訪西行庵記

島崎藤村




 はらからと袂を分ち、むつましきかぎりに別れをつげて、たゞ/\ものくるはしき一筋にうかれそめ、難波西海のあたりをさまよふこと二月あまり、菅笠の破れたるをいたゞき、身には合羽のふりたるを着し、おもくるしき旅の調度ども前後に背負ひたるさま、まことに怪しき姿して、ことし三月十四日吉野山西行庵に上人の木像を驚かす。西行庵はよしの村をはなるゝこと五十丁ばかり、樵夫の外には通ふものだになき羊腸さかしき山路を分け入り白雲の路ふさがれる幽谷に下るに、かのとく/\の苔清水を左になし深山前後をとりこみて、屋根やぶれて、壁落ち、風の音霜枯れのすゝきを吹きて狐狸の栖とも覺しきに、心なきもの櫻を切り山を燒き、今はなにがし俳士の再建ときこえたり。松はうしろに仆れて今昔のおもひ更にふかく、木像はふすびたるが上に燒けこけて、鼻は缺け珠數は落ちたり、こゝろみにうしろを見れば天明五乙巳奉納願主江戸南鍛冶丁大井八右衞門細工人益田慶運とあり、時いまだ初うぐひすの耳あたらしきに、枯れたるすゝきなどかき集めて筵となし、しづかにかの木像に對すれば眉長く俤やつれてさびしげにとうとき墨染の衣にも日頃より慕ひ侍りし山家の氣韻動いて胸にせまる。洒々落々などゝかる/″\しくいふべき風情にも見えず、携へたりし家集をひもときて風より外にとう人もなきといへる歌ども思ひくれば、千年のむかし捨てはてし身にも櫻のかげの慕はれてかゝる所に結ひなしたる草庵のあはれ、たゞ/\涙も落ちぬべきばかり也。今は燒けたれども近きほとりになにがしの寺ありて、そこよりこの草庵に通ひ、松風の音にちりを澄まし岩間の清水に濁耳を洗ひしとぞきこえける。目をねむりてこれに對すれば古氣心を襲ひ、目をひらいてこれに對すれば鳴き渡る山鳥の一聲もはらわたをちぎるの媒となるのみ也。はらからの手に老いたる母を托して朝夕の孝養もおろそかなる身はたゞ山河風雪にたゞよひ、久しく戲曲を好んでたゞこの一筋に瘠せ衰へたるものくるはしさ、今またこのところまで尋ね來りてこの木像を拜するよし語れば、上人もまたわが想をあはれむに似たり、知るや知らずやシェクスピア、ゲーテをはじめとしてダンテ、ミルトン、シルレル、バイロンのともがらあまたこの國に入り來り、世にきこへたる逍遙、鴎外などと沒理想論のすさびにとつ國の詩人をあげつらふよしなどかたり、戲曲の道もおとろへて近くは默阿老人のうせたるも流れ行く芦の葉の變轉迅速のよのためし、たゞ/\よしなきことゞも言ひ捨てゝ知己の間に詩人などゝ呼ばれんももの/\しく、是非胸中にたゝかふてこれが爲に身安からずと芭蕉庵の筆のあとも顧れば、胸にみちて腰間にさしはさむ風雅の一刀たゞ/\詩神をけがさじとこれのみ心にかゝるよしを語るに上人笑ふが如くうそぶくが如し。天地さびしげに枯れたる木の葉むら/\と草庵の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)におつるを後に見て、やがて宿にかへりて旅燈のもとにひとり故人のふみをひもとき、月花を友として禽獸のそしりを免かれんと思ふのみ。明治廿六年仲春誌之 古藤庵





底本:「藤村全集第十六卷」筑摩書房
   1967(昭和42)年11月30日初版発行
   1976(昭和51)年6月15日愛蔵版発行
底本の親本:「默歩七十年」聖文閣
   1938(昭和13)年10月12日発行
初出:「默歩七十年」聖文閣
   1938(昭和13)年10月12日発行
※初出時の署名は「古藤庵」です。
入力:杉浦鳥見
校正:officeshema
2022年1月28日作成
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