ねずみ色の雲が、ついに動きだした。
すごいうなり声をあげて、つめたい風が、吹きつけてきた。
ぐんぐんひろがる雲。
万年雪をいただいた連山の峰をめがけて、どどどッとおしよせてくる。
ぴかり。
黒雲の中、
雷雲はのびて、今や、最高峰の
おりしも
つづいて、ごうごうと大雷鳴が、この山岳地帯の空気をひきさく。
黒雲はついに、全連峰をのみ、
このとき、谷博士は、研究所の塔の下部にある広い実験室のまん中に、
「
博士は、腕をふり、
その大きなガラスの箱は、すごく大きな
しかもその灰色のぶよぶよした塊は、周期的に、ふくれたり、縮んだりしているのであった。まるでそれ自身が、一つの生物であって、しずかに呼吸をしているように見えた。
いったいその気味のわるい塊は、何者であったろうか。
ガラスの箱のまん中に、その気味のわるい塊があり、その塊を左右からはさむようにして、大きな銀の盤のようなものが直立して、この塊を
その針と反対のがわには、銀色の棒があって、これが左右ともガラス箱の外につきでていた。そして、ガラス箱の真上十メートルばかりの天井の下の空中にぶらさがっている二つの大きな
この大じかけの装置こそ、谷博士が自分の一生を
ところが、三千万ボルトと口ではかんたんにいえるが、ほんとに三千万ボルトの高圧電気を作ることはむずかしかった。どんな発電機も変圧器も真空管も、この高圧電気を出す力はなかった。そこで最後のたのみは、雷を利用することだった。
雷は、空中に発生する高圧電気であって、だいたい一千万ボルト程度のものが多い。しかし、時には三千万ボルトを越える高圧のものも発生すると思われる。そこで谷博士は、その偶然の大雷の高圧電気を利用する計画をたてて、この三角岳の頂上に、研究所を建てたのであった。
博士は、そのまえに、人造生物を用意した。これは、博士が研究の結果、特別につくった人造細胞をよせあつめ、それを特別な配列にしてここに生物を作りあげたものであった。その生物は、たしかに生きていた。例のガラスの箱の中においた、ガラスの皿の上にうごめいているのが、その人造生物だった。たしかにその生物は呼吸をしている。また心臓と同じはたらきを持った内臓によって、血液を全身へ
まだそのほかに、人間や他の動物にはない特殊な臓器をもっていた。それは博士が「
ところが、この電臓を作ることはできたが、しかし働いてくれないのだ。これを働かすには、さっきのべたとおり三千万ボルトの高圧を、電臓の中の二点間にとおすことが必要なのである。そしてそれが、この人造生物にたいする最後の仕上げなのであった。
「もし、それに成功して、電臓が動きだしたら、えらいことになるぞ」
と、谷博士は、大きな希望によろこびの色を浮かべるとともに、一面には、測り知られない不安におびやかされて、ときどき
それは、もし、この電臓が働きだしたら、この人造生物は、一つの霊魂をしっかりと持つばかりではなく、その智能の力は人間よりもずっとすぐれた程度になるからだ。つまり、あの人造生物の電臓が働きだしたら、人間よりもえらい生物が、ここにできあがることになるのだ。
これこそ、谷博士が、試作生物にあたえた名まえであった。
「超人X号」は、今ちょうど気をうしなって
もしこの超人を、三千万ボルトの電気によって
はたして生まれるか「超人X号」!
それとも、そのようなおそるべき生物は、ついに闇から闇へ
その、どっちにきまるか。
頭上にごうごうどすんどすんと天地をゆすぶる雷鳴を聞きながら、腕組みをした
これまでに、谷博士は、このような実験に、たびたび失敗している。
七、八、九の三カ月は、とくに雷の多く来る季節である。しかしこの雷は、いつもこの研究所の塔の上を通って落雷してくれるとはかぎらない。また、これがおあつらえ向きに、研究所の上を通ってくれるときでも、それが博士の熱望している三千万ボルトを越す超高圧の雷でない場合ばかりであった。それで、これまでの実験はことごとく失敗に終ったのだ。
「この種の実験は、気ながに待たなくてはならない。急ぐな。あせるな」
博士は、自分自身に、そういって聞かせるのであった。それにしても、待つことのあまりに長すぎるため、博士はだんだんあせってくるのだった。
「きょうこそは。きょうこそは。三千万ボルトを越える雷よ。わが塔上に落ちよ」
博士のとなえることばが、
もし待望の三千万ボルトを越える超高圧の空中電気がこの塔に落ちたら、この研究所の大広間の天井につってある二つの大きな
雷鳴は、いよいよはげしくなる。
塔は、大地震にあったように
そのときだった。
ぴちん。ぴちぴちん。
空気を破るするどい音。ああ、ついに火花間隙に電光がとんだ。
いよいよ超高圧の雷雲が、塔の上へおしよせたのだ。
「今だ」
博士は、足もとに出ているペタル式の開閉器を力いっぱい踏みつけた。
と、その瞬間に、ガラス箱の中が、紫の色目もあざやかな
すると皿の上の例のぶよぶよした人造生物は、ぷうッとふくらみはじめた。みるみる
「あッ」
博士は、思わず両手で目を
そのあとに、ものすごい
だが、それはながくつづかなかった。
まもなく、第二のかなりの大きな爆発みたいなことが室内におこり、博士のからだは嵐の中の
そのあとのことを、谷博士は知ることができなかった。
博士のほかに、人が住んでいないこの研究所は、それから無人のまま放置された。しかし博士の気絶のあと、この構内ではいろいろなものが動きだして、奇妙な光景をあらわしたのであった。
この大広間の二回にわたる爆発により、室内中には黄いろい煙がもうもうとたちこめていて、その中ではすべての物の形を見わけることができなかった。
だが、その黄いろい煙の中で、いろいろなものが動いていることは、
「ああ、寒い、寒い。寒くて、死にそうだ」
そのいやなしゃがれ声がつぶやいた。
「おお寒む。おお寒む。どこかはいるところがないだろうか」
しゃがれたうえに、ぶるぶるとふるえている声だった。一体だれがしゃべっているのであろうか。
「おお、見つけたぞ。あれがいい。おあつらえむきだ」
その怪しい声が、ほっと安心の
しばらくすると、煙の中で、かんかんと、金属をたたくような音がし、それから次には、ぎりぎりごしごしと、金属をひき切るような音がした。
「だめだ。はいれやしない」
大きな音がして、煙の中から、
「一つぐらいは、はいりこめるのがあってもいいのに……」
怪しい声は、ぶつぶつ不平をならべたてた。
と、また煙の中から、
「あ、あった。これなら、はいれるぞ。ありがたい……」
しゃがれ声が、ほんとにうれしそうにいった。
がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
煙の中で、町の
そうこうするうちに、煙がかなりうすくなって、音をたてているものの形が、おぼろげながら分かるようになった。それは室内の煙が壁の大きな穴から、だんだんと外に出ていったためである。
煙の中に、大きく動いている、人間の形をした者があった。
それは谷博士ではなかった。博士は向こうの壁ぎわに、長く伸びて床の上に倒れていて、すこしも動かない。
煙の中で動いている者は、博士よりもずっと大きな体格をもっていた。大きな
鋼鉄製の機械人間が、のっそりと煙をかきわけて、
いつのまにか雷雲はさり、けろりかんと午後一時の陽がさしこんでいる。
室内は、ますます明かるく照らしだされた。室内は、おそろしく乱れている。足の踏み場もないほど、こわれた物の破片で、いっぱいであった。
天井に、大きな
その下に、六本のいかめしいプッシング
「ああ、あたたかくなったと思ったら、こんどは非常にねむくなった。ねむい、ねむい」
しゃがれた声が、壁ぎわから聞こえて来た。博士がいったのではない。
「ああ、ねむい。しばらくねむることにしよう。どこか、ねむるのに、いい場所はないだろうか」
壁の穴のそばに立っていたグロテスクな
それは、あたかも、機械人間が
怪しい機械人間だ。
がんらい、機械人間というものは、人間からの命令を受けて、ごくかんたんな機械的な仕事をするだけの人間の形をした機械だった。この場合のように、人間と同じに、感想をのべたり、生活上のことを希望したりするのは、ふつうでは、ありえないことだった。
「どこか、いい場所がありそうなものだ。どれ、探してみようか」
怪しい機械人間は、そういいながら、がっちゃん、がっちゃんと金属の太い足をひきずって、室の
それから一時間ばかりたった後のことであった。
登山姿に身をかためた五人の少年が、
「やあ、すごい、すごい」
「すごいねえ、
「ほんとだ。あのとき、塔も建物も、火の柱に包まれてしまったからね、もっとひどくやられたんだろうと思ったが、ここまで来てみると、それほどでもないね」
「いや、かなりひどく
「中に住んでいる人は、どうしたろうね」
「どうなったかなあ、塔や建物がこんなにひどく破壊しているんだから、中に住んでいた人たちは、もちろん死んじまったろう」
「死んじまったって。そんならたいへんだ。みんなで中へはいって、調べてみようじゃないか。そして、もしかしてだれか生きていたら、その人はきっと重傷をしているよ。ぼくたちの手で、すぐ手あてをしてやろうよ」
「うん。それがいい。じゃあ、あの建物の中にはいってみよう」
「よし。さあ行こう」
五人の少年たちは、研究所のこわれた戸口から、中へはいっていった。
「あっ、たいへんだ。中が、めちゃめちゃにこわれているよ」
「どうしたんだろうねえ。この建物は、なにをするところなの」
「なんとか研究所というんだから、なにか研究をするんだろう」
「ここは、有名な谷博士の人造生物研究所だよ。ぼくはおとうさんから聞いて知っているんだ」
戸山という少年がいった。戸山は、この少年団のリーダー格であった。あとの四人の少年もみんな同級生であった。きょうはいいお天気であったので、三角岳登山を試みたのであったが、途中で雷に出あい、
やがて雷雲が行きすぎたので、五人の少年たちは、目的地である三角岳の頂上まで登って来ようというので、ここまで登って来たわけ。するとこの研究所の建物がひどくこわれているので、それにおどろいて、中へはいったわけであった。
「あ、人がたおれている」
「ええッ」
「あそこだよ。白い実験着を着ている人が、たおれているじゃないか。壁のきわだよ」
「ああ、たおれている」
