書肆岩波氏の需めにより、岩波文庫の一篇として、ここに私の作詩撰集を出すことになつた。
選をするにあたり、私はただ自分の好みにのみしたがつて取捨をきめた。紙數が限られてゐるので、暮笛集では尼が紅、二十五絃では雷神の夢、天馳使、十字街頭では葛城の神などの長篇を收容することができなかつたのを遺憾に思ふ。
昭和三年三月
薄田淳介
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雪の降る日に柊の
あかい木の實がたべたさに、
柊の葉ではじかれて、
ひよんな顏する冬の鳥、
泣くにや泣かれず、笑ふにも、
ええなんとせう、冬の鳥。
紺の
いきな姿のつばくらさん、
お前が來ると雨が降り、
雨が降る日に見たらしい
むかしの夢を思ひ出す。
み山頬白鳴くことに、
一筆啓上つかまつる、
まめで
つひぞ忘れた事もない、
風のたよりにことづてて、
木の實草の實やりたいが、
お山の鳥の世わたりは、
春の彼岸が來てからは、
雛のそだてに忙しうて、
ひまな日とては御座らない。
お山の猿はおどけもの、
今日も今日とて店へ來て、
胡桃を五つ食べた上、
背廣の服の隱しから、
銀貨を一つ取り出して、
旦那のまねをしてゐたが、
銀貨は
お
おふざけでないと言つたれば、
お詫び申すといふうちに、
背廣の服のやぶれから
わたしの裏の梅の木に、
雀が三羽止まつて、
一羽の雀のいふことに、
「うちの子供のいたづらな、
わたしの留守をよいことに、
卵は盜む、巣はこはす、
なんぼ鳥でも
いとし可愛はあるものを。」
なかの一羽のいふことに、
「うちの子供のもの好きな、
わたしが山へ行つた間に、
つひこつそりと巣の中へ、
雲雀の卵をしのばせて、
知らぬ
あとの一羽のいふことに、
「うちの子供のしんせつな、
わたしの子らが巣立して、
つひ
まるいお手手にとりあげて、
枝にかへして呉れました。」
向う小山の雉の子は、
何になるとてほろろうつ、
鷲になるとてほろろうつ。
鷲になるまい、鷹になろ、
鷹になるまい、雉になろ。
雉は山鳥、山の木へ、
人に知られぬ巣をかけて、
やんがて雛をあやすとて、
ほろろほろろと唄ひます。
きのふは桃の花が咲き、
けふは燕が巣にかへる。
雛の節句が來てからは、
いそがしぶりの増すばかり、
せめて一日寢てゐたい。
今日も
降るさうな。
お寺の庭の
菩提樹に、
つばくろに、
わたしが結うた
鉢の木の
てりてり法師に、
まださめぬ
晝寢の夢の
あの人に。
小春日和の牧の野で、
噂に聞いた
驢馬と豚とを比べたら、
どちらが兄で
と鵞のものがたり。
ところへ驢馬と豚が來て、
豚はそろそろ居睡るし、
驢馬は大きく
揃ひも揃つたお方だと、
と鵞は驚いて、
鵞は水へ、は野へ。
山の
兎はゆふべここに來た
鬼が落した角といひ、
魔法使ひの手だといふ。
そこで二人が連れだつて、
お山の猿を訪ねたら、
知つたかぶりの
それは角でも手でもない、
お慈悲の深い神樣が、
お猿に呉れた
言ひまぎらした口まめに、
山の
ずるいお猿の腰かけと、
いつの代までもなつたとさ。
白い
白い卵をぬくめたに、
出來た
ふつくりとした羽だつた。
鳶と梟と蝙蝠が
山から里へ見に來れば、
雛は親のふところに
こそりこそりと
棗の枝をゆすぶれば、
妹が一人あつたなら、
夏は二人でうれしかろ。
一人はあつた妹は、
いつぞや遠い國へ往つた。
知らぬ木蔭でこのやうに
夏は木の實を拾ふやら。
町へ出てから
うまれの里が戀しうて、
峠の道へ來かかれば、
いたづら好きの梟が、
「五郎助もつと奉公」と、
寺の和尚の口眞似を、
「さうでござる」と五郎助は、
山をあちらへ、とぼとぼと
またも町へと後がへり。
山家そだちの五郎助が、
町へ出てから九年目に、
寶の
峠の道へ來かかれば、
いたづら好きの梟が、
「五郎助よくも奉公」と、
寺の和尚の口眞似を、
「さうでもない」と五郎助は、
山をこちらへ、いそいそと
うまれの
お山育ちのほほじろが
山がつらいと里へ來て、
里で
山が戀しと鳴きまする。
お花はいつも早起で、
水桶さげて井戸にゆき、
與作はいつも
草籠負うて野へ出ます。
通りすがりの
榛の木かげで逢ふ時は、
二人はいつもお早うと、
山家そだちの
麥の穗も出る夏の朝、
都の市に來てみれば、
朝も葉末の露はなし、
晝も小鳥の音は聞かず、
なんぼむかしがよかろかと、
西日のさした店先で、
娘のやうな息をして、
身の仕合せを泣いたとさ。
梟が水を泳ぐなら、
お
なんぼうそれが可笑しかろ。
梟は水に沈まうし、
海鼠は路で滑らうし、
鼠は唄をどもらうし、
その可笑しさに神樣も
お
田の
も
あとに名殘が惜まれて、
昨日も今日も往にかねた
麓の里のつばくらめ。
いつそ今年は泊ろかと、
古巣にまたも來たものの、
獨り
落葉の音に、
夏を夢みるつばくらめ。
星が空から落ちて來て、
花が代りに
空はやつぱり光らうし、
野路もきつと明るかろ。
星は殘らず取り去ろが、
み空の花を拾ふには、
ああ羽はなし、しよんがいな。
お山育ちの鶯が
たまに都へのぼるとて、
ひと夜の宿をかりかねて、
梅の小枝で晝寢たら、
花が小聲でいふことに、
お前が宮に仕へたら、
玉の餌にも飽かれうが、
野山の唄は忘れませう。
お山の猿が
山のお寺の法師さま、
いらせられいと迎へます。
もしもお袈裟が綻びて、
町のお針を呼んできて、
仕立おろしをあげませう。
鮎は流れの瀬をくだる、
新嘗祭過ぎてから、
秋は寂しい日ばかりで、
今日も時雨がふるさうな。
向う小山の山の
日は照りながら雨が降る。
野らの狐の嫁入が
楢の林を通るげな。
をさな馴染の小狐を
向う小山へ立たせたら、
明日より誰を
小春日和のお
巣を出て來ては餌をさがす。
大芥菜畑の
枯れた一葉が散る音に、
二十日鼠の臆病な、
餌を食べさして巣へ逃げる。
山の南の山畑で、
玉蜀黍の葉が鳴るは、
いたづら好きな野鼠が、
山の南の山畑で、
玉蜀黍の葉が鳴るは、
鼠で無うて、としよりな
秋が來たのであつたげな。
鳥がなきます、
鳴くも、やれさて、
野べに、山べに、
夏が來たとて。
花のこぼれた
森の
春は
なごり惜しやの。
北と南の海越えて
都へまゐる仲ながら、
噂にのみでつひぞまだ
見もせぬ
いつかは花のさくら木の
咲いた小枝で
はなしを聞こと思へども、
さて折がないつばくらめ。
いつかは枯れた葦はらの
水のほとりで
噂しようと思へども、
さて折がない
いつかいつかと
思はぬことはないけれど、
ことしもつひぞ
つばめは南、
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斧にたふれし
高き
薄衣とけば遠き世の
ふかき
向へば花の羽衣の
袖のかをりを鼻に嗅ぎ、
叩けば玉の
あな古鏡、
戀のうらみに世をすてし
今はのきはのかたみとや、
横さにかかる薄雲の
曇れる影も故づきて、
頼もしき哉、
清き姿をうち湛ふ。
手なれし人も見ず
冷えたる
花くだけちる短夜を、
熱き血汐の湧きかへり、
春の潮と見る迄に、
