柿色の紙風船

海野十三




「おや、ここに寝ていた患者さんは?」
 と林檎りんごのように血色けっしょくのいい看護婦が叫んだ。彼女のっている前には、一つの空ッぽの寝台ベッドがあった。
「ねえ、あんた。知らない?」
 彼女は、手近てぢかに居たあおぶくれの看護婦にいた。
「あーら、あたし知らないわよ」
 といって編物の手を停めると、グシャグシャにシーツのみだれているその寝台の上を見た。
「あーら、本当だ。居ないわネ」
「ど、どこへ行ったんでしょうネ」
「ご不浄ふじょうへ行ったんじゃないこと」
「ああ、ご不浄へネ。そうかしら……でも変ね。この方、ご不浄へ行っちゃいけないことになってんのよ」
「まあどうして?」
「どうしてといってネ、この方、つまり……あれなのよ、が悪いんでしょ。それでラジウムでいているんですわ。判るでしょう。つまり肛門こうもんにラジウムを差し込んであるんだから、ご不浄へは行っちゃいけないのよ」
「治療中だからなのねェ」
「それもそうだけれどサ、もし用を足している間に、下に落ちてしまうと、あのラジウムは小さいから、どこへ行ったか解らなくなるおそれがあるでしょう」
「そうね。ラジウムて随分ずいぶん高価たかいんでしょ」
「ええ。婦長さんが云ってたわ。あの鉛筆のしんほどの太さでわずか一センチほどの長さなのが、時価五六万円もするですって。ああ大変、あれが無くなっちゃ大変だわ。あたし、ご不浄へ行って探してみるわ。だけどもし万一見付からなかったら、あたし、どうしたらいいでしょうネ」
「そんなことよか、早く行って探していらっしゃいよ」
「そうね。ああ、大変!」
 林檎のように顔色の良かった看護婦も、にわかに青森産あおもりさんのそれのように蒼味あおみを加えて、アタフタと室外へ出ていった。
 だが彼女は、出ていったと思ったら、五分間と経たないうちに、もう引返して来た。引返して来たというより、むしろ飛び込んで来たという方が当っていた。その顔色と云えばまったく血の気もなく蒼褪あおざめて――。
「ああーら、どこにもあの人、居ないわ。あたし、どうしましょう。ああーッ」
 彼女は、藻抜もぬけのからの寝台の上に身を投げかけると、あたりははからずオンオン泣き出した。その奇妙な泣き声におどろいて、婦長が駆けつけてくる。朋輩ほうばいが寄ってくる。はては医局いきょくドアが開いて医局長以下が、白い手術着をヒラつかせて、
「なんだなんだ」
「どうしたどうした」
 と、泣き声のする見当けんとうしてきた。
 それからの病院内の騒ぎについては、説明するまでもあるまい。なにしろ時価三万五千円のラジウムを肛門にはさんだ患者が行方不明になったというのである。患者のことはかく、ラジウムはどっかそこら辺の廊下にでも落ちていまいかというので、用務員は勿論、看護婦までが総出で探しまわった。
「無い……」
「どうも見つからん」
「困ったわねエ。でも探すものが、あまり小さすぎるのだわ」
 そのうちに廊下に大きな掲示が貼り出された。「懸賞」と赤インキで二重丸をうった見出しで、「ラジウムを発見したる者には、金五百円也を呈上ていじょうするものなり」と、墨痕ぼっこんあざやかにしたためてあった。この掲示が出て騒ぎは一段と大きくなった。
 だが結局、判らぬものは遂に判らなかった。五百円懸賞の偉力いりょくをもってしても、ラジウムは出て来なかった。なにしろ太さといえば鉛筆のしんぐらいで、長さは僅か一センチほどというのであるから、廊下に落ちれば、風に吹きとばされるであろうし、便所の中に落ちてサアと流れ出せば、なおさら判らなくなるだろうし、ことに患者の体内に入ったままとすれば、患者がどこへ行ったかが判らなければ駄目だった。
 病院の一室では、責任者たちの緊急会議が開かれた。結局原因は、ラジウムを盗むつもりでやって来たのだろうという説が有力だったが、婦長の如きは、患者がらずに三十分以上もあのラジウムを肛門に入れて置くと、ラジウムのために肛門のへんがとりかえしのつかぬ程腐ってついには一命いちめいかかわるだろうなどと心配した。しかし誰が盗んでいったか、そいつばかりは誰にも判らなかった。
 ――と云う事件について、今も尚みなさんは多少の記憶を持っていられないだろうか。あの「ラジウム入り患者の失踪事件」というのが、新聞に報道されたのは、もう今から五年あまり昔のことだった。
