夏目漱石





 宗助そうすけ先刻さつきから縁側えんがは坐蒲團ざぶとんして日當ひあたりのささうなところ氣樂きらく胡坐あぐらをかいてたが、やがてつてゐる雜誌ざつしはふすとともに、ごろりとよこになつた。秋日和あきびよりのつくほど上天氣じやうてんきなので、徃來わうらいひと下駄げたひゞきが、しづかな町丈まちだけに、ほがらかにきこえてる。肱枕ひぢまくらをしてのきからうへ見上みあげると、奇麗きれいそら一面いちめんあをんでゐる。其空そのそら自分じぶんてゐる縁側えんがは窮屈きゆうくつ寸法すんぱふくらべてると、非常ひじやう廣大くわうだいである。たまの日曜にちえううしてゆつくりそらだけでも大分だいぶちがふなとおもひながら、まゆせて、ぎら/\する少時しばらく見詰みつめてゐたが、まぼしくなつたので、今度こんどはぐるりと寐返ねがへりをして障子しやうじはういた。障子しやうじなかでは細君さいくん裁縫しごとをしてゐる。
「おい、天氣てんきだな」とはなけた。細君さいくんは、
「えゝ」とつたなりであつた。宗助そうすけべつはなしがしたいわけでもなかつたとえて、それなりだまつて仕舞しまつた。しばらくすると今度こんど細君さいくんはうから、
「ちつと散歩さんぽでもらつしやい」とつた。しか其時そのとき宗助そうすけたゞうんと生返事なまへんじかへしただけであつた。
 二三ぷんして、細君さいくん障子しやうじ硝子がらすところかほせて、縁側えんがはてゐるをつと姿すがたのぞいてた。をつとはどう了見れうけん兩膝りやうひざげて海老えびやう窮屈きゆうくつになつてゐる。さうして兩手りやうてはして、其中そのなかくろあたまんでゐるから、ひぢはさまれてかほがちつともえない。
貴方あなたそんなところると風邪かぜいてよ」と細君さいくん注意ちゆういした。細君さいくん言葉ことば東京とうきやうやうな、東京とうきやうでないやうな、現代げんだい女學生ぢよがくせい共通きようつう一種いつしゆ調子てうしつてゐる。
 宗助そうすけ兩肱りやうひぢなかおほきなをぱち/\させながら、
やせん、大丈夫だいぢやうぶだ」と小聲こごゑこたへた。
 それからまたしづかになつた。そととほ護謨車ごむぐるまのベルのおとが二三つたあとから、とほくでにはとり時音ときをつくるこゑきこえた。宗助そうすけ仕立卸したておろしの紡績織ばうせきおり脊中せなかへ、自然じねんんで光線くわうせん暖味あたゝかみを、襯衣しやつしたむさぼるほどあぢはひながら、おもておとくともなくいてゐたが、きふおもしたやうに、障子越しやうじごしの細君さいくんんで、
御米およね近來きんらいきんはどういたつけね」とたづねた。細君さいくんべつあきれた樣子やうすもなく、わかをんな特有とくいうなけたゝましい笑聲わらひごゑてず、
近江おほみおほぢやなくつて」とこたへた。
その近江おほみおほわからないんだ」
 細君さいくんつた障子しやうじ半分はんぶんばかりけて、敷居しきゐそとなが物指ものさしして、其先そのさききん縁側えんがはいてせて、
うでしやう」とつたぎり物指ものさしさきを、とまつたところいたなり、わたつたそらひとしきりながつた。宗助そうすけ細君さいくんかほずに、
左樣さうか」とつたが、冗談じようだんでもなかつたとえて、べつわらひもしなかつた。細君さいくんきんまるにならない樣子やうすで、
本當ほんたう御天氣おてんきだわね」となかひとごとやうひながら、障子しやうじけたまゝまた裁縫しごとはじめた。すると宗助そうすけひぢはさんだあたますこもたげて、
うもふものは不思議ふしぎだよ」とはじめて細君さいくんかほた。
何故なぜ
何故なぜつて、幾何いくら容易やさしでも、こりやへんだとおもつてうたぐりすとわからなくなる。此間このあひだ今日こんにちこん大變たいへんまよつた。かみうへへちやんといてて、ぢつとながめてゐると、なんだかちがつたやうがする。仕舞しまひにはればほどこんらしくなくなつてる。――御前おまいそんなこと經驗けいけんしたことはないかい」
「まさか」
己丈おれだけかな」と宗助そうすけあたまてた。
貴方あなたうかしてらつしやるのよ」
神經衰弱しんけいすゐじやく所爲せゐかもれない」
左樣さうよ」と細君さいくんをつとかほた。をつとやうやあがつた。
 針箱はりばこ糸屑いとくづうへやうまたいでちやふすまけると、すぐ座敷ざしきである。みなみ玄關げんくわんふさがれてゐるので、あたりの障子しやうじが、日向ひなたからきふ這入はいつてひとみには、うそさむうつつた。其所そこけると、ひさしせまやう勾配こうばいがけが、縁鼻えんばなからそびえてゐるので、あさうちあたつてしかるべきはず容易よういかげおとさない。がけにはくさえてゐる。したからして一側ひとかはいしたゝんでないから、何時いつくづれるかわからないおそれがあるのだけれども、不思議ふしぎにまだくづれたことがないさうで、そのため家主やぬしながあひだむかしまゝにしてはふつてある。もつともと一面いちめん竹藪たけやぶだつたとかで、それをひらとき根丈ねだけかへさずに土堤どてなかうめいたから、存外ぞんぐわいしまつてゐますからねと、町内ちやうないに二十ねんんでゐる八百屋やほやおやぢ勝手口かつてぐちでわざ/\説明せつめいしてれたことがある。其時そのとき宗助そうすけはだつてのこつてゐれば、またたけえてやぶになりさうなものぢやないかとかへしてた。するとおやぢは、それがね、あゝひらかれてると、さううまくもんぢやありませんよ。しか崖丈がけだけ大丈夫だいぢやうぶです。どんなことがあつたつてえつこはねえんだからと、あたか自分じぶんのものを辯護べんごでもするやうりきんでかへつてつた。
 がけあきつてもべついろづく樣子やうすもない。たゞあをくさにほひめて、不揃ぶそろにもぢや/\するばかりである。すゝきだのつただのと洒落しやれたものにいたつてはさら見當みあたらない。其代そのかはむかし名殘なごりの孟宗まうそう中途ちゆうとに二ほんうへはうに三本程ぼんほどすつくりとつてゐる。それ多少たせうまつて、みきすときなぞは、みきからくびすと、土手どてうへあき暖味あたゝかみながめられるやう心持こゝろもちがする。宗助そうすけあさ四時過よじすぎかへをとこだから、つま此頃このごろは、滅多めつたがけうへのぞひまたなかつた。くら便所べんじよからて、手水鉢てうづばちみづけながら、不圖ふとひさしそと見上みあげたときはじめてたけことおもした。みきいたゞきこまかなあつまつて、まる坊主頭ばうずあたまやうえる。それがあきつておもしたいて、ひつそりとかさなつたが一まいうごかない。
 宗助そうすけ障子しやうじてゝ座敷ざしきかへつて、つくゑまへすわつた。座敷ざしきとはひながらきやくとほすから左樣さうづけるまでで、じつ書齋しよさいとか居間ゐまとかはう穩當をんたうである。北側きたがはとこがあるので、申譯まをしわけためへんぢくけて、其前そのまへ朱泥しゆでいいろをしたせつ花活はないけかざつてある。欄間らんまにはがくなにもない。たゞ眞鍮しんちゆう折釘丈をれくぎだけが二ほんひかつてゐる。其他そのたには硝子戸がらすどつた書棚しよだなひとつある。けれどもなかにはべつこれつて目立めだほど立派りつぱなものも這入はいつてゐない。
 宗助そうすけ銀金具ぎんかなぐいたつくゑ抽出ひきだしけてしきりなかしらしたが、べつなに見付みつさないうちに、はたりとめて仕舞しまつた。それから硯箱すゞりばこふたつて、手紙てがみはじめた。一ぽんいてふうをして、一寸ちよつとかんがへたが、
「おい、佐伯さへきのうちは中六番町なかろくばんちやう何番地なんばんちだつたかね」と襖越ふすまごし細君さいくんいた。
「二十五番地ばんちぢやなくつて」と細君さいくんこたへたが、宗助そうすけ名宛なあてをはころになつて、
手紙てがみぢや駄目だめよ、つてはなしをしてなくつちや」とくはへた。
「まあ、駄目だめまで手紙てがみを一ぽんしてかう。それ不可いけなかつたら出掛でかけるとするさ」とつたが、細君さいくん返事へんじをしないので、
「ねぇ、おい、それいだらう」とねんした。
 細君さいくんわるいともかねたとえて、其上そのうへあらそひもしなかつた。宗助そうすけ郵便いうびんつたまゝ座敷ざしきから玄關げんくわんた。細君さいくんをつと足音あしおといてはじめて、つたが、これちや縁傳えんづたひに玄關げんくわんた。
一寸ちよつと散歩さんぽつてるよ」
つてらつしやい」と細君さいくん微笑びせうしながらこたへた。
 三十ぷんばかりして格子かうしががらりといたので、御米およねまた裁縫しごとめて、縁傳えんづたひに玄關げんくわんると、かへつたとおも宗助そうすけかはりに、高等學校かうとうがくかう制帽せいばうかぶつた、おとうと小六ころく這入はいつてた。はかますそが五六すんしかないくらゐなが黒羅紗くろラシヤのマントのぼたんはづしながら、
あつい」とつてゐる。
「だつてあんまりだわ。この御天氣おてんきにそんなあついものをるなんて」
なにれたらさむいだらうとおもつて」と小六ころく云譯いひわけ半分はんぶんしながら、あによめあといて、ちやとほつたが、けてある着物きものけて、
相變あひかはらずせいますね」とつたなり、長火鉢ながひばちまへ胡坐あぐらをかいた。あによめ裁縫しごとすみはうつていて、小六ころくむかふて、一寸ちよつと鐵瓶てつびんおろしてすみはじめた。
御茶おちやなら澤山たくさんです」と小六ころくつた。
いや?」と女學生流ぢよがくせいりうねんした御米およねは、
「ぢや御菓子おくわしは」とつてわらひかけた。
るんですか」と小六ころくいた。
「いゝえ、いの」と正直しやうぢきこたへたが、おもしたやうに、「つて頂戴ちやうだいるかもれないわ」とひながらがる拍子ひやうしに、よこにあつた炭取すみとり退けて、袋戸棚ふくろとだなけた。小六ころく御米およね後姿うしろすがたの、羽織はおりおびたかくなつたあたりながめてゐた。なにさがすのだか中々なか/\手間てまれさうなので、
「ぢや御菓子おくわししにしませう。それよりか、今日けふにいさんはうしました」といた。
にいさんはいま一寸ちよいと」と後向うしろむきまゝこたへて、御米およね矢張やは戸棚とだななかさがしてゐる。やがてぱたりとめて、
駄目だめよ。何時いつにかにいさんがみんなべて仕舞しまつた」とひながら、また火鉢ひばちむかふかへつてた。
「ぢやばんなに御馳走ごちそうなさい」
「えゝてよ」と柱時計はしらどけいると、もう四時よじちかくである。御米およねは「四時よじ五時ごじ六時ろくじ」と時間じかん勘定かんぢやうした。小六ころくだまつてあによめかほてゐた。かれ實際じつさいあによめ御馳走ごちそうにはあま興味きようみなかつたのである。
ねえさん、にいさんは佐伯さへきつてれたんですかね」といた。
此間このあひだからくつてつてることつてるのよ。だけど、にいさんもあさ夕方ゆふがたかへるんでせう。かへると草臥くたびれちまつて、御湯おゆくのも大儀たいぎさうなんですもの。だから、さうめるのも實際じつさい御氣おきどくよ」
「そりやにいさんもいそがしいにはちがひなからうけれども、ぼくもあれがまらないと氣掛きがゝりでいて勉強べんきやう出來できないんだから」とひながら、小六ころく眞鍮しんちゆう火箸ひばしつて火鉢ひばちはひなかなにかしきりにした。御米およねそのうご火箸ひばちさきてゐた。
「だから先刻さつき手紙てがみしていたのよ」となぐさめるやうつた。
なんて」
「そりやわたしもついなかつたの。けれども、屹度きつとあの相談さうだんよ。いまにいさんがかへつてたらいて御覽ごらんなさい。屹度きつと左樣さうよ」
「もし手紙てがみしたのなら、そのようにはちがひないでせう」
「えゝ、本當ほんたうしたのよ。いまにいさんがその手紙てがみつて、しにつたところなの」
 小六ころくはこれ以上いじやう辯解べんかいやう慰藉ゐしややうあによめ言葉ことばみゝしたくなかつた。散歩さんぽひまがあるなら、手紙てがみかはりに自分じぶんあしはこんでれたらよささうなものだとおもふとあま心持こゝろもちでもなかつた。座敷ざしきて、書棚しよだななかからあか表紙へうし洋書やうしよして、方々はう/″\ページはぐつててゐた。


 其所そこかなかつた宗助そうすけは、まち角迄かどまでて、切手きつてと「敷島しきしま」をおなみせつて、郵便丈いうびんだけはすぐしたが、そのあしまたおなみちもどるのがなんだか不足ふそくだつたので、くは烟草たばこけむあきゆらつかせながら、ぶら/\あるいてゐるうちに、どこかとほくへつて、東京とうきやうところはこんなところだと印象いんしやうをはつきりあたまなかきざけて、さうしてそれ今日けふ日曜にちえう土産みやげうちかへつてやうとになつた。かれ年來ねんらい東京とうきやう空氣くうきつてきてゐるをとこであるのみならず、毎日まいにち役所やくしよ行通ゆきかよひには電車でんしや利用りようして、にぎやかなまちを二づゝは屹度きつとつたりたりする習慣しふくわんになつてゐるのではあるが、身體からだあたまらくがないので、何時いつでもうはそら素通すどほりをすることになつてゐるから、自分じぶんそのにぎやかなまちなかいきてゐると自覺じかく近來きんらいとんおこつたことがない。もつと平生へいぜいいそがしさにはれて、別段べつだんにもからないが、七日なのかに一ぺん休日きうじつて、こゝろがゆつたりとける機會きくわい出逢であふと、不斷ふだん生活せいくわつきふにそわ/\した上調子うはてうしえてる。必竟ひつきやう自分じぶん東京とうきやうなかみながら、ついまだ東京とうきやうといふものをことがないんだといふ結論けつろん到着たうちやくすると、かれ其所そこ何時いつめう物淋ものさびしさをかんずるのである。
 さうときにはかれきふおもしたやうまちる。其上そのうへふところ多少たせう餘裕よゆうでもあると、これひと豪遊がういうでもして見樣みやうかとかんがへることもある。けれどもかれさびしみは、かれおもつた極端きよくたんほどに、強烈きやうれつ程度ていどなものでないから、かれ其所そこまで猛進まうしんするまへに、それも馬鹿々々ばか/\しくなつてめて仕舞しまふ。のみならず、んなひと常態じやうたいとして、紙入かみいれそこ大抵たいてい場合ばあひには、輕擧けいきよいましめる程度内ていどないふくらんでゐるので、億劫おくくふ工夫くふうこらすよりも、懷手ふところでをして、ぶらりとうちかへはうが、ついらくになる。だから宗助そうすけさびしみはたんなる散歩さんぽ觀工場くわんこうば縱覽じゆうらんぐらゐところで、つぎ日曜にちえうまでうかうか慰藉ゐしやされるのである。
 此日このひ宗助そうすけかくもとおもつて電車でんしやつた。ところ日曜にちえう好天氣かうてんきにもかゝはらず、平常へいじやうよりは乘客じようきやくすくないのでれいになく乘心地のりごゝちかつた。其上そのうへ乘客じようきやくがみんな平和へいわかほをして、どれもこれもゆつたりと落付おちついてゐるやうえた。宗助そうすけこしけながら、毎朝まいあさ例刻れいこくさきあらそつてせきうばひながら、まるうち方面はうめんむか自分じぶん運命うんめいかへりみた。出勤刻限しゆつきんこくげん電車でんしや道伴みちづれほど殺風景さつぷうけいなものはない。かはにぶらがるにしても、天鵞絨びろうどこしけるにしても、人間的にんげんてきやさしい心持こゝろもちおこつたためしいまかつてない。自分じぶんそれ澤山たくさんだとかんがへて、器械きかいなんぞとひざあはかたならべたかのごとくに、きたいところまで同席どうせきして不意ふいりて仕舞しまだけであつた。まへ御婆おばあさんがやつぐらゐになる孫娘まごむすめみゝところくちけてなにつてゐるのを、そばてゐた三十恰好がつかう商家しやうか御神おかみさんらしいのが、可愛かあいらしがつて、としいたりたづねたりするところながめてゐると、今更いまさらながらべつ世界せかいやう心持こゝろもちがした。
 あたまうへには廣告くわうこく一面いちめんわくめてけてあつた。宗助そうすけ平生へいぜいこれにさへかなかつた。何心なにごゝろなしに一番目ばんめのをんでると、引越ひつこし容易ようい出來できますと移轉會社いてんぐわいしや引札ひきふだであつた。其次そのつぎには經濟けいざい心得こゝろえひとは、衞生ゑいせい注意ちゆういするひとは、用心ようじんこのむものは、と三ぎやうならべていて其後そのあと瓦斯竈ガスがま使つかへといて、瓦斯竈ガスがまからてゐるまでへてあつた。三番目ばんめには露國文豪ろこくぶんがうトルストイはく傑作けつさく千古せんこゆき」とふのと、バンカラ喜劇きげき小辰こたつ大一座おほいちざふのが、赤地あかぢしろいてあつた。
 宗助そうすけやくぷんかつてすべての廣告くわうこく丁寧ていねいに三返程べんほどなほした。べつつてやうとおもふものも、つてたいとおもふものもかつたが、たゞ是等これら廣告くわうこく判然はつきり自分じぶんあたまうつつて、さうしてそれ一々いち/\おほせた時間じかんのあつたことと、それをこと/″\理解りかいたとこゝろ餘裕よゆうが、宗助そうすけにはすくなからぬ滿足まんぞくあたへた。かれ生活せいくわつ是程これほど餘裕よゆうにすらほこりをかんずるほどに、日曜にちえう以外いぐわい出入ではいりには、いてゐられないものであつた。
 宗助そうすけ駿河臺下するがだいした電車でんしやりた。りるとすぐ右側みぎがは窓硝子まどがらすなかうつくしくならべてある洋書やうしよいた。宗助そうすけはしばらく其前そのまへつて、あかあをしま模樣もやううへに、あざやかにたゝんである金文字きんもじながめた。表題へうだい意味いみ無論むろんわかるが、つて、なかしらべてやうといふ好奇心かうきしんはちつともおこらなかつた。本屋ほんやまへとほると、屹度きつとなか這入はいつてたくなつたり、なか這入はいるとかならなにしくなつたりするのは、宗助そうすけからふと、すで一昔ひとむかまへ生活せいくわつである。たゞ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング博奕史ばくえきし)とふのが、殊更ことさら美裝びさうして、一番いちばん眞中まんなかかざられてあつたので、それが幾分いくぶんかれあたま突飛とつぴあたらくはへただけであつた。
 宗助そうすけ微笑びせうしながら、急忙せはしいとほりを向側むかふがはわたつて、今度こんど時計屋とけいやみせのぞんだ。金時計きんどけいだの金鎖きんぐさりいくつもならべてあるが、これもたゞうつくしいいろ恰好かつかうとして、かれひとみうつだけで、ひたい了簡れうけん誘致いうちするにはいたらなかつた。其癖そのくせかれ一々いち/\絹糸きぬいとるした價格札ねだんふだんで、品物しなもの見較みくらべてた。さうして實際じつさい金時計きんどけい安價あんかなのにおどろいた。
 蝙蝠傘屋かうもりがさやまへにも一寸ちよつとまつた。西洋せいやう小間物こまもの店先みせさきでは、禮帽シルクハツトわきけてあつた襟飾えりかざりにいた。自分じぶん毎日まいにちけてゐるのよりも大變たいへんがらかつたので、いて見樣みやうかとおもつて、半分はんぶんみせなか這入はいりかけたが、明日あしたから襟飾えりかざりなどをかへところくだらないことだとおもなほすと、きふ蟇口がまぐちくちけるのがいやになつてぎた。呉服店ごふくみせでも大分だいぶ立見たちみをした。鶉御召うづらおめしだの、高貴織かうきおりだの、清凌織せいりようおりだの、自分じぶん今日こんにちまでらずにぎた澤山たくさんおぼえた。京都きやうと襟新えりしんうち出店でみせまへで、窓硝子まどがらす帽子ばうしつばけるやうちかせて、精巧せいかう刺繍ぬひをしたをんな半襟はんえりを、いつまでながめてゐた。そのうち丁度ちやうど細君さいくん似合にあひさうな上品じやうひんなのがあつた。つてつてらうかといふ一寸ちよつとおこるやいなや、そりや五六年前ねんぜんことだとかんがへあとからて、折角せつかく心持こゝろもちおもつきをすぐして仕舞しまつた。宗助そうすけ苦笑くせうしながら窓硝子まどがらすはなれてまたあるしたが、それから半町はんちやうほどあいだなんだかつまらないやう氣分きぶんがして、徃來わうらいにも店先みせさきにも格段かくだん注意ちゆういはらはなかつた。
 不圖ふといてるとかどおほきな雜誌屋ざつしやがあつて、その軒先のきさきには新刊しんかん書物しよもつおほきな廣告くわうこくしてある。梯子はしごやう細長ほそながわくかみつたり、ペンキぬりの一枚板まいいた模樣畫もやうぐわやう色彩しきさいほどこしたりしてある。宗助そうすけはそれを一々いち/\んだ。著者ちよしや名前なまへ作物さくぶつ名前なまへも、一新聞しんぶん廣告くわうこくやうでもあり、またまつた新奇しんきやうでもあつた。
 このみせまがかどかげになつたところで、くろ山高帽やまたかばうかぶつた三十ぐらゐをとこ地面ぢめんうへ氣樂きらくさうに胡坐あぐらをかいて、えゝ御子供衆おこどもしゆう御慰おなぐさみとひながら、おほきな護謨風船ごむふうせんふくらましてゐる。それがふくれると自然しぜん達磨だるま恰好かつかうになつて、好加減いゝかげんところ眼口めくちまですみいてあるのに宗助そうすけ感心かんしんした。其上そのうへ一度いちどいきれると、何時いつまでふくれてゐる。かつゆびさきへでも、ひらうへへでも自由じいうしりすわる。それがしりあな楊枝やうじやうほそいものをむとしゆうつと一度いちど收縮しうしゆくして仕舞しまふ。
 いそがしい徃來わうらいひと何人なんにんでもとほるが、だれどまつてほどのものはない。山高帽やまたかばうをとこにぎやかなまちすみに、ひややかに胡坐あぐらをかいて、周圍まはり何事なにごとおこりつゝあるかをかんぜざるものゝごとくに、えゝ御子供衆おこどもしゆう御慰おなぐさみとつては、達磨だるまふくらましてゐる。宗助そうすけは一せんりんして、その風船ふうせんひとつて、しゆつとちゞましてもらつて、それをたもとれた。奇麗きれい床屋とこやつて、かみりたくなつたが、何處どこにそんな奇麗きれいなのがあるか、一寸ちよつと見付みつからないうちに、かぎつてたので、また電車でんしやつて、うちはうむかつた。
 宗助そうすけ電車でんしや終點しゆうてんまでて、運轉手うんてんしゆ切符きつぷわたしたときには、もうそらいろひかりうしなひかけて、しめつた徃來わうらいに、くらかげつのころであつた。りやうとして、てつはしらにぎつたら、きふさむ心持こゝろもちがした。一所いつしよりたひとは、みんはなれ/″\になつて、ことありいそがしくあるいてく。まちのはづれをると、左右さいういへのきから家根やねへかけて、仄白ほのしろけむりが大氣たいきなかうごいてゐるやうえる。宗助そうすけおほ方角はうがくいて早足はやあしうつした。今日けふ日曜にちえうも、のんびりした御天氣おてんきも、もうすで御仕舞おしまひだとおもふと、すこ果敢はかないやうまたさみしいやう一種いつしゆ氣分きぶんおこつてた。さうして明日あしたからまたれいによつてれいごとく、せつせとはたらかなくてはならない身體からだだとかんがへると、今日けふ半日はんにち生活せいくわつきふをしくなつて、のこ六日半むいかはん非精神的ひせいしんてき行動かうどうが、如何いかにもつまらなくかんぜられた。あるいてゐるうちにも、日當ひあたりわるい、まどとぼしい、おほきな部屋へや模樣もやうや、となりにすわつてゐる同僚どうれうかほや、野中のなかさん一寸ちよつと上官じやうくわん樣子やうすばかりがかんだ。
 魚勝うをかつ肴屋さかなやまへとほして、その五六軒先けんさき露次ろじとも横丁よこちやうともかないところまがると、あたりがたかがけで、その左右さいうに四五けんおなかまへ貸家かしやならんでゐる。つい此間このあひだまでまばらな杉垣すぎがきおくに、御家人ごけにんでもふるしたとおもはれる、物寂ものさびいへひと地所ぢしよのうちにまじつてゐたが、がけうへ坂井さかゐといふひと此所こゝつてから、たちま萱葺かやぶきこはして、杉垣すぎがきいて、いまやうあたらしい普請ふしんへて仕舞しまつた。宗助そうすけうち横丁よこちやうあたつて、一番いちばんおく左側ひだりがはで、すぐの崖下がけしただから、多少たせう陰氣いんきではあるが、そのかはとほりからはもつとへだゝつてゐるだけに、まあ幾分いくぶん閑靜かんせいだらうとふので、細君さいくん相談さうだんうへ、とくに其所そこえらんだのである。