昔の夢の騷ぐらし。
泡咲く酒の雫だに、
渇ける舌にふくませよ、
袖に抱きて人知れず、
わが友得ぬと歌はまし。
宿る
怨みある世の夢がたり、
今もむかしも嫉みある
女神、
人の情の薄かるに、
細き命をつなぎわび、
泣きて逝きけむ上の
ああ幾度か、若き身の
今ぞ
その世の
わがふところに
世の煩らひを打ち捨てて、
もの狂はしき身とならむ。
なう古鏡、このあした、
それにも似つる幻か、
いずれ覺むべきものならば、
儘よ、短かき晝の間を、
飽かぬ睦びにあくがれて、
悲しき闇を忘れまし。
春ゆく夕、白藤の
花ちる蔭に身をよせて、
泣くは行末、さだめなき
世のならはしを思ふもの。
知らじや、薄き花びらに
春の日を燒く
見じや、か細き
かなへをあぐる力あり。
路いそぎゆく旅の人、
しばし
冷たき胸を叩く手に、
など若き身を抱かざる。
誰に語らん、
指をさはればうとましや、
潮に似たる胸の
浪とゆらぐを今ぞ知る。
春
色濃き酒の湧くものを、
痩せし
苦き涙をぬぐふかな。
夏きてまたも新らしく
薄ら
もろき
たたむに惜しき染小袖。
神よ
長きうれひを眺めては、
か弱き胸の堪へざるに。
冷たき
若紫の色深く
泡さく酒の盃を、
わがくちびるに含ませよ、
暮れ行く春を顫きて、
細き腕の冷ゆる哉。
心
旅の日
人は
花そこここに散りこぼれ、
痛ましきかな、春の日の
垂るる若葉の下がくれ、
亂れて細き燈火に、
花なき今も香を吹きて、
殘れる春を燒かんとす。
足にさはりて和らかき
名もなき草の花ふみて、
思ふは脆き人の春、
戀の花びらしだかれて
しをれゆく日の無くてかは。
暗まだ薄き彼方より、
智慧ある
夏
今冷やかに見かへして、
しろき笑ひや浮べまし。
耳をすませば薄命の
長き恨か、暗の夜を
くだけて落つる芍藥や、
吾も沈めるこの
花の
蟲とやならむ、
かかる
心ある子がものすさび、
弱き我身はくだけても、
琴ひく君が胸の
涙のかぎりかけましを。
ああ、恨みある春の夜の
よはのあらしに熱情の
焔な消しそ、木がくれに
のがれて急ぐ佐保姫が
旅路を詛ふ
ひねもす窓に居
軒端づたひにこそつきて、
爐にあたたむる雪の朝、
いきふく聲を洩れ聞きて、
あはれや軒に立ちくらし、
凍えて泣きし
今朝しも山に分け入りて、
谷の小蔭に唯一羽、
巣をあむ振を認めしが、
かへりて
なほわが聲をはばかりぬ。
なう
ひとり興がる歌きけば、
夏の日なかの野の鳥の
誇る羽振も忘れはて、
簑蟲
兄
冬の日背をあたたむる
南の窓のたたずまひ、
胸
暫しきたまへ妹よ。
今朝人もこそおとなはね、
心なぐさに歌はまし。
妹
やさしき君が
春着の袖はなほ裁たず、
しばしはともにかたらまし。
ふた親ともに逝きまして、
ひろきこの世に淋しくも、
君が
兄
世にたのしきは、妹の
針とる傍によりそひて、
春の日ながをひもすがら
讀むいにしへの歌の
わがよむ
きみはた
手に手をとりて花かげに、
妹
世にをかしきは、吾兄の
廚のかたに音すると、
手にとる
ものおそれする夜なかどき。
さむき廚のしのびあし、
うつばり走る鼠子の
兄
春の夜ふかく月影に、
庭の
よき物の音のきかましき
宵よといへば、妹は―
やをら
あまりに
妹
琴ひきさして見かへれば、
おぼろにしづむ春の夜に、
何かこつやとこと問へば、
さばかり音のかなしきは、
あらはれとしも思ふにぞ、
いぢらしとこそ歎きしか。
兄
夏朝早く水くむと、
甕を抱きて走りしが、
またかへり來て、躓きぬ、
甕はわれぬと歎くにぞ、
碎くるもよし、
甕には惜しき涙ぞと、
いへば、つぶらに眼をひらき、
かた笑みせしは
妹
秋の日、
歌をもよまで窓に凭り、
芋の葉かげにそれを見て、
抱きかへれば、よろこびて
兄
奧の一間にものの
樣こそすれとふためきて
われかのさまに物狂。
人しれずこそ物かげに、
黒毛の猫のつくばひて、
闇をみつめしをかしさよ。
妹
葡萄の棚の下かげに、
ふとしもものに躓きて、
眉根ひそめてむづかるに、
をりこそあれと葉がくれの、
實の一ふさを捧げしよ。
兄
風
丸髷姿あえかにて、
君窓による夢をみぬ。
若葉そろひて立つ如く、
君
髮ふさやかにたけけりな。
妹
いはば
皺める人に説くに似て、
夢といふなるいつはりを、
鼻うそやぎに見て知りぬ。
昨日むすびし若髮の
解けがちにする
兄よ再び人妻の
兄
世に名も高く響きつる
げにふさはしき花妻と、
歌ひはやさん日は
汝がすぐれつる心とは、
をとこもぞ知る、人の世の
をみなの中の
妹
み山の百合とみづからの
戀もやがてはいたましき
むごたらしさの力のみ。
男ごころは狼の
兄よ、二人はいつまでも
生れの家にのこらまし。
兄
戀といふなるたはむれも、
まことは世にもいたましき
性と性とのあらそひのみ。
わが妹だにうべなはば、
われら二人は
清らさにのみ生きなまし。
妹
うれしや、君はうべなひぬ、
娶らず嫁かぬ
きよらさにのみ生きむとて。
うれしや、君はうべなひぬ、
今こそわれは
そのたぐひなき喜びを
今こそうたへ高らかに。
(妹歌ふ)
歌ふも、きくも、
ひとりゆゑ、
君とわれ。
われ目より、
したたる露は、
わが身かや。
甘しと嘗めて
誰、盃の
ものとせず。
爰に自然と、
はらからの
深き
なかりせば。
むしろ背きて
海にゆき、
思を波に
消さましを。
春の日小野の
逍遙に、
ふるき小笛を
拾ひきて、
息吹きこめて
なぐさむに、
ふと吾胸の
ゆるぎつる。
世の
きかんには、
あまりに昔の
やさしきに。
若葉の蔭に
尋ね來て、
君としふたり
吹きてみる。
吾笛ふけば、
君立ちて
舞ひこそあそべ、
草のへに。
目は
光りすずしく、
輝けり。
足は菫の
花ふみて、
舞ひのぼる。
君は
笛なげうちて
物狂。
今こそ得つれ、
もとめても
世に見ぬ
君が手に。
ああ、はらからよ、
かくは手をとり
相したへ。
ああ、はらからよ、
來む世にも、
おなじ
君をこそ。
笛とりあげて
吹きいでぬ、
聲は
ひびくべき。
見よ美くしき
眉のねに、
あらはれぬ。
君喜べり、
何かまた、
世のわづらひを
思ふべき。
愚ならめや、
われはよく
兄なぐさむる
すべをしる。
愚ならめや、
われはよく
妹なぐさむる
すべをしる。
行へ語れな、大原女、
京の旅人渇けるに、
木の實しあらば與へずや。
君が跡ゆく
名は「
斑も木かげの欲しと見る、
しばしやすらへ、なう
籠を木にかけ、野に伏して
鬢の風情をかたらまし。
野こえ、山こえ、谷こえて、
京へと問へば猶三里、
眉毛うちふり道を説く。
若芽をきざめる
かざれる
誰が子か見入りて獨り笑むは。
花いろ
あてなる姿を君や戀ふる。
春知りそめつる糸柳の
沈める思に
いずれか
山、森、畑、寺、遠き
落つる日、ゆく雲、歸る樵夫、
いと似つかはしき色を帶びて、
ゆふべの心に溶けぞあへる。
たとしへもあらぬ靜こころの
かすけき響を胸につたへ、
わが歌ごころぞ
田の
若し夜の
歌もあらでここに迷ひ居らば、
げに言ふがひなき
さもあらばあれや、この夕の
えならぬ氣持にひたり得つる
