺めた。
御米も
暗い
中から
凝と
宗助を
見てゐた。さうして、
「
疾から
貴方に
打ち
明けて
謝罪まらう/\と
思つてゐたんですが、つい
言ひ
惡かつたもんだから、
夫なりにして
置いたのです」と
途切れ/\に
云つた。
宗助には
何の
意味か
丸で
解らなかつた。
多少はヒステリーの
所爲かとも
思つたが、
全然さうとも
決しかねて、しばらく
茫然してゐた。すると
御米が
思ひ
詰めた
調子で、
「
私にはとても
子供の
出來る
見込はないのよ」と
云ひ
切つて
泣き
出した。
宗助は
此可憐な
自白を
何う
慰さめて
可いか
分別に
餘つて
當惑してゐたうちにも、
御米に
對して
甚だ
氣の
毒だといふ
思が
非常に
高まつた。
「
子供なんざ、
無くても
可いぢやないか。
上の
坂井さん
見た
樣に
澤山生れて
御覽、
傍から
見てゐても
氣の
毒だよ。
丸で
幼穉園の
樣で」
「だつて
一人も
出來ないと
極つちまつたら、
貴方だつて
好かないでせう」
「まだ
出來ないと
極りやしないぢやないか。
是から
生れるかも
知れないやね」
御米は
猶と
泣き
出した。
宗助も
途方に
暮れて、
發作の
治まるのを
穩やかに
待つてゐた。さうして、
緩くり
御米の
説明を
聞いた。
夫婦は
和合同棲といふ
點に
於て、
人並以上に
成功したと
同時に、
子供にかけては、
一般の
隣人よりも
不幸であつた。それも
始から
宿る
種がなかつたのなら、まだしもだが、
育つべきものを
中途で
取り
落したのだから、
更に
不幸の
感が
深かつた。
始めて
身重になつたのは、
二人が
京都を
去つて、
廣島に
瘠世帶を
張つてゐる
時であつた。
懷姙と
事が
極つたとき、
御米は
此新らしい
經驗に
對して、
恐ろしい
未來と、
嬉しい
未來を
一度に
夢に
見る
樣な
心持を
抱いて
日を
過ごした。
宗助はそれを
眼に
見えない
愛の
精に、
一種の
確證となるべき
形を
與へた
事實と、ひとり
解釋して
少なからず
喜んだ。さうして
自分の
命を
吹き
込んだ
肉の
塊が、
目の
前に
踴る
時節を
指を
折つて
樂しみに
待つた。
所が
胎兒は、
夫婦の
豫期に
反して、五ヶ
月迄育つて
突然下りて
仕舞つた。
其時分の
夫婦の
活計は
苦しい
苛い
月ばかり
續いてゐた。
宗助は
流産した
御米の
蒼い
顏を
眺めて、
是も
必竟は
世帶の
苦勞から
起るんだと
判じた。さうして
愛情の
結果が、
貧のために
打ち
崩されて、
永く
手の
裡に
捕へる
事の
出來なくなつたのを
殘念がつた。
御米はひたすら
泣いた。
福岡へ
移つてから
間もなく、
御米は
又酸いものを
嗜む
人となつた。
一度流産すると
癖になると
聞いたので、
御米は
萬に
注意して、つゝましやかに
振舞つてゐた。
其所爲か
經過は
至極順當に
行つたが、どうした
譯か、
是といふ
原因もないのに、
月足らずで
生れて
仕舞つた。
産婆は
首を
傾けて、一
度醫者に
見せる
樣に
勸めた。
醫者に
診て
貰ふと、
發育が
充分でないから、
室内の
温度を
一定の
高さにして、
晝夜とも
變らない
位、
人工的に
暖めなければ
不可ないと
云つた。
宗助の
手際では、
室内に
煖爐を
据ゑ
付ける
設備をする
丈でも
容易ではなかつた。
夫婦はわが
時間と
算段の
許す
限りを
盡して、
專念に
赤兒の
命を
護つた。けれども
凡ては
徒勞に
歸した。一
週間の
後、
二人の
血を
分けた
情の
塊は
遂に
冷たくなつた。
御米は
幼兒の
亡骸を
抱いて、
「
何うしませう」と
啜り
泣いた。
宗助は
再度の
打撃を
男らしく
受けた。
冷たい
肉が
灰になつて、
其灰が
又黒い
土に
和する
迄、
一口も
愚癡らしい
言葉は
出さなかつた。
其内何時となく、
二人の
間に
挾まつてゐた
影の
樣なものが、
次第に
遠退いて
程なく
消えて
仕舞つた。
すると三
度目の
記憶が
來た。
宗助が
東京に
移つて
始ての
年に、
御米は
又懷姙したのである。
出京の
當座は、
大分身體が
衰ろへてゐたので、
御米は
勿論、
宗助もひどく
其所を
氣遣つたが、
今度こそはといふ
腹は
兩方にあつたので、
張のある
月を
無事に
段々と
重ねて
行つた。
所が
丁度五月目になつて、
御米は
又意外の
失敗を
遣つた。
其頃はまだ
水道も
引いてなかつたから、
朝晩下女が
井戸端へ
出て
水を
汲んだり、
洗濯をしなければならなかつた。
御米はある
日裏にゐる
下女に
云ひ
付ける
用が
出來たので、
井戸流の
傍に
置いた
盥の
傍迄行つて
話をした
序に、
流を
向へ
渡らうとして、
青い
苔の
生へてゐる
濡れた
板の
上へ
尻持を
突いた。
御米はまた
遣り
損なつたとは
思つたが、
自分の
粗忽を
面目ながつて、
宗助にはわざと
何事も
語らずに
其場を
通した。けれども
此震動が、
何時迄經つても
胎兒の
發育に
是といふ
影響も
及ぼさず、
從つて
自分の
身體にも
少しの
異状を
引き
起さなかつた
事が
慥に
分つた
時、
御米は
漸く
安心して、
過去の
失を
改めて
宗助の
前に
告げた。
宗助は
固より
妻を
咎める
意もなかつた。たゞ、
「
能く
氣を
付けないと
危ないよ」と
穩やかに
注意を
加へて
過ぎた。
兎角するうちに
月が
滿ちた。
愈生れるといふ
間際迄日が
詰つたとき、
宗助は
役所へ
出ながらも、
御米の
事がしきりに
氣に
掛つた。
歸りには
何時も、
今日はことによると
留守のうちに
抔と
案じ
續けては、
自分の
家の
格子の
前に
立つた。さうして
半ば
豫期してゐる
赤兒の
泣聲が
聞えないと、
却つて
何かの
變でも
起つたらしく
感じて、
急いで
宅へ
飛び
込んで、
自分と
自分の
粗忽を
耻づる
事があつた。
幸に
御米の
産氣づいたのは、
宗助の
外に
用のない
夜中だつたので、
傍にゐて
世話の
出來ると
云ふ
點から
見れば
甚だ
都合が
好かつた。
産婆も
緩くり
間に
合ふし、
脱脂綿其他の
準備も
悉く
不足なく
取り
揃へてあつた。
産も
案外輕かつた。けれども
肝心の
小兒は、たゞ
子宮を
逃れて
廣い
所へ
出たといふ
迄で、
浮世の
空氣を
一口も
呼吸しなかつた。
産婆は
細い
硝子の
管の
樣なものを
取つて、
小さい
口の
内へ
強い
呼息をしきりに
吹き
込んだが、
効目は
丸でなかつた。
生れたものは
肉丈であつた。
夫婦は
此肉に
刻み
付けられた、
眼と
鼻と
口とを
髣髴した。
然し
其咽喉から
出る
聲は
遂に
聞く
事が
出來なかつた。
産婆は
出産のあつたつい一
週間前に
來て、
丁寧に
胎兒の
心臟迄聽診して、
至極御健全だと
保證して
行つたのである。よし
産婆の
云ふ
事に
間違があつて、
腹の
兒の
發育が
今迄のうちに
何處かで
止つてゐたにした
所で、それが
直取り
出されない
以上、
母體は
今日迄平氣に
持ち
應へる
譯がなかつた。
其所を
段々調べて
見て、
宗助は
自分が
未だ
嘗て
聞いた
事のない
事實を
發見した
時に、
思はず
恐れ
驚ろいた。
胎兒は
出る
間際迄健康であつたのである。けれども
臍帶纏絡と
云つて、
俗に
云ふ
胞を
頸へ
捲き
付けてゐた。
斯う
云ふ
異常の
場合には、
固より
産婆の
腕で
切り
拔けるより
外に
仕樣のないもので、
經驗のある
婆さんなら、
取り
上げる
時に、
旨く
頸に
掛ゝつた
胞を
外して
引き
出す
筈であつた。
宗助の
頼んだ
産婆も
可成年を
取つてゐる
丈に、
此位のことは
心得てゐた。
然し
胎兒の
頸を
絡んでゐた
臍帶は、
時たまある
如く
一重ではなかつた。
二重に
細い
咽喉を
卷いてゐる
胞を、あの
細い
所を
通す
時に
外し
損なつたので、
小兒はぐつと
氣管を
絞められて
窒息して
仕舞つたのである。
罪は
産婆にもあつた。けれども
半以上は
御米の
落度に
違なかつた。
臍帶纏絡の
變状は、
御米が
井戸端で
滑つて
痛く
尻餠を
搗いた五ヶ
月前既に
自ら
釀したものと
知れた。
御米は
産後の
蓐中に
其始末を
聞いて、たゞ
輕く
首肯いたぎり
何にも
云はなかつた。さうして、
疲勞に
少し
落ち
込んだ
眼を
霑ませて、
長い
睫毛をしきりに
動かした。
宗助は
慰さめながら、
手帛で
頬に
流れる
涙を
拭いて
遣つた。
是が
子供に
關する
夫婦の
過去であつた。
此苦い
經驗を
甞めた
彼等は、それ
以後幼兒に
就て
餘り
多くを
語るを
好まなかつた。けれども
二人の
生活の
裏側は、
此記憶のために
淋しく
染め
付けられて、
容易に
剥げさうには
見えなかつた。
時としては、
彼我の
笑聲を
通してさへ、
御互の
胸に、
此裏側が
薄暗く
映る
事もあつた。
斯ういふ
譯だから、
過去の
歴史を
今夫に
向つて
新たに
繰り
返さうとは、
御米も
思ひ
寄らなかつたのである。
宗助も
今更妻からそれを
聞かせられる
必要は
少しも
認めてゐなかつたのである。
御米の
夫に
打ち
明けると
云つたのは、
固より
二人の
共有してゐた
事實に
就てではなかつた。
彼女は三
度目の
胎兒を
失つた
時、
夫から
其折の
模樣を
聞いて、
如何にも
自分が
殘酷な
母であるかの
如く
感じた。
自分が
手を
下した
覺がないにせよ、
考へ
樣によつては、
自分と
生を
與へたものの
生を
奪ふために、
暗闇と
明海の
途中に
待ち
受けて、これを
絞殺したと
同じ
事であつたからである。
斯う
解釋した
時、
御米は
恐ろしい
罪を
犯した
惡人と
己を
見傚さない
譯に
行かなかつた。さうして
思はざる
徳義上の
苛責を
人知れず
受けた。しかも
其苛責を
分つて、
共に
苦しんで
呉れるものは
世界中に
一人もなかつた。
御米は
夫にさへ
此苦しみを
語らなかつたのである。
彼女は
其時普通の
産婦の
樣に、三
週間を
床の
中で
暮らした。それは
身體から
云ふと
極めて
安靜の三
週間に
違なかつた。
同時に
心から
云ふと、
恐るべき
忍耐の三
週間であつた。
宗助は
亡兒のために、
小さい
柩を
拵らえて、
人の
眼に
立たない
葬儀を
營なんだ。しかる
後、
又死んだもののために
小さな
位牌を
作つた。
位牌には
黒い
漆で
戒名が
書いてあつた。
位牌の
主は
戒名を
持つてゐた。けれども
俗名は
兩親といへども
知らなかつた。
宗助は
最初それを
茶の
間の
箪笥の
上へ
載せて、
役所から
歸ると
絶えず
線香を
焚いた。
其香が六
疊に
寐てゐる
御米の
鼻に
時々通つた。
彼女の
官能は
當時それ
程に
鋭どくなつてゐたのである。しばらくしてから、
宗助は
何を
考へたか、
小さい
位牌を
箪笥の
抽出の
底へ
仕舞つてしまつた。
其所には
福岡で
亡くなつた
小供の
位牌と、
東京で
死んだ
父の
位牌が
別々に
綿で
包んで
丁寧に
入れてあつた。
東京の
家を
疊むとき
宗助は
先祖の
位牌を
一つ
殘らず
携えて、
諸所を
漂泊するの
煩はしさに
堪えなかつたので、
新らしい
父の
分丈を
鞄の
中に
収めて、
其他は
悉く
寺へ
預けて
置いたのである。
御米は
宗助のする
凡てを
寐ながら
見たり
聞いたりしてゐた。さうして
布團の
上に
仰向になつた
儘、
此二つの
小さい
位牌を、
眼に
見えない
因果の
糸を
長く
引いて
互に
結び
付けた。それから
其糸を
猶遠く
延ばして、
是は
位牌にもならずに
流れて
仕舞つた、
始めから
形のない、ぼんやりした
影の
樣な
死兒の
上に
投げかけた。
御米は
廣島と
福岡と
東京に
殘る
一つ
宛の
記憶の
底に、
動かしがたい
運命の
嚴かな
支配を
認めて、
其嚴かな
支配の
下に
立つ、
幾月日の
自分を、
不思議にも
同じ
不幸を
繰り
返すべく
作られた
母であると
觀じた
時、
時ならぬ
呪咀の
[#「呪咀の」はママ]聲を
耳の
傍に
聞いた。
彼女が三
週間の
安靜を、
蒲團の
上に
貪ぼらなければならないやうに、
生理的に
強ひられてゐる
間、
彼女の
鼓膜は
此呪咀の
[#「呪咀の」はママ]聲で
殆んど
絶えず
鳴つてゐた。三
週間の
安臥は、
御米に
取つて
實に
比類のない
忍耐の三
週間であつた。
御米は
此苦しい
半月餘りを、
枕の
上で
凝と
見詰めながら
過ごした。
仕舞には
我慢して
横になつてゐるのが、
如何にも
苛かつたので、
看護婦の
歸つた
明る
日に、こつそり
起きてぶら/\して
見たが、それでも
心に
逼る
不安は、
容易に
紛らせなかつた。
退儀な
身體を
無理に
動かす
割に、
頭の
中は
少しも
動いて
呉れないので、
又落膽りして、ついには
取り
放しの
夜具の
下へ
潛り
込んで、
人の
世を
遠ざける
樣に、
眼を
堅く
閉つて
仕舞ふ
事もあつた。
其内定期の三
週間も
過ぎて、
御米の
身體は
自からすつきりなつた。
御米は
奇麗に
床を
拂つて、
新らしい
氣のする
眉を
再び
鏡に
照らした。それは
更衣の
時節であつた。
御米も
久し
振に
綿の
入つた
重いものを
脱ぎ
棄てゝ、
肌に
垢の
觸れない
輕い
氣持を
爽やかに
感じた。
春と
夏の
境をぱつと
飾る
陽氣な
日本の
風物は、
淋しい
御米の
頭にも
幾分かの
反響を
與へた。けれども、
夫はたゞ
沈んだものを
掻き
立てて、
賑やかな
光りのうちに
浮かした
迄であつた。
御米の
暗い
過去の
中に
其時一種の
好奇心が
萠したのである。
天氣の
勝れて
美くしいある
日の
午前、
御米は
何時もの
通り
宗助を
送り
出してから
直に、
表へ
出た。もう
女は
日傘を
差して
外を
行くべき
時節であつた。
急いで
日向を
歩くと
額の
邊が
少し
汗ばんだ。
御米は
歩き/\、
着物を
着換える
時、
箪笥を
開けたら、
思はず一
番目の
抽出の
底に
仕舞つてあつた、
新らしい
位牌に
手が
觸れた
事を
思ひつゞけて、とう/\ある
易者の
門を
潛つた。
彼女は
多數の
文明人に
共通な
迷信を
子供の
時から
持つてゐた。けれども
平生は
其迷信が
又多數の
文明人と
同じ
樣に、
遊戲的に
外に
現はれる
丈で
濟んでゐた。それが
實生活の
嚴かな
部分を
冒す
樣になつたのは、
全く
珍らしいと
云はなければならなかつた。
御米は
其時眞面目な
態度と
眞面目な
心を
有つて、
易者の
前に
坐つて、
自分が
將來子を
生むべき、
又子を
育てるべき
運命を
天から
與へられるだらうかを
確めた。
易者は
大道に
店を
出して、
徃來の
人の
身の
上を
一二錢で
占なふ
人と、
少しも
違つた
樣子もなく、
算木を
色々に
並べて
見たり、
筮竹を
揉んだり
數へたりした
後で、
仔細らしく
腮の
下の
髯を
握つて
何か
考へたが、
終りに
御米の
顏をつく/″\
眺めた
末、
「
貴方には
子供は
出來ません」と
落ち
付き
拂つて
宣告した。
御米は
無言の
儘、しばらく
易者の
言葉を
頭の
中で
噛んだり
碎いたりした。それから
顏を
上げて、
「
何故でせう」と
聞き
返した。
其時御米は
易者が
返事をする
前に、
又考へるだらうと
思つた。
所が
彼はまともに
御米の
眼の
間を
見詰めたまゝ、すぐ
「
貴方は
人に
對して
濟まない
事をした
覺がある。
其罪が
祟つてゐるから、
子供は
決して
育たない」と
云ひ
切つた。
御米は
此一言に
心臟を
射拔かれる
思があつた。くしやりと
首を
折つたなり
家へ
歸つて、
其夜は
夫の
顏さへ
碌々見上げなかつた。
御米の
宗助に
打ち
明けないで、
今迄過したといふのは、
此易者の
判斷であつた。
宗助は
床の
間に
乘せた
細い
洋燈の
灯が、
夜の
中に
沈んで
行きさうな
靜かな
晩に、
始めて
御米の
口から
其話を
聞いたとき、
流石に
好い
氣味はしなかつた。
「
神經の
起つた
時、わざ/\そんな
馬鹿な
所へ
出掛るからさ。
錢を
出して
下らない
事を
云はれて
詰らないぢやないか。
其後もその
占の
宅へ
行くのかい」
「
恐ろしいから、もう
決して
行かないわ」
「
行かないが
可い。
馬鹿氣てゐる」
宗助はわざと
鷹揚な
答をして
又寐て
仕舞つた。
宗助と
御米とは
仲の
好い
夫婦に
違なかつた。
一所になつてから
今日迄六
年程の
長い
月日をまだ
半日も
氣不味く
暮した
事はなかつた。
言逆に
顏を
赤らめ
合つた
試は
猶なかつた。
二人は
呉服屋の
反物を
買つて
着た。
米屋から
米を
取つて
食つた。けれども
其他には
一般の
社會に
待つ
所の
極めて
少ない
人間であつた。
彼等は、
日常の
必要品を
供給する
以上の
意味に
於て、
社會の
存在を
殆んど
認めてゐなかつた。
彼等に
取つて
絶對に
必要なものは
御互丈で、
其御互丈が、
彼等にはまた
充分であつた。
彼等は
山の
中にゐる
心を
抱いて、
都會に
住んでゐた。
自然の
勢として、
彼等の
生活は
單調に
流れない
譯に
行かなかつた。
彼等は
複雜な
社會の
煩を
避け
得たと
共に、
其社會の
活動から
出る
樣々の
經驗に
直接觸れる
機會を、
自分と
塞いで
仕舞つて、
都會に
住みながら、
都會に
住む
文明人の
特權を
棄てた
樣な
結果に
到着した。
彼等も
自分達の
日常に
變化のない
事は
折々自覺した。
御互が
御互に
飽きるの、
物足りなくなるのといふ
心は
微塵も
起らなかつたけれども、
御互の
頭に
受け
入れる
生活の
内容には、
刺戟に
乏しい
或物が
潛んでゐる
樣な
鈍い
訴があつた。それにも
拘はらず、
彼等が
毎日同じ
判を
同じ
胸に
押して、
長の
月日を
倦まず
渡つて
來たのは、
彼等が
始から
一般の
社會に
興味を
失つてゐたためではなかつた。
社會の
方で
彼等を
二人限に
切り
詰めて、
其二人に
冷かな
背を
向けた
結果に
外ならなかつた。
外に
向つて
生長する
餘地を
見出し
得なかつた
二人は、
内に
向つて
深く
延び
始めたのである。
彼等の
生活は
廣さを
失なふと
同時に、
深さを
増して
來た。
彼等は六
年の
間世間に
散漫な
交渉を
求めなかつた
代りに、
同じ六
年の
歳月を
擧げて、
互の
胸を堀ほ》り
出した。
彼等の
命は、いつの
間にか
互の
底に
迄喰ひ
入つた。
二人は
世間から
見れば
依然として
二人であつた。けれども
互から
云へば、
道義上切り
離す
事の
出來ない
一つの
有機體になつた。
二人の
精神を
組み
立てる
神經系は、
最後の
纖維に
至る
迄、
互に
抱き
合つて
出來上つてゐた。
彼等は
大きな
水盤の
表に
滴たつた二
點の
油の
樣なものであつた。
水を
彈いて
二つが
一所に
集まつたと
云ふよりも、
水に
彈かれた
勢で、
丸く
寄り
添つた
結果、
離れる
事が
出來なくなつたと
評する
方が
適當であつた。
彼等は
此抱合の
中に、
尋常の
夫婦に
見出し
難い
親和と
飽滿と、それに
伴なう
倦怠とを
兼ね
具へてゐた。さうして
其倦怠の
慵い
氣分に
支配されながら、
自己を
幸福と
評價する
事丈は
忘れなかつた。
倦怠は
彼等の
意識に
眠の
樣な
幕を
掛けて、
二人の
愛をうつとり
霞ます
事はあつた。けれども
簓で
神經を
洗はれる
不安は
決して
起し
得なかつた。
要するに
彼等は
世間に
疎い
丈それ
丈仲の
好い
夫婦であつたのである。
彼等は
人並以上に
睦ましい
月日を
渝らずに
今日から
明日へと
繋いで
行きながら、
常は
其所に
氣が
付かずに
顏を
見合はせてゐる
樣なものゝ、
時々自分達の
睦まじがる
心を、
自分で
確と
認める
事があつた。その
場合には
必ず
今迄睦まじく
過ごした
長の
歳月を
溯のぼつて、
自分達が
如何な
犧牲を
拂つて、
結婚を
敢てしたかと
云ふ
當時を
憶ひ
出さない
譯には
行かなかつた。
彼等は
自然が
彼等の
前にもたらした
恐るべき
復讐の
下に
戰きながら
跪づいた。
同時に
此復讐を
受けるために
得た
互の
幸福に
對して、
愛の
神に一
辯の
香を
焚く
事を
忘れなかつた。
彼等は
鞭たれつゝ
死に
赴くものであつた。たゞ
其鞭の
先に、
凡てを
癒やす
甘い
蜜の
着いてゐる
事を
覺つたのである。
宗助は
相當に
資産のある
東京ものゝ
子弟として、
彼等に
共通な
派出な
嗜好を
學生時代には
遠慮なく
充たした
男である。
彼は
其時服裝にも、
動作にも、
思想にも、
悉く
當世らしい
才人の
面影を
漲らして、
昂い
首を
世間に
擡げつゝ、
行かうと
思ふ
邊りを
濶歩した。
彼の
襟の
白かつた
如く、
彼の
洋袴の
裾が
奇麗に
折り
返されてゐた
如く、
其下から
見える
彼の
靴足袋が
模樣入のカシミヤであつた
如く、
彼の