五人の少年たちは、谷博士を見つけた。そばへかけよってみると、博士は顔面や腕に傷をこしらえ、死んだようになっている。呼びおこしても、意識がない。戸山は、博士の鼻の穴へ手を近づけた。博士はかすかに呼吸をしているようだ。そこで彼は耳を博士の胸におしつけてみた。博士の心臓はたしかに打っている。しかし
「この人は、気をうしなっているんだよ」
戸山は、結論をつけて、みんなに話した。
「じゃあ、
「それよりも、
「気をうしなっているんだから、活の方がいいよ。気がついたら、こんどは葡萄酒をのませる順番になる。井上君、ちょっと活をいれてごらん。あとの者は、みんなてつだって、この人を起こすんだ」
四人の少年が、博士の上半身を起こした。すると井上がうしろへまわって、博士の
だめだった。博士は、あいかわらず、ぐったりしたままだ。
「だめかい」
と、みんなは心配そうに、井上にたずねた。
「まだ、分からない。もう四五へんくりかえしてみよう」
井上は、まだ希望をすててはいなかった。えいッ。またもう一つ活をいれた。
と、うーんと博士はうなった。そしてにわかに大きな呼吸をしはじめた。顔色が、目に見えてよくなった。顔をしかめる。痛みが博士を苦しめているらしい。
「あ、生きかえったらしいぞ」
「さあ、葡萄酒の番だ」
「よし、ぼくが、のませてやる」
羽黒は、リュックを背中からおろして、さっそく
博士は、ごほんごほんとむせた。羽黒はもう二はいのませた。
「ああッ、ありがとう。どなたか知らないが、私を
博士は元気になって、礼をいった。その博士は、目をあいているが、手さぐりであたまをなでまわす。
「おじさんは、目が見えないのですか」
戸山が、たずねた。
「目が見えない? そうです。今は目が見えない。さっき実験をやっているとき、目をやられて、見えなくなったのです。困った。まったく困った」
「おじさんはだれですか」
「私はこの研究所の
谷博士の質問にたいして、少年たちは気のどくそうに、かわるがわる室内の様子を話してやった。
博士の顔は、赤くなり、青くなりした。
「えッ。ガラス箱なんか、どこにも見えませんか。ガラスの皿もですか。その皿の上にのっていた灰色のぶよぶよした
「そんなものは、どこにも見えませんよ」
「ほんとですか。ああ、目が見えたら、もっとよく探すのだが……」
「そのぶよぶよした海綿みたいなものというのは、いったいなんですか」
「それは……それは、私が研究してこしらえた、ある大切な
「標本ですか」
「そうです。その標本は、生きているはずなんだが、ひょっとすると、死んでしまったかもしれない」
「動物ですか」
「さあ、動物といった方がいいかどうか――」
そういっているとき、がっちゃん、がちゃんと音がして、階段の上からおりて来る者があった。
少年たちは、その方をふりかえって、思わず「あッ」といって、逃げ腰になった。
階段をおりて来たのは、ものすごい顔かたちをした
「おや、機械人間が、ひとりでこっちへ歩いて来るぞ。これは
盲目の谷博士は、首をかしげた。博士はたくさんの機械人間を、この建物の中で使っていた。それを機械人間何号と呼んでいた。その機械人間たちは、博士が、特別のかんたんなことばをつづりあわせた命令によってのみ動くのであった。ところが今、階段から、がちゃんがちゃんと、機械人間がひとりでおりて来たので、博士は
その怪しい機械人間は、なぜひとりでおりて来たか。
盲目の谷博士と、怪しい機械人間は、どんな応対をするであろうか。
この奇怪な山頂の研究所にはいりこんだ五少年は、これからどんな運命をむかえようとするか。
気味のわるいしゃがれ声を出す者は、いったい何者であろうか。
がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
少年たちは、目を丸くして、このふしぎな機械人間の運動ぶりを見まもっている。少年たちは、科学雑誌やものがたりで、こういう機械人間のことを読んで知っていて、いつかその本物を見たいとねがっていた。ところが今、はからずもこの研究所の塔の中でお目にかかったものだから、少年たちは、ものめずらしさに機械人間の運動にすいつけられていた。
(すごいなあ!)
(よく動くねえ。人間がからだを動かすのと同じことだ。どんなしかけになっているのかしらん)
(こういう機械人間を一台買って持っていると、いろいろおもしろいことをやれるんだがなあ)
少年たちの頭の中には、思い思いの感想がわきあがっていた。
ところが谷博士の方は、少年たちのように明かるく
博士の顔は
「……たしかに、わしの作った機械人間にちがいない。だが、ふしぎだ。何者がその機械人間を動かしているのか。
谷博士は、前に立っている機械人間を、自分の作製したものであると認めたのであった。が、それにつづいて起こった疑問は、目の見えない博士をどんなにいらだたせたかしれない。
博士が、ものをいったので、戸山少年はわれにかえって、博士のそばに寄りそった。
「この機械人間はおじさんがこしらえたのですか。おじさんはえらい技術者なんですね」
「おお、君。わしのため力を貸してくれんか」
博士は、戸山のほめことばに答えず、急に気がついたように少年にそういって、手さぐりで少年の肩をつかんだ。
「ああ、いいです。ぼくたち、よろこんでおじさんのために働いていいですよ。そのかわり、あとで、もっとくわしく
「それは、わけないことじゃが――ああ、今はそれどころではない。ただ今、わしの目の前においてふしぎなことが起こっている。そのふしぎの正体を急いでつきとめなくてはならない。君――なんという名まえかね、少年君」
「ぼくは、戸山です」
「おお、戸山君か。戸山君、わしを機械人間の制御台のところへ早くつれていってくれ。おねがいする」
「いいですとも。その制御台というものは、どこにあるのですか」
「この部屋の……この部屋の階段の右手に、奥にひっこんだ
「ああ、それは、めちゃめちゃにこわれています。まん中と、そのすこし上とに、
「うーん、それはたいへんだ。だれがこわしたのかしら。するといよいよおかしいぞ。
「それなら地階へいってみましょうか」
「おお。すぐつれていってくれたまえ。ここから見えるはずの階段のわきから、地階へおりる階段があるから、それをおりるんだ」
「はい。分かりました。おい羽黒君、井上君。手を貸してくれ。おじさんを両方から
「ありがとう」
一同は歩きだした。
がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
「あ、あの音は……」
博士は、さっと顔色をかえて立ちどまる。
「おじさん。あの機械人間が、ぼくたちのうしろからついて来ますよ」
「うーむ、ふしぎだ。今まで、あれはどこにどうしていたのかしらん」
「ぼくらの前に立って、おじさんの話をじっと聞いていたようですよ」
「なに、わたしたちの話を聞いていたというのか、あの機械人間が……」
博士は途中でことばをのんで、少年たちに腕をとられたまま、へたへたと
少年たちは、この谷博士が非常に
だから少年たちは、博士を左右から
それから一同は、また歩きだして、地階へのおり口の方へ向かった。
機械人間は、あいかわらず、やかましい音をたてて一同のうしろからくっついて来る。
はじめは、おもしろがっていた少年たちも、なんだか気味がわるくなってきた。
博士は、歯をくいしばって、地階へ早くおりたいものと、足を
階段をおりていった。
幅のひろい階段は
地階へおりることができた。天井の高い広間がつづいていて、各室は明るく照明されていた。しかし、さっきの爆発は、この地階にもある程度の損害をあたえていた。それは、見とおしのできる通路のところへ、部品や
博士が心配すると思って、少年たちは、壁にぼっかりあいた穴や、こわれた
目の見えない博士のいうとおりに、地階の中をあっちに歩き、こっちに歩きして、ついに探しているものの前に出ることができた。
「ああ、この機械にちがいないです。『
戸山が、博士にいった。
「おお、それじゃ、で、どうじゃな、機械はこわれているかね」
「べつにこわれているようにも見えません」
「機械は動いているのかね」
「さあ、どうでしょう。機械が動いているかどうか、どこで見わけるのですか」
「パネルに赤い
「ちょっと待ってください。監視灯は消えています」
「消えているか。機械の中に、どこかに電灯がついていないかね」
「なんにもついていません。この機械に電気は来てないようですよ。あ! そのはずです。
「ふーん。それではこの旧式の制御台も動いていないのだ。待てよ、わしが来る前に、スイッチを切ったのかもしれん。君、戸山君。パネルに手をあててごらん。あたたかいかね、つめたいかね」
「つめたいですよ。氷のように
「え、つめたいか。するとこのところ、この制御台を使わなかったのだ。はてな。するといよいよわけが分からなくなったぞ。これはひょっとしたら……」
博士は戸山の手をぐっと力を入れて握り、
「君たちは、気をつけなくてはならない。もしも何か
「なにをいっているのか、さっぱり分からない。おもしろくない。ほかの場所へいってみよう」
気味のわるい声がひびいた。
「え、なんといった。今、ものをいったのはだれだ」
「私だ。なにか用かね」
「君はだれだ」
「私かい。私は私だが、私はいったい何者だろうかね。とにかくあっちへ行こう」
がっちゃん、がっちゃんと、機械人間は、妙なことばを残して、奥の方へ歩みさった。
「だれだい、君は。ちょっと待ちたまえ」
「おじさん。今おじさんと話をしていたのは機械人間ですよ。奥の方へ行ってしまいました」
戸山は、そういって、博士に教えた。
「やっぱり、そうだったか。ふーん、あんな口をきくなんて、とんでもない話だ。奥へ行ったか。それはいかん。奥には大切なものや危険なものがあるんだ。とりわけダイナマイトの箱が積んである。あれをあいつに一撃されようものなら、この研究所の
ダイナマイトの箱が積んであるという。
それはたいへんだ。鉄の
(なんだってこのおじさんは、ダイナマイトの箱なんか、たくわえているのだろう)
と、少年たちは、へんに思いながらも、博士をたすけて、地階の奥へ連れていった。
「ああ、そこに機械人間がいます」
井上少年が叫んだ。
「え、機械人間がいたか。なにをしている」
博士が、見えない目を大きくひらいて、
「一生けんめいに、機械や何かを見ていますよ。あッ、箱を見つけました。たいへんだ。ダイナマイトと書いてある箱ですよ」