 宗助そうすけ七日なのかに一ぺん日曜にちえうももうれかゝつたので、はやにでもつて、ひまがあつたらかみでもつて、さうしてゆつくり晩食ばんめしはうとおもつて、いそいで格子かうしけた。臺所だいどころはう皿小鉢さらこばちおとがする。がらうとする拍子ひやうしに、小六ころくてた下駄げたうへへ、かずにあしせた。こゞんで位置ゐち調とゝのへてゐるところ小六ころくた。臺所だいどころはうで、御米およねが、
だれ? にいさん?」といた。宗助そうすけは、
「やあ、てゐたのか」とひながら座敷ざしきあがつた。先刻さつき郵便いうびんしてから、神田かんだ散歩さんぽして、電車でんしやりてうちかへまで宗助そうすけあたまには小六ころくひらめかなかつた。宗助そうすけ小六ころくかほときなんとなくわることでもしたやうきまりがくなかつた。
御米およね御米およね」と細君さいくん臺所だいどころからんで、
小六ころくたから、なに御馳走ごちそうでもするがい」とけた。細君さいくんは、いそがしさうに臺所だいどころ障子しやうじはなしたまゝて、座敷ざしき入口いりぐちつてゐたが、このわかつた注意ちゆういくやいなや、
「えゝいまぢき」とつたなり、かへさうとしたが、またもどつてて、
そのかは小六ころくさん、はゞかさま座敷ざしきてて、洋燈ランプけて頂戴ちやうだいいまわたしきよはなせないところだから」と依頼たのんだ。小六ころく簡單かんたんに、
「はあ」とつてがつた。
 勝手かつてではきよものきざおとがする。みづをざあとながしへけるおとがする。「奧樣おくさまこれ何方どちらうつします」とこゑがする。「ねえさん、ランプのしんはさみはどこにあるんですか」と小六ころくこゑがする。しゆうとたぎつて七輪しちりんかゝつた樣子やうすである。
 宗助そうすけくら座敷ざしきなか默然もくねん手焙てあぶりかざしてゐた。はひうへかたまりだけいろづいてあかえた。そのときうらがけうへ家主やぬしうち御孃おぢやうさんがピヤノをならした。宗助そうすけおもしたやうがつて、座敷ざしき雨戸あまどきに縁側えんがはた。孟宗竹まうそうちく薄黒うすぐろそらいろみだうへに、ひとふたつのほしきらめいた。ピヤノの孟宗竹まうそうちくうしろからひゞいた。


 宗助そうすけ小六ころく手拭てぬぐひげて、風呂ふろからかへつてときは、座敷ざしき眞中まんなか眞四角まつしかく食卓しよくたくゑて、御米およね手料理てれうり手際てぎはよく其上そのうへならべてあつた。手焙てあぶり出掛でがけよりはいろえてゐた。洋燈らんぷあかるかつた。
 宗助そうすけつくゑまへ坐蒲團ざぶとんせて、其上そのうへ樂々らく/\胡坐あぐらいたとき手拭てぬぐひ石鹸しやぼん受取うけとつた御米およねは、
御湯おゆだつたこと?」といた。宗助そうすけはたゞ一言ひとこと
「うん」とこたへただけであつたが、その樣子やうす素氣そつけないとふよりも、むし湯上ゆあがりで、精神せいしん弛緩しくわんした氣味きみえた。
中々なか/\でした」と小六ころく御米およねはう調子てうしあはせた。
しかしあゝんぢやたまらないよ」と宗助そうすけつくゑはじひぢたせながら、倦怠けたるさうにつた。宗助そうすけ風呂ふろくのは、いつでも役所やくしよ退けて、うちかへつてからのことだから、丁度ちやうどひと夕食前ゆふめしまへ黄昏たそがれである。かれこの二三ヶ月間げつかんついぞ、ひかりかしていろながめたことがない。それならまだしもだが、やゝともすると三日みつか四日よつかまる錢湯せんたう敷居しきゐまたがずにすごして仕舞しまふ。日曜にちえうになつたら、あさはやきてなによりもだい一に奇麗きれい首丈くびたけつかつて見樣みやうと、つねかんがへてゐるが、さてその日曜にちえうると、たまにゆつくりられるのは、今日けふばかりぢやないかとになつて、ついとこのうちで愚圖々々ぐづ/\してゐるうちに、時間じかん遠慮ゑんりよなくぎて、えゝ面倒めんだうだ、今日けふめにして、そのかは今度こんだ日曜にちえうかうとおもなほすのが、ほとんど惰性だせいやうになつてゐる。
「どうかして、朝湯あさゆだけきたいね」と宗助そうすけつた。
そのくせ朝湯あさゆけるは、屹度きつと寐坊ねばうなさるのね」と細君さいくん調戲からかやう口調くてうであつた。小六ころくはらなかこれあに性來うまれつき弱點じやくてんであるとおもんでゐた。かれ自分じぶん學校生活がくかうせいくわつをしてゐるにもかゝはらず、あに日曜にちえうが、如何いかあににとつてたつといかを會得ゑとく出來できなかつた。六日間むいかかんくら精神作用せいしんさようを、たゞこの一日いちにちで、あたゝかに回復くわいふくすべく、あにおほくの希望きばうを二十四時間じかんのうちにんでゐる。だからりたいことがありぎて、十の二三も實行じつかう出來できない。いなその二三にしろすゝんで實行じつかうにかゝると、かへつてそのためつひやす時間じかんはうをしくなつてて、ついまた引込ひつこめて、じつとしてゐるうちに日曜にちえう何時いつれて仕舞しまふのである。自分じぶん氣晴きばらしや保養ほやうや、娯樂ごらくもしくは好尚かうしやういてゞすら、斯樣かやう節儉せつけんしなければならない境遇きやうぐうにある宗助そうすけが、小六ころくためつくさないのは、つくさないのではない、あたまつく餘裕よゆうのないのだとは、小六ころくからると、うしても受取うけとれなかつた。あにはたゞ手前勝手てまへがつてをとこで、ひまがあればぶら/\して細君さいくんあそんでばかりゐて、一向いつかうたよりにもちからにもなつてれない、眞底しんそこ情合じやうあひうすひとぐらゐかんがへてゐた。
 けれども、小六ころくがさうかんしたのは、つい近頃ちかごろことで、じつふと、佐伯さへきとの交渉かうせふはじまつて以來いらいはなしである。としわかだけすべてに性急せいきふ小六ころくは、あにたのめば今日明日けふあすにもかたくものと、おもんでゐたのに、何日迄いつまでらちかないのみか、まだ先方せんぱう出掛でかけてもれないので、大分だいぶ不平ふへいになつたのである。
 ところ今日けふかへりをけてつてると、其所そこ兄弟きやうだいで、べつ御世辭おせじ使つかはないうちに、何處どこ暖味あたゝかみのある仕打しうちえるので、ついひたいこと後廻あとまはしにして、一所いつしよになんぞ這入はいつて、おだやかにけてはなせるやうになつてた。
 兄弟きやうだいくつろいでぜんいた。御米およね遠慮ゑんりよなく食卓しよくたく一隅ひとすみりやうした。宗助そうすけ小六ころく猪口ちよくを二三ばいづゝした。めしゝるまへに、宗助そうすけわらひながら、
「うん、面白おもしろいものがつたつけ」とひながら、たもとからつて護謨風船ゴムふうせん達磨だるまして、おほきくふくらませてせた。さうして、それをわんふたうへせて、その特色とくしよく説明せつめいしてかせた。御米およね小六ころく面白おもしろがつて、ふわ/\したたまてゐた。仕舞しまひ小六ころくが、ふうつといたら達磨だるまぜんうへからたゝみうへちた。それでも、まだかへらなかつた。
「それ御覽ごらん」と宗助そうすけつた。
 御米およねをんなだけにこゑしてわらつたが、御櫃おはちふたけて、をつとめしよそひながら、
にいさんも隨分ずゐぶん呑氣のんきね」と小六ころくはういて、なかをつと辯護べんごするやうつた。宗助そうすけ細君さいくんから茶碗ちやわん受取うけとつて、一言ひとこと辯解べんかいもなく食事しよくじはじめた。小六ころく正式せいしきはしげた。
 達磨だるまはそれぎり話題わだいのぼらなかつたが、これがいとくちになつて、三にんめしまで無邪氣むじやき長閑のどかはなしをつゞけた。仕舞しまひ小六ころくへて、
とき伊藤いとうさんもんだことになりましたね」とした。宗助そうすけは五六日前にちまへ伊藤公いとうこう暗殺あんさつ號外がうぐわいたとき、御米およねはたらいてゐる臺所だいどころて、「おい大變たいへんだ、伊藤いとうさんがころされた」とつて、つた號外がうぐわい御米およねのエプロンのうへせたなり書齋しよさい這入はいつたが、その語氣ごきからいふと、むしいたものであつた。
貴方あなた大變たいへんだつてくせに、ちつとも大變たいへんらしいこゑぢやなくつてよ」と御米およねあとから冗談半分じようだんはんぶんにわざ/\注意ちゆういしたくらゐである。其後そのご日毎ひごと新聞しんぶん伊藤公いとうこうことが五六だんづゝないことはないが、宗助そうすけはそれにとほしてゐるんだか、ゐないんだかわからないほど暗殺事件あんさつじけんついては平氣へいきえた。よるかへつてて、御米およねめし御給仕おきふじをするときなどに、「今日けふ伊藤いとうさんのことなにてゐて」とことがあるが、其時そのときには「うん大分だいぶてゐる」とこたへるぐらゐだから、をつと隱袋かくしなかたゝんである今朝けさ讀殼よみがらを、あとからしてんでないと、其日そのひ記事きじわからなかつた。御米およねもつまりはをつと歸宅後きたくご會話くわいわ材料ざいれうとして、伊藤公いとうこう引合ひきあひぐらゐところだから、宗助そうすけすゝまない方向はうかうへは、たつてはなし引張ひつぱりたくはなかつた。それでこの二人ふたりあひだには、號外がうぐわい發行はつかう當日たうじつ以後いご今夜こんや小六ころくがそれをしたまでは、おほやけには天下てんかうごかしつゝある問題もんだいも、格別かくべつ興味きようみもつむかへられてゐなかつたのである。
「どうして、まあころされたんでせう」と御米およね號外がうぐわいたとき、宗助そうすけいたとおなことまた小六ころくむかつていた。
短銃ピストルをポン/\連發れんぱつしたのが命中めいちゆうしたんです」と小六ころく正直しやうぢきこたへた。
「だけどさ。うして、まあころされたんでせう」
 小六ころく要領えうりやうないやうかほをしてゐる。宗助そうすけ落付おちついた調子てうしで、
運命うんめいだなあ」とつて、茶碗ちやわんちやうまさうにんだ。御米およねはこれでも納得なつとく出來できなかつたとえて、
「どうしてまた滿洲まんしうなどつたんでせう」といた。
本當ほんたうにな」と宗助そうすけはらつて充分じゆうぶん物足ものたりた樣子やうすであつた。
なんでも露西亞ロシア秘密ひみつようがあつたんださうです」と小六ころく眞面目まじめかほをしてつた。御米およねは、
「さう。でもいやねえ。ころされちや」とつた。
おれやう腰辯こしべんは、ころされちやいやだが、伊藤いとうさんやうひとは、哈爾賓ハルピンつてころされるはういんだよ」と宗助そうすけはじめて調子てうしづいたくちいた。
「あら、何故なぜ
何故なぜつて伊藤いとうさんはころされたから、歴史的れきしてきえらひとになれるのさ。たゞんで御覽ごらんうはかないよ」
成程なるほどそんなものかもれないな」と小六ころくすこ感服かんぷくしたやうだつたが、やがて、
かく滿洲まんしうだの、哈爾賓ハルピンだのつて物騷ぶつさうところですね。ぼくなんだか危險きけんやう心持こゝろもちがしてならない」とつた。
それや、いろんなひとつてるからね」
 此時このとき御米およねめうかほをして、こたへたをつとかほた。宗助そうすけもそれにいたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんげたらからう」と細君さいくんうながして、先刻さつき達磨だるままたたゝみうへからつて、人指指ひとさしゆびさきせながら、
「どうもめうだよ。よく調子てうし出來できるものだとおもつてね」とつてゐた。
 臺所だいどころからきよて、らした皿小鉢さらこばち食卓しよくたくごといてつたあとで、御米およねちやへるために、つぎつたから、兄弟きやうだい差向さしむかひになつた。
「あゝ奇麗きれいになつた。うもつたあときたないものでね」と宗助そうすけまつた食卓しよくたく未練みれんのないかほをした。勝手かつてはうきよがしきりにわらつてゐる。
なにがそんなに可笑をかしいの、きよ」と御米およね障子越しやうじごしはなけるこゑきこえた。きよはへえとつてなほわらした。兄弟きやうだいなんにもはず、なか下女げぢよわらごゑみゝかたむけてゐた。
 しばらくして、御米およね菓子皿くわしざら茶盆ちやぼん兩手りやうてつて、またた。藤蔓ふぢづるいたおほきな急須きふすから、にもあたまにもこたへない番茶ばんちやを、湯呑程ゆのみほどおほきな茶碗ちやわんいで、兩人ふたりまへいた。
なんだつて、あんなにわらふんだい」とをつといた。けれども御米およねかほずにかへつて菓子皿くわしざらなかのぞいてゐた。
貴方あなたがあんな玩具おもちやつてて、面白おもしろさうにゆびさきせてらつしやるからよ。子供こどももないくせに」
 宗助そうすけにもめないやうに、かるく「さうか」とつたが、あとからゆつくり、
これでももと子供こどもつたんだがね」と、さも自分じぶん自分じぶん言葉ことばあぢはつてゐるふうして、生温なまぬるげて細君さいくんた。御米およねはぴたりとだまつて仕舞しまつた。
「あなた御菓子おくわしべなくつて」と、しばらくしてから小六ころくはういてはなしけたが、
「えゝべます」と小六ころく返事へんじながして、ついとちやつてつた。兄弟きやうだいまた差向さしむかひになつた。
 電車でんしや終點しゆうてんからあるくと二十ぷんちかくもかゝやま奧丈おくだけあつて、まだよひくちだけれども、四隣あたり存外ぞんぐわいしづかである。時々とき/″\おもてとほ薄齒うすば下駄げたひゞきえて、夜寒よさむ次第しだいしてる。宗助そうすけ懷手ふところでをして、
晝間ひるまあつたかいが、よるになるときふさむくなるね。寄宿きしゆくぢやもう蒸汽スチームとほしてゐるかい」といた。
「いえ、まだです。學校がくかうぢやぽどさむくならなくつちや蒸汽スチームなんかきやしません」
「さうかい。それぢやさむいだらう」
「えゝ。しかさむくらゐうでもかまはないつもりですが」とつたまゝ小六ころくはすこしよどんでゐたが、仕舞しまひにとう/\おもつて、
にいさん、佐伯さへきはう一體いつたいどうなるんでせう。先刻さつきねえさんからいたら、今日けふ手紙てがみしてくだすつたさうですが」
「あゝした。二三日中にちちゆうなんとかつてるだらう。其上そのうへまたおれくともうとも仕樣しやうよ」
 小六ころくあに平氣へいき態度たいどこゝろうちでは飽足あきたらずながめた。しか宗助そうすけ樣子やうす何處どこつて、ひとげきさせるやうするどいところも、みづからを庇護かばやういやしいてんもないので、つてかゝ勇氣ゆうきさらなかつた。たゞ
「ぢや今日けふまであのまゝにしてあつたんですか」とたん事實じじつたしかめた。
「うん、じつまないがあのまゝだ。手紙てがみ今日けふやつとのこといたくらゐだ。うも仕方しかたがないよ。近頃ちかごろ神經衰弱しんけいすゐじやくでね」と眞面目まじめふ。小六ころく苦笑くせうした。
「もし駄目だめなら、ぼく學校がくかうめて、一層いつそいまのうち、滿洲まんしう朝鮮てうせんへでもかうかとおもつてるんです」
滿洲まんしう朝鮮てうせん? ひどくまたおもつたもんだね。だつて、御前おまへ先刻さつき滿洲まんしう物騷ぶつさういやだつてつたぢやないか」
 用談ようだんはこんなところつたりたりして、つひ要領えうりやうなかつた。仕舞しまひ宗助そうすけ
「まあ、いや、さう心配しんぱいしないでも、うかなるよ。なにしろ返事へんじ來次第きしだいおれがすぐらせてやる。其上そのうへまた相談さうだんするとしやう」とつたので、談話はなし區切くぎりいた。
 小六ころくかへりがけにちやのぞいたら、御米およねなんにもしずに、長火鉢ながひばちかつてゐた。
ねえさん、左樣さやうなら」とこゑけたら、「おや御歸おかへり」とひながらやうやつてた。


 小六ころくにしてゐた佐伯さへきからは、豫期よきとほり二三にちして返事へんじがあつたが、それはきはめて簡單かんたんなもので、端書はがきでもようりるところを、鄭重ていちよう封筒ふうとうれて三せん切手きつてつた、叔母をば自筆じひつぎなかつた。
 役所やくしよからかへつて、筒袖つゝそで仕事着しごとぎを、窮屈きゆうくつさうにへて、火鉢ひばちまへすわるやいなや、抽出ひきだしから一すんほどわざとあましてんであつた状袋じやうぶくろいたので、御米およねんで番茶ばんちや一口ひとくちんだまゝ宗助そうすけはすぐふうつた。
「へえ、やすさんは神戸かうべつたんだつてね」と手紙てがみみながらつた。
何時いつ?」と御米およね湯呑ゆのみをつとまへしたとき姿勢しせいまゝいた。
何時いつともいてないがね。なにしろとほからぬうちには歸京ききやうつかまつるべくさふらふあひだいてあるから、もうぢきかへつてるんだらう」
とほからぬうちなんて、叔母をばさんね」
 宗助そうすけ御米およね批評ひひやうに、同意どうい不同意ふどういへうしなかつた。んだ手紙てがみをさめて、げるやうにそこへはふして、四五日目にちめになる、ざら/\したあごを、氣味きみわるさうにまはした。
 御米およねはすぐその手紙てがみひろつたが、べつまうともしなかつた。それをひざうへせたまゝをつとかほて、
とほからぬうちには歸京ききやうつかまつるべく候間さふらふあひだうだつてふの」といた。
いづかへつたら、安之助やすのすけ相談さうだんしてなんとか御挨拶ごあいさついたしますとふのさ」
とほからぬうちぢや曖昧あいまいね。何時いつかへるともいてなくつて」
「いゝや」
 御米およねねんためひざうへ手紙てがみはじめてひらいてた。さうしてそれもとやうたゝんで、
一寸ちよつとその状袋じやうぶくろを」とをつとほうした。宗助そうすけ自分じぶん火鉢ひばちあひだはさまつてゐるあを封筒ふうとうつて細君さいくんわたした。御米およねはそれをふつといて、なかふくらまして手紙てがみをさめた。さうして臺所だいどころつた。
 宗助そうすけ夫限それぎり手紙てがみことにはめなかつた。今日けふ役所やくしよ同僚どうれうが、此間このあひだ英吉利イギリスから來遊らいいうしたキチナー元帥げんすゐに、新橋しんばしそばつたとはなしおもして、あゝ人間にんげんになると、世界中せかいぢゆう何處どこつても、世間せけんさわがせるやう出來できてゐるやうだが、實際じつさいさういふふううまいてたものかもれない。自分じぶん過去くわこからつてきた運命うんめいや、またそのつゞきとして、これから自分じぶん眼前がんぜん展開てんかいされべき將來しやうらいつて、キチナーとひとのそれにくらべてると、到底たうていおな人間にんげんとはおもへないぐらゐへだたつてゐる。
 かんがへて宗助そうすけはしきりに烟草たばこかした。おもて夕方ゆふがたからかぜして、わざととほくのはうからおそつてやうおとがする。それが時々とき/″\むと、んだあひだしんとして、れるときよりはなほさびしい。宗助そうすけ腕組うでぐみをしながら、もうそろ/\火事くわじ半鐘はんしよう時節じせつだとおもつた。
 臺所だいどころると、細君さいくん七輪しちりんあかくして、さかな切身きりみいてゐた。きよながもとこゞんで漬物つけものあらつてゐた。二人ふたりともくちかずにせつせと自分じぶんことつてゐる。宗助そうすけ障子しやうじけたなり、少時しばらくさかなからつゆあぶらおといてゐたが、無言むごんまゝまた障子しやうじてゝもともどつた。細君さいくんさへさかなからはなさなかつた。
 食事しよくじまして、夫婦ふうふ火鉢ひばちあひむかつたとき御米およねまた
佐伯さへきはうこまるのね」とした。
「まあ仕方しかたがない。やすさんが神戸かうべからかへまでつよりほかみちはあるまい」
其前そのまへ一寸ちよつと叔母をばさんにつてはなしをしていたはうかなくつて」
「さうさ。まあ其内そのうちなんとかつてるだらう。夫迄それまで打遣うちやつてかうよ」
小六ころくさんがおこつてよ。くつて」と御米およねはわざとねんしていて微笑びせうした。宗助そうすけ下眼しため使つかつて、つた小楊枝こやうじ着物きものえりした。
 中一日なかいちんちいて、宗助そうすけやうや佐伯さへきからの返事へんじ小六ころくらせてやつた。其時そのとき手紙てがみしりに、まあそのうちうかなるだらうと意味いみを、れいごとくはへた。さうして當分たうぶんこの事件じけんついかたけたやうかんじた。自然しぜん經過なりゆきまた窮屈きゆうくつまへせてまでは、わすれてゐるはう面倒めんだうがなくつてくらゐかほをして、毎日まいにち役所やくしよてはまた役所やくしよからかへつてた。かへりもおそいが、かへつてから出掛でかけなどといふ億劫おくくふこと滅多めつたになかつた。きやくほとんどない。ようのないとききよを十時前じまへかすことさへあつた。夫婦ふうふ毎夜まいよおな火鉢ひばち兩側りやうがはつて、食後しよくご時間じかんぐらゐはなしをした。はなし題目だいもく彼等かれら生活せいくわつ状態じやうたい相應さうおうした程度ていどのものであつた。けれども米屋こめやはらひを、この三十日みそかにはうしたものだらうといふ、くるしい世帶話しよたいばなしは、いまかつ一度いちど彼等かれらくちにはのぼらなかつた。とつて、小説せうせつ文學ぶんがく批評ひひやう勿論もちろんことをとこをんなあひだ陽炎かげろふやうまはる、はなやかな言葉ことばりはほとんどかれなかつた。彼等かれら夫程それほど年輩ねんぱいでもないのに、もう其所そことほけて、日毎ひごと地味ぢみになつてひとやうにもえた。また最初さいしよから、色彩しきさいうすきはめて通俗つうぞく人間にんげんが、習慣的しふくわんてき夫婦ふうふ關係くわんけいむすぶためにつたやうにもえた。
 上部うはべからると、夫婦ふうふともさうもの屈托くつたくする氣色けしきはなかつた。それは彼等かれら小六ころくことくわんしてつた態度たいどついてもほゞ想像さうざうがつく。流石さすが女丈をんなだけ御米およねは一二
やすさんは、まだかへらないんでせうかね。貴方あなた今度こんだ日曜にちえうぐらゐ番町ばんちやうまでつて御覽ごらんなさらなくつて」と注意ちゆういしたことがあるが、宗助そうすけは、
「うん、つてもい」ぐらゐ返事へんじをするだけで、そのつても日曜にちえうると、まるわすれたやうましてゐる。御米およねもそれをて、める樣子やうすもない。天氣てんきいと、
「ちと散歩さんぽでもしてらつしやい」とふ。あめつたり、かぜいたりすると、
今日けふ日曜にちえう仕合しあはせね」とふ。
 さいはひにして小六ころく其後そのご一度いちどもやつてない。この青年せいねんは、いたつてしやう神經質しんけいしつで、うとおもふと何所どこまですゝんでところが、書生しよせい時代じだい宗助そうすけによくてゐるかはりに、不圖ふとかはると、昨日きのふことまるわすれたやうかへつて、けろりとしたかほをしてゐる。其所そこ兄弟丈きやうだいだけあつて、むかし宗助そうすけ其儘そのまゝである。それから、頭腦づなう比較的ひかくてき明暸めいれうで、理路りろ感情かんじやうむのか、また感情かんじやう理窟りくつわくるのか、何方どつちわからないが、かくもの筋道すぢみちけないと承知しようちしないし、また一返いつぺん筋道すぢみちくと、その筋道すぢみちかさなくつてはかないやう熱中ねつちゆうしたがる。其上そのうへ體質たいしつ割合わりあひ精力せいりよくがつゞくから、わか血氣けつきまかせて大抵たいていことはする。