思ひだにあらば、歌はなくも‥‥。
小鼠古巣にこもる夜半を、
冷え行く竈に友もあらで
節おのづからに蟋蟀鳴く。
かすかに顫へる己が歌の
ひびきを興がるいろも見えて、
眉の毛ふれるよ、鳴きつ、飛びつ、
無心のたはむれ忙がしげに。
更け行く
見えがたきものの見まほしさに、
おどろき隱るるあわただしさ。
唱へよ、竈に
か細きほつれも胸にまきて、
人の子とらへむ力ありや、
梳ればかすかに肩にそひて、
黒髮八尺櫛にながる。
その人戀ひつつ月あかりに、
あはれむ色さへつゆ見えぬに、
露ぐさふみつつ夜をかへりぬ。
雨の日ひねもす獨りとぢて、
心にゑがくはなよび姿、
燕も巣に入る
むかへば悲しや眉を白み、
つれなき鏡を壁になげて、
しのびに泣くかな、薄き縁を。
落つる日黄ばめるこの夕暮、
おもむきあるかな、筏浮けて
舟人河瀬に輕くさせり。
靜けき夕の心やりか、
ほのかに笑まひぬ、
くだくる小波をあとに見つつ
人皆煩らふ空のもとに、
自然の
心の
似るものもあらぬ羨ましさ、
暫しはたゆたへ、なう
淺瀬に
まとへる
透きても見ゆるや玉の
葉がくれ木の實を摘みなましと、
人目をおもはず手をさしのべ、
袖口こぼれしはなやかさに、
夕空虹の環横にきりて、
遠雲がくれにわたる鳥の
身がろき翼も捨てなましや、
物もひ煩らふ
樂しき夢路をたどりえなば。
蟋蟀在堂
役車其休
今我不樂
日月其※[#「りっしんべん+陷のつくり」、U+60C2、59-上-5] 唐風
役車其休
今我不樂
日月其※[#「りっしんべん+陷のつくり」、U+60C2、59-上-5] 唐風
自然のこころの清きかなや、
靜けき夕のすさみとてや、
この草がくれに虫は鳴きつ。
軒端にこぼるる
眉根を開きて笑みぬべきを、
何をか煩らふ君が姿。
鏡と見るまで澄める空に、
若紫なる色にしみて、
酌めども盡きざる酒もあるに。
溢るる涙を袖にけして、
しづかに甘露の
彼方にけむれる森のあたり、
乳房によりそふ
靜かに
願ふは艶なる君と二人、
野末の逍遙心足りて、
祕めつる小琴や
さらずば千種の花をともに、
さしそふ
涼しき夕風髮にうけて、
霞に眠れる野邊の如く、
ねざめぬ夢こそ
思に堪へで磯の
沈める海の底ふかく、
かくれて湧くや春の
なごりに
やつれにけりな、わがかほの。
耳をすませば、岩がくれ
薄き
風にわななく蘆の葉の
波間に沈む一ふしよ。
色めきそむる葦かびの
波に折らるる音をきけば、
浮世の海に
若き
春の潮に洗はれて、
沈む
淺ましき哉、苦き世の
涙に醉へる己が身は。
目をめぐらせば、
沈める面に恐れあり。
手を
底に知られぬ歎きあり。
髮吹きみだる葦の葉の
風のぬるみに
凍りはてたる
熱き血汐もかれてけり。
ふるふ睫毛に溢れては、
岩に碎くるわが涙、
落ちて潮に聲あるは、
底の
春の光りの薄くして、
若き
花咲く影に醉ひしれて、
花の香碎く風をあらみ、
細き眉毛を
袖の心を知るや君。
花を踏みては、
名殘の色をかへりみて、
暮れゆく春を惜しむかな。
脆き此世に又いつか
春を抱きて樂しまん。
せめて今宵は
智惠の
盃含み目を閉ぢて、
たださびしらの物思ひ、
君よ涙のせかれずば、
走る
ゆめ洩らさじな、悲しみの
細き釣緒にさはりては。
柳のかげにのぞき見て、
毒ある海にあえかなる
身の薄命をおもふかな。
木葉に似たる身を寄せて、
若きすさみも春の日の
暮れぬる程のひまと知れ。
薄き
心ありげの物ずさみ、
何をかくるる吾友よ。
星の光りに影みえて、
浦づたひ行く
小さき
春に遇ひつる心地して
あつき血汐や覺ゆらめ。
げに人の世は
さびをし溶かす
そこに沈める
ここに
ゆくな
なに恥かしき
横雲峯にたなびきて、
光まばゆきこの夕、
波しづかなる加古河の
淺瀬の波にはしりよる
鮎子な追ひそ、
味なき酒の盃を、
われ
廣き額の色みれば、
鋭き爪の
見ざりけらしな
君妻ありや、すさびゆく
風あらあらし人の世に、
胸やはらけき
頼みの宿と知りたまへ。
君
乳房をふくむくちびるに、
いろも
にがき雫なすすらせそ。
われもかひなく驚きて、
唯恐れある物狂、
ここに道なし、
行方も問ふな、名も問ふな、
弛める弦の音にも似て、
風にわななく一ふしの
弱きしらべを聞けな、唯。
水色しろき揖保川の
みぎはを染むる青草に、
牛飼ひなるる里の子を
誰し哀れと見たまふか。
堤七里に行きくれて、
城のやぐらに花散りて、
老いにけるかな、この春も。
牛追ひかへる野の路に、
踏むは、紫つぼ菫、
踵すりよせ佇みて、
なげく心を知るや君。
人に別れて野にくだり、
牛追ふ子らの名に入れど、
春ゆく毎に袖裂きて
昔の夢を思ふかな。
星はいでたり、
慰めを見るそのかげに、
今宵は堪へず膝をりて、
袂に顏をさしあてぬ。
ああ、和らかき眞砂地に、
蹄のあとをさはりみて、
愚なる身に人知れず、
熱き涙をそそぐかな。
たのしみもなき人の世の
寂しき
われは情ある
野邊の睦びを望むなり
水色しろき揖保川の
みぎはを染むる青草に、
牛追かへる里の子を、
誰し哀れと見たまふか。
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黄や、くれなゐや、
雲藍色にしづみて、
日の影しづかに薄れ行けば、
搖ぎも底に隱ろひ、
遠き空にまたたきて、
島姫宿る巖蔭、
流れ緩き淵の上、
疲れしかひなに揖をとりて、
白く光る鱗の
跳ねかへる音を聞きつつ、
今漕ぎ歸るか蜑の子らは、
闇き浪路の夕暮、
わが岸何れと惑ふらんよ。
磯邊に立てる
女房廚屋に
南の窓に
舟漕ぐ
伏目がちなる
法會にともせる
夜次第に擴がりて、
引汐走る音のみ
眞闇に知らるる海のかなた、
白き手すがる戸の上、
低き光の
船人かへると思ひやれば、
胸に沁み入る平和に、
おぼえず涙を巖に垂れぬ。
水吹く
戸に
出でしや、鼠穴の巣を。
窓洩る光ほの暗く
人の形を映すとも、
恐るる勿れわが友よ。
倉にこぼれし米ありて
三粒の
にこ毛ふくらむ
物蔭づたひ往きめぐる
ちいさ姿を眺めては、
誰か夜に盛る盃の
底の藥を悔まざる。
田に米蒔きて稗得しや、
米獲て倉に滿たざるや、
人地の
鼠に
壁の壞れにくぐり入り、
脚そばだてて何を見る、
胸に小さき智慧ありて、
世の成りゆきを
ああ
爭ひ多き
影にも堪へぬ鼠子の
清き目を引く價値ありや。
聽け君、穴の暗きより
ききと物噛む
今人の世の恥なきに、
鼠なくやとわれ惑ふ。
自然に依りて足る可きを、
人
噛むに故あり、願くは
神この穴に
ああ鼠子よ、此處に來て
暫しはわれと共にせよ、
香爐の灰の冷ゆるに
脆く落ちて行春の
ながき
春の日ながのわざくれ、
時の數を忘るとも、
ほほゑみてのみあれかし。
そぞろ歩きの
春の齡を問へるに、
かをり高き
袂をふりて急ぎぬ。
今
遠く浮世を望めば、
百里途もつくる方、
春はかなく落ちんとす。
ああ若きは酒くみて、
甘き夢に興がるを、
獨り冷えし堂に入り、
惡の神
われを石とせよ‥‥
さば
晝の間
人なき折々しのび入りて、
小狐春に夜鳩をぬすむ。
三たびか
夜ふけて林檎の下葉がくれ、