 あの事件に興味を持って、その後の記事を楽しみになすった方もあったろうが、そういう方はきっと失望せられたに違いない。なぜなれば、あれから後、あの患者が逮捕されたという話も無ければ、用務員さんがラジウムを発見して五百円貰ったという記事も出なかったからである。あの事件の報道は、あれっきりのことで、ようとして後日物語がうち断たれてある有様だった。

 五年あまり後の今日――
 ここにはからずも、あの「ラジウム入り患者の失踪しっそう事件」の真相と、その後日物語を発表する機会を与えられたことを、みなさんに感謝する次第である。
 さてあの時価金三万五千円也のラジウムはどうしたか。それから、あのラジウム入りの患者はどうなったか。
 患者の方については、なによりもまず安心せられたい。あの思いやりのある婦長さんや、新聞記者君が心配して下すったことは、遂に杞憂きゆうに終ったのであるから。つまりあの患者は、ラジウムに生命いのちを取られることなしに、うまく助かったのである。そして今もピンピンしている。ピンピンしているどころか、こうして原稿用紙に向ってペンを動かしているのである。
 あの失踪した患者というのは、じつくいうそれがしなのである。本名を名乗ってもいい。丸田丸四郎――これが私の本名である。
 こう名乗ってしまうと、まず真先まっさきかれるだろうと思うことは、
「どうしてお前は、病院のベッドから居なくなったのだ」ということだろう。
 これについては、正直に次のように答えたい。「そいつはかねての順序だったのだ……」
 予ての順序だったのだ。つまりラジウムを挿入そうにゅうされて、ほんのすこしだけれど、じっと寝かされるのを待っていたのだ。医師と看護婦とは、私が寝台ベッドの上にくぎづけになっているだろうことを信じて疑わなかった。
「動かないで下さい。ちょっとの間ですから」
 と医師は私に云った。そして看護婦の方を向いて、
「いいかネ。二十分だよ。……僕は医局にいるからネ」
「はア。――」
 そして医師が向うへ行ってしまうと間もなく看護婦は私に云った。
「動かないで下さい。ちょっとの間ですから。――」
 そういって彼女は、林檎のような頬に、千恵蔵ちえぞう氏のついている映画雑誌をなつかしくてたまらぬという風に押しあて、そして向うへパタパタと行ってしまった。多分その千恵蔵氏を残念ながら誰かに返す時間が来ていたのであろう。
 そこで私は、たいへん自然に、ベッドから起き上って脱出する機会をつかんだ。近所には別のあおぶくれの看護婦が、しきりに編物をしていたが、彼女は編物趣味の時間を楽しんでいるわけであって、管轄かんかつちがいのベッドに寝ている私の立居振舞たちいふるまいについては、まったく無関心だった。だから私は実に威風いふう堂々と、あの部屋を脱出していった。
 私は直ぐに便所へ行った。
 鍵をしっかりおろすと、私はかねて勝手を知ったる身体の一部を指先でまさぐった。はたしてそこには、丈夫な二本の細いひもさがっているのを探しあてた。
「ううーン」
 と私は呼吸をはかりながら、指先でその紐をギュッギュッと引張った。果して手応てごたえがあった。やがてズルズルと出て来たのは小銃の弾丸のような細長い容器に入ったラジウムだった。私はそれを白紙はくしの上に取って、ニヤリとほほえんだ。
「叩き売っても、まず……三万両は確かだろう」
 私は白紙をクルクルと丸めると、着物のたもとに無造作に投げこんだ。そして嬉しさにワクワクする胸をおさえて、表玄関の人込ひとごみの中を首尾よく脱出したのだった。
 こうして私の永く研究していたスポーツは、筋書どおりにうまく運んだのだった。これで私も、末の見込みのない平事務員の足を洗って、末は田舎へ引込むなりして悠々自適ゆうゆうじてきの生活ができるというものと、よろこびにふるえた。
「ではお前は、あのラジウムを直ぐ処分したのかネ」とかれるであろう。
 直ぐ処分するということは、およそ泥棒と名のつく人間の誰でもやるであろうところの平々凡々の手だ。そして同時に拙劣せつれつな手でもある。――私はそんな手は採用しなかった。
 そこで私の第二段の計画にうつった。それは、大変突飛とっぴな計画だった。私はその足ですぐに日本橋の某百貨店へ行った。そこの貴金属売場へゆくと、誰にも発見されるような万引をやった。果して私は逮捕せられてしまった。それでいいのだった。
 なぜなれば、即日そくじつから、身体の自由を失ったと云うことは、即日から、私は警察の保護をうけたことになるのだ。
 常習万引じょうしゅうまんびきの罪状はきわめて明白めいはくだった。予審よしんが済むと、私の身柄は直ちに近郊の刑務所に移された。やがて判決言渡いいわたしがあった。
