雲間寸觀

石川啄木




雲間寸觀


大木頭
◎二十三日の議會は豫報の如く所謂三派連合の氣勢の下に提出せられたる内閣不信任の決議案の討議に入り、小氣味よき活劇を演出したるものの如く候。同日午后一時十分開會、諸般の報告終りてより首相の施政方針演説あり、續いて松田藏相より豫算編制に關する長々しき説明ありたる後、憲政本黨の澤代議士より政府の中心何處にあるやとの質問出で首相は政府の中心に政府あり、現政府は上御一人の御信任を負ひ、且つ斯くの如き大政黨を有せりと答へて傲然と政友會の議席を指さし、それより二三の質問ありて後、税法整理案其他の日程に移り、何れも特別委員會附托となり愈々當日の最大問題たる決議案の日程に入る時に午后三時前五分
◎議長は先づ書記をして決議案を朗讀せしむれば拍手は先づ傍聽席の一隅より起り島田三郎氏は提出者の一人として急霰の如き拍手の裡に登壇し例の長廣舌を揮つて民黨聯合軍が勇敢なる進撃の第一聲を揚げ今日の問題は決して黨派の關係感情の問題に非ず、去れば政友會の諸君も衷心を欺かず賛同せよと喝破して降壇せんとするや政友會の院内總理元田肇氏は島田氏に質問ありと叫び君の辯舌が餘りに巧妙なる故趣意の存する所を知るに苦しむ。詰る所現内閣を信任せずとの意に歸する乎と述べしに島田氏は唯靜に然りと答へて微笑しつゝ拍聲手裡に壇を下り、それより元田氏の熱心なる駁論ありしも屡々民黨より嘲笑をあびせかけられたるは實に氣の毒なりし由に候
◎元田氏に續いて大同派の臼井哲夫氏登壇し余等の決議案は島田氏等のそれと多少異なる所なきにあらざれども現内閣不信任と云ふ點に於ては其目的を同うす故に此決議案に賛成すと述べて本論に入らむとせしに、スワこそ一大事民黨三派連合の事實上に成立したりとて、政友會の議席は少なからざる騷擾を始め、森本駿氏は走せて書記官長席に赴き何事か談じ、元田氏また發言を求めて何事か爲さんと企てたるも遂げず遂に財政委員會席に赴き原内相と共に一時場外に退出せる等形勢刻一刻に切迫する間に臼井氏降壇、横井(政)加藤(憲)竹越(政)の諸氏亦騷然たる動搖の間に激烈なる辯論を交換し、憲政本黨の大石正巳氏亦熱心なる賛成演説を試み、立川雲平氏の皮肉なる駁論あり、少なからず民黨の諸將を激昂せしめたる由に候
◎此時松田藏相發言を求めて登壇し内閣の總名代と云つた樣な格にて聯合軍の矢表に立ち島田臼井諸氏に一矢を酬ゐたる後、昨年七八月頃までは増税せず募債せずと宣言し居りしを今になつて増税案を提出したるは不信義なりとの決議案の骨子に對し今や内外の經濟共通となれる時代に際しては世界經濟市場の景況を基本として財政の計畫も亦之に準ぜざるべからざるを以て到底一二年の未來をも豫想する能はず畢竟増税を非とするは道理なきものなりと撃卓勵聲して降壇したる態度は意氣甚だ軒昂、眼中反對者なきものの如かりし由に候。斯くて長谷場純孝氏の提議にて討論終結の動議成立し、杉田議長採決を宣したるに出席總數三百四十五票中
決議案を可とする者 百六十八票
否とする者     百七十七票
にて戰は僅々九票の差にて政府黨の勝利に歸し申候。
◎不信任案は僅々九票の差なりしとは云へ兎も角も政府黨の勝利に歸して否決となり西園寺内閣の運命は茲に強固なる基礎に置かれし如くなるも曩に總辭職の噂傳へられて其一角既に崩落し二十三日の議會に於ては現内閣成立當時の原則たる山西兩系の政治的均勢明白に破壞され、別に又東京商業會議所を代表とせる實業界の強硬なる増税反對あり、今日以後の政局の趨勢果して奈何。之實に刻下に於ける最も重要にして且つ趣味ある問題なるべく候
◎山西兩系の政治的均勢が破壞されたるは之を奈何なる方面より見るも事實として報導すべき充分の理由あり、且つ現内閣成立當時より兩系の間にありて調停の勞を取り好意ある姑の如き地位にありし桂侯も現内閣並びに之を推戴する政友會が往々侯の意表に向つて挑戰的態度に出ること稀ならざるより近時政局の形勢侯の胸中を平靜ならしむる能はず、大同派より提出したる不信任案に對しても自ら雌黄を加へ、餘り面目に關する如き字句を修正したりとさへ消息通の間に傳へられ居れば所謂前内閣系の野心家が遠からず何等かの形式によつて現内閣の運命を威嚇するに至るべく而して其時期は蓋し第二十四議會閉會と同時なるべしとは多數の觀察者の一致する所に候。
◎蓋し、帝國の政府が今にして其の大方を一變せざる限り數年來、否十數年來執り來れる方針の當然の結果として國際上に於ける帝國の地位に鑑み、増税若くは募債の一事は此際遂に免るべからざるものなるべく然かも之を斷行せんとせば必ずや先ず國民全部の怨嗟の的となる覺悟なかるべからず、之即ち前内閣系の野心家が現内閣の生命を議會閉會後まで延ばし置かんとする第一の原因にして敵をして此一難局を處理せしめ然る後に己れ取つて代らんとする心事稍陋とすべし。彼の現内閣が袂を連ねて野に下らんとしたるに際し、伊藤公が聖旨を奉じて總辭職は其時機にあらずと云へる者蓋し又此大勢を視て帝國の前途の爲めに必至なりとせらるゝ此度の増税を比較的無事の間に決せしめむとしたるものに非ざるか。
◎吾人は必ずしも現内閣に悦服する者に非ず。然れども現内閣は彼の藏遞兩相の挂冠と共に一層政黨内閣たる旗幟鮮明となり今や議會に一の政友會を率ゐたるのみにて嘗ては其庇護を受けし山縣桂等の徒黨と勇敢なる政戰を開始したり。吾人は遙かに此中央の風雲を觀望して多大の興味を感ずるものに候。
(明治40・1「釧路新聞」)

