鶏小舎
4・15
東京日日(夕)
大阪のある大きな会社で、重役の一人が労働問題の参考資料にと思つて、その会社の使用人に言ひつけて、めい/\の家の
好奇心と満足と不安とのごつちやになつた気持ちで、職工
「なぜ、家賃の項目を書き落としたんだ。すぐ書き加へてもらひたい。」
「はい。」
「家は自分のものだつて。」重役は自分の大きな鼻を
「どうも相済みません。」職工は重役の借家住まゐが、自分のせゐででもあるやうに恐縮した。
「家の建築費は、みんな自分で稼ぎ溜めたのか。」
「はい、みんな自分で稼ぎました。」
「それは偉い。」重役は職工の報告書に何か書き加へようとして、鉛筆を取り上げながら、眼鏡越しにちらと相手の顔を見た。「すつかりで幾らかゝつたかい。」
「はい、すつかりで二十円かゝりました。」
職工は自分の
「なに、二十円で済んだ?
重役はからかはれでもしたやうに真ツ赤になつた。
「いえ、
職工は自分が
「さうか、
重役の顔にちらと
女優と花束
4・16
東京日日(夕)
女優の舞台生活といふものは、表と裏とちがつて、どこの国でもからくりの多いものだが、女優モウド・アダムスの話しによると、ある時この人の一座で出し物の名はわすれたが、人気のある脚本の一つを演じた事があつた。幕がしまると、女優の一人がおそろしく機嫌をそこねた顔つきで、自分の男衆に向かつて、何か口やかましく我鳴りたててゐた。アダムスがその男にどうしたのだときくと、男衆はふくれ
「なにね、今夜いただいた花束が九つしきや無かつたので、あんなに

「えらいわね。」アダムスは感心したやうに首をふつた。「それだのに何だつて不足をいつてるの。」
「いえね。」男衆はくすぐつたさうに
狂人と弁護士
4・17
東京日日(夕)
アメリカの前大統領タフトの
タフトの友人に一人の弁護士があつて、ある刑事事件に関係した被告を、ひどい神経衰弱で精神状態があやしいからと弁護して、うまく無罪の宣告を受けさせたことがあつた。弁護士が約束の弁護料を請求すると、依頼人はにべもなく断わつた。
「なぜ払はんのか。」弁護士は
「あなたは私を精神状態があやしいといつて弁護して下さいましたね。」
依頼人は裁判官のやうな調子でだめをおした。
「さうだ。」
「するとですね。」依頼人はいつた。「あなたは精神状態のあやしいものから報酬をとる事になりますが、それでもかまはないんですか。」
おかげで、報酬は払はなくともいゝ事になつた。
無類なお世辞
4・18
東京日日(夕)
美しい女をほめるのにいろいろな方法がある。バルザツクなどは、単にその点からいつても、すぐれた技巧をもつてゐたが、そのバルザツクすらとても追つつかない程の、うまい御機嫌とりをいつたものがある。それを受けたのは、美人で評判のデヴオンシヤア公爵夫人で、夫人がある時さびしい町角で馬車からおりようとすると、石炭担ぎの労働者が一人
「何といふ美しい奥様だらうな。奥様申し兼ねますが、お前さまの眼でわつしの
重役気質
4・19
東京日日(夕)
「つく/″\生きてるのが厭になつちまひました。もう/\
今日久し振りで私を訪ねて来た――会社の人事係月俸百三十七円のB氏は、かういつて、用のない空気枕のやうにすうと長い溜息をついて、がつしりした胸の上で両手を
――会社では定期の増俸期がもうあと一ヶ月に近づいてきたので、B氏はこの場合社長の御機嫌をとりむすんでおくのが上分別と、きのふの日曜を仕合せにわざ/\その自宅をおとづれて社長に会つたものだ。そして何がな社長の気に入るやうなことをいはうとして思案をしてゐると、あべこべに社長からうれしがらせをあびせかけられた。
「
社長はかういつて、わざ/\紐のゆるんだ
「今時の会社の重役から、こつちの欲しいものを取り出さうとするには、自分で自分に
花心に住む
4・21
東京日日(夕)
花が咲揃つた。常住さながら花心に坐する心地がするのはこのごろのことである。
長崎の南画家木下逸雲は、支那人から
芸術家の眼をもつて見ると、天地は、まるで花のやうなもので、わざ/\花を植ゑなくともいゝ筈である。それともまた花を
四十女
4・22
東京日日(夕)
世の中に四十女ほどみじめなものはない。肌には小皺がより、髪は油気がぬけてばさ/\してくる。それもまだいゝとして、とても辛抱できないのは、感情に弾力とうるほひがなくなり、想像力が乏しくなることである。これについてダグラス・ジエロルドといふ男がうまい事をいつてゐる。
「四十円の小切手が、二十円のもの二枚と切り替られるやうに、四十女がうまく始末出来るのだつたら、どんなに男達は助かつたらうにな。」
くれ/″\も言ひ添へておくが、これは自分の言葉では無い。
金の卵
4・23
東京日日(夕)
亡くなつた富岡鉄斎老人は、何よりも

爪
4・24
東京日日(夕)
人間の爪といふものは、その伸びる度合が指によつてちがつてゐる。中指の爪が一番はやく伸び、
煙草盆
4・25
東京日日(夕)
ものぐさな
今は亡い人だが、もと三高の校長を勤めた酒井
「おい、誰か来てくれ。」
氏はいつもの癖ですぐ声をたてて
「
老母は笑ひながら煙草盆を氏の前に持ち運んでくれた。――いひ添へておくが、女といふものは、白足袋を台なしにするよりも、自分の唇を汚すのを好くものである。
赤
4・26
東京日日(夕)
「舞台で赤い花を使つてはならぬ。これは脚本を書く場合によく気を付けなければならぬことだ。何故かといふに、赤い色はどうかすると見物の注意を乱すからである。」
これはダヴヰツド・ベラスコの言葉である。
南天棒和尚
4・28
東京日日(夕)
中年過ぎの、

「老師が御自分の書物の出版費をおこしらへになるつもりで、お書きになつたのです。はい、出版費はせいぜい
婦人はこんなことを話してゐた。私はいつた。
「和尚だつたら、その位な出版費は誰か寄付する人がありさうなもんですが……」
「はい、寄付やら
婦人の話しによると、和尚は身近なものにごまかされた出版費を調達するために、毎日朝から晩まで
「まるで書をおかきになります機械のやうで、ほんとうにお痛はしく存じます。」
私はそれを聞いて、以前禅風の悪辣のみをつたへられてゐた南天棒和尚にしては、何といふ謙虚な姿だらうと、しみじみうれしく有難くさへ思つた。――程なく和尚は死んだ。
蛇**
4・29
東京日日(夕)
そろ/\蛇が穴を出るころとなつた。この長虫がしなやかな草の上をうね/\滑つてゐるのを見ると、すぐ思ひ出されるのは、
「監獄へ罪人を叩き込むのは、蛇を竹の筒に入れておくやうなもので、入つてゐるうちだけは真つ直になつてゐるが、一旦這ひ出すと、すぐに曲りくねつて歩く奴さ。」
といつた言葉である。これはいろ/\な罪を犯し、
靴を買ふには
4・30
東京日日(夕)
左足は右足よりは幾らか大きい。――これは百人のなかで九十九人までは、きつと証拠だてられる事実である。科学はいろんな方面からそれを説明することが出来るが、一番手つ取りばやくいへば、人間はちん/\もが/\をする子供のころから、大人になつて柱にもたれる折も、壁によりかかるときも、大抵は左足に
七千弗
5・1
東京日日(夕)
アメリカ大陸の
命令法
5・2
東京日日(夕)
文典といへば、どんな学生でもが虫下しの薬のやうに厭がる学科である。
アメリカのウツド将軍が小学校に通つてゐた頃、ある時教師の一人が将軍の名を呼んで
「あなた、何でもいゝから短い文句を一つ言つてみなさい。そしてそれをどんな風にいひかへたなら、命令法になるかためしてみますから。」
「馬が車をひいてゐます。」
少年は鸚鵡返しにみじかい文句をいつた。のち/\は名高い将軍になるだけあつて、すぐに馬を思ひうかべたらしかつた。