頭は
華奢な
世間向きであつた。
彼は
生れ
付理解の
好い
男であつた。
從つて
大した
勉強をする
氣にはなれなかつた。
學問は
社會へ
出るための
方便と
心得てゐたから、
社會を一
歩退ぞかなくつては
達する
事の
出來ない、
學者といふ
地位には、
餘り
多くの
興味を
有つてゐなかつた。
彼はたゞ
教場へ
出て、
普通の
學生のする
通り、
多くのノートブツクを
黒くした。けれども
宅へ
歸つて
來て、それを
讀み
直したり、
手を
入れたりした
事は
滅多になかつた。
休んで
拔けた
所さへ
大抵は
其儘にして
放つて
置いた。
彼は
下宿の
机の
上に、
此ノートブツクを
奇麗に
積み
上げて、
何時見ても
整然と
秩序の
付いた
書齋を
空にしては、
外を
出歩るいた。
友達は
多く
彼の
寛濶を
羨んだ。
宗助も
得意であつた。
彼の
未來は
虹の
樣に
美くしく
彼の
眸を
照らした。
其頃の
宗助は
今と
違つて
多くの
友達を
持つてゐた。
實を
云ふと、
輕快な
彼の
眼に
映ずる
凡ての
人は、
殆んど
誰彼の
區別なく
友達であつた。
彼は
敵といふ
言葉の
意味を
正當に
解し
得ない
樂天家として、
若い
世をのび/\と
渡つた。
「なに
不景氣な
顏さへしなければ、
何處へ
行つたつて
驩迎されるもんだよ」と
學友の
安井によく
話した
事があつた。
實際彼の
顏は、
他を
不愉快にする
程深刻な
表情を
示し
得た
試がなかつた。
「
君は
身體が
丈夫だから
結構だ」とよく
何處かに
故障の
起る
安井が
羨ましがつた。
此安井といふのは
國は
越前だが、
長く
横濱に
居たので、
言葉や
樣子は
毫も
東京ものと
異なる
點がなかつた。
着物道樂で、
髮の
毛を
長くして
眞中から
分ける
癖があつた。
高等學校は
違つてゐたけれども、
講義のときよく
隣合せに
並んで、
時々聞き
損なつた
所抔を
後から
質問するので、
口を
利き
出したのが
元になつて、つい
懇意になつた。それが
學年の
始りだつたので、
京都へ
來て
日のまだ
淺い
宗助には
大分の
便宜であつた。
彼は
安井の
案内で
新らしい
土地の
印象を
酒の
如く
吸ひ
込んだ。
二人は
毎晩の
樣に
三條とか
四條とかいふ
賑やかな
町を
歩いた。
時によると
京極も
通り
拔けた。
橋の
眞中に
立つて
鴨川の
水を
眺めた。
東山の
上に
出る
靜かな
月を
見た。さうして
京都の
月は
東京の
月よりも
丸くて
大きい
樣に
感じた。
町や
人に
厭きたときは、
土曜と
日曜を
利用して
遠い
郊外に
出た。
宗助は
至る
所の
大竹藪に
緑の
籠る
深い
姿を
喜んだ。
松の
幹の
染めた
樣に
赤いのが、
日を
照り
返して
幾本となく
並ぶ
風情を
樂しんだ。ある
時は
大悲閣へ
登つて、
即非の
額の
下に
仰向きながら、
谷底の
流を
下る
櫓の
音を
聞いた。
其音が
鴈の
鳴聲によく
似てゐるのを
二人とも
面白がつた。ある
時は、
平八茶屋迄出掛けて
行つて、そこに
一日寐てゐた。さうして
不味い
河魚の
串に
刺したのを、かみさんに
燒かして
酒を
呑んだ。
其かみさんは、
手拭を
被つて、
紺の
立付見た
樣なものを
穿いてゐた。
宗助は
斯んな
新らしい
刺戟の
下に、しばらくは
慾求の
滿足を
得た。けれども
一と
通り
古い
都の
臭を
嗅いで
歩くうちに、
凡てがやがて、
平板に
見えだして
來た。
其時彼は
美くしい
山の
色と
清い
水の
色が、
最初程鮮明な
影を
自分の
頭に
宿さないのを
物足らず
思ひ
始めた。
彼は
暖かな
若い
血を
抱いて、
其熱りを
冷す
深い
緑に
逢へなくなつた。さうかといつて、
此情熱を
焚き
盡す
程の
烈しい
活動には
無論出會はなかつた。
彼の
血は
高い
脉を
打つて、
徒らにむづ
痒く
彼の
身體の
中を
流れた。
彼は
腕組をして、
坐ながら
四方の
山を
眺めた。さうして、
「もう
斯んな
古臭い
所には
厭きた」と
云つた。
安井は
笑ひながら、
比較のため、
自分の
知つてゐる
或友達の
故郷の
物語をして
宗助に
聞かした。それは
淨瑠璃の
間の
土山雨が
降るとある
有名な
宿の
事であつた。
朝起きてから
夜寐る
迄、
眼に
入るものは
山より
外にない
所で、
丸で
擂鉢の
底に
住んでゐると
同じ
有樣だと
告げた
上、
安井は
其友達の
小さい
時分の
經驗として、
五月雨の
降りつゞく
折抔は、
小供心に、
今にも
自分の
住んでゐる
宿が、
四方の
山から
流れて
來る
雨の
中に
浸かつて
仕舞ひさうで、
心配でならなかつたと
云ふ
話をした。
宗助はそんな
擂鉢の
底で
一生を
過す
人の
運命ほど
情ないものはあるまいと
考へた。
「さう
云ふ
所に、
人間がよく
生きてゐられるな」と
不思議さうな
顏をして
安井に
云つた。
安井も
笑つてゐた。さうして
土山から
出た
人物の
中では、
千兩凾を
摩り
替へて
磔になつたのが
一番大きいのだと
云ふ
一口話を
矢張り
友達から
聞いた
通り
繰り
返した。
狹い
京都に
飽きた
宗助は、
單調な
生活を
破る
色彩として、さう
云ふ
出來事も百
年に一
度位は
必要だらうと
迄思つた。
其時分の
宗助の
眼は、
常に
新らしい
世界にばかり
注がれてゐた。だから
自然が
一通四季の
色を
見せて
仕舞つたあとでは、
再び
去年の
記憶を
呼び
戻すために、
花や
紅葉を
迎へる
必要がなくなつた。
強く
烈しい
命に
生きたと
云ふ
證劵を
飽迄握りたかつた
彼には、
活きた
現在と、
是から
生れやうとする
未來が、
當面の
問題であつたけれども、
消えかゝる
過去は、
夢同樣に
價の
乏しい
幻影に
過ぎなかつた。
彼は
多くの
剥げかゝつた
社と、
寂果た
寺を
見盡して、
色の
褪めた
歴史の
上に、
黒い
頭を
振り
向ける
勇氣を
失ひかけた。
寐耄けた
昔に
徊する
程、
彼の
氣分は
枯れてゐなかつたのである。
學年の
終りに
宗助と
安井とは
再會を
約して
手を
分つた。
安井は
一先郷里の
福井へ
歸つて、
夫から
横濱へ
行く
積りだから、もし
其時には
手紙を
出して
通知をしやう、さうして
成るべくなら
一所の
汽車で
京都へ
下らう、もし
時間が
許すなら、
興津あたりで
泊つて、
清見寺や
三保の
松原や、
久能山でも
見ながら
緩くり
遊んで
行かうと
云つた。
宗助は
大いに
可からうと
答へて、
腹のなかでは
既に
安井の
端書を
手にする
時の
心持さへ
豫想した。
宗助が
東京へ
歸つたときは、
父は
固よりまだ
丈夫であつた。
小六は
子供であつた。
彼は一
年ぶりに
殷んな
都の
炎熱と
煤煙を
呼吸するのを
却つて
嬉しく
感じた。
燬く
樣な
日の
下に、
渦を
捲いて
狂ひ
出しさうな
瓦の
色が、
幾里となく
續く
景色を、
高い
所から
眺めて、
是でこそ
東京だと
思ふ
事さへあつた。
今の
宗助なら
目を
眩しかねない
事々物々が、
悉く
壯快の二
字を
彼の
額に
燒き
付けべく、
其時は
反射して
來たのである。
彼の
未來は
封じられた
蕾のやうに、
開かない
先は
他に
知れないばかりでなく、
自分にも
確とは
分らなかつた。
宗助はたゞ
洋々の二
字が
彼の
前途に
棚引いてゐる
氣がした
丈であつた。
彼は
此暑い
休暇中にも
卒業後の
自分に
對する
謀を
忽かせにはしなかつた。
彼は
大學を
出てから、
官途に
就かうか、
又は
實業に
從はうか、それすら、まだ
判然と
心に
極めてゐなかつたに
拘はらず、
何方の
方面でも
構はず、
今のうちから、
進める
丈進んで
置く
方が
利益だと
心付いた。
彼は
直接父の
紹介を
得た。
父を
通して
間接に
其知人の
紹介を
得た。さうして
自分の
將來を
影響し
得る
樣な
人を
物色して、二三の
訪問を
試みた。
彼等のあるものは、
避暑といふ
名義の
下に、
既に
東京を
離れてゐた。あるものは
不在であつた。
又あるものは
多忙のため
時を
期して、
勤務先で
會はうと
云つた。
宗助は
日のまだ
高くならない七
時頃に、
昇降器で
煉瓦造の
三階へ
案内されて、
其所の
應接間に、もう七八
人も
自分と
同じ
樣に、
同じ
人を
待つてゐる
光景を
見て
驚ろいた
事もあつた。
彼は
斯うして
新らしい
所へ
行つて、
新らしい
物に
接するのが、
用向の
成否に
關はらず、
今迄眼に
付かずに
過ぎた
活きた
世界の
斷片を
頭へ
詰め
込む
樣な
氣がして
何となく
愉快であつた。
父の
云ひ
付で、
毎年の
通り
虫干の
手傳をさせられるのも、
斯んな
時には、
却つて
興味の
多い
仕事の
一部分に
數へられた。
彼は
冷たい
風の
吹き
通す
土藏の
戸前の
濕つぽい
石の
上に
腰を
掛けて、
古くから
家にあつた
江戸名所圖會と
江戸砂子といふ
本を
物珍しさうに
眺めた。
疊迄熱くなつた
座敷の
眞中へ
胡坐を
掻いて、
下女の
買つて
來た
樟腦を、
小さな
紙片に
取り
分けては、
醫者で
呉れる
散藥の
樣な
形に
疊んだ。
宗助は
小供の
時から、
此樟腦の
高い
香と、
汗の
出る
土用と、
砲烙灸と、
蒼空を
緩く
舞ふ
鳶とを
連想してゐた。
兎角するうちに
節は
立秋に
入つた。
二百十日の
前には、
風が
吹いて、
雨が
降つた。
空には
薄墨の
染んだ
樣な
雲がしきりに
動いた。
寒暖計が二三
日下がり
切りに
下がつた。
宗助はまた
行李を
麻繩で
絡げて、
京都へ
向ふ
支度をしなければならなくなつた。
彼は
此間にも
安井と
約束のある
事は
忘れなかつた。
家へ
歸つた
當座は、まだ二ヶ
月も
先の
事だからと
緩くり
構へてゐたが、
段々時日が
逼るに
從つて、
安井の
消息が
氣になつてきた。
安井は
其後一
枚の
端書さへ
寄こさなかつたのである。
宗助は
安井の
郷里の
福井へ
向けて
手紙を
出して
見た。けれども
返事は
遂に
來なかつた。
宗助は
横濱の
方へ
問ひ
合はせて
見やうと
思つたが、つい
番地も
町名も
聞いて
置かなかつたので、
何うする
事も
出來なかつた。
立つ
前の
晩に、
父は
宗助を
呼んで、
宗助の
請求通り、
普通の
旅費以外に、
途中で二三
日滯在した
上、
京都へ
着いてからの
當分の
小遣を
渡して、
「
成る
丈節儉しなくちや
不可ない」と
諭した。
宗助はそれを
普通の
子が
普通の
親の
訓戒を
聞く
時の
如くに
聞いた。
父は
又、
「
來年また
歸つて
來る
迄は
會はないから、
隨分氣を
付けて」と
云つた。
其歸つて
來る
時節には、
宗助はもう
歸れなくなつてゐたのである。さうして
歸つて
來た
時は、
父の
亡骸がもう
冷たくなつてゐたのである。
宗助は
今に
至る
迄其時の
父の
面影を
思ひ
浮べては
濟まない
樣な
氣がした。
愈立つと
云ふ
間際に、
宗助は
安井から一
通の
封書を
受取つた。
開いて
見ると、
約束通り
一所に
歸る
積でゐたが、
少し
事情があつて
先へ
立たなければならない
事になつたからと
云ふ
斷を
述べた
末に、
何れ
京都で
緩くり
會はうと
書いてあつた。
宗助はそれを
洋服の
内懷に
押し
込んで
汽車に
乘つた。
約束の
興津へ
來たとき
彼は
一人でプラツトフオームへ
降りて、
細長い
一筋町を
清見寺の
方へ
歩いた。
夏も
既に
過ぎた九
月の
初なので、
大方の
避暑客は
早く
引き
上げた
後だから、
宿屋は
比較的閑靜であつた。
宗助は
海の
見える
一室の
中に
腹這になつて、
安井へ
送る
繪端書へ二三
行の
文句を
書いた。
其内に、
君が
來ないから
僕一人で
此所へ
來たといふ
言葉を
入れた。
翌日も
約束通り
一人で
三保と
龍華寺を
見物して、
京都へ
行つてから
安井に
話す
材料を
出來る
丈拵えた。
然し
天氣の
所爲か、
當にした
連のないためか、
海を
見ても、
山へ
登つても
夫程面白くなかつた。
宿に
凝としてゐるのは、
猶退屈であつた。
宗助は
匆々に
又宿の
浴衣を
脱ぎ
棄てゝ、
絞りの
三尺と
共に
欄干に
掛けて、
興津を
去つた。
京都へ
着いた
一日目は、
夜汽車の
疲れやら、
荷物の
整理やらで、
徃來の
日影を
知らずに
暮らした。
二日目になつて
漸く
學校へ
出て
見ると、
教師はまだ
出揃つてゐなかつた。
學生も
平日よりは
數が
不足であつた。
不審な
事には、
自分より
三四つ
日前に
歸つてゐるべき
筈の
安井の
顏さへ
何處にも
見えなかつた。
宗助はそれが
氣にかゝるので、
歸りにわざ/\
安井の
下宿へ
回つて
見た。
安井の
居る
所は
樹と
水の
多い
加茂の
社の
傍であつた。
彼は
夏休み
前から、
少し
閑靜な
町外れへ
移つて
勉強する
積だとか
云つて、わざ/\
此不便な
村同樣な
田舍へ
引込んだのである。
彼の
見付出した
家からが
寂た
土塀を
二方に
回らして、
既に
古風に
片付いてゐた。
宗助は
安井から、
其所の
主人はもと
加茂神社の
神官の
一人であつたと
云ふ
話を
聞いた。
非常に
能辯な
京都言葉を
操る四十
許の
細君がゐて、
安井の
世話をしてゐた。
「
世話つて、たゞ
不味い
菜を
拵らえて、三
度づゝ
室へ
運んで
呉れる
丈だよ」と
安井は
移り
立てから
此細君の
惡口を
利いてゐた。
宗助は
安井を
此所に二三
度訪ねた
縁故で、
彼の
所謂不味い
菜を
拵らえる
主を
知つてゐた。
細君の
方でも
宗助の
顏を
覺えてゐた。
細君は
宗助を
見るや
否や、
例の
柔かい
舌で
慇懃な
挨拶を
述べた
後、
此方から
聞かうと
思つて
來た
安井の
消息を、
却つて
向ふから
尋ねた。
細君の
云ふ
所によると、
彼は
郷里へ
歸つてから
當日に
至る
迄、
一片の
音信さへ
下宿へは
出さなかつたのである。
宗助は
案外な
思で
自分の
下宿へ
歸つて
來た。
夫から一
週間程は、
學校へ
出るたんびに、
今日は
安井の
顏が
見えるか、
明日は
安井の
聲がするかと、
毎日漠然とした
豫期を
抱いては
教室の
戸を
開けた。さうして
毎日又漠然とした
不足を
感じては
歸つて
來た。
尤も
最後の
三四日に
於る
宗助は
早く
安井に
會ひたいと
思ふよりも、
少し
事情があるから、
失敬して
先へ
立つとわざ/\
通知しながら、
何時迄待つても
影も
見せない
彼の
安否を、
關係者として
寧ろ
氣に
掛けてゐたのである。
彼は
學友の
誰彼に
萬遍なく
安井の
動靜を
聞いて
見た。
然し
誰も
知るものはなかつた。たゞ
一人が、
昨夕四條の
人込の
中で、
安井によく
似た
浴衣がけの
男を
見たと
答へた
事があつた。
然し
宗助にはそれが
安井だらうとは
信じられなかつた。
所が
其話を
聞いた
翌日、
即ち
宗助が
京都へ
着いてから
約一
週間の
後、
話の
通りの
服裝をした
安井が、
突然宗助の
所へ
尋ねて
來た。
宗助は
着流しの
儘麥藁帽を
手に
持つた
友達の
姿を
久し
振に
眺めた
時、
夏休み
前の
彼の
顏の
上に、
新らしい
何物かゞ
更に
付け
加へられた
樣な
氣がした。
安井は
黒い
髮に
油を
塗つて、
目立つ
程奇麗に
頭を
分けてゐた。さうして
今床屋へ
行つて
來た
所だと
言譯らしい
事を
云つた。
其晩彼は
宗助と一
時間餘りも
雜談に
耽つた。
彼の
重々しい
口の
利き
方、
自分を
憚かつて、
思ひ
切れない
樣な
話の
調子、「
然るに」と
云ふ
口癖、
凡て
平生の
彼と
異なる
點はなかつた。たゞ
彼は
何故宗助より
先へ
横濱を
立つたかを
語らなかつた。
又途中何處で
暇取つた
爲、
宗助より
後れて
京都へ
着いたかを
判然告げなかつた。
然し
彼は
三四日前漸く
京都へ
着いた
事丈を
明かにした。さうして、
夏休み
前にゐた
下宿へはまだ
歸らずにゐると
云つた。
「
夫で
何處に」と
宗助が
聞いたとき、
彼は
自分の
今泊つてゐる
宿屋の
名前を、
宗助に
教へた。それは
三條邊の三
流位の
家であつた。
宗助は
其名前を
知つてゐた。
「
何うして、
其樣な
所へ
這入つたのだ。
當分其所にゐる
積なのかい」と
宗助は
重ねて
聞いた。
安井はたゞ
少し
都合があつてと
許答へたが、
「
下宿生活はもう
已めて、
小さい
家でも
借りやうかと
思つてゐる」と
思ひがけない
計畫を
打ち
明けて、
宗助を
驚ろかした。
それから一
週間ばかりの
中に、
安井はとう/\
宗助に
話した
通り、
學校近くの
閑靜な
所に
一戸を
構へた。それは
京都に
共通な
暗い
陰氣な
作りの
上に、
柱や
格子を
黒赤く
塗つて、わざと
古臭く
見せた
狹い
貸家であつた。
門口に
誰の
所有とも
付かない
柳が一
本あつて、
長い
枝が
殆ど
軒に
觸りさうに
風に
吹かれる
樣を
宗助は
見た。
庭も
東京と
違つて、
少しは
整つてゐた。
石の
自由になる
所だけに、
比較的大きなのが
座敷の
眞正面に
据ゑてあつた。
其下には
涼しさうな
苔がいくらでも
生えた。
裏には
敷居の
腐つた
物置が
空の
儘がらんと
立つてゐる
後に、
隣の
竹藪が
便所の
出入りに
望まれた。
宗助の
此處を
訪問したのは、十
月に
少し
間のある
學期の
始めであつた。
殘暑がまだ
強いので
宗助は
學校の
徃復に、
蝙蝠傘を
用ひてゐた
事を
今に
記憶してゐた。
彼は
格子の
前で
傘を
疊んで、
内を
覗き
込んだ
時、
粗い
縞の
浴衣を
着た
女の
影をちらりと
認めた。
格子の
内は
三和土で、それが
眞直に
裏迄突き
拔けてゐるのだから、
這入つてすぐ
右手の
玄關めいた
上り
口を
上らない
以上は、
暗いながら
一筋に
奧の
方迄見える
譯であつた。
宗助は
浴衣の
後影が、
裏口へ
出る
所で
消へてなくなる
迄其處に
立つてゐた。それから
格子を
開けた。
玄關へは
安井自身が
現れた。
座敷へ
通つてしばらく
話してゐたが、さつきの
女は
全く
顏を
出さなかつた。
聲も
立てず、
音もさせなかつた。
廣い
家でないから、つい
隣の
部屋位にゐたのだらうけれども、
居ないのと
丸で
違はなかつた。この
影の
樣に
靜かな
女が
御米であつた。
安井は
郷里の
事、
東京の
事、
學校の
講義の
事、
何くれとなく
話した。けれども、
御米の
事に
就ては
一言も
口にしなかつた。
宗助も
聞く
勇氣に
乏しかつた。
其日はそれなり
別れた。
次の
日二人が
顏を
合したとき、
宗助は
矢張り
女の
事を
胸の
中に
記憶してゐたが、
口へ
出しては
一言も
語らなかつた。
安井も
何氣ない
風をしてゐた。
懇意な
若い
青年が
心易立に
話し
合ふ
遠慮のない
題目は、
是迄二人の
間に
何度となく
交換されたにも
拘はらず、
安井はこゝへ
來て、
息詰つた
如くに
見えた。
宗助も
其所を
無理にこぢ
開ける
程の
強い
好奇心は
有たなかつた。
從つて
女は
二人の
意識の
間に
挾まりながら、つい
話頭に
上らないで、
又一
週間ばかり
過ぎた。
其日曜に
彼は
又安井を
訪ふた。それは
二人の
關係してゐる
或會に
就て
用事が
起つたためで、
女とは
全く
縁故のない
動機から
出た
淡泊な
訪問であつた。けれども
座敷へ
上がつて、
同じ
所へ
坐らせられて、
垣根に
沿ふた
小さな
梅の
木を
見ると、
此前來た
時の
事が
明らかに
思ひ
出された。
其日も
座敷の
外は、しんとして
靜であつた。
宗助は
其靜かなうちに
忍んでゐる
若い
女の
影を
想像しない
譯に
行かなかつた。
同時にその
若い
女は
此前と
同じ
樣に、
決して
自分の
前に
出て
來る
氣遣はあるまいと
信じてゐた。
此豫期の
下に、
宗助は
突然御米に
紹介されたのである。
其時御米は
此間の
樣に
粗い
浴衣を
着てはゐなかつた。
是から
餘所へ
行くか、
又は
今外から
歸つて
來たと
云ふ
風な
粧をして、
次の
間から
出て
來た。
宗助にはそれが
意外であつた。
然し
大した
綺羅を
着飾つた
譯でもないので、
衣服の
色も、
帶の
光も、
夫程彼を
驚かす
迄には
至らなかつた。
其上御米は
若い
女に
有勝の
嬌羞といふものを、
初對面の
宗助に
向つて、あまり
多く
表はさなかつた。たゞ
普通の
人間を
靜にして
言葉寡なに
切り
詰めた
丈に
見えた。
人の
前へ
出ても、
隣の
室に
忍んでゐる
時と、あまり
區別のない
程落付いた
女だといふ
事を
見出した
宗助は、それから
推して、
御米のひつそりしていたのは、
穴勝耻かしがつて、
人の
前へ
出るのを
避けるため
許でもなかつたんだと
思つた。
安井は
御米を
紹介する
時、
「
是は
僕の
妹だ」といふ