「被告ヲ懲役ちょうえき五年ニしょス!」
 私は晴れて刑務所の人間になった。私は落ちつくところへ落着いて、たいへん安心したのだった。
 その頃、世間では「ラジウム入り患者の失踪事件」のことなんか、もうすっかり忘れてしまっていた。病院の方でも、もう出ないものとあきらめていた。警察では、真犯人の私のことを、あろうことかあるまいことか、常習万引罪で刑務所に封鎖してしまったので、いくらちまたを探したって、犯人があみかかる筈がなかった。かくして例の事件は、盲点もうてんに巧みに隠蔽いんぺいせられることとなった。
 それはそれで大変うまくいったのだが、唯一つ困ったことが出来た。
「なんか異状はないか」
 と看守が、私の独房の窓から、室内を覗きこんだ。
「はア、困っていますんで……」
「困っている? それは何か」
でござんす。痛みますんで、夜もオチオチ睡れません」
「睡れないのは、誰でも入りたてはちと睡れぬものさ。痔だなんて、つまらん芝居をするなよ」
「芝居じゃありませんです。じゃそこで看守さんは見て居て下さい。いま此処で股引ももひきを脱いで、御覧に入れますから」
 そういって私は柿色の股引に手をかけた。
「ば、ば、馬鹿」と看守はあわてて呶鳴どなった。「おれが見ても判らん。上申じょうしんしてやるから一両日待っとれッ」
 ガチャンと窓にふたをして、看守は向うへ行ってしまった。
 私は顔をしかめながら、茣蓙ござだけが敷いてある寝台の上にゴロリと横になった。
 ――思いかえしてみると、痔の悪くなるのも無理がなかった。あの病院へ行っていたころ、本当に悪かったのである。あれからこっち、汗をかくほどの活動を、それからそれへとした上に、ラジウムの隠しどころとして、あの肉ポケットを利用した時間が実に相当の量にのぼったのだった。その結果、患部かんぶ悪化あっかした。いじりまわしたのが悪かったのか、それともラジウムを長い時間、患部に接して置いたのが悪かったのか。
 そういえば、ハッキリ刑務所の人間となるときに、私は千番に一番のかねいという冒険をしたのだった。あのとき、私のあらゆる持ちものは没収ぼっしゅうされ、ぱだかにしてほうり出されたのだ。それまではラジウムを、あっちのポケットからこっちのポケットへと、頻繁ひんぱんに出し入れしていた。同じところに永く入れて置くと、たとい洋服だの襯衣シャツだのをとおしてでも、ラジウムの近くにある皮膚にラジウムけをしょうずるからだ。ところが、この素ッ裸にされ、そしてやがてえりに番号の入った柿色かきいろの制服を与えられる場合になっては、最早もはやラジウムはそのままにして置けなかった。洋服の一部分に入れて置けばよいようなものであるが、五年も同じところに入れて置くと、洋服の生地がボロボロになり、その隙間すきまからラジウムは自然に下に転がり落ちるだろうと考えられたからだ。ボタンに穴を明けて置いて、その中にラジウムをめこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力いりょくは、洋服の生地きじ馬蹄ばていで作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。――結局、柿色の制服を着る際には、どうしてもラジウムを、あの肉ポケットに入れて、うまく独房どくぼうの中へ持ち込むより外に、いい手はなかった。
 こんな風で、私の肉ポケットの疾患しっかんは、更に悪化したのだった。ラジウムも適当なる時間を限って患部に当てれば、吃驚びっくりするほど治癒ちゆが早いが、度を過ごすと飛んだことになるのだった。
「おい一九九四号、出てこい」
「はア。――」
「医務室へ連れてゆくから出て来い」
「はア。――」
 私はラジウムを、清掃用せいそうようほうきのモジャモジャした中に隠してそれから看守に連れられて外に出た。
(おオ、おオ)
 と向いの一二二二号が小窓から顔を出して、私にサインを送った。彼はこの刑務所へ入って出来た最初の友達であり先輩だった。本名ほんみょう五十嵐庄吉いがらししょうきちといい、罪状ざいじょう掏摸すりだとのことだった。
 さて私は、その日から、の治療をうけることになった。何かにつけ、娑婆しゃばとは段違だんちがいにみじめな所内しょないではあるが、医務室だけは浮世並うきよなみだった。
「少し痛いが、辛抱しんぼうしろよ」
 と医務長は云った。なるほど手術は痛くて、蚕豆そらまめのようななみだがポロポロと出た。