「よろしい。」教師は馬が車をひいてゐるのが馬鹿に気に入つたらしくいつた。「それを命令法にいひ
未来の将軍は腹一ぱいの声でわめいた。
「前へ――おい。」
アメリカニズム
5・3
東京日日(夕)
Aといふアメリカ産れの男が、Bといふ移民の一人と話し合つたことがあつた。
「僕はこれでちやきちやきのアメリカ産れなんだよ。」Aはいかにもそれが自慢であるらしくいつた。「君達のやうな移民と比べちや、少し粒がちがはあね。」
「さうかもしれない。」Bは穏かに説いて聞かせるやうにいつた。「だが、僕達は君らにくらべるとよけいにアメリカニズムを持つてると、これでいさゝか自認してるんだよ。」
「アメリカニズムだつて。」
「さうさ。まあ考へて見たまへ、君達は素つ裸でこの国にうまれて来たらうが、僕達はぼろぼろだつたけれど、ズボンを一
間違ひ*
5・5
東京日日(夕)
人間が間違ひをした時には、どんな事がもちあがるだらうか。それにはいろ/\な場合がある。
鉛職工が間違ひをした時には、もう一度やりなほしたらそれでいゝ。
弁護士が間違ひをした時には、控訴を引き受けるまでのことだ。
易者が間違ひをした時には、易もたまにはあたるものだといふ評判をとることが出来る。
飜訳家が間違ひをした時には、初めて自分の存在を読者に知らせる事が出来る。
医者が間違ひをした時には、お
裁判官が間違ひをした時には、また一つ新しい判決例が出来る。
牧師が間違ひをした時には、何もかゝり合ひのない神様がいい加減な後始末をつけさせられる。
独身
胡桃
5・6
東京日日(夕)
シカゴのある墓地で、二人のちんぴら小僧が胡桃の実を盗んでゐた。
盗んだくるみで一杯になつた二つの袋は墓地の
「お前のだよ、おいらのだよ。」
と、一つ一つ分け前をとつてゐた。
一人の黒ん坊が、そこを通り合せてその声を聞きつけた。そして差し足抜き足そこを立ち去つたと思ふと、やがて一人の白人をつれて帰つて来た。黒ん坊は小声でいつた。
「嘘はつきましねえ。そこの
「何を、馬鹿な。」
白人はそれをにべもなくいひ消してゐたが、二人はやがて墓地の
「さあ。」一人の子供がいつた。「これから門の
それを聞くと、黒ん坊は頭から眼の玉が飛び出しさうにびつくりしたらしかつた。
「わしら先へ帰るだよ。」
と一言いひ残してそのまゝそこを逃げ出して了つたさうだ。
訪問客
5・7
東京日日(夕)
西園寺公を田中村の清風荘に訪ねて往つた政治家達が、数多い訪問客のなかで、老公とうち解けて会つてくれるのはまづ自分だけだといつたやうな事をてんでに吹聴するのはをかしなものだ。
説教家として名高かつたヘンリイ・ワアド・ビイチヤアが、重病にかゝつて、医者のすゝめで誰にも面会謝絶をしてゐた事があつた。そんななかにもかゝはらず、病人はわざ/\使を立てて法律家のロバート・グリイン・インガサルを呼び寄せたものだ。法律家は説教師と大の仲よしだつた。
「わざ/\僕を呼んでくれたのはうれしいが、しかしだね、――」法律家は病人の顔をのぞき込むやうにしていつた。「
「いゝともさ。どうせ天国へいつたら、また皆と一緒に逢へるんだからね。」ビイチヤアは病みやつれた顔に青白い微笑を浮べながらいつた。「だが、君には息のあるうちにこの世で会つておかないと、二度ともう顔を見る事が出来ないかも知れんからね。」
事によると、西園寺公もそんなつもりで、うるさい今の訪問客に会つてゐるのかも知れない。
蚊と象
5・8
東京日日(夕)
少しなま
アメリカの俳優ジヤツク・バリモアが、ある時楽屋の大部屋をのぞくと、そこに下廻りの俳優達がごたごた押し並んでゐて、謎々のやうな遊びをして、きやつ/\と陽気にはしやいでゐるのを見出した。
「君達はこんな遊びにかけては、人一倍巧者だと見えるね。」バリモアは後に突つ立つたまま口を出した。「ところで、一つ承りたいが、象と蚊とはどこに違つたところがあるかね。」
「象と蚊との違ひですか。」
下廻りの一人が不思議さうに訊いた。
「さうだよ。」
バリモアは真面目くさつて答へた。
「象と蚊との違ひだな。こいつは難題だ。」
皆は小首をかしげて考へ込んでゐたが、誰一人この謎をうまく解くものはなかつた。
「わからんかね。」バリモアはのつそりこの部屋を出ようとして、皆を尻目にかけながらいつた。「違つてるのはその恰好だよ。」
金曜日
5・9
東京日日(夕)
アメリカのある機械工場の調査によると、機械のいろんな故障は、ほゞ
電気と瓦斯
5・10
東京日日(夕)
女優バリモアが、ある時自分の娘の縮れつ毛にブラシをかけてゐた。今時若い女親といへば、自分の髪へ手をやる事は知つてゐても、娘の頭に気をつけてやらうといふ心がけのものは少いなかに、女優でゐてそんな真似をするバリモアのやうなのは感心しておいていい。
幾度か癖直しをしてゐるうちに、髪にあてたブラシからぴちぴち音がするのを聞きつけた娘はびつくりして聞いた。
「なんの音なの、今の……」
「あなたの髪の毛から電気が起きた、その音なの。」
女優は訳を説明してきかせた。かろくうなづきながらそれを聞いてゐた小娘は、
「だつて、をかしいわ。」と、だしぬけに大声で笑ひ出した。「ほら、私の髪の毛には電気があるでせう、そして
お祖母さんのお腹に何が溜つてゐようと、そんな事は問題にしなくともいゝが、娘はやがて自分の胸のうちに火が燃えてゐるのにびつくりしなければならぬ時節が来る。
恋と死
5・12
東京日日(夕)
恋か、死か。――これは人間にとつての問題であるのみならず、また植物にとつても苦労の種たるを失はない。マアテルリンクの花に関する論文を読んだものは知つてゐるだらうが、水草にワリスネリアといふのがある。花に雄花と雌花とがあつて、雌花は持前の長い長い茎を精一杯にのばして、沼の深みから水面にまで花を浮び揚らせるが、気の毒な事に雄花にはそんなに長い茎が与へられてゐない。雄花の煩悶はこゝにある。彼は自分の花粉を花の
長命
5・13
東京日日(夕)
近ごろ農村の子女で、都会入りをするものがだんだん殖えるので、農村問題がだいぶ
虎老と婦人
5・14
東京日日(夕)
いつだつたか、アメリカの旅人が三四人、パリーで、かねて顔なじみのクレマンソーと会食をしたことがあつた。アメリカ人の一人が何かの事件で、その友達にむかつて、
「それについて私は賭をしてもいゝと思ひます。もしかあの婦人が……」
といひかけると、
「なに賭をするつて。それは無駄ですよ、婦人のするどんな事にでも、賭をするなんて。君は婦人がどんなことを
「いや。」アメリカ人は笑ひながらいつた。「あなたの御意見は少し早すぎましたね。私はその婦人が途方もないことを仕でかすだらうと思つて、その方に賭けようと思つてるんです。」
「さあ。それにしたつて……」クレマンソーは石のやうに堅い頭を横に振つた。「婦人のすることに賭をするなんて、決して安全な仕方ぢやない。」
クレマンソーの
妻の誕生日
5・15
東京日日(夕)
ニユーヨークにプリンストン出の若い銀行家があつた。あらゆる亭主といふ亭主は女房からことづかつた手紙を、外套のポケツトに入れたまゝ、得てして郵便
それに気がつくと、銀行家ははつとした。
「困つたな、どういつて胡麻化したものかな。」
銀行家はちよつと立ちどまつて思案したが、その瞬間宝石のやうないゝ考へが頭のなかに光つたので、落ちつき払つて
暫くすると、
「これあ大変だ、今日はお前の誕生日だから、お祝ひの菓子を買つて来て、
さういつて、銀行家は狗をたづねるやうに、わざと食卓の下をのぞいて見た。
「まあ、さうなの。」
若い銀行家は、その瞬間自分の顔が埃だらけになつたやうに思つた。
頬ひげ
5・16
東京日日(夕)