こはまた、
語るよ、小狐聲も低く
母見ぬ闇路を庭にかくれ、
人の子戀ひ行く
雛鳩與へよ、否といはば、
翌くる夜鳴かまし、君が影に。
「夕ぐれ
老師ぞきたる」と
身ひとり樹蔭に隱れ入りて
素より
若きぞ罪なる、人を見ては、
すぐよか心も動きそめぬ。
聞け、今
世の路よけつる
友みな佛の
われのみひとりや罪におつる。
罪をも厭はじ、人もあらば
羽ある神の子狙ひ得しや、
戀の矢
かなしき調を口に
みづから慰むつらきものぞ。
いづれは劣らぬ
苺は熟して
わが詩は
蜥蜴も眠れる夏の眞晝、
靜かに南の窓にもたれ、
黒髮ながきを思ひ慕ふ。
をりから
野山のしらべの聞ゆるにぞ、
つひにはこらへず庭におりて、
ああ野の小羊水を飮むと、
ぬるめる流れに走る頃を、
似つや戀ふる身は心かはき、
君があたりへとあくがれ寄る。
若きぞ悲しや、うらぶれては、
心なぐさむる
空藍色に晴れ渡り、
波ゆきかへりのたくる日、
よるは巖かげ、潮の香の
たよたよとこそ烟らへれ。
水平線に尾を垂れて、
雲薄色に曳くほとり、
心おのづとあくがれて、
野の戲れをしのぶ
海をしみれば故しらず
去りけむ人ぞおもはるる。
人よ、餘りにつらかりし、
慕へるわれを後にして、
白帆のかげに身をひそめ、
波のかなたに往きしかな。
盛るべき程の
低き
手招きしなば足りなんを。
往きにし方は
巖にのぼりて眺めしも、
波路のはては灰色に、
涙ながれて見えわかず。
せめて慰む
歌に心をかへししも、
背きし罪か、詩の神の
笛の手何か、きよき音は
うら
人を怨みてなげく身は、
唯泣かしむる
露しげき野と聞きにしが、
君はいづくをさまよへる、
ああ聖きかな、
戀知る女神詩をも知る。
女ごころを委ねんに、
歌人ならで誰かある。
歸れ戀人、くちびるは
胸の焔に渇きたり、
君かへりこむ其日まで、
また花びらに觸れもせじ。
鳴くを引汐おちゆきて、
再び島にかへる時、
浦に水鳥みえずとも、
悔いずや、君は
身は
莟の花の血を染めて、
人の世に入る
胸のいたみに堪へやらず、
足音低く歩みきて、
獨りひめつる君が名を
ああこの文字の
消えじとあらばわが戀の
足らましを、若し
歸れ戀人、くちびるは
胸のほのほに渇きたり、
君かへり來むその日まで、
また花びらに觸れもせじ。
夢かや、小野の木のかげに、
人しれずこそかき抱き、
戀のうまさに醉ひつれと、
そと囁きて笑みし日は。
戀する人に
もの忘れとを與へずや。
いまの歎きに過ぎし日の
おもへば悲し、君が手に
詩の
つひに
いままた君を失ひて、
戀の盃覆へる。
かくてわが世はものうかる
日日のねむりの續きのみ。
翼を噛みて鳴く如く、
巖にすがりて伏ししづむ
人のありとは知るや、知らずや。
見よ、龍宮の
虹こそかかれ花やかに。
人まどふ世に何の
二つに裂けて海に落ちよ。
ものみな絶えよ、空に星、
下に野の花、なかに戀、
三つの飾りと聞きつるを、
人の花まづ碎けたり。
殘るは惡と、憎しみと、
せせら笑ひと、僞りと、
涙と、石と、籾がらと、
をみなの好む小猫のみ。
潮の香
舟漕ぎかへる鰹魚釣、
人待つ岸に繋がざれ。
をみなの白き
底の淺きにくらべては、
浪はありとも住みやすき。
われは隱れ家こぼたれて、
頼るよしなきひとり兒ぞ。
昔の夢の
いたらぬ方は、――
ああ悲みの人の子に、
死は
ああ望なき人の子に、
死は
胸もあらはに
母の腕による如き
安きおもひのなからずや。
ああうつくしき
若き
ああうつくしく女子に、
清き心を葬りぬ。
かつては白き指觸れて、
愛の巣とこそ戲れし
身をさながらや、石の
かつては腕やはらかに、
わが寶ぞと抱きける
身をさながらや、土の如
濃青の淵に沈めまし。
知んぬ、みめよき女子は、
いまはの人の恨みをも、
なほ
空鳴にしも似つといふ。
見よ、
白き
立ちこそあがれ、巖の
立ちこそあがれ、巖の上に、
涙は雨とあふれ來ぬ、
死を怖れめや、怖れずの
男ごころを
男ごころよ、なが領に、
顏かがやきて胸冷えて、
女神に似つる子はなきや
その
ほほゑみをしも待たまくば、
寧ろや海の牡蠣が身の
巖根の夢を羨まむ。
黒潮よどむ海の底、
戀も、
根なき藻草の一枝に、
花を飾るに足らざらむ。
ああ海、――鰐のすむところ、
わかき命は
蘆の葉をだに價ひせじ。
すなどりすべく來つる朝、
網に
臂もわななく物怖れ。
日毎なじめるわだつみに、
身を沈めつる人ありと、
世の
さもあらばあれ、虹の環の
消ゆるが如く、死の
潮の底に、
吾は歸らめ、――さらば、さらば。
火の氣も絶えし廚に、
古き甕は碎けたり。
人のかこつ肌寒を
甕の身にも感ずるや。
古き甕は碎けたり、
また顏圓き
白き腕に卷かれて、
行かめや、森の泉に。
くだけ散れる片われに、
窓より落つる光の
靜かに這ふを眺めて、
獨り思ひに耽りぬ。
渇く日誰か
花の園にも
くちびる燃ゆる折々、
掬みしは吾が生命なり。
清きものの脆かるは、
いにしへ
古き甕は碎けたり。
ああ土よりいでし人、
清き路を踏みし人、
そらの上を慕ふ人、
運命甕に似ざるや。
古き甕は碎けたり、
心憂ひにえ堪へず、
暮れゆく日をも忘れぬ。
民
春安かれと祈る日、
なぎつる
遠く鳴るを聞く如く、
あるは惱みの眞夜中、
望みの光りを得つる如く、
今かすかに、朗らに
み空に鳴けるは何の鳥ぞ。
あな來たりやほととぎす、
遠く、遠く、また遠く、
心をいざなふその音色は、
花ぞちらふ夕暮、
はかなき別れに恨み長う
血に鳴く鳥の身ならで、
いづれの胸より聞かれ得べき。
こかげいづる鶯を、
春の
行方の西を慕ひて、
薄月させる野の空、
はてなき
ああ峠の幾つ越えて、
いましが願ひは癒えぬべしや。
悲しき哉、春の國、
みよ、青葉させる夏のうてな、
知らじや
悲みいよよ新たに
なが歌ますます
野邊の
みぎはの羊を呼ばふ子等も、
なが音夕に聞きては、
靜かなる世もみだれて、
そことしもなく歎きやせめ。
さてしも何の罪ぞや、
よき名
なが卷あまりに貧しかりや、
われ疑ひのひとり兒、
却りて落ち來る鳥の聲に、
言ひも知らぬ祕密と、
歌よりも深きこころ聞きぬ。
あな往きたりやほととぎす、
なが音再び流れず。
寂しいかな空の上、
野こえ、山こえ、牧場こえて、
さらば、さらば、さらば鳥、
いましの行方へ
木かげに夢を結びぬと。
入りて小闇き仕事場に、
刻みさしつる
圓き
顏くすぼるるあら彫の
さては雄鹿のむらがりに、
こはめざましき
日かげにぬるる獅子の影。
裂けつる岩に爪かけて、
雄々し、
鬣ながく背にまきて、
見れば湧きよる春の潮。
胸はゆたかに、
曳きしぼりたる弓の如。
ひろき肩より燃えあがる
焔か、ながき尾は躍り、
にこ毛密なる
いざよひ薔薇の花ふむも
巣くへる鳥はめざめまじ。
心がまへのいみじさや、
光りを知らぬ
鼻かぐはしき香を嗅ぐも、
いまだ前脚ふみあげて、
花野の路はしだかじな。
緑したたる木のかげに、
巨人の如く立たんとき、
しばし
汝の
眞白き石に刻まれぬ。
野より、山より、林より、
つどへよ
弱きを恥ぢて僕たれ。
おほき
