牡丹燈籠 牡丹燈記

田中貢太郎




 日本の幽霊は普通とろとろと燃える焼酎火しょうちゅうびの上にふうわりと浮いていて、腰から下が無いことになっているが、有名な円朝えんちょう牡丹燈籠ぼたんどうろうでは、それがからこんからこんと駒下駄こまげたの音をさして生垣いけがきの外を通るので、ちょっと異様な感じを与えるとともに、そのからこんからこんの下駄の音は、牡丹燈籠を読んだ者の神経に何時いつまでものこっていて消えない。
 この牡丹燈籠は、「剪燈新話せんとうしんわ」の中の牡丹燈記ぼたんとうきから脱化したものである。剪燈新話はみん瞿佑くゆうと云う学者の手になったもので、それぞれ特色のある二十一篇の怪奇談を集めてあるが、この説話集は文明年間に日本に舶来はくらいして、日本近古の怪談小説に影響し、いて江戸文学の礎石そせきの一つとなったものである。
 牡丹燈記の話は、明州めいしゅう即ち今の寧波にんぽう喬生きょうせいと云う妻君さいくんを無くしたばかしのわかい男があって、正月十五日の観燈かんとうの晩に門口かどぐちに立っていた。この観燈と漢時代に一の神を祭るに火をつらねて祭ったと云う遺風から、そのは家ごとにともしびを掲げたので、それをようとする人が雑沓ざっとうした。本文ほんもんに「初めて※(「耒+禺」、第3水準1-90-38)ぐううしのうて鰥居無聊かんきょむりょうまたでて遊ばず、ただ門につて佇立ちょりつするのみ。十五こう尽きて遊人ゆうじんようやまれなり。※(「Y」に似た字、第4水準2-1-6)あかんを見る。双頭そうとう牡丹燈ぼたんとうかかげて前導ぜんどうし、一うしろしたがふ」と云ってあるところを見ると、喬生は妻君さいくんを失うた悲しみがあって、遠くの方へ遊びに往く気にもなれないで、門にりかかってぼつねんとしていたものと見える。そして三こうがすぎて観燈の人も稀にしか通らないようになった時、稚児髷ちごまげのような髪にした女のに、かしらに二つの牡丹の花のかざりをした燈籠とうろうを持たして怪しい女が出て来たが、その女は年のころ十七八の紅裙翠袖こうくんすいしゅうの美人で、月の光にすかしてみると韶顔稚歯しょうがんちし国色こくしょくであるから、喬生は神魂瓢蕩しんこんひょうとうじぶんで己を抑えることができないので、女のあとになりさきになりしていて往くと、女がふりかえって微笑しながら、「初めより桑中そうちゅう無くして、すなわ月下げっかぐう有り、偶然にあらざるに似たり」と持ちかけたので、喬生は、「弊居咫尺へいきょしせき佳人かじんく回顧すべきや否や」と、云って女を己の家へれて来て歓愛を極めた。素性すじょうを聞くともと奉化県ほうかけん州判しゅうはんむすめで、姓は、名は麗卿れいきょうあざな淑芳しゅくほうじょちゅうの名は金蓮きんれんであると云った。おんなはまた父が歿くなって一家が離散したので、金蓮と二人で月湖げっこの西に僑居かりずまいをしているものだとも云った。
 女はその晩を初めとして、日が暮れると来てが明けると帰って往った。半月ばかりして喬生の隣に住んでいる老人が、壁に穴をあけてのぞいてみると、喬生がお化粧をした髑髏どくろと並んで坐っているので、おおいおどろいて翌日喬生に注意するとともに、月湖の西に女がいるかいないかを探りに往かした。喬生は老人のことばに従って湖西こせいへ往って女の家を探ったが何人だれも知った者がなかった。夕方になって湖の中に通じたみちを帰っていると、そこに湖心寺こしんじと云う寺があったので、ちょっと休んで往こうと思って寺へ入り、東の廊下を通って西の廊下へ往ったところで、廊下のめに暗室があって、そこに棺桶かんおけがあって紙をり、もとの奉化府州判のむすめ麗卿のひつぎと書いてあった。そして、その柩の前に二つの牡丹の飾のある燈籠をけ、その下に一つの盟器婢子わらにんぎょうを立てて、それには背の処に金蓮と云う文字を書いてあった。喬生は恐れて寺を走り出て隣家まで帰り、そのは老人の家に泊めてもらって、翌日玄妙観げんみょうかんと云う道教の寺にいる魏法師ぎほうしもとへ往った。魏法師は喬生に二枚の朱符しゅふをくれて、一つをかどに貼り一つをねだいに貼るように云いつけ、そのうえで二度と湖心寺へ往ってはいけないと云っていましめた。