バアナアード・シヨウの『シイザアとクレオパトラ』を読んだ人は、その二幕目でシイザアに
「あなた、お禿さんね、それでお冠で隠してるの。」
と冷かすと、少してれたシイザアが気むづかしい顔をして、
「征服者のしるしだよ。」
と、ちよつと威張つて見せるが、そんな事に
「あなた、お
と、ふざける
「まあ、あなたお禿さんね。」
と、折角隠してゐた頭を見つけられては、あんまりいい気持ちがしないに相違ない。
米国の前大統領ウイルソンはあの通りの
「ウイルソン君、君の右の頬鬚は、左よかちよつとみじかいやうだね。」
それを聞くと、ウイルソンは急にしよげかへつた。そして家へ帰るなり、片ちんばの頬鬚をそり落としてしまつた。
呉昌碩
5・17
東京日日(夕)
近ごろ支那趣味の流行につれて、いろんな美術工芸品が、あちらから海を越えて渡つて来てゐる。
一二年
題字の承諾を得た呉服屋の支配人は、にこ/\もので持参の風呂敷包を広げだした。
「これは今度の会で一番新しい出来ださうに承まはつてをります。老先生の御内見を得ましたなら、呉翁もどんなにおよろこびでせう。」
鉄斎老人のつんぼなのを知つてゐる支配人は、
支配人が帰つてゆくと、その後姿を見おくつた老人は、
「ぼろいことをするなあ。」
と、
「あんな画で高い金がとれるのやつたら、
誰に遠慮のない鉄斎老人は、時々かうした
顔
5・19
東京日日(夕)
自然の技巧のづばぬけて偉大に、多種多様なのを味ははうとするには、何よりも人間の顔を見るのが
これはひとり人間の顔にかぎつた事ではない。
句読点*
5・20
東京日日(夕)
国字問題を解決するために、新聞社が先に立つて、漢字制限の試みをはじめたのは、何よりもいゝことである。だが、新聞の記事にそれを試みようとするならば、それよりも先に、句読点のきり方を正確にする必要がある。さもないと、読者は漢字制限によつて、かへつて文章が読みにくく、わかりにくくなつたのに苦しむだらうから。
四五年前になくなつたヒラヂルヒアの法律家にジヨン・ジイ・ジヨンソンといふ男があつた。いつだつたか、法廷に立つてある重罪犯人を弁護するとき、この法律家は裁判長の方にふり向きざま、いつものやうに重くるしい口ぶりで、
「私の調べたかぎりでは、この被告は閣下のおとりになるやうな、そんなだいそれた悪漢ではありませんといふことを申し上げたいのです。」
といふ意味のことを言はうとして、
“This man on trial is not so great a scoundrel as Your Honour”
といつて言葉をきつて、暫く黙つたまゝ目玉をぱちくりさせてゐた。それを聞いた皆のものは、どよみをうつて高く笑ひ出した。するとジヨンソンはさも満足したらしく、わざと落ちつきはらつて、
“takes him to be.”
と一句をつけ足して、静かに席についた。
それを聞くと、裁判長も黙つてはゐなかつた。
「ジヨンソン君に一言御忠告するが、今後は言葉と言葉との間を、出来るだけくつゝけていはれる様に願ひたいものだと。」
無差別
5・21
東京日日(夕)
このごろ、私の客間の床には
「変な字ですな、何だつてこんなものをかけてるんです。」
と、さも私がもののわからないのを気の毒がるやうな口をきいた。
「まづいかね。実は寂厳なんだが。」
私は答へた。
「寂厳といふと……」
K氏はスペインの小説家の名前でも聞かされたやうに、変な顔をした。
「書道の方からは、五合庵の良寛と一緒にいはれる坊さんですよ。」
「へえ、良寛と一緒に……」
客はかねてから評判を聞いてゐる良寛の名をいはれたので、また考へなほしたらしかつた。
「なるほど、さう聞いてみると、どこかにいゝところがありますね。」
といくらか慌て気味の目で読みにくい文字を追つてゐたが、やがてまたひとり言のやうにいひ足した。
「いかさま、これはなかなかの書き手ですな。」
画家のホイツスラアが、ある時友達にたのまれて、その
「君、大変だよ、いやになつちまふね、僕の
「知つてるよ。だが、静かにしたまへ。」ホイツスラアは押へるやうな手つきをした。「さかさまにかけたのは僕なんだよ。でも、こなひだ
島
5・22
東京日日(夕)
諧謔作家マアク・トヱンが、ある時ヨツトに乗つて航游してゐたことがあつた。波の荒い日で、さすがの諧謔作家も青い顔をして、何一つ物をいはないで、
食堂のボウイは心配して、主人の顔をのぞき込むやうにして訊いた。
「大分お苦しさうですが、何かもつてまゐりませうか。」
「さうだね。」諧謔作家は
両手の使分け
5・23
東京日日(夕)
むかし葛飾北斎の弟子に、蹄斎北馬といふ画家があつた。後に谷
「ほう。お前は右手が
と訊くと、北馬は自分は旧師の北斎には少からず厄介になつてゐるので、その方の用事をするには右手を使ふが、文晁先生のためには、かうして左手で御用を足すことにきめてゐると答へたので、文晁もさすがにその心遣ひの細かいのと器用なのとに感心したと言ふ話しがある。
それは両手の使ひわけだが、アメリカのチヤアルス・シユワツブは人一倍器用な
安息日
5・24
東京日日(夕)
今日は日曜日だ、おまけに雨がふつてゐる。何をしてくらしたものか知ら。
日曜日だつて滅多なことをしてはならない。一六七〇年のむかし――といふと、今から二百五十五年以前のことだが、その年の春ボストンのある船長が、三箇年の長い航海から久しぶりに自宅に帰つて来た。そして
みだらな不行跡な振る舞は安息日を
日は長し、雨はふる。寝椅子にもたれて、居眠りでもするかな。
つんぼ
5・26
東京日日(夕)
アメリカの Santa Fe 鉄道の社長エドワアド・ペイスン・リプレイ氏が、ある時
人物試験をした支配人は、ふくれつ
「何をおさせになるんですか。あの男には雷の音だつて聞こえやしませんよ。」
「それは承知してゐる。」社長は落ちつき払つて答へた。「あの男を旅客接待係にして、いろんな苦情を聞かせなさい。」
社長といふものは、さすがに考へのあるものだ。
蟋蟀をふかす
5・27
東京日日(夕)
「君は
シガアをふかしてゐる紳士に向かつて、こんなことをいつたら、定めし変な顔をするだらうが、しかし一応シガアといふ言葉の語源を詮索したなら、
「なるほど僕の
と誰もが納得しないわけにゆかなくなるだらう。
スペイン人がキユバ島から自分の本国へたばこをもつて帰つたのは、十六世紀のことで、
“Cigarrales”
といつてゐる。彼れ等は出来たたばこの葉を西印度で印度人に教へられたやうに、
「この Cigar は
といふ風になつてゐたところから、シガアが
“Cigarral”がなぜ後園といふ意味をもつてゐるかといふと、一体スペインには蟋蟀がざらにゐる。蟋蟀を“Cigarra”といふところから、「蟋蟀の鳴いてゐる場所」といふ意味で“Cigarral”が用ひられてゐるのだ。だから葉巻をふかしてゐる紳士は、言葉の上では蟋蟀をくはへてゐることになるのだ。
蜘蛛
5・28
東京日日(夕)
小説家マアク・トヱンが、新聞紙を発行してゐたころ、読者の一
小説家はすぐに返事をしたためた。文句は次ぎのやうに。
「愛する購読者よ。
お宅の新聞紙の上にのつてゐた蜘蛛は、幸運のしるしでも悪運のしるしでもありません。蜘蛛はただどんな商人が、新聞紙に広告してゐないかをよく見定めておいて、その店の入 り口 に網を張らうとしてゐたに過ぎません。」
お宅の新聞紙の上にのつてゐた蜘蛛は、幸運のしるしでも悪運のしるしでもありません。蜘蛛はただどんな商人が、新聞紙に広告してゐないかをよく見定めておいて、その店の
衝突予防法
5・29
東京日日(夕)