 宗助そうすけおとうとるたびに、むかし自分じぶんふたゝ蘇生そせいして、自分じぶんまへ活動くわつどうしてゐるやうがしてならなかつた。ときには、はら/\することもあつた。また苦々にが/\しくおもをりもあつた。さう場合ばあひには、こゝろのうちに、當時たうじ自分じぶん一圖いちづ振舞ふるまつたにが記憶きおくを、出來できだけしば/\おこさせるために、とくにてん小六ころく自分じぶんまへけるのではなからうかとおもつた。さうして非常ひじやうおそろしくなつた。此奴こいつあるひおれ同一どういつ運命うんめいおちいるためにうまれてたのではなからうかとかんがへると、今度こんどおほいに心掛こゝろがゝりになつた。ときによると心掛こゝろがゝりよりは不愉快ふゆくわいであつた。
 けれども、今日こんにちまで宗助そうすけは、小六ころくたいして意見いけんがましいことつたこともなければ、將來しやうらいつい注意ちゆういあたへたこともなかつた。かれおとうとたいする待遇たいぐうはうはたゞ普通ふつう凡庸ぼんようのものであつた。かれいま生活せいくわつが、かれやう過去くわこつてゐるひととはおもへないほどに、しづんでゐるごとく、かれおとうとあつか樣子やうすにも、過去くわこのつくほど經驗けいけんつた年長者ねんちやうしや素振そぶり容易よういなかつた。
 宗助そうすけ小六ころくあひだには、まだ二人ふたりほどをとこはさまつてゐたが、いづれも早世さうせいして仕舞しまつたので、兄弟きやうだいとはひながら、としとをばかちがつてゐる。其上そのうへ宗助そうすけはある事情じじやうのために、一ねんとき京都きやうと轉學てんがくしたから、朝夕てうせき一所いつしよ生活せいくわつしてゐたのは、小六ころくの十二三の時迄ときまでである。宗助そうすけ剛情がうじやうかぬ腕白小僧わんぱくこぞうとしての小六ころくいまだに記憶きおくしてゐる。その時分じぶんちゝきてゐたし、うち都合つがふわるくはなかつたので、抱車夫かゝへしやふ邸内ていない長屋ながやまはして、らくくらしてゐた。この車夫しやふ小六ころくよりはみつほど年下としした子供こどもがあつて、始終しじゆう小六ころく御相手おあひてをしてあそんでゐた。あるなつ日盛ひざかりに、二人ふたりして、なが竿さをのさきへ菓子袋くわしぶくろくゝけて、おほきなかきしたせみりくらをしてゐるのを、宗助そうすけて、兼坊けんばうそんなにあたまらしけると霍亂くわくらんになるよ、さあこれかぶれとつて、小六ころくふる夏帽なつばうしてやつた。すると、小六ころく自分じぶん所有物しよいうぶつあに無斷むだんひとれてやつたのが、しやくさはつたので、突然いきなり兼坊けんばう受取うけとつた帽子ばうしつたくつて、それを地面ぢめんうへげつけるやいなや、がるやう其上そのうへつて、くしやりと麥藁帽むぎわらばうつぶして仕舞しまつた。宗助そうすけえんから跣足はだしんでりて、小六ころくあたまなぐけた。其時そのときから、宗助そうすけには、小六ころく小惡こにくらしい小僧こぞうとしてうつつた。
 二ねんとき宗助そうすけ大學だいがくらなければならないことになつた。東京とうきやううちへもへれないことになつた。京都きやうとからすぐ廣島ひろしまつて、其所そこ半年はんとしばかりらしてゐるうちにちゝんだ。はゝちゝよりも六ねん程前ほどまへんでゐた。だからあとには二十五六になるめかけと、十六になる小六ころくのこつただけであつた。
 佐伯さへきから電報でんぱうつて、ひさりに出京しゆつきやうした宗助そうすけは、葬式さうしきましたうへうち始末しまつをつけやうおもつて段々だん/\調しらべてると、るとおもつた財産ざいさん案外あんぐわいすくなくつて、かへつてつもり借金しやくきん大分だいぶあつたにおどろかされた。叔父をぢ佐伯さへき相談さうだんすると、仕方しかたがないからやしきるがからうとはなしであつた。めかけ相當さうたうかねつてすぐひまことめた。小六ころく當分たうぶん叔父をぢうちつて世話せわをしてもらことにした。しか肝心かんじん家屋敷いへやしきはすぐみぎからひだりへとれるわけにはかなかつた。仕方しかたがないから、叔父をぢ一時いちじ工面くめんたのんで、當座たうざかたけてもらつた。叔父をぢ事業家じげふか色々いろ/\ことしては失敗しつぱいする、はゞ山氣やまぎおほをとこであつた。宗助そうすけ東京とうきやうにゐる時分じぶんも、よく宗助そうすけちゝけては、うまことつてかねしたものである。宗助そうすけちゝにもよくがあつたかもれないが、このでん叔父をぢ事業じげふんだ金高かねだかけつしてすくないものではなかつた。
 ちゝくなつた此際このさいにも、叔父をぢ都合つがふもとあまかはつてゐない樣子やうすであつたが、生前せいぜん義理ぎりもあるし、またをとこつねとして、いざと場合ばあひには比較的ひかくてき融通ゆうづうくものとえて、叔父をぢこゝろよく整理せいりけてれた。そのかは宗助そうすけ自分じぶん家屋敷いへやしき賣却方ばいきやくかたつい一切いつさいこと叔父をぢ一任いちにんして仕舞しまつた。はやふと、急場きふば金策きんさくたいする報酬はうしうとして土地とち家屋かをく提供ていきようしたやうなものである。叔父をぢは、
なにしろ、ふものは買手かひてらないとそんだからね」とつた。
 道具類だうぐるゐせきばかりつて、金目かねめにならないものは、こと/″\はらつたが、五六ぷく掛物かけものと十二三てん骨董品丈こつとうひんだけは、矢張やは氣長きながしがるひとさがさないとそんだと叔父をぢ意見いけん同意どういして、叔父をぢ保管ほくわんたのことにした。すべてをいて手元てもとのこつた有金ありがねは、やく二千ゑんほどのものであつたが、宗助そうすけ其内そのうち幾分いくぶんを、小六ころく學資がくしとして、使つかはなければならないといた。しか月々つき/″\自分じぶんはうからおくるとすると、今日こんにち位置ゐち堅固けんごでない當時たうじはなは實行じつかうしにくい結果けつくわおちいりさうなので、くるしくはあつたが、おもつて、半分丈はんぶんだけ叔父をぢわたして、何分なにぶんよろしくとたのんだ。自分じぶんなかちゆうと失敗しくじつたから、めて弟丈おとうとだけものにしてやりたいもあるので、このゑんきたあとは、またうにか心配しんぱい出來できやうしまたしてれるだらうぐらゐ不慥ふたしか希望きばうのこして、また廣島ひろしまかへつてつた。
 それから半年はんとしばかりして、叔父をぢ自筆じひつで、うちはとう/\れたから安心あんしんしろと手紙てがみたが、幾何いくられたともなんともいてないので、かへしてあはせると、二週間しうかんほどつての返事へんじに、いうれい立替たてかへつぐなふに金額きんがくだから心配しんぱいしなくてもいとあつた。宗助そうすけこの返事へんじたいしてすくなからず不滿ふまんかんじたにはかんじたが、おな書信しよしんなかに、委細ゐさいいづ御面會ごめんくわいせつ云々うん/\とあつたので、すぐにも東京とうきやうきたいやうがして、じつう/\だがと、相談さうだん半分はんぶん細君さいくんはなしてると、御米およねどくさうなかほをして、「でも、けないんだから、仕方しかたがないわね」とつて、れいごと微笑びせうした。其時そのとき宗助そうすけはじめて細君さいくんから宣告せんこくけたひとやうに、しばらく腕組うでぐみをしてかんがへたが、工夫くふうしたつて、けること出來できないやう位地ゐち事情じじやうもと束縛そくばくされてゐたので、つい夫成それなりになつて仕舞しまつた。
 仕方しかたがないから、なほ三四くわい書面しよめん徃復わうふくかさねてたが、結果けつくわはいつもおなことで、版行はんかうしたやういづ御面會ごめんくわいせつかへしてだけであつた。
これぢや仕樣しやうがないよ」と宗助そうすけはらつたやうかほをして御米およねた。三ヶげつばかりして、やうや都合つがふいたので、ひさりに御米およねれて、出京しゆつきやうしやうとおも矢先やさきに、つい風邪かぜいてたのがもとで、腸窒扶斯ちやうチフス變化へんくわしたため、六十日餘ろくじふにちあまりをとこうへらしたうへに、あとの三十日程さんじふにちほど充分じゆうぶん仕事しごと出來できないくらゐおとろへて仕舞しまつた。
 病氣びやうき本復ほんぷくしてからもなく、宗助そうすけまた廣島ひろしまつて福岡ふくをかかたうつらなければならないとなつた。うつまへに、機會きくわいだから一寸ちよつと東京とうきやうまでたいものだとかんがへてゐるうちに、今度こんど色々いろ/\事情じじやうせいせられて、ついそれ遂行すゐかうせずに、矢張やはくだ列車れつしやはしかた自己じこ運命うんめいたくした。其頃そのころ東京とうきやういへたゝむとき、ふところにしてかねは、ほとんど使つかたしてゐた。かれ福岡ふくをか生活せいくわつ前後ぜんごねんつうじて、中々なか/\苦鬪くとうであつた。かれ書生しよせいとして京都きやうとにゐる時分じぶん種々しゆ/″\口實こうじつもとに、ちゝから臨時りんじ隨意ずゐい多額たがく學資がくし請求せいきうして、勝手かつて次第しだい消費せうひしたむかしをよくおもして、いま身分みぶん比較ひかくしつゝ、しきりに因果いんぐわ束縛そくばくおそれた。あるときはひそかにぎたはる回顧くわいこして、あれがおれ榮華えいぐわ頂點ちやうてんだつたんだと、はじめてめたとほかすみながめることもあつた。いよ/\くるしくなつたとき
御米およねひさしくはふつていたが、また東京とうきやう掛合かけあつて見樣みやうかな」とした。御米およね無論むろんさからひはしなかつた。たゞしたいて、
駄目だめよ。だつて、叔父をぢさんにまつた信用しんようがないんですもの」と心細こゝろぼそさうにこたへた。
むかふぢや此方こつち信用しんようがないかもれないが、此方こつちぢやまたむかふに信用しんようがないんだ」と宗助そうすけ威張ゐばつてしたが、御米およね俯目ふしめになつてゐる樣子やうすると、きふ勇氣ゆうきくじけるふうえた。こんな問答もんだふ最初さいしよつきに一二へんぐらゐかへしてゐたが、のちには二月ふたつきに一ぺんになり、三月みつきに一ぺんになり、とう/\、
いや、小六ころくさへうかしてれゝば。あとのこといづ東京とうきやうたら、つたうへはなしけらあ。ねえ御米およねうすると、やうぢやないか」とした。
「それで、ござんすとも」と御米およねこたへた。
 宗助そうすけ佐伯さへきことをそれなりはふつて仕舞しまつた。たんなる無心むしんは、自分じぶん過去くわこたいしても、叔父をぢむかつてせるものでないと、宗助そうすけかんがへてゐた。したがつて其方そのはう談判だんぱんは、はじめからいまかつふでにしたことがなかつた。小六ころくからは時々とき/″\手紙てがみたが、きはめてみじかい形式的けいしきてきのものがおほかつた。宗助そうすけちゝんだとき東京とうきやうつた小六ころくおぼえてゐるだけだから、いまだに小六ころく他愛たあいない小供こどもぐらゐ想像さうざうするので、自分じぶん代理だいり叔父をぢ交渉かうせふさせ樣抔やうなど無論むろんおこらなかつた。
 夫婦ふうふなかないものが、さむさにへかねて、つてだんやう具合ぐあひに、御互おたがひ同志どうしたよりとしてらしてゐた。くるしいときには、御米およね何時いつでも、宗助そうすけに、
「でも仕方しかたがないわ」とつた。宗助そうすけ御米およねに、
「まあ我慢がまんするさ」とつた。
 二人ふたりあひだにはあきらめとか、忍耐にんたいとかふものがえずうごいてゐたが、未來みらいとか希望きばうふものゝかげほとんどさないやうえた。彼等かれらあまおほ過去くわこかたらなかつた。ときとしてはまをはせたやうに、それを回避くわいひするふうさへあつた。御米およねときとして、
其内そのうちにはまた屹度きつとことがあつてよ。さう/\わることばかりつゞくものぢやないから」とをつとなぐさめるやうことがあつた。すると、宗助そうすけにはそれが、眞心まごゝろあるさいくちりて、自分じぶん飜弄ほんろうする運命うんめい毒舌どくぜつごとくにかんぜられた。宗助そうすけはさう場合ばあひにはなんにもこたへずにたゞ苦笑くせうするだけであつた。御米およねそれでもかずに、なにかつゞけると、
我々われ/\は、そんなこと豫期よきする權利けんりのない人間にんげんぢやないか」とおもつてして仕舞しまふ。細君さいくんやうやいてくちつぐんで仕舞しまふ。さうして二人ふたりだまつてつてゐると、何時いつにか、自分達じぶんたち自分達じぶんたちこしらえた過去くわこといふくらおほきなあななかちてゐる。
 彼等かれら自業自得じごふじとくで、彼等かれら未來みらい塗抹とまつした。だからあるいてゐるさきはうには、はなやかな色彩しきさいみとめること出來できないものとあきらめて、たゞ二人ふたりたづさえてになつた。叔父をぢはらつたと地面ぢめん家作かさくいても、もとよりおほくの期待きたいつてゐなかつた。時々とき/″\かんがしたやうに、
「だつて、近頃ちかごろ相場さうばなら、捨賣すてうりにしたつて、あのとき叔父をぢこしらへてれたかねばいにはなるんだもの。あんまり馬鹿々々ばか/\しいからね」と宗助そうすけすと、御米およねさみしさうにわらつて、
また地面ぢめん? 何時迄いつまでもあのことばかりかんがへてらつしやるのね。だつて、貴方あなた萬事ばんじよろしくねがひますと、叔父をぢさんにおつしやつたんでせう」とふ。
「そりや仕方しかたがないさ。あの場合ばあひあゝでもなければはうかないんだもの」と宗助そうすけふ。
「だからさ。叔父をぢさんのはうでは、御金おかねかはりにうち地面ぢめんもらつたつもりらつしやるかもれなくつてよ」と御米およねふ。
 さうはれると、宗助そうすけ叔父をぢ處置しよち一理いちりあるやうにもおもはれて、くちでは、
「そのつもりくないぢやないか」と答辯たふべんするやうなものゝ、この問題もんだい其都度そのつど次第々々しだい/\背景はいけいおくとほざかつてくのであつた。
 夫婦ふうふがこんなふうさみしくむつまじくらしてた二年目ねんめすゑに、宗助そうすけはもとの同級生どうきふせいで、學生時代がくせいじだいには大變たいへん懇意こんいであつた杉原すぎはらをとこ偶然ぐうぜん出逢であつた。杉原すぎはら卒業後そつげふご高等文官試驗かうとうぶんくわんしけん合格がふかくして、其時そのときすで或省あるしやう奉職ほうしよくしてゐたのだが、公務上こうむじやう福岡ふくをか佐賀さが出張しゆつちやうすることになつて、東京とうきやうからわざ/\つてたのである。宗助そうすけところ新聞しんぶんで、杉原すぎはら何時いついて、何處どことまつてゐるかをつてはゐたが、失敗者しつぱいしやとしての自分じぶんかへりみて、成効者せいかうしやまへあたまげる對照たいせうづかしくおもつたうへに、自分じぶん在學ざいがく當時たうじ舊友きういうふのを、とくけたい理由りいうつてゐたので、かれ旅館りよくわんたづねる毛頭まうとうなかつた。
 ところ杉原すぎはらはうでは、めう引掛ひつかゝりから、宗助そうすけ此所こゝくすぶつてゐることして、いて面會めんくわい希望きばうするので、宗助そうすけやむつた。宗助そうすけ福岡ふくをかから東京とうきやううつれるやうになつたのは、まつたこの杉原すぎはら御蔭おかげである。杉原すぎはらから手紙てがみて、いよ/\こときまつたとき、宗助そうすけはしいて、
御米およね、とう/\東京とうきやうけるよ」とつた。
「まあ結構けつこうね」と御米およねをつとかほた。
 東京とうきやういてから二三週間しうかんは、まはやうつた。あたらしく世帶しよたいつて、あたらしい仕事しごとはじめるひとに、ありちな急忙せはしなさと、自分達じぶんたちつゝ大都たいと空氣くうきの、日夜にちやはげしく震盪しんたうする刺戟しげきとにられて、何事なにごとをもじつかんがへるひまもなく、またいてくだ分別ふんべつなかつた。
 夜汽車よぎしや新橋しんばしいたときは、ひさりに叔父をぢ夫婦ふうふかほたが、夫婦ふうふとも所爲せゐれやかないろには宗助そうすけうつらなかつた。途中とちゆう事故じこがあつて、ちやく時間じかんめづらしく三十分程ぷんほどおくれたのを、宗助そうすけ過失くわしつでゞもあるかのやうに、待草臥まちくたびれた氣色けしきであつた。
 宗助そうすけ此時このとき叔母をばからいた言葉ことばは、
「おやそうさん、少時しばらく御目おめゝらないうちに、大變たいへん御老おふけなすつたこと」といふ一句いつくであつた。御米およね其折そのをりはじめて叔父をぢ夫婦ふうふ紹介せうかいされた。
「これがあの……」と叔母をば逡巡ためらつて宗助そうすけはうた。御米およねなん挨拶あいさつのしやうもないので、無言むごんまゝたゞあたまげた。
 小六ころく無論むろん叔父をぢ夫婦ふうふとも二人ふたりむかひにてゐた。宗助そうすけ一眼ひとめ其姿そのすがたたとき、何時いつにか自分じぶんしのやうおほきくなつたおとうと發育はついくおどろかされた。小六ころく其時そのとき中學ちゆうがくて、これから高等學校かうとうがくかう這入はいらうといふ間際まぎはであつた。宗助そうすけて、「にいさん」とも「御歸おかへりなさい」ともはないで、たゞ不器用ぶきよう挨拶あいさつをした。
 宗助そうすけ御米およねは一しうばかり宿屋やどや住居ずまひをして、それからいまところうつつた。其時そのとき叔父をぢ夫婦ふうふ色々いろ/\世話せわいてれた。細々こま/″\しい臺所だいどころ道具だうぐやうなものはまでもあるまい、ふるいのでければとふので、小人數こにんず必要ひつえうだけ一通ひととほそろえておくつてた。其上そのうへ
御前おまへ新世帶しんしよたいだから、さぞ物要ものいりおほからう」とつてかねを六十ゑんれた。
 うちつて彼是かれこれまぎれてゐるうちに、はや半月はんつきつたが、地方ちはうにゐる時分じぶんあんなににしてゐた家邸いへやしきことは、ついまだ叔父をぢさずにゐた。あるとき御米およねが、
貴方あなたあのこと叔父をぢさんにおつしやつて」といた。宗助そうすけはそれできふおもしたやうに、
「うん、はないよ」とこたへた。
めうね、あれほどにしてらしつたのに」と御米およねがうすわらひをした。
「だつて、いて、そんなことひまがないんだもの」と宗助そうすけ辯解べんかいした。
 また十日とをかほどつた。すると今度こんだ宗助そうすけはうから、
御米およね、あのことはないよ。どうもふのが面倒めんだういやになつた」とひ出《》した。
いやなのを無理むりおつしやらなくつてもいわ」と御米およねこたへた。
いかい」と宗助そうすけかへした。
いかいつて、もと/\貴方あなたことぢやなくつて。わたくしせんからうでもいんだわ」と御米およねこたへた。
 其時そのとき宗助そうすけは、
「ぢや、鹿爪しかつめらしくすのもなんだかめうだから、其内そのうち機會をりがあつたら、くとしやう。なに其内そのうちいて機會をり屹度きつとるよ」とつてばして仕舞しまつた。
 小六ころく何不足なにふそくなく叔父をぢいへ寐起ねおきしてゐた。試驗しけんけて高等學校かうとうがくかう這入はいれゝば、寄宿きしゆく入舍にふしやしなければならないとふので、その相談さうだんまですで叔父をぢ打合うちあはせがしてあるやうであつた。あたらしく出京しゆつきやうしたあにからは別段べつだん學資がくし世話せわけない所爲せゐか、自分じぶんうへいては叔父をぢほどしたしい相談さうだんんでなかつた。從兄弟いとこ安之助やすのすけとは今迄いままで關係上くわんけいじやう大變たいへんなかかつた。かへつて此方このはう兄弟きやうだいらしかつた。
 宗助そうすけ自然しぜん叔父をぢうちあしとほくなるやうになつた。たまにつても、義理ぎり一遍いつぺん訪問はうもんをはことおほいので、かへみちには何時いつつまらないがしてならなかつた。仕舞しまひには時候じこう挨拶あいさつますと、すぐかへりたくなることもあつた。かうときには三十ぷんすわつて世間話せけんばなし時間じかんつなぐのにさへほねれた。むかふでもなんだかけて窮屈きゆうくつだとふうえた。
「まあいぢやありませんか」と叔母をばめてくれるのがれいであるが、さうすると、猶更なほさらにくい心持こゝろもちがした。それでも、たまにはかないと、こゝろのうちでとがめるやう不安ふあんかんずるので、またくやうになつた。折々をり/\は、
うも小六ころく御厄介ごやくかいになりまして」と此方こつちからあたまげてれいこともあつた。けれども、それ以上いじやうは、おとうと將來しやうらい學資がくしついても、また自分じぶん叔父をぢたのんで、留守中るすちゆうはらつてもらつた地所ぢしよ家作かさくいても、くちるのがつい面倒めんだうになつた。しか宗助そうすけ興味きようみたない叔父をぢところへ、不精無精ふしやうぶしやうにせよ、ときたま出掛でかけてくのは、たん叔父をぢをひ血屬けつぞく關係くわんけいを、世間並せけんなみこたへるための義務心ぎむしんからではなくつて、いつか機會きくわいがあつたら、かたけたい或物あるものむねおくひかへてゐた結果けつくわぎないのはあきらかであつた。
そうさんはうも悉皆すつかりかはつちまいましたね」と叔母をば叔父をぢはなことがあつた。すると叔父をぢは、
うよなあ。り、あゝことがあると、ながまであとひゞくものだからな」とこたへて、因果いんぐわおそろしいとふうをする。叔母をばかさねて、
本當ほんたうに、こはいもんですね。もとはあんな寐入ねいつたぢやなかつたが――どうも燥急はしやぎるくらゐ活溌くわつぱつでしたからね。それが二三ねんないうちに、まるべつひとやうけちまつて。いまぢや貴方あなたより御爺おぢいさん/\してゐますよ」とふ。
眞逆まさか」と叔父をぢまたこたへる。
「いえ、あたまかほべつとして、樣子やうすがさ」と叔母をばまた辯解べんかいする。
 こんな會話くわいわ老夫婦らうふうふあひだはされたのは、宗助そうすけ出京しゆつきやうして以來いらいや二ではなかつた。實際じつさいかれ叔父をぢところると、老人らうじんうつとほりの人間にんげんえた。
 御米およねふものか、新橋しんばしいたとき老人らうじん夫婦ふうふ紹介せうかいされたぎり、つて叔父をぢうち敷居しきゐまたいだことがない。むかふからえれば叔父をぢさん叔母をばさんと丁寧ていねい接待せつたいするが、かへりがけに、
うです、御出掛おでかけなすつちや」などゝはれると、たゞ
難有ありがたう」とあたまげるだけで、つひ出掛でかけたためしはなかつた。流石さすが宗助そうすけさへ一は、
叔父をぢさんのところへ一つてちや、うだい」とすゝめたことがあるが、
「でも」とへんかほをするので、宗助そうすけ夫限それぎりけつして其事そのことさなかつた。
 兩家族りやうかぞくはこの状態じやうたいやくねんばかりをおくつた。すると宗助そうすけよりも氣分きぶんわかいとゆるされた叔父をぢ突然とつぜんんだ。病症びやうしやう脊髓腦膜炎せきずゐなうまくえんとかいふ劇症げきしやうで、二三にち風邪かぜ氣味きみてゐたが、便所べんじよつたかへりに、あらはうとして、柄杓ひしやくつたまゝ卒倒そつたうしたなり、一日いちんちつかたないうちにつめたくなつて仕舞しまつたのである。
御米およね叔父をぢはとう/\はなしをしずにんで仕舞しまつたよ」と宗助そうすけつた。
貴方あなたまだ、あのことつもいだつたの、貴方あなた隨分ずゐぶん執念深しふねんぶかいのね」と御米およねつた。
 それからまたねんばかりつたら、叔父をぢ安之助やすのすけ大學だいがく卒業そつげふして、小六ころく高等學校かうとうがくかうの二年生ねんせいになつた。叔母をば安之助やすのすけ一所いつしよなか六番町なかろくばんちやううつつた。
 三年目ねんめ夏休なつやすみに小六ころく房州ばうしう海水浴かいすゐよくつた。そこに一月餘ひとつきあまりも滯在たいざいしてゐるうちに九ぐわつになりけたので、保田ほたからむかふへ突切つつきつて、上總かづさ海岸かいがん九十九里くじふくりづたひに、銚子てうしまでたが、そこからおもしたやう東京とうきやうかへつた。宗助そうすけところえたのは、かへつてから、まだ二三にちしかたない、殘暑ざんしよつよ午後ごごである。眞黒まつくろげたかほなかに、だけひからして、見違みちがへるやう蠻色ばんしよくびたかれは、比較的ひかくてきとほ座敷ざしき這入はいつたなりよこになつて、あにかへりをけてゐたが、宗助そうすけかほるやいなや、むつくりがつて、