眞白き石に包まれぬ。
野より、山より、林より、
つどへよ
その
蹄の前にひれふせよ。
無上の權威あらはれて、
眞白き石に
野より、山より、林より、
つどへよ獸、列なりて
王にささぐる
聖き
ふかき痛手に甘んじて、
ほのほの中に身を投げよ。
誇るべきかな、
高きほまれは
羨む群ぞ愚かなる。
見よ犧牲はそなはりぬ、
獅子は
ながき流れをふるはせて、
あな起ちあがる、「
勝と力の
伏せよ、」と呼べば皆伏しぬ。
さかんなるかな、その言葉、
「神は死ぬめり
人は魔のごと強からず、
われは王者ぞ、
悶えの胸の
ああ運命の
眼ひらきてながめ入り、
胸わななかぬ
若き勇氣に溢れたる、
この身この世に何の死ぞ。
絶ゆることなき
われは汝の伴なり」と、
聲は喇叭の音に似たり。
時に
たかき讚美と
いま想像の羽たゆむ。
見れば唐獅子日を浴びて、
ふくよかにまた靜かなる
すがたいかなる誇りぞや。
ああ藝術は支配せよ
とはの
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ああ日は
七つの丘の
圓き柱に照りはえて。
きざはし
月を經て
ほくそ
ああ日は
波の穗がしら
ぬすみに
南へかへる舟よそひ、
ここには久米の皿山の
肩にまとへる銀杏の樹、
青きみ空にそそりたる、
見れば
陣に立てるに似たりけり。
ここ
國のさかひの
谿にこもれる初嵐、
ひと日高みの
遠く銀杏のかげを見て、
あな誇りかの物めきや、
わが
軍もよひの角笛を、
木木に
家の子あまた集へ來て、
黒尾峠の
穗波なびきてさやぐまで、
勢あらく攻めよれば、
あなや
黄金の
賤しきものの逆らひに、
滅びはつべき吾が世かと、
あざけり笑ふどよもしや、
射ずくめられし北風は、
またも新手をさきがけに
頃は小春の眞晝すぎ、
因幡ざかひを立ちいでて、
晴れ渡りたる大空を
南の吉備へはしる雲、
白き額をうつぶしに、
下なる邦のあらそひの
なじかはさのみ忙しきと、
心うれひに堪へずして、
顧みがちに急ぐらむ。
生命の水を掬ばむと、
七つの關の路守に、
冠と
「あらと」の邦におりゆきし
ああ爭ひの
銀杏は
雄々しや
ほまれの創の諸肩を、
さむき入日にいろどりて、
み冬の
ああ名と戀と
夢のもろきにまがふ世に、
いかに雄々しき實在の
眩きばかりの
夏とことはに絶ゆるなく
青きを枝にかへすとも、
冬とことはに盡くるなく
つねにその葉を震ひ去り、
さては
戰ひとはに新らしく、
はた勇ましく繰りかへる。
銀杏よ、汝
神のめぐみの緑葉を、
霜に誇るにくらべては、
いかに自然の健兒ぞや。
われら願はく
心よわくも
小さき名をば呼ばざらむ。
絶ゆる
馴れし心の驕りこそ、
ながき吾世のながらへの
何かも知らぬ
よろこび胸に溢るるに、
許せよ、幹をかき抱き、
長き千代にも
きさらぎ
眺めよ、寂しき
ささら
濕ひ足らぬ荒びや、
根白たか
いたづらさやぎにささと鳴りぬ。
かなた
今宵し六日のかたわれ月、
(さはあえかなる
夕眺めするなよびや、)
さ青のまなじり伏目がちに。
吾世すがれの悲み、――
吐息もするやと惑はしむる。
あなせつなさの今宵や、
野もせに靡くさびれの
身に沁み入りては
別れし人のおもかげ、
くづをれ泣きし
それさへ
思ひ出いたき
歎きよ、ふたたび浮び來ぬる。
わが
大み慈悲の胸なれば、
人の世み冬の今をさむみ、
旅路の小草しをれて、
眺めよ、さのみ荒るるも。
なじかは
その
吾世を高みの春へこそは。
そこには
おほ慈悲
ま玉なせる
血汐に染める深手を、
癒えよと
そこしも
清きものは甦り、
菩提樹かづらかざして、
あな
眞白手しかと
さこそは注がめ嬉しなみだ。
仇し世
路惑しを据うるも、
あくがれ心の
その
鳩の子古巣にかへるごとく、
わが
いづくをゆくへと辨へ知れ。
この
よろづの
ふところ
やがても往かむ
吾世の祕密、――
光や、日も
吾が
麓つづきの
夕ぐれ
眞夏の女神
獨りずまひのなぐさや、
まよはし深きも所がらや。
こなた
圓葉柳のしげみに、
夏野の色鳥ねぐらさすや、
夢かの心地こそろと
忍び羽振のささめき、――
響きよさながら
深まりわたる靜けさ、
この
人醉はしめの眺めに、
夜頃は踴躍の心地しつれ、
今宵はいかに思ひの
うら寂しさに堪へじか、――
そは、わが道びき、
光よ、とみに隱れて、
さてこそ弱げさ忍びぬれば。
ああ
夢まぼろしと
わが世は空洞の實なし小貝、
身にしも逼る海路の
さびしき廣みに心いたむ。
あくがれ心の扉ふかく、
わが道伴なき世にしあれば、
うき身夜な夜な
注ぎし涙は知ろしめさめ。
くづをれ、――さては自ら
ほしいままなる願ひに、
ただよひ心地の束のひまを、
今しも低きささやき、――
この夕暮の刹那や、
あるひは吾世のすがたならぬ。
宵闇やをら離れて、
星まだらなる高みに、
きよらの
眞夏の女神筒姫、
白がね
匂ひ
夢の氣ここにも浮び來つれ。
わが魂にくゆりし
今はた
なほ人の世の旅ゆき、
くらやみ路のたづきや
内なる
いつかは
燃えこそあがらめ
その日よ光あふれて、
み空の
心の
いたるや
わが世祕密の許され、
その日の
こよひは野中にひざまづきて、
夢見心地のあくがれ、
操にたらへる心ばへに、
胸なる
守りて靜かに
流ゆるき枝河の
根やはら
眉根しろき
見ずやかなた
樹蔭にかくるる
美しきものは
かいまみ許さぬ花のすがた。
瑠璃色背にながれて、
さながら
はた
白き菱の花さして、
したり顏の
眞菰うら葉にやすらひ、
匂ひ
繁みがくれの巣ごもり、
夕月さし入る
夢こそかよへ、
自然の胸なるふかき夢に。
そよやむかし乙姫が
ほまれの
尼そぎ
知らず顏の
など
高音さへづる雲雀の
巣造りさかしき
寂しいかな川隈の
繁みがなかをば往きかへりて、
噤みがちなる慣ひや、
胸には無量の祕密あらむ。
祕密よ、いかに清らに、
はた尊かる寶や、
染みて
散る日げにや惜しからむ。
されば包むに
まもるに靈ある翼そへぬ。
夜は長かりき、「くらやみの
黒き
時こそ來れ、めざめよ。」と、
千歳の夢はやぶられて、
身は
あかつき空にめざむれば、
あなや
息まき荒き
木立をふるひ、草を薙ぎ、
「今こそ覺むれ、
八百の群より撰られたる
さながら
南をさして飛び去りぬ。
薔薇色ごろも
曙の戸をひきはづし、
注ぐや黄金、しろ金の
やをら國見の
天そそり立つ大峰や、
また
風は
玉置山のかなたより
さと身隱れて
吹きおろすらむ熊野浦。
浪の
眞帆
鳥羽路へわたる舟人は、
山いただきの空みだれ、
雲のちぎれを見やるにも、
「
吹きこそ來れ。」と高らかに
東、鷹鞭、高見山、
北は葛城、生駒らの
右左なる山なみは、
いつを
夜中ごこちの事よげさ、
夢ふかげなるこの朝け、
誰ぞや麓にけはひして、
そや、み吉野の水ならぬ
ああ
夜な夜な峰に雨ふりて、
岩根けはしき谿間より、
落ちつどひてや、白金の
眞澄の色の吉野川、
つとめを分つ友となれ。
あな
ひた走り入る
朝潮はやく打よせて
浪の音どよむ紀伊の海。
思ひ出れば
ふた別れせし
心驕りに睦まじと、
