桜の実の熟する時

島崎藤村




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思わず彼は拾い上げた桜の実をいで見て、お伽話とぎばなしの情調をあじわった。
それを若い日の幸福のしるしという風に想像して見た。


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これは自分の著作の中で、年若き読者に勧めて見たいと思うものの一つだ。私は浅草新片町しんかたまちにあった家の方でこれを起稿し、巴里パリポオル・ロワイアル並木街の客舎へも持って行って書き、仏国中部リモオジュの客舎でも書き、その後帰国してこの稿を完成した。この書は私に取って長い旅の記念だ。


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 日蔭に成った坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪たかなわへ通う抜け道を上って行った。客を載せた一台のくるまが坂の下の方から同じように上って来る気勢けはいがした。石塊いしころに触れる車輪の音をさせて。
 思わず捨吉は振返って見て、
「おしげさんじゃないか」
 と自分で自分に言った。
 一目見たばかりですぐにそれがさとられた。過ぐる一年あまりの間、なるべく捨吉の方から遠ざかるようにし、逢わないことを望んでいた人だ。その人が俥で近づいた。避けよう避けようとしていたある瞬間が思いがけなくもって来たかのように。
 ある終局を待受けるにも等しい胸のわくわくする心地で、捨吉は徐々そろそろと自分の方へ近づいて来る俥の音を聞いた。迫った岡はその辺で谷間たにあいのような地勢を成して、更に勾配こうばいの急な傾斜の方へと続いて行っている。丁度他に往来ゆききの人も見えなかった。彼は古い桑の木なぞの手入もされずに立っているみちの片側をって歩いた。出来ることなら、そこに自分を隠したいと願った。進めば進むほど道幅は狭く成っている。俥はいやでも応でも彼の側を通る。彼は桑の木の方へ向いて、根元のあたりにい茂った新しい草の緑をながめるともなく眺めて、そこで俥の通過ぐるのを待った。かつては親しかった人の見るに任せながら、あだかも路傍の人のようにして立っていた。
 カタ、コトという音をさせて俥はゆるやかに彼の背後うしろを通過ぎて行った。
 まだ年の若い捨吉は曽て経験したことも無いような位置に立たせられたことを感じた。眺めていた路傍の草の色は妙に彼の眼にみた。最早もはや彼は俥と自分との間にある可成かなりな隔りを見ることが出来た。深く陥没おちこんだ地勢に添うて折れ曲って行っている一筋の細い道が見える。片側のやぶの根キに寄りながら鬱蒼うっそうとした樹木の下を動いて行く俥が見える。繁子は白い肩掛に身を包んで何事かを沈思するように唯俯向うつむいたままで乗って行った。
 捨吉から見れば五つばかりも年上なこの若い婦人と彼との親しみはおよそ一年も続いたろうか。彼女の話し掛ける言葉や動作は何がなしに捨吉の心を誘った。ふるい日本の習慣に無い青年男女の交際というものを教えたのも彼女だ。初めて女の手紙というものをくれたのも彼女だ。それらの温情、それらの親切は長いこと彼に続いて来た少年らしい頑固かたくなな無関心をで柔げた。夕方にでもなると彼の足はよくこの姉らしい人のもとへ向いた。多くの朋輩ほうばいの学生と同じように、彼も霜降の制服のすこし緑色がかったのを着て、胸のあたりに金釦きんボタンを光らせながら、そよそよと吹いて来る心地の好い風の中を通って行った。星の光る空の下には、ある亜米利加アメリカ人の女教師が住む建物がある。構内には繁子の監督している小さな寄宿舎がある。その寄宿舎の入口で、玄関で、時にはまだ年のいかない女生徒なぞを伴いながら出て来る繁子とさまざまな話をして、わずかばかりの黄昏時たそがれどきを一緒に送るのを楽みとした。繁子は編物の好きな女で、自分の好みに成った手袋を造ってくれると言って、彼の前で長い毛糸の針を動して、話し話しそれを彼に編んで見せたことも有る。
 彼は再び繁子に近づくまいと心に誓っていた。仮令たとえ途中でれ違う機会が有ってもなるべく顔を合せないようにして、もし遠くからでも見つけようものなら直に横町の方へ曲ってしまうようにしていた。この避けがたい、しかも偶然な邂逅めぐりあいは再び近づくまいと思う婦人に逢って了った。
 繁子を載せた俥は丁度勾配の急な坂にかかって、右へ廻り、左へ廻り、がけの間の細い道をわずかばかりずつ動いて上って行った。


 岡の上へ捨吉が出た頃は最早繁子の俥は見えなかった。その道は一方御殿山ごてんやまへ続き、一方は奥平おくだいらの古いやしきについて迂回うかいして高輪の通りへ続いている。その広い邸内を自由に通り抜けて行くことも出来る。捨吉は後の方の道を取った。
 思いがけなくも繁子にった時の心地は彼女が見えなくなった後まで捨吉の胸を騒がせた。彼女を載せた俥が無言のままで背後うしろを通過ぎて行ったことは、顔を見合せるにもまさり、挨拶あいさつするにも勝って一層ヒヤリとさせるものを残した。彼女の身を包んでいた、多分自分で編んだ、あの初夏らしい白い肩掛は深くあざやかに彼の眼に残った。
 葬り去りたい過去の記憶――出来る事なら、眼前めのまえの新緑が去年の古い朽葉を葬り隠す様に――それらのさまざまな記憶がたまらなくかれの胸に浮んだ。繁子のことにつれて、もう一人の婦人のこともつながって浮んで来た。丁度、繁子と同じ程の年配で、同じようにある学校で教えていた人だ。玉子というのがその人の名だ。玉子は繁子に無いものを補うような、何処どこ邪気あどけないところをつ人だった。彼はこの若い年長としうえの婦人から自分の才能をめられたことを思出した。「何卒どうか、これから御手紙をよこして下さい」と言われたことを思出した。他に二人の婦人の連もあって、玉子と共に品川の海へ船を浮べた時のことを思出した。その帰途かえりに玉子と一緒に二人乗の俥に載せられたことを思出した。その俥の上でこの御殿山の通路を夢のように揺られて行ったことを思出した。玉子は間もなく学校をめて神戸の方へ帰って行ったから、この婦人との親しみは半歳はんとしとは続かなかったが、神戸から一二度手紙をもらったことを思出した。その手紙の中には高輪時代の楽しかったことを追想し、一緒に品川の海へ出て遊んだ時のことを追想して、女の人から初めて聞く甘い私語ささやきのような言葉の書いてあったことを思出した。
 何時いつの間にか捨吉は奥平の邸の内へ来ていた。その辺は勝手を知った彼がよく歩き廻りに来るところだ。道は平坦へいたんに成って樹木の間を何処ということなく歩かれる。黒ずんだ荒い幹肌みきはだの梅の樹が行く先に立ちはだかっている。うんと手に力を入れたような枝の上の方には細い枝が重なり合って、茂った葉蔭は暗いほど憂鬱だ。沢山開く口唇くちびるのような梅の花は早や青梅の実に変る頃だ。捨吉はこういう場所を彷徨さまようのが好きに成った。彼は樹の葉の青い香をいで歩いた。
 浅い谷を隔てて向うの岡の上に浅見先生の新築した家が見えた。神田かんだの私立学校で英語を授けてくれた浅見先生がこの郊外へ移り住んでいるということは捨吉に取っては奇遇の感があった。新築した家の出来ない前は先生は二本榎にほんえのきの方で、近くにある教会の牧師と、繁子達の職員として通っている学校の教頭とを兼ねていた。捨吉はしばらく二本榎の家の方に置いて貰った。そこから今の学窓へ通っていた。捨吉が初めて繁子を知ったのはその先生の家だ。玉子を彼に紹介したのも先生の奥さんだ。
「何時までも置いてげたいとは思うんですけれど、家内はあの通り身体からだも弱し、御世話が届きかねると思いますからね――」
 それが先生の家を辞する時に、先生に言われた言葉だった。
「私のすることは少許ちっと貴方あなたの為に成らないッて、そう言って叱られましたよ――私が足りないからです」
 それが奥さんの言葉だった。
 捨吉から見れば浅見先生は父、奥さんは姉、それほど先生夫婦の年齢としは違っていた。奥さんは繁子や玉子の友達と言いたいほどの若さで、その美貌びぼうひどく先生の気に入っていた。一頃は先生も随分奥さんを派手にさして、どうかすると奥さんの頬には薄紅い人工の美しさがいろどられていることも有った。亜米利加帰りの先生は洋服、奥さんも薄い色のスカアトを引いて、一緒に日暮方の町を散歩するところを捨吉も見かけたことが有る。新築した家の方へ落着いてから、先生の暮し方は大分地味なものと成って来た。彼は浅い谷の手前から繁茂した樹木の間を通して、向うに玻璃戸ガラスどのはまっている先生の清潔な書斎を、客間を、廊下を、隠れて見えない奥さんの部屋まで、それを記憶でありあり見ることが出来た。
「浅見先生の家へも、最早もうしばらく行かないナ」
 と捨吉は言って見た。
 この親しい家族の方へも彼の足は遠く成った。彼は先生の家の周囲まわりを歩くというだけで満足して、やがて金目垣に囲われた平屋造りの建物の側面と勝手口の障子とを眺めて通った。


 学窓をさして捨吉は高輪の通りを帰って行った。繁子が監督している小さな寄宿舎のあるあたり、亜米利加の婦人の住む西洋風の建物を町の角に見て、広い平坦たいらな道を歩いて行くと、幾匹かの牛を引いて通る男なぞに逢う。まだ新しい制服を着て、学校の徽章きしょうの着いた夏帽子をかぶった下級の学生が連立って帰って行くのにも逢う。
 学校へ入った当座、一年半か二年ばかりの間、捨吉は実に浮々と楽しい月日を送った。血気さかんな人達の中へ来て見ると、誰もそう注意深く彼の行動を監督するものは無かった。まるでかごから飛出した小鳥のように好き勝手に振舞うことが出来た。高い枝からでも眺めたようにこの広々とした世界を眺めた時は、何事も自分のたいと思うことで為て出来ないことは無いように見えた。学窓には、東京ばかりでなく地方からの良家の子弟も多勢集って来ていて、互に学生らしい流行を競い合った。柔い黒羅紗くろらしゃ外套がいとう色沢いろつや、聞きれるようなしなやかな編上げの靴の音なぞはいかに彼の好奇心をそそったろう。何時の間にか彼も良家の子弟の風俗を学んだ。彼は自分の好みによって造った軽い帽子を冠り、半ズボンを穿き、長い毛糸の靴下を見せ、輝いた顔付の青年等と連立って多勢娘達の集る文学会に招かれて行き、プログラムを開ける音がそこにもここにも耳に快く聞えるところに腰掛けて、若い女学生達の口唇くちびるから英語の暗誦あんしょうや唱歌を聞いた時には、ほとんど何もかも忘れていた。楽しい幸福は到るところに彼を待っているような気がした。彼は若い男や女の交際する場所、集会、教会の長老の家庭なぞに出入ではいりし、自分の心を仕合しあわせにするような可憐かれんな相手を探し求めた。物事は実に無造作に、自由に、すべて意のままに造られてあるように見えた。一足飛びに天へ飛び揚ろうと思えば、それも出来そうに見えた。あの爵位しゃくいの高い、美しい未亡人に知られて、一躍政治の舞台に上った貧しいジスレイリの生涯なぞは捨吉の空想を刺戟しげきした。彼は自分でも行く行くは「エンジミオン」を書こうとさえ思った。
 はかない夢はある同窓の学友の助言から破れて行った。彼は自分と繁子との間に立てられている浮名というものを初めて知った。あられもない浮名。何故というに、その時分の彼の考えでは少くも基督キリスト教の信徒らしく振舞ったと信じていたからである。繁子と彼との交際は若い基督教徒の間に行わるる青年男女の交際に過ぎないと信じていたからである。けれども彼は眼が覚めた。曽て彼を仕合せにしたことはドン底の方へ彼を突落した。一時彼が得意にして身に着けた服装なぞは自分で考えてもたまらないほど厭味いやみなものに成って来た。良家の子弟を模倣していた自分は孔雀くじゃく真似まねをするからすだと思われて来た。彼が言ったこと、為たこと、考えたことは、すべて皆後悔の種と変った。
 学窓に近づけば近づくほど捨吉は種々いろいろな知った顔に逢った。みんな馴染なじみのパン屋から出て来る下級の生徒なぞがある。一頃教会の方で捨吉と一緒に青年会なぞを起して騒いだ連中が何となく青年の紳士らしい靴音をポクポクとさせてって来るのにも行き逢った。以前のようには捨吉の方で親しい言葉を掛けないので、先方さきも勝手の違ったように一寸ちょっと挨拶だけして、離れ離れに同じ道を取って行った。
 界隈かいわいの寺院では勤行おつとめの鐘が鳴り始めた。それを聞くと夕飯の時刻が近づいたことを思わせる。捨吉は学校の広い敷地について、亜米利加風な講堂の建物の裏手のところへ出た。樹木の多い小高い崖に臨んで百日紅さるすべりの枝なぞが垂下っている。その暗い葉蔭に立ってひとりで手真似をしながらしきりに英語演説の暗誦を試みている青年がある。捨吉よりはずっと年長としうえの同級生であった。
 捨吉の姿を見ると、その同級生は百日紅の傍を離れて微笑ほほえみながら近づいた。そして、むんずと彼の腕を取った。
「岸本君――今日は土曜日でも家へ帰らないんですか」
 とその同級生が尋ねた。
「だって君、どうせもう暑中休暇に成るんだもの」と捨吉は答えた。
「そうだね。もう直き暑中休暇が来るね」
 遠い地方から来ているこの同級生は郷里の方のことでも思出したように言った。
 まかないの食わせる晩食ばんめしあじわおうとして、二人は連立って食堂の方へ行った。黙し勝な捨吉は多勢の青年の間に腰掛けて、あの繁子に図らず遭遇でっくわしたことを思出しつつ食った。
 捨吉が食堂を出た頃は、夕方の空気が岡の上を包んでいた。すべての情人を誘い出すようなこういう楽しい時が来ると、以前彼は静止じっとしていられなかった。極く極く漠然とした眼移りのするような心地でもって、町へ行って娘達に逢うのを楽みにしたり、見知り越しなお嬢さんの家の門なぞに佇立たたずんだり、時には繁子の居る寄宿舎の方へ、あるいは彼女が教えに通う学校の窓の見える方まで行ったりして、訳もなしに彷徨さまよい歩かずにはいられなかった。その夕方さえ消えた。
 捨吉は寄宿舎の方へ帰った。同室の学生は散歩にでも出掛けたかして、部屋には見えない。窓のところへ行って見ると、食事を済ました人々が思い思いの方角をさして広い運動場を過ぎつつある。英語の讃美歌さんびかの節を歌いながら庭を急ぐものがある。張り裂けるような大きな声を出して暗い樹蔭の方で叫ぶものがある。向うの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいずれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いている先生方の奥さんも見える。
 夕方の配達を済ました牛乳の空罐あきかんを提げながら庭を帰って行く同級生もあった。流行歌はやりうたの一つも歌って聞かせるような隠芸のあるものはこの苦学生より外に無かった。学校に文学会のあった時、捨吉は一緒に余興に飛出し、夢中に成って芝居をして騒いだことがある。夢から醒めたような道化役者は牛乳の罐を提げて通る座頭ざがしらの姿を見るにも堪えなかった。
 誰が歌って通るのか、聞き慣れた英語の唱歌は直ぐ窓の下で起った。捨吉はその歌を聞くと、同じように調子を合せて口吟くちずさんで見て、やがて自分の机の方へ行った。
 白い肩掛はまだ眼にあった。彼はそれから引出されて来るたとえようの無い心地を紛らそうとして、部屋のすみに置いてある洋燈ランプを持って来た。そして机の上を明るくして見た。彼はまたその燈火あかりいた洋燈をかかげながら自分の愛読する書籍を取出しに行った。


 静かな日曜の朝が来た。寄宿舎に集った普通学部の青年で教会に籍を置くものは、それぞれ仕度して、各自の附属する会堂へと急いで行く。食堂につづいた一棟の建物の中に別に寄宿する神学生なども思い思いの方角をさして出掛けて行く。人々は一日の安息を得、霊魂たましいかてを得ようとして、その日曜を楽しく送ろうとした。
 浅見先生が牧師として働いている会堂は学校の近くにあった。そこに捨吉も教会員としての籍が置いてあった。その朝、彼はいくらか早めに時間を計って寄宿舎を出た。そんな風にして会堂で繁子に逢うことを避け避けしていた。若い娘達を引連れて彼女が町を通っている時刻は大凡おおよそ知れていた。谷を下りてまた坂に成った町を上ると、向うの突当りのところに会堂の建物が見える。十字架の飾られたとがった屋根にポッと日の映じたのが見える。
 町の片隅には特別の世界を形造る二三の人が集って立話をしていた。いずれも会堂の方で見知った顔だ。思わず捨吉は立留って、それらの人の話に耳をとめた。
 長いひげはやした毛深い容貌の男が種々な手真似をした後で、こう言った。
「確かに奇蹟きせきが行われました」
 その前に立った男は首を垂れて聞いていた。
「医者が第一そう言うんですからね」ともう一人の老人が話を引取って言った。老人は眼を輝やかしていた。「とてもあの娘は吾儕われわれの力には及びませんでしたッて。医者がもう見放してしまった病人ですぜ。それが貴方、家族の人達の非常な熱心な祈祷きとうの力でたすかったんですからね」
「確かに奇蹟が行われたのですよ。主が特別の恩恵めぐみを垂れ給うたのですよ」
 長い髯の男は手にしていた古い革表紙の手擦てずれた聖書を振って言った。
 その時、捨吉はこの人達の話で、洗礼を受けようとする一人の未信者の娘のあることを知った。その受洗の儀式が会堂の方にあることをも知った。
 会堂の石垣に近く、水菓子屋の前の方から話し話し遣って来る二三の婦人の連があった。その中に捨吉は浅見先生の奥さんを見かけた。懐しそうにして彼は奥さんの方へ走り寄った。
「ちっとも御見えに成りませんね。岸本さんはどうなすったろうッて、御噂おうわさしてますよ」
 相変らず無邪気な、人の好さそうな調子で、奥さんは捨吉に言った。
 会堂の内には次第に人々が集りつつあった。左右の入口から別れて入って来る男女の信者達はそこに置並べてある長い腰掛をえらんで思い思いに着席した。捨吉と同じ学校の生徒でここへ来て教を聞こうとするものは可成かなりある。晴やかな顔付で連立って来て、ずっと前の方に着席するものも有る。説教壇の前のところに一人特別に腰掛けたはその日受洗する娘と知れた。
 執事が赤い小形の讃美歌集を彼方是方あちこちと配って歩いた。ここへ来て霊魂をあずけるかのごとき人達は一番前の方に首を垂れている娘の後姿を、その悔改くいあらためと受洗間際まぎわの感動とで震えているような髪を、霊によって救われたという肉を、あたかも一の黙示に接するかのようにして眺めていた。そして、その日行われる儀式によって日頃にまさる感激を待受けるかのように見えた。そういう中で、捨吉はある靴屋と並んで、皆の後の方に黙然もくねんと腰掛けた。
 浅見先生の姿が説教壇の上にあらわれた。式が始まるにつけて婦人席の中から風琴オルガンの前の方へ歩いて行ったのは繁子だ。捨吉は多勢腰掛けている人達の間を通して、彼女を見た。彼女が腰掛を引寄せる音や鍵台のふたを開ける音や讃美歌の楽譜を繰る音はよく聞えた。捨吉はその風琴の前に、以前の自分を見つけるような気がした――勿忘草わすれなぐさの花を画いて、それに学び覚えた英詩の一ふしなぞを書添えて彼女に贈った自分を。
 捨吉と並んだ靴屋はこの教会の草分くさわけの信徒で、手に持った讃美歌集を彼の方へ見せて、一緒に歌えという意味を通わせた。捨吉は器械のように立ったり、腰掛けたりした。
 丁度洗礼を受けようとする娘が長老に助けられて、浅見先生の前で信徒として守るべき箇条を読み聞かせられている。先生が読み聞かせるたびに、娘は点頭うなずいて見せる。それを眺めると、学校の他の青年と四人ほど並んで一緒に洗礼を受けた時のことが夢のように捨吉の胸に浮んだ。矢張やはり、先生の司会で、繁子の音楽で、信徒一同の歌で、この同じ会堂で。あの時分のことを思うと青年会だ親睦会だ降誕祭だと言って半分夢中で騒いだ捨吉の心は何処へか行って了った。会堂風に造られた正面のアーチも、天井も、窓も同じようにある。十字架形の飾りを施した説教台も、その上に載せた大きな金縁の聖書も同じようにある。しかし捨吉の眼に映るものは、すべて空虚うつろのように成って了った。曽て彼の精神を高め、華やかにしたと思われることは幻のように消えた。凱歌がいかを奏するような信徒一同の讃美がた始まった。

「ハレルヤ、ハレルヤ――」

 病から回復すると同時に受洗の志を起したという可憐な小羊を加えたことは、一同の合唱に一層気勢を添えるように聞えた。

「ハレルヤ、ハレルヤ
   ハレルヤ――アーメン」

 浅見先生の説教、祈祷きとうなぞが有って、やがて男女の会衆が散じかける頃には、捨吉は逸早いちはやく靴屋の側を離れ、皆なの中を通り抜けて、会堂の出入口にある石の階段を下りた。


 安息の無い、悩ましい、沈んだ心地で、捨吉は寄宿舎の部屋の方へ引返した。おのおのの部屋は自修室と寝室との二間に分れている。寝室の壁によせて畳の敷いた寝台ねだいが作りつけてある。そこへ彼は身を投げるようにして、寝台へ顔を押宛てて祈った。
 第三学年も終に近い頃であった。翌朝教室の方へ集って見ると、その学年の終にある英語の競争演説の噂がしきりとされている。下級の学生の羨望せんぼうの中で、教授達の家庭へ一同招待された夜の楽しさなぞが繰返される。捨吉が同級の中には随分年齢としの違った生徒が混っていた。「お父さん」と言われるような老成な人まで学びに来ていた。
 エリス教授が教室の戸を開けて入って来た。教授の受持はおもにエロキュウションなぞで有った。
「Now, Gentlemen ――」
 とエリス教授は至極鄭重ていちょう慇懃いんぎんな調子で、一切亜米利加式に生徒を紳士扱いにするのが癖だ。
「Mr. Kishimoto.」
 と教授は人の好さそうなあごを捨吉の方へ向けて、何か彼からも満足な答を得ようとした。
「前にはよく答えたでは無いか、どうしてそう黙り込んで了ったのだ」と先生の眼が尋ねるように見えた。一度捨吉は眼に見えない梯子はしごから落ちて、毎朝の礼拝にも、文学会にも、他の同窓の人達が我勝に名誉の賞金を得ようとして意気込んでいる華やかな競争演説にまで、ほとほと興味を失って了った。彼は同級の中でも最も年少なものの一人ではあったが、入学して二年ばかりの間はクラスの首席を占めていた。一時彼は多くの教授の愛を身に集めた。ことに亜米利加から新規に赴任して来たばかりの少壮な教授なぞは、真面まともに彼の方を見て講義を続けたり、時間中に何度となく彼の名を呼んで質問に答えさせたりした。この目上の人の愛は、すべての人から好く思われ、すべての人から愛されたいと思った彼の心を満足させたのである。それらの日課を励む心すら何処へか失われて了った。彼はエリス教授を満足させるほどの果敢々々はかばかしい答もしなかった。
 多くの日課はこの通りだった。彼は唯自分の好める学科にのみ心を傾け、同級の中でも僅かの人にしか口を利かないほど黙し勝にのみ時を送った。
 眼に見えない混雑は捨吉の行く先にあった。午後に彼は以前の卒業生の植えた記念樹のあたりへ出た。ふとその樹の側を通る青年がある。上州の方から来ている良家の子息むすこで、級は下だが、捨吉と一緒に教会で洗礼を受けた仲間だ。一時はよく一緒に遊んだ生徒だ。そろいの半ズボンで写真まで取ったこともある。
 その生徒は捨吉の顔をのぞき込むようにして、
「白ばっくれるない」
 という声を浴せかけて通った。
 その足で、捨吉は講堂の前から緩慢なだらかな岡に添うて学校の表門の方へ出、門番の家の側を曲り、桜の樹のかげから学校の敷地について裏手の谷間の方へ坂道を下りて行った。一面のやぶで、樹木の間から朽ちかかった家の屋根なぞが見える。勝手を知った捨吉は更に深い竹藪について分れた細道を下りて行った。竹藪の尽きたところで坂も尽きている。彼はよくその辺を歩き廻り、林の間にさえずる小鳥を聞き、奥底の知れない方へ流れ落ちて行く谷川のかすかなささやきに耳を澄ましたりして、時には御殿山の裏手の方へ、ずっと遠く目黒の方まで独りで歩きに出掛けたことがある。四辺あたりには人も見えなかった。誰の遠慮も無いこの谷間で彼は堪らなく圧迫おしつけられるような切ない心を紛らそうとした。沈黙し鬱屈した胸の苦痛をそこへもらしに来た。張り裂けるような大きな声を出して叫ぶと、それがさびしい谷間の空気へ響き渡って行った。
 一羽の鳥が薄明るく日光の射し入った方から舞い出した。彼はそこに小高く持上った岡のすそのような地勢を見つけた。その小山へもけ登って、青草を踏み散らしながら復たそこで力一ぱい大きな声を出して怒鳴った。


 暑中休暇が来て見ると、彼方あちらへ飛び是方こちらへ飛びしていた小鳥が木の枝へ戻って来たように、学窓で暮した月日のことが捨吉の胸に集って来た。その一夏をいかに送ろうかと思う心地に混って。彼はこれから帰って行こうとする家の方で、自分のために心配し、自分を待受けていてくれる恩人の家族――田辺たなべの主人、細君、それから、お婆さんのことなぞを考えた。田辺の家に近く下宿住居する兄の民助のことをも考えた。それらの目上の人達からまだ子供のように思われている間に、彼の内部なかきざした若い生命いのちの芽は早筍はやたけのこのように頭を持上げて来た。自分を責めて、責めて、責め抜いた残酷むごたらしさ――沈黙を守ろうと思い立つように成った心のもだえ――きちがいじみた真似まね――同窓の学友にすら話しもせずにあるその日までの心の戦いを自分の目上の人達がどうして知ろう、繁子や玉子のような基督教主義の学校を出た婦人があって青年男女の交際を結んだ時があったなぞとはどうして知ろうと想って見た。まだ世間見ずの捨吉にはすべてが心に驚かれることばかりで有った。今々この世の中へ生れて来たかのような心持でもって、現に自分の仕ていることを考えて見ると、何時いつの間にか彼は目上の人達の知らない道を自分勝手に歩き出しているということに気が着いた。彼はその心地から言いあらわし難い恐怖おそれを感じた。
 七月らしい夏の雨が寄宿舎の窓へ来た。荷物を片付けて寄宿舎を離れようとしていた青年等はいずれもにわかに夕立の通過ぎるのを待った。
 明治もまだ若い二十年代であった。東京の市内には電車というものも無い頃であった。学校から田辺の家まではおよそ二里ばかりあるが、それ位の道を歩いて通うことは一書生の身に取って何でも無かった。よく捨吉は岡つづきの地勢に添うて古い寺や墓地の沢山にある三光町寄さんこうちょうより谷間たにあい迂回うかいすることもあり、あるいは高輪の通を真直まっすぐ聖坂ひじりざかへと取って、それから遠く下町の方にある家を指して降りて行く。その日は伊皿子坂いさらござかの下で乗合馬車を待つ積りで、昼飯を済ますと直ぐ寄宿舎を出掛けた。夕立揚句あげくの道は午後の日に乾いて一層熱かった。けれども最早もう暑中休暇だと思うと、何となく楽しい道を帰って行くような心持に成った。何かこう遠い先の方で自分等を待受けていてくれるものが有る。こういう翹望ぎょうぼうはあだかもそれが現在の歓喜よろこびであるかのごとくにも感ぜられた。彼は自分自身のにわかな成長を、急に高くなった身長せいを、急に発達した手足を、自分の身に強く感ずるばかりでなく、恩人の家の方で、もしくはその周囲まわりで、自分と同じようにそろって大きくなって行く若い人達のあることを感じた。就中わけても、まだ小娘のように思われていた人達が遽かに姉さんらしく成って来たには驚かされる。そういう人達の中には大伝馬町おおてんまちょうの大勝の娘、それから竈河岸へっついがし樽屋たるやの娘なぞを数えることが出来る。大勝とは捨吉が恩人の田辺や民助の兄に取っての主人筋に当り、樽屋の人達はよく田辺の家と往来ゆききをしている。あの樽屋の内儀おかみさんが自慢の娘のまだ初々ういういしい鬘下地かつらしたじなぞに結って踊の師匠のもとへ通っていた頃の髪が何時の間にか島田に結い変えられたその姉さんらしい額つきを捨吉は想像で見ることが出来た。彼は又、あの大伝馬町辺の奥深い商家で生長しとなった大勝の主人の秘蔵娘の白いきゃしゃな娘らしい手を想像で見ることが出来た。


 新橋で乗換えた乗合馬車は日本橋小伝馬町まで捨吉を乗せて行った。日に光るいらか、黒い蔵造りの家々、古い新しい紺暖簾こんのれんは行く先に見られる。その辺は大勝の店のあるあたりに近い。田辺のおばあさんがよくうわさして捨吉に話し聞かせる石町こくちょうの御隠居、一代の豪奢ごうしゃきわめ尽したというあの年とった婦人が住む古い大きな商家のあるあたりにも近い。一体、田辺の主人はまだ捨吉が少年であった頃、石町の御隠居の家の整理を依頼された縁故から、同じ一族の大勝の主人に知られ、それから次第に取付き、商法も手広くやり、芝居の方へも金を廻し、「田辺さん」と言えば大分その道の人に顔を知られるように成ったのである。この恩人が骨の折れた苦しい時代から少年の身を寄せ、親戚では無いまでも主人のことを小父さんと呼び、細君のことを姉さんと呼び(細君を小母さんと言うにはあまりに若く、それほど主人と年が違っていたから)そんな風にほとんど家族のものも同様にして捨吉は育って来た。田辺の家の昔に比べると、今はすべての事が皆の思い通りに進みつつある。それが捨吉にも想像される。人形町にんぎょうちょうにぎやかな通を歩いて行って、やがて彼は久松橋のたもとへ出た。町中を流れる黒ずんだ水が見える。空樽あきだるかついでおかから荷舟へ通う人が見える。竈河岸へっついがしに添うてはすに樽屋の店も見える。何もかも捨吉に取っては親しみの深いものばかりだ。明治座は閉っている頃で、軒を並べた芝居茶屋まで夏季らしくひっそりとしていた。
 そこまで行くと田辺の家は近かった。表の竹がこいの垣が結い換えられ、下町風の入口の門まですっかり新しく成ったのが先ず捨吉の心を引いた。
 年はとっても意気のさかんなお婆さんを始め、主人、細君は風通しの好い奥座敷に一緒に集っていて、例のように捨吉を迎えてくれた。お婆さんが灰色の髪を後へ切下げるようにして、何となく隠居らしく成ったのも捨吉にはめずらしかった。そればかりでは無い、久しい年月の間、病気と戦ってたり起きたりしていた細君の床がすっかり畳んで片付けてあった。田辺の姉さんと言えば年中壁に寄せて敷いてあった床を、枕を、そこに身を横にしながら夫を助けて采配さいはいを振って来た人を直ぐ聯想れんそうさせる。その細君が床を離れているというだけでも、家の内の光景ありさまを変えて見せた。
 細君はまだ自分で自分の身体をいたわるかのように、瀟洒しょうしゃな模様のついた芝居茶屋の団扇うちわなどを手にしながら、
「姉さんも生命いのち拾いをしたよ」
 と自分のことを捨吉に言って見せて、微笑ほほえんだ。
「なにしろ、お前さん、彼女あれの病気と来たら八年以来このかただからねえ」とお婆さんが言った。「小父さんも骨が折れましたよ……よくそれでもこんなにくなったと、あたしはそう思うよ……木挽町こびきちょうの先生なぞも驚いていらっしゃる……彼女の床を揚げて見たら、それだけ畳の色がそっくり変っているぐらいだったよ……」
 自分の孫が夏休で学校の方から帰って来たかのように、お婆さんは捨吉に話し聞かせて、長い羅宇らう煙管きせるで一服やった。このお婆さんが細君のことを話す調子には実の娘を思う親しさがこもっていた。主人はよその姓から田辺をいだ人であった。
「全く骨が折れましたよ。よねが病気でさえ無かったら今時分私は銀行の一つ位楽に建ててます」
 と主人は心安い調子で言って笑った。書生を愛する心の深いこの主人は捨吉の方をも見て、学校の様子などを尋ねたりして、快活に笑った。ずっと以前には長い立派なひげいかめしそうにはやした小父さんであった人がそれをり落し、涼しそうな浴衣ゆかた大胡坐おおあぐら琥珀こはくのパイプをくわえながら巻煙草をふかし燻し話す容子ようすは、すっかり下町風の人に成りきっていた。主人の元気づいていることはその高い笑声で知れた。まったく、田辺の姉さんが長い病床から身を起したというは捨吉にも一つの不思議のように思えた。
「まあ捨吉も精々勉強しろよ。姉さんも快くなったし、小父さんもこれからやれる。今に小父さんが貴様を洋行さしてやる」
「そうともサ。洋行でもして馬車に乗るくらいのエラいものに成らなけりゃ捨吉さんも駄目だ」
「貴様の知ってる通り、吾家うちじゃこれまでどのくらい書生を置いて見たか解らないが、何時でも是方こっちの親切があだになる――貴様くらい長く世話したものも無い――それだけの徳が貴様にはそなわっているというものだ」
 こういう主人とお婆さんとの話を細君は側で静かに聞いていたが、やがて捨吉の方を見て言うだけのことを言って聞かせて置こうという風に、
「一時はもうお前さんを御断りしようかと思う位だったよ……」
 その言葉の調子は優しくも急所に打込む細い針のような鋭さが有った。捨吉はあかくなったりあおくなったりした。


「兄さん」
 と広い勝手の上り口から捨吉を見つけて呼んで入って来たのは、田辺の家の一人子息むすこだ。ひろしと言って、捨吉とはあだかも兄弟のようにして育てられて来た少年だ。
「このまあ暑いのに帽子も冠らないで、何処どこへ遊びに行ってるんだねえ」
 と細君は母親らしい調子で言った。この弱かった細君にどうしてこんな男の児が授かったろうと言われているのが弘だ。一頃は弘もよく引付ひきつけたりなどしたが、お婆さん始め皆の丹精たんせいでずんずん成長しとなって、めっきりと強壮じょうぶそうに成った。おまけに、末頼もしい賢さを見せている。
 お婆さんは茶戸棚のところに行って、小饅頭こまんじゅうなどを取出し、孫と捨吉とに分けてくれた。
「弘、写真を持って来て兄さんにお目にお掛けな」
 と細君は弘を側に呼んで、解けかかった水浅黄みずあさぎ色の帯を締直してった。弘が持って来て捨吉に見せた写真は、父と一緒に取ったのと、一人のとある。界隈かいわいの子供と同じように弘もいくらかそでの長い着物で写真に映っていたが、その都会の風俗がいかにもよく似合って可愛らしく見えた。
「実によくれましたネ」
 と捨吉に言われて、お婆さんから細君へ、細君から主人へと、三人はもう一度その写真を順に廻して見た。主人は眼を細めて、可愛いくて成らないかのようにその写真に見入っていた。
「弘さん、いらっしゃい」
 と捨吉が呼んだ。やがて彼は弘を自分の背中に乗せ、部屋々々を見に行った。夏らしく唐紙からかみなぞも取除とりはずしてあって、台所から玄関、茶の間の方まで見透みとおされる。茶の間は応接室がわりに成っていて、仕切場しきりばだとか大札おおふだだとか芝居茶屋の女将おかみだとかそういう座付の連中ばかりでなくその他の客が入れ替り立ち替り訪ねて来るたびに、よく捨吉が茶を運ぶところだ。彼は弘を背中に乗せたまま、茶の間から庭へ下りて見た。青桐が濃い葉影を落しているあたりに添うて一廻りすると、庭から奥座敷が見える。土蔵の上り口まで見透される。
 細君は捨吉の背にある弘の方を見て、
「おや可笑おかしい。大きなナリをして」
 と奥座敷に居て言った。
 奥座敷では、午後の慰みに花骨牌はなが始まった。お婆さんと主人が細君の相手に成って、病後を慰め顔に一緒に小さな札を並べていた。
「弘の幼少ちいさい時分にはよくああして兄さんにおぶさって歩いた。一度なんか深川の方までも――」
 とお婆さんが札を取上げながら、庭の方をながめて、「でも、二人とも大きく成ったものだ」
「さあ、今度は誰の番です」と主人が笑いながら言出した。
「あたいだ」とお婆さんは手に持った札とそこに置並べてあるのとを見比べた。
「弘は母さんの傍へお出」
 と細君が呼んだので、捨吉は背中に乗せていた弘を縁側のところへ行って下した。弘はまだ子供らしい眼付をして母親の側に坐った。そして種々な模様のついた花骨牌はなふだを見比べていた。
「桐と出ろ」と主人は積重ねてある札をめくって打ち下した。「おやおや、雨坊主だ」
 細君の番に廻って行った。「どうも御気の毒さま。菅原が出来ました」と細君は揃いの札を並べて見せた。それを見た主人は額に手を宛てて笑った。
 間もなく捨吉は庭下駄を脱ぎ捨てて勝手口に近い井戸へ水みに行った。まだ水道というものは無い頃だった。素足に尻端折しりはしょり手桶ておけを提げて表門の内にある木戸から茶の間の横を通り、平らな庭石のあるところへ出た。庭の垣根には長春ちょうしゅんが燃えるように紅い色の花を垂れている。捨吉が水を打つ度に、奥座敷に居る人達は皆庭の方へ眼を移した。葉蘭はらんなぞはバラバラ音がした。れた庭の土や石はかわいた水を吸うように見る間に乾いた。
 捨吉は茶の間の方へも手桶を向けて、低い築山つきやま風に出来た庭の中にあるかえでの枝へも水を送った。幹を伝う打水は根元の土の上を流れて、細い流にかたどってある小石の中へ浸みて行った。茶の間の前をおおう深く明るい楓の葉蔭は捨吉の好きな場所だ。その幹の一つ一つは彼に取っては親しみの深いものだ。楓の奥には一本のくすのきの若木も隠れている。素足のまま捨吉は静かな緑葉からポタポタ涼しそうに落ちる打水のしずくを眺めた。
 た捨吉は庭土を踏んで井戸の方から水の入った手桶を提げて来た。茶の間の小障子の側には乙女椿おとめつばきなどもある。その乾いた葉にも水をくれ、表門の内にある竹の根にもそそぎかけた。彼はまた門の外へも水を運んで行った。熱い、楽しい汗が彼の額を流れて来た。最後に、客の出入する格子こうしを開けて庭のタタキをも洗った。そこには白いなめらかな方形の寒水石かんすいせきがある。その冷い石の上へ足を預けて上框あがりがまちのところに腰掛けながら休んだ。玄関の片隅の方を眺めると、壁によせて本箱や机などが彼を待受け顔に見えた。


