郁雨君足下。
函館日々新聞及び君が予の一歌集に向つて與へられた深大の厚意は、予の今茲に改めて滿腔の感謝を捧ぐる所である。自分の受けた好意を自分で批評するも妙な譯ではあるが、實際あれ丈の好意を其著述に對して表された者は、誰しも先づ其の眞實の感謝を言ひ現はすに當つて、自己の有する
さて予は今君に告ぐべき一つの喜びを持つてゐる。それは外ではない。予が現在かういふ長い手紙を君に書き送り得る境遇にゐるといふ事である。予は嘗て病氣……なるべく痛くも苦しくもない病氣をして、半月なり一月なり病院といふものに入つて見たいと眞面目に思つたことがあつた。蓋し病氣にでもなる外には、予は予の忙がしい生活の壓迫から一日の休息をも見出すことが出來なかつたのである。予は予のかういふ弱い心を殊更に人に告げたいとは思はない。
しかし兎も角も予のその悲しい願望が、遂に達せられる時機が來たのである。既に知らした如く、予は今月の四日を以てこの大學病院の客となつた。何年の間殆ど寧日なき戰ひを續けて來て、何時となく痩せ且つ疲れた予の身體と心とは、今安らかに眞白な寢臺の上に載つてゐる。
休息――しかし困つた事には、予の長く忙がしさに慣れて來た心は、何時の間にか心ゆくばかり休息といふことを味ふに適しないものになつてゐた。何かしなくては一日の生命を保ちがたい男の境遇よりもまだみじめである。予は予のみじめなる心を自ら慰める意味を以て……そのみじめなる心には、餘りに長過ぎる予の時間を潰す一つの方法としてこの手紙を書き出して見たのである。
郁雨君足下、
予は今病人である。しかしながら何うも病人らしくない病人である。予の現在の状態を仔細に考へて見るに、成程腹は膨れてゐる。膨れてはゐるけれども痛くはない。さうして腹の膨れるといふことは、中學時代に友人と競走で薯汁飯を食つた時にもあつたことである。たゞそれが長く續いてゐるといふに過ぎない。それから日に三度粥を食はされる。かゆを食ふといふと如何にも病人らしく聞えるが、實はその粥も與へられるだけの分量では始終不足を感ずる位の病人だから、自分ながら餘り同情する所がない。晝夜二囘の診の時は、醫者は
「氣分は?」
「
醫者はコツ/\と胸を叩き、ボコ/\と腹を叩いてみてさうして予の寢臺を見捨てゝ行く。彼は未だかつて予に對して眉毛の一本も動かしたことがない。予も亦彼に對して一度も
郁雨君足下。君も若し萬一不幸にして予と共に病院を休息所とするの、かなしき願望を起さねばならぬことが今後にあるとするならば、その時はよろしく予と共にあまり重くない慢性腹膜炎を病むことにすべしである。これほど暢氣な、さうして比較的長い間休息することの出來る病氣は恐らく外にないだらうと思ふ。
若し強いて予の現在の生活から動かすべからざる病人の證據を擧げるならば、それは予が他の多くの病人と同じやうに病院の寢臺の上にゐるといふことである。さうして一定の時間に藥をのまねばならぬといふことである。それから來る人も/\予に對して病人扱ひをするといふことである。日に二人か三人は缺かさずにやつて來る彼等は、決してそのすべてがお互ひに知つた同志ではないのに何れも何れも相談したやうに餘り長居をしない。さうして歸つて行く時は、恰度何かの合言葉ででもあるかのやうに色々の特有の聲を以て「お大事に」と云つて行く。彼等の中には、平生予が朝寢をしてゐる所へズン/\押込んで來て「もう起き給へ/\。」と言つた手合もある。それが此處へ來ると、寢臺の上に起き上らうとする予を手を以て制しながら、眞面目な顏をして「寢てゐ給へ/\。」と言ふ。予はさういふ來訪者に對しては、わざと元氣な聲を出して「病氣の福音」を説いてやることにしてゐる。――かうした一種のシニツクな心持は予自身に於ても決して餘り珍重してゐないに拘らず何時かしら殆ど予の第二の天性の如くなつて來てゐるのである。
などと
郁雨君足下
人間の悲しい横着……證據により、理窟によつて、その事のあり得るを知り、乃至はあるを認めながら、猶且つそれを苦痛その他の感じとして直接に經驗しないうちは、それを切實に信じ得ない、寧ろ信じようとしない人間の悲しい横着……に就いて、予は入院以來幾囘となく考へを費してみた。さうして自分自身に對して恥ぢた。