いつだつたかアメリカに鉄道首脳者の会議が開かれて、その席上で、どうしたら鉄道事故を一番よく防ぐことが出来るかといふことが議論されたことがあつた。その席上に、西部のちつぽけな鉄道の社長をつとめてゐるカアタアといふ男の顔もみられた。
「カアタア君。」会議の議長はその男の名を呼んだ。「あなたの方の鉄道では、汽車の衝突を予防なさるのに、何かいゝ方法をお執りになつてゐますか。」
「はい。」小鉄道の社長はいつた。「私どもの鉄道では、つひぞ衝突といふことがございませんでした。実際衝突といふことは不可能なんですからね。」
「衝突が不可能ですつて。少し御吹聴が過ぎはしませんか。」
議長は苦い顔をしていつた。
「いや、文字通りに全く不可能なんです。」
「どうしてそんな広言が吐けますか。」
議長はおこつたやうな調子でいつた。四十人の鉄道首脳者は、いひ合せたやうに、カアタアの顔に皮肉な目を投げた。
「それは至極簡単ですよ。」小鉄道の社長は平気で答へた。「われわれの会社には、一列車しか運転してないんですから。」
三つの中
5・30
東京日日(夕)
ある男が、アンドリウ・カアネギイにきいたことがあつた。
「労働と、資本と、頭脳と――この三つの要素のうちで、あなたはどれが一番事業に必要だとお考へになりますか。」
「さればさ。それをお答へする前に、一応君にたづねておきたいのは――」千万長者は、財布から金貨をかぞへるやうに、ぽつりぽつりとものをいつた。「君は三脚器のなかでどの脚を一番必要だと考へるかね。」
大男*
5・31
東京日日(夕)
いつだつたか、アメリカの前大統領タフト氏が、ある婦人の社交団体に招待されたことがあつた。司会者はこの大男を皆にひき合はすのに、
「歴代の大統領のなかで、一番人に愛されたタフト閣下です。」
といつて挨拶した。どんな場合にも黙つてはゐられないこの大男は、それを聞くと、のつそり立ち上がつた。そしていつた。
「歴代のうちで私は一番愛されたかどうかは存じませんが、ただ私が一番よく
匿名の作
6・1
文芸春秋
匿名で議論をするといふ人は、たまにはあるが、匿名で創作をするといふ人は滅多に見られなくなつた。早く名前を売り込むといふことが、何かにつけて都合がいいからに相違ない。
匿名といへば、Mark Twain がある月刊雑誌に、匿名でもつて“Joan of Arc”の続き物を書いてゐるときのことだつた。この滑稽作家はある晩何かの会合で、その頃雄弁な法律家として評判の高かつた Chauncey M. Depew と一緒になつたことがあつた。小説家は自分の創作の世間受けを聞きたく思つて、法律家に話しかけた。
「デピウさん、あなたは小説なぞ一向お読みにならないでせうね。お商売違ひですから。」
「いいえ、読みますとも。小説は何よりも好きでさ。」法律家は愛想よく答へた。
「でも、まさか“Joan of Arc”はお読みになつてないでせうね、***雑誌に載つてる続き物の――」滑稽作家は真面目くさつて訊いた。「あれは確か匿名でしたつけ。」
「いや、読んでますとも、毎号欠かさずに。」法律家は言つた。
「ぢや、あれについてどうお考へです。」作家はわざと平気を装ひながら訊いた。「どこかいいところがありますかしら。」
「いいところがあるかと、お訊きになるんですか。」法律家はさも困つたやうに言つた。「それを僕に訊かれるのは迷惑至極ですよ。」
「と言ふと……」滑稽作者は不思議さうに眼を光らせた。
「でも君、あれを書いてるのは僕なんだものね。」法律家は
滑稽作家はだしぬけに鼻でもつままれたやうに変な顔をした。言ふまでもなく法律家は、この小説の作者が Mark Twain であることは、とつくに感付いてゐたのだ。
鶏
6・2
東京日日(夕)
渡り鳥は、時季が来るとそれぞれ目指す土地へと旅立つて
一ところに長く住まつてゐると、どこかに移つてみたくなるのは、誰でもが心のどこかにもつてゐるあくがれであるが、ニユー・イングランドの農夫に、この漂泊性を多分にもち合せた男があつた。
「おや、また
「ええ、さうなんでございます。」農夫はすなほに答へた。
「お前達はそれでいゝかもしれないが――」牧師はそこらをあさりまはつてゐる


「迷惑至極だとおつしやるんですか。旦那さま、まあ暫く見てゐて下さい。」農夫はかういつて表通りの
牧師は聖書にも書いてないやうな奇蹟を見せられて、黙つて帰つていつた。
離れ島
6・3
東京日日(夕)
郵便物の通ふかぎりに於て、世界で一番遠い土地はどこだと訊いたところで、誰だつておいそれとすぐには返事が出来なからう。私だつて今日までつひぞ聞いたことのない名前だが、それは南大西洋の真ン中にある
Tristan da Cunha
といふ島だとのことである。そこに住んでゐる婦人から、ロンドンにゐる友達へあてた手紙がちやうど二年越しのこのごろ英国に到着したさうである。手紙のなかには都合がついたらコツプと皿とを幾つかづつ送つてほしい。島にはみんなで一ダース足らずしかないのだからと書いてあつたさうだ。シルエツト
6・4
東京日日(夕)
水野越前の天保の大改革は、思ふほどの効果があげられなかつたが、フランスにも一七五九年ごろ水野にもおとらないほどのやかましい倹約家が、時の政府の
ある日、若い画家の一人は、
「かう倹約倹約つて、
と、ぼやきながら、そこへたづねて来た女友だちの一人を、日あたりの椅子に掛けさせた。そして、
「色絵具なしにあなたを
といひ/\、女の横顔を板にかたどつて、それを墨でもつてやけに塗りくつたものだ。真黒な横顔の絵が出来上がると、画家はそれを女友達の前におつぽり出した。
「さあ、これが絵具代なしに出来たあなたの肖像画さ。やかましやの蔵相閣下のお名前でもつけておくんだね。」
彼れ等は言葉通りにさうした。蔵相の名前は、
Etienne de Silhouette
といつた。半面影像をシルエツトといふのは、これから初まつたのである。珍草
6・5
東京日日(夕)
ニユーヨークに
ある日、近ごろ懇意にしはじめた
「まあ、結構な温室ですこと。花といふ花はすつかりおありのやうですね……」お客は何か珍らしい草でも探すやうにそこらを見まはしてゐたが、「奥様、“
「はあ、あの花ですか。」温室の持ち主は、ぬからぬ顔ですぐ返事をした。「わたしあれを一鉢もつてましたけれど、牧師さんにあげちやつたのよ。春になるとほんたうに美しい花が咲くのね。」
お客が帰つたあとで、女主人はすぐにラテン語の辞書をさがし出した。(辞書といふものは、
辞書には「セプテンニス・プソリアアジス」は七
神聖な名前
6・6
東京日日(夕)
こなひだ、神戸のあるミツシヨン・スクウルで、頭のはげかかつた牧師が、受け持ちの聖書の講義をしてゐるときのことだつた。牧師は丁重な口ぶりで聖母マリヤと予言者ヨハネのことを話した。その朝
「ここで一寸皆さんにお願ひするのは、犬の名前にジヨンを、猫の名前にメリイをつけることだけは、どうか遠慮してもらひたい。あまりに勿体ないことですからね。」
といつて、とつてつけたやうにちよつとおじぎをした。牧師はたふとい方々のお名前のために、学生や家主やに頭をさげるのは、一種の殉難であるやうなほこりをもつてゐた。
その晩牧師は一人で下山手通りをあるいてゐると、自分の学生の一人が毛のもじやもじやした犬をつれてゐるのに出くはした。人のいい牧師は立ちどまつてお
「いゝ犬ですね、何といふ名前です。」
「エスです。」学生はぶつきらぼうにいつた。
「エス?」牧師は自分の耳を疑ふやうに、目を一杯に見開いた。平和な顔は泣き出しさうな表情に変つて来た。「エス! それでは救世主とおなじ名前ぢやありませんか。あまりに御勿体ない。」
学生は返事に困つた。で、一寸お
