一
六月三十日、S――村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が
平常の如く極めて活気のない
懶うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は
既四時近いのであらうか。といふのは、田舎の小学校にはよく
有勝な奴で、自分が此学校に勤める様になつて既に三ヶ月にもなるが、未だ
嘗て此時計がK停車場の大時計と正確に合つて居た
例がない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遅れて居ましたと、土曜日毎に該停車場から、程遠くもあらぬ郷里へ帰省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の弁明によると、何分此校の生徒の大多数が農家の子弟であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢ひ始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、実際は、勤勉なる此辺の農家の朝飯は普通の家庭に比して余程早い。然し同僚の誰一人、
敢て此時計の怠慢に対して、職務柄にも似合はず何等
匡正の手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遅くなるなら格別、一分たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども実は、幾年来の習慣で朝寝が第二の天性となつて居るので……
午後の三時、
規定の授業は一時間前に
悉皆終つた。
平日ならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の
調査もあるし、それに今日は
妻が頭痛でヒドク弱つてるから
可成早く生徒を帰らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人――妻と子供二人と――は、既に久しく学校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が
襁褓の洗濯まで其職務中に加へられ、
牝鶏常に暁を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の
顔色が曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて来た不快を辛くも噛み殺して、今日は余儀なく課外を休んだ。一体自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八円也、毎月正に難有頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間
宛と来ては、
他目には労力に伴はない報酬、
否、報酬に伴はない労力とも見えやうが、自分は露
聊かこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が
抑々生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に
末席を
涜すやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりは
寧ろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外国歴史の大体とを一時間宛とは表面だけの事、実際は、自分の
有つて居る一切の智識、(智識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の経験、一切の思想、――つまり一切の精神が、この二時間のうちに、機を覗ひ時を待つて、吾が舌端より
火箭となつて
迸しる。的なきに
箭を放つのではない。男といはず女といはず、既に十三、十四、十五、十六、といふ
年齢の五十幾人のうら若い胸、それが乃ち火を待つ許りに紅血の油を盛つた青春の
火盞ではないか。火箭が飛ぶ、火が油に移る、嗚呼そのハツ/\と燃え
初むる人生の
烽火の煙の香ひ! 英語が話せれば世界中何処へでも行くに不便はない。たゞこの平凡な一句でも自分には百万の火箭を放つべき堅固な
弦だ。昔
希臘といふ国があつた。
基督が
磔刑にされた。人は生れた時何物をも持つて居ないが精神だけは持つて居る。
羅馬は一都府の名で、また昔は世界の名であつた。ルーソーは
欧羅巴中に響く
喇叭を吹いた。コルシカ島はナポレオンの生れた処だ。バイロンといふ人があつた。トルストイは生きて居る。ゴルキーが
以前放浪者で、今肺病患者である。
露西亜は日本より豪い。我々はまだ年が若い。血のない人間は何処に居るか。……あゝ、一切の問題が皆火の種だ。自分も火だ。五十幾つの胸にも火事が始まる。四間に五間の教場は