龍の
青うな原におりゆきし
胸のゆらぎの
風のあらびにそそけては、
さすがに老の見えもすれ、
肩をあげては憤り、
また
高笑する若やぎや、
なほ
わが
やまと
世を營める人やから、――
時のあらびの高浪に、
皆がら
よるべ無き身の今ながら、
ひと夜高根の
巣を失ひし鳶の鳥、
はては
山ふところに飛び去りて、
また
えは
荒野の路にかけめぐり、
「美しきもの甦へれ、
礎ここにおかれぬ。」と、
空どよもしの
げにいぢらしき人の子の
猛く尊きすがたかな。
この曙にめざめたる
吾世の幸のたぐひなさ、
智慧と力に足らひたる
麓の小野へ駈けおりて、
川邊づたひに磯濱の
波打際に去れよ、また
躓きがちに行きすぎて、
われは明けぬる
光の海に身はぬれて、
行きまどふらむ子の爲に、
朝日子高くさし示し、
人よ、かなたに、
玉の顏ばせ現はれぬ
そこにと許り教へばや。
ひねもす空の
すべる車の
清きどよみを聞きながら、
虹のごとくに花やぎて、
さかえ溢るる
高き清きにあくがれて、
「いであ」の國に遊ぶ子ぞ、
かかる
ああわが丈よ五千尺、
脚は下なる野を踏みて、
頭は高く雲に入る、――
そのかみ闇のとろろぎの
山と聳ゆる
自然よ、君に捧ぐると、
今歳この春若やぎて、
どよみわたりぬ、金剛山。
春の夜はしづかに更けぬ、
はゆま路の並木のけぶり、
箱馬車は
宮津より由良へ急ぎぬ。
朧夜の窓のあかりに、
京むすめ、難波
人の世の旅の道づれ。
物がたり
眠り目のとろむとすれば、
をりからの追分ぶしや。
清らなる聲ひとしきり、
谿あひのささら水なみ、
咽び音に響きわたれば、
乘合はなみだこぼれぬ。
月落ちて闇の夜ぶかに、
箱馬車は由良へとどきぬ。
西東みちに別れぬ。
その後やいく春經けむ、
おほ方は夢にうつつに、
忍びてはえこそ忘れね、
由良の夜の追わけ
その子今何處にあらむ、
思ひ出の清きかたみや、
人々のこころに生きて、
とことはに姿ぞわかき。
夕ぐれの
やま鳥はけはひ靜かに
野がへりの翼おろしぬ、
やまの井の井手の
水の面のますみの色に、
やま鳥のをろの鏡や、
くづをれし女の胸に、
そのかみの夢のただよひ。
やま鳥は森にかくれぬ。
夢ざめしうつつの心地、
山の井のふかき吐息や。
夜の
夕闇の
山の井は
束の間を初めて知んぬ。
新嘗まつりほどちかき
霜ふり月の朝まだき、
もとより闇の
見しは光か、やがて死か。
今はの一目くらやみの
さても
げにや死こそは
岸の夜あけの
ひかりなればぞ
身にしも望み、――はた恐れ。
こもり
夏の日の光にぬれて、
息ざしのけはひ深げに。
ももとせの生命の
葉とひらき、花とくゆりて
ひと夏のこころ驕りや、
こもり
やはら風そよろの渡り、
葉はゆれぬ、花はこぼれぬ、
沼姫のほくそゑまひか、
ささら波
今しこそ胸のとろ火の
もも絡み靜かに解けめ、
使ひ
眠り目の夢見すがたや。
ありや、かの
あくがれの心のふかみ、
かかる日のふと現はれて、
束のまを、――また身隱るる。
こよひ花野の夕づくよ、
君待ちくらす心地して、
すずろ心の胸のときめき。
三歳は過ぎぬ、また更に
夢ほのかなる甦り、――
はな
君は都のさかしら
磯まの小屋のおとづれに、
蜑が言葉のつたなきを、
いかなればとや問ひ給ふ。
身は
浪路のそこに沈み入り、
眞珠、珊瑚の玉しける
龍の宮居に目馴るれば、
海の祕密を洩すやと、
おほ
をんなの
さは愚かしくなりはてぬ。
流れ流れてゆくすゑは、
思ひ亂るる人の子は、
紫野ゆき、萌野ゆき、
紅梅咲ける君が戸へ。
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ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く
あかつき露に髮ぬれて、往きこそかよへ、
黄金の海とゆらゆる日、
いにし代の
見ぞ
焚きくゆる香ぞ、さながらの
さこそは醉はめ。
赤ら橘葉がくれにほのめく日なか、
そことも知らぬ
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に
葉の漂ひとひるがへり、
そぞろありきの
日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒く、
そそ走りゆく
道ゆきのさざめき、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、
そのかみの
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月日のゆふべ、
知らましを身に。
あえかなる笑や、
君が眼ざしの日のぬるみ、
寂しき胸の
ありし世の日ぞ散りしきし
また若やぎの
ここかしこ「
ほのめきゆらぎ、「囁き」の色は
「
くゆり靡きて、
醉ごこちあくがれまどふ束の間を、
あなうら悲し、
花はしをれぬ、
立枯の
鷺脚の「歎き」ぞ、ひとり青びれし
溜息低にまよふのみ。――夢なりけらし、
ああ人妻、――
掻きくらしゆく冬の日の
わがゆくかたは、月明りさし入るなべに、
さはら木は
「
わがゆくかたは、野胡桃の實は笑みこぼれ、
黄金なす
「うまし
わがゆくかたは、
「
わがゆくかたは、
遠つ海や、――ああ、
神こそ立てれ、
日黒みの廣き肩して、いざ「慈悲」と、
「
うべこそ來しか、小林の
そのかみ(邦は
日蔭かづらや曳きかへる木のした路に、
葉染の姫に見ぞ
また
すずろありきや許されて、
さこそは獨り野木の
ひととせなりき、
都ほとりの
「
技藝天女の
玉としにほふおもざしに、
あくがれ入りし歸るさを、
ふとこそ、荒れし夕庭の朽木の枝に、
心あがりのわが
うべ
おもひそめしか。
またひと
日ぞ忍び音に時雨れつる深草小野の
柿の
入日に濡れて面はゆに紅らむゆふべ、
すずろ歩きの行くすがら、
竹の葉山の
ありし
そのかみの夜や思ひいでて、
目ぞ留りにし。
ああ
ともすればまためぐり會ふ
わが
「
さて咲きぬべき
そのうら若き莟みこそ、
さは
まだき滴る言の葉の
生命の火をも
わが
物詣する
桂をとめは河しもに
櫂の
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、楠の樹の若葉仄かに香ににほひ、
葉びろ柏は手だゆげに風に搖ゆる初夏を、
葉洩りの日かげ
葵かづらの冠して、
塗の
また水無月の祇園會や、日ぞ照り白む山鉾の
車きしめく廣小路、祭物見の人ごみに、
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、
日は今
靜かに
さながら老いし
物歎かしきたたずまひ、
夢見ごこちの
札所めぐりの旅人は、すずろ
かなたへ、君といざかへらまし。
わが故郷は、
そそ走りゆく霜月や、
都入りする
路にまよひし旅心地、物わびしらの
下京あたり時雨するうら寂しげの日短かを、
道の者なる若人は、ものの香朽ちし經藏に、
夕くれなゐの明らみに、
かなたへ、君といざかへらまし。