牧師よ、犬が救世主とよく似た名前だつたところで、あまり心を痛めなくともいゝ。ニユートンの
いちご畑
6・7
東京日日(夕)
世の中に新聞記者ほど、無謀な訪問客はまたとなからうと思はれる。もしかキリストが復活して、東京の町へは
今は亡き人の、新聞王ノースクリツフ卿を訪問した若い新聞記者があつた。この新聞王から何かしら種を得ようとするものは、若い新聞記者より外にはない筈である。何かにつけて、若いうちは勇気のあるものである。
「私は君も知つてる通り、いろんな新聞雑誌に関係してゐて、ゆつくり君たちにお目にかかる暇はないんだがね。」この新聞王は無謀な雀のやうな
ある教会の牧師の妻が小さい幼稚園をやつてゐた。ある日のこと、牧師の妻は子供達を園庭に集めて、
「けふはめづらしくおいしいものをあげるよ。」
といつて、
「なんだ、苺のジヤムか。めづらしくもないや。
新聞王はこゝまで話して、さて若い新聞記者にいつた。
「ね、わかつたらう。私もその苺畑に働いてる一人なんだよ。」
厄介な訪問客
6・9
東京日日(夕)
先輩と見れば、誰によらずたづねて来て、議論をふきかける訪問客ほどうるさいものは、滅多にないといつていゝ。
ある時名高い神学者のヘンリー・ビーイチヤアをたづねて来た男があつた。
「先生、私は進化論者ですが、
「そいつは大問題ですな。」
この神学者は、あたりさはりのない返事をした。
「私はまた霊魂寂滅論者なんです。私の死ぬる時が、私の持つてる一切のものの終りだといふのが私の信条であります。それについて――」
訪問客が何かいひつがうとするのを、神学者は手でおさへるやうにしてとめた。
「してみると、さういふ御議論も、あなたの死と一緒に消滅するんですか。」
「ま、そんなものでせう。」
「それは結構ですな。そんな結構なことはありませんよ。」
神学者はかういひすてて、にやにや笑ひながら、客を一人残したまゝ、応接間を出ていつた。
支那問題
6・10
東京日日(夕)
田中大将が、軍服を背広服に着かへて政友会には
「閣下。」その男は息をはずませながらいつた。「たつた今グリイブス提督が、背広服で市内をあるいてゐるのをお見かけしました。何だつてあんな変装なんかなさるんでせう。」
「さうか。」海軍大臣はとつくにその
「支那問題ですつて。」
その男は聞き耳を立てた。いち早く国際問題を嗅ぎつけたら、たんまり金の儲かるすべを知つてゐたからだ。
「さうだ、支那問題だよ。」海軍大臣は真面目くさつて答へた。「提督の制服は、支那人の洗濯屋にやつたまゝ今朝までにかへつてこなかつたんだからの。」
長い名
6・11
東京日日(夕)
日本では、長い名の代表者といへば、百人一首に出てゐる法性寺入道といふことになつてゐるが、アメリカにはもつと長い名の男がゐる。
この男が公債を買ひにシカゴの銀行に行つたことがあつた。お名前をといふことになつて、この男が自分の名前をいふと、四人もゐた銀行の係が、皆あつけにとられて、ペンを投げてしまつた。で、その男は自分で記名した。それによるとつゞりはかうだつた。
“Gust J. Papatheodoropoumoundurgiotomicha'akopou'os,”
弁護士より俳優
6・12
東京日日(夕)
アメリカの俳優ウルフ・ホツパアが、ある時知り合ひの男の
法廷に入つて来たホツパアの姿を見ると、反対側の弁護士はすぐ呼びかけて訊いた。
「ホツパア氏にお尋ねするが、あなたの職業は俳優でしたね。」
「さうです。」
俳優は弁護士のきざな鼻眼鏡を見ながらいつた。
「俳優といふと、――」弁護士は横柄にひとりごとのやうにいつた。「どちらかといふと、お客まかせの不安心な職業ですな。」
「さうかも知れません。」俳優は他人のことでも噂をする様に答へた。「ですが、私の
「お父さんの職業は何でしたか。」弁護士は聞かでもの事にまで口を出した。
「弁護士でしたよ。」
俳優は落ちつき払つて返事をした。
手紙
6・13
東京日日(夕)
今日大阪の××町にある美術書画屋の前を通ると、夏目漱石の手紙が五六通売物として店先にならべられてあるのを見た。もと東京のある新聞社の幹部にゐた人にあてた私信で、それをこの店に売り払つたのも、どうやらその人らしく思はれた。
よしそれが名高い小説家だつたにしたところで、その人が原稿料を受けとつたとか、風をひいて咳が出てこまるとかいつたやうなつまらぬ事を書きつけた手紙を、大事さうに残しておく人の気持ちは、私たちには一寸わかりさうにもない。手紙が一つ一つ保存されるものと知つたら、どんな人だつてあまり
チヤアルス・デイツケンスは、死ぬる少し前にガツヅヒルの花園で
千利休と茶をあらそつた山科
「風雅は身とともに終るものだ。」
といつて、程なくなくなつたさうである。
なつかしいのは、かういふ人である。
女とダイヤ
6・14
東京日日(夕)
いつだつたか、近松秋江氏は、大阪の町で帯がはりに、金ぐさりをぐるぐる巻きに腰に巻きつけてゐる男を見たといふことだ。
私はまた二三年
「こんな女は、もしかすると、
見てゐるうち、私はこんなことまで思はせられたことがあつた。
E. T. Stotesbury 夫人といへば、アメリカでも聞こえた宝石好きの女だが、この夫人がいつだつたか、すばらしく立派なダイヤモンドを幾つとなく身につけて、ある会合に出かけた事があつた。それに見とれてゐた来客のうちのある無作法な男は、少し離れて夫人の
「だしぬけに変なことをおききしますが、奥様のつけていらつしやるあのダイヤですね、あれはみんな本物でござんすかえ。」
「いや、みんな
女の見わけ
6・16
東京日日(夕)
すべて女とさし向かひで話しをする場合には、男といふ男は得てして自分を利発な、賢い人間だと相手に思はせようとするものだが、女は男がどんな利発な目付をしてゐようと、それが自分に関係のないうちは、そんなものに少しも気をひかれることではない。男の目が自分の美しさに見とれてゐるなと気がついた瞬間、初めて相手の男を利発な、目の高い人間として認めるやうになるものだ。
ついこなひだの事、アメリカの南の方のある大きなホテルで、ところの貴婦人の一人と、ある田舎政治家とが、円いテーブルにさし向かひになつてた事があつた。婦人が心安だてからテーブルの上にのしかゝるやうにしてべちやくちや話すのを、男は時々うなづく振りを見せながら、黙つてそれを聞いてゐた。
しばらくすると、婦人は一寸言葉を切つて、こんな事をいひ出した。
「こんなにさし向かひでゐてあなたのお顔を見てると、もとの大統領のウイルソンさんの眼つきを思ひ出しますわ。わたしあの方のお家庭とごくお親しくしてゐたもんですからね。」
「ウイルソンさんの眼つきですつて。」田舎政治家はくすぐつたさうな表情をした。「御冗談でせう、そんなにからかふものぢやありませんよ。」
「ちつとも、あなたにからかひなぞしませんわ。」老婦人は皮肉な口ぶりでいつた。「ウイルソンさんと来たら、女の美しさなぞてんでわからなかつた方ですからね。」
傘
6・17
東京日日(夕)
仕事にかまけて、いつもいそがしい、いそがしいで、一日かけづりまはつてゐるアメリカ人は、ステツキ一本を小腋にかかへる事すら、おつくうがるさうだが、フランス人は雨が降りさうにもないのに、蝙蝠傘をもちあるく事が好きな国民である。
アメリカに以前
フランス語
6・18
東京日日(夕)
神戸の郵便局につとめてゐた官吏で、本省に転勤を命ぜられたので、家をまとめて東京に引越したのがあつた。そこに三ちやんといふ、五つ六つのいたづら盛りの男の子があつた。三ちやんは神戸では町内きつての腕白であつた。
三ちやんは、東京でもすぐ町内にあそび仲間をめつけることが出来た。仲間の一人は三ちやんにたづねた。