宛然熱火の洪水だ。自分の骨
露はに痩せた拳が
礑と
卓子を打つ。と、躍り上るものがある、手を振るものがある、万歳と叫ぶものがある。
完たく一種の暴動だ。自分の
眼瞼から感激の涙が一滴溢れるや最後、其処にも此処にも声を挙げて泣く者、上気して顔が火と燃え、声も得出さで革命の神の石像の様に突立つ者、さながら之れ一幅生命反乱の
活画図が現はれる。涙は水ではない、心の幹をしぼつた
樹脂である、油である。火が愈々燃え拡がる許りだ。『千九百○六年……此年○月○日、S――村尋常高等小学校内の一教場に暴動起る』と後世の世界史が、よしや記さぬまでも、この一場の恐るべき光景は、自分並びに五十幾人のジヤコビン党の胸板には、恐らく「時」の破壊の激浪も消し難き永久不磨の金字で描かれるであらう。疑ひもなく此二時間は、自分が一日二十四時間千四百四十分の内最も得意な、愉快な、幸福な時間で、大方自分が日々この学校の門を出入する意義も、全くこの課外教授がある為めであるらしい。然し乍ら此日六月三十日、完全なる『教育』の模型として、既に十幾年の間身を教育勅語の御前に捧げ、口に忠信孝悌の語を繰返す事正に一千万遍、其思想や穏健にして中正、其風采や質樸無難にして
具さに平凡の極致に達し、平和を愛し温順を尚ぶの美徳余つて、妻君の尻の下に布かるゝをも敢て恥辱とせざる程の忍耐力あり、現に今このS――村に於ては、毎月十八円といふ村内最高額の俸給を受け給ふ――田島校長閣下の一言によつて、自分は不本意乍ら其授業を休み、間接には
馬鈴薯に目鼻よろしくといふマダム田島の御機嫌をとつた事になる不面目を施し、退いて職員室の一隅に、児童出席簿と睨み合をし乍ら算盤の珠をさしたり
減いたり、過去一ヶ月間に於ける児童各自の出欠席から、其総数、其歩合を計算して、明日は痩犬の様な俗吏の手に渡さるべき
所謂月表なるものを作らねばならぬ。それのみなら未だしも、成績の調査、欠席の事由、食料携帯の状況、学用品供給の模様など、名目は立派でも殆んど無意義な仕事が少なからずあるのである。
茲に於て自分は感じた、地獄極楽は決して宗教家の方便ではない、実際我等の此の世界に現存して居るものである、と。さうだ、この日の自分は明らかに校長閣下の一言によつて、極楽へ行く途中から、正確なるべき時間迄が娑婆の時計と一時間も相違のある此の
[#「此の」は底本では「比の」]蒸し熱き地獄に
堕されたのである。算盤の珠のパチ/\/\といふ音、これが
乃ち取りも直さず、中世紀末の大冒険家、地獄煉獄天国の三界を
跨にかけたダンテ・アリギエリでさへ、聞いては
流石に胆を冷やした『パペ、サタン、パペ、サタン、アレツペ』といふ奈落の底の声ではないか。自分は実際、この計算と来ると、
吝嗇な金持の
爺が己の財産を勘定して見る時の様に、ニコ/\ものでは兎ても
行れないのである。極楽から地獄! この永劫の宣告を下したものは誰か、抑々誰か。曰く、校長だ。自分は此日程此校長の顔に表れて居る醜悪と欠点とを精密に見極めた事はない。第一に其鼻下の
八字髯が極めて光沢が無い、これは其人物に一分一厘の活気もない証拠だ。そして
其髯が
鰻のそれの如く両端遙かに頤の方向に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。亡国の髯だ、朝鮮人と昔の漢学の先生と今の学校教師にのみあるべき髯だ。
黒子が総計三箇ある、就中大きいのが左の目の下に不吉の星の如く、如何にも目障りだ。これは俗に泣黒子と云つて、幸にも自分の一族、乃至は平生畏敬して居る人々の顔立には、ついぞ見当らぬ道具である。
宜なる哉、この男、どうせ将来好い目に逢ふ気づかひが無いのだもの。……数へ来れば
幾等もあるが、結句、田島校長
=0[#「田島校長=0」は横書き]といふ結論に帰着した。詰り、一毫の微と雖ども自分の気に合ふ点がなかつたのである。
この不法なるクーデターの
顛末が、自分の口から、生徒控処の一隅で、残りなく我がジヤコビン党全員の耳に達せられた時、一団の暗雲あつて忽ちに五十幾個の若々しき天真の顔を覆ふた。楽園の光明門を閉ざす鉛色の雲霧である。明らかに彼等は、自分と同じ不快、不平を一喫したのである。無論自分は、かの妻君の頭痛一件まで持ち出したのではない、が、自分の言葉の終るや否や、或者はドンと一つ床を蹴つて一喝した、『校長馬鹿ツ。』更に他の声が続いた、『鰻ツ。』『蒲焼にするぞツ。』最後に『チエースト』と極めて陳腐な奇声を放つて相和した奴もあつた。自分は
一盻の微笑を彼等に注ぎかけて、静かに歩みを地獄の門に向けた。
軈て十五六歩も歩んだ時、急に後の騒ぎが止んだ、と思ふと、『ワン、ツー、スリー、泥鰻――』と、校舎も為めに動く許りの
鬨の声、中には絹裂く様な鋭どい女生徒の声も確かに交つて居る。余りの事に振向いて見た、が、此時は既に此等革命の健児の半数以上は生徒昇降口から嵐に狂ふ木の葉の如く