 喬生は帰って魏法師に云われたようにしたので、その晩から怪しい女は来なくなった。一月あまりして袞繍橋こんしゅうきょうに住んでいる友人の許へ往って酒を飲み、酔って帰ったが魏法師のいましめを忘れて湖心寺のほうのみちから帰って来た。そして、寺の門の前へ往ってみると、金蓮が出ていて、「娘子じょうし久しく待つ、何ぞ一向いっこう薄情かくごとくなる」と、云って遂に喬生ととも西廊せいろうへ入って暗室の中へ往くと、の女が坐っていて喬生をせめ、その手を握って柩の前へ往くと、柩のふたひらいて二人をんでしまった。喬生の隣家の老人は喬生が帰らないので、あちらこちらと尋ねながら湖心寺へ来て、暗室へ往ってみると柩の間から喬生の衣服のすそかすかに見えていた。で、僧に頼んで柩をあけてもらうと、喬生は女の髑髏どくろと抱きあって死んでいた。
 これが牡丹燈籠の原話げんわ梗概こうがいであるが、この原話は寛文かんぷん六年になって、浅井了意あさいりょういのお伽婢子とぎぼうこの中へ飜案ほんあんせられて日本の物語となり、それから有名な円朝の牡丹燈籠となったものである。
 伽婢子では牡丹燈籠と云う題になって、場所を京都にしてある。五条京極きょうごく荻原新之丞おぎわらしんのじょうと云う、近きころ妻におくれて愛執あいしゅうの涙そでに余っている男があって、それが七月十五日の精霊祭しょうりょうまつりをやっている晩、門口かどぐちにたたずんでいると、二十ばかりと見える美人が十四五ばかりのわらわに美しき牡丹花ぼたんのはなの燈籠を持たして来たので、魂飛び心浮かれてあとになりさきになりしていて往くと、女の方から声をかけたので、じぶんの家へれて来て和歌をみあっておもいを述べ、それから観眤かんじを極めると云うほとんど追字訳ついじやくのような処もあって、原話げんわからすこしも発達していないが、西鶴以前の文章の第一人者と云われている了意の筆になっただけにてがたいところがある。そして、その物語では女は二階堂左衛門尉政宣にかいどうさえもんのじょうまさのぶ息女そくじょ弥子いやことなり、政宣が京都の乱に打死うちじにして家が衰えたので、わらわ万寿寺ばんじゅじほとりに住んでいると荻原に云った。荻原は隣家りんかおきなに注意せられて万寿寺に往ってみると浴室の後ろに魂屋たまやがあって、かんの前に二階堂左衛門尉政宣の息女弥子吟松院冷月居尼ぎんしょういんれいげつきょにとし、そばに古き伽婢子とぎぼうこがあって浅茅あさぢと云う名を書き、ひつぎの前には牡丹花ぼたんのはなの燈籠の古くなったのをけてあった。荻原は驚いて逃げ帰り、東寺とうじ卿公きょうのきみと云う修験者しゅげんじゃにおふだをもらって来てると、怪しい物も来ないようになったので、五十日ばかりして東寺に往って卿公に礼を云って酒を飲み、その帰りに女のことを思いだして、万寿寺に往って寺の中を見ていると、の女が出て来て奥の方へれて往ったので、荻原のしもべきもつぶして逃げ帰り、家の者に知らしたので皆で往ってみると、荻原は女の墓に引込まれて白骨と重なりあって死んでいた。