言葉を
用ひた。
宗助は四五
分對坐して、
少し
談話を
取り
換はしてゐるうちに、
御米の
口調の
何處にも、
國訛らしい
音の
交つてゐない
事に
氣が
付いた。
「
今迄御國の
方に」と
聞いたら、
御米が
返事をする
前に
安井が、
「いや
横濱に
長く」と
答へた。
其日は
二人して
町へ
買物に
出やうと
云ふので、
御米は
不斷着を
脱ぎ
更へて、
暑い
所をわざ/\
新らしい
白足袋迄穿いたものと
知れた。
宗助は
折角の
出掛を
喰ひ
留めて、
邪魔でもした
樣に
氣の
毒な
思をした。
「なに
宅を
持ち
立てだものだから、
毎日々々要るものを
新らしく
發見するんで、一
週に一二
返は
是非都迄買ひ
出しに
行かなければならない」と
云ひながら
安井は
笑つた。
「
途迄一所に
出掛けやう」と
宗助はすぐ
立ち
上がつた。
序に
家の
樣子を
見てくれと
安井の
云ふに
任せた。
宗助は
次の
間にある
亞鉛の
落しの
付いた
四角な
火鉢や、
黄な
安つぽい
色をした
眞鍮の
藥鑵や、
古びた
流しの
傍に
置かれた
新らし
過ぎる
手桶を
眺めて、
門へ
出た。
安井は
門口へ
錠を
卸して、
鍵を
裏の
家へ
預けるとか
云つて、
走けて
行つた。
宗助と
御米は
待つてゐる
間、
二言、
三言、
尋常な
口を
利いた。
宗助は
此三四
分間に
取り
換はした
互の
言葉を、いまだに
覺えてゐた。それは
只の
男が
只の
女に
對して
人間たる
親みを
表はすために、
遣り
取りする
簡略な
言葉に
過ぎなかつた。
形容すれば
水の
樣に
淺く
淡いものであつた。
彼は
今日迄路傍道上に
於て、
何かの
折に
觸れて、
知らない
人を
相手に、
是程の
挨拶をどの
位繰り
返して
來たか
分らなかつた。
宗助は
極めて
短かい
其時の
談話を、
一々思ひ
浮べるたびに、
其一々が、
殆んど
無着色と
云つていゝ
程に、
平淡であつた
事を
認めた。さうして、
斯く
透明な
聲が、
二人の
未來を、
何うしてあゝ
眞赤に、
塗り
付けたかを
不思議に
思つた。
今では
赤い
色が
日を
經て
昔の
鮮かさを
失つてゐた。
互を
焚き
焦がした

は、
自然と
變色して
黒くなつてゐた。
二人の
生活は
斯樣にして
暗い
中に
沈んでゐた。
宗助は
過去を
振り
向いて、
事の
成行を
逆に
眺め
返しては、
此淡泊な
挨拶が、
如何に
自分等の
歴史を
濃く
彩つたかを、
胸の
中で
飽迄味はひつゝ、
平凡な
出來事を
重大に
變化させる
運命の
力を
恐ろしがつた。
宗助は
二人で
門の
前に
佇んでゐる
時、
彼等の
影が
折れ
曲つて、
半分許土塀に
映つたのを
記憶してゐた。
御米の
影が
蝙蝠傘で
遮ぎられて、
頭の
代りに
不規則な
傘の
形が
壁に
落ちたのを
記憶してゐた。
少し
傾むきかけた
初秋の
日が、じり/\
二人を
照り
付けたのを
記憶してゐた。
御米は
傘を
差した
儘、それ
程涼しくもない
柳の
下に
寄つた。
宗助は
白い
筋を
縁に
取つた
紫の
傘の
色と、まだ
褪め
切らない
柳の
葉の
色を、
一歩遠退いて
眺め
合はした
事を
記憶してゐた。
今考へると
凡てが
明らかであつた。
從つて
何等の
奇もなかつた。
二人は
土塀の
影から
再び
現はれた
安井を
待ち
合はして、
町の
方へ
歩いた。
歩く
時、
男同志は
肩を
並べた。
御米は
草履を
引いて
後に
落ちた。
話も
多くは
男丈で
受持つた。それも
長くはなかつた。
途中迄來て
宗助は
一人分れて、
自分の
家へ
歸つたからである。
けれども
彼の
頭には
其日の
印象が
長く
殘つてゐた。
家へ
歸つて、
湯に
入つて、
燈火の
前に
坐つた
後にも、
折々色の
着いた
平たい
畫として、
安井と
御米の
姿が
眼先にちらついた。それのみか
床に
入つてからは、
妹だと
云つて
紹介された
御米が、
果して
本當の
妹であらうかと
考へ
始めた。
安井に
問ひ
詰めない
限り、
此疑の
解決は
容易でなかつたけれども、
臆斷はすぐ
付いた。
宗助は
此臆斷を
許すべき
餘地が、
安井と
御米の
間に
充分存在し
得るだらう
位に
考へて、
寐ながら
可笑しく
思つた。しかも
其臆斷に、
腹の
中で
徊する
事の
馬鹿々々しいのに
氣が
付いて、
消し
忘れた
洋燈を
漸くふつと
吹き
消した。
斯う
云ふ
記憶の、
次第に
沈んで
痕迹もなくなる
迄、
御互の
顏を
見ずに
過す
程、
宗助と
安井とは
疎遠ではなかつた。
二人は
毎日學校で
出合ふ
許でなく、
依然として
夏休み
前の
通り
徃來を
續けてゐた。けれども
宗助が
行くたびに、
御米は
必ず
挨拶に
出るとは
限らなかつた。三
返に一
返位、
顏を
見せないで、
始ての
時の
樣に、ひつそり
隣りの
室に
忍んでゐる
事もあつた。
宗助は
別にそれを
氣にも
留めなかつた。
夫にも
拘はらず、
二人は
漸く
接近した。
幾何ならずして
冗談を
云ふ
程の
親みが
出來た。
其内又秋が
來た。
去年と
同じ
事情の
下に、
京都の
秋を
繰り
返す
興味に
乏しかつた
宗助は、
安井と
御米に
誘はれて
茸狩に
行つた
時、
朗らかな
空氣のうちに
又新らしい
香を
見出した。
紅葉も
三人で
觀た。
嵯峨から
山を
拔けて
高雄へ
歩く
途中で、
御米は
着物の
裾を
捲くつて、
長襦袢丈を
足袋の
上迄牽いて、
細い
傘を
杖にした。
山の
上から一
町も
下に
見える
流れに
日が
射して、
水の
底が
明らかに
遠くから
透かされた
時、
御米は
「
京都は
好い
所ね」と
云つて
二人を
顧みた。それを
一所に
眺めた
宗助にも、
京都は
全く
好い
所の
樣に
思はれた。
斯う
揃つて
外へ
出た
事も
珍らしくはなかつた。
家の
中で
顏を
合はせる
事は
猶屡あつた。
或時宗助が
例の
如く
安井を
尋ねたら、
安井は
留守で、
御米ばかり
淋しい
秋の
中に
取り
殘された
樣に
一人坐つてゐた。
宗助は
淋しいでせうと
云つて、つい
座敷に
上り
込んで、
一つ
火鉢の
兩側に
手を
翳しながら、
思つたより
長話をして
歸つた。
或時宗助がぽかんとして、
下宿の
机に
倚りかゝつた
儘、
珍らしく
時間の
使ひ
方に
困つてゐると、ふと
御米が
遣つて
來た。
其所迄買物に
出たから、
序に
寄つたんだとか
云つて、
宗助の
薦める
通り、
茶を
飮んだり
菓子を
食べたり、
緩くり
寛ろいだ
話をして
歸つた。
斯んな
事が
重なつて
行くうちに、
木の
葉が
何時の
間にか
落ちて
仕舞つた。さうして
高い
山の
頂が、ある
朝眞白に
見えた。
吹き
曝しの
河原が
白くなつて、
橋を
渡る
人の
影が
細く
動いた。
其年の
京都の
冬は、
音を
立てずに
肌を
透す
陰忍な
質のものであつた。
安井は
此惡性の
寒氣に
中てられて、
苛いインフルエンザに
罹つた。
熱が
普通の
風邪よりも
餘程高かつたので、
始は
御米も
驚ろいたが、それは
一時の
事で、すぐ
退いたには
退いたから、
是でもう
全快と
思ふと、
何時迄立つても
判然しなかつた。
安井は
黐の
樣な
熱に
絡み
付かれて、
毎日其差し
引きに
苦しんだ。
醫者は
少し
呼吸器を
冒されてゐる
樣だからと
云つて、
切に
轉地を
勸めた。
安井は
心ならず
押入の
中の
柳行李に
麻繩を
掛けた。
御米は
手提鞄に
錠を
卸した。
宗助は
二人を
七條迄見送つて、
汽車が
出る
迄室の
中へ
這入つて、わざと
陽氣な
話をした。プラツトフオームへ
下りた
時、
窓の
内から、
「
遊びに
來給へ」と
安井が
云つた。
「
何うぞ
是非」と
御米が
言つた。
汽車は
血色の
好い
宗助の
前をそろ/\
過ぎて、
忽ち
神戸の
方に
向つて
烟を
吐いた。
病人は
轉地先で
年を
越した。
繪端書は
着いた
日から
毎日の
樣に
寄こした。それに
何時でも
遊びに
來いと
繰り
返して
書いてない
事はなかつた。
御米の
文字も一二
行宛は
必ず
交つてゐた。
宗助は
安井と
御米から
屆いた
繪端書を
別にして
机の
上に
重ねて
置いた。
外から
歸るとそれが
直眼に
着いた。
時々はそれを一
枚宛順に
讀み
直したり、
見直したりした。
仕舞にもう
悉皆癒つたから
歸る。
然し
折角此所迄來ながら、
此所で
君の
顏を
見ないのは
遺憾だから、
此手紙が
着き
次第、
一寸で
可いから
來いといふ
端書が
來た。
無事と
退屈を
忌む
宗助を
動かすには、この十
數言で
充分であつた。
宗助は
汽車を
利用して
其夜のうちに
安井の
宿に
着いた。
明るい
燈火の
下に
三人が
待設けた
顏を
合はした
時、
宗助は
何よりも
先づ
病人の
色澤の
回復して
來た
事に
氣が
付いた。
立つ
前よりも
却つて
好い
位に
見えた。
安井自身もそんな
心持がすると
云つて、わざ/\
襯衣の
袖を
捲り
上げて、
青筋の
入つた
腕を
獨で
撫でてゐた。
御米も
嬉しさうに
眼を
輝かした。
宗助にはその
活溌な
目遣が
殊に
珍らしく
受取れた。
今迄宗助の
心に
映じた
御米は、
色と
音の
撩亂する
裏に
立つてさへ、
極めて
落ち
付いてゐた。さうして
其落ち
付きの
大部分は
矢鱈に
動かさない
眼の
働らきから
來たとしか
思はれなかつた。
次の
日三
人は
表へ
出て
遠く
濃い
色を
流す
海を
眺めた。
松の
幹から
脂の
出る
空氣を
吸つた。
冬の
日は
短い
空を
赤裸々に
横切つて
大人しく
西へ
落ちた。
落ちる
時、
低い
雲を
黄に
赤に
竈の
火の
色に
染めて
行つた。
風は
夜に
入つても
起らなかつた。たゞ
時々松を
鳴らして
過ぎた。
暖かい
好い
日が
宗助の
泊つてゐる
三日の
間續いた。
宗助はもつと
遊んで
行きたいと
云つた。
御米はもつと
遊んで
行きませうと
云つた。
安井は
宗助が
遊びに
來たから
好い
天氣になつたんだらうと
云つた。三
人は
又行李と
鞄を
携へて
京都へ
歸つた。
冬は
何事もなく
北風を
寒い
國へ
吹き
遣つた。
山の
上を
明らかにした
斑な
雪が
次第に
落ちて、
後から
青い
色が
一度に
芽を
吹いた。
宗助は
當時を
憶ひ
出すたびに、
自然の
進行が
其所ではたりと
留まつて、
自分も
御米も
忽ち
化石して
仕舞つたら、
却つて
苦はなかつたらうと
思つた。
事は
冬の
下から
春が
頭を
擡げる
時分に
始まつて、
散り
盡した
櫻の
花が
若葉に
色を
易へる
頃に
終つた。
凡てが
生死の
戰であつた。
青竹を
炙つて
油を
絞る
程の
苦しみであつた。
大風は
突然不用意の
二人を
吹き
倒したのである。
二人が
起き
上がつた
時は
何處も
彼所も
既に
砂だらけであつたのである。
彼等は
砂だらけになつた
自分達を
認めた。けれども
何時吹き
倒されたかを
知らなかつた。
世間は
容赦なく
彼等に
徳義上の
罪を
脊負した。
然し
彼等自身は
徳義上の
良心に
責められる
前に、
一旦茫然として、
彼等の
頭が
確であるかを
疑つた。
彼等は
彼等の
眼に、
不徳義な
男女として
耻づべく
映る
前に、
既に
不合理な
男女として、
不可思議に
映つたのである。
其所に
言譯らしい
言譯が
何にもなかつた。だから
其所に
云ふに
忍びない
苦痛があつた。
彼等は
殘酷な
運命が
氣紛に
罪もない
二人の
不意を
打つて、
面白半分穽の
中に
突き
落したのを
無念に
思つた。
曝露の
日がまともに
彼等の
眉間を
射たとき、
彼等は
既に
徳義的に
痙攣の
苦痛を
乘り
切つてゐた。
彼等は
蒼白い
額を
素直に
前に
出して、
其所に

に
似た
烙印を
受けた。さうして
無形の
鎖で
繋がれた
儘、
手を
携えて
何處迄も、
一所に
歩調を
共にしなければならない
事を
見出した。
彼等は
親を
棄てた。
親類を
棄てた。
友達を
棄てた。
大きく
云へば
一般の
社會を
棄てた。もしくは
夫等から
棄てられた。
學校からは
無論棄てられた。たゞ
表向丈は
此方から
退學した
事になつて、
形式の
上に
人間らしい
迹を
留めた。
是が
宗助と
御米の
過去であつた。
此過去を
負はされた
二人は、
廣島へ
行つても
苦しんだ。
福岡へ
行つても
苦しんだ。
東京へ
出て
來ても、
依然として
重い
荷に
抑えつけられてゐた。
佐伯の
家とは
親しい
關係が
結べなくなつた。
叔父は
死んだ。
叔母と
安之助はまだ
生きてゐるが、
生きてゐる
間に
打ち
解けた
交際は
出來ない
程、もう
冷淡の
日を
重ねて
仕舞つた。
今年はまだ
歳暮にも
行かなかつた。
向からも
來なかつた。
家に
引取つた
小六さへ
腹の
底では
兄に
敬意を
拂つてゐなかつた。
二人が
東京へ
出たてには、
單純な
小供の
頭から、
正直に
御米を
惡んでゐた。
御米にも
宗助にもそれが
能く
分つてゐた。
夫婦は
日の
前に
笑み、
月の
前に
考へて、
靜かな
年を
送り
迎へた。
今年ももう
盡きる
間際迄來た。
通町では
暮の
内から
門並揃の
注連飾をした。
徃來の
左右に
何十
本となく
並んだ、
軒より
高い
笹が、
悉く
寒い
風に
吹かれて、さら/\と
鳴つた。
宗助も二
尺餘りの
細い
松を
買つて、
門の
柱に
釘付にした。それから
大きな
赤い
橙を
御供の
上に
載せて、
床の
間に
据ゑた。
床には
如何はしい
墨畫の
梅が、
蛤の
格好をした
月を
吐いて
懸つてゐた。
宗助には
此變な
軸の
前に、
橙と
御供を
置く
意味が
解らなかつた。
「
一體是や、
何う
云ふ
了見だね」と
自分で
飾り
付けた
物を
眺めながら、
御米に
聞いた。
御米にも
毎年斯うする
意味は
頓と
解らなかつた。
「
知らないわ。たゞ
左樣して
置けば
可いのよ」と
云つて
臺所へ
去つた。
宗助は、
「
斯うして
置いて、
詰り
食ふためか」と
首を
傾けて
御供の
位置を
直した。
伸餠は
夜業に
俎を
茶の
間迄持ち
出して、みんなで
切つた。
庖丁が
足りないので、
宗助は
始から
仕舞迄手を
出さなかつた。
力のある
丈に
小六が
一番多く
切つた。
其代り
不同も
一番多かつた。
中には
見掛の
惡い
形のものも
交つた。
變なのが
出來るたびに
清が
聲を
出して
笑つた。
小六は
庖丁の
脊に
濡布巾を
宛がつて、
硬い
耳の
所を
斷ち
切りながら、
「
格好は
何うでも、
食ひさいすれば
可いんだ」と、うんと
力を
入れて
耳迄赤くした。
その
外に
迎年の
支度としては、
小殿原を
熬つて、
染を
重詰にする
位なものであつた。
大晦日の
夜に
入つて、
宗助は
挨拶旁屋賃を
持つて、
坂井の
家に
行つた。わざと
遠慮して
勝手口へ
回ると、
摺硝子へ
明るい
灯が
映つて、
中はざわ/\してゐた。
上り
框に
帳面を
持つて
腰を
掛けた
掛取らしい
小僧が、
立つて
宗助に
挨拶をした。
茶の
間には
主人も
細君もゐた。
其片隅に
印袢天を
着た
出入のものらしいのが、
下を
向いて、
小さい
輪飾をいくつも
拵へてゐた。
傍に
讓葉と
裏白と
半紙と
鋏が
置いてあつた。
若い
下女が
細君の
前に
坐つて、
釣錢らしい
札と
銀貨を
疊に
並べてゐた。
主人は
宗助を
見て、
「いや
何うも」と
云つた。「
押し
詰つて
嘸御忙しいでせう。
此通りごた/\です。さあ
何うぞ
此方へ。
何ですな、
御互に
正月にはもう
飽きましたな。いくら
面白いものでも四十
返以上繰り
返すと
厭になりますね」
主人は
年の
送迎に
煩らはしい
樣な
事を
云つたが、
其態度には
何處と
指してくさ/\した
所は
認められなかつた。
言葉遣は
活溌であつた。
顏はつや/\してゐた。
晩食に
傾けた
酒の
勢が、まだ
頬の
上に
差してゐる
如く
思はれた。
宗助は
貰ひ
烟草をして二三十
分ばかり
話して
歸つた。
家では
御米が
清を
連れて
湯に
行くとか
云つて、
石鹸入を
手拭に
包んで、
留守居を
頼む
夫の
歸を
待ち
受けてゐた。
「
何うなすつたの、
隨分長かつたわね」と
云つて
時計を
眺めた。
時計はもう十
時近くであつた。
其上清は
湯の
戻りに
髮結の
所へ
回つて
頭を
拵える
筈ださうであつた。
閑靜な
宗助の
活計も
大晦日には
夫相應の
事件が
寄せて
來た。
「
拂はもう
皆濟んだのかい」と
宗助は
立ちながら
御米に
聞いた。
御米はまだ
薪屋が一
軒殘つてゐると
答へた。
「
來たら
拂つて
頂戴」と
云つて
懷の
中から
汚れた
男持の
紙入と、
銀貨入の
蟇口を
出して、
宗助に
渡した。
「
小六は
何うした」と
夫はそれを
受取ながら
云つた。
「
先刻大晦日の
夜の
景色を
見て
來るつて
出て
行つたのよ。
隨分御苦勞さまね。
此寒いのに」と
云ふ
御米の
後に
追いて、
清は
大きな
聲を
出して
笑つた。やがて、
「
御若いから」と
評しながら、
勝手口へ
行つて、
御米の
下駄を
揃えた。
「
何處の
夜景を
見る
氣なんだ」
「
銀座から
日本橋通のだつて」
御米は
其時もう
框から
下り
掛けてゐた。すぐ
腰障子を
開ける
音がした。
宗助は
其音を
聞き
送つて、たつた
一人火鉢の
前に
坐つて、
灰になる
炭の
色を
眺めてゐた。
彼の
頭には
明日の
日の
丸が
映つた。
外を
乘り
回す
人の
絹帽子の
光が
見えた。
洋劍の
音だの、
馬の
嘶だの、
遣羽子の
聲が
聞えた。
彼は
今から
數時間の
後又年中行事のうちで、
尤も
人の
心を
新にすべく
仕組まれた
景物に
出逢はなければならなかつた。
陽氣さうに
見えるもの、
賑かさうに
見えるものが、
幾組となく
彼の
心の
前を
通り
過ぎたが、その
中で
彼の
臂を
把つて、
一所に
引張て
行かうとするものは
一つもなかつた。
彼はたゞ
饗宴に
招かれない
局外者として、
醉ふ
事を
禁じられた
如くに、
又醉ふ
事を
免かれた
人であつた。
彼は
自分と
御米の
生命を、
毎年平凡な
波瀾のうちに
送る
以上に、
面前大した
希望も
持つてゐなかつた。かうして
忙がしい
大晦日に、
一人家を
守る
靜かさが、
丁度彼の
平生の
現實を
代表してゐた。
御米は十
時過に
歸つて
來た。
何時もより
光澤の
好い
頬を
灯に
照らして、
湯の
温のまだ
拔けない
襟を
少し
開ける
樣に
襦袢を
重ねてゐた。
長い
襟首が
能く
見えた。
「
何うも
込んで
込んで、
洗ふ
事も
桶を
取る
事も
出來ない
位なの」と
始めて
緩くり
息を
吐いた。
清の
歸つたのは十一
時過であつた。
是も
綺麗な
頭を
障子から
出して、たゞ
今、どうも
遲くなりましたと
挨拶をした
序に、あれから
二人とか
三人とか
待ち
合したと
云ふ
話をした。
たゞ
小六丈は
容易に
歸らなかつた。十二
時を
打つたとき、
宗助はもう
寐やうと
云ひ
出した。
御米は
今日に
限つて、
先へ
寐るのも
變なものだと
思つて、
出來る
丈話を
繋いでゐた。
小六は
幸にして
間もなく
歸つた。
日本橋から
銀座へ
出て
夫から、
水天宮の
方へ
廻つた
所が、
電車が
込んで
何臺も
待ち
合はしたために
遲くなつたといふ
言譯をした。
白牡丹へ
這入つて、
景物の
金時計でも
取らうと
思つたが、
何も
買ふものがなかつたので、
仕方なしに
鈴の
着いた
御手玉を
一箱買つて、さうして
幾百となく
器械で
吹き
上られる
風船を
一つ
攫んだら、
金時計は
當らないで、こんなものが
中つたと
云つて、
袂から
倶樂部洗粉を
一袋出した。それを
御米の
前に
置いて、
「
姉さんに
上げませう」と
云つた。それから
鈴を
着けた
梅の
花の
形に
縫つた
御手玉を
宗助の
前に
置いて、
「
坂井の
御孃さんにでも
御上げなさい」と
云つた。
事に
乏しい
一小家族の
大晦日は、それで
終りを
告げた。
正月は
二日目の
雪を
率て
注連飾の
都を
白くした。
降り
已んだ
屋根の
色が
故に
復る
前、
夫婦は
亞鉛張の
庇を
滑り
落る
雪の
音に
幾遍か
驚ろかされた。
夜半にはどさと
云ふ
響が
殊に
甚しかつた。
小路の
泥濘は
雨上りと
違つて
一日や
二日では
容易に
乾かなかつた。
外から
靴を
汚して
歸つて
來る
宗助が、
御米の
顏を
見るたびに、
「
是や
不可ない」と
云ひながら
玄關へ
上つた。
其樣子が
恰も
御米を
路を
惡くした
責任者と
見傚してゐる
風に
受取られるので、
御米は
仕舞に、
「
何うも
濟みません。
本當に
御氣の
毒さま」と
云つて
笑ひ
出した。
宗助は
別に
返すべき
冗談も
有たなかつた。
「
御米此所から
出掛けるには、
何處へ
行くにも
足駄を
穿かなくつちやならない