戸外へ飛び出した所であつた。恐らく今日も門前に遊んで居る校長の子供の小さい頭には、時ならぬ拳の雨の降つた事であらう。然し控処には未だ空しく帰りかねて残つた者がある。機会を見計つて自分に何か特にお話を請求しようといふ執心の
輩、髪長き児も二人三人見える、――総て十一二人。小使の次男なのと、女教師の下宿して居る家の児と、(共に其縁故によつて、校長閣下から多少大目に見られて居る)この二人は自分の跡から
尾いて来たまま、
先刻からこの地獄の入口に門番の如く立つて、中の様子を看守して居る。
入口といふのは、紙の破れた障子二枚によつて此室と生徒控処とを区別したもので、校門から真直の玄関を上ると、すぐ左である。この入口から、我が当面の地獄、――天井の極く低い、十畳敷位の、
汚点だらけな壁も、古風な小形の窓も、年代の故で歪んだ皮椅子も皆一種人生の倦怠を表はして居る職員室に這入ると、向つて凹字形に都合四脚の卓子が置かれてある。突当りの並んだ二脚の、右が校長閣下の席で、左は検定試験上りの古手の首座訓導、校長の傍が自分で、向ひ合つての一脚が女教師のである。吾校の職員と云つぱ唯この四人だけ、自分が其内最も末席なは云ふ迄もない。よし百人の職員があるにしても代用教員は常に末席を仰せ付かる性質のものであるのだ。御規則とは随分陳腐な
洒落である。サテ、自分の後は直ちに障子一重で宿直室になつて居る。
此職員室の、女教師の背なる壁の掛時計が懶うげなる悲鳴をあげて午後三時を報じた時、其時四人の職員は皆各自の卓子に相割拠して居た。――卓子は互に密接して居るものの、此時の状態は確かに一の割拠時代を現出して居たので。――二三十分も続いた『パペ、サタン、アレツペ』といふ苦しげなる声は、三四分前に至つて、足音に驚いて
卒かに啼き止む小田の蛙の歌の如く、
礑と許り止んだ。と同時に、(老いたる尊とき導師は
震なくダンテの手をひいて、更に他の修羅圏内に進んだのであらう。)新らしき一陣の殺気
颯と面を打つて、別箇の光景をこの室内に描き出したのである。
詳しく説明すれば、実に詰らぬ話であるが、問題は斯うである。二三日以前、自分は不図した
転機から思付いて、このS――村小学校の生徒をして日常朗唱せしむべき、云はゞ校歌といつた様な性質の一歌詞を作り、そして作曲した。作曲して見たのが此時、自分が
呱々の声をあげて以来二十一年、実際初めてゞあるに関らず、恥かし乍ら自白すると、出来上つたのを声の透る我が妻に歌はせて聞いた時の感じでは、少々巧い、と思はれた。今でもさう思つて居るが……。妻からも賞められた。その夜遊びに来た二三の生徒に、自分でヰオリンを弾き乍ら教へたら、矢張賞めてくれた、然も非常に面白い、これからは毎日歌ひますと云つて、歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に変る。斯う変るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一点
疚しい処のないのは明白な事実だ。作歌作曲は決して盗人、偽善者、乃至一切破廉恥漢の行為と同一視さるべきではない。マサカ代用教員如きに作曲などをする資格がないといふ規定もない筈だ。して見ると、自分は
相不変正々堂々たるものである、俯仰して天地に恥づる処なき大丈夫である。所が、
豈何んぞ図らんや、この堂々として赤裸々たる処が却つて敵をして矢を放たしむる的となつた
所以であつたのだ。ト何も
大袈裟に云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが、何んでもジヤコビン党員の胸には皆同じ色――若き生命の浅緑と湧き立つ春の泉の血の色との火が燃えて居て、唇が皆一様に乾いて居る為めに野火の移りの早かつたものか、一日二日と見る/\うちに伝唱されて、今日は早や、多少調子の違つた処のないでもないが、高等科生徒の殆んど三分の二、イヤ五分の四迄は確かに知つて居る。昼休みの際などは、誰先立つとなく運動場に一蛇のポロテージ行進が始つて居た。彼是百人近くはあつたらう、尤も野次馬の一群も立交つて居たが、口々に歌つて居るのが乃ち斯く申す
新田耕助先生新作の校友歌であつたのである。然し何も自分の作つたものが大勢に歌はれたからと云つて、決して恥でもない、罪でもない、寧ろ愉快なものだ、得意なものだ。現に其行進を見た時は、自分も何だか気が浮立つて、身体中何処か斯う
擽られる様で、僅か五分間許りではあるが、自分も其行進列中の一人と迄なつて見た位である。……問題の鍵は
以後である。
午後三時
前三―四分、今迄矢張り不器用な指を算盤の上に躍らせて、『パペ、サタン、パペ、サタン』を繰返して居た校長田島金蔵氏は、今しも出席簿の方の計算を終つたと見えて、やをら頭を
擡げて煙管を手に持つた。ポンと卓子の縁を
敲く、トタンに、何とも名状し難い、狸の難産の様な、水道の栓から
草鞋でも飛び出しさうな、も少し適切に云ふと、隣家の豚が夏の真中に感冒をひいた様な奇響――敢て、