にいさん、すこ御話おはなしがあつてたんですが」とひらなほられたので、宗助そうすけすこおどろいた氣味きみで、暑苦あつくるしい洋服やうふくさへへずに、小六ころくはなしいた。
 小六ころくところによると、二三日前にちまへかれ上總かづさからかへつたばんかれ學資がくし此暮このくれかぎどくながらしてれないと叔母をばからまをわたされたのださうである。小六ころくちゝんで、すぐと叔父をぢられて以來いらい學校がくかうへもけるし、着物きもの自然ひとりで出來できるし、小遣こづかひ適宜てきぎもらへるので、ちゝ存生中ぞんしやうちゆうおなやうに、何不足なにふそくなくらせて惰性だせいから、其日そのひ其晩そのばんまでも、ついぞ學資がくし問題もんだいあたまおもうかべたことがなかつたため、叔母をば宣告せんこくけたときは、茫然ぼんやりして兎角とかく挨拶あいさつさへ出來できなかつたのだとふ。
 叔母をばどくさうに、何故なぜ小六ころく世話せわ出來できなくなつたかを、女丈をんなだけに、一時間じかんかつてくはしく説明せつめいしてれたさうである。それには叔父をぢくなつたことやら、いでおこ經濟上けいざいじやう變化へんくわやら、また安之助やすのすけ卒業そつげふやら、卒業後そつげふごひかえてゐる結婚けつこん問題もんだいやらが這入はいつてゐたのだとふ。
出來できるならば、めて高等學校かうとうがくかう卒業そつげふするまでおもつて、今日けふまで色々いろ/\ほねつたんだけれども」
 叔母をばつたと小六ころくかへした。小六ころく其時そのとき不圖ふとあに先年せんねんちゝ葬式さうしきとき出京しゆつきやうして、萬事ばんじ片付かたづけたあと廣島ひろしまかへるとき、小六ころくに、御前おまへ學資がくし叔父をぢさんにあづけてあるからとつたことがあるのをおもして、叔母をばはじめていてると、叔母をば案外あんぐわいかほをして、
「そりや、あのときそうさんが若干いくらいてきなすつたことは、きなすつたが、それはもうりやしないよ。叔父をぢさんのきて御出おいで時分じぶんから、御前おまへ學資がくし融通ゆうづうしてたんだから」とこたへた。
 小六ころくあにから自分じぶん學資がくしほどあつて、何年分なんねんぶん勘定かんぢやうで、叔父をぢあづけられたかを、いてかなかつたから、叔母をばからはれてると、一言ひとことかへやうがなかつた。
御前おまへ一人ひとりぢやなし、にいさんもあることだから相談さうだんをしてたらいだらう。其代そのかはわたしそうさんにつて、とつくりわけはなしませうから。どうも、そうさんもあんまり近頃ちかごろ御出おいででないし、わたし御無沙汰ごぶさたばかりしてゐるのでね、つい御前おまへこと御話おはなしをするわけにもかなかつたんだよ」と叔母をば最後さいごくはへたさうである。
 小六ころくから一部始終いちぶしじゆういたとき宗助そうすけはたゞおとうとかほながめて、一口ひとくち
こまつたな」とつた。むかしやうくわつげきして、すぐ叔母をばところ談判だんぱんける氣色けしきもなければ、今迄いままで自分じぶんたいして、世話せわにならないでもひとやうに、餘所よそ々々/\しく仕向しむけておとうと態度たいどきふ方向はうかうてんじたのを、にくいとおも樣子やうすえなかつた。
 自分じぶん勝手かつてつくげたうつくしい未來みらいが、半分はんぶんくづれかゝつたのを、さもはたひと所爲せゐででもあるかのごとこゝろみだしてゐる小六ころくかへ姿すがた見送みおくつた宗助そうすけは、くら玄關げんくわん敷居しきゐうへつて、格子かうしそと夕日ゆふひをしばらくながめてゐた。
 其晩そのばん宗助そうすけうらからおほきな芭蕉ばせうを二まいつてて、それを座敷ざしきえんいて、其上そのうえ御米およねならんですゞみながら、小六ころくことはなした。
叔母をばさんは、此方こつちで、小六ころくさんの世話せわをしろつてなんぢやなくつて」と御米およねいた。
「まあ、つていてないうちは、料簡れうけんわからないがね」と宗助そうすけふと、御米およねは、
屹度きつとうよ」とこたへながら、くらがりで團扇うちはをはた/\うごかした。宗助そうすけなにはずに、くびばして、ひさしがけあひだほそうつそらいろながめた。二人ふたり其儘そのまゝしばらくだまつてたが、やゝあつて、
「だつてそれぢや無理むりね」と御米およねまたつた。
人間にんげん一人ひとり大學だいがく卒業そつげふさせるなんて、おれ手際てぎはぢや到底とても駄目だめだ」と宗助そうすけ自分じぶん能力丈のうりよくだけあきらかにした。
 會話くわいわはそこでべつ題目だいもくうつつて、ふたゝ小六ころくうへにも叔母をばうへにもかへつてなかつた。それから二三にちすると丁度ちやうど土曜どえうたので、宗助そうすけ役所やくしよかへりに、番町ばんちやう叔母をばところつてた。叔母をばは、
「おや/\、まあ御珍おめづらしいこと」とつて、何時いつもよりは愛想あいそよく宗助そうすけ款待もてなしてれた。其時そのとき宗助そうすけいやなのを我慢がまんして、この四五年來ねんらいめていた質問しつもんはじめて叔母をばけた。叔母をばもとより出來できだけ辯解べんかいしないわけかなかつた。
 叔母をばところによると、宗助そうすけ邸宅やしき賣拂うりはらつたとき叔父をぢ這入はいつたかねは、たしかにはおぼえてゐないが、なんでも、宗助そうすけのために、急場きふばあはせた借財しやくざいかへしたうへなほ四千五百ゑんとか四千三百ゑんとかあまつたさうである。ところ叔父をぢ意見いけんによると、あの屋敷やしき宗助そうすけ自分じぶん提供ていきようしてつたのだから、たとひ幾何いくらあまらうと、あまつたぶん自分じぶん所得しよとく見傚みなして差支さしつかへない。しか宗助そうすけ邸宅やしきつてまうけたとはれては心持こゝろもちわるいから、これ小六ころく名義めいぎ保管ほくわんしていて、小六ころく財産ざいさんにしてる。宗助そうすけはあんなことをして廢嫡はいちやくまでされかゝつたやつだから、一もんだつて權利けんりはない。
そうさんおこつちや不可いけませんよ。たゞ叔父をぢさんのつたとほりをはなすんだから」と叔母をばことわつた。宗助そうすけだまつてあとをいてゐた。
 小六ころく名義めいぎ保管ほくわんされべき財産ざいさんは、不幸ふかうにして、叔父をぢ手腕しゆわんで、すぐ神田かんだにぎやかな表通おもてどほりの家屋かをく變形へんけいした。さうして、まだ保險ほけんけないうちに、火事くわじけて仕舞しまつた。小六ころくにははじめからはなしてないことだから、其儘そのまゝにして、わざとらせずにいた。
「さうわけでね、まことにそうさんにも、御氣おきどくだけれども、なにしろつてかへしのかないことだから仕方しかたがない。うんだとおもつてあきらめてください。もつと叔父をぢさんさへきてゐれば、またうともなるんでせうさ。小六ころく一人ひとりぐらゐそりやわけはありますまいよ。よしんば、叔父をぢさんがなさらない、いまにしたつて、此方こつち都合つがふさへければ、けたうちおなだけのものを、小六ころくかへすか、それでなくつても、當人たうにん卒業そつげふするまでぐらゐは、うにかして世話せわ出來できるんですけれども」とつて叔母をばまたほか内幕話うちまくばなしをしてかせた。それは安之助やすのすけ職業しよくげふついてゞあつた。
 安之助やすのすけ叔父をぢ一人息子ひとりむすこで、此夏このなつ大學だいがくばかり青年せいねんである。家庭かていあたゝかにそだつたうへに、同級どうきふ學生がくせいぐらゐよりほか交際かうさいのないをとこだから、なかことにはむし迂濶うくわつつてもいが、その迂濶うくわつところ何處どこ鷹揚おうやうおもむきそなへて實社會じつしやくわいかほしたのである。專門せんもん工科こうくわ器械學きかいがくだから、企業熱きげふねつ下火したびになつた今日こんにちいへども日本中にほんぢゆう澤山たくさんある會社くわいしやに、相應さうおうくちひとつやふたつあるのは、勿論もちろんであるが、親讓おやゆづりの山氣やまぎ何處どこかにひそんでゐるものとえて、自分じぶん自分じぶん仕事しごとをしてたくてならない矢先やさきへ、おなくわ出身しゆつしんで、小規模せうきぼながら專有せんいう工場こうば月島邊つきじまへんてゝ、獨立どくりつ經營けいえいをやつてゐる先輩せんぱい出逢であつたのがえんとなつて、その先輩せんぱい相談さうだんうへ自分じぶん幾分いくぶんかの資本しほんんで、一所いつしよ仕事しごとをして見樣みやうといふかんがへになつた。叔母をば内幕話うちまくばなしつたのは其所そこである。
「でね、すこつたかぶをみんな其方そのはうまはことにしたもんだから、いまぢや本當ほんたうに一もんなし同然どうぜん仕儀しぎでゐるんですよ。それは世間せけんからると、人數にんずすくなし、家邸いへやしきつてゐるし、らくえるのも無理むりのないところでせうさ。此間このあひだはら御母おつかさんがて、まあ貴方あなたほど氣樂きらくかたはない、何時いつても萬年青おもとばかり丹念たんねんあらつてゐるつてね。眞逆まさかうでもいんですけれども」と叔母をばつた。
 宗助そうすけ叔母をば説明せつめいいたときは、ぼんやりして兎角とかく返事へんじ容易よういなかつた。こゝろのなかで、これ神經衰弱しんけいすゐじやく結果けつくわむかしやう機敏きびん明快めいくわい判斷はんだんを、すぐつくげるあたまくなつた證據しようこだらうと自覺じかくした。叔母をば自分じぶんとほりが、宗助そうすけ本當ほんたうけられないのをにするやうに、安之助やすのすけからした資本しほんたかまではなした。それは五千ゑんほどであつた。安之助やすのすけ當分たうぶんあひだわづかな月給げつきふと、この五千ゑんたいする利益りえき配當はいたうとでらさなければならないのださうである。
その配當はいたうだつて、まだうなるかわかりやしないんでさあね。うまつたところで、一わりか一わりぐらゐなものでせうし、またひと間違まちがへばまるけむにならないともかぎらないんですから」と叔母をばくはへた。
 宗助そうすけ叔母をば仕打しうちに、これ目立めだつた阿漕あこぎところえないので、こゝろうちではすくなからずこまつたが、小六ころく將來しやうらいいて一口ひとくち掛合かけあひもせずにかへるのは如何いかにも馬鹿々々ばか/\しいがした。そこで今迄いままで問題もんだい其所そこゑつきりにしていて、自分じぶん當時たうじ小六ころく學資がくしとして叔父をぢあづけてつた千ゑん所置しよちたゞしてると、叔母をばは、
そうさん、あれこそ本當ほんたう小六ころく使つかつちまつたんですよ。小六ころく高等學校かうとうがくかう這入はいつてからでも、もう彼是かれこれ七百ゑんかつてゐるんですもの」とこたへた。
 宗助そうすけついでだから、それと同時どうじに、叔父をぢ保管ほくわんたのんだ書畫しよぐわ骨董品こつとうひん成行なりゆきたしかめてた。すると、叔母をばは、
「ありあんだ馬鹿ばかつて」とひかけたが、宗助そうすけ樣子やうすて、
そうさん、なんですか、彼事あのことはまだ御話おはなしをしなかつたんでしたかね」といた。宗助そうすけがいゝえとこたへると、
「おや/\、それぢや叔父をぢさんがわすれちまつたんですよ」とひながら、その顛末てんまつかたつてかした。
 宗助そうすけ廣島ひろしまかへるともなく、叔父をぢその賣捌方うりさばきかた眞田さなだとかいふ懇意こんいをとこ依頼いらいした。このをとこ書畫しよぐわ骨董こつとうみちあかるいとかいふので、平生へいぜいそんなものの賣買ばいばい周旋しうせんをして諸方しよはう出入でいりするさうであつたが、すぐさま叔父をぢ依頼いらいけて、だれそれがしなにしいとふから、一寸ちよつと拜見はいけんとか、何々なに/\もの希望きばうだから、せませうとかがうして、品物しなものつてつたぎり、かへしてない。催促さいそくすると、まだ先方せんぱうからもどつてまゐりませんからとかなんとか言譯いひわけをするだけかつらちいたためしがなかつたが、とう/\れなくなつたとえて、何處どこかへ姿すがたかくして仕舞しまつた。
「でもね、屏風びやうぶひとのこつてゐますよ。此間このあひだ引越ひつこしときに、いて、こりやそうさんのだから、今度こんだついでがあつたらとゞけてげたらいだらうつて、やすがさうつてゐましたつけ」
 叔母をば宗助そうすけあづけてつた品物しなものにはまるおもきをいてゐないやうな、ものゝかたをした。宗助そうすけ今日けふまではふつてくらゐだから、あまりその方面はうめんには興味きようみなかつたので、すこしも良心りやうしんなやまされてゐる氣色けしきのない叔母をば樣子やうすても、べつはらたなかつた。それでも、叔母をばが、
そうさん、うせうちぢや使つかつてゐないんだから、なんならつて御出おいでなすつちやうです。此頃このごろあゝいふものが、大變たいへんたとはなしぢやありませんか」とつたときは、實際じつさいそれをつてかへになつた。
 納戸なんどからしてもらつて、あかるいところながめると、たしかに見覺みおぼえのある二枚折まいをりであつた。したはぎ桔梗ききやうすゝきくず女郎花をみなへし隙間すきまなくいたうへに、眞丸まんまるつきぎんして、其横そのよこいたところへ、野路のぢ空月そらつきなかなる女郎花をみなへし其一きいちだいしてある。宗助そうすけひざいてぎんいろくろげたあたりから、くずかぜうらかへしてゐるいろかわいたさまから、大福だいふくほどおほきなまるしゆ輪廓りんくわくなかに、抱一はういつ行書ぎやうしよいた落款らつくわんをつく/″\とて、ちゝきてゐる當時たうじおもおこさずにはゐられなかつた。
 ちゝ正月しやうぐわつになると、屹度きつとこの屏風びやうぶ薄暗うすぐらくらなかからして、玄關げんくわん仕切しきりにてて、其前そのまへ紫檀したんかく名刺入めいしいれいて、年賀ねんがけたものである。其時そのとき目出度めでたいからとふので、客間きやくまとこにはかならとら双幅さうふくけた。これ岸駒がんくぢやない岸岱がんたいだとちゝ宗助そうすけつてかせたことがあるのを、宗助そうすけはいまだに記憶きおくしてゐた。このとらにはすみいてゐた。とらしたしてたにみづんでゐる鼻柱はなばしらすこけがされたのを、ちゝひどにして、宗助そうすけたびに、御前おまへ此所こゝすみつたことおぼえてゐるか、これ御前おまへちひさい時分じぶん惡戲いたづらだぞとつて、可笑をかしいやううらめしいやう一種いつしゆ表情へうじやうをした。
 宗助そうすけ屏風びやうぶまへかしこまつて、自分じぶん東京とうきやうにゐたむかしことかんがへながら、
叔母をばさん、ぢやこの屏風びやうぶ頂戴ちようだいしてきませう」とつた。
「あゝ/\、御持おもちなさいとも。なんなら使つかひたせてげませう」と叔母をば好意かういからまをえた。
 宗助そうすけしかるべく叔母をばたのんで、其日そのひそれげてかへつた。晩食ばんめしのち御米およね一所いつしよまた縁側えんがはて、くらところ白地しろぢ浴衣ゆかたならべて、すゞみながら、ひるはなしをした。
やすさんには、御逢おあひなさらなかつたの」と御米およねいた。
「あゝ、やすさんは土曜どえうでもなんでも夕方ゆふがたまで工場こうばにゐるんださうだ」
隨分ずゐぶんほねれるでせうね」
 御米およねつたなり、叔父をぢ叔母をば處置しよちいては、一言ひとこと批評ひひやうくはへなかつた。
小六ころくことうしたものだらう」と宗助そうすけくと、
「さうね」とだけであつた。
理窟りくつへば、此方こつちにもぶんはあるが、せば、とゞのつまりは裁判沙汰さいばんざたになるばかりだから、證據しようこなにもなければてるわけのものぢやなし」と宗助そうすけ極端きよくたん豫想よさうすると、
裁判さいばんなんかにたなくたつてもいわ」と御米およねがすぐつたので、宗助そうすけ苦笑くせうしてめた。
「つまりはおれがあのとき東京とうきやうられなかつたからのことさ」
「さうして東京とうきやうられたときは、もうそんなことうでもかつたんですもの」
 夫婦ふうふはこんなはなしをしながら、またほそそらひさししたからのぞいてて、明日あした天氣てんきかたつて蚊帳かや這入はいつた。
 つぎ日曜にちえう宗助そうすけ小六ころくんで、叔母をばつたとほりをのこらずはなしてかせて、
叔母をばさんが御前おまへくはしい説明せつめいをしなかつたのは、短兵急たんぺいきふ御前おまへ性質せいしつつてる所爲せゐか、それともまだ小供こどもだとおもつてわざとりやくして仕舞しまつたのか、其所そこおれにもわからないが、なにしろ事實じじついまつたとほりなんだよ」とをしえた。
 小六ころくには如何いかくはしい説明せつめいはらしにはならなかつた。たゞ、
うですか」とつてづかしい不滿ふまんかほをして宗助そうすけた。
仕方しかたがないよ。叔母をばさんだつて、やすさんだつて、さうわる料簡れうけんはないんだから」
「そりや、わかつてゐます」とおとうとけはしいものかたをした。
「ぢやおれわるいつてふんだらう。おれ無論むろんわるいよ。むかしから今日こんにちまでわるところだらけなをとこだもの」
 宗助そうすけよこになつて烟草たばこかしながら、これより以上いじやうなんともかたらなかつた。小六ころくだまつて、座敷ざしきすみてゝあつた二枚折まいをり抱一はういつ屏風びやうぶながめてゐた。
御前おまへあの屏風びやうぶおぼえてゐるかい」とやがてあにいた。
「えゝ」と小六ころくこたへた。
一昨日をとゝひ佐伯さへきからとゞけてれた。御父おとうさんのつてたもので、おれののこつたのは、いまぢやこれだけだ。これ御前おまへ學資がくしになるなら、いますぐにでもるが、げた屏風びやうぶまい大學だいがく卒業そつげふするわけにもかずな」と宗助そうすけつた。さうして苦笑くせうしながら、
このあついのに、んなものをてゝくのは、氣狂きちがひじみてゐるが、れてところがないから、仕方しかたがない」と述懷じゆつくわいをした。
 小六ころくこの氣樂きらくやうな、愚圖ぐづやうな、自分じぶんとはあまりにへだつてゐるあにを、何時いつ物足ものたりなくはおもふものゝ、いざといふ場合ばあひに、けつして喧嘩けんくわはしなかつた。此時このとききふ癇癪かんしやくつのられた氣味きみで、
屏風びやうぶうでもいが、これからさきぼくはどうしたもんでせう」とした。
それ問題もんだいだ。なにしろ此年ことし一杯いつぱいまればことだから、まあよくかんがへるさ。おれもかんがへてかう」と宗助そうすけつた。
 おとうとかれ性質せいしつとして、そんなちゆうぶらりんの姿すがたきらひである、學校がくかうても落付おちついて稽古けいこ出來できず、下調したしらべかないやう境遇きやうぐうは、到底たうてい自分じぶんにはへられないとうつたへせつしたが、宗助そうすけ態度たいど依然いぜんとしてかはらなかつた。小六ころくがあまりかんたか不平ふへいならべると、
そのくらゐこと夫程それほど不平ふへいならべられゝば、何處どこつたつて大丈夫だいぢやうぶだ。學校がくかうめたつて、一向いつかう差支さしつかへない。御前おまへはうおれよりぽどえらいよ」とあにつたので、はなしそれぎり頓挫とんざして、小六ころくはとう/\本郷ほんがうかへつてつた。
 宗助そうすけはそれからびて、晩食ばんめしまして、よる近所きんじよ縁日えんにち御米およね一所いつしよ出掛でかけた。さうして手頃てごろ花物はなもの二鉢ふたはちつて、夫婦ふうふしてひとづゝつてかへつてた。夜露よつゆてたはうからうとふので、崖下がけした雨戸あまどけて、庭先にわさきにそれをふたならべていた。
 蚊帳かやなか這入はいつたとき御米およねは、
小六ころくさんのことうなつて」とをつとくと、
うもならないさ」と宗助そうすけこたへたが、十ぷんばかりのち夫婦ふうふともすや/\寐入ねいつた。
 翌日よくじつめて役所やくしよ生活せいくわつはじまると、宗助そうすけはもう小六ころくことかんがへるひまたなかつた。うちかへつて、のつそりしてゐるときですら、この問題もんだい確的はつきりまへゑがいてあきらかにそれをながめることはゞかつた。かみなかつゝんであるかれなうは、そのわづらはしさにえなかつた。むかし數學すうがくすきで、隨分ずゐぶんつた幾何きか問題もんだいを、あたまなか明暸めいれうにしてだけ根氣こんきがあつたことおもすと、時日じじつわりには非常ひじやうはげしくこの變化へんくわ自分じぶんにもおそろしくうつつた。
 それでも一度いちどぐらゐ小六ころく姿すがたがぼんやりあたまおくいてことがあつて、その時丈ときだけは、彼奴あいつ將來しやうらいなんとかかんがへてかなくつちやならないとおこつた。しかしすぐあとから、まあいそぐにもおよぶまいぐらゐに、自分じぶんして仕舞しまふのがつねであつた。さうして、むねきん一本いつぽんかぎかゝつたやうこゝろいだいて、らしてゐた。
 そのうちぐわつすゑになつて、毎晩まいばんあまがはへるあるよひことそらからつたやう安之助やすのすけつてた。宗助そうすけにも御米およねにもおもけないほどたまきやくなので、二人ふたりともなにようがあつての訪問はうもんだらうとすゐしたが、はたして小六ころくくわんするけんであつた。
 このあひだ月島つきじま工場こうばへひよつくり小六ころくつてふには、自分じぶん學資がくしついてのくはしいはなしあにからいたが、自分じぶん今迄いままで學問がくもんつてて、とう/\大學だいがく這入はいれず仕舞じまひになるのは如何いかにも殘念ざんねんだから、借金しやくきんでもなんでもして、けるところまできたいが、なに工夫くふうはあるまいかと相談さうだんけるので、安之助やすのすけはよくそうさんにもはなしてやうとこたへると、小六ころくたちまちそれをさへぎつて、あに到底たうてい相談さうだんになつてれるひとぢやない、自分じぶん大學だいがく卒業そつげふしないから、ひと中途ちゆうとめるのは當然たうぜんぐらゐかんがへてゐる。元來ぐわんらい今度こんどこともとたゞせばあに責任者せきにんしやであるのに、あのとほ一向いつかう平氣へいきなもので、ひとなにつてもつてれない。だから、たゞたよりにするのは君丈きみだけだ。叔母をばさんに正式せいしきことわられながら、またきみ依頼いらいするのは可笑をかしいやうだが、きみはう叔母をばさんよりはなしわかるだらうとおもつてたとつて、中々なか/\うごきさうもなかつたさうである。
 安之助やすのすけは、そんなことはない、そうさんもきみことでは大分だいぶ心配しんぱいして、ちかうちまたうち相談さうだんはずになつてゐるんだからとなぐさめて、小六ころくかへしたんだとふ。かへるときに、小六ころくたもとから半紙はんし何枚なんまいして、缺席屆けつせきとゞげ入用にふようだからこれはんしてれと請求せいきうして、ぼく退學たいがく在學ざいがくかたまで勉強べんきやう出來できないから、毎日まいにち學校がくかう必要ひつえうはないんだとつたさうである。
 安之助やすのすけいそがしいとかで、一時間じかんらずはなしてかへつてつたが、小六ころく所置しよちついては、兩人りやうにんあひだ具體的ぐたいてきあんべつなかつた。いづゆつくりみんなでつてめやう、都合つがふがよければ小六ころく列席れつせきするがからうといふのがわかれるとき言葉ことばであつた。二人ふたりになつたとき、御米およね宗助そうすけに、
なにかんがへてらつしやるの」といた。宗助そうすけ兩手りやうて兵兒帶へこおびあひだはさんで、心持こゝろもちかたたかくしたなり、
おれももう一ぺん小六ころくやうになつてたい」とつた。「此方こつちぢや、むかふおれやう運命うんめいおちいるだらうとおもつて心配しんぱいしてゐるのに、むかふぢや兄貴あにきなんざあ眼中がんちゆうにないからえらいや」