「三ちやん、君どこから来たんだい。」
「神戸から。」
三ちやんは、神戸の名をよぶことに、ある誇りをもつて答へた。
「神戸?」鼻つたらしの町内の腕白太郎は、不思議さうに目をぱちくりさせて、
「知らない。」文ちやんは夏蜜柑のやうに中味の小さかりさうな頭をふつた。「きつとロシアだよ。」
「きつとロシアだよ。」と一口に神戸をいひ消されてしまつた三ちやんは、折角の生まれ故郷に自信がもてなくなつたかして、それ以来仲間とあそぶのに、いつも
アメリカの下院議員で、友達と一緒にフランスを漫遊してかへつたのがあつた。最近その男が、ワシントンで何かの会合で、駐米仏国大使に出会つたことがあつた。
その下院議員は、旅行中におぼえた片言のフランス語が使つてみたくてたまらなかつたらしく、大使を見るといきなり話しだした。
“Taka-er-eska voo voo-ly-! mean-er-passy-moi, Sill voo Play-er-”
それを聞くと、仏国大使はやにはにそばへ寄つて来て、議員の肩に手をかけた。そしてアメリカ人にも
「ねえ、君、お願ひだから、君のフランス語をやめていたゞきたい。
物は言ひやう
6・19
東京日日(夕)
ロイド・ジヨージ氏が、ある時潮のやうな大勢の聴衆を前に、演壇に立つたことがあつた。樫の実のやうな小粒で堅さうな氏の姿が見えると、聴衆の一人がきい/\した声をはり上げてさけんだ。
「アイルランド自治案はどうするつもりだ。きつと持ち出してくれるんだらうな。」
それを聞くと、ロイド・ジヨージ氏は、いきなり声を高めて、
“I will”
と怒鳴つた。すると聴衆の半分方は、うれしくてたまらないやうに、どよみを打つて喝采した。騒ぎがしづまると、氏はまた言葉をついで、
“not”
と一語をつけ足した。それを聞くと、聴衆の残りの半分は、一度に手を打つてよろこんだ。演壇の上からこの光景を見おろしてゐたこの政治家は、やがてまた口を開いて、
“tell you.”
と叫んで、きつと口を結んだ。すると、今度は演壇をとりまく総ての聴衆が、一緒になつて手を拍ち、足を踏みならして喝采をつゞけたさうだ。
犬養木堂は、自分の政友会入りを
「おれも老いぼれて、おまけに金がないもんだで……」
といつたさうだが、そんなことをいはなければならないとしても、も少しいひやうがあつたらうと思はれる。
七十の手習
6・20
東京日日(夕)
近ごろスポーツが盛んになつて、男も女もそれに熱中するやうになつたのはよろこばしいことだが、若い時には勉強しなければならず、勉強がすんだら稼がなければならない人達にとつては、スポーツはまた晩年の道楽でもあるやうだ。
ニユーヨークのすぐれた財政家として知られてゐるジヨオジ・ベイカア氏は、若い時からいそがしいづめで、七十になるまでは運動らしい運動をしたことはなかつたが、その年になつて初めてゴルフをしだした。そしておなじ年からまたシガアを吹かすことをも初めたさうだ。それまではたばこを吸ふひまさへなかつたのだといふことである。
老博士と蛙
6・21
東京日日(夕)
このごろ夕方になると、庭の植込みの隅から、懐疑哲学者の
ダーウイニズムを祖述する理学博士I氏が、ある晩のこと、
老博士の目は、蟇蛙にひきつけられた。見ると、この懐疑哲学者は、やきもち焼きの女房と
「
老博士はかういつて、薬棚からヨードホルムの壜を取出して来た。そして丁寧にそれを
「さ、これですぐ
といひながら、手に載せた蟇蛙を地べたに下さうとしたが、急に声を落とし、人間に立聞きされるのを気遣ふやうに、そつとその怪我人に
「
蟇蛙は老博士の手を離れて、やつとこなと庭石の上に飛び下りた。そしてこちらに振り向きざま、いつもの癖で口をへの字にへし曲げて苦笑した。博士はふとその顔がダーウイン先生に似てゐるやうに思つた。
女学者
6・23
東京日日(夕)
“Blue stocking”といへば、人はすぐ女学者の事だと思ふに相違ないが、それに相違はないとして、その評判の青い靴下を
一七五〇年ごろ、ロンドンで趣味と知識とをもとめてゐた少数の婦人達が、そのころの名高い文学者たちにまじつて、談話会を開いてゐたことがあつた。この人達の仲間にベンヂヤミン・スチリングフリイトといふ博物学者がゐたが、この人はいつもきまつたやうに青い靴下をはいてゐた。すばらしい話し上手で、この人が差し支へあつて出てこなかつた日は、会はさびしくて何だかもの足りない気持ちがした。そんな折には、誰がいひ出したといふことなく、
「青靴下がゐなくつちや、どうにもしやうがない。」と、皆のものがいひ合ふやうになつた。それがもとになつて、かうした社交談話会を「ブリユー・ストツキング・クラブ」と呼ぶやうになり、そんなところへしげ/\出入りをする婦人達をも、おなじやうな名前で呼ぶやうになつたのである。
歯医者
6・24
東京日日(夕)
いろんな国の人たちを、自分の得意にもつてゐたイギリス生まれの歯医者があつた。気がついてみると、歯の治療を頼みに来るのに、国によつてそれ/″\その頼み方が違つてゐるのがをかしかつた。勘定高いドイツ人はいつもかういつた。
「治療代はいくらかかりますかね。」
お洒落が好きなフランス人は次ぎのやうにいつた。
「治した上で、顔がみつともなくなりはしますまいか。」
せつかちなアメリカ人は、十人が十人、きまつたやうに訊いた。
「手術は何日位かかりますね。」
スヱーデン人は、
「ひどく痛みはしますまいか。」
オランダ人の多くは、
「歯を繕つた気持ちは、ちよつといゝものですな。」
といつた。
その中で、イギリス人だけは、何一つ訊かないで、だまつて手術台の上に腰をおろして、そして何一つものをいはないで、
そして日本人はどうだらう。何事にも負け惜しみの強い日本人は、こんな場合にも心の落ちつきをみせびらかさうとして、歯医者が自分の専門外のことはうるさがるのをもかまはないで、平気で
結婚**
6・25
東京日日(夕)
二度以上も結婚式を挙げなければならなかつたやうな男は、きつと自分が結婚なんていふものに、ふさはしく出来てゐない、天成の男やもめだといふことに思ひあたるに相違ないといふが、四五年前アメリカには、ドリユウといふ八十二の爺さんとミユアといふ七十六の
また、博士マリイ・スペンサーといふ婦人は、四十四で十一度目の結婚をしたといふことで、世間に名前を知られてゐる。何でも初婚は十五歳の春だつたといふことに聞いてゐる。
ずるい女は、後妻に
大男**
6・26
東京日日(夕)
体育がさかんに唱道せられるやうになつてこのかた、青年学生の体格がよほどよくなつたのは、あらそへない事実だが、それでも昔の人と今の人とをくらべてみると、やはり昔の方が大きかつたらしく思はれる。
むかしのヒンヅウ人は、今の人たちが馬に乗る折りのやうに象の背にまたがつて、長い足をぶらりと両わきにぶらさげてゐたといふから、身のたけは随分あつたものと思はれる。
そのむかし、トロイ城の包囲に、ギリシアの英雄が投げ飛ばしたといふ岩石が今だに残つてゐるが、今のギリシア人にはとても手におへさうにない。日本でも大阪城の城壁に後藤又兵衛と薄田
イギリスでも、エリザベス
首実検
6・27
東京日日(夕)
師範学校の二部生の試験答案に、坪内逍遙とは、坪のなかをぶら/\歩くこと、樋口一葉とは、憲政会でちやきちやきの代議士だといふのがあつたといつて、
いつだつたか、私は道頓堀の中座で鴈治郎の「盛綱首実検」を見てゐたことがあつた。隣り桟敷にはある大会社の支配人格で、慶応出の秀才だと評判をとつたことのある老紳士と、その部下の若い男とが座つてゐた。「首実検」の幕がしまると、老紳士は暫く考へてゐたが、やがて、