雲間寸觀


三十日正午 大木頭
豫算委員總會 二十五日の第一囘總會は同日午前十時半開會首相藏相の挨拶に亞いで、江藤新作氏の軍事費に關する質問あり、寺内陸相之に答へ早速整爾氏の事業繰越に關する質問には、水町大藏次官より説明する所ありて正午散會、何事もなかりし由に候が、二十七日の第二囘總會には不取敢再昨の紙上に電報を以て報じたる如く民黨の重鎭大石正巳氏より噴火山的大質問あり舌端火を吐いて政府に肉薄するの活劇を演じ藏相陸相外相の三相亦熱心なる答辯を試みて正午一先づ休憩したる由に候が大石氏質問の要旨に曰く今囘の財政計畫は反て財政の基礎を不鞏固にする者なり、抑も政府の豫算案には二箇の病根あり此の病根即ち基礎を不確實にするものなり、二箇の病根とは何ぞ一に曰く借金政策二に曰く事業繰延即ち是のみ所謂繰延は既定年限内に於ける繰延に過ぎずして更に年限を延長することなし、又政府當局は外國財界の不況の故を以て公債募集の不能なるを云ふも一億二億の公債は何時にも募集し得らるゝ筈なり或は國内に於ても之を募集し得べし而かも募集し能はざるの事情は内外財界の不況に基くにあらずして財界の不確實なるが故なり、財政の基礎薄弱にして如何でか内外に信用を維持し得べき政府は歳入の目的増加ありと云ふも此の如き不確實なるものを以て到底財政上の信用を得る能はず一時凌ぎの計畫は國家を誤るものなり、政府當局が平和の今日僅かに數千萬圓の公債をも募集し得ざるが如き地位に日本帝國を置きて安心せらるゝは何ぞや、日本の豫算は政治家眼を以て編成せるにあらず又帝國の境遇の如何と事件の緩急とを計りて立てたるものと爲すを得ざるなり抑財政をして最も困難ならしむるものは國防なり、是れ豫算を軍人眼を以て立つるに因る、從て益々經費を軍事に吸收せられ財政は益々困難に陷らざるを得ず。若し外交上より解剖するときは豫算の立て方を明かにするを得べし。首相は日英同盟は益々鞏固なる上日佛日露の協約成りて日本の地位は鞏固になれる旨を演説せられたり。然り日英同盟は益々鞏固にして日露及び[#「及び」は底本では「又び」]日佛協約は愈々日英同盟を鞏固にならしめたり、日佛協約は滿洲北清の方面に於ける危險を免れしめたり。加之英露の協約は殆ど世界の平和を保障せり。然らば日本の東洋に於ける地位が、益々安全鞏固を致せるは何人も疑を容れず斯の如く平和の保障せられ地位の安全なる時に於て財政を整理し民力を休養せずんば單だ何れの日に之を望まん。次に外交の不振に就て質問せん、先づ日清間は如何。ポーツマス條約に伴ふ日清間の交渉は殆んど總て未決の儘に在るにあらずや、清國は可成日本の利益に反する態度を採れるの傾きあり日本は清國に對して一と通りの責任に止まらず指導の重任に膺り清國に向つて大なる恩惠を與へたるにも拘らず清國をして兎角日本の利益に反する態度を採らしむるに至るは外交機關の振はざるに因る、通商貿易に於ても又此の如し移民排斥の如き日本の外交の振はざるが爲めなり、又排斥熱の起れる後に於ても萬事手緩き感あるに非ずや云々と述べ更に交通機關に就て質問せんとしたるに原遞相まだ出席なかりし爲め之れにて一先づ質問を止めたる由に候が、之れに對し松田藏相は斷乎として豫算の編成が軍人眼に出でたりとするは否なりと答へ、寺内陸相は滿洲駐屯軍を二ヶ師團のみに止めたる實例を引きて帝國の軍備が財政を眼中に置かずとの非難は無存なりと論じ、又我國をして今日の状態に至らしめたるは兵力の結果なるが故に軍備が不生産的なりといふ事は出來ぬと怒鳴り、林外相は例の悠揚迫らざる體度にて勢力は之を加ふる方によきも加へらるる方では惡しきものなりとて清國問題に公平穩健なる意見を吐露し、對米問題に關しては、日本人は益々安全なる地位にありと確言したる由に候