 御米およね茶器ちやきいて臺所だいどころた。夫婦ふうふはそれぎりはなしげて、またとこべてた。ゆめうへたか銀河あまのがはすゞしくかゝつた。
 つぎ週間しうかんには、小六ころくず、佐伯さへきからの音信たよりもなく、宗助そうすけ家庭かていまた平日へいじつ無事ぶじかへつた。夫婦ふうふ毎朝まいあさつゆひかころきて、うつくしいひさしうへた。よる煤竹すゝだけだいけた洋燈らんぷ兩側りやうがはに、ながかげゑがいてすわつてゐた。はなし途切とぎれたときはひそりとして、柱時計はしらどけい振子ふりこ音丈おとだけきこえることまれではなかつた。
 それでも夫婦ふうふ此間このあひだ小六ころくこと相談さうだんした。小六ころくがもしうしても學問がくもんつゞけるなら無論むろんこと、さうでなくても、いま下宿げしゆく一時いちじげなければならなくなるのはれてゐるが、うすればまた佐伯さへきかへるか、あるひ宗助そうすけところくよりほかみちはない。佐伯さへきでは一旦いつたんあゝしたやうなものゝ、たのんでたら、當分たうぶんうちぐらゐことは、好意上かういじやうてくれまいものでもない。が、其上そのうへ修業しうげふをさせるとなると、月謝げつしや小遣こづかひ其他そのた宗助そうすけはう擔任たんにんしなければ義理ぎりわるい。ところそれ家計上かけいじやう宗助そうすけえるところでなかつた。月々つき/″\收支しうし事細ことこまかに計算けいさんして兩人ふたりは、
到底たうてい駄目だめだね」
うしたつて無理むりですわ」とつた。
 夫婦ふうふすわつてゐるちやつぎ臺所だいどころで、臺所だいどころみぎ下女部屋げぢよべやひだりに六でふ一間ひとまある。下女げぢよれて三にん小人數こにんずだから、このでふにはあま必要ひつえうかんじない御米およねは、東向ひがしむき窓側まどがは何時いつ自分じぶん鏡臺きやうだいいた。宗助そうすけあさきてかほあらつて、めしますと、此所こゝ着物きものへた。
それよりか、あの六でふけて、あすこへちや不可いけなくつて」と御米およねした。御米およねかんがへでは、うして自分じぶんはう部屋へや食物丈たべものだけ分擔ぶんたんして、あとのところ月々つき/″\幾何いくら佐伯さへきからすけもらつたら、小六ころくのぞどほ大學だいがく卒業そつげふまでつてかれやうとふのである。
着物きものやすさんのふるいのや、貴方あなたのをなほしてげたら、うかなるでせう」と御米およねへた。じつ宗助そうすけにもんなかんがへが、多少たせうあたまかんでた。たゞ御米およね遠慮ゑんりよがあるうへに、それほどすゝまなかつたので、ついくちさなかつたまでだから、細君さいくんから反對あべこべ相談さうだんけられてると、もとよりそれをこばだけ勇氣ゆうきはなかつた。
 小六ころく其通そのとほりを通知つうちして、御前おまへさへそれで差支さしつかへなければ、おれがもう一ぺん佐伯さへきつて掛合かけあつてるがと、手紙てがみあはせると、小六ころく郵便いうびんいたばん、すぐあめなかを、からかさおとてゝつてて、もう學資がくし出來できでもしたやううれしがつた。
なに叔母をばさんのはうぢや、此方こつち何時迄いつまで貴方あなたことはふしたまんま、かまはずにくもんだから、それであゝおつしやるのよ。なににいさんだつて、もうすこ都合つがふければ、うにもうにかたんですけれども、御存ごぞんじのとほりだから實際じつさいむをなかつたんですわ。しか此方こつちからつてけば、叔母をばさんだつて、やすさんだつて、それでもいやだとははれないわ。屹度きつと出來できるから安心あんしんしてらつしやい。わたし受合うけあふわ」
 御米およねにかう受合うけあつてもらつた小六ころくは、またあめおとあたまうへけて本郷ほんがうかへつてつた。しかしなかにちいて、にいさんはかないんですかときにた。また三日みつかばかりぎてから、今度こんど叔母をばさんのところつていたら、にいさんはまだないさうだから、るべくはややうすゝめてれと催促さいそくしてつた。
 宗助そうすけくとつて、らしてゐるうちになかやうやあきになつた。そのほがらかなある日曜にちえう午後ごごに、宗助そうすけはあまり佐伯さへきくのがおくれるので、この要件えうけん手紙てがみしたゝめて番町ばんちやう相談さうだんしたのである。すると、叔母をばから安之助やすのすけ神戸かうべつて留守るすだと返事へんじたのである。


 佐伯さへき叔母をばたづねてたのは、土曜どえう午後ごごの二時過じすぎであつた。其日そのひれいになくあさからくもて、突然とつぜんかぜきたかはつたやうさむかつた。叔母をばたけんだまる火桶ひをけうへかざして、
なんですね、御米およねさん、この御部屋おへやなつすゞしさうで結構けつこうだが、これからはちとさむ御座ござんすね」とつた。叔母をばくせのあるかみを、奇麗きれいまげつて、古風こふう丸打まるうち羽織はおりひもを、むねところむすんでゐた。さけきなたちで、いまでもすこしづゝは晩酌ばんしやく所爲せゐか、色澤いろつやもよく、でつぷりふとつてゐるから、としよりは餘程よほどわかえる。御米およね叔母をばるたんびに、叔母をばさんはわかいのねと、あとでよく宗助そうすけはなした。すると宗助そうすけ何時いつでも、わかはずだ、あのとしになるまで子供こどもをたつた一人ひとりしかまないんだからと説明せつめいした。御米およね實際じつさいさうかもれないとおもつた。さうしてはれたあとでは、折々をり/\そつと六でふ這入はいつて、自分じぶんかほかゞみうつしてた。其時そのときなんだか自分じぶんほゝたびけてやうがした。御米およねには自分じぶん子供こどもとを連想れんさうしてかんがへるほどつらことはなかつたのである。うら家主やぬしうちに、ちひさい子供こども大勢おほぜいゐて、それがけうへにはて、ブランコへつたり、おにごつこをつたりしてさわこゑが、きこえると、御米およね何時いつでも、果敢はかないやううらめしいやう心持こゝろもちになつた。いま自分じぶんまへすわつてゐる叔母をばは、たつた一人ひとりをとこんで、そのをとこ順當じゆんたうそだつて、立派りつぱ學士がくしになつたればこそ、叔父をぢんだ今日こんにちでも、何不足なにふそくのないかほをして、あごなどは二重ふたへえるくらゐゆたかなのである。御母おかあさんはふとつてるから劍呑けんのんだ、けないと卒中そつちゆうられるかもれないと、安之助やすのすけ始終しじゆう心配しんぱいするさうだけれども、御米およねからはせると、心配しんぱいする安之助やすのすけも、心配しんぱいされる叔母をばも、とも幸福かうふくつてゐるものとしかおもはれなかつた。
やすさんは」と御米およねいた。
「えゝやうやくね、あなた。一昨日をとゝひばんかへりましてね。それでつい/\御返事ごへんじおくれちまつて、まことにみませんやうわけで」とつたが、返事へんじはうそれなりにして、はなしまた安之助やすのすけもどつてた。
「あれもね、御蔭おかげさまでやうや學校丈がくかうだけ卒業そつげふしましたが、これからが大事だいじところで、心配しんぱい御座ございます。――それでもこのぐわつから、月島つきじま工場こうばはうことになりまして、まあさいはひ此分このぶん勉強べんきやうさへしてつてれゝば、此末このすゑともに、さうわることからうかとおもつてるんですけれども、まあわかいものゝことですから、これからさき變化へんげるかわかりやしませんよ」
 御米およねはたゞ結構けつこう御座ございますとか、御目出おめでたう御座ございますとか言葉ことばを、間々あひだ/\はさんでゐた。
神戸かうべまゐつたのも、まつた其方そのはう用向ようむきなので。石油發動機せきゆはつどうきとかなんとかふものを鰹船かつをぶねけるんだとかつてね貴方あなた
 御米およねにはまる意味いみわからなかつた。わからないながらたゞへえゝとけてゐると、叔母をばはすぐあとはなした。
わたくしにもなんのこつたか、ちつともわからなかつたんですが、安之助やすのすけ講釋かうしやくいてはじめて、おやさうかいとやうわけでしてね。――もつと石油發動機せきゆはつどうきいまもつわからないんですけれども」とひながら、おほきなこゑしてわらつた。「なんでも石油せきゆいて、それでふね自由じいうにする器械きかいなんださうですが、いてると餘程よつぽど重寶ちようはうなものらしいんですよ。それさへければ、ふね手間てままるはぶけるとかでね。五も十おきるのに、大變たいへんらくなんですとさ。ところ貴方あなたこの日本全國につぽんぜんこく鰹船かつをぶねかずつたら、それこそたいしたものでせう。その鰹船かつをぶねひとづゝこの器械きかいそなけるやうになつたら、莫大ばくだい利益りえきだつてふんで、此頃このごろ夢中むちゆうになつて其方そのはうばつかりにかゝつてゐるやうですよ。莫大ばくだい利益りえき有難ありがたいが、さうつて身體からだでもわるくしちやつまらないぢやないかつて、此間このあひだわらつたくらゐで」
 叔母をばはしきりに鰹船かつをぶね安之助やすのすけはなしをした。さうして大變たいへん得意とくいやうえたが、小六ころくこと中々なか/\さなかつた。もうとうかへはず宗助そうすけうしたかかへつてなかつた。
 かれ其日そのひ役所やくしよかへけに駿河臺下するがだいしたまでて、電車でんしやりて、いものを頬張ほゝばつたやうくち穿すぼめて一二ちやうあるいたのち、ある齒醫者はいしやかどくゞつたのである。三四日前さんよつかぜんかれ御米およね差向さしむかひで、夕飯ゆふはんぜんいて、はなしながらはしつてゐるさいに、うした拍子ひやうしか、前齒まへばぎやくにぎりゝとんでから、それがきふいたした。ゆびうごかすと、がぐら/\する。食事しよくじときには湯茶ゆちやみる。くちけていきをするとかぜみた。宗助そうすけ此朝このあさみがくために、わざといたところけて楊枝やうじ使つかひながら、くちなかかゞみらしてたら、廣島ひろしまぎんめた二まい奧齒おくばと、いだやうらした不揃ぶそろ前齒まへばとが、にはかにさむひかつた。洋服やうふく着換きかえるとき
御米およねおれしやう餘程よつぽどわるいとえるね。うやると大抵たいていうごくぜ」と下齒したばゆびうごかしてせた。御米およねわらひながら、
「もう御年おとし所爲せゐよ」とつてしろえりうしろまはつて襯衣しやつけた。
 宗助そうすけ其日そのひ午後ごごとう/\おもつて、齒醫者はいしやつたのである。應接間おうせつまとほると、おほきな洋卓テーブル周圍まはり天鵞絨ビロードつた腰掛こしかけならんでゐて、あはしてゐる三四人さんよにんが、うづくまるやうあごえりうづめてゐた。それがみんなをんなであつた。奇麗きれい茶色ちやいろ瓦斯暖爐ガスストーヴにはがまだいてなかつた。宗助そうすけおほきな姿見すがたみうつ白壁しらかべいろなゝめにて、ばんるのをつてゐたが、あまり退屈たいくつになつたので、洋卓テーブルうへかさねてあつた雜誌ざつしけた。一二さつつてると、いづれも婦人用ふじんようのものであつた。宗助そうすけその口繪くちゑてゐるをんな寫眞しやしんを、何枚なんまいかへしてながめた。それから「成効せいかう」と雜誌ざつしげた。そのはじめに、成效せいかう祕訣ひけつといふやうなものが箇條書かでうがきにしてあつたうちに、なんでも猛進まうしんしなくつては不可いけないとふ一ヶでうと、たゞ猛進まうしんしても不可いけない、立派りつぱ根底こんていうへつて、猛進まうしんしなくつてはならないとふ一ヶでうんで、それなり雜誌ざつしせた。「成效せいかう」と宗助そうすけ非常ひじやうえんとほいものであつた。宗助そうすけういふ雜誌ざつしがあるとことさへ、今日迄こんにちまでらなかつた。それでまためづらしくなつて、一旦いつたんせたのをまたけてると、不圖ふと假名かなまじらない四角しかくが二ぎやうほどならんでゐた。それにはかぜ碧落へきらくいて浮雲ふうんき、つき東山とうざんのぼつてぎよく一團いちだんとあつた。宗助そうすけとかうたとかいふものには、もとからあま興味きようみたないをとこであつたが、どうわけこのんだとき大變たいへん感心かんしんした。對句つゐくうま出來できたとかなんとか意味いみではなくつて、んな景色けしきおなやう心持こゝろもちになれたら、人間にんげんさぞうれしからうと、ひよつとこゝろうごいたのである。宗助そうすけ好奇心かうきしんから此句このくまへいてゐる論文ろんぶんんでた。しかそれまる無關係むくわんけいやうおもはれた。たゞこの雜誌ざつしいたあとでも、しきりにかれあたまなか徘徊はいくわいした。かれ生活せいくわつ實際じつさいこの四五年來ねんらいういふ景色けしき出逢であつたことがなかつたのである。
 其時そのときむかふのいて、紙片かみぎれつた書生しよせい野中のなかさんと宗助そうすけ手術室しゆじゆつしつれた。
 なか這入はいると、其所そこ應接間おうせつまよりもばいひろかつた。光線くわうせんるべく餘計よけいれるやうあかるくこしらへた部屋へや二側ふたがはに、手術用しゆじゆつよう椅子いす四臺よだいほどゑて、しろ胸掛むねかけをかけた受持うけもちをとこが、一人ひとりづゝ別々べつ/\療治れうぢをしてゐた。宗助そうすけ一番いちばんおくはうにある一きやく案内あんないされて、これへとはれるので、踏段ふみだんやうなもののうへつて、椅子いすこしおろした。書生しよせいあつ縞入しまいり前掛まへかけ丁寧ていねいひざからしたくるんでれた。
 おだやかにかされたとき宗助そうすけれい左程さほどになるほどいたんでゐないとこと發見はつけんした。そればかりか、かたせなも、こしまはりも、心安こゝろやすいて、如何いかにもらく調子てうしれてゐることいた。かれはたゞ仰向あふむいて天井てんじやうからさがつてゐる瓦斯ガスくわんながめた。さうしてこのかまへ設備せつびでは、かへりがけにおもつたよりたか療治代れうぢだいられるかもれないと氣遣きづかつた。
 ところかほわりあたまうすくなりぎたふとつたをとこて、大變たいへん丁寧ていねい挨拶あいさつをしたので、宗助そうすけすこ椅子いすうへ狼狽あわてやうくびうごかした。ふとつたをとこ一應いちおう容體ようだいいて、口中こうちゆう檢査けんさして、宗助そうすけいたいと一寸ちよつとゆすつてたが、
うもゆるみますと、到底とてももとやうしまわけにはまゐりますまいとおもひますが。なにしろなかがエソになつてりますから」とつた。
 宗助そうすけこの宣告せんこくさびしいあきひかりやうかんじた。もうそんなとしなんでせうかといてたくなつたが、すこきまりがわるいので、たゞ、
「ぢやなほらないんですか」とねんした。
 ふとつたをとこわらひながらつた。――
「まあなほらないとまをげるよりほか仕方しかた御座ござんせんな。やむなければ、おもつていて仕舞しまふんですが、いまところでは、まだ夫程それほどでも御座ございますまいから、たゞ御痛おいただけめてきませう。なにしろエソ――エソとまをしても御分おわかりにならないかもれませんが、なかまるくさつてります」
 宗助そうすけは、うですかとつて、たゞふとつたをとこのなすがまゝにしていた。するとかれ器械きかいをぐる/\まはして宗助そうすけあなはじめた。さうして其中そのなか細長ほそながはりやうなものをとほしては、其先そのさきいでゐたが、仕舞しまひいとほどすぢして、神經しんけい是丈これだけれましたとひながら、それを宗助そうすけせてれた。それからくすりそのあなめて、明日みやうにちまたらつしやいと注意ちゆういあたへた。
 椅子いすりるとき、身體からだ眞直まつすぐになつたので、視線しせん位置ゐち天井てんじやうから不圖ふと庭先にはさきうつつたら、其所そこにあつたたかさ五しやくもあらうとおほきな鉢栽はちうゑまつ宗助そうすけ這入はいつた。その根方ねがたところを、草鞋わらぢがけの植木屋うゑきや丁寧ていねいこもくるんでゐた。段々だん/\つゆつてしもになる時節じせつなので、餘裕よゆうのあるものは、もう今時分いまじぶんから手廻てまはしをするのだといた。
 かへりがけに玄關げんくわんわき藥局やくきよくで、粉藥こぐすりまゝ含嗽劑がんそうざい受取うけとつて、それを百ばい微温湯びをんたう溶解ようかいして、一にち數回すうくわい使用しようすべき注意ちゆういけたとき宗助そうすけ會計くわいけい請求せいきうした治療代ちれうだい案外あんぐわいれんなのをよろこんだ。これならばむかふでとほり四五くわいかよつたところが、さして困難こんなんでもないとおもつて、くつ穿かうとすると、今度こんどくつそこ何時いつにかやぶれてゐることいた。
 うちいたとき一足違ひとあしちがひ叔母をばがもうかへつたあとであつた。宗助そうすけは、
「おゝ、うだつたか」とひながら、はなは面倒めんだうさうに洋服やうふくへて、何時いつものとほ火鉢ひばちまへすわつた。御米およね襯衣しやつ洋袴ずぼん靴足袋くつたび一抱ひとかゝへにして六でふ這入はいつた。宗助そうすけはぼんやりして、烟草たばこかしはじめたが、むかふの部屋へやで、刷毛ブラツシけるおとがししたとき
御米およね佐伯さへき叔母をばさんはなんとかつてたのかい」といた。
 齒痛しつうおのづからをさまつたので、あきおそはれるやうさむ氣分きぶんは、すこかるくなつたけれども、やがて御米およね隱袋ぽつけつとからして粉藥こぐすりを、ぬるいてもらつて、しきりに含嗽うがひはじめた。其時そのときかれ縁側えんがはつたまゝ
うもみじかくなつたなあ」とつた。
 やがてくれれた。晝間ひるまからあまりくるまおとかない町内ちやうないは、よひくちからしんとしてゐた。夫婦ふうふれいとほ洋燈らんぷもとつた。ひろなかで、自分達じぶんたちすわつてゐる所丈ところだけあかるくおもはれた。さうしてこのあかるい灯影ひかげに、宗助そうすけ御米およねだけを、御米およねまた宗助そうすけだけ意識いしきして、洋燈ランプちからとゞかないくら社會しやくわいわすれてゐた。彼等かれら毎晩まいばんかうらしてうちに、自分達じぶんたち生命せいめい見出みいだしてゐたのである。
 このしづかな夫婦ふうふ安之助やすのすけ神戸かうべから土産みやげつてたと養老昆布やうらうこぶくわんをがら/\つて、なかから山椒さんしよりのちひさくむすんだやつしながら、ゆつくり佐伯さへきからの返事へんじかたつた。
しか月謝げつしや小遣こづかひぐらゐ都合つがふしてつてれてもささうなもんぢやないか」
「それが出來できないんだつて。見積みつもつても兩方りやうはうせると、十ゑんにはなる。十ゑんまとまつた御金おかねを、いまところ月々つき/″\すのはほねれるつてふのよ」
それぢや此年ことし暮迄くれまで二十何圓なんゑんづゝかしてるのも無理むりぢやないか」
「だから、無理むりをしても、もう一二ヶげつところだけあはせるから、其内そのうちうかしてくださいと、やすさんがふんだつて」
實際じつさい出來できないのかな」
りやわたしにはわからないわ。なにしろ叔母をばさんが、ふのよ」
鰹舟かつをぶねまうけたら、其位そのくらゐわけなささうなもんぢやないか」
本當ほんたうね」
 御米およねひくこゑわらつた。宗助そうすけ一寸ちよつとくちはたうごかしたが、はなしはそれで途切とぎれて仕舞しまつた。しばらくしてから、
なにしろ小六ころくうちるとめるよりほかみちはあるまいよ。あと其上そのうへことだ。いまぢや學校がくかうへはてゐるんだね」と宗助そうすけつた。
「さうでせう」と御米およねこたへるのをながして、かれめづらしく書齋しよさい這入はいつた。一時間じかんほどして、御米およねがそつとふすまけてのぞいてると、つくゑむかつて、なにんでゐた。
勉強べんきやう? もう御休おやすみなさらなくつて」とさそはれたときかれかへつて、
「うん、もうよう」とこたへながらあがつた。
 とき着物きものいで、寐卷ねまきうへに、しぼりの兵兒帶へこおびをぐる/\きつけながら、
今夜こんやひさぶり論語ろんごんだ」とつた。
論語ろんごなにかあつて」と御米およねかへしたら、宗助そうすけは、
「いやなんにもない」とこたへた。それから、「おい、おれとし所爲せゐだとさ。ぐら/\するのは到底とてもなほらないさうだ」とひつゝ、くろあたままくらうへけた。


 小六ころくかく都合つがふ次第しだい下宿げしゆくはらつてあにいへうつこと相談さうだん調とゝのつた。御米およねは六でふけたくは鏡臺きやうだいながめて、一寸ちよつとのこしいかほをしたが、
うなるとすこ遣場やりばこまるのね」とうつたへるやう宗助そうすけげた。實際じつさい此所こゝげられては、御米およね御化粧おつくりをする場所ばしよくなつて仕舞しまふのである。宗助そうすけなん工夫くふうかずに、ちながら、むかふの窓側まどぎはゑてあるかゞみうらはすながめた。すると角度かくど具合ぐあひで、其所そこ御米およね襟元えりもとから片頬かたほゝうつつてゐた。それが如何いかにも血色けつしよくのわるい横顏よこがほなのにおどろかされて、
御前おまへうかしたのかい。大變たいへんいろあるいよ」とひながら、かゞみからはなして、實際じつさい御米およね姿すがたた。びんみだれて、えりうしろあたりあかすこよごれてゐた。御米およねはたゞ、
さむ所爲せゐなんでせう」とこたへて、すぐ西側にしがはいてゐる一間いつけん戸棚とだなけた。したにはふるきずだらけの箪笥たんすがあつて、うへには支那鞄しなかばん柳行李やなぎごりふたつてゐた。
「こんなもの、うしたつて片付かたづけやうがないわね」
「だから其儘そのまゝにしてくさ」
 小六ころく此所こゝ引移ひきうつつてるのは、てんからて、夫婦ふうふいづれにも、多少たせう迷惑めいわくであつた。だからるとつて約束やくそくしてきながら、いまだにない小六ころくたいしては、別段べつだん催促さいそくもしなかつた。一日いちにちびればびただけ窮屈きゆうくつげたやう何所どこかでした。小六ころくにも丁度ちやうどそれとおなはゞかりがあつたので、られるかぎり下宿げしゆくにゐるはう便利べんりだとむねめたものか、つい一日いちにち/\と引越ひつこしさきおくつてゐた。其癖そのくせかれ性質せいしつとして、兄夫婦あにふうふごとく、荏苒じんぜんさかひ落付おちついてはゐられなかつたのである。
 其内そのうちうすしもりて、うら芭蕉ばせう見事みごとくだいた。あさ崖上がけうへ家主やぬしにははうで、ひよどりするどいこゑてた。夕方ゆふがたにはおもていそ豆腐屋とうふや喇叭らつぱまじつて、圓明寺ゑんみやうじ木魚もくぎよおときこえた。ます/\みじかくなつた。さうして御米およね顏色かほいろは、宗助そうすけかゞみなかみとめたときよりも、さやかにはならなかつた。をつと役所やくしよからかへつてると、六でふてゐることが一二あつた。うかしたかとたづねると、たゞすこ心持こゝろもちわるいとこたへるだけであつた。醫者いしやもらへとすゝめると、それにはおよばないとつてはなかつた。
 宗助そうすけ心配しんぱいした。役所やくしよてゐても御米およねことかゝつて、よう邪魔じやまになるのを意識いしきするときもあつた。ところがあるかへりがけに突然とつぜん電車でんしやなかひざつた。そのれいになく元氣げんきよく格子かうしけて、すぐといきほひよく今日けふうだいと御米およねいた。御米およね何時いつものとほふく靴足袋くつたび一纏ひとまとめにして、六でふ這入はいあとからいてて、
御米およね御前おまい子供こども出來できたんぢやないか」とわらひながらつた。御米およね返事へんじもせずに俯向うつむいてしきりにをつと脊廣せびろほこりはらつた。刷毛ブラツシおとんでも中々なか/\でふからないので、またつてると、薄暗うすぐら部屋へやなかで、御米およねはたつた一人ひとりさむさうに、鏡臺きやうだいまへすわつてゐた。はいとつてつたが、其聲そのこゑいたあとこゑやうであつた。
 其晩そのばん夫婦ふうふ火鉢ひばちけた鐵瓶てつびんを、双方さうはうからおほやうにしてむかつた。
