1
あの一見奇妙に見える新聞広告を出したのは、なにを隠そう、この
「
これをお読みになればお分りのとおり、妾はいま血肉をわけたはらからを探しているのである。今より十八年の昔というから、それは妾の五六歳ごろのことである。といえば妾の本当の年齢が知れてしまって恥かしいことではあるが、まあ算術などしないで置いていただきたい。
妾の尋ねるはらからについては、それ以前の記憶もなく、またその以後の記憶もない。まるで盲人が、永い人生を通じて只一回、それもほんの一瞬間だけ目があき、そのとき観たという光景がまざまざと
なぜ妾がはらからを探すのかという詳しいことについては、おいおいとお話しなければならぬ機会が来ようと思うから、今はまあ云うことを控えて置こうと思う。
――とにかく当時は五歳か六歳だった。黄八丈の着物に鹿の子の帯を締め、そしてお河童頭には紅いリボンを三つも結んでいるというのがそのころの妾自身の
「なぜ、あの幼童は、暗い座敷牢へ入れられていたのだろう?」
今もそれをまことに
イヤよく考えてみると、あの幼童は別に気が変になっていたようにも思われない。そのころ妾は四度か五度か、或いはもっとたびたびだったかも知れないが、その幼童の座敷牢へ遊びにいった憶えがあるのであるが、決して乱暴を働いているところを見たことがない。乱暴をするどころかその幼童はいつも大人しく寝床の中にじっと寝ていたのであった。ついぞ妾は一度も起きあがっているところを見たことがない。恐らく幼童は病身ででもあったのだろうと思う。一体病身の幼童を座敷牢へ監禁して置くような
親といったので、また一つ思いだしたけれど、妾がそのはらからの幼童のところへ遊びにいったときは、いつも必ず座敷牢の中に、妾の母がつきそっていた。母はやさしく、寝ている子供のために機嫌をとっていたようである。広告文にもちょっと書いておいたことだけれど、妾はそのころ髪をお河童にして、そこに紅いリボンを二つならず三つまでもカンカンに結びつけて
妾はその後もたびたび母に特別賞与の意味でお菓子を貰った上、その座敷牢へ連れてゆかれたように思うが、いつもそのカンカンに紅い三つのリボンを結んでゆくのがお決りだった。それにつけて、また不思議なことをもう一つ思い出すが、妾はそのとき得意になって暗い座敷牢の格子に駈けより、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
と顔と髪とをさし入れたのであったが、寝ているはらからはそのたびに味噌っ歯だらけの口を開けてキャッキャッと嬉しそうに笑うのであった。それはいいとして暫くするとそこで母はきっと妾によびかけて、ちょっと庭の方へ行って、立葵の花を一枝折ってきてくれと云いつけるのであった。それはいかにも
妾はしぶしぶ云いつけられたとおり庭に下り、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
妾は立葵を格子の中になげこむと、同じ言葉をくりかえしていうのであった。それを云わないと、母は妾を叱り必ず同じことを云わせられたものだった。幼童のはらからは再び妾のカンカンを見て、いかにも面白そうにゲラゲラと笑うのであった。そういうときに妾は奇妙な思いをしたことがあった。それは大口を明いて笑う幼童の歯並が、或るときは味噌ッ歯だらけで前が欠けていたと思うのに、或るときは大きい前歯が二本生え並んでいたことがあった。これは幼い妾にとっては奇妙なことというより外に仕様のないことだった。
妾はそのほかにも、舌切雀の遊戯を踊ったりして寝ているはらからを悦ばせることをやったけれど、必ずその途中で母の命令が出て、妾は庭へ下りると立葵の花を折ってきたり、
「いいカンカンでしょ、ばア……」
と同じことをやるのに対して、たいへん悦び合うのだった。だから妾はたびたび庭に下りさせられるのがすこし不満になった。あまり悦ばれもしないのに、そういちいち力を出して花や草を折ってくるのが
この紅いリボンのカンカンはよほど妾のはらからの気に入ったものらしく、或る日妾が何の気もつかずいつものような紅いカンカンを結んで座敷牢に近づくと、座敷牢に寝ていた幼童はさも待ちかねたという風に、いつになく頭を振っていまだ一度も見たことのないほど悦び騒いだ。妾は何ごとが起ったのだろうと訝しく思っていると、傍に附添っていた母が、
「ホラ
と妾に云うので、それで始めて気がついてよくよく幼童の髪を見ると、向うでも髪に、妾と同じような紅いリボンを、数も同じく三つつけていたのであった。
「カンカン。……」
と廻らない舌で叫び、あとはキャーッというような奇異な声をあげて、彼女――カンカンを
「ずるいわずるいわ、あんたはあたいよりも沢山リボンを持っていて、隠したりなんかしているんですもの……」
と妾は格子につかまって駄々をこねだした。母はその内側でなにかひそひそ優しく叱りつけている様子であったが、それは妾を叱りつけているわけではなかった。と云ってヘラヘラ笑いつづけている機嫌のよい幼童を叱っているのだとも、すこし違っているように思えた。母は暫くしてから格子の外の妾の方を向き、
「珠ちゃん、リボンの数は皆同じよ。ホラよくごらんなさい……」
といった。そういわれてからよく見ると、妾のはらからの頭にはチャンとリボンが三つついていた。さっき四つか五つぐらいに見えたのは思いちがいだったんだわと思ったことであった。もちろんその日も、妾は次の順序として、庭に追いやられた。それから再び座敷へ上ってきてから、
「あんたも今日はいいカンカンしているわねエ、皆同じだわネ」
と同じ
格子のなかの妾のはらからについては、妾はそれ以外に多くを憶えていない。第一どうしても思いだせないのは、彼女の名前だった。母は格子の中に寝ている子供を指して、これはお前のはらからで、同じ年である。お前の方がお姉さまだから、温和しく可愛いがってあげるのですよといったのは憶えているのだが、どうしてもそのはらからの名前が思い出せない。ひょっとすると、母はそのはらからの名前を妾に云わなかったのかも知れない。
妾がはらからについて記憶していることは大体右のような事だけである。その後のことについては全く知らない。その後のことは、座敷牢のはらからのことだけではなく、妾の母についても知るところがない。なぜなら妾はそれから間もなく、母と不幸なはらからとに別れてしまったからである。それは突然の別れであった。それについては、いずれ後に述べることになるが、とにかく思いがけない事件が、妾から母と妹――カンカンを結って喜んでいたはらからのことを、妹と呼んでいいだろう――とを奪ってしまったのだ。
その後ある機会に、妾の母は死んでしまったことを知った。そして残るのは妾の妹(?)の消息だけなのであるが、いま妾の企てている探索がもし成功しないとすれば、あの川添いの家でカンカンを見せ合ったときが、実に母と妹とに対する最後の別れとなるのである。
だが実を云えば、あの新聞広告は、妾のあのはらからの生死を確めることも目的ではあるけれども、妾としてはもっともっと重大な意味があることを一言申しあげて置かねばならない。それはいかなるわけかと云えば、最近妾は偶然の機会から船乗りだった亡父の残していった日記帳を発見し、その中に、実に何といったらいいか自分の一身上について、大きな謎に包まれた記載文を発見したのである。その文意は、気にしないでいるのにはあまりに奇々怪々に過ぎるのである。
――いまから二十三年前の二月十九日の父の日記帳には、次のようなことが書きつけてあった。
「二月十九日。――呪われてあれ、今日
2
三人の双生児?
