唐の高宗の時に
「
女は淋しそうに笑った。
「私は、
女はすすり泣きをした。
「僕も男だ、君のそういうことを聞くと、どうにでもしてあげたいが、僕は人間だから、洞庭湖の中へは行けないだろう」
「洞庭の南に大きな橘の木がございます、土地の者はそれを
「それで好いなら、とどけてあげよう」
女は着物の間に入れていた手紙を出して毅に渡した。毅はそれを腰の
「貴女は何のために羊を
「これは羊ではありません、
「雨工とはどんな物ですか」
「雷の類です」
毅は驚いて羊のようなその獣に眼をやった。首の振り方から歩き方が羊と違った荒あらしさを持っていた。毅は笑った。
「では、これを洞庭へとどけてあげよう、そのかわり、帰ってきた時は、貴女は逃げないでしょうね」
「決して逃げはいたしません」
「では、別れましょう、さようなら」
毅は馬を東の方へ向けたが、ちょと行って振り返って見ると、もう女の影も獣の影も見えなかった。
毅はそれから一月あまりかかって故郷に帰ったが、自分の家へ行李を解くなり旅の
「
毅はこんな者に
「大王に拝謁するために来たのです」
「では、お供をいたしましょう」
武士は
「すこしの間、眼をつむってくださいますように、そうするとすぐ行けますから」
毅は武士の言うとおり眼を閉じた。毅の体は自然と動きだした。
「ここでございます」
毅は眼を開けた。そこには宮殿の楼閣が
「ここでお待ちくださいますように」
武士は毅をその殿堂の隅へ連れて行った。毅はここはどうした所だろうと思って聞いた。
「ここはどこだね」
「
「大王はどこにいらるる」
「今、
紫の
「王様だ」
武士はあわてて走って行って迎えた。
「先生がここへ見えられたのは、わしに何を教えてくださるためでございます」
「私は川の畔で、大王のお嬢さんにお眼にかかって、手紙をあずかりましたから、それでまいりました」
毅は女からあずかってきた手紙を出して洞庭君の前へ置いた。洞庭君はそれを取って開けて読みだしたが、みるみるその顔が曇っていった。
「これは私の罪だ」
洞庭君は涙の眼を毅に向けた。
「お陰で早く判ってありがたい、きっと報います」
侍臣の一人が傍へ寄ってきた。洞庭君は女の手紙を渡して宮中へ持って行かした。
「
宮中の方から女達の泣く声が聞えてきた。洞庭君はあわてて傍の者に言った。
「あんな大きな声をしては、
一人の侍臣はまた宮中の方へ行った。毅は銭塘とは何人であろうかと思った。
「銭塘とおっしゃるのは、
「銭塘とは、わしの弟じゃ、
不意に百雷の落ちかかるような大音響が起って、殿堂が崩れるように揺ぎ渡った。と、赤い大きな竜が火を吐きながら空に登って行くのが見えた。毅はびっくりして倒れてしまった。
「怖れることはない、先生に害はない」
洞庭君は
「今日はこれでお
「そう急がないが好い、一つわしの志をさしあげよう」
洞庭君は饗宴の席を設けさして毅と盃をあげた。洞庭君は酒を飲みながら毅が信義を重んじてわざわざ女の手紙をとどけてくれた礼を言って喜んだ。
軟らかな風がどこからともなしに吹いてきて、笑声が聞え、その笑声に交って笛や
「川の囚人が帰ってきた」
洞庭君は嬉しそうに言った。女達の姿は紫の霞に隠れたり見えたりしながら宮中の方へ流れるように行った。
洞庭君はちょと席をはずして宮中の方へ引込んで行ったが、すぐ出てきて毅の相手になった。紫の袍を来て青玉を持ったいかつい顔の貴人が、いつの間にか洞庭君の傍へ来て立った。洞庭君は毅に言った。
「これがわしの弟の銭塘じゃ」
毅は起って行って
「先生がなかったなら、
銭塘君は傲然として言ってから、今度は洞庭君の方を見た。
「さっきここを出てから、
「どれくらい殺した」
「六十万」
「
「八百里傷いました」
「馬鹿者をどうした」
「喰ってしまいました」
「馬鹿者は憎むべきだが、お前もあまりひどいことをやったものだ」
毅はその晩凝光殿へ泊った。翌日になると洞庭君は凝碧宮に饗宴を設けて御馳走をした。その庭には広楽を張ってあって、銭塘の
翌日洞庭君は新たに清光閣に盛宴を張った。銭塘君は酒に酔って毅に言った。
「わしは先生に言いたいことがある、ぜひ
毅は銭塘君の威圧的な言葉が厭であった。
「私は王の剛快明直なやり方は、非常に感心しておりますが、そういうような結婚は、厭でございます、これは大王の御判断を仰ぎたいと思います」
銭塘君は自分の言ったことに気が
「これはわしが悪かった、どうかこらえてくれ」
毅と銭塘君はそのときから知心の友となった。翌日になって毅が帰ることになると、洞庭夫人が
夫人の傍にはいつの間にか川の女が来て坐っていた。夫人は泣いていた。
「今日お別れして、いつまたお眼にかかることができましょう」
毅は銭塘君の言葉を聞かなかったが、女と別れることは苦しかった。毅は燃えるような眼をして女の方を見た。女も悲しそうな眼をして毅の顔を盗み見た。
毅は王宮を出て帰ってきた。十余人の者が洞庭君からの贈物を嚢に入れて
毅はそこで結婚することにして、張姓の家から娶ったがすぐ亡くなったので、今度は韓姓の家から娶ったが、これも二三ヶ月してまた亡くなった。
毅はそれから金陵へ移ったが、
「私は、洞庭の女でございます、小児が生れたからほんとのことを申します」
そこで毅は女と連れ立って洞庭へ行った。後、毅は南海に移ってそこに四十年いたが、容貌がすこしもかわらないので南海の人が驚いた。開元になって玄宗皇帝が神仙のことに心を傾けて道術を聞きにきたので、煩さがって洞庭へ帰って行った。
開元の末になって、柳毅の義弟の
「これを一粒飲めば、一年命が増す、これを飲んでしまったなら、また来るがいい、人間の世におって、苦しむには当らない」
そこで二人は酒を飲んで別れたが、その瑕も後に行方が判らなくなってしまった。