樣に
見えるだらう。
所が
下町へ
出ると
大違だ。どの
通もどの
通もから/\で、
却つて
埃が
立つ
位だから、
足駄なんぞ
穿いちや
極が
惡くつて
歩けやしない。つまり
斯う
云ふ
所に
住んでゐる
我々は一
世紀がた
後れる
事になるんだね」
こんな
事を
口にする
宗助は
別に
不足らしい
顏もしてゐなかつた。
御米も
夫の
鼻の
穴を
潛る
烟草の
煙を
眺める
位な
氣で、それを
聞いてゐた。
「
坂井さんへ
行つて、さう
云つて
入らつしやいな」と
輕い
返事をした。
「さうして
屋賃でも
負けて
貰ふ
事にしやう」と
答へた
儘、
宗助はついに
坂井へは
行かなかつた。
其坂井には
元日の
朝早く
名刺を
投げ
込んだ
丈で、わざと
主人の
顏を
見ずに
門を
出たが、
義理のある
所を
一日のうちに
略片付て
夕方歸つて
見ると、
留守の
間に、
坂井がちやんと
來てゐたので
恐縮した。
二日は
雪が
降つた
丈で
何事もなく
過ぎた。
三日目の
日暮に
下女が
使に
來て、
御閑ならば、
旦那樣と
奧さまと、
夫から
若旦那樣に
是非今晩御遊びに
入らつしやる
樣にと
云つて
歸つた。
「
何をするんだらう」と
宗助は
疑ぐつた。
「
屹度歌加留多でせう。
小供が
多いから」と
御米が
云つた。「
貴方行つて
入らつしやい」
「
折角だから
御前行くが
好い。
己は
歌留多は
久しく
取らないから
駄目だ」
「
私も
久しく
取らないから
駄目ですわ」
二人は
容易に
行かうとはしなかつた。
仕舞に、では
若旦那がみんなを
代表して
行くが
宜からうといふ
事になつた。
「
若旦那行つて
來い」と
宗助が
小六に
云つた。
小六は
苦笑ひして
立つた。
夫婦は
若旦那と
云ふ
名を
小六に
冠らせる
事を
大變な
滑稽のやうに
感じた。
若旦那と
呼ばれて、
苦笑ひする
小六の
顏を
見ると、
等しく
聲を
出して
笑ひ
出した。
小六は
春らしい
空氣の
中から
出た。さうして一
町程の
寒さを
横切つて、
又春らしい
電燈の
下に
坐つた。
其晩小六は
大晦日に
買つた
梅の
花の
御手玉を
袂に
入れて、
是は
兄から
差上げますとわざ/\
斷つて、
坂井の
御孃さんに
贈物にした。
其代り
歸りには、
福引に
當つた
小さな
裸人形を
同じ
袂へ
入れて
來た。
其人形の
額が
少し
缺けて、
其所丈墨で
塗つてあつた。
小六は
眞面目な
顏をして、
是が
袖萩ださうですと
云つて、それを
兄夫婦の
前に
置いた。
何故袖萩だか
夫婦には
分らなかつた。
小六には
無論分らなかつたのを、
坂井の
奧さんが
叮嚀に
説明して
呉れたさうであるが、
夫でも
腑に
落ちなかつたので、
主人がわざ/\
半切に
洒落と
本文を
並べて
書いて、
歸つたら
是を
兄さんと
姉さんに
御見せなさいと
云つて
渡したとかいふ
話であつた。
小六は
袂を
探つて
其書付を
取り
出して
見せた。それに「
此垣一重が
黒鐵の」と
認めた
後に
括弧をして、(
此餓鬼額が
黒缺の)とつけ
加へてあつたので、
宗助と
御米は
又春らしい
笑を
洩らした。
「
隨分念の
入つた
趣向だね。
一體誰の
考だい」と
兄が
聞いた。
「
誰ですかな」と
小六は
矢つ
張り
詰らなさうな
顏をして、
人形を
其所へ
放り
出した
儘、
自分の
室に
歸つた。
それから二三
日して、たしか
七日の
夕方に、また
例の
坂井の
下女が
來て、もし
御閑なら
何うぞ
御話にと、
叮嚀に
主人の
命を
傳へた。
宗助と
御米は
洋燈を
點けて
丁度晩食を
始めた
所であつた。
宗助は
其時茶碗を
持ちながら、
「
春も
漸やく
一段落が
着いた」と
語つてゐた。そこへ
清が
坂井からの
口上を
取り
次いだので、
御米は
夫の
顏を
見て
微笑した。
宗助は
茶碗を
置いて、
「まだ
何か
催ふしがあるのかい」と
少し
迷惑さうな
眉をした。
坂井の
下女に
聞いて
見ると、
別に
來客もなければ、
何の
支度もないといふ
事であつた。
其上細君は
子供を
連れて
親類へ
呼ばれて
行つて
留守だといふ
話迄した。
「それぢや
行かう」と
云つて
宗助は
出掛けた。
宗助は
一般の
社交を
嫌つてゐた。
已を
得なければ
會合の
席などへ
顏を
出す
男でなかつた。
個人としての
朋友も
多くは
求めなかつた。
訪問はする
暇を
有たなかつた。たゞ
坂井丈は
取除であつた。
折々は
用もないのに
此方からわざ/\
出掛けて
行つて、
時を
潰して
來る
事さへあつた。
其癖坂井は
世の
中で
尤も
社交的の
人であつた。
此社交的な
坂井と、
孤獨な
宗助が
二人寄つて
話が
出來るのは、
御米にさへ
妙に
見える
現象であつた。
坂井は、
「
彼方へ
行きませう」と
云つて、
茶の
間を
通り
越して、
廊下傳ひに
小さな
書齋へ
入つた。
其所には
棕梠の
筆で
書いた
樣な、
大きな
硬い
字が五
字ばかり
床の
間に
懸つてゐた。
棚の
上に
見事な
白い
牡丹が
活けてあつた。その
外机でも
蒲團でも
悉く
綺麗であつた。
坂井は
始め
暗い
入口に
立つて、
「さあ
何うぞ」と
云ひながら、
何所かぴちりと
捩つて、
電氣燈を
點けた。それから、
「
一寸待ち
給へ」と
云つて、
燐寸で
瓦斯煖爐を
焚いた。
瓦斯煖爐は
室に
比例した
極小さいものであつた。
坂井はしかる
後蒲團を
薦めた。
「
是が
僕の
洞窟で、
面倒になると
此所へ
避難するんです」
宗助も
厚い
綿の
上で、
一種の
靜かさを
感じた。
瓦斯の
燃える
音が
微かにして
次第に
脊中からほか/\
煖まつて
來た。
「
此所にゐると、もう
何所とも
交渉はない。
全く
氣樂です。
悠くりして
居らつしやい。
實際正月と
云ふものは
豫想外に
煩瑣いものですね。
私も
昨日迄で
殆どへと/\に
降參させられました。
新年が
停滯てゐるのは
實に
苦しいですよ。
夫で
今日の
午から、とう/\
塵世を
遠ざけて、
病氣になつてぐつと
寐込んぢまいました。
今しがた
眼を
覺まして、
湯に
入つて、それから
飯を
食つて、
烟草を
呑んで、
氣が
付いて
見ると、
家内が
子供を
連れて
親類へ
行つて
留守なんでせう。
成程靜かな
筈だと
思ひましてね。すると
今度は
急に
退屈になつたのです。
人間も
隨分我儘なものですよ。
然しいくら
退屈だつて、
此上御目出たいものを、
見たり
聞いたりしちや
骨が
折れますし、
又御正月らしいものを
呑んだり
食つたりするのも
恐れますから、それで、
御正月らしくない、と
云ふと
失禮だが、まあ
世の
中とあまり
縁のない
貴方、と
云つてもまだ
失敬かも
知れないが、つまり
一口に
云ふと、
超然派の
一人と
話しがして
見たくなつたんで、それでわざ/\
使を
上げた
樣な
譯なんです」と
坂井は
例の
調子で、
悉くすら/\したものであつた。
宗助は
此樂天家の
前では、よく
自分の
過去を
忘れる
事があつた。さうして
時によると、
自分がもし
順當に
發展して
來たら、
斯んな
人物になりはしなかつたらうかと
考へた。
其所へ
下女が三
尺の
狹い
入口を
開けて
這入つて
來たが、
改ためて
宗助に
鄭重な
御辭儀をした
上、
木皿の
樣な
菓子皿の
樣なものを、
一つ
前に
置いた。それから
同じ
物をもう
一つ
主人の
前に
置いて、
一口もものを
云はずに
退がつた。
木皿の
上には
護謨毬ほどな
大きな
田舍饅頭が
一つ
載せてあつた。それに
普通の
倍以上もあらうと
思はれる
楊枝が
添へてあつた。
「
何うです
暖かい
内に」と
主人が
云つたので、
宗助は
始めて
此饅頭の
蒸して
間もない
新らしさに
氣が
付いた。
珍らしさうに
黄色い
皮を
眺めた。
「いや
出來たてぢやありません」と
主人が
又云つた。「
實は
昨夜ある
所へ
行つて、
冗談半分に
賞めたら、
御土産に
持つて
入らつしやいと
云ふから
貰つて
來たんです。
其時は
全く
暖たかだつたんですがね。これは
今上げやうと
思つて
蒸し
返さしたのです」
主人は
箸とも
楊枝とも
片の
付かないもので、
無雜作に
饅頭を
割つて、むしや/\
食ひ
始めた。
宗助も
顰に
傚つた。
其間に
主人は
昨夕行つた
料理屋で
逢つたとか
云つて
妙な
藝者の
話をした。
此藝者はポツケツト
論語が
好きで、
汽車へ
乘つたり
遊びに
行つたりするときは、
何時でもそれを
懷にして
出るさうであつた。
「それでね
孔子の
門人のうちで、
子路が
一番好だつて
云ふんですがね。
其所謂を
聞くと、
子路と
云ふ
男は、
一つ
何か
教はつて、それをまだ
行はないうちに、
又新らしい
事を
聞くと
苦にする
程正直だからだつて
云ふんです。
實の
所私も
子路はあまりよく
知らないから
困つたが、
何しろ
一人好い
人が
出來て、それと
夫婦にならない
前に、また
新らしく
好い
人が
出來ると
苦になる
樣なものぢやないかつて、
聞いて
見たんです……」
主人は
斯んな
事を
甚だ
氣樂さうに
述べ
立てた。
其話の
樣子からして
考へると、
彼はのべつに
斯ういふ
場所に
出入して、
其刺戟にはとうに
麻痺しながら、
因習の
結果、
依然として
月に
何度となく
同じ
事を
繰り
返してゐるらしかつた。よく
聞き
糺して
見ると、しかく
平氣な
男も、
時々は
歡樂の
飽滿に
疲勞して、
書齋のなかで
精神を
休める
必要が
起るのださうであつた。
宗助はさういふ
方面に
丸で
經驗のない
男ではなかつたので、
強ひて
興味を
裝ふ
必要もなく、たゞ
尋常な
挨拶をする
所が、
却つて
主人の
氣に
入るらしかつた。
彼は
平凡な
宗助の
言葉のなかから、
一種異彩のある
過去を
覗く
樣な
素振を
見せた。
然しそちらへは
宗助が
進みたがらない
痕迹が
少しでも
出ると、すぐ
話を
轉じた。それは
政略よりも
寧ろ
禮讓からであつた。
從つて
宗助には
毫も
不愉快を
與へなかつた。
其内小六の
噂が
出た。
主人は
此青年に
就いて、
肉身の
兄が
見逃す
樣な
新らしい
觀察を、二三
有つてゐた。
宗助は
主人の
評語を、
當ると
當らないとに
論なく、
面白く
聞いた。そのなかに、
彼は
年に
合はしては
複雜な
實用に
適しない
頭を
有つてゐながら、
年よりも
若い
單純な
性情を
平氣で
露はす
子供ぢやないかといふ
質問があつた。
宗助はすぐそれを
首肯つた。
然し
學校教育丈で
社會教育のないものは、いくら
年を
取つても
其傾があるだらうと
答へた。
「
左樣、それと
反對で、
社會教育丈あつて
學校教育のないものは、
隨分複雜な
性情を
發揮する
代りに、
頭は
何時迄も
小供ですからね。
却つて
始末が
惡いかも
知れない」
主人は
此所で
一寸笑つたが、やがて、
「
何うです、
私の
所へ
書生に
寄こしちや、
少しは
社會教育になるかも
知れない」と
云つた。
主人の
書生は
彼の
犬が
病氣で
病院へ
這入る一ヶ
月前とかに、
徴兵檢査に
合格して
入營したぎり
今では
一人もゐないのださうであつた。
宗助は
小六の
所置を
付ける
好機會が、
求めざるに
先だつて、
春と
共に
自から
回つて
來たのを
喜こんだ。
同時に、
今迄世間に
向つて、
積極的に
好意と
親切を
要求する
勇氣を
有たなかつた
彼は、
突然此主人の
申し
出に
逢つて
少し
間誤つく
位驚ろいた。けれども
出來るなら
成丈早く
弟を
坂井に
預けて
置いて、
此變動から
出る
自分の
餘裕に、
幾分か
安之助の
補助を
足して、さうして
本人の
希望通り、
高等の
教育を
受けさしてやらうといふ
分別をした。そこで
打ち
明けた
話を
腹藏なく
主人にすると、
主人は
成程々々と
聞いてゐる
丈であつたが、
仕舞に
雜作なく、
「そいつは
好いでせう」と
云つたので、
相談は
略其座で
纏まつた。
宗助は
其所で
辭して
歸れば
可かつたのである。
又辭して
歸らうとしたのである。
所が
主人からまあ
緩くりなさいと
云つて
留められた。
主人は
夜は
長い、まだ
宵だと
云つて
時計迄出して
見せた。
實際彼は
退屈らしかつた。
宗助も
歸れば
只寐るより
外に
用のない
身體なので、つい
又尻を
据ゑて、
濃い
烟草を
新らしく
吹かし
始めた。
仕舞には
主人の
例に
傚つて、
柔らかい
坐蒲團の
上で
膝さへ
崩した。
主人は
小六の
事に
關聯して、
「いや
弟などを
有つてゐると、
隨分厄介なものですよ。
私も
一人やくざなのを
世話をした
覺がありますがね」と
云つて、
自分の
弟が
大學にゐるとき
金の
掛つた
事抔を、
自分が
學生時代の
質朴さに
比べて
色々話した。
宗助は
此派出好な
弟が、
其後何んな
徑路を
取つて、
何う
發展したかを、
氣味の
惡い
運命の
意思を
窺ふ
一端として、
主人に
聞いて
見た。
主人は
卒然
「
冒險者」と、
頭も
尾もない一
句を
投げる
樣に
吐いた。
此弟は
卒業後主人の
紹介で、ある
銀行に
這入つたが、
何でも
金を
儲けなくつちや
不可ないと
口癖の
樣に
云つてゐたさうで、
日露戰爭後間もなく、
主人の
留めるのも
聞かずに、
大いに
發展して
見たいとかとなへて
遂に
滿洲へ
渡つたのだと
云ふ。
其所で
何を
始めるかと
思ふと、
遼河を
利用して、
豆粕大豆を
船で
下す、
大仕掛な
運送業を
經營して、
忽ち
失敗してしまつたのださうである。
元より
當人は、
資本主ではなかつたのだけれども、
愈といふ
曉に、
勘定して
見ると
大きな
缺損と
事が
極つたので、
無論事業は
繼續する
譯に
行かず、
當人は
必然の
結果、
地位を
失つたぎりになつた。
「それから
後私も
何うしたか
能く
知らなかつたんですが、
其後漸く
聞いて
見ると、
驚ろきましたね。
蒙古へ
這入つて
漂浪いてゐるんです。
何處迄山氣があるんだか
分らないんで、
私も
少々劍呑になつてるんですよ。
夫でも
離れてゐるうちは、まあ
何うかしてゐるだらう
位に
思つて
放つて
置きます。
時たま
音便があつたつて、
蒙古といふ
所は、
水に
乏しい
所で、
暑い
時には
徃來へ
泥溝の
水を
撒くとかね、
又はその
泥溝の
水が
無くなると、
今度は
馬の
小便を
撒くとか、
從つて
甚だ
臭いとか、まあそんな
手紙が
來る
丈ですから、――そりあ
金の
事も
云つて
來ますが、なに
東京と
蒙古だから
打遣つて
置けば
夫迄です。だから
離れてさへゐれば、まあ
可いんですが、
其奴が
去年の
暮突然出て
來ましてね」
主人は
思ひ
付いた
樣に、
床の
柱に
掛けた、
綺麗な
房の
付いた
一種の
裝飾物を
取り
卸した。
それは
錦の
袋に
這入つた一
尺ばかりの
刀であつた。
鞘は
何とも
知れぬ
緑色の
雲母の
樣なもので
出來てゐて、
其所々が三ヶ
所程銀で
卷いてあつた。
中身は六
寸位しかなかつた。
從がつて
刄も
薄かつた。けれども
鞘の
格好は
恰も
六角の
樫の
棒の
樣に
厚かつた。よく
見ると、
柄の
後に
細い
棒が二
本並んで
差さつてゐた。
結果は
鞘を
重ねて
離れない
爲に
銀の
鉢卷をしたと
同じであつた。
主人は
「
土産にこんなものを
持つて
來ました。
蒙古刀ださうです」と
云ひながら、すぐ
拔いて
見せた。
後に
差してあつた
象牙の
樣な
棒も二
本拔いて
見せた。
「
是や
箸ですよ。
蒙古人は
始終是を
腰へぶら
下げてゐて、いざ
御馳走といふ
段になると、
此刀を
拔いて
肉を
切つて、さうして
此箸で
傍から
食うんださうです」
主人はことさらに
刀と
箸を
兩手に
持つて、
切つたり
食つたりする
眞似をして
見せた。
宗助はひたすらに
其精巧な
作りを
眺めた。
「まだ
蒙古人の
天幕に
使ふフエルトも
貰ひましたが、まあ
昔の
毛氈と
變つた
所もありませんね」
主人は
蒙古人の
上手に
馬を
扱ふ
事や、
蒙古犬の
瘠せて
細長くて、
西洋のグレー、ハウンドに
似てゐる
事や、
彼等が
支那人のために
段々押し
狹められて
行く
事や、――
凡て
近頃彼地から
歸つたといふ
弟に
聞いた
儘を
宗助に
話した。
宗助は
又自分の
未だ
曾て
耳にした
事のない
話丈に、
一々少なからぬ
興味を
有つてそれを
聞いて
行つた。
其うちに、
元來此弟は
蒙古で
何をしてゐるのだらうといふ
好奇心が
出た。そこで
一寸主人に
尋ねて
見ると、
主人は、
「
冒險者」と
再び
先刻の
言葉を
力強く
繰り
返した。「
何をしてゐるか
分らない。
私には、
牧畜をやつてゐます。しかも
成功してゐますと
云ふんですがね、
一向當にはなりません。
今迄もよく
法螺を
吹いて
私を
欺したもんです。それに
今度東京へ
出て
來た
用事と
云ふのが
餘つ
程妙です。
何とか
云ふ
蒙古王のために、
金を二
萬圓許借りたい。もし
貸してやらないと
自分の
信用に
關わるつて
奔走してゐるんですからね。その
取始に
捕まつたのは
私だが、いくら
蒙古王だつて、いくら
廣い
土地を
抵當にするつたつて、
蒙古と
東京ぢや
催促さへ
出來やしませんもの。で、
私が
斷わると、
蔭へ
廻つて
妻に、
兄さんはあれだから
大きな
仕事が
出來つこないつて、
威張つてゐるんです。
仕樣がない」
主人は
此所で
少し
笑つたが、
妙に
緊張した
宗助の
顏を
見て、
「
何うです一
遍逢つて
御覽になつちや、わざ/\
毛皮の
着いただぶ/\したものなんか
着て、
一寸面白いですよ。
何なら
御紹介しませう。
丁度明後日の
晩呼んで
飯を
食はせる
事になつてゐるから。――なに
引つ
掛つちや
不可ませんがね。
默つて
向に
喋舌らして、
聞いてゐる
分には、
少しも
危險はありません。たゞ
面白い
丈です」としきりに
勸め
出した。
宗助は
多少心を
動かした。
「
御出になるのは
御令弟丈ですか」
「いや
外に
一人弟の
友達で
向から
一所に
來たものが、
來る
筈になつてゐます。
安井とか
云つて
私はまだ
逢つた
事もない
男ですが、
弟が
頻に
私に
紹介したがるから、
實はそれで
二人を
呼ぶ
事にしたんです」
宗助は
其夜蒼い
顏をして
坂井の
門を
出た。
宗助と
御米の
一生を
暗く
彩どつた
關係は、
二人の
影を
薄くして、
幽靈の
樣な
思を
何所かに
抱かしめた。
彼等は
自己の
心のある
部分に、
人に
見えない
結核性の
恐ろしいものが
潛んでゐるのを、
仄かに
自覺しながら、わざと
知らぬ
顏に
互と
向き
合つて
年を
過した。
當初彼等の
頭腦に
痛く
應へたのは、
彼等の
過が
安井の
前途に
及ぼした
影響であつた。
二人の
頭の
中で
沸き
返つた
凄い
泡の
樣なものが
漸く
靜まつた
時、
二人は
安井も
亦半途で
學校を
退いたといふ
消息を
耳にした。
彼等は
固より
安井の
前途を
傷けた
原因をなしたに
違なかつた。
次に
安井が
郷里に
歸つたといふ
噂を
聞いた。
次に
病氣に
罹つて
家に
寐てゐるといふ
報知を
得た。
二人はそれを
聞くたびに
重い
胸を
痛めた。
最後に
安井が
滿洲に
行つたと
云ふ
音信が
來た。
宗助は
腹の
中で、
病氣はもう
癒つたのだらうかと
思つた。
又は
滿洲行の
方が
嘘ではなからうかと
考へた。
安井は
身體から
云つても、
性質から
云つても、
滿洲や
臺灣に
向く
男ではなかつたからである。
宗助は
出來る
丈手を
回して、
事の
眞疑を
探つた。さうして、
或る
關係から、
安井がたしかに
奉天にゐる
事を
確め
得た。
同時に
彼の
健康で、
活溌で、
多忙である
事も
確め
得た。
其時夫婦は
顏を
見合せて、ほつといふ
息を
吐いた。
「まあ
可からう」と
宗助が
云つた。
「
病氣よりはね」と
御米が
云つた。
二人は
夫から
以後安井の
名を
口にするのを
避けた。
考へ
出す
事さへも
敢てしなかつた。
彼等は
安井を
半途で
退學させ、
郷里へ
歸らせ、
病氣に
罹らせ、もしくは
滿洲へ
驅り
遣つた
罪に
對して、
如何に
悔恨の
苦しみを
重ねても、
何うする
事も
出來ない
地位に
立つてゐたからである。
「
御米、
御前信仰の
心が
起つた
事があるかい」と
或時宗助が
御米に
聞いた。
御米は、たゞ、
「あるわ」と
答へた
丈で、すぐ「
貴方は」と
聞き
返した。
宗助は
薄笑ひをしたぎり、
何とも
答へなかつた。
其代り
推して、
御米の
信仰に
就いて、
詳しい
質問も
掛けなかつた。
御米には、それが
仕合せかも
知れなかつた。
彼女はその
方面に、
是といふ
程判然した
凝り
整つた
何物も
有つてゐなかつたからである。
二人は
兎角して
會堂の
腰掛にも
倚らず、
寺院の
門も
潛らずに
過ぎた。さうして
只自然の
惠から
來る