響といふ、――が、恐らく仔細に分析して見たら出損なつた咳の一種でゝもあらうか、彼の巨大なる喉仏の辺から鳴つた。次いで復幽かなのが一つ。もうこれ丈けかと思ひ乍ら自分は此時算盤の上に現はれた八四・七九といふ数を月表の出席歩合男の部へ記入しようと、筆の穂を一寸と噛んだ。此刹那、沈痛なる事昼寝の夢の中で去年死んだ黒猫の幽霊の出た様な声あつて、
『
新田さん。』
と呼んだ。校長閣下の御声掛りである。
自分はヒヨイと顔を上げた。と同時に、他の二人――首座と女教師も顔を上げた。此一瞬からである、『パペ、サタン、パペ、サタン、アレツペ』の声の
礑と許り聞えずなつたのは。女教師は黙つて校長の顔を見て居る。首席訓導はグイと身体をもぢつて、煙草を吸ふ
準備をする。何か心に待構へて居るらしい。然り、この僅か三秒の沈黙の後には、近頃珍らしい嵐が吹き出したのだもの。
『新田さん。』と校長は再び自分を呼んだ。余程厳格な態度を装ふて居るらしい。然しお気の毒な事には、平凡と醜悪とを「教育者」といふ型に入れて鋳出した此人相には、最早他の何等の表情をも容るべき空虚がないのである。誠に完全な「無意義」である。若し強ひて厳格な態度でも装はうとするや最後、其結果は唯対手をして一種の滑稽と軽量な
憐愍の情とを起させる丈だ。然し当人は無論一切御存じなし、破鐘の欠伸する様な
訥弁は一歩を進めた。
『
貴君に少しお聞き申したい事がありますがナ。エート、生命の森の……。何でしたつけナ、初の句は? (と首座訓導を見る、首座は甚だ迷惑といふ風で黙つて下を見た。)ウン、
左様々々、春まだ浅く月若き、生命の森の夜の香に、あくがれ出でて、……とかいふアノ唱歌ですて。アレは、
新田さん、貴君が
秘かに作つて生徒に歌はせたのだと云ふ事ですが、
真実ですか。』
『嘘です。歌も曲も私の作つたには相違ありませぬが、秘かに作つたといふのは嘘です。蔭仕事は嫌ひですからナ。』
『デモ、さういふ事でしたつけね、古山さん、
先刻の御話では。』と再び隣席の首座訓導をかへり見る。
古山の顔には、またしても迷惑の雲が懸つた。矢張り黙つた儘で、
一閃の
偸視を自分に注いで、煙を鼻からフウと出す。
此光景を目撃して、ハヽア、然うだ、と自分は早や一切を直覚した。かの正々堂々赤裸々として俯仰天地に恥づるなき我が歌に就いて、今自分に持ち出さんとして居る抗議は、蓋しこれ泥鰻金蔵閣下一人の頭脳から割出したものではない。完たく古山と合議の結果だ。或は古山の方が当の発頭人であるかも知れない。イヤ然うあるべきだ、この校長一人丈けでは、如何して
這元気の出る筈が無いのだもの。一体この古山といふのは、此村土着の者であるから、既に十年の余も斯うして此学校に居る事が出来たのだ。四十の坂を越して矢張五年前と同じく十三円で満足して居るのでも、意気地のない奴だといふ事が解る。夫婦喧嘩で有名な男で、(此点は校長に比して
稍々温順の美徳を欠いて居る。)話題と云つぱ、
何日でも酒と、若い時の経験談とやらの女話、それにモ一つは釣道楽、と之れだけである。最もこの釣道楽だけは、この村で屈指なもので、既に名人の域に入つて居ると自身も信じ人も許して居る。随つて主義も主張もない、(昔から釣の名人になる様な男は主義も主張も持つてないと相場が極つて居る。)随つて当年二十一歳の自分と話が合はない。自分から云はせると、校長と謂ひ此男と謂ひ、栄養不足で天然に立枯になつた朴の木の様なもので、松なら枯れても枝振といふ事もあるが、何の風情もない。彼等と自分とは、毎日吸ふ煙草までが違つて居る。彼等の吸ふのは枯れた橡の葉の粉だ、辛くもないが甘くもない、
香もない。自分のは、五匁三銭の安物かも知れないが、兎に角
正真正銘の煙草である。香の強い、辛い所に甘い所のある、真の活々した人生の煙だ。リリーを一本吸ふたら目が廻つて来ましたつけ、と何日か古山の云ふたのは、
蓋し実際であらう。斯くの如くして、自分は常に此職員室の異分子である。
継ツ子である、平和の攪乱者と目されて居る。若し此小天地の中に自分の話相手になる人を求むれば、それは実に女教師一人のみだ。芳紀やゝ過ぎて今年正に二十四歳、自分には三歳の姉である。それで未だ独身で、熱心なクリスチアンで、讃美歌が上手で、新教育を享けて居て、思想が先づ健全で、顔は? 顔は毎日見て居るから別段目にも立たないが、頬は桃色で、髪は赤い、目は年に似合はず若々しいが、時々判断力が
閃めく、尋常科一年の受持であるが、誠に善良なナースである。で、大抵自分の云ふ事が解る、理のある所には
屹度同情する。然し流石に女で、それに
稍々思慮が有過ぎる傾があるので、今日の様な場合には、敢て一言も口を出さない。が、其眼球の軽微なる運動は既に充分自分の味方であることを語つて居る。況んや、現に先刻この女が、自分の作つた歌を誰から聞いたものか、低声に歌つて居たのを、確かに自分は聴いたのだもの。
さて、自分は此処で、かの歌の如何にして作られ、如何にして伝唱されたかを、
詳らかに説明した。そして、最後の言葉が自分の唇から出て、校長と首座と女教師と三人六箇の耳に達した時、其時、カーン、カーン、カーン、と掛時計が、