「ううむ。とうとう見つけたか。困った。手あらくあつかわないようにしてもらいたいものだが、……あッ、そうだ。さっきのふるい制御台を使って、あの機械人間を取りおさえてしまわねばならない。戸山君たち、さっき調べた旧式の制御台のところへ、もう一度わしを連れていってくれたまえ」
少年たちは、博士のいうとおりにした。しかしその博士が、ますます
旧式の制御台のところへ博士を連れてくると、博士は目が見えないことを忘れたように、機械を手さぐりして、電源につないだり、スイッチを入れたり調整をしたりした。
「計器を見てくれたまえ。一番上に並んでいる計器の右から三番めの四角い箱型の計器を見てくれたまえ。その針は、どこを
「百五十あたりを指していますよ」
「百五十か。すると百五十ワットだ。これだけ出力があるなら、十分に機械人間を制御できる。さあ、見ておれ。おい君、今わしが仕事をはじめる。君たちは、機械人間のところへ行って、あいつがどうなるか、見ていてくれ。あいつが、しずかに立ちどまって、死んだように動かなくなるはずだ。そうなったら、すぐわしに報告してくれ。よいか」
そういって博士は、制御台のパネルについている一つのスイッチを入れ、それから
「どうじゃな。まだか。これでもか」
博士は、
がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
にぎやかな足音をたてて、奥から機械人間が出て来た。手にはダイナマイトの箱をぶらさげている。少年たちは、それを見て
何も見えない谷博士ばかりは、熱心に制御台の前でハンドルを廻しつづけている。
が、博士にも、機械人間の足音が耳にはいった。
「おや、まだとまらない。ふん、こっちへ歩いて来たな。もう機械人間はここらで停止しなければならないんだが、はてな……」
すると、博士の耳のそばで、気味のわるい声がした。
「さっきから、からだの中が、もぞもぞとこそばゆくてならないと思ったら、君がこの旧式の制御器で、
「だれだ。そういう君は何者だ」
「私だよ。さっきも君が聞いてくれたね。わけのわからない私だよ。この足音を聞いたら、分かるだろう」
機械人間は、がっちゃんがっちゃんと荒々しく足ぶみをしてみせたが、そのときあいている方の左手をのばしたて、がーんと制御台のパネルを
「うわーッ」
博士はとびのいて、その場にころぶ。
「こんどはどこへ行こうか。ここはもう興味をひくものがない」
機械人間は、笑うでもなく怒るでもなく、ひややかにそういって、ひとりずんずんと階段をのぼっていった。
井上と羽黒の二人は、勇気をふるいおこして、怪しい機械人間のあとを追いかけた。
怪物は、階段をあがると、例の
やがて怪人の姿は、雨あがりの木のまにかくれて見えなくなった。
このダムは、
三角岳の大ダムと呼ばれていた。
このダムによって、せきとめた水が、高いところから下に落ちるとき水力発電するのだった。水はこの広い
この大じかけな発電系に、水を一年中いつでも十分に送れるように、この三角岳の大ダムはものすごく多量の水をたくわえている。
この大ダムは、日本一の巨大なものであった。しかしこのダム工事は、建設のとき非常に急がされたので、少々失敗したところがあった。そんなことがなければ、このダムは今より三割も多くの水を、たくわえることができたであろう。
この大ダムの西の端に、一つの建物がある。ここには、ダムの
だが、いつもの日は、この建物の中にいるのは五六人にすぎなかった。
きょうも測定
それこそ、例の
がっちゃんがっちゃんの足音に、所員たちはすぐ気がついた。ふりかえってみて、相手の異様な姿に一同は
(機械人間みたいだが、どうしてここへひとりではいって来たのかしら)
と、一同はふしぎに思いながら、
機械人間は、片手にダイナマイトの箱をぶらさげ室内をぐるぐる見まわしていたが、壁に張りつけてあるダムの
「もしもし。君は、ことわりなしに、ここへはいって来たね。早く出ていきたまえ」
ついに大池が
すると機械人間は、彼の方へ、
「このダムの設計は、はなはだまずいね。このへんにちょっと
と、機械人間は、笛を吹くような気味のわるい声でこのダムの設計のまずいことを
すると大池が怒った。
「よしてくれ。人間でもない、へんな
「そうだ、そうだ。分かりもしないくせに、なまいきなことをいうな。さあ、出て行け」
江川も立って来て、機械人間をしかりとばした。
「私なら、こんな設計はしない。ここのところは、こうしなくてはならない」
機械人間は、机の上から赤鉛筆をとると、壁にはってある設計図の上に赤線をひいて、
「よせ。よけいなおせっかいはよして、早く出て行け。出なけりゃ外へほうりだすぞ」
江川が機械人間の手から赤鉛筆をもぎとった。大池は機械人間を突きとばした。
機械人間は、びくともしなかった。大池の方が腕を痛めて、痛そうにさすっていた。
「私のいうことは正しい。うそと思うなら、私について来なさい。私は、ダム建設の
「きさまは化物であるうえに、気も変になっているんだな。いったいだれがこの機械人間をあやつっているのだろう」
「早く来たまえ。このダムはかんたんにくずされるのだ」
「はははは。何をいうんだ。おどかすな。見に行ってやることはないよ」
「ちょっと大池君。あの化物が手に持っている箱には、ダイナマイトと書いてあるぜ。本物のダイナマイトを持っているんなら、たいへんだぜ」
「なあに、よしや本物のダイナマイトであろうとも、ダムがひっくりかえるなんてことはないさ。とにかくあの化物を遠くへ追いはらう必要がある――」
といっていたとき、とつぜん天地はくずれんばかりに振動し、それにつづいて腹の底にこたえる気味のわるいごうごうの
「おやッ」
と大池と江川が顔を見あわせたとき、二人の少年がかけこんで来た。
「たいへんですよ。機械人間が今、ダイナマイトの箱をダムに叩きつけたんです。ダムは
たいへんだ。あの怪しい機械人間は、あっさりダイナマイトをダムにぶっつけて、巨人ダムをひっくりかえしてしまったらしい。二人の所員は、その場に腰をぬかしてしまった。
「あッ、たいへんだ。早く、ふもとの村へ危険を知らせるんだ」
「どこへ一番はじめに、電話をかけますか」
「どこでも早くかけろ」
「じゃあ、第二発電所を呼びだしますか」
「だめだ。もうあのおそろしい水は、第二発電所へぶつかって、おしつぶしているだろう。
「じゃあ、どこへかけりゃいいんですか。はっきりいってください」
「おれはよく考えられないんだ。君、いいように考えて電話をかけてくれ」
「困ったなあ」
「あッ、だれか鐘をならしているぞ。そうだ。のろしをあげろ」
「もしもし、ここも危険ですよ。水に洗われて、土台にひびがはいって来ました。ぐずぐずしていると、家もろとも
「ええッ、ほんとかい。それはたいへんだ」
「おーい、おまえさんもにげなさい。命をおとしてもいいのかい」
「にげるけれど、猫がいないから探しているんだ」
混乱のうちに、めりめり音がして、
このとき、最後の
「ああ、助かってよかったよ。ねえ、ミイ
その最後の避難者の腕に、まっ白な猫の子がだかれていた。
ものすごい決潰と、恐ろしい大濁流とに、人々はすっかりおびえきっていて、もっと早くしなくてはならないことを忘れていた。
、やっとそれに気がついた者があった。
「ああ、あそこに立っている。あいつだ。ダムをこんなにこわしたのは……」
そういったのは、例の五人の少年の中のひとりである戸山君だった。彼の指さす方角に岩山があって、その岩山に腰をかけて、こっちを見おろしている怪物があった。それこそ例の機械人間であった。
「あ、あいつだ。あいつが、この
「警察へ電話をかけて、犯人がここにいるからといって、早く知らせるんだ」
「だめだよ。電話どころか、庁舎も下の方へ流れていってしまった」
「おお、そうだったな。それじゃあ、みんなであの怪しいやつを追いかけよう。棒でもなんでもいいから、
「よしきた。おれが
おいおいそこへ集まって来た木こりや炭やきや、用事があってそこを通りかかっていた村人も加わり、怪しい機械人間を追いかけていった。が、彼らはまもなく、青くなってにげかえって来た。
「ああこわかった。あれは、ただの人間じゃないじゃないか。すごい化物だ」
「もうすこしで、おれは腰をぬかすところだった。おどろいたね、みそ
「なんだい、あの化物の
「さあ、なんだろうなあ。まっ黒だから、お
「
「いや、生えていたよ、たしかに……」
村人たちのさわぎは、だんだん大きくなっていく。
そのうちに、ふもとの村から、特別にえらんだ警官隊がのりこんで来た。この警官たちはこわれたダムの警戒にあたるつもりで来たが、犯人が意外なる
もちろん、とてもそれだけの人数の警官ではたりそうもないので、ふもと村へ応援隊をすこしも早くよこしてくれるように申しいれた。
目が見えなくなったうえに、怪しい機械人間の
三日ほどすると、すこし博士の気もしずまったので、かけつけた博士の友人たちのすすめもあって、博士は東京へ行くことになった。東京へいって、入院をして、目と
「わしの東京行きは、ぜったい秘密にしてくれたまえ。そうでないと、わしはこのうえ、どんな目にあうかもしれない。殺されるかもしれないのだ」
と、博士はひとりで
友人たちは、博士に、そのわけをたずねてみたが、博士はそのわけをしゃべらなかった。
「今は聞いてくれるな。しかし、わしは
博士は、からだをぶるぶるふるわせながら、そういって、同じことをくりかえし、いうのであった。友人たちもそれ以上、この病人からわけを聞きただすことをさしひかえた。
こうして博士は、東京の
院長は
谷博士は、じつは大宮山博士をいつも攻撃していたし、大宮山博士もまた、谷博士には反対の態度をとっていた。ただし、それは学問の上のことだけであって、友人と友人とのあいだがらは、たいへんおだやかであり、たがいの人格も信用していた。だから、谷博士は、自分の
院長たちの手あつい治療によって、谷博士はだんだん
しかしよくなるのは神経病の方だけであって、視力の方はまだ一向はっきりしなかった。博士はいつも
「ぼくの目は、もうだめかね」
谷博士がたずねたことがある。
「いや、だめだとはきまっておらん。今の療法をもうすこしつづけたい。それが、効果がないとはっきり分かったら、また別の方法でやってみる」
「いよいよ目がだめなら、ぼくは
「人工眼か? 君の発明したものだね。まあ、それはずっと後のことにしてくれ。君はぼくの病院の患者なんだから、よけいな気をつかわないで、ぼくたちに