そのかみ山の
ああ
色ゆるされの
ああひとつば、
ひとり
ああひとつば。
春は
ああひとつば、
裝ひ似ざるうれたさに、宮にまゐりて、
ああひとつば、
願へど、姫は事なしび、素知らぬけはひ、
ああひとつば。
夏は山百合、
ああひとつば、
匂ひ
ああひとつば、
歎けど、姫は
ああひとつば。
秋は
ああひとつば、
ああひとつば、
ああひとつば。
やがて葉は散り、實は朽ちぬ。冬木の山に
ああひとつば、
獨りし居れば、姫は來て「思ひかあたる
ああひとつば、
世は吾とわが知るにこそ、在りがひはあれ
ああひとつば。
姫は微笑み、「今日もはた、香をか羨む、
ああひとつば、
色をか、いかに。
ああひとつば、
その日よりこそ、
ああひとつば。
日ぞ眞晝、
日ざしは麥の
穗にしらみ、
野なかの路に
またたきて、
湧きたちぬ。
牧の小野には、
並木立
葉を垂れつ。
青ぶくれなる
めまぐるしさに
息だえぬ。
雲のひとひら、
たよたよと
ありなしに
やがては消えつ。
空や、
墓ならし。
くぐり入り、
息むせて、
蛇はひそみぬ、
葉がくれに。
なべての上に
高照す
つよき苛責や、
あな寂し、
悔なき
けだかさは、
げに水無月の
日ならまし。
夏なかの榮えは過ぎぬ、
くたら野の隱れの
「
はぐくみぬ、水のおもてを。
尼うへの一座なるらし。
なづさひの羽きよらかに、
おもむろに
鼻じろみ、
振りかへり、かつ涙ぐみ、
ほくそ笑む水底の宮、
見ず、
淨まはる
かひがひし、あな鳰の鳥、
ひねもすに
時はふたりをさきしかば
また償ひにかへりきて、
かなしき傷に、おもひでの
うまし涙を湧かしめぬ。
青水無月の
歎きはありや、わが如く。
海のあなたに往き消えつ。
この世はあまりか廣くて、
をとめ心はありわびぬ。
朝
神はをとめを路しばの
片葉とだにも見給はじ。
夏野の媛の手にとらす
しろがね
香には染むとも、
人のまみには似ざらまし。
伏目にたたすあえかさに、
ひと日は、白き
夕日がくれに息づきし
津の國の野を思ひいで。
ひと日は、うるむ月の夜に、
別れは、小野の
夕日がくれに落つる葉の
さあれ、靜かに
かたみの路の
思ひしをれて
美くしかりしそのかみの
この日もやがてありし世の
往きてかへらぬ
消ゆらめとこそ思ひしか。
この夕ぐれの靜けさに、
何とはなしにおもひでに
二つの花の
ひとつは、濕める
別れのゆふべ泣き濡れし
あえかの胸に、今もはた
「日」は殘らめとささやきつ。
ひとつは、
今は
また新しき「日」は芽ぐみ、
花もぞ咲くとつぶやきつ。
今日しも、卯月宵やみに、
なつかしきもの、胸の戸に、
神はをみなを召しまして、
いづくは知らず往にしかど、
大御心のふかければ、
殘る名のみは消しませね。
夕月さしぬ、野は
日のいとなみに倦みはてて、
苅りし小草に倒れ伏し、
別れし人の身ぞおもふ。
さても、眞晝を
すずろ
今朝あけぼのの浦にして
われこそ見つれ、
み空と海の
君や青空、われや海、
ああ醉心地、
胸ぞわななく、さこそかの
か廣き海も顫ひしか。
人待つ宵を、日のかたみ、
物さびしさの身にぞ沁む。
花とをみなの持てなやむ
悲びな
ながながし
今日に醉ふなる身のふたり。
葉こそこぼるれ、夏なかの
青水無月のかげに見し
その日の夢はまづ覺めて、
今日はた
昨日ぞ、夕に、あかつきに
露けかりつる身のふたり、
明日を、
委ぬるも、はた、――ああ無花果。
とのゐやつれの雛星は、
まぶしたゆげにまたたきつ、
夢さわがしく息づきぬ。
夜はもなか、
吾ひとり、
かすかに物のけはひして、
ささやく心地、さびしさの
夕浪倦みぬ、――さこそ吾。
鴎は
歎きぬ、葦はうら枯の
昨日はともに葦かびの
若き日をこそ歌ひしか。
あな火ぞ
葦間にひたる影青に。
消ゆとは知れど、さこそ、われ
人のまみをば思ひづれ。
かかる夜なりき、
うるみ色なる月かげに、
飽かず別れて立ちかへり、
抱きあひては歎きしが。
その夜は、やがて尼ごろも
寂しかりきな人知れず。
天なる
ありや、
ひと夜は、かくや木がくれに
いま月しろの
ほのかに動く宵の間を、
人待ちなれし
待つにし來ます君ならば、
忘れてのみは、いつの代も
めぐり會ふ日はなかるべし。
ひとの
「戀」はひとりぞ
日のはじめより泣き濡れし
忘れがたみよ、津の國の
遠里小野の白すみれ、
人待ちなれし木のもとに、
摘みしむかしの
日は水の如往きしかど、
今はたひとり、そのかみの
心知りなるささやきに、
物思はする花をぐさ。
ふと聞きなれししろがねの
別れのゆふべ、さしぐみし
あえかのまみを見浮べぬ。
葉こそこぼるれ、神無月
かかる日なりき、
戀がたりする人も見き。
葉こそこぼるれ、
かかる日なりき、
かたみに人は擁きあひ、
葉こそこぼるれ、そのかみの
二人のひとり、
ふとありし日のまぼろしを
吾かのさまに
相見そめしは初夏の
空も夢みる
冠にかけしもろかづら、
後の逢瀬はいつはとて、
泣き濡れぬ日もなかりしを、
はては召されて
空のあなたに往きましぬ。
いかに
のこる桂は乾からびぬ
さこそ心も青枯れて、
「
花の若えはおとろへぬ。
今はのきざみ、ため息の
香こそ仄めけ、くちびるに。
面がはりせし人妻の
まみの窶れに消えのこる
日のなまめきを見浮べつ。
ふとまた聞きつ、
人しれずこそ會ひし日の
忘れて久のささやきを。
かた岡に
日は照りぬ、
鳥うたひ、
いさら水
笑みまけて
面はゆに
野こそ滑れ。
朝踏ます
風の
草かた葉
さゆらぎて、
しづれ散る
露や、げに
玉ゆらの
雲は、いま
しろたへの
海原に
帆をあぐる
蜑舟の
心みえや。
ほのかなる
しろ
あな「朝」か、
かた笑みて
つと消えつ、
「日」はすでに
小野や、――伏目に
さしぐみし
日はみまかりぬ。
あな
宮とめあぐみ、
ものうげの
旅や、はつはつ。
ここかしこ、
また
伏葉のみだれ、
小木の
あな、ここは
悲びの
住家ならまし。
ささやきつ、
また吐息しつ、
歎きよ、――落ちて
葉に、石に
またたきて、
つとこそ
いささかの
生命か、――
水うはぬるむ水無月の
夏かげくらき
花こそひらけ、
日を睡蓮のかた
しろがね色の
たたなはる葉のひまびまに、
ほのめきゆらぐ
ひとつびとつは後の日を
この日につなぐ
夕となれば
ひと日をやがて
うまし眠りに隱ろひぬ。
ああ身ぞひとり、
ゆふべとなりぬ。
椰子の實熟るる
胸さわぐらし。
沖の遠鳴、潮の
ああ醉ごこち、
いづくは知らず、
故郷こひし。
わが世は知らぬかなたへと、
日に、また夜はに、
あくがれまどふ野心の
「時」は
わだつみとわれ。
別れぬ、二人。
離れじとこそ悶えしか、そも仇なりき。
落葉もかくぞ
分ちぬ、風は追わけに。さて見ず知らず。
矢の根を深み、傷手より
日に夜に絶えず沸き出でて流れぬ、神に。
青水無月の小林に、
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葉は落ちぬ、
小野の
灰いろの
影のただよひ
落穗ひろひ、――
かなしびは
たゆげに動く。