 花骨牌はなにもんだ頃、細君は奥座敷の縁側の方から玄関の通い口へ来て佇立たたずんだ。まだ捨吉は上り框へ腰掛けたなり素足のままでいて、自分の本箱から取出した愛読の書籍を膝の上に載せ、しきりとそれに読みふけっていた。見ると細君が来て背後うしろに立っていたので、捨吉はきまり悪げに書籍ほんを閉じ、すこし顔を紅めた。
 病後の細君が腰を延ばし気味に玄関から茶の間と静かに家の内を歩いているその後姿を捨吉はめずらしいことのように思い眺めた。やがて格子戸の外に置いた手桶を提げて井戸の方へ行こうとした。ふと、樽屋の内儀おかみさんが娘を連れながら、表門の戸を開けて入って来るのに逢った。
「捨さん、何時御帰んなすったの。学校はもう御休みなんですか」
 と河岸の内儀さんは言葉を掛けた。女ながらに芝居道の方では可成かなり幅をかせている人だ。娘も捨吉に会釈して、母親の後から、勝手口の方へ通った。一度捨吉は田辺の細君の口から、「捨さんは養子にはもらえない方なんですか」と樽屋の内儀さんが尋ねたという話を聞いてから、妙にこの人達に逢うのが気に成った。
 捨吉は井戸端で足をいてから、手桶の水を提げ、台所から奥座敷と土蔵の間を廂間ひあわいの方へ通り抜けた。田辺の屋敷に附いた裏の空地が木戸の外にある。そこが一寸花畠はなばたけのように成っている。中央には以前に住んだ人が野菜でも造ったらしい僅かの畠の跡があって、その一部に捨吉は高輪の方から持って来たいちごを植えて置いた。同窓の学友で労働会というものへ入って百姓しながら勉強している青年がその苺の種を分けてくれた。それを捨吉は見に行った。
 幾株かの苺は素晴らしい勢で四方八方へつるを延ばしていた。長い蔓の土に着いた部分は直ぐそこに根をはやした。可憐かれんな繁殖はそこでもここでも始っていた。
「ホ。何物なんにもくれなくてもいんだ」
 と捨吉は眼を円くして言って見て、青々とした威勢の好い葉、何処まで延びて行くか分らないような蔓の間などに、自分の手を突込むと、そこから言うに言われぬ快感を覚える。手桶に入れて持って来た水を振舞顔にいていると、丁度そこへ主人も肥満した胸のあたりを涼しそうにひろげ、蜘蛛くもの巣の中形のついた軽い浴衣ゆかたで歩きに来た。
「小父さん、御覧なさい――こんなに苺が殖えましたよ」
 と捨吉が声を掛けた。
 主人は大人らしい威厳を帯びた容子で捨吉の立っている側を彼方是方あちこちと歩いた。どうかすると向うの花畠の隅まで歩いて行って、そこから母屋おもやの方を振返って見て、復た捨吉の方へ戻って来た。行く行くはこの空地へ新しい座敷を建増そうと思うという計画などを捨吉に話して聞かせた。それからまた自分の事業の話などもして、大勝の大将と共同で遠からず横浜の方にある商店を経営しようとしていることなどを話した。
 何かにつけて主人は捨吉の若い心を引立てようとするように見えた。この「小父さん」が好い時代に向いつつあることは捨吉の身にとっても何より心強い。八年以来このかたわずらい煩いしていた細君が快くなったというだけでも大したことであるのに、家はますます隆盛さかんな方だし、出入ではいりするものも多くなって来たし、好い事だらけだ。主人の眼は得意に輝いて見える時だ。その眼はまたいろいろな物を言った。「小父さんが苦しかった時代のことに比べて見よ。捨吉、貴様はこういう家屋と庭園を自分のものとして住むということを何とも思わないか。書生を置き、女中を使い、人は『田辺さん、田辺さん』と言って頼って来るし、髪結の娘で芸を商売にするものまで出入することを誉のようにして小父さんが脱いだ着物まで畳んでくれるということを何とも思わないか。小父さんの指に光る金と宝石の輝きを見ても何とも思わないか。捨吉、捨吉、どうして貴様はそうだ――何故小父さんの後へいて来ないか」それを主人は種々なことで教えて見せていた。


 細君が床揚げの祝いの日には、主人も早く起きて東の空に登る太陽を拝んだ。竈河岸の名高い菓子屋へ注文した強飯こわめしが午前のうちに届いた。「行徳ぎょうとく!」と呼ばって入って来て勝手口へ荷をおろす出入の魚屋の声も、井戸端でさかんに魚の水をかえる音も、平素ふだんまさって勇ましく聞えた。奥座敷の神棚の下には大勝始め諸方からの祝いの品々が水引みずひきの掛ったままで積重ねてあった。
 強飯を配るために捨吉は諸方へと飛んで歩いた。勝手に続いて長火鉢ながひばちの置いてあるところで、お婆さんが房州出の女中を指図しながらいそがしそうに立働いた。菓子屋から運んで来た高い黒塗の器の前には細君まで来て坐って、強飯をつめる手伝いをしようとした。
「米、何だねえ。お前がそんなことをしなくっても可いよ」
 とお婆さんは叱るように言って見せて、大きな重箱を細君の手から引取った。南天なんてんの実の模様のついた胡摩塩ごましおの包紙、重たい縮緬ちりめん袱紗ふくさ、それをお婆さんの詰めてくれた重箱の上に載せ、風呂敷包にして、復た捨吉は河岸の樽屋まで配りに行って来た。
 その日は捨吉の兄も大川端おおかわばたの下宿の方から呼ばれて来た。宿は近し、それに大勝の大将は田辺の主人の旦那でもあればこの民助兄に取っての旦那でもあって、そんな関係からよく訪ねて来る。田辺の主人と民助とは同郷のよしみも有るのである。
「民助さん、まあ見て遣って下さいよ。捨さんの足はこういうものですよ」とお婆さんは捨吉の兄に茶をすすめながら話した。
「捨さん、一寸そこへ出して兄さんにお目にお掛けな」と細君は捨吉を見て言った。「この節は十文半の足袋たびはまりません。莫迦ばか甲高こうだかと来てるんですからねえ」
「どうだ。俺の足は」と主人はセルの単衣ひとえまくって、太い腰の割合に小さく締った足を捨吉の方へ出して見せた。
「父さんの足と来たら、これはまた人並外れて小さい」と細君が言った。
 民助は奥座敷の縁先に近く主人とむかい合って坐っていた。こんこん咳払せきばらいするのが癖で、「自分等の年をとったことはさ程にも思いませんが、弘さんや捨吉の大きく成ったのを見ると驚きますよ」と言って復たいた。
「なにしろ、『お婆さん、霜焼が痛い』なんて泣いた捨吉が最早もうこれだからねえ」と主人は肥満した身体を揺るようにして笑った。
 内輪のものだけの祝いがあった。昔を忘れないお婆さんも隠居らしい薄羽織を着て、まだ切下げたばかりの髪の後部うしろを気にしながら皆と一緒に膳に就いた。
「弘は兄さんの側へ御坐りなさい」
 と母親に言われて、弘は自分の膳を捨吉の隣へ持って来る。捨吉もかしこまりながら好きな強飯を頂戴した。
 食事が終って楽しげな雑談が始まる頃には、そろそろ主人の仮白こわいろなどが出る。芝居の方に関係し始めてから、それが一つの癖のように成っている。主人のは成田屋ばりで、どうかすると仮白を真似た後で、「成田屋」という声を自分で掛けた。それが出る時は主人の機嫌きげんの好い時であった。
「弘、何か一つ遣れ」
 主人は意気のたかまった面持で子息むすこにも仮白を催促した。
「お止しなさいよ」と細君は手にした団扇で夫を制する真似して、「父さんのように仮白ばかり仕込んで、困っちまうじゃ有りませんか。今に弘はお芝居の方の人にでも成ってしまいますよ」
「これがまた巧いんだからねえ」と主人は子息の自慢を民助に聞かせた。
「民助さん、貴方の前ですが」とお婆さんも引取って、「どうもあたしはこの児のあんまり記憶おぼえの好いのが心配で成りません。米もそう言って心配してるんです。まあ百人一首なぞを教えましょう、すると二度か三度も教えるともうその歌をそらで覚えてしまいます……貴方の前ですが、恐しいほど記憶の好い児なんですよ……」
「弘さんはなかなか悧巧りこうですから」と民助が言った。
「しかし、あんまり記憶の好いのも心配です」と細君が言った。「私の兄の幼少ちいさい時が丁度これだったそうですからねえ」
彼女あれの兄というのは二十二か三ぐらいで亡くなりましたろう。学問は好く出来る人でしたがねえ」と主人は民助に言って聞かせた。「実は、私もお婆さんや米のように思わないでも有りません。どうかすると私は弘の顔を見てるうちに、この児にはあんまり勉強させない方が好い、田舎いなかへでも遣って育てた方が好い、そう思うことも有りますよ」
「そのくせ、父さんは一番物を教えたがってるくせに――一番甘やかすくせに」と言って細君は笑った。
 夭死わかじにした細君の兄の話から、学問に凝ったと言われた人達のことが皆の間に引出されて行った。田辺の親戚で、田舎に埋れている年とった漢学者の噂も出た。平田派の国学に心酔した捨吉等の父の話も出た。
「捨吉、そんなところにかしこまって、何を考えてる」と主人が励すように言った。
「皆これでどういう人に成って行きますかサ」と細君は吾児と捨吉の顔を見比べた。
 お婆さんは首を振って、「捨さんの学校は耶蘇やそだって言うが、それが少し気に入らない。どうもあたしは、アーメンはきらいだ」
「お婆さん、そう貴女あなたのように心配したら際限きりが有りませんよ。今日英学でもらせようと言うにはほかに好い学校が無いんですもの。捨吉の行ってるところなぞは先生が皆亜米利加アメリカ人です。朝から晩まで英語だそうです」と言って主人は捨吉の兄の方を見て、「どうかして、捨吉にも洋行でもさして遣りたいものですな――御店おたなの大将もそう言ってるんです――」
 民助は物を言うかわりにいたり笑ったりした。
 記念すべき細君の床揚の祝いにつけても、どうかして主人は捨吉を喜ばそうとしているように見えた。行く行くは自分の片腕とも、事業の相続者ともしたいと思うその望みを遠い将来にかけて。


 楽しい田辺の家へ帰っても捨吉の心は楽まなかった。「貴様はそんなところで何を考えてる」と田辺の小父さんに問われることがあっても、彼は自分の考えることの何であるやを明かに他に答えることが出来なかった。しかし、彼は考え始めた。彼が再び近づくまいと堅く心に誓っていた繁子にはからず途中で邂逅めぐりあった時のことは、仮令たとえ誰にも話さずにはあるが、深い感動として彼の胸に残っていた。それが彼から離れなかった。避けよう避けようとして遂に避けられなかったあの瞬間の心の狼狽ろうばいと、そして名状しがたい悲哀とは……あの品川の停車場手前から高輪たかなわの方へ通う細い人通りの少い抜け路、その路傍の草の色、まだ彼はありありとそれらのものを見ることが出来た。あの白い肩掛に身を包んで俯向うつむき勝ちに乗って行った車上の人までもありありと見ることが出来た。あの一度親しくした年長としうえの婦人が無言で通り過ぎて行った姿は、何を見るにもまさり何を聞くにも勝って、あだかも心の壁の画のように過去った日のはかなさ味気なさを深思せしめずには置かなかった。
 夏期学校の開かれると云う日も近づいていた。かねてそのうわさのあった時分から、捨吉は心待ちにしていたが、暑中休暇で戻って来てからまだ間も無し、書生の身ではあり、自分もそこへ出席させて欲しいとは小父さんに願いかねていた。
 ある日、捨吉は主人がひとりで庭を歩いているのを見かけた。その側へ行ってこんな風に言出して見た。
「小父さん、僕は御願があります」
 主人は、何かまた捨吉めがきまりを始めたという顔付で、
「何だい。言って見ろや」
 と笑って尋ねた。
 その時、捨吉は自分の学校の方で特にその夏の催しのあること、すぐれた講演の開かれることを主人に話した。その間しばらく自分は寄宿舎の方に行っていたいと願って見た。
「へえ、夏期学校というのが有るのかね――」
 と主人は言って、捨吉が水をいて置いた庭の飛石づたいに、彼方此方あちこちと歩いて見て、やがてまた軽い浴衣ゆかたすそをからげながら細い素足のままで捨吉の方へ来た。そして未だ年少としわかな、どうにでも延びて行く屋根の上の草のような捨吉の容子ようすながめた。この主人は成るべく捨吉を手許に置きたかった。しかし書生を愛する心の深い人ではあり、日頃いかに気を引立ててくれるようにしてもとかく沈み勝ちな捨吉のためにはあるいはそういう夏期学校へ行って見るのも好かろう、という風に心配しつつ許してくれた。
「済んだら早く帰って来いよ。小父さんも多忙いそがしいからだに成って来たからな――」
 と附けたして言った。
 捨吉は嬉しくて、主人の前に黙って御辞儀一つした。その御辞儀が主人を笑わせた。


 許しが出た。捨吉はいそいそと立働いた。しばらく書生としての勤めから離れる前に庭だけでも綺麗に掃除して置いて行こうとした。金魚鉢の閼伽あかをかえること、盆栽の棚を洗うこと、蜘蛛くもの巣を払うこと、ようとさえ思えばることは何程いくらでも出て来た。家の周囲まわりに生える雑草はむしっても毟っても後から後からと頭をもたげつつあった。捨吉は表門の外へも出て見て、竹がこいの垣の根にしゃがみながら草むしりに余念もなかった。
 井戸端には房州出の若い下女が働いていた。丁度捨吉が芥取ごみとりを手にして草の根を捨てに湯殿の側の塵溜箱ごみばこの方へ通ろうとすると、じっとしてはいられないようなお婆さんも奥の方から来て勝手口のところへ顔を出した。その流許ながしもとで、お婆さんは腰を延ばしながら一寸空を眺めて見て、「ああ、今日も好い御天気だ」という顔付をした。
「捨さん、御洗濯おせんたく物があるなら、ずんずん御出しなさいよ。この天気だと直ぐに乾いちまう」
 とお婆さんは捨吉を見て言って、その眼を井戸端の下女の方へ移した。御主人大事と勤め顔な下女は大きなたらいを前にひかえ、農家の娘らしい腰巻に跣足はだしで、甲斐々々かいがいしく洗濯をしていた。捨吉が子供の時分から、「江戸は火事早いよ」なぞと言って聞かせているお婆さんだけあって、捨吉の身のまわりのことにも好く気をつけてくれた。夏期学校の方へ出掛けると聞いて、汗になった襦袢じゅばんや汚れた紺足袋の洗濯まで心配してくれた。
「捨さんの寝衣ねまきは」
 とお婆さんは下女に尋ねた。下女は盥の中の単衣ひとえしぼってお婆さんに見せた。それが絞られるたびじれた着物の間から濁った藍色あいいろの水が流れた。
 捨吉はすごすごと井戸端を通りぬけ、た芥取を提げて草むしりを仕掛けて置いた門前の方へ行った。
 憂鬱――一切のものの色彩を変えて見せるような憂鬱が早くも少年の身にやって来たのは、捨吉の寝巻の汚れる頃からであった。何もかも一時に発達した。丁度彼がむしっている草の芽の地面じべたを割って出て来るように、彼の内部なかきざしたものは恐ろしい勢であふれて来た。髪は濃くなった。頬は熱して来た。顔のどの部分と言わずかゆい吹出ものがして、み、れあがり、そこから血が流れて来た。おさえがたく若々しい青春のうしおは身体中をけめぐった。彼は性来の臆病から、仮令たとえ自分で自分に知れる程度にとどめて置いたとは言え、自然を蔑視さげす軽侮あなどらずにはいられないような放肆ほしいままな想像に一時身を任せた。
 こういうことが、優美な精神生活を送った人達の生涯を慕う心と一緒になって起って来た。捨吉は夏期学校の催しを思いやり、その当時としては最も進んだ講演の聞かれる楽みを思いやって、垣の根にはびこった草をせっせと毟った。葉だけ短かく摘み取れるのがあった。土と一緒に根こそぎポコリと持上って来るのもあった。
「御隠居様、この御寝衣はいくら洗いましても、よく落ちません」
 と下女が物干竿のあたりで話す声は垣一つ隔てて捨吉のしゃがんでいるところへよく聞えて来た。
「ひどい脂肪あぶらだからねえ」
 というお婆さんの声も聞えた。
 捨吉は額の汗を押拭おしぬぐって見て、顔を紅めた。彼は草むしりする手を土の上に置き、冷い快感の伝って来る地面じべた直接じかに掌を押しつけて、夏期学校の講演を聞こうとして諸方から集って来る多くの青年のことを思いやった。同級の学生でそこへ出席する連中は誰と誰とであろうなどと思いやった。


 寄宿舎の方へ持って行く着物も出して置かなければ成らなかった。高輪へ出掛ける前の日の午後、捨吉は自分の行李こうりを調べるつもりで土蔵の二階へ上ろうとした。蔵の前の板の間に、廂間ひあわいの方から涼しい風の通って来るところをえらんで、午睡ひるねの夢をむさぼっている人があった。大勝の帳場だ、真勢さんという人だ。真勢さんは御店おたなから用達ようたしに来たついでと見え、隠れた壁の横にひじを枕にして、ぐっすりと寝込んでいた。狭い板の間で、捨吉がその上をまたいでも、寝ている人は知らなかった。土蔵の二階は暗かった。金網を張った明り窓の重たい障子を開けてわずかに物を見ることが出来た。そこで捨吉は行李のふたを開けていると、お婆さんも何かの捜し物に梯子段はしごだんを登って来た。
 お婆さんは暗いすみの方から取出したものを窓の明りに透かして見て、
「捨さん、これはお前さんの夏服だよ」
 と捨吉に見せた。それは彼が一時得意にして身に着けたものだ。
「これもお前さんのズボンだろう」
 とお婆さんは復た派手な縞柄しまがらのを取出して来て捨吉に見せた。窓から射すかすかな弱い光線でも、その薄色のズボン地を見ることが出来た。捨吉は脱ぎ捨てた殻でも見るように、自分の着た物を眺めて立っていた。
「あれも要らない、これも要らない、お前さんは何物なんにも要らないんだねえ――まあ、この洋服はこうしてしまって置こう――今に弘でも大きく成ったら、着せるだ」
 とお婆さんはその夏服の類を元の暗いところへ蔵いながら言った。
 この土蔵の二階から捨吉が用意するだけの衣類を持って、お婆さんと一緒に奥座敷の方へ下りた時は、主人も弘も見えなくて細君だけ居た。お婆さんは土蔵から取出して来たものを細君に見せて、
「米、これかい」
 と聞いた。それは細君の好みで病中に造った未だ一度も手を通さない単衣ひとえであった。
「どうせこんなものをこしらえたって着て出る時は無いなんて、あの時はお前もそう言ったっけ」
 とお婆さんは思出したように言った。
「ほんとにねえ」と細君はまだ新しくてある単衣を膝の上に置いて見て、「これが着られるとは私も思わなかった……しかし私がいくら贅沢ぜいたくしたって樽屋のおばさんの足許へも及ばない。あのおばさんと来たら、の夏帯を平素ふだんにしめてます」
 細君はそれをお婆さんに聞かせるばかりでなく、捨吉にも聞かせるように言った。
「お婆さん、済みませんがあの手拭てぬぐい地の反物を一寸ここへ持って来て見て下さいな。捨さんにも持たしてりましょう」
 と細君に言われて、お婆さんは神棚の下の方から新しく染めた反物を持って来た。
吾家うちではこういうのを染めた」
 とお婆さんは水浅黄みずあさぎの地に白く抜いた丸に田辺としたのを捨吉に指して見せた。気持の好い手拭地の反物が長くひろげられたのも夏座敷らしい。細君ははさみを引寄せて、自分でその反物をジョキジョキとやりながら、
「でも、よくしたものだ。前には『捨さん、お前さんの襟首えりくびは真黒だよ』って言っても、まだあかが着いてた。それがこの節じゃ、是方こっちから言わなくとも、ちゃんと自分で垢を落してる――それだけ違って来た」
 こんなことを言って笑って、切取った手拭は丁寧に畳んで捨吉の前に置いた。細君は出入の者にそれを配るばかりでなく、捨吉にまで持たしてやるということを得意の一つとした。
 午睡ひるねから覚めた真勢さんが顔を洗いに来た頃、捨吉も井戸端に出てこの大勝の帳場と一緒に成った。真勢さんは田辺の小父さんの遠い親類つづきに当っていた。あの御店おたなへ通うように成ったのも小父さんの世話であった。午睡でしわになった着物にも頓着とんじゃくせず、素朴で、かまわないその容子ようす大店おおだなの帳場に坐る人とは見えなかった。
 しかし捨吉は田辺の家へ出入する多くの人の中で、この真勢さんを好いていた。
「真勢さん、僕は明日から夏期学校の方へ出掛けます」
 と話して聞かせた。
「ホ、夏期学校へ」
 と真勢さんは汗染あせじみた手拭で顔を拭きながら言った。
 夏期学校と聞いて真勢さんのように正直そうな眼を円くする人は、捨吉の身のまわりには他に無かった。何故というに、その講演は基督教主義で催さるるのであったから。そして、真勢さんは基督教信者の一人であったから。こうした十年一日のような信仰に生きて来た人を大勝の帳場なぞに見つけるということすら、捨吉にはめずらしかった。真勢さんは一風変っているというところから、「哲学者」という綽名あだなで通っていた。アーメンぎらいな田辺のお婆さんや細君の前で真勢さんは別に宗教臭い話をするでもなかった。この人の基督教信者らしく見えるのは唯食事の時だけであった。その食前の感謝も、極く簡単にやった。真勢さんのはひざで撫で眼をつぶって一寸人の気のつかないようにやった。
 真勢さんは捨吉からしきりに夏期学校の催しを聞こうとした。井戸端から湯殿の側の方へ、白い土蔵の壁の横手の方へ捨吉を誘って行って話した。
「なにしろ、そいつは可羨うらやましい。多忙いそがしいからだでないと一つ聞きに出掛けたい……安息日すら守ることも出来ないような始末ですからな……もっとも自分の信仰だけはこれで出来てる積りなんですけれど……基督だけはちゃんと見失わない積りなんですけれど……」
 教会の空気に興味を失った捨吉にも、こうした信徒の話は可懐なつかしかった。真勢さんは築地の浸礼教会に籍を置いていて、浅見先生の教会なぞとは宗派を異にしたが。
 湯殿の側を離れてから、二人はもうこんな話をしなかった。捨吉は玄関の小部屋へ行って出掛けるばかりに風呂敷包を用意した。何か新しいものが彼を待っている。学校のチャペルの方で鳴る鐘の音は早や彼の耳の底に聞えて来た。


 学校まで捨吉は何にも乗らずに歩いた。人形町の水天宮すいてんぐう前から鎧橋よろいばしを渡り、繁華な町中の道を日影町へと取って芝の公園へ出、赤羽橋へかかり、三田の通りを折れまがり、長い聖坂ひじりざかに添うて高輪台町へと登って行った。許されてめずらしい講演を聞きに出掛ける捨吉には、その道を遠いとも思わなかった。聖坂の上から学校までは、まだ可成あった。谷の地勢を成した町の坂を下り、古い寺の墓地について復た岡の間の道を上って行くと、あたりは最早陰鬱な緑につつまれていた。寄宿舎の塔が見えて来た。高い窓を開けて日に乾してある蒲団ふとんも見えて来た。
 夏期学校の催しは構内のさまを何となく変えて見せた。寄宿舎の方へ通う道の一角で、捨吉は見知らぬ顔の青年が連立って歩いて来るのに逢った。聴講者として諸方から参集する外来の客は寄宿舎の廊下をめずらしそうに歩き廻ったり、塔の上までも登って見たりしていた。心をそそられて捨吉も暗い階段を高く登って行って見た。せせこましく窮屈な下町からやって来た彼は四隅に木造の角柱を配置した塔の上へ出て、高台らしい岡の上の空気を胸一ぱいに呼吸した。品川の海も白く光って見えた。
 舎監から割当てられた部屋へは、捨吉よりすこしおくれて同級のすげが着いた。以前遊んだ連中とも遠く成ってから、黙し勝ちに日を送って来た中で、捨吉はこの同級生と親しい言葉をかわすように成ったのである。菅は築地の方から通って勉強していた。夏期学校を機会に、しばらく寄宿舎で一緒に成れるということも捨吉にはめずらしかった。
「どうだろうね、足立あだち君は来ないだろうか」
 と捨吉はもう一人の同級生のことを菅に言って見た。捨吉は菅と親しくなる頃から足立とも附合いはじめた。三人はよく一緒に話すようになった。
「足立君は来るという話が無かった。しかし来るといね」
 と菅も言って、捨吉と一緒に部屋の窓際へ行って眺めた。運動場の向うには、他の学校の生徒らしい青年や、見慣れぬ紳士らしい服装の人も通る。講堂の横手にある草地に集って足を投出している連中もある。仙台からも京都からも神戸からも学校の違い教会の違った人達が夏期学校をさして集って来ていた。外から流れ込んだ刺戟しげきは同じ学校の内部なかを別の場所のようにした。
 講演の始まる日には、捨吉は菅と同じように短いはかまをはいて、すこし早めに寄宿舎の出入口の階段を下りた。互いに肩を並べて平坦たいらな運動場の内を歩いて行った。講堂の方で学校の小使が振り鳴らすベルの音は朝の八時頃の空気に響き渡りつつあった。運動場の区劃くかくは碁盤の目を盛ったような真直な道で他の草地なぞと仕切ってあって、向うの一角に第一期の卒業生の記念樹があれば是方こちらの一角にも第二期の卒業生の記念樹が植えてあるという風に、ある組織的な意匠から割出されてある。三棟並んだ亜米利加人の教師の住宅、殖民地風の西洋館、それと相対した位置に講堂の建物と周囲まわりの草地とがある。入口の石段について、捨吉が友達と一緒に講堂へ上ろうとすると、ポツポツ界隈かいわいからもやって来る人があった。そこで捨吉達はエリス教授にも逢った。教授はズボンの隠袖かくしへ手を差入れて鍵の音をさせながら、図らず亭主側に廻ったような晴々とした顔付で居た。
 多数の聴講者を容れるチャペルは階上にあって、壁に添うた階段は入口に近くから登られる。三年ばかりの間、毎朝の礼拝だエロキュウションの稽古けいこだあるいは土曜の晩の文学会だと言って、捨吉達が昇降したのもその階段だ。それを上りきる時分に、菅はなめらかな木造のてすりに手を置いて、捨吉の方を顧みながら、
「岸本君、君は覚えているか……僕等が初めて口を利いたのもこの上り段のところだぜ」
「そうそう」と捨吉も思出した。「ホラ、演説会のあった時だっただろう」
「僕の演説を君がめてくれたあね……あの時、君は初めて僕に口を利いた……」
「随分僕も黙っていたからね……」
 二人が友情の結ばれ始めた日――捨吉は菅と共にしばらく廊下の欄に倚凭よりかかりながら、その日のことを思って見た。チャペルの扉の間からその広間の内部なかの方に幾つも並んだ長い腰掛が見えた。ゆる螺旋らせん状を成した階段を登って来る信徒等はいずれも改まった顔付で捨吉等の前をチャペルの方へと通り過ぎた。


 日本にある基督教界の最高の知識をほとんど網羅もうらした夏期学校の講演も佳境に入って来た。午前と午後とに幾人いくたりかの講師に接し、幾回かの講演を聴いた人達はチャペルを出て休憩する時であった。
「菅君、ここに居ようじゃないか」
 と捨吉は友達を誘って二階の廊下の壁の側に立った。チャペルの扉の外から階段の降り口へかけて休憩する人達が集っていた。折れ曲った廊下の一方は幾つかの扉の閉った教室に続いている。その突当りに捨吉達が夏まで授業を受けた三年級の室がある。その辺まで壁に添うて立つ人が続いていた。捨吉は友達と並んで立っていて、互いに持っている扇子をわざと交換して使って見た。そこにも、ここにも、人々のつかう扇子が白く動いた。そして思い思いに夏期学校へ来て見た心持を比べ合っていた。中には手真似から言葉のアクセントまで外国の宣教師にかぶれてそれが第二の天性に成って了ったような基督教界でなければ見られないおじいさんも話していた。蒸々とした空気と、人の息とで、捨吉達はすこし逆上のぼせる程であった。
 やがて復たベルの音が講堂の階下したの入口の方で鳴った。屋外そとへ出て休んでいた聴講者等まで階段を登って来た。チャペルの方へ行く講師の一人が捨吉達の見ている前を通った。文科大学の方で心理学の講座を担当する教授だ。菅とは縁つづきに当る人だ。
「M――だ」
 と菅は低声こごえで捨吉に言った。基督教界にはああいう人もあるかと、捨吉も眼をかがやかして、沈着な学者らしい博士の後姿を見送った。
 続いて、旧約聖書の翻訳にたずさわったと言われる亜米利加人で日本語に精通した白髪の神学博士が通った。同じく詩篇や雅歌の完成に貢献したと言われ宗教家で文学の評論の主筆を兼ねた一致教会の牧師が通った。今度の夏期学校の校長で、東北の方にその人ありと言われ、見るからに慷慨こうがい激越な気象を示したある学院の院長が通った。破鐘われがねのような大きな声と悲しい沈んだ声とで互いに夏期学校の講壇に立って、一方を旧約のイザヤに擬するものがあれば、一方をエレミヤに擬するものがある、声望から経歴から相対立した関西の組合教会の二人の伝道者が通った。捨吉達が同級生の一人のお父さんにあたる人で、新撰讃美歌集の編纂へんさん委員たる長い白いひげはやした老牧師が通った。青山と麻布あざぶにある基督教主義の学院の院長が通った。日本に福音を伝えるため亜米利加の伝道会社から派遣され、捨吉達が子供の時分からあるいは未だ生れない前からこの国に渡来した古参な、髪の毛色の違った宣教師達が相続いて通った。京都にある基督教主義の学校を出て、政治経済教育文学の評論を興し、若い時代の青年の友として知られた平民主義者が通った。まだその日の講演を受持つS学士が通らなかった。初めて批評というものの意味を高めたとも言い得るあの少壮な哲学者の講演こそ、捨吉達の待ち設けていたものである。そのうちに、すぐれて広い額にやわらかな髪を撫でつけセンシチイヴな眼付をした学士が人を分けて通った。
「ああSさんだ」
 と捨吉は言って見て、菅と顔を見合せた。学士に続いて、若い女学生が列をつくって通った。浅見先生が教えている学校の連中だ。つつましげなお婆さんの舎監は通ったが、その中に繁子は居なかった。
 捨吉は菅の袖を引いた。「行こう」という意味を通わせたのである。
 天井の高いチャペルの内部なかには、黄ばんだ色に塗った長い腰掛に並んであふれるほどの人が集った。一致派、組合派の教会の信徒ばかりでなく、監督教会、美以美メソジスト教会に属するものまでも聴きに来た。捨吉等の歴史科の先生で、重いチャペルの扉を音のしないように閉め、靴音を忍ばせながら前へ来て着席する亜米利加人の教授もある。その後に捨吉は友達と腰掛けた。S学士の講演にかぎって、その内容の論旨をならべた印刷物が皆に配布された。そこでもここでも紙を開ける音が楽しく聞えて来た。広いチャペルの左右には幾つかの長方形の窓框まどわく按排あんばいして、更に太い線にまとめた大きな窓がある。その一方の摺硝子すりガラスは白く午後の日に光って、いかにも岡の上にある夏期学校の思をさせた。
 捨吉達のところへも印刷物を配って来た。菅はそれを受取って見て、
希臘ギリシャ道徳より基督教道徳に入るの変遷――好い題目じゃないか」
 と捨吉にささやいた。
 恍惚こうこつ、感嘆、微笑、それらのものが人々の間に伝わって行く中で、学士は講壇の上から希臘道徳の衰えた所以ゆえん、基督教道徳の興った所以を文明史の立場から説き初めた。時とすると学士はフロック・コオトの後の隠袖かくしから白い※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチを取出し、広い額の汗を押拭って、また講演を続けた。時々捨吉は身内がゾーとして来た。すずしい、なごやかな、しかも力のこもった学士の肉声から伝わって来る感覚は捨吉の胸を騒がせた。それを彼はポーと熱くなって来たり、また冷めて行ったりするような自分の頬で感じた。


 夏期学校は三週間ばかり続いた。普通の学校の講義や演説会では聞かれないような種々な講師の話が引継ぎ引継ぎあった。いかに多くの言葉がそこで話されたろう。その中にはまたいかに空虚な声も混っていたろう。いよいよ最終の日が来た。講師等の慰労を兼ねて、一同の懇親会が御殿山であるはずであった。
「いよいよ御別れだね」
 と捨吉等は互に言い合った。三週間は短かかったけれども、その間に捨吉はいろいろなことを考えさせられた。菅との交りは一層隔ての無いものに成って来た。
 御殿山はその頃は遊園として公開してあった。午後の二時頃のまだ熱い日ざかりの中を捨吉は友達と連立って懇親会へと出掛けて見た。一頃の花のさかりと違って山は寂しい。こんもりと茂った桜の樹蔭は何処どこでもそれを自分等のものとして好き勝手に歩き廻ることが出来る。紅味をもった幹と幹の間を通じて更に奥の幽深ふかい木立がある。誰にはばかるところもなく讃美歌を歌いながら樹の下を歩き廻る夏期学校の連中が右にも左にも見える。
 日はひょうのようにところまんだら地面へ落ちていた。捨吉達は山を一廻りして来て、懇親会の会場に当てられた、ある休茶屋の腰掛の一つをえらんだ。変色した赤い毛氈もうせんの上に尻を落し、そこに二人で足を投出して、楽しい勝手な雑談にふけった。
 基督教主義の集りのことでこういう時にも思い切って遊ぶということはしなかった。皆静粛に片付けていた。捨吉は桜の樹の方へ向いて、幹事の配って来た折詰の海苔巻のりまきを食いながら、
「菅君、君は二葉亭の『あいびき』というものを読んだかね」
「ああ」
 と菅も一つ頬張って言った。
 初めて自分等の国へ紹介された露西亜ロシアの作物の翻訳に就いて語るも楽しかった。日本の言葉で、どうしてあんな柔かい、微細こまかい言いまわしが出来たろう、ということも二人の青年を驚かした。
 涼しい心持の好い風が来てかおでて通るたびに、二人は地の上に落ちている葉の影のかすかにふるえるのを眺めながら、互いに愛読したその翻訳物の話に時を送った。
 幹事の告別の言葉があり、一同の讃美歌の合唱があり、ある宣教師の声で別れの祝祷いのりがあって、菅も捨吉も物のかげに跪坐ひざまずいた頃は、やがて四時間ばかりも遊んだ後であった。御殿山を離れる前に、もう一度捨吉はそこいらを歩き廻った。山のはずれまで行って、ひとりで胸のふさがった日にはよくその辺から目黒の方まで歩き廻ったことを思出した。寄宿舎で吹矢なぞをこしらえてこっそりとそれを持出しながら、その辺の谷から谷へと小鳥を追い歩いた寂しい日のあったことを思出した。ふと、思いもかけぬ美しいものが捨吉の眼前めのまえひらけた。もう空の色が変りつつあった。夕陽の美は生れて初めて彼の眼に映じた。捨吉はその驚きを友達に分けようとして菅の居るところへ走って行った。友達を誘って来て復た二人して山のはずれへ立った頃は更に空の色が変った。天はほのおの海のように紅かった。驚くべく広々としたその日まで知らずにいた世界がそんなところにひらめいていた。そして、その存在を語っていた。寂しい夕方の道を友達と一緒に寄宿舎へ引返して行った時は、言いあらわし難い歓喜よろこびが捨吉の胸に満ちて来た。