月日と
云ふ
緩和劑の
力丈で、
漸く
落ち
付いた。
時々遠くから
不意に
現れる
訴も、
苦しみとか
恐れとかいふ
殘酷の
名を
付けるには、あまり
微かに、あまり
薄く、あまりに
肉體と
慾得を
離れ
過ぎる
樣になつた。
必竟ずるに、
彼等の
信仰は、
神を
得なかつたため、
佛に
逢はなかつたため、
互を
目標として
働らいた。
互に
抱き
合つて、
丸い
圓を
描き
始めた。
彼等の
生活は
淋しいなりに
落ち
付いて
來た。
其淋しい
落ち
付きのうちに、
一種の
甘い
悲哀を
味はつた。
文藝にも
哲學にも
縁のない
彼等は、
此味を
舐め
盡しながら、
自分で
自分の
状態を
得意がつて
自覺する
程の
知識を
有たなかつたから、
同じ
境遇にある
詩人や
文人などよりも、
一層純粹であつた。――
是が
七日の
晩に
坂井へ
呼ばれて、
安井の
消息を
聞く
迄の
夫婦の
有樣であつた。
其夜宗助は
家に
歸つて
御米の
顏を
見るや
否や、
「
少し
具合が
惡いから、すぐ
寐よう」と
云つて、
火鉢に
倚りながら、
歸を
待ち
受けてゐた
御米を
驚ろかした。
「
何うなすつたの」と
御米は
眼を
上げて
宗助を
眺めた。
宗助は
其所に
突つ
立つてゐた。
宗助が
外から
歸つて
來て、こんな
風をするのは、
殆んど
御米の
記憶にない
位珍らしかつた。
御米は
卒然何とも
知れない
恐怖の
念に
襲はれた
如くに
立ち
上がつたが、
殆んど
器械的に、
戸棚から
夜具蒲團を
取り
出して、
夫の
云ひ
付け
通り
床を
延べ
始めた。
其間宗助は
矢つ
張り
懷手をして
傍に
立つてゐた。さうして
床が
敷けるや
否や、そこ/\に
着物を
脱ぎ
捨てゝ、すぐ
其中に
潛り
込んだ。
御米は
枕元を
離れ
得なかつた。
「
何うなすつたの」
「
何だか、
少し
心持が
惡い。しばらく
斯うして
凝つとしてゐたら、
能くなるだらう」
宗助の
答は
半ば
夜着の
下から
出た。
其聲が
籠つた
樣に
御米の
耳に
響いた
時、
御米は
濟まない
顏をして、
枕元に
坐つたなり
動かなかつた。
「
彼所へ
行つて
居ても
可いよ。
用があれば
呼ぶから」
御米は
漸く
茶の
間へ
歸つた。
宗助は
夜具を
被つた
儘、ひとり
硬くなつて
眼を
眠つてゐた。
彼は
此暗い
中で、
坂井から
聞いた
話を
何度となく
反覆した。
彼は
滿洲にゐる
安井の
消息を、
家主たる
坂井の
口を
通して
知らうとは、
今が
今迄豫期してゐなかつた。もう
少しの
事で、
其安井と
同じ
家主の
家へ
同時に
招かれて、
隣り
合せか、
向ひ
合せに
坐る
運命にならうとは、
今夜晩食を
濟す
迄、
夢にも
思ひ
掛けなかつた。
彼は
寐ながら
過去二三
時間の
經過を
考へて、
其クライマツクスが
突如として
如何にも
不意に
起つたのを
不思議に
感じた。
且悲しく
感じた。
彼は
是程偶然な
出來事を
借りて、
後から
斷りなしに
足絡を
掛けなければ、
倒す
事の
出來ない
程強いものとは、
自分ながら
任じてゐなかつたのである。
自分の
樣な
弱い
男を
放り
出すには、もつと
穩當な
手段で
澤山でありさうなものだと
信じてゐたのである。
小六から
坂井の
弟、それから
滿洲、
蒙古、
出京、
安井、――
斯う
談話の
迹を
辿れば
辿る
程、
偶然の
度はあまりに
甚だしかつた。
過去の
痛恨を
新にすべく、
普通の
人が
滅多に
出逢はない
此偶然に
出逢ふために、千百
人のうちから
撰り
出されなければならない
程の
人物であつたかと
思ふと、
宗助は
苦しかつた。
又腹立しかつた。
彼は
暗い
夜着の
中で
熱い
息を
吐いた。
此二三
年の
月日で
漸く
癒り
掛けた
創口が、
急に
疼き
始めた。
疼くに
伴れて
熱つて
來た。
再び
創口が
裂けて、
毒のある
風が
容赦なく
吹き
込みさうになつた。
宗助は
一層のこと、
萬事を
御米に
打ち
明けて、
共に
苦しみを
分つて
貰はうかと
思つた。
「
御米、
御米」と
二聲呼んだ。
御米はすぐ
枕元へ
來て、
上から
覗き
込むやうに
宗助を
見た。
宗助は
夜具の
襟から
顏を
全く
出した。
次の
間の
灯が
御米の
頬を
半分照らしてゐた。
「
熱い
湯を一
杯貰はう」
宗助はとう/\
言はうとした
事を
言ひ
切る
勇氣を
失つて、
嘘を
吐いて
胡魔化した。
翌日宗助は
例の
如く
起きて、
平日と
變る
事なく
食事を
濟ました。さうして
給仕をして
呉れる
御米の
顏に、
多少安心の
色が
見えたのを、
嬉しい
樣な
憐れな
樣な
一種の
情緒を
以て
眺めた。
「
昨夕は
驚ろいたわ。
何うなすつたのかと
思つて」
宗助は
下を
向いて
茶碗に
注いだ
茶を
呑んだ
丈であつた。
何と
答へていゝか、
適當な
言葉を
見出さなかつたからである。
其日は
朝からから
風が
吹き
荒んで、
折々埃と
共に
行く
人の
帽を
奪つた。
熱があると
惡いから、一
日休んだらと
云ふ
御米の
心配を
聞き
捨てにして、
例の
通り
電車へ
乘つた
宗助は、
風の
音と
車の
音の
中に
首を
縮めて、たゞ
一つ
所を
見詰めてゐた。
降りる
時、ひゆうといふ
音がして、
頭の
上の
針線が
鳴つたのに
氣が
付いて、
空を
見たら、
此猛烈な
自然の
力の
狂ふ
間に、
何時もより
明らかな
日がのそりと
出てゐた。
風は
洋袴の
股を
冷たくして
過ぎた。
宗助には
其砂を
捲いて
向ふの
堀の
方へ
進んで
行く
影が、
斜めに
吹かれる
雨の
脚の
樣に
判然見えた。
役所では
用が
手に
着かなかつた。
筆を
持つて
頬杖を
突いた
儘何か
考へた。
時々は
不必要な
墨を
妄りに
磨り
卸ろした。
烟草は
無暗に
呑んだ。さうしては、
思ひ
出した
樣に
窓硝子を
通して
外を
眺めた。
外は
見るたびに
風の
世界であつた。
宗助はたゞ
早く
歸りたかつた。
漸く
時間が
來て
家へ
歸つたとき、
御米は
不安らしく
宗助の
顏を
見て、
「
何うもなくつて」と
聞いた。
宗助は
已を
得ず、
何うもないが、たゞ
疲れたと
答へて、すぐ
炬燵の
中へ
入つたなり、
晩食迄動かなかつた。
其内風は
日と
共に
落ちた。
晝の
反動で
四隣は
急にひつそり
靜まつた。
「
好い
案排ね、
風が
無くなつて。
晝間の
樣に
吹かれると、
家に
坐つてゐても
何だか
氣味が
惡くつて
仕樣がないわ」
御米の
言葉には、
魔物でもあるかの
樣に、
風を
恐れる
調子があつた。
宗助は
落ち
付いて、
「
今夜は
少し
暖たかい
樣だね。
穩やかで
好い
御正月だ」と
云つた。
飯を
濟まして
烟草を一
本吸ふ
段になつて、
突然、
「
御米、
寄席へでも
行つて
見やうか」と
珍らしく
細君を
誘つた。
御米は
無論否む
理由を
有たなかつた。
小六は
義太夫などを
聞くより、
宅に
居て
餠でも
燒いて
食つた
方が
勝手だといふので、
留守を
頼んで
二人出た。
少し
時間が
遲れたので、
寄席は
一杯であつた。
二人は
坐蒲團を
敷く
餘地もない
一番後の
方に、
立膝をする
樣に
割り
込まして
貰つた。
「
大變な
人ね」
「
矢つ
張り
春だから
入るんだらう」
二人は
小聲で
話しながら、
大きな
部屋にぎつしり
詰つた
人の
頭を
見回した。
其頭のうちで、
高座に
近い
前の
方は、
烟草の
烟で
霞んでゐる
樣にぼんやり
見えた。
宗助には
此累々たる
黒いものが、
悉く
斯う
云ふ
娯樂の
席へ
來て、
面白く
半夜を
潰す
事の
出來る
餘裕のある
人らしく
思はれた。
彼は
何の
顏を
見ても
羨ましかつた。
彼は
高座の
方を
正視して、
熱心に
淨瑠璃を
聞かうと
力めた。けれどもいくら
力めても
面白くならなかつた。
時々眼を
外らして、
御米の
顏を
偸み
見た。
見るたびに
御米の
視線は
正しい
所を
向いてゐた。
傍に
夫のゐる
事は
殆んど
忘れて
眞面目に
聽いてゐるらしかつた。
宗助は
羨やましい
人のうちに
御米迄勘定しなければならなかつた。
中入の
時、
宗助は
御米に、
「
何うだ、もう
歸らうか」と
云ひ
掛けた。
御米は
其唐突なのに
驚ろかされた。
「
厭なの」と
聞いた。
宗助は
何とも
答へなかつた。
御米は、
「
何うでも
可いわ」と
半分夫の
意に
忤らはない
樣な
挨拶をした。
宗助は
折角連れて
來た
御米に
對して、
却つて
氣の
毒な
心が
起つた。とう/\
仕舞迄辛抱して
坐つてゐた。
家へ
歸ると、
小六は
火鉢の
前に
胡坐を
掻いて、
脊表紙の
反り
返るのも
構はずに、
手に
持つた
本を
上から
翳して
讀んでゐた。
鐵瓶は
傍へ
卸したなり
湯は
生温るく
冷めてしまつた。
盆の
上に
燒き
餘りの
餠が
三切か
四片載せてあつた。
網の
下から
小皿に
殘つた
醤油の
色が
見えた。
小六は
席を
立つて、
「
面白かつたですか」と
聞いた。
夫婦は十
分程身體を
炬燵で
暖めた
上すぐ
床へ
入つた。
翌日になつても
宗助の
心に
落付が
來なかつた
事は、
略前の
日と
同じであつた。
役所が
退けて、
例の
通り
電車へ
乘つたが、
今夜自分と
前後して、
安井が
坂井の
家へ
客に
來ると
云ふ
事を
想像すると、
何うしても、わざ/\
其人と
接近するために、こんな
速力で、
家へ
歸つて
行くのが
不合理に
思はれた。
同時に
安井はその
後何んなに
變化したらうと
思ふと、
餘所から
一目彼の
樣子が
眺めたくもあつた。
坂井が
一昨日の
晩、
自分の
弟を
評して、
一口に「
冒險者」と
云つた、その
音が
今宗助の
耳に
高く
響き
渡つた。
宗助は
此一語の
中に、あらゆる
自暴と
自棄と、
不平と
憎惡と、
亂倫と
悖徳と、
盲斷と
決行とを
想像して、
是等の
一角に
觸れなければならない
程の
坂井の
弟と、それと
利害を
共にすべく
滿洲から
一所に
出て
來た
安井が、
如何なる
程度の
人物になつたかを、
頭の
中で
描いて
見た。
描かれた
畫は
無論冒險者の
字面の
許す
範圍内で、
尤も
強い
色彩を
帶びたものであつた。
斯樣に、
墮落の
方面をとくに
誇張した
冒險者を
頭の
中で
拵え
上た
宗助は、
其責任を
自身一人で
全く
負はなければならない
樣な
氣がした。
彼はたゞ
坂井へ
客に
來る
安井の
姿を
一目見て、
其姿から、
安井の
今日の
人格を
髣髴したかつた。さうして、
自分の
想像程彼は
墮落してゐないといふ
慰藉を
得たかつた。
彼は
坂井の
家の
傍に
立つて、
向に
知れずに、
他を
窺ふ
樣な
便利な
場所はあるまいかと
考へた。
不幸にして、
身を
隱すべきところを
思ひ
付き
得なかつた。
若し
日が
落ちてから
來るとすれば、
此方が
認められない
便宜があると
同時に、
暗い
中を
通る
人の
顏の
分らない
不都合があつた。
そのうち
電車が
神田へ
來た。
宗助は
何時もの
通り
其所で
乘り
換えて
家の
方へ
向いて
行くのが
苦痛になつた。
彼の
神經は一
歩でも
安井の
來る
方角へ
近づくに
堪えなかつた。
安井を
餘所ながら
見たいといふ
好奇心は、
始めから
左程強くなかつた
丈に、
乘換の
間際になつて、
全く
抑えつけられてしまつた。
彼は
寒い
町を
多くの
人の
如く
歩いた。けれども
多くの
人の
如くに
判然した
目的は
有つてゐなかつた。
其内店に
灯が
點いた。
電車も
燈火を
照もした。
宗助はある
牛肉店に
上がつて
酒を
呑み
出した。一
本は
夢中に
呑んだ。二
本目は
無理に
呑んだ。三
本目にも
醉へなかつた。
宗助は
脊を
壁に
持たして、
醉つて
相手のない
人の
樣な
眼をして、ぼんやり
何處かを
見詰めてゐた。
時刻が
時刻なので、
夕飯を
食ひに
來る
客は
入れ
代り
立ち
代り
來た。
其多くは
用辯的に
飮食を
濟まして、さつさと
勘定をして
出て
行く
丈であつた。
宗助は
周圍のざわつく
中に
默然として、
他の
倍も三
倍も
時を
過ごした
如くに
感じた
末、
遂に
坐り
切れずに
席を
立つた。
表は
左右から
射す
店の
灯で
明らかであつた。
軒先を
通る
人は、
帽も
衣裝もはつきり
物色する
事が
出來た。けれども
廣い
寒さを
照らすには
餘りに
弱過ぎた。
夜は
戸毎の
瓦斯と
電燈を
閑却して、
依然として
暗く
大きく
見えた。
宗助は
此世界と
調和する
程な
黒味の
勝つた
外套に
包まれて
歩いた。
其時彼は
自分の
呼吸する
空氣さへ
灰色になつて、
肺の
中の
血管に
觸れる
樣な
氣がした。
彼は
此晩に
限つて、ベルを
鳴らして
忙がしさうに
眼の
前を
徃つたり
來たりする
電車を
利用する
考が
起らなかつた。
目的を
有つて
途を
行く
人と
共に、
拔目なく
足を
運ばす
事を
忘れた。しかも
彼は
根の
締らない
人間として、かく
漂浪の
雛形を
演じつゝある
自分の
心を
省みて、もし
此状態が
長く
續いたら
何うしたら
可からうと、ひそかに
自分の
未來を
案じ
煩つた。
今日迄の
經過から
推して、
凡ての
創口を
癒合するものは
時日であるといふ
格言を、
彼は
自家の
經驗から
割り
出して、
深く
胸に
刻み
付けてゐた。それが
一昨日の
晩にすつかり
崩れたのである。
彼は
黒い
夜の
中を
歩るきながら、たゞ
何うかして
此心から
逃れ
出たいと
思つた。
其心は
如何にも
弱くて
落付かなくつて、
不安で
不定で、
度胸がなさ
過ぎて
希知に
見えた。
彼は
胸を
抑えつける
一種の
壓迫の
下に、
如何にせば、
今の
自分を
救ふ
事が
出來るかといふ
實際の
方法のみを
考へて、
其壓迫の
原因になつた
自分の
罪や
過失は
全く
此結果から
切り
放して
仕舞つた。
其時の
彼は
他の
事を
考へる
餘裕を
失つて、
悉く
自己本位になつてゐた。
今迄は
忍耐で
世を
渡つて
來た。
是からは
積極的に
人世觀を
作り
易へなければならなかつた。さうして
其人世觀は
口で
述べるもの、
頭で
聞くものでは
駄目であつた。
心の
實質が
太くなるものでなくては
駄目であつた。
彼は
行く/\
口の
中で
何遍も
宗教の二
字を
繰り
返した。けれども
其響は
繰り
返す
後からすぐ
消えて
行つた。
攫んだと
思ふ
烟が、
手を
開けると
何時の
間にか
無くなつてゐる
樣に
宗教とは
果敢ない
文字であつた。
宗教と
關聯して
宗助は
坐禪といふ
記臆を
呼び
起した。
昔し
京都にゐた
時分彼の
級友に
相國寺へ
行つて
坐禪をするものがあつた。
當時彼は
其迂濶を
笑つてゐた。「
今の
世に……」と
思つてゐた。
其級友の
動作が
別に
自分と
違つた
所もない
樣なのを
見て、
彼は
益馬鹿々々しい
氣を
起した。
彼は
今更ながら
彼の
級友が、
彼の
侮蔑に
値する
以上のある
動機から、
貴重な
時間を
惜まずに、
相國寺へ
行つたのではなからうかと
考へ
出して、
自分の
輕薄を
深く
耻ぢた。もし
昔から
世俗で
云ふ
通り
安心とか
立命とかいふ
境地に、
坐禪の
力で
達する
事が
出來るならば、
十日や
二十日役所を
休んでも
構はないから
遣つて
見たいと
思つた。けれども
彼は
斯道にかけては
全くの
門外漢であつた。
從つて、
此より
以上明瞭な
考も
浮ばなかつた。
漸く
家へ
辿り
着いた
時、
彼は
例の
樣な
御米と、
例の
樣な
小六と、それから
例の
樣な
茶の
間と
座敷と
洋燈と
箪笥を
見て、
自分丈が
例にない
状態の
下に、
此四五
時間を
暮してゐたのだといふ
自覺を
深くした。
火鉢には
小さな
鍋が
掛けてあつて、
其葢の
隙間から
湯氣が
立つてゐた。
火鉢の
傍には
彼の
常に
坐る
所に、
何時もの
坐蒲團を
敷いて、
其前にちやんと
膳立がしてあつた。
宗助は
糸底を
上にしてわざと
伏せた
自分の
茶碗と、
此二三
年來朝晩使ひ
慣れた
木の
箸を
眺めて、
「もう
飯は
食はないよ」と
云つた。
御米は
多少不本意らしい
風もした。
「おや
左樣。
餘り
遲いから、
大方何處かで
召上がつたらうとは
思つたけれど、
若し
未だゞと
不可ないから」と
云ひながら、
布巾で
鍋の
耳を
撮んで、
土瓶敷の
上に
卸した。それから
清を
呼んで
膳を
臺所へ
退げさした。
宗助は
斯ういふ
風に、
何ぞ
事故が
出來て、
役所の
退出からすぐ
外へ
回つて
遲くなる
場合には、
何時でも
其顛末の
大略を、
歸宅早々御米に
話すのを
例にしてゐた。
御米もそれを
聞かないうちは
氣が
濟まなかつた。けれども
今夜に
限つて
彼は
神田で
電車を
降りた
事も、
牛肉屋へ
上つた
事も、
無理に
酒を
呑んだ
事も、
丸で
話したくなかつた。
何も
知らない
御米は
又平常の
通り
無邪氣に
夫から
夫へと
聞きたがつた。
「
何別に
是といふ
理由もなかつたのだけれども、――つい
彼所いらで
牛が
食ひたくなつた
丈の
事さ」
「さうして
御腹を
消化す
爲に、わざ/\
此所迄歩るいて
入らしつたの」
「まあ、
左樣だ」
御米は
可笑しさうに
笑つた。
宗助は
寧ろ
苦しかつた。しばらくして、
「
留守に
坂井さんから
迎ひに
來なかつたかい」と
聞いた。
「いゝえ、
何故」
「
一昨日の
晩行つたとき、
御馳走するとか
云つてゐたからさ」
「また?」
御米は
少し
呆れた
顏をした。
宗助は
夫なり
話を
切り
上げて
寐た。
頭の
中をざわ/\
何か
通つた。
時々眼を
開けて
見ると、
例の
如く
洋燈が
暗くして
床の
間の
上に
載せてあつた。
御米はさも
心地好ささうに
眠つてゐた。つい
此間迄は、
自分の
方が
好く
寐られて、
御米は
幾晩も
睡眠の
不足に
惱まされたのであつた。
宗助は
眼を
閉ぢながら、
明らかに
次の
間の
時計の
音を
聞かなければならない
今の
自分を
更に
心苦しく
感じた。
其時計は
最初は
幾つも
續けざまに
打つた。それが
過ぎると、びんと
只一つ
鳴つた。
其濁つた
音が
彗星の
尾の
樣にぼうと
宗助の
耳朶にしばらく
響いてゐた。
次には
二つ
鳴つた。
甚だ
淋しい
音であつた。
宗助は
其間に、
何とかして、もつと
鷹揚に
生きて
行く
分別をしなければならないと
云ふ
決心丈をした。三
時は
朦朧として
聞えた
樣な
聞えない
樣なうちに
過ぎた。
四時、五
時、六
時は
丸で
知らなかつた。たゞ
世の
中が
膨れた。
天が
波を
打つて
伸び
且つ
縮んだ。
地球が
糸で
釣るした
毬の
如くに
大きな
弧線を
描いて
空間に
搖いた。
凡てが
恐ろしい
魔の
支配する
夢であつた。七
時過に
彼ははつとして、
此夢から
覺めた。
御米が
何時もの
通り
微笑して
枕元に
曲んでゐた。
冴えた
日は
黒い
世の
中を
疾に
何處かへ
追ひ
遣つてゐた。
宗助は
一封の
紹介状を
懷にして
山門を
入つた。
彼はこれを
同僚の
知人の
某から
得た。
其同僚は
役所の
徃復に、
電車の
中で
洋服の
隱袋から
菜根譚を
出して
讀む
男であつた。かう
云ふ
方面に
趣味のない
宗助は、
固より
菜根譚の
何物なるかを
知らなかつた。ある
日一つ
車の
腰掛に
膝を
並べて
乘つた
時、それは
何だと
聞いて
見た。
同僚は
小形の
黄色い
表紙を
宗助の
前に
出して、こんな
妙な
本だと
答へた。
宗助は
重ねて
何んな
事が
書いてあるかと
尋ねた。
其時同僚は、
一口に
説明の
出來る
格好な
言葉を
有つてゐなかつたと
見えて、まあ
禪學の
書物だらうといふ
樣な
妙な
挨拶をした。
宗助は
同僚から
聞いた
此返事を
能く
覺えてゐた。
紹介状を
貰ふ
四五日前、
彼は
此同僚の
傍へ
行つて、
君は
禪學を
遣るのかと、
突然質問を
掛けた。
同僚は
強く
緊張した
宗助の
顏を
見て
頗る
驚ろいた
樣子であつたが、いや
遣らない、たゞ
慰み
半分にあんな
書物を
讀む
丈だと、すぐ
逃げて
仕舞つた。
宗助は
多少失望に
弛んだ
下唇を
垂れて
自分の
席に
歸つた。
其日歸りがけに、
彼等は
又同じ
電車に
乘り
合はした。
先刻宗助の
樣子を、
氣の
毒に
觀察した
同僚は、
彼の
質問の
奧に
雜談以上のある
意味を
認めたものと
見えて、
前よりはもつと
親切に
其方面の
話をして
聞かした。
然し
自分は
未だ
嘗て
參禪といふ
事をした
經驗がないと
自白した。もし
詳しい
話が
聞きたければ、
幸ひ
自分の
知り
合によく
鎌倉へ
行く
男があるから
紹介してやらうと
云つた。
宗助は
車の
中で
其人の
名前と
番地を
手帳に
書き
留めた。さうして
次の
日同僚の
手紙を
持つてわざ/\
回り
道をして
訪問に
