一九一一・六・一五・TOKYO
われらの
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の
われらは何を
されど、誰一人、握りしめたる
‘V NAROD!’と叫び
われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、
また、民衆の求むるものの何なるかを知る、
しかして、我等の何を為すべきかを知る。
実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。
此処にあつまれるものは皆青年なり、
常に世に新らしきものを作り
われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。
ああ、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。
一九一一・六・一五・TOKYO
われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に
しかして、そは
はてしなき議論の後の
そのうすにがき
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
一九一一・六・一六・TOKYO
われはかの夜の激論を忘るること
新しき社会に
はしなくも、同志の一人なる若き経済学者Nと
われとの間に
かの五時間に
‘君の言ふ所は徹頭徹尾
かれは遂にかく言ひ放ちき。
その声はさながら
かれの手は恐らくわが頭を
われはその浅黒き、大いなる顔の
男らしき怒りに
五月の夜はすでに一時なりき。
或る一人の立ちて窓をあけたるとき、
Nとわれとの間なる蝋燭の火は幾度か揺れたり。
病みあがりの、しかして快く熱したるわが頬に、
雨をふくめる夜風の
さてわれは、また、かの夜の、
われらの会合に常にただ一人の婦人なる
Kのしなやかなる手の指環を忘るること能はず。
ほつれ毛をかき上ぐるとき、
また、蝋燭の
そは幾度かわが眼の前に光りたり。
しかして、そは実にNの贈れる約婚のしるしなりき。
されど、かの夜のわれらの議論に於いては、
かの
一九一一・六・一五・TOKYO
われはこの国の女を好まず。
読みさしの舶来の本の
手ざはりあらき紙の上に、
あやまちて
なかなかに
われはこの国の女を好まず。
一九一一・六・一六・TOKYO
われは常にかれを尊敬せりき、
しかして今も
かの郊外の墓地の
かれを葬りて、すでにふた月を
実に、われらの会合の席に彼を見ずなりてより、
すでにふた月は過ぎ去りたり。
かれは議論家にてはなかりしかど、
なくてかなはぬ一人なりしが。
或る時、彼の語りけるは、
‘同志よ、われの無言をとがむることなかれ。
われは議論すること
されど、我には何時にても
‘かれの眼は常に論者の
同志の一人はかくかれを評しき。
しかして、今や再びその眼より正義の叱責をうくることなし。
かれは労働者――一個の機械職工なりき。
かれは常に熱心に、且つ快活に働き、
暇あれば同志と語り、またよく読書したり。
かれは煙草も酒も用ゐざりき。
かれの
かのジュラの山地のバクウニンが友を忍ばしめたり。
かれは烈しき熱に冒されて病の床に
なほよく死にいたるまで
‘今日は五月一日なり、われらの日なり。’
これかれのわれに遺したる最後の言葉なり。
その日の朝、われはかれの病を見舞ひ、
その日の
ああ、かの広き額と、
しかして、また、かの生を恐れざりしごとく
死を恐れざりし、常に直視する眼と、
眼つぶれば今も猶わが前にあり。
彼の遺骸は、一個の唯物論者として、
かの栗の木の下に葬られたり。
われら同志の
‘われには何時にても起つことを得る準備あり。’
一九一一・六・一六・TOKYO
わが友は、古びたる
ほの暗き
いろいろの本を取り
そは皆この国にて禁じられたるものなりき。
やがて、わが友は一葉の写真を探しあてて、
‘これなり’とわが手に置くや、
静かにまた窓に
そは美くしとにもあらぬ若き女の写真なりき。
一九一一・六・二五・TOKYO
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顔洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る――
はかなくもまたかなしくも。
場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構へ、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき
この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし
心のうちに描きつつ、
ラムプの
その家に住むたのしさのまざまざ見ゆる心地して、
泣く児に
そを幸ひと口もとにはかなき
さて、その庭は広くして、草の
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の木の腰掛を根に置かむ――
雨降らぬ日は
かの煙濃く、かをりよき
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁を切りかけて、
食事の知らせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……
はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく若き日にわかれ来りて、
月月のくらしのことに疲れゆく、
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも、
なつかしくして、
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付して、
妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。
一九一一・六・二七・TOKYO
見よ、今日も、かの
飛行機の高く飛べるを。
給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。