地獄の使

田中貢太郎




 昼飯がすむと、老婆は裏の藪から野菊や紫苑しおんなどを一束折って来た。お爺さんはこの間亡くなったばかりで、寺の墓地になった小松の下の土饅頭には、まだ鍬目が崩れずに立っていた。
 老婆はその花束を裏の縁側へ置いて、やっとこしょと上へ昇り、他処よそ往きの布子ぬのこに着更え、幅を狭くけた黒繻子の帯を結びながら出て来たところで、人の跫音がした。表門の方から来て家の横を廻って来る静な跫音であった。
「話が長くなるとお墓参りがおくれるがなあ」
 老婆は気がねのいる人が来たではないか、と思ってちょっと困った。家の隅になった赤い実の見える柿の木の下へ、嬰児あかんぼを負ったおんなが来た。それは孫むすめであった。
「ああ、お前か、私はまた何人だれかと思ったよ」
 孫女は隻手に手籠を持っていた。彼女は老婆と顔を見あわすと、にっと口元で笑ったが、老婆の着更をしているのを見ると、
「お墓参り」
 老婆はもう縁側に出ていた。
「昨日も一昨日おとといも、雨で往かれざったから、今日は往こうと思ってな」
 と云って、孫むすめの背に負っている嬰児あかんぼを見たが、嬰児は睡っていた。
「おお、おお、睡っているな、可愛い可愛い顔をして」
「今、睡ったばかりよ」
 と、孫女は手籠を縁側に落すように置いて、
「今日は芋を掘りましたから、すこし持って来ました」
 老婆は籠の中を覗いた。きれいに洗った里芋の新芋が八分目ばかり盛ってあった。
「これはありがたい、晩には煮て、お爺さんにもあげよう、籠を借りて置いてもかまわないかな」
「かまいませんよ、この次に貰って往きますから」
 と、孫女は縁側に腰をかけて、
「お婆さんは、出掛だけれど、ちょっと話がありますが」
「どんな話だよ、かまわない、話があるなら話してみな」
 老婆は孫女の身に、何か心配ごとでも起ったのではあるまいか、と、思って縁側に蹲んで、孫女の顔を覗き込むようにした。
「私のことじゃない、お婆さんのことじゃが、お婆さんが我家うちに来ないもんじゃから、我家の作造が心配して、お婆さんは何か私に気に入らないことがあって、それで来ないかも判らん、よくお婆さんの腹を聞いてくれ、私のいたらん処はなおすと云うて心配しておりますよ、お婆さんは何故我家へ来ません」
「なに往くとも、どうせお前等二人に世話になろうと思うておるが、四十九日の間は、魂魄が家の棟を離れないと云うことじゃからな、四十九日でもすんで、そのうえでと思うておるところじゃ、作造さんになんの気に入らんことがあるものか」
「そんなら、四十九日がすんだら、我家うちへ来るの」
「四十九日でもすんだなら、そのうえで定めようと思うておるが、まだお婆さんはこのとおり体が達者だから、当分一人で気楽にこうしておっても好い」
「お婆さんは気楽で好いかも知れんが、お婆さんを一人置くと、私等が心配でならん、それに第一用心が悪いじゃないか」
「なに大事な物は、本家に預けてあるし、病に罹りゃすぐ目と鼻との間じゃ、近処の衆が、一走りに知らしてくれるし、心配はないよ」
「それは、そうでも、お婆さんを無人の家へ一人置くことは、世間の手前もありますから、四十九日がすんだら我家へ来たらどう」
「往っても好い、私はべつにどうと云うことはないしな」
「それでは、来て貰いますよ」
 と、孫むすめはだめを押して、
「私は帰ります、お婆さんと、其処までいっしょにしましょう」
 老婆はお爺さんの墓までのかなりある距離を浮べて早く往かないと帰りが遅くなると思った。彼女は花束を持ってそそくさと下に降りた。