出掛けた。
宗助の
懷にした
書状は
其折席上で
認めて
貰つたものであつた。
役所は
病氣になつて
十日許休む
事にした。
御米の
手前も
矢張り
病氣だと
取り
繕つた。
「
少し
腦が
惡いから、一
週間程役所を
休んで
遊んで
來るよ」と
云つた。
御米は
此頃の
夫の
樣子の
何處かに
異状があるらしく
思はれるので、
内心では
始終心配してゐた
矢先だから、
平生
え
切らない
宗助の
果斷を
喜んだ。けれども
其突然なのにも
全く
驚ろいた。
「
遊びに
行くつて、
何處へ
入らつしやるの」と
眼を
丸くしない
許に
聞いた。
「
矢張鎌倉邊が
好からうと
思つてる」と
宗助は
落ち
付いて
答へた。
地味な
宗助とハイカラな
鎌倉とは
殆んど
縁の
遠いものであつた。
突然二つのものを
結び
付けるのは
滑稽であつた。
御米も
微笑を
禁じ
得なかつた。
「まあ
御金持ね。
私も
一所に
連れてつて
頂戴」と
云つた。
宗助は
愛すべき
細君のこの
冗談を
味ふ
餘裕を
有たなかつた。
眞面目な
顏をして、
「そんな
贅澤な
所へ
行くんぢやないよ。
禪寺へ
留めて
貰つて、一
週間か
十日、たゞ
靜かに
頭を
休めて
見る
丈の
事さ。それも
果して
好くなるか、ならないか
分らないが、
空氣の
可い
所へ
行くと、
頭には
大變違ふと
皆云ふから」と
辯解した。
「そりや
違ひますわ。だから
行つて
入らつしやいとも。
今のは
本當の
冗談よ」
御米は
善良な
夫に
調戯つたのを、
多少濟まない
樣に
感じた。
宗助は
其翌日すぐ
貰つて
置いた
紹介状を
懷にして、
新橋から
汽車に
乘つたのである。
其紹介状の
表には
釋宜道樣と
書いてあつた。
「
此間迄侍者をしてゐましたが、
此頃では
塔頭にある
古い
庵室に
手を
入れて、
其所に
住んでゐるとか
聞きました。
何うですか、まあ
着いたら
尋ねて
御覽なさい。
庵の
名はたしか
一窓庵でした」と
書いて
呉れる
時、わざ/\
注意があつたので、
宗助は
禮を
云つて
手紙を
受取りながら、
侍者だの
塔頭だのといふ
自分には
全く
耳新らしい
言葉の
説明を
聞いて
歸つたのである。
山門を
入ると、
左右には
大きな
杉があつて、
高く
空を
遮つてゐるために、
路が
急に
暗くなつた。
其陰氣な
空氣に
觸れた
時、
宗助は
世の
中と
寺の
中との
區別を
急に
覺つた。
靜かな
境内の
入口に
立つた
彼は、
始めて
風邪を
意識する
場合に
似た
一種の
惡寒を
催した。
彼はまづ
眞直に
歩るき
出した。
左右にも
行手にも、
堂の
樣なものや、
院の
樣なものがちよい/\
見えた。けれども
人の
出入は
一切なかつた。
悉く
寂寞として
錆び
果てゝゐた。
宗助は
何處へ
行つて、
宜道のゐる
所を
教へて
貰はうかと
考へながら、
誰も
通らない
路の
眞中に
立つて
四方を
見回した。
山の
裾を
切り
開いて、一二
丁奧へ
上る
樣に
建てた
寺だと
見えて、
後の
方は
樹の
色で
高く
塞がつてゐた。
路の
左右も
山續か
丘續の
地勢に
制せられて、
決して
平ではない
樣であつた。
其小高い
所々に、
下から
石段を
疊んで、
寺らしい
門を
高く
構へたのが二三
軒目に
着いた。
平地に
垣を
繞らして、
點在してゐるのは、
幾多もあつた。
近寄つて
見ると、
何れも
門瓦の
下に、
院號やら
庵號やらが
額にして
懸けてあつた。
宗助は
箔の
剥げた
古い
額を一二
枚讀んで
歩いたが、
不圖一窓庵から
先へ
探し
出して、もし
其所に
手紙の
名宛の
坊さんがゐなかつたら、もつと
奧へ
行つて
尋ねる
方が
便利だらうと
思ひ
付いた。それから
逆戻りをして
塔頭を
一々調べに
懸ると、
一窓庵は
山門を
這入るや
否やすぐ
右手の
方の
高い
石段の
上にあつた。
丘外れなので、
日當の
好い、からりとした
玄關先を
控えて、
後の
山の
懷に
暖まつてゐる
樣な
位置に
冬を
凌ぐ
氣色に
見えた。
宗助は
玄關を
通り
越して
庫裡の
方から
土間に
足を
入れた。
上り
口の
障子の
立てゝある
所迄來て、たのむ/\と二三
度呼んで
見た。
然し
誰も
出て
來て
呉れるものはなかつた。
宗助はしばらく
其所に
立つた
儘、
中の
樣子を
窺つてゐた。
何時迄立つてゐても
音沙汰がないので、
宗助は
不思議な
思ひをして、
又庫裡を
出て
門の
方へ
引返した。すると
石段の
下から
剃立の
頭を
青く
光らした
坊さんが
上つて
來た。
年はまだ二十四五としか
見えない
若い
色白の
顏であつた。
宗助は
門の
扉の
所に
待ち
合はして、
「
宜道さんと
仰しやる
方は
此方に
御出でせうか」と
聞いた。
「
私が
宜道です」と
若い
僧は
答へた。
宗助は
少し
驚ろいたが、
又嬉しくもあつた。すぐ
懷中から
例の
紹介状を
出して
渡すと、
宜道は
立ちながら
封を
切つて、
其場で
讀み
下した。やがて
手紙を
卷き
返して
封筒へ
入れると、
「
能うこそ」と
云つて、
叮嚀に
會釋したなり、
先に
立つて
宗助を
導いた。
二人は
庫裡に
下駄を
脱いで、
障子を
開て
内へ
這入つた。
其所には
大きな
圍爐裏が
切つてあつた。
宜道は
鼠木綿の
上に
羽織つてゐた
薄い
粗末な
法衣を
脱いで
釘に
懸けて、
「
御寒う
御座いませう」と
云つて、
圍爐裏の
中に
深く
埋けてあつた
炭を
灰の
下から
掘り
出した。
此僧は
若いに
似合はず
甚だ
落付いた
話振をする
男であつた。
低い
聲で
何か
受答へをした
後で、にやりと
笑ふ
具合などは、
丸で
女の
樣な
感じを
宗助に
與へた。
宗助は
心のうちに、この
青年がどういふ
機縁の
元に、
思ひ
切つて
頭を
剃つたものだらうかと
考へて、
其樣子のしとやかな
所を、
何となく
憐れに
思つた。
「
大變御靜な
樣ですが、
今日はどなたも
御留守なんですか」
「いえ、
今日に
限らず、
何時も
私一人です。だから
用のあるときは
構はず
明け
放しにして
出ます。
今も
一寸下迄行つて
用を
足して
參りました。それがため
折角御出の
所を
失禮致しました」
宜道は
此時改めて
遠來の
人に
對して
自分の
不在を
詫びた。
此大きな
庵を、たつた
一人で
預かつてゐるさへ、
相應に
骨が
折れるのに、
其上に
厄介が
増したら
嘸迷惑だらうと、
宗助は
少し
氣の
毒な
色を
外に
動かした。すると
宜道は、
「いえ、
些とも
御遠慮には
及びません。
道の
爲で
御座いますから」と
床しい
事を
云つた。さうして、
目下自分の
所に、
宗助の
外に、まだ
一人世話になつてゐる
居士のある
旨を
告げた。
此居士は
山へ
來てもう二
年になるとかいふ
話であつた。
宗助はそれから二三
日して、
始めて
此居士を
見たが、
彼は
剽輕な
羅漢の
樣な
顏をしてゐる
氣樂さうな
男であつた。
細い
大根を三四
本ぶら
下げて、
今日は
御馳走を
買つて
來たと
云つて、それを
宜道に

てもらつて
食つた。
宜道も
宗助も
其相伴をした。
此居士は
顏が
坊さんらしいので、
時々僧堂の
衆に
交つて、
村の
御齋抔に
出掛ける
事があるとか
云つて
宜道が
笑つてゐた。
其外俗人で
山へ
修業に
來てゐる
人の
話も
色々聞いた。
中に
筆墨を
商ふ
男がゐた。
脊中へ
荷を
一杯負つて、
二十日なり
三十日なり、
其所等中回つて
歩いて、
略賣り
盡してしまふと
山へ
歸つて
來て
坐禪をする。それから
少時して
食ふものがなくなると、
又筆墨を
脊に
載せて
行商に
出る。
彼は
此兩面の
生活を、
殆んど
循環小數の
如く
繰り
返して、
飽く
事を
知らないのだと
云ふ。
宗助は
一見こだわりの
無ささうな
是等の
人の
月日と、
自分の
内面にある
今の
生活とを
比べて、
其懸隔の
甚だしいのに
驚ろいた。そんな
氣樂な
身分だから
坐禪が
出來るのか、
或は
坐禪をした
結果さういふ
氣樂な
心になれるのか
迷つた。
「
氣樂では
不可ません。
道樂に
出來るものなら、二十
年も三十
年も
雲水をして
苦しむものはありません」と
宜道は
云つた。
彼は
坐禪をするときの
一般の
心得や、
老師から
公案の
出る
事や、
其公案に
一生懸命噛り
付いて、
朝も
晩も
晝も
夜も
噛りつゞけに
噛らなくては
不可ない
事やら、
凡て
今の
宗助には
心元なく
見える
助言を
與へた
末、
「
御室へ
御案内しませう」と
云つて
立ち
上がつた。
圍爐裏の
切つてある
所を
出て、
本堂を
横に
拔けて、
其外れにある六
疊の
座敷の
障子を
縁から
開けて、
中へ
案内された
時、
宗助は
始めて
一人遠くに
來た
心持がした。けれども
頭の
中は、
周圍の
幽靜な
趣と
反照するためか、
却つて
町にゐるときよりも
動搖した。
約一
時間もしたと
思ふ
頃宜道の
足音が
又本堂の
方から
響いた。
「
老師が
相見になるさうで
御座いますから、
御都合が
宜しければ
參りませう」と
云つて、
丁寧に
敷居の
上に
膝を
突いた。
二人は
又寺を
空にして
連立つて
出た。
山門の
通りを
略一
丁程奧へ
來ると、
左側に
蓮池があつた。
寒い
時分だから
池の
中はたゞ
薄濁りに
淀んでゐる
丈で、
少しも
清淨な
趣はなかつたが、
向側に
見える
高い
石の
崖外れ
迄、
縁に
欄干のある
座敷が
突き
出して
居る
所が、
文人畫にでもありさうな
風致を
添へた。
「
彼所が
老師の
住んでゐられる
所です」と
宜道は
比較的新らしい
其建物を
指した。
二人は
蓮池の
前を
通り
越して、五六
級の
石段を
上つて、
其正面にある
大きな
伽藍の
屋根を
仰いだまゝ
直左りへ
切れた。
玄關へ
差しかゝつた
時、
宜道は
「
一寸失禮します」と
云つて、
自分丈裏口の
方へ
回つたが、やがて
奧から
出て
來て、
「さあ
何うぞ」と
案内をして、
老師のゐる
所へ
伴れて
行つた。
老師といふのは五十
格好に
見えた。
赭黒い
光澤のある
顏をしてゐた。
其皮膚も
筋肉も
悉とく
緊つて、
何所にも
怠のない
所が、
銅像のもたらす
印象を、
宗助の
胸に
彫り
付けた。たゞ
唇があまり
厚過るので、
其所に
幾分の
弛みが
見えた。
其代り
彼の
眼には、
普通の
人間に
到底見るべからざる
一種の
精彩が
閃めいた。
宗助が
始めて
其視線に
接した
時は、
暗中に
卒然として
白刄を
見る
思があつた。
「まあ
何から
入つても
同じであるが」と
老師は
宗助に
向つて
云つた。「
父母未生以前本來の
面目は
何だか、それを
一つ
考へて
見たら
善かろう」
宗助には
父母未生以前といふ
意味がよく
分らなかつたが、
何しろ
自分と
云ふものは
必竟何物だか、
其本體を
捕まへて
見ろと
云ふ
意味だらうと
判斷した。それより
以上口を
利くには、
餘り
禪といふものゝ
知識に
乏しかつたので、
默つて
又宜道に
伴れられて
一窓庵へ
歸つて
來た。
晩食の
時宜道は
宗助に、
入室の
時間の
朝夕二
回あることゝ、
提唱の
時間が
午前である
事などを
話した
上、
「
今夜は
未だ
見解も
出來ないかも
知れませんから、
明朝か
明晩御誘ひ
申しませう」と
親切に
云つて
呉れた。
夫から
最初のうちは、
詰めて
坐はるのは
難儀だから
線香を
立てゝ、それで
時間を
計つて、
少し
宛休んだら
好からうと
云ふ
樣な
注意もして
呉れた。
宗助は
線香を
持つて、
本堂の
前を
通つて
自分の
室と
極つた六
疊に
這入つて、ぼんやりして
坐つた。
彼から
云ふと
所謂公案なるものゝ
性質が、
如何にも
自分の
現在と
縁の
遠い
樣な
氣がしてならなかつた。
自分は
今腹痛で
惱んでゐる。
其腹痛と
言ふ
訴を
抱いて
來て
見ると、
豈計らんや、
其對症療法として、
六づかしい
數學の
問題を
出して、まあ
是でも
考へたら
可からうと
云はれたと
一般であつた。
考へろと
云はれゝば、
考へないでもないが、それは
一應腹痛が
治まつてからの
事でなくては
無理であつた。
同時に
彼は
勤を
休んでわざ/\
此所迄來た
男であつた。
紹介状を
書いて
呉れた
人、
萬事に
氣を
付けて
呉れる
宜道に
對しても、あまりに
輕卒な
振舞は
出來なかつた。
彼は
先づ
現在の
自分が
許す
限りの
勇氣を
提さげて、
公案に
向はうと
決心した。それが
何れの
所に
彼を
導びいて、どんな
結果を
彼の
心に
持ち
來すかは、
彼自身と
雖も
全く
知らなかつた。
彼は
悟といふ
美名に
欺かれて、
彼の
平生に
似合はぬ
冒險を
試みやうと
企てたのである。さうして、もし
此冒險に
成功すれば、
今の
不安な
不定な
弱々しい
自分を
救ふ
事が
出來はしまいかと、
果敢ない
望を
抱いたのである。
彼は
冷たい
火鉢の
灰の
中に
細い
線香を
燻らして、
教へられた
通り
坐蒲團の
上に
半跏を
組んだ。
晝のうちは
左迄とは
思はなかつた
室が、
日が
落ちてから
急に
寒くなつた。
彼は
坐りながら、
脊中のぞく/\する
程温度の
低い
空氣に
堪へなかつた。
彼は
考へた。けれども
考へる
方向も、
考へる
問題の
實質も、
殆んど
捕まえ
樣のない
空漠なものであつた。
彼は
考へながら、
自分は
非常に
迂濶な
眞似をしてゐるのではなからうかと
疑つた。
火事見舞に
行く
間際に、
細かい
地圖を
出して、
仔細に
町名や
番地を
調べてゐるよりも、ずつと
飛び
離れた
見當違の
所作を
演じてゐる
如く
感じた。
彼の
頭の
中を
色々なものが
流れた。
其あるものは
明らかに
眼に
見えた。あるものは
混沌として
雲の
如くに
動いた。
何所から
來て
何所へ
行くとも
分らなかつた。たゞ
先のものが
消える、すぐ
後から
次のものが
現はれた。さうして
仕切りなしに
夫から
夫へと
續いた。
頭の
徃來を
通るものは、
無限で
無數で
無盡藏で、
決して
宗助の
命令によつて、
留まる
事も
休む
事もなかつた。
斷ち
切らうと
思へば
思ふ
程、
滾々として
湧いて
出た。
宗助は
怖くなつて、
急に
日常の
我を
呼び
起して、
室の
中を
眺めた。
室は
微かな
灯で
薄暗く
照らされてゐた。
灰の
中に
立てた
線香は、まだ
半分程しか
燃えてゐなかつた。
宗助は
恐るべく
時間の
長いのに
始めて
氣が
付いた。
宗助はまた
考へ
始めた。すると、すぐ
色のあるもの、
形のあるものが
頭の
中を
通り
出した。ぞろ/\と
群がる
蟻の
如くに
動いて
行く、あとから
又ぞろ/\と
群がる
蟻の
如くに
現はれた。
凝としてゐるのはたゞ
宗助の
身體丈であつた。
心は
切ない
程、
苦しい
程、
堪えがたい
程動いた。
其内凝としてゐる
身體も、
膝頭から
痛み
始めた。
眞直に
延ばしてゐた
脊髓が
次第々々に
前の
方に
曲つて
來た。
宗助は
兩手で
左の
足の
甲を
抱える
樣にして
下へ
卸した。
彼は
何をする
目的もなく
室の
中に
立ち
上がつた。
障子を
明けて
表へ
出て、
門前をぐる/\
駈け
回つて
歩きたくなつた。
夜はしんとしてゐた。
寐てゐる
人も
起きてゐる
人も
何處にも
居りさうには
思へなかつた。
宗助は
外へ
出る
勇氣を
失つた。
凝と
生きながら
妄想に
苦しめられるのは
猶恐ろしかつた。
彼は
思ひ
切つて
又新らしい
線香を
立てた。さうして
又略前と
同じ
過程を
繰り
返した。
最後に、もし
考へるのが
目的だとすれば、
坐つて
考へるのも
寐て
考へるのも
同じだらうと
分別した。
彼は
室の
隅に
疊んであつた
薄汚ない
蒲團を
敷いて、
其中に
潛り
込んだ。すると
先刻からの
疲れで、
何を
考へる
暇もないうちに、
深い
眠りに
落ちて
仕舞つた。
眼が
覺めると
枕元の
障子が
何時の
間にか
明るくなつて、
白い
紙にやがて
日の
逼るべき
色が
動いた。
晝も
留守を
置かずに
濟む
山寺は、
夜に
入つても
戸を
閉てる
音を
聞かなかつたのである。
宗助は
自分が
坂井の
崖下の
暗い
部屋に
寐てゐたのでないと
意識するや
否や、すぐ
起き
上がつた。
縁へ
出ると、
軒端に
高く
大霸王樹の
影が
眼に
映つた。
宗助は
又本堂の
佛壇の
前を
拔けて、
圍爐裏の
切つてある
昨日の
茶の
間へ
出た。
其所には
昨日の
通り
宜道の
法衣が
折釘に
懸けてあつた。さうして
本人は
勝手の
竈の
前に
蹲踞まつて、
火を
焚いてゐた。
宗助を
見て、
「
御早う」と
慇懃に
禮をした。「
先刻御誘ひ
申さうと
思ひましたが、よく
御寢の
樣でしたから、
失禮して
一人參りました」
宗助は
此若い
僧が、
今朝夜明がたに
既に
參禪を
濟まして、
夫から
歸つて
來て、
飯を
炊いでゐるのだといふ
事を
知つた。
見ると
彼は
左の
手で
頻りに
薪を
差し
易へながら、
右の
手に
黒い
表紙の
本を
持つて、
用の
合間々々に
夫を
讀んでゐる
樣子であつた。
宗助は
宜道に
書物の
名を
尋ねた。それは
碧巖集といふ
六づかしい
名前のものであつた。
宗助は
腹の
中で、
昨夕の
樣に
當途もない
考に
耽つて、
腦を
疲らすより、
一層其道の
書物でも
借りて
讀む
方が、
要領を
得る
捷徑ではなからうかと
思ひ
付いた。
宜道にさう
云ふと、
宜道は一も二もなく
宗助の
考を
排斥した。
「
書物を
讀むのは
極惡う
御座います。
有體に
云ふと、
讀書程修業の
妨になるものは
無い
樣です。
私共でも、
斯うして
碧巖抔を
讀みますが、
自分の
程度以上の
所になると、
丸で
見當が
付きません。それを
好加減に
揣摩する
癖がつくと、それが
坐る
時の
妨になつて、
自分以上の
境界を
豫期して
見たり、
悟を
待ち
受けて
見たり、
充分突込んで
行くべき
所に
頓挫が
出來ます。
大變毒になりますから、
御止しになつた
方が
可いでせう。もし
強いて
何か
御讀みになりたければ、
禪關策進といふ
樣な、
人の
勇氣を
鼓舞したり
激勵したりするものが
宜しう
御座いませう。それだつて、
只刺戟の
方便として
讀む
丈で、
道其物とは
無關係です」
宗助には
宜道の
意味がよく
解らなかつた。
彼は
此生若い
青い
頭をした
坊さんの
前に
立つて、
恰も一
個の
低能兒であるかの
如き
心持を
起した。
彼の
慢心は
京都以來既に
銷磨し
盡してゐた。
彼は
平凡を
分として、
今日迄生きて
來た。
聞達程彼の
心に
遠いものはなかつた。
彼はたゞ
有の
儘の
彼として、
宜道の
前に
立つたのである。しかも
平生の
自分より
遙かに
無力無能な
赤子であると、
更に
自分を
認めざるを
得なくなつた。
彼に
取つては
新らしい
發見であつた。
同時に
自尊心を
根絶する
程の
發見であつた。
宜道が
竈の
火を
消して
飯をむらしてゐる
間に、
宗助は
臺所から
下りて
庭の
井戸端へ
出て
顏を
洗つた。
鼻の
先にはすぐ
雜木山が
見へた。
其裾の
少し
平な
所を
拓いて、
菜園が
拵えてあつた。
宗助は
濡れた
頭を
冷たい
空氣に
曝して、わざと
菜園迄下りて
行つた。さうして、
其所に
崖を
横に
掘つた
大きな
穴を
見出した。
宗助は
少時其前に
立つて、
暗い
奧の
方を
眺めてゐた。やがて、
茶の
間へ
歸ると、
圍爐裏には
暖かい
火が
起つて、
鐵瓶に
湯の
沸る
音が
聞えた。
「
手がないものだから、つい
遲くなりまして
御氣の
毒です。すぐ
御膳に
致しませう。
然しこんな
所だから
上げるものがなくつて
困ります。
其代り
明日あたりは
御馳走に
風呂でも
立てませう」と
宜道が
云つて
呉れた。
宗助は
難有く
圍爐裏の
向に
坐つた。
やがて
食事を
了えて、わが
室へ
歸つた
宗助は、
又父母未生以前と
云ふ
稀有な
問題を
眼の
前に
据ゑて、
凝つと
眺めた。けれども、もと/\
筋の
立たない、
從がつて
發展のしやうのない
問題だから、いくら
考へても
何處からも
手を
出す
事は
出來なかつた。さうして、すぐ
考へるのが
厭になつた。
宗助は
不圖御米に
此所へ
着いた
消息を
書かなければならない
事に
氣が
付いた。
彼は
俗用の
生じたのを
喜こぶ
如くに、すぐ
鞄の
中から
卷紙と
封じ
袋を
取り
出して、
御米に
遣る
手紙を
書き
始めた。まづ
此所の
閑靜な
事、
海に
近い
所爲か、
東京よりは
餘程暖かい
事、
空氣の
清朗な
事、
紹介された
坊さんの
親切な
事、
食事の
不味い
事、
夜具蒲團の
綺麗に
行かない
事、などを
書き
連ねてゐるうちに、はや三
尺餘りの
長さになつたので、
其所で
筆を
擱いたが、
公案に
苦しめられてゐる