うですななかは」と宗助そうすけれいにないいた調子てうしした。御米およねあたまなかには、夫婦ふうふにならないまへの、宗助そうすけ自分じぶん姿すがた奇麗きれいうかんだ。
「ちつと、面白おもしろくしやうぢやないか。此頃このごろ如何いかにも不景氣ふけいきだよ」と宗助そうすけまたつた。二人ふたりそれから今度こんど日曜にちえうには一所いつしよ何所どこかうか、此所こゝかうかと、しばらくそればかりはなつてゐた。それから二人ふたり春着はるぎこと題目だいもくになつた。宗助そうすけ同僚どうれう高木たかぎとかをとこが、細君さいくん小袖こそでとかを強請ねだられたとき、おれは細君さいくん虚榮心きよえいしん滿足まんぞくさせるためかせいでるんぢやないとつてけたら、細君さいくんがそりや非道ひどい、實際じつさいさむくなつてもるものがないんだと辯解べんかいするので、さむければやむない、夜具やぐるとか、毛布けつとかぶるとかして、當分たうぶん我慢がまんしろとつたはなしを、宗助そうすけ可笑おかしくかへして御米およねわらはした。御米およねをつとこの樣子やうすて、むかしまたまへもどつたやうがした。
高木たかぎ細君さいくん夜具やぐでもかまはないが、おれはひとあたらしい外套ぐわいたうこしらえたいな。此間このあひだ齒醫者はいしやつたら、植木屋うゑきやこも盆栽ぼんさいまつつゝんでゐたので、つく/″\おもつた」
外套ぐわいたうしいつて」
「あゝ」
 御米およねをつとかほて、さもどくだとふうに、
御拵おこしらえなさいな。月賦げつぷで」とつた。宗助そうすけは、
「まあさうよ」ときふわびしくこたへた。さうして「とき小六ころく何時いつからなんだらう」といた。
るのはいやなんでせう」と御米およねこたへた。御米およねには、自分じぶんはじめから小六ころくきらはれてゐると自覺じかくがあつた。それでもをつとおとうとだとおもふので、るべくはそりあはせて、すこしでもちかづけるやうに/\と、今日迄こんにちまで仕向しむけてた。そのためか、いまでは以前いぜんちがつて、まあ普通ふつう小舅こじうとぐらゐしたしみはあるとしんじてゐるやうなものゝ、んな場合ばあひになると、つい實際じつさい以上いじやうにもまはして、自分丈じぶんだけ小六ころくない唯一ゆゐいつ原因げんいんやうかんがへられるのであつた。
「そりや下宿げしゆくからこんなところうつるのはかあないだらうよ。丁度ちやうど此方こつち迷惑めいわくかんずるとほり、むかふでも窮屈きゆうくつかんずるわけだから。おれだつて、小六ころくないとすれば、いまのうちおもつて外套ぐわいたうつくだけ勇氣ゆうきがあるんだけれども」
 宗助そうすけ男丈をとこだけおもつてつて仕舞しまつた。けれども是丈これだけでは御米およねこゝろつくしてゐなかつた。御米およね返事へんじもせずに、しばらくだまつてゐたが、ほそあごえりなかめたまゝ上眼うはめ使つかつて、
小六ころくさんは、まだわたくしことにくんでゐらつしやるでせうか」とした。宗助そうすけ東京とうきやう當座たうざは、時々とき/″\これ類似るゐじ質問しつもん御米およねからけて、その都度つどなぐさめるのに大分だいぶほねれたこともあつたが、近來きんらいまつたわすれたやうなにはなくなつたので、宗助そうすけもついめなかつたのである。
またヒステリーがはじまつたね。いぢやないか小六ころくなんぞが、おもつたつて。おれさえいてれば」
論語ろんごにさういてあつて」
 御米およねんなときに、ういふ冗談じようだんをんなであつた。宗助そうすけ
「うん、いてある」とこたへた。それ二人ふたり會話くわいわ仕舞しまひになつた。
 翌日よくじつ宗助そうすけますと、亞鉛張とたんばりひさしうへさむおとがした。御米およね襷掛たすきがけまゝ枕元まくらもとて、
「さあ、もう時間じかんよ」と注意ちゆういしたとき、かれこの點滴てんてきおときながら、もうすこあたゝかい蒲團ふとんなかぬくもつてゐたかつた。けれども血色けつしよくくない御米およねの、甲斐々々かひ/″\しい姿すがたるやいなや、
「おい」とつてすぐあがつた。
 そとあめとざされてゐた。がけうへ孟宗竹まうそうちく時々とき/″\たてがみふるやうに、あめいてうごいた。このびしいそらしたれに宗助そうすけつて、ちからになるものは、あたゝかい味噌汁みそしるあたゝかいめしよりほかになかつた。
またくつなかれる。うしても二足にそくつてゐないとこまる」とつて、そこちひさいあなのあるのを仕方しかたなしに穿いて、洋袴ずぼんすそ一寸いつすんばかりまくりげた。
 午過ひるすぎかへつてると、御米およね金盥かなだらひなか雜巾ざふきんけて、六でふ鏡臺きやうだいそばいてゐた。其上そのうへところだけ天井てんじやういろかはつて、時々とき/″\しづくちてた。
くつばかりぢやない。うちなかまでれるんだね」とつて宗助そうすけ苦笑くせうした。御米およね其晩そのばんをつとため置炬燵おきごたつれて、スコツチの靴下くつした縞羅紗しまラシヤ洋袴ずぼんかわかした。
 あくまたおなやうあめつた。夫婦ふうふまたおなやうおなことかへした。そのあくもまだれなかつた。三日目みつかめあさになつて、宗助そうすけまゆちゞめて舌打したうちをした。
何時いつまでなんだ。くつがじめ/\して我慢がまんにも穿けやしない」
「六でふだつてこまるわ、あゝつちや」
 夫婦ふうふ相談さうだんして、あめ次第しだい家根やねつくろつてもらやう家主やぬしことにした。けれどもくつはうなんとも仕樣しやうがなかつた。宗助そうすけはきしんで這入はいらないのを無理むり穿いてつた。
 さいはひそのは十一時頃じごろからからりとれて、かきすゞめ小春日和こはるびよりになつた。宗助そうすけかへつたとき御米およねいつもよりえ/″\しい顏色かほいろをして、
貴方あなた、あの屏風びやうぶつちや不可いけなくつて」と突然とつぜんいた。抱一はういつ屏風びやうぶ先達せんだつ佐伯さへきから受取うけとつたまゝもととほ書齋しよさいすみてゝあつたのである。二枚折まいをりだけれども、座敷ざしき位置ゐちひろさからつても、じつむし邪魔じやま裝飾さうしよくであつた。みなみまはすと、玄關げんくわんからの入口いりぐち半分はんぶんふさいで仕舞しまふし、ひがしすとくらくなる、とつて、のこ一方いつぽうてればとこかくすので、宗助そうすけは、
折角せつかく親爺おやぢ記念かたみだとおもつて、つてやうなものゝ、仕樣しやうがないねこれぢや、場塞ばふさげで」とこぼしたことも一二あつた。その都度つど御米およね眞丸まんまるふちけたぎんつきと、絹地きぬぢからほとんど區別くべつ出來できないやう穗芒ほすゝきいろながめて、んなものを珍重ちんちようするひとれないとやうえをした。けれども、をつとはゞかつて、明白あからさまにはなんともさなかつた。たゞ一ぺん
これでもなんでせうかね」といたことがあつた。そのとき宗助そうすけはじめて抱一はういつ御米およね説明せつめいしてかした。しかしそれは自分じぶんむかちゝからいたおぼえのある、朧氣おぼろげ記憶きおく好加減いゝかげんかへすにぎなかつた。實際じつさい價値かちや、また抱一はういつついてのくはしい歴史れきしなどにいたると宗助そうすけにも其實そのじつはなは覺束おぼつかなかつたのである。
 ところがそれが偶然ぐうぜん御米およねのためにめう行爲かうゐ動機どうき構成かたちづく原因げんいんとなつた。過去くわこ週間しうかんをつと自分じぶんあひだおこつた會話くわいわに、不圖ふとこの知識ちしきむすけてかんが彼女かのぢよ一寸ちよつと微笑ほゝゑんだ。このあめあがつて、日脚ひあしがさつとちや障子しやうじしたとき御米およね不斷着ふだんぎうへへ、めういろ肩掛かたかけとも、襟卷えりまきともかない織物おりものまとつてそとた。とほりを二丁目ちやうめほどて、それを電車でんしや方角はうがくまがつて眞直まつすぐると、乾物屋かんぶつや麺麭屋ぱんやあひだに、古道具ふるだうぐつてゐるなりおほきなみせがあつた。御米およねはかつて其所そこあしたゝめる食卓しよくたくつた記憶きおくがある。いま火鉢ひばちけてある鐵瓶てつびんも、宗助そうすけ此所こゝからげてかへつたものである。
 御米およねそでにして道具屋だうぐやまへまつた。ると相變あひかはらずあたらしい鐵瓶てつびん澤山たくさんならべてあつた。其外そのほかには時節柄じせつがらとでもふのか火鉢ひばち一番いちばんおほいた。しか骨董こつとうのつくほどのものは、ひとつもないやうであつた。ひとりなんともれぬおほきなかめかふが、眞向まむかふるしてあつて、其下そのしたからながばんだ拂子ほつす尻尾しつぽやうてゐた。それから紫檀したん茶棚ちやだなひとふたかざつてあつたが、いづれもくるひさうななまなものばかりであつた。しか御米およねにはそんな區別くべつ一向いつかううつらなかつた。たゞ掛物かけもの屏風びやうぶひとつも見當みあたらないことだけたしかめて、なか這入はいつた。
 御米およね無論むろんをつと佐伯さへきから受取うけとつた屏風びやうぶを、幾何いくらかにはらつもりでわざ/\此所こゝまであしはこんだのであるが、廣島ひろしま以來いらいかうこと大分だいぶ經驗けいけんんだ御蔭おかげで、普通ふつう細君さいくんやう努力どりよく苦痛くつうかんぜずに、おもつて亭主ていしゆくちこと出來できた。亭主ていしゆは五十恰好がつかういろくろほゝこけをとこで、鼈甲べつかふふちつた馬鹿ばかおほきな眼鏡めがねけて、新聞しんぶんみながら、いぼだらけの唐金からかね火鉢ひばちかざしてゐた。
「さうですな、拜見はいけんてもうがす」とかる受合うけあつたが、べつつた樣子やうすもないので、御米およねはらなかすこ失望しつばうした。しか自分じぶんからがすでたいしたのぞみいだいてわけでもないので、簡易かんいけられると、此方こつちからたのやうにしても、もらはなければならなかつた。
うがす。ぢや後程のちほどうかゞひませう。いま小僧こぞう一寸ちよつとりませんからな」
 御米およねこの存在ぞんざい言葉ことばいて其儘そのまゝうちかへつたが、こゝろなかでは、はたして道具屋だうぐやるかないかはなはうたがはしくおもつた。一人ひとり何時いつものやう簡單かんたん食事しよくじまして、きよぜんげさしてゐると、いきなり御免ごめんくださいとつて、おほきなこゑして道具屋だうぐや玄關げんくわんからつてた。座敷ざしきげて、れい屏風びやうぶせると、成程なるほどつてうらだのふちだのをでてゐたが、
御拂おはらひになるなら」とすこかんがへて、「六ゑんいたゞいてきませう」と否々いや/\さうにけた。御米およねには道具屋だうぐやけた相場さうば至當したうやうおもはれた。けれども一應いちおう宗助そうすけはなしてからでなくつては、あま專斷せんだんぎると心付こゝろづいたうへ品物しなもの歴史れきし歴史れきしだけに、猶更なほさら遠慮ゑんりよして、いづかへつたら相談さうだんしてうへでとこたへたまゝ道具屋だうぐやかへさうとした。道具屋だうぐや出掛でがけに、
「ぢや、おくさん折角せつかくだから、もう一ゑん奮發ふんぱつしませう。それ御拂おはらください」とつた。御米およね其時そのときおもつて、
「でも、道具屋だうぐやさん、ありや抱一はういつですよ」とこたへて、はらなかではひやりとした。道具屋だうぐやは、平氣へいきで、
抱一はういつ近來きんらい流行はやりませんからな」とながしたが、じろ/\御米およね姿すがたながめたうへ
「ぢやなほ御相談ごさうだんなすつて」とてゝかへつてつた。
 御米およね其時そのとき模樣もやうくはしくはなしたあとで、
つちや不可いけなくつて」とまた無邪氣むじやきいた。
 宗助そうすけあたまなかには、このあひだから物質上ぶつしつじやう欲求よくきうが、えずうごいてゐた。たゞ地味ぢみ生活せいくわつをしなれた結果けつくわとして、らぬ家計くらしるとあきらめるくせいてゐるので、毎月まいげつきまつて這入はいるものゝほかには、臨時りんじ不意ふい工面くめんをしてまで、すこしでもつね以上いじやうくつろいでやうとはたらきなかつた。はなしいたときかれむし御米およね機敏きびん才覺さいかくおどろかされた。同時どうじはたして夫丈それだけ必要ひつえうがあるかをうたがつた。御米およねおもはくをいてると、此所こゝで十ゑんらずのかねはひれば、宗助そうすけ穿あたらしいくつあつらへたうへ銘仙めいせんの一たんぐらゐへるとふのである。宗助そうすけそれもさうだとおもつた。けれどもおやからつたはつた抱一はういつ屏風びやうぶ一方いつぱういて、片方かたはうあたらしいくつおよあたらしい銘仙めいせんならべてかんがへてると、このふたつを交換かうくわんすること如何いかにも突飛とつぴかつ滑稽こつけいであつた。
るならつていがね。どうせうちつたつて邪魔じやまになるばかりだから。けれどもおれはまだくつはないでもむよ。此間中このあひだぢゆうやうに、つゞけにられるとこまるが、もう天氣てんきくなつたから」
「だつてまたるとこまるわ」
 宗助そうすけ御米およねたいして永久えいきう天氣てんき保證ほしようするわけにもかなかつた。御米およねらないまへ是非ぜひ屏風びやうぶれともひかねた。二人ふたりかほ見合みあはしてわらつてゐた。やがて、
安過やすすぎるでせうか」と御米およねいた。
うさな」と宗助そうすけこたへた。
 かれやすいとはれゝば、やすやうがした。もし買手かひてがあれば、買手かひてだけかね幾何いくらでもりたかつた。かれ新聞しんぶんで、近來きんらい古書畫こしよぐわ入札にふさつ非常ひじやう高價かうかになつたことやう心持こゝろもちがした。めてそんなものが一ぷくでもあつたらとおもつた。けれどもそれ自分じぶん呼吸こきふする空氣くうきとゞくうちには、ちてゐないものとあきらめてゐた。
買手かひてにもるだらうが、賣手うりてにもるんだよ。いくら名畫めいぐわだつて、おれつてゐたぶんには到底たうていさうたかれつこはないさ。しかし七ゑんや八ゑんてえな、あんまやすやうだね」
 宗助そうすけ抱一はういつ屏風びやうぶ辯護べんごするとともに、道具屋だうぐやをも辯護べんごするやう語氣らした。さうしてたゞ自分じぶんだけ辯護べんごあたひしないものゝやうかんじた。御米およねすこくさらした氣味きみで、屏風びやうぶはなしそれなりにした。
 翌日あくるひ宗助そうすけ役所やくしよて、同僚どうれう誰彼だれかれこのはなしをした。するとみなまをあはせたやうに、それぢやないとつた。けれどもだれ自分じぶん周旋しうせんして、相當さうたう賣拂うりはらつてやらうとふものはなかつた。またどうすぢとほれば、馬鹿ばかはないでむといふ手續てつゞきをしへてれるものもなかつた。宗助そうすけ矢張やつぱり横町よこちやう道具屋だうぐや屏風びやうぶるよりほか仕方しかたがなかつた。それでなければもととほ邪魔じやまでもなんでも座敷ざしきてゝくよりほか仕方しかたがなかつた。かれもととほりそれを座敷ざしきてゝいた。すると道具屋だうぐやて、あの屏風びやうぶを十五ゑんつてくれとした。夫婦ふうふかほ見合みあはして微笑ほゝゑんだ。もうすこらずにいて見樣みやうぢやないかとつて、らずにいた。すると道具屋だうぐやまたた。またらなかつた。御米およねことわるのが面白おもしろくなつてた。四度目よたびめにはらないをとこ一人ひとりれてたが、そのをとことこそこそ相談さうだんして、とう/\三十五ゑんけた。其時そのとき夫婦ふうふちながら相談さうだんした。さうしてつひおもつて屏風びやうぶはらつた。


 圓明寺ゑんみやうじすぎげたやう赭黒あかぐろくなつた。天氣てんきには、かぜあらはれたそらずれに、しろすぢけはしくえるやまた。とし宗助そうすけ夫婦ふうふつて日毎ひごとさむはうせた。あさになるとかさずとほ納豆賣なつとううりこゑが、かはらとざしもいろ連想れんさうせしめた。宗助そうすけとこなかそのこゑきながら、またふゆたとおもした。御米およね臺所だいどころで、今年ことし去年きよねんやう水道すゐだうせんこほつてれなければたすかるがと、くれからはるけての取越苦勞とりこしぐらうをした。よるになると夫婦ふうふとも炬燵こたつにばかりしたしんだ。さうして廣島ひろしま福岡ふくをかあたゝかいふゆうらやんだ。
まるまへ本多ほんださんやうね」と御米およねわらつた。まへ本多ほんださんとふのは、矢張やはおな構内かまへうちんで、おな坂井さかゐ貸家かしやりてゐる隱居夫婦いんきよふうふであつた。小女こをんな一人ひとり使つかつて、あさから晩迄ばんまでことりとおともしないやうしづかな生計くらしてゝゐた。御米およねちやで、たつた一人ひとり裁縫しごとをしてゐると、時々とき/″\御爺おぢいさんとこゑがした。それはこの本多ほんだ御婆おばあさんがをつとこゑであつた。門口かどぐちなどふと、丁寧ていねい時候じこう挨拶あいさつをして、ちと御話おはなしらつしやいとふが、つひつたこともなければ、むかふからもためしがない。したがつて夫婦ふうふ本多ほんださんにくわんする知識ちしききはめてとぼしかつた。たゞ息子むすこ一人ひとりあつて、それが朝鮮てうせん統監府とうかんふとかで、立派りつぱ役人やくにんになつてゐるから、月々つき/″\其方そのはう仕送しおくりで、氣樂きらくらしてかれるのだとことだけを、出入でいり商人しやうにんのあるものからみゝにした。
御爺おぢいさんは植木うゑきいぢつてゐるかい」
段々だん/\さむくなつたから、もうめたんでせう。えんした植木鉢うゑきばち澤山たくさんならんでるわ」
 はなしそれからまへうちはなれて、家主やぬしはううつつた。これは、本多ほんだとはまる反對はんたいで、夫婦ふうふからると、此上このうへもないにぎやかさうな家庭かていおもはれた。此頃このごろにはれてゐるので、大勢おほぜい小供こどもがけうへさわことがなくなつたが、ピヤノのおと毎晩まいばんやうにする。折々をり/\下女げぢよなんぞの、臺所だいどころはう高笑たかわらひをするこゑさへ、宗助そうすけちやまでひゞいてた。
「ありや一體いつたいなにをするをとこなんだい」と宗助そうすけいた。このとひ今迄いままで幾度いくたび御米およねむかつてかへされたものであつた。
なんにもしないであすんでるんでせう。地面ぢめん家作かさくつて」と御米およねこたへた。このこたへ今迄いままでにもう何遍なんべん宗助そうすけむかつてかへされたものであつた。
 宗助そうすけこれより以上いじやうつて坂井さかゐこといたことがなかつた。學校がくかうめた當座たうざは、順境じゆんきやうにゐて得意とくい振舞ふるまひをするものにふと、いまろとおこつた。それが少時しばらくすると、たんなる憎惡ぞうをねん變化へんくわした。ところが一二ねん此方このかたまつた自他じた差違さゐ無頓着むとんぢやくになつて、自分じぶん自分じぶんやううまいたもの、さきさきやううんつてなかたもの、兩方共りやうはうともはじめから別種類べつしゆるゐ人間にんげんだから、たゞ人間にんげんとして生息せいそくする以外いぐわいに、なん交渉かうせふ利害りがいもないのだとかんがへるやうになつてきた。たまに世間話せけんばなしついでとして、ありや一體いつたいなにをしてゐるひとぐらゐきもするが、それよりさきは、をしへてもら努力どりよくさへすのが面倒めんだうだつた。御米およねにもこれとおなかたむきがあつた。けれども其夜そのよめづらしく、坂井さかゐ主人しゆじんは四十恰好がつかうひげのないひとであるとことやら、ピヤノをくのは惣領そうりやうむすめで十二三になるとことやら、またほかうち小供こどもあそびにても、ブランコへせてらないとことやらをはなした。
何故なぜほかうち子供こどもはブランコへせないんだい」
つまけちなんでせう。はやわるくなるから」
 宗助そうすけわらした。かれ其位そのくらゐ吝嗇けち家主やぬしが、屋根やねるとへば、すぐ瓦師かはらしこしてれる、かきくさつたとうつたへればすぐ植木屋うゑきやれさしてれるのは矛盾むじゆんだとおもつたのである。
 其晩そのばん宗助そうすけゆめには本多ほんだ植木鉢うゑきばち坂井さかゐのブランコもなかつた。かれは十時半頃じはんごろとこはひつて、萬象ばんしやうつかれたひとやういびきをかいた。此間このあひだからあたま具合ぐあひがよくないため、寐付ねつきわるいのをにしてゐた御米およねは、時々とき/″\けて薄暗うすぐら部屋へやながめた。ほそとこうへせてあつた。夫婦ふうふ夜中よぢゆう燈火あかりけて習慣しふくわんいてゐるので、ときはいつでもしん細目ほそめにして洋燈らんぷ此所こゝげた。
 御米およねにするやうまくら位置ゐちうごかした。さうして其度そのたびに、したにしてゐるはうかたほねを、蒲團ふとんうへすべらした。仕舞しまひには腹這はらばひになつたまゝ兩肱りやうひぢいて、しばらくをつとはうながめてゐた。それからあがつて、夜具やぐすそけてあつた不斷着ふだんぎを、寐卷ねまきうへ羽織はおつたなり、とこ洋燈らんぷげた。
貴方々々あなた/\」と宗助そうすけ枕元まくらもとこゞみながらんだ。其時そのときをつとはもういびきをかいてゐなかつた。けれども、もととほふかねむりから呼吸いきつゞけてゐた。御米およねまたあがつて、洋燈らんぷにしたまゝあひふすまけてちやた。くら部屋へや茫漠ぼんやり手元てもとらされたとき御米およねにぶひか箪笥たんすくわんみとめた。それとほぎるとくろくすぶつた臺所だいどころに、腰障子こししやうじ紙丈かみだけしろえた。御米およねのない眞中まんなかに、少時しばらくたゝずんでゐたが、やがて右手みぎてあた下女部屋げぢよべやを、おとのしないやうにそつといて、なか洋燈らんぷかざした。下女げぢよしまいろ判然はつきりうつらない夜具やぐなかに、土龍もぐらごとかたまつててゐた。今度こんど左側ひだりがはの六でふのぞいた。がらんとしてさみしいなかに、れい鏡臺きやうだいいてあつて、かゞみおもて夜中よなかだけすごこたへた。
 御米およね家中うちぢゆう一回ひとまはりまはつたあとすべてに異状いじやうのないことたしかめたうへまたとこなかもどつた。さうしてやうやねむつた。今度こんど具合ぐあひに、眼蓋まぶたのあたりにつかはないでやうおぼえて、少時しばらくするうちに、うと/\とした。
 するとまた不圖ふといた。なんだかずしんと枕元まくらもとひゞいたやう心持こゝろもちがする。みゝまくらからはなしてかんがへると、それはあるおほきなおもいものがうらがけから自分達じぶんたちてゐる座敷ざしきえんそところがりちたとしかおもはれなかつた。しかもいまめるすぐまへおこつた出來事できごとで、けつしてゆめつゞきぢやないとかんがへたとき御米およねきふ氣味きみわるくした。さうしてそばてゐるをつと夜具やぐそでいて、今度こんど眞面目まじめ宗助そうすけおこはじめた。
 宗助そうすけ夫迄それまでまつたてゐたが、きふめると、御米およねが、
貴方あなた一寸ちよつときてください」とゆすつてゐたので、半分はんぶん夢中むちゆうに、
「おい、し」とすぐ蒲團ふとんうへなほつた。御米およね小聲こごゑ先刻さつきからの樣子やうすはなした。
おと一遍いつぺんしたぎりなのかい」
「だつていましたばかりなのよ」
 二人ふたりはそれでだまつた。たゞじつそと樣子やうすうかゞつてゐた。けれども世間せけんしんしづかであつた。いつまでみゝそばだてゝゐても、ふたゝものちて氣色けしきはなかつた。宗助そうすけさむいとながら、單衣ひとへ寐卷ねまきうへ羽織はおりかぶつて、縁側えんがはて、雨戸あまどを一まいつた。そとのぞくとなんにもえない。たゞくらなかからさむ空氣くうきにはかにはだせまつてた。宗助そうすけはすぐてた。
 ※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)かきがねおろして座敷ざしきもどるやいなや、また蒲團ふとんなかもぐんだが、
なんにもかはつたことはありやしない。多分たぶん御前おまへゆめだらう」とつて、宗助そうすけよこになつた。御米およねけつしてゆめでないと主張しゆちやうした。たしかあたまうへおほきなおとがしたのだと固執こしつした。宗助そうすけ夜具やぐから半分はんぶんしたかほを、御米およねはうけて、
