茶話

大正十四(一九二五)年

薄田泣菫




鶏小舎

4・15
東京日日(夕)

 大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の生活くらし向きを正直に書き出させたことがあつた。いゝ機会だ、ことによると、これが増給のきつかけとなるかもしれないと、職工達はてんでに自分の生活くらし向きを正直に書き出した。正直にうちあければ、うちあけるほど惨めなのはの生活だつた。
 好奇心と満足と不安とのごつちやになつた気持ちで、職工だちの報告書を調べてゐた重役は、その一つに家賃の項目が書加へてないものを発見した。その職工はすぐに重役室に呼び出された。
「なぜ、家賃の項目を書き落としたんだ。すぐ書き加へてもらひたい。」
「はい。」浅葱あさぎ服の職工は飛んだ失敗しくじりでも見つけられたやうに恐縮した。「幾らか書き込んでおいた方がいいとは思ひましたが、正直にといふお話でございましたから、そのまゝ差出しましたやうな次第で……実は家は自分の持ち物なので、家賃と申しましては一文も払つて居りません。」
「家は自分のものだつて。」重役は自分の大きな鼻を他人ひとの持ちものだと言つて、指でこつぴどくぢ曲げられたやうにびつくりした。「それは偉いな、わしなぞ、かうして重役室に納まつてはゐるが、家に帰ると見すぼらしい借家住まゐだからな。」
「どうも相済みません。」職工は重役の借家住まゐが、自分のせゐででもあるやうに恐縮した。
「家の建築費は、みんな自分で稼ぎ溜めたのか。」
「はい、みんな自分で稼ぎました。」
「それは偉い。」重役は職工の報告書に何か書き加へようとして、鉛筆を取り上げながら、眼鏡越しにちらと相手の顔を見た。「すつかりで幾らかゝつたかい。」
「はい、すつかりで二十円かゝりました。」
 職工は自分の身体からだが二十円紙幣ででもあるやうに、重役の前で皺くちやになつた。
「なに、二十円で済んだ? 戯談ぜうだんぢやない。」
 重役はからかはれでもしたやうに真ツ赤になつた。
「いえ、戯談ぜうだんなぞ申しません。鶏小舎とりこやの古いのを買ひまして、それにすまつてゐるのです。夏分なつぶんになりますと、羽虫はむしに困らされます。」
 職工は自分が雄鶏をんどりでないのを不思議がるやうな眼付をして足もとを見まはした。
「さうか、鶏小舎とりこやに住んどるのか。」
 重役の顔にちらとあはれみの色が見えたが、すぐまた相手が蹴爪けづめでももつてゐはしないか、と気づかふやうな不安さうな顔つきに変つた。


女優と花束

4・16
東京日日(夕)

 女優の舞台生活といふものは、表と裏とちがつて、どこの国でもからくりの多いものだが、女優モウド・アダムスの話しによると、ある時この人の一座で出し物の名はわすれたが、人気のある脚本の一つを演じた事があつた。幕がしまると、女優の一人がおそろしく機嫌をそこねた顔つきで、自分の男衆に向かつて、何か口やかましく我鳴りたててゐた。アダムスがその男にどうしたのだときくと、男衆はふくれつらをしていつた。
「なにね、今夜いただいた花束が九つしきや無かつたので、あんなに※(「弗+色」、第3水準1-90-60)くれてるんですよ。」
「えらいわね。」アダムスは感心したやうに首をふつた。「それだのに何だつて不足をいつてるの。」
「いえね。」男衆はくすぐつたさうにおとがひへ手をやつた。「あの人は花屋に十個とをだけ代金を払つておいたつていつてるんです。」


狂人と弁護士

4・17
東京日日(夕)

 アメリカの前大統領タフトの直話ぢきわである。
 タフトの友人に一人の弁護士があつて、ある刑事事件に関係した被告を、ひどい神経衰弱で精神状態があやしいからと弁護して、うまく無罪の宣告を受けさせたことがあつた。弁護士が約束の弁護料を請求すると、依頼人はにべもなく断わつた。
「なぜ払はんのか。」弁護士は雄鶏をんどりのやうに胸をそらせた。
「あなたは私を精神状態があやしいといつて弁護して下さいましたね。」
 依頼人は裁判官のやうな調子でだめをおした。
「さうだ。」
「するとですね。」依頼人はいつた。「あなたは精神状態のあやしいものから報酬をとる事になりますが、それでもかまはないんですか。」
 おかげで、報酬は払はなくともいゝ事になつた。


無類なお世辞

4・18
東京日日(夕)

 美しい女をほめるのにいろいろな方法がある。バルザツクなどは、単にその点からいつても、すぐれた技巧をもつてゐたが、そのバルザツクすらとても追つつかない程の、うまい御機嫌とりをいつたものがある。それを受けたのは、美人で評判のデヴオンシヤア公爵夫人で、夫人がある時さびしい町角で馬車からおりようとすると、石炭担ぎの労働者が一人みちの片側にしやがんで、口にくはへたパイプをつけようとしてゐた。石炭担ぎはひと目公爵夫人の顔を見るなり、じつと眼を見すゑたまゝ、うつとりとしてゐたが、暫くすると急ににこ/\して口を切つた。
「何といふ美しい奥様だらうな。奥様申し兼ねますが、お前さまの眼でわつし煙管きせるに火をつけて貰へますまいかな。」


重役気質

4・19
東京日日(夕)

「つく/″\生きてるのが厭になつちまひました。もう/\孫子まごこの代まで腰弁こしべんなざあ真つ平ですよ。」
 今日久し振りで私を訪ねて来た――会社の人事係月俸百三十七円のB氏は、かういつて、用のない空気枕のやうにすうと長い溜息をついて、がつしりした胸の上で両手をみ合せた。どうしたのかと、理由わけをきくとかうである。
 ――会社では定期の増俸期がもうあと一ヶ月に近づいてきたので、B氏はこの場合社長の御機嫌をとりむすんでおくのが上分別と、きのふの日曜を仕合せにわざ/\その自宅をおとづれて社長に会つたものだ。そして何がな社長の気に入るやうなことをいはうとして思案をしてゐると、あべこべに社長からうれしがらせをあびせかけられた。
わしなぞはもう時代おくれだよ。会社の脊椎は君達のやうな新知識にあるのだから、折角自重してもらはなくつちや。」
 社長はかういつて、わざ/\紐のゆるんだ巾著きんちやくのやうな笑ひ顔をしてみせた。その笑ひ顔を見たB氏は、お追従は何一ついふことも出来ないで、たつた一つ鉢植の蘭の花をほめたきりで、そのまゝ帰つて来た。そして帰り道に保証人のH弁護士をたづねてこの話しをすると、弁護士はとがつた禿頭とくとうを横にふつて、そんなことでは今期の増俸はとてもむづかしからうといつた。理由わけをきくと、弁護士はかういつてきかせた。
「今時の会社の重役から、こつちの欲しいものを取り出さうとするには、自分で自分に愛相あいさうが尽きて、あとで胸が悪くなる位のことをいはなくつちや、何の効目ききめがあるものか。むかうからおだてられて、いゝ気になつてゐるなぞ若い、若い。」


花心に住む

4・21
東京日日(夕)

 花が咲揃つた。常住さながら花心に坐する心地がするのはこのごろのことである。
 長崎の南画家木下逸雲は、支那人から西せい湖の蓮を一株もらつて、大事にかけて養つてゐたが、やつと花が咲くと、土を掘つて鉢ごと花を埋めてしまつた。そしてその上に画室を建てて、そのなかで筆をとることにした。
 芸術家の眼をもつて見ると、天地は、まるで花のやうなもので、わざ/\花を植ゑなくともいゝ筈である。それともまた花をつちかひふやして、画室のまはりを花でとりまかせてもいゝ筈である。だが、逸雲はさうはしないで、土を掘つて花を鉢ごと埋めてしまつた。何らかの生命を犠牲にしないでは、安住し得られない愛の姿なのである。


四十女

4・22
東京日日(夕)

 世の中に四十女ほどみじめなものはない。肌には小皺がより、髪は油気がぬけてばさ/\してくる。それもまだいゝとして、とても辛抱できないのは、感情に弾力とうるほひがなくなり、想像力が乏しくなることである。これについてダグラス・ジエロルドといふ男がうまい事をいつてゐる。
「四十円の小切手が、二十円のもの二枚と切り替られるやうに、四十女がうまく始末出来るのだつたら、どんなに男達は助かつたらうにな。」
 くれ/″\も言ひ添へておくが、これは自分の言葉では無い。


金の卵

4・23
東京日日(夕)

 亡くなつた富岡鉄斎老人は、何よりもをかくのがすきで、ひまさへあればどんなものにでも筆をとつたものだ。自分が穿いてゐた駒下駄にまで画をいてゐたのは名高い話しだが、駒下駄にすらさうだつたから、気分さへよかつたら、他人ひとが持ち込むどんなものにでも厭な顔せず、よろこんで筆をとつた。こんなことでは世帯しよたいがもてないと、なかにたつて客をはゞみだしたのがむすこの桃華氏で、桃華氏が亡くなつてからは、その未亡人がこの役割を勤めてゐた。すべての芸術家は鉄斎老人のやうにありたいものだが、家族の人達が引締まつたのにもまた無理のない点がある。金の卵を産む※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)にはとりを持つてゐるものは、何よりもまづその卵のすうを控へ目にさせなければとむかしの人も言つてゐた。


4・24
東京日日(夕)

 人間の爪といふものは、その伸びる度合が指によつてちがつてゐる。中指の爪が一番はやく伸び、拇指おやゆびのが一番遅い。両手をくらべると、右手の爪が左手のよりも幾分はやく伸びる慣はしになつてゐる。その人の健康状態も爪の伸び方に影響するもので、病人の爪は健康な人の爪よりもずつと速く伸びるものだ。平均をとると、人間の爪の伸び方は、一月に八分の一インチといふ事になつてゐる。――つまらない爪の詮議をするやうだが、男にとつては唯の爪に過ぎなくとも、女にとつては重宝な一種の武器である。


煙草盆

4・25
東京日日(夕)

 ものぐさななまけ者を主人公に取扱つたものに、ガンチヤロフの『オブロオモフ』がある。このオブロオモフは、近代人の誰もの魂の底に多少とも潜んでゐる病気だが、とりわけ芸術家や学者にそれを持ち合せてゐるのが多いやうだ。
 今は亡い人だが、もと三高の校長を勤めた酒井佐保すけやすといふ古い教育者があつた。この人は自宅うちに居る折は、座敷に胡座あぐらをかいたまゝ、すぐ手をのばしたらとゞきさうな巻煙草一つ、自分からは手にとらうとしなかつた。たもとのハンカチを取り出すにも、兵児帯へこおびゆるんだのを締めなほすにも、頬つぺたにとまつた藪蚊を叩くにも、きつと夫人か女中かを呼び寄せて用事を弁じさせたものだ。もしか窓の戸を明けてくれるものが居なかつたら、氏は蒸し暑い七げつの真つ昼間にも、てきつた部屋のなかで麺麭パンのやうに蒸し焼きになつても、ぢつと居ずまひを崩さなかつたに相違ない。あるとき、うちの者はみんな外出して、酒井氏と氏の阿母おかあさんとたつた二人で留守番をしてゐたことがあつた。氏は煙草が飲みたくなつた。煙草盆は氏の胡座をかいてゐるところから、二三尺さきの畳の上にあつた。
「おい、誰か来てくれ。」
 氏はいつもの癖ですぐ声をたててわめいた。襖をけて出て来たのは氏の老母であつた。酒井氏は初めてうちのなかに母子おやこ二人しかゐなかつたことに気が付いて恐縮した。氏は教育家だけに、どんなに人手が欲しい場合にも、阿母おかあさんだけには物を頼まなかつた。氏は言ひにくさうに頭をかいた。
阿母おかあさん、申し兼ねますが、そこにある煙草盆をこつちへ蹴飛ばして下さい。」
 老母は笑ひながら煙草盆を氏の前に持ち運んでくれた。――いひ添へておくが、女といふものは、白足袋を台なしにするよりも、自分の唇を汚すのを好くものである。


4・26
東京日日(夕)