 円朝の牡丹燈籠はこの了意の牡丹燈籠から出発したものである。ただ場所も東京になり物語も複雑になって、怪談は飯島家のお家騒動の挿話のようになっているが、了意の飜案ほんあんから出発したと云うことについては争われないものがある。それはおつゆと云う女に関係した浪人の萩原はぎわら新三郎の名が、荻原新之丞をもじったものであるにみても判ろう。円朝の物語は長いからここにははぶくとして、新三郎が怪しい女にった晩の数行を引用してみると、「今日きょうしも盆の十三日なれば、精霊棚しょうりょうだな支度したくなどを致して仕舞ひ、縁側えんがわ一寸ちょっと敷物を敷き、蚊遣かやりくゆらして新三郎は、白地の浴衣ゆかたを着深草形ふかくさがた団扇うちわを片手に蚊を払ひながら、え渡る十三日の月を眺めて居ますと、カラコンカラコンと珍らしく駒下駄こまげたの音をさせて、生垣いけがきの外を通るものがあるから不図ふと見れば先へ立つものは、年頃三十位の大丸髷おおまるまげの人柄のよい年増としまにて、其頃そのころ流行はやった縮緬細工ちりめんざいく牡丹ぼたん芍薬しゃくやくなどの花の附いた燈籠をげ、其後そのあとから十七八とも思われる娘が、髪は文金ぶんきん高髷たかまげい、着物は秋草色染あきくさいろぞめ振袖ふりそでに、緋縮緬ひぢりめん長襦袢ながじゅばん繻子しゅすの帯をしどけなく結び、上方風かみがたふう塗柄ぬりえ団扇うちわを持つてパタリパタリと通る姿を月影にすかし見るに、どうも飯島の娘おつゆのやうだから、新三郎は伸び上り、首を差延さしのべて向ふをると女も立ち止まり、「マア不思議じゃア御座ございませんか、萩原さま」と、云はれて新三郎も気が浮き、二人を上にあげて歓愛に耽る」と云うことになっているが、この物語では、萩原の裏店うらだなに住む伴蔵ともぞうと云う者がのぞいて、白翁堂勇斎はくおうどうゆうさいに知らし、勇斎の注意で萩原は女の住んでいると云う谷中やなか三崎町みさきちょうへ女の家を探しに往って、新幡随院しんばんずいいんうしろ新墓しんはかと牡丹の燈籠を見、それから白翁堂の紹介で、新幡随院の良石和尚りょうせきおしょうもとへ往って、お守をもらって怪しい女の来ないようにしたところで、伴蔵が怪しい女にだまされてお守をのけたので、怪しい女は新三郎の家の中へ入って、新三郎をとり殺すと云うことになっている。

牡丹燈記


 げんの末に方国珍ほうこくちんと云う者が浙東せっとうの地に割拠すると、毎年まいねん正月十五日の上元じょうげんから五日間、明州みんしゅう[#「明州みんしゅうで」は底本では「明州みんしゅうでで」]燈籠をけさしたので、城内じょうないの者はそれをて一晩中遊び戯れた。
 それは至正庚子しせいこうしとしに当る上元の夜のことであった。家家ののきに掲げた燈籠に明るい月がして、その微紅うすあかくにじんだようにぼんやりとなって見えた。喬生きょうせいじぶんの家の門口かどぐちへ立って、観燈のの模様を見ていた。鎮明嶺ちんめいれいの下に住んでいるこのわかい男は、近比ちかごろ愛していた女房に死なれたので気病きやまいのようになっているところであった。
 風の無い暖かな晩であった。観燈の人人は、面白そうにしゃべりあったり笑いあったりして、騒ぎながら喬生の前を往来ゆききした。その人人の中には壮い女の群もあった。女達はきれいな燈籠を持っていた。喬生はその燈に映しだされた女の姿や容貌が、己の女房に似ていでもするといきいきとした眼をしたが、ぐ力の無い悲しそうな眼になった。
 月が傾いて往来の人もとぎれがちになって来た。それでも喬生はぽつねんと立っていた。軽いくつの音が耳についた。彼は見るともなしに東の方に眼をやった。婢女じょちゅうであろう稚児髷ちごまげのような髪をした少女に燈籠を持たせて、そのあとから壮い女が歩いて来たが、少女の持っている燈籠のかしらには真紅の色のあざやかな二つの牡丹の花のかざりがしてあった。彼の眼はその牡丹の花からあとの女の顔へ往った。女は十七八のしなやかな姿をしていた。彼はうっとりとなっていた。