 夕方になって老婆は墓参から帰って来た。この五六日水気の来たような感じのあった右の足のこむらの筋が、歩いているうちに張って来たので、老婆はすこし跛を引くようにしていた。彼女はお茶を一ぱい飲んでちょっと休み、それから夕飯の準備したくにかかろうと思って、庖厨かっての庭から入り、上にあがろうとすると、椀へ入れたきびの餅が眼にいた。黄色な餅の数は五つばかりあった。
(これは何処から持って来てくれたろう)
 老婆は餅の贈り主を考えてみた。本家のむすめ、むこう隣の小作人の女房、家から西になった門口に大きな榎のある家の老婆、こんな人達のことが浮んだ。
(大榎の婆さんには、さっき逢ったし、本家は昨日団子をくれたばかりじゃから、また今日くれることもなかろう、それではむこうの馬吉の家か)
 むこう隣の小作人の家らしくもあったが、其処は多忙で餅などをこしらえている余裕のないことを知っている老婆は、どうも其処と思うこともできなかった。
(まあ、いい、いずれ判るろうから、判った時に礼を云うとして、お爺さんにあげて置いて、後で戴くとしよう)
 老婆はあがって餅の椀を持って次の室へ往き、其処の仏壇に供えて、庖厨かってへっついの前へ戻り、肥った体を横坐りにして、茶釜から冷たい茶を汲んで飲んだ。腓の張りは何時の間にか忘れていた。彼女は小半時も其処に坐ってから、やっと夕飯の準備したくにかかった。微暗くなったへっついの下には、火がちょろちょろと燃えた。
 里芋が煮え、茶が沸いた。老婆は里芋を皿へ盛って仏壇の前へ往き、それをさっきの餅と並べて供え、その並びの棚から油壺を執って、瓦盃かわらけに注ぎ、それから火打石でこつこつと火を出して灯明をあげ、それがすむと前に坐って念仏をはじめた。
 老婆の前には、黄濁色の顔をしたお爺さんが来て立っていた。そして、お勤めがすむと、老婆の心は餅に往った。老婆は餅も喫ってみたければ、初物の里芋も喫ってみたかった。
(餅は寝しなに喫おう、今、喫っては旨くないから)
 老婆は庖厨へ戻って、行灯を点け、その灯で夕飯の箸を執った。そして飯がすむと、膳をかたづけて、へやの隅から練った麻と、小さな桶を持って来て、麻を紡ぎはじめた。小さくへいで捻りあわせた麻糸は、順じゅんにその桶の中へ手繰り込まれた。
 老婆は時どき降りて裏口にある便所へ往った。暗い中に虫の声が聞えていた。うすら寒い風が襟元を撫でてさびしかった。彼女は何時の間にかお爺さんのことを思い出していた。
 お爺さんは亡くなる日まで、何かと云えば口癖のように離縁する離縁すると云っていた。その詞がお婆さんの耳に蘇生よみがえっていた。
 何時かもじぶんの里に紛擾が起ったので、それへ往っていて夜になって帰って来ると、膳さきの酒を一人で飲んでいたお爺さんが、
「どちらへお出でになっておりました」
 と、嘲るように云った。老婆が黙っていると、
「云えなかろう、云えないて、俺の家へ嫁入って来たからには、俺の家の者じゃ、いくら身内に何があろうとも、一応俺の許しを受けてから往くのが順当じゃ、黙って往くと云う法はない」
 と、お爺さんは双手を一ぱいに張って見せる。
「花嫁で耻かしいから、云わざったわよ」
 と、老婆が嘲り返す。お爺さんは憤って、膳の上の茶碗を投げつけて、
きさまのような奴は、もう許さん、今日限り離縁する」
 老婆はお爺さんのことを思いだし思いだししていた。そして、今度便所に往った時に見ると、三つ星がもう裏の藪の上へ傾いていた。で、老婆は寝ることにして、戸締をし壁厨おしいれから蒲団を出しているうちに、また餅のことを思いだしたが、腹が一ぱいで何も喫ってみる気がしない。
(明日の朝にしよう、もう腐るようなことはない)
 老婆は仏壇の明りをしめして来て、行灯の灯をなおし、それから寝床に入ろうとすると、表の戸を叩く音がした。
「頼もう、頼もう」
 それはことばの使い方からして、近隣きんじょの人の声ではなかった。お上の御用を扱うている村役人ではないかと思った。老婆は行灯を提げて往った。
「頼もう、頼もう」
「はい、はい」
 老婆は表の入口の端になった雨戸を一枚開けた。暗い中にがさがさと物音をさして、行灯の灯のしょぼしょぼした光の中へ入って来たものがあった。それは青い錦の道服を着た者と、赤い錦の道服を着た者であった。二個の手にぴかぴか光る鉾があった。老婆はびっくりしてその顔を見た。青い道服を着た方の顔は、絵にあるような青い鬼で、赤い道服を着た方の顔は、赤い鬼であった。老婆はつくばってしまった。