二人の双生児なら、これはよく分るが、三人の双生児とはどうしたことであろうか。三とあるのは二の誤記ではあるまいかと思ったが、よく考えてみると、双生児が二人なら、別に改まって「二人の双生児」と断る必要はない筈である。三人だからこそ不思議なので、三人のと断ったものだと考えられる。二月十九日といえば、たしかに妾の誕生日なのである。これは妾の手文庫の中にあった妾の緒にチャント書いてあったから間違いはないと思う。すると二月十九日には妾の外にもう二人のはらからが誕生したことになる。
もっとも父は「授かる」と記し、「家内が産んだ」とは書いてないので、疑えば疑えないこともないが、まず授かるといえば、父の子供として認める意志があったように取れるので、出産のあったものと見るのが無難だと思う。
すると妾の母は、三人の双生児を生んだのであろうか。そしてそのうちの一人が、この妾なのである。残りの二人は何処にいるのであろうか。どうして三人で双生児なのであろうか。そういうことはあり得ることではない。二人ならば双生児だし、三人ならばどうしても三つ子といわなければならない。いくら三つ子が生れたからといって、父が三つ子を双生児と書き誤る筈はないと思う。そうなると、三人の双生児という有り得べからざる名称のうちに、何か異状の謎が語られていることになる。
妾はいろいろと
前に妾が述べたように、妹とカンカン競べをやったのが最後となって、母と妹とに別れた話をしたが、両人が妾の前から見えなくなって間もなく、父は親類の赤沢さんの伯父さんと大喧嘩をやったことを憶えている。恐らくこの喧嘩は母と妹とが見えなくなった事件と関係のあることだろうとは思うが、詳しいことは知らない。
と、間もなく妾は父に連れられて故郷を立ち、貨物船に妾ともども乗り組んだ。それから妾は父の死ぬまで四五年の海上生活を送ることになり、船の上で物心がついてきたのであった。
「お母アさま、どうしたの?」
と、妾はよくこの質問を父にしたことだった。それを云うと、父は急に機嫌を悪くして噛んで吐きだすように云った。
「おッ母アはどこかへ逃げちまったよ。お前が可愛くはないのだろうテ」
「あの立葵の咲いていた分れ家のネ」
「ウン」
「あの中に、あたしの
すると父は首を大きく振って、
「イヤイヤそうじゃないよ。あの子は赤沢の伯父さんが、どっかへ連れていってしまったんだよ。おッ母アは、あの子も可愛くないのだろう」
「じゃお母ア様は、誰が可愛いの」
「そりゃ分らん……赤沢にでも聞いてみるのじゃナ」
父は苦い顔をして応えた。
「ねえ、お父さま。もとのお家へ帰りましょうよ、ねえ」
「もとのお家? なぜそんなことを云うのだ」
と、父は俄かに声を荒らげていうのであった。
「もとの土地へ帰っても、もうお家などは無いのじゃ。あんな面白くもないところへ帰ってどうするんか。この船の上がいいじゃないか。じっとして、どんな賑かな港へでもゆける」
父は故郷を呪ってやまなかった。
「お父さま。あたしたちの故郷は、何というところなの」
「故郷のところかい。おお、お前は小さかったから、よく知らんのじゃなア。イヤ知らなけりゃ知らんでいる方がお前のためじゃ。そんなものは聞かんがいい、聞かんがいい」
と云って、父は妾が何といって頼んでも、故郷の地名を教えなかった。だから妾は、幼い日の故郷の印象を
いまにして思えば、あのとき何とかして故郷の方角でも父から
幸いに父が持って歩いていたトランクの中に、相当多額の遺産を残して置いてくれた。それは主として宝石と黄金製品とであったが、父が海外で求めて溜めていたものであろう。その遺産故に妾を世話する人もあって、こうして東京の地に大きくなることが出来たのであった。いま妾は至極気楽に見える生活をしている。数年前には、話が出来て
あの新聞広告を出したその翌日から、妾の住んでいる
まず第一にお話しなければならないのは、
春子女史は、薄もので
「新聞で拝見しましたんでございますけれど……」
と女史はさも慣れ切っているという風に話の口を切った。
「たいへん
妾は手文庫のなかから、父の日記帳をとりだした。それはポケット型というのであろう、たいへん小さな冊子で黒革の表紙もひどく端がすりきれて、その色も潮風にあたって黄いろく変色していた。それを開くと、中は
「ほう、こんなことが出ていますわ。――二月一日、『タラップ』ノ手摺ヲ修繕スル。相棒ガ不慣デナカナカ
「その赤沢というのは、伯父さんだと憶えています。一度父と大喧嘩をしたので、あたしは知っているのです」
「どんなことから大喧嘩なすったのでございましょう」
「さあそれは存じません」
「それは重大なことですね。……それから奥様のお生れ遊ばしたのは何日でございましょうか」
「その日記の最後の日附がそうなのです」
「ああそうでございますか。そうそう、この同じ二月十九日に、貴女さまはお生れ遊ばしたのでございますね」
そういって春子女史は日記の頁の最後のところまでめくり、
「ああ、ありました。二月十九日、オオ呪ワレテアレ、今日授カッタ三人ノ双生児! これでございますネ。三人の双生児!」
と、女流探偵は深刻な表情をして、三人の双生児! と口の中でくりかえした。
「いかがでございましょう。お心あたりがありまして」
と
「これは現地について調べるのが一番早や道でございますわ。探偵が机の上で結論を手品のように取出してみせるのはあれは探偵小説の作りごとでございますわ。本当の探偵は一にも実践、二にも実践――これが大事なので、そこにあたくしたちの腕の
「でもその現地というのが雲を掴むような話で第一何処だか見当がついていないのですよ」
「それは奥さま、調べるようにいたせば、分ることでございますわ」
と女史は
「広告にお書きになりましたサワ蟹とか立葵とかは、日本全国どこにもございまして、これは手懸りになりません。でも奥さまは、もっと何か地方的な特色のあることを御存知の筈と存じますわ。お小さいとき、よくお気のつくものとしては物売りの声、お祭りなどの行事、その辺のごく狭い地区の名、
そこで妾は変な
「物売の声で、なにか憶えていらっしゃるものはございません?」
「さあ、――」
と妾はこの意外な問いにすくなからず驚いた。そして長い間考えていたが、やっと一つ思い出すことが出来た。
「そうです、魚売りのおばさんの呼び声を思いだしましたわ。こうなんです――いなや
「おいんなはらーンででございますか。たいへん結構なお手懸りでございますわ。ではもう一つ、お祭の名称など、いかがでございます」
「さあ、――明神さまのお祭りだとか、それから太い竹を輪切りにしてくれるサギッチョウなどというものがありました」
「ああ
「近所の地名ですか何ですか。アタケといっていましたわ」
「ああアタケ、安宅と書くのでしょう。ああ、それですっかり分りました」
と、春子女史はいった。
「すると奥さまのお
女史の探偵眼はたいへん明快であった。どうして、そんな明快な答が出たのか妾には合点がゆかなかったけれど、彼女は別に高ぶる様子もなく、妾の故郷だという四国の安宅村へ、三人の双生児の実相を確めるために発足するといって辞し去った。妾は狐に鼻をつままれたように、女史を見送ったが、後になって一切が判明するまではこの女流探偵の
3
新聞広告を見て妾を尋ねてきた人の中で、第二にお話しておかなければならないのは、
その安宅という青年が邸に来たとき、妾は彼があまりに
「嘘を
と妾は少年――でもないが、その安宅真一を頭から
「そんなことはないでしょう。僕、これでも二十三か四なんです」
「あら、妾が二十三なのを知ってて、わざとそんなことを仰有るのでしょう」
「いえいえ、そんなことはありません。本当に二十三か四なんです」
「二十三か四ですって、三か四かハッキリしないのは、一体どういうわけなの」