御米およね御前おまへ神經しんけい過敏くわびんになつて、近頃ちかごろうかしてゐるよ。もうすこあたまやすめて工夫くふうでもしなくつちや不可いけない」とつた。
 其時そのときつぎ柱時計はしらどけいが二つた。其音そのおと二人ふたりとも一寸ちよつと言葉ことば途切とぎらして、だまつてると、さらしづまりかへつたやうおもはれた。二人ふたりえて、すぐ寐付ねつかれさうにもなかつた。御米およねが、
「でも貴方あなた氣樂きらくね。よこになると十ぷんたないうちに、もうらつしやるんだから」とつた。
ことるが、らくられるんぢやない。つまりつかれるからよくるんだらう」と宗助そうすけこたへた。
 んなはなしをしてゐるうちに宗助そうすけまた寐入ねいつて仕舞しまつた。御米およね依然いぜんとして、のつそつとこなかうごいてゐた。するとおもてをがら/\とはげしいおとてゝくるま一臺いちだいとほつた。近頃ちかごろ御米およね時々とき/″\夜明前よあけまへくるまおといておどろかされることがあつた。さうしてそれおもはせると、何時いつ似寄によつた刻限こくげんなので、必竟ひつきやう毎朝まいあさおなくるまおなところとほるのだらうと推測すゐそくした。多分たぶん牛乳ぎうにゆう配達はいたつするためかなどで、あゝいそぐにちがひないとめてゐたから、此音このおとくとひとしく、もうけて、隣人りんじん活動くわつどうはじまつたごとくに、心丈夫こゝろぢやうぶになつた。さううしてゐると、何所どこかでとりこゑきこえた。また少時しばらくすると、下駄げたおとたかてゝ徃來わうらいとほるものがあつた。そのうちきよ下女部屋げぢよべやけてかはやきた模樣もやうだつたが、やがてちや時計とけいてゐるらしかつた。此時このときとこいた洋燈らんぷあぶらつて、みじかいしんとゞかなくなつたので、御米およねてゐるところ眞暗まつくらになつてゐた。其所そこきよにした灯火あかりかげが、ふすまあひだからんだ。
きよかい」と御米およねこゑけた。
 きよそれからすぐきた。三十ぷんほどつて御米およねきた。また三十ぷんほどつて宗助そうすけつひきた。平常いつも時分じぶん御米およねつてて、
「もうきてもくつてよ」とふのがれいであつた。日曜にちえうとたまの旗日はたびには、それが、
「さあきて頂戴ちようだい」にかはだけであつた。しか今日けふ昨夕ゆうべことなんとなくにかゝるので、御米およねむかひないうち宗助そうすけとこはなれた。さうしてすぐ崖下がけした雨戸あまどつた。
 したからのぞくと、さむたけあさ空氣くうきとざされてじつとしてゐるうしろから、しもやぶいろして、幾分いくぶんいたゞきめてゐた。その二尺にしやくほどした勾配こうばい一番いちばんきふところえてゐる枯草かれくさが、めうけて、赤土あかつちはだ生々なま/\しく露出ろしゆつした樣子やうすに、宗助そうすけ一寸ちよつとおどろかされた。それから一直線いつちよくせんりて、丁度ちやうど自分じぶんつてゐる縁鼻えんばなつちが、霜柱しもばしらくだいたやうれてゐた。宗助そうすけおほきないぬでもうへからころがりちたのぢやなからうかとおもつた。しかいぬにしては幾何いくらおほきいにしても、あまいきほひはげぎるとおもつた。
 宗助そうすけ玄關げんくわんから下駄げたげてて、すぐにはりた。えんさき便所べんじよまがつてしてゐるので、いとゞせま崖下がけしたが、うらける半間はんげんほどところ猶更なほさら狹苦せまくるしくなつてゐた。御米およね掃除屋さうぢやるたびに、このまがかどにしては、
彼所あすこがもうすこひろいといけれども」と危險あぶながるので、よく宗助そうすけからわらはれたことがあつた。
 其所そことほけると、眞直まつすぐ臺所だいどころまでほそみちいてゐる。もと枯枝かれえだまじつた杉垣すぎがきがあつて、となりには仕切しきりになつてゐたが、此間このあひだ家主やぬしれたときあなだらけの杉葉すぎは奇麗きれいはらつて、いまではふしおほ板塀いたべい片側かたがは勝手口かつてぐちまでふさいで仕舞しまつた。日當ひあたりのわるうへに、とひから雨滴あまだればかりちるので、なつになると秋海棠しうかいだう一杯いつぱいえる。そのさかりなころあをかさなりつて、ほとんどとほみちがなくなるくらゐしげつてる。はじめてしたとしは、宗助そうすけ御米およねこの景色けしきおどろかされたくらゐである。この秋海棠しうかいだう杉垣すぎがきのまだかれないまへから、何年なんねんとなく地下ちかはびこつてゐたもので、古家ふるやこぼたれたいまでも、時節じせつるとむかしとほくものとわかつたとき御米およねは、
「でも可愛かあいいわね」とよろこんだ。
 宗助そうすけしもんで、この記念きねんおほ横手よこてときかれ細長ほそなが路次ろじ一點いつてんちた。さうしてかれかよはないさむさのなかにはたとまつた。
 かれ足元あしもとには黒塗くろぬり蒔繪まきゑ手文庫てぶんこはふしてあつた。中味なかみはわざ/\其所そこつていてつたやうに、しもうへにちやんとすわつてゐるが、ふたは二三じやくはなれて、へいけられたごとくにかへつて、なかつた千代紙ちよがみ模樣もやう判然はつきりえた。文庫ぶんこなかかられた、手紙てがみ書付類かきつけるゐが、其所そこいらに遠慮ゑんりよなくらばつてゐるなかに、比較的ひかくてきながい一つうがわざ/\二しやくばかりひろげられて、其先そのさき紙屑かみくづごとまるめてあつた。宗助そうすけ近付ちかづいて、この揉苦茶もみくちやになつたかみしたのぞいておぼえず苦笑くせうした。したには大便だいべんれてあつた。
 つちうへらばつてゐる書類しよるゐ一纏ひとまとめにして、文庫ぶんこなかれて、しもどろよごれたまゝ宗助そうすけ勝手口かつてぐちまでつてた。腰障子こししやうじけて、きよ
「おいこれ一寸ちよつと其所そこいてれ」とわたすと、きよめうかほをして、不思議ふしぎさうにそれを受取うけとつた。御米およねおく座敷ざしき拂塵はたきけてゐた。宗助そうすけはそれから懷手ふところでをして、玄關げんくわんだのもんあたり見廻みまはつたが、何處どこにも平常へいじやうことなるてんみとめられなかつた。
 宗助そうすけようやうちはひつた。ちやれいとほ火鉢ひばちまへすわつたが、すぐおほきなこゑして御米およねんだ。御米およねは、
けに何處どこつてらしつたの」とひながらおくからた。
「おい昨夜ゆうべ枕元まくらもとおほきなおとがしたのはぱりゆめぢやなかつたんだ。泥棒どろぼうだよ。泥棒どろぼう坂井さかゐさんのがけうへからうちにはりたおとだ。いまうらまはつてたら、この文庫ぶんこちてゐて、なか這入はいつてゐた手紙てがみなんぞが、無茶苦茶むちやくちやはふしてあつた。御負おまけ御馳走ごちそうまでいてつた」
 宗助そうすけ文庫ぶんこなかから、二三つう手紙てがみして御米およねせた。それにはみんな坂井さかゐ名宛なあていてあつた。御米およね吃驚びつくりして立膝たてひざまゝ
坂井さかゐさんぢやほかなにられたでせうか」といた。宗助そうすけ腕組うでぐみをして、
「ことにると、まだなにられたね」とこたへた。
 夫婦ふうふかくもとふので、文庫ぶんこ其所そこいたなり朝飯あさめしぜんいた。しかはしうごかす泥棒どろぼうはなしわすれなかつた。御米およね自分じぶんみゝあたまたしかことをつとほこつた。宗助そうすけみゝあたまたしかでないこと幸福かうふくとした。
「さうおつしやるけれど、これ坂井さかゐさんでなくつて、うち御覽ごらんなさい。貴方あなたやうにぐう/\らしつたらこまるぢやないの」と御米およね宗助そうすけめた。
「なにうちなんぞへ這入はい氣遣きづかひはないから大丈夫だいぢやうぶだ」と宗助そうすけくちらない返事へんじをした。
 其所そこきよ突然とつぜん臺所だいどころからかほして、
此間このあひだこしらえた旦那樣だんなさま外套ぐわいたうでもられやうものなら、それこそさわぎで御座ございましたね。御宅おうちでなくつて坂井さかゐさんだつたから本當ほんたう結構けつこう御座ございます」と眞面目まじめよろこび言葉ことばべたので、宗助そうすけ御米およねすこ挨拶あいさつきゆうした。
 食事しよくじましても、出勤しゆつきん時刻じこくにはまだ大分だいぶがあつた。坂井さかゐではさだめてさわいでるだらうとふので、文庫ぶんこ宗助そうすけ自分じぶんつてつてことにした。蒔繪まきゑではあるが、たゞ黒地くろぢ龜甲形きつかふがたきんいただけことで、べつたいして金目かねめものともおもへなかつた。御米およね唐棧たうざん風呂敷ふろしきしてそれをくるんだ。風呂敷ふろしきすこちひさいので、四隅よすみむか同志どうしつないで、眞中まんなかにこまむすびをふたこしらえた。宗助そうすけがそれをげたところは、まる進物しんもつ菓子折くわしをりやうであつた。
 座敷ざしきればすぐがけうへだが、おもてからまはると、とほりを半町はんちやうばかりて、さかのぼつて、また半町はんちやうほどぎやくもどらなければ、坂井さかゐ門前もんぜんへはられなかつた。宗助そうすけいしうへしばつて扇骨木かなめ奇麗きれい植付うゑつけたかき沿ふて門内もんないはひつた。
 いへうちむししづぎるくらゐしんとしてゐた。摺硝子すりがらすてゝある玄關げんくわんて、ベルを二三してたが、ベルがかないとえてだれなかつた。宗助そうすけ仕方しかたなしに勝手口かつてぐちまはつた。其所そこにも摺硝子すりがらすまつた腰障子こししやうじが二まいててあつた。なかでは器物きぶつあつかおとがした。宗助そうすけけて、瓦斯七輪ガスしちりんいたいた蹲踞しやがんでゐる下女げぢよ挨拶あいさつをした。
これ此方こちらのでせう。今朝けさわたしうちうらちてゐましたからつてました」とひながら、文庫ぶんこした。
 下女げぢよは「左樣さやう御座ございましたか、どうも」と簡單かんたんれいべて、文庫ぶんこつたまゝいた仕切しきりまでつて、仲働なかばたらきらしいをんなした。其所そこ小聲こごゑ説明せつめいをして、品物しなものわたすと、仲働なかばたらきはそれを受取うけとつたなり、一寸ちよつと宗助そうすけはうたがすぐおくはひつた。ちがへに、十二三になる丸顏まるがほおほきなをんなと、そのいもうとらしいそろひのリボンをけた一所いつしよけてて、ちひさいくびふたならべて臺所だいどころした。さうして宗助そうすけかほながめながら、泥棒どろぼうよと耳語さゝやきやつた。宗助そうすけ文庫ぶんこわたして仕舞しまへば、もうようんだのだから、おく挨拶あいさつはどうでもいとして、すぐかへらうかとかんがへた。
文庫ぶんこ御宅おたくのでせうね。いんでせうね」とねんして、にもらない下女げぢよどくがらしてゐるところへ、最前さいぜん仲働なかばたらきて、
うぞ御通おとほください」と丁寧ていねいあたまげたので、今度こんど宗助そうすけはうすこいたやうになつた。下女げぢよいよ/\しとやかにおな請求せいきうかへした。宗助そうすけいたさかひとほして、つひ迷惑めいわくかんした。ところ主人しゆじん自分じぶんた。
 主人しゆじん予想通よさうどほ血色けつしよく下膨しもぶくれ福相ふくさうそなへてゐたが、御米およねつたやうひげのないをとこではなかつた。はなしたみじかくんだのをやして、たゞほゝからあご奇麗きれいあをくしてゐた。
「いやうもんだ御手數おてかずで」と主人しゆじん眼尻めじりしわせながられいべた。米澤よねざはかすりひざいたいて、宗助そうすけから色々いろ/\樣子やうすいてゐる態度たいどが、如何いかにもゆつくりしてゐた。宗助そうすけ昨夕ゆうべから今朝けさけての出來事できごと一通ひととほつまんではなしたうへ文庫ぶんこほかなにられたものがあるかないかをたづねてた。主人しゆじんつくゑうへいた金時計きんどけいひとられたよしこたへた。けれどもまるひとのものでもくなしたときやうに、一向いつかうこまつたと氣色けしきはなかつた。時計とけいよりはむし宗助そうすけ叙述じよじゆつはうおほくの興味きようみつて、泥棒どろぼうはたしてがけつたつてうらからにげげるつもりだつたらうか、またげる拍子ひやうしに、がけからちたものだらうかとやう質問しつもんけた。宗助そうすけもとより返答へんたふ出來できなかつた。
 其所そこ最前さいぜん仲働なかばたらきが、おくからちやたばこはこんでたので、宗助そうすけまたかへりはぐれた。主人しゆじんはわざ/\坐蒲團ざぶとんまでせて、とう/\其上そのうへ宗助そうすけしりゑさした。さうして今朝けさはや刑事けいじはなしをしはじめた。刑事けいじ判定はんていによると、ぞくよひから邸内ていないしのんで、なんでも物置ものおきかなぞにかくれてゐたにちがひない。這入口はいりくち矢張やは勝手かつてである。燐寸まつちつて蝋燭らふそくともして、それを臺所だいどころにあつた小桶こをけなかてゝ、ちやたが、つぎ部屋へやには細君さいくん子供こどもてゐるので、廊下傳らうかづたひに主人しゆじん書齋しよさいて、其所そこ仕事しごとをしてゐると、此間このあひだうまれたすゑをとこが、ちゝ時刻じこくたものか、ましてしたため、ぞく書齋しよさいけてにはげたらしい。
平常いつもやういぬがゐるとかつたんですがね。生憎あいにく病氣びやうきなので、四五日前にちまへ病院びやうゐんれて仕舞しまつたもんですから」と主人しゆじん殘念ざんねんがつた。宗助そうすけも、
それをしことでした」とこたへた。すると主人しゆじんそのいぬブリードやら血統けつとうやら、時々とき/″\かりれてことや、色々いろ/\ことはなはじめた。
れふすきですから。もつと近來きんらい神經痛しんけいつうすこやすんでゐますが。なにしろ秋口あきぐちからふゆけてしぎなぞをちにくと、どうしてもこしからしたなかつかつて、二時間じかんも三時間じかんらさなければならないんですから、まつた身體からだにはくないやうです」
 主人しゆじん時間じかん制限せいげんのないひとえて、宗助そうすけが、成程なるほどとか、うですか、とかつてゐると、何時いつまではなしてゐるので、宗助そうすけやむ中途ちゆうとがつた。
これからまたれいとほ出掛でかけなければなりませんから」とげると、主人しゆじんはじめていたやうに、いそがしいところめた失禮しつれいしやした。さうしていづまた刑事けいじ現状げんじやうくかもれないから、其時そのときはよろしくねがふとふやうなことべた。最後さいごに、
うかちと御話おはなしに。わたくし近頃ちかごろむしひまはうですから、また御邪魔おじやまますから」と丁寧ていねい挨拶あいさつをした。もんいそあしうちかへると、毎朝まいあさ時刻じこくよりも、もう三十ぷんほどおくれてゐた。
貴方あなたうなすつたの」と御米およねんで玄關げんくわんた。宗助そうすけはすぐ着物きものいで洋服やうふく着換きかへながら、
「あの坂井さかゐひとぽど氣樂きらくひとだね。かねがあるとあゝゆつくり出來できるもんかな」とつた。


小六ころくさん、ちやからはじめて。それとも座敷ざしきはうさきにして」と御米およねいた。
 小六ころくは四五日前にちまへとう/\あにところうつつた結果けつくわとして、今日けふ障子しやうじ張替はりかへ手傳てつだはなければならないこととなつた。かれむか叔父をぢいへとき安之助やすのすけ一所いつしよになつて、自分じぶん部屋へや唐紙からかみへた經驗けいけんがある。其時そのときのりぼんいたり、へら使つかつてたり、大分だいぶ本式ほんしきしたが、首尾しゆびかわかして、いざもとところてるといふだんになると、二まいともかへつて敷居しきゐみぞまらなかつた。それからこれ安之助やすのすけ共同きようどうして失敗しつぱいした仕事しごとであるが、叔母をば云付いひつけで、障子しやうじらせられたときには、水道すゐだうでざぶ/\わくあらつたため、矢張やつぱかわいたあとで、惣體そうたいゆがみ出來でき非常ひじやう困難こんなんした。
ねえさん、障子しやうじるときは、餘程よほど愼重しんちようにしないと失策しくじるです。あらつちや駄目だめですぜ」とひながら、小六ころくちや縁側えんがはからびり/\やぶはじめた。
 縁先えんさきみぎはう小六ころくのゐる六でふまがつて、ひだりには玄關げんくわんしてゐる。そのむかふをへいえん平行へいかうふさいでゐるから、まあ四角しかく圍内かこひうちつてい。なつになるとコスモスを一面いちめんしげらして、夫婦ふうふとも毎朝まいあさつゆふか景色けしきよろこんだこともあるし、またへいしたほそたけてゝ、それへ朝顏あさがほからませたこともある。其時そのときけに、今朝けさいたはなかず勘定かんぢやうつて二人ふたりたのしみにした。けれどもあきからふゆけては、はなくさまるれて仕舞しまふので、ちひさな砂漠さばくやうに、ながめるのもどくくらゐさびしくなる。小六ころくこのしもばかりりた四角しかく地面ぢめんにして、しきりに障子しやうじかみがしてゐた。
 時々とき/″\さむかぜて、うしろから小六ころく坊主頭ばうずあたまえりあたりおそつた。其度そのたびかれさらしのえんから六でふなかみたくなつた。かれあか無言むごんまゝはたらかしながら、馬尻ばけつなか雜巾ざふきんしぼつて障子しやうじさんした。
さむいでせう、御氣おきどくさまね。生憎あいにく御天氣おてんき時雨しぐれたもんだから」と御米およね愛想あいそつて、鐵瓶てつびんぎ、昨日きのふ※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)のりいた。
 小六ころく實際じつさいこんなようをするのを、内心ないしんではおほいに輕蔑けいべつしてゐた。ことに昨今さくこん自分じぶんむなくかれた境遇きやうぐうからして、此際このさい多少たせう自己じこ侮辱ぶじよくしてゐるかのくわんいだいて雜巾ざふきんにしてゐた。むか叔父をぢいへで、これおなことらせられたときは、暇潰ひまつぶしのなぐさみとして、不愉快ふゆくわいどころかかへつて面白おもしろかつた記憶きおくさへあるのに、いまぢや此位このくらゐ仕事しごとよりほかにする能力のうりよくのないものと、いて周圍しうゐからあきらめさせられたやうがして、縁側えんがはさむいのがなほのことしやくさはつた。
 それであによめにはこゝろよい返事へんじさへろくにしなかつた。さうしてあたまなかで、自分じぶん下宿げしゆくにゐた法科はふくわ大學生だいがくせいが、一寸ちよつと散歩さんぽついでに、資生堂しせいだうつて、みつりの石鹸しやぼん齒磨はみがきふのにさへ、五ゑんぢかくのかねはら華奢くわしやおもうかべた。するとうしても自分じぶん一人ひとりがこんな窮境きゆうきやうおちいるべき理由りいうがないやうかんぜられた。それから、んな生活せいくわつ状態じやうたいあまんじて一生いつしやうおく兄夫婦あにふうふ如何いかにも憫然ふびんえた。彼等かれら障子しやうじ美濃紙みのがみふのにさへ氣兼きがねをしやしまいかとおもはれるほど小六ころくからると、消極的せうきよくてきくらかたをしてゐた。
んなかみぢや、またすぐやぶけますね」とひながら、小六ころくいた小口こぐちを一しやくほどかして、二三力任ちからまかせにらした。
「さう? でもうちぢや小供こどもがないから、夫程それほどでもなくつてよ」とこたへた御米およねのりふくました刷毛はけつてとん/\とんとさんうへわたした。
 二人ふたりながいだかみ双方さうはうからつて、るべくるみの出來できないやうつとめたが、小六ころく時々とき/″\面倒臭めんだうくささうなかほをすると、御米およねはつい遠慮ゑんりよて、好加減いゝかげん髮剃かみそり小口こぐちおとして仕舞しまこともあつた。したがつて出來上できあがつたものには、所々ところ/″\のぶく/\が大分だいぶいた。御米およねなさけなささうに、戸袋とぶくろけたての障子しやうじながめた。さうしてこゝろうちで、相手あひて小六ころくでなくつて、をつとであつたならとおもつた。
しわすこ出來できたのね」
うせぼく御手際おてぎはぢやうまくはかない」
「なににいさんだつて、さう御上手おじやうずぢやなくつてよ。それににいさんは貴方あなたよりほど無精ぶしやうね」
 小六ころくなんにもこたへなかつた。臺所だいどころからきよつて含嗽茶碗うがひぢやわんつて、戸袋とぶくろまへつて、かみ一面いちめんれるほどきりいた。二枚目まいめつたときは、さききりいたぶんほゞかわいてしわ大方おほかたたひらになつてゐた。三枚目まいめつたとき、小六ころくこしいたくなつたとした。じつふと御米およねはう今朝けさからあたまいたかつたのである。
「もう一まいつて、ちやだけましてからやすみませう」とつた。
 ちやましてゐるうちにひるになつたので、二人ふたり食事しよくじはじめた。小六ころくうつつてからこの四五日しごんち御米およね宗助そうすけのゐない午飯ひるはんを、何時いつ小六ころく差向さしむかひべることになつた。宗助そうすけ一所いつしよになつて以來いらい御米およね毎日まいにちぜんともにしたものは、をつとよりほかになかつた。をつと留守るすときは、たゞひとはしるのが多年たねん習慣ならはしであつた。だから突然とつぜんこの小舅こじうと自分じぶんあひだ御櫃おはちいて、たがひかほ見合みあはせながら、くちうごかすのが、御米およねつては一種いつしゆ經驗けいけんであつた。それも下女げぢよ臺所だいどころはたらいてゐるときは、だしもだが、きよかげおともしないとなると、なほことへん窮屈きゆうくつかんじがおこつた。無論むろん小六ころくよりも御米およねはう年上としうへであるし、また從來じゆうらい關係くわんけいからつても、兩性りやうせいからけるつやつぽい空氣くうきは、箝束的けんそくてき[#ルビの「けんそくてき」はママ]初期しよきおいてすら、二人ふたりあひだおこべきはずのものではなかつた。御米およね小六ころく差向さしむかひぜんくときのこのぶつせいな心持こゝろもちが、何時いつになつたらえるだらうと、こゝろうちひそかうたぐつた。小六ころくうつまでは、こんな結果けつくわやうとは、まるかなかつたのだから猶更なほさら當惑たうわくした。仕方しかたがないからるべく食事中しよくじちゆうはなしをして、めて手持無沙汰てもちぶさた隙間すきまだけでもおぎなはうとつとめた。不幸ふかうにしていま小六ころくは、このあによめ態度たいどたいしてほど調子てうしだけ餘裕よゆう分別ふんべつあたまうち發見はつけんなかつたのである。
小六ころくさん、下宿げしゆく御馳走ごちそうがあつて」
 こんな質問しつもんふと、小六ころく下宿げしゆくからあそびに時分じぶんやうに、淡泊たんぱく遠慮ゑんりよのないこたへをするわけかなくなつた。やむず、
「なにうでもありません」ぐらゐにしてくと、その語氣ごきがからりとんでゐないので、御米およねはうでは、自分じぶん待遇たいぐうわる所爲せゐかと解釋かいしやくすることもあつた。それがまた無言むごんあひだに、小六ころくあたまうつこともあつた。
 ことに今日けふあたま具合ぐあひくないので、ぜんむかつても、御米およね何時いつものやうつとめるのが退儀たいぎであつた。つとめて失敗しつぱいするのはなほいやであつた。それで二人ふたりとも障子しやうじるときよりも言葉ことばすくなに食事しよくじました。
 午後ごごれた所爲せゐか、あさくらべると仕事しごとすこ果取はかどつた。しか二人ふたり氣分きぶん飯前めしまへよりもかへつて縁遠えんどほくなつた。ことにさむ天氣てんき二人ふたりあたまこたへた。きたときは、せたそら次第しだい遠退とほのいてくかとおもはれるほどに、れてゐたが、それが眞蒼まつさをいろづくころからきふくもて、くらなか粉雪こゆきでもかもしてゐるやうに、密封みつぷうした。二人ふたりかはる/″\火鉢ひばちかざした。
にいさんは來年らいねんになると月給げつきふがるんでせう」
 不圖ふと小六ころくんなとひ御米およねけた。御米およね其時そのときたゝみうへ紙片かみぎれつて、のりよごれたいてゐたが、まつたおもひらないといふかほをした。
うして」
