文界の
筮卜者は幾度となく劇詩熱の流行を預言せり、然るに今年までは当れるにもあらず、当らぬにもあらず、これといふ傑作も出ざれば、劇詩の流行とも言ふべき程の事もあらず。小説界には
最早二三世紀とも言ふべき程の変遷あり、批評界も
能く変じ能く動きたるに、劇詩のみは依然として狂言作者の手に残り、
如何ともすべき様なし。
劇詩の消長は劇界の動勢と密接の関係を有する者なるが故に、彼世界の故実旧式は、自からに明治文学の革命の
狂をも嘲笑すべき城壁となりて、容易に新生気を侵入せしめざるは当然の理なるべし。然れ共、勢の迫るところ、早晩此世界にも大恐慌の来るべきは、何人と
雖も
預察し得る所なり。
曩には
桜癡居士の文壇より入りて歌舞伎座の作者となりしが如き、近く又美妙氏の野心
勃々として禁じ難く、明年早春を以て、念入りの脚本を
出だすべしと聞けば、
好しや当分は一進一退の姿にてあらんも、必らず手腕ある劇詩家の出づるに
んで劇界との折合も付き、
爰に此の世界の新面目を開くべしと思はるゝなり。
劇詩に関する評論は、従来諸種の批評家によりてせられき。学海居士の此道に熱心なる由は、古るくより聞及びぬ。逍遙氏の劇論も亦た今に始まりしにあらで、「小説神髄」の著、「
該撒奇談」の訳などありし頃よりの事なり、末松博士など直接に文界に関係なき人迄も、之を論議せし時代もありき。近くは忍月居士、折々戯曲論を筆せられし事あり。「
柵草紙」には鴎外漁史の梨園詩人を論ずる一文、其頃文界を動かしき。
偖も従来の劇作家を数ふれば、故黙翁あり。学海、桜癡の二家あり、其他小説家中にて劇詩を試みたるものゝ数も
尠なからず。又た劇界の内外より組織せられたる演芸協会なる者もありて、
只管詩人と劇部との間を温かにせんと企てられたりしも、暫時にして其の目的を失ひぬ。
斯の如く機運は幾度も舞ひ来りて、又幾度も舞ひ去れり。然れども到底遂に来らざる可らざるは、劇界の革命なり。劇界の革命は必らず劇詩界の革命より来る可きが故に、
若し来るべしと信ずるを得ば、来るものは劇詩界の革命ならんか。
今年の秋暮より劇詩界に新らしき風雲生じ来れり。「早稲田文学」の史劇論其の第一なり。然れども此は今日に始まれるにあらず、早稲田氏の劇詩に就きての意見は、従来種々の形して江湖に現はれてありしものを通じて、一貫せる性癖の如き者にて、彼が一時、
記実の文字にて
写実と疑はれしも、彼が往々にして理想詩人を退けたるが如き傾ありしも、
畢竟するに彼が
所謂客観性に癖するの致す所にして、批評家としての彼の本領は、実に存して爰にありとも言ふべき程なれば、
従て劇詩界の革命を煽動する者も亦、彼ならざるを得ず。彼は独り批評家として之を論ずるのみならず、記実家として劇の内外に関する事実を報道すること、甚だ
力めたりと言ふべし。「読売」の高田半峰氏発起して歴史脚本を募れるは、「早稲田」の史劇論に続て、劇詩界の高潮を報ずる者なれ。爰に於て彼方此方、新劇詩家の手綱を控へて、宇治川を
目懸る者ありとの報知
頻りなり。吾人は劇詩の流行当に来るべしとは断ずる能はず。
然れど機運既に爰に到れり、少くとも明年は、幾種の脚本の何方よりか現出するは疑ひなからん。特に逍遙氏の如きは、シヱーキスピア流の客観性詩人よりもギヨオテが代表する一派の主観性の詩人を学ぶべしなど、後進を
誘掖するに到りては、今の
独逸文学に酔へる青年幻想家、いかでか一鞭を
揮ふて、馬を原頭に立るの勇気無らん。
然れども劇詩の前途果して如何なるべき、吾人は
猶ほ五里霧中にあるの心地す。何事にかけても如才のなき美妙氏は、来春
出梓すべきものは未だ之を言ふに由なけれど、其
前触によりて之を見れば、従来の劇塲内部に於ける制度に甘従したる作なること、大方預察するに苦しからず。劇内の制度旧式が新に生れんとする劇詩に大なる