「捨さん、お帰りかい」
 夏期学校の方から帰って来た捨吉を見て、田辺のお婆さんは土蔵の内から声を掛けた。薄暗い明窓あかりまどのひかりでお婆さんは何か探し物をしていたが、やがて網戸をくぐって、土蔵前の階段を下りて来た。
 家の内にはお婆さんと下女とだけしか見えなかった。細君は長い間わずらった為、少年時代からの捨吉の面倒を見てくれたのもおもにこのお婆さんであった。そんな訳で捨吉は若い姉さんよりも、かえってこの年とったお婆さんの方に余計に親しみをもっていた。
「小父さんもこの節は毎日のように浜の方サ……姉さんも大勝さんの御店おたなまで……彼女あれも、お前さん、そういう元気サ……好くなると成ったら、もうずんずん好く成っちまった……まるでうそみたように……七年も八年も彼女の寝床が敷詰にしたったことを考えると、あたいは夢のような気がするよ……」
 お婆さんはいろいろ話し聞かせて、小父さんの妹夫婦も捨吉の留守の間から来て掛っていることなどを話した。玉木さんの小母さんという人には捨吉も田辺の家でちょいちょい逢ったことが有る。その夫婦だ。例の大勝の帳場を勤めている真勢さんとは縁つづきに当る人達だ。
「玉木さん達は何処に居るんです」
 と捨吉が聞くと、お婆さんは奥座敷の二階の方を指して見せた。
 霜焼が痛いと言って泣いた時分からの捨吉のことをよく知っているお婆さんは彼が平素いつもに似ず晴々とした喜悦よろこびの色の動いた顔付で夏期学校の方から帰って来たのを見た。しかしお婆さんは何を聞いて来たかとも何を見て来たかともそういうことを捨吉にって尋ねようとはしなかった。「最早お前さんも子供では無いから、三度々々御茶受おちゃうけは出しませんよ」なぞと言いながらも、矢張やっぱり子供の時分と同じように水天宮の御供おそなえ御下おさがりだの塩煎餅しおせんべいだのを分けてくれた。
 捨吉は御辞儀をして玄関の方へ引退ひきさがったが、夏期学校で受けて来た刺戟は忘れられなかった。何という楽しい日を送って来たろう。捨吉は玄関の次にある茶の間へも行ってそう思って見た。まだ彼は友人の菅なぞと一緒に高輪の寄宿舎の方に身を置くような気がしていた。広い運動場の見える講堂わきの草地の上に身を置くような気がしていた。多勢の青年が諸方から講演を聞きに集ったあのチャペルの高い天井の下に身を置くような気がしていた。好い講演が始まってそこでもここでも聴衆が水を打ったようにシーンとしてしまった時はどんなに彼も我を忘れて若い心に興奮を覚えたろう……
 小いながらもある堅い決心をもって、捨吉は小父さんの家の方へ帰って来た。浮々と考えていた幸福の味気なさがいよいよ身にしみじみと思い知られて来た。一切のものを捨てて自分の行くべき道を探せという声が一層的確はっきりと聞えて来た。
 英吉利イギリスの言葉で物が読めるように成ってから捨吉は第三学年のおわりまでにモオレエの刊行した『イングリッシ・メン・オヴ・レタアス』のうち十八世紀の詩人や文学者の評伝を三冊ほど抄訳した。学校の図書館から本を借りて来ては、ある時はほとんど日課もそっちのけにして、それらの伝記に読みふけり、それを抄訳して見るのを楽みにした。三冊は彼に取って可成な骨折であった。大切にしてめったに人にも見せないその三冊を寄宿舎の方から持って来ている。田辺の家の玄関の片隅にある本箱の中に蔵って置いてある。丁度蜜蜂みつばちが蜜でもめたように。
 捨吉は自分のはなはだしい愛着心に驚かされた。誰が手習の帳面のようなものをこう大事がって毎日々々取出して眺めているものがあろう。誰が半年も一年近くもこんなに同じ事を気に掛けているものがあろう。葬れ。葬れ。忘れ去りたい過去の記憶と共に。こう考えて、玄関の壁に掛けてある古びた額の下に立って見た。その額は田辺の親類にあたる年老いた漢学者が漢文で細かに書いた何とか堂の記だ。その漢学者からは捨吉もまだ少年の時分に詩経しきょう素読そどくなぞを受けたことのある人だ。茶の間の柱のところへも行ってりかかって見た。客があれば夏でもその上へ座蒲団を敷いて勧める大きな熊の皮の上へも行って寝て見た。その猛獣の身体からだからぎ取ったような顔面の一部と鋭い爪の附着した、小父さんの自慢の黒々として光沢のある、手触りの荒いようで滑かな毛皮の敷物から身を起した頃は、捨吉は一思いに自分の殻を脱ぎ捨てようと思った。
 いっそ焼き捨てて了おう。そう思立って人の見ない裏の空地をえらんだ。三冊の草稿を持出しながら土蔵の前を通り、裏の木戸を開け、例のいちごを植えて置いた畠の側へ行って見ると、そこに恰好かっこうな場所がある。一方は高い土蔵の壁、一方は荒れた花壇に続いている。その空地に蹲踞しゃがむようにして、草稿の紙を惜気もなく引きちぎり、五六枚ずつもみくちゃにしたのを地べたの上に置いては火をかけた。紙は見る間に燃えて行った。捨吉は土蔵の廂間ひあわいにあった裏の畠を掃く草箒くさぼうきを手にしたまま、丹精した草稿が灰にって行くのを眺めていた。
「ええ――一緒に焼いちまえ」
 と言って見て、残った草稿を一纏めにした時は、どうかすると紅い※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのおが上った。その度に捨吉は草箒で火を叩き消した。色の焦げた燃えさしの紙片は苺の葉の中へも飛んだ。
「捨さん、お前さんは何をするんだねえ」
 とお婆さんが木戸口から顔を出した頃は、捨吉の草稿はあらかた灰にっていた。
「ナニ、何んでも無いんです……すこしばかり書いたものを焼いちまおうと思ってるんです……」
「御覧なさいな、御近所では何だかキナ臭いなんて言ってるじゃ有りませんか」
 と復たお婆さんが言って、台所の方から水を入れた手桶ておけを木戸口のところまで提げて来てくれた。捨吉は頭をき掻きお婆さんのくれた水ですっかり火を消した。灰も紙片かみきれも一緒こたに黒ずんだ泥のようにして了った。飛んだ人騒がせをしたと彼はきまり悪くも成った。これしきの物を焼捨てるのに、とは思ったが、黄ばんだ薄い煙が一団となって高く風の無い空に登ったのは狭い町中で彼のしたことと知れた。
 すごすごと捨吉は手桶を提げて台所へ戻ろうとした。奥座敷の方からお婆さんが声を掛けるのに逢った。行きかけた足を止めると、お婆さんの顔は見えなかったが、言うことはよく聞えた。
「……屑屋くずやに売ったっても可いじゃないか……なにも書いたものをそんなに焼かなくっても……」
 捨吉はどう言訳のしようも無かった。何故そんな真似をしなければ気が晴れないかということは、とても口に出して言えなかった。彼は手桶を提げたきり悄然しょんぼりと首を垂れて、お婆さんが言葉を続けるのを聞いていた。
「……お前さんが又、そんな巧みのあるような人なら、吾家うちなぞに居てもらうことは御免をこうむりましょうよ……」
 それほど自分の心持が目上の人に通じないかと捨吉は残念に思った。
 夕飯の時が来て細君も弘も円い大きな食台ちゃぶだいのまわりに一緒に成った。その時はもうお婆さんは他の話に移って、捨吉のしたことをとがめようとする様子はなかった。その淡黄色な、がっしりとした食台の側で、捨吉は玉木さんという人にも紹介ひきあわされた。
「捨さん、あなたにもまたこれから御世話様に成りますよ」
 と玉木さんの小母さんは自分の旦那の顔と捨吉の顔とを見比べて言った。
 お婆さんは台所の方へ立って行ったり、また食台の側へ来たりして、独りでまめに身体を動かしながら、
「玉木さんは、捨さんのお父さんに御逢いに成ったことが有りますか」
「いえ、一度も――岸本さんという御名前は聞いてはおりましたが」と玉木さんが答えた。
 玉木さんは食客らしく遠慮勝ちに膝をすすめて、夫婦ふたりして並んで食台の周囲まわりに坐った。「さあ、どうぞ召上って下さい」と田辺の細君に言われて、「戴きます」とは答えたが夫婦とも直ぐはしを取ろうとしなかった。御飯やおかずのつけてある前に、やや暫時しばらく頭を下げていた。それを見て捨吉はこの玉木さんが基督教の信徒であることを知った。


 お前はクリスチャンか、とある人に聞かれたら捨吉は最早もはや以前に浅見先生の教会で洗礼を受けた時分の同じ自分だとは答えられなかった。日曜々々にきまった会堂へ通い説教を聞き讃美歌を歌わなければ済まないことをしたと考えるような信者気質かたぎからは大分離れて来た。三度々々の食前の祈祷きとうすら廃している。では、お前は神を信じないか、とまたある人に聞かれたら自分は幼稚ながらも神を求めているものの一人だと答えたかった。あやまって自分は洗礼なぞを受けた、もし真実ほんとうに洗礼を受けるならこれからだ、と答えたかった。
 多勢の男女の信徒が集る教会の空気は捨吉の若い心を失望させたとは言え、学校のチャペルで日課前に必ずある儀式めいた礼拝なぞにもほとほと興味を失ったとは言え、何時の間にか彼はいろいろな基督教界の先輩から宗教的な気分を引出された。その影響はややもすればこの世をはかなみ避けようとするような、隠遁いんとん的な気分をさえ引出された。その影響は又、小父さんなぞの汗を流して奮闘している世界に対して妙に自分を力のないものとしたばかりでなく、世間にうといということが恥辱はじではなくてかえって手柄かなんぞのようにさえ思わせた。こうした力なさは時とすると負惜みに近いような悲しい心持をさえ捨吉に味わせた。小父さんの知っている人で莫迦ばかに元気の好い客なぞが来て高い声で笑ったり、好き勝手に振舞ったり、駄洒落だじゃれを混ぜた商売上の話をしたりすると、小父さんなぞから見るとずっと難有味ありがたみのない人だと思うにもかかわらず、そういう大人の肥満した大きな体格に、充実した精力に、まだ年の若い捨吉は圧倒されるような恐しいもののあることを感じた。実際、捨吉は昔の漢学先生の額の掛った三畳ばかりの玄関を勉強部屋とも寝間ともして、自分のすることを大人に見られるのも恥じるような、青年らしい暗い世界に居た。
 玉木さん夫婦が来て同じ屋根の下に住むように成ったことは――例えば基督信徒と言ってもあの真勢さんなぞと違って――妙に捨吉の心を落着かせなかった。玉木さんの小母さんは行く行くは女の伝道師にと志している人であった。まだこうして田辺の世話に成らない前、よく築地の方から来て、滔々とうとうとした弁舌で福音の尊さを説きすすめたことを捨吉も耳に挾んだことがある。この婦人に言わせると、すべては神の摂理だ。貧しさも。苦しさも。兄なる人の家へ来て夫婦して身を寄せるほどの艱難かんなんも。おのが伝道師たらんとする志を起したのも。おのが信仰の力によって夫を改宗させたということも。三度々々の涙のこぼれるような食事も実は神の与え給うところのかてである。田辺の小父さんが横浜の方からでも帰って来ている日には、ことに玉木の小母さんの気焔きえんが高かった。物に感じやすい捨吉はこの婦人と田辺のお婆さんや姉さんとの女同志の峻烈きびしい関係を読むように成った。殊にそれを一緒に食台ちゃぶだいに就く時に読んだ。
「玉木さん、御飯」
 と時には捨吉が二階の梯子段はしごだんのところへ呼びに行くことがある。すると夫婦は一階ずつ梯子段を踏む音をさせて降りて来て、入念に食前の感謝をささげた。ややしばらく夫婦が頭を下げている間、姉さん達も箸を取らず、夫婦が頭をあげるまで待っていたが、その間の沈黙には捨吉に取って何とも言いようのない苦しいものが有った。

「ゆうぐれしずかに
    いのりせんとて、
世のわずらいより
    しばしのがる――」

 讃美歌の声が奥座敷の二階から聞えて来る。玉木さん達は夫婦だけで小さな感謝会でも開いたらしい。その讃美歌の合唱は最初は二人で口吟くちずさむように静かで、世を忍ぶ心やりとも貧しさを忘れる感謝とも聞えたが、そのうちに階下したへも聞えよがしの高調子に成った。玉木さんの男の声は小母さんの女の声に打消されて、捨吉が歩いていた庭の青桐のところへ響けて来た。
 玉木さんの小母さんのすることは捨吉をハラハラさせた。捨吉は異様な、矛盾した感じに打たれて、青桐の下から庭のすみの方のかえでくすのきの葉の間へ行って隠れた。
「兄さん」
 と呼んで、こういう時に捨吉の姿を見つけては飛んで来るのが弘だ。どうかすると、弘は隣の家の同い年齢どしぐらいな遊友達の娘の手を引いて来て、互に髪を振ったり、腰に着けた巾着きんちゃくの鈴を鳴らしたりして、わっしょいわっしょいと捨吉の見ている前を通過ぎた。こうした幼い友達同志をすら、玉木さんの小母さんは黙って遊ばせては置かなかった。何か教訓を与えようとした。「弘さん達は二階で何をしていたの」なぞと聞いた。身に覚えのある捨吉は玉木の小母さんの言ったことを考えて、わざわざ少年をはじしめるようなそういう苛酷な大人の心を憎んだ。
 ある日、捨吉は二階の玉木さんの部屋へ上って行って見た。次第に玉木さんも捨吉と忸々なれなれしい口を利くように成ったのである。殊に捨吉が基督教主義の学校で勉強していることや、聖書を熱心に読んで見ていることや、浅見先生の家にも置いて貰ったことがあるという話を知ってから、ちょいちょい玉木さんの方から捨吉の机の側へのぞきに来て、時には雑誌なぞを貸してくれと言うように成ったのである。
「捨さん、まあ御話しなさい」
 と玉木さんは言って、さも退屈らしく部屋を見廻した。
 その二階は特別な客でもあった時にあげる位で、平素ふだんはあまりつかわない部屋にしてあった。楠の木目の見える本箱の中には桂園派の歌書のめずらしくても読み手の無いような写本が入れてある。長押なげしの上には香川景樹かげきからお婆さんの配偶つれあいであった人に宛てたという歌人うたよみらしく達者な筆で書いた古い手紙が額にして掛けてある。玉木さんはここへ世話に成ってから最早その部屋の壁も、夏の日の射した障子も見飽きたという様子で、小父さんから借りた一閑張いっかんばりの机の前に寂しそうに坐っていた。
 玉木さんは何をして日を暮していたろう。明けても暮れても読んでいるのは一冊の新約全書だ。ところどころに書入のしてある古く手擦てずれた革表紙の本だ。読みさしの哥林多コリンタ前書の第何章かが机の上に開けてある。
 捨吉は学校の友達にでも物を尋ねるような調子で、
「玉木さんがいらっしゃる築地の方の教会は何と言うんですか」
「私の属してるのは浸礼教会です」
 玉木さんは煙草をむことさえ不本意だが、退屈しのぎに少しはやるという顔付で、短い雁首がんくび煙管きせるで一服吸付けながら答えた。
「基督教の中にもいろいろな宗派が有りますね。浸礼教会と云うと、真勢さんの行くのと同じですね」
「ええ、真勢も矢張やっぱりそうです」
 玉木さんは眼に見えない昔の士族の階級を今もなお保存するかのように、真勢、真勢と呼捨よびすてにした。
「玉木さん、あなたはこれからどういうことをなさるんです」
 この捨吉の問には、玉木さんはめったにそんなことを聞いてくれた人も無いという眼付をして、ややまゆをあげて、
「私ですか。これから伝道者として世に立とうと思ってます。私も今日までには随分いろいろなところを通って来て……失敗ばかりして……まあようやく感謝の生涯に入りましたよ……」
 涼しい風が部屋の片隅の低い窓から通って来た。小障子の開いたところから裏の空地にある背の高い柳の樹も見えた。その延び放題に延びた長い枝や、青い荒い柳の葉が風に動いているのも見えた。捨吉は玉木さんと話しているうちに、そうした晩年になって静かな宗教生活に入ろうとしている人と対坐するような活々いきいきとしたところは少しも感じなかった。貧しい弱いものの味方になってくれる基督教の教会へ行って霊魂たましいを預けるより外には、もうどうにもこうにもならないような、極度の疲労と倦怠けんたいとで打ち震える人のそばにでも居るような気がした。でも、「せても枯れても玉木です――一個の男子です――そう婦女子なぞに馬鹿にされてはいませんよ」と武士らしい威厳をもった玉木さんの眼は言うように見えた。
 そこへ階下したから上って来たのは玉木さんの小母さんだ。小母さんは散らかしてあった針仕事なぞを壁の隅に取片付けていたが、やがて何か思いついたように夫の顔を見て、
「あなた、何だか私は御祈りがしたくなった。今日は金曜ですに、皆で一緒に御祈りをせまいか」
「それも可かろう」
 と玉木さんは坐り直して肩をゆすった。
「捨吉さん、今日はあなたも御仲間にお入りなさいな」
 と小母さんは捨吉にもすすめた。
 哀憐あわれみが捨吉の胸に起って来た。彼は夫婦と車座になって、部屋の畳の上に額を押宛てながら、もうそろそろ年寄と言っても可い人達のかわるがわるする祈祷きとうの言葉を聞いた。小母さんは神様に言付けるような調子で、おさえ難い女の胸の中を熱心に訴え、田辺のお婆さんや姉さんまで改宗させずには置かないという語気で祈った。玉木さんの方は極くサッパリと祈った。「天にましますわれらの父よ、すべてをしろしめす父よ……」という風に祈った。
 次の日曜には、捨吉は表門の出入口のところで、ヨソイキの薄い夏羽織を着て出掛けようとする玉木さんの姿を見掛けた。
「玉木さん、教会ですか」
 と捨吉は聞くと、玉木さんはさびしそうに点頭うなずいて、赤い更紗さらさの風呂敷に包んだ聖書を手にしながら築地の方を指して行った。


「お金ほど難有ありがたいものが今日の世の中にあるものかね……お金が無くて今日どうして生きて行かれるものかね……あたいは耶蘇やそ大嫌だいきらいだ……」
 何かお婆さんは癇癪かんしゃくに触ったことが有ると見え、捨吉をつかまえて玉木の小母さんにでも言うようなことを言って聞かせた。年をとってもお婆さんは精悍せいかんの気にあふれていた。娘と共に養子の主人を助けて過ぐる十年の間の苦労した骨折を取返すのはこの時だという意気込を見せていた。
 捨吉はちょっと面喰めんくらった。お婆さんや姉さんと玉木の小母さん夫婦との間に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)いたばさみにでも成ったように感じた。大人同志のあらそいを避けて、誰も居ないようなところへ走って行きたい。そこで叫びたい。この心持は何とも名のつけようの無いものであった。彼は自分の内部なかからいて来るもののために半ば押出されるようにして、隅田川すみだがわの水の中へでも自分の身体を浸したいと思付いた。
「お婆さん、一寸僕は大川端まで行って参ります。一寸行って泳いで参ります」
 こう言って出た。
 暑い日あたりの中を捨吉は走るようにして歩いて行った。水泳場の方へ通い慣れた道を取り、二町ばかり行って大川端の交番のところへ出ると、そこから兄の下宿も見える。河岸に面した二階の白い障子も見える。一寸声を掛けて行くつもりで訪ねると兄は留守で、奥の下座敷の方に女の若い笑声なぞも聞えていた。
「岸本さんは浜の方へお出ましで御座います」
 この下宿のおかみさんの返事で、兄は商用のために横浜の商館の方へ出掛けたことが知れた。岸の交番のならびには甘酒売なぞが赤い荷を卸していた。石に腰掛けて甘酒を飲んでいるお店者たなものもあった。柳の並木が茂りつづいている時分のことで、岸から石垣の下の方へ長く垂下った細いえだが見える。その条を通して流れて行く薄濁りのした隅田川の水が見える。裸体はだかで小舟に乗ってぎ廻る子供もある。彼は胸を突出し深く荒い呼吸いきをついて、青い柳の葉を心ゆくばかりいだ。
 水泳場には捨吉の泳ぎの教師が居た。二夏ばかり通ううちに捨吉も隅田川を泳ぎ越すぐらいは楽に出来たのである。小屋の屋根に上って甲羅こうらを乾すもの、腕組みするもの、寝そべるもの、ぶるぶる震えているもの、高い梯子の上から音をさして水の中へ飛込むもの、そういう若い人達のなかには身体の黒いのを自慢な古顔もあり、漸く渋皮のけかかった見知らぬ顔もあった。岸の近くは泳ぎ廻る人達のののしり叫ぶ声や波をる騒がしい音で満たされていた。
 勝手を知った捨吉は多勢水泳場の生徒の集っているところで、自分も直ぐに着物を脱ぎ、背の立つ水の中を泳ぎ抜けて、小屋に近くつないである舟の上へ登った。遠く舟を離れて対岸をめがけて進むものもあった。彼も身を逆さまにして舟から水底の方へおどり入った。あたかも身をもがかずにはいられないように。あたかも何か抵抗するものを見つけて身を打ちつけずにはいられないように。
 河蒸汽の残して行く高い波がやって来た。舟から離れて泳いでいるものはいずれもそれを迎えようとして急いだ。波は山のように持上って来る。どうかすると捨吉はずっと後の方へ押流された。その度に彼は波の背に乗って、躍りかかって来るような第二の波をかぶった。一時はシーンとするほど深く沈んだ身体が自然と浮いて来て、段々水の中が明るく成ったと思うと、何時の間にか彼は日の反射する波の中に居た。旧両国の橋の下の方から渦巻き流れて来る隅田川の水は潮に混って、川の中を温暖あたたかく感じさせたり冷たく感じさせたりした。浮いて来る埃塵ごみかたまりや、西瓜すいかの皮や、腐った猫の死骸しがいや、板片いたきれと同じように、気に掛るこの世の中の些細ささいな事は皆ずんずん流れて行くように思われた。
 捨吉は頭から何からすっかりれて舟へ上った。両方の耳からは水が流れて来た。その身体を日の光の中に置いて、しばらく波の動揺に任せていた。
「兄さん」
 と岸から呼ぶ子供の声がした。弘だ。弘は母親に連れられて大川端へ歩きに来ていた。
「弘さん」
 と捨吉も舟の上から呼びかわした。何年も何年も寝床の上にばかりたり起きたりした田辺の姉さんが弘の手なぞを引いて歩いている姿をこの河岸に見つけるということは、捨吉にはめずらしかった。お婆さんの言草ではないが、まるで嘘のような気がした。
 岸へ上って身体をき、面長な教師にも別れ、水泳場を出て弘を探した頃は、姉さん達はもう見えなかった。小父さんが釣に来てよく腰をかける石なぞが捨吉の眼についた。
 濡れた手拭を提げて元来た道を田辺の家の前まで引返して行くと、捨吉は門前のところで玉木の小母さんのボンヤリと立っているのに逢った。小母さんは何を眺めるともなく往来を眺めていた。
「捨さん、お前さんはえらい」と小母さんが捨吉の顔を見て言った。
何故なぜです」と捨吉は問返した。
「何故って、田辺のような家にそう長く辛抱していられるのは、えらい」
 この小母さんの返事に、捨吉は侮辱を感じた。
 小母さんはしおれて、「もう私共はそんなに長いことここの家の御世話に成っていません」
 と附添つけたした。


 アーメン嫌いな人達の中で、時々捨吉が二階へ上って行って祈祷いのりの仲間入をするように成ったは、同じ居候いそうろうの玉木さんをあわれむという心からであった。こういう芝居町に近い空気の中にすくなくも基督教の信徒を見つけたからであった。彼はまだ身に覚えのないほど自ら憐むということをも覚えて来た。
 八月も末になって、捨吉は例のように書生としての勤めを励んでいた。せっせと庭をいているとめずらしく友達の菅が訪ねて来た。
「よく来てくれたね」
 と捨吉は田辺の家の方で友達を迎えたことを嬉しく思った。
「岸本君、君は今いそがしいんじゃないか」
 と菅が言ったが、捨吉はそれを打消して、庭から茶の間の方へ廻って一緒に下駄穿げたばきのまま腰掛けた。
「捨さん、何だねえ、お友達をお上げ申すが可いじゃないか」
 とお婆さんもそこへ顔を出して、捨吉の友達という青年をめずらしそうに見た。
「ここで沢山です」と菅はお婆さんの方を見て言った。
「君、上りたまえな」
 と捨吉は友達にすすめて、自分も一緒に茶の間へ上った。こういう時にはお婆さんはよく気をつけてくれた。奥の部屋の方からわざわざ茶を入れたりお煎餅せんべなぞを添えたりしてそれを持って来て勧めてくれた。
「菅君、これはまだ君に見せなかったッけか」
 と捨吉が玄関の方から取出して来て友達の前に置いたは、青いクロオス表紙のウォルズウォースの詩集だ。菅はその表紙をうちかえし見て、二枚ばかり中に入れてある英吉利イギリスの銅板の※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)さしえをも眺めた。
 捨吉も一緒に眺め入りながら、
「好い画だろう。これは君、僕が初めて買った西洋の詩集サ。銀座の十字屋に出ていたのサ」
 こんな話から、二人はまだ少年の頃に英吉利の言葉を学び始めた時のことなぞが引出されて行った。初めてナショナルの読本が輸入されて、十字屋の店頭みせさきなぞには大きな看板が出る。その以前から行われたウィルソンやユニオンの読本に比べると、あの黄ばんだ色の表紙、飽きない面白い話、沢山な※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画、光沢のある紙のにおいまでが少年の心をそそって、皆争って買った時のことなぞも引出された。捨吉が初めて就いた語学の教師は海軍省へ出る小官吏こやくにんとかで、三十銭の月謝でパアレエの万国史まで教えてくれた話も引出された。
「僕が二度目に就いた英語の先生という人は字引をこしらえていたよ。面白い発音の仕方で、まるで日本外史でも読むのを聞いてるようだっけ。それでも君、他の生徒があの先生はなかなかえらいなんてめりゃ、自分まで急に有難くなったような気もしたッけ」
 こう捨吉は友達に話して笑って、更に思出したように、
「浅見先生には僕は神田の学校でアーヴィングをおそわった。『スケッチ・ブック』なんて言ったって本が無かった。先生は自分で抜萃ばっすいしたのをわざわざ印刷させた。アーヴィングなぞを紹介したのは恐らく浅見先生だろうと思うよ」
 こんな話もした。
 小一時間ばかり話して菅は帰った。友達が置いて行ったやわらかい心持は帰った後までも茶の間に残っていた。
 夕方の静かな時に、捨吉は人の見ない玄関の畳の上にひざまずいた。唯独り寂しい祈祷いのりの気分に浸ろうとした。丁度そこへお婆さんが通りかかった。捨吉は頭を上げて見て思わず顔を真紅にした。


 もう一度皆同級の青年が学窓を指して帰って行く時が来た。三年の間ずっと一緒にやって来たり途中で加わったりした生徒が更に第四学年の教室へ移り、新しい時間表を写し、受持々々の教授を迎え、皆改まった顔付で買いたての香のする教科書を開ける時が来た。その中には初歩の羅甸ラテン語の教科書もあった。寄宿舎へ集るものは互に一夏の間の話を持ち寄って部屋々々をにぎわし、夜遅くまで舎監の目を忍び、見廻りの靴の音が廊下に聞えなくなる頃には、一旦寝た振をしていたものまで復た起出して寝室の暗い燈火あかりで話し込む時が来た。
 学校の表門の側にある幾株かの桜の若木も、もう一度捨吉の眼にあった。過去った日を想い起させ、かつて自分の言ったこと為たこと考えたことを想い起させ、打消し難い後悔を新にさせるような人々が、もう一度捨吉の眼前めのまえを往ったり来たりした。
 捨吉は既に田辺の家の方からある心の仮面めんかぶることを覚えて来た。丁度小父さんの家がまだ京橋の方にあった時分田舎いなかから出て来たばかりの彼は木登りが恋しくて人の見ない土蔵の階梯はしごだんを逆さに登って行くことを発明したが、そんな風にある虚偽うそを発明した。彼は幾度となくそれを応用した場合を思出すことが出来る。そうした場合に起って来る自分の心持を思出すことが出来る。
 小父さんの家の玄関へ来て取次を頼むという客の中には随分いろいろな人があって、その度に御辞儀に出たり名前を奥へ通したり茶を運んだりしたが、芝居の座主とか大札おおふだとかが飛ぶ鳥も落すような威勢で入って来ても、芝居茶屋のおかみさんの腰のまわりにどんな自慢な帯が光っても、傲然ごうぜんとした様子で取次を頼むという客が小父さん達と同国の人とかで東京へ一文も持たずに移住したものは数え切れないほどあるが、その中での成功者はまあ誰と誰とであろうというような自慢話を聞かされても、彼はそういう場合にきまりで起って来る反抗心を紛らそうとして、まるで何の感じも無いようなトボケた顔をしていたその自分の心持をよく思出すことが出来る。
 持って生れて来ただけの生命いのちの芽は内部なかから外部そとへ押出そうとはしても、まだまだ世間見ずの捨吉の胸はあたかも強烈な日光にしおれる若葉のように、現実のはげしさに打ち震えた。彼はまたある特種の場合を思出すことが出来る。つい田辺の家の近くに住んでよく往来を眺めている女の白く塗った顔は夢の中にでも見つけるような不気味なものであった。毎日夕方からお湯に入りに行くことを日課にしているその女の意気がった髪に掛けた青い色の手絡てがらたまらなく厭味いやみに思うものであった。その女が自分の大事な兄に岡惚おかぼれしているという話を調戯からかい半分に田辺の姉さん達から聞かせられても――兄は商法の用事で小父さんの家へよく出入したから――でも彼は大人の情事いろごとなぞというそういうことに対して何処を風が吹くかという顔付をしていた。「捨さん、お前さんもよっぽど変人だよ」と田辺の姉さんに笑われて、彼はむしろある快感を覚えたことを思出すことが出来る。
 それを彼は高輪の方でも応用しようとした。曽て一緒に茶番をして騒いだ生徒にも。曽てそろいの洋服を造って遊んだ連中にも。曽て逢うことを楽みにした繁子や、それから彼女の教えている女学校の生徒達にも。曽て「岸本さん、岸本さん」ともてはやしてくれた浅見先生の教会の人達にも。「狂人きちがいの真似をするものは矢張狂人だ。馬鹿の真似をするものは矢張一種の馬鹿だ」この言葉は彼をよろこばせた。彼は痴人の模倣に心を砕いた。それを自分の身に実現あらわそうと試みた。
天秤棒てんびんぼう!」
 どうかするとこんな言葉が冷かし半分に生徒仲間の方から飛んで来る。誰かそれを不意と思出したように。岸本は年少とししたなくせに出過ぎて生意気だというところから、「鋳掛屋いかけやの天秤棒」という綽名あだなを取っていた。以前はそれを言われると――殊に高輪の通りで知った人の見ている前では――可成かなり辛かった。もうそういう時は過ぎた。「白ばくれるない」とでも呼んで通る人の前へ行くと、殊に彼は馬鹿げた顔をして見せた。そして、胸に迫る悲しい快感をあじわおうとした。
 学校のチャペルへ上っても、教室へ行っても、時には喪心したように黙って、半分死んだような顔をしていることが有った。以前は彼の快活を愛したエリス教授も、最早一頃のように忠告することすら断念あきらめて、彼が日課を放擲ほうてきするに任せた。「ほんとに岸本さんも変ったのね」とか、「まあ岸本さんはどうなすったの」とか、女学校の方の生徒達にまで言われるように成った。思い屈したあまり、彼はどうかすると裸体はだかで学校のグラウンドでも走り廻りたいような気を起して、自分で自分のきちがいじみた心にあきれたこともある。
 こういう中で、捨吉は二人の友達に心を寄せた。相変らず菅は築地の家の方から通学していた。足立が寄宿舎生活をするように成ってからは、三人して一緒に成る機会が多かった。