「うん、それは分かっているんだ」
谷博士は、そのあとでしばらく口をもごもごさせて、いいにくそうにしていたが、やがて低い声でつぶやいた。
「……あの恐ろしいやつの存在を、一日も早くつきとめたいのだ。ぐずぐずしていると、こっちが目が見えないのにつけこんで、あの恐ろしいやつが、わしを殺してしまうかもしれない」
この低きつぶやきの声も、院長たちの耳に聞こえた。院長は、聞こえても、聞こえないふりをしていた。それは谷博士の神経病がまだ完全によくなっていないと思ったからだ。病気から出ている
院長の考えが正しいのか、それとも谷博士の
その谷博士のところへ、ある日曜日の朝、にぎやかな面会人が来た。それは、例の五人の少年たちであった。
院長から許可が出たので、面会人の少年たちは、一人の看護婦にみちびかれて、谷博士がやすんでいる丘の上へ行った。博士は車のついた
博士はたいへんよろこんで、いちいち少年の手をにぎって振った。
看護婦が少年たちに博士のことを頼んで向こうへ行ってしまうと、博士はあたりをはばかるような声で、少年たちにたずねた。
「もう例の事件がおこってから十三日めになるが、犯人はつかまったかね」
「いえ、まだです」
「いま、どこにいるんだか、分かっているの」
「
「それは困ったな。すると、ゆだんはならないぞ」
「ぼくたちも、なんとかしてあの怪物をつかまえたいと思って、五人集まって探偵をしているんですが、まだなんの手がかりもないです」
「それはけっこうなことだが、諸君はあの怪物とたたかうのはやめなさい。たいへん危険だからね」
「危険はかくごしています。とにかくあんな悪いやつは、そのままにしておけませんからねえ」
「だが、君たちは、とてもあの怪物とは
博士は、あの怪物が、どうやら超人間X号であるらしいことをものがたり、そして話したあとで、ぞッと身ぶるいした。
五人の少年たちも、この話を聞いて、急に不安な気持ちになった。
「先生。その超人間X号というのは、いったい何者かんですか、どうしてそんな怪物が、この世の中にすんでいるのですか」
戸山少年は、谷博士にたずねた。
「じつは、超人間X号をこしらえたのは、わしなんだ。わしが研究所で作りあげた人工の生物なんだ。それは
博士のことばに、少年たちはたがいに顔を見あわせた。分かるようでもあり、あまりふしぎで、よく分かりかねるところもあった。そのことを博士にいうと、博士はうなずき、
「そうであろう。わしの話は、よほどの専門家にも分かりかねるところがあるんだ。だから君たちにも分からないのはむりでない。しかし、わしが生物を
「さて、わしは、
博士は、見えない顔を左右に動かして、少年たちの様子をうかがうのであった。
「ぼんやり分かりますよ」
少年は、
「ほう。ぼんやりでも、分かってくれると、わしはうれしい。……そこでわしは、電臓に意識をつけるために
博士のことばは、だんだん熱して来た。
「ところが、意外にも、研究所の中に
ここまで語って来た博士は、いきなりその場にもだえて、椅子から下へころがり落ちた。
さあ、たいへんである。少年たちは、博士を助けおこす組と、医局へ走る組とに分かれて一生けんめいにやった。
大宮山院長がかけつけて、博士を
少年たちは、だからもうそれ以上博士から
いよいよ
ところが、その日の夜、三角岳の南方四十キロばかりの地点にある
死刑は
死刑囚は、
この死刑に立ちあった者は、三人であった、一人は執行官、もう一人はその下でじっさいの仕事、つまり死刑囚の首に
すでに用意は終り、死刑囚火辻は絞首台の上にのぼり、補助官によって首に綱の輪がかけられていた。それに向かって、十メートルはなれて、執行官と教誨師が並んで所定の席についていた。おりから東の空からのぼりはじめた月が明かるく、この死刑場を照らした。
立ちあいの執行官は時計を見ながら、命令の時間になるのをまっていた。もう残すところ一分あまりであった。
執行官は、さっきから補助官の姿が見えないので、どこにいるのかと軽い疑問を持っていた。死刑の時刻は、あと三十秒ほどにせまった。
そのときであった。目かくしされ首に綱をつけ、しずかに塀をうしろにして、立っている死刑囚のそのうしろの塀に横あいから近づく一つの
「あッ、あの人影は……」
教誨師が、低い声で叫んだ。
執行官もその人影を見た。頭部のたいへん大きな、肩はばの広い、大きな人影であった。
(だれだろう、死刑囚のそばへ近づくのは)
執行官は迷った。死刑執行をすこし待って、あの怪影をしらべ、もしも、死刑に関係のない者だったら、追っぱらうべきであろうか。それとも、このまま死刑を執行してしまうべきであろうか。
それにしても、補助官は、どこになにをしているのであろうか。
執行官は、やっぱり時刻が来たときに死刑を執行した。彼が、死刑囚の足をささえている台をはずしたのである。その瞬間、死刑囚のからだはすうーッと下に落ち、そして途中でとまって、ぶらんとさがった。
怪影はそれまで見えていたが、死刑と同時に、ぱッとうしろへさがって、小屋のかげに消えた。
それからあとは何事もなかった。
絞首にきめられてある時間がたった。
執行官は、手はずのとおり、死刑囚の死体をおろすように信号を送った。
すると宙ぶらりんになっていた死体は、すーッと下へおりていって、やがて穴の中に見えなくなってしまった。
(なあんだ、補助官は、やっぱり死刑台の地下室に待っていたのか)
執行官は安心した。
執行官と
二人は、連れだって、死刑台の下の地下室へおりていった。
そこにはいつものとおり、補助官が死んだ死刑囚の首から、絞首綱をはずしていた。
「大丈夫かね」
執行官は、補助官に声をかけた。
「はい。うまくいきました。異状なしです」
と、補助官はまったくふだんの調子でこたえた。何か異状か、怪しい人物を見かけたことでも
「君は、さっきこの死刑囚のそばへ行ったのか。いや、まだぼくが、死刑囚の足の台をひかない前のことだ」
「いいえ。私は上の準備をすると、ここへおりまして、今までずっとここにいました」
「ええッ。ずっと君はここにいたのか」
執行官はおどろいて、なにげなく教誨師の方をふりかえった。と、そこで教誨師の不安な目とかちあった。教誨師は、小首をかしげて見せた。
「おかしいね。たしかに死刑囚の横あいから一つの人影が近づいたんだ。死刑執行のすぐまえのことだった。そうだねえ、君」
そういって執行官は、教誨師の同意をもとめた。
「そうでした。頭のいやにでっかいやつの影でした。私は、地獄から、
「ははは、なにをいうですか、おどかしっこなしですよ」
補助官は、二人にかつがれているんだと思って、笑ってしまった。
とにかくその場は、それで一まずおさまった。執行官たちは念のために
そこで死刑となった火辻軍平の死体は、
この阿弥陀堂は、やはり塀ぎわに建っている独立のかんたんな堂であって、お寺のお堂のような形はしていなかった。しかし中にはいってみると、お寺の本堂そっくりだった。奥の正面には、西をうしろにして木像の
火辻軍平のなきがらのはいった棺桶は、この前にはこびこまれ、北向きに
あとは阿弥陀さまと棺桶ばかりとなった。夜はいたくふけ、あたりはいよいよしずかになり、ただ一つの生命があるかのように燃えていた線香も、ついに最後の白い煙をゆうゆうと立てると、灰がぽとりとくずれ、消えてしまった。こうして堂の中は死の世界と化した……。
めりめりッ。とつぜん仏壇の横手の
と思うまもなく、
なぜあいつは、とつぜんこんなところへ姿をあらわしたのか。
怪物は、電灯を消し、室内をまっ暗にした。その暗がりの中に、めりめりと、板のはがれる音がした。それにつづいて、なんだか知らないが、かちゃかちゃと、
それは異様な光景だった。かの機械人間が、仏壇の方へ前かがみになって、何かしているのだった。壇の上には青白い人間のようなものが横たわっていた。棺桶は
頭部に、まっ白な
火辻の死体が
読者諸君は、この犯人なるものの正体を、だいたい察しておられる。しかし当局にはそれがなかなか分からなかった。
分かっていることは、犯人が
そのほかに何もはっきりした
事務所の高い
監視員の目にふれないで、脱獄することはできない仕事だ。だから犯人はどうして出てしまったのか。あるいはまだ所内にかくれているのではないかと、念入りの捜査が行われた。
その結果、やっと分かったことは、絞首台の下に、死刑囚の死体がおりてくを地下室があるが、その地下室の
この抜け道から、犯人は事務所へ出はいりしたことが分かった。
だが、農家でも、こんな抜け道がいつ掘られたのか、だれも知らなかった。それはほんとうと思われた。とにかく犯人がうまくこの抜け道を掘ったのであろう。
犯人は、頭のいいやつにちがいない。事務所の内部で、あまり人の立ちいりがはげしくないところをうまく利用したのだ。死刑は毎日あるわけではない。一年に何回しかないのである。犯人は、そこに目をつけたものと思われる。また、地下道にはやわらかい土がむきだしになっていたので、犯人の足あとは、たくさん残っているものと思われたが、調べた結果は、一つも発見することができなかった。犯人は、そこを引きあげるとき、うしろ向きになって、完全に足あとを消していったのだ。
こういうわけで、犯人は何一つ目ぼしい証拠を残していなかった。何も証拠を残していかないということが、犯人の
いやもう一つ、推理のタネがある。それは火辻の死体を盗んでいったのはなぜかという疑問だ。火辻の遺族の者であろうか。それとも、遺族ではなく、あの火辻の死体が入用であるために盗んだのか。
このことは、すぐには結論をきめるわけにいかなかった。死刑囚火辻軍平の身のまわりをひろく調べあげたうえでなくては分からないことであった。係官は、もちろんこの仕事をその日からはじめた。だがこれは、日数のかかる大仕事であった。
そこで、今のところ、この犯罪事件についてすぐ手をくだす必要がある捜査は、火辻の死体を探しだすこと、犯人らしい怪しい者を見つけることだった。
ところが、紛失した火辻の死体は、どこへ持っていったのか、いつまでたっても発見されなかった。また、手とか足とか、その死体の一部分さえ、どこからも見いだすことができなかったのである。
「どうしているかなあ、このごろの警察は……。
町では、警察の