 独房へ帰って来ても、痛くて起上れなかった。このままでは、腰が抜けてしまうのではないかと思った。私はそのとき、ほうきの中に隠してあるラジウムを思い出した。私は朝と夜との二回、ラジウムを取り出して患部にあてた。そして毎日それを繰返した。
「どうだ、吃驚びっくりするほど、早くよくなったじゃないか」
 と医務長は得意の鼻をうごめかせて云った。
「へーい」
 私は感謝をしてみせたが、はらの中ではフフンと笑った。医務長の腕がいいのではない。私のやっているラジウム療法がいいのだ。――こんなわけで、痔の方は間もなくなおってしまった。
 それからは、まことに単調な日が続いた。
 初めのうちは、刑務所ほど平和な、そして気楽な棲家すみかはないと思ってよろこんでいた。しかし何から何まで単調な所内の生活に、つい愛想あいそうをつかしてしまった。
 もっとも、私達は手をつかねて遊んでいるわけではない。私達の一団は、紙風船かみふうせんっているのである。広い土間どまの上に、薄い板が張ってあって、その一隅いちぐうに、この風船作業が四組固まって毎日のように、風船を貼っているのだった。それは刑務所の中での一番はなやかな手仕事だった。赤と青と黄、それから紫に桃色に水色に緑というような強烈な色彩の蝋紙ろうがみが、あたりに散ばっていた。何のことはない、陽春ようしゅん四月頃の花壇かだんの中に坐ったような光景だった。向うの隅で、あさの糸つなぎをやっている囚人たちは、絶えず視線をチラリチラリと紙風船の作業場へ送って、こころよ昂奮こうふんむさぼるのであった。
 風船をつくるには、色とりどりの蝋紙の全紙ぜんしを、まずそれぞれの大きさにしたがって、長い花びらのように切り、それを積み重ねておく。それから小さいオブラートのような円形えんけいを切り抜いて積み重ねる。これは風船の、呼吸いきを吹きこむところと、その反対のお尻のところとの両方に貼る尻あて紙である。呼吸を吹きこむ方のには、小さい穴を明けて置く、これだけが風船の材料であるが、それを豊富にとりそろえて置く。
 紙風船の作業は、一番初めに、あの花びらのような材料の組み合わせを作る。たとえば赤と黄との二色を、一つ置きに張った風船をつくるのであると、そのような二種の花びらを揃える。それから一枚一枚、すこしずつはずして並べ、ゴムのりを塗る。それが一役。
 次へ廻ると、ゴム糊のかわかぬほどの速度で、その花びらを一つ置きに張ってゆく。すると台のない提灯ちょうちんのようなものが出来る。これが一役で、四五人でやる。
 今度はそれの乾いた分から取って、半分に折り、丁度ちょうどわんのような形にする。これも一役。
 次は私と五十嵐庄吉とのやっている作業であるが、二人の間に、張型はりがたのフットボールの球に足をつけたようなものが置いてある。まず五十嵐の方が、二つに折られて来た紙風船をとって、いきなりこのフットボールの上にパッと被せる。すると私は、オブラートにのりをつけたものを持っていて、その風船の肛門こうもんのようなところへ円い色紙をペタリと貼りつける。すると間髪かんぱつを入れず、五十嵐の方が風船をフットボールからはずすと、素早くお椀みたいなのを裏返しにして、もう一度フットボールの上に載せる、すると反対の側の風船の肛門が出てくるから、私は小さい穴のあいている方のオブラートをペタリと貼るのである。それで紙風船の作業は終った。
 あとは五十嵐が、出来上った紙風船を、おわんを積むように、ドンドン積み重ねてゆく。すると、ときどき検査係が廻って来て、その風船の山を向うへはこんでいってしまう。
 私と五十嵐とは、うまく呼吸いきわせて、
「はッ、――」ポン。
「いやア。――」ポン。
 と、まるでつづみを打っているように、紙風船の肛門を貼ってゆくのであった。――だがこんな仕事は、せいぜい一と月もやれば、いやになるものだった。
 しかし月日の経つのは早いもので、そのうちに刑務所のお正月を、とうとう五度、迎えてしまった。やがて二月が来れば、いよいよ娑婆しゃばの人になれることとなった。その後、あのラジウムはついあやしまれることもなく、私の独房のほうきの中に、五年の歳月を送ったのだった。私に新たな希望の光がだんだんと明るく燃えだした。私は暮夜ぼや、あの鉛筆のしんほどのラジウムをてのひらの上に転がしては、紅い灯のつく裏街の風景などを胸に描いていた。
 ところが出獄しゅつごくも、もうあと三週間に迫ったという一月二十五日のこと、私の独房に、思いがけない二人の来訪者があった。
「オイ、一九九四号、起きてるか。――」