「舞台で赤い花を使つてはならぬ。これは脚本を書く場合によく気を付けなければならぬことだ。何故かといふに、赤い色はどうかすると見物の注意を乱すからである。」
 これはダヴヰツド・ベラスコの言葉である。


南天棒和尚

4・28
東京日日(夕)

 中年過ぎの、身装みなりの地味な婦人がたづねて来て、南天棒※(「登+おおざと」、第3水準1-92-80)とうしう和尚の書を幾枚か見せた。気に入つたら買つてくれといふのである。一月末の事であつた。
「老師が御自分の書物の出版費をおこしらへになるつもりで、お書きになつたのです。はい、出版費はせいぜい倹約しまつしましても、三千円はかゝるさうに承はりましたから、なか/\お大抵ぢやございません。」
 婦人はこんなことを話してゐた。私はいつた。
「和尚だつたら、その位な出版費は誰か寄付する人がありさうなもんですが……」
「はい、寄付やらなにやらで、出版費はちやんとまとまつて調達出来てゐましたんでございますが、なかに立たれたお方に悪い人がございましてね……」
 婦人の話しによると、和尚は身近なものにごまかされた出版費を調達するために、毎日朝から晩までたすきがけでせつせと揮毫にふけつてゐる。何分なにぶん九十近い老体のことだから、起居が不自由ふじゆに、どうかすると坐つたまま小水をもらすこともあるが、そんななかにも和尚は手にした筆だけは放さうとしなかつた。
「まるで書をおかきになります機械のやうで、ほんとうにお痛はしく存じます。」
 私はそれを聞いて、以前禅風の悪辣のみをつたへられてゐた南天棒和尚にしては、何といふ謙虚な姿だらうと、しみじみうれしく有難くさへ思つた。――程なく和尚は死んだ。


蛇**

4・29
東京日日(夕)

 そろ/\蛇が穴を出るころとなつた。この長虫がしなやかな草の上をうね/\滑つてゐるのを見ると、すぐ思ひ出されるのは、
「監獄へ罪人を叩き込むのは、蛇を竹の筒に入れておくやうなもので、入つてゐるうちだけは真つ直になつてゐるが、一旦這ひ出すと、すぐに曲りくねつて歩く奴さ。」
といつた言葉である。これはいろ/\な罪を犯し、しまひには人殺しまでやつた重罪犯のなにがしがいつた言葉ださうだが、なるほどと頷づかれる節がある。


靴を買ふには

4・30
東京日日(夕)

 左足は右足よりは幾らか大きい。――これは百人のなかで九十九人までは、きつと証拠だてられる事実である。科学はいろんな方面からそれを説明することが出来るが、一番手つ取りばやくいへば、人間はちん/\もが/\をする子供のころから、大人になつて柱にもたれる折も、壁によりかかるときも、大抵は左足に身体からだの重みを持たせるので、その習慣が左足の方を幾分発達させたことになるのである。だから、靴を買ふ場合には先づ左足の方から穿いてみて、しつくり合ふかどうかをめさなければならない。なまけ者の右足には、どんなぐす/\の靴を穿かせたつて文句はない筈である。


七千弗

5・1
東京日日(夕)

 アメリカ大陸の価値ねうちは七千ドルだ。――といふと、何か皮肉でもいつてるやうにとる人があるかもしれないが、全く事実で、ゼノアで発見された古文書こぶんしよの記録によると、この大陸発見に費された船の費用がざつと三千ドル、コロンバスの手当が一年に三百ドル、二人の船長が二百ドルづつ、船員が一ヶ月に二ドル半の給与、何やかやで、合計七千ドルで済んだものださうだ。安いものだ、排日などとあまりしみつたれたことをいふとばちがあたる。


命令法

5・2
東京日日(夕)

 文典といへば、どんな学生でもが虫下しの薬のやうに厭がる学科である。
 アメリカのウツド将軍が小学校に通つてゐた頃、ある時教師の一人が将軍の名を呼んでたせた。
「あなた、何でもいゝから短い文句を一つ言つてみなさい。そしてそれをどんな風にいひかへたなら、命令法になるかためしてみますから。」
「馬が車をひいてゐます。」
 少年は鸚鵡返しにみじかい文句をいつた。のち/\は名高い将軍になるだけあつて、すぐに馬を思ひうかべたらしかつた。
「よろしい。」教師は馬が車をひいてゐるのが馬鹿に気に入つたらしくいつた。「それを命令法にいひかへると……」
 未来の将軍は腹一ぱいの声でわめいた。
「前へ――おい。」


アメリカニズム

5・3
東京日日(夕)

 Aといふアメリカ産れの男が、Bといふ移民の一人と話し合つたことがあつた。
「僕はこれでちやきちやきのアメリカ産れなんだよ。」Aはいかにもそれが自慢であるらしくいつた。「君達のやうな移民と比べちや、少し粒がちがはあね。」
「さうかもしれない。」Bは穏かに説いて聞かせるやうにいつた。「だが、僕達は君らにくらべるとよけいにアメリカニズムを持つてると、これでいさゝか自認してるんだよ。」
「アメリカニズムだつて。」
「さうさ。まあ考へて見たまへ、君達は素つ裸でこの国にうまれて来たらうが、僕達はぼろぼろだつたけれど、ズボンを一ちやくに及んでたんだからね。君達はまたなんといふことなしにやつて来たのだらうが、僕達はこれでお金を儲けようて目的めあてがあつたんだからね。」


間違ひ*

5・5
東京日日(夕)

 人間が間違ひをした時には、どんな事がもちあがるだらうか。それにはいろ/\な場合がある。
 鉛職工が間違ひをした時には、もう一度やりなほしたらそれでいゝ。
 弁護士が間違ひをした時には、控訴を引き受けるまでのことだ。
 理髪師かみゆひどこが間違ひをした時には、髪の毛をもつと短く刈り込むといゝ。
 易者が間違ひをした時には、易もたまにはあたるものだといふ評判をとることが出来る。
 飜訳家が間違ひをした時には、初めて自分の存在を読者に知らせる事が出来る。
 医者が間違ひをした時には、おとむらひをしたらそれで済む。
 裁判官が間違ひをした時には、また一つ新しい判決例が出来る。
 牧師が間違ひをした時には、何もかゝり合ひのない神様がいい加減な後始末をつけさせられる。
 独身ものが間違ひをした時には、死ぬるまでその間違ひと一緒に暮らさなければならぬ。


胡桃

5・6
東京日日(夕)

 シカゴのある墓地で、二人のちんぴら小僧が胡桃の実を盗んでゐた。
 盗んだくるみで一杯になつた二つの袋は墓地のくちにかくしておいて、今一つのふくろにはいつた分を、大きな墓石はかいしのかげで、かずをよみながら、
「お前のだよ、おいらのだよ。」
と、一つ一つ分け前をとつてゐた。
 一人の黒ん坊が、そこを通り合せてその声を聞きつけた。そして差し足抜き足そこを立ち去つたと思ふと、やがて一人の白人をつれて帰つて来た。黒ん坊は小声でいつた。
「嘘はつきましねえ。そこの墓石はかいしの下で神様と悪魔とが、死人を分けてござるだよ。」
「何を、馬鹿な。」
 白人はそれをにべもなくいひ消してゐたが、二人はやがて墓地のくちに立つてじつと耳をすました。その時墓石のうしろでは、二人の子供は勘定をすませて、これからくちに隠してある二袋の胡桃くるみを分けようとしてゐるところだつた。
「さあ。」一人の子供がいつた。「これから門のくちで、あの二つの奴を分けようや。」
 それを聞くと、黒ん坊は頭から眼の玉が飛び出しさうにびつくりしたらしかつた。れはつれの白人にこすさうな眼つきをちらと呉れるなり、
「わしら先へ帰るだよ。」
と一言いひ残してそのまゝそこを逃げ出して了つたさうだ。


訪問客

5・7
東京日日(夕)

 西園寺公を田中村の清風荘に訪ねて往つた政治家達が、数多い訪問客のなかで、老公とうち解けて会つてくれるのはまづ自分だけだといつたやうな事をてんでに吹聴するのはをかしなものだ。
 説教家として名高かつたヘンリイ・ワアド・ビイチヤアが、重病にかゝつて、医者のすゝめで誰にも面会謝絶をしてゐた事があつた。そんななかにもかゝはらず、病人はわざ/\使を立てて法律家のロバート・グリイン・インガサルを呼び寄せたものだ。法律家は説教師と大の仲よしだつた。
「わざ/\僕を呼んでくれたのはうれしいが、しかしだね、――」法律家は病人の顔をのぞき込むやうにしていつた。「ほかの友人はみんな面会謝絶中だのに、そんな事していゝのかね。」
「いゝともさ。どうせ天国へいつたら、また皆と一緒に逢へるんだからね。」ビイチヤアは病みやつれた顔に青白い微笑を浮べながらいつた。「だが、君には息のあるうちにこの世で会つておかないと、二度ともう顔を見る事が出来ないかも知れんからね。」
 事によると、西園寺公もそんなつもりで、うるさい今の訪問客に会つてゐるのかも知れない。


蚊と象

5・8
東京日日(夕)

 少しなまあつたかいになると、もう一ぴき二ひき蚊が飛び出すやうになつて来た。蚊については面白い謎が一つある。
 アメリカの俳優ジヤツク・バリモアが、ある時楽屋の大部屋をのぞくと、そこに下廻りの俳優達がごたごた押し並んでゐて、謎々のやうな遊びをして、きやつ/\と陽気にはしやいでゐるのを見出した。
「君達はこんな遊びにかけては、人一倍巧者だと見えるね。」バリモアは後に突つ立つたまま口を出した。「ところで、一つ承りたいが、象と蚊とはどこに違つたところがあるかね。」
「象と蚊との違ひですか。」
 下廻りの一人が不思議さうに訊いた。
「さうだよ。」
 バリモアは真面目くさつて答へた。
「象と蚊との違ひだな。こいつは難題だ。」
 皆は小首をかしげて考へ込んでゐたが、誰一人この謎をうまく解くものはなかつた。
「わからんかね。」バリモアはのつそりこの部屋を出ようとして、皆を尻目にかけながらいつた。「違つてるのはその恰好だよ。」


金曜日

5・9
東京日日(夕)

 アメリカのある機械工場の調査によると、機械のいろんな故障は、ほゞまつた時間に起きるもので、一番おほいのは午前九時から九時五十九分までと、午後三時から三時五十九分までのこの二つの時間にかぎられてゐるさうだ。そして一年を通じて一番故障のおほい月は八月といふ事になつてゐる。この調査はドイツでも、米国の他の工場でもたいてい似たり寄つたりの報告を見てゐるが、日本の工場の調査ではどんなものか知ら。大阪のある電気の大工場では、金曜日には兎角故障が多いからといふので、何か新しい試みでもする時には一日延べ縮めをして、木曜日か土曜日かにする事にきめてゐると聞いた。


電気と瓦斯

5・10
東京日日(夕)

 女優バリモアが、ある時自分の娘の縮れつ毛にブラシをかけてゐた。今時若い女親といへば、自分の髪へ手をやる事は知つてゐても、娘の頭に気をつけてやらうといふ心がけのものは少いなかに、女優でゐてそんな真似をするバリモアのやうなのは感心しておいていい。
 幾度か癖直しをしてゐるうちに、髪にあてたブラシからぴちぴち音がするのを聞きつけた娘はびつくりして聞いた。
「なんの音なの、今の……」
「あなたの髪の毛から電気が起きた、その音なの。」
 女優は訳を説明してきかせた。かろくうなづきながらそれを聞いてゐた小娘は、
「だつて、をかしいわ。」と、だしぬけに大声で笑ひ出した。「ほら、私の髪の毛には電気があるでせう、そしてうちのお祖母ばあさんのおなかには瓦斯がすが一ぱい溜つてるでせう。ね……」
 お祖母さんのお腹に何が溜つてゐようと、そんな事は問題にしなくともいゝが、娘はやがて自分の胸のうちに火が燃えてゐるのにびつくりしなければならぬ時節が来る。


恋と死

5・12
東京日日(夕)