「この芝居は筋がこみ入つてゐて、僕には、一寸のみこみがつきかねる。」
と
「さうですね、こみいつてはゐますが、割合にわかりいゝ筋ですよ。」
といつて、その仕組みの荒筋を説明しにかゝつた。聞くともなしに、それを聞いてゐると、若い男の話してゐるのは、盛綱の首実検ではなくて、寺子屋の松王の首実検であつた。でも、聞いてゐる方では、それで今見たばかしの舞台面がすつかりのみこみがついたらしく、
「さうか、さう聞いてみると、なか/\おもしろく出来てゐる。傑作なんだらうね。」
と、満足した顔付きに見えたのもをかしかつた。
俳優にしても、こんな見物がだん/\殖えるやうでは、大袈裟な泣き笑ひでも投げつけなくては、腹の虫がをさまりかねるに相違ない。
物知らず
6・28
東京日日(夕)
京都大学の英文科のある学生が、なにがし教授のお伴をして、四条の南座に忠臣蔵の通し狂言を見たことがあつた。芝居がはねてからの帰りみちで、学生は教授にきいてみた。
「忠臣蔵つて、おもしろい芝居でございますね。いつたい、赤穂義士の
教授は自分が今通りかゝつてゐる祇園新地の町に
「ところは本所松坂町――といふぢやないか。」
と、わざ/\講釈師の口まねをして、その場をごまかしてしまつたさうだ。
アメリカ合衆国の標語に、
“E Pluribus Unum”
といふ言葉がある。それをニユーヨークのある女学校の高等科で、問題に出して答案を求めたところが、五十人の学生の中で、たつた四人しか答案を出さなかつた。その一
「
次ぎの一
「吾人は神に信頼す。」
といつたやうなものだつた。この答案は、そのまゝ知識階級の婦人達のある会合に持ち出されて、
「いくら何だつて、こんな馬鹿な答案があるもんですか。」
といつて、その人達の笑ひ草の種となつたものだ。すると、その会員の中で、一番正直さうな婦人が口を出して、
「ところで、皆さん、この言葉の本当の意味はどういふことなの、教へて下さらない。」
ときいた。それを聞くと、皆の顔が一度に桜んぼのやうに赤くなつた。
「やつぱし、吾人は神に信頼すでいゝんでせう。ね、皆さん、さうぢやなくつて。」
「私もさう思ふわ。」
といふやうなことで、皆はその解釈に賛成すると同時に、自分達が祖国の標語については何も知らないといふことを、おほつぴらに表白してしまつた。
この標語は、多くの独立した州が、寄つてたかつて一政府を
一流か三流か
6・30
東京日日(夕)
いつだつたか、アメリカのマサチユセツツで監督職の椅子があいて、いろんな人が候補者に立つてゐたが、そのなかで牧師フヰリツプス・ブルツクスが一番有力なやうに噂されてゐた。
そのころ、ある大学の神学部長をつとめてゐたロオレンスとハーバード大学の総長エリオツト博士が、つれ立つてあるきながら、この問題について談話をとりかはしてゐたことがあつた。
「あなたもブルツクスが選挙されるのに御賛成ですか。」
神学部長はかういつて大学総長の顔をのぞきこんだ。
「いや、私は別に賛成したくありません。」総長は重々しさうに答へた。「監督職なんて位置は二流か三流かの人物で充分ですからね。そんなところにブルツクスを推薦するのは、
選挙の結果は、皆の期待通りブルツクスがえらばれて、監督の椅子にすわることになつた。それから二三日して神学部長はエリオツト総長に出会つた。神学部長はさきの日の談話を思ひ出したので、
「あなたは確か、ブルツクスの当選するのをおよろこびぢやなかつた筈ですね。」
といつて挨拶した。すると大学総長はいつもの重々しさうな口調で、
「さうですよ。ですが、当人自身の希望なら仕方もありません。実をいふと――」といつて、急に声を落として、耳打ちでもするやうに話した。「私が推薦したかつたのは、ロオレンスさん、あなたでしたよ。」
それを聞いて神学部長は、腹の中で一流の人物気取りでゐるのに、いつの間にか背に三流の正札をはられてゐたのを見つけたやうに苦りきつた顔をした。
一食主義
7・1
東京日日(夕)
このごろ会社づとめの若い人たちのなかには、昼飯ぬきの二
ギリシアの昔では、貴族は一日一
磁石よりも女
7・2
東京日日(夕)
テキサスうまれのある若い百姓が、何かの縁で自動車王のヘンリー・フオードを知つてゐたので、その工場にたづねていつたことがあつた。
自動車王はすばらしく大袈裟なその工場を案内して見せたが、その途中、ある部屋に備へつけの磁石が目につくと、それをとりあげて若い田舎者に見せびらかした。
「この磁石は、三ポンド位の鉄塊だつたら、二尺余りのところからすぐ引寄せる力があるんだよ。こんなのは、どこへいつたつて滅多に見られやしないんだ。」
「さうでがすか。」若い田舎者は、それを聞いてぢつと考へてゐたが、畑から芋をほり出すやうに、ぽつりぽつりとゆつくりした口調でいひついだ。「しかし、
自動車王は、それを聞くと急に身内がパンクしたやうに、苦笑ひしながらそこに突つ立つてゐた。
間違ひ**
7・26
サンデー毎日
米国のもとの大統領タフト氏が、いつだつたか、ある小学校に講演を頼まれて出かけて往つたことがありました。
タフト氏は、幼い学校の生徒達が、象のやうにづばぬけて大きな図体をした自分を見、その自分の口よりお話しを聞くのをどんなにか喜ぶだらうかを想像しました。そして道々お話しの趣向を考へて、最後にそれに括りをつける一番短くて、一番力強い言葉を尋ねあぐんでゐるところへ、自動車は学校の前に来て、ぴたりと止まりました。
タフト氏は校長に導かれて、講堂に入らうとして、ふと見るとその入口の扉に
“Push”(押しなさい)
と書いてあるのを見つけました。
「いゝ言葉だ。」もとの大統領は、口の中でつぶやきました。そして今日のお話の括りをつけるのは、この言葉の外にはあるまいと思ひました。
タフト氏は、大きな図体を講壇に運びながら、にこやかな調子で、子供達のためになるお話を続けました。そして終りになると、一段と声を高めて、
「皆さん、私が只今まで申したことは
といつて、象の前脚のやうな大きな手を挙げて、入口の扉を指さしました。
生徒も、教師も、講堂に居合せた人達は、一度にふり向いて入口の扉を見ました。そして津浪のやうな笑ひ声がどつと講堂内に起こりました。扉には次ぎのやうに書いてありました。
“Pull”(引きなさい)
お蔭で、タフト氏のお話は、その図体のやうに、締めくくりのないものになつてしまひました。
STAR
7・26
サンデー毎日
ジエイムス・エム・バリイ氏といへば聞えた劇作家の一人ですが、ある日、某劇場でその脚本の舞台稽古があるといふので、仲のいい友達の一人と連れだつて、それを見に出かけました。
見てゐるうちに、舞台に立つてゐる女優二人の間に激しい喧嘩が起きました。それほどの女優が、その場面の中心になるかといふ問題で、二人とも一座の“Star”と呼ばれて光つてゐただけに、事は面倒でした。それに劇場の支配人が、ものずきにそばから油をかけて煽りつけるので、二人の女優は猿のやうに白い歯をむき出して、きいきい我鳴り立てました。
作者のバリイ氏は、見物席の枠に腰をおろして、両足をぶらさげながら、平気でそれを見てゐるので、そばにゐる友達は一人で気を揉みました。
「おい、君。困つたね。奴らは君の脚本をめちやめちやにしてしまふかもしれないぞ。何とか早く解決をつけてやらなくつちや。この場合それが出来るのは、君ばかしなんだからね。」
友達はかういつて、作者をつつ突いてみました。
バリイ氏は、しかつべらしく首を振りました。しかし眼は微笑してゐました。
「君も知つてるぢやないか。」この作者は小声で答へました。「神様は太陽と月とを支配することは、ただ一人にしか許されなかつたのだよ。その一人の方すら、星(Star)だけはうつちやつておかれたんだからな。」
