硝子窓

石川啄木




     ○

『何か面白い事は無いかねえ。』といふ言葉は不吉な言葉だ。此二三年來、文學の事にたづさはつてゐる若い人達から、私は何囘この不吉な言葉を聞かされたか知れない。無論自分でも言つた。――或時は、人の顏さへ見れば、さう言はずにゐられない樣な氣がする事もあつた。
『何か面白い事は無いかねえ。』
『無いねえ。』
『無いねえ。』
 さう言つて了つて口を噤むと、何がなしに焦々した不愉快な氣持がかすの樣に殘る。恰度何か拙い物を食つた後の樣だ。そして其の後では、もう如何な話も何時もの樣に興を引かない。好きな煙草さへ甘いとも思はずに吸つてゐる事が多い。
 時として散歩にでも出かける事がある。然し、心は何處かへ行きたくつても、何處といふ行くべき的が無い。世界の何處かには何か非常な事がありそうで、そしてそれと自分とは何時まで經つても關係が無ささうに思はれる。しまひには、的もなくほつつき※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて疲れた足が、遣場の無い心を運んで、再び家へ歸つて來る事になる。――まるで、自分で自分の生命を持餘してゐるやうなものだ。
 何か面白い事は無いか!
 それは凡ての人間の心に流れてゐる深い浪漫主義の嘆聲だ。――さう言へば、さうに違ひない。然しさう思つたからとて、我々が自分の生命の中に見出した空虚の感が、少しでも減ずる譯ではない。私はもう、益の無い自己の解剖と批評にはつくづくと飽きて了つた。それだけ私の考へは、實際上の問題に頭を下げて了つた。――若しも言ふならば、何時しか私は、自分自身の問題を何處までも机の上で取扱つて行かうとする時代の傾向――知識ある人達の歩いてゐる道から、一人離れて了つた。
『何か面白い事は無いか。』さう言つて街々を的もなく探し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)る代りに、私はこれから、『何うしたら面白くなるだらう。』といふ事を、眞面目に考へて見たいと思ふ。

     ○

 何時だつたか忘れた。詩を作つてゐる友人の一人が來て、こんな事を言つた。――二三日前に、田舍で銀行業をやつてゐる伯父が出て來て、お前は今何をしてゐると言ふ。困つて了つて、何もないでゐると言ふと、學校を出てから今迄何も爲ないでゐた筈がない、何んな事でも可いから隱さずに言つて見ろと言つた。爲方が無いから、自分の書いた物の載つてゐる雜誌を出して見せると、『お前はこんな事もやるのか。然しこれはこれだが、何か別に本當の仕事があるだらう。』と言つた。――
『あんな種類の人間に逢つちや耐らないねえ。僕は實際弱つちやつた。何とも返事の爲やうが無いんだもの。』と言つて、其友人は聲高く笑つた。
 私も笑つた。所謂俗人と文學者との間の間隔といふ事が其の時二人の心にあつた。
 同じ樣な經驗を、嘗て、私も幾度となく積んだ。然し私は、自分自身の事に就いては笑ふ事が出來なかつた。それを人に言ふ事も好まなかつた。自分の爲事しごとを人の前に言へぬといふ事は、私には憤懣と、それよりも多くの羞恥の念とを與へた。
 三年經ち、五年經つた。
 何時しか私は、十七八の頃にはそれと聞くだけでも懷かしかつた、詩人文學者にならうとしてゐる、自分よりも年の若い人達に對して、すつかり同情を失つて了つた。會つて見て其の人の爲人ひとゝなりを知り、其の人の文學的素質に就いて考へる前に、先づ憐愍と輕侮と、時としては嫌惡を注がねばならぬ樣になつた。殊に、地方にゐて何の爲事も無くぶらぶらしてゐながら詩を作つたり歌を作つたりして、各自他人からは兎ても想像もつかぬ樣な自矜を持つてゐる、そして煮え切らぬ謎の樣な手紙を書く人達の事を考へると、大きな穴を掘つて、一緒に埋めて了つたら、何んなに此の世の中が薩張さつぱりするだらうとまで思ふ事がある樣になつた。
 實社會と文學的生活との間に置かれた間隔をその儘にして笑つて置かうとするには、私は餘りに「俗人」であつた。――若しも私の文學的努力(と言ひ得るならば)が、今迄に何等かの効果を私にもたらしてゐたならば、多分私も斯うは成らなかつたかも知れない。それは自分でも悲い心を以て思ひ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す事が無いでもない。然し文學的生活に對する空虚の感は、果して唯文壇の劣敗者のみの問題に過ぎないのだらうか。