 恋か、死か。――これは人間にとつての問題であるのみならず、また植物にとつても苦労の種たるを失はない。マアテルリンクの花に関する論文を読んだものは知つてゐるだらうが、水草にワリスネリアといふのがある。花に雄花と雌花とがあつて、雌花は持前の長い長い茎を精一杯にのばして、沼の深みから水面にまで花を浮び揚らせるが、気の毒な事に雄花にはそんなに長い茎が与へられてゐない。雄花の煩悶はこゝにある。彼は自分の花粉を花のうてなから切り離して、ほつかり水面に浮き揚らせる。花粉はそこらを漂ひ歩いて雌花をさがしもとめる。運よくさがしあてたなら、恋はたのしく遂げられる事になるが、がわるく思ふ相手にめぐり会はなかつたら、花粉はそのまゝ無駄に朽ちてしまふのである。生命いのちを賭けたその恋がいぢらしい。


長命

5・13
東京日日(夕)

 近ごろ農村の子女で、都会入りをするものがだんだん殖えるので、農村問題がだいぶやかましくなつて来たやうだが、実をいふと、これはひとり農村の衰微を来たすのみならず、また国民の健康問題にも影響する。人間は長生ながいきしようと思へば、何よりも先に自分の産れ故郷にとゞまらなければならない。他国に出稼ぎするものにくらべると、うまれ在所に残つてゐるものの方が多く長命なのは、最近の統計の証明するところで、これは男にも女にも共通のたしかな事実である。


虎老と婦人

5・14
東京日日(夕)

 いつだつたか、アメリカの旅人が三四人、パリーで、かねて顔なじみのクレマンソーと会食をしたことがあつた。アメリカ人の一人が何かの事件で、その友達にむかつて、
「それについて私は賭をしてもいゝと思ひます。もしかあの婦人が……」
といひかけると、肉片にくぎれを頬張つてゐたクレマンソーは、慌ててそれを鵜のみにしていつた。
「なに賭をするつて。それは無駄ですよ、婦人のするどんな事にでも、賭をするなんて。君は婦人がどんなことをでかすものだつてことを知つてるのかい。」
「いや。」アメリカ人は笑ひながらいつた。「あなたの御意見は少し早すぎましたね。私はその婦人が途方もないことを仕でかすだらうと思つて、その方に賭けようと思つてるんです。」
「さあ。それにしたつて……」クレマンソーは石のやうに堅い頭を横に振つた。「婦人のすることに賭をするなんて、決して安全な仕方ぢやない。」
 クレマンソーのおやぢめ、いろいろな事を知つてゐるな。


妻の誕生日

5・15
東京日日(夕)

 近著きんちやくのある外字雑誌を読むとこんな話しが載つてゐた。
 ニユーヨークにプリンストン出の若い銀行家があつた。あらゆる亭主といふ亭主は女房からことづかつた手紙を、外套のポケツトに入れたまゝ、得てして郵便ばこに投げこむのをわすれるものださうで、心理学者にいはせると、これにはいろ/\な理由わけがあるらしいが、そんな事はどうでもいゝとして、この実業家は、あまり銀行の仕事がいそがしかつたので、自分のうちに帰りつくまで、その日がちやうど女房かないの誕生日に当ることをすつかりわすれてゐた。
 それに気がつくと、銀行家ははつとした。女房かないにしても亭主に自分の誕生日を忘れられたのでは、あまりいい気持ちがしないものに相違なかつた。
「困つたな、どういつて胡麻化したものかな。」
 銀行家はちよつと立ちどまつて思案したが、その瞬間宝石のやうないゝ考へが頭のなかに光つたので、落ちつき払つてうちに入つた。そして誰にも気づかれないやうにこつそり戸棚から皿を一枚もち出して、いつも女房かないが坐りつけの食堂の椅子の上に載せておいた。
 暫くすると、女房かないは銀行家と一緒に食事をしに入つて来た。そして自分の椅子の上に置かれた皿に気がつくと、不思議さうな顔をしてそれを食卓の上に置きかへた。それを見た銀行家は、わざとびつくりしたやうな表情をした。どんなやくざな銀行家でも、それが男である以上、女の前で必要に迫られると、十人が十人上手にさうした表情をおほせるものである。
「これあ大変だ、今日はお前の誕生日だから、お祝ひの菓子を買つて来て、先刻さつきその皿に入れておいたばかしなんだが、てつきりいぬめがやつちやつたんだね。ほんたうにひどい奴だ。」
 さういつて、銀行家は狗をたづねるやうに、わざと食卓の下をのぞいて見た。
「まあ、さうなの。」女房かないは皿をとりあげて、ちらと中をあらためて見てゐたが、すぐ目をあげて胡散うさんさうに良人をつとの顔を見た。「あなた、そんなに御親切にしていただけるんでしたら、この次ぎからは戸棚から、なか程のお皿を取り出していたゞきたいわ。一番上のは、これ、こんなにほこりだらけなんですからね。」
 若い銀行家は、その瞬間自分の顔が埃だらけになつたやうに思つた。


頬ひげ

5・16
東京日日(夕)

 バアナアード・シヨウの『シイザアとクレオパトラ』を読んだ人は、その二幕目でシイザアによろひを着せようとする拍子に、花冠はなかむりがとれて、この英雄の禿頭がひよつくり顔を出すと、目ざとくそれを見つけたクレオパトラが、
「あなた、お禿さんね、それでお冠で隠してるの。」
と冷かすと、少してれたシイザアが気むづかしい顔をして、
「征服者のしるしだよ。」
と、ちよつと威張つて見せるが、そんな事に頓著とんちやくのないクレオパトラが、意地悪くおひかけて、
「あなた、おつむを砂糖の精でこするといゝわ、さうすると毛が生え出すかも知れない事よ。」
と、ふざけるくだりがあるのを覚えてゐるだらう。シイザアのやうな相当としをとつた英雄でも、若い美しい女に、
「まあ、あなたお禿さんね。」
と、折角隠してゐた頭を見つけられては、あんまりいい気持ちがしないに相違ない。
 米国の前大統領ウイルソンはあの通りのひげのない顔をしてゐたが、若いころノオス・カロリナで弁護士をしてゐた時代には、あれで頬鬚など生やして、一ぱし気取つてゐたものだ。そのころある訴訟事件の弁護に法廷に立つた事があつた。議論ずきの彼が長談義を試みると、並みゐる裁判官連はみんなねむさうな顔をしつゞけてゐるなかに、たつた一人づんぐり肥つた州執行官の老人が、じつと目をすゑてこの若い弁護士を見つめてゐるのがあつた。それに気がつくと、ウイルソンは弁論のしまひの方はこの老人一人にきかせるつもりで、わざとその方に向き直つて喋舌しやべつた。しばらくすると、州執行官は重さうに口を開いて言つた。
「ウイルソン君、君の右の頬鬚は、左よかちよつとみじかいやうだね。」
 それを聞くと、ウイルソンは急にしよげかへつた。そして家へ帰るなり、片ちんばの頬鬚をそり落としてしまつた。


呉昌碩

5・17
東京日日(夕)

 近ごろ支那趣味の流行につれて、いろんな美術工芸品が、あちらから海を越えて渡つて来てゐる。呉昌碩ごしやうせきや王一亭の粗画も一寸した家の客間には見られるやうになつた。
 一二年ぜん、この流行を見てとつた大阪のなにがし呉服店で、呉昌碩の作品展覧会を思ひ立つた事があつた。会場で売る筈の作画集には、京都の富岡鉄斎の題字を頼む事にした。作風が一寸似通つてゐる点から、呉昌碩を支那の鉄斎翁といふ事にして売り込まうとしてゐる呉服屋にとつては、この老画家の題字があつた方がどんなに好都合だつたか知れなかつた。
 題字の承諾を得た呉服屋の支配人は、にこ/\もので持参の風呂敷包を広げだした。
「これは今度の会で一番新しい出来ださうに承まはつてをります。老先生の御内見を得ましたなら、呉翁もどんなにおよろこびでせう。」
 鉄斎老人のつんぼなのを知つてゐる支配人は、上海シヤンハイまで聞こえはしないかと気遣はれるやうに、一段と声を張り上げていつた。鉄斎は自分の前に拡げられたをぢつと見つめてゐたが、批評がましい事は何一ついはなかつた。
 支配人が帰つてゆくと、その後姿を見おくつた老人は、
「ぼろいことをするなあ。」
と、独語ひとりごとをいつた。そばにゐてそれを聞きつけたある人が理由わけを聞くと、老人ははじめて巾著きんちやくの様につぼんだ口を開いた。
「あんな画で高い金がとれるのやつたら、わしら一日に卅枚はきなぐつて見せるよ。そしたら一月のうちにお金持ちになるんやが、さうもいかんでなあ。」
 誰に遠慮のない鉄斎老人は、時々かうした真実ほんたうの事をいつたものだ。ものずきな世間やら、つんぼでなかつたら老人自身にすら聞かせたいやうな。


5・19
東京日日(夕)

 自然の技巧のづばぬけて偉大に、多種多様なのを味ははうとするには、何よりも人間の顔を見るのが早途はやみちである。日本人の顔の広さと西洋人のそれとどんな割合になつてゐるかよく知らないが、西洋人の顔は、平均して額から顎までの長さが八インチ、幅が四インチ四分の一といふ事になつてゐる。してみると、その面積はほんの三十四平方インチに過ぎないが、そんなせまいなかを、どんなにうまく工夫したものか、現に世界中に生存してゐる十幾億といふおびたゞしい人間といふ人間をつき合はせてみても、みんなちがつた顔をしてゐる。以前この世界に住んでゐて、今はなくなつてゐる人間はどの位あるか知らないが、それだけの人をすつかり突き合はせてみても、やはりおなじ顔はなささうに思はれる。
 これはひとり人間の顔にかぎつた事ではない。の葉にしても、草の葉にしても、けだものにしても、鳥にしても、うをにしても、また昆虫にしても同じ事で、もしか寸分すんぶんちがはないといふ、これらの二つの物を見つける事が出来たなら、それはアメリカ大陸の発見以上の発見といはなければならぬ。たゞ卵――あの円い鳥の卵だけは、くらべてみたわけではないが、事によると、おなじなのが二つありさうな気がする。もしかさうだつたとしても、少しも大自然の多種多様な技巧を疑ふわけにはかない。卵は鳥が勝手に生んだもので、「大自然」には少しも相談をかけなかつた筈だから。


句読点*

5・20
東京日日(夕)

 国字問題を解決するために、新聞社が先に立つて、漢字制限の試みをはじめたのは、何よりもいゝことである。だが、新聞の記事にそれを試みようとするならば、それよりも先に、句読点のきり方を正確にする必要がある。さもないと、読者は漢字制限によつて、かへつて文章が読みにくく、わかりにくくなつたのに苦しむだらうから。
 四五年前になくなつたヒラヂルヒアの法律家にジヨン・ジイ・ジヨンソンといふ男があつた。いつだつたか、法廷に立つてある重罪犯人を弁護するとき、この法律家は裁判長の方にふり向きざま、いつものやうに重くるしい口ぶりで、
「私の調べたかぎりでは、この被告は閣下のおとりになるやうな、そんなだいそれた悪漢ではありませんといふことを申し上げたいのです。」
といふ意味のことを言はうとして、
“This man on trial is not so great a scoundrel as Your Honour”
といつて言葉をきつて、暫く黙つたまゝ目玉をぱちくりさせてゐた。それを聞いた皆のものは、どよみをうつて高く笑ひ出した。するとジヨンソンはさも満足したらしく、わざと落ちつきはらつて、
“takes him to be.”
と一句をつけ足して、静かに席についた。
 それを聞くと、裁判長も黙つてはゐなかつた。
「ジヨンソン君に一言御忠告するが、今後は言葉と言葉との間を、出来るだけくつゝけていはれる様に願ひたいものだと。」


無差別

5・21
東京日日(夕)