 女は白い歯をちらと見せて喬生の前を通り過ぎた。女は青い上衣うわぎを着ていた。喬生は吸い寄せらるるようにそのあとから歩いて往った。彼の眼の前には女の姿が一ぱいになっていた。彼はすこし歩いたところで、足の遅い女に突きあたりそうになった。で、左斜ひだりななめにそれて女を追い越したが、女と親しみが無くなるような気がするので、足を遅くして女の往き過ぎるのを待って歩いた。と、女はり返って笑顔を見せた。彼は女と己との隔てが無くなったように思った。
「燈籠を見にいらしたのですか」
「はい、これをれて見物に参りましたが、他に知った方はないし、ちっとも面白くないから帰るところでございます」
 女は無邪気なおっとりとした声で云った。
「私は宵からこうしてぶらぶらしているのですが、なんだか燈籠を見る気がしないのです、どうです、私の家は他に家内がいませんから、遠慮する者がありませんが、すこし休んでいらしては」
「そう、では、失礼ですが、ちょっと休ましていただきましょうか、くたびれて困ってるところでございますから」
 と、云って燈籠を持った少女の方を見返って、
「金蓮、こちら様でちょっと休まして戴きますから、お前もおで」
 少女は引返して来た。
ぐ、その家ですよ」
 喬生はじぶんの家のほうへ指をさした。少女は燈籠を持ってさきに立って往った。二人はそのあとから並んで歩いた。
「ここですよ」
 三人は喬生の家の門口かどぐちに来ていた。喬生はを開けて二人の女を内へ入れた。
「あなたのお住居すまいは、どちらですか」
 喬生は女の素性すじょうが知りたかった。女は美しい顔にかすかに疲労の色を見せていた。
「私は湖西こせいに住んでいる者でございます、もとは奉化ほうかの者で、父は州判しゅうはんでございましたが、その父も、母も亡くなって、家が零落れいらくしましたが、他に世話になる、兄弟も親類もないものですから、これと二人で、毎日淋しい日を送ってます、私の姓はで、名は淑芳しゅくほうあざな麗卿れいきょうでございます」
 喬生はたよりない女の身が気の毒に思われて来た。
「それはお淋しいでしょう、私も、このごろ、家内をくして一人ぼっちになってるのですが、同情しますよ」
「奥様を、おなくしなさいました、それは御不自由でございましょう」
「家内を持たない時には、そうでもなかったのですが、一度持ってくすると、何だか不自由でしてね」
「そうでございましょうとも」
 女はこう云って黒い眼をうるませて見せた。喬生はその女と二人でしんみりと話がしたくなった。
「あちらへ往こうじゃありませんか」

 女はとうとう一泊して黎明よあけになって帰って往った。喬生はもう亡くなった女房のことは忘れてしまって夜の来るのを待っていた。夜になると女は少女をれてやって来た。軽い小刻こきざみくつの音がすると、喬生は急いでって往ってを開けた。少女の持った真紅の鮮かな牡丹燈がず眼にいた。
 女は毎晩のように喬生のもとへ来て黎明よあけになって帰って往った。喬生の家と壁一つを境にして老人が住んでいた。老人は、鰥暮やもめぐらしの喬生が夜になると何人だれかと話しでもしているような声がするので不審した。
「あいつ寝言を云ってるな」
 しかし、その声は一晩でなしに二晩三晩と続いた。
「寝言にしちゃおかしいぞ、人も来るようにないが、それとも何人だれかがとまりにでも来るだろうか」
 老人はこんなことを云いながらやっとこさと腰をあげ、すこしくずれて時おり隣のれて来る壁の破れの見える処へ往って顔をぴったりつけて好奇ものずきのぞいて見た。喬生が人間の骸骨がいこつと抱き合ってねだいに腰をかけていたが、そのとき嬉しそうな声で何か云った。老人は怖れて眼前めさきが暗むような気がした。彼は壁を離れるなり寝床の中へもぐりこんだ。