戸山君たち五少年も残念がって、土曜日や日曜日になると、警視庁へ様子を聞きにいった。少年たちは、ダムこわしの機械人間の行方を早くつきとめて取りおさえないと、これから先、たいへんな事件が起こるであろうと心配しているのだった。しかし五少年は、火辻の死体紛失事件の方の重要性には、まだ気がついていないようであった。
だが、やがてそのことについて五少年がびっくりさせられる日が近づきつつあるのであった。
死刑囚の死体紛失事件があってから、二カ月ばかりたった後のことである。
そのころのある日。
とつぜん谷博士が、この研究所へ戻って来た。
もちろんこの三角岳の研究所は、すぐる日の大爆発でなかば
ただ、この方面の登山者たちの目に、谷研究所の半崩壊の
「あのすごい塔は、どうしたんだね」
「へえ、あれは谷博士さまの研究所でございましたがね。なんでも
山の案内人は、こんなふうに説明するのであった。
「それはすごい話だ。時間があれば、ちょっとよって見物したいが、あいにく行く余裕がない。せめてあのすごい塔を、カメラへおさめていこう」
と、写真機を塔へ向ける。
「よし、君が写真をとるあいだ、ぼくは、
一人は八倍の双眼鏡を目にあてて、塔に
「ほほう、双眼鏡で見ると、いよいよすごい塔だ。……おや、あの塔にだれかいるね。人間がひとり、塔の中を歩いているよ」
双眼鏡の男が、そういう。すると案内人がぴくんと肩をふるわせた。
「だんな、ほんとうですかい。ほんとに人間があの塔の中にいますか」
「いるとも。ちゃんと見える」
「はて、何者かしらん。このあたりの
「ちゃんと服を着ているよ。頭のところに白い布で
そこで案内人は、双眼鏡を貸してもらって目にあてた。ようやく
「やあ、あれは谷博士さまだ。博士さまは、ご無事だったのけえ」
「
「待った、だんな。このお山の中で幽霊なんていっちゃならねえ。お山が、けがれますからね」
「でも、君が塔の中の人を見て、あまりふしぎがっているからさ」
「いや、博士さまにまちがいはねえ。これは土産ばなしができたわ」
たしかにその人物は、ほんとに生きている人間であって、幽霊ではなかった。
谷博士さまが研究所の中を歩いていなさった――というニュースは、たちまちそのあたりの村々へ伝わった。
「博士さまは、これからどうするつもりかの」
「金になるものは売って金にかえ、三角岳から引きあげるのじゃなかろうか。あんなにこわれては、直しようもないからねえ」
「もう、それに、こんどというこんどは、雷さまの
村人たちがそんなうわさをしているとき、谷博士が村へひょっくり姿をあらわしたので、みんなびっくり
「みなさん、しばらくごぶさたをしました。あのときはたいへん心配をかけて、すまんことじゃった。こんどは一つみなさんにお礼をしたいと思って、研究所へ帰って来ましたから、どうぞよろしく」
博士は繃帯を巻いている頭をさげた。
「まあまあ、博士さま、なにをおっしゃいます。そんなごていねいな
「いや、それどころじゃない。えらいことみなさんにごめいわくをかけました。ところでこんどわしは
博士は、そういって、みんなに協力を頼んだ。
博士が、こんど製造工場を起こすについて人を雇うからどうぞ来てくださいと頼んだのは、一カ村ではなく、そのあたり四里四方の全部の村々であった。
昔の博士を知っている者の中には、めんくらった者がすくなくない。というのは、博士はその昔、研究所長として、はなはだ
じろりと見られるのは、まだいい方で時には博士はまったく知らぬ顔で行きすぎることさえあった。だから村人は、博士のえらいことを尊敬していても、博士をしたう心を持つ者はいなかった。
学者という者は、こんなにごうまんなものであって、
ところが、こんど博士は、いやに腰がひくくなった。だから、昔を知っている者たちはおどろいたのである。おどろいて、顔を見あわせた。ものはいわなかったけれど、目つきでもって、村人はおたがいにいいたいことを
(博士さまは、えらくかわったでねえか。えらく腰がひくくなっただ)
(ほんに、そのことだ。どうしたわけだんべ)
(ああ、分かった。このまえ、ほら、あの研究所の
村人は、そのくらいのことを考え、その先を考えなかった。なぜ博士が急にこう
「博士さまは、この夏の爆発のとき、目が見えなくなったちゅうこんだが、今はどうでがす。よく見えなさるかの」
博士は、ぎくりとして、両手で自分の両眼をおさえた。
「おお、そのことだ。……いや、心配をかけたが、わしの目も今はすっかり
「それはけっこうなこと。目が不自由だと、一番つらいからの」
「そうじゃ、そうじゃ」
博士はうなずいた。
「博士さまの、その頭の
「
「繃帯ぐらい、わしは知っているよ。繃帯のことを
「
「博士さま、その頭の繃帯は、どうしなすったのじゃ」
それにたいして、博士は次のように答えた。
「この繃帯は、じつは悪性の
「そんなところへできるできものは、ほんとにたちがよくないから、くれぐれも気をつけなされや。そうだ。ふもと村の
「うんにゃ、それよりも
「いや、みなさんのご親切はうれしいが、わしは十分の手あてをしているから、ご心配はいらん。それでは、
そういって博士は、帰っていった。
博士の希望したとおりの雇人の人数は、まもなくそろった。
「わしは
「わしも職工というがらではないが、ええのかね」
「いや、けっこう。みなさん、けっこう。みんな雇います」
博士は、まず塔の壁を修理し、雨のはいらないようにした。それから地下室から、いろいろな工作機械るいを上へはこばせて、仕事のしよいように並べた。
それから
山の中の、まったく素人の農夫や炭焼きだった人たちが、博士の指導によって短い期間のうちにびっくりするほどりっぱな職工になった。
「うれしいなあ。わしは、こんなりっぱな機械を使いこなせるようになった」
「わしもうれしいよ。とにかくふしぎな気がする。わしは生まれつき
「なんだかしらんが、なにかがわしにのりうつって、うまく作業をこなしていってくれるような気がしてならん。わしの力だけとは、どうしても思われんな」
「おれも、そういう気がする」
「ばかをいえ。そんなことがあってたまるか。やっぱりおれたちの技術者としての腕があったんだ」
この会話の中には、なぞのことばが、ところどころ頭を出していた。そのなぞが持つ秘密が、やがてとける日が来たとき、この素人職工たちはびっくり
それはとにかく、谷博士が新しくつくったこの山の中の製造工場からは、まもなくりっぱな製品がどんどん出るようになった。その製品は、なんであっただろうか。
それは
「仕事をやらせるにべんりな機械人間をお買いなさい。畑の仕事でも、遠いところからの水くみでも、なんでもやります。しかも、人間の十人分は働きます。一台わずか五千円。二百円ずつの
こんな文句からはじまって、美しい絵ときをしてあるポスターが、ほうぼうの町や村にくばられた。
一週間ただで、ためしに使用してもよろしいと書いてあるので、それを申しこむ者がどの村でも一人や二人はあった。
申しこむと、
買えば、近所の人がめずらしがって、それを見物に集まってくる。なるほど、これは
そんなわけで、谷博士の製造工場の経営は大あたりであった。
そのために、あたりの村や町の人は、博士さまをたいへんありがたく思い、もう昔のような悪口をいう者なんかいなかった。
さて、ある日のこと。
ある日といっても、それは、日曜日の次の月曜日が
秋の山をぜひ登ろうというので、例の戸山君、羽黒君、井上君ほか二名の、仲よし五人少年が
のぼる道々で、少年たちは、谷博士の経営している三角じるし機械人間工場のポスターを見た。博士の名まえは、はいっていなかったけれど、製品は機械人間だというし、それにその工場のあるところが、三角岳だということなので、少年たちは深い興味をわかした。
「すると、谷博士の研究所あとで、だれかあんな工場をはじめたと見えるね」
「博士は知っていられるのだろうか」
「さあ、知らないだろうね。もっとも、知らせるといっても、博士はあれ以来、ずっと
「だれが経営しているんだろうか。まさか、例の機械人間の形をした怪物がやっているのではなかろうか」
「そんなことはないだろう。だって、もしそんなことがあったら、大評判になるから、東京へもすぐ知れるよ」
「とにかく、あの研究所を利用することを考えたところは、なかなか頭がいいや」
少年たちは、こんなことを話しながら、山を登っていった。
やがて少年たちの目にうつったのは、例の修理された塔であった。すっかりきれいになっている。そして大ぜいの人が出はいりし、トラックもひんぱんに、りっぱになった道路を走って、工場の製品をはこんでいる。
少年たちは、門の前まで来ると、
「あ、あそこに谷博士がいるよ」
「どこに。ああ、あれか。なるほど、谷博士さんそっくりだ。しかしおかしいぞ。博士は
戸山少年がそばを通りかかった
「あれがこの工場主の谷博士ですよ」
と答えたから、少年たちは、あッとおどろいた。
そのおどろきの声が、博士に聞こえたらしく、博士はきつい顔になって、ずかずかと少年たちの方へやって来た。
「君たちは、こんなところでなにをさわいでいます」
そこで戸山が出て、
「谷博士に目にかかりたいと思って来たのですが、博士はどこにいらっしゃいますか」
というと、
「谷博士は、わしです」
「いいえ、あなたではない」
「わしが自分で谷だといっているのに、なにをうたがいますか」
「それなら申しますが、谷博士は、目をわるくして、今も病院で目を
「あっはっはっは。なにをいうか、君たち。なにも知らないくせに。まあ、こっちへ来たまえ」
「いやです。おい、みんな早く、外へ出よう」
戸山のことばに、少年たちはすばやく博士ののばす手の下をくぐり、塔から外へとびだした。そして足のつづくかぎりどんどん走って、山をおりた。
一軒の警官の家の前へ出ると、その中へとびこんだ。
「たいへんです。大事件なんですから。東京の警視庁へ電話をかけてください」
「だめだねえ。この電話は、一週間まえから故障で、どこへも通じないんじゃよ」
「ちぇッ。しょうがないなあ」
少年たちは、そこをあきらめて、またふもとの方へ走った。そして東京への電話の通ずる家を探したが、なかなか思うようにいかなかった。
少年たちが目的を達して、警視庁と話のできたのは、その
「せっかく知らせてくれたが、おしいことに、まにあわなかったねえ」
と、電話口に出た
「どうしたんですか。まにあわなかったとは」
「というわけは、きのうの真夜中のことだが、
これを聞いて少年たちは、色を失った。
博士の
盲目の谷博士を、柿ガ岡病院から連れだしたのは、
なぜ、そんなことをしたか?