懶気に叫んだのである。突然『アーア』といふ声が、自分の後、障子の中から起つた。恐らく頭痛で弱つて居るマダム馬鈴薯が、何日もの如く
三歳になる女の児の帯に
一条の紐を結び、其一端を自身の足に繋いで、危い処へやらぬ様にし、
切炉の
側に寝そべつて居たのが、今時計の音に真昼の夢を覚されたのであらう。『アーア』と
再聞えた。
三秒、五秒、十秒、と恐ろしい沈黙が続いた。四人の職員は皆各自の卓子に割拠して居た。この沈黙を破つた一番槍は古山朴の木である。
『其歌は校長さんの御認可を得たのですか。』
『イヤ、決して、断じて、認可を下した覚えはありませぬ。』と校長は自分の代りに答へて呉れる。
自分はケロリとして煙管を
啣へ乍ら、幽かな微笑を女教師の方に向いて洩した。古山もまた煙草を吸ひ初める。
校長は、と見ると、何時の間にか赤くなつて、鼻の上から水蒸気が立つて居る。『どうも、余りと云へば自由が過ぎる。新田さんは、それあ新教育も享けてお出でだらうが、どうもその、少々身勝手が過ぎるといふもんで……。』
『さうですか。』
『さうですかツて、それを解らぬ筈はない。一体その、エート、確か本年四月の四日の日だつたと思ふが、
私が郡視学さんの平野先生へ御機嫌伺ひに出た時でした。さう、確かに其時です。新田さんの事は郡視学さんからお話があつたもんだで、遂私も新田さんを此学校に入れた次第で、郡視学さんの手前もあり、今迄は随分私の方で遠慮もし、
寛裕にも見て置いた訳であるが、然し、さう身勝手が過ぎると、私も一校の司配を預かる校長として、』と句を切つて、一寸反り返る。此機を
逸さず自分は云つた。
『どうぞ御遠慮なく。』
『
不埓だ。校長を屁とも思つて居らぬ。』
この声は少し高かつた。握つた拳で卓子をドンと打つ、驚いた様に算盤が床へ落ちて、けたたましい音を立てた。自分は今迄校長の斯う活気のある事を知らなかつた。或は自白する如く、今日迄は郡視学の手前遠慮して居たかも知れない。然し彼の云ふ処は実際だ。自分は実際此校長位は屁とも思つて居ないのだもの。この時、後の障子に、
サと物音がした。マダム馬鈴薯が這ひ出して来て、様子如何にと耳を澄まして居るらしい。
『只今伺つて居りました処では、』と白ツぱくれて古山が口を出した、『どうもこれは校長さんの方に理がある様に、私には思はれますので。然し新田さんも別段お悪い処もない、唯その校歌を自分勝手に作つて、自分勝手に生徒に教へたといふ、つまり、順序を踏まなかつた点が、
大に、イヤ、多少間違つて居るのでは有るまいかと、私には思はれます。』
『此学校に校歌といふものがあるのですか。』
『今迄さういふものは有りませんで御座んした。』
『今では?』
今度は校長が答へた。『現にさう云ふ
貴君が作つたではないか。』
『問題は其処ですて。物には順序……』
皆まで云はさず自分は手をあげて古山を制した。『問題も何も無いぢやないですか。既に私の作つたアレを、貴君方が校歌だと云つてるぢやありませぬか。私はこのS――村尋常高等小学校の校歌を作つた覚えはありませぬ。私はたゞ、この学校の生徒が日夕吟誦しても差支のない様な、校歌といつたやうな性質のものを試みに作つた丈です。それを貴君方が校歌といふて居られる。
詰り、校歌としてお認め下さるのですな。そこで生徒が皆それを、其校歌を歌ふ。問題も何も有つた話ぢやありますまい。この位天下泰平な事はないでせう。』
校長と古山は顔を見合せる。女教師の目には満足した様な微笑が浮んだ。入口の処には二人の立番の外に、新らしく来たのがある。後の障子が颯と開いて、腰の
辺に細い紐を巻いたなり、帯も締めず、垢臭い木綿の細かい縞の袷をダラシなく着、胸は
露はに、抱いた児に乳房
啣せ乍ら、静々と立現れた
化生の者がある。マダム馬鈴薯の御入来だ。袷には黒く汗光りのする繻子の半襟がかゝつてある。如何考へても、決して余り有難くない御風体である。針の様に鋭どく釣上つた眼尻から、チヨと自分を睨んで、校長の直ぐ傍に突立つた。若しも、地獄の底の底で、
白髪茨の如き痩せさらぼひたる斃死の
状の人が、吾児の骨を諸手に握つて、キリ/\/\と噛む音を、現実の世界で目に見る或形にしたら、恐らくそれは此女の自分を
一睨した時の目付それであらう。此目付で朝な夕な胸を刺される校長閣下の心事も亦、考へれば諒とすべき点のないでもない。
生ける
女神――貧乏の?――は、石像の如く無言で突立つた。やがて電光の如き変化が此室内に起つた。校長は、今迄忘れて居た厳格の態度を、再び装はんとするものの如く、其顔面筋肉の二三ヶ所に、或る運動を与へた。援軍の到来と共に、勇気を回復したのか、恐怖を感じたのか、それは解らぬが、兎に角或る激しき衝動を心に受けたのであらう。古山も面を上げた。然し、もうダメである。攻勢守勢既に其地を代へた後であるのだもの。自分は敵勢の加はれるに却つて一層勝誇つた様な感じがした。女教師は、女神を一目見るや否や、
譬へ難き不快の霧に清い胸を閉されたと見えて、忽ちに