 翌日になって老人は喬生をじぶんの家へ呼んだ。
「お前さんは、大変なことをやってるが、知ってやってるかな」
 老人は物におびえるような声で云った。喬生はその意味が判らなかったが、女のことがあるのでその忠告でないかと思ってきまりが悪かった。
「さあ、なんだろう、私には判らないが」
「判らないことがあるものか、お前さんは、大変なことをやってる、気がかないことはないだろう」
 女のことにしては老人の顔色やことばがそれとそぐわなかった。
「なんだね」
「なんだも無いものだ、お前さんは、おっかない骸骨と抱き合ってたじゃないか」
骸骨がいこつ、骸骨って、あれかね」
「笑いごとじゃないよ、お前さんは、おっかない骸骨と、何をしようと云うんだね、お前さんは、邪鬼じゃきみいられてるのだ」
 喬生もうす鬼魅きみ悪くなって来た。
真箇ほんとうかね」
「嘘を云って何になる、わしは、お前さんが毎晩のようにへんなことを云うから、初めは寝言だろうと思ってたが、それでも不思議だから、昨夜ゆうべ、あの壁の破れからのぞいて見たのだ、お前さんは、邪鬼に生命いのちられようとしてるのだ」
「観燈の晩に知りあって、それから毎晩泊りに来てたが、邪鬼だろうか」
「邪鬼も邪鬼、大変な邪鬼だ」
奉化ほうかの者で、お父さんは州判しゅうはんをしてたと云ったよ、湖西こせい婢女じょちゅうと二人で暮してると云うのだ、そうかなあ」
「そうとも邪鬼だよ、わしがこんなに云っても真箇と思えないなら、湖西へ往って調べて見るが好いじゃないか、きっとそんな者はいないよ」
「そうか、なあ、たしかに麗卿と云ってたが、じゃ往って調べて見ようか」

 その日喬生は月湖げっこの西岸へ往った。湖西の人家は湖に沿うてあっちこっちに点在していた、湖の水は微陽うすびした空のもとに青どろんで見えた。そこには湖の中へ通じた長いつつみもあった。堤には太鼓橋たいこばしになった石橋がところどころにかかって裸木はだかぎの柳の枝が寒そうに垂れていた。
 喬生は湖縁こべりを往ったり堤の上を往ったりして、符姓ふせいの家をいてまわった。
「このあたりに、符と云う家はないでしょうか」
「さあ、符、符と云いますか、そんな家は聞きませんね」
わかい女と婢女じょちゅうの二人暮しだと云うのですが」
「壮い女と婢女の二人暮し、そんな家はないようですね」
 何人だれに訊いても同じような返事であった。そのうちに夕方になって湖のおもてがねずみがかって来た。喬生は幾等いくら訊いても女の家が判らないので老人のことばを信ずるようになって来た。彼は無駄骨を折るのがばかばかしくなったので、湖の中のどてを通って帰って来た。
 湖心寺こしんじと云う寺がつつみに沿うて湖の中にあった。古い大きな寺で眺望が好いので遊覧する者が多かった。喬生もそこでひと休みするつもりで寺の中へ往った。
 もう夕方のせいでもあろう遊覧の客もいなかった。喬生は腰をおろす処はないかと思って、本堂の東側になった廻廊の中へ入って往った。朱塗しゅぬりの大きな柱が並木のように並んでいた。彼は東側の廻廊から西側の廻廊へ廻ってみた。その西側の廻廊の往き詰めにうす暗い陰気なへやの入口があった。彼は好奇ものずきにその中をのぞいてみた。そこには一個ひとつ棺桶かんおけが置いてあったが、その上に紙をって太い文字が書いてあった。それは「故奉化符州判女麗卿之棺こほうかふしゅうはんじょれいけいのひつぎ」と書いたものであった。喬生は眼を見はった。棺桶の前には牡丹の花のかざりをした牡丹燈がけてあった。彼はぶるぶるとふるえながら、牡丹燈の下のほうに眼を落した。そこには小さな藁人形わらにんぎょうが置いてあって、そのうしろの貼紙に「金蓮」と書いてあった。