X号は、自分をまもるために、そうすることが必要だった。つまり戸山君などの五少年のために、にせの谷博士であることを見やぶられてしまった
だから、彼は谷博士をさらって、博士の行方を、わからないようにしてしまったのだ。それが第一段だった。さらった博士は、彼が肩にかついで、三角岳研究所へ連れこんだ。そしてこの研究所の一番下の
それは、その一階上にある図書室の奥の外国の学術雑誌の合本を入れてある本棚を、開き戸をあけるように前へ引くと、その本棚のうしろは壁をくりぬいてあって、そこには地階へおりる階段が見える、これが
谷博士だけしか知らないこの秘密通路をX号はちゃんと知っていた。なにしろX号はなかなかするどい観察力を持っていたから、いつのまにか、この秘密通路や、その下にある秘密の部屋部屋を見つけてしまったのであろう。
X号は博士の世話を、ほかの者にはさせず、みんな自分がした。
博士は、病院から連れだされるとまもなく、この
博士は、それ以来、X号にさからわないようにつとめた。また、なるべく口をきかないことにきめた。X号は博士がこしらえたものであるから、博士はX号の性格についてよく知っていた。
目の不自由な博士のことであるから、こうしてX号と同居していて、自分の身をまもることに
博士は、ある日、この研究所の建物の中で急にさわがしい声がし、多くの足音が入りみだれ、階段をかけあがったり、器物が大きな音をたてて、こわれたりするのを耳にした。
そのときは、博士のそばにX号がいなかったが、やがてX号は、ぜいぜい息を切って博士のそばへもどってきた。
「ああ、苦しい。せっかく死刑囚のからだを手に入れてこうして使っているが、このからだは悪い病気にかかっていて、心臓も悪いし、
X号は腹を立てて、
博士は、
「きっとやって来るだろうと思ったが、やっぱりやって来やがった」と、X号はひとりごとをつづける。「このあいだのちんぴら少年どもが、警察に知らしたのにちがいない。あの少年どもはうるさいやつらだ、早くかたづけてしまいたい。おれをにせものだといっぺんで見やぶりやがった」
X号はぷりぷり怒っている。
遠くで、自動車のエンジンをかける音がした。つづいて
「ははあ、とうとう警察のやつらは、捜査をあきらめて引きあげていくな。ばかな連中だ。ここに最地階があるとは知らないで、引きあげていくぞ、もっとも、やつらも手こずったことだろう。ようやく研究所の中へおし入ってみると、いるのは金属で作った
三角岳の研究所に谷博士と名のる、にせ者がいて、
だが引きさがるような警官隊ではない。ついに、すきを見つけて、そこからはいってきたのだ。それから
ひょっとしたら、誘拐された谷博士がここにいるのではないかと、それも気をつけて調べたのであるが、博士の姿もなかった。
そして事実は、さっきのX号のひとりごとでお分かりのとおり、X号も博士も最地階にひそんでいたのである。
警官隊は、小人数の
「はっはっはっ、みんなあきらめて帰ってしまった。そのうちに、見張りのやつらも引きあげていくだろう」
X号は、窓から外をのぞいていて、あざ笑った。
それはいいが、X号の方にも、重大な問題があった。それは、また、いつ警官隊がおしかけてくるかも知れず、うるさくてしようがない。そしてこんな死刑囚
これだけの条件を満足させるには、いったいどうしたらいいだろうか。
頭脳のいいX号のことだから、半日ばかり考えると、一つの案ができた。
それはどんなことかというと、
ここでいう人造人間とは、機械人間のことではない。機械人間は、外がわも、中も主として金属でできているが、人造人間というのは、人造肉、人造骨などを集めて組みあわせ、その上に人造
もちろん、そのからだの中にかくれている
「よし、それを作ることにしよう」
なにしろ、この研究所では、谷博士が長年にわたって、人造皮膚や人造肉や人造骨の製作を研究して成功し、それからさらに研究は深くなって人造
X号はまず手はじめに、試験的に二つの人造人間をこしらえることにした。甲号は
仕事は、さっそくはじめられた。谷博士の研究ノートを見、そして番号をひきあわせてその器械器具を出して動かしてみれば、人造人間製作のやりかたは、だんだん分かって来るのだった。X号はこの仕事にかかるとき、谷博士に手つだえと命令したが、博士は首をふって、
その仕事は一週間かかった。
X号としては、ずいぶんの時日がかかったように思ったが、もし人間がすると、それが谷博士であっても、すくなくともその三倍の日数がかかったことであろう。
とにかく、二体の人造人間ができあがった。いや、できあがったというには、まだ早い。人造人間の形だけができあがったという方が正しいであろう。
男の方は四十歳ぐらいの、肩はばのひろいりっぱな体格の人間だった。女の方は、十六七歳の少女だった。
そこまではうまくいったが、その先の仕事にX号は困って、さじをなげだした。すなわち、人造人間は、形だけは本物の人間とちがわないくらいにみごとにできあがったのであるが、それは死んだようになっていて、呼吸もしなければ、目も動かさず、もちろん歩きもしなかった。
「これは困った。その先のことは、谷博士の研究ノートにも、あまりくわしく書いてないんだから、いよいよ困った」
困ったままで、おいておくことはできない。そこでX号は最地階に監禁してある谷博士の前へやって来て、その問題をくわしく話をし、それから先どうすればよいかについて博士に教えを
X号の方で頭をさげんばかりにして博士に頼んだのであるから、それを見てもX号がよほど困ったことが分かる。
「わしは、いやだ」
やつれはてた博士は、頑強にこばんだ。
X号は博士を
博士は、あぶないところで、
神経痛がおさまるころには、X号は気もしずまって、別のことを考えだした。
「そうだ。博士の知識を
脳波受信機というのは、人間の頭の中にあることを知る機械だ。これも谷博士が完成して地階の
この器械の原理は、人間の脳髄が考えごとをはじめると、脳波と名づける一種の電波が出てくるから、それを受信するのである。受信した脳波は
X号は、これを使うことを決心したのであった。ただし、これをするには、一人の人間がいる。生きた人間を見つけてこなくてはならない。それをどうするか。
X号は、そこでちょっと行きづまって、
窓から外を見ると、研究所の
「あの男を連れてこよう。すぐ手近に見つかったのは、ありがたい」
X号は、機械人間たちを呼びだして、山形警部
警部は、かんたんに逮捕せられた。機械人間の大力と快速にあってはかなわない。
山形警部は、
X号は警部を生きかえらせた。
警部はわれにかえった。そして目の前に怪しい人物を見たので、
「あっ、君はだれか」
と、叫んだ。
「わしか。わしは君が探している者だよ」
X号は、顔をぬっと前につきだした。彼の頭部にある手術のあとのみにくい
「ややッ、君は死刑囚の火辻軍平だな」
「正確にいうと、それはちがうんだがね」
と、X号はつい
「火辻のからだを借りている者さ。よくおぼえておくがいい。わしはX号だよ。谷博士がわしを作ったのだ。超人間のX号さ。うわははは」
「ええッ、X号は君か」
「おどろいたか。よく顔を見て、おぼえておくがいい」
「うぬ。そのうちにきっと君を
「それは成功しないから、よしたがいい。とにかく、それでは早く仕事にかかろう。君とはもう口をきかないことにする」
「早く、私のからだを自由にせよ。君には、私を
「そのうちに、君を自由にしてやるよ。
「いやだ。X号の仕事のお手つだいをさせられてたまるものか」
「
X号は、それからのちは山形警部の
「よしよし、それでその方はよし。こんどは博士の方にかかろう。ちょっと手ごわいかもしれないが、なあに、やっつけてしまうぞ」
X号は、機械人間に命じて、谷博士をこの実験室に引っぱって来させた。博士は、目は見えないながら、危険を感じて、しきりに抵抗した。しかし、やつれきった博士が、機械人間に勝つはずはない。ついに博士はX号が持ちだした椅子にしばりつけられ、そして脳波受信機の
それからX号は、みずから長い電線を引っぱり収波受信機の接続を一つ一つ仕上げていった。
「これでいい。これでわしの知りたいことは、みんな分かるのだ。さあ、それでは谷博士に質問をはじめるかな」
そこでX号は、谷博士に質問をはじめた。
「こういう問題がある。この研究所の機械を使い、谷博士の研究ノートの示すとおりにして、人造人間を作りあげた。ところがその人間は眠ったようになって、目がさめないのだ、どこに欠点があるか、それを考えなさい」
と、X号は椅子にしばりつけた谷博士に向かってたずねた。
すると谷博士は、口をかたく結んで、それは絶対に答えないぞという
「それには二つの
谷博士の頭の中に浮かんだ考えが、そのまま山形警部の声になって、部屋中にひびきわたった。
X号はよろこんだ。谷博士は、くやしがって歯がみをし、身もだえして、椅子をがたがたいわせた。
そんなことで、X号は手をひかえるようなことはなかった。つぎの質問に移っていった。
すると博士の頭の中に浮かんだ回答が、山形警部の声で出て来た。こんなことを
「ははは、弱いやつだ」
X号は笑って、脳波受信の実験を一時中止することにした。
しかしさしあたり、彼が知りたいと思っていたことは、知ることができたので、こんどは、例の死んだようになっている人造人体を生かす実験にとりかかった。
彼は男性人造人間の
「きれいなんだが、やっぱりこれではだめなのか」
彼は、それをガラス器に入れて、
それから彼は、函の中から山形警部を引っぱりだすと、まるで魚を料理するように警部の頭蓋をひらいてその脳髄を取りだし、急いでそれを人造人間の頭の中に押しこんだ。そして手ぎわよく頭蓋を
「それから高圧電気で、電撃を加えるのだ」
山形警部の脳を移植した人造人間のからだは電圧電気室にはこび入れられた。
百万ボルトの高圧変圧器のスイッチは入れられ、おそろしい火花が飛んだ。
電撃が、人造人間の上に加えられたが、その結果は失敗だった。どういうわけか、その途中で、人造人間のからだが、ぷすぷす燃えだした。強い電流が、人造人間のからだの一部に流れたためであった。
「これはいけない。困ったぞ、困ったぞ。どうすればいいか」
X号は、しばらくうなっていたが、そのうちに心がきまった。彼は、一部分黒々と焼けた男性の人造人体を電撃台から引きおろすと、電気メスを手にとって頭蓋をひらき、さっき移植した山形警部の脳髄を取りだした。そしてそれを持って、大急ぎで、もう一つの女体の人造人間のところへ走った。
彼は、非常な速さでもって、今引っぱりだして来た警部の脳髄を女体の人造人間の頭蓋の中へ移植した。そしてほっと一息ついた。
「こんどは、うまくやりたいものだ」
ふたたび電撃が行われた。
そのあいだ、さすがのX号も、
「しめた。こんどは成功したらしい」
X号は、大よろこびで、スイッチをひらくと、電撃台にとびついて、
「よう、みごとだ、みごとだ。もしもしお嬢さん。わしの話が分かるでしょう」
「なにが、お嬢さんだ。私は山形警部だ」
と、その女体の人造人間は怒ったような
さすがの超人間X号も、その日はすっかりくたびれてしまい、ベッドにもぐりこむと、正体もなく深いねむりに落ちこんだ。
彼は、すこしの心配もなくねむった。というのは、この秘密の最地階のことは外部には知られていないし、またこの最地階からそとへ出ていく出入り口は、彼がしっかり