 看守の後から背広姿の二人の訪客が入って来た。私は保釈ほしゃく出獄の使者だろうと直感した。
(オヤ)私は心の中でいぶかった。二人の客のうちの一人は、見知り越しの医務長だった。もう一人は、日焼けのした背の高いスポーツマンのような男だった。
「この男ですよ。入ったときは、実にひどい痔でしてナ、ところが私の例の治療法で、予期しないほど早くなおってしまいました」
「はア、はア」
「どうか何なとお話下さい。あとでこの男の患部を御覧に入れましょう」
「いや、それには及びません。ただ、すこし話をして見たいです」
「それはどうぞ御自由に……」
 その見馴みなれぬ紳士は、私の痔病について、いろいろと質問を発した。私はそれについてよどみなく返事をすることにつとめた。しかしあの病院のことだけは言わなかった。
 紳士は大した質問もせずに、医務長と共に引上げていった。
 そのあとで私はガッカリして、便器の上に蓋をして作ってある椅子の上に腰を下した。
(どうも変だナ)
 紳士は一見医師としか見えぬ質問をしていったが、どうも医師くさいところに欠けているような気がした。きずを持つすねには、それがピーンと響いたのだった。
探偵でかかしら……)
 にわかの不安に私の胸はおののきはじめた。
(これァいかん)
 私は真先に、ラジウムの処分問題を考えた。この調子では、私の肉ポケットに入れて出ることは、明かに危険であると感じた。きっと出獄の前に、いまの二人が私の肉ポケットを点検するだろう。そのときこそ百年目に違いない。――私は至急に別なラジウムの隠し場所を考え出さねばならなかった。
「オイ丸田」と作業場で声をかけたのは五十嵐だった。
昨夜ゆうべは大したお客さまだったナ」
「うん」
「あの若い方を知っているかネ」
「背の高い男のことだろう。――知らない」
「知らない? はッはッはッ。馬鹿だなァお前は。あれは帆村ほむらという探偵だぜ」
「探偵? やっぱりそうか」
「どうだ思い当ることがあろうがナ」
「うん。――いいや、無い」
「う、嘘をつけ。おれが力になってやる。手前てめえの仕事のうちで、まだ警察に知れていないのがあるネ」
「いいや、何にも無い!」
 私はいつになく、この無二の親友の好意をしりぞけたのだった。いくら五ヶ年の親友だって、こればかりは打ち明けかねるというものだ。
 それから私たちは、無言むごんうちに仕事をやった。それは私たちにとって珍らしいことだった。二人はこの仕事の間に、たとえ話がないにしろ、軽いにくまぐち懸声かけごえなどをかけて仕事をするのが例だったから。
 だまっているお蔭で、遂に私は素晴すばらしいことを発見した。それはあのラジウムを、安全に獄外へはこびだす工夫だった。まず大丈夫うまく行くと思われる一つの思い付きだった。
 その日、昼食ちゅうじきんで、囚人たちは一旦各自の監房へ入れられ、暫くの休息を与えられた。やがて鐘の音と共に、またゾロゾロと列を組んで、作業場に入っていった。そのとき私は、あのラジウムを裸のままで持ち出した。それは柿色の制服の、腰のところにある縫い目に入れて置いた。
 作業場へ入ると、私は一同に準備を命じた。私は組長だったから、作業の初めにあたって、一同の面倒を見てやるため、あっちへいったり、こっちへ来たりすることが許されていた。
「オイ、材料を見せろ」
 と私はせギスの青年に云った。
「へえ、これだけ出来ています」
 私はその紙風船の花びらの束を解いて、パラパラと引繰りかえしていたが、
「おい、一枚足りないぞ」
「え?」
「ナニ、いいよいいよ」と私は云いながら、隅ッこに駄目な花びらが乱雑にまるめてあるところへ寄った。そして中から、一枚の柿色の花びらを取った。「こいつを入れとこう」
「それは駄目です」
 柿色の花びらというのは、実は不合格にすべきものだった。それは蝋紙ろうがみの黄の上に、間違って桃色が二重刷じゅうずりになったものだった。これは二色が重なって、柿色という思いもかけぬ色紙になった。元来すこし位、色が変わっても、子供の玩具おもちゃのことだからいいことになっているのだが、柿色という色は囚人の制服と同じ色であるところから、われわれ囚人の方で厭がってハネることにしているのであった、それは看守も大目に見ていたのだった。
「なアに、一枚だけだ。これでいいよ。あとは捨てろ。この屑山くずやまを直ぐ捨てて来い」
 そういうなり私は、柿色の花びらを一枚束の中に加えた。一枚ぐらい余分に加わっても別に作業に不都合はなかった。