 捨吉は足立の部屋の前へ行って、コンコンと扉を叩いて見た。
「お入り」
 という声がする。「カム・イン」と英語でいう声もする。
 扉を開けて入ると、丁度菅も学校の帰りがけに寄っていた。三脚しか椅子の置いて無い部屋の内には足立、菅の外に同級の寄宿生も二人居て、腰掛けるもあり、立つもあり、濃い色のペンキで木目に似せて塗った窓枠まどわくの内側のところにりかかるも有った。
「岸本は丁度好いところへ来た」
 と足立は年長としうえの青年らしく言って、机の上に置いてある菓子の袋を勧めた。
「菅君、やり給えな」
 と一人の同級生は袋の口を菅の方へも向けて持成顔もてなしがおに言った。
阿弥陀あみだっていうと、何時でも僕の番に当るんだ」と他の同級生がわざと口惜しそうに言う。
「君が買って来たんか」
 と捨吉も笑って、皆と一緒に馳走ちそうの菓子を頬張ほおばった。
 窓の外は運動場に面した廊下で時々そこを通う下の組の生徒もある。するすると柱づたいに上層うえの廊下の方から降りて来るものも有る。いくらか引込んでいるだけに静かな窓のところへ菅は腰掛けて、
「岸本君、君に見せようと思って持って来たよ」
 と風呂敷包の中から一冊の洋書を取出して見せた。
「買ったね」
 思わず捨吉は微笑ほほえんで嬉しげな友達の顔を見た。ダンテの『神曲』の英訳本だ。捨吉は友達の前でその黒ずんだ緑色の表紙を一緒に眺めて、扉を開けて行くと、『神曲』の第一ページがそこへ出て来た。長い詩の句の古典らしく並んだのが二人の眼を引いた。
「まだ読んで見ないんだが、一寸開けたばかりでも何だか違うような気がするね」と菅は濃い眉を動かして、「多分、君の買ったのと同じだろう」
「表紙の色が違うだけだ」
 と捨吉は答えてそれを足立にも見せた。若い額はその本に集った。
 他に同級生は居ても、特別の親しみがこの部屋へ来ると捨吉の身に感ぜられる。友達の読む書籍ほんは彼も読み、彼の読む書籍は友達も読んだ。話せば話すほど引出されて行く。後から後から何か湧いて来る。時には、どうしてあんなことが言えたろうと、互に話し合ったことを後で考えて見て、ビックリすることさえもある。
 足立が前に言ったことは、ふと捨吉の胸を通過ぎた。「何故、君はあんなに一時黙っていたんだ」と足立が尋ねたが、そう直截ちょくさいに言ってくれるものはこの友達の外に無い。捨吉はその時の答をもう一度探して見た。「僕は自分の言うことが気に入らなく成って来た……一時はもう誰にも口をくまいと思った……そうすると独語ひとりごとを始めた、往来を歩いていても何か言うように成った……とても沈黙を守るなんてことは出来ない……」
 あの時、足立は快活な声で笑った。そしてこんなことを言った。「なにしろ岸本にも驚くよ。折角あんなに書いた物を焼いて了うなんて男だからねえ」
 眼前めのまえにあることと済んで了ったこととが妙に混り合った。捨吉は足立や菅と一緒に居て、一人の友達の左から分けた髪が眼についたり、一人の友達の黒い羽織の色やはかましまなぞが眼についたりした。何処までが「今」の瞬間で、何処までが過去ったことだか、その差別をつけかねた。
 ひげの赤い舎監が部屋の扉を開けて見廻りに来た。第四学年と成ってからは舎監も皆のるようにせて、いて寄宿の規則なぞをやかましく言わない。以前はこわい顔をしていた人が心易い笑顔をさえ見せ、友達でも呼ぶような調子で「足立君」とか「菅君」とか呼ぶように成った。
「残り物ですがどうです」
 一人の同級生は菓子の袋を割いて舎監の前に置いた。
「それじゃ一つ御馳走に成るかナ」
 と舎監は手をんだ。
 軍人あがりのこの舎監は体操の教師をも兼ねていた。部屋の中央にある机の側に立って、足立達のつかう教科書や字書を眺めた目を窓の外へ移し、毎日々々塵埃ほこりになって器械体操なぞを教える広い運動場の方を眺めながら、
「秋らしく成ったネ。西南戦争を思出すナ……」
 とあらい髭をひねりひねり言った。
 捨吉は窓に近く造りつけてある書架ほんだなの前へ行って立って見た。何気なく足立の蔵書を覗くと、若い明治の代に翻刻されたばかりの「一代女」が入れてある。古い珍本から模刻したというその※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画のめずらしい元禄風俗や、髪の形や、円味をもったそでや、束髪そくはつなぞの流行はやって来た時世にあって考えると不思議なほど隔絶かけはなれている寛濶かんかつ悠暢ゆうちょうな昔の男女の姿や、それからあの皆なの褒める○○の多い西鶴の文章は捨吉も争って買って来て開けて見たものだ。何という汚れたほんだろう。そう考えた彼は「一代女」を引割いて捨てた話をして、ひどく足立には笑われた。それらのことが一緒に成って胸の中を往来した。
 捨吉は人知れず自分の馬鹿らしい性質をじずにはいられなかった。何故というに神聖な旧約全書の中からなるべく猥褻わいせつな部分を拾ってさかんに読んで見た男もそういう自分だから……
 舎監は部屋を出て行った。自修時間も終る頃だ。待構えていた下級の生徒等は一斉に寄宿舎を飛出した。広い運動場ではベース・ボールの練習も始まった。捨吉が菅と一緒に窓から外の廊下へ出ると、続いて一人の同級生もてすりのところへ来て眺めた。遠慮勝ちに普通学部の生徒の側を通って郊外の空気を吸いに出る神学生も見える。えらい人達だと思った年長としうえの青年で学校へ遊びに来た卒業生も見える。赤い着物を着せた子供の手を引きながら新築した図書館の建物の側を歩いて行く亜米利加人の教授の夫人も見える。
 ふと繁子の名がめずらしく捨吉の耳に入った。しかも思いも寄らない同級生の口から。
「Bも駄目だよ、いくら豪傑を気取ったって――」
 とその同級生が言った。Bとは三年ばかり前の卒業生の一人だ。
「しかし君。可いじゃないか、男と女が交際したって」と捨吉は何気なく言って見ようとしたが、口には出さなかった。
「なんでもS先生の細君の取持だそうだ――」同級生はミッション・スクウル風の男女交際にも、今までの習慣に無い婚約ということにも一切反対の語気で言った。
 次第に遠くなって行った繁子がBとの婚約の噂は妙に捨吉の胸を騒がせた。もう一度彼女は捨吉の方を振返って見て、若かった日のことをことごとく葬ろうとするような最後の一べつを投げ与えたように思わせた。
 運動場であるベース・ボールの練習も、空を飛ぶ球の動きも、廊下から見物するものをじきに飽きさせた。皆な静止じっとしていられなかった。何か動くことを思った。けたたましく一つの部屋の戸を開けてまた他の部屋の方へ歓呼を揚げながら廊下を駆け抜けるものもある。
「菅君」
 と捨吉は友達の名を呼んで見て、その側へ行って一寸口笛を吹いた。
「何だい、いやに人をジロジロ見るじゃないか」と菅は笑った。
「君、ボクシングでもして遊ぼうか」
 捨吉はそんなことを思い付いて、皆が休息と遊戯を楽む中で、温厚おとなしい友達を向うへ廻した。
「どうしようと言うんだ」
「突きッくらをるんサ――二人で」
「岸本なんかに負けてたまるもんか」
 菅は「よし来た」という風に身構えた。両方のこぶしを堅く握り締めた。
「いいか、君、突くぜ」
「笑わせるから不可いかんよ」
「君が笑うから駄目だめだ」
「だって、ヒドい顔をするんだもの」
 捨吉は右の足を後方うしろへ引き、下唇をみしめ、両腕に力をめながら、友達の拳の骨も折れよとばかり突撃して行った。菅も突き返した。
「まだ勝負がつかないじゃないか」
「もう御免だ。こんなに手が紅くなっちゃった――」
 楽しい笑声が窓の内外に起った。
 菅が築地をさして帰ろうと言いかけた頃は足立も捨吉も窓のところから一緒に秋らしい空を望んだ。どうかすると三人で腰掛けて日暮方の時を楽むのもその窓のところだ。向うの教室の側面にある赤煉瓦れんがの煙筒も、それから人間が立つかのように立っている記念樹も暮れて来て、三棟並んだ亜米利加人の教授達の家族が住む西洋館にはやがてチラチラ燈火あかりく頃までも。


 神は何故にく不思議な世界を造ったろう。何故にあるものを美しくし、あるものを殊更ことさら醜くしたろう。何故に雀の傍にたかを置き、羊の側におおかみを置き、かえるの側にへびを置き、鶏の側に鼬鼠いたちを置いたろう。何故に平和な神の教会にまで果しなき暗闘を賦与し、富める長老と貧しい執事とを争わすだろう。
 捨吉はく思い沈んだ。
 姦淫かんいんするなかれ、処女を侵す勿れ、あによめを盗む勿れ、その他一切の不徳はエホバの神のいましむるところである。バイロンの一生は到底神の嘉納よみするものとも思われない。英吉利イギリスの詩人が以太利イタリーへ遊んだ時、ベニスの町で年頃な娘をもった家の母親はあの美貌で放縦な人を見せまいとして窓を閉めたというではないか。それにしても、万物を悲観するようなバイロンの詩がどうしてこう自分の心を魅するだろう。あの魅力は何だろう。仮令たとえ彼の操行は牧師達の顔をしかめるほど汚れたものであるにもせよ、あの芸術が美しくないとはどうして言えよう。
 こうまた考えない訳にいかなかった。
 捨吉にはもう一つ足の向く窓がある。新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段はしごだんを上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架ほんだながある。一段高いところに書籍ほんの掛りも居る。時には歴史科を受持つ頭の禿げた亜米利加人の教授が主任のライブラリアンとして見廻りに来る。書架で囲われた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた。
 寄宿舎から見るとは方角の違った学校の構内のさまがその窓の外にあった。一日は一日と変って行く秋の空がそこから見えた。
 窓の日あたりを眺めていると、捨吉の心は田辺の小父さんの方へ行った。どうかして捨吉の気を引立てようとしている小父さんが「貴様も見よ」と言って案内してくれた秋の興行の芝居が眼に浮ぶ。暗い板敷の廊下がある。多勢の盛装した下町風の娘達が互に手を引きつれて往ったり来たりしている。芝居の出方でその間を通う男の挨拶するのを見ても、小父さんの顔の売れていることが知れる。廊下の暖簾のれんの間から舞台の方の幕の動くのも見える。樽屋たるやのおばさんの娘をそういう暖簾のかげに見つけるのは丁度汐水しおみずの中に海の魚を置くほど似合わしくもある。
 二階のうずらにはまた狭い桟敷さじきがある。樽屋のおばさんものぞきに来る。てすりに倚りかかって見ている弘もある。そこへ小父さんの肥った身体が入ると皆膝と膝を突合せた。
「捨吉、あの向うが小父さんの領分だ」
 と小父さんは舞台の正面に向った高い桟敷を指して見せて、土間にも幾ますか買って置いたところがある、そこは出方に貸付けてあるなぞと話し聞かせてくれた。
 小父さんは用事ありげに桟敷を離れたり復た覗きに来たりした。茶屋の若いものが用を聞きに来ると、小父さんは捨吉の方を見て、
「どうぞ沢山御馳走して遣って下さい」
 と微笑えみを含んで言った。
 日の暮れないうちから芝居小屋の内部なかには燈火あかりが点く。桟敷の扉をれる空の薄明りが夢のような思いをさせる。鼻液はなをかむ音、物食う音、ひそひそ話す声、時々見物を制する声に混って、御簾みすの下った高い一角からは三味線の音が聞えて来る。浄瑠璃じょうるりの調子に合せて、舞台の上の人は操られるように手足を動かしたり、しなやかな姿勢をしたりした。どうかすると花やかな幕が開けた。人形のように白い顔をした若い男と女とが舞台の上にあらわれて、背中と背中とを触合わせたり、婉曲えんきょくに顔を見合わせたり、襦袢じゅばんそでらしたりした。
成駒屋なりこまや
 うなるような見物の大向から掛ける声が耳の底にある。
 麦畠の中で熱い接吻せっぷんをかわすという英詩の文句が岸本の眼前めのまえには開けてあった。それは学校の図書館の本で英吉利の詩人バアンズの評伝中に引いてある一節であった。岸本は不思議な感じに打たれた。あの英吉利の詩人の書いたものに自分はこれほどの親しみを有つことが出来て、見たこともないスコットランドあたりの若い百姓が何となくそこいらにころがっているような気持をさせるのに、どうして自分の国の芝居小屋で舞台の上に見て来たことがこんなに自分の心を暗くするであろうかと。岸本は小父さんがわざわざ案内してくれた芝居からはかえって沈んだ心持を受けて来た。
 芝居を見物した日は夕方から雨に成った。桟敷に居て雨の降るのを聞きつけた時は、楽しいようで妙にさびしかった。気味の悪いほど暗い舞台の後の方から突然だしぬけに出て来る悪党の顔や、死を余儀なくされる場合の外には悔悟することも知らないような人の心や、眼のくらむような無法な暗殺の幕は、どうかすると見物半ばに逃げて帰りたいような気を起させた。芝居のはねた頃は雨がまだ降っていた。茶屋の若い者は番傘ばんがさを運んで来たり、弘を背中に乗せて走ったりした。
「どうして成駒屋の人気と来たら大したものだ。しかし先代の若い時はもっと人気があった。娘が幾人いくたり身を投げたか知れない。芝居のはねる時分には裏門の前あたりは人で通れなかった位だ。そうして皆な役者を見に来たものだ」
 と小父さんは話してくれた。芝居見物と言えば極りで後に残る名のつけようの無いほど心細い、いやな心持の幾日いくかも幾日も続いて離れないことは、余計に捨吉をいらいらさせた。眼の球の飛出たような役者の似顔絵、それから田辺の姉さんの枕許まくらもとによく置いてあったみだらな感じのする田舎源氏の聯想れんそうなぞは妙に捨吉には悩ましいものであった。
 もっともっと胸一ぱいに成るようなものを欲しい。そう思って見ると、堤を切ってあふれて行くような「チャイルド・ハロルド」の巡礼なぞの方に、捨吉は深く心を引かれるものを見つけた。青い麦の香をぐようなバアンズの接吻の歌も、自分の国の評判な俳優やくしゃが見せてくれる濡幕ぬれまくにもまさって一層身に近い親しみを覚えさせた。彼はまた詩人ギョエテの書いたものを通して、まだ知らなかったような大きな世界のあることを想像し始めた。


 十一月も近くなって、岸本は兄から来た葉書を受取った。
「国許より母上上京につき、明土曜日には帰宅あれ。母上はお前を待つ。もっとも今回はそう長く滞在してもいられないはずだ」とある。
「おっかさんが来た」
 思わずそれを言って見た。――国の方のことも捨吉は最早大分忘れて了った位だ。お母さんと一緒に田舎で留守居する姉さんや、一人の家僕なぞのことがわずかに少年の記憶を辿たどらせる。思えば東京へ遊学を命ぜられて大都会を見ることを楽みに、兄に連れられて出て来た幼かった日――
 捨吉はしばらくお母さんへ手紙も書かなかった。お母さんからのは、いつも姉さんの代筆で、無事で勉強しているか、こちらも皆な変りなく留守居をしている、はばかりながら御安心下さいというような便りを読むたびに、捨吉は何と言って返事を書いていのか、それすら解らないほど国の方のことは遠く茫然ぼんやりとして了った。彼はどういう言葉を用意して行ってお母さんに逢って可いかも解らなかった。
 土曜日の午後から、捨吉はお母さんの突然な上京を不思議に考えつつ寄宿舎を出た。秋雨あがりで体操もろくに出来ないような道の悪い学校の運動場を見ると、寒い田舎の方へは早や霜が来るかと思わせた。取りあえず伊皿子坂いさらござかで馬車に乗って、新橋からは鉄道馬車に乗換えて行った。
 田辺の家へ寄って見ると、台所に光る大きな黒竈くろへっつい銅壺どうこの側で、お婆さんがず笑顔を見せた。
「捨さん、お母さんが出ていらしったよ」と姉さんも奥座敷に居てめずらしそうに言った。「長いことそれでも吾家うちではお前さんを世話したものだ」と眼で言わせて。
 夏の間のような低気圧が田辺の家には感じられなかった。二階に身を寄せていた玉木さん夫婦も、もう見えなかった。姉さんは壮健じょうぶそうに成ったばかりでなく、晴々とした眼付で玉木さん達の噂をした後に、めったに口にしたことのない仮白こわいろなぞをつかうほど機嫌が好かった。
鹿尾菜ひじき煮染にしめ総菜そうざいじゃ、碌な智慧ちえも出めえ――」
 姉さんまで小父さんの成田屋ばりにかぶれて、そんなことを言うように成った。
「捨さん、お前さんは何を愚図々々してるんだねえ。早くお母さんにお目に掛りにおいでな」
 とお婆さんはき立てるように言った。
 民助兄は大川端の下宿の方で、お母さんと一緒に岸本を待受けていてくれた。障子の嵌硝子はめガラスを通して隅田川の見える二階座敷で、親子は実に何年振かの顔を合せた。


「お母さん、もう少しお休みなさい。まだ起きるには早うござんす」
 と、兄は寝床から声を掛けた。
「あい」
 と、お母さんも寝返りを打ちながら答えた。
 早起の兄も、郷里くにの方から出て来たお母さんを休ませるために、床を離れずにいる様子であった。このお母さんと兄との側で、親子三人めずらしく枕を並べて寝た大川端の下宿の二階座敷で、捨吉も眼を覚ました。本所ほんじょか深川の方の工場の笛が、あだかも眠から覚めかけようとする町々を呼び起すかのように、朝の空に鳴り響いた。捨吉は半分夢心地で、その音を聞いていた。過ぐる十年の長い月日の間、「お母さん」と呼んで見る機会もほとんどたなかったその人の側で。その人の乳房ちぶさを吸い、その人に抱かれて寝た少年の日も遠い昔の夢のように。
 ややしばらくして、復た兄が言った。
「お母さん。もう少しお休みになったらどうです。昨夜ゆうべはまたあんなに遅かったんですから」
「田舎者は、お前、たまに東京などへ出て来ると、よく寝られすか。車の音がもう終宵よっぴて耳について」
 こんなことを言って、お母さんは早や起出した。
 他人に仕える一切の行いが奉公なら、捨吉の奉公は彼が極く幼い頃から始まった。大都会を見るのを楽みに、九つの歳に両親の膝下ひざもとを離れて来た日から、既にその奉公が始まった。上京して一年ばかりは姉の夫の家の世話になり、そこから小学校に通ったが、姉夫婦の帰国後は全く他人の中に育てられたのである。兄等のはからいで、田辺の家に少年の身を寄せるように成ってからも、注意深い家族の人達の監督を受け、学問するかたわら都会の行儀作法を見習い、言葉づかいを覚え、田辺の小父さんや姉さんやそれからおばあさんに仕えることを自分の修業と心得て来た。その頃、兄はまだ郷里の方で、彼の許へ手紙を寄せ、家計もなかなか楽ではないぞ、その中で貴様に学問させるのだから貴様もその積りでシッカリやってくれとよく言ってよこした。子供心にも彼は感激の涙なしにそういう手紙を読めなかった。艱難かんなんも、不自由も、彼にはそれが当然のことのように思われた。どうかして人の機嫌をそこねないように、そして自分を幸福にするように、とは一日も彼の念頭を離れなかった。多くの他の少年が親の膝下でのみ許されるような我儘わがままは全く彼の知らないものであった。まだそれでもおとっさんの生きているうちは、根気よく手紙をくれて、少年の心得になるようなことや、種々な郷里くにの方のことや、どうかするとあによめが懐妊したから喜べというような家庭の中のことまで、よく書いてよこしてくれた。お父さんが亡くなったことを聞いたのは、彼が十三の歳であった。お父さんの最終にくれた手紙には、古歌なぞに寄せて、子を思う熱い親のこころが書き籠めてあったが、それからはもう郷里の方のこまかい事情を知らせてよこしてくれる人もなくなった。お母さんからも遠くなった。ようやく物心づく年頃になって、彼は一年ばかりも郷里の方のお母さんの側に居て来て見たいと言出したことがある。「貴様も妙なことを考える奴だ」と田辺の小父さんから笑われたことがある。どうも自分の性質はひねくれるような気がして仕方がないと言って見て、「馬鹿、学問を中途でめて親の側に居て来るという奴があるものか」とまた小父さんからひどく笑われたことがある。捨吉がお母さんの側にでも居て来て見たいなぞと言出したのは、あとにもさきにもその一度きりであったが。
 それほど捨吉はお母さんから遠かった。お父さんが亡くなったことを聞いた時すら、帰国はかなわなかった。唯一度――郷里の方で留守居するお母さんや嫂を見に帰って行ったことがある。その時は兄の代理として、祖母おばあさんのお送葬とむらいをするために出掛けたことがある。それぎりだ。すべては彼の境涯が許さなかった。


 お母さんは隅田川の見える窓に近く行って、東の方の空を拝んだ。毎朝欠かしたことも無いように軽く柏手かしわでを打って、信心深い眼付で祈願を籠めるそのすがたを、捨吉は久し振で見た。何か心配あっての上京とは、お母さんを見た時一番先に捨吉の胸へ来た。単独な女の旅という事も思い合された。長い留守居で、お母さんも年をとった。朝になって見て余計にそれが捨吉の眼についた。深い谿谷たにあいの空気にまれたお母さんの頬の皮膚の色は捨吉が子供の時分に見たまま、まだ林檎りんごのような艶々つやつやとした紅味も失われずにあったが。
 周囲あたりは下町らしいにぎやかな朝の声で満たされた。納豆なっとう売の呼声も、豆腐屋の喇叭らっぱも、お母さんの耳にはめずらしいもののようであった。お母さんは田舎風の黒羅紗くろらしゃのトンビを引きよせ、部屋に居てもそれを引掛けて、寒い国から東京へ出て来たという容子ようすをしていた。兄は何かにつけてお母さんに安心を与えようとする風で、その昔県会議員などをした人とも思われない程めっきり商人らしくなった前垂掛の膝をすすめ、長火鉢の側でお母さんにも弟にも手づから朝茶を注いで勧めた。
「御蔭でまあ大勝の大将には信用されるように成りましたし、浜には取引が出来ますし、田辺とは殆んど兄弟のようにして往ったり来たりしていますし……これまでに取付くというだけでも、なかなか容易では無かったんです」
 こう兄はお母さんに言って、例の咳払せきばらいを連発させた。田舎の炉辺ろばたで灰をきならすと同じ手付でお母さんは兄とむかい合った長火鉢の灰を丁寧に掻きならしながら、郷里の方に残して置いて来た嫂や、孫娘や、年とった正直な家僕の噂をした。お母さんと兄との間には、捨吉なぞのよく知らない話も混って出て来た。まだ世間見ずの捨吉にも、それが兄の借財に就いてであることは、容易に感知することが出来た。
「何か捨吉のとこへも持って来たいとは思ったが、土産みやげ一つ用意する暇もあらすか。ほんとに今度は何処へも内証の旅だで」
 と、お母さんは捨吉の方を見て言った。
「今織りかけたはたがあるで、そのうちに届けるわい」
 と附添つけたした。
 食後に兄はいそがしそうな様子で、
「一寸私は大将のところまで行って来ます。他にも用達ようたしに廻って来るかも知れません。捨吉、今日はゆっくりしてもかろう。正午ひるまでに俺も帰って来る」
「あの昨夜の話はお前に頼んだぞい」とお母さんが言った。
「承知しました。お母さん、それじゃお話しなすって下さい」
「あい、そうかい」とお母さんは立って見送った。
 兄は出て行った。お母さんは部屋に置いてある箪笥たんすの前を歩いて見たり、兄の机の上などを見廻したりして、
「まあ、俺も出て来て見て、これでやっと安心した」
 とさも溜息ためいきくように言った。久し振で兄の咳払いを聞いただけでも、お母さんは安心したらしい様子であった。やがて捨吉の傍へ来て、兄の居るところではしなかったような話を始めた。お母さんは子供の時の面影でも探すように捨吉の顔を見ながらその話をした。
「なかなか郷里くにの方も口煩くちうるさいぞい」とお母さんが言った。「あんまり御留守居が長くなるもんだで、皆で種々なことを言う。やれ岸本のあねさまは可哀そうだの、あにさまは東京の方で女を囲って置かっせるだの、子まであるそうな、そんなことまでお前、皆で言い触らす。俺も黙って聞いてはおられんじゃないかや。『おあき(嫂の名)、心配するない、俺が東京へ行って見て来るで』――そう言って、急に思い立って来たわのい。寒い日だったぞや。国を出る時はもうお前、霜が真白。峠の吉右衛門も心配して、『姉さま、こんな日に行かっせるかなし、名古屋まで用があるで、そいじゃ途中まで送って行って遣らず』――そう言って、吉右衛門が送って来てくれた。まあ俺も出て来て見て、これでやっと安心した。おあきを兄さまに渡すまでは、俺の役目が済まないで。どうしてお前、国でも皆な一生懸命よのい、俺もお前達のために神様へ願掛けして、どうかして兄さまもよくやって下さるように、捨吉も無事で居りますように、毎日そう言って拝んでいる。どんなに心配しているか知れないぞや……」


 眼前めのまえの事物にほとほと興味を失いかけていた捨吉がお母さんの話を聞いて見た時の心持は、所詮しょせん説明ときあかすことの出来ないものであった。唯それは感じ得られるような性質のものであった。そしてそれを感ずれば感ずるほど、余計にすべてが心に驚かれることばかりのようであった。はかない少年の夢が破れて行った日から、彼は殆んど自分一人に生きようとした。寂しい暗い道を黙し勝ちに辿たどって来た。彼はかつて自分が基督キリスト教会で洗礼を受けたということまで、このお母さんに告げ知らせようともしなかった。これほど自分のために心配していてくれるお母さんのような人があることさえも忘れ勝ちに暮して来た。
 何年も捨吉が思出さなかった可懐なつかしい国の言葉のなまりや、忘れていた人達の名前が、お母さんの口から引継ぎ引継ぎ出て来た。お母さんは捨吉から送った写真のことを言出して、
「あの写真をよこしてくれた時は、皆大騒ぎよのい。吉田屋の姉さま、おりつ小母さままで来てて、『あれ、これが捨様かなし、そいったってもまあ、こんなに大きく成らっせいたかなし』なんてそうッせて……」
 少年の時分からよく見覚えのある、お母さんの左の眼の上の大きな黒子ほくろ。それを見ていると、どうかすると捨吉はお母さんの話すことを聞いていながら、心は遠く故郷の山林の方へ行った。彼の心は何年となく思出しもしなかった遠い山のかなたに狐火きつねびの燃える子供の時の空の方へ帰って行った。山にはおおかみの話が残り、畠にはむじなたぬきが顕われ、禽獣とりけものの世界と接近していたような不思議な山村の生活の方へ帰って行った。あかあかと燃える焚火たきびの側で、焼きたての熱い蕎麦餅そばもちに大根おろしを添えて、皆なで一緒に食う事を楽みにした広い炉辺の方へ帰って行った。一緒にえのきの実を集めたり、時には橿鳥かしどりの落して行った青いの入った羽を拾ったりした少年時代の遊び友達の側へ帰って行った。「オバコ」という草なぞを採って、その葉の繊維に糸を通して、はたを織る子供らしい真似まねをした隣の家の娘の側へ帰って行った。その娘の腕まくり、すそからげで、子供らしい淡紅色ときいろの腰巻まで出して、一緒に石の間に隠れているかじかを追い廻した細い谷川の方へ帰って行った。生れて初めて女というものに子供らしい情熱を感じたその娘と一緒に、よく青いへたの附いた実の落ちたのを拾って歩いた裏庭の土蔵の前の柿の木の下の方へ帰って行った。「わたし」と言うかわりに女でも「おれ」と言い、「捨さん」と呼ぶかわりに「捨さま」と呼ぶような、子供の時分から聞き慣れた可懐なつかしい言葉の話される世界の方へ帰って行った。そこでは絶えず自分のことが噂に上りつつあるというに、しかも自分の方ではめったに思い出しもしなかったふる馴染なじみの人達の側へめずらしく帰って行った。
 兄は用達から帰って来た。午後からお母さんは田辺の家を訪ねる筈であった。
「捨吉、貴様はお母さんのお供をしろや」と兄は言った。「時間が来たら貴様は学校の方へ帰るが可い。どうせ田辺には逢う用があるし、大勝の大将から頼まれて来た言伝ことづてもあるし、俺は後から出掛ける」
「それじゃ、捨吉に連れてって貰わず」
 とお母さんも言った。年はとっても、お母さんの身体はよく動いた。捨吉の見ている前で、髪をなでつけたり自分で織ったよそいきの羽織に着更えたりして、いそいそと仕度した。田辺の訪問はお母さんに取って無造作に済ませることでも無いらしかった。


 お母さんのお供で捨吉は兄の下宿を出た。屋外そとは直ぐ大橋寄りの浜町の河岸かしだ。もう十月の末らしい隅田川を右にして、夏中よく泳ぎに来た水泳場の附近に沙魚釣はぜつりの連中の集るのを見ながら、お母さんと二人並んで歩いて行くというだけでも、捨吉には別の心持を起させた。河岸の氷室こおりむろについて折れ曲ったところに、細い閑静な横町がある。そこは釣好きな田辺の小父さんが多忙いそがしい中でもわずかなひまを見つけて、よく釣竿を提げて息抜きに通う道だ。捨吉は自分でも好きなその道を取って、田辺の家の方へお母さんを案内して行った。
 田辺は全盛に向おうとする時であった。板塀いたべい越しに屋敷の外で聞いた井戸の水みの音まで威勢が好かった。小父さんが交際する大勝一族いちまき御店おたなの旦那衆をはじめ、芝居の替り日ごとに新番附を配りに来る茶屋の若い者のようなそういう人達までさかんに出入する門の戸を開けると、一方は玄関先の格子戸こうしど、一方は勝手の入口に続いている。捨吉は勝手の入口の方からお母さんを案内しようとして、丁度そこで河岸の樽屋の娘に逢った。捨吉が学校から戻って来る度によく見かけるのはこの娘だ。娘は捨吉親子に会釈して表の方へ出て行った。
「さあ、お母さん、どうぞお上んなすって下さい」
 と田辺のおばあさんは逸早いちはやかまどの側まで飛んで出て来た。
「捨さん、お前さんもまた玄関の方から御案内すれば可いのに」
 と田辺の姉さんもそこへ出て来て、半ば遠来の客を持成顔もてなしがおに、半ば捨吉を叱るように言った。
「御待ち申していました」
 と小父さんまで立って来て、お母さんを迎えた。
 田辺のおばあさんの亡くなった連合つれあいという人と、捨吉のお父さんとは、むかし歌の上の友達であったとか。幾年か前には、お父さんは捨吉を見るために一度上京したことがあって、田辺の家の一番苦しい時代に尋ねて来た。お母さんはまた、田辺の家の人達の一番見て貰いたいと思うような日に訪ねて来たのであった。
 奥座敷で起る賑かな笑声を聞捨てて、捨吉は玄関の方へ取次に出た。大勝の店に奉公する若いものの一人が旦那の使に来た。新どんと言って、いくらか旦那の遠い縁つづきに当るとかで、お店者たなものらしく丁寧な口の利きようをする人であった。この取次を機会しおに、捨吉はおばあさんや姉さんとお母さんとの間に交換とりかわされる女同志の改まったような挨拶を避けて、玄関を歩いて見た。極く僅かな暇があっても、捨吉の足を引きとめるのはその玄関の片隅だ。もしお母さんが学問のことの解るような人であったら、何よりも捨吉が見せたいと思うものは、そこにあった。彼はそこにある自分の本箱の中に、湖十の編纂へんさんした芭蕉ばしょうの一葉集、高輪の浅見先生に聞いてある古本屋から探し出して来た西行の選集抄、その他日頃愛読する和漢の書籍をしまって置いた。それらは貧しい中から苦心してあつめたもので、兄から貰った小使で買った其角きかくの五元集、支考の俳諧十論などの古い和本も入れてある。郷里の方の祖母おばあさんが亡くなって葬式に行った時に、父ののこした蔵書の中から見つけて来た黄山谷の詩集もある。捨吉はこうした和書や漢書の類を田辺の家の方に置き、洋書はおもに学校の寄宿舎の方に持って行って置いた。
「捨吉」
 と奥座敷の方で呼ぶ小父さんの高い声が聞えた。
 捨吉が復た小父さん達の中へ行って見た頃は、弘まで姉さんの側にりかかって、めずらしそうに捨吉のお母さんの方を見ていた。
「捨さん、何だねえ。玄関の方なぞに引込んでいないで、ちっとお母さんの側にでも坐っておいでな」
 とおばあさんが言った。
「ほんとだよ」と姉さんも調子を合せた。「お母さんのくびたまへでもかじり付いてれば可いんだ」
 才気をもった姉さんは捨吉の腹の底をえぐるようなことを言った。姉さんは半分串談じょうだんのようにそれを言ったが、思わず捨吉は顔を紅めた。
「どうです、お母さん」と小父さんは例の調子で快活に笑って、「捨吉も大きくなったものでしょう」
「捨さんも、どちらかと言えば小柄な方でしたのに、この二三年以来このかた急にあんなに大きく成りました」と姉さんも言葉を添えた。
 お母さんはつつましやかな調子で、「ほんとに、これと申すも皆田辺様の御蔭だで。難有ありがたいことだぞや――そう申してなし、郷里くにの方でも言い暮しておりますわい。何から何まで御世話さまに成って、この御恩を忘れるようなことじゃ、捨吉もダチカンで」
 交際上手な田辺の人達はやがてこのお母さんを打解けさせずには置かなかった。おばあさんは国の方に居る捨吉の姉の噂をしきりとして、姉が一度上京した折の話なぞをお母さんの口から引出した。
彼女あれが出てまいった時よなし」とお母さんは思出したように言った。「捨吉を其処どこぞへ一緒に連れてまいりましたそうな。その時捨吉が彼女にそう申したげな。こうして姉さんと一緒に歩いていても、何処どこよその家の小母さんとでも歩いているような気がするッて。彼女が郷里くにの方へ帰ってまいって、その話よなし。ほんとに、同じ姉弟きょうだいでも長く逢わずにいたら、そんな気がしませず……」
 お母さんの言出した話は、それが国の方の姉の噂であるのか、自分の遣瀬やるせない述懐であるのか、よく分らないような調子に聞えた。
よその家の小母さんは好かった」と小父さんも眼を細くして笑出した。
 捨吉はそこに集っている皆の話の的になった。小父さんの笑った眼からは何時いつの間にか涙が流れて来た。兄の下宿の方ではそれほどに思わなかった捨吉も、田辺の家の人達の前にお母さんを連れて来て見て、不思議な親子の邂逅めぐりあいを感知した。


 田辺の家の周囲まわりにある年の若い人達はずんずん延びて行くさかりの時に当っていた。捨吉が学校の寄宿舎の方から帰って来て見る度に、自分と同じように急に延びて来た背を、急に大きくなった手や足を、そこにも、ここにも見つけることが出来るように成った。大勝の御店おたなから田辺の家へよく使に来る連中で、捨吉が馴染なじみの顔ばかりでも、新どん、吉どん、とらどん、それから善どんなどを数えることが出来る。皆小僧々々した容子ようすをして御店の方で働いていた、つい二三年前までのことを覚えている捨吉の眼には、あのませた口の利きようをする色白な若者が、あれが新どんか、あのあらい髪を丁寧にでつけ額を光らせ莫迦ばかに腰の低いところは大将にそっくりな若者が、あれが吉どんか、と思われるほどで、割合に年少とししたな善どんでさえ最早小僧とは言えないように角帯かくおびと前垂掛の御店者おたなものらしい風俗なりも似合って見えるように成って来た。皆そろって頭を持上げて来た。皆無邪気な少年からようやく青年に移りつつある時だ。何となくそよそよとした楽しい風がずっと将来さきの方から吹いて来るような気のする時だ。隠れた「成長」は、そこにも、ここにも、捨吉の眼について来た。


 お母さんに別れを告げて、捨吉は田辺の家を出た。学校の寄宿舎を指して通い慣れた道を帰って行く彼の心は、やがて一緒に生長しとなって行った年の若い人達の中を帰って行く心であった。明治座の横手について軒を並べた芝居茶屋の前を見て通ると、俳優への贈物かと見ゆる紅白の花の飾り台なぞが置かれ、二階には幕も引廻され、見物の送迎にいそがしそうな茶屋の若い者が華やかな提灯ちょうちんの下を出たり入ったりしていた。田辺の小父さんばかりでなく、河岸の樽屋までも関係するという新狂言の興行が復た始まっていた。久松橋にさしかかった。若い娘達の延びて来たには更に驚かれる。あの髪を鬘下地かつらしたじにして踊の稽古けいこ仲間と手を引合いながら河岸を歩いていた樽屋の娘が、何時の間にかおばさんの御供もなしに独りで田辺の家へ訪ねて来て、結構母親の代理を勤めて行くほどの人に成った。捨吉は人形町への曲り角まで歩いた。そこまで行くと、大勝も遠くはなかった。あの御隠居さんの居る商家の奥座敷で初々ういういしい手付をしながらよく菓子などを包んで捨吉にくれた大勝の大将の娘が、最早見違えるほどの姉さんらしい人だ。たまに捨吉が小父さんの使として訪ねて行って見ると、最早結い替えた髪のかたちをじらうほどの人に成った。そろいも揃って皆急激に成長しとなって来た。春先のたけのこのようなこの勢は自分の生きたいと思う方へ捨吉の心をきそい立たせた。
 その日は、捨吉は芳町よしちょうから荒布橋あらめばしへと取って、お母さんに別れて来た時のことを胸に浮べながら歩いて行った。捨吉兄弟のことを心配して女の一人旅を思立って来たというお母さんが、やがて復た独りで郷里くに谿谷たにあいの方へ帰って行くことも思われた。何一つ捨吉はお母さんをよろこばせるようなことも言い得なかった。かつては快活な少年であった彼が、身につけることを得意とした一切の流行はやりの服装を脱ぎ捨て、もとの友達仲間からも離れ、どうしてそんなに独りで心を苦めるように成って行ったかということは、小父さんも知らなければ、兄ですら知らなかった。して長いこと逢わずにいたお母さんが何事なんにも知ろう筈が無かった。別れぎわに、お母さんは物足らず思う顔付で、小父さん達の居る奥座敷から勝手の板の間を廻って、玄関にけてある額の下まで捨吉にいて来たが、彼の方では唯素気そっけなく別れを告げて来た。
 しかしお母さんの言ったことは、殊に別れ際に、「月に一度ぐらいはお前も手紙をよこしてくれよ」と言ったあのお母さんの言葉は捨吉の耳に残った。自分のかたくなを、なおざりを、極端から極端へ飛んで行ってしまう自分の性質を羞じさせるような、何時にない柔かな心持が残った。
 もともと田辺の小父さんは、ふるい駅路の荒廃と共に住み慣れた故郷の森林を離れ、地方から家族を引連れて来て都会に運命を開拓しようとした旧士族の一人だ。小父さんの周囲まわりにある人達でむかしを守ろうとしたものは大抵凋落ちょうらくしてしまった。さもなければおくせに実業に志したような人達ばかりだ。
「試みに小父さんの親戚を見よ。今の世の中は実業でなければ駄目だぞ」
 これは小父さんが種々な事で捨吉に教えて見せる出世の道であった。不思議にもアーメン嫌いな小父さんの家の親戚には、基督教に帰依きえした人達があって、しかもそれらの人達は皆貧しかった。十年一日のように単純な信仰を守っている真勢さんは大勝の帳場で頭も挙らなかったし、伝道者をもって任ずる玉木さんのような人は夫婦して小父さんの家に食客同様の日を送った。小父さんの親戚にはまた郷里くにの方で人に知られた漢学者もあったが、その人のひげが真白になる頃に親子して以前の小父さんの家の二階にわびしげな日を送っていたこともある。実際、小父さんの周囲にある人達で、学問や宗教に心を寄せるものの悲惨みじめさを証拠立てないものは無いかのようであった。哀しい青年の眼ざめ。誰一人、目上の人達で捨吉のあせっている心を知ろうとするものも無かった。何事なんにも知らないでいるようなお母さんに逢って見て、彼は何時の間にか自分勝手な道を辿り始めたその恐怖おそれを一層深くした。