安宅青年はそこで物悲しげに眉を
「実は僕は親なし子なんです。兄弟があるかどうかも分っていません。どうにかして小さいときのことを知りたいと思って気をつけていたところへ、あの新聞広告が眼についたのです。世の中には似たような人もあるものだナと思いました。とにかく伺ってみればもしや自分の幼いときのことが分る手懸りがありはしないかと思って、それでやって来たというわけです。僕は小さいときのことをすこしも憶えていません。記憶に残っている一番古いことは、たしか八九歳の頃です。そのころ僕は、お恥しいことですけれど、見世物に出ていました。鎮守さまのお祭のときなどには、
そういって語る安宅の顔付には、その年頃の
「僕を持っていたのは
「海盤車娘って、あんたの身体になにか異ったところでもあるんですか」
と妾はゾクゾクしながら尋ねたのだった。
「それは異状があれば有るといえるのでしょう。でも結局は興行師の無理なこじつけでした。それで見物の衆はインチキ見世物を見せられたことになると思うのですが、実は僕の背の左側に楕円形の大きな
「まあ、ちょっと待ってちょうだい――」
出されてはたいへんなので、思わず妾は悲鳴にちかい声をあげた。なんといういやらしい男があったものであろう。新聞広告を出したために、たいへんな人間がとびこんできたものであった。肩口のところで紅くなってムクムク膨れ出してくる第三本目の腕の痕など、ちょっと一と目見たい好奇心もおこるけれど、やはり恐ろしかった。
「それであんたは妾の兄弟だと思っているの」
と、妾は話頭を転じたのだった。
「さあ、それを確かめたくて伺ったのですけれど、とにかく僕は貴女がなにか関係のある人に思われてならないのです」
聞けば聞くほど、興味の深い
「こうして話を伺っていると、あたしとあんたとは、たいへん身の上が似ているように思いますわよ。でも、あたしとしては、知りたいと思う一番大事なことが、いまのあんたの話では説明されてないように思うのよ。第一それはネ、あたしと双生児のその相手というのは、あんたみたいに男ではなくて、女だと信じているわ。つまりこうなのよ。あたしが小さいとき、その双生児の寝ている座敷牢のようなところへ行ったときに、その子は頭髪に赤いリボンをつけていたのをハッキリ憶えているのよ。赤いリボンをつけているんだから、きっとその子は女に違いないと思うわ」
「しかし僕は、長いこと女の子にされてしまって海盤車娘というやつをやっていました。女といえば女じゃありませんか」
「さあ、それは違うでしょう。あんたが女の子に化けたのは八九歳から後のことでしょう。興行師の手に渡ってから、都合のよい女の子にされちまったんじゃありませんか。あたしの憶えているのはずっと幼い五六歳のころのことです。その頃のあたしはちゃんと父母の手で育てられていたので、男の子を特別に女の子にして育てるというようなことはなかったと思うわ」
「そうでしょうかしら」
と真一は物悲しげに唇を曲げた。
「それにサ、世間をみても双生児には男同志とか女同志とかが多いじゃないこと。そしてさっきからあんたの顔を見ているのだけれど、あんたとあたしとはまるで顔形も違っていれば、身体のつきも全然違っているように思うわ。ね、そうでしょう。どこもここも違っているでしょう。強いて似ているところを探すと、身体が痩せていないで肉がボタボタしていることと、それから月の輪のような眉毛と
「それだけ似ていれば……」
「それくらいの相似なら、どんな他人同志だって似ているわよ。とにかくあんたは、あたしの探している双生児の一人じゃないと思うわ」
「そういわないで、僕を助けて下さい」
と真一は両手で顔を
「ぼ、僕はいま病気なんです。それで働けないのです。僕はもう三日も、
こんなことになってしまって、妾はたいへん
「あたしは、本当のはらからを見つけたくてあの広告を出したのよ。あんたは知らないでしょうけれど、あたしは双生児でも、三人一組なのよ。つまり三人の双生児であると、死んだ父が日記に書き残してあるわ。この点からいってもあんたの持ってきた話の中には三人の双生児という重大な謎を解くに足るものがすこしも入っていないじゃありませんか。だからたいへんお気の毒だけれど、あたしはあんたを兄とも弟とも認めることができないのよ。ネ、わかるでしょう」
畳に身を伏せて、
「おおいやだ――」
彼の話に
「だが、それは真一の場合の恐怖であって、あたしの身の上の恐怖でないからいい!」
と妾は口の中で云ってみた。前にも云ったように、真一と妾とでは、双生児らしく似かよったところがないと思う。双生児に二種あって、一卵性双生児と二卵性双生児とがある。前者はたいへんよく似た瓜二つの双生児が生れるし、後者はそれほど似ていない。似ていないといっても、普通の兄弟姉妹を並べてみたときのように、これははらからだと一見して分る程度にはよく似ているのだった。妾と真一の場合を比べてみると、もちろん一卵性双生児のように瓜二つではないことは云うまでもないが、また二卵性双生児といえるほども似ていない。ややどこかが似ていないでもないが、その程度はとても二卵性双生児などと認められるほどのものではない。だから結局妾と真一とは、それほどの仮定を考えてすら双生児らしいところがなかった。
「その上、もっとハッキリした否定証明がある!」
妾はもう一つ否定証明を考えついた。それは
結局妾は疑心暗鬼から、たいへん入り組んだことまで考えたが、これは考えすぎてたいへん莫迦をみたようなものであった。まるで抜け裏のない露地を、ご丁寧に抜け路があるかしらと探しまわって
とにかくそんなことは忘れてしまって、妾は父が手帳の中に書きのこした「三人の双生児」という字句が持つ秘密を、別な方面から調べてみなければならない。それはもっともっと別の種類のことなのではなかろうか。「三人の双生児」のなかの一人は、どうしても妾の身上のことなんだからして、残る二人の人間という不合理に見える合理を解きあげて妾の重い負担を下ろすことにしたいものである。
4
四国の徳島へ出発した女流探偵速水春子女史は、越えて十日目に、たいへん緊張した顔付で妾の邸を訪れた。
「まあ、奥さま。どうか
妾は女史の言葉を、俄かに信ずる気持にはなれなかった。この
「ねえ、奥さま。お驚き遊ばしてはいけませんよ。詳しいことを申し上げるより前に、まずあたくしのお連れ申して来たお妹さま……とでも申しましょうか、それともお姉さまと申上げた方がよろしゅうございましょうか。とにかく同じ年の二月十九日に、御母堂に当ります西村勝子様がお産み遊ばしたお二方のうち、珠枝さま――つまり奥さま――ではない方のもう一方――その方のお名前を静枝さまと申上げますが、その静枝さまをお伴い申したのでございます。いま御案内申し上げますから、なによりもお会い下すって、よくよく御覧遊ばして下さいませ。あの、静枝さま。どうぞ、こちらへ」
「あら、お姉さまでいらっしゃるの。……まあお懐しッ。あたくし静枝ですわ。おお……」
といって、その静枝嬢はバタバタと畳の上を飛んでくるなり、妾の胸にとりすがって、嬉し泣きにさめざめと泣くのであった。それはまるで新派劇の舞台にみるのとソックリ同じことで、いとど感激の場面が演ぜられたのだった。とり
「おん二方さま。お芽出とう御祝詞を申上げます。あたくしも思わず貰い泣きをいたしました」
と速水女史までもが、新派劇どおりに目を泣き腫らしたのだった。
「一体これはどういう事情だったんです」
と妾はいつまでも鼻をかんでいる速水女史に尋ねた。
「いえもうそれは、たいへん
と饒舌女史が語りだした省略話をもう一つ省略して述べると、次のような事情であると分った。