「でも新聞しんぶんると、來年らいねんから一般いつぱん官吏くわんり増俸ぞうほうがあるとはなしぢやありませんか」
 御米およねはそんな消息せうそくまつたらなかつた。小六ころくからくはしい説明せつめいいて、はじめて成程なるほど首肯うなづいた。
まつたくね。これぢやだれだつて、つてけないわ。御肴おさかな切身きりみなんか、わたし東京とうきやうてからでも、もうばいになつてるんですもの」とつた。さかな切身きりみ値段ねだんになると小六ころくはうまつた無識むしきであつた。御米およね注意ちゆういされてはじめてそれほど無暗むやみたかくなるものかとおもつた。
 小六ころく一寸ちよつとした好奇心かうきしんたため、二人ふたり會話くわいわ存外ぞんぐわい素直すなほながれてつた。御米およねうら家主やぬしの十八九時代じだい物價ぶつか大變たいへんやすかつたはなしを、此間このあひだ宗助そうすけからいたとほかへした。その時分じぶん蕎麥そばふにしても、もりかけが八りんたねものが二せんりんであつた。牛肉ぎうにく普通なみ一人前いちにんまへせんでロースは六せんであつた。寄席よせは三せんか四せんであつた。學生がくせいつきに七ゑんぐらゐくにからもらへばちゆうであつた。十ゑんるとすで贅澤ぜいたくおもはれた。
小六ころくさんも、その時分じぶんだとわけなく大學だいがく卒業そつげふ出來できたのにね」と御米およねつた。
にいさんもその時分じぶんだと大變たいへんくらやすわけですね」と小六ころくこたへた。
 座敷ざしき張易はりかへんだときにはもう三時過じすぎになつた。さううしてゐるうちには、宗助そうすけかへつてるし、ばん支度したくはじめなくつてはならないので、二人ふたりはこれを一段落いちだんらくとして、のり髮剃かみそりかたづけた。小六ころくおほきなのびひとつして、にぎこぶし自分じぶんあたまをこん/\とたゝいた。
うも御苦勞ごくらうさま。つかれたでせう」と御米およね小六ころくいたはつた。小六ころくそれよりも口淋くちさむしいおもひがした。此間このあひだ文庫ぶんことゞけてやつたれいに、坂井さかゐかられたと菓子くわしを、戸棚とだなからしてもらつてべた。御米およね御茶おちやれた。
坂井さかゐひと大學だいがくなんですか」
「えゝ、矢張やつぱり左樣さうなんですつて」
 小六ころくちやんで烟草たばこいた。やがて、
にいさんは増俸ぞうほうことをまだ貴方あなたはなさないんですか」といた。
「いゝえ、ちつとも」と御米およねこたへた。
にいさんやうになれたらいだらうな。不平ふへいなにもなくつて」
 御米およね特別とくべつ挨拶あいさつもしなかつた。小六ころく其儘そのまゝつて六でふ這入はいつたが、やがてえたとつて、火鉢ひばちかゝえてまたた。かれあにいへ厄介やくかいになりながら、もうすこてば都合つがふくだらうとなぐさめた安之助やすのすけ言葉ことばしんじて、學校がくかう表向おもてむき休學きうがくていにして一時いちじ始末しまつをつけたのである。


 うら坂井さかゐ宗助そうすけとは文庫ぶんこえんになつておもはぬ關係くわんけいいた。夫迄それまでつき一度いちど此方こちらからきよ家賃やちんたしてると、むかふからその受取うけとりこすだけ交渉かうせふぎなかつたのだから、がけうへ西洋人せいやうじんんでゐると同樣どうやうで、隣人りんじんとしてのしたしみは、まる存在そんざいしてゐなかつたのである。
 宗助そうすけ文庫ぶんことゞけた午後ごごに、坂井さかゐつたとほり、刑事けいじ宗助そうすけいへ裏手うらてから崖下がけしたしらべにたが、其時そのとき坂井さかゐ一所いつしよだつたので、御米およねはじめてうはさいた家主やぬしかほた。ひげのないとおもつたのに、ひげやしてゐるのと、自分じぶんなぞにたいしても、存外ぞんぐわい丁寧ていねい言葉ことば使つかふのが、御米およねにはすこ案外あんぐわいであつた。
貴方あなた坂井さかゐさんはひげやしてゐてよ」と宗助そうすけかへつたとき御米およねはわざ/\注意ちゆういした。
 それから二日ふつかばかりして、坂井さかゐ名刺めいしへた立派りつぱ菓子折くわしをりつて、下女げぢよれいたが、先達せんだつては色々いろ/\御世話おせわになりまして、難有ありがたぞんじます、いづ主人しゆじん自身じしんうかゞはず御座ございますがといて、かへつてつた。
 其晩そのばん宗助そうすけ到來たうらい菓子折くわしをりふたけて、唐饅頭たうまんぢゆう頬張ほゝばりながら、
んなものをれるところをもつてると、夫程それほどけちでもないやうだね。ひとうちをブランコへせてらないつてふのはうそだらう」とつた。御米およねも、
屹度きつとうそよ」と坂井さかゐ辯護べんごした。
 夫婦ふうふ坂井さかゐとは泥棒どろぼう這入はいらないまへより、是丈これだけしたしみのしたやうなものゝ、それ以上いじやう接近せつきんしやうとねんは、宗助そうすけあたまにも御米およねむねにも宿やどらなかつた。利害りがい打算ださんからへば無論むろんことたん隣人りんじん交際かうさいとか情誼じやうぎとかてんからても、夫婦ふうふはこれよりも前進ぜんしんする勇氣ゆうきたなかつたのである。もし自然しぜん此儘このまゝ無爲むゐ月日つきひつたなら、ひさしからぬうちに、坂井さかゐむかし坂井さかゐになり、宗助そうすけもと宗助そうすけになつて、がけうへがけしたたがひいへへだゝごとく、たがひこゝろはなばなれになつたにちがひなかつた。
 ところがそれからまた二日ふつかいて、三日目みつかめがたに、かはうそえりいたあたゝかさうな外套マントて、突然とつぜん坂井さかゐ宗助そうすけところつてた。夜間やかんきやくおそはれけない夫婦ふうふは、輕微けいび狼狽らうばいかんじたくらゐおどろかされたが、座敷ざしきげてはなしてると、坂井さかゐ丁寧ていねい先日せんじつれいべたのち
御蔭おかげられた品物しなものまたもどりましたよ」とひながら、白縮緬しろちりめん兵兒帶へこおびけた金鎖きんぐさりはづして、兩葢りやうぶた金時計きんどけいしてせた。
 規則きそくだから警察けいさつとゞけることとゞけたが、じつ大分だいぶふる時計とけいなので、られても夫程それほどをしくもないぐらゐあきらめてゐたら、昨日きのふになつて、突然とつぜん差出人さしだしにん不明ふめい小包こづゝみいて、其中そのなかにちやんと自分じぶんくしたのがくるんであつたんだとふ。
泥棒どろぼうあつかつたんでせう。それともあまかねにならないんで、やむかへしてれるになつたんですかね。なにしろめづらしいことで」と坂井さかゐわらつてゐた。それから、
なにわたくしからふと、じつはあの文庫ぶんこはうむし大切たいせつしなでしてね。祖母ばゞむか御殿ごてんつとめてゐた時分じぶんいたゞいたんだとかつて、まあ記念かたみやうなものですから」とやうこと説明せつめいしてかした。
 其晩そのばん坂井さかゐはそんなはなしやく時間じかんもしてかへつてつたが、相手あひてになつた宗助そうすけも、ちやいてゐた御米およねも、大變たいへん談話だんわ材料ざいれうんだひとだとおもはぬわけかなかつた。あとで、
世間せけんひろかたね」と御米およねひやうした。
ひまだからさ」と宗助そうすけ解釋かいしやくした。
 つぎ宗助そうすけ役所やくしよかへりがけに、電車でんしやりて横町よこちやう道具屋だうぐやまへまでると、れいかはうそえりけた坂井さかゐ外套ぐわいたう一寸ちよつといた。横顏よこがほ徃來わうらいはうけて、主人しゆじん相手あひてなにつてゐる。主人しゆじんおほきな眼鏡めがねけたまゝしたから坂井さかゐかほ見上みあげてゐる。宗助そうすけ挨拶あいさつをすべきをりでもないとおもつたから、其儘そのまゝぎやうとして、みせ正面しやうめんまでると、坂井さかゐ徃來わうらいいた。
「やあ昨夜さくやは。いま御歸おかへりですか」と氣輕きがるこゑけられたので、宗助そうすけ愛想あいそなくとほぎるわけにもかなくなつて、一寸ちよつと歩調ほてうゆるめながら、帽子ばうしつた。すると坂井さかゐは、ようはもうんだとふうをして、みせからた。
なに御求おもとめですか」と宗助そうすけくと、
「いえ、なに」とこたへたまゝ宗助そうすけならんでうちはうあるした。六七けんたとき、
「あのぢゞい、中々なか/\ずるやつですよ。華山くわざん[#「華山の」はママ]僞物にせものつて押付おつつけやうとしやがるから、いましかつけつたんです」とした。宗助そうすけはじめて、この坂井さかゐ餘裕よゆうあるひと共通きようつう好事かうず道樂だうらくにしてゐるのだとこゝろいた。さうして此間このあひだはらつた抱一はういつ屏風びやうぶも、最初さいしよからひとせたら、かつたらうにと、はらなかかんがへた。
「あれは書畫しよぐわにはあかるいをとこなんですか」
「なに書畫しよぐわどころか、まるなにわからないやつです。あのみせ樣子やうすてもわかるぢやありませんか。骨董こつとうらしいものはひとつもならんでゐやしない。もとが紙屑屋かみくづやから出世しゆつせしてあれだけになつたんですからね」
 坂井さかゐ道具屋だうぐや素性すじやうつてゐた。出入でいり八百屋やほや阿爺おやぢはなしによると、坂井さかゐいへ舊幕きうばくころなんとかのかみ名乘なのつたもので、この界隈かいわいでは一番いちばんふる門閥家もんばつかなのださうである。瓦解ぐわかいさい駿府すんぷげなかつたんだとか、あるひげてまたたんだとかことみゝにしたやうであるが、それは判然はつきり宗助そうすけあたまのこつてゐなかつた。
ちひさいうちから惡戲いたづらものでね。あいつが餓鬼大將がきだいしやうになつて喧譁けんくわをしにつたことがありますよ」と坂井さかゐ御互おたがひ子供こどもときことまで一口ひとくちらした。それがまたうして華山くわざん[#「華山の」はママ]贋物にせものまうとたくんだのかとくと、坂井さかゐわらつて、説明せつめいした。――
「なに親父おやぢだいから贔屓ひいきにしてつてるものですから、時々とき/″\なんだつてつてるんです。ところかないくせに、たゞよくばりたがつてね、まことに取扱とりあつかにく代物しろものです。それについ此間このあひだ抱一はういつ屏風びやうぶつてもらつて、あぢめたんでね」
 宗助そうすけおどろいた。けれどもはなし途中とちゆうさへぎるわけかなかつたので、だまつてゐた。坂井さかゐ道具屋だうぐやがそれ以來いらい乘氣のりきになつて、自身じしんわかりもしない書畫類しよぐわるゐをしきりにんでことやら、大坂おほさか出來でき高麗燒かうらいやき本物ほんものだとおもつて、大事だいじかざつていたことやらはなしたすゑ
「まあ臺所だいどころ使つか食卓ちやぶだいか、たか/″\あら鐵瓶てつびんぐらゐしか、んなところぢやへたもんぢやありません」とつた。
 其内そのうち二人ふたりさかうへた。坂井さかゐ其所そこみぎまがる、宗助そうすけ其所そこしたりなければならなかつた。宗助そうすけはもうすこ一所いつしよあるいて、屏風びやうぶこときたかつたが、わざ/\まはみちをするのもへんだと心付こゝろづいて、それなりわかれた。わかれるとき
ちかうち御邪魔おじやまても御座ございますか」とくと、坂井さかゐは、
「どうぞ」とこゝろよくこたへた。
 其日そのひかぜもなく一仕切ひとしきりつたが、うちにゐると底冷そこびえのするさむさにおそはれるとかつて、御米およねはわざ/\置炬燵おきごたつ宗助そうすけ着物きものけて、それを座敷ざしき眞中まんなかゑて、をつとかへりをけてゐた。
 此冬このふゆになつて、ひるのうち炬燵こたつこしらえたのは、其日そのひはじめてゞあつた。よるうからもちひてゐたが、何時いつも六でふだけであつた。
座敷ざしき眞中まんなかにそんなものをゑて、今日けふうしたんだい」
「でも、御客おきやくなにもないからいでせう。だつて六でふはう小六ころくさんがて、ふさがつてゐるんですもの」
 宗助そうすけはじめて自分じぶんいへ小六ころくこといた。襯衣しやつうへからあたゝかい紡績織ばうせきおりけてもらつて、おびをぐる/\けたが、
「こゝは寒帶かんたいだから炬燵こたつでもかなくつちやしのげない」とつた。小六ころく部屋へやになつた六でふは、たゝみこそ奇麗きれいでないが、みなみひがしいてゐて、家中うちぢゆう一番いちばんあたゝかい部屋へやなのである。
 宗助そうすけ御米およねんであつちや湯呑ゆのみから二口ふたくちほどんで、
小六ころくはゐるのかい」といた。小六ころくもとよりはずである。けれども六でふはひつそりしてひとのゐるやうにもおもはれなかつた。御米およねびにたうとするのを、ようはないからいとめたまゝ宗助そうすけ炬燵蒲團こたつぶとんなかもぐんで、すぐよこになつた。一方口いつぱうぐちがけひかえてゐる座敷ざしきには、もう暮方くれがたいろきざしてゐた。宗助そうすけ手枕てまくらをして、なにかんがへるともなく、たゞこのくらせま景色けしきながめてゐた。すると御米およねきよ臺所だいどころはたらおとが、自分じぶん關係くわんけいのないとなりひと活動くわつどうごとくにきこえた。そのうち、障子しやうじだけがたゞ薄白うすじろ宗助そうすけうつやうに、部屋へやなかれてた。かれはそれでもじつとしてうごかずにゐた。こゑして洋燈らんぷ催促さいそくもしなかつた。
 かれくらところからて、晩食ばんめしぜんいたときは、小六ころくも六でふからて、あにむかふにすわつた。御米およねいそがしいので、ついわすれたとつて、座敷ざしきめにつた。宗助そうすけおとうと夕方ゆふがたになつたら、ちと洋燈らんぷけるとか、てるとかして、せはしいあね手傳てつだひでもしたらからうと注意ちゆういしたかつたが、昨今さくこんうつつたばかりのものに、まづいことふのもわるからうとおもつてめた。
 御米およね座敷ざしきからかへつてるのをつて、兄弟きやうだいはじめて茶碗ちやわんけた。其時そのとき宗助そうすけやうや今日けふ役所やくしよかへりがけに、道具屋だうぐやまへ坂井さかゐつたことと、坂井さかゐがあのおほきな眼鏡めがねけてゐる道具屋だうぐやから、抱一はういつ屏風びやうぶつたとはなしをした。御米およねは、
「まあ」とつたなり、しばらく宗助そうすけかほてゐた。
「ぢや屹度きつとあれよ。屹度きつとあれにちがひないわね」
 小六ころくはじめのうちなんにもくちさなかつたが、段々だん/\兄夫婦あにふうふはなしいてゐるうちに、ほゞ關係くわんけい明暸めいれうになつたので、
全體ぜんたい幾何いくらつたのです」といた。御米およね返事へんじをするまへ一寸ちよつとをつとかほた。
 食事しよくじをはると、小六ころくはぢきに六でふ這入はいつた。宗助そうすけまた炬燵こたつかへつた。しばらくして御米およねあしぬくめにた。さうしてつぎ土曜どえう日曜にちえうには坂井さかゐつて、ひと屏風びやうぶたらいだらうとやうことはなつた。
 つぎ日曜にちえうになると、宗助そうすけれいとほり一しうに一ぺん樂寐らくねむさぼつたため、午前ひるまへ半日はんにちをとう/\くうつぶして仕舞しまつた。御米およねまたあたまおもいとかつて、火鉢ひばちふちりかゝつて、なにをするのもものうさうにえた。んなときに六でふいてゐれば、あさからでも引込ひつこ場所ばしよがあるのにとおもふと、宗助そうすけ小六ころくに六でふてがつたことが、間接かんせつ御米およね避難場ひなんばげたとおな結果けつくわおちいるので、ことにまないやうがした。
 心持こゝろもちわるければ、座敷ざしきとこいてたらからうと注意ちゆういしても、御米およね遠慮ゑんりよして容易よういおうじなかつた。それではまた炬燵こたつでもこしらえたらうだ、自分じぶんあたるからとつて、とう/\やぐら掛蒲團かけぶとんきよけて、座敷ざしきはこばした。
 小六ころく宗助そうすけきるすこまへに、何處どこかへつて、今朝けさかほさへせなかつた。宗助そうすけ御米およねむかつて別段べつだんその行先ゆくさきたゞしもしなかつた。此頃このごろでは小六ころく關係くわんけいしたことして、御米およねその返事へんじをさせるのがどくになつてた。御米およねはうから、すゝんでおとうと讒訴ざんそでもするやうだと、しかるにしろ、なぐさめるにしろ、かへつて始末しまついとかんがへるときもあつた。
 ひるになつても御米およね炬燵こたつからなかつた。宗助そうすけ一層いつそしづかにかしてはう身體からだのためにからうとおもつたので、そつと臺所だいどころて、きよ一寸ちよつとうへ坂井さかゐまでつてくるからとげて、不斷着ふだんぎうへへ、たもとみじかいイン※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ネスをまとつておもてた。
 今迄いままで陰氣いんきへやにゐた所爲せゐか、とほりるときふにからりとれた。はだ筋肉きんにくさむかぜ抵抗ていかうして、一時いちじ緊縮きんしゆくするやうふゆ心持こゝろもちするどくるうちに、ある快感くわいかんおぼえたので、宗助そうすけ御米およねもあゝうちにばかりいてはくない、氣候きこうくなつたら、ちと戸外こぐわい空氣くうき呼吸こきふさせるやうにしてやらなくてはどくだとおもひながらあるいた。
 坂井さかゐうちもんはひつたら、玄關げんくわん勝手口かつてぐち仕切しきりになつてゐる生垣いけがきに、ふゆ似合にあはないぱつとしたあかいものがえた。そばつてわざ/\しらべると、それは人形にんぎやうけるちひさい夜具やぐであつた。ほそたけそでとほして、ちないやうに、扇骨木かなめえだけた手際てぎはが、如何いかにもをんな所作しよさらしく殊勝しゆしようおもはれた。かう惡戯いたづらをする年頃としごろむすめもとよりのこと子供こども子供こどもそだげた經驗けいけんのない宗助そうすけは、このちひさいあか夜具やぐ尋常じんじやうしてある有樣ありさまをしばらくつてながめてゐた。さうして二十ねんむかし父母ふぼが、んだいもとためかざつた、あか雛段ひなだん五人囃ごにんばやしと、模樣もやううつくしい干菓子ひぐわしと、それからあまやうから白酒しろざけおもした。
 坂井さかゐ主人しゆじん在宅ざいたくではあつたけれども、食事中しよくじちゆうだとふので、しばらくたせられた。宗助そうすけくやいなや、となりへやちひさい夜具やぐした人達ひとたちさわこゑみゝにした。下女げぢよちやはこぶためにふすまけると、ふすまかげからおほきなよつほどすで宗助そうすけのぞいてゐた。火鉢ひばちつてると、其後そのあとからまたちがつたかほえた。はじめての所爲せゐか、ふすま開閉あけたてたびかほこと/″\ちがつてゐて、子供こどもかず何人なんにんあるかわからないやうおもはれた。やうや下女げぢよ退がりきりに退がると、今度こんどだれだか唐紙からかみ一寸いつすんほど細目ほそめけて、くろひか眼丈めだけ其間そのあひだからした。宗助そうすけ面白おもしろくなつて、だまつて手招てまねぎをしてた。すると唐紙からかみをぴたりとてゝ、むかがは三四人さんよにんこゑあはしてわらした。
 やがて一人ひとりをんなが、
「よう、御姉樣おねえさままた何時いつものやう叔母をばさんごつこませうよ」とした。するとあねらしいのが、
「えゝ、今日けふ西洋せいやう叔母をばさんごつこよ。東作とうさくさんは御父おとうさまだからパパで、雪子ゆきこさんは御母おかあさまだからママつてふのよ。くつて」と説明せつめいした。其時そのときまたべつこゑで、
可笑をかしいわね。ママだつて」とつてうれしさうにわらつたものがあつた。
わたしそれでも何時いつ御祖母おばゞさまなのよ。御祖母おばゞさまの西洋せいやうがなくつちや不可いけないわねえ。御祖母おばゞさまはなんふの」といたものもあつた。
御祖母おばゞさまはりバヾでいでせう」とあねまた説明せつめいした。
 それから當分たうぶんあひだは、御免ごめんくださいましだの、何方どちらかららつしやいましたのとさかん挨拶あいさつ言葉ことば交換かうくわんされてゐた。其間そのあひだにはちりん/\と電話でんわ假聲こわいろまじつた。すべてが宗助そうすけには陽氣やうきめづらしくきこえた。
 其所そこおくはうから足音あしおとがして、主人しゆじん此方こつちたらしかつたが、つぎはひるやいなや、
「さあ、御前達おまへたち此所こゝさわぐんぢやない。彼方あつちつて御出おいで御客おきやくさまだから」とせいした。其時そのときだれだかすぐに、
いやだよ。御父おとつちやんべい。おほきい御馬おむまつてれなくつちや、彼方あつちかないよ」とこたへた。こゑちひさいをとここゑであつた。としかないためか、したまはらないので、抗辯かうべんのしやうが如何いかにも億劫おくくふ手間てまかつた。宗助そうすけ其所そことく面白おもしろおもつた。
 主人しゆじんせきいて、ながあひだたした失禮しつれいびてゐるに、子供こどもとほくへつて仕舞しまつた。
大變たいへん御賑おにぎやかで結構けつこうです」と宗助そうすけいま自分じぶんかんじたとほりべると、主人しゆじんはそれを愛嬌あいけう受取うけとつたものとえて、
「いや御覽ごらんごと亂雜らんざつ有樣ありさまで」と言譯いひわけらしい返事へんじをしたが、それをいとくちに、子供こども世話せわけて、おびただしくかゝことなどを色々いろ/\宗助そうすけはなしてかした。其中そのうち綺麗きれい支那製しなせい花籃はなかごのなかへ炭團たどん一杯いつぱいつてとこかざつたと滑稽こつけいと、主人しゆじん編上あみあげくつのなかへみづんで、金魚きんぎよはなしたと惡戲いたずらが、宗助そうすけには大變たいへんみゝあたらしかつた。しかし、をんなおほいので服裝ふくさうものるとか、二週間にしうかん旅行りよかうしてかへつてくると、きふにみんなのせい一寸いつすんづゝもびてゐるので、なんだかうしろからかれるやう心持こゝろもちがするとか、もうすこしすると、嫁入よめいり支度したく忙殺ばうさつされるのみならず、屹度きつと貧殺ひんさつされるだらうとかはなしになると、子供こどものない宗助そうすけみゝには夫程それほど同情どうじやうおこなかつた。かへつて主人しゆじんくち子供こども煩冗うるさがるわりに、すこしもそれをにする樣子やうすかほにも態度たいどにもえないのをうらやましくおもつた。
 加減かげんころ見計みはかつて宗助そうすけは、先達せんだつはなしのあつた屏風びやうぶ一寸ちよつとせてもらへまいかと、主人しゆじんまをた。主人しゆじん早速さつそくけて、ぱち/\とらして、召使めしつかひんだが、くらなか仕舞しまつてあるのをしてやうめいじた。さうして宗助そうすけはういて、
「つい二三日前にさんちまへまで其所そこてゝいたのですが、れい子供こども面白おもしろ半分はんぶんにわざと屏風びやうぶかげあつまつて、色々いろ/\惡戲いたづらをするものですから、きずでもけられちや大變たいへんだとおもつて仕舞しまんでしまひました」とつた。
 宗助そうすけ主人しゆじんこの言葉ことばいたとき今更いまさら手數てかずをかけて、屏風びやうぶせてもらふのが、どくにもなり、また面倒めんだうにもなつた。じつふとかれ好奇心かうきしんは、夫程それほどつよくなかつたのである。成程なるほど一旦いつたんひと所有しよいうしたものは、たとひもと自分じぶんのであつたにしろ、かつたにしろ、其所そこめたところで、實際上じつさいじやうにはなん効果かうくわもないはなしちがひなかつた。
 けれども、屏風びやうぶ宗助そうすけまをとほり、もなくおくから縁傳えんづたひにはこされて、かれまへあらはれた。さうしてそれ豫想通よさうどほりつい此間このあひだまで自分じぶん座敷ざしきてゝあつたものであつた。この事實じじつ發見はつけんしたとき宗助そうすけあたまには、これつてたいした感動かんどうおこらなかつた。たゞ自分じぶんいますわつてゐるたゝみいろや、天井てんじやう柾目まさめや、とこ置物おきものや、ふすま模樣もやうなどのなかに、この屏風びやうぶててて、それに、召使めしつかひ二人ふたりがゝりで、くらなかから大事だいじさうにしてたと所作しよさくはへてかんがへると、自分じぶん