 小舟町を通りぬけて捨吉はごちゃごちゃと入組んだ河岸のところへ出た。荒布橋を渡り、江戸橋を渡った。通い慣れた市街まちの中でもその辺は殊に彼が好きで歩いて行く道だ、鎧橋よろいばしの方から掘割を流れて来る潮、往来ゆききする荷船、河岸に光る土蔵の壁なぞは、何時ながめて通っても飽きないものであった。いつでも彼が学校へ急ごうとする場合には、小父さんの家からその辺まで歩いて、それから鉄道馬車の通う日本橋のたもとへ出るか、さもなければ人形町から小伝馬町の方へ廻って、そこで品川通いのがた馬車を待つかした。その日は何にも乗らずに学校まで歩くことにして、日本橋の通りへかからずに、長い本材木町の平坦たいらな道を真直に取って行った。
 何時にない心持が捨吉の胸に浮んで来た。子供心にも東京に遊学することを楽みにして遠く郷里から出て来た日のことが、生れて初めて大都会を見た日のことが、中仙道なかせんどうを乗って来た乗合馬車が万世橋まんせいばしたもとに着いた日のことが、他にも眼の療治のために上京する少年があって一緒に兄に連れられてその乗合馬車を下りた日のことが、あの広小路で馬車の停ったところにあった並木から、寄席よせ旅籠屋はたごやなぞの近くにあった光景ありさままでが、実にありありと捨吉の胸に浮んで来た。
 京橋から銀座の通りへかけて、あの辺は捨吉が昔よく遊び廻った場処だ。十年の月日はまだ銀座の通りにある円柱と円窓とを按排あんばいした古風な煉瓦造の二階建の家屋を変えなかった。あらかた柳の葉の落ちた並木の間を通して、下手な蒔絵まきえを見るように塗られた二人乗のくるまの揺られて行くのも目につく。塵埃ほこり蹴立けたて喇叭らっぱの音をさせて、けたたましく通過ぎる品川通いのがた馬車もある。四丁目の角の大時計でも、縁日の夜店が出る片側の町でも、捨吉が旧い記憶につながっていないところは無かった。捨吉は昔自分が育てられた町のあたりを歩いて通って見る気になった。ある小路こうじについて、丁度銀座の裏側にあたる横町へ出た。そこに鼈甲屋べっこうやの看板が出ていた筈だ。ここに時計屋が仕事をしていた筈だと見て行くと、往来に接して窓に鉄の格子のはまった黒い土蔵造の家がある。入口の格子戸の模様はやや改められ、そこに知らない名前の表札が掛け変えられたのみで、その他は殆んど昔のままにある。その窓の鉄の格子は昔捨吉が朝に晩に行ってよくつかまったところだ。その窓から明りの射し入る三畳ばかりの玄関の小部屋は昔自分の机を置き本箱を並べたところだ。彼は自分の少年の日を見る心地がして、最早もはや住む人の変った以前の田辺の家の前を通った。


 何年となく忘れていた過ぎし月日のことが捨吉の胸を往来ゆききした。黄ばんだ午後の日あたりを眺めながら彼が歩いて行く道は、昔自分が田辺のおばあさんに詰めて貰った弁当を持って学校の方へと通ったところだ。昔自分が柔い鉛筆と画学紙とを携え、築地の居留地の方まで橋や建物を写すことを楽みにして出掛けたところだ。身体の弱かった田辺の姉さんにもめずらしく気分の好い日が続いて屋外そとへでも歩きに行こうという夕方には、それを悦んで連立つおばあさんや静かに歩いて行く姉さんの後にいて、野菜の市の立つ尾張町おわりちょうの角の方へと自分も一緒に出掛けたところだ。
 土橋どばしの方角を指して帰って行く道すがらも、まだ捨吉はあのむかしの窓の下に、あの墨汁すみやインキで汚したり小刀ナイフえぐり削ったりした古い机の前に、自分の身を置くような気もしていた。壁がある。土蔵の上り段がある。玄関に続いて薄暗い土蔵の内の部屋がある。そこは客でもある時に田辺の小父さんが煙草盆を提げて奥の下座敷の方から通って来る部屋でもある。夜になると洋燈ランプでその部屋を明るくして、書生は皆一つの燈火あかりの下に集って勉強した。小父さんは書生を愛したから、一頃は三人も四人もの郷里の方の青年がそこに集ったことも有った。捨吉も玄関の方から自分の机を持寄って皆なと一緒に多くの長い夜を送った。その頃の小父さんはいかめしい立派な髯をはやした人で、何度も何度も受けてはうまく行かなかった代言人の試験にもう一度応じて見ると言って、捨吉の机の前へ法律のほんなぞを持って来たものだ。そしてその書を捨吉に開けさせて置いて、それはこうですとか、ああですとか、自分で答えて見て、よく捨吉を試験掛に見立てたものだ。
 奥の下座敷も捨吉の眼に浮んだ。そこには敷きづめに敷いてあるような姉さんの寝床がある。その座敷の縁先にタタキの池がある。長い優美な尻尾しっぽを引きながら青い藻の中に見え隠れする金魚の群がある。姉さんも気分の好い時にはその縁先に出て、飼われている魚のさまなぞを眺めては病を慰めたものだ。
 その頃の小父さんは実に骨の折れる苦しい時代にあった。郷里くにからの送金もとかく不規則でそれを気の毒に思っていた捨吉には、何処までが小父さんの艱難かんなんで、何処までが自分の艱難であるのか、その差別もつけかねる位であった。雨の降る日に満足な傘をさして学校へ通ったことも無い位だ。
 ある日、古い道具を売払おうとして土蔵の二階でゴトゴト言わせている小父さんを見つけて、捨吉は自分が三度食べるものを二度に減らしたら、それでも何かの助けになろうかと考えたことさえあった。小父さんがあの美しい髯を自分で剃落そりおとしてしまったのも、それからだ。古い写真の裏に長々と述懐の言葉を書きつけ、毎日のこまかい日記をめ、前垂掛の今の小父さんに変ったのも、それからだ。石町こくちょうの御隠居の家の整理を頼まれたのも、その縁故から大勝の主人に知られるように成って行ったのも、それからだ。
 こうした月日のことを想い起しながら、捨吉は遠く学校の寄宿舎の方へ帰って行った。芝の山内を抜けて赤羽橋へ出、三田の通りの角から聖坂ひじりざかを上らずに、あれから三光町さんこうちょうへと取って、お寺や古い墓地の多い谷間たにあいの道を歩いた。清正公せいしょうこうの前まで行くと、そこにはもう同じ学校の制帽を冠って歩いている連中に逢った。


 捨吉が学校の裏門を入って寄宿舎の前まで帰って来た頃は、夕方に近かった。丁度日曜のことで、時を定めて食堂の方へ通う人も少い。まかないも変ってから、白い頭巾ずきんを冠った亭主が白い前垂を掛けたおかみさんと一緒に出て、食卓テーブルの指図をするように成った。まばらに腰掛けるもののある食堂の内で捨吉はお母さんに別れて来た時のことを思いながら食った。
 日曜の夕方らしい静かな運動場の片隅かたすみについて、捨吉は食堂から寄宿舎の方へ通う道を通った。ポツポツ寄宿舎を指して岡の上を帰って来る他の生徒もある。「郷里くにの方では霜がもう真白」と言ったお母さんの言葉も捨吉の胸に浮んだ。寄宿舎の階段を上って長い廊下を通りがけに、捨吉は足立の部屋の扉を叩いて見たが、あの友達はまだ帰っていなかった。
 自分の部屋へ戻ってからも捨吉は心が沈着おちつかなかった。同室の生徒は他の部屋へでも行って話し込んでいると見え、とぼされた洋燈ランプばかりがしょんぼりと部屋の壁を照らしていた。捨吉は窓の方へ行って見た。文学会や共励会のある晩とちがい、向うのチャペルの窓もひっそりとしていて、亜米利加アメリカ人の教授の住宅の方にわずかに紅い窓掛に映る燈火あかりが望まれた。何となく捨吉の胸にはお母さんの旅が浮んだ。やがて自分の机の上に新約全書を取出し、額をその本に押宛てて、
「主よ。この小さきしもべを導き給え」
 と祈って見た。
 その晩はいつもより早く捨吉も寝室の方へ行って、壁に寄せて造りつけてある箱のような寝台に上った。舎監が手提の油燈カンテラをさしつけて寝ているものの頭数を調べに来る頃になっても、まだ捨吉は眼を開いていて、ポクポクポクポクと廊下を踏んで行く舎監の靴の音を聞いていた。平素めったに思出したことも無いようなお霜婆さん――郷里の方の家に近く住んで、よくお母さんのところ出入ではいりした人――のことなぞまで思出した。あのお霜婆さんが国の方の話を持って、一度以前の田辺の家へ訪ねて来た時のことを思出した。御蔭で国への土産話が出来たと言って、自分を前に置いて年とった女らしく掻口説かきくどいたことを思出した。「あれほどワヤクな捨様でも、東京へ出て修業すればこれだ。まあ、俺の履物はきものまで直して下すったそうな――」と別れ際に言って、あの婆さんがホロリと涙を落したことを思出した。
 亡くなったお父さんのことをも思出した。自分に逢うことを楽みにして、一度お父さんが上京した日のことを思出した。あの銀座の土蔵造の家の奥二階に、お父さんが田舎から着て来た白い毛布や天鵞絨びろうどで造った大きな旅の袋を見つけたことを思出した。国に居る頃のお父さんはまだ昔風に髪を束ね、それを紫のひもで結んで後の方へ垂れているような人であったが、その旅で名古屋へ来て始めて散髪に成った話なぞを聞かされたことを思出した。「あれをああと、これをこうと――」とそれを口癖のように言って、お父さんがよく自分自身の考えをまとめようとしていたことを思出した。お父さんを案内して小学校友達の家へ行った時に、途中でお父さんは蜜柑みかんを買って、それを土産がわりとして普通に差出すことと思ったら、やがてお父さんは先方さきのお友達のお母さんからお盆を借り、その上に蜜柑を載せ、ツカツカと立って行って、それを仏壇に供えようとした時は、実にハラハラしたことを思出した。お父さんの逗留とうりゅう中には、旧尾州公という人の前へも連れられて行き、それから浅草辺のある飲食店へも連れられて行ってお父さんとは懇意なという地方出の主人や内儀かみさんに引合され、「こんなお子さんがお有んなさるの」と言ったそこの家の内儀さんからも多勢の女中からも可厭いやにジロジロ顔を見られたことを思出した。お父さんは又、自分の小学校をも見たいと言うから、あの河岸の赤煉瓦の建物の方へ案内して行くと、途中で河岸に石の転がったのを見つけ、子供の通う路にこういうものは危いと言って、それを往来の片隅に寄せたり、お堀の中へ捨てたりするような、そういう人であったことを思出した。お父さんのる事、成す事は、正しい精神から出ていたには相違なかろうが、何んとなく人と異なったところが有って、はたで見ているとハラハラするようなことばかりで有ったことを思出した。矢張お父さんは国の方に居て欲しい。早く東京を引揚げあの年中榾火ほたびの燃える炉辺の方へ帰って行って老祖母おばあさんやお母さんや兄夫婦やそれから正直な家僕などと一緒に居て欲しい。それがお父さんに対する偽りの無い自分の心であったことを思出した。後で国から出て来た姉の話に、余程よっぽど自分の子供は嬉しがるかと思って上京したのに、案外で失望した、もう子供に逢いに行くことはりた、と言ってお父さんが嘆息して姉に話したということを思出した。「捨吉ばかりは俺の子だ。あれには俺の学問を継がせたい」とお父さんが生きている中によく姉に話したということを思出した。こうした記憶や、幼い時に見た人の顔や、何年もの間のことが一緒になって胸に浮んで来た。その日ほど捨吉は自分の幼い生涯を思出したこともなかった。


 秋の日のひかりは岡の上にある校堂の建物の内に満ちた。翌朝になって捨吉が教室の方へ通って行って見ると、二十人ばかりの同級生の中に復た菅と足立の笑顔を見つけた。田辺の家の周囲まわりにあったような若い人達の延びて行く勢は、さかんに競い合うようにしてそこにも溢れて来ていた。「フレッシ・マン」と呼ばれ、「ソホモル」と呼ばれた頃のことに思い比べると、皆もう別の人達だ。唯、毎日のように互いに顔を見合せていては、たまに逢って見る年の若い人達のように、それほど激しく成長を感じないまでだ。同級の学生の多くは捨吉よりも年長としうえであったが、その中でも年齢としの近い青年の間に余計に捨吉は自分と一緒に揃って押出して行くような力を感じた。互いに腕でも組合せて歩いて見るというような何でもない戯れまでが言うに言われぬさわやかな快感を起させた。
 四年の学校生活も追々と終に近くなって行った。同級の学生は思い思いにいたものを収穫とりいれようとしていた。又た、せっせと播けるだけ播こうとして、互いに種卸たねおろすことを急いでいた。気早な連中の間には早や卒業論文の製作が話頭に上って来た。長いこと日課を放擲ほうてきして顧みなかった捨吉も漸く小さな反抗心を捨てるように成った。彼は自分の好きな学科ばかりでなしにもっと身を入れて語学を修得したいと思い立つように成った。菅は独逸ドイツ語までも修めようとしていたが、捨吉はむしろ英語の専修に心を傾けた。基督教の倫理や教会歴史を神学部で講ずる学校の校長が捨吉の方の組へも来て時代分けになった英吉利の詩と散文とを訳してくれた。この校長の精確な語学の知識は捨吉の心を悦ばせた。休みの時間毎に出て見ると、校堂を囲繞とりまく草地の上には秋らしい日があたって来ている。足を投出す生徒がある。昼間鳴く虫の声も聞えて来る。捨吉はペンキ塗の校堂の横手にもたれて、遠く郷里の方へ帰って行ったお母さんの旅を想像した。


 次第に捨吉は自分の位置を知り得るようにも成って行った。彼がこの学校に入れられたのは、行く行くは亜米利加へ渡り針の製造を研究するためで。そして大勝の養子として、あの針問屋の店に坐らせられるためで。田辺の小父さんは直接に捨吉に向って何事なんにもそんなことを匂わせもしなかったが、それが小父さんの真の意思であり、大勝の主人の希望でもあるということを、捨吉は大川端の兄から聞いて初めて知った。
「捨吉は捨吉で、やらせることにしたい。いかに大将の希望でも、そればかりは御断りしたい」
 これがその時の兄の挨拶だったということで。
「今日まで一度も俺は田辺と喧嘩けんかしたことが無い。その時ばかりは、俺も争った。大勝の養子にお前を世話するという説には、絶対に反対した」
 万事に淡泊なことを日頃の主義とする兄は、これも拠所よんどころないという風にその話をして、なお田辺へは最近に何百円とかの金の手に入ったのを用立てた、長年弟の世話に成った礼としてそれとなくその金を贈った、最早もはや物質的にさ程の迷惑を掛けてはいないことに成った、との話もあった。そうだ。捨吉が学校の休みの日に帰って行って、大川端でその話を聞いて来る前に、田辺の家の方へ顔を出したら、小父さんも留守、姉さんも留守の時で、唯お婆さんのはげしい権幕けんまくで言ったことが何事なんにも知らずに出掛けて行った捨吉を驚かした。
「お金をよこしさえすれば、それで可いものと思うと大きに違いますよ」
 あのお婆さんが怒った言葉の意味を、捨吉は兄の下宿まで行って初めて知った。
 高輪の学窓の方で、捨吉が自分の上に起った目上の人達の争闘あらそいを考えて見る頃は、その年の秋も暮れて行った。空想は捨吉の心を大勝とした紺の暖簾のれんの方へ連れて行って見せ、あの正面の柱に古風な「もぐさ」の看板の掛った大きな店の方へ連れて行って見せた。空想はまた彼の心をあの深い商家に育った可憐かれんな娘の方へ連れて行って見せた。仮令たとえ兄の言うように、小父さんにどんな目論見もくろみがあろうとも、そのために小父さんを憎む気にはどうしても成れなかった。あべこべに、弟の独立をそれほどまで重んじてくれたという兄の処置に対しては感謝しながらも、猶それを惜しいと思うの念が心の底に残った。
 捨吉は自分の空想を羞じた。そうした空想は全く自分の行こうと思う道では無かったから。それにしても針製造人の運命をもってこの学校へ学びに来たとは夢にも彼の思い及ばないことで有った。学窓とこの世の中との隔りは――とても、高輪と大川端との隔りどころでは無かった。
 残る二学期の終には、いよいよ四年生一同で卒業の論文を作った。捨吉もそれを英文で書いた。学校の先生方は一同をチャペルに集めて、これから社会の方へ出て行こうとする青年等のために、前途の祝福を祈ってくれた。聖書の朗読があり、讃美歌の合唱があり、別離わかれ祈祷きとうがあった。受持々々の学科の下に、先生方が各自めいめい署名して、花のような大きな学校の判を押したのが卒業の証書であった。やがて一同は校堂を出て、その横手にある草地の一角に集った。皆でってたかってそこに新しい記念樹を植えた。樹の下には一つの石を建てた。最後に、捨吉は菅や足立と一緒にその石に刻んだ文字の前へ行って立った。
『明治二十四年――卒業生』


 学校を卒業する頃の菅はエマアソンなぞの好きな、何となく哲学者らしい沈着おちつきを有った青年に成って行った。それにクリスチァンとしての信仰もこの人のは極く自然であった。足立はまたさかんな気象の青年で、基督教主義の学校の空気の中にありながら卒業するまで未信者で押し通したということにも、一つの見識を見せていた。
「いよいよお別れだね」
 捨吉は二人の友達と互いに言い合った。
 菅は築地へ、足立は本郷へ、いずれも思い思いに別れて行った。十六歳の秋から二十歳はたちの夏までを送った学窓に離れて行く時が捨吉にも来た。荷物や書籍ほんは既に田辺の小父さんの家の方へ送ってあった。彼は風呂敷包だけをかかえて、岡の上に立つ一むれ建築物たてものに別れを告げた。一番高いところにある寄宿舎の塔、食堂の廊下の柱、よく行った図書館の窓、教会堂の様式と学校風の意匠とを按排あんばいしてそれを外部に直立した赤煉瓦の煙筒に結びつけたかのような灰色な木造の校堂の側面、あだかも殖民地の村落のように三棟並んだ亜米利加人の教授の住宅、その魚鱗形うろこがたの板壁の見える一人の教授の家の前から緩慢なめらかな岡の地勢に添うて学校の表門の方へ弧線を描いている一筋のこみちなぞが最後に捨吉の眼に映った。
 捨吉は表門のところへ出た。幾株かの桜の若木がそこにあった。その延びた枝、生い茂った新しい葉は門のわきに住む小使の家の屋根をおおうばかりに成っていた。捨吉は初めて金釦きんボタンのついた学校の制服を着てその辺を歩き廻った時の自分の心持を想い起すことが出来た。あの爵位しゃくいの高い、美しい未亡人に知られて、一躍政治の舞台に上った貧しいジスレイリの生涯なぞが彼の空想を刺戟しげきした頃は、この桜の若木もまだそれほど延びていなかったことを想い起すことが出来た。四年の月日は親しみのある樹木を変えたばかりでなく、捨吉自身をも変えた。何という濃い憂鬱が早くも彼の身にやって来たろう。そして過去った日の楽みをはかなく味気なく思わせたろう。
 風が来て桜の枝をゆするような日で、見ると門の外の道路には可愛らしい実が、そこここに落ちていた。
「ホ、こんなところにも落ちてる」
 と捨吉は独りで言って見て、一つ二つ拾い上げた。その昔、郷里の山村の方で榎木えのきの実を拾ったり橿鳥かしどりの落した羽を集めたりした日のことが彼の胸に来た。思わず彼は拾い上げた桜の実をいで見て、お伽話とぎばなしの情調を味った。それは若い日の幸福のしるしという風に想像して見た。
 捨吉に言わせると、自分等の前にはおおよそ二つの道がある。その一つはあらかじめ定められた手本があり、踏んで行けば可い先の人の足跡というものがある。今一つにはそれが無い。なんでも独力で開拓しなければ成らない。彼が自分勝手に歩き出そうとしているのは、その後の方の道だ。言いがたい恐怖おそれを感ずるのも、それ故だ。心の闘いの結果は、覿面てきめんに卒業の成績にもむくいて来た。学校に入って二年ばかりの間は級の首席を占め、多くの教授の愛を身に集め、しかも同級の中での最も年少なものの一人であった彼も、卒業する時は極くの不首尾に終った。ビリから三番目ぐらいの成績で学校を出て行くことに成った。しかし彼はそんなことは頓着とんじゃくしなくなった。他の学校に比べると割合に好い図書館が有り、自分の行く道を思い知ることが出来、それからまた菅や足立のような友達を見つけることが出来たというだけでも、この学窓に学んだ甲斐かいはあったと思った。
 新しい世界は自分を待っている。その遠くて近いような翹望ぎょうぼうをまだ経験の無い胸にもって、捨吉は半分夢中で洗礼を受けた高輪の通りにある教会堂からも、初めて繁子や玉子に逢った浅見先生の旧宅からも、その他種々様々の失敗しくじりと後悔とはずかしい思いとを残した四年の間の記憶の土地からも離れて行った。


 恩人の家の方へ帰って来て見ると、捨吉はいまかつてその屋根の下で遭遇であったことも無いような動きの渦の中に立った。かねて横浜の方のある店を引受けると小父さんから話のあったことが、いよいよ事実となった。小父さんは横浜を指して出掛けようとしている。姉さんも小父さんにいて行こうとしている。大勝の御店おたなの方から手伝いに来た真勢さんは日本橋高砂たかさご町附近の問屋を一廻りして戻って来て、た品物をそろえに出て行こうとしている。
「あの、何を何して、それから何して下さいな」
 支度最中の姉さんが何づくしで話しかけることを、おばあさんはまた半分も聞いていないで、何を何するために土蔵の階段を上ったり下りたりしている。この混雑の中で、着物やら行李こうりやら座敷中一ぱいにごちゃごちゃ置いてある中で、捨吉は持って帰った卒業証書を小父さんに見て貰った程で。
 潮でも引いて行った後のような静かさが、この混雑の後に残った。房州出のよく働く下女までが小父さん達に随いて行った。留守宅にはお婆さんと、弘と、女中がわりにけに来た女と、捨吉と、それからポチという黒毛の大きな犬とが残った。
「姉さんも、えらい勢ですね」
「なにしろお前さん、十年も寝床とこを敷き詰めに敷いてあった人が、浜の方まで働きに行こうという元気だからねえ」
 捨吉はお婆さんと二人で姉さんの噂をして見た。銀座時代からの長い長い病床から身を起した姉さんが自分で自分をいたわるようにして、極く静かにこの家の内を歩いていた時の姿が、ついまだ昨日か一昨日かのように捨吉の眼にあった。
彼女あれがまた弱らなけりゃ可いが、それを思って心配してやる。あたいの言うことなんぞ彼女が聞くもんかね。『そんな、おばあさんのようなことを言ったって、今はそんな愚図ッかしてる時じゃ有りませんよ』ッて――そう言われて見ると、それもそうだよ」
 こうお婆さんは捨吉に話し聞かせて笑って、ひと静止じっとしていられないかのように、ったり坐ったりした。
 捨吉はお婆さんの側を離れて玄関から茶の間の方へ行って見た。高輪の方で見て来た初夏らしい草木の色は復たその庭先へも帰って来ていた。にわかに※(「門<貝」、第4水準2-91-57)しんとした家の内の空気は余計に捨吉の心をいらいらさせた。小父さんから姉さんから下女までも動いて行っている中で、黙ってそれを視ている訳には行かなかった。考えを纏めるために、彼は茶の間の縁先から庭へ下りた。学校を済まして帰って来て、復たほうきを手にしながら書生としての勤めに服するのも愉快であった。新しいかえでの葉が風に揺れて日にチラチラするのを眺めながら、先ず茶の間の横手あたりから草むしりを始めた。お母さんの上京以後、とかく彼に気まずい思をさせるように成ったのは大勝の養子の一件だ。しかし小父さんを第二の親のように考え、長い間の恩人として考える彼の心に変りはなかった。自分は自分の力に出来るだけのことをしよう、その考えから、垣根に近い乙女椿おとめつばきの根元へ行って蹲踞しゃがんだ。青々とした草の芽は取っても取っても取り尽せそうも無かった。茶の間の深いひさしの下を通って、青桐の幹の前へ立った時は小父さん達の後を追って手伝いに行こうという決心がついた。
「そうだ。浜へ行こう」
 その考えを捨吉はお婆さんに話した。
 よくも知らないあの港町を見るという楽みが捨吉の心にあった。一日二日経って彼は出掛けて行く支度を始めた。横浜へ行って、もし暇があったら、その夏は何を読もう。一番先に彼の考えたことはこれだ。彼はテインの英文学史をえらぶことにした。それを風呂敷包の中に潜ませた。それからお婆さんの前へ行った。
「お婆さん、これから行ってまいります」
「ああ、そうかい。それは御苦労さまだねえ」
 お婆さんは横浜の店の方にある自分の娘の許へと言って、着物なぞを捨吉に托した。
「お婆さん、伊勢崎町いせざきちょうでしたね。僕はまだ横浜の方をよく知らないんです」
「なあに、お前さん、店の名前で沢山だよ。浜へ行って、伊勢崎屋と聞いてごらんなさい。誰だって知らないものは有りやしないよ」
 お婆さんも大きく出た。


 一度か二度山の手の居留地の方へ行く時に通過ぎたことのある横浜の停車場に着いた。捨吉が探した雑貨店はごちゃごちゃと人通りの多い、商家の旗や提灯ちょうちんなぞの眼につく繁華な町の中にあった。そこに「いせざきや」と仮名で書いた白い看板が出ていた。入口は二つあった。捨吉は先ず大勝の御店おたなのものに逢った。長い廊下のような店の中には何程の種類の雑貨が客の眼を引くように置並べてあると言うことも出来なかった。そこここには立って買っている客もあった。その廊下の突当りにある帳場のところで捨吉はまた見知った顔に逢った。須永さんと言って、小父さんと同郷の頭の禿げた人だ。
「オオ、捨吉か」
 小父さんは奥の方から出て来て、あだかも彼を待受けていたかのように、悦ばしそうに彼の顔を見た。
「米、捨吉が来たよ」
 と小父さんは奥の方に居る姉さんをも呼んだ。
 こうした変った場所に、新規な生活の中に、小父さんや姉さんを見つけることは捨吉に取ってもめずらしく嬉しかった。姉さんもなかなかの元気で、東京の方で見るよりは顔の色艶も好かった。
「捨吉、貴様はまだ昼食前ひるまえだろう、まあ飯でもやれ。今皆済ましたところだ」と小父さんが言った。
「捨さんもおなかが空いたろう。すこし待っとくれ。今仕度させる」と姉さんも言った。「こう多勢の人じゃ、なかなか一度にゃ片付かないよ」
 その時、奥の方から昼飯を済ましたらしい店の連中がどかどかと押してやって来た。皆捨吉に挨拶して帳場の側を通った。新どん、吉どん、とらどんのような見知った顔触かおぶれの外に、二三の初めて逢う顔も混っている。その時捨吉は大勝の御店おたなの方の若手が揃ってここへ手伝いに来ていることを知った。年少としわかな善どんまでが働きに来ていた。それを見ても、あの大勝の大将が小父さんの陰に居て、どれほどこの伊勢崎屋の経営に力を入れているかということも想われた。
「岸本さん、お仕度が出来ました。どうぞ召上って下さい」
 と告げに来る房州出の下女の顔までが何となく改まって見えた。
 食後に、捨吉は二階建になった奥の住居すまいを見て廻った。裏口の方へも出て見た。
「捨さん、来て御覧」
 という姉さんの後に随いて行って見ると、帳場の後手から自由に隣家となりの方へ通うことが出来て、そこにはまた芝居の楽屋のような暗さが閉めきった土蔵造の建築物たてもの内部なかを占領していた。
「どうだ、なかなか広かろう」
 と小父さんもそこへ来て言って、住居と店との間にある硝子ガラス張の天井の下を捨吉と一緒に歩いて見た。
以前まえの伊勢崎屋というものは、隣家となりの方と是方こっちと二軒続いた店になっていたんだね。これが大勝へ抵当に入った。『どうだ、田辺、一つやって見ないか』としきりに大将が乗気に成ったもんだから、到頭俺も引受けちゃった。どうして、お前、新規に店を始めて、これだけの客が呼べるもんじゃない……隣家の方はまあ、ああして置いて、そのうちに仕切って貸すんだね」
 こんな風に小父さんは大体の説明を捨吉にして聞かせた。この小父さんの足が帳場の側で止った時は、小父さんは何か思出したような砕けた調子で、
「なにしろ一銭、二銭から取揚げるんだからねえ」
 と言って笑った。
 捨吉は自分の身の置きどころから見つけて掛らねば成らなかった。彼は周囲を見廻した。そして実に勝手の違ったところへやって来たような気がした。店の入口の方へ行って見ると、丁度須永さんの居る高い帳場とむかい合った位置に、壁によせて細長い腰掛が造りつけてある。そこには大勝の方から来た中での一番年嵩としかさな、背の高い、若い番頭が他の連中を監督顔に腰掛けている。捨吉はまだその番頭の名前も知らなかった。新参者らしくその側へ行って腰掛けて見た。


「捨さん」
 とある日、呼ぶ声が起った。
 港の方へ着いた船でもあるかして、男と女の旅らしい外国人が何か土産みやげ物でも尋ね顔に、店の小僧達に取りまかれていた。捨吉は夕飯を済ましかけたところであったが、呼ばれてその外国人の側へ行った。
「What sort of articles do you wish to have?」
 覚束おぼつかない英語でこう尋ねて見た。
「I am looking for ……」
 とばかりで発音のむずかしいその外国人の言うことは半分も捨吉には聞き取れなかった。
 男の外国人は側に居る善どんに指さしして、蒔絵まきえのある硯蓋すずりぶたを幾枚となく棚から卸させて見た。しまいに捨吉に向って値段を聞いた。
「Two yen ――」と捨吉は正札を見て言って、「at fixed price.」と附けした。
「Too much.」
 とか何とか女の外国人が連に私語ささやくらしい。
「Have you not a similar article at a lower price?」
 と今度は女の外国人の方が捨吉に向って尋ねたが、結局この人達はほんとに買う気も無いらしかった。
「Oh, We are offering it at the lowest possible price.」
 こんな風に捨吉は言って見た。さんざん素見ひやかした揚句、二人の外国人はそこを離れて行った。
「捨さん、何を欲しいと言うんです」と須永さんが帳場から言った。
「いえ、硯蓋を出して見せろなんて言って、買うんだか買わないんだか解りません」
「捨さんは好いなあ、英語が解るから」と小僧の一人が言った。
「こういう時は、捨さんでなくちゃ間に合わない」
 と新どんが持前の愛嬌あいきょうのある歯を見せて笑った。
 学校の方で習い覚えたことが飛んだところで役に立った。もっとも、捨吉のは、読むだけで、こうした日常の会話に成るとまごついてしまうという不思議な英語であったが。
 捨吉が伊勢崎屋へ来て何かの役に立つと自分でも感じたのは、しかしこんな場合に過ぎなかった。その店に並べた品物は皆な正札附で、勧め、売り、代を受取り、その受取った金を帳場の方へと運ぶというだけなら、誰にでも出来た。それを一歩ひとあしでも立ち入って、何か込み入った商法あきないのことに成ると、新どんや吉どんのような多年大勝の御店おたなの方で腕を鍛えて来たパリパリの若手は言うまでもなく、馳出かけだしの小僧にすら遠く彼は及ばなかった。彼はそれを自分の上に感じたばかりでなく、帳場に坐っている須永さんの上にも感じた。あの旧士族上りで、小父さんの同郷で、年若な下女なぞに色目をくれるようなことは機敏でも商法あきない一つしたことの無い須永さんは、東京の問屋から着く荷物と送り状との引合せにすら面喰ってしまい、その度に訳もなく小僧等を叱り付けたり、尊大に構えたりして、禿げた額と眼鏡との間から熱い汗を流していることを知って来た。次第に捨吉は大勝の連中をも、それらのさまざまな性質の青年をも知るように成って行った。若い番頭は名を周どんと言って、店の入口の腰掛に落合うところから、いろいろと捨吉に話しかけ、背の高いことや歯並の白く揃ったことをよく自慢にして、浮々と楽しい気分を誘うような青年ではあったが、それだけ他の年少とししたの連中からは思われてもいないことを知るように成って行った。この周どんの毎朝髪を香わせる油は、あれはこの店から盗んだものだというようなことまで、日頃番頭と仲の悪い新どん吉どんの告げ口によって知るように成って行った。
 しかし捨吉は小父さんの手伝いに来た。商法あきないを覚える気はなくても、書生として何かの役に立ちたいと思った。その心から復た彼は店の入口の方へ行って、周どんの側に腰掛けた。こうした雑貨店では客の種類もいろいろだ。白の股引ももひきに白足袋、尻端折のいそがしい横浜風はまふうの風俗の客や、異人の旦那を連れた洋妾風ラシャメンふうの女の客なぞが入って来る度に、捨吉は自分の腰掛を離れて、店のものの口吻くちぶりを真似た。
「いらっしゃい――」
 と力をめて呼んで見る捨吉は、店頭みせさきに並べてある売物の鏡の中に自分の姿を見た。皆角帯、前垂掛で、お店者たなものらしく客を迎えている中で、全くの書生の風俗なりが、巻きつけた兵児帯へこおびが、その玻璃ガラスに映っていた。実に、成っていなかった。


 須永さんが行き、周どんが行き、入れ替りに真勢さんが来た。須永さんも、周どんも、それぞれ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)エピソードを残して行った。須永さんは、一時手伝いに来ていた色白でまるまると肥った女と。周どんは、房州出の下女と。
 真勢さんのような大勝の帳場を預かる人が、あの東京の御店おたなの方を置いて来たということは、すこし捨吉を驚かした。この雑然紛然ごちゃごちゃとした空気の中で、伊勢崎屋へ来て就く奥のチャブ台の前で、十年一日のような信仰に生きて来た真勢さんがそれとなく捧げる食前の祈祷に、人知れず安息日を守っているということは、更に捨吉を驚かした。
 真勢さんは小父さんと交代に帳場に坐って須永さんの役を勤めることもあり、入口の腰掛のところに陣取って周どんの役を勤めることもあったが、この人の来た頃から開業してまだ日の浅い雑貨店も漸く店らしくなって行った。それだけ捨吉は手伝いのしようが無いような気がした。鉄物類かなものるいの並べてある方へ行って見る。そこには吉どんが巌張がんばっている。唐物類とうぶつるいの方へ行って見る。そこには新どんが居る。塗物類の方へ行って見る。そこにはまた寅どんがいる。皆自分々々の縄張内だと言わぬばかりに控えたり、時にはその棚の前を往ったり来たりして、手をつけさせない。捨吉は年少としわかな善どんの居る方へ行って、せめて箸箱はしばこの類を売ることを手伝おうとして見た。何処へ行っても、結局手の出しようがないように思った。
 やがて蒸々とする恐ろしい夏のあつさがやって来た。伊勢崎屋の入口に近い壁を背にして、頭を後方うしろの冷たい壁土に押宛てながら、捨吉は死んだように腰掛けた。しばらくもう東京の方の菅や足立のことを思出す暇さえもなしに暮した。暑い午後の日ざかりで、繁昌する店の内にも客足の絶える時がある。許しが出て、隣家の空いた土蔵の方へわずかな昼寝の時をむさぼりに行くものがある。小父さんも肥った身体を休めているかして、帳場の方には見えない。そのとき、捨吉は学校に居る時分に暗誦あんしょうしかけた短い文句を胸に浮べた。オフェリヤの歌の最初の一節だ。それを誰にも知れないように口吟くちずさんで見た。

“How should I your true Iove know
   From another one?
 By his cockle hat and staff,
   And his sandal shoon.”