ところが、その翌朝七時に彼が目をさましてみると、その秘密の出入り口があいているので、びっくりした。錠は、内がわから鍵がさしこまれたまま、みごとにひらかれてあった。
「しまった。何者のしわざか」
X号は、おどろくやら、腹をたてるやらで、そこにふたたび錠をかけると、急いで引きかえした。
彼は、実験室の戸をおして、中へはいった。
「おお、谷博士は、ちゃんといるぞ」
谷博士は、椅子にしばりつけられたまま、首をがっくり前にたれていた。死んでいるようでもあり、まだ死んではいないようでもあった。とにかく博士がそこに残っているので、X号はまず安心した。
そばによってみると、博士は、心臓が
もうひとりの人造人間の女の子の姿を、X号は探しまわった。が、これはどの部屋にも見つからなかった。
「ふふん、すると、あの人造人間が、錠をあけで逃げだしたとみえる。はてな、最後にあの人造人間を、どう
X号は記憶を一生けんめいによびおこしてみた。
「そうだ。あの少女の姿をした人造人間は、男のような声を出して、あばれだしたんだ。それでおれはあの少女をおさえつけ、綱でぐるぐる巻きにして、組立室の
そのような状態では、少女の人造人間は逃げることができないはず。とにかく組立室へ行ってみれば分かると、X号はそちらへ小走りに走っていった。
そこでは、起重機から、だらりと綱がぶらさがっているだけだった。
少女が逃げたことは、いよいよたしかであった。あのかぼそい身で、このように綱をほどき、それからあの秘密の出入り口の鍵をさがしだして、うまうまと逃げてしまったんだ。なんという、すばしこいやつだろう。
「ああ、そうか。あの娘の頭蓋の中に、警官の
それにちがいない。
少女のからだを持った山形警部は、たいへんなかっこうで、研究所の外にのがれでた。それはやっと夜が明けはなれたばかりの時刻だった。研究所からすこしいったところで、彼は非常線をはっている警官を見つけて、その方へとんでいった。
その警官は、夜明けとともに、
「おお、
と、少女姿の山形警部は、相手が部下の足柄君であることをたしかめ、うれしくなって、急ぎの仕事を頼んだ。
足柄警官の方は、抱きついた裸の娘が、しゃがれた男の声を出したので、ますますおどろいて、うしろへさがるばかり。山形警部は、ここで、足柄に逃げられてはたいへんと、ますます力を入れて抱きつく。足柄警官はいよいよあわてる。
が、ようやく山形警部が、「君は、この寒い山の中で裸の娘をいつまでも裸でほうっておくのか。それは
こんなことがあって、ようやく山形警部は服にありついた。しかしそれは少女の服であった。その農家の、今は嫁入った娘が、小さいとき着ていた服であった。警部は男の服を借りてもらうつもりだったので、そのことを足柄警官にいった。すると足柄は、山形警部を見おろしてにが笑いをしながらいった。
「だって、大人の服は、あなたには大きすぎて、着ても歩けませんよ。ねえ、分かったでしょう、娘さん」
このことばに、山形警部は、うむとうめいてかえすことばを知らなかった。
足柄警官は、娘にさんざん手をやいて――彼は山形警部が少女姿になったことを、いくど聞いても信じない。――おりから、ちょうど
知らせを聞いて、奥から
「やあ、氷室検事、私はこんななさけない姿になってしまいました。同情してください」
みじかい少女服を着た女の子が、いきなり検事にとりすがって、顔に似合わぬ男の声を出したので、検事はびっくりして顔色をかえたが、さすがに隊長の任務の重いことを思いだして、落ちつきをすこしとりもどした。
「いいよ、いいよ。ぼくは君に深い同情をしている」
でまかせなことを、氷室検事はのべた。
「えッ、同情していてくださいますか。ありがたいです。氷室検事。あなたのほかにはだれもわしを山形警部だと思ってくれないのです」
「えッ、なんだと」
検事は、目をパチクリ。
すると少女のうしろから、足柄警官がさかんに手まねでもって、「検事さん、この娘は気が変ですよ」と知らせている。
「ふーん、そうか……」
山形の方は、検事がそういったのを、自分をみとめてくれたんだと思いちがいし、泣きつかんばかりに検事にすがりつく。
「わしには、さっぱりわけが分からんですが、きのうわしは研究所に近づいて
次に気がついてみると、わしは見たこともない部屋の中に、裸になって寝ていたのです。その部屋には器械がおそろしくたくさん並んでいました。わしはおどろいて起きあがりました。ところがそのときえらいことを発見してびっくり
と、山形警部は、今これをしんじてもらわねばとうてい救われる時は来ないものと考え、手まねもいれてくどくどと身のうえを説明したのだった。
まわりに、これを聞いていた一同は、いよいよこれは気が変な娘だわい。とほうもない
氷室検事だけは、心をすこしばかり動かした。この娘はたしかに変に見える。しかし彼女が娘らしくない、がらがら声でしゃべっているのを聞いていると、どこかに山形警部らしい話しかたのひびきもある。また、この娘のいっていることがらは、ほとんど信じられないほど奇怪であるけれど、
そのとき戸山少年が、検事の前へ出て来て、
「検事さん。この女のひとがいっていることは、ほんとだと思いますよ。谷博士が、研究所の
戸山君をはじめ五少年は、捜査隊にしたがって、この竹柴村の本部に寝とまりしていたのである。さっきからのさわぎに、少年たちは寝台をけって起き、
「それは、たしかだろうね」
検事は、するどい目つきで、戸山君を見つめた。
「たしかですとも、それから、今この女のひとが話したところによると、その研究所の最地階には、三人の人がいたことが分かります。その三人とは、この女の人と、例の死刑囚火辻に似た怪人、それからもう一人は、目に
「戸山君のいったとおりです。谷博士を早く助けてください」
と、他の少年たちも検事の前に出て並んだ。
五人の少年たちが、熱心に谷博士を救いだすことを検事に頼んだので、氷室検事の決心はようやくきまった。
「よろしい。それでは今夜半を期して、研究所の最地階へ
検事は、部下を集めて、手配のことを相談した。
このとき、気が変になった娘と思われていた少女姿の山形警部が、いろいろと研究所内の事情について、よい参考になることをしゃべった。ことに、最地階の出入り口の
(なぜこの娘に山形警部のたましいがのりうつっているのか分からんが……)と警官たちの多くは、そう思った。
(しかしとにかく、今しゃべっているのは山形警部のたましいにちがいない)
へんてこな気持だった。
でも、会議が進むにつれ、みじかい少女服を着た娘の発言は
会議が終ると、
そのあとは、本部の中は、怪少女の話でもちきりだった。若い警官も年をとった警官も、それぞれにいろいろな想像をして、議論をたたかわした。だがはっきりした
研究所を見張っている警官隊からは、たえず報告が来る。目下、研究所の地上の各階では、
ある一つの窓の警報器が故障になっていて、そこをあけてはいれば、研究所をまもっているくろがねの怪物どもを立ちさわがせることなく、忍びいれるという調べがついていた。
一行は、この窓にとりついた。すみきった月光がじゃまではあったが、警報器がならないかぎり、まず心配なしである。氷室検事は外に
そこは一階だった。玄関と奥の中間のところにある窓だった。
それから先の案内は、女体の山形警部にまさる者はなかった。
警部は先に立ち、そのうしろに護衛の警官が三人つづいた。もしもこの怪女がへんな行動をしそうだったら、ただちにとりおさえる手はずになっていた。が、女体の山形警部はわるびれず、奥へすすんだ。そして秘密の出入り口を教えた。
ところがここに困難がひかえているものと予想された。というのは、最地階から山形警部が出てくるときには、この秘密の出入り口の鍵は内がわにあったから、探しだしてすぐ使うことができた。しかし今警官隊は、外がわからはいろうとしている。
「あッ、開いた」
意外にも、戸は苦もなく開いた。錠がかかっていなかったのである。警官たちはよろこんだ。検事もよろこんだが、反射的に、(これは用心しなければいけない。相手はわなをしかけて待っているのかもしれない)と思った。
一同は、全身の注意力を目と耳にあつめ、足音をしのんで、最地階へはいっていった。警官の手ににぎられたピストルは、じっとりとつめたい汗にうるおっていた。だんだんと奥へ進む。
女体の山形警部が、いよいよどんづまりの場所へ来たことを手まねでしらせた。そして彼女は、声をしのんでいった。
「この扉をひらけば実験室だ。そこに博士は椅子にしばられ、怪人はおそろしい顔をして、器械をあやつっているんだ。扉をやぶったら、どっと一せいにとびこむのだ。一度にかかれば、なんとか怪人をとりおさえることができるかもしれん」
警部は、やっぱり怪人の力をおそれていることが分かった。そこで彼女はうしろへさげられた。
運命を決する死の扉か[#「扉か」は底本では「扉が」]、望みかなう扉か、扉に力が加えられた。扉はかるくひらいた。「それッ」と一同はとびこんだ。あッと目を見はるほどの
その部屋のまん中に、谷博士が椅子に腰をかけている。
「あ、谷博士だ!」
警官よりも少年たちが、先に博士の前へとんでいった。意外、また意外。
博士は
「おお、君たちはわしを心配して、とびこんできてくれたのか。うれしいぞ」
博士は少年たちをむかえて、なつかしそうにそういった。
「谷博士、ここに来られた皆さんも、ぜひ先生を無事にお救いしなくてはならないと、危険をおかして来られたのです。こちらが氷室検事です」
「やあ、氷室さんですか。ご苦労さまです。あつくお礼を申します」
博士は手をのばして、検事と握手した。
「博士、目はどうされたんですか。
戸山君が、さっきからふしぎに思っていることを、博士にたずねた。
「ありがとう、目はすっかりなおったよ。もうよく見えるようになった。わしはうれしくてならない」
「それはよかったですね。おからだの方も、病院にいられたときとちがい、ずっと、お元気に見えますが……」
「はははは、わしの家へもどって来たから、元気になったんだね。やっぱり自分の家が一番くすりだ」
「ああ、そうですか」
博士と少年の話を、もどかしそうに聞いていた検事は、
「もし、谷博士。職権をもっておたずねいたしますが、ここに怪人がいたはずですが、今どこにおりますか。お教えねがいたい」
と、怪物X号の存在を質問した。
「おお、そのことじゃ。わしは、諸君につつしんで報告する。あの怪物は、わしの手でもってしとめたよ」
「しとめたとおっしゃるのですか。すると博士が怪人をとりおさえたといわれるのですか」
氷室検事は、博士のことばを信じかねた。
「そうですわい。お疑いはもっともじゃ。わしは諸君に、その証拠を見せます。それを見れば万事はお分かりになろう。こっちへ来たまえ」
博士はそういうと、うしろ向きになって、奥の方へ歩きだした。
それッと、検事は部下たちに目くばせして、博士のうしろに
「怪人はどこにいるのですか」
「冷蔵室の中においてある。この部屋だ。今開ける」
それは大金庫の扉のような見かけを持って背の高い金属製の大扉であった。博士は扉の上の
「大した
博士は先頭に立ってはいった。一同は気味わるいのをがまんして、うしろに従った。
中はたいへん広く、中くらいの倉庫ほどあった。博士はずんずんと奥へはいって、そこにある小部屋の引き戸をあけて、その中へはいった。がらんとした
「ほらこれだ。これが君たちが探していた
怪人の死体とは!
