幽霊の衣裳

田中貢太郎




 三代目尾上菊五郎おのえきくごろうは怪談劇の泰斗として知られていた。其の菊五郎は文化年代に、鶴谷南北つるやなんぼくの書きおろした『東海道四谷怪談』を木挽町こびきちょう山村座やまむらざで初めて上演した。其の時菊五郎はおいわ田宮たみや若党わかとう小平こへい、及び塩谷えんや浪人佐藤与茂七さとうよもしちの三役を勤めたが、お岩と小平の幽霊は陰惨を極めたもので、当時の人気に投じて七月の中旬から九月まで上演を続けた。
 其の後天保てんぽうになって菊五郎は、堺町さかいまち中村座なかむらざ夏演戯なつしばいまた『四谷怪談』をやる事になり、新機軸を出すつもりで、幽霊の衣裳に就いて考案したが、良い考えが浮ばなかった。
 ちょうど其の時、中村座に関係していた蔦芳つたよしと云う独身者どくしんものがいた。それは、演戯茶房しばいちゃや蔦屋つたや主翁ていしゅ芳兵衛よしべえと云う者であったが、放蕩ほうとうのために失敗して、吉原角町河岸よしわらすみちょうがしつぶれた女郎屋の空店あきだなを借りて住んでいた。
 蔦芳は中村座の開場が近くなったので、毎日吉原から通っていたが、某日あるひ浴衣ゆかたが汗になったので、更衣きがえするつもりで二階の昇口あがりぐちったところで、わかい男が梯子段はしごだんへ腰をかけていた。蔦芳は自分にことわらないで、あがりこんでるのは何人たれだろうと思って見たが、夕方で微暗うすぐらいのではっきり判らなかった。
「おい、おめえは何人たれだ、其処そこにいちゃ邪魔にならあ」
 気の強い蔦芳は、いきなり足で其の男をっておいて二階へあがり、俳優やくしゃのお仕着しきせの浴衣をって来たが、おりる時にはもう其の男は見えなかった。
 それから五六日して蔦芳は、またわかい男が便所の口に立っているのを見たので、其の日中村座へ往って其の事を話した。
 小屋の者はそれを菊五郎に話した。幽霊の衣裳を考案していた菊五郎は、早速蔦芳を自宅へ呼んで、今度出たら着附を良く見ておいて知らしてくれ、骨折賃を二両出そうと云った。其の時の二両は可成な金であるから、蔦芳は喜んで幽霊の出現を待っていた。
 すると中村座の初日の二日前の夜、其の幽霊が蔦芳のている部屋へぬうと現れた。蔦芳はしめたと思ってく見た。二十四五の壮い男で、衣服きもの浅黄木綿あさぎもめんの三つかしわ単衣ひとえであった。蔦芳は夜の明けるのを待ちかねて、菊五郎のもとへ駆けつけた。菊五郎はそこで小平の衣裳を浅黄木綿石持こくもちの着附にして、其の演戯しばいに出たので好評をはくした。
 蔦芳の見た幽霊は、蔦芳が後で調べてみると、其処の女郎屋の壮佼わかいしゅであった。其の壮佼の徳蔵とくぞうと云うのは、病気の親に送る金に困って客の金を一盗んだ。因業者いんごうもので通っていた主翁ていしゅは、それを突き出したので徳蔵は牢屋に入れられ、其のうちに病死したが、其の徳蔵がかれて往く時着ていた衣服は、店のおんながやった浅黄木綿三つ柏の単衣であった。
悟道軒円玉ごどうけんえんぎょく氏談)





底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
   1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
   1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年8月20日作成
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