 それが済むと、私は自分の作業台のところへ帰って来た。そこには五十嵐が何喰わぬ顔で待っていた。
 作業は始まった。
 私は柿色の花びらのついた紙風船が、もう来るか来るかと、首を長くして待った。
(あ、来たぞ)柿色の紙風船は、遂に私たちの方に廻って来た。五十嵐は無造作に二つに折って、バサリとたまの上に被せた。
「やあ」ポーン。
 と私は丸い風船の尻あてを貼りつけた。だがそこに千番に一番のかねあい……というほどでもないが、糊のついたところに例の裸のラジウムをくっつけるが早いか、その方を下にしてポーンと柿色の紙風船に貼りつけたのであった、つまり鉛筆のしんの折れほどのラジウムは、紙風船の花びらと尻あてとの紙の間に巧みに貼り込まれてしまったのだった。
「いやァ。――」ポン。
 五十嵐は同じ調子で、そのラジウム入りの風船をひっくりかえした。私はチラリと彼の顔を見たが、彼は口をだらしなく開いて、眼はむそうに半開はんかいになっていた。彼は私の大それた計画に爪ほども気がついていないらしかった。私は大安心をして、ポーンと丸い色紙を貼りつけたのだった。五十嵐はその柿色の紙風船に見向きもせず、腕をサッと横に伸ばして今まで出来た紙風船の上に積みかさねた。そこへおあつらえ向きに検査係が来て、その一と山の紙風船を向うへ持っていった。私はうまくいったと心中躍りあがらんばかりに喜び、ホッと溜息をもらした。
 こうしてラジウムは、柿色の紙風船の中に入ったまま、私の手を離れていったのだった。
 それから後の話は別にするほどのこともない。私は予定より二週間ばかり早く、刑務所を出された。出るときは、はたしてあの帆村とかいう探偵立合いの下に、肉ポケットの中を入念に調べられたが、それは彼等を失望させるに役立ったばかりだった。私が出所したあとで、私の囚人服や独房内が、大勢の看守の手で大騒ぎをして取調べられていることだろうと思って、したくなった。
 娑婆の風は実にいいものだった。ピューッとからッ風が吹いて来ると、オーヴァーのえり深々ふかぶかと立てた。
「ああ、寒い」
 風が寒いのを感じるなんて、何という幸福なことだろう。私は五年間に貰いためた労役ろうえきの賃金の入った状袋じょうぶくろをしっかりと握りながら、物珍ものめずらしげに、四辺あたりを見廻したのだった。
 そこへ一台の円タクが来た。呼びとめて、車を浅草へ走らせる。円タクに乗るのも、あれ以来だった。私は手を内懐うちぶところへ入れて、状袋じょうぶくろの中から五十銭玉を裸のまま取り出した。
「旦那、浅草はどこです」
「あ、浅草の、そうだ浅草橋の近所でいいよ」
「浅草橋ならすこし行き過ぎましたよ」
「いや、近くならばどこでもいい。おろして呉れ」
 私は綺麗な鋪道ほどうの上に下りた。だが何となく刑務所の仕事場を思い出させるようなコンクリートの路面だった。私はいやな気がした。
 そこで私は、トコトコ歩き出した。
 訪ねる先は、七軒町しちけんちょう玩具問屋おもちゃどんや丸福商店まるふくしょうてんだった。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、相当まごついたが、やっと思う店を探しあてた。店頭にはにぎやかにたこ羽根はねがぶら下り、セルロイドのラッパだの、サーベルだの、紙でこしらえた鉄兜てつかぶとだの、それからそれへと、さまざまなものが所も狭く、天井から下っていた。――私は臆面おくめんもなく、店先へ腰を下した。
「いらっしゃいまし。何、あげます?」
 と小僧さんがたずねた。
「ああ、紙風船が欲しいのですがネ、すこし注文があるので、一ついろいろ見せて下さい」
「よろしゅうございます。――紙風船といいますと、こんなところで……」
 と小僧さんは指さした。なんのことだ、私の坐った膝の前、あの懐しい紙風船が山と積まれているのだ。
(おお。――)
 私の胸は早鐘のように鳴りだした。風船を両手でかき集め、しっかりおさえたい衝動に駆られた。だが私も、刑務所生活をして、いやにキョトキョトして来たものである。
「そうですネ。――」
 と私は無理に気を落ち着けて、風船の山を上から下へと調べていった。
(柿色の風船は?)
 無い、無い。無いことはないのだが……。およそ私の居た刑務所の紙風船は、一つのこらずこの丸福商店に買われることになっているのだ。それは刑務所で入札にゅうさつの結果、本年も紙風船は丸福に落ちていたのだった。だから柿色の紙風船は、この店にあるより外に、行く先がなかった。売れたのかしら?