事や、
坐禪をして
膝の
關節を
痛くしてゐる
事や、
考へるために
益神經衰弱が
劇しくなりさうな
事は、
噫にも
出さなかつた。
彼は
此手紙に
切手を
貼つて、ポストに
入れなければならない
口實を
求めて、
早速山を
下つた。さうして
父母未生以前と、
御米と、
安井に、
脅かされながら、
村の
中をうろついて
歸つた。
午には、
宜道から
話のあつた
居士に
會つた。
此居士は
茶碗を
出して、
宜道に
飯を
盛つて
貰ふとき、
憚かり
樣とも
何とも
云はずに、たゞ
合掌して
禮を
述べたり、
相圖をしたりした。
此位靜かに
物事を
爲るのが
法だとか
云つた。
口を
利かず、
音を
立てないのは、
考への
邪魔になると
云ふ
精神からださうであつた。それ
程眞劍にやるべきものをと、
宗助は
昨夜からの
自分が、
何となく
耻づかしく
思はれた。
食後三
人は
圍爐裏の
傍でしばらく
話した。
其時居士は、
自分が
坐禪をしながら、
何時か
氣が
付かずにうと/\と
眠つて
仕舞つてゐて、はつと
正氣に
歸る
間際に、おや
悟つたなと
喜ぶことがあるが、さて
愈眼を
開いて
見ると、
矢つ
張り
元の
通の
自分なので
失望する
許だと
云つて、
宗助を
笑はした。
斯う
云ふ
氣樂な
考で、
參禪してゐる
人もあると
思ふと、
宗助も
多少は
寛ろいだ。けれども三
人が
分れ/\に
自分の
室に
入る
時、
宜道が、
「
今夜は
御誘ひ
申しますから、
是から
夕方迄しつかり
御坐りなさいまし」と
眞面目に
勸めたとき、
宗助は
又一種の
責任を
感じた。
消化れない
堅い
團子が
胃に
滯うつてゐる
樣な
不安な
胸を
抱いて、わが
室へ
歸つて
來た。さうして
又線香を
焚いて
坐はり
出した。
其癖夕方迄は
坐り
續けられなかつた。どんな
解答にしろ
一つ
拵らへて
置かなければならないと
思ひながらも、
仕舞には
根氣が
盡きて、
早く
宜道が
夕食の
報知に
本堂を
通り
拔けて
來て
呉れゝば
好いと、
夫ばかり
氣に
掛かつた。
日は
懊惱と
困憊の
裡に
傾むいた。
障子に
映る
時の
影が
次第に
遠くへ
立ち
退くにつれて、
寺の
空氣が
床の
下から
冷え
出した。
風は
朝から
枝を
吹かなかつた。
縁側に
出て、
高い
庇を
仰ぐと、
黒い
瓦の
小口丈が
揃つて、
長く一
列に
見える
外に、
穩かな
空が、
蒼い
光をわが
底の
方に
沈めつゝ、
自分と
薄くなつて
行く
所であつた。
「
危險う
御座います」と
云つて
宜道は
一足先へ
暗い
石段を
下りた。
宗助はあとから
續いた。
町と
違つて
夜になると
足元が
惡いので、
宜道は
提灯を
點けて
僅一
丁許の
路を
照らした。
石段を
下り
切ると、
大きな
樹の
枝が
左右から
二人の
頭に
蔽ひ
被さる
樣に
空を
遮つた。
闇だけれども
蒼い
葉の
色が
二人の
着物の
織目に
染み
込む
程に
宗助を
寒がらせた。
提灯の
灯にも
其色が
多少映る
感じがあつた。
其提灯は
一方に
大きな
樹の
幹を
想像する
所爲か、
甚だ
小さく
見えた。
光の
地面に
屆く
尺數も
僅であつた。
照らされた
部分は
明るい
灰色の
斷片となつて
暗い
中にほつかり
落ちた。さうして
二人の
影が
動くに
伴れて
動いた。
蓮池を
行き
過ぎて、
左へ
上る
所は、
夜はじめての
宗助に
取つて、
少し
足元が
滑かに
行かなかつた。
土の
中に
根を
食つてゐる
石に、一二
度下駄の
臺を
引つ
掛けた。
蓮池の
手前から
横に
切れる
裏路もあるが、
此方は
凸凹が
多くて、
慣れない
宗助には
近くても
不便だらうと
云ふので、
宜道はわざ/\
廣い
方を
案内したのである。
玄關を
入ると、
暗い
土間に
下駄が
大分並んでゐた。
宗助は
曲んで、
人の
履物を
踏まない
樣にそつと
上へのぼつた。
室は八
疊程の
廣さであつた。
其壁際に
列を
作つて、六七
人の
男が
一側に
並んでゐた。
中に
頭を
光らして、
黒い
法衣を
着た
僧も
交つてゐた。
他のものは
大概袴を
穿いてゐた。
此六七
人の
男は
上り
口と
奧へ
通ずる三
尺の
廊下口を
殘して、
行儀よく
鉤の
手に
並んでゐた。さうして、
一言も
口を
利かなかつた。
宗助は
是等の
人の
顏を
一目見て、まづ
其峻刻なのに
氣を
奪はれた。
彼等は
皆固く
口を
結んでゐた。
事ありげな
眉を
強く
寄せてゐた。
傍にどんな
人がゐるか
見向きもしなかつた。
如何なるものが
外から
入つて
來ても、
全く
注意しなかつた。
彼等は
活きた
彫刻の
樣に
己れを
持して、
火の
氣のない
室に
肅然と
坐つてゐた。
宗助の
感覺には、
山寺の
寒さ
以上に、
一種嚴かな
氣が
加はつた。
やがて
寂寞の
中に、
人の
足音が
聞えた。
初は
微かに
響いたが、
次第に
強く
床を
踏んで、
宗助の
坐つてゐる
方へ
近付いて
來た。
仕舞に
一人の
僧が
廊下口からぬつと
現れた。さうして
宗助の
傍を
通つて、
默つて
外の
暗がりへ
拔けて
行つた。すると
遠くの
奧の
方で
鈴を
振る
音がした。
此時宗助と
並んで
嚴肅に
控えてゐた
男のうちで、
小倉の
袴を
着けた
一人が、
矢張無言の
儘立ち
上がつて、
室の
隅の
廊下口の
眞正面へ
來て
着座した。
其所には
高さ二
尺幅一
尺程の
木の
枠の
中に、
銅鑼の
樣な
形をした、
銅鑼よりも、ずつと
重くて
厚さうなものが
懸つてゐた。
色は
蒼黒く
貧しい
灯に
照らされてゐた。
袴を
着けた
男は、
臺の
上にある
撞木を
取り
上げて、
銅鑼に
似た
鐘の
眞中を
二つ
程打ち
鳴らした。さうして、ついと
立つて、
廊下口を
出て、
奧の
方へ
進んで
行つた。
今度は
前と
反對に、
足音が
段々遠くの
方へ
去るに
從つて、
微かになつた。さうして
一番仕舞にぴたりと
何處かで
留まつた。
宗助は
坐ながら、はつとした。
彼は
此袴を
着けた
男の
身の
上に、
今何事が
起りつゝあるだらうかを
想像したのである。けれども
奧はしんとして
靜まり
返つてゐた。
宗助と
並んでゐるものも、
一人として
顏の
筋肉を
動かすものはなかつた。たゞ
宗助は
心の
中で、
奧からの
何物かを
待ち
受けた。すると
忽然として
鈴を
振る
響が
彼の
耳に
應へた。
同時に
長い
廊下を
踏んで、
此方へ
近付く
足音がした。
袴を
着けた
男は
又廊下口から
現はれて、
無言の
儘玄關を
下りて、
霜の
裡に
消え
去つた。
入れ
代つて
又新らしい
男が
立つて、
最前の
鐘を
打つた。さうして、
又廊下を
踏み
鳴らして
奧の
方へ
行つた。
宗助は
沈默の
間に
行はれる
此順序を
見ながら、
膝に
手を
載せて、
自分の
番の
來るのを
待つてゐた。
自分より
一人置いて
前の
男が
立つて
行つた
時は、
良暫くしてから、わつと
云ふ
大きな
聲が、
奧の
方で
聞えた。
其聲は
距離が
遠いので、
劇しく
宗助の
鼓膜を
打つ
程、
強くは
響かなかつたけれども、たしかに
精一杯威を
振つたものであつた。さうして
只一人の
咽喉から
出た
個人の
特色を
帶びてゐた。
自分のすぐ
前の
人が
立つた
時は、
愈わが
番が
回つて
來たと
云ふ
意識に
制せられて、
一層落付を
失つた。
宗助は
此間の
公案に
對して、
自分丈の
解答は
準備してゐた。けれども、それは
甚だ
覺束ない
薄手のものに
過ぎなかつた。
室中に
入る
以上は、
何か
見解を
呈しない
譯に
行かないので、
已を
得ず
納まらない
所を、わざと
納まつた
樣に
取繕つた、
其場限りの
挨拶であつた。
彼は
此心細い
解答で、
僥倖にも
難關を
通過して
見たい
抔とは、
夢にも
思ひ
設けなかつた。
老師を
胡麻化す
氣は
無論なかつた。
其時の
宗助はもう
少し
眞面目であつたのである。
單に
頭から
割り
出した、
恰も
畫にかいた
餠の
樣な
代物を
持つて、
義理にも
室中に
入らなければならない
自分の
空虚な
事を
耻ぢたのである。
宗助は
人のする
如くに
鐘を
打つた。しかも
打ちながら、
自分は
人並に
此鐘を
撞木で
敲くべき
權能がないのを
知つてゐた。それを
人並に
鳴らして
見る
猿の
如き
己れを
深く
嫌忌した。
彼は
弱味のある
自分に
恐れを
抱きつゝ、
入口を
出て
冷たい
廊下へ
足を
踏み
出した。
廊下は
長く
續いた。
右側にある
室は
悉く
暗かつた。
角を
二つ
折れ
曲ると、
向の
外れの
障子に
灯影が
差した。
宗助は
其敷居際へ
來て
留まつた。
室中に
入るものは
老師に
向つて
三拜するのが
禮であつた。
拜しかたは
普通の
挨拶の
樣に
頭を
疊に
近く
下げると
同時に、
兩手の
掌を
上向に
開いて、
夫を
頭の
左右に
並べたまゝ、
少し
物を
抱へた
心持に
耳の
邊迄上げるのである。
宗助は
敷居際に
跪づいて
形の
如く
拜を
行なつた。すると
座敷の
中で、
「
一拜で
宜しい」と
云ふ
會釋があつた。
宗助はあとを
略して
中へ
入つた。
室の
中はたゞ
薄暗い
灯に
照らされてゐた。
其弱い
光は、
如何に
大字な
書物をも
披見せしめぬ
程度のものであつた。
宗助は
今日迄の
經驗に
訴へて、これ
位微かな
燈火に、
夜を
營なむ
人間を
憶ひ
起す
事が
出來なかつた。
其光は
無論月よりも
強かつた。
且月の
如く
蒼白い
色ではなかつた。けれどももう
少しで
朦朧の
境に
沈むべき
性質のものであつた。
此靜かな
判然しない
燈火の
力で、
宗助は
自分を
去る四五
尺の
正面に、
宜道の
所謂老師なるものを
認めた。
彼の
顏は
例によつて
鑄物の
樣に
動かなかつた。
色は
銅であつた。
彼は
全身に
澁に
似た
柿に
似た
茶に
似た
色の
法衣を
纏つてゐた。
足も
手も
見えなかつた。たゞ
頸から
上が
見えた。
其頸から
上が、
嚴肅と
緊張の
極度に
安んじて、
何時迄經つても
變る
恐を
有せざる
如くに
人を
魅した。さうして
頭には一
本の
毛もなかつた。
此面前に
氣力なく
坐つた
宗助の、
口にした
言葉はたゞ一
句で
盡きた。
「もつと、ぎろりとした
所を
持つて
來なければ
駄目だ」と
忽ち
云はれた。「
其位な
事は
少し
學問をしたものなら
誰でも
云へる」
宗助は
喪家の
犬の
如く
室中を
退いた。
後に
鈴を
振る
音が
烈しく
響いた。
障子の
外で
野中さん、
野中さんと
呼ぶ
聲が
二度程聞えた。
宗助は
半睡の
裡にはいと
應へた
積であつたが、
返事を
仕切らない
先に、
早く
知覺を
失つて、
又正體なく
寐入つてしまつた。
二
度目に
眼が
覺めた
時、
彼は
驚ろいて
飛び
起きた。
縁側へ
出ると、
宜道が
鼠木綿の
着物に
襷を
掛けて、
甲斐々々しく
其所いらを
拭いてゐた。
赤く
凍んだ
手で、
濡雜巾を
絞りながら、
例の
如く
柔和しいにこやかな
顏をして、
「
御早う」と
挨拶した。
彼は
今朝も
亦とくに
參禪を
濟ました
後、
斯うして
庵に
歸つて
働いてゐたのである。
宗助はわざ/\
呼び
起されても
起き
得なかつた
自分の
怠慢を
省みて、
全く
極の
惡い
思をした。
「
今朝もつい
寐忘れて
失禮しました」
彼はこそ/\
勝手口から
井戸端の
方へ
出た。さうして
冷たい
水を
汲んで
出來る
丈早く
顏を
洗つた。
延び
掛かつた
髯が、
頬の
邊で
手を
刺す
樣にざら/\したが、
今の
宗助にはそれを
苦にする
程の
餘裕はなかつた。
彼はしきりに
宜道と
自分とを
對照して
考へた。
紹介状を
貰ふときに
東京で
聞いた
所によると、
此宜道といふ
坊さんは、
大變性質の
可い
男で、
今では
修業も
大分出來上がつてゐると
云ふ
話だつたが、
會つて
見ると、
丸で
一丁字もない
小廝の
樣に
丁寧であつた。かうして
襷掛で
働いてゐる
所を
見ると、
何うしても一
個の
獨立した
庵の
主人らしくはなかつた。
納所とも
小坊主とも
云へた。
此矮小な
若僧は、まだ
出家をしない
前、たゞの
俗人として
此所へ
修業に
來た
時、
七日の
間結跏したぎり
少しも
動かなかつたのである。
仕舞には
足が
痛んで
腰が
立たなくなつて、
厠へ
上る
折などは、やつとの
事壁傳ひに
身體を
運んだのである。
其時分の
彼は
彫刻家であつた。
見性した
日に、
嬉しさの
餘り、
裏の
山へ
馳け
上つて、
草木國土悉皆成佛と
大きな
聲を
出して
叫んだ。さうして
遂に
頭を
剃つてしまつた。
此庵を
預かる
樣になつてから、もう二
年になるが、まだ
本式に
床を
延べて、
樂に
足を
延ばして
寐た
事はないと
云つた。
冬でも
着物の
儘壁に
倚れて
坐睡する
丈だと
云つた。
侍者をしてゐた
頃などは、
老師の
犢鼻褌迄洗はせられたと
云つた。
其上少しの
暇を
偸んで
坐りでもすると、
後から
來て
意地の
惡い
邪魔をされる、
毒吐かれる、
頭の
剃り
立てには
何の
因果で
坊主になつたかと
悔む
事が
多かつたと
云つた。
「
漸く
此頃になつて
少し
樂になりました。しかし
未だ
先が
御座います。
修業は
實際苦しいものです。さう
容易に
出來るものなら、いくら
私共が
馬鹿だつて、
斯うして十
年も二十
年も
苦しむ
譯が
御座いません」
宗助はたゞ
惘然とした。
自己の
根氣と
精力の
足らない
事を
齒掻く
思ふ
上に、
夫程歳月を
掛けなければ
成就出來ないものなら、
自分は
何しに
此山の
中迄遣つて
來たか、それからが
第一の
矛盾であつた。
「
決して
損になる
氣遣は
御座いません。十
分坐れば、十
分の
功があり、二十
分坐れば二十
分の
徳があるのは
無論です。
其上最初を
一つ
奇麗に
打ち
拔いて
置けば、あとは
斯う
云ふ
風に
始終此所に
御出にならないでも
濟みますから」
宗助は
義理にも
亦自分の
室へ
歸つて
坐らなければならなかつた。
斯んな
時に
宜道が
來て、
「
野中さん
提唱です」と
誘つて
呉れると、
宗助は
心から
嬉しい
氣がした。
彼は
禿頭を
捕まへる
樣な
手の
着け
所のない
難題に
惱まされて、
坐ながら
凝と
煩悶するのを、
如何にも
切なく
思つた。どんなに
精力を
消耗する
仕事でも
可いから、もう
少し
積極的に
身體を
働らかしたく
思つた。
提唱のある
場所は、
矢張り
一窓庵から一
町も
隔つてゐた。
蓮池の
前を
通り
越して、それを
左へ
曲らずに
眞直に
突き
當ると、
屋根瓦を
嚴めしく
重ねた
高い
軒が、
松の
間に
仰がれた。
宜道は
懷に
黒い
表紙の
本を
入れてゐた。
宗助は
無論手ぶらであつた。
提唱と
云ふのが、
學校でいふ
講義の
意味である
事さへ、
此所へ
來て
始めて
知つた。
室は
高い
天井に
比例して
廣く
且つ
寒かつた。
色の
變つた
疊の
色が
古い
柱と
映り
合つて、
昔を
物語る
樣に
寂び
果てゝゐた。
其所に
坐つてゐる
人々も
皆地味に
見えた。
席次不同に
思ひ
々々の
座を
占めてはゐるが、
高聲に
語るもの、
笑ふものは
一人もなかつた。
僧は
皆紺麻の
法衣を
着て、
正面の
曲
の
左右に
列を
作つて
向ひ
合せに
並んだ。
其曲
は
朱で
塗つてあつた。
やがて
老師が
現はれた。
疊を
見詰めてゐた
宗助には、
彼が
何處を
通つて、
何處から
此所へ
出たか
薩張分らなかつた。たゞ
彼の
落ち
付き
拂つて
曲
に
倚る
重々しい
姿を
見た。
一人の
若い
僧が
立ちながら、
紫の
袱紗を
解いて、
中から
取り
出した
書物を、
恭しく
卓上に
置く
所を
見た。
又其禮拜して
退ぞく
態を
見た。
此時堂上の
僧は
一齊に
合掌して、
夢窓國師の
遺誡を
誦し
始めた。
思ひ/\に
席を
取つた
宗助の
前後にゐる
居士も
皆同音に
調子を
合せた。
聞いてゐると、
經文の
樣な、
普通の
言葉の
樣な、
一種の
節を
帶びた
文字であつた。「
我に
三等の
弟子あり。
所謂猛烈にして
諸縁を
放下し、
專一に
己事を
究明する
之を
上等と
名づく。
修業純ならず
駁雜學を
好む、
之を
中等と
云ふ」
云々といふ、
餘り
長くはないものであつた。
宗助は
始め
夢窓國師の
何人なるかを
知らなかつた。
宜道から
此夢窓國師と
大燈國師とは、
禪門中興の
祖であると
云ふ
事を
教はつたのである。
平生跛で
充分に
足を
組む
事が
出來ないのを
憤つて、
死ぬ
間際に、
今日こそ
己の
意の
如くにして
見せると
云ひながら、
惡い
方の
足を
無理に
折つぺしよつて、
結跏したため、
血が
流れて
法衣を
染ましたといふ
大燈國師の
話も
其折宜道から
聞いた。
やがて
提唱が
始まつた。
宜道は
懷から
例の
書物を
出して
頁を
半ば
擦らして
宗助の
前へ
置いた。それは
宗門無盡燈論と
云ふ
書物であつた。
始めて
聞きに
出た
時、
宜道は、
「
難有い
結構な
本です」と
宗助に
教へて
呉れた。
白隱和尚の
弟子の
東嶺和尚とかいふ
人の
編輯したもので、
重に
禪を
修行するものが、
淺い
所から
深い
所へ
進んで
行く
徑路やら、それに
伴なふ
心境の
變化やらを
秩序立てゝ
書いたものらしかつた。
中途から
顏を
出した
宗助には、
能くも
解せなかつたけれども、
講者は
能辯の
方で、
默つて
聞いてゐるうちに、
大變面白い
所があつた。
其上參禪の
士を
鼓舞する
爲か、
古來から
斯道に
苦しんだ
人の
閲歴譚抔を
取り
交ぜて
一段の
精彩を
着けるのが
例であつた。
此日も
其通りであつたが
或所へ
來ると、
突然語調を
改めて、
「
此頃室中に
來つて、
何うも
妄想が
起つて
不可ない
抔と
訴へるものがあるが」と
急に
入室者の
不熱心を
戒しめ
出したので、
宗助は
覺えずぎくりとした。
室中に
入つて、
其訴をなしたものは
實に
彼自身であつた。
一
時間の
後宜道と
宗助は
袖をつらねて
又一窓庵に
歸つた。
其歸り
路に
宜道は、
「あゝして
提唱のある
時に、よく
參禪者の
不心得を
諷せられます」と
云つた。
宗助は
何も
答へなかつた。
其内、
山の
中の
日は、
一日々々と
經つた。
御米からは
可なり
長い
手紙がもう二
本來た。
尤も二
本とも
新たに
宗助の
心を
亂す
樣な
心配事は
書いてなかつた。
宗助は
常の
細君思ひに
似ず
遂に
返事を
出すのを
怠つた。
彼は
山を
出る
前に、
何とか
此間の
問題に
片を
付けなければ、
折角來た
甲斐がない
樣な、
又宜道に
對して
濟まない
樣な
氣がしてゐた。
眼が
覺めてゐる
時は、
之がために
名状し
難い
一種の
壓迫を
受けつゞけに
受けた。
從つて
日が
暮れて
夜が
明けて、
寺で
見る
太陽の
數が
重なるにつけて、
恰も
後から
追ひ
掛けられでもする
如く
氣を
焦つた。けれども
彼は
最初の
解決より
外に、一
歩も
此問題にちかづく
術を
知らなかつた。
彼は
又いくら
考へても
此最初の
解決は
確なものであると
信じてゐた。たゞ
理窟から
割り
出したのだから、
腹の
足には
一向ならなかつた。
彼は
此確なものを
放り
出して、
更に
又確なものを
求めやうとした。けれども
左樣ものは
少しも
出て
來なかつた。
彼は
自分の
室で
獨り
考へた。
疲れると、
臺所から
下りて、
裏の
菜園へ
出た。さうして
崖の
下に
掘つた
横穴の
中へ
這入つて、
凝つと
動かずにゐた。
宜道は
氣が
散る
樣では
駄目だと
云つた。
段々集注して
凝り
固まつて、
仕舞に
鐵の
棒の
樣にならなくては
駄目だと
云つた。さう
云ふ
事を
聞けば
聞く
程、
實際にさうなるのが、
困難になつた。
「
既に
頭の
中に、さう
仕樣と
云ふ
下心があるから
不可ないのです」と
宜道が
又云つて
聞かした。
宗助は
愈窮した。
忽然安井の
事を
考へ
出した。
安井がもし
坂井の
家へ
頻繁に
出入でもする
樣になつて、
當分滿洲へ
歸らないとすれば、
今のうちあの
借家を
引き
上げて、
何處かへ
轉宅するのが
上分別だらう。こんな
所に
愚圖々々してゐるより、
早く
東京へ
歸つて
其方の
所置を
付けた
方がまだ
實際的かも
知れない。
緩くり
構へて、
御米にでも
知れると
又心配が
殖える
丈だと
思つた。
「
私の
樣なものには
到底悟は
開かれさうに
有りません」と
思ひ
詰めた
樣に
宜道を
捕まへて
云つた。それは
歸る
二三日前の
事であつた。
「いえ
信念さへあれば
誰でも
悟れます」と
宜道は
躊躇もなく
答へた。「
法華の
凝り
固まりが
夢中に
太鼓を
叩く
樣に
遣つて
御覽なさい。
頭の
巓邊から
足の
爪先迄が
悉く