『きのふ』の落穗、
ひろひしは
唯
おちぼひろひ、――
とみかうみ
かつ涙ぐむ。
今日もはた
南へ、海を、
夢の鳥
かへりぬ、ひとつ。
おちぼひろひ、――
うらびれて
わが世は寂びぬ。
初冬の
日はわびしげに、
われとわが
世を
おちぼひろひ、――
見入りては
また涙ぐむ。
何知らず空はかなしび、
しのび音に日ぞ泣きそぼつ。
朽ちばめるうつぼばしらに、
憂鬱の、あな父なし兒、
雨じめり落葉はふやき、
しめやかに土の香ひす。
そことなき物したはしさ。
雨だりの音びそびそと
蛞蝓はなめりぬ、
寢はれつる身は水ぐみて、
灰色のあなたを
うかがひぬ、はた危ぶみぬ、
なめくぢのなま心わろ。
ありなしの
その間だに
おほ
雨やみぬ。蛞蝓は、ふと
見ず。――ひとりうつぼ柱に
うつけたる歌の
初夏は酒甕の如、
泡だちて日は
青みどり小野の木立は、
醉ひしれてまどろむここち。
うらわかき
驕樂の時のすさびに、
かなしびは胸にはらみて、
じじと日は油照りして、
惱む間も、あなきしきしと
木食蟲 樹の髓を
無花果の樹はかなしげに、
をとめさび、――思ひくづほれ、
葉廣なる
なに知らず 乞ひ
立ちすくむ日を、きしきしと
木食蟲 樹の髓を
無花果の樹はくるしげに、
木膚には
わび歌の音ぞ青じろに。
ふと人の足音とまり、
つぶやきて また往き過ぎぬ。
午さがり、――きしきしとのみ、
木食蟲 樹の髓を
無花果の葉は泣きしをれ、
青からび實は萎え落ちぬ。
しとしとと雫ぞ
木はなべて夢ざめぬ。日は
夕なり。あな無花果は、
こしかたの世を
見入りては
ももとせを刹那に
聞き笑みぬ、夜をきしきしと
木食蟲 樹の髓
更くる夜の厨のさむさ、
冷えとほる灰にもたれて
火吹だるま、
翁びしまみの煤ばみ、
かりそめの火をはぐくみぬ。
ほのかなるぬる火のぬくみ、
胸の脈ゆたにむくみて、
火吹だるま、
面はゆに
はしり火のつぶやく心地、
ひしひしと夢はこぼれぬ。
火吹だるま、
すずろなる心の
つぼ口のふとほくそ笑み。
火移りの火は慕ひ合ひ、
たはれてはまた火を孕む。
火吹だるま、
面ほでり汗ばむけはひ、
喘ぎつつかつ息づきぬ。
われとわが火は火を燒きて、
火ぞ燃ゆる―
火吹だるま、
醉ひ伏しぬ、醉のたのしび、
さあれ、また刹那の
なべてみな死にゆく
火吹だるま、
やがてまた
夜は更けつ、
火吹だるま、
火は消えつ、灰にうもれて、
夕づつは青にともりぬ、
くだり闇、闇のもなかに、
夕まよひ
片びさし、草家のかくれ、
ほのかにも夕顏咲けり。
賤が
興津姫せはしなの夜や、
夕顏は闇にしらみぬ。
戸は開きぬ、――つと片あかり、――
ひしひしと
なまぬるの風に搖えて、
夕顏の
戸は閉ぢぬ、――はた
えこぼる味噌汁の香や、
夕づつの往ぬるを傷み、
夕顏のまみはうるみぬ。
窓につと
厨には小皿のひびき、
醉ごゑの
夕顏は昨日を思ひぬ。
夕まよひ、
闇は、いま
夕顏はまた吐息しぬ。
薄あかり弱くあをちて、
添乳する母も寢伸びぬ。
夕顏はえこそ落ち居ね。
うつ
窓ぢかに
鷺脚のひびきも聞かめ。
音もなき
夕顏は
ほとほとと訪ふけはひ、――
ほくそ笑み、――娘のひとり
寢おびれてかつしづまりぬ。
わななきて
夕顏はつとこそ萎め。
ほとほとと訪ふけはひ、――
ふと海の
夕顏の花はくづれて、
香のみ殘りぬ、弱に。
夜は更けぬ、
ああくだり闇、
病人ひとり――
熱れしめらふ枕がみ、
まじの裳垂れぬ。
まどろみつ、はた
ほほけしここち。
たゆげに闇に息づきて、
ああ今もかも
罌粟の夢くづれぬ。――落ちて仄白に
香にこそにほへ。
『
かすけきひびき、
つと仄めきぬ、はた消えぬ。
『
わが世なりきな。
ほの見つる彼方よ、物のくらきかな。
病人の身は――
さあれ氣ぶかき『靜寂』の、――
罌粟はこぼれぬ、――
玉ゆらの吐息にしみし移り
えこそ忘れね。
花ははたこぼれじ。――かくて『
默しぬ、われに。
あな息ぐるし、
魂のさやに脈搏つすぐよかさ、
わが世
八月の日ぞ照りしらむ
葉びろ柏の繁みより
かいまみ笑める青き空。――ああ、その青よ、ふるさとの
おほ
今ぞ別れむ、戀人よ。
さあれ、わが世の
滿ち張る――海へ、いざ歸らまし。
君は
われは
別れとなりぬ。夏初め、宵の月夜の逢曳に、
やがてさこそと歎きしか。
さもあらばあれ、われはまた夏野の鳥の日もすがら
木かげの花に
ああ、また高き日ざかりの波の穗光り、
遠鳴る――海へ、いざ歸らまし。
束の間なりき。わが戀はげに夏の夜の夢なりき。
かへる彼方のわだつみの營みいかに繁くとも、
忍びかいでむ、君が名は。
ああ、『
あえかの花のひと莖は、唯君のみの名なるべし。
それはた小野の朝じめり、薔薇の香ふ途ならず、
汐ざゐどよむ
大わだつみの彼方にて。ああ、空みたれ、船の帆の
はためく――海へ、いざ歸らまし。
知らじや、われはわだつみの
船がかりする
女の胸にひむるてふ祕密の
ああ、後の日も忘れずの肌のなまめき、目のうるみ‥‥
いな、わが戀は遠海の
汐の八百路を漕ぎわくる櫂のきしめき。
くちびるの火のあまきかな。――かくて、われ
また緑野の花は見じ。――ああ、
どよむか――海へ、いざ歸らまし。
午過ぎぬ。日はわびしげに
四辻の
都路はもの疲れして
たゆげにも
ゆくさ
夢の野にすずろ往くかに
足ぶみの音もしめりて、
想ひいで、はたなつかしみ、
醉ひほれて見とるるここち、
物賣はしずかに
午さがり。――日はわりなくも
靜心知らず亂れて
つむじ風ふと思ひたち、
そそめきてかしま立ちしぬ。
けばだちぬ。
そそくさと先走りしぬ。
土ぼこり、
故知らず、はた何知らぬ
時めきの、さとこそ
くるめきて爪立あがれ、
ゆきかひの人あたふたと
物音のさわがしきかな。
俳優は走りぬ、――白き
ふためくや
ふと夢に物おびえして
喘ぐかに
さりげなき面持、つつと
往きすぐる若き唄ひ
あと叫び、つとこそとまれ、
ふくら
見ず知らぬ人の誰彼、
はしり寄るひとりは言ひぬ、
「かま
噛みつれ」と。はた呟やけり、
「肌じろの踝なれば、
落ちけめ」と。あな唄ひ
われならぬ不可思議の世に
見おどろき、さては見入りて、
この日より萌しぬ。風は
そそくさと横走りして、
末廣に
落葉のみ、
文字の如、殘りぬ
廣小路――日は涙くむ……
すすり泣く音に………そことなし
燒栗のほのかのにほひ………
ゆくさくさ、人ふりかへり
『は』と笑ふ、……胡弓のなげき……
砂ぼこりふと
焦げくさき實はふすふすと
錢は落つ。――あな胡弓彈き
ほくそ笑み、はたほこりかに
栗食みて、かつ物言ひぬ、
栗賣は
「これはもと
御國なまりの言葉
毛むくぢやらなる
七月の日は照り
砂ぼこりする
北海の
たゆげの
路の邊の柳の葉なみ萎びれて、
歎かひしずむ
黒血のにじみ垢づきて、かつ
「これなるは
ひきつるけはひ、
おとろふる
たけり。」と言ひて、北海のまぼろし夢む。
小さ刀の刄にぬるる妖のしたたり。
ふとしも聞きぬ、
つぶやきて人はも去りぬ。つむじ風
つとこそ躍れ。ほほけ立つ埃まみれに
心はまどふ、仄ぐらき不安の
日ぞ
ひだるさに何とは知らず