俯いた。見れば、恥辱を感じたのか、気の毒と思つたのか、それとも怒つたのか、耳の根迄紅くなつて、鉛筆の尖でコツ/\と卓子を
啄いて居る。
古山が先づ口を切つた。『然し、物には総て順序がある。其順序を踏まぬ以上は、……一足飛に陸軍大将にも成れぬ訳ですて。』成程古今無類の卓説である。
校長が続いた。『其正当の順序を踏まぬ以上は、たとへ校歌に採用して可いものでも未だ校歌とは申されない。よし立派な免状を持つて居らぬにしても、身を教育の職に置いて月給迄貰つて居る者が、物の順序も考へぬとは、余りといへば余りな事だ。』
云ひ終つて堅く唇を閉ぢる。気の毒な事には其
への字が余り恰好がよくないので。
女神の視線が氷の矢の如く自分の顔に注がれた。返答如何にと促がすのであらう。トタンに、無雑作に、といふよりは寧ろ、無作法に束ねられた髪から、櫛が辷り落ちた。敢て拾はうともしない。自分は笑ひ乍ら云ふた。
『折角順序々々と云ふお言葉ですが、一体
如何いふ順序があるのですか。恥かしい話ですが、私は一向存じませぬので。……若し其校歌採用の件とかの順序を知らない為めに、他日誤つて何処かの校長にでもなつた時、失策する様な事があつても大変ですから、今教へて頂く訳に行きませぬでせうか。』
校長は苦り切つて答へた。『順序といつても別に面倒な事はない。第一に(と力を入れて)校長が認定して、可いと思へば、郡視学さんの方へ届けるので、それで、ウム、その唱歌が学校生徒に歌はせて差支がない、といふ認可が下りると、初めて校歌になるのです。』
『ハヽア、それで何ですな、私の作つたのは、其正当の順序とかいふ手数にかけなかつたので、詰り、早解りの所が、落第なんですな。結構です。作者の身に取つては、校歌に採用されると、されないとは、
完たく屁の様な問題で、唯自分の作つた歌が生徒皆に歌はれるといふ丈けで、もう名誉は充分なんです。ハヽヽヽヽ。これなら別に論はないでせう。』
『然し、』と古山が繰り出す。此男
然しが十八番だ。『その学校の生徒に歌はせるには矢張り校長さんなり、また私なりへ、一応其歌の意味でも話すとか、或は出来上つてから見せるとかしたら穏便で可いと、マア思はれるのですが。』
『のみならず、学校の教案などは形式的で記す必要がないなどと云つて居て、
宅へ帰れば、すぐ小説なぞを書くんださうだ。それで教育者の
一人とは呆れる外はない。実に、どうも……。然し、これはマア別の話だが。新田さん、学校には、畏くも文部大臣からのお達しで定められた教授細目といふのがありますぞ。算術国語地理歴史は勿論の事、唱歌裁縫の如きでさへ、チアンと細目が出来て居ます。私共長年教育の事業に従事した者が見ますと、現今の細目は実に立派なもので、精に入り微を
穿つ、とでも云ひませうか。彼是十何年も前の事ですが、私共がまだ師範学校で勉強して居た時分、其頃で早や四十五円も取つて居た小原銀太郎と云ふ有名な助教諭先生の監督で、小学校教授細目を編んだ事がありますが、其時のと今のと比較して見るに、イヤ実にお話にならぬ、冷汗です。で、その、
正真の教育者といふものは、其完全無欠な規定の細目を守つて、
一毫乱れざる
底に授業を進めて行かなければならない、若しさもなければ、小にしては其教へる生徒の父兄、また高い月給を支払つてくれる村役場にも甚だ済まない訳、大にしては我々が大日本の教育を乱すといふ罪にも坐する次第で、完たく此処の所が、我々教育者にとつて最も大切な点であらうと、私などは既に十年の余も、――此処へ来てからは、まだ四年と三ヶ月にしか成らぬが、――努力精励して居るのです。尤も、細目に無いものは一切教へてはならぬといふのではない。そこはその、
先刻から古山さんも
頻りに主張して居られる通り、物には順序がある。順序を踏んで認可を得た上なれば、無論教へても差支がない。若しさうでなくば、只今諄々と申した様な仕儀になり、且つ私も校長を拝命して居る以上は、私に迄責任が及んで来るかも知れないのです。それでは、
如何もお互に迷惑だ。のみならず吾校の面目をも傷ける様になる。』
『大変な事になるんですね。』と自分は極めて
洒々たるものである。尤も此お説法中は、時々失笑を禁じえなんだので、それを噛み殺すに
不些少骨を折つたが。『それでつまり私の作つた歌が其完全無欠なる教授細目に載つて居ないのでせう。』
『無論ある筈がないでサア。』と古山。
『ない筈ですよ。二三日前に作つた許りですもの。アハヽヽヽ。先刻からのお話は、結局あの歌を生徒に歌はせては
不可、といふ極く明瞭な一事に帰着するんですね。色々な順序の枝だの細目の葉だのを切つて了つて、肝胆を
披瀝した所が、さうでせう。』
これには返事が無い。
『其細目といふ
矢釜敷お爺さんに、代用教員は教壇以外にて一切生徒に教ふべからず、といふ事か、さもなくんば、学校以外で生徒を教へる事の細目とかいふものが、ありますか。』
『細目にそんな馬鹿な事があるものか。』と校長は怒つた。
『それなら安心です。』
『何が安心だ。』