 このごろ、私の客間の床には寂厳じやくごん和尚の唐詩の一節がかゝつてゐる。古い表装でところどころりきれたのが気になつてはゐるが、地紙ぢがみが大分痛んでゐるので、表装をしかへることも見合せてゐる。今日久しぶりにたづねて来たKといふ男は、それを見るなり、
「変な字ですな、何だつてこんなものをかけてるんです。」
と、さも私がもののわからないのを気の毒がるやうな口をきいた。
「まづいかね。実は寂厳なんだが。」
 私は答へた。ふくはこの和尚のものにざらにあるやうに無落款だつた。
「寂厳といふと……」
 K氏はスペインの小説家の名前でも聞かされたやうに、変な顔をした。
「書道の方からは、五合庵の良寛と一緒にいはれる坊さんですよ。」
「へえ、良寛と一緒に……」
 客はかねてから評判を聞いてゐる良寛の名をいはれたので、また考へなほしたらしかつた。
「なるほど、さう聞いてみると、どこかにいゝところがありますね。」
といくらか慌て気味の目で読みにくい文字を追つてゐたが、やがてまたひとり言のやうにいひ足した。
「いかさま、これはなかなかの書き手ですな。」
 画家のホイツスラアが、ある時友達にたのまれて、そのぐわの一つを画会の鑑別に通したことがあつた。ぐわの陳列せられる日に、その作者はうれしくもあり、また気恥しくもある思ひを抱きながら、ホイツスラアについて会場の門をくゞつた。
 ならべられた多くの絵のなかに、自分の作を見出したときに、画家は思はず声を出してさけんだ。
「君、大変だよ、いやになつちまふね、僕のはさかさまにかけてあるぢやないか。」
「知つてるよ。だが、静かにしたまへ。」ホイツスラアは押へるやうな手つきをした。「さかさまにかけたのは僕なんだよ。でも、こなひだほかの委員がはねたばかしなんだからね。」


5・22
東京日日(夕)

 諧謔作家マアク・トヱンが、ある時ヨツトに乗つて航游してゐたことがあつた。波の荒い日で、さすがの諧謔作家も青い顔をして、何一つ物をいはないで、欄干てすりにもたれたまゝ、泣き出しさうな目をしてじつと波を見つめてゐた。
 食堂のボウイは心配して、主人の顔をのぞき込むやうにして訊いた。
「大分お苦しさうですが、何かもつてまゐりませうか。」
「さうだね。」諧謔作家は咽喉いんこうを締められた鴎のやうな声を出した。「小さくつていゝから、島を一つもつて来てくれ。」


両手の使分け

5・23
東京日日(夕)

 むかし葛飾北斎の弟子に、蹄斎北馬といふ画家があつた。後に谷文晁ぶんてうの弟子にもなつて、師匠のために下絵を代筆したりなどしたが、ある日文晁が訪ねてゆくと、北馬は左手でもつてせつせと絵をかいてゐた。文晁が不思議に思つて、
「ほう。お前は右手が不自由ふじゆなのか。」
と訊くと、北馬は自分は旧師の北斎には少からず厄介になつてゐるので、その方の用事をするには右手を使ふが、文晁先生のためには、かうして左手で御用を足すことにきめてゐると答へたので、文晁もさすがにその心遣ひの細かいのと器用なのとに感心したと言ふ話しがある。
 それは両手の使ひわけだが、アメリカのチヤアルス・シユワツブは人一倍器用なたちで、ピアノに向かふと左手さしゆでは“Yankee Doodle”を弾き、右手では“The Star-Spangled Banner”を打ちながら、同時に口笛では“Home, Sweet Home”を吹くさうだ。どんな器用な音楽家でも、この真似だけはとても出来ないさうである。


安息日

5・24
東京日日(夕)

 今日は日曜日だ、おまけに雨がふつてゐる。何をしてくらしたものか知ら。
 日曜日だつて滅多なことをしてはならない。一六七〇年のむかし――といふと、今から二百五十五年以前のことだが、その年の春ボストンのある船長が、三箇年の長い航海から久しぶりに自宅に帰つて来た。そして入口いりくちの階段で晴れやかな妻の笑顔を見ると、たまらなくなつて接吻したものだ。ところが、あいにくとその日が日曜日だつたので、それを見つけた隣の男は駆け出していつて警察に密告した。
 みだらな不行跡な振る舞は安息日をけがすものだといふので、二人の夫婦は二時間ばかり警察に拘留されたことがあつた。おなじ日に花園の林檎の木蔭にすわつて話し込んでゐた若い男女の二人もおなじ冒涜罪によつて拘引せられてゐたさうである。これを思ふと、日曜日だつてうつかりした事は出来ない。
 日は長し、雨はふる。寝椅子にもたれて、居眠りでもするかな。


つんぼ

5・26
東京日日(夕)

 アメリカの Santa Fe 鉄道の社長エドワアド・ペイスン・リプレイ氏が、ある時かなつんぼの男を自分の会社に雇ひ入れたことがあつた。
 人物試験をした支配人は、ふくれつつらをして社長の前へ現れた。
「何をおさせになるんですか。あの男には雷の音だつて聞こえやしませんよ。」
「それは承知してゐる。」社長は落ちつき払つて答へた。「あの男を旅客接待係にして、いろんな苦情を聞かせなさい。」
 社長といふものは、さすがに考へのあるものだ。


蟋蟀をふかす

5・27
東京日日(夕)

「君は蟋蟀こほろぎをくはへてるな。」
 シガアをふかしてゐる紳士に向かつて、こんなことをいつたら、定めし変な顔をするだらうが、しかし一応シガアといふ言葉の語源を詮索したなら、
「なるほど僕のつてるのは蟋蟀だつたな。」
と誰もが納得しないわけにゆかなくなるだらう。
 スペイン人がキユバ島から自分の本国へたばこをもつて帰つたのは、十六世紀のことで、は自分達の後園こうゑんにそれを栽培したものだ。その後園をスペイン語では、
“Cigarrales”
といつてゐる。
 彼れ等は出来たたばこの葉を西印度で印度人に教へられたやうに、いてふかしはじめたが、それをお客にすゝめる場合の挨拶がいつのまにか、
「この Cigar は自宅うちで出来たんですがね。」
といふ風になつてゐたところから、シガアがひろく用ひられるやうになつたのだといふことだ。
“Cigarral”がなぜ後園といふ意味をもつてゐるかといふと、一体スペインには蟋蟀がざらにゐる。蟋蟀を“Cigarra”といふところから、「蟋蟀の鳴いてゐる場所」といふ意味で“Cigarral”が用ひられてゐるのだ。だから葉巻をふかしてゐる紳士は、言葉の上では蟋蟀をくはへてゐることになるのだ。


蜘蛛

5・28
東京日日(夕)

 小説家マアク・トヱンが、新聞紙を発行してゐたころ、読者の一にんから手紙を受けとつたことがあつた。その男は余程の御幣ごへいかつぎとみえて、その日の新聞紙の上にくもが一ぴきとまつてゐるのを見て、気にかゝつてならないから、幸運か悪運か、どつちの前兆しるしなのか、一つ考へてみてほしいといふのだつた。
 小説家はすぐに返事をしたためた。文句は次ぎのやうに。
「愛する購読者よ。
お宅の新聞紙の上にのつてゐた蜘蛛は、幸運のしるしでも悪運のしるしでもありません。蜘蛛はただどんな商人が、新聞紙に広告してゐないかをよく見定めておいて、その店のくちに網を張らうとしてゐたに過ぎません。」


衝突予防法

5・29
東京日日(夕)

 いつだつたかアメリカに鉄道首脳者の会議が開かれて、その席上で、どうしたら鉄道事故を一番よく防ぐことが出来るかといふことが議論されたことがあつた。その席上に、西部のちつぽけな鉄道の社長をつとめてゐるカアタアといふ男の顔もみられた。
「カアタア君。」会議の議長はその男の名を呼んだ。「あなたの方の鉄道では、汽車の衝突を予防なさるのに、何かいゝ方法をお執りになつてゐますか。」
「はい。」小鉄道の社長はいつた。「私どもの鉄道では、つひぞ衝突といふことがございませんでした。実際衝突といふことは不可能なんですからね。」
「衝突が不可能ですつて。少し御吹聴が過ぎはしませんか。」
 議長は苦い顔をしていつた。
「いや、文字通りに全く不可能なんです。」
「どうしてそんな広言が吐けますか。」
 議長はおこつたやうな調子でいつた。四十人の鉄道首脳者は、いひ合せたやうに、カアタアの顔に皮肉な目を投げた。
「それは至極簡単ですよ。」小鉄道の社長は平気で答へた。「われわれの会社には、一列車しか運転してないんですから。」


三つの中

5・30
東京日日(夕)

 ある男が、アンドリウ・カアネギイにきいたことがあつた。
「労働と、資本と、頭脳と――この三つの要素のうちで、あなたはどれが一番事業に必要だとお考へになりますか。」
「さればさ。それをお答へする前に、一応君にたづねておきたいのは――」千万長者は、財布から金貨をかぞへるやうに、ぽつりぽつりとものをいつた。「君は三脚器のなかでどの脚を一番必要だと考へるかね。」


大男*

5・31
東京日日(夕)

 いつだつたか、アメリカの前大統領タフト氏が、ある婦人の社交団体に招待されたことがあつた。司会者はこの大男を皆にひき合はすのに、
「歴代の大統領のなかで、一番人に愛されたタフト閣下です。」
といつて挨拶した。どんな場合にも黙つてはゐられないこの大男は、それを聞くと、のつそり立ち上がつた。そしていつた。
「歴代のうちで私は一番愛されたかどうかは存じませんが、ただ私が一番よくめられた大統領だつたことだけは事実です。」


匿名の作

6・1
文芸春秋

 匿名で議論をするといふ人は、たまにはあるが、匿名で創作をするといふ人は滅多に見られなくなつた。早く名前を売り込むといふことが、何かにつけて都合がいいからに相違ない。
 匿名といへば、Mark Twain がある月刊雑誌に、匿名でもつて“Joan of Arc”の続き物を書いてゐるときのことだつた。この滑稽作家はある晩何かの会合で、その頃雄弁な法律家として評判の高かつた Chauncey M. Depew と一緒になつたことがあつた。小説家は自分の創作の世間受けを聞きたく思つて、法律家に話しかけた。
「デピウさん、あなたは小説なぞ一向お読みにならないでせうね。お商売違ひですから。」
「いいえ、読みますとも。小説は何よりも好きでさ。」法律家は愛想よく答へた。
「でも、まさか“Joan of Arc”はお読みになつてないでせうね、***雑誌に載つてる続き物の――」滑稽作家は真面目くさつて訊いた。「あれは確か匿名でしたつけ。」
「いや、読んでますとも、毎号欠かさずに。」法律家は言つた。
「ぢや、あれについてどうお考へです。」作家はわざと平気を装ひながら訊いた。「どこかいいところがありますかしら。」
「いいところがあるかと、お訊きになるんですか。」法律家はさも困つたやうに言つた。「それを僕に訊かれるのは迷惑至極ですよ。」
「と言ふと……」滑稽作者は不思議さうに眼を光らせた。
「でも君、あれを書いてるのは僕なんだものね。」法律家は身体からだをテエブルの上にのり出すやうにして、わざと声をひくめて言つた。「誰にも内証にしてることなんだから、君もそのおつもりでね。」
 滑稽作家はだしぬけに鼻でもつままれたやうに変な顔をした。言ふまでもなく法律家は、この小説の作者が Mark Twain であることは、とつくに感付いてゐたのだ。


6・2
東京日日(夕)

 渡り鳥は、時季が来るとそれぞれ目指す土地へと旅立つてく。籠に飼はれてゐる鳥でも、その時になると何となくそはそはして落ちつかぬものだ。
 一ところに長く住まつてゐると、どこかに移つてみたくなるのは、誰でもが心のどこかにもつてゐるあくがれであるが、ニユー・イングランドの農夫に、この漂泊性を多分にもち合せた男があつた。土地ところの牧師が、ある日通りかゝりに気をつけてみると、その男は今年にはつてから四度目の移転ひきこしの支度に忙しかつたらしかつた。
「おや、また引越ひきこすのかえ。」
「ええ、さうなんでございます。」農夫はすなほに答へた。
「お前達はそれでいゝかもしれないが――」牧師はそこらをあさりまはつてゐる※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)にはとりを見ながらいつた。「※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)にしてみれば、さだめし迷惑至極だらうな、方々引ずりまはされるので。」
「迷惑至極だとおつしやるんですか。旦那さま、まあ暫く見てゐて下さい。」農夫はかういつて表通りのみちを見た。そこへ一人のたくましい男が移転用の大型の荷馬車をひいて来た。それを見ると、そこらにゐた四五羽の鶏は、弾機ばね細工のやうに、いきなり地べたにひつくりかへつて、紐でしばられるやうに二本の脚をちやんと腹の上にそろへてゐるのであつた。
 牧師は聖書にも書いてないやうな奇蹟を見せられて、黙つて帰つていつた。


