だだをこねる

辻潤




        1

 こねたところでまるめてみたところできなこはきなこである。かんでみたところでなめてみたところでマメはマメである。時に、ひどく欠伸がでてこまりもしないけれどなんにしてもやりきれない生活感情であることよ! おもしろくないことおびただしいので、私はつねにねそべってバットでも吹かしているのがこの上もない、パライソなのである。その上きれいな水とリンゴと青いものと小鳥の声でもあれば、申し分はない。おれは都会をすかん、ただある因縁によってしばらくがまんしているだけの話だ。私は五十年おふくろとつき合ってみたがまったく女というものはバカでこまるよ。そのバカなおふくろのおなかから生まれた私がどうしてバカでない道理があるものか? ザマア見ろ! てんだ。

        2

 おれには自分ひとりを支えてゆく能力さえないが別段恥かしくもおかしくもなんともない。おふくろやこどもでもいなかったら、とうにどこかで野晒のざらしになってしまっていたに相違ない。もっともその方がよほど気楽かもしれないがね。荘子という本の中に荘子とドクロとの問答がある。ドクロが荘子に向かって己れのたのしみは南面王にも真似は出来まいといって大気焔をあげている。どうかと思うがね。
 なんしろ字なんか書くって奴はいとも面倒くさいもんであるよ、みんなよくもまあながながとことや細かくつまんねえ屁理窟やつまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、すべったとかひっくりかえったとか凡そベラボーでちんぷでなさけなくはては臍茶なもんやないかないか――だがみんな生きとしいけるものはおまんまというものをいただかなければならないのが、実に厄介センバンだよ。これにはシャッポだ。だから私は凡そおかねのない人達がどんなことをしようとやろうとたいていがまんしてむりもないなと考えながら傍かんしているんだ。
 わたしもなれたらアルセン・ルパンみたいになりたいが――所詮及ばぬ鯉のなんとやらで、指でもくわえてかんしんしているほか手がないのだ。了簡がケチ臭く肝ッ玉が山椒ツブみたいで力もなくしたがって御金もなく女の子にはいたってふられがちに出来あがっている――まったくわれながらアイソのつきる野郎ではある。おまけに気じるしときているので念が入りすぎている。どうかんがえてみても乞食になるよりほかになるものがないからそれでまあやってるわけなんだが[#「なんだが」は底本では「なんだか」]乞食も決して楽じゃないね。

        3

 去年病院を出てから二十日ばかり大島のゆ場にいた。もう少しのぼると例の穴のところまでゆかれるのだが、穴なんか覗いたっておもしろくもあるまいと思ってやめた。それに恐ろしくからだがつかれてもいたから歩くのがおっくうでもあった。毎日なんにもせずねころんでばかりいた。ゆ場の主人が「先生ぜひなにか書いて下さい!」というようなことで歌を一首つくった。たぶん今頃かけじにでもなってぶら下っていることだろう。
島人の疲れいたはる御神火の恵みあふるる湯のけむりかも
てんだ。
 それからイセの津で夏をくらし、八月末に能登へ行った。それから新潟へ行こうかと思っていたが尋ねる人があいにくルスだったのでやめてかえって来た。能登のことをちょいと話したいが長くなるから、またいずれとして――一つ「だちゃカン!」という方言を紹介してそれでおしまいにする。ダチャカン――というのは「埓があかない」の転訛で、つまり「ダメだ」という意味だ。たとえば「自由をわれ等に」てなことをいったってとうていダチャカンわい――とまあいったような風にだ。
 かえってから義弟の家にいそってやっぱり毎日ゴロゴロねてばかりいた。それから義弟にていよくにげられたので――(あたりまえの話すぎて少しもムリもないがね)――ちょッといどころがなくなり、仕方がないから「桜花かや散りじりに」若しくは「あのゆめもこのゆめも――」式にのっとり、私だけは深川の富川町か千住の涙橋の少し向こうのFという家にでも当分厄介になろうかと考えた。深川のトミには時々僕に酒をおごってくれるルンペンの大パトロンがいるし、Fという木賃には僕を大先生扱いにしているフアンがいるからだ。僕のフアンにも音楽の場合と同じくつまり上はスットントンより下はベエトウベンに至るまであるように僕のフアンにも中々いろんなのがいるが――どうも新居先生のように文化マダムや、モデルンギャールの御嬢さんのいないのには――くさるであるです。

        4

 辻潤後援会という奴で全体どの位ゼニが集まったものやらどなたとどなたがお金をおめぐみ下すった物やら、僕はとんと存知あげなかったもんだから「よみうり」でたった一度きり御礼を申しあげたっきり、実のところまだどこへも御礼状もさしあげずに失礼しているわけなんだが――まことにおちおちねるところもなかったようなわけだったのでなんとも申しわけがないようなわけでいずれそのうち本でも出した節にはいささか御礼のつもりでさしあげたいと思っているが――かなり気になってはいた。しかし「棄恩入無為真実報恩者」という甚だ虫のいい文句がほとけさまの方にあるので、そいつをちょいと拝借してお茶を濁しておくことにする。
 実際、まだ退院後一年にもなるが無想庵にさえ一度もテガミをやらない始末だ。どうしているかと時々心配はしているもののどうにもしようがない。彼も向こうにいてずいぶん沢山のものを書いて、たぶんこちらの雑誌社にも送っているのだろうとは思うが一向に見あたらない。それに右眼が潰れそうになったとかいう話をきいたがさぞつらかろう。もッともイボンヌという娘がいるから、せめてものなぐさめだが、いればいるでまた別の苦労がふえるもんだから――いやはやとんでもないグチをこぼし始めたが――まったくイヤじゃありませんか!
「羨やましい辻潤」という彼の文章をよんで僕はしみじみと彼の友情をかんじたのだが、ひるがえって、僕は彼に対して果してそれにむくゆる程の友情をもっているかどうかと考えると――まったく自信がなさすぎる。

        5

 自分はむかしッから、物をもつことがきらいな性分だ。どうしてきらいかというとうるさいからだ。これは自分が無慾だということではなく人一倍物に対する執着が強いせいだ。だから物に束縛されやすい。まったく不自由位世にイヤなものはない。だれだって「自由」がきらいな
(昭和八年五月)





底本:「辻潤著作集2 癡人の独語」オリオン出版社
   1970(昭和45)年1月30日初版発行
※表現のおかしい箇所は、「辻潤選集」(玉川新明編、五月書房、昭和56年10月発行)を参照して訂正。
入力:et.vi.of nothing
校正:かとうかおり
1999年11月20日公開
2006年1月4日修正
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