――速水女史が徳島の安宅村というところへのりこんできいてみると、妾の母の勝子はもちろん死んでいて問題の幼童――つまり静枝のことを聞きだすべくもなかった。それから伯父の赤沢常造のところに静枝がいたということであるから、これを
妾は気味のわるいほど実に自分によく似た静枝と、いろいろ故郷の話や、幼いときの話をした。彼女は妾の知っていることは残らず知っていて、すべてはよく符合した。妾を見習ってカンカンに赤い三つのリボンをかけたこともよく覚えているそうであるし、紫の
「静枝さん、あなたはどうしてあの座敷牢のようなところに入って暮していたんですの」
と妾はかねて聞きたく思っていたことを聞いてみた。
「それはこうなのでございますわ。あたくしはどうしたものか、極く小さいときから夢遊病を
「でもいつでも貴女は寝てばかりいて、起きてたところを見たことがないわ。昼間から寝てばかりいたのは何故ですの」
「あれはこうなのでございます。あたくしは或る夜、夢遊して外に出たんですの。そして不幸にも崖から川の中へ落ちて足を
「ああそうだったの。気の毒だったわネ。でも、脚を挫いているのなら夢遊でも外は歩けないのじゃない」
「いえそれはこうなんですの。夢遊病者は、たとえ足が悪くても、そのときは歩けるのですから不思議ですわ」
静枝の答は一々明快だった。まだ聞きたいことが沢山あったがあまり尋ねては
「あの、『三人の双生児』とお父さまがお書き遺しになった言葉ね、あれはどういう意味でしょうね。あなたと妾とだけでは二人の双生児で、三人ではありませんものネ」
「ええあれはお父さまのユーモアであったんですわ。つまりお産の
「アラいやだ。そんなことだったの」
妾は、このいままで重大視していた「三人の双生児」の謎が意外も意外、あまりにも明快にスラリと解けたので、
そこへチョロチョロと人の足音がして人目を
「まあそうなんでございますか」
と女史はいったがそこで一段と眉を
「でもあの安宅さんとやらはどうも人相がよくございませんわ。お気をおつけ遊ばせ。これはあたくしの経験から申すことでございますよ」
女史はそういい置いて、なお心配そうに妾の顔をふりかえりながら帰っていった。
それから三日間というものは、妾の邸のなかは
それに引きかえ、実に妾はこの四五日なんとなく肩の
妾はこの肩の凝りをどうにかして早く取りのぞきたいと思った。どうすればそれは簡単にとることが出来るだろうか
そうだ、いいことがある。
妾はとても素晴らしい遊戯を思いついた。それはなによりも、妾の居間に真一を呼ぶことであった。
「なんか御用ですか」
彼はイソイソと室に入ってきた。
「真ちゃん。貴方に少し命令したいことがあるのよ。きっと従うでしょう」
「命令ですって。……ええようござんすよ」
「いいのネ、きっとよ。――」
と駄目を押して置いて、妾は秘めて置いた思惑をうちあけた。それはこの肩の凝りを癒すために今夜妾の室にきて妾だけにあの「海盤車娘」の舞踊を見せて貰いたいということだった。それを聞いた真一は、ちょっと愕きの色を見せたが、やがて、ニッコリ笑って
「ねえ奥さん」
と真一はすこし改まった調子で妾に呼びかけた。
「あの静枝さんという女は、ありゃ本当は何なんです」
「オヤ早もう目をつけているの、ホホホホ」
妾はそこで彼女が妾の探していた双生児の一人らしいこと、又速水女史の手で探しだされたことなどを詳しく話した。
「へえそうですか」
と彼は軽蔑したような口調でいった。
「そりゃ奥さん、
「出鱈目だって」
「そうです、みんな嘘っ八ですよ。こうなれば皆申上げてしまいますがネ、あの女は暫く僕と同座していたことがあるのです。やっぱり銀平の一団でしたよ。お八重というのが本名で、表向きは蛇使いですよ」
「人違いじゃない? 速水さんの調べが済んでるのよ」
「いまに
そういって真一は立ち去った。妾は彼の話を俄かに信ずることは出来なかった。明日、速水女史に聞いてみよう。とにかく今日は考える力のない妾だったから。
その夜を妾はどんなにか待ちかねた。今夜真一が妾の室で素晴しい海盤車娘の踊りを見せてくれることだろうと。
その夜に入ると、幸にも静枝は外出の支度をして妾のところへ現れた。これから約束があるので速水女史のところへ行ってくるといって、そのまま出かけた。
首尾は
そのとき、廊下にバタバタと
「あ、奥さま。お客様がお見えになりました」
「お客様? 誰なの」
せっかく楽しみのところへ、お客様の御入来は迷惑だった。なるべく追いかえすことにしたいと思った。
「お若い紳士の方ですが、お名前を伺いましたところ、奥さまに逢えばわかると
「名前を伺わなければ、あたしが困りますといって伺って来なさい」
「ハア、でございますが、その方……」
といってキヨは目を
「殿方でございますが、とってもお奥さまによく似ていらっしゃいますの。殿方と御婦人との違いがあるだけで、まるで引写しでございますわ」
妾はギクリとした。自分にそんなによく似ている男の人て誰のことだろう。妾はちょっと気懸りになった。
「じゃあ真さん、先へ入って待っててちょうだい。しかし何を見ても出て来ちゃ駄目よ」
「ははア、なんですか。じゃお先へ入っていますよ」
妾は部屋の鍵を明けると、真一を中へ押しやった。そして入口の扉を引くとそのまま廊下へ引返して、キヨの後を追った。キヨは先に立って御玄関へ出た。
「アラ、どうしたの」
妾は御玄関でキョロキョロしているキヨの肩を叩いた。
「まあ変でございますわねえ。いままでここに立っていらっしゃいましたのですけれど、どこへお出でになったのか、姿が見えませんわ」
「まあ、いやーね」
妾はすこし腹が立って、今夜は逢わないといえと云いつけて、すぐさま真一の待っている離れの間へ引返した。
「真さま、お待ち遠さま」
重い扉をあけて、中へ入ったが、どうしたものか真一は返事をしなかった。
「まあ、――」
当の真一は蒲団の側に長くなって斃れていた。顔色は紫色を呈して四肢はかなり冷えていた。心臓は鼓動の音が聞えず、もうすっかり絶命しているようであった。その枕もとに水を呑んだらしいコップが畳の上にゴロンと転がっていた。
意外な、そして突然の、「海盤車娘」の死だった!
自殺か、他殺? 他殺ならば一体誰が殺したのであろう?
5
妾は「
そのうちに少し気が落着いてきた妾は、
「医者だ! 早く医者を呼ばねばいけない!」
ということに気がついた。そして立ち上った。医者ならばこの男を或いは助けられるかもしれない――と、始めは思ったものの、しかしもしもこの真一がこのまま生き返らなかったらどうなるのだろうと、それが俄かに気懸りになった。この男は妾の寝室で死んでいるのだ。ああ、そして――今この寝室の中には、他人に見せたくないものがいろいろ用意せられてあるのだった。そのようなものを
妾は、そこらに転がっているものや、押入れの中にある怪しげなものなどを、大急ぎですっかりトランクにつめ、別室へ持ってゆく用意をした。でも真一の死体の方は、寝具にそのまま手をつけずに放置し、疑惑を
それから妾は部屋を飛びだした。そしてお手伝いさんのキヨの部屋へ行って、
「キヨ。大変なことになったから、ちょっと、来ておくれ……」
というとキヨは縫物を
「えッ、大変でございますって……。ま、何が大変なのでございますか……」
妾は手短に、いま真一が離座敷で死んでいることを述べ、医者を迎えるまでに片づけておきたいものがあるからちょっと手をお貸しといってキヨを引張っていった。
「キヨ、いいかい。知れるとうるさいから
と妾は念入りな注意をすることを忘れなかった。キヨは黙って頭を振って同意を示すだけでいつものようにハッキリと返事をしなかった。どうやら真一ののけぞった
丁度そのときのことであった。ジジーンと、突然玄関のベルが鳴った。折が折とて妾は胸を
「
誰だろう?