離れ島

6・3
東京日日(夕)

 郵便物の通ふかぎりに於て、世界で一番遠い土地はどこだと訊いたところで、誰だつておいそれとすぐには返事が出来なからう。私だつて今日までつひぞ聞いたことのない名前だが、それは南大西洋の真ン中にある
Tristan da Cunha
といふ島だとのことである。そこに住んでゐる婦人から、ロンドンにゐる友達へあてた手紙がちやうど二年越しのこのごろ英国に到着したさうである。手紙のなかには都合がついたらコツプと皿とを幾つかづつ送つてほしい。島にはみんなで一ダース足らずしかないのだからと書いてあつたさうだ。


シルエツト

6・4
東京日日(夕)

 水野越前の天保の大改革は、思ふほどの効果があげられなかつたが、フランスにも一七五九年ごろ水野にもおとらないほどのやかましい倹約家が、時の政府の蔵相ざうさうの椅子にすわつてゐて、一切の贅沢を御法度にしたことがあつた。皮肉なパリつはそれを苦に病みながらも、いろんな安物にこの蔵相の名前をつけてよろこんだものだつた。
 ある日、若い画家の一人は、
「かう倹約倹約つて、口喧くちやかましく絵具の使ひ方にまで干渉されるんぢや、とてもやりきれない。当分まあ、こんなことでもしておくんだね。」
と、ぼやきながら、そこへたづねて来た女友だちの一人を、日あたりの椅子に掛けさせた。そして、
「色絵具なしにあなたをいてみるから、暫くさうやつて居て下さいよ。」
といひ/\、女の横顔を板にかたどつて、それを墨でもつてやけに塗りくつたものだ。真黒な横顔の絵が出来上がると、画家はそれを女友達の前におつぽり出した。
「さあ、これが絵具代なしに出来たあなたの肖像画さ。やかましやの蔵相閣下のお名前でもつけておくんだね。」
 彼れ等は言葉通りにさうした。蔵相の名前は、
Etienne de Silhouette
といつた。半面影像をシルエツトといふのは、これから初まつたのである。


珍草

6・5
東京日日(夕)

 ニユーヨークに富豪かねもちの未亡人で結構な温室をもつてゐる女があつた。温室にはいろいろな美しい花が咲揃つてゐたが、別段花が好きといふのではなく、温室は自分の見えにもつてゐるに過ぎないので、未亡人は花の植物学上の名前などは少しも知らなかつた。
 ある日、近ごろ懇意にしはじめたなにがし夫人が訪ねて来たので、未亡人は自慢の温室へ案内をした。お客はかねてから女主人をんなあるじがほんたうに花を知らないのを聞いてゐたので、一寸からかつてみたくなつた。
「まあ、結構な温室ですこと。花といふ花はすつかりおありのやうですね……」お客は何か珍らしい草でも探すやうにそこらを見まはしてゐたが、「奥様、Septennisセプテンニス Psoriasisプソリアアジスが見あたらないやうですが……」と、わざとラテン語で名前をいつたものだ。
「はあ、あの花ですか。」温室の持ち主は、ぬからぬ顔ですぐ返事をした。「わたしあれを一鉢もつてましたけれど、牧師さんにあげちやつたのよ。春になるとほんたうに美しい花が咲くのね。」
 お客が帰つたあとで、女主人はすぐにラテン語の辞書をさがし出した。(辞書といふものは、なんによらず一冊は備へつけておいた方がいゝ。自分の無学なのを知るには、一番調法なものだから。)
 辞書には「セプテンニス・プソリアアジス」は七ねんがさの事なりと、氷のやうにつめたい解釈がのつてゐた。


神聖な名前

6・6
東京日日(夕)

 こなひだ、神戸のあるミツシヨン・スクウルで、頭のはげかかつた牧師が、受け持ちの聖書の講義をしてゐるときのことだつた。牧師は丁重な口ぶりで聖母マリヤと予言者ヨハネのことを話した。その朝朝飯あさはんをパンとコーヒーとだけですませたばかしの口で噂をするのは、おそれ多いやうな調子だつた。牧師は英語読みにすると、マリヤはメリイで、ヨハネはジヨンであることを説明した後で、
「ここで一寸皆さんにお願ひするのは、犬の名前にジヨンを、猫の名前にメリイをつけることだけは、どうか遠慮してもらひたい。あまりに勿体ないことですからね。」
といつて、とつてつけたやうにちよつとおじぎをした。牧師はたふとい方々のお名前のために、学生や家主やに頭をさげるのは、一種の殉難であるやうなほこりをもつてゐた。
 その晩牧師は一人で下山手通りをあるいてゐると、自分の学生の一人が毛のもじやもじやした犬をつれてゐるのに出くはした。人のいい牧師は立ちどまつてお愛想あいさうをいつた。
「いゝ犬ですね、何といふ名前です。」
「エスです。」学生はぶつきらぼうにいつた。
「エス?」牧師は自分の耳を疑ふやうに、目を一杯に見開いた。平和な顔は泣き出しさうな表情に変つて来た。「エス! それでは救世主とおなじ名前ぢやありませんか。あまりに御勿体ない。」
 学生は返事に困つた。で、一寸お叩頭じぎをするなり、犬をつれていそぎ足に、その場をはなれた。犬は不埒ふらちにも自分が救世主ででもあるやうに慈悲深い眼つきをして牧師を見かへりながら去つた。
 牧師よ、犬が救世主とよく似た名前だつたところで、あまり心を痛めなくともいゝ。ニユートンのいぬはダイヤモンドといふ名前だつたが、誰一人その犬を宝石と間違へたものはなかつた。たゞそのダイヤモンドが卓子つくゑの上の蝋燭を倒したばかりに主人のニユートンは二十年丹精した光学の原稿を焼かれてしまつた。牧師が犬に要心えうじんしなければならないのは、親切な女房がはかせてくれた手編の靴下を咬まれない様にすることである。


いちご畑

6・7
東京日日(夕)

 世の中に新聞記者ほど、無謀な訪問客はまたとなからうと思はれる。もしかキリストが復活して、東京の町へはつて来るやうなことでもあつたら、真つ先にこの救世主を訪問するものは、教会の牧師でもなければ、婦人矯風会の会員でもない。それはきつと新聞記者に相違なからう。
 今は亡き人の、新聞王ノースクリツフ卿を訪問した若い新聞記者があつた。この新聞王から何かしら種を得ようとするものは、若い新聞記者より外にはない筈である。何かにつけて、若いうちは勇気のあるものである。
「私は君も知つてる通り、いろんな新聞雑誌に関係してゐて、ゆつくり君たちにお目にかかる暇はないんだがね。」この新聞王は無謀な雀のやうな闖入ちんにふ者を見つめながらいつた。「折角だから君に幼稚園の話しでもしよう。」といつて、次ぎのやうな話しをした。
 ある教会の牧師の妻が小さい幼稚園をやつてゐた。ある日のこと、牧師の妻は子供達を園庭に集めて、
「けふはめづらしくおいしいものをあげるよ。」
といつて、いちごのジヤムを少しつつ子供達にあてがつてゐた。すると一人の薄ぎたない腕白はつまらなささうに、
「なんだ、苺のジヤムか。めづらしくもないや。小母をばさん、僕いつも苺畑に働いてるんだよ。」
 新聞王はこゝまで話して、さて若い新聞記者にいつた。
「ね、わかつたらう。私もその苺畑に働いてる一人なんだよ。」


厄介な訪問客

6・9
東京日日(夕)

 先輩と見れば、誰によらずたづねて来て、議論をふきかける訪問客ほどうるさいものは、滅多にないといつていゝ。
 ある時名高い神学者のヘンリー・ビーイチヤアをたづねて来た男があつた。
「先生、私は進化論者ですが、今日こんにちはこの世界の創造について先生と一つ議論をたゝかはせたいと思つてあがりました。」
「そいつは大問題ですな。」
 この神学者は、あたりさはりのない返事をした。
「私はまた霊魂寂滅論者なんです。私の死ぬる時が、私の持つてる一切のものの終りだといふのが私の信条であります。それについて――」
 訪問客が何かいひつがうとするのを、神学者は手でおさへるやうにしてとめた。
「してみると、さういふ御議論も、あなたの死と一緒に消滅するんですか。」
「ま、そんなものでせう。」
「それは結構ですな。そんな結構なことはありませんよ。」
 神学者はかういひすてて、にやにや笑ひながら、客を一人残したまゝ、応接間を出ていつた。


支那問題

6・10
東京日日(夕)

 田中大将が、軍服を背広服に着かへて政友会にはつたことは、いまだにとかくの評判を絶たないやうだが、いつだつたか、米国のグリイブス提督が、しやれた背広服でワシントンの街をぶらついてゐたことがあつた。途中でそれを見かけた男は、すべての海軍軍人は、どんな場合にも制服をつけてゐなければならない規則があるのを思ひ出して、その足で海軍省をたづねて、そのころの大臣ダニエルス氏に会つて、そつと密告しようとした。
「閣下。」その男は息をはずませながらいつた。「たつた今グリイブス提督が、背広服で市内をあるいてゐるのをお見かけしました。何だつてあんな変装なんかなさるんでせう。」
「さうか。」海軍大臣はとつくにその理由わけを知つてゐるらしく答へた。「それはな、支那問題のせゐだよ。」
「支那問題ですつて。」
 その男は聞き耳を立てた。いち早く国際問題を嗅ぎつけたら、たんまり金の儲かるすべを知つてゐたからだ。
「さうだ、支那問題だよ。」海軍大臣は真面目くさつて答へた。「提督の制服は、支那人の洗濯屋にやつたまゝ今朝までにかへつてこなかつたんだからの。」


長い名

6・11
東京日日(夕)

 日本では、長い名の代表者といへば、百人一首に出てゐる法性寺入道といふことになつてゐるが、アメリカにはもつと長い名の男がゐる。
 この男が公債を買ひにシカゴの銀行に行つたことがあつた。お名前をといふことになつて、この男が自分の名前をいふと、四人もゐた銀行の係が、皆あつけにとられて、ペンを投げてしまつた。で、その男は自分で記名した。それによるとつゞりはかうだつた。
“Gust J. Papatheodoropoumoundurgiotomicha'akopou'os,”


弁護士より俳優

6・12
東京日日(夕)

 アメリカの俳優ウルフ・ホツパアが、ある時知り合ひの男の誹譏ひき罪に、証人として法廷に引出されたことがあつた。
 法廷に入つて来たホツパアの姿を見ると、反対側の弁護士はすぐ呼びかけて訊いた。
「ホツパア氏にお尋ねするが、あなたの職業は俳優でしたね。」
「さうです。」
 俳優は弁護士のきざな鼻眼鏡を見ながらいつた。
「俳優といふと、――」弁護士は横柄にひとりごとのやうにいつた。「どちらかといふと、お客まかせの不安心な職業ですな。」
「さうかも知れません。」俳優は他人のことでも噂をする様に答へた。「ですが、私の親父おやぢの職業よかもずつとましだと思ひますよ。」
「お父さんの職業は何でしたか。」弁護士は聞かでもの事にまで口を出した。
「弁護士でしたよ。」
 俳優は落ちつき払つて返事をした。


手紙

6・13
東京日日(夕)

