其一
夢見まほしやと思ふ時、あやにくに夢の無き事あり、夢なかれと思ふ時、うとましき夢のもつれ入ることあり。
寤むる時、亦た
斯の如し、
意はざらんと思ふに意ひ、意はんと思ふに意はず。
左りとて意の如くならぬをば意の如くせまじと思ふにもあらず、静に傾き尽きなんとする月を見れば、よろづ意の儘にならぬものぞなき、
徐ろに咲き
出らん花を待つに、よろづ心に任せぬものぞなき。如意
却つて不如意。不如意却つて如意。悲しむも何かせむ。歓ぶも何かせむ。「無心」を
傭ひ来つて、悲みをも、歓びをも、同じ意界に放ちやりてこそ、まことの
楽は
来るなれ。
其二
早暁臥床を出でゝ、心は
寤寐の間に醒め、
意ひは
意無意の際にある時、一鳥の弄声を聴けば、
忽として
我れ天涯に遊び、忽として我塵界に落るの感あり。我に返りて
後其声を味へば、凡常の野雀のみ、然るも我が得たる幽趣は地に
就けるものならず。爰に於て
私に思ふは、感応は我を主として、他を主とせざるを。
其三
人間の心中に大文章あり、筆を
把り机に対する時に於てよりも、静黙冥坐する時に於て、
燦爛たる光妙ある事多し。心中の文章より心外の文章を綴るは善し、心外の文章を以て心中の文章を装はんとするは、文字の賊なるべし。
古へより
卓犖不覊の士、往々にして文章を事とするを喜ばず、文字の賊とならんより心中の文章に甘んじたればならむ。
其四
身心を放ちて冥然として天造に
任ぜんか、身心を収めて凝然として
寂定に帰せんか、或は
猖狂、或は枯寂、猖狂は猖狂の苦味あり、枯寂は枯寂の
悲蓼あり、魚躍り鳶舞ふを見れば
聊か心を無心の境に駆ることを得、雨そぼち風吹きさそふにあひては、
忽ち
現身の心に還る、自然は我を弄するに似て弄せざるを感得すれば、虚も無く実もなし。
其五
世にありがたき至宝は涙なるべし。涙なくては
情もなかるらむ。涙なくては誠もなかるらむ。狂ひに狂ひしバイロンには涙も細繩ほどの役にも立ざりしなるべけれど、世間おほかたのものを繋ぎ止むるはこの宝なるべし。遠く行く情人の足を蹈み
止まらすもの、猛く勇む
雄士の心を弱くするもの、情
差ひ
歓薄らぎたる間柄を
緊め固うするもの、涙の
外には求めがたし。人世涙あるは原頭に水あるが如し。世間もし涙を神聖に守るの
技に
長けたる人を挙げて主宰とすることあらば、
甚く悲しきことは跡を絶つに
幾からんか。
其六
「
く
斫られたる石にも神の定めたる運あり。」とは沙翁の悟道なり。静かに物象を観ずれば、物として定運なきにあらず。誰か恨むべき神を知りそめたる。誰か
喞つべき
仏を識りそめたる。心を物外に
抽かんとするは未だし、物外、物内、何すれぞ悟達の別を画かむ。運命に黙従し、神意に一任して、始めて真悟の域に達せんか。
其七
孤雲野鶴を見て別天地に逍遙するは詩人の至快なり。
然れども苦海塵境を脱離して一身を挺出せんとするは、人間の道にあらず。苦海塵境に清涼の気を
輸び入るゝにあらざれば、詩人は一の天職を帯びざる放蕩漢にして終らんのみ。
其八
他を議せんとする時、尤も多く己れの非を悟る。
頃者、激する所ありて、生来甚だ好まざる駁撃の文を草す。草し終りて静に内省するに、人を難ずるの筆は同じく己れを難ぜんとするに似たり。是非曲直
軽しく
判し難し。
如かず、修練鍛磨して
叨りに他人の非を測らざることをつとむるに。
其九
大なる「
悔改」は、又た一個の大信仰なり。罪の罪たるを知らざるより大なる罪はなし、とはカーライルに聞くところなり、
昨日の非を知りて
明日の
是を期するは、信仰に入るの
要緘にして、罪人の必らず自殺すべしとせざるは之をもてなり。罪の重荷は忘れざるによつて忘るゝを得べし、忘れたる重荷はいつまでも重荷なり。
悔改の生涯は即ち信仰の生涯なるか。
(明治二十六年二月)