◎同上二十八日總會 翌二十八日總會も亦活劇を演出したる由にて島田三郎氏軍備の爲め凡ての事業を犧牲とするも兵器を活用する財政上の基礎ありやと、質問せしに松田藏相は何れの國と雖ども開戰準備金を設くるものならず只萬一の際は國民愛國心に訴ふる外なしと遣込め、早速氏と水町次官との問答中、望月右内氏(政)煩瑣聞くに堪へずと之を攻撃するや、其後席にありし進歩黨の神崎、東尾二氏奮然唸りを發し中にも神崎氏は望月氏と掴み合ひを始めむとするに至り政友會の野田氏が中に飛び込みて怒號慢罵の聲喧しく大立※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)となりしが、幸にして大岡委員長の制止にて鎭靜に歸し次で望月小太郎氏(猶)より日米關係につき説明を求むるため祕密會を要求せしも成立せずして散會したる由に候
◎韓宮の低氣壓 韓國内閣の動搖に關しては一昨日の本欄に多少記載する所ありしが、悲しむべし京城の内外陰時常ならずして一團の低氣壓四大門上を去らず宮内府にては近日女宮を廢し李宮相の歸國を待ちて雅悲四千餘名解散し根本的の肅清を圖ると揚言しつゝありて庶政漸く其緒につくものの如しと雖ども社面には幾多の暗流横溢するものと見え廿八日京城發電は嚴妃の姉聟にあたる閔某が太皇帝及び嚴妃の密旨を受けて大金を携帶し、上海より銃器彈藥を密輸し以て暴徒を幇助せむとせし陰謀發覺し、仁川に於て縛に就ける旨報じ來り候、自ら末路を早むる所以なるを知らざる韓廷の擧措吾人は寧ろ愍情に堪へざるものに候
◎露國議會の解散 凡露國政府は若し國民議會にして海軍再興費を否決するに於ては斷然解散すべしと各議員を威嚇しつゝある由倫敦電報によりて報ぜられ候若し同案を遂行するとせば十ヶ年間に亘り三億一千九百萬磅を要すべく全國の輿論は全たく之に反對しつゝありと申す事に候、現時の世界に於て何處如何なる國の人民も過大なる軍事費の爲めに膏血を絞られざるはなし、こは抑々何事ぞや、心ある者と宣しく一考再考否百考千考すべき所なるべく候。
(明治40・2・1「釧路新聞」)





底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
   1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
初出:「釧路新聞」
   1907(明治40)年1月、2月1日
※初出時の署名は「大木頭」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「先づ」と「先ず」の混在は、底本通りです。
入力:蒋龍
校正:阿部哲也
2012年3月8日作成
2012年8月5日修正
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