「……もう風船はないのですか」
唯今ただいま、これだけで……」
「そうですか。どこかにしまってあるんじゃないですか」
「いいえ」
 小僧さんは悲しいことを云った。
 私はガッカリして、立ち上る元気もなかった。そのとき奥から番頭らしいのが、声をかけた。
「吉松。さっき、あすこから来たのがあるじゃないか。あれを御覧に入れなさい」
「ああ、そうでしたネ。……少々お待ち下さい。今日入った分がございましたから」
「今日入ったのですか。ああ、そうですか」
 私はよろこびにあめのようにくずれてくる顔の形を、どうすることも出来なかった。小僧さんは、大きいハトロンの包みをベリベリといた。
「これは如何いかがさまで……」
「ああ――。」
 私は一と目で、柿色の紙風船がかさなっているところを見付けた。
「あ、こいつはおあつらきだ。こいつを買いましょう。」
 私は十円紙幣さつほうり出して、沢山の風船を買った。小僧さんが包んでくれる間も、誰かが邪魔じゃまにやって来ないかと、気が気じゃなかった。だがそれは杞憂きゆうにすぎなかった。
 私は風船の入った包みをぶら下げて、店を出た。ところが店の前を五六間行くか行かないところで、私はギョッとした。私の顔見知りの男が、向うから歩いて来るのである。それは帆村という探偵に違いなかった。
(これは――)と咄嗟とっさに私は決心を固めたが、幸いにも帆村探偵は、並び並んだ玩具問屋おもちゃどんやの看板にばかり気をとられて歩いているらしかった。私はスルリと電柱の蔭に隠れて、とうとうこの間抜け探偵をやりすごした。
 私はすぐに円タクを雇うと、両国りょうごくへ走らせた。国技館前で降りて、横丁を入ってゆくと、幸楽館こうらくかんという円宿えんしゅくホテルがあった。私はそこのドアを押した。
 三階へ上り、部屋からお手伝いさんを追い出すのももどかしかった。宿泊料とチップを受けとって、ふくらすずめのようなお手伝いさんが出てゆくと、私は外套がいとうを脱ぎ、上衣うわぎを脱いだ。そして持ってきた包みをベリベリと剥がした。ナイフなんか使ういとまがない。すべて爪の先で破った。
 出て来た出て来た。
「柿色の紙風船だァ!」
 ほかの紙風船は、室内にカーニヴァルの花吹雪はなふぶきのように散った。
「これだ、これだッ」
 とうとう探しあてた柿色の紙風船だった。私の眼は感きわまって、にわかに曇った。そのなみだ襯衣シャツの袖で横なぐりにこすりながら、私は紙風船の丸い尻あてのところを指先で探った。
「オヤ?」
 どうしたのだろう。尻あてのところに確かに手に触れなければならない硬いものが、どうしても触れないのだ。そこはスケートリンクのように平坦だった。
「そんな筈はない!」
 こらえきれなくなった私は、尻あてに指先をかけると、ベリベリと引っぺがした。すっかり裏をかえして調べてみた。ところが、やっぱり何も見当らない。これは尻あてと、呼吸いきを吹きこむ口紙の方と間違ったかナと思って、今度はそっちの方をひき※(「てへん+毟」、第4水準2-78-12)むしってみた。が、やっぱり無い。そんな筈はない。そんな筈はない。が、どうしても見当らないのだった。
「ああーッ」
 私の腰はヘナヘナと床の上に崩れてしまった。夢ならばめよと思った。神様、もう冗談はよしましょうと叫んだ。時間よ、紙風船を破く前に帰れよとわめきたてた。だが、そんなことが何の役に立つというのだ。絶望、絶望、大絶望だった。数万の毛穴から、身体中のエネルギーが水蒸気のように放散ほうさんしてしまった。私は脱ぎ捨てられた着物のようになって、いつまでも床の上にたおれていた。

 それはどれほど後だったかしらぬ。私はようやく気がついて、床の上に起き直った。
 考えてみると、随分馬鹿な話だった。あれほどうまく隠しおおせた三万五千円のラジウムが、とうとう行方不明になってしまったのだ。だが、あの日までは私の手のうちにあったラジウムである。現在も地球上の、どっかに存在しているはずであった。
 そう思うと又口惜くやなみだがポロポロ流れ落ちて来るのだった。人生の名誉を賭けたあのラジウムを、そんなに簡単に失ってなるものかと歯ぎしり噛んだ。
「一体どこで失ったんだろう?」
 私はあの日からのちのことをいろいろと思いつづって見た。いろいろと考えられはしたが、結局しっかりしたことは判らない。しかし一旦のりで紙の間に入れたラジウムが、こんな短期に脱け落ちるのはおかしい。といって風船が違ったわけでもない。この柿色の風船のように、半端な色花びらをわせたものはほかにない筈だ。
 私は同じことを、いくたびも繰り返し繰り返し考え直した。考え直しているうちに、ふと気がついたことがあった!