老眼鏡
7・26
サンデー毎日
オランダの
「ばあや、お前の眼鏡大きく見えるのね。」
老女は胡椒をふりかけたやうな気むづかしい顔を少し柔げて答へました。
「はい、老眼鏡でございますから、いくらか大きく見えます。」
「さう。」と、女皇は初めていいことを発見したやうに頷かれました。「それぢや、お願ひだから、私の皿に御馳走を盛るときにはね、その眼鏡をはづして頂戴ね。」
三頭の驢馬
7・26
サンデー毎日
生意気盛りの学生といふものは、いたづらつ気の多いもので、得てして教師や目上の人にいろんな綽名をつけたり、からかつたりしてうれしがるものです。もしか教師や老人が見つからないときには、彼等は自分自身にふざけかかります。
あるとき、ハア

「アブラハム爺さん、お早うございます。」
「イサク爺さん、お早うございます。」
「ヤコブ爺さん、お早うございます。」
口々にかういつて挨拶をする若い学生達を、老人は黙つて見くらべてゐました。それを見て学生達は、そろそろ気味が悪くなつたらしく、目配せして逃げ出さうとするのを、老人は押へるやうにして、重い、
「わしはアブラハムでも、イサクでも、ヤコブでもない。わしはキシの伜のサウルぢや。わしは親父がなくした驢馬をさがしに出かけて来たのぢやが、やつと今三頭とも見つかつたわけぢや。」
学生達はその皮肉なサウル爺さんの挨拶に度胆をぬかれて、みんな驢馬のやうに
沙翁
7・26
サンデー毎日
これはロンドンのある中流の家庭に起きた大問題であります。登場人物は中年の銀行家と、その夫人との二人で、二人が口喧ましく争つてゐるのは、今日
二人は二時間ばかし、自分達の知つてゐる事と、知つてゐない事とをごつちやにして議論しました。やつと議論がつきたころ、夫人は興奮した赤い顔を両手でこすりあげながらいひました。
「いいわよ。私死んで天国へ往つたら、この問題は何とか片づけてみせるから。」
「死んでから、どうして……」
銀行家はびつくりして訊きました。
「わかつてるぢやありませんか。私天国でシエクスピアに会つて、訊くのだわ。」
「なるほどいい考へだ。」銀行家は沙翁が一目見たらほしがりさうな葉巻に火をつけながら、冷かすやうにいひました。「ところが、あひにくとシエクスピアは天国には居なからうて。」
「ぢや、地獄に居るとおつしやるの。」夫人は鶏のやうに鋭い声を立てました。「丁度いいわ。あなたが会つて聞くのに。」
鰐
7・26
サンデー毎日
ウヰルソンが米国大統領の椅子に坐つてゐた頃、毎日数限りなく押寄せて来る訪問客のなかに、ある日質素な身なりをしてゐる中年の婦人が
「あんたは、どんな用事でお出でだな。」
大統領は
「用事といつては、別にございませんが……」その婦人は平気で答へました。「わたくし遠いフロリダの田舎から参つたものでございますが、これまで生きてゐる大統領はまだ一度も見かけた事がございませんので、一度お目にかかりたいと存じまして……」
「それはどうも御丁寧に。」大統領は腹の底から笑ひこけました。「承はつてみるとそれも御尤ものやうだて。私たちの方では、生きてるわにが見たいばかりに、わざわざフロリダまで出かけるんだからね。」
かういつて、大統領は生きた雌わにを見るやうに、気味悪さうな眼つきをしてその婦人を眺めました。
閑
7・26
サンデー毎日
いつでしたか、米国の実業家が五六人、資本を出しあつて、ベスレヘムの鋼鉄会社を買収しようとして、その議を持主のチヤアルズ・シユワツブ氏に申込んだ事がありました。会社の価額は六千万ドルといふ事でした。
シユワツブ氏は、家に帰ると、早速その由を夫人に打ち明けました。
「先方の申出はかなり高い方だよ。」鋼鉄会社の持主は、鋼鉄製のやうな、そのしつかりした額で夫人の顔をのぞきました。「私の持物の半分はお前のものだから相談するんだが、お前の考へはどうだい。もしか売るとしたら、五朱に廻して、お前の収入は一ヶ月ざつと十万円にはなる。それだけあつたら、老後を送るには十分だとは思ふが……」
「さうね。」夫人は気が進まなささうに軽い溜息をつきました。「わたしそんな大金をいただいたつて別に何にもする事はないんだし、あなたはまたお仕事がなかつたら、お困りでせうしね。」
シユワツブ氏は、それを聞くと、初めて安心したやうににつこりしました。
枕
7・26
サンデー毎日
日本では寝るのに北枕を嫌ふ習慣がありますが、フランスの科学者のいふところによると、ぐつすり熟睡しようとするには、北枕で足を南に投げ出すに限るさうです。
毛皮
11・1
文芸春秋
おひおひ寒さに向つて来るが、寒くなるにつれて、婦人の身のまはりに、いろんな獣の毛皮が防寒具として用ひられてゐるのを見る程無気味に感じる事はない。
女優 Minnie Maddern Fiske は、大の毛皮嫌ひで、婦人が毛皮を身につけてゐる程、いやで、殺風景で、不調和なものは世界に二つとはないといつて、
「わたしに今お金を五百万弗くれる人があつたなら、そのうち三百万弗だけは婦人から毛皮を追ひ出す運動費に寄附してもいいと思ふのよ。」
といつてゐる。それ程までの毛皮嫌ひは、まんざら嬉しくないこともないが、残りの二百万弗はどうするつもりなのか、ちよつと気にかからない事もない。
おしこめ
11・1
文芸春秋
文学者 Booth Tarkington に用事があつて、電話をかけた男がある。出て来たのはきいきいした女声で、
「主人は今書斎にゐてお仕事をしてゐますから、邪魔をするわけにはまゐりません。私が代りにお聴きいたします。」
といふ挨拶なのだ。度胆をぬかれた電話のあるじは、そのまま話を切らうとしてゐると、そこへかねて聞き覚えのある文学者の声がそつと聞えて来た。
「
私は新聞雑誌で日本の文士達の書斎における写真を見て、その片隅におとなしさうな夫人が、小猫のやうにはにかんでちよこなんと坐つてゐるのを発見する毎に、この話を思ひ出して、彼等の幸福を心より祝福しないわけにはゆかない。
句読点**
11・1
文芸春秋
女優 Fiske が、あるとき紐育の某劇場で、自分の楽屋として入つた部屋は、その前月興行に女優 Margaret Anglin の楽屋だつたのを知つたので、この女優は持前の愛嬌から、訪ねて来た新聞記者に Anglin の事をほめちぎつて噂をした。あくる朝の新聞紙には、その談話が大々的に吹聴されて、
“Mrs. Fiske says Miss Anglin is the greatst actress in the world.”
となつてゐた。
Fiske はわざわざその新聞紙を Anglin に送つてやつた。すると、間もなく新聞紙はそのまま送り返されて来た。見ると例の記事に句読点が二つつけ加へられてあつた。
“Mrs. Fiske, says Miss Anglin, is the greptest actress in the world.”
ずるいが、しかし気のきいたやり方である。さすがに描き黒子一つを顔に入れただけで、役の性格と相好とをがらりと変へて見せる女優の好きさうな技巧である。
女帽子の針
11・1
文芸春秋
イギリスの俳優 Cyril Maude は大の内気もので、はにかみやである。いつだつたか、紐育で電車に乗つたが、隣りに腰かけてゐたのは中年過ぎの女で、その帽子にはおそろしく長い帽子ピンがさされてあつたので、電車が揺れる度に、俳優の顳

やつと電車を降りようとする間際になつて、俳優は初めて隣りの女の方へ向き直つて、そして気の毒さうに言つた。
「奥さん、どうぞ御免下さい。私の顳