例へば、腹の異常に膨れた事、その腹の爲に内臟が晝となく夜となく壓迫を受けて、殆んど毎晩恐ろしい夢を見續けた事、寢汗の出た事、三時間も續けて仕事をするか話をすれば、つひぞ覺えたことの無い深い疲勞に襲はれて、何處か人のゐない處へ行つて横になりたいやうな氣分になつた事などによつて、予はよく自分の健康の著るしく均整を失してゐることを知つてゐたに拘らず、「然し痛くない」といふ極めて無力なる理由によつて、一人の友人が來てこれから大學病院に行かうと居催促するまでは、まだ眞に醫者にかゝらうとする心を起さずに居た。また同じ理由によつて、既に診察を受けた後も自分の病氣の一寸した服藥位では癒らぬ性質のものであるを知りながら、やつぱり自分で自分を病人と呼ぶことが出來なかつた。
かういふ事は、しかしながら、決して予の病氣についてのみではなかつたのである。考へれば考へる程、予の半生は殆んどこの悲しい横着の連續であつたかの如く見えた。予は嘗て誤つた生活をしてゐて、その爲に始終人と自分とを欺かねばならぬ苦しみを味はひながら、猶且つその生活をどん底まで推し詰めて、何うにも斯うにも動きのとれなくなるまでは、その苦しみの根源に向つて赤裸々なる批評を加へることを爲しかねてゐた。それは餘程以前の事であるが、この近い三年許りの間も、常に自分の思想と實生活との間の矛盾撞着に惱まされながら、猶且つその矛盾撞着が稍々大なる一つの悲劇として事實に現はれてくるまでは、その痛ましき二重生活に對する自分の根本意識を定めかねてゐたのである。さうしてその悲しむべき横着によつて知らず識らずの間に予の享けた損失は、殆んど測るべからざるものであつた。
更に最近の一つの例を引けば、予は予の腹に水がたまつたといふ事を、診察を受ける前から多分さうだらうと自分でも想像してゐたに拘らず、入院後第一囘の手術を受けて、トラカルの
それは予が予の身體と重い腹とを青山内科第十八號室の眞白な寢臺の上に持ち運んでから四日目の事であつた。晝飯が濟むと看護婦とその二人の助手とはセツセと色々の器械を予の室に持ち込んだ。さうして看護婦は「今日は貴下のお腹の水を取るのよ。」と言つて、自分の仕事の一つ増えたのを喜ぶやうに
「穴をあけるんですか?」と突然予はかういふ問を發した。「えゝ、然し穴といふほどの大きな穴ぢやありません。」と醫者は立ちながら眞面目に答へた。後から予を押へてゐた雜使婦は予の問と共にプツと吹き出してさうしてそれが却々止まなかつた。若い女の健康な腹に波打つ笑ひの波は、その儘予の身體にまで傳はつて來て、予も亦遂に笑つた。看護婦も笑ひ、醫者も笑つた。そのうちに醫者は、注射器のやうな物を持つて來て、予のずつと下腹の少し左に寄つた處へチクリと尖を刺した。さうして拔いて窓の光に翳した時は二寸ばかりの硝子の管が黄色になつてゐた。すると看護婦は滿々と水のやうなものを充たした中に、黒い護謨の管を幾重にも輪を卷いて浸してある容器を持つて來た。
「今度は見てゐちや駄目、」と後の女はさう言つて予の兩眼に手を以て蓋をした。「大丈夫、そんな事をしなくても……」さう云ひながら、予は思はず息を引いた。さうして「痛い。」と言つた。注射器のやうな物が刺されたと恰度同じ處に、下腹の軟かい肉をえぐるやうな、鈍くさうして力強い痛みをズブリと感じた。
予は首を振つて兩眼の手を拂ひのけた。醫者は予の腹に突き込んだトラカルに手を添へて推しつけてゐた。穴はその手に隱されて見えなかつたけれども、手の外によつて察する穴は直徑一分か一分五厘位のものに過ぎないらしかつた。予は其時思つた。
「これつぱかりの穴を明けてさへ今のやうに痛いのだから、兎ても俺には切腹なんぞ出來やしない。」
見ると看護婦は、トラカルの護謨の管を持つてその先を目を盛つた硝子の容器の中に垂らしてゐた。さうして其の眞黒な管からはウヰスキイのもつと濃い色の液體が音もなく靜かに流れ出てゐた。予はその時初めて予の腹に水がたまつてゐたといふ事を信じた。さうして成程腹にたまる水はかういふ色をしてゐねばならぬ筈だと思つた。
予は長い間ぢつとして、管の先から流れ落つる濃黄色の液體を見てゐた。予にはそれが、殆んど際限なく流れ落つるのかと思はれた。やがて容器に一杯になつた時、「これでいくらです。」と聞いた。「恰度一升です。」と醫師は靜かに答へた。
一人の雜使婦は手早くそれを別の容器に移した。濃黄色の液體はそれでもまだ流れ落ちた。さうして殆んどまた容器の半分位にまで達した時、予は予の腹がひとり