『だつて、さうでせう。先刻詳しくお話した通り、私があの歌を教へたのは、二三日
前、乃ちあれの出来上つた日の夜に、私の宅に遊びに来た生徒只の三人だけになのですから、何も私が細目のお爺さんにお目玉を頂戴する筈はないでせう。若しあの歌に、何か危険な思想でも入れてあるとか、又は生徒の口にすべからざる
語でもあるなら格別ですが、……。イヤ余程心配しましたが、これで青天白日
漸々無罪に成りました。』
全勝の花冠は我が頭上に
在焉。敵は見ン事鉄嶺以北に退却した。剣折れ、馬斃れ、
矢弾が尽きて、戦の続けられる道理は昔からないのだ。
『私も昨日、あれを書いたのを栄さん(生徒の名)から借りて写したんですよ。私なんぞは何も解りませんけども、大層もう結構なお作だと思ひまして、実は明日唱歌の時間にはあれを教へやうと思つてたんでしたよ。』
これは勝誇つた自分の胸に、
発矢と許り投げられた美しい光栄の花環であつた。女教師が初めて口を開いたのである。
二
此時、校長田島金蔵氏は、感極まつて殆んど落涙に及ばんとした。初めは怨めしさうに女教師の顔を見て居たが、フイと首を
廻らして、側に立つ垢臭い女神、頭痛の化生、繻子の半襟をかけたマダム馬鈴薯を仰いだ。
平常は死んだ源五郎鮒の目の様に鈍い
眼も、此時だけは激戦の火花の影を猶留めて、極度の恐縮と嘆願の情にやゝ
湿みを持つて居る。世にも弱き夫が渾身の愛情を捧げて妻が一顧の哀憐を買はむとするの図は正に之である。然し大理石に泥を塗つたやうな女神の面は微塵も動かなんだ。そして、唯一声、『フン、』と云つた。
噫世に誰か此の
フンの意味の能く解る人があらう。やがて身を
屈めて、落ちて居た櫛を拾ふ。抱いて居る児はまだ乳房を放さない。随分強慾な児だ。
古山は、野卑な目付に憤怒の色を湛へて自分を凝視して居る。水の面の白い浮標の、今沈むかと気が気でない時も斯うであらう。我が敬慕に値する善良なる女教師山本孝子女史は、いつの間にかまた、パペ、サタン、を始めて居る。
入口を見ると、三分刈りのクリ/\頭が四つ、
朱鷺色のリボンを結んだのが二つ並んで居た。自分が振り向いた時、いづれも
嫣然とした。中に一人、女教師の下宿してる家の栄さんといふのが、大きい
眼をパチ/\とさせて、一種の暗号祝電を自分に送つて呉れた。珍らしい悧巧な少年である。自分も返電を
行つた。今度は六人の眼が皆一度にパチ/\とする。
不意に、若々しい、勇ましい合唱の声が聞えた。二階の方からである。
春まだ浅く月若き
生命の森の夜の香に
あくがれ出でて我が魂の
夢むともなく夢むれば……
あゝ此歌である、日露開戦の原因となつたは。自分は颯と電気にでも打たれた様に感じた。同時に梯子段を踏む騒々しい響がして、声は一寸乱れる。降りて来るな、と思ふと早や姿が現はれた。一隊五人の健児、先頭に立つたのは了輔と云つて村長の長男、背こそ高くないが校内第一の腕白者、成績も亦優等で、ジヤコビン党の内でも最も急進的な、謂はば爆弾派の首領である。多分二階に人を避けて、今日課外を休まされた復讐の秘密会議でも開いたのであらう。あの元気で見ると、既に成算胸にあるらしい。願くは
復以前の様に、深夜宿直室へ礫の雨を注ぐ様な乱暴はしてくれねばよいが。
一隊の健児は、春の暁の鐘の様な冴え/″\した声を張り上げて歌ひつゞけ乍ら、勇ましい歩調で、先づ広い控処の中央に大きい円を描いた。と見ると、今度は我が職員室を
目掛けて堂々と練つて来るのである。
「自主」の剣を右手に持ち、
左手に翳す「愛」の旗、
「自由」の駒に跨がりて
進む理想の路すがら、
今宵生命の森の蔭
水のほとりに宿かりぬ。
そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標、
音なき河は千載に
香る名をこそ流すらむ。
此処は何処と我問へば、
汝が故郷と月答ふ。
勇める駒の嘶くと
思へば夢はふと覚めぬ。
白羽の甲銀の楯
皆消えはてぬ、さはあれど
ここに消えざる身ぞ一人
理想の路に佇みぬ。
雪をいただく岩手山
名さへ優しき姫神の
山の間を流れゆく
千古の水の北上に
心を洗ひ……
と此処まで歌つた時は、恰度職員室の入口に了輔の右の足が踏み込んだ処である。歌は止んだ。此数分の間に室内に起つた光景は、自分は少しも知らなんだ。自分はたゞ一心に歩んでくる了輔の目を見詰めて、心では一緒に歌つて居たのである。――然も心の声のあらん限りをしぼつて。
不図気がつくと、世界滅尽の大活劇が一秒の後に迫つて来たかと見えた。校長の顔は盛んな山火事だ。そして目に見える程ブル/\と震へて居る。古山は既に椅子から突立つて、飢饉に逢つた仁王様の様に、拳を握つて矢張震へて居る。青い太い静脈が顔一杯に
脹れ出して居る。
栄さんは了輔の耳に口を寄せて、何か囁いて居る。了輔は目を象の鼻穴程に
つて熱心に聞いて居る。どちかと云へば性来太い方の声なので、返事をするのが自分にも聞える。
『……ナニ、此歌を?……ウム……勝つたか、ウム、然うさ、然うとも、見たかつたナ……飲まないつて、酒を?……然し赤いな、赤鰻ツ。』