 喬生は夢中になって逃げ走った。そして、やっとじぶんの家の門口かどぐちまで帰って来たが、恐ろしくて入れないのでその足で隣へ往った。
「ああ帰ったか、どうだね、判ったかね」
 老人はこう云っていた。喬生の顔は蒼白あおじろくなっていた。
「いや、大変なことがあった、お前さんの云った通りだ」
「そうだろうとも、ぜんたいどんなことがあったね」
「どんなことって、湖西へ往って尋ねたが、判らないので帰ろうと思って、あの湖心寺の前まで来たが、くたびれたので、一ぷくしようと思って、寺の中へ往ってみると、西の廊下の往き詰めに、暗いへやがあるじゃないか、何をする室だろうと思って、のぞいてみると、棺桶かんおけがあって、それにもとの奉化符州判のむすめ麗卿のひつぎと書いてあったんだ、麗卿とはあのおんなの名前だよ」
「じゃ、その女の邪鬼だ、だから云わないことか、お前さんが骸骨がいこつと抱きあっている処を、ちゃんとこの眼で見たのだもの」
「えらいことになった、どうしたら好いだろう、それにあの女のれて来る婢女じょちゅうも、わら人形だ、牡丹のかざりの燈籠もやっぱりあったんだ、どうしたら好いだろう」
「そうだね、玄妙観げんみょうかんへ往って魏法師ぎほうしに頼むより他にみちがないね、魏法師は、もと開府王真人かいふおうしんじんの弟子で、※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)かじふだにかけては、天下第一じゃ」
 喬生は家へ帰るが恐ろしいので、その晩は老人のもとへ泊めてもらって、翌日になって玄妙観へ出かけて往った。魏法師は喬生の顔を遠くの方からじっと見ていたが、そば近くなると、
「えらい妖気だ、なんと思ってここへ来た」
 喬生は驚いた。そして、なるほどこの魏法師はえらい人であると思った。彼はその前の地べたへひたいりつけて頼んだ。
「私は邪鬼にみいられて、殺されようとしているところでございます、どうかお助けを願います」
 魏法師は喬生から理由わけを聞くと朱符しゅふを二枚出した。
「一つを門へり、一つをねだいへ張るが好い、そしてこれから、二度と湖心寺へ往ってはならんよ」
 喬生は家に帰って魏法師のことばに従って朱符を門と榻に貼ったところで、怪しい女はその晩から来なくなった。

 一月ばかりすると、喬生の恐怖もやや薄らいで来た。彼は某日あるひ袞繍橋こんしゅうきょうに住んでいる朋友ともだちのことを思い出して訪ねて往った。朋友は久しぶりに訪ねて来た喬生をめて酒を出した。
 二人はいろいろの話をしながら飲んでいたが、そのうちに夕方になってがかげって来た。喬生は驚いて帰りかけたが、遠慮なしに打ちくつろいで飲んだ酒が心地好く出て来たので、彼は伸び伸びした気になって歩いていた。かわずの声が聞えて来た。
 喬生は湖縁こべりみちを取らずに湖の中のつつみを帰っていた。堤の柳は芽をいてそれが柔かな風に動いていた。彼の体は湖心寺の前へ来ていた。何時いつの間にか日が暮れて夕月がしていた。
 喬生はふと魏法師のいましめを思いだした。彼はいやな気がしたので足早あしばやに通り過ぎようとした。
「旦那様」
 それは聞き覚えのある女の声であった。喬生は驚いて眼をやった。金蓮が来て前に立っていた。
「お嬢さんがお待ちかねでございます、どうぞいらしてくださいまし」
 喬生の手首には金蓮の手がからまって来た。喬生はその手をり放して逃げようとしたが逃げられなかった。金蓮は強い力でぐんぐんと引張った。喬生は濁ったもや脚下あしもとを包まれているようで足が自由にならなかった。
「旦那様は、真箇ほんとうに薄情でございますのね」
 喬生は金蓮の手を揮り放そうと悶掻もがいたが、どうしても放れなかった。
「そんなになさるものじゃありませんわ」
 喬生はもう西側の廻廊の往き詰にれて往かれていた。
