これは喜多村緑郎さんの持ち話で、私も本年六月の
明治三十四五年のことであったと喜多村さんは云っている。其の
「なにか、そんなことがあったのか」
と云って聞くと、老妓が頷いて話しだした。それはなんでも四五年前のことであったらしい。やはりとんだ屋へ来る客の中に、
某時若旦那の一行は、心斎橋の幡半へ飯を喫いに往った。一行は若旦那、若旦那のお馴染の
やがて幡半の座敷へあがった。ところで幡半の婢が蒲団を持って来たが、それは五人前であった。皆いそがしいのでまちがえたものだろうとおもっていると、今度は五人前の茶を持って来た。皆がへんな顔をして何か云おうとすると、若旦那が押えて、「まあ、まあ、うっちゃっとけ」と云うので、皆が黙っているうちに
「若旦那だ、若旦那だ、若旦那が、さっき、うっちゃっとけと仰しゃったから、若旦那に覚えがある」
其の晩は幡半に泊ったが、怪しい憑きもののことが皆の頭をはなれないので、それでは浜寺へ往ってほんとうに憑いているか憑いていないかをたしかめようと云って、其の翌日、難波の停車場から汽車に乗って和歌山まで往き、其処から海岸の松原を通って、浜寺の一力へあがった。皆好奇の眼を光らしながら座敷へ通ったところで、婢が蒲団を持って来て敷いた。蒲団は五枚であった。
「やっぱりそうだ」
皆がぞっとなった。ところで婢が茶をはこんで来た。其の茶も五人前あった。そして、テーブル料理の出来るのを待って、飯を喫おうとしたところで、婢はまたしても料理を五人前に執りわけた。
「たしかに憑いている」
「此のうちの
「何人だろう」
皆、一力の婢に知れないようにして囁きあったが、其のうちに日が暮れたので帰ろうとすると、一力の婢が二人提灯を点けて送ってくれた。
其の婢の一人は一ばん
「へんなことを聞くようですが、私達は、幾人おります」と云うと、
「五人じゃありませんか」
と云った。そこで老妓は指をさして、
「あの若旦那と、校書さんと、仲居さんとの他に、まだ
と云うと、婢は、
「銀杏返に結ってらっしゃる方が、まだ一人いらっしゃるじゃありませんか」と云った。老妓は眼を見はった。
「何処に」
と云うと、婢は指を
「其処にいらっしゃるじゃありませんか」
と云った。老妓はふるえあがって心の中で念仏を唱えながら、婢に縋りつくようにして歩きあるき、やっと停車場へ往ったところで、待ちあわしている乗客の中に、やはりとんだ屋の客の一行がいたので心丈夫になった。老妓はそこで四人前の切符を買ってそれぞれ手渡ししたが、若旦那の傍にいるのが淋しいので、一方の客の方へ往って話していて、汽車が着いてから若旦那の方へ往った。
若旦那はこれからもう一軒往ってたしかめると云うので、今度はとんだ屋の前の丸万へ往った。丸万は入りごみの客のある料理屋であるから、其処ではどんなことになるだろうと思って、皆がまた好奇の眼をあつめていると、やっぱり五人前の蒲団を持って来た。
「やっぱり憑いている」
わけて老妓は銀杏返に結った怪しい女がそばにいるようで体がぞくぞくした。蒲団の後から料理の皿を持って来たが、それも五人前ずつ持って来た。もう憑きものをたしかめることはたくさんであるから、そこそこに引きあげてとんだ屋へ帰って大騒ぎをした。とんだ屋には汽車でいっしょになった客の一行もいて騒いでいたから、老妓は念のためにと思って、其の客に、
「さっき、私達は、幾人おったと思います」と云ってみた。すると其の客は、
「五人いたじゃないか、どうしたのだ」と云った。