障碍をなしつゝありし事は、今更之を言ふに及ばず。美妙氏は
竟に彼の制度と調和する事を得んと思はるゝにや、或は一時止むことなければとにや。作の出づるを待ちて、更に卑見を
陳ぶることもあらん。
美妙氏の作に就きてにはあらねど、余は
聊か、劇詩の前途の為に
究めたき事あり。
我邦の劇に固有なるは其
整合的調和にあり。調和は劇の全部を通じて存せり。其音楽も、鳴物も、白も、介も、科も、或は舞蹈、或はチヨボ、其他百般の事、皆な此の調和を以て中心とせざるなし。歌あれば爰に舞足あり、手振あり、それに連れて種々に、態々の面倒なる注文あり。一の部分は全躰たるを
容さず、全躰は一部分によりて表現せらるゝを得ず。斯くの如く我邦の劇は、整合の奴隷なり、整合を取り去りては一の美をも、存するなしと言ふも不可なきなり。芝翫は能舞者なり、然れども其の能舞者たるは、其の能整合者たるに存するのみ。団洲の目玉は有名なり、然れども彼の目玉も亦た一種の整合術に過ぎざるなり。
柝木の響と彼の目玉と相聯関して三階の喝采を博する時、吾人は何等の妙味をも感ぜざるなり。
我邦の
台詞に一種の特質あるは、疑ふべからざるところなり。而して其由来する所は、
浄瑠璃の朗誦法に帰すべく、
且は又た我邦言語の母韻に終る事情にも帰すべしと雖、
職として整合の、余りに厳格なるに因せずとせんや。
緩漫にして長たらしきのみならば責むるにも及ぶまじきが、抑揚の余りに規則立ちたる、短急の其の自然を失ひたるなど、
抑も整合を以て唯一の中心とする我劇の弊とせずして何ぞや。
蓋し我劇の舞蹈ほど、劇としての美術をなせるはあらざるべし。吾人は他邦の劇に通ずる者にあらず、然れども吾人の臆測する所を以てすれば、我邦の劇的舞蹈は世界に其比を見ざるところならんか。而して其の由つて来る所を察すれば、我劇の整合を尊ぶの精神に伴へるものなることを知るに難からず。
啻に舞蹈としての舞蹈、即ち各家々流の舞蹈に止まらず、一の白と共に一の半舞蹈あり、又た特に演者の技倆を示めすべき為に備へられたる舞蹈の機会あり。其の劇の演ずるところ悲劇にもあれ、喜劇にもあれ、斯かる機会に到着する時には、演者も観客も劇の本色を忘れて、宛然たる活動的絵画の中に没入して、
人もなく、
事もなく、暫らく之に幻惑せられざるを得ざるが常なり。
余は舞蹈に就いて多く知るものにあらず。然れども我劇にて行はるゝ舞蹈は、断じて劇的のものにあらずと言ふを
憚らず。之を美術の他の部門に分つ上は一種の特技なるべし。劇の中に存して劇と
与に、進歩せしむるは到底、望むべき事にはあらず。真の性質よりするも、美術としての舞蹈は、寧ろ喜劇に限りて或度に於て有用とするを得べきも、悲劇には破壊こそすれ、一の用をなすべきを認めず。悲劇は総じて荘重なる調子を要する者なり、因と果との照応、尤も緊切なるを要する者なり、冗漫なる舞蹈は悲劇に対する風情を損することあるも、之を増すことはあらじ。劇詩の前途に於て悲劇と喜劇と分明に相別るゝ事あらば、舞蹈は一の問題となるべし。家流の舞蹈は
概ね
所作にて之を見る者なれば、爰に言はず、所謂
足取、
手振、其一部の形式に到りては、遂に我劇界の一疑問とならずんばあらず。
桜癡居士其他の新作にはチヨボを交ゆる事少なし、之を以て舞蹈を要する事も多からず。然れども旧作物に至りては全篇悉く、演技者の動作を控束する為に作られしかの観あり。聞く所によれば演者自らも新作を喜びて、旧作の余りに固くるしきを
厭ふと云へり。新らしく生るべき劇塲は、遂にチヨボを如何せまし。之を存すべきか、存せば如何なる度に於て存せん、之を廃するとせば全然、我邦の劇に固有の特宜なる整合の精神を打破せざるべからず。将来の劇詩家の考慮すべき問題の一として、之も亦た多少の議論あるべき事なり。