 熱い草の中で息をする虫のように、そっと低い声で繰返して見たのは、この一節だけであった。彼はまだあの歌の全部を覚えてはいなかった。


「さあ――退いた、退いた」
 と呼ぶ善どんを先触さきぶれにして、二三人の若い手合が大きな薦包こもづつみの荷を店の入口から持込んだ。大勝の連中のなかでは一番腕力のある吉どんが中心となって、太いなわつかみながら威勢よく持込んで来た。居眠りする小僧でもその辺に腰掛けていようものなら、突飛ばされそうな勢だ。
 角張った大きな荷物は、どうかすると雑貨を置並べた店の棚とすれすれに、帳場の後手にある硝子張の天井の下へと運ばれて行った。
「静岡から塗物の荷が来たナ」
 と小父さんは高い帳場の上に居て言った。
庖丁ほうちょう、庖丁」
 と奥の勝手口の方を指して呼ぶものもあった。
 姉さんや下女までそこへ顔を見せた。捨吉は帳場のわきへ行って立って、皆の激しく働くさまを眺めた。とがった出刃を手にして最初の縄を切る吉どんの手つきを。皆なでってたかって幾条いくすじかの縄を解く腰つきを。開かれる薦包を。
 こうした場合にも真勢さんはいて自分が先に立って皆の差図をしようとしなかった。大抵のことは若いもののるままに任せているらしかった。そして荷物の送状を調べる方なぞに廻っていた。日頃一風変っているところから「哲学者」の綽名あだなで呼ばれているこの大勝の帳場に接近して見て、捨吉は真勢さんという人にいろいろなものが不思議と混り合っているような性質を感じて来た。勤勉と無精と、淡泊と片意地と。捨吉はまた真勢さんが商法上のことについて、新どんや吉どんがつような熱心をも興味をも有っていないことを発見した。
 しかし真勢さんは何となく捨吉の好きな人だ。東京の田辺の家の方に出入する多くの人達の中では捨吉は一番この真勢さんを好いた。一緒に店の入口の方へ行って、細長い腰掛を半分ずつ分けることを楽しく思った。
 夕飯が済むか済まないに、もう納涼すずみがてらの客がどかどか入込んで来る。一しきり客の出さかる頃は、廻廊のように造られた伊勢崎屋の店の内が熱い人の息で満たされる。明るくかがやかした燈火ともしび、ぞろぞろと踏んで通る下駄穿げたばきの音、その雑踏の中を分けて、何か品物が売れる度に捨吉は入口と帳場の間を往来した。
「アア、真勢さんも売ってるナ」
 とそう捨吉は言って見た。
 一日のうちの最もいそがしい時は毎晩三時間程ずつ続いた。帳場の正面に掛っている時計が九時を打つ頃になると、余程店が透いて来る。奥の方からは下女が茶を汲んだ湯呑ゆのみを盆に載せて、それを真勢さんや捨吉のところへも配りに来た。
 真勢さんは簡単に自分の過去を語った。この人は小学校の教員をしたこともある。教会堂の番人をしたこともある。道具屋を始めたこともある。靴屋となり、針製造人となり、それから朝鮮の方までも渡った。ある石蝋せきろうの会社にも雇われた。電池製造の技師ともなった。古着商ともなり、蝙蝠傘屋こうもりがさやともなった。その他自分で数えようとしても数え切ることの出来ないような種々様々の世渡りをして来たことが引き継ぎ引き継ぎ真勢さんの口から出て来た。
「そうそう、まだその外に煮染屋にしめやとなったこともある」
 と真勢さんは思出したように言って、そうした長い長い経験と、現に伊勢崎屋の店先へ来て腰掛けていることと、その間には何等のかかわりも無いかのような無造作な口調でもって話し聞かせた。
 この人の傍に、まだ捨吉は若々しい眼付をしながら腰掛けていた。彼が学校に居る時分に、一度この人の住居すまいを訪ねて見た時のことが胸に浮んだ。この人の蔵書が、古びた新約全書と、日本外史と、玉篇とであったことなぞをも思出した。
「そう言えば、僕は真勢さんに靴を造ってもらったことも有りましたね」
「そうそう築地の方に居る時分に」
 それは真勢さんが築地の方のある橋のたもとに小さな靴屋を開業していた頃のことだ。捨吉はまだ学校の制服を着始める頃であった。あの可成かなり無器用な感じのする編上げを一足造って貰った頃から、捨吉は真勢さんという人を知り始めたのだ。尤も、真勢さんが基督信徒の一人だということを知ったのはそれからずっと後のことであったが。
 周囲あたりは何時の間にかひっそりとして来た。一日の暑さに疲れて、そこここの棚の前にはしきりと船をいでいるものがある。帳場の側のところには出入の職人のかみさんが子供を背負おぶって遅くやって来て、出来ただけの箸箱でも金に替えて行こうとするのがある。新どんは唐物類の棚を片付け、その辺に腰掛けて居眠りしている善どんの鼻をつまんで置いて、扇子をパチパチ言わせながら捨吉の方へ来た。
「捨さん、いかがです」と新どんが若い気のいたお店者たなものらしい調子で言った。
「そろそろ店を仕舞うかな」と真勢さんも立って帳場の方を眺めた。
「寅どんがね、脚気かっけの気味だって弱ってますよ」と言って新どんは真勢さんを見た。
「寅どんが? そいつは不可いかんナ」と真勢さんも言った。
 入口に立った三人の眼はれたあしを気にしながら俯向勝うつむきがちに棚の前に腰掛けているような寅どんの方へ注がれた。
「なにしろこう暑くっちゃ、全くやりきれない」
 と言って扇子でふところへ風を入れている新どんに誘われながら、捨吉も一寸店の外まで息抜きに出た。
 明るい伊勢崎屋の入口から射した光が、早や人通りも少い往来の上に流れていた。捨吉は町の真中まで出て、胸一ぱいに大地の吐息を吸った。向うの暗い方から馳出かけだして来て、見ている前で戯れ合って、急に復た暗い方へ馳出して行く犬の群もあった。やがて三四時間もしたら白々と明けかかって来そうな短い夏の夜の空がそこにあった。


 小父さんも多忙いそがしかった。商法あきないの用事で横浜と東京の間をよく往来した。八月に入って、小父さんは東京の方の問屋廻りを兼ね、脚気の気味だという寅どんを大勝の御店おたなの方へ連れて行った。その帰りに、子息むすこの弘を留守宅の方から連れて来た。弘と一緒に、小父さんは飼犬のポチをも連れて来た。人懐こい弘が伊勢崎屋の小僧達の中に混って働いている捨吉を見つけた時は、
「兄さん」
 と言って、いきなり彼にかじりついた。


 心のかてにも、しばらく捨吉は有付かなかった。身体のいそがしい小父さんに帳場を譲られてから、彼は真勢さんと交代で売揚を記入する役廻りに当ったが、あの品物を幾干いくらで仕入れて幾干に売れば幾干もうかるというようなことに、ほとほと興味をてなかった。帳場はやぐらのように造られて、四本の柱の間にある小高い位置から店の入口の方まで見渡すことが出来た。生存の不思議さよ。あの学窓を離れて来る頃に、こうした帳場の前が彼を待受けようとはどうして予期し得られたろう。広々としたこの世の中へ出て行こうとする彼の心は、勢こんだ芽のようなものであったが、一歩ひとあし踏出すか踏出さないに、まるで日に打たれた若葉のようにしおれた。仮令たとえ僅かの暇でも、彼はそれを自分のものとして何か蘇生いきかえるような思をさせる時を欲しかった。
 偶然にも、ある機会が来た。丁度小父さんは留守だった。小父さんはお婆さんも独りでさびしかろうと言って、四五日横浜で遊ばせた弘を復た東京の方へ連れて戻った。ポチだけを残した。あの弘が黒い犬を随えながら、伊勢崎屋の店の内を、めずらしがる小僧達の間を、往ったり来たりする子供らしい姿はもう見られなかった。ふと、ある考えが捨吉の胸に来た。彼は内証で自分の風呂敷をほどいた。そして姉さんにも誰にも知れないように、折があったら読むつもりで東京から持って来たテインの英文学史を帳場の机の下に潜ませた。
「へえ、十六銭の箸箱が一つ」
 帳場のわきへ来て銭を置いて行く小僧がある。よし来たとばかりに捨吉はそれを帳面につけて置いて、やがてこッそりと机の下の書籍ほんを取出して見た。
 しばらく好きな書籍の顔も見ずに暮していた捨吉のえた心は、まるで水を吸う乾いたかめのようにその書籍の中へ浸みて行った。何という美しい知識が、何という豊富な観察が、何という驚くべき「生の批評」がそこにあったろう。捨吉はマアシュウ・アーノルドの「生の批評」と題した本を読んだことを思出して、その言葉を特にテインの文章に当嵌あてはめて見たかった。その英訳の文学史は前にも一度ざっと眼を通して、その時の感心した心持は菅にも話して聞かせたことがあった。捨吉は日頃心を引かれる英吉利イギリスの詩人等がテインのような名高い仏蘭西フランス人によって批評され、解剖され、叙述されることに殊の外の興味を覚えた。「人」というものに、それから環境というものに重きを置いた文学史を読むことも彼に取っては初めてと言って可い位だ。ある時代を、ある詩人によって代表させるような批評の方法にもひどく感心した。例えば、詩人バイロンに可成な行数を費して、それによって十九世紀の中のある時代を代表させてあるごとき。
 何時の間にか捨吉は小父さんの店へ手伝いに来た心を忘れた。一度読み出すと、なかなか途中では止められなかった。英訳ではあるが、バイロンの章の終のところで、捨吉は会心の文字に遭遇であった。
「彼は詩を捨てた。詩もまた彼を捨てた。彼は以太利イタリーの方へ出掛けて行った、そして死んだ」
 と繰返して見た。
 商法上の用事で横浜へ来たという捨吉の兄は夕方近く伊勢崎屋へ顔を見せた。兄は横浜へ来る度に、必ず寄った。小父さんの留守と聞いて、その日は店の手伝いをしたり、棚の飾りつけを見て廻ったりした。捨吉はこの兄にまで帳場の机の下をにらまれるほど、それほど我を忘れてもいなかった。
 いそがしい伊勢崎屋の夜がまたやって来た。ホッと思出したように蘇生いきかえるような溜息ためいきいて置いて、捨吉は帳場の右からも左からも集って来る店の売代うりしろを受取った。その金高と品物の名前とを一々帳面に書きとめた。兄は帳場の周囲を廻りに廻って、遅くまで留っていた。そろそろ皆が店を仕舞いかける頃になっても、まだ残っていた。
 一日の売揚の勘定が始まる頃には、真勢さんをはじめ、新どん、吉どんなどの主な若手が、各自めいめい算盤そろばんを手にして帳場の左右に集った。めずらしく兄もその仲間に入って、手伝い顔に燈火あかりのかげに立った。
 読み役の捨吉は自分でけた帳面をひろげて、競うような算盤の珠の音を聞きながら、その日の分を読み始めた。不慣な彼も、「七」の数を「なな」と発音し、「四」の数を「よん」とはねるぐらいのことはとっくに心得ていた。
「揚げましては――金三十三銭也。七十五銭也。八十銭也。一円と飛んで五銭也。二円也。七銭也。五銭也。四十銭也。六十銭也。五十銭也。五十銭也。同じく五十銭也。猶五十銭也。金一円也……」
「何だ、その読み方は」
 と兄は急に弟の読むのをさえぎった。捨吉はめったに見たことのない兄の怒を見た。
「そんな読み方があるもんか。ふざけないで読め」とまた兄が言った。
 捨吉は自分の方へ圧倒して来るような、あるおそろしい見えない力を感じた。真勢さんや新どん達の前で、自分に加えられた侮辱にも等しい忠告を感じた。
「僕は、ふざけてやしません」と言って、弟は兄の顔を見た。
「もっと、しっかり読め」と言う兄の声は震えた。
 少時間しばらくの沈黙の後で、復た捨吉は読みつづけた。彼は目上の人に対してと言うよりも、むしろ益のない自分の骨折に向って憤りと悲みとを寄せるような心で。
しめて」とやがて真勢さんが言出した。「私から読むか。九十五円二十一銭」
「九十三円二十銭」と新どんがそれを訂正するように言った。
「私のも」と吉どんがせた算盤を見せるようにして。
「あ、その方が本当だ。何処で私は間違えたか」と言って真勢さんは頭を掻いて、「捨さん、それじゃお願い。総計九十三円二十銭。今日はまあ中位の出来だ」
「や、皆さん、どうも御苦労さま」
 こう兄が言出すと、真勢さんも新どんも吉どんも同じように言い合った。夏の夜もけた。
 その晩、捨吉は何とも言って見ようのないような心持で、寝床の方へ行った。自分に不似合な奉公から離れて、何とかして延びて行くことを考えねば成らないと思った。


 薄暗い、天井の高い、伊勢崎屋の隣家となりの空いた土蔵の内で、捨吉は昼寝から覚めた。店の方に客足の絶える暑い午後の時を見計みはからって交代で寝に来ることを許される小僧達と一緒に、捨吉もそこへ自分の疲れた身体を投出したことは覚えているが、どのくらい眠ったかは知らなかった。
 朝起きるから夜寝るまでほとんど自分等の時というものを有たない店の人達はその許された昼寝の時をわずかに自分等のものとして、半分物置のようにしてあった土蔵の内に日中の夢をむさぼっていた。捨吉は眼を覚まして半ば身を起した。周囲あたりを見廻した。
「吉どん。御新造さんがもうお起きなさいッて」
 裏口づたいに寝ている人を揺り起しに来る房州出の下女もあった。
 こらえがたいあつさに蒸されて皆な死んだようにごろごろしている。魚のように口を開いて眠っているものがある。そこは伊勢崎屋と同じような雑貨店が以前営まれたと見え、塵埃ほこりたまったすみの方には帳場の跡らしいものも残っている。雑貨の飾られた棚の跡らしいものもある。閉めきった裏口の戸のところには古い造作の立てかけたのもある。芝居の楽屋でも見るように薄暗い床の上には荷造りに使うむしろを敷いて、その上で皆昼寝した。真勢さんまでも来て捨吉の側であおのけさまに倒れていた。
 呼起された吉どんは黙って土蔵を出て行った。続いて捨吉も出て行こうとした。もう九月らしい空気がその空屋の内までも通って来ていた。捨吉は裏口の方から僅かに射し入る熱い日の光を眺めて、ともかくもその一夏の間、皆なと一緒に手伝いして暮したことを思った。行きがけに、捨吉は真勢さんの方を振返って見た。「哲学者」と綽名のあるこの人は莚の上に高鼾たかいびきだ。若いものよりも反ってこの人の方がよく眠っているらしかった。
「さあ、今度は誰の番だ。善どんが寝る番だ」
「善どんはもう先刻さっき寝ましたよ。はばかりさま、今度は私の番ですよ」
 店の若いものは土蔵の裏口の黒い壁の側で、昼寝の順番を言い争っている。その間を通りぬけて、捨吉は勝手の方へ顔を洗いに行こうとすると、長い尖った舌を出しながら体躯からだ全体で熱苦しい呼吸いきをしているような飼犬のマルの通過ぎるのにも逢った。
 こうした周囲まわりの空気の中で、捨吉は待侘まちわびた手紙の返事を受取った。先輩の吉本さんからよこしてくれた返事だ。嬉しさのあまり、彼は伊勢崎屋の帳場の机の上で何度となくその手紙を繰返し読んで見た。不似合な奉公から、益のない骨折から、慣れない雑貨店の帳場から、暗い空虚な土蔵の内の昼寝から、僅かに出て行かれる一筋の細道がその手紙の中にあった。


 幾度いくたびか捨吉は小父さんの前に、吉本さんからの手紙を持出そうとした。そうしては躊躇ちゅうちょした。例のように捨吉が帳場の台の上に坐ってポツポツ売揚をつけていると、小父さんは団扇うちわづかいで奥の方から帳場の側へ肥った体躯からだを運んで来た。小父さんも機嫌きげんの好い時だった。第一、姉さんが素晴しい元気で、長煩ながわずらいの後の人とも思われないということは、小父さんがよくこぼしこぼしした、「よねの病気は十年の不作」を取返し得る時代に向いて来たかのようであった。おまけに店の評判はますます好い方だし、どうやら隣家となりの土蔵にも好い買手がついたと言うし、静岡からの新荷は景気よく着いたばかりの時だ。小父さんの笑声は一層快活に聞えた。
「小父さん、僕は御願いがあります」
 と捨吉は帳場の台の上から恩人の顔を見て言って、その時吉本さんからの手紙の意味を切出した。横浜を去って、自分の小さな生涯を始めて見たいと言出した。さしあたり翻訳の手伝いでもして見たいと言出した。それにはあの先輩の経営する雑誌社から月々九円ほどの報酬を出そうと言って来ているとも附添つけたして小父さんに話した。
「俺はまた、行く行くこの伊勢崎屋の店を貴様に任せるつもりでいたのに――」
 と小父さんはさも失望したらしい表情を見せて言った。
 しかし書生を愛する心の深いこの小父さんは一概に若いものの願いを退けようとはしなかった。何等の報酬を得ようでもなしに、唯小父さんの手伝いをするつもりで、その一夏の間働いた捨吉の心をも汲んでくれた。同時に、小父さんが手を替え品を替えしてその日まで教えて見せたことも、到底若い捨吉の心を引留めるには足りないことを悲しむようであった。
「へえ、捨吉にも九円取れるか」
 としまいには小父さんも笑って、彼の願いを許してくれた。
 恩人夫婦をはじめ、真勢さん、新どん、吉どん、その他馴染なじみを重ねた店の人達に別れを告げて、捨吉が横浜を去ろうとする頃は、大勝から手伝いに来た連中もそろそろ東京の空が恋しく成ったと言っていた。捨吉はしばらく逢わなかった菅や足立を見る楽みをもって東京の方へ帰って行った。捨吉の上京を促した吉本さんは名高い雑誌の主筆で、同時に高輪の浅見先生の先の奥さんが基礎をのこした麹町こうじまちの方の学校をも経営していた。吉本さんはかつて浅見先生の家塾に身を寄せていたこともあるという。捨吉に取ってのこの二先輩はそれほど深い縁故を有っていた。捨吉が初めて吉本さんに紹介されたのも、浅見先生の旧宅で、その頃の彼はまだ金釦のついた新調の制服を着ていた程の少年であった。
 麹町に住む吉本さんの家を指して、捨吉は田辺の留守宅の方から歩いて行った。自分で自分の小さな生涯を開拓するために初めての仕事を宛行あてがわれに訪ねて行く捨吉の身に取っては、はてしも無く広々とした世の中の方へ出て行こうとするその最初の日のようでもあった。彼は久松橋の下を流れる掘割について神田川の見えるところへ出、あの古着の店の並んだ河岸を小川町へと取り、今川小路いまがわこうじを折れ曲った町の中へ入って行った。京橋日本橋から芝の一区域へかけては眼をつぶっても歩かれるほど町々を暗記そらんじていた彼にも、もう神田へ入るとたまにしか歩いて見ない東京があった。九月下旬の日あたりは行く先の入組んだ町々を奥深くして見せていた。今川小路と九段坂の下との間を流れるよどみ濁った水も彼の眼についた。
 その日は麹町の住居に吉本さんを訪ねて見る初めての時でもあった。吉本さんは事務室用の大きなテエブルを閑静な日本間に置いて、椅子に腰掛けながら捨吉に逢ってくれた。翻訳の仕事も出してくれた。
嘉代かよさん」
 と主人が細君を呼ぶにも友達のように親しげなのは、基督教徒風の家庭の内部なか光景さまらしい。細君は束ねた髪に紅い薔薇ばらつぼみ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しているような人で、茶盆を持ってテエブルの側へ来た。その時吉本さんの紹介で、捨吉はこのバアネット女史の作物の訳者として世に知られた婦人をも初めて知った。


「恋愛は人生の秘鑰ひやくなり、恋愛ありて後、人世あり。恋愛をき去りたらむには人生何の色味しきみかあらむ。しかるに最も多く人世を観じ、最も多く人世の秘奥ひおうきわむるという詩人なる怪物の最も多く恋愛に罪業ざいごうを作るはそもそ如何いかなる理ぞ」
 これは捨吉が毎月匿名とくめいで翻訳を寄せている吉本さんの雑誌の中に見つけた文章の最初の文句だ。捨吉は最初の数行を読んで見たばかりで、もうその寄稿者がどういう人であるかを想像し始めずにはおられなかった。彼は薄い桃色の表紙のついたその雑誌の中を辿たどって見た。
「思想と恋愛とは仇讐あだなるか。いずくんぞ知らむ恋愛は思想を高潔ならしむる慈母なるを。エマルソン言えることあり、最も冷淡なる哲学者といえども恋愛の猛勢に駆られて逍遙しょうよう徘徊はいかいせし少壮なりし時の霊魂が負うたるおいめすまあたわずと。恋愛は各人の胸裡きょうりに一墨痕を印して外には見るべからざるも、終生まっすること能わざる者となすの奇蹟きせきなり。然れども恋愛は一見して卑陋ひろう暗黒なるが如くに、その実性の卑陋暗黒なる者にあらず。恋愛を有せざる者は春来ぬ間の樹立こだちの如く、何となく物寂しき位置に立つ者なり。しかして各人各個の人生の奥義おうぎの一端に入るを得るは恋愛の時期を通過しての後なるべし。それ恋愛は透明にして美の真を貫ぬく。恋愛あらざる内は、社会は一個の他人なるが如くに頓着とんじゃくあらず。恋愛ある後は物のあわれ、風物の光景ありさま、何となく仮を去って実に就き、隣家より吾家に移るが如く覚ゆるなれ」
 これほど大胆に物を言った青年わかものがその日までにあろうか。すくなくも自分等の言おうとして、まだ言い得ないでいることを、これほど大胆に言った人があろうか。捨吉は先ずこの文章にこもる強い力に心を引かれた。彼の癖として電気にでも触れるような深いかすかな身震いが彼の身内を通過ぎた。
合歓綢繆ごうがんちゅうびゅうを全うせざるもの詩家の常ながら、特に厭世えんせい詩家に多きを見て思うところなり。そもそも人間の生涯に思想なる者の発芽しきたるより、善美をねがうて醜悪を忌むは自然の理なり。しかして世に熟せず世の奥に貫かぬ心には、人生の不調子、不都合を見初める時に、初理想のはなは齟齬そごせるを感じ、想世界の風物何となく人を惨憺さんたんたらしむ。知識と経験とが相敵視し、妄想もうそうと実想とが相争闘する少年の頃に、浮世を怪訝かいが厭嫌えんけんするの情起りやすきは至当の者なりと言うべし。人生れながらにして義務を知る者ならず、人生れながらに徳義を知る者ならず、義務も徳義も双対的のものにして、社会を透視したる後『己れ』を明見したる後に始めて知り得べきものにして、義務徳義を弁ぜざる純樸なる少年の思想が始めて複雑解し難き社会の秘奥に接したる時に、誰かく厭世思想を胎生せざるを得んや。誠信をもって厭世思想に勝つことを得べし。然れども誠信なるものは真に難事にして、ポオロの如き大聖すら嗚呼ああわれ罪人なるかなと嘆じたることある程なれば、厭世の真相を知りたる人にしてこれに勝つ程の誠信あらん人は凡俗ならざるべし」
 読んで行くうちに、捨吉はこの文章を書いた人の精神上の経験が病的とも言いたいほど神経質に言葉と言葉の間に織り込まれてあるのを感じて来た。まだ初心な捨吉には何程の心の戦いから、これほどの文章が産れて来たかと言うことも出来なかった。
「菅君はどうだろう。もうこの雑誌を読んで見たろうか」
 と捨吉は自分で自分に言って見て、あの友達がまだ読まずであったら是非とも勧めたい。そして一緒にこういう文章を読んだ後の歓喜よろこびを分ちたいとさえ思った。
婚姻こんいんと死とはわずかに邦語を談ずるを得るの稚児ちじより、墳墓に近づくまで、人間の常に口にする所なりとは、エマルソンの至言なり。読本をふところにして校堂に上るの小児が他の少女に対して互いにおもてあこうすることも、仮名を便りに草紙そうし読む幼な心に既に恋愛の何物なるかを想像することも、皆なこれ人生の順序にして、正当に恋愛するは正当に世を辞し去ると同一の大法なるべけれ。恋愛によりて人は理想の聚合しゅうごうを得、婚姻によりて想界より実界にきんせられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。そもそも恋愛の始めは自らの意匠を愛するものにして、対手あいてなる女性は仮物かりものなれば、好しやその愛情ますます発達するとも、遂には狂愛より静愛に移るの時期あるべし。この静愛なるものは厭世詩家に取りて一の重荷なるが如くになりて、合歓の情あるいは中折するに至るはに惜しむ可きあまりならずや。バイロンが英国を去る時の詠歌の中に『誰か情婦又は正妻のかこちごとや空涙そらなみだ真事まこととして受くる愚を学ばむ』と言出でけむも、実に厭世家の心事を暴露ばくろせるものなるべし。同じ作家の『婦人に寄語す』と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国に於いてすら、くの如き放言を吐きし詩家の胸奥をうかがうに足るべきなり。嗚呼ああ不幸なるは女性かな。厭世詩家の前に優美高尚を代表すると同時に、醜穢しゅうえなる俗界の通弁となりてその嘲罵ちょうばするところとなり、その冷遇するところとなり、終生涙を飲んで寝ての夢覚めての夢に郎を思い郎を恨んで、遂にその愁殺するところとなるぞうたてけれ。恋人の破綻はたんして相別れたるは双方に永久の冬夜を賦与したるが如しとバイロンは自白せり」
 読めば読むほど若い捨吉は青木が書いたものの中にこも稀有けうな情熱に動かされた。田辺の留守宅では、捨吉は今までのような玄関番としても取扱われないように成った。仮令たとえ僅かでも食費を入れ始めた為に、留守を預るおばあさんから玄関の次の茶の間を貸し与えられた。その四畳半で彼はこの文章を読んだ。雑誌の主筆なる吉本さんに頼んで何時かはこの文章を書いた青木という人に逢いたいと思った。その人を見たいと思った。そしてその人の容貌や年齢や経歴を書いたものによっていろいろさまざまに想像して見た。


 延びよう延びようとしてもまだ延びられない、自分の内部なかから芽ぐんで来るもののために胸をされるような心持で、捨吉はよく吉本さんの家の方へ翻訳の仕事をけてもらいに通って行った。その日まで彼が心に待受け、また待受けつつあるものと、現に一歩ひとあし踏出して見たこの世の中とは、何程の隔りのものとも測り知ることが出来なかった。何時来るとも知れないような遠い先の方にある春。唯それを翹望ぎょうぼうする心から、せっせと怠らず仕度しつつあった彼のような青年に取っては、ほんとうに自分の生命いのちの延びて行かれる日が待遠しかった。
 その心から、捨吉は自分の関係し始めた雑誌の中に青木という人を見つけた。その心から、捨吉は堅い地べたを破って出て来た青木の若々しさを尊いものに思った。青木のように早い春を実現し得たものはすくなくも捨吉の眼には見当らなかった。
 逢って見た青木は、思ったよりも書生流儀な心易い調子で、初対面の捨吉をつかまえて、いきなりその時代の事を言い出すような人であった。麹町こうじまちの吉本さんの家で、例の応接間の大きなテエブルの前で、捨吉は自分の前に腰掛けながら話す四つか五つばかりも年長としうえな青木を見た。男らしいまゆの間に大人びた神経質の溢れているのを眺めたばかりでも、早くからいろいろなところを通越して来たらしいその閲歴の複雑さが思われる。捨吉の心を引いたものは殊に青木の眼だ。その深いひとみの底には何が燃えているかと思わせるような光のある眼だ。何よりも先ず捨吉はその眼に心を傾けた。
 青木と捨吉との交際はその日から始まった。好いものでありさえすれば仮令たとえいかなる人の有っているものでも、それを受納うけいれるに躊躇ちゅうちょしなかったほど、それほど心のかわいていた捨吉は、この新しい交りがひろげて見せてくれる世界の方へぐんぐん入って行った。曽て彼が銀座の田辺の家の方から通って行った数寄屋橋側すきやばしわきの赤煉瓦の小学校の建築物たてものは、青木も矢張少年時代を送ったというその同じ校舎であることが分って来た。姓の違う青木の弟という人と、彼とは、その学窓での遊び友達であったことが分って来た。あの幼い日からの記憶のある弥左衛門やざえもん町の角の煙草屋が青木の母親の住む家であることも分って来た。バイロンの「マンフレッド」に胚胎はいたいしたという青木が処女作の劇詩は、その煙草屋の二階で書いたものであることも分って来た。
 そればかりでは無い。捨吉は自分の二人の友達にまでこの新しい知人を見つけた喜悦よろこびを分けずにいられなかった。とりあえず菅に青木を引合せた。青木と菅と捨吉との三人は、こうして互いに往来ゆききするように成って行った。
 築地に菅を見るために、捨吉は田辺の留守宅を出た。あの友達の家へ訪ねて行くと、きまりで女の児が玄関へ顔を出す。そして捨吉を見覚えていて、
「時ちゃんのお友達」
 と呼ぶ。この女の児の呼声がもう菅の家らしかった。
「君、祖母おばあさんに逢ってくれたまえ」
 と菅が言って、それから捨吉を茶の間の横手にある部屋の方へ誘って行った。捨吉が友達と対い合って坐っているところから、眉の長い年とった祖母さんを中心にしたような家庭の内の光景さまがよく見える。菅の伯母さんとか従姉妹いとことかいうような人達が、かわるがわる茶の間を出たり入ったりしている。そういう多勢の女の親戚の中で、菅が皆から力と頼まるる唯一人の男性おとこであるということもよく想像せられた。
 捨吉は菅を誘って青木の家を訪ねるつもりであった。その時菅は高輪の学校を卒業する頃に撮った写真を取出して、捨吉と一緒にあの学窓をしのぼうとした。四年も暮した学窓は何と言っても二人になつかしかった。その写真の中には、菅、足立、捨吉の外に、もう一人の学友がいずれも単衣ひとえものに兵児帯へこおびを巻きつけ、書生然とした容子ようすに撮れていた。
 菅は、膝の上に手を置き腰掛けながら写っている足立の姿を捨吉と一緒に見て、
「僕の家に下宿してる朝鮮の名士が、この中で一番足立君をめたっけ。この人は出世しそうだ、そう言ったっけ。見給え、この写真には僕も随分面白く撮れてるじゃないか――まるで僕の容子は山賊だね」と濃い眉を動かして笑った。
 菅が自から評して「山賊」と言ったのは、捨吉自身の写真姿の方に一層よく当嵌あてはまるように思われた。捨吉は友達の言葉をそのまま自分の上に移して、「まるでこの髪は百日鬘ひゃくにちかずらだ」とも言いたかった。我ながら憂鬱な髪。じっと物を見つめているような狂人きちがいじみた眼。長いこと沈黙に沈黙を重ねて来た自分の懊悩おうのうが自然とその写真にまで上ったかと思うと、捨吉は自分で自分の苦んだ映像を見るさえいとわしかった。


 菅の家へ来て見るたびに、捨吉には自分とこの学友との間の家庭の空気の相違が眼についた。下町風な生活のかわりに、ここに女の手ばかりでささえらるる家族的な下宿がある。アーメン嫌いな人達のかわりに、ここにはこぞって基督教に帰依きえする一家族がある。菅の話の中には、ある女学校の舎監を勤めるという一人の叔母さんのうわさもよく出て来る。菅の多くの従姉妹の中には東京や横浜のミッション・スクウルを既に卒業したものもあり、まだ寄宿舎の方で学んでいるものもある。菅の周囲には、これほど女が多かった。又た基督教に縁故が深かった。ここでは聖書を隠して置くような必要が無い。ここでは人知れずささげる祈祷でなくて、叔母さんから子供まで一緒にする感謝である。クリスチャンとしての菅の信仰が何となく自然なのもいわれのあることだ、と捨吉は思った。捨吉はまた、厳格な田辺のおばあさん達の許で育てられた自分と、可成大きくなるまで従姉妹と一緒に平気で寝たという友達との相違を思って見た。
 友達を誘って、捨吉は一緒にその築地の家を出ようとした。
「時ちゃん、お出掛け?」
 従姉妹の一人が玄関のところへ来て声を掛けた。
「ああ、青木君のところまで」
 と、菅は出掛けに答えた。多勢いる女の児はかわるがわる玄関までのぞきに来た。
 高輪東禅寺の境内にある青木の寓居ぐうきょを指して、捨吉は菅と連立って出掛けた。
「青木君なんかですら、西洋人の手伝いでもしなけりゃ、やって行かれないのかねえ」
 と、途中で友達に言って見た。菅も並んで町を歩きながら、
「何だか青木君もいろいろなことをやってるようだね。普連土フレンド教会で出す雑誌の編輯へんしゅうなぞまでやってるようだね」
 こういう友達と一緒に、捨吉は薄暗い世界を辿たどる気がした。若いものを恵むような温暖あたたかい光はまだ何処からも射して来ていなかった。ほんとに、皆な揃って進んで行かれるような日は何時のことか、とさえ思われた。
 二人揃ってもとの学窓から遠くない高輪の方面へ青木を訪ねて行くということを楽みながら、捨吉はあの年長としうえな新しい友達の複雑な閲歴なぞを想像して歩いて行った。青木はもう世帯持だ。あの男は何もかも早い。結婚までも早い。それにしても青木等の早い結婚は、どんな風にして結ばれたのであろう。く想像すると、捨吉は自分の若い心に、あの男の書いたものに発見する恋愛観――おそらくまれに見るほどの激情に富んだ恋愛観とその早い結婚とを結びつけて考えずにはいられなかった。東禅寺の境内に入って、いくつかある古い僧坊の一つを訪ねると、そこが青木の仕切って借りている寓居だ。何となくひっそりとした部屋の内で、青木が出て来て、「僕のところでも子供が生れた」というところへ捨吉等は行き合せた。
みさお
 と、青木が他の部屋の方へ細君を見に行くらしい声がする。「嘉代さん、嘉代さん」と細君のことを親しげに呼ぶ吉本さんの家庭を見た眼でこの青木の寓居を見ると、そうした気質に反抗するようなものがここにはあって、それがまたいじらしく捨吉の眼に映った。ここでは細君も呼捨てだ。青木の細君は客のあることを聞いて、赤児と共にこもっていた部屋の方で、いろいろと気を揉むらしい気色けはいがした。
「女の児が生れた――僕も初めて父親おやじと成って見た――鶴という名をけたが、どうだろう」
 話好きな青木は菅や捨吉を前に置いて、書生流儀にいろいろなことを話し始めた。側にある刻煙草の袋を引寄せ、それを鉈豆なたまめ煙管きせるにつめてみ喫み話した。菅も捨吉もまだ煙草を喫まなかった。
「菅君は好い」
 と、青木が言出した。話したいと思うことの前には、時も場合も無いかのように、それを言出した。


 こう三人一緒に成って見ると、もう一人の学友――青木と幾つも年の違いそうもないあの足立をここに加えたならば、とそう捨吉は思った。平素ふだんから静和な感じのする菅がここで見ると一層その静和な感じのするばかりでなく、二人で面と対って話している時にはそれほどにも気のつかないような人好きのする性質を、捨吉は側にいる菅に見つけ得るようにも思った。
「菅君は好い」と復た青木が自分で自分の激し易く感じ易い性質をいたむかのように言った。「ほんとに、僕なぞは冷汗の出るようなことばかりやって来た」
「全く、菅君は好いよ」と捨吉も言って見た。
「何だか僕ばかり好人物になるようだね」と菅が笑った。
「なにしろ君、僕なぞは十四の年に政治演説をやるような少年だったからね」と青木は半分自分をあざけるように言出した。
 この青木の話を聞いている中に、もう長いこと忘れていてめったに思出しもしなかった捨吉自身の少年の日の記憶が引出されて行った。曽ては捨吉の周囲にもさかんな政治熱に浮かされた幾多の青年の群があった。彼は田辺の小父さん自身ですら熱心な改進党員の一人であったことを思出した。鸚鳴社おうめいしゃの機関雑誌、その他政治上の思想を喚起し鼓吹するような雑誌や小冊子が彼の手の届き易い以前の田辺の家の方にあったことを思出した。何時の間にか彼もそれらの政治雑誌を愛読し、どうかすると「子供がそんなものを読むものでは無い」と言って心配してくれる年長としうえの人達のある中で、それらの人達に隠れてまでも読みふけって、あの当時の論争が少年としての自分の胸の血潮を波打つようにさせたことを思出した。そればかりではない、高輪の学窓に身を置いた当座まで、あの貧しいジスレイリをうらやむような心が、未来の政治的生涯を夢みるような心が自分の上に続いたことを思出した。
「青木君にもそういう時代があったかなあ」
 と、捨吉は自分に言って見て、今では全く別の道を歩いているような青木の顔を眺めた。