警官だろうか。妾の胸は早鐘のように躍った。
ジジーン。ベルは再びけたたましく鳴った――もうお
「もしもし西村さん。もうお寝み? あたくし速水なんですけれど」
ああ、速水、――なるほど女探偵の速水春子女史の声に違いなかった。ああ、丁度いいところへ、いい人が来てくれたものである。妾は
「あら奥さま、すみませんです」
といつになく上ずった調子で
「静枝さま、いらっしゃいますか、一緒に出かけるお約束だったんですが、お出にならぬのでお迎えに伺ったんですけれど……」
と女史は云った。ああ、静枝はどうしたのだろう。女史を訪ねてゆくといったが、これは行き違いになったものらしい。
「まア皆さん、どうかなすったの。……お顔の色っちゃ無いですわ」
突然女史はそういって妾とキヨの顔を見較べた。もういけない。もう隠して置くことは出来なかった。
「速水さん、ちょっと上って下さいな。実は大変なことが出来ちゃって……」
と妾は速水女史の手を取るようにして上にあげた。そこで女史に、この突発事件について、差支えのない範囲の説明をして、善後策を相談した。
「これは厄介なことになりましたのネ」
と女史は現場を検分しながら沈痛な面持をして云った。
「奥さんは、真一さんの死因が何であるとお思いなんでございますか」
さあそれは妾の知ることではなかった。頓死かもしれないと思うが、同時に他殺でないと証明する材料もないのだ。それよりも妾には真一がここで死んでいることが迷惑千万であったのである。――妾は偽りなくその心境を語った。
「これは奥さまの想像していらっしゃるよりも面倒なことになると存じますわ。お世辞のないところ、奥さまの立場は非常に不利でございますわ。お分りでしょうけれど。ことにこの部屋から物を持ちだして
「ああ、もうよして下さい」
と妾は女史の言葉を
「速水さん。お願いですから、智恵を借して下さい。十分恩に着ますわ」
「さあ――わたくしも奥さまを絞首台にのぼらすことも、また社会的に葬ることも、あまり好まないんでございますが――」
と女史は意地悪いまでの落着きを見せて、
「でも困りましたねえ――」
「お礼なら十分しますわ」
「いや銭金で片づかないことでございます」
と突っぱねて、
「といってこのままでは絞首台の縄が近づいてくるばかりで……ああ、そうですわ、仕方がありませんから、妾の親しい医師の金田氏を呼びましょう。彼に頼みましてこの場をあっさりと死亡診断させてしまいましょう」
この女史の提案を受けて妾はああ助かったとホッと息をついた。この場がうまく治まりさえすればいい。真一の屍体が火葬炉の中で灰になってくれさえすればそれで万事治まる。妾は女史に謝意を表して早速その金田医師を呼んでくるように頼んだ。女史は別人のように快く引受けると、すぐその手配をしてくれた。
やがて金田医師というのが、駈けつけてくれた。彼は真一を申し訳に診ただけで、
「心臓麻痺――ですな。永らく心臓病で寝ていたということにして置きますから……」
といって、その旨をすぐに死亡診断書に
「ああ助かった――」
と妾はそこで始めて胸を撫で下したのであった。
それが済むと、金田医師は手馴れた調子で屍体をアルコールで拭ったり脱脂綿を詰めたりして一と通りの処置をした。速水女史もクルクル立ち廻ってその辺を片づけてくれた。そして枕許にあった冷水の
丁度そこへ、静枝が外から帰ってきた。彼女は玄関を上ると、今まで速水女史の家で、女史が再び帰ってくるかと待ち合わせていたものの、待ち
6
妾の気がすこし落着いたのは、それから十日ほど経ったのちのことだった。
真一の屍体は納棺して密かに火葬場へ送って焼いた。その遺骨はお寺へ預けてしまった。ささやかなる初七日の法要もすんで、やっと妾は以前の気持を取りかえしたのだった。
あれほど気にかかっていた「三人の双生児」の謎も、解けない
真一は病気のために頓死したのであろうか。いやいやあのように元気だった彼が頓死するようなことはない。それよりも問題は彼の枕頭に転がっていた
仮りにそれが本当であったとしたらば、その水瓶の中の毒物は一体誰が投げこんだものであろうか。その恐ろしい犯人は誰なのであろうか。誰が真一を殺さねばならない特殊の事情を持っていたのだろうか。
まさか妾の全然知らない人物が入りこんで殺していったとは考えられない。どうしても犯人はわが家に出入する人物の中にあるのだと思う。その点では、彼が曲馬団時代に怨恨を残して来た者がわが家に忍びよって殺したとも思われない。ただ、曲馬団というので思い出したが、あの静枝はその例外だと思う。
静枝! 静枝!
そうだ静枝が殺したのではなかろうか。静枝のことは、速水女史の調べで妾のはらからということが判明したことになっているが、真一から
「真一を殺したのは、誰だ?」と。
もう妾は静枝を疑う気はしなかった。誰か
そこに気がついた途端に妾はいままですっかり忘れていたあの夜の重要人物のことを思い出した。それは妾が真一と共に離座敷に入ろうとしたときに、キヨが玄関に来訪を告げに来た未知の紳士のことだった。キヨの言葉を借りると、その紳士と妾とは、男と女との違いこそあれまるで瓜二つのように似ていたので愕いたということである。その紳士に逢おうとて、妾が玄関に出て行ったときには、どうしたものか姿が見えなくなっていた。それから妾はキヨにいろいろ命じたりして、約五分か十分経って、妾が離座敷に行ったときには、もう真一が
そこで妾は勝手の方からキヨを呼びよせて、怪紳士のことを尋ねてみたのであった。
「ああ、あの紳士の方のことでございますか」
とキヨは俄かに
「まあ奥さま、あたくしどういたしましょう。真一さまのことで大騒ぎとなりましたので、忘れていましたが、実はあの夜あれからもう一度、あの方にお逢いしたのでございます」
そこで
ただ腑に落ちないのは、妾にこの上なくよく似ているということである。静枝がよく似ていると自分でも思っているがキヨはそれよりももっとよく似ているという。未知の
妾は、その怪紳士が寄るかもしれないと云い残して置いた九月を迎えるのが、急に恐ろしく感ぜられてきた。
7
八月も末になって、暑さが大分
或る日妾は、なんとなく家にいるのが堪えられなくなってブラリと邸を出た。久し振りの散歩につい興に乗って、思わずも歩を搬びすぎ、いつの間にか隣村の
そこで妾は、小屋の前へ廻って中を覗いてみたが、
「ナニ、
と銀平老人は一向
「
といって筵の上へ招じた。
妾の不意の訪問も、この
「もとこの一座にいたという
「ああ、海盤車娘かネ。海盤車娘もたくさんいるが、どの娘かネ」
「娘と名はついているが、本当は安宅真一という男なんですが……あの肩のところに傷跡の残っている……」
「ああ、真公のことかネ。あいつはついこの間まで居たが、とうとうずらかりやがった。あっしとしては、これんばかりの小さいときから手がけた惜しい玉だったが……貴女さんはなぜ真公のことを訊きなさるのかネ」
そこで妾は、真一が頼ってきて遂に死んだ話をした後、始め真一が幼いときの身の上ばなしをしたが、何かほかに銀平老人が知っていることはないかと訊ねた。
「ああ、真公の
「誰から買ったんですの」
「さあ、そいつは誰だったか覚えていないが、とにかく何処の国にもある人売稼業の男から買った」
「その親は誰なんでしょう」
「さあ、その
と老人は暫く考えていたが、「さあ、後に開演中の客席から大声をあげて飛び出して来た若い女がいたがネ、それがなんでも生みの母親とか云っていたが家出している女らしかった。父親というのは徳島の安宅村に住んでいるとか云ったが、その
と老人は首を曲げて思い出そうと努めているらしかった。妾は銀平老人の話を聞いているうちに真一の語った身の上が想像していたよりも正確であり、妾にとって実に興味のある話であることが分った。
「苗字は安宅というのじゃありませんの」
「イヤ安宅は後になってあっしがつけてやった名前だよ。真公の生れた村の名だからいいと思ったのでネ。さて、本当の苗字はちょっと忘れちまったネ。なんしろ古いことでもありあまり覚える心算もなかったのでね。ひょっとすると、