公案で
充實したとき、
俄然として
新天地が
現前するので
御座います」
宗助は
自分の
境遇やら
性質が、
夫程盲目的に
猛烈な
働を
敢てするに
適しない
事を
深く
悲しんだ。
况んや
自分の
此山で
暮らすべき
日は
既に
限られてゐた。
彼は
直截に
生活の
葛藤を
切り
拂ふ
積りで、
却つて
迂濶に
山の
中へ
迷ひ
込んだ
愚物であつた。
彼は
腹の
中で
斯う
考へながら、
宜道の
面前で、それ
丈の
事を
言い
切る
力がなかつた。
彼は
心から
此若い
禪僧の
勇氣と
熱心と
眞面目と
親切とに
敬意を
表してゐたのである。
「
道は
近きにあり、
却つて
之を
遠きに
求むといふ
言葉があるが
實際です。つい
鼻の
先にあるのですけれども、
何うしても
氣が
付きません」と
宜道はさも
殘念さうであつた。
宗助は
又自分の
室に
退いて
線香を
立てた。
斯う
云ふ
状態は、
不幸にして
宗助の
山を
去らなければならない
日迄、
目に
立つ
程の
新生面を
開く
機會なく
續いた。
愈出立の
朝になつて
宗助は
潔よく
未練を
抛げ
棄てた。
「
永々御世話になりました。
殘念ですが、
何うも
仕方がありません。もう
當分御眼に
掛かる
折も
御座いますまいから、
隨分御機嫌よう」と
宜道に
挨拶をした。
宜道は
氣の
毒さうであつた。
「
御世話どころか、
萬事不行屆で
嘸御窮屈で
御座いましたらう。
然し
是程御坐りになつても
大分違ひます。わざ/\
御出になつた
丈の
事は
充分御座います」と
云つた。
然し
宗助には
丸で
時間を
潰しに
來た
樣な
自覺が
明らかにあつた。それを
斯う
取り
繕ろつて
云つて
貰ふのも、
自分の
腑甲斐なさからであると、
獨り
耻ぢ
入つた。
「
悟の
遲速は
全く
人の
性質で、それ
丈では
優劣にはなりません。
入り
易くても
後で
塞へて
動かない
人もありますし、
又初め
長く
掛かつても、
愈と
云ふ
場合に
非常に
痛快に
出來るのもあります。
決して
失望なさる
事は
御座いません。たゞ
熱心が
大切です。
亡くなられた
洪川和尚などは、もと
儒教をやられて、
中年からの
修業で
御座いましたが、
僧になつてから三
年の
間と
云ふもの
丸で
一則も
通らなかつたです。
夫で
私は
業が
深くて
悟れないのだと
云つて、
毎朝厠に
向つて
禮拜された
位でありましたが、
後にはあのやうな
知識になられました。これ
抔は
尤も
好い
例です」
宜道は
斯んな
話をして、
暗に
宗助が
東京へ
歸つてからも、
全く
此方を
斷念しない
樣にあらかじめ
間接の
注意を
與へる
樣に
見えた。
宗助は
謹んで、
宜道のいふ
事に
耳を
借した。けれども
腹の
中では
大事がもう
既に
半分去つた
如くに
感じた。
自分は
門を
開けて
貰ひに
來た。けれども
門番は
扉の
向側にゐて、
敲いても
遂に
顏さへ
出して
呉れなかつた。たゞ、
「
敲いても
駄目だ。
獨りで
開けて
入れ」と
云ふ
聲が
聞えた
丈であつた。
彼は
何うしたら
此門の
閂を
開ける
事が
出來るかを
考へた。さうして
其手段と
方法を
明らかに
頭の
中で
拵えた。けれども
夫を
實地に
開ける
力は、
少しも
養成する
事が
出來なかつた。
從つて
自分の
立つてゐる
場所は、
此問題を
考へない
昔と
毫も
異なる
所がなかつた。
彼は
依然として
無能無力に
鎖ざされた
扉の
前に
取り
殘された。
彼は
平生自分の
分別を
便に
生きて
來た。
其分別が
今は
彼に
祟つたのを
口惜く
思つた。さうして
始から
取捨も
商量も
容れない
愚なものゝ
一徹一圖を
羨んだ。もしくは
信念に
篤い
善男善女の、
知慧も
忘れ
思議も
浮ばぬ
精進の
程度を
崇高と
仰いだ。
彼自身は
長く
門外に
佇立むべき
運命をもつて
生れて
來たものらしかつた。
夫は
是非もなかつた。けれども、
何うせ
通れない
門なら、わざ/\
其所迄辿り
付くのが
矛盾であつた。
彼は
後を
顧みた。さうして
到底又元の
路へ
引き
返す
勇氣を
有たなかつた。
彼は
前を
眺めた。
前には
堅固な
扉が
何時迄も
展望を
遮ぎつてゐた。
彼は
門を
通る
人ではなかつた。
又門を
通らないで
濟む
人でもなかつた。
要するに、
彼は
門の
下に
立ち
竦んで、
日の
暮れるのを
待つべき
不幸な
人であつた。
宗助は
立つ
前に、
宜道と
連れだつて、
老師の
許へ
一寸暇乞に
行つた。
老師は
二人を
蓮池の
上の、
縁に
勾欄の
着いた
座敷に
通した。
宜道は
自ら
次の
間に
立つて、
茶を
入れて
出た。
「
東京はまだ
寒いでせう」と
老師が
云つた。「
少しでも
手掛りが
出來てからだと、
歸つたあとも
樂だけれども。
惜い
事で」
宗助は
老師の
此挨拶に
對して、
丁寧に
禮を
述べて、
又十日前に
潛つた
山門を
出た。
甍を
壓する
杉の
色が、
冬を
封じて
黒く
彼の
後に
聳えた。
家の
敷居を
跨いだ
宗助は、
己れにさへ
憫然な
姿を
描いた。
彼は
過去十日間毎朝頭を
冷水で
濡らしたなり、
未だ
曾て
櫛の
齒を
通した
事がなかつた。
髭は
固より
剃る
暇を
有たなかつた。
三度とも
宜道の
好意で
白米の
炊いだのを
食べたには
食べたが、
副食物と
云つては、
菜の

たのか、
大根の

たの
位なものであつた。
彼の
顏は
自から
蒼かつた。
出る
前よりも
多少面窶れてゐた。
其上彼は
一窓庵で
考へつゞけに
考へた
習慣がまだ
全く
拔け
切らなかつた。
何所かに
卵を
抱く
牝鷄の
樣な
心持が
殘つて、
頭が
平生の
通り
自由に
働らかなかつた。
其癖一方では
坂井の
事が
氣に
掛かつた。
坂井と
云ふよりも、
坂井の
所謂冒險者として
宗助の
耳に
響いた
其弟と、
其弟の
友達として
彼の
胸を
騷がした
安井の
消息が
氣にかゝつた。けれども
彼は
自身に
家主の
宅へ
出向いてそれを
聞き
糺す
勇氣を
有たなかつた。
間接にそれを
御米に
問ふことは
猶出來なかつた。
彼は
山にゐる
間さへ、
御米が
此事件に
就いて
何事も
耳にして
呉れなければ
可いがと
氣遣はない
日はなかつた
位である。
宗助は
年來住み
慣れた
家の
座敷に
坐つて、
「
汽車に
乘ると
短かい
道中でも
氣の
所爲か
疲れるね。
留守中に
別段變つた
事はなかつたかい」と
聞いた。
實際彼は
短かい
汽車旅行にさへ
堪へかねる
顏付をしてゐた。
御米は
如何な
場合にも
夫の
前に
忘れなかつた
笑顏さへ
作り
得なかつた。と
云つて、
折角保養に
行つた
轉地先から
今歸つて
來たばかりの
夫に、
行かない
前より
却つて
健康が
惡くなつたらしいとは、
氣の
毒で
露骨に
話し
惡かつた。わざと
活溌に、
「いくら
保養でも、
家へ
歸ると、
少しは
氣疲が
出るものよ。けれども
貴方は
餘まり
爺々汚いわ。
後生だから
一休したら
御湯に
行つて
頭を
刈つて
髭を
剃つて
來て
頂戴」と
云ひながら、わざ/\
机の
引出から
小さな
鏡を
出して
見せた。
宗助は
御米の
言葉を
聞いて、
始めて
一窓庵の
空氣を
風で
拂つた
樣な
心持がした。
一たび
山を
出て
家へ
歸れば
矢張り
元の
宗助であつた。
「
坂井さんからは
其後何とも
云つて
來ないかい」
「いゝえ
何とも」
「
小六の
事も」
「いゝえ」
其小六は
圖書館へ
行つて
留守だつた。
宗助は
手拭と
石鹸を
持つて
外へ
出た。
明る
日役所へ
出ると、みんなから
病氣はどうだと
聞かれた。
中には
少し
瘠せた
樣ですねと
云ふものもあつた。
宗助には
夫が
無意識の
冷評の
意味に
聞えた。
菜根譚を
讀む
男はたゞ
何うです
旨く
行きましたかと
尋ねた。
宗助は
此問にも
大分痛い
思をした。
其晩は
又御米と
小六から
代る/″\
鎌倉の
事を
根掘り
葉掘り
問はれた。
「
氣樂でせうね。
留守居も
何も
置かないで
出られたら」と
御米が
云つた。
「それで
一日幾何出すと
置いて
呉れるんです」と
小六が
聞いた。「
鐵砲でも
擔いで
行つて、
獵でもしたら
面白からう」とも
云つた。
「
然し
退屈ね。そんなに
淋しくつちや。
朝から
晩迄寐て
入らつしやる
譯にも
行かないでせう」と
御米が
又云つた。
「もう
少し
滋養物が
食へる
所でなくつちあ、
矢つ
張り
身體に
可くないでせう」と
小六が
又云つた。
宗助は
其夜床の
中へ
入つて、
明日こそ
思ひ
切つて、
坂井へ
行つて
安井の
消息をそれとなく
聞き
糺して、もし
彼がまだ
東京にゐて、
猶しば/\
坂井と
徃復がある
樣なら、
遠くの
方へ
引越して
仕舞はうと
考へた。
次の
日は
平凡に
宗助の
頭を
照らして、
事なき
光を
西に
落した。
夜に
入つて
彼は、
「
一寸坂井さん
迄行つて
來る」と
云ひ
捨てゝ
門を
出た。
月のない
坂を
上つて、
瓦斯燈に
照らされた
砂利を
鳴らしながら
潛戸を
開けた
時、
彼は
今夜此所で
安井に
落ち
合ふ
樣な
萬一はまづ
起らないだらうと
度胸を
据ゑた。それでもわざと
勝手口へ
回つて、
御客來ですかと
聞くことは
忘れなかつた。
「
能く
御出です。
何うも
相變らず
寒いぢやありませんか」と
云ふ
常の
通り
元氣の
好い
主人を
見ると、
子供を
大勢自分の
前へ
並べて、
其中の
一人と
掛聲をかけながら、じやん
拳を
遣つてゐた。
相手の
女の
子の
年は、
六つ
許に
見えた。
赤い
幅のあるリボンを
蝶々の
樣に
頭の
上に
喰付けて、
主人に
負けない
程の
勢で、
小さな
手を
握り
固めてさつと
前へ
出した。
其斷然たる
樣子と、
其握り
拳の
小さゝと、
之に
反して
主人の
仰山らしく
大きな
拳骨が、
對照になつて
皆の
笑を
惹いた。
火鉢の
傍に
見てゐた
細君は、
「そら
今度こさ
雪子の
勝だ」と
云つて
愉快さうに
綺麗な
齒を
露はした。
子供の
膝の
傍には
白だの
赤だの
藍だのゝ
硝子玉が
澤山あつた。
主人は、
「とう/\
雪子に
負けた」と
席を
外して、
宗助の
方を
向いたが、「
何うです
又洞窟へでも
引き
込みますかな」と
云つて
立ち
上がつた。
書齋の
柱には
例の
如く
錦の
袋に
入れた
蒙古刀が
振ら
下がつてゐた。
花活には
何處で
咲いたか、もう
黄色い
菜の
花が
插してあつた。
宗助は
床柱の
中途を
華やかに
彩どる
袋に
眼を
着けて、
「
相變らず
掛かつて
居りますな」と
云つた。さうして
主人の
氣色を
頭の
奧から
窺つた。
主人は、
「えゝ
些と
物數奇過ぎますね、
蒙古刀は」と
答へた。「
所が
弟の
野郎そんな
玩具を
持つて
來ては、
兄貴を
籠絡する
積だから
困りものぢやありませんか」
「
御舍弟は
其後何うなさいました」と
宗助は
何氣ない
風を
示した。
「えゝ
漸く四五
日前歸りました。ありや
全く
蒙古向ですね。
御前の
樣な
夷狄は
東京にや
調和しないから
早く
歸れつたら、
私もさう
思ふつて
歸つて
行きました。
何うしても、ありや
萬里の
長城の
向側にゐるべき
人物ですよ。さうしてゴビの
沙漠の
中で
金剛石でも
搜してゐれば
可いんです」
「もう
一人の
御伴侶は」
「
安井ですか、あれも
無論一所です。あゝなると
落ち
付いちや
居られないと
見えますね。
何でも
元は
京都大學にゐたこともあるんだとか
云ふ
話ですが。
何うして、あゝ
變化したものですかね」
宗助は
腋の
下から
汗が
出た。
安井が
何う
變つて、どう
落ち
付かないのか、
全く
聞く
氣にはならなかつた。たゞ
自分が
主人に
安井と
同じ
大學にゐた
事を、まだ
洩らさなかつたのを
天祐の
樣に
有難く
思つた。けれども
主人は
其弟と
安井とを
晩餐に
呼ぶとき、
自分を
此二人に
紹介しやうと
申し
出た
男である。
辭退をして
其席へ
顏を
出す
不面目丈は
漸と
免かれた
樣なものゝ、
其晩主人が
何かの
機會につい
自分の
名を
二人に
洩らさないとは
限らなかつた。
宗助は
後暗い
人の、
變名を
用ひて
世を
渡る
便利を
切に
感じた。
彼は
主人に
向つて、「
貴方はもしや
私の
名を
安井の
前で
口にしやしませんか」と
聞いて
見たくて
堪らなかつた。けれども、
夫丈は
何うしても
聞けなかつた。
下女が
平たい
大きな
菓子皿に
妙な
菓子を
盛つて
出た。
一丁の
豆腐位な
大きさの
金玉糖の
中に、
金魚が二
疋透いて
見えるのを、
其儘庖丁の
刄を
入れて、
元の
形を
崩さずに、
皿に
移したものであつた。
宗助は
一目見て、たゞ
珍らしいと
感じた。けれども
彼の
頭は
寧ろ
他の
方面に
氣を
奪はれてゐた。すると
主人が、
「
何うです
一つ」と
例の
通り
先づ
自分から
手を
出した。
「
是はね、
昨日ある
人の
銀婚式に
呼ばれて、
貰つて
來たのだから、
頗ぶる
御目出度のです。
貴方も
一切位肖つても
可いでせう」
主人は
肖りたい
名の
下に、
甘垂るい
金玉糖を
幾切か
頬張つた。これは
酒も
呑み、
茶も
呑み、
飯も
菓子も
食へる
樣に
出來た、
重寶で
健康な
男であつた。
「
何實を
云ふと、二十
年も三十
年も
夫婦が
皺だらけになつて
生きてゐたつて、
別に
御目出度もありませんが、
其所が
物は
比較的な
所でね。
私は
何時か
清水谷の
公園の
前を
通つて
驚ろいた
事がある」と
變な
方面へ
話を
持つて
行つた。
斯ういふ
風に、
夫から
夫へと
客を
飽かせない
樣に
引張つて
行くのが、
社交になれた
主人の
平生の
調子であつた。
彼の
云ふ
所によると、
清水谷から
辨慶橋へ
通じる
泥溝の
樣な
細い
流の
中に、
春先になると
無數の
蛙が
生れるのださうである。
其蛙が
押し
合ひ
鳴き
合つて
生長するうちに、
幾百
組か
幾千
組の
戀が
泥渠の
中で
成立する。さうして
夫等の
愛に
生きるものが
重ならない
許に
隙間なく
清水谷から
辨慶橋へ
續いて、
互に
睦まじく
浮てゐると、
通り
掛りの
小僧だの
閑人が、
石を
打ち
付けて、
無殘にも
蛙の
夫婦を
殺して
行くものだから、
其數が
殆んど
勘定し
切れない
程多くなるのださうである。
「
死屍累々とはあの
事ですね。それが
皆夫婦なんだから
實際氣の
毒ですよ。
詰りあすこを二三
丁通るうちに、
我々は
悲劇にいくつ
出逢ふか
分らないんです。
夫を
考へると
御互は
實に
幸福でさあ。
夫婦になつてるのが
惡らしいつて、
石で
頭を
破られる
恐れは、まあ
無いですからね。しかも
双方ともに二十
年も三十
年も
安全なら、
全く
御目出たいに
違ありませんよ。だから
一切位肖つて
置く
必要もあるでせう」と
云つて、
主人はわざと
箸で
金玉糖を
挾んで、
宗助の
前に
出した。
宗助は
苦笑しながら、それを
受けた。
こんな
冗談交りの
話を、
主人はいくらでも
續けるので、
宗助は
已むを
得ず
或る
邊までは
釣られて
行つた。けれども
腹の
中は
決して
主人の
樣に
太平樂には
行かなかつた。
辭して
表へ
出て、
又月のない
空を
眺めた
時は、
其深く
黒い
色の
下に、
何とも
知れない
一種の
悲哀と
物凄さを
感じた。
彼は
坂井の
家に、たゞ
苟くも
免かれんとする
料簡で
行つた。さうして、
其目的を
達するために、
耻と
不愉快を
忍んで、
好意と
眞率の
氣に
充ちた
主人に
對して、
政略的に
談話を
驅つた。しかも
知らうと
思ふ
事は
悉く
知る
事が
出來なかつた。
己れの
弱點に
付いては、
一言も
彼の
前に
自白するの
勇氣も
必要も
認めなかつた。
彼の
頭を
掠めんとした
雨雲は、
辛うじて、
頭に
觸れずに
過ぎたらしかつた。けれども、
是に
似た
不安は
是から
先何度でも、
色々な
程度に
於て、
繰り
返さなければ
濟まない
樣な
虫の
知らせが
何處かにあつた。それを
繰り
返させるのは
天の
事であつた。それを
逃げて
回るのは
宗助の
事であつた。
月が
變つてから
寒さが
大分緩んだ。
官吏の
増俸問題につれて
必然起るべく、
多數の
噂に
上つた
局員課員の
淘汰も、
月末迄に
略片付いた。
其間ぽつり/\と
首を
斬られる
知人や
未知人の
名前を
絶えず
耳にした
宗助は、
時々家へ
歸つて
御米に、
「
今度は
己の
番かも
知れない」と
云ふ
事があつた。
御米はそれを
冗談とも
聞き、
又本氣とも
聞いた。
稀には
隱れた
未來を
故意に
呼び
出す
不吉な
言葉とも
解釋した。それを
口にする
宗助の
胸の
中にも、
御米と
同じ
樣な
雲が
去來した。
月が
改つて、
役所の
動搖も
是で
一段落だと
沙汰せられた
時、
宗助は
生き
殘つた
自分の
運命を
顧りみて、
當然の
樣にも
思つた。
又偶然の
樣にも
思つた。
立ちながら、
御米を
見下して、
「まあ
助かつた」と
六づかし
氣に
云つた。
其嬉しくも
悲しくもない
樣子が、
御米には
天から
落ちた
滑稽に
見えた。
又二三
日して
宗助の
月給が五
圓昇つた。
「
原則通り二
割五
分増さないでも
仕方があるまい。
休められた
人も、
元給の
儘でゐる
人も
澤山あるんだから」と
云つた
宗助は、
此五
圓に
自己以上の
價値をもたらし
歸つた
如く
滿足の
色を
見せた。
御米は
無論の
事心のうちに
不足を
訴へるべき
餘地を
見出さなかつた。
翌日の
晩宗助はわが
膳の
上に
頭つきの
魚の、
尾を
皿の
外に
躍らす
態を
眺めた。
小豆の
色に
染まつた
飯の
香を
嗅いだ。
御米はわざ/\
清を
遣つて、
坂井の
家に
引き
移つた
小六を
招いた。
小六は、
「やあ
御馳走だなあ」と
云つて
勝手から
入つて
來た。
梅がちらほらと
眼に
入る
樣になつた。
早いのは
既に
色を
失なつて
散りかけた。
雨は
烟る
樣に
降り
始めた。それが
霽れて、
日に
蒸されるとき、
地面からも、
屋根からも、
春の
記憶を
新にすべき
濕氣がむら/\と
立ち
上つた。
脊戸に
干した
雨傘に、
小犬がじやれ
掛ゝつて、
蛇の
目の
色がきら/\する
所に
陽炎が
燃える
如く
長閑に
思はれる
日もあつた。
「
漸く
冬が
過ぎた
樣ね。
貴方今度の
土曜に
佐伯の
叔母さんの
處へ
回つて、
小六さんの
事を
極めて
入らつしやいよ。あんまり
何時迄も
放つて
置くと
又安さんが
忘れて
仕舞ふから」と
御米が
催促した。
宗助は、
「うん、
思ひ
切つて
行つて
來よう」と
答へた。
小六は
坂井の
好意で、
其所の
書生に
住み
込んだ。
其上に
宗助と
安之助が、
不足の
所を
分擔する
事が
出來たらと
小六に
云つて
聞かしたのは、
宗助自身であつた。
小六は
兄の
運動を
待たずに、すぐ
安之助に
直談判をした。さうして、
形式的に
宗助の
方から
依頼すればすぐ
安之助が
引き
受ける
迄に
自分で
埒を
明けたのである。
小康は
斯くして
事を
好まない
夫婦の
上に
落ちた。ある
日曜の
午宗助は
久し
振りに、
四日目の
垢を
流すため
横町の
洗湯に
行つたら、五十
許の
頭を
剃つた
男と、三十
代の
商人らしい
男が、
漸く
春らしくなつたと
云つて、
時候の
挨拶を
取り
換はしてゐた。
若い
方が、
今朝始めて
鶯の
鳴聲を
聞いたと
話すと、
坊さんの
方が、
私は二三
日前にも一
度聞いた
事があると
答へてゐた。
「まだ
鳴きはじめだから
下手だね」
「えゝ、まだ
充分に
舌が
回りません」
宗助は
家へ
歸つて
御米に
此鶯の
問答を
繰り
返して
聞かせた。
御米は
障子の
硝子に
映る
麗かな
日影をすかして
見て、
「
本當に
有難いわね。
漸くの
事春になつて」と
云つて、
晴れ/″\しい
眉を
張つた。
宗助は
縁に
出て
長く
延びた
爪を
剪りながら、
「うん、
然し
又ぢき
冬になるよ」と
答へて、
下を
向いたまゝ
鋏を
動かしてゐた。
底本:「漱石全集 第四卷 三四郎 それから 門」岩波書店
1966(昭和41)年3月25日発行
1975(昭和50)年3月10日第2刷発行
初出:「朝日新聞」
1910(明治43)年3月1日〜6月12日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「成効」と「成效」、「漸やく」「漸く」、「僞物」と「贋物」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の注解は省略しました。
入力:阿部哲也
校正:染川隆俊
2018年12月24日作成
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