我が劇の鳴物(音楽、柝木、鐘、その他を含みて)、複雑を極めたるも亦一種の特質なり。此は我邦楽器の性質に照らして自から生じたる結果なるべきか。我劇の楽器は無論、
三味を以て中心とすなり、然るに三味は繊弱にして、音響の以て
凡ての塲合に通合せしむるに足らず、之に因りて勢ひ他の諸種の楽器を合せ用ひざるを得ず、爰に於て劇内の楽器に於て既に整合を要するあり、吾人は整合を悪しとするにあらず、唯だ劇中の人物をして整合の奴隷とならしむるを非とするに過ぎざるのみ。整合多種多様のものに求むるは、不整合の原因なり。鳴物としての鳴物、即ち一塲の始め終り、
若くは
押韻的要句等に際してのみ之を用ふる鳴物ならば、如何に複雑なりとも此は論外なれば妨げなし、唯だ舞台にありて活動する演者の
技の上に大なる操縦の力を捉れるが如き今の鳴物の有様は、之を整合の弊と言はざるを得ざるなり。
楽と
動とは、到底整合を求むべきものにあらず。
強いて之を求むれば、劇を変じて舞蹈となすべきのみ。我劇は往々にして、此弊に陥れり。
楽と動とを整合せしむるが為に、演者の自然的動作を損傷して、緩急を
楽に待つの余義なきを致さしむ。楽の多様は是非なし、ピアノを用ふることも風琴を用ふることも、我劇の古色を
傷くる限りは出来ぬ相談なるが故に、我邦の楽にて推し通すは可也、然れども願くは、楽と動との関係を
最少し
緩るくして、演者の活溌なる動作を見ることを得たきものなり。
吾人は我劇の
塲景にも同じ弊を見る。欧洲近世の傾向は吾人の知り得る所にあらず、然れども沙翁劇と称する一派及之と同性質の古劇の外は、漸く写実的精巧の極点にまで進まんとしつゝある由は、
微に聞得たる事実なり。塲景を以て俗客の視覚を幻惑するは、射利を旨とする劇塲の常なれば、深く
咎むべきにあらず。
頃者、我劇(別して菊五郎一派)が新らしき趣向を
凝らして客を引かんことに切なるは、元より其の当なり。然れども暫らく塲景の精不精とを外にして、その塲景と演者との関係を察する時、吾人は
屡ば我が塲景の、余りに演者の動作に対する不自由を与ふるを認むるなり。人物を活動せしむるにあらず、事件を顕著ならしむるが我劇の精神なるが故に、舞台の
精巧は
適ま以て劇中の人物の生活の実態を描き出るには好けれど、其の幻惑力は
自から観者の心魂を奪ひて摸型的美術の中に入らしめ、且は又た演者自らをして、余りに多く写実的動作に気を配らしむるの結果、遂に作者の筆を
束するの禍を生ずるに至るべし。作者之が為に
踟し、演者之が為に
顧眄せば、大なる劇詩は不幸にして望むべからざるに至らんか。
要するに我劇は整合を以て美の眼目とし、演者も観客も之を以て演劇の骨髄と認むるものなり。吾人は能楽に於て同様の精神を見る、更に又た木偶劇に於て一層顕著なる精神を見る、而して是等は
寔に我が普通劇の父たり母たるものにてあれば、吾人は此の精神の甚だ深く我が劇の中心に横はれるを知るに苦まず。更に一転して所謂俗謡なるものを験するに、諸門、諸流、一として此の精神に伴はざるはなし。
劇詩若し劇界の外に於て充分の読者を占有する事を得ば、或は不可なからむ、然れども若し塲に上せられんとするに於ては、必らず幾多の不都合を生じて、之が為に折角の辛労を水泡に帰するが如き事、間々あるべし。然らば未来の劇詩家たらんものは、必らず先づ劇界内部の事情に
通暁する後に、其作を始むべきか。此は到底、大詩人を呼起すべき道にあらず。斯の如き制限は寧ろ大詩人を化して、小詩人となすべきのみ。若し又劇外の詩人と劇内の詩人(従来の作者の如きもの)と職を異にして、劇外の詩人は専ら創作に従事し、劇内の詩人は之を舞台に適用するとせば、勢ひ相互の間に
撞着を免かれざるべし。吾人は
竟に我劇の整合の弊を、如何ともするなきを知る。我邦劇の前途、
豈に多難ならずや。
(明治二十六年十二月)