大正八年二月二十六日、
その勇士小島勇次郎が戦死してから半ヶ月ばかり経ってのこと、その生家では年とった母親が、
「起きてくれ、お父さんも、弟も妹も、皆起きてここへ来てくれ、話がある」
それは鋭い男性的な声であった。父親は勇次郎の戦死の通知があって以来、老妻が非常に落胆していたので、ついすると発狂したかも
「よし、皆来てくれたか、俺は勇次郎だ、俺はお国のために戦死したのだ、それだのに、お母さんは、毎日毎日、仏壇の前へ来て泣く、俺はそれが何より辛い、だから泣いてもらわないために、戦争の
と云って、話しだした。それによると、二月二十五日の朝、田中支隊を乗せた汽車が待避線に着くと、香田小隊が将校斥候になって出発したが、その夜九時頃になって、その将校斥候から報告が来た。で、緊急集合の命令が出た。そこで真暗い中で
「だからもう歎いてくれるな、俺はお国の役に立って死んだのだから、きれいに諦めて、それでお父さんもお母さんも、達者で暮してもらいたい、弟や妹は、俺の分まで孝行してくれ」
と云った。それを聞くと父親が、
「お前は、今夜来るくらいなら、死んだ時何故知らせなかった」
と云うと、
「お父さんやお母さんに知らせると、歎くと思ったから、二人の弟にだけ、その晩に知らしてある」
と云った。そこで父親は、次男と三男に尋ねてみると、
「その通りだ、あの晩、私等二人は、兄さんが顔を血だらけにして帰った夢を見たが、皆が心配すると思って黙っていた」
と云うと、
「そうとも、それで皆判ったろう、これだけ
同時に母親は其の場に倒れて昏睡状態に陥り、翌日の