「おお、あれかも知れない」
 私はムクリと起き上った。
「いや、あれに違いないぞ。うん、そうだ」
 私の全身には、にわかに血潮の流れが早くなった。手足がビリビリとふるえてきた。
「よォし、畜生……」
 私は戸外こがいの暗闇に走りでた。

 さてそれから後のことを、どう皆さんに伝えたらいいだろうか。私はすこし語りつかれたので、結末を簡単に述べようと思う。その結末というのは、恐らく、もう皆さんの目にハッキリと映っていることと思う。そういって判らなければ、もっと明瞭めいりょうに云おう。
 皆さんは、二月二十日付の朝刊を見られたであろうと思う。その社会面の中で、なにが皆さんを最もおどろかしたであろうか。
 それは云うまでもあるまい。
山麓さんろく荒小屋あれごやに発見されたる怪屍体」という見出しで、「昨十九日午前八時、×大学生××は××山麓さんろくの荒れ小屋の中において休息せんとしたところ、はからずもその中に年齢四十二三歳と推定される男の素裸の怪屍体を発見した。警報をうけて警視庁の大江山おおえやま捜査課長以下は、鑑識かんしき課員を伴って現場げんじょうに急行した。現場には同人どうにんのものらしき和服と二重まわしが脱ぎ捨てられてあったが、その外に何のため使用したか長い麻縄あさなわ遺棄いきされてあった。其の他に持ちものはない。屍体は即日解剖に附せられたが、この男の死因は主として飢餓きがによるものと判明した。なお屍体の特徴として、左肋骨ろっこつの下に、いちじるしい潰瘍かいようの存することを発見した。しかしその成因其他せいいんそのたについては未詳みしょうであるが、とにかく兇行に関係のある重大なる謎として係官の注意を集めている。
 後報。――被害者の身許が判明した。彼は五十嵐庄吉(三九)であった。十日前に××刑務所を出獄した掏摸すり十二犯の悪漢である。彼は刑務所を出で、正門前に待ち合わせていた自動車に乗ったまま行方不明となったもので、同人の家族から××署へ捜索願そうさくねがいが出ていたものである。犯人はいまだ不明であるが、多分同人をうらんでいた者の復仇ふっきゅうらしい見込みである。警視庁では同人を連れ去った自動車と運転手を極力きょくりょく厳探中げんたんちゅうである云々」
 五十嵐庄吉が惨殺ざんさつされ、しかも左肋骨の下に不可解の潰瘍の存することについて、皆さんは心当りがないであろうか。
 あいつは掏摸すりの名人だった。私はそれをつい永い間忘れていた。いや私はもっと忘れていたことがあったのだ。刑務所は学校と同じことに、立派な人間ばかりいて、立派な友情があふれるほど存在しているものだとばかり誤解していたことだ。
 私が風船にラジウムを入れたとき、五十嵐の奴はそれを裏返したが、そのときおそのときはやしで、彼は、小器用こきように指先を使って、ラジウムをりとったに違いなかった。
 そのことについて今になって気がついた私は、刑務所の門前で運転手に化けると、刑務所の門前で出獄したばかりの彼をうまうまと誘拐ゆうかいしたのだった。そしてあの荒れ小屋に連れこむと、身の自由を奪っていろいろと折檻せっかんしたが、強情こうじょうな彼奴は、どうしても白状しなかった。私は怒りのあまり、遂に最後の手段をえらんだ。彼の身体をグルグルと麻縄あさなわで縛りあげると、ゴロリと床の上に転がした。そのまま幾日もほうって置いた。無論一滴の水も与えはしなかった。だから彼はつい飢餓きがと寒さのために死んでしまったのだった。
 私は彼の身体の冷くなるのを待って縄を解いた。そして素裸にすると全身をあらためた。そのときあの左肋骨ろっこつ下の潰瘍かいようを発見したのだった。
「そうら見ろ。貴様がラジウムの在所ありかしゃべらずとも、貴様の身体がハッキリ喋っているではないか。ざまァ見やがれ」
 私は早速彼の左のポケットの底を探って、とうとう目的のラジウムを引張り出したのだった。無論彼が白状せずともこのラジウムの力で、彼の身体の上に遠からずして潰瘍かいようが現われるだろうことを私は初手しょてから勘定に入れていたのだった。
 だが私もつまらんことから人殺しをしてしまった。今は後悔している。あのラジウムは、未だにそのまま持っている。それを金にえるためと、そして私の新しい世界を求めるため、今夜私は日本を去ろうとしている。多分永遠に日本には帰って来ないだろう。私はあれを金に換えた上で、赤い太陽の下に、花畑でも作って、あとの半生をノンビリと暮らすつもりである。





底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年2月号
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2005年5月26日作成
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