 今日大阪の××町にある美術書画屋の前を通ると、夏目漱石の手紙が五六通売物として店先にならべられてあるのを見た。もと東京のある新聞社の幹部にゐた人にあてた私信で、それをこの店に売り払つたのも、どうやらその人らしく思はれた。
 よしそれが名高い小説家だつたにしたところで、その人が原稿料を受けとつたとか、風をひいて咳が出てこまるとかいつたやうなつまらぬ事を書きつけた手紙を、大事さうに残しておく人の気持ちは、私たちには一寸わかりさうにもない。手紙が一つ一つ保存されるものと知つたら、どんな人だつてあまり真実ほんたうの事は書きたくなくなるに相違ない。
 チヤアルス・デイツケンスは、死ぬる少し前にガツヅヒルの花園で篝火かがりびをたいて、自分が一生の間に受けとつた名高い人達からの手紙をそつくりとりまとめて、その中で焼き捨ててしまつた。この小説家は自分の手紙が、死後に心ないものの手でいぢくりまはされるのをきらつたやうに、自分の知人の書信をも、そのいやな運命から救はうとしたのであつた。
 千利休と茶をあらそつた山科丿観へちくわんは、一生を通じて名利を思はなかつたまことの茶人であつたが、死ぬる前に、自分の書いたものをそつくり買ひもどして、そのまゝ火にしてしまつた。ある人がそのわけを聞くと、
「風雅は身とともに終るものだ。」
といつて、程なくなくなつたさうである。
 なつかしいのは、かういふ人である。


女とダイヤ

6・14
東京日日(夕)

 いつだつたか、近松秋江氏は、大阪の町で帯がはりに、金ぐさりをぐるぐる巻きに腰に巻きつけてゐる男を見たといふことだ。
 私はまた二三年ぜん、大阪の天王寺行きの電車のなかで、洋妾ラシヤメンでもしてゐたらしい女が、両手の指に、みんなで十二個の金の指環をはめてゐるのを見かけたことがあつた。人さし指と小指に一つづつ、中指と薬指とに二つづつといつたやうに、両手ともおなじにはめてゐるのが可笑をかしかつた。それだけでももう充分だのに、口をけて笑ふと、前歯は上も下もすつかり金づくめだつた。
「こんな女は、もしかすると、へそまでが金めつきかも知れないて。」
 見てゐるうち、私はこんなことまで思はせられたことがあつた。
 E. T. Stotesbury 夫人といへば、アメリカでも聞こえた宝石好きの女だが、この夫人がいつだつたか、すばらしく立派なダイヤモンドを幾つとなく身につけて、ある会合に出かけた事があつた。それに見とれてゐた来客のうちのある無作法な男は、少し離れて夫人のそばに立つてゐるその良人をつとに話しかけた。
「だしぬけに変なことをおききしますが、奥様のつけていらつしやるあのダイヤですね、あれはみんな本物でござんすかえ。」
「いや、みんなまがひものでさ。」大金持ちの Stotesbury 氏は、星のやうに光つてゐる自分の女房と、無作法な客とを等分に見ながら答へた。「だが、いつておきますが、あの首だけは本物でがすぞ。」


女の見わけ

6・16
東京日日(夕)

 すべて女とさし向かひで話しをする場合には、男といふ男は得てして自分を利発な、賢い人間だと相手に思はせようとするものだが、女は男がどんな利発な目付をしてゐようと、それが自分に関係のないうちは、そんなものに少しも気をひかれることではない。男の目が自分の美しさに見とれてゐるなと気がついた瞬間、初めて相手の男を利発な、目の高い人間として認めるやうになるものだ。
 ついこなひだの事、アメリカの南の方のある大きなホテルで、ところの貴婦人の一人と、ある田舎政治家とが、円いテーブルにさし向かひになつてた事があつた。婦人が心安だてからテーブルの上にのしかゝるやうにしてべちやくちや話すのを、男は時々うなづく振りを見せながら、黙つてそれを聞いてゐた。
 しばらくすると、婦人は一寸言葉を切つて、こんな事をいひ出した。
「こんなにさし向かひでゐてあなたのお顔を見てると、もとの大統領のウイルソンさんの眼つきを思ひ出しますわ。わたしあの方のお家庭とごくお親しくしてゐたもんですからね。」
「ウイルソンさんの眼つきですつて。」田舎政治家はくすぐつたさうな表情をした。「御冗談でせう、そんなにからかふものぢやありませんよ。」
「ちつとも、あなたにからかひなぞしませんわ。」老婦人は皮肉な口ぶりでいつた。「ウイルソンさんと来たら、女の美しさなぞてんでわからなかつた方ですからね。」


6・17
東京日日(夕)

 仕事にかまけて、いつもいそがしい、いそがしいで、一日かけづりまはつてゐるアメリカ人は、ステツキ一本を小腋にかかへる事すら、おつくうがるさうだが、フランス人は雨が降りさうにもないのに、蝙蝠傘をもちあるく事が好きな国民である。
 アメリカに以前駅逓えきてい総監までつとめたことのあるバアルソンといふ爺さんがある。この爺さんはざつと数へて四十年もの間、毎日毎日蝙蝠傘を持ちあるいてゐるので聞こえた人である。爺さんは十九の年に、イギリスの貴族病といはれる痛風をわづらつて、あるくのに不自由ふじゆを感じるやうになつた。といつて、徳富蘇峰氏や、胡瓜きうりやのやうにステツキをつくことがあまり好きでなかつたので、代はりに蝙蝠傘を用ゐることにした。それが習慣になつて、氏は外出そとでの時はいつも欠かさずそれをついてゐる。初めのうちは、たまには雨がふればいいと思つた事もあるさうだが、やがてそんな事を思ふのすら忘れたといつてゐる。


フランス語

6・18
東京日日(夕)

 神戸の郵便局につとめてゐた官吏で、本省に転勤を命ぜられたので、家をまとめて東京に引越したのがあつた。そこに三ちやんといふ、五つ六つのいたづら盛りの男の子があつた。三ちやんは神戸では町内きつての腕白であつた。
 三ちやんは、東京でもすぐ町内にあそび仲間をめつけることが出来た。仲間の一人は三ちやんにたづねた。
「三ちやん、君どこから来たんだい。」
「神戸から。」
 三ちやんは、神戸の名をよぶことに、ある誇りをもつて答へた。
「神戸?」鼻つたらしの町内の腕白太郎は、不思議さうに目をぱちくりさせて、そばにゐた友達の一人をふりかへつた。「神戸つてどこだい。ぶんちやん、君知つてる。」
「知らない。」文ちやんは夏蜜柑のやうに中味の小さかりさうな頭をふつた。「きつとロシアだよ。」
「きつとロシアだよ。」と一口に神戸をいひ消されてしまつた三ちやんは、折角の生まれ故郷に自信がもてなくなつたかして、それ以来仲間とあそぶのに、いつも下手したてに出るやうになつた。
 アメリカの下院議員で、友達と一緒にフランスを漫遊してかへつたのがあつた。最近その男が、ワシントンで何かの会合で、駐米仏国大使に出会つたことがあつた。
 その下院議員は、旅行中におぼえた片言のフランス語が使つてみたくてたまらなかつたらしく、大使を見るといきなり話しだした。
“Taka-er-eska voo voo-ly-! mean-er-passy-moi, Sill voo Play-er-”
 それを聞くと、仏国大使はやにはにそばへ寄つて来て、議員の肩に手をかけた。そしてアメリカ人にもまさる様な、流暢な英語で次ぎのやうな事をいつた。
「ねえ、君、お願ひだから、君のフランス語をやめていたゞきたい。巴里人パリジヤンそつくりの君の発音を聞いてると、ホームシツクにかゝりさうだからね。」


物は言ひやう

6・19
東京日日(夕)

 ロイド・ジヨージ氏が、ある時潮のやうな大勢の聴衆を前に、演壇に立つたことがあつた。樫の実のやうな小粒で堅さうな氏の姿が見えると、聴衆の一人がきい/\した声をはり上げてさけんだ。
「アイルランド自治案はどうするつもりだ。きつと持ち出してくれるんだらうな。」
 それを聞くと、ロイド・ジヨージ氏は、いきなり声を高めて、
“I will”
と怒鳴つた。すると聴衆の半分方は、うれしくてたまらないやうに、どよみを打つて喝采した。騒ぎがしづまると、氏はまた言葉をついで、
“not”
と一語をつけ足した。それを聞くと、聴衆の残りの半分は、一度に手を打つてよろこんだ。演壇の上からこの光景を見おろしてゐたこの政治家は、やがてまた口を開いて、
“tell you.”
と叫んで、きつと口を結んだ。すると、今度は演壇をとりまく総ての聴衆が、一緒になつて手を拍ち、足を踏みならして喝采をつゞけたさうだ。
 犬養木堂は、自分の政友会入りを弁疏べんそして、
「おれも老いぼれて、おまけに金がないもんだで……」
といつたさうだが、そんなことをいはなければならないとしても、も少しいひやうがあつたらうと思はれる。


七十の手習

6・20
東京日日(夕)

 近ごろスポーツが盛んになつて、男も女もそれに熱中するやうになつたのはよろこばしいことだが、若い時には勉強しなければならず、勉強がすんだら稼がなければならない人達にとつては、スポーツはまた晩年の道楽でもあるやうだ。
 ニユーヨークのすぐれた財政家として知られてゐるジヨオジ・ベイカア氏は、若い時からいそがしいづめで、七十になるまでは運動らしい運動をしたことはなかつたが、その年になつて初めてゴルフをしだした。そしておなじ年からまたシガアを吹かすことをも初めたさうだ。それまではたばこを吸ふひまさへなかつたのだといふことである。


老博士と蛙

6・21
東京日日(夕)

 このごろ夕方になると、庭の植込みの隅から、懐疑哲学者の蟇蛙ひきがへるがひよつこりと這ひ出してくる。
 ダーウイニズムを祖述する理学博士I氏が、ある晩のこと、縁端えんばなにあぐらをかいて、お猿や農科大学やの前途を考へてぼんやりしてゐると、植込みのつはぶきの蔭から、蟇蛙が一つのそのそ這ひ出して来て、悲しさうな顔をして溜息をついてゐた。
 老博士の目は、蟇蛙にひきつけられた。見ると、この懐疑哲学者は、やきもち焼きの女房と喧嘩いさかひでもしたものと見えて、脊をしたゝか噛み切られて、そこから赤い血がたら/\流れ出して、白い胸あてを汚してゐた。
夫婦めをと喧嘩か。でも、そんな傷をうつちやつとくわけにはゆくまいて。」
 老博士はかういつて、薬棚からヨードホルムの壜を取出して来た。そして丁寧にそれを傷口きずくちに塗つた上を繃帯までかけてやつた。
「さ、これですぐくなるだらうて。だが、無理をしちやいかんよ。」
といひながら、手に載せた蟇蛙を地べたに下さうとしたが、急に声を落とし、人間に立聞きされるのを気遣ふやうに、そつとその怪我人に戯談ぜうだんをいつた。
わしは動物学者で、いろんな生物いきものを解剖するが、たまにはかうやつて赤十字社の篤志看護婦のやうな真似もするんだからね、もしかお前達の仲間でとかくの評判が立つたら、その際はよろしく頼むよ。」
 蟇蛙は老博士の手を離れて、やつとこなと庭石の上に飛び下りた。そしてこちらに振り向きざま、いつもの癖で口をへの字にへし曲げて苦笑した。博士はふとその顔がダーウイン先生に似てゐるやうに思つた。


女学者

6・23
東京日日(夕)

“Blue stocking”といへば、人はすぐ女学者の事だと思ふに相違ないが、それに相違はないとして、その評判の青い靴下を穿いてゐたのが、実は男だつたといふことは、知つてゐる人が少からうと思はれる。
 一七五〇年ごろ、ロンドンで趣味と知識とをもとめてゐた少数の婦人達が、そのころの名高い文学者たちにまじつて、談話会を開いてゐたことがあつた。この人達の仲間にベンヂヤミン・スチリングフリイトといふ博物学者がゐたが、この人はいつもきまつたやうに青い靴下をはいてゐた。すばらしい話し上手で、この人が差し支へあつて出てこなかつた日は、会はさびしくて何だかもの足りない気持ちがした。そんな折には、誰がいひ出したといふことなく、
「青靴下がゐなくつちや、どうにもしやうがない。」と、皆のものがいひ合ふやうになつた。それがもとになつて、かうした社交談話会を「ブリユー・ストツキング・クラブ」と呼ぶやうになり、そんなところへしげ/\出入りをする婦人達をも、おなじやうな名前で呼ぶやうになつたのである。