「さあ、お入りくださいまし、ここでございます」
 喬生はへやの中へ引き込まれた。真紅の色の鮮かな牡丹燈籠が微白ほのじろく燃えていた。
「あなたは、妖道士ようどうしだまされて、私をお疑いになっておりますが、それはあんまりじゃありませんか、真箇にあなたは、薄情じゃありませんか」
 麗卿が燈籠の下にしんなりと坐っていた。喬生はまた逃げようとした。
「真箇にあなたは薄情でございますわ、でもこうしてお眼にかかったからには、どんなことがあってもお帰ししませんわ」
 女はって来て喬生の手を握った。と、その前にあった棺桶かんおけふたが急にいた。
「さあ、この中へお入りくださいまし」
 女はその棺桶かんおけの中にじぶんの体を入れて、それから喬生を引き寄せた。棺桶は二人を内にしてそのまま閉じてしまった。

 翌日になって喬生の隣の老人は、喬生が帰って来ないので、心配してあちらこちらと探してみたが、どうしても居所が判らない。いろいろ考えた結果あげく、湖心寺の棺桶のことを思いだして、附近の者を頼んでいっしょに湖心寺へ往って、棺桶のあるへやへ往ってみた。
 棺桶のふたから喬生の着ていた衣服きものはしが見えていた。老人は驚いて住職を呼んで来た。住職は棺桶の蓋をった。喬生はだ生きているようなわかい女のしかばねと抱き合うようにして死んでいた。
「この女は奉化州判の符君のむすめでございますが、今から十二年ぜん、十七の時に亡くなりましたので、仮にここへ置いてありましたが、その後、符君の処では家をあげて北へ移りましてから、そのままになっておりました」
 住職はそれからおんなと喬生を西門せいもんの方へほうむったが、そののち雨曇あまぐもりの日とか月の暗い晩とかには、牡丹燈をけた少女をれた喬生と麗卿の姿が見えて、それを見た者は重い病気になった。土地の者はおそおののいて、玄妙観へ往って魏法師にこの怪事をはろうてくれと頼んだ。
「わしの※(「竹かんむり/(金+碌のつくり)」、第3水準1-89-79)かじふだは、事が起らんさきならこうがあるが、こうなってはなんにもならん、四明山しめいざん鉄冠道人てっかんどうじんと云う偉い方がおられるから、その方に頼むがいい」
 土地の者は魏法師のことばに従って、藤葛ふじかずらたにを越えて四明山へ往った。四明山の頂上の松の下に小さな草庵そうあんがあって、一人の老人がつくえによっかかって坐っていた。草庵の前には童子が丹頂たんちょうの鶴を世話していた。人びとは老人の前へ往って礼拝をした。
「わしは、こんな処へこもっている隠者だから、そんなことはできない、それは何かの聞き違いだろう」
 人びとは玄妙観の魏法師から教えられて来たと云った。
「そうか、わしは、今年でもう六十年も山をおりたことはないが、饒舌おしゃべりの道士のために、とうとう引っ張り出されるのか」
 道人どうじんは鶴の世話をしている童子を呼んで、それをれて山をおりかけたが、鳥の飛ぶようで追ついて往けなかった。人びとがへとへとに疲れて、やっと西門外へ往ったときには、道人はもう方丈ほうじょうだんを構えていた。
 やがて道人は壇の上に坐ってかじを書いて焼いた。と、三四人の武士がどこからともなしにやって来た。皆きいろな頭巾ずきんかぶって、よろいを着、にしき直衣なおしを着けて、手に手に長いほこを持っていた。武士は壇の下へ来て並んで立った。
「このころ、邪鬼がたたりをして、人民を悩ますから、その者どもを即刻捕えて来い」
 武士は道人の命令を聞いてからいずこともなしに往ってしまったが、間もなく喬生、麗卿、金蓮の邪鬼に枷鎖かせをして伴れて来た。
 武士は邪鬼にそれぞれむちを加えた。邪鬼は血塗ちまみれになって叫んだ。
「その方どもは、何故なにゆえに人民を悩ますのじゃ」