 ともかくも産後の細君は部屋に籠っている時でもあり、復た出直してゆっくり来ることにして菅と捨吉の二人はあまり長いこと邪魔すまいとした。その秋鎌倉へ行ったという青木の話なぞを聞いて、やがて二人は辞し去ろうとした。青木は鎌倉の方で得て来た詩想から、すべての秋のかなしみを思って、何かそれを適当な形に盛って見たいと言っていた。
「まあ、いいじゃないか。もっと話して行ってくれたまえ」
 と言って、青木は寺の外まで二人にいて来た。
きちがいになった女が毎晩この辺をうろうろする。なんでも君、貧に迫って自分の子供を殺したんだそうだ。僕はその話を按摩あんまから聞いた……実際住んで見ると、いろいろなことが出て来るね……住み憂くない場所というものは全く少いものだね……」
 こんな話をしながら青木は町の角までも随いて来た。
 青木に別れた後の捨吉はそのまま菅とも別れて直ぐに家の方へ帰りたくなかった。長い品川の通りをふだつじの方へ歩いて、二人して何か物食う場所を探した。長いこと沈鬱な心境を辿り、懊悩と煩悶はんもんとの月日を送って来た捨吉には、齷齪あくせくとした自分を嘲り笑いたいような心が起って来た。厳粛な宗教生活を送った人達の生涯を慕うそばから、自分の内部なかきざして来るきちがいじみたものを、自らほしいままにしようとしてしかもそれが出来ずに苦しんでいるようなものをどうすることも出来ないような心が起って来た。何かこう酒の香気においでもいで見たら、という心さえ起って来た。この心は捨吉を驚かした。彼はまだ一度も酒というものを飲んで見たことが無かったから。
 こうした初心うぶなものの食慾を満すような場処は、探すに造作もなかった。ある蕎麦屋そばやで事が足りた。
「菅君、お酒を一つあつらえて見ようかと思うんだが、賛成しないか」
 腰掛けても坐っても飲食のみくいすることの出来る気楽な部屋の片隅に、捨吉は友達と差向いに座を占めて言った。
「お銚子ちょうしをつけますか」
 と、姉さんがそこへ来ていた。
「君、二人で一本なんて、そんなに飲めるかい」
 と言って菅は笑った。そういう友達はもとよりさかずきなぞを手にしたことも無い人だ。言い出した捨吉はまた、何程誂えて可いかということもよく分らなかった。一合の酒でも二人には多過ぎると思われた。
 捨吉は手を揉んで、
「じゃ、まあ、五勺にしとこう」
 この捨吉の「五勺にしとこう」がそこに居る姉さんばかりでなく、帳場の方に居るものまでも笑わせた。
 五勺誂えた客は簡単に飲食のみくいされるものがそこへ運ばれて来るのを待った。
「青木君も君、交際つきあって見るとなかなか面白い人だろう」と捨吉は青木の噂をして、「この前、僕が訪ねて行った時は女の人も来ていてね、三人であのお寺の裏の方の広い墓地へ行って話した。その女の人は結婚の話の相談にでも来ていたらしい。断ろうか、断るまいか、という容子をしてね。古いこけの生えた墓石に腰を掛けて、じっと考え込んでいたあの女の人の容子が、まだ眼についてるようだ……一体、青木君には物にかまわないようなところが有るね。あそこが僕等は面白いと思うんだけれども……」
「とにかく、変ってるね」
「あそこが面白いじゃないか。奇人という風に世の中から見られるのは可哀そうだ。誰かそんな評をしたと見えて、青木君がしきりに気にしていたっけ――『僕も奇人とは言われたくない』ッて」
 こんな話をしているところへ、誂えたものが運ばれて来た。捨吉は急にかしこまって、小さな猪口ちょくを友達の前に置いた。ぷんと香気においのして来るような熱燗あつかんを注いで勧めた。一口めて見たばかりの菅はもう顔をしかめてしまった。
「生れて初めて飲んで見るか」
 と、捨吉も笑いながら、苦い苦い酒を含んで見た。咽喉のどを流れて行った熱いやつははらわたの底の方まで浸み渡るような気がした。
 菅は快活に笑って、
「青木君で僕が感心したのは――僕もあのお寺は初めてじゃないからね――ホラ、若い書生のような人があのお寺に居たろう。あの人が僕に話したよ。自分はもうこの世の中に用の無いような人間だ、青木君なればこそ自分のようなヤクザなものを捨てないでこうして三度の飯を分けてくれるんだッて――ね。ああいう人を世話するところが青木君だね」
 こうした噂が尽きなかった。
 わずか一つか二つ乾した猪口で二人とも紅くなってしまった。
「何だか頬辺ほっぺたほてって来たような気がする」
 と言って、やがて友達と一緒に帰りかけた頃は、捨吉の心は余計に沈んでしまった。


 青木はよく引越して歩いた。高輪から麻布へ。麻布から芝の公園へ。その度に捨吉は何かしら味のある言葉を書き添えた葉書を田辺の家の方で受取った。捨吉が日頃愛読する英吉利イギリスの詩人の書いたものの中から、あるいは抄訳を試みたりあるいは評釈を試みたりして、それを吉本さんの雑誌に寄せる度に、青木からは友愛の情のこもった手紙や葉書をくれた。青木が芝の公園内へ引移る頃には短い月日の交際とも思われないほど、捨吉はこの年長としうえの友達に親しみを増して行った。
 ある日、捨吉は新しい住居すまいの方に青木を見ようとして出掛けて行った。その時の彼は吉本さんが彼の為に心配してくれた新規な仕事に就いて、一小報告をももたらして行った。
 早い春の陽気は復ためぐって来ていた。温暖あたたかい雨は既に一度か二度通過ぎた後であった。霜の溶けた跡にあらわれた土を踏んで行って、捨吉は芝の公園内から飯倉いいくらの方へ降りようとする細い坂道のところへ出た。都会としては割合に高燥こうそうな土地に、林の中とも言いたいほど樹木の多いところに、青木の新居を見つけた。岡の傾斜に添うて一軒の隠れた平屋があって、まだ枯々とした樹木の枝はどうかすると軒先に届くほど延びて来ていた。
 青木はようやく自分の気に入った家が見つかったという顔付で捨吉を迎えた。狭くはあるが窓の明るい小部屋でも、古くはあるが草庵のような静かさを有った屋根の下でも、皆捨吉に見せたいという顔付で。
「今日は君も好いところへ来てくれた。操の奴が子供を連れて実家さとの方へ行ったもんだから、お婆さんと僕とでお留守さ」と青木は捨吉の前に坐って言った。
 親類のお婆さんという人はそこへ茶なぞを持運んで来てくれた。
「子供が居ないと、矢張やっぱし寂しいね」
 と、復た青木がそこいらを見廻しながら言った。
 心の置けない青年同士の話がそれから始まった。逢う度に青木は自分の有つ世界を捨吉の前にひろげて見せた。
「僕はこれで真実ほんとに弱い人間だ、小さな虫一つ殺しても気になる」とか、「僕には友達というものは極く少い、しかしそう沢山な友達を欲しいとも思わない」とか、「僕は単なる詩人でありたくない、thinker と呼ばれたい」とか、そういう言葉が雑談の間に混って青木の口から引継ぎ引継ぎ出て来た。沈思そのものとでも言いたいような青木は、まるで考えることを仕事にでもしている人物のように捨吉の眼に映った。
「時に、僕は吉本さんの学校の方へ、教えに行くことに成った――ほんのお手伝いのようなものだがね」
 と、捨吉が言出した。
「四月から教えに行く。出来るか出来ないか知らないが、まあ僕もやって見る」
 とも附加つけたした。
 その時、青木は捨吉に見せたいものが有ると言って、窓のある小部屋の方からナイトの注釈をしたシェクスピア全集を、幾冊かある大きな本を重そうに持って来た。欲しい欲しいと思って漸く横浜の方で探して来たとも言い、八円か出して手に入れたとも言うその古本を捨吉の前に置いた。それを置きながら、
「へえ、君が教えに行くとは面白い。随分若い先生が出来たものだね」
 と、青木は戯れるように言って笑った。


 小半日、青木は捨吉を引留めて、時には芸術や宗教を語り、時には苦しい世帯持の話をしたり、世に時めく人達の噂なぞもして、捨吉をして帰る時を忘れさせた。ある禅僧の語録で古本屋から見つけて来たという古本までも青木は取出して来て、それを捨吉に読んで聞かせた。青木は声を揚げて心ゆくばかり読んだ。
 堅く閉塞とじふさがったような心持を胸の底に持った捨吉は、時には青木に随いてうちの外へ出て見た。どういう人が住んだ跡か、裏の方には僅かばかりのはたけを造った地所もある。荒れるに任せたその土には早や頭を持上げる草の芽も見られる。
「ホラ、君が来てくれた高輪の家ねえ。あそこは細君に相談なしに引越しちゃった――あの時はひどく怒られたっけ」
「青木君、山羊やぎはどうしたね。麻布の家には山羊が二匹居たね」
「あの山羊じゃもうさんざんな目に逢った。山羊は失敗さ」
 話し話し二人は家の周囲まわりを歩いて見た。
「でも、一頃から見ると温暖あたたかに成ったね」
「もうこの谷へはさかんにうぐいすが来る」
 枯々とした樹木の間から見えるやぶの多い浅い谷底の方はまだ冬の足迹あしあとをとどめていたが、谷の向うには、薄青く煙った空気を通して丘つづきの地勢を成した麻布の一部がかすむように望まれた。藪のかげではしきりに鶯のく声もした。春は近づいて来ていた。
 耳の遠い、腰の曲った青木の親戚のお婆さんは夕飯を用意して捨吉を待受けていてくれた。味噌汁みそしるか何かの簡単な馳走でも、そこであじわうものは楽しかった。
 四月から始める新規な仕事、麹町の方にある吉本さんの学校のことなぞを胸に描きながら、捨吉はこの青木の住居を出て、田辺の家の方へ戻って行った。青木の許へ捨吉が齎して行った一身上の報告は田辺のお婆さんをも悦ばせた。独りで東京の留守宅を引受けるほどのお婆さんは、六畳の茶の間を勉強部屋として捨吉に宛行あてがうほどのお婆さんは、最早もはや捨吉を子供扱いにはしなかった。これから捨吉が教えに行こうとする麹町の学校は高輪の浅見先生の先の細君がいしずえを遺して死んだその形見の事業であるということなぞを聞取った後で、一語ひとこと、お婆さんは捨吉の気に成るようなことを言った。
「女の子を教えるというのが、あたいは少し気に入らない」
 女の子――それは捨吉に取っても長いこと触れることを好まなかった問題だ。無関心を続けて来た問題だ――無関心はおろか、一種の軽蔑けいべつをもってむかって来た問題だ。
 深い感動として残っていた心の壁の画が捨吉の胸に喚起よびおこされた。再び近づくまいと堅く心に誓っていた繁子――坂道――日のあたった草――意外なめぐりあい――白い肩掛に身を包み無言のまま通過ぎて行った車上の人――一切を捨吉はありありと自分の胸に喚起すことが出来た。過ぎし日のはかなさ味気なさをつくづく思い知るように成ったのも、実にあの繁子からであった。忘れようとして忘れることの出来ない羞恥はじ苦痛くるしみ疑惑うたがい悲哀かなしみとは青年男女の交際から起って来た。何等の心のわだかまりも無しに、どうしてこの捨吉がもう一度「女の子」の世界の方へ近づいて行くことが出来よう。
 麹町の学校での捨吉の受持は、英語、英文学の初歩なぞであった。届いた田辺のお婆さんが捨吉のために学校通いの羽織、はかまを用意してくれる頃は、一度淡い春の雪も来た。小父さんは横浜の店の方から、捨吉の兄は大川端の下宿から、真勢さんはまた東京の方の勤めに戻ることに成ったという大勝のお店から、いずれも問屋廻りや用達ようたしついでたまに見廻りに来る位のもので、その他はしんかんとした留守宅の庭も、庭の樹木も、一度あの白い綿のような雪で埋められたかと思うと、一晩のうちにそれが溶けて行って、新しい生命いのちの芽が余計にその後へあらわれて来た。おッつけもうその庭も花と若葉の世界に変ろうとしていた時だ。時々屋根の上を通過ぎる温暖あたたかい雨の音を聞きながら、捨吉は四月の来るのを待った。

十一


 四月が来た。しばらく聞かなかった学校らしい鐘の音が復た捨吉の耳に響いて来た。初めて見る教員室の前から、二階の教室の方へ通う階段の下あたりへかけて、長い廊下の間は思い思いに娘らしい髪を束ね競って新しい教育を受けようとしているような生徒等のさわやかな生気で満たされた。その中には教師としての捨吉と同年配ぐらいな生徒があるばかりでなく、どうかすると年長としうえに見える生徒すらもあった。彼は早や右からも左からも集って来る沢山な若い人達に囲繞とりまかれた。
 そこが麹町の学校だ。相変らず捨吉は黙し勝ちに、知らない人達の中へ入って行った。中庭に面した教員室で、彼は男女の教師仲間に紹介された。すこし癖はあるが長めにした光沢つやの好い頭髪かみかまわず掻揚かきあげているような男の教師の前へも行って立った。
「岡見君です」
 と吉本さんが捨吉に紹介した。
 この人が青木と並んで、吉本さんの雑誌にさかんに特色のある文章を書いている岡見だ。初めて逢った岡見には、良家に生れた人でなければ見られないような慇懃いんぎん鷹揚おうような神経質があった。岡見は青木よりも更に年長らしいが、でもまだ若々しく、直ぐにも親しめそうな人のように捨吉の眼に映った。


 捨吉は田辺の留守宅から牛込うしごめの方に見つけた下宿に移った。麹町の学校へ通うには、恩人の家からではすこし遠過ぎたので。それに田辺の姉さんは横浜の店の方から激しく働いたからだを休めに帰って来ていたし、お婆さんの側には国許くにもとから呼び迎えられた田辺の親戚の娘も来て掛っていたし、留守宅とは言っても可成かなり賑かで、必ずしも捨吉の玄関番を要しなかったから。
 牛込の下宿は坂になった閑静な町の中途にあって、吉本さんと親しい交りのあるというある市会議員の細君の手で経営せられていた。この細君は吉本さん崇拝と言っても可いほどあの先輩に心服している婦人の一人であった。したがってその下宿にも親切に基いた一種の主義があって、普通の下宿から見るといくらか窮屈ではあったが――例えば知らないもの同志互いに同じ食卓に集るというごとき――しかし慣れて見れば割合に楽しく暮すことが出来た。そこには庭伝いに往来することの出来るいくつかの離れた座敷もあった。貧しくて若い捨吉は、あだかも古巣を離れた小鳥のように恩人の家から離れて来て、初めてそこに小さいながらも自分の巣を見つけた。彼が自分を延ばして行くということの為には、糊口くちすぎから考えて掛らねば成らなかった。そのためには僅かな学問を資本もとでにして、多くの他の青年がまだ親がかりで専心に勉強しているような年頃から、田辺のお婆さんの言う「女の子」を教えに行くような辛い思を忍ばなければ成らなかった。
 しかし沈んだ心の底に燃える学芸の愛慕は捨吉をしてこうした一切のことを忘れさせた。彼は自分の力に出来るだけのことをして、そのかたわら独りで学ぼうと志した。そのためには年長の生徒でも何でもおそれず臆せず教えようとした。教える相手の生徒がいずれも若い女であるとは言え、それが何だ、と彼は思った。彼は何物にもわずらわされることなしに、踏出した一筋の細道を辿り進もうと願っていた。
 牛込の下宿から麹町の学校までは、歩いて通うに丁度好いほどの距離にあった。崩壊された見付の跡らしい古い石垣に添うて、ほりの土手の上に登ると、芝草の間に長く続いた小径こみち見出みいだされる。その小径は捨吉の好きな通路みちであった。そこには楽しい松の樹蔭が多かった。小高い位置にある城郭の名残から濠を越して向うに見える樹木の多いいちの地勢の眺望は一層その通路を楽しくした。あわただしい春のあゆみは早や花より若葉へと急ぎつつある時だった。捨吉は眼前めのまえに望み見る若葉の世界をやがて自分の心の景色としてながめながら歩いて行くことも出来るような気がした。そこに青木がある、ここに菅がある、足立がある、と数えることが出来た。吉本さんに紹介された岡見というような人まで、彼の眼界にあらわれて来た。一日は一日より狭い彼の心が押しひろげられて行くようにも感じられた。
 その土手の上の小径こみちで、捨吉は自分の通って行く麹町の学校を胸に描いて見ることもあった。彼は吉本さんの雑誌を通して、ほぼあの学校を自分の胸に浮べることが出来るように思った。雑誌の中に出て来ることも、いろいろだ。一方にプロテスタントの精神の鼓吹があり、一方に暗い中世紀の武道というようなものの紹介がある。一方に矯風きょうふうと慈善の事業が説きすすめられ、孤児と白痴の教育や救済が叫ばれているかと思えば、一方にはまた眼前の事象に相関しないような高踏的な文字が並べられている。丁度あの雑誌の中に現われていたものは、そのまま学校の方にも宛嵌あてはめて見ることが出来た。こうした意気込の強い、雑駁ざっぱくな学問の空気の中が、捨吉の胸に浮んで来る麹町の学校だった。すべてが試みだ。そして、それがまた当時にける最も進んだ女の学問する場所の一つであった。およそ女性の改善と発達とに益があると思われるようなことなら、仮令たとえいかなる時代といかなる国との産物とを問わず、それを実際の教育に試みようとしていることが想像せられた。
 麹町の方まで歩いて、ある静かな町の角へ出ると、古い屋敷跡を改築したような建築物たてものがある。その建築物の往来に接した部分は幾棟かに仕切られて、雑貨をひさぐ店がそこにある。角には酒屋もある。店と店の間に挾まれて硝子戸ガラスどはまった雑誌社がある。吉本さんの雑誌はそこで発行されている。こうした町つづきの外郭の建築物は内部に隠れたものを囲繞とりまきながら、あだかも全体の設計としての一部を形造っているように見える。二つある門の一つをくぐって内側の昇降口のところへ行くと、女の小使が来て捨吉に上草履を勧めてくれる。その屋根の下に、捨吉は新参でしかも最も年少な教師としての自分を見つけたのであった。
 時間の都合で、捨吉は独り教員室に居残るような折もあった。そういう折には、彼はあちこちと室内を歩き廻って見た。硝子窓に近く行くと、静かな中庭が直ぐその窓の外にある。中庭を隔てて平屋造りの寄宿舎の廊下が見える。その廊下に接して、住宅風な一棟の西洋館の窓も見える。硝子越しに映る濃い海老茶色えびちゃいろの窓掛も何となく女の人の住む深い窓らしかった。
 吉本さんの蔵書の一部も教員室の内を飾っていた。捨吉はその書棚の前へも行って立って見た。あの先輩の好みでかずかずの著者の名を集めた書籍の中には、古びた紙表紙の五巻ばかりの洋書も並べてあった。
「ラスキンが出て来た」
 と捨吉は思いがけないものをその書棚に見つけたように言って見た。種々いろいろな経営にいそがしいあの吉本さんにも、こうした「モダアン・ペインタアス」なぞをひもとこうとした静かな時があったであろうかと想像して見た。
 装飾としても好ましい、古く手摺てずれてかえって雅致のある色彩を集めた書棚の前を往ったり来たりして見るついでに、捨吉は教員室の入口に近い壁のところへも行って立って見た。その壁の上には、丁度立って眺めるに好いほどの位置に、学年の終ごとに撮ったらしい職員生徒一同の写真の額が並べて掛けてあった。捨吉が受持の二組ばかりの生徒はその学校の普通科を卒えたものばかりで、いずれも普通科卒業の記念の写真の中に見出すことが出来た。彼はよく壁に掛った額の前に立って、若草のような人達の面影に眺め入った。


 一学期も終ろうとする頃までには捨吉は大分自分の新しい周囲に慣れて来た。ある日曜に、彼は田辺の家の人達を見に行かないで、麹町の方で時を送ろうとしていた。学校からさ程遠くない位置にある会堂へ行って腰掛けた。
 かつ空虚うつろのように捨吉の眼に映った天井の下、正面にアーチの形を描いた白壁、十字を彫刻きざんだ木製の説教台、厚い新旧約全書の金縁の光輝ひかり、それらのものがもう一度彼の眼にあった。復た彼は会堂の空気に親もうとして、教会員としての籍を高輪から麹町に移したが、しかし吉本さんの家族や雑誌社の連中を除いてはその教会での馴染なじみも極く薄かった。彼は会堂風な高い窓に近い席の一つをえらんで後の方に黙然もくねんと腰掛けた。いくつとなく眼前めのまえに置並べてある長い腰掛の並行した線は過去った高輪教会時代の記憶を、あの牧師としての浅見先生の前に立って信徒として守るべき箇条を読み聞かせられた受洗の日の記憶を、彼の胸に喚起よびおこした。
 二つある扉の入口から男女の信徒等が詰掛けて来た。その中に混って三四人の女学生が連立って入って来た。見ると捨吉が教えている生徒だ。名高い牧師の説教におくれまいとして急いで来たらしいその容子ようすや、向うの腰掛と腰掛の間を人に会釈しつつ婦人席の方へ通ろうとする改ったようなその顔付は、捨吉の居るところからよく見えた。数ある若い人の中でも、語学の稽古けいこを受けに来た最初の日からがっしりとした体格と力のある額つきの眼についた磯子いそこという生徒が歩いて行った。その後から、あだかも姉に添う妹のようにして静かに歩いて行ったのが勝子という生徒だ。
 勝子は二つある組の下級の生徒で、磯子よりは年少とししたらしいが、でも捨吉と同じくらいの年頃に見えた。処女おとめのさかりを思わせるようなその束ねた髪と、柔かでしかも豊かな肩のあたりの後姿とは、言いあらわしがたい女らしさを彼女に与えた。一学期の間の成績から押して見ると、いかなる学課も人に劣るまいとするような気象の勝った生徒ではないらしかった。どちらかと言えば学問は出来ない方だ。女としての末頼もしさと、無器用とが、彼女にはほとんど同時にあった。
 この生徒等は会堂にある風琴オルガンの近くに席を占めて、思い思いに短い黙祷をささげていた。やがて聖書翻訳の大事業にあずかって力があると言われているその教会の牧師が説教台のところへ進んで来た。訳した人によって、訳された聖書が読まれる頃は、会堂の内は聴衆で一ぱいに成った。勝子等はもう捨吉の居る所から見えなかった。あのもとの高輪の学窓のチャペルで、夏期学校で、あるいはその他の説教の会で、捨吉には既に親しみのある半分どもったような声がポツリポツリと牧師の口かられて来た。
 しばらく捨吉は一切を忘れて窓際に腰掛けていた。はえ比喩たとえなぞが牧師によって説出された。薄暗い夕暮時の窓の光をめがけては飛びかう小さな虫の想像。無限に対する人生の帰趣。説教は次第に高調に達して行った。それを聞いていると、捨吉の心はつかまえどころの無いような牧師の言葉の方へ行ったり、自分の想像する世界の方へ行ったりした。捨吉に言わせると、彼自身の若い信仰は詩と宗教の幼稚な心持の混じ合ったようなもので、大人の徹した信仰の境地からは遠いものだった。彼の基督はあまりに詩的な人格の幻影で、そこが彼自身にも物足りなかった。
 丁度その日曜は聖餐せいさんの日に当っていた。骨の折れた説教の後で、葡萄酒ぶどうしゅを盛った銀のコップ、食麺麭しょくパンの片を容れた皿が、信徒等の間にあちこちと持廻られた、葡萄酒はやがて基督の血、麺麭はやがて基督の肉だ。会堂の内でのこの小さな食事は楽しかった。捨吉は執事らしい人から銀のコップを受取って、一口飲んだやつを隣の人に渡すと、隣の人はゴクゴクと音をさせて、さもうまそうにそのコップから飲んだ。
 こうした静かな天井の下で、極りのような集金の声を聞くほど夢を破られる心持を起させるものは無かった。集りの終る頃には、捨吉は人よりも先に会堂の前の石段を下りた。十字架を高く置いた屋根の見える町の外へ出て、日に日に濃くなって行く青葉の息を呼吸した。


「岸本さん、お寄りになりませんか」
 と言って声を掛けた人があった。会堂から出て来た吉本さんの雑誌社の連中の一人だ。説教を聴き聖餐を共にした男女の信徒は思い思いに町を帰って行く時だった。
 捨吉を誘った人はさかきと言って、一二度田辺の家の方へ手紙をよこしてくれたこともあった。牛込の下宿を経営する市会議員夫婦と言い、この榊と言い、吉本さん贔顧びいきの人達がいろいろな方面に多いことは捨吉にも想像がついた。榊はまた子分が親分に対するような濃厚な心をもってあの先輩に信頼していた。連立って話し話し雑誌社まで歩いて行くうちにも、捨吉は全く自分と生立ちを異にしているようなこの榊から吉本さんの周囲にあるいろいろな人のことを聞知ることが出来た。岡見が伝馬町てんまちょうの自宅の方から雑誌社の隣家となりに来て寝泊りするほど熱心に今では麹町の学校の事業しごとを助けていること、その岡見が別に小さな雑誌をも出していること、岡見に好い弟があり妹があること、岡見の弟の友達に市川という青年のあること、それらの人達の噂が榊の口から出て来た。
「岸本さんや市川さんのことを思うと、ほんとに貴方あなたがたの延びていらっしゃるのが眼に見えるようです」
 などと榊は言っていた。
 雑誌社も日曜でひっそりとしていた。そこに身を寄せて貧しさを友としているような榊は社内のある一室へ捨吉を案内した。岡見が別に出しているという小さな雑誌なぞをも取出して見せた。その中に捨吉は市川の書いたものを見つけて、延びよう延びようとする新しい心の芽がそんなところにも頭を持上げていることを知った。
 雑誌社の二階から隣家へかけては、吉本さんに縁故のある、あるいは学校に関係のある、種々な人が住むらしかった。ゴトゴト梯子段はしごだんを降りて来る音をさせて、二階から榊の部屋へ日曜らしい話を持寄る一人の学生もあった。岡見が学校で受持つ武道科の噂につづいて、薙刀なぎなたの稽古にまで熱心な性質をあらわすという磯子の噂が榊とその学生との間に出た。へい一つ隔てた学校の内部なかの方のことは手に取るようにこの雑誌社まで伝って来ていた。それにこの人達は学校の食堂でまかなって貰って、三度々々食事のために通っていたから、教師としての捨吉が知らないようなことをも知っていた。
「お磯さんという人は確かに将に将たるうつわでしょうね」
 人物評の好きな連中はそこまで話を持って行かなければ承知しないらしかった。捨吉は黙って自分の教える若い人達の噂を聞いていた。そのうちに勝子の名が出て来た。
「安井お勝さん――あの人も好い生徒だそうですね」
 とその学生が榊に言った。それを聞いた時は、思わず捨吉は紅くなった。


 不思議な変化が捨吉の内部なかに起って来た。その年の暑中休暇を捨吉はおもに鎌倉の方で暮したが、いまかつて経験したことも無いほどの寂しい思をした。その一夏の間、僅かに彼の心を慰めたものは、鎌倉でしばしば岡見を見たことだ。鎌倉にある岡見の隠栖かくれがは小さな別荘というよりもむし瀟洒しょうしゃな草庵の感じに近かった。そこへ岡見は妹の涼子りょうこを連れて来ていた。捨吉は言いあらわし難い自分の心持をおさえようとして、さかんなかえるの声が聞えて来るような鎌倉のある農家の一間で、岡見が編輯へんしゅうする小さな雑誌の秋季附録のために一つの文章をも書いた。
 柔々よわよわしくはあるが、それだけまた賢そうな眼付をした、好い妹を有つ岡見をうらやみながら、捨吉は牛込の下宿の方へ帰って行った。自分に妹の一人もあったら。この考えは捨吉を驚かした。五人ある姉弟きょうだいの中での一番末の弟に生れた彼は、ついぞ妹を欲しいというようなことを胸に浮べたためしも無かったから。
 丁度捨吉が下宿の前あたりまで帰って行くと、静かな坂道の上の方から急ぎ足に降りて来る一人の若い婦人に逢った。麹町の学校の卒業生の一人だ。吉本さんの住居すまいや学校の方で二三度捨吉も見かけたことのある、稀なひとみすずしさと成熟したすがたに釣合った高い身長みのたけとを有った婦人だ。この婦人も捨吉と同じ下宿をさして急いで来た。
 一目見たばかりで、捨吉はこの若い立派な婦人が何を急いでいるかを知った。婚約のある情人を訪れようとして息をはずませながら、しかも優婉しとやかさを失わずにやって来たようなこの婦人を見たことは何を見たにもまさって、沈んだ思を捨吉に与えた。
 えがたい寂しさは下宿の離れ座敷へも襲って来た。しかし捨吉はそうした心持から紛れるような方法を見つけようともしなかった。独りでその寂しさをこらえようとした。四月以来起きたりたりした自分の小座敷をあちこちと歩いて見ると、あの可憐なオフェリアの歌なぞが胸に浮んで来る。内部なかから内部からと渦巻きあふれて来るような力はそうした歌の文句にでも自分の情緒を寄せずにはいられなかった。長いこと最初の一節しか覚えられなかったあの歌の全部を、捨吉は一息に覚えてしまった。

“How should I your true love know
  From another one?
By his cockle hat and staff,
  And his sandal shoon.

He is dead and gone, lady,
  He is dead and gone;
At his head a green grass turf,
  And his heels a stone.

White his shroud as the mountain snow,
  Larded with sweet flowers;
Which bewept to the grave did go,
  With true love showers.”

右訳歌
「いづれを君が恋人と
わきて知るべきすべやある。
貝のかむりと、つく杖と、
はける靴とぞしるしなる。

かれは死にけり、我ひめよ、
かれはよみぢへ立ちにけり。
かしらの方のこけを見よ、
あしの方には石立てり。

ひつぎをおほふきぬの色は
高ねの花と見まがひぬ。
涙やどせる花の
ぬれたるままに葬りぬ」
(『面影』の訳より)

 捨吉が口唇くちびるを衝いて出て来るものは、朝晩の心やりとしてよく口吟くちずさんで見たきよい讃美歌でなくてこうした可憐な娘の歌に変って来た。
 鎌倉の方で聞いて来たさかんな蛙の声はまだ耳の底にあった。あの終宵よっぴて伴侶つれを呼ぶような、耳についた声は、怪しく胸騒ぎのするまで捨吉の心を憂鬱にした。


 ある日、捨吉は麹町の学校から下宿へ戻って来た。彼は自分の部屋の畳へ額を押宛てるようにして、独りで神の前にひざまずいた。
 捨吉が幼い心の底にある神とは、多くの牧師や伝道者によって説かるる父と子と精霊の三位を一体としたようなものでは無かった。神は知らざるところなく、能わざるところなく、宇宙を創造し摂理を左右して余りあるほどの大きな力の発現であるとは言え、そうした神の本質は先入主となった極く幼稚な知識から言えるのみで、捨吉の心の底にあった信仰の対象は必ずしも基督の身に実際に体現せられ、基督の人格に合致したようなものではなかった。有体ありていに言えば、エホバの神とはあの三十代で十字架にかかったという基督よりももっと老年としよりで、年の頃およそ五十ぐらいで、親しい先生のようでもあれば可畏こわいお父さんのようでもある肉体をそなえた神であった。半分は人で、そして半分は神であるようなこの心像に、捨吉は旧約的な人物に想像せらるるような風貌を賦与つけくわえていた。例えば、アブラハムの素朴、モオゼの厳粛。このエホバの神が長いこと捨吉の心の底に住んでいたと聞いたら、笑う人もあるだろうか。実際、他界あのよのことにかけては、捨吉は少年時代からの先入主となった単純な物の考え方に支配されていて、まるで子供のようにその日まで暮して来たのであった。
 隠れたところをも見るというこの神の前に捨吉は跪いた。おごそかなエホバの神のかわりに、自分の生徒の姿がつぶった眼前めのまえにあらわれて来た。若々しい血潮のさして来ているその頬。かがやいたそのひとみ。白い、処女らしいその手。
「主よ、ここにあなたの小さなしもべが居ります」
 祈ろうとしても、妙に祈れなかった。
 涙ぐましい夕方が来た。捨吉は独りで自分の部屋を歩いて、勝子の名を呼んで見た。彼は自分の内部に眼をさましたような怪しい情熱が何処へ自分を連れて行くのかと思った。言いあらわし難い恐怖をさえ感じて来た。浮いた心からとも自分ながら思われなかった。
 例の牛込見付から市ヶ谷の方へ土手の上の長い小径を通って麹町の学校まで歩いて行って見ると、寄宿舎から講堂の方へ通う廊下のところで、ノオト・ブックを手にした二三の生徒の行過ぎるのが眼についた。その一人は勝子と同姓だった。何処か容貌にも似通ったところがあった。勝子に見られない紅い林檎りんごのような頬がその人にあって、どうかするとその頬から受ける感じは粗野に近いほどのものであったが、それだけ地方から出て来た生地きじのままの特色を多分に有っていた。その生徒と勝子とは縁つづきででもあるのか、それとも地方によくある同姓の家族からでも来ているのか、と捨吉は想像した。勝子に縁故のあることは、どんなことでも捨吉の注意を引かずにはいなかった。
 黙って秘密を胸の底に隠そうとし、誰にもそれを見あらわされまいとし、仮令たとえ幾晩となく眠られない夜が続きに続いて彼の小さな魂を揺するようにしても、かたくなな捨吉は独りで耐えられるだけ耐えようとした。その心で、彼は自分の教場へも出て行った。上の組の生徒の中でも、殊に磯子が彼の注意を引いた。それはあの生徒が熱心で、下読でも何でもよくして来て、多勢の中でも好く出来るというばかりでなく、日頃勝子の親しい友達であるからであった。
 下の組の生徒の中には語学の稽古の後で、思い思いに作った文章を捨吉のところへ持って来るものも有った。さすがに若い人達は自分等の書いたものをじるようにして、躊躇ためらいがちにそれを取出した。
「先生」
 と呼び掛ける声がした。丁度捨吉は教場を出て二歩三歩ふたあしみあし階下したの方へ行きかけたところであった。その時捨吉は、近く来た勝子から彼女の用意した文章をも受取って、黙って階段を降りた。彼女は何事なんにも知らなかった。


「岸本君――君に宛てて書くこの手紙を牛込の宿で受取ってくれたまえ。声のないかなしみをたたえた君のこの頃に心を引かれないものが有ろうか。君の周囲にあるものは何事なんにも知らないものばかりだと君は思うか。すくなくもそうした君の心持に対して涙をそそぐものが今この短い手紙を送る」
 こういう意味の手紙を捨吉が受取ったのは、新しい学期の始まってから二月近い心の戦いを続けた後であった。その手紙を岡見が伝馬町の自宅の方から書いてよこしてくれた。捨吉はそれを見てびっくりした。誰にも打開けたことの無い自分の悩ましい心持が、神より外に誰も知るものの無いと思った自分の胸の底の底に住み初めた秘密が、岡見の手紙の中に明かに書いてある。

「こひすてふ
わが名はまだき
立ちにけり
人知れずこそ
思ひそめしか」

 古い死んだ歌の言葉がその時捨吉の胸に活きて来た。あの時を経て無意味になるほど磨滅すりへらされたような言葉の陰に、それを歌った昔の人の隠された多くの心持がしみじみと忍ばれて来た。あの歌は必ずしも彼の場合に宛嵌あてはまるとは思われなかったが、すくなくも幼い心に於いて一致していた。彼はそこに自分の姿を見た。その姿は早や人目につくほど包み切れないものと成ったかとさえ思われた。
 しかし同情のこもった岡見の手紙は、一旦は捨吉をびっくりさせたが、それをよこしてくれた岡見の心情を考えさせた。何故岡見がその一夏の間鎌倉の禅堂に通うほどの思をし、何故あれほど身を苦しめ、何故あれほど涙の多い文章を書き、何故また自分のところへこうした慰めの言葉を送ってくれたか。勝子に向って開けた捨吉の眼は、岡見のることを読むように成った。そればかりではない。捨吉はその眼を青木にも向けた。何という矛盾だろう、世に盲目と言われているものが、あべこべに捨吉の眼を開けてくれたとは。そして今まで見ることの出来なかったような隠れた物の奥を見せてくれるとは。
 暗いところにある愛のたましいはしきりに物を探しはじめた。彼は自分の身の周囲まわりにある年長としうえの友達や先輩ばかりでなく、ずっと遠い昔に歌集や随筆をのこして行った徳の高い僧侶ぼうさんの生涯なぞを考え、誰でも一度は通過とおりこさねば成らないような女性に対する情熱をそれらの人達の若い時に結び着けて想像し、あの文覚上人もんがくしょうにんのような男性的な性格の人の胸に懸けられたという婦人の画像を想像し、それからまた閑寂を一生の友としたあの芭蕉のような詩人の書き遺したものにも隠れた情熱の香気のあることを想像し、どうかするとその想像を香油においあぶらで基督の足を洗ったという新約全書の中の婦人にまで持って行った。