 此處では文學其物に就いて言つてるのではない。
 文學と現實の生活とを近ける運動は、此の數年の間我々の眼の前で花々しく行はれた。思慮ある作家に取つては、文學は最早單なる遊戲や詠嘆や忘我の國ではなくなつた。或人はこれを自家の忠實なる記録にしようとした。或人は其の中に自家の思想と要求とを託さうとした。又或人にあつては、文學は即ち自己に對する反省であり、批評であつた。文學と人生との接近といふ事から見れば、假令たとへ此の運動にたづさはらなかつた如何なる作家と雖も、遂に此運動を惹起したところの時代の精神に司配されずにゐる事は出來なかつた。事實は何よりの證據である。此意味から言へば、自然主義が確實に文壇を占領したといふのも敢て過言ではないであらう。
 觀照と實行の問題も商量された。それは自然主義其物が單純な文藝上の問題でなかつた爲には、當然足を踏み入れねばならぬ路の一つであつた。――然し其の商量は、遂に何の滿足すべき結論をも我等の前に齎さなかつた。嘗て私は、それを自然主義者の墮落と觀た。が、更に振返つて考へた時に、問題其物のそれが當然の約束でなければならなかつた。と言ふよりは、寧ろ自然主義的精神が文藝上に占め得る領土の範圍――更に適切に言へば、文藝其物の本質から來るところの必然の運命でなければならなかつた。
 自然主義が自然主義のみで完了するものでないといふ議論は、其處からも確實に認められなければならない。隨つて、今日及び今日以後の文壇の主潮を、自然主義の連續であると見、ないと見るのは、要するに、實に唯一種の名義爭ひでなければならない。自然主義者は明確なる反省を以て、今、其の最初の主張と文藝の本性とを顧慮すべきである。そして其の主張が文藝上に働き得るところの正當なる範圍を承認すると共に、今日までの運動の經過と、それが今日以後に及ぼすところの効果に就いて滿足すべきである。
 それは何れにしても、文學の境地と實人生との間に存する間隔は、如何に巧妙なる外科醫の手術を以てしても、遂に縫合する事の出來ぬものであつた。假令我々が國と國との間の境界を地圖の上から消して了ふ時はあつても、此の間隔だけは何うする事も出來ない。
 それあるが爲に、蓋し文學といふものは永久に其の領土を保ち得るのであらう。それは私も認めない譯には行かない。が又、それあるが爲に、特に文學者のみの經驗せねばならぬ深い悲しみといふものがあるのではなからうか。そして其の悲みこそ、實に彼の多くの文學者の生命を滅すところの最大の敵ではなからうか。

 すでに文學其物が實人生に對して間接的なものであるとする。譬へば手淫の如きものであるとする。そして凡ての文學者は、實行の能力、乃至は機會、乃至は資力無き計畫者の樣なものであるとする。
 男といふ男は女を欲する。あらゆる計畫者は、自ら其の計畫したところの事業を經營したいと思ふ。それが普通ではなからうか。
(假令世には、かの異常な手段に依つてのみ自己の欲望を充たしてゐる者が、それに慣れて了つて、最早正當な方法の前には何の感情をも起さなくなる樣な例はあるにしても。)