妾は老人に十分のお礼をするから、その書附を探してくれるように頼んだ。妾はそれから、蛇使いのお八重という女を知っているかと尋ねた。
「ああお八重かネ。あいつも先頃までいたが、可哀想なことをしたよ」
「可哀想なことというと……」
「なに、あの女は真公に
「まあ、誰か飛びこむところを見たんですの」
「見たというわけじゃないが、岩頭に
「死骸は上ってきたんでしょうか」
「さあ、どうかネ。――なにしろあっし達は
この話では、蛇つかいのお八重はインテリ女らしい。すると、やはりあの静枝はこの蛇つかいのお八重なのであろうか。そこで妾は彼女の
妾は、果して静枝が蛇使いのお八重であるか、どうかと思って、それとなく、お八重の容貌などについて尋ねてみたが、聞いていた銀平は大きく肯き、
「そういえば、お前さんをどこかで見たような
と云ってシゲシゲと妾の顔を見た。妾は
思い起してみると、真一が静枝の前身を告げたときも、どっちかというと静枝を軽蔑しているようであったから、これは真一が慕われる方であったとしても、慕う方ではなかったと思われる。妾は僅かに気を持ち直した。
どうも分らないのは妾と両人の血の関係だった。静枝はあの三つの赤いカンカンを
「イヤ真一と静枝との二人とも、妾の同胞なのではあるまいか」
と、
ただ慰めは、真一の容貌が、妾や静枝とは大分違っていることであった。ハッキリ似ていると考えられるのは月の輪がたの眉毛と、
話によると、体の一部が
8
そのような悩みに、独り
「ああ、奥様。お客さまでございますが……」
とキヨが顔色を変えて妾の居間に駆けつけた。
「まアどうしたのよオ。お客さまって、誰れ?」
「それが奥さま、いつか夜分にいらっして、名前も云わずにお帰りになった若い紳士の方でございますよ。忘れもしません、あれは真さまがお亡くなりになった晩でございましたわ」
「えッ、あの晩の人が!」
妾はハッと
「お会いするわ。また帰ってしまわれると気味が悪いから、早く客間の方へ上げてよ」
妾に似ているというところを、僅かに安心の足掛りとして、思い切って会ってみることにした。さあ、どんな男だろうか。一と目見て心臓が凍ってしまいそうでもあり、また早く覗いてみたいようでもあり……。
「妾が主人の珠枝でございます――」
頃合を計って客間へ
「いやア――」
と紳士は、居住いを直しながら、こっちを振り向いた。ああ、その顔――まあ、なんてよく似ている人もあればあるものだろう――と、妾は驚くというよりも感心してしまった。
「ああ確かに貴女だ。こんなによく似ているとは思わなかった。ああ僕は満足です――」
と向うでも容貌の似通っていたことに驚歎して、たて続けに叫びつづけた。
「アノ、失礼でございますが、貴方は
「ああ、僕ですか。イヤどうも余りに驚いてしまった、名乗ることを忘れて申訳ありません」
と云いながら、紳士はチョッキのポケットから一葉の名刺を抜いて、妾の前に差出した。
「僕はこういう者です。姓の方に何か御記憶がありませんでしょうか」
その名刺の表には、
「南八丈島医学研究所、医学博士
とあって、隅の方に「東京府八丈島庁管下」と記してあった。するとこの紳士は赤沢貞雄と名乗る人である。赤沢という姓? ああ赤沢といえば……。
「赤沢というと徳島の安宅の……」
「そうです。よく覚えていましたネ。僕は赤沢常造の息子なんですが、父だの僕だのを覚えていらっしゃいますか」
妾は突然故郷のことを云いだされて、ボーッとなってしまった。しかし赤沢の伯父のことは、何で忘れよう。いつもその伯父は、わが家へ繁く来たではないか。貞雄――という名にも、なるほどそういわれると覚えがあった。伯父のうちに、自分と同じ年の少年がいて遊んだことを思い出した。あれがこの紳士なのであろうか。当時貞雄さんはまだ五六歳の幼童で膝までしかない
「まア貞雄さんでしたの。大きくなられて――妾すっかりお
貞雄は笑いながら、この前は、妾の家を探すのにたいへん手間どってやっとこの家を探しあてたので、待たせてあった円タクを帰すために一度出て行って間もなく引返してくると、お手伝いさんから面会を断られてしまったので、たいへん面喰らったこと、そのとき北海道の大学へ打合わせにゆく途中だったので、また帰り路に寄ればいいと思ってそう云い残してさようならをしたことなどを語った。それを聞いていた妾は、あの夜の心境を想い出して、穴あらば入りたいと思ったことであった。
「でも、どうして名前を云って下さらなかったの。赤沢と
「イヤそれはネ。貴女に会って驚かせたかったのさ」
というわけで、二人は直ぐ幼馴染の昔にかえって、打ち融けた。妾は近頃うち続く不安が、貞雄の不意の来訪によって大半拭い去られたように感じたのだった。
聞けば貞雄も、妾と同じように二十三歳だということだった。彼はどうやら秀才中の秀才らしく本年学校を出ると、在学中からの研究事項だったものを一層研究するつもりで、断然南八丈島研究所へ赴任したのだった。何の研究であるのかを訊ねたところ、
「ちょっと説明しても分らんなア。まア遺伝学みたいなものだが、今までのようなものではない。……イヤもうよしましょう。それよか今日は御馳走でもして貰って、昔話でもしたいネ」
「ええ、御馳走してよ。そして是非泊っていって下さいネ。昔話を沢山したいわ。妾もいろいろ伺いたいことがあるのよ」
丁度、妹の静枝は、少し身体を壊している女探偵速水女史に附き添わせて、奥伊豆の温泉にやってあるので、家の中はキヨと二人切りだったので、貞雄を泊らせるには一向差支えなかった。
「いや泊ることだけは断る。僕はこれで、ひとの家にお客なんかになっては中々睡れない性分なのでネ。それにチャンとホテルに部屋をとってあるのだから、心配はいらないよ」
「いいから、ぜひお泊りなさいよ」
「いやいや断る。――」
小さいときもこんな性分だったが、とにかく今の貞雄は学者だけあってなかなか頑固であった。妾は近くから珍らしい料理を狩りあつめて貞雄を
まず妾は貞雄に向い、あの立葵の咲く家の座敷牢の中に寝ていた妾の
「どうも小さい折のことで、僕はよく覚えていないけれど、いつか夜、父が子供を連れて来たことを覚えている。僕はその顔をみたわけではないが、二階に上げた子供がヒイヒイと泣いているのを聞きつけた。それが君のいう座敷牢の中にいた同胞だろうと思うが、泣き声から想像すると、二人のようでもあったがネ」
「ええなんですって、連れられていったのは二人だったんですって、まア、――」
妾は想像していたところと、まるで、違ってきたので、呆然としてしまった。向うが二人だとすると、妾を入れて三人になるではないか。すると双生児と
「幼いときのことだから、ハッキリしたことが分らないんだ。それに父の常造も先年死んでしまったし、母はもっと前に死んでいた。今、安宅村へ行っても、その夜のことや、君の同胞の秘密について知っている人は一人もあるまい」
「そうでしょうか。――」
妾はガッカリしてしまった。その様子を見ていた貞雄は気の毒に思ったのであろう。すこし
「でも君の知りたいと思っていることは、絶対に分らないというわけではあるまい。つまりそれは学問の力によることだ。もし君が欲するならば、僕はいかなる手段によってでもその答を探し出してあげようと思う。そう気を落したものでもないよ」
「分る方法があれば、どんなことをしてでも探しだしていただきたいわ。妾、これが分らないと死んでも死に切れないと思うのよ」
と妾は
「でも
というと、貞雄は首を振って、
「どうもその女探偵というのが怪し気だネ。これから一度行ってみると分るだろうが、いまそんなに簡単に分る筈はないと思う。それから『海盤車娘』の真一君の死因だが、これなどは随分不審な点があるネ。たとえば速水女史が水壜の水を早速明けに行ったというのも妙なことじゃないかネ。どうだい珠枝さん。その壜とかコップとか、或いは水の