 岡見を見ようとして捨吉は牛込の下宿から出掛けて行った。岡見から寄してくれた手紙の返事を書くかわりに、直接じかに訪ねて行こうと思ったので。この訪問は捨吉に特別な心持を有たせた。岡見の訪ねにくいのは、あの手紙の返事の書きにくいのと変らなかった。
 黒い土蔵造りの問屋の並んだ日本橋伝馬町辺の町中に、岡見のような人の生れた家を探すことは捨吉にめずらしく思われた。大勝の御店おたなにより、石町こくちょうの御隠居の本店ほんだなにより、その他大勝一族いちまきの軒を並べた店々により、あの辺の町の空気は捨吉に親しいものであった。ある町の角まで行くと、そこに岡見とした紺の暖簾のれんを見つけた。奥深い店の入口から土蔵の方へ鰹節かつおぶしの荷を運ぶ男なぞが眼につく。その横手に別に木戸がある。捨吉はその木戸の前に立ってベルを押した。
 麹町の学校や鎌倉の別荘に岡見を見た眼で、その時女中に案内された茶の間や数寄すきこらした狭い庭先を見ると、何となく捨吉は岡見の全景を見たような気がした。そこには伝馬町あたりの町中とも思われないほどの静かさがある。その静かさの中に、にわかに親しみを加えたような岡見の笑顔を見つけた。
「妹も鎌倉から帰って来ています。よく君のお噂が出ます」
 そういう調子からして江戸ッ子らしかった。岡見はもう何もかも呑込んでいるという顔付で、時々高い声を出して快活に笑ったが、でも顔の色はあおざめて見えた。
 奥の座敷の方から涼子が復習さらうらしく聞えて来る琴の音は余計にその茶の間を静かにした。吉本さんの噂が出た。あの先輩の周囲にあるものが必ずしも雑誌社の連中のような崇拝家ばかりで無いことが、岡見の口吻くちぶりで察せられた。のみならず、下手な吉本さん贔顧びいきの多いことが、心あるものに一種の反感をさえ引起させた。こういうことを岡見は眼中に置かない訳にはいかなかったらしい。何と言っても吉本さんは時代の寵児ちょうじの一人で、それに岡見は接近し過ぎるほどあの先輩に接近していたから。もともとあの先輩に岡見を近づけたのも、任侠にんきょうを重んずる江戸ッ子の熱い血からであったろうが。
 こうした複雑な、蔭日向かげひなたのある、人と人との戦いの多い、大人の世界の方へ何時の間にか捨吉も出て来たような気がした。麹町の学校の方の噂につれて岡見の話は捨吉が待受けて行ったような人の噂に触れて行った。
「お勝さんか」と岡見が言った。「なかなか性質たちの好い人ですよ。ふっくりと出来たような人ですが、あれでなかなかしっかりしたところがあります」
 その時、年長としうえの岡見が正面まともに捨吉を見た眼には心の顔を合せたようなマブしさがあった。捨吉は何とも答えようが無かった。
「駄目です、あんな気の弱い人は」
 とかなんとか言い紛らわそうとしたが、思わず若い時の血潮が自分の頬に上って来るのを感じた。それぎり岡見は勝子のことも言出さなかった。しかし雑談の間に混って出て来たその短い噂だけで捨吉には沢山だった。捨吉はまだ誰にも話さずにあることをこの岡見に引出された。親しい学友同志の間にすら感じられないような深い交渉が、一息にそこから始まって来たような気もした。鎌倉以来二人の間の話頭に上るように成った市川の噂が、その日も出た。捨吉はまだ市川を知らなかった。岡見が出している小さな雑誌の秋季附録で一緒に書いたものを並べたに過ぎなかった。
「市川君という人には是非一度逢って見たい」
「なんなら、私の方から御紹介しましょう。ついこの近くです。本船町に居ます。こいつがまた、なかなか常道を踏まない奴なんです」
 市川の話になると、岡見は我を忘れてひざを乗出すようなところがあった。それほど岡見はあの人を贔顧ひいきにしていた。
「でも、本船町あたりに面白い人が出来たものですね」と捨吉が言った。
「市川君のラヴの話というのが実に変ってる。面白いことを言出すからね。『僕のラヴアはもう死んで、この世には居ない』なんて。そうかと思うと、何時の間にかそいつがまだ生きている――私はよく弟にそう言うんです。市川という男は、あれは点火つけびをして歩く奴だ。どうもあの男は諸方ほうぼうへ火を点けて歩いて困る」
 こう話し聞かせる岡見は、人の心に火を点けて歩くという若者の様子を手真似てまねにまでして見せて、笑った。
 捨吉がまだ市川を知らないように、岡見はまだ青木を知らなかった。捨吉は岡見に青木を紹介することを約した。
「そのうち弟にも逢ってやって下さい」と岡見が言った。岡見には清之助という弟があって、市川と同じようにこの下町から高等学校へ通っているとのことであった。


 岡見の家を出て、少年の時からの記憶の多い下町の空気の中を牛込の方へ帰って行く頃には、いろいろ捨吉の胸に思当ることがあった。岡見の話のはじで、あの涼子こそ、捨吉には未知の友ではあるが鎌倉以来よく噂の出る市川の意中の人であると分って来た。静かな茶の間で聞いて来た琴の音はまだ捨吉の耳についていた。あの音が涼子を語った。涼子は何処か大勝の娘に共通したところのある細腰で繊柔きゃしゃな下町風の娘で、岡見のような兄の心持もよく解るほどの敏感な性質を見せていた。それに涼子は一頃麹町の学校へも通ったことがあるとかで、磯子とは親しく、勝子をもよく知っているということが、他人で無いような懐かしみを捨吉に有たせた。捨吉は市川を知る前に、先ず涼子の方を知った。その意味から言っても、あの怜悧れいりな娘がえらんだ未知の青年に逢いたかった。
 下宿へ戻って見ると、岡見に逢って話して来たことが一層勝子に対する捨吉の恋の意識を深くさせた。勝子はもう捨吉の内にも外にも居るように成った。どうかすると、彼女の大きく見開いたような女らしい眼が彼の身に近く来る。時には姉さんらしい温みのある表情で。時にあまえる妹のような娘らしさで。
 しかし捨吉は教師だ。そして勝子は生徒だ。それを思うと苦しかった。岡見の口吻くちぶりで見ると、磯子の組の生徒の中には教師としての捨吉を見つめているような可成かなり冷い鋭い眼が光っている。その眼が先ず捨吉の秘密を看破みやぶったとある。そればかりではない、学校の職員の中には教員室である年若な生徒の手を握ったとかいうものがあって、それが年頃の生徒仲間に可成な評判として伝わっている。捨吉は人を教えるという勤めの辛さをあじわった。どうかして自分の熱い切ないこころを勝子に伝えたいとは思っても、それを伝えようと思えば思うほど、余計に自分をおさえてしまった。
 彼は勝子の生立ちに就き、彼女の親達に就き、兄弟に就き、知りたいと思うかずかずのことを有っていた。彼女が麹町の学校の近くから通って来ることを伝え聞いたのみで、まだ彼は勝子の住む家をすら突留める事が出来なかった。手がかりとても少なかった。たまにそうした機会を捉え得るようなことがあっても、幼い心の彼はそれをつかまない前に最早もう自分の顔を紅めた。
 眠りがたい夜が続いた。どうかすると二晩も三晩も全く眠らなかった。例の小座敷に置いた机の上には、生徒から預った作文が載せてあった。その中には最近に勝子の書いた文章も入っていた。読んで見ると面白くもおかしくもない文章が何事なんにも知らない鳩のような胸から唯やすらかに流れて来ている。捨吉はその作文が真赤になるほど朱で直して見て、独りで黙っている心をこらえた。


 にわかに友達同志の交遊が拡がって来た。青木からの葉書で、岡見を紹介された喜びを述べて、同君を待受けるのは近頃愉快な事の一つだと、捨吉のところへ言って寄した。岡見が芝の公園に青木を訪ねる頃には、それと相前後して捨吉は本船町に市川を訪ねて行った。
 荒布橋あらめばしから江戸橋へかけて、隅田川に通ずる掘割の水があだかも荷船の碇泊処ていはくじょの趣を成している一区劃くかく。そこは捨吉が高輪たかなわの学校時代の記憶から引離して考えられないほどふるい馴染の場処だ。よく捨吉は田辺の小父さんの家からもとの学窓の方へ歩いて帰ろうとして、そこまで来るときっと足を休めたものだ。何時いつ眺めて通っても飽きることを知らなかったあのごちゃごちゃと入組んだ一区劃から程遠からぬ町の中に、市川の家があった。
「市川君はこんなところに住んでるのか」
 それを思ったばかりでも、下町育ちの捨吉には特別の懐しみがあった。
「仙ちゃんのお客さま」
 という声が店先でして、やがて捨吉を案内してくれる小僧がある。薬種を並べた店の横手から細い路地について奥の方へ入って行くと、母屋おもやの奥座敷から勝手口までが見える。捨吉はその路地のところで市川の姉さんらしい人の挨拶するのに逢った。母屋から離れた路地の突当りの裏二階に市川の勉強部屋があった。
 岡見を通し、書いたものを通し、既に相識しりあいの間柄のような市川は極く打解けた調子で捨吉を迎えてくれた。この人は捨吉の周囲にある友達の誰よりも若かった。町のひびきも聞えないほど奥まった二階の部屋で、広い額の何より先ず眼につく市川の前に坐って見た時は、捨吉は初めて逢う人のような気もしなかった。
「仙ちゃん、お茶をげて下さい」
 と声がして、梯子段のところへ茶道具を運んで来る家の人がある。市川はそれを受取りに行って、やがて机の側で捨吉に茶を勧めてくれた。壁には黒いボタンのついた高等学校の制服も懸けてあった。すべてが捨吉に取って気が置けなかった。
 若いもの同志は何時の間にか互いに話したいと思うような話頭に触れて行った。捨吉は既に涼子のことを知っていたし、市川も岡見を通して勝子の話を聞いていた。点頭うなずき合った一日の友は、十年かかっても話せない人のあるようなことを唯笑い方一つで互いの胸に通わせることが出来た。
「伝馬町は兄さんによく似てますね」
 と捨吉が言い出した。
 ふと捨吉は伝馬町という言葉を思いついて、自分ながら話すに話しいいと思って来た。竈河岸へっついがし、浜町、それで田辺の家の方では樽屋たるやのおばさんや大川端の兄を呼んでいた。それを捨吉は涼子に応用した。
「伝馬町はよかった」
 と市川も笑出した。さすがに涼子のことになると、市川も頬を染めた。


「岡見君は一体どうなんですか」
 捨吉は自分の胸に疑問として残っていることを市川の前に持出した。あれほど市川に同情を寄せ捨吉に手紙をくれた岡見も、まだ自分から熱い涙の源を語らなかった。
「お磯さんという生徒がありましょう」
「そうですか――あの人ですか――大方そんなことだろうと思ってました」
 この二階へ来て見て、初めて捨吉は岡見の心情を確めた。市川の口から磯子の名を聞いたばかりで、かねての捨吉の想像が皆なその一点に集って来た。
「ところがです」と市川は捨吉の方へ膝を寄せながら、「お磯さんという人は、君も知ってる通りな強い人でしょう。吉本さんを通して岡見君の心持をあの人まで話して貰ったところが、その返事が、どうしてもお磯さんです。先生としては何処までも尊敬する。しかし、その人を自分のラヴアとして考えることはどうしても出来ないと言うんだそうです。そうなって来ると岡見君の方でも余計に心持が激して来て……教場なぞへ出ても、実に厳然として生徒に臨むという風だそうです……」
 こう話し聞かせる市川の広い額は蒼白く光って来た。市川はまたずっと以前の岡見をも知っていてあの軽い趣味に満足していた人が今日のような涙の多い文章を書く岡見に変って来たことを捨吉に話した。そういう話をする調子の中にも、市川は若者と思われないほどの思慮を示した。子供と大人がこの人の蒼白い額や特色のあるたかい鼻には同時にんでいた。やがて市川は岡見と一緒に編輯へんしゅうしたという例の小さな雑誌の秋季附録を捨吉の前に取出した。二人とも好きな詩文の話がそれから尽きなかった。
 再会を約して捨吉は市川のもとを離れた。彼の胸は青木や、岡見兄弟や、市川や、それから菅、明石あかしのことなぞで満たされた。同時に、磯子、涼子、勝子、もしくは青木の細君のことなぞが一緒になって浮んで来た。何となく若いものだけの世界がそこへ出来かけて来た。芝公園、日本橋伝馬町、本船町、そこにも、ここにも、点いた燈火あかりが捨吉に見えて来た。

十二


「月日は百代の過客かかくにして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老をむかふるものは日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか片雲へんうんの風にさそはれて漂泊のおもひやまず。海浜にさすらひ、去年こぞの秋江上の破屋に蜘蛛くもの古巣をはらひてやゝ年も暮れ、春立てるかすみの空に白川の関こえんと、そゞろ神のものにつきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず。股引ももひきの破れをつゞり、笠の緒付けかへて、三里にきゆうすゆるより松島の月づ心にかゝりて、住める方は人に譲り杉風さんぷう別墅べつしよにうつる。
草の戸も
住替る代ぞ
ひなの家。
 おもて八句を庵の柱に懸置き、弥生やよひも末の七日、明ぼのゝ空朧々おぼろおぼろとして、月は有明にて光をさまれるものから、不二ふじの峰かすかに見えて、上野谷中やなかの花のこずえまたいつかはと心細し。むつまじきかぎりは宵よりつどひて、船に乗りて送る。千住せんじゆといふところにて船をあがれば前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別のなみだをそゝぐ。
行春や
き魚の
目は泪。
 これ矢立やたての初めとして行道ゆくみちなほすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげの見ゆるまではと見送るなるべし。今年元禄ふたとせにや、奥羽おうう長途の行脚あんぎや只かりそめに思ひ立ちて呉天ごてんに白髪のうらみを重ぬといへども、耳にふれてまだ目に見ぬさかひ、もし生きて帰らば、と定めなき頼みの末をかけ、その日やうや早加そうかといふ宿にたどり着きにけり。痩骨やせぼねの肩にかゝれるもの先づ苦しむ。只、身すがらにといで立ちはべるを、紙子かみこ一衣ひとへは夜の防ぎ、かた、雨具、墨、筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがに打捨てがたく、路次のわづらひとなるこそわりなけれ」
「奥の細道」


 牛込の下宿で捨吉はこの芭蕉の文章を開けた。昔の人の書きのこしたものを読んで見て自分の若い心を励まそうとした。
 声を出して読みつづけた。読めば読むほど、捨吉は精神こころの勇気をそそぎ入れらるるように感じた。彼は波のようにおどり騒ぐ自分の胸を押えて、勝子を見るにもえられなくなって来た。それほどまで彼が沈黙を守りつづけたのも、愛することを粗末にしたくないと考えたからで。のみならず、黙って行き黙って帰る教師としての勤めを一層苦しく不安にしたものは、どうやら彼が学問の資本もとでの尽きそうに成って来たことであった。不慣な彼は、あまりに熱心に生徒を教え過ぎて、一年足らずの間に僅かな学問を皆な出しきってしまった。それ以上、教える資本が無いかのように自分ながら危ぶまれて来た。有付いた職業も、それを投出すより外に仕方がないほど、教師としても行塞ゆきづまった。
 捨吉の二十一という歳も二週間ばかりのうちに尽きようとする頃であった。麹町の学校でも第二学期を終りかけていた。彼はある悲しい決心を掴んだ。
「古人も多く旅に死せるあり」
 とその「奥の細道」の中にある文句を繰返した。


 丁度、岡見兄弟と市川とは、それまで出していた小さな雑誌を大きくしようという計画を立てていた。青春の血潮は互いに性質の異なった青年を結び着けて、共同の仕事のもとに集まらせようとしていた。青木も、捨吉も、その仲間に加わろうとしていた。年若ながらに兄等の仕事に同情のある涼子をはじめ、磯子、勝子、それから麹町の学校の卒業生で岡見や涼子等の間によく噂の出る西京の峰子なぞの人達を背景に有つことが、一層この勢を促した。丁度来る年の正月には同人の新しい雑誌も出来ようというところであった。その中で、にわかに捨吉は旅を思立った。捨吉は田辺の小父さんをはじめ、お婆さん、姉さん等の恩人のことも忘れ、大川端の兄のことも忘れ、遠く郷里の方に彼のために朝夕の無事を祈っているお母さんのことも忘れてしまった。彼は一切を破って出て行く気になった。
 麹町の学校の方の仕事は妻子のある青木のために残して行こう。青木も骨が折れそうだ。そう思って捨吉は芝の公園へ訪ねて行った。この捨吉のこころざしを青木は快く受けいれたばかりでなく、自分にもし妻子が無かったら一緒に旅に上ったであろう、瓢遊ひょうゆうはわが天性であるというほどの語気で捨吉を慰めてくれた。行く行くは青木のような友達の教え子として、勝子のことを考えるのも、せめてもの捨吉の心やりであった。
 青木を訪ねたついでに捨吉は築地の菅の家へそれとなく別離わかれを告げに寄った。相変らず菅は静かな、平な心持で、ある西洋人の仕事の手伝いなぞをしながら、独りでコツコツ勉強を続けていた。検定試験に及第して伊予の方のある私立学校の教師として赴任して行った足立の噂も出た。
「菅君、しばらく僕は旅をして来るかも知れない」
 と捨吉は何気なく言って、この旧友にも青木等と一緒に同人の雑誌の仲間入をすることを勧めた。何等の嬉しいも悲しいもまだ知らず顔な旧友の話は、ひどく捨吉には物足らなかった。
 麹町の学校へも捨吉は最終の授業の日を送りに行った。彼は平素とすこしも変った容子ようすの無い勝子を同じ組の他の生徒の間に見た。十二月の末らしい日の光は、二階の教場の窓硝子ガラスを通して、黒板の上まで射して来ていた。彼は新しい白墨の一つを取り、その黒板に心覚えの詩の句を書きつけ、それに寄せて生徒に別離わかれを告げた。若くて貧しい捨吉は何一つ自分の思慕のしるしとして勝子に残して行くような物をも有たなかった。僅かに、その年齢としまで護りつづけて来た幼い「童貞」を除いては。
 涙一滴流れなかった。それほど捨吉は張りつめた心で勝子から離れて来た。牛込の下宿に帰ると彼は麹町の教会の執事に宛てて退会の届をしたためた。
御届
 私儀感ずるところ有之これあり、今回教会員としての籍を退きたく、何卒なにとぞ御除名下されたくそうろう
 と書いた。切ない恋のためには彼は教会をさえ捨てて出て行く気に成った。


 ぶらりと捨吉は恩人の家の方へ帰って行った。麹町の学校を辞すると間もなく、牛込の下宿も畳んで、冬休みらしい顔付で僅かの荷物と書籍とを田辺の門の内へ運んだ。自分のたこと、考えることに就いては、何事も目上の人達に明そうとはしなかった。
「兄さん」
 と大きくなった弘が捨吉を見つけて飛んで来た。何時見ても人懐こいのは弘だった。捨吉は何とも言って見ようのないような心持で、すがりつく弘のからだを堅く抱締めた。
 もう一度捨吉は小父さんの家の玄関に、よく取次に出ては御辞儀をして奥の方へ客の名前を通したりその人の下駄を直したりした玄関に、片隅かたすみに本箱を並べて置いてそこを自分の小さな天地とした玄関に、悄然しょんぼりと帰って来た自分を見つけた。はかない少年の夢が破れて行った日から、この世の中は彼に取って全く暗く味気なくなってしまい、あの田辺の小父さんが沈んだ彼の心を引立たせようとして面白そうな芝居に誘ってくれようと、あの姉さんが彼の好きそうな縞柄しまがらを見立ててどんな着物を造ってくれようと、何一つ楽しいと思ったこともなく、寂しい寂しい月日を独りでこつこつ辿たどって来たような彼も、今こそ若い日の幸福を――長い間、自分の心に求めていたものを見つけたように思って来た。その寂しい月日が長かっただけ、心を苦めることが多かっただけ、それだけ胸に満ちる歓喜よろこびも大きなもののように思って来た。
 しかし、捨吉がその歓喜よろこびを感じ得る頃は、やがて何等の目的めあてもない旅に上ろうとしている時であった。青木も心配して、菅と連立って、田辺の家に捨吉を見に来た。
 間もなく新しい正月が来た。町々を飾る青い竹の葉が風にしなびてガサガサ音のするような日の午後に、捨吉は勝手口の横手にある井戸のわきを廻って物置から草箒くさぼうき塵取ちりとりとを持って来た。表門のくぐり戸を開けて、田辺とした表札の横に、海老えびだいだい、裏白、ゆずり葉などで飾った大きな輪飾りの見える門の前を先ずき清めた。楽しそうな追羽子おいばねの音は右からも左からも聞えて来ていた。捨吉は門の内にある格子戸こうしどの前の敷石の上を掃いた。それから庭の方へ通う木戸を開けて、手にした箒を茶の間の横の乙女椿の側へも持って行き、築山風なかえでの樹の間へも持って行き、すっかり葉が落ちて幹肌みきはだのあらわな梧桐あおぎりの根元のところへも持って行った。横浜の店の繁昌と共に、東京の方で留守居するお婆さんや姉さんの許へは楽しそうな正月が来ていた。捨吉はそのお婆さん達の居る奥座敷の前から、飛石に添うて古い小さな井戸のある方までも掃いて行った。冷たい冷たい汗が彼の額を流れて来た。
 本二冊、それに僅かな着更えの衣類を風呂敷包にして、捨吉は夕方の燈火あかりく頃に黙って恩人の家を出た。


 夕闇にまぎれて捨吉は久松橋を渡った。人形町の通りを伝馬町まで歩いて行って、岡見の店の横手にある木戸の前へ行って立った。
 清之助――岡見の弟は、庭下駄を穿いて出て来て自分で木戸を開けてくれた。清之助は例の茶の間で捨吉を待っていてくれた。
「兄は鎌倉の方で君をお待ちすると言って、今日出掛けて行きました。妹も一緒に」
 と清之助は捨吉を迎え入れて言った。
 茶の間の中央まんなかにある四角な炉の周囲まわりは、連中が――そうだ、最早もはや連中と呼んでも可いほど親しくなった若いもの同志が互いに集っては詩文を語る中心の場所のように成っていた。そこでは同人の雑誌も編輯へんしゅうされた。その炉辺で、差向いに火を眺めて、互いにをあぶりながら語り合うほど、捨吉は清之助の静かな性質を知るように成った。
「清さん、お客さまにげて下さいな」
 と障子越しに来て呼ぶ清之助のお母さんの優しい声がした。お母さんは障子の陰で、いろいろと女中の差図をして行くらしかった。やがてポツポツ食べながら話しの出来るような馳走ちそうが出た。
「何と言っても、自分等の雑誌は可愛い」
 清之助は捨吉を前に置いて、実にゆっくりゆっくり食べながら話した。
 寂しいみぞれの降出す音がして来た。伝馬町あたりの町の中とも思われないほど静かな茶の間で、捨吉はしとしと庭の外へ来る霙の音を聞きながら、別離の晩らしい時を送った。十二時打ち、一時打っても、まだ話が尽きなかった。
 その晩は捨吉は伝馬町に泊った。急激に転下して行くような彼の若い生涯は、仮令たとえ十年の友にもまさるほどの親しみはあっても何と言ってもまだ交りの日の浅い清之助と枕を並べて、この茶の間の天井の下に一緒に寝ることを不思議にさえ感じさせた。床に就いてからも、清之助は直ぐ捨吉を眠らせなかった。
「今夜は是非、君に聞いて置きたい……そりゃ、まあ言わなくたって解ってるようなものだがね、まだ君の口から意中の人を指して話して貰わない。是非、それを聞かせて貰いたい……その人の名前を今夜確めて置きたい……もし又、後になって人が違ってた、なんてことに成ると困るからね……」
 こんなことを言って、清之助は夜の二時過ぎまでも捨吉をうならせた。


 眼に見ることの出来ない大きな力にでも押出されるようにして、捨吉は東京から離れて行った。伝馬町に泊った翌日は新橋から汽車で、車窓の硝子に映る芝浜の裏手、東禅寺の上の方から一帯に続く高台、思出の多い高輪の地勢が品川の方へ落ちているあの大都会の一角を一番しまいに眺めて通って行った。
 捨吉は鎌倉にある岡見の別荘まで動いた。そこは八幡宮に近い町の裏手にあたって、平坦たいらな耕地に囲繞とりまかれたような位置にある。あの正宗まさむね屋敷という方にあった農家から、捨吉はよく田圃たんぼの道づたいに岡見を見に来た一夏の間を思出すことが出来た。あの稲の葉の茂った田圃の間から起る蛙の声を思出すことが出来た。あの青い瓢箪ひょうたんり下った隠者の住居のような門を叩くと、岡見がよく蒼ざめた顔付をして自分を迎えてくれたことを思出すことが出来た。すべては捨吉にとってまだ昨日のことのような気がしていた。
 丁度岡見も学校の休暇の時で、その「隠れ家」に捨吉の来るのを待受けていてくれた。東京から見るといくらか暖い部屋の空気の中で、捨吉は岡見や涼子と一緒に成ることが出来た。
「お涼さん、あのお預りしたものを岸本さんにげたらいでしょう」
 と岡見に云われて、涼子はそこへ仕立卸しの綿入羽織を持って来た。
「これは高等科の生徒一同から君への御餞別おせんべつだそうです。『岸本先生の熱心は、一同の感謝するところでございます』と言って、丁寧な言葉まで添えてありました。これは東京の方で君に進げるよりか、旅にお出掛になる時に進げたいなんて、妹がわざわざ鎌倉までお預りして来ました」
 と岡見が言った。
 思いがけない麹町の学校の生徒からの贈物を鎌倉で受取ることは、旅に出掛ける矢先だけに余計に捨吉を悦ばせた。岡見は捨吉のために、さしあたりの路用の金を用意して置いてくれたばかりでなく、西京には涼子等が姉のように頼む峰子が居る、旅のついでに訪ねて行け、不自由なことがあったら頼め、と言って西京宛の手紙までも用意して置いてくれた。知己のなさけは捨吉の身にしみた。彼はそれを痛切に感じ始めたほど、身は既に漂泊のさかいにあることを感じた。
「お峰さんのところへは私からも手紙を出して置きましょう」
 と涼子が兄さんの方を見て優しく言葉を添えた。
「お峰さんか。まあ、お逢いになれば解りますが、こいつが又たなかなかのものなんです」
 この岡見の調子は捨吉を微笑ほほえませた。いくらか物を大袈裟おおげさに言うのが岡見の癖であったから。
「お涼さん、お前さんのお餞別もついでにここへ出しちゃったら可いでしょう」と岡見は兄さんらしく言って、やがて捨吉の方を見て、「岸本さんに進げたいと言って、妹は袋を一つ縫いました」
 岡見の側で見るにふさわしい涼子は、清之助よりもむしろこの年長としうえの兄さんの方に合うらしかった。彼女は捨吉のために見立てた茶色の切地で縫ったという旅行用の袋を取出して来て、それを岡見の前に置いた。時々岡見の爆発するような笑声が起ると、彼女はそれを楽しそうにして聞くばかりでなく、岡見と捨吉の間に出る同人の雑誌の話、連中の噂なぞにも熱心に耳を傾けた。磯子に対する岡見の遣瀬やるせない心持にも姉妹中きょうだいじゅうで一番同情を寄せているのは彼女らしかった。
「青木君の結婚の話が好いじゃないか。先生はあの細君をかつぎ出しちゃったと言うんだから」
「青木君のは自由結婚だそうですね」
 岡見と捨吉とが語り合う側で、涼子はかすかな深い微笑えみを見せていた。
 二汽車ばかりおくれて清之助も東京から捨吉の後を追って来た。高等学校の制服でやって来た清之助を加えたので、狭い別荘の内は一層にぎやかになった。
「一寸失敬します。そこいらへ行って草鞋わらじを見つけて来ます」と、捨吉が言出した。
「今、婆やに取りにやりますよ」と涼子は立って来て言った。
「とにかく、今夜はここへお泊りなさい。弟もその積りで来たんですからね。草鞋は明日の朝までに買わして置きましょう」と岡見も捨吉をいたわるような調子で。
「あんまり御世話になって、御気の毒だ」と捨吉が言った。
「なあに、そんなこと有りゃしない。まあ、今夜は大いに話すさ。しばらくもう御別れだ」
 夕飯には涼子の手料理で、心づくしの馳走があった。捨吉はこれから先の旅の話をして、西京へ行ったら未だ逢ったことのない峰子をも訪ねようし、ことによったら伊予の方へも旅して、そこに教鞭きょうべんを執っている足立をも訪ねよう、とにかくこれから東海道を下って行って見るつもりだと話した。涼子もそこへ来て、夜の燈影ほかげに映る二人の兄さん達の顔と旅に行く捨吉の顔とを見比べていた。
 そこいらがシーンとして来た頃、岡見は先ず畳の上にひざまずいて、
「岸本君のために祈りましょう」
 と言出した。清之助も、涼子も、捨吉も、皆なそこへ跪いた。激情に富んだ岡見は熱い別離わかれの祈りを神にささげた。
「主よ。すべてをしろし召す主よ。大なる幸福に先だって大なる艱難かんなんと苦痛とを与えたもう主よ。われわれが今送ろうとしている一人の若い友達の前途は、唯あなたがあってそれを知るのみでございます」
 こんな風に祈った。清之助もまた静粛な調子で、捨吉のために前途の無事を祈ってくれた。


 翌朝早くから捨吉は旅の仕度を始めた。田辺の家を出る時に着て来た羽織を脱いで、麹町の学校の生徒が贈ってくれたという綿入羽織に着替えた。すねには用意して来た脚絆きゃはんを宛てた。脱いだ羽織、僅かの着替え、本二冊、紙、筆なぞは、涼子から贈られた袋と共に一まとめにして、肩に掛けても持って行かれるほどの風呂敷包とした。岡見兄弟と一緒の朝茶も、着物の下に脚絆を宛てたままで飲んだ。
 前途の不安は年の若い捨吉の胸に迫って来た。「お前は気でも狂ったのか」とひとに言われても彼はそれを拒むことの出来ないような気がしていた。その心から、岡見にたずねて見た。
「僕の足はうわついているように見えましょうか」
「どうして、そんな風には少しも見えない。いかなる場合でも君は静かだ。極く静かに君はこの世の中を歩いて行くような人だ」
 この岡見の言葉に、捨吉はいくらか心を安んじた。
 礼を述べ、別れを告げ、やがて捨吉は東京から穿いて来た下駄を脱ぎ捨てて、あががまちのところで草鞋穿きに成った。
「いよいよお出掛でございますか」
 と婆やもそこへ来て言った。
 自分ながら何となく旅人らしい心持が捨吉の胸に浮んで来た。草鞋で砂まじりの土を踏んで、岡見の別荘を離れようとした。その時、岡見は捨吉にいて一緒に木戸の外へ出た。
「じゃ、まあ御機嫌ごきげんよう。お勝さんの方へは妹から君のことを通じさせることにして置きました」
 と岡見が言った。
 この餞別の言葉は捨吉に取って、いかなる物を贈られるよりも嬉しかった。実に、一切を捨てて来て、初めて捨吉はそんな嬉しい言葉を聞く事が出来た。それを聞けば、もう沢山だ、とさえ思った。
 清之助も、涼子も、岡見と一緒に、朝日のあたった道に添うて捨吉の後を追って来た。途中で捨吉が振返って見た時は、まだ兄妹は枯々とした田圃側たんぼわきに立って見送っていてくれた。
 裏道づたいに捨吉は平坦たいらな街道へ出た。そこはもう東海道だ。旅はこれからだ。そう思って、彼は雀躍こおどりして出掛けた。
 一里ばかり半分夢中で歩いて行った。そのうちに、黙って出て来た恩人の家の方のことが激しく捨吉の胸中を往来し始めた。狂人きちがいじみた自分の行為おこないはどんなに田辺の小父さんや、姉さんや、それからあのお婆さんを驚かし、かつ怒らせたであろうと想像した。大川端の兄の驚きと怒りと悲みとをも想像した。その考えから、捨吉は言いあらわしがたい恐怖にすら襲われた。彼は日頃愛蔵する書籍から、衣類、器物まで、貧しい身に貯えた一切のものを恩人の家に残して置いて来た。どうかしてこの自分の家出が、単なる忘恩の行為でなしに、父母からそむき去り墨染の衣に身をやつしても一向ひたすら道を急ぐあのあわれむべき発心者のように見られたいと願った。
 海に近いことを思わせるような古い街道の松並木が行く先にあった。捨吉は路傍みちばたにある石の一つに腰掛けて休んだ。そして周囲を見廻した。眼前めのまえには、唯一筋の道路みちと、正月らしくあたって来ている日の光とがあるばかりであった。彼は恩人からも、身内のものからも、友達からも、自分の職業からも離れて来た。その時は全く自分独りの旅のすがたを見つけた。日頃親しい人達は誰一人傍に居なかった。彼は石に腰掛けながら、肩から卸した風呂敷包をその石の側に置いて、熱い涙を流した。
 捨吉は東海道を下って行った。こうして始まった流浪が進んで行ったらしまいにはどうなるかというようなことは全く彼には考えられなかった。鎌倉から興津おきつあたりまで歩いて行った。旧暦で正月を迎えようとする村々を通過ぎた時は、途中で復た煤掃すすはきの音を聞いた。一日々々と捨吉は温暖あたたかい東海道の日あたりの中へ出て行った。どうかするとその日あたりの中に咲く名も知らない花を見つけて、せめて路傍の草花から旅人と呼ばるることを楽んだ。
 誰か後方うしろから追いかけて来るものがある。逃れ行く自分を捉えに来るものがある。この恐怖、東京の方の空を振返るたびに襲って来るこの恐怖は、余計に捨吉の足を急がせた。小高い眺望ながめの好い位置にある寺院の境内が、遠く光る青い海が、石垣の下に見える街道風の人家の屋根が、彼の眼に映った。興津の清見寺だ。そこには古い本堂の横手に、丁度人体をこころもち小さくした程の大きさを見せた青苔せいたいの蒸した五百羅漢ごひゃくらかんの石像があった。ったり坐ったりしている人の形は生きて物言うごとくにも見える。誰かしら知った人に逢えるというその無数な彫刻の相貌を見て行くと、あそこに青木が居た、岡見が居た、清之助が居た、ここに市川が居た、菅も居た、と数えることが出来た。連中はすっかりその石像の中に居た。捨吉は立ち去りがたい思をして、旅の風呂敷包の中から紙と鉛筆とを取出し、頭の骨が高くとがって口を開いて哄笑こうしょうしているようなもの、広い額と隆い鼻とを見せながらこの世の中をにらんでいるようなもの、頭のかたちは円く眼はつむり口唇は堅くみしめて歯をいしばっているようなもの、都合五つの心像を写し取った。五百もある古い羅漢の中には、女性の相貌をしのばせるようなものもあった。磯子、涼子、それから勝子の面影をすら見つけた。こうして作った簡単な見取図は旅での手紙と一緒にして伝馬町宛に送ろうとも考えた。毎日々々動いている彼は東京の友達からの消息に接することも出来なかった。
 復た捨吉は旅を続けた。ところどころ汽車にも乗って、熱田あつたの町まで行った。熱田から便船で四日市よっかいちへ渡り、亀山という所にも一晩泊り、それから深い寂しい山路を歩いて伊賀近江おうみ国境くにざかいを越した。
 黒ずんだ琵琶湖びわこの水が捨吉の眼前めのまえひらけて来た。大津の町に入った時は、寺々の勤行つとめの鐘が湖水に響き伝わって来るような夕方であった。風の持って来る溶けやすい雪は、彼の頬にも、彼の足許にも、荷物を掛けた彼の肩にも来た。そこまで行くと、西京も最早もう遠くはないという気がした。何等かの東京の方の消息も聞けるかと、それを楽みにして、岡見から紹介された峰子という人を西京に訪ねて見ようと思っていた。
「まだ自分は踏出したばかりだ」
 と彼は自分に言って見て、白い綿のようなやつがしきりに降って来る中を、あちこちと宿屋を探し廻った。足袋たびも、草鞋わらじれた。まだ若いさかりの彼の足は踏んで行く春の雪のために燃えた。





底本:「桜の実の熟する時」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年5月10日発行
   1968(昭和43)年10月20日21刷改版
   2006(平成18)年11月10日61刷
初出:「文章世界」
   1913(大正2)年1〜2月、1914(大正3)年5月〜1918(大正7)年6月
※「静止じっと」と「静止じっと」、「懐し」と「可懐なつかし」の混在は、底本通りです。
※「燈火」に対するルビの「あかり」と「ともしび」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の三好行雄氏による註釈および解説は省略しました。
※初出時(1913(大正2)年1〜2月)の表題は「桜の実」です。
※引用文の旧仮名は、底本通りです。
入力:林 幸雄
校正:officeshema
2022年2月25日作成
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