最後の声が稍々高かつた。古山は激した声で、
『校長さん。』
と叫んだ。校長は立つた。
転機で椅子が後に倒れた。妻君は未だ動かないで居る。然し其顔の物凄い事。
『
彼方へ行け。』
『
彼方へお出なさい。』
自分と女教師とは同時に斯う云つて、手を動かし、目で知らせた。了輔の目と自分の目と合つた。自分は目で強く
圧した。
了輔は遂に駆け出した。
そびゆる山は英傑の
跡を弔ふ墓標、
と歌ひ乍ら。他の児等も皆彼の跡を追ふた。
『勝つた先生万歳』
と
鬨の声が聞える。五六人の声だ。中に、量のある了輔の声と、栄さんのソプラノなのが際立つて響く。
自分の目と女教師の目と
礑と空中で行き合つた。その目には非常な感激が溢れて居る。無論自分に不利益な感激でない事は、其光り様で解る。――
恰も此時、
恰も此時、玄関で人の声がした。何か云ひ争ふて居るらしい。然し初めは、自分も激して居る故か、
確とは聞き取れなかつた。一人は小使の声である。一人は? どうも前代未聞の声の様だ。
『……何云つたつて、乞食は矢ツ張乞食だんべい。今も云ふ通り、学校はハア、乞食などの来る所でねエだよ。校長さアが
何日も云ふとるだ、癖がつくだで乞食が来たら
何ねエな奴でも追払つてしまへツて。さつさと行かつしやれ、お互に無駄な暇取るだアよ。』と小使の声。
凛とした張のある若い男の声が答へる。『それア僕は乞食には乞食だ、が、普通の乞食とは少々格が違ふ。ナニ、
強請だんべいツて? ヨシ/\、何でも可いから、兎に角其手紙を新田といふ人に見せてくれ。居るツて今云つたぢやないか。新田白牛といふ人だ。』
ハテナ、と自分は思ふ。小使がまた云ふ。
『新田耕助先生ちふ若けエ人なら居るだが、
はくぎうなんて
可笑しな奴ア一人だつて居ねエだよ。耕助先生にア乞食に親類もあんめエ。間違エだよ。コレア人違エだんべエ。之エ返しますだよ。』
『困つた人だね、僕は君には
些とも用はないんだ。新田といふ人に逢ひさへすれば
可。たゞ新田君に逢へば満足だ、本望だ。解つたか、君。……お願ひだから其手紙を、ね、頼む。……これでも
不可といふなら、僕は自分で上つて行つて、尋ぬる人に逢ふ迄サ。』
自分は此時、立つて行つて見ようかと思つた。が、何故か敢へて立たなかつた。立派な美しい、堂々たる、広い胸の底から滞りなく出る様な声に完たく酔はされたのであらう。自分は、何故といふ事もなく、時々写真版で見た、子供を抱いたナポレオンの顔を思出した。そして、今玄関に立つて自分の名を呼んで逢ひたいと云つて居る人が、屹度其ナポレオンに似た人に相違ないと思つた。
『そ、そねエな事して、何うなるだアよ。
俺ハア校長さアに叱られ申すだ。ぢやア、マア待つて居さつしやい。兎に角此手紙丈けはあの先生に見せて来るだアから。……人違エにやきまつてるだア。俺これ迄十六年も此学校に居るだアに、まだ乞食から手紙見せられた先生なんざア一人だつて無エだよ。』
自分の心は今一種奇妙な感じに捉へられた。周囲を見ると、校長も古山も何時の間にか腰を掛けて居る。マダム馬鈴薯はまだ不動の姿勢を取つて居る。女教師ももとの通り。そして四人の目は皆、何物をか期待する様に自分に注がれて居る。其昔、大理石で畳んだ壮麗なる演戯場の桟敷から罪なき赤手の奴隷――完たき『無力』の選手――が、暴力の権化なる巨獣、換言すれば
獅子と呼ばれたる神権の帝王に対して、如何程の抵抗を試み得るものかと興ある事に眺め下した人々の
目付、その目付も斯くやあつたらうと、心の中に想はるる。
村でも「仏様」と仇名せらるる
好人物の小使――忠太と名を呼べば、雨の日も風の日も、『アイ』と返事をする――が、厚い唇に何かブツ/\呟やき乍ら、職員室に這入つて来た。
『これ先生さアに見せて呉れ云ふ乞食が来てますだ。ハイ。』
と、変な目をしてオヅ/\自分を見乍ら、一通の封書を卓子に置く。そして、玄関の方角に指さし乍ら、左の目を閉ぢ、口を歪め、ヒヨツトコの真似をして見せて、
『変な奴でがす。お気を付けさつしやい。
俺、様々断つて見ましたが、どうしても聴かねエだ。』
と小言で囁く。
黙つて封書を手に取り上げた。表には、勢のよい筆太の
〆が殆んど全体に書かれて、下に見覚えのある乱暴な字体で、薄墨のあやなくにじんだ『
八戸ニテ、朱雲』の六字。日附はない。『ああ、朱雲からだ!』と自分は思はず声を出す。裏を返せば、『岩手県岩手郡S――村尋常高等小学校内、新田白牛様』と
先以て真面目な行書である。自分は或事を思ひ出した、が、兎も角もと急いで封を切る。すべての人の視線は自分の痩せた指先の、何かは知れぬ震ひに注がれて居るのであらう。不意に打出した胸太鼓、若き生命の轟きは電の如く全身の血に波動を送る。震ふ指先で引き出したのは一枚の半紙、字が大きいので、文句は無論極めて短かい。
爾後大に疎遠、失敬、
これ丈けで二行に書いてある。
石本俊吉此手紙を持つて行く。君は出来る丈けの助力を此人物に与ふべし。小生生れて初めて紹介状なる物を書いた。
六月二十五日
天野朱雲拝