「怖がることはない、俺達は此処の爺さんに頼まれて来た者じゃ」
 と、赤鬼が云った。
「此処では話ができん、内へ入って話そう」
 と、青鬼が云った。青鬼はもう隻足を敷居に踏みかけていた。
 老婆はふらふらと起ちあがって、顫う手に行灯を持った。青鬼と赤鬼の二疋は、胴を屈めるようにしてあがった。老婆は鬼に近寄られないようにと背後うしろ向きに引きさがった。そして、仏壇のある室まで往くと、老婆はべたりと坐ってしまった。二疋の鬼もそのまま其処へ衝立った。
「おい婆さん、俺達は地獄から此処の爺さんに頼まれてやって来た者じゃが、此処な爺さんは、この世に在る時に、あまり因業であったから、閻魔王の前で、夜も昼も呵責を受けて、その苦しむさまが、如何な俺達にも傍で見ていられない、閻魔王に願ってみると、許しがたい奴じゃが、五十両出せば許しても好いと仰せられるから、それを爺さんに話してみると、我家うちへ往って婆さんに話せば、それ位の金は出来ると云うから、それで二人で来てやったが、すぐその金が出来るのか、他とちがって地獄から来た者じゃ、べんべんと長くは待たれない、すぐ出来るなら持って往ってやっても好い」
 と、青鬼が云った。老婆はもう涙を滴して口をもぐもぐさしていた。
「できます、できます、手許にはないが、親類にあずけてありますから、じき執って来ます、どうぞちょっと待ってくだされ」
「すぐ執って来るなら待ってやっても好いが、遅くはないだろうな」
 と、青鬼が念を押した。老婆は気がうわずったようになっていた。
「ど、ど、して、遅くなりますものか、小半時もかかりません、どうぞ、ちょっと待ってくだされ、お爺さんがいとしい」
「しかし婆さん、俺達は地獄の使じゃ、こんなことを他の人間に話したりすると、俺達も此処にこうしていられん、そんなことは云わずに、金を持って来んといかんぜ」
 と、赤鬼が云った。老婆は話の中から頷いていた。
「それは、もう、そんなことをなにしに申しましょう、黙って執って来ますから、どうぞ待ってくだされ」
「そんなら好い、待ってやる」
 と、青鬼が云うと、老婆は急いで表の方へ出て往った。青鬼と赤鬼はその後を見送って、耳を澄ますようにしていた。
 老婆の雨戸を締めて出て往く音がした。青鬼は手にした鉾を襖に立てかけた。
「旨くいったな」
「うむ、旨くいった」
 と、赤鬼も鉾を襖に立てかけた。
「すこし休もうか」
 と、青鬼がまた云った。
「よかろう」
 と、赤鬼が同意した。そして、二疋の鬼は其処へ胡坐をかいた。
「脱いでも好いだろう」
「そうじゃ、脱いでもいいな」
 二疋は首の周囲に手をやって、何かかさかさとやっていたが、やがて赤鬼からさきに鬼の顔を除ってしまった。皆鬼の面を着ていた者であった。赤鬼の面を着ていたのは、わかい色の白い男で、青鬼の面を着ていたのは、頬髯の濃い角顔の男であった。
「旨くいったな」
「大丈夫じゃ」
 青鬼の方の男は行灯の灯で、仏壇に供えてある餅を見つけた。
「好い物があるぞ」
 と、彼は起って仏壇に手をやり、二つの餅を執って来て、一つを赤鬼の男にやってその一つを己の口に入れた。

 寝ていた本家を起して、すこし都合があるからと、預けてあった金の中から五十両を無理から貰って、急いで我家うちへ帰って来た老婆は、仏壇の間へ入るとともに驚きの声を立てた。老婆の挙動に不審を抱いて、その後から尾行して来た本家の主人は、その声を聞くと家の中へ飛び込んで来た。そこには神楽の衣裳を着た二人の男が、俯向きになって血を吐いて死んでいた。その傍には赤鬼と青鬼の面もあった。
 血を吐いて死んでいた者は、その附近に出没する博徒であった。二人は老婆から金を騙取する目的で、村の鎮守の神庫を破って、其処から神楽の装束を持ち出したものであった。そして、その二人を殺した餅も、やはり金に眼をつけた村の悪漢の所為せいであったが、その悪漢も日ならず村はずれの松並木の下で磔殺たくさつせられた。
 老婆はその夜のうちに孫婿の許へ引移った。





底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
※「私はまた何人だれかと」「庖厨かっての庭から入り」は、底本では「私はまだ何人だれかと」「疱厨かっての庭から入り」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について