 道人はず喬生からその罪を白状さして、それをいちいち書き留めさした。その邪鬼の口供こうきょうの概略をあげてみると
 喬生は、
伏しておもう、それがししつうしなって鰥居かんきょし、門にって独り立ち、色に在るのかいを犯し、多欲のきゅうを動かし、孫生そんせいが両頭の蛇を見て決断せるにならうことあたわず、すなわ鄭子ていし九尾きゅうびきつねいて愛憐あいれんするがごとくなるを致す。事既に追うなし。ゆるともなんぞ及ばん。
 符女は、
伏して念う、某、青年にして世をて、白昼となりなし、六魄ろっぱく離るといえども、一霊いまほろびず、燃前月下えんぜんげっか、五百年歓喜の寃家えんかい、世上民間、千万人ばんにん風流の話本わほんをなす。迷いて返るを知らず、罪いずくんぞ逃るべき。
 金蓮は、
伏して念う、某、殺青さつせいを骨となし、染素せんそたいと成し墳壟ふんろうに埋蔵せらる、たれようを作って用うる。面目機発、人に比するにたいを具えてなり。既に名字めいじの称ありて、精霊しょうりょうの異にとぼしかるべけんや。って計を得たり。あにあえて妖をなさんや。
 武士はその供書きょうしょを道人の前にさしだした。道人はこれを見て判決をくだした。
けだし聞く、大禹鼎だいうかなえて、神姦鬼秘しんかんきひその形を逃るるを得るなく、※(「山+喬」、第3水準1-47-89)おんきょうさいねんして、水府竜宮すいふりゅうぐうともその状を現すを得たりと。れ幽明の異趣、すなわ詭怪きかい多端たたんこれえば人に利あらず。之に遇えば物に害あり。ゆえ※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)だいれい門に入りて晋景しんけい歿ぼっし、妖豕ようしいて斉襄せいじょう※(「歹+且」、第3水準1-86-38)す。くだようをなし、さいおこせつをなす。これもっ九天邪きゅうてんじゃるの使つかいもうけ、十悪を罰するのつらね、魑魅魍魎ちみもうりょうをして以て其奸そのかんるる無く、夜叉羅刹やしゃらせつをして其暴そのぼうほしいままにするを得ざらしむ。いわんや清平せいへいの世坦蕩たんとうのときにおいてをや。しかるに形躯けいく変幻へんげんし、そう依附いふし、てんくもり雨湿うるおうの、月落ちしん横たわるのあしたうつばりうそぶいて声あり。其のしつうかがえどもることなし。蠅営狗苟ようえいくこう羊狠狼貪ようこんろうたんはやきこと飄風ひょうぷうの如く、はげしきこと猛火の如し。喬家きょうか生きてお悟らず、死すとも何ぞうれえん。符氏ふしじょ死してなお貪婬たんいんなり、生ける時知るべし。いわんや金蓮の怪たんなる、明器めいきを仮りて以て矯誣きょうぶし、世をまどわしたみい、条にたがい法を犯す。きつね綏綏すいすいとしてとうたることあり。うずら奔奔ほんぽんとして良なし、悪貫あくかんすでつ。罪名ゆるさず。陥人かんじんこう、今よりち満ち、迷魂の陣、れより打開す。双明そうめいともしび焼毀しょうきし、九幽の獄に押赴おうふす。
 武士達は泣き叫ぶ邪鬼をいて往った。そして、武士達が見えなくなると、道人もちあがって童子をれて往ってしまった。
 翌日土地の者は道人に前日の礼を云おうと思って、四明山頂の草庵そうあんへ往ったところで、草庵はからになって何人たれもいなかった。土地の者は道人の行方ゆくえこうと思って玄妙観へ往った。魏法師は唖になっていて口が利けなかった。





底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
   1934(昭和9)年
※「明州めいしゅう」と「明州みんしゅう」の混在は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について


●図書カード