貞雄が抱いている疑惑の点を、妾はすぐに察することが出来た。彼は真一の死を中毒死だと思っているのだ。それは貞雄があの部屋の中で口にしたと思われるその水壜の中に一切の秘密があると云うらしい。
「そんなものは、その場で始末してしまったから、有る筈はなくてよ」と云ったものの、よく考えてみると、妾はあの夜離座敷を大急ぎで片づけたことを思い出した。あのとき部屋の中の品物を仕舞ったトランク類はその
「ああそんなものがあるのなら、一度出して検べてみたらどうだネ」
9
貞雄の云ったことは正に
妾たちはトランクを一つ一つ開いてゆくうちに、その一つの中に、あの夜真一が水を飲むに使った大きいコップを発見した。それは
貞雄は、そのコップを取り上げて、明りの方に透かしてみたり、ちょっと臭を嗅いでみたりしていたが、やがて妾の方を向き、
「珠枝さん、ハッキリは分らないが、どうやらこれは
「まア、水瓶の中に砒素が入っていたの、まア恐ろしいこと。一体誰がそんなものを入れたのでしょう」
「いや、今に僕が分らせてみるよ」
妾はホッと息をついた。貞雄の来てくれたお蔭で、妾の疑問としていたところはドンドン氷解してゆくのであったから、感謝をせずにいられなかった。どうか今夜はぜひ泊ってくれといったけれど、貞雄は中々承知しなかった。
「随分貴方は頑固なのネ。貴方と妾とは
「ああ。――」
と貞雄はちょっと眉をひそめたが、
「貴女は知らないらしいネ。貴女の西村家と、僕の赤沢家とは、赤の他人なんだよ」
「あら、――でも赤沢の伯父さんと呼んでいたことを覚えているわ」
「ははア、そんなこと、意味ないよ。幼いころは、だれを見ても『おじさん』と呼ぶ。僕は知っているけれど、両家は他人同志だった」
「まア、そうなの――」
すると妾にとって、赤沢は赤の他人なのだ。今まで馴れ馴れしくしたことが悔いられたけれど、その代り他人であればあるだけ、妾は俄かに胸のワクワクするのを覚えた。
「医者として僕は珠枝さんに云って置きたいけれどネ」と貞雄は一向頓着なしに話しかけた。「君は
「アラなぜ、そうなの」
妾は貞雄が何を云いだすのやら、すこし驚かされた。
「君は、そうした要求の背後に、いかなる
「本尊さまって?」
「
「そうかも知れないわ」と妾は云った。「でも妾は男性とそういう原因を作ることを好まないのよ。つまりそういう交渉を極端に
「そんなこともなかろうけれど、結局君のあまりに変態的な生活が、そうした能力を奪ってしまったのかもしれないネ。忍耐づよい夫婦生活が、おそらく自然に君の能力を取り返すだろうと思うが、夫婦生活そのものを極端に
といって貞雄は、軽い
「しかし本当は、君自身子供が欲しいと思うのだネ」
と暫くして貞雄は尋ねた。
「いく度云っても同じことよ。でも不能者に、子供の出来る筈はないわ。その上にどうも妾は生れつき大きな欠陥があるような気がしてしようがないのよ」
貞雄は気の毒そうな顔つきで、妾をしげしげと見ていた。そのとき妾は、いままで忘れていた大事なことを思い出した。それはいつかも考えたことであるが、ひょっとしたら妾の身体には自分で観察することの出来ない箇所に異常な徴候が印せられているのではあるまいか。それを専門的知識をもって十分に診察してくれる適当な医師としては恐らく目の前に居る此の貞雄の外にないということを感じた。それで妾の胸のうちには、それを確めて貰いたい嵐のような願望が捲き起ったのである。
「ねえ、貞雄さん、妾、医師である貴方にとても重大なお願いがあるのよ。――」
「医師である僕に、どんな願いがあるというのかネ」
妾はそこで思いきって全身に
「よろしい。そんなことは訳はないことだ。では明日道具を揃えて来て、やってあげよう」
といった。妾としては非常に重大なことを、彼があまりに手軽に引受けてくれたことに対して意外の感にうたれたけれど、医師にしてはそんなことは格別なんのことでもないのであろうと思った。
さて其の夜、貞雄はわが家に一泊を承知しないでホテルに引上げて行った。――そしてその翌朝になると、医療器械のギッシリ詰まっているらしい大きな鞄を下げ、まるで事務員かなにかのように正確にやって来た。
「さあ、こういうことは、午前にやるのがいいのだから、さあ早く支度をして――」
と云って妾を促した。妾はキヨを用事にかこつけて外出させてしまおうと思ったので、それを命じていると、奥から貞雄がノコノコ出て来て云った。
「キヨさんを使いにやるのなら、アレが済んでからにしてはどうかネ」
この貞雄の言葉には、妾はすっかり
と妾は、ちょっと
「それはいけない。こういうことは、たとえ医師でも誤解をうけやすいことだ。どうしても誰かに立ち会って貰うのでなくては、僕はやらないよ」
貞雄の頑迷な潔癖さには、妾はつくづく呆れてしまった。また一面に於ては、それだけ彼の人物が気に入った。もう仕方ないので、キヨを立ち合わせることに同意した。
貞雄は、妾の居間を診察室に決め、その隣りの納戸を準備室に決めた。準備室には、何に使うのだか訳の分らないいろいろな器械や器具を並べたて、見たところたいへん
こうして午前十時から、いよいよキヨ立ち会いのもとに綿密な診察が始まったが、それは約一時間に亘った。妾はあらゆる場所をあらゆる角度から診察され、その上にまるで手術を受けるのかと思うような器械を当てられたり、いろいろな場所にさまざまの注射をしたり、幾度も血液を採取せられたりした。妾はキヨの立ち会っていることなど直ぐ気にならなくなった。どうやら診察が一と通り終ったらしいと思っていると貞雄は静かに妾の傍へよって来て、
「これで診察は終ったよ。君は母性欲が今日は顕著な
そんなことは云われなくても分っているようなものだった。それよりも、もっと
「それよか、妾の身体に、何か変ったところか、
「気の毒だけれど、君を悦ばせるような異状は何一つ発見できなかったよ。――」
それを聴いて妾はホッと溜息をついた。それならばいい。妾は心配したようなシャム姉妹的な存在でもないのだった。妾は一時に身が軽くなったような気がした。それで起きて何かお
「あッ動いちゃいけない。――」
「アラどうして!」
「もう一時間ばかり、そのまま絶対安静にしているんだよ。いろいろな注射などをしたものだから、その反応が恐い。生命が惜しけりゃ、僕の云うことを聞いて、もう一時間ほど静かに
そういって貞雄は、妾の肩にソッと毛布を掛けてくれた。――妾は羊のように
貞雄が当地を出発したのは、その翌日のことだった。いずれ冬の休暇ごろには、用があるのでまた当地へ来るから、そのとき是非立寄ると云った。そして例の「三人の双生児」に関する問題も故郷の方をもっと探してみて、面白い発見があれば必ず知らせるということだった。
妾は彼の再訪を幾度も懇願した上、名残惜しくも貞雄を東京湾の埠頭まで送ったのであった。
10[#「10」は縦中横]
五ヶ月という日数は、妾にとってあまり永すぎた。――しかしとうとう、その五ヶ月目がやって来たのだった。
五ヶ月!
その間、妾は貞雄をどんなに待ち
その五ヶ月の間を、妾はどんなに驚き、
姙娠!
妾は
そういうと、きっと
さらに驚くことは、この懐姙した胎児について、誰がその父親であるのか、妾には全く見当がつかないことである。妾は全く身に覚えがないのに、このように姙娠してしまったのである。乳首は
妾は早く貞雄に会って、このことについて教えをうけたいと思う。彼のような卓越した学者ならねばこの神秘の謎は解けないであろう。日を繰ってみると、妾は彼が身体の健全を保証していってくれたその直後に受胎したことになるのである。といって彼は決してその胎児の父ではないと思う。なぜなら貞雄は非常に潔癖で妾の家に一泊することすら断ったほどであり、もちろん妾は一度たりとも彼を相手にするようなことはなかった。いや貞雄ばかりのことでない。その外の男という男についても同じことが云える。妾は絶対に誓う。妾は男を相手にして、懐姙の原因をつくるような行いをしたことは一度もないのだ。しかし姙娠していることは、どこまでも厳然たる事実なのであった!