 故人二葉亭氏は、身生れて文學者でありながら、人から文學者と言はれる事を嫌つた。坪内博士は嘗てそれを、現在日本に於て、男子の一生を託するに足る程に文學といふものの價値なり勢力なりが認められてゐない爲ではなからうか、といふ樣に言はれた事があると記憶する。成程さうでもあらうと私は思つた。然し唯それだけでは、あの革命的色彩に富んだ文學者の胸中を了解するに、何となく不十分に思はれて爲方しかたがなかつた。
 又或時、生前其の人に親しんでゐた人の一人が、何事によらず自分の爲た事に就いて周圍から反響を聞く時の滿足な心持といふ事によつて、彼の獨歩氏が文學以外の色々の事業に野心を抱いてゐた理由を忖度そんたくしようとした事があつた。同じ樣な不滿足が、それを讀んだ時にも私の心にあつた。
 又、これは餘り勝手な推量に過ぎぬかも知れぬけれども、内田魯庵氏は嘗て文學を利器として實社會に肉薄を試みた事のある人だ。其の生血のしたゝる樣な作者の昂奮した野心は、あの『社會百面相』といふ奇妙な名の一册に書き止められてゐる。その本の名も今は大方忘られて了つた。そして内田氏は、それ以後もう再び創作の筆を執らうとしなかつた。其處にも何か我々の考へねばならぬ事があるのではなからうか。
 トルストイといふ人と内田氏とを并べて考へて見る事は、此際面白い對照の一つでなければならない。あの偉大なる露西亞人に比べると、内田氏には如何にも日本人らしい、性急な、そして思切りのよいと言つた風のところが見える。

     ○

 自分の机の上に、一つ濟めば又一つといふ風に、後から後からと爲事の集つて來る時ほど、私の心臟の愉快に鼓動してゐる時はない。
 それが餘り立込んで來ると、時として少し頭が茫乎ぼうとして來る事がある。『こんな事で逆上せてなるものか!』さう自分で自分を叱つて、私はまた散りさうになる心を爲事に集る。其の時、假令其の爲事が詰らぬ仕事であつても、私には何の慾もない。不平もない。頭腦と眼と手と一緒になつて、我ながら驚くほど敏活に働く。
 實に好い氣持だ。『もつと、もつと、もつと急がしくなれ。』と私は思ふ。
 やがて一しきり其の爲事が濟む。ほつと息をして煙草をのむ。心よく腹の減つてる事が感じられる。眼にはまだ今迄の急がしかつた有樣が見えてゐる樣だ。『ああ、もつと急がしければ可かつた!』と私はまた思ふ。
 私は色々の希望を持つてゐる。金も欲しい、本も讀みたい、名聲も得たい。旅もしたい、心に適つた社會にも住みたい、自分自身も改造したい、其他數限りなき希望はあるけれども、然しそれ等も、この何にまれ一つの爲事の中に沒頭してあらゆる慾得を忘れた樂みには代へ難い。――と其の時思ふ。
 家へ歸る時間となる。家へ歸つてからの爲事を考へて見る。若し有れば私は勇んで歸つて來る。が、時として差迫つた用事の心當りの無い時がある。『また詰らぬ考へ事をせねばならぬのか!』といふ厭な思ひが起る。『願はくば一生、物を言つたり考へたりする暇もなく、朝から晩まで働きづめに働いて、そしてバタリと死にたいものだ。』斯ういふ事を何度私は電車の中で考へたか知れない。時としては、把手ハンドルを握つたまま一秒の弛みもなく眼を前方に注いで立つてゐる運轉手の後姿を、何がなしに羨ましく尊く見てゐる事もあつた。
 ――斯うした生活のある事を、私は一年前まで知らなかつた。

 然し、然し、時あつて私の胸には、それとは全く違つた心持が卒然として起つて來る。恰度忘れてゐた傷の痛みが俄かにうづき出して來る樣だ。抑へようとしても抑へきれない、紛らさうとしても紛らしきれない。
 今迄明かつた世界が見る間に暗くなつて行く樣だ。樂しかつた事が樂しくなくなり、安んじてゐた事が安んじられなくなり、怒らなくても可い事にまで怒りたくなる。目に見、耳に入る物一つとして此の不愉快を募らせぬものはない。山に行きたい、海に行きたい、知る人の一人もゐない國に行きたい、自分の少しも知らぬ國語を話す人達の都に紛れ込んでゐたい……自分といふ一生物の、限りなき醜さと限りなき愍然さを心ゆく許り嘲つてみるのは其の時だ。
(明治43・6「新小説」十五ノ六)





底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
   1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
初出:「新小説 十五ノ六」
   1910(明治43)年6月
入力:蒋龍
校正:小林繁雄
2009年8月11日作成
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