歯医者

6・24
東京日日(夕)

 いろんな国の人たちを、自分の得意にもつてゐたイギリス生まれの歯医者があつた。気がついてみると、歯の治療を頼みに来るのに、国によつてそれ/″\その頼み方が違つてゐるのがをかしかつた。勘定高いドイツ人はいつもかういつた。
「治療代はいくらかかりますかね。」
 お洒落が好きなフランス人は次ぎのやうにいつた。
「治した上で、顔がみつともなくなりはしますまいか。」
 せつかちなアメリカ人は、十人が十人、きまつたやうに訊いた。
「手術は何日位かかりますね。」
 スヱーデン人は、
「ひどく痛みはしますまいか。」
 オランダ人の多くは、
「歯を繕つた気持ちは、ちよつといゝものですな。」
といつた。
 その中で、イギリス人だけは、何一つ訊かないで、だまつて手術台の上に腰をおろして、そして何一つものをいはないで、はまぐりのやうにあんぐり口をけるさうだ。
 そして日本人はどうだらう。何事にも負け惜しみの強い日本人は、こんな場合にも心の落ちつきをみせびらかさうとして、歯医者が自分の専門外のことはうるさがるのをもかまはないで、平気で昨日きのふ治した靴の裏の話しでもするに相違ない。


結婚**

6・25
東京日日(夕)

 二度以上も結婚式を挙げなければならなかつたやうな男は、きつと自分が結婚なんていふものに、ふさはしく出来てゐない、天成の男やもめだといふことに思ひあたるに相違ないといふが、四五年前アメリカには、ドリユウといふ八十二の爺さんとミユアといふ七十六のばあさんとが、りずまに結婚したことがあつた。媼さんは爺さんにとつて九人目の花嫁で、爺さんは媼さんにとつて十二人目の花婿だつたさうだ。
 また、博士マリイ・スペンサーといふ婦人は、四十四で十一度目の結婚をしたといふことで、世間に名前を知られてゐる。何でも初婚は十五歳の春だつたといふことに聞いてゐる。
 ずるい女は、後妻にきたがるもので、先妻が男の生活をおもちや箱のやうにぶちこはした後だつたら、どんな女だつて天の使ひのやうに立派に見えるものだといふが、かうして九度も十一度も結婚した人のあることを思ふと、天使はいつまでも天使ではゐないものと見える。


大男**

6・26
東京日日(夕)

 体育がさかんに唱道せられるやうになつてこのかた、青年学生の体格がよほどよくなつたのは、あらそへない事実だが、それでも昔の人と今の人とをくらべてみると、やはり昔の方が大きかつたらしく思はれる。
 むかしのヒンヅウ人は、今の人たちが馬に乗る折りのやうに象の背にまたがつて、長い足をぶらりと両わきにぶらさげてゐたといふから、身のたけは随分あつたものと思はれる。
 そのむかし、トロイ城の包囲に、ギリシアの英雄が投げ飛ばしたといふ岩石が今だに残つてゐるが、今のギリシア人にはとても手におへさうにない。日本でも大阪城の城壁に後藤又兵衛と薄田隼人はやととが、さしでかついで来たといひつたへられてゐる大石があるが、その隼人の末裔にあたる自分が、一寸さはつた位では、なか/\動きさうになかつた。
 イギリスでも、エリザベス女皇ぢよわう時代には、大抵の男は八フヰートもあつたさうだから、シエークスピアも、ベーコンも、今の文学者達にくらべると馬のやうにのつぽだつたに相違ない。


首実検

6・27
東京日日(夕)

 師範学校の二部生の試験答案に、坪内逍遙とは、坪のなかをぶら/\歩くこと、樋口一葉とは、憲政会でちやきちやきの代議士だといふのがあつたといつて、大分だいぶん世間の笑ひ草になつてゐる。
 いつだつたか、私は道頓堀の中座で鴈治郎の「盛綱首実検」を見てゐたことがあつた。隣り桟敷にはある大会社の支配人格で、慶応出の秀才だと評判をとつたことのある老紳士と、その部下の若い男とが座つてゐた。「首実検」の幕がしまると、老紳士は暫く考へてゐたが、やがて、
「この芝居は筋がこみ入つてゐて、僕には、一寸のみこみがつきかねる。」
独語ひとりごとのやうにいつた。すると、下役の若い男は、
「さうですね、こみいつてはゐますが、割合にわかりいゝ筋ですよ。」
といつて、その仕組みの荒筋を説明しにかゝつた。聞くともなしに、それを聞いてゐると、若い男の話してゐるのは、盛綱の首実検ではなくて、寺子屋の松王の首実検であつた。でも、聞いてゐる方では、それで今見たばかしの舞台面がすつかりのみこみがついたらしく、
「さうか、さう聞いてみると、なか/\おもしろく出来てゐる。傑作なんだらうね。」
と、満足した顔付きに見えたのもをかしかつた。
 俳優にしても、こんな見物がだん/\殖えるやうでは、大袈裟な泣き笑ひでも投げつけなくては、腹の虫がをさまりかねるに相違ない。


物知らず

6・28
東京日日(夕)

 京都大学の英文科のある学生が、なにがし教授のお伴をして、四条の南座に忠臣蔵の通し狂言を見たことがあつた。芝居がはねてからの帰りみちで、学生は教授にきいてみた。
「忠臣蔵つて、おもしろい芝居でございますね。いつたい、赤穂義士の仇討かたきうちつていふのは、東京であつたことなんですか、それとも京都ででも……」
 教授は自分が今通りかゝつてゐる祇園新地の町におほ地震がゆれたやうにびつくりした。かういふ革命的な質問に出会つては、折角ふだんから禿げた頭の中に几帳面に積みかさねておいたいろんな書物の知識も何の役にも立たなかつた。で、憐みを乞ふやうな調子で、
「ところは本所松坂町――といふぢやないか。」
と、わざ/\講釈師の口まねをして、その場をごまかしてしまつたさうだ。
 アメリカ合衆国の標語に、
“E Pluribus Unum”
といふ言葉がある。それをニユーヨークのある女学校の高等科で、問題に出して答案を求めたところが、五十人の学生の中で、たつた四人しか答案を出さなかつた。その一にんの解釈は、
吾人ごじん聯合れんがふの上に立つ。」
 次ぎの一にんは、
「吾人は神に信頼す。」
といつたやうなものだつた。この答案は、そのまゝ知識階級の婦人達のある会合に持ち出されて、
「いくら何だつて、こんな馬鹿な答案があるもんですか。」
といつて、その人達の笑ひ草の種となつたものだ。すると、その会員の中で、一番正直さうな婦人が口を出して、
「ところで、皆さん、この言葉の本当の意味はどういふことなの、教へて下さらない。」
ときいた。それを聞くと、皆の顔が一度に桜んぼのやうに赤くなつた。
「やつぱし、吾人は神に信頼すでいゝんでせう。ね、皆さん、さうぢやなくつて。」
「私もさう思ふわ。」
といふやうなことで、皆はその解釈に賛成すると同時に、自分達が祖国の標語については何も知らないといふことを、おほつぴらに表白してしまつた。
 この標語は、多くの独立した州が、寄つてたかつて一政府を組織そしよくしてゐる合衆国の立場を語る「衆がふして一となる」といふ意味の言葉である。


一流か三流か

6・30
東京日日(夕)

 いつだつたか、アメリカのマサチユセツツで監督職の椅子があいて、いろんな人が候補者に立つてゐたが、そのなかで牧師フヰリツプス・ブルツクスが一番有力なやうに噂されてゐた。
 そのころ、ある大学の神学部長をつとめてゐたロオレンスとハーバード大学の総長エリオツト博士が、つれ立つてあるきながら、この問題について談話をとりかはしてゐたことがあつた。
「あなたもブルツクスが選挙されるのに御賛成ですか。」
 神学部長はかういつて大学総長の顔をのぞきこんだ。
「いや、私は別に賛成したくありません。」総長は重々しさうに答へた。「監督職なんて位置は二流か三流かの人物で充分ですからね。そんなところにブルツクスを推薦するのは、贔屓ひいきの引倒しですよ。」
 選挙の結果は、皆の期待通りブルツクスがえらばれて、監督の椅子にすわることになつた。それから二三日して神学部長はエリオツト総長に出会つた。神学部長はさきの日の談話を思ひ出したので、
「あなたは確か、ブルツクスの当選するのをおよろこびぢやなかつた筈ですね。」
といつて挨拶した。すると大学総長はいつもの重々しさうな口調で、
「さうですよ。ですが、当人自身の希望なら仕方もありません。実をいふと――」といつて、急に声を落として、耳打ちでもするやうに話した。「私が推薦したかつたのは、ロオレンスさん、あなたでしたよ。」
 それを聞いて神学部長は、腹の中で一流の人物気取りでゐるのに、いつの間にか背に三流の正札をはられてゐたのを見つけたやうに苦りきつた顔をした。


一食主義

7・1
東京日日(夕)

 このごろ会社づとめの若い人たちのなかには、昼飯ぬきの二じきがはやり出してゐる。習慣的に昼飯をとつてゐる人たちも、なるべくあつさりしたものですますやうな傾きが見える。
 ギリシアの昔では、貴族は一日一じきですましてゐた。二じきなのは兵士と平民とで、たゞ賤民だけが現代の大多数の人たちのやうに三度たべることになつてゐた。この三つの階級のうちで一番健康で、一番美しかつたのは、一じき制度の貴族だつたといふことを聞いては、どんなに腹がすいても、一じきにきめなくてはならないやうな気持ちがする。もつともギリシアの貴族たちがその一度きりの食事で、どんなものをどの位たべてゐたかといふことについては私は知らない。そんなことは、昔の貴族に訊かなくとも、現代の胃の腑の方がずつとよく知つてゐる。胃の腑は、魂などよりもずつと正直もので、まづい物よりもうまいものがすきである。


磁石よりも女

7・2
東京日日(夕)

 テキサスうまれのある若い百姓が、何かの縁で自動車王のヘンリー・フオードを知つてゐたので、その工場にたづねていつたことがあつた。
 自動車王はすばらしく大袈裟なその工場を案内して見せたが、その途中、ある部屋に備へつけの磁石が目につくと、それをとりあげて若い田舎者に見せびらかした。
「この磁石は、三ポンド位の鉄塊だつたら、二尺余りのところからすぐ引寄せる力があるんだよ。こんなのは、どこへいつたつて滅多に見られやしないんだ。」
「さうでがすか。」若い田舎者は、それを聞いてぢつと考へてゐたが、畑から芋をほり出すやうに、ぽつりぽつりとゆつくりした口調でいひついだ。「しかし、わしらもつと力のつよいものを知つとりますだよ。モスリンとレースの袖口にくるまつてゐやしての、いつも日曜日の晩がくるちうと、十五里も遠方からわしらのやうな若いものをひつ張り寄せますだよ。旦那さま御存じか知らんがの。」
 自動車王は、それを聞くと急に身内がパンクしたやうに、苦笑ひしながらそこに突つ立つてゐた。


間違ひ**

7・26
サンデー毎日

 米国のもとの大統領タフト氏が、いつだつたか、ある小学校に講演を頼まれて出かけて往つたことがありました。
 タフト氏は、幼い学校の生徒達が、象のやうにづばぬけて大きな図体をした自分を見、その自分の口よりお話しを聞くのをどんなにか喜ぶだらうかを想像しました。そして道々お話しの趣向を考へて、最後にそれに括りをつける一番短くて、一番力強い言葉を尋ねあぐんでゐるところへ、自動車は学校の前に来て、ぴたりと止まりました。
 タフト氏は校長に導かれて、講堂に入らうとして、ふと見るとその入口の扉に
“Push”(押しなさい)
と書いてあるのを見つけました。
「いゝ言葉だ。」もとの大統領は、口の中でつぶやきました。そして今日のお話の括りをつけるのは、この言葉の外にはあるまいと思ひました。
 タフト氏は、大きな図体を講壇に運びながら、にこやかな調子で、子供達のためになるお話を続けました。そして終りになると、一段と声を高めて、
「皆さん、私が只今まで申したことは手短てみじかにいふと、ただ一語で十分です。それは何かと申すと、あそこにかきつけてある言葉がそれであります。」
といつて、象の前脚のやうな大きな手を挙げて、入口の扉を指さしました。
 生徒も、教師も、講堂に居合せた人達は、一度にふり向いて入口の扉を見ました。そして津浪のやうな笑ひ声がどつと講堂内に起こりました。扉には次ぎのやうに書いてありました。
“Pull”(引きなさい)
 お蔭で、タフト氏のお話は、その図体のやうに、締めくくりのないものになつてしまひました。