後で聞けばその時の予の顏は死人のそれの如く蒼かつたそうである。しかし予は遂に全く知覺を失ふことが出來なかつた。トラカルを拔かれたことも知つてゐるし、頭と足を二人の女に持たれて、寢臺の上に眞直に寢かされたことも知つてゐる。赤酒を入れた飮乳器の細い口が仰向いた予の口に近づいた時、「そんな物はいりません。」と自分で拒んだことも知つてゐる。
この手術の疲勞は、予が生れてから經驗した疲勞のうちで最も深く且つ長い疲勞であつた。予は二時間か二時間半の間、自分の腹そのものが全く快くなつたかの如く安樂を感じて、ぢつと仰向に寢てゐた。さうして靜かに世間の悲しむべき横着といふ事を考へてゐた。
さうしてそれは、遂に予一人のみの事ではなかつたのである。
郁雨君足下
神樣と議論して泣きし
夢を見ぬ……
四日ばかりも前の朝なりし。
夢を見ぬ……
四日ばかりも前の朝なりし。
この歌は予がまだ入院しない前に作つた歌の一つであつた。さうしてその夢は、予の腹の漸く膨れ出して以來、その壓迫を蒙る内臟の不平が夜毎々々に釀した無數の不思議な夢の一つであつた。――何でも、大勢の巡査が突然予の家を取圍んだ。さうして予を引き立てゝ神樣の前へ伴れて行つた。神樣は年をとつたアイヌの樣な顏をして、眞白な髯を膝のあたりまで垂れ、一段高い處に立つて、ピカ/\光る杖を揮りながら何事か予に命じた。何事を命ぜられたのかは解らない。その時誰だか側らにゐて「もう斯うなつたからには仕方がない。おとなしくお受けしたら可いだらう。」と言つた。それは何でも予の平生親しくしてゐる友人の一人だつたやうだが、誰であつたかは解らない。予はそれに答へなかつた。さうして熱い/\涙を流しながら、神樣と議論した。長い間議論した。その時神樣は、ぢつと腕組みをして予の言葉を聞いてゐたが、しまひには立つて來て、恰度小學校の時の先生のやうに、しやくり上げて理窟を捏ねる予の頭を撫でながら、「もうよし/\。」と言つてくれた。目のさめた時はグツシヨリと汗が出てゐた。さうして予が神樣に向つて何度も何度も繰返して言つた、「私の求むるものは合理的生活であります。たゞ理性のみひとり命令權を有する所の生活であります。」といふ言葉だけがハツキリと心に殘つてゐた。予は不思議な夢を見たものだと思ひながら、その言葉を胸の中で復習してみて、可笑しくもあり、悲しくもあつた。
入院以來、殊に下腹に穴をあけて水をとつた以來、夢を見ることがさう多くはなくなつた。手術を受けた日の晩とその翌晩とは確かに一つも見なかつたやうだ。長い間無理矢理に片隅に推しつけられて苦しがつてゐた内臟も、その二晩だけは多少以前の領分を囘復して、手足を投げ出してグツスリと寢込んだものと見える。その後はまたチヨイ/\見るやうになつた。とある木深い山の上の寺で、背が三丈もあらうといふ灰色の大男共が、何人も/\代る/″\出て來て鐘を撞いた夢も見た。去年の秋に生れて間もなく死んだ子供の死骸を、郷里の寺の傍の凹地で見付けた夢も見た。見付けてさうして抱いて見ると、パツチリ目をあけて笑ひ出した。不思議な事には、男であつた筈の子供がその時女になつてゐた。「區役所には男と屆けた筈だし、何うしたら可いだらうか。」「さうですね。屆け直したら屹度罰金をとられるでせうね。」「仕方がないから今度また別に女が生れた事にして屆けようか。」予と妻とは凹地の底でかういふ相談をしてゐた。
つい二三日前の明方に見た夢こそ振つたものであつた。予はナポレオンであつた。繪や寫眞版でよく見るナポレオンの通りの服裝をして、白い馬に跨つた儘、この青山内科の受付の前へ引かれて來た。戰に敗けて捕虜になつた所らしかつた。「此處で馬を
君、ナポレオンが死ぬのをいやがつたり、逃げ出さうと思つた所が、いかにも人間らしくて面白いではないか。
郁雨君足下。
俄に來た熱が予の體内の元氣を燃した。醫者は予の一切の自由を取りあげた。「寢て居て動くな」「新聞を讀んぢやあいけない」と云ふ。もう彼是一週間になるが、まだ熱が下らない。かくて予のこの手紙は不意にしまひにならねばならなかつた。
彼は馬鹿である。彼は平生多くの人と多くの事物とを輕蔑して居た。同時に自分自身をも少しも尊重しなかつた。隨つてその病氣をもあまり大事にしなかつた。さうして俄かに熱が出たあとで、彼は初めて病氣を尊重する心を起した馬鹿ではないか。
丸谷君が來てくれて筆をとつてやるから言へ、と言ふのでちよつとこれ丈け熱臭い口からしやべつた。(三月二日朝)