侘助椿

薄田泣菫




        一

 私は今夕暮近い一室のなかにひとり坐ってゐる。
 灰色の薄くらがりは、黒猫のやうに忍び脚でこつそりとへやの片隅から片隅へとひ寄つてゐる。その陰影が壁に添うて揺曳くする床の間の柱に、すすばんだ花籠がかかつてゐて、厚ぼつたい黒緑くろみどりの葉のなかから、杯形さかづきがたの白い小ぶりな花が二つ三つ、微かな溜息ためいきをついてゐる。
 侘助わびすけ。侘助椿だ。―友人西川一草亭いっさうてい氏が、私が長い間身体の加減が悪く、この二、三年門外へは一歩もみ出したことのない境涯を憐れんで、病間のなぐさめにもと、わざわざ届けてくれた花なのだ。

        二

 言ひ伝へによると、侘助椿は加藤肥後守ひごのかみが朝鮮から持ち帰つて、大阪城内に移し植ゑたものださうだ。肥後守は侘助椿のほかにも、肩の羽の真つ白なかささぎや、虎の毛皮や、いろんな珍しい物をあちらから持ち帰つたやうにうはさせられてゐる。現に京都清水きよみづの成就院では、石榴ざくろのそれのやうな紅い小さな花をもつた椿を「本侘」と名づけて、肥後守が朝鮮から持ち帰つたのは、自分の境内にある老樹だと言つてゐる。実際世間といふものはいい加減なもので、肥後守が腕つ節の人一倍すぐれて強かつた人だけに、荷嵩にかさになりさうな物だつたり、由緒がはつきりわかりかねる品だつたら、その渡来の時日がぴつたり註文に合はうが、合ふまいが、そんなことには一向頓着なく、何もかもこの強者つはものの肩に背負はすつもりで、
「はて、こいつも肥後守ぢや」
「ほい、お次もさうぢや」
といつたふうに、みんな清正の荒くれだつた手がかかつてゐたことに決めてゐるらしい。

        三

 この椿が侘助といふ名で呼ばれるやうになつたのについては、一草亭氏の言ふところが最も当を得てゐる。それによると、利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗げんぞく侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ。
 それはともかくも、侘助椿は実際その名のやうに侘びてゐる。同じ椿のなかでも、厚ぽつたい青葉を焼き焦がすやうに、火焔の花びらを高々と持ち上げないではゐられない獅子咲ししざきのそれに比べて、侘助はまた何といふつつましさだらう。黒緑の葉蔭から隠者のやうにその小ぶりな清浄身しやうじやうしんをちらと見せてゐるに過ぎない。そして冷酒のやうに冷えきつた春先の日の光に酔つて、小鳥のやうにかすかに唇をふるはしてゐる。侘助のもつ小形の杯では、波々なみなみんだところで、それに盛られる日のしずくはほんの僅かなものに過ぎなからうが、それでも侘助はしんから酔ひつてゐる。

        四

「この花には捨てがたい侘があるから。」
かういつて、同じ季節の草木のなかから侘助椿を選んで、草庵の茶の花とした茶人の感覚は、確かに人並すぐれて細かなところがあつた。壁と障子とに仕切られた四畳半の小さな室は、茶人がその簡素な趣味生活の享楽を※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)ひとわんの茶とともに飽喫しようとするには、努めて壁と障子との一重ひとえ外に限りもなく拡がつてゐる大きな世間といふものを忘れて、すべて幻想と聯想れんさうとを、しつかりとこの小天地の別箇の生活のうちにつないでゐなければならぬ。
 それには生活の方式がある。その方式といふのは、長い間かかつて磨かれた簡素な象徴的なもので、例へば、釜のふたの置き場所から、茶杓ちやしやくの柄の持ち方にいたるまで、きちんと方式が定まつてゐて、それを定められた通りに再現することによつて、方式それみづからの持つ不思議な力は、つぼのやうに小さな茶室に有り余るほどゆつたりとした余裕ゆとり沈静おちつきとを与へ、そこにゐる主客いづれもの気持に律動と諧調とを生みつけ、また日ごとにめまぐるしくなりゆく現実の生活とはちがつた、閑寂と侘とのひそやかな世界を皆のうちに創造しようとする。
 そのひそやかな世界では、床の間に懸つた古い禅僧の法語の軸物、あられ釜、古渡こわたりの茶入ちやいれ楽茶※(「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72)らくぢやわん、茶杓、――といつたやうな道具が、まるで魔法使の家の小さな動物たちが、主人の老女の持つ銀色の指揮杖の動くがままに跳ねたり躍つたりするやうに、それぞれの用に役立ちながら、みんな一緒になつて茶室になくてはならない、大切な雰囲気をそこに造り上げようとする。大切な雰囲気とはいふまでもなく、閑寂と侘とのそれである。
 むかし、小堀孤蓬庵が愛玩したといふ古瀬戸こせとの茶入「伊予簾いよすだれ」を、その子の権十郎が見て、
「その形、たとへば編笠といふものに似て、物ふりてわびし。それ故に古歌をもつて、
   あふことはまばらにあめる伊予簾
      いよいよ我をわびさするかな
 我おろかなるながめにも、これをおもふに忽然こつぜんとしてわびしき姿あり。また寂莫たり」
といつたのも、その茶入が見るから閑寂な侘しい気持を、煙のやうに人の心に吹き込まないではおかなかつたのを嘆賞したものなのだ。

 もしか茶室の雰囲気に少しでももの足りなく感じたら、そんな場合には何をおいても床の間の抛入なげいれの侘助の花を見ることだ。自然がその内ぶところに秘めてゐる孤独感が、をりからの朝寒夜寒あささむよさむり固まつて咲いたらしい、この花の持味は、自然の使者として、その閑寂と侘心とを草庵にもたらすのに充分なものがあらう。

 私は暗くなつた室でこんなことを思つてゐた。椿の花は小さく灰色にうるんで、闇の中に浮き残つてゐた。





底本:「泣菫随筆」冨山房百科文庫、冨山房
   1993(平成5)年4月24日第1刷発行
底本の親本:「独楽園」創元社
   1934(昭和9)年
入力:本山智子
校正:林 幸雄
2001年7月6日公開
2006年1月2日修正
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