妾も驚いているけれど、ひょっとするともっと驚いている人がありはしないかと思う。中でも女探偵の速水女史と、妾の妹の静枝とがはからずもそれを発見したときの驚きといったらなかった。
「まア驚いてしまいますわねえ。奥さまはどうして姙娠なすったんですの。相手は何処の誰でございますの?」
女史は横目で妾のお
「まアお姉さま、驚かせるわネ。でもあたくしは
静枝も驚きの目を
それだけではなかった。それからというものは女史と静枝とは、暇さえあれば額を合わせて何事かブツブツと口論しあった。それを耳にするにつけ、妾はたまらなく不愉快になっていった。
ところで妾の待ちに待ったる貞雄が、約束した五ヶ月目にはとうとう姿を見せず、遂に七ヶ月目となってまだ肌寒く雪さえ戸外にチラチラしている三月になってやっと妾の家の玄関に姿を現した。
「貞雄さんが来たって?」
キヨからその知らせを聞いて、すぐ飛びだしかけたものの、もう七ヶ月目の腹を抱えた妾のことである。姙娠のことは手紙で知らせはしてあったものの、この醜態を自ら見せにゆくほどの勇気がなかった。
「ほう、随分見事な腹になったネ」
と貞雄は真面目な顔をして入ってきた。彼がそんなに取すましていなかったら、妾はいきなり怒鳴りつけたかもしれない。
「貞雄さん、一体これはどうして下さるの」
と、妾は思う仔細があって、つっかかって行った。
「いや、どうにでもするよ」
と貞雄はさりげなく答えながら、
「今度は君のためにいろいろと大きな土産を持って来たよ。どこか静かなところへ行って、ゆっくり話したいネ」
といって、例の静かな瞳をジッと妾の顔に据えた。妾にはそれ以上つっかかってゆく勇気を持ち合わさなかった。
彼はその日一日をわが家でブラブラしていたが、妾が何を云っても
その翌日になると、貞雄は妾を伴って外へ出た。そして連れこんだのは、市内の某病院だった。彼はそこで顔の利く方と見えてズンズン通っていった。そして妾を「レントゲン室」と表札の懸っている部屋へ入れて、三十分間あまり、ジイジイとレントゲン線を発生させて、妾の腹部を覗いたり、写真を撮ったりした。その間、彼はまるで人が違ったように無口だった。
それが済むと、彼は始めて微笑を浮べながら、妾を
「珠枝さん――」
と貞雄は静かに呼びかけた。
「貴女は僕に聞きたい色々のことがらを持っているだろうネ。イヤ、暫く黙っていてくれたまえ。僕が適当な順序を考えて一応話をするからどうか気を鎮めてよく聞いてくれ給え。――まず真一君を殺した犯人のことだが、それは今日、本人の自白によってハッキリ分ったよ」
「まア、誰なのでしょう」
と妾は思わず乗りだした。
「そう興奮しちゃいけない。――その犯人というのは、やはり速水女史だった。静枝さんは無関係だ」
「ああ、速水さんが真ちゃんを殺したの」
「そうなのだ。僕は或る交換条件を提出し、その代償として聞いたんだ。で、その条件というのは、君が腹に持っている胎児を流産させることなのだ。イヤ驚いてはいけない。一体、速水女史は事実君の妹でもなんでもない蛇使いのお八重という女を
妾はただ呆れて聞いているより
「ところで真一君だが、あれは紛れもなく君の
と云って貞雄は茶碗からゴクリと番茶を飲んだ。
「君と真一君が、双生児にしては余り似ていないことを不思議に思うだろうが、そこに重大な謎が横たわっているのだ。このところをよく分って貰いたいが、実は君たちは双生児であって、その卵細胞は同じ母親のものながら、その精虫を供給した父親が違っていたのだ。いいかネ、分るだろうか。――つまり、ハッキリ云うと、真一君を生じた精虫は君の亡くなった父親のものであり、それから君を生じた精虫は、実に僕の父親である赤沢常造のものだったんだ。さ、そういうと不思議がるかも知れないが、君はこんなことを知っているだろう。膣内の精虫の多くはその日のうちに死んでしまうけれど、中には二週間たっても生存しているものもあるということを。だからここに二卵性の双生児が出来たとしても、それが同一日に発射された精虫によるとは限らないのだ。そういえばもう分っただろうが、僕の父の赤沢常造の精虫が発射されたその数日か十数日か後に、真一君の父親が船から下りて来てまた精虫を発射する。このとき偶然にも二人の精虫が、君の母親の二つの卵に取りついてこの二卵性双生児が出来上ったのだ。それで合点がゆくことと思うが、君と僕とが、戸籍の上では赤の他人でありながら、実は二人は父親を同じくする異母兄妹なのだ。だから君と僕とが、兄妹のように似ていることが肯かれるだろう」
妾はあまりの奇怪なる話に、気が遠くなるほど
「君の愕くのは
ああ、なんという恐ろしい話だろう。これほど怪奇を極めた話が、この世に二つとあろうか。妾は舌を噛み切って死にたいような衝動に駈られた。といって、舌を噛み切って死ねば、妾の腹にある胎児は、
「妾の腹の子の父親のことを教えて下さいな。どうぞ
と叫んだ。
「ではそれを教えてあげようが、これから大学まで歩いてゆく道々話すことにしよう」
「君の
と貞雄は耳許で囁いた。
「――駭いてはいけない、この僕なんだよ」
「まア、貴方ですって、――」
妾はそれを聞くとカッとして、思わず貞雄をドンと突き飛ばした。
「ああ悪魔! 恐ろしい悪魔!」
と妾は
「貴方と妾とは血肉を分けた兄妹じゃありませんか。それだのにこんな罪な子供を
と、妾は烈しく地面に唾を吐いた。
「ま、そう怒ってはいけない。君は誤解しているようだ」
と貞雄は恐れ気もなく、傍に寄り添って来ながら、
「僕は誓う。また君自身も知っているだろうが、僕は絶対に君と性的交渉を持ったことはないのだ。ね、そうだろう。――だから怒ることはないじゃないか」
そういわれると、妾にもその
「じゃあ、それが本当なら、なぜ妾は貴方の
「君と関係を持たなくても妊娠させることは出来る。――君は覚えているだろうが、この前僕が医師として君の身体を検べたときに、簡単な器械で君に人工姙娠をしといたのだ。造作のないことだ」
「じゃあ、忌わしい関係はなかったんですね」
と妾は
「でもなんの目的で、妾を身籠らせたんです!」
「それは君、君の頼みを果しただけのことだよ。君は『三人の双生児』のことを知りたがって、どんな手段でもいい、と云ったではないか、実を云えば、先刻話をした結論の中には欠陥があったのだ。それは私の父と君の母親とが果して関係したかどうかということだ。それを僕は遺伝学で証明しようと思った。調べてみると、君の母親の血統には両頭児の生れる傾向があるのだ。真一真二が生れたのは、君の母親が割合に血縁の近い従兄である西村氏と関係したので、その血属結婚の弱点が真一真二の両頭児を生んだのだ。しかし僕の父とは他人同志だから、とにかく健全な君が生れた。そこで君が私の父の子であることを証明するのには僕の考えた一つの方法があると思うのだ。それはそこでもう一度君が君の血族から受精してみると、きっと血族結婚の弱点で両頭双生児が生れるだろうという――これは僕が論文にしようと思っているトピックスだ。そこで僕は学問のためと君の願いのため、僕の精虫を君の卵子の上に植えつけてみたのだ。その結果……」
「おお、その結果というと……」
妾はハッと思った。
「その結果は、
「ああ、双頭児ですって?」
妾は気が変になりそうだ。
「僕の研究は一段落ついた。で、この上は君の希望を聞いてみたいと思う。その双頭児をこれから大学の病院で流産させてしまおうと思うのだがネ」
「ええどうぞ、そうして下さい。是非そうして下さい。妾は親となって育てるのはいやです」
と
そこで妾たちは、大学の医学部教室へ入った。
「ほら、これが真二の首だよ」
そういって貞雄は硝子瓶の中にアルコール漬けになった塊を指した。妾はそれを覗いた。
「ああ、あの子だ」
それは確かに、妾の記憶にある懐しい
妾は貞雄が向うの標本を眺めている隙に、独りで教室をドンドン出ていった。