STAR

7・26
サンデー毎日

 ジエイムス・エム・バリイ氏といへば聞えた劇作家の一人ですが、ある日、某劇場でその脚本の舞台稽古があるといふので、仲のいい友達の一人と連れだつて、それを見に出かけました。
 見てゐるうちに、舞台に立つてゐる女優二人の間に激しい喧嘩が起きました。それほどの女優が、その場面の中心になるかといふ問題で、二人とも一座の“Star”と呼ばれて光つてゐただけに、事は面倒でした。それに劇場の支配人が、ものずきにそばから油をかけて煽りつけるので、二人の女優は猿のやうに白い歯をむき出して、きいきい我鳴り立てました。
 作者のバリイ氏は、見物席の枠に腰をおろして、両足をぶらさげながら、平気でそれを見てゐるので、そばにゐる友達は一人で気を揉みました。
「おい、君。困つたね。奴らは君の脚本をめちやめちやにしてしまふかもしれないぞ。何とか早く解決をつけてやらなくつちや。この場合それが出来るのは、君ばかしなんだからね。」
 友達はかういつて、作者をつつ突いてみました。
 バリイ氏は、しかつべらしく首を振りました。しかし眼は微笑してゐました。
「君も知つてるぢやないか。」この作者は小声で答へました。「神様は太陽と月とを支配することは、ただ一人にしか許されなかつたのだよ。その一人の方すら、星(Star)だけはうつちやつておかれたんだからな。」


老眼鏡

7・26
サンデー毎日

 オランダの女皇ぢよわうウヰルヘルミナが、まだ頑是ぐわんぜない子供の頃でした。ある日、お付の老女が、つつましやかな手つきで膳部の仕度をしてゐるのを、女皇は側でわき目もふらず見てゐましたが、ふと老女の鼻先にかかつてゐる眼鏡に気がつくと、不思議さうに訊かれました。
「ばあや、お前の眼鏡大きく見えるのね。」
 老女は胡椒をふりかけたやうな気むづかしい顔を少し柔げて答へました。
「はい、老眼鏡でございますから、いくらか大きく見えます。」
「さう。」と、女皇は初めていいことを発見したやうに頷かれました。「それぢや、お願ひだから、私の皿に御馳走を盛るときにはね、その眼鏡をはづして頂戴ね。」


三頭の驢馬

7・26
サンデー毎日

 生意気盛りの学生といふものは、いたづらつ気の多いもので、得てして教師や目上の人にいろんな綽名をつけたり、からかつたりしてうれしがるものです。もしか教師や老人が見つからないときには、彼等は自分自身にふざけかかります。
 あるとき、ハア※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)アド大学の学生が三人連れだつて田舎道をあるいてゐたことがありました。彼等は途中で、向ふからあるいて来る一人の老人を見かけました。老人は旧約聖書の挿絵からでも脱け出して来たやうな古風な身なりをしてゐました。それを見た若い学生達は、出会ひがしらにからかひました。
「アブラハム爺さん、お早うございます。」
「イサク爺さん、お早うございます。」
「ヤコブ爺さん、お早うございます。」
 口々にかういつて挨拶をする若い学生達を、老人は黙つて見くらべてゐました。それを見て学生達は、そろそろ気味が悪くなつたらしく、目配せして逃げ出さうとするのを、老人は押へるやうにして、重い、かすめた声でいひました。
「わしはアブラハムでも、イサクでも、ヤコブでもない。わしはキシの伜のサウルぢや。わしは親父がなくした驢馬をさがしに出かけて来たのぢやが、やつと今三頭とも見つかつたわけぢや。」
 学生達はその皮肉なサウル爺さんの挨拶に度胆をぬかれて、みんな驢馬のやうにとぼけた顔をしてゐましたが、暫くすると、驢馬のやうに駆け出して行きました。


沙翁

7・26
サンデー毎日

 これはロンドンのある中流の家庭に起きた大問題であります。登場人物は中年の銀行家と、その夫人との二人で、二人が口喧ましく争つてゐるのは、今日沙翁さおう劇として残されてゐる作品は、果して沙翁自身が書いたものかどうかといふ、長いことそのままになつてゐる文芸史上の謎でありました。
 二人は二時間ばかし、自分達の知つてゐる事と、知つてゐない事とをごつちやにして議論しました。やつと議論がつきたころ、夫人は興奮した赤い顔を両手でこすりあげながらいひました。
「いいわよ。私死んで天国へ往つたら、この問題は何とか片づけてみせるから。」
「死んでから、どうして……」
 銀行家はびつくりして訊きました。
「わかつてるぢやありませんか。私天国でシエクスピアに会つて、訊くのだわ。」
「なるほどいい考へだ。」銀行家は沙翁が一目見たらほしがりさうな葉巻に火をつけながら、冷かすやうにいひました。「ところが、あひにくとシエクスピアは天国には居なからうて。」
「ぢや、地獄に居るとおつしやるの。」夫人は鶏のやうに鋭い声を立てました。「丁度いいわ。あなたが会つて聞くのに。」


7・26
サンデー毎日

 ウヰルソンが米国大統領の椅子に坐つてゐた頃、毎日数限りなく押寄せて来る訪問客のなかに、ある日質素な身なりをしてゐる中年の婦人がまじつてゐるのを見かけました。
「あんたは、どんな用事でお出でだな。」
 大統領は愛相あいさうよく言葉をかけました。
「用事といつては、別にございませんが……」その婦人は平気で答へました。「わたくし遠いフロリダの田舎から参つたものでございますが、これまで生きてゐる大統領はまだ一度も見かけた事がございませんので、一度お目にかかりたいと存じまして……」
「それはどうも御丁寧に。」大統領は腹の底から笑ひこけました。「承はつてみるとそれも御尤ものやうだて。私たちの方では、生きてるわにが見たいばかりに、わざわざフロリダまで出かけるんだからね。」
 かういつて、大統領は生きた雌わにを見るやうに、気味悪さうな眼つきをしてその婦人を眺めました。


7・26
サンデー毎日

 いつでしたか、米国の実業家が五六人、資本を出しあつて、ベスレヘムの鋼鉄会社を買収しようとして、その議を持主のチヤアルズ・シユワツブ氏に申込んだ事がありました。会社の価額は六千万ドルといふ事でした。
 シユワツブ氏は、家に帰ると、早速その由を夫人に打ち明けました。
「先方の申出はかなり高い方だよ。」鋼鉄会社の持主は、鋼鉄製のやうな、そのしつかりした額で夫人の顔をのぞきました。「私の持物の半分はお前のものだから相談するんだが、お前の考へはどうだい。もしか売るとしたら、五朱に廻して、お前の収入は一ヶ月ざつと十万円にはなる。それだけあつたら、老後を送るには十分だとは思ふが……」
「さうね。」夫人は気が進まなささうに軽い溜息をつきました。「わたしそんな大金をいただいたつて別に何にもする事はないんだし、あなたはまたお仕事がなかつたら、お困りでせうしね。」
 シユワツブ氏は、それを聞くと、初めて安心したやうににつこりしました。


7・26
サンデー毎日

 日本では寝るのに北枕を嫌ふ習慣がありますが、フランスの科学者のいふところによると、ぐつすり熟睡しようとするには、北枕で足を南に投げ出すに限るさうです。むつかしい仕事をひきうけて、それを成るべく疲れないで仕遂げようとする前の晩は、西枕で寝るのが一番いいとしてあります。有名なるピアニストの経験によると、西枕に寝た次ぎの日は、演奏が上手に出来ますが、南枕に眠るといつもきまつて不出来ださうです。


毛皮

11・1
文芸春秋

 おひおひ寒さに向つて来るが、寒くなるにつれて、婦人の身のまはりに、いろんな獣の毛皮が防寒具として用ひられてゐるのを見る程無気味に感じる事はない。
 女優 Minnie Maddern Fiske は、大の毛皮嫌ひで、婦人が毛皮を身につけてゐる程、いやで、殺風景で、不調和なものは世界に二つとはないといつて、
「わたしに今お金を五百万弗くれる人があつたなら、そのうち三百万弗だけは婦人から毛皮を追ひ出す運動費に寄附してもいいと思ふのよ。」
といつてゐる。それ程までの毛皮嫌ひは、まんざら嬉しくないこともないが、残りの二百万弗はどうするつもりなのか、ちよつと気にかからない事もない。


おしこめ

11・1
文芸春秋

 文学者 Booth Tarkington に用事があつて、電話をかけた男がある。出て来たのはきいきいした女声で、
「主人は今書斎にゐてお仕事をしてゐますから、邪魔をするわけにはまゐりません。私が代りにお聴きいたします。」
といふ挨拶なのだ。度胆をぬかれた電話のあるじは、そのまま話を切らうとしてゐると、そこへかねて聞き覚えのある文学者の声がそつと聞えて来た。
かないが書斎に追ひ込んぢまつたので、僕は邪魔されようにもされなくなつたのだ。君、いい工夫はないものかしら。」
 私は新聞雑誌で日本の文士達の書斎における写真を見て、その片隅におとなしさうな夫人が、小猫のやうにはにかんでちよこなんと坐つてゐるのを発見する毎に、この話を思ひ出して、彼等の幸福を心より祝福しないわけにはゆかない。


句読点**

11・1
文芸春秋

 女優 Fiske が、あるとき紐育の某劇場で、自分の楽屋として入つた部屋は、その前月興行に女優 Margaret Anglin の楽屋だつたのを知つたので、この女優は持前の愛嬌から、訪ねて来た新聞記者に Anglin の事をほめちぎつて噂をした。あくる朝の新聞紙には、その談話が大々的に吹聴されて、
“Mrs. Fiske says Miss Anglin is the greatst actress in the world.”
となつてゐた。
 Fiske はわざわざその新聞紙を Anglin に送つてやつた。すると、間もなく新聞紙はそのまま送り返されて来た。見ると例の記事に句読点が二つつけ加へられてあつた。
“Mrs. Fiske, says Miss Anglin, is the greptest actress in the world.”
 ずるいが、しかし気のきいたやり方である。さすがに描き黒子一つを顔に入れただけで、役の性格と相好とをがらりと変へて見せる女優の好きさうな技巧である。


女帽子の針

11・1
文芸春秋

 イギリスの俳優 Cyril Maude は大の内気もので、はにかみやである。いつだつたか、紐育で電車に乗つたが、隣りに腰かけてゐたのは中年過ぎの女で、その帽子にはおそろしく長い帽子ピンがさされてあつたので、電車が揺れる度に、俳優の顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)は帽子ピンの尖でつき刺されたが、内気もののこの俳優はぢつとそれを辛抱してゐた。
 やつと電車を降りようとする間際になつて、俳優は初めて隣りの女の方へ向き直つて、そして気の毒さうに言つた。
「奥さん、どうぞ御免下さい。私の顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)から知らぬ間にこんなに血がにじみ出しまして、あなたの帽子ピンを少し汚しましたやうですから。」





底本:「完本 茶話 下」冨山房百科文庫、冨山房
   1984(昭和59)年2月28日第1刷発行
   1988(昭和63)年7月25日第7刷発行
底本の親本:「東京日日新聞」
   1925(大正14)年4月15日〜7月2日夕刊
   「サンデー毎日」
   1925(大正14)年7月26日
   「文芸春秋」
   1925(大正14)年11月号
初出:「東京日日新聞」
   1925(大正14)年4月15日〜7月2日夕刊
   「サンデー毎日」
   1925(大正14)年7月26日
   「文芸春秋」
   1925(大正14)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
※底本凡例に、「内容は別個で題を同じくする作品は題名の直下に*印を付し、*印の数の違いによって弁別することとした」とあります。
入力:kompass
校正:仙酔ゑびす
2014年10月13日作成
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