なるほど、カンバスの
「あッ、たしかに
死刑囚だった火辻軍平のからだにちがいない。よく見ると頭蓋がひらかれ、脳髄のはいっていたところはからっぽだ。
「わしは、責任を感じています。わしの作ったX号という
と、博士は、
「そのX号の電臓とやらは、どうしたんですか」
「うむ、それこそおそるべきものなのだ。わしはX号を高圧電気によって殺した。そして今は死んでしまったX号の電臓はここにしまってある」
そういって、別の戸棚をひらいた。そこには大きなガラスの器に厳重に密封せられて、脳髄のようなものが保存されていた。
「これが、氷室君たちを悩ませ、わしを苦しめた恐るべきX号の死体なんじゃ。もうこれで諸君も天下の人々も安心してよいのじゃ」
「ふーん、これがあのおそろしい力を持っていたX号の電臓ですか」
検事たちは、目をガラス容器に近づけて
「これで安心していいわけかな」
「どうだかなあ」
五少年のうちの戸山君がそっと首をふって横目で谷博士の顔をじろりと見た。
「やれやれ、谷博士は無事にこの研究所へ帰って来られたし、おそろしい超人間X号は、息の根をとめられてしまったし、これで長いあいだの怪事件も、すっかりかたづきましたな。これでわしらも大安心じゃ」
村長の
「いや、ほんとうに、みなさんにご迷惑をかけてあいすまんことでした。これからの私の仕事は、みなさんたちを幸福にするような方向へ進めて行くことを
谷博士は、これまでの気むずかしい態度をひっこめ、悔悟した罪人のように、しおらしいことをいった。
氷室検事も、この場の調子に引きこまれたものと見え、
「まことにけっこうなことです。博士の方にも、また各村の住民諸君の方にも、今回の事件についてそれぞれ言い分はあると思うが、ここで水に流して、
と、
「それはよく分かっています。あいすまんことでした。これからは、この土地がうんと栄えるように、私はすばらしい事業を起こそうと考えているのです。それが世間をさわがせた私のお
谷博士は、涙をこぼさんばかりにして、そういった。
すこしはなれた場所に、五人の少年たちはかたまっていた。博士が、しきりにあやまっているのを聞いた少年たちは、おたがいの顔を見あわした。
「ねえ、谷博士は、いやにあやまっているじゃないか。あんなこと、あやまらないでもいいと思うんだがなあ」
「谷博士は、目があいてから、人がらがかわってしまったね。目が見えないときは、もっと気むずかしい人だったがね」
「目の見えていた人間が、急に目が見えなくなると、あんなにいらいらするものだ。その反対に、目があくと、たいへん朗らかになる。心持ちがゆったりとするんだよ」
「そうかしら。でもぼくは、あの気むずかしい博士の方に親しみが持てる」
「それはそうだ。どういうわけだろう」
「どういうわけだろうかねえ」
少年たちが、こそこそ、こんな会話をしているとき、谷博士の前へ、少女がつかつかと出ていった。もちろんこの少女は、例の山形警部だった。
「谷博士、私をもとのからだに戻してください。こんなふうに、少女の姿で、いつまでも置かれるのはかないませんよ。私は我慢をしますから、すぐ手術をしてください」
山形警部の電臓を持った少女は、そういって博士に訴えた。
これには、まわりに立っていた氷室検事をはじめ同僚や部下の警官たちも、大いに同情した。
「さあ、それはわしには自信がないのですがねえ」
と、博士は、困った顔をして見せた。
「なぜです。それはなぜですか、私をこんな姿にしたのは、博士、あなたじゃありませんか」
「わしではない。X号がやったのです」
「でも、あなたが指導しました。あなたが手術のやりかたをX号に教えなければ、私はこんなからだにかえられなくてすんだのです」
「わしは、X号に
「だから、博士、あなたは、私をもとのからだに直すことができるのです。私のもとのからだは、あの冷蔵室にちゃんとそのままになって保存されています。さあ、早く、あのもとのからだへ私の脳髄を移しかえてください。博士、お願いします。私は、こんな女の子のからだで、これ以上生きていられません」
娘姿の山形警部は、泣いて谷博士に訴えた。
だが、博士は首を左右に振った。
「お気のどくには思うが、すべては、X号のやったことです。わしには、そんな乱暴な手術をする勇気がありませんわい。わしに、それをせよといっても無理というものだ」
博士は尻ごみをする。
山形警部は、博士にすがりついて、いよいよ気が変になったようになって頼みこむ。それを見るに見かねて氷室検事も口ぞえをして、博士に頼んでみた。
ようやく博士は、こういった。
「それほどいわれるならば、いつしかわしの気持ちが非常によくなり、からだの調子も上々の日に、思いきって手術をしてあげよう。それまではおとなしくして待ちなさい」
これだけの
それ以来、X号の乱行は、まったく見られなくなった。
そうでもあろう、X号の本尊である電臓は、谷博士の手によって死刑囚火辻の
火辻の遺骸は、あのとき氷室検事の一行が引きとっていった。
これでもうX号の活動は完全にとまってしまったわけである。
谷博士は日ましに元気になっていった。そして博士があのとき氷室検事にちょっともらしたとおり、このあたりの村々を栄えさせるための
まず、道路の
山を切りとり、
こんな道路を作るために、大じかけの
こういう仕事を、谷博士が、全部自分で引きうけてやった。
もっとも、博士が一人でやったのではなかった。働いたのは、博士が製造した
谷博士に化けていたX号も機械人間を作って売りだした。今、谷博士も、同じようにたくさんの機械人間を製造した。どっちも同じことをやった。しかしこんど谷博士の作りだした機械人間は、非常によく働き、そして正確に行動した。からだの大きさも、ずっと大きかった。顔は同じような機械的な円い同じ目鼻をつけた顔であったが、博士の作った機械人間は、
こうして道路ができあがると、こんどは土地の人のために、すばらしい家を建ててあたえた。
地上は五階もあり、地階が三階あるのが普通であった。
農民たちや炭焼きや
この大建築事業も、たくさんの機械人間が使われ、博士はいつも
その次には
だから耕作は二重三重にらくになり、
ある家では、そんなにたくさんの家族が、耕作にあたらなくてもいいというので、若い人たちを都会へ出して、工業方面で働かせることにした家もある。
水をひくこと、太陽熱を利用すること、
谷博士は、村がすっかりりっぱになったあとで、こんどは研究所を改築した。それはこれまでのものにくらべて、たいへん大きなものであった。地上から上まで、二十四階もあった。地階は十階だというが、それよりもっと深いといううわさもあった。そしてこの建物は
とにかく、この塔を中心にして、この三角岳地方は、都会にもまだ見られないほどのすごい機械文化都市が建設されたのであった。そしてなおおどろくことは、これらがわずか半年のあいだに完成したのであった。
谷博士は、毎日五百体の機械人間を使ったということだが、もちろんそれは原子力を利用して、仕事の
博士は、それだけで仕事をやめはしなかった。最新の科学技術を利用して、
ふたたび夏休みが来た。
登山者は一日一日多くなった。
三角岳の機械都市のことは、ほうぼうにまで鳴りひびいて、学生たちは、今年の夏はぜひそれを見学しようというので、足をこっちへ向ける者が多かった。
ところが二人は、あまりふざけちらして歩いていたので、とうとう道を踏みまちがえてしまった。太陽の
「困ったねえ、どこへ
と、山田君がなげいた。
「もう研究所の塔が見えていいはずなんだが、さっぱり見えやしないよ。いったい、どっちへ行ったら三角岳の研究所へ出られるんだか、どうしたら知れるだろうね」
「さあ、分からないねえ」
二人が困りきって、ともにしぶい顔になったとき、どこからか、人の声が聞こえた。
「もしもし、あなたがたは三角岳の研究所へいらっしゃるんですか」
それは美しく
「だれかが、ぼくたちに話しかけたじゃないか。だれだろう。どこにいるんだろう」
「ぼくも声は聞いたが、あたりには、ぼくたち二人きりで、ほかにだれもいないじゃないか」
「じゃあ、気のせいかな。だれかに道を教えてもらいたいと思うものだから、村の人の声が聞こえたように思ったのかしらん」
「それにちがいない」
すると、再びその美しい澄みきった女の声が聞こえた。
「もしもし、それなら、あなたがたは道をまちがえていらっしゃいます」
「ははア……」
二人は顔を見あわせて、あたりをきょろきょろ。しかしやっぱり自分たち二人のほかに、何者の姿も見えない。目につくのは、すこしうしろの道ばたに、一本の大きな木が立っているだけであった。
「もしもし、あなたがたは、ここから道を八百メートルばかり引きかえすのです。すると
「どうもありがとう」
二人の大学生は、話の途中で、その声がうしろの立ち木の中から聞こえてくるのに気がついた。二人はその前まで行って、木を
「失礼ですが、お嬢さんは、どこにいて、われわれを見ていられるのですか。お嬢さんの声が、この木にとりつけてある
と、山田君は、立ち木に話しかけた。彼の考えでは、遠くの場所に、そのお嬢さんが望遠鏡を持って、こっちを見ており、道に迷った人を見つけると、電話のスイッチを入れ、電話装置でわれわれに話しかけるのだと思った。
「私は、ここにいます。あなたが見ていらっしゃる一本の立ち木こそ、私の姿です」
女の声は、そういった。しかしそんなばかばかしいことを、大学生たちは信じかねた。木が人間の声をだすなんて、おとぎばなしだ。
「ほほほ、私のいうことを、うそだと思っていらっしゃるのね。では、もっとはっきりお分かりになるように、私は動いておみせしますわ。あなたがた、どうぞこちらの方へ、道を引きかえしていらっしゃってください」
そういう声とともに、その立ち木は枝をぐっと曲げた。それは人間が、腕をさしのばして道を教える
「たははは」
「うふふふふ」
二人の大学生は、その場に腰をぬかしてしまった。彼らは、山の中で、お
「ほほほほ」と、お化けの木は、枝をゆるがして葉をさらさらとふるって笑った。
「ここは、三角岳のメトロポリスです。あなたがたは、ここへいらっしゃったら、世界第一の文化都市へ来たとお思いにならないといけません。私たち
大学生はおどろいて、引きかえした。立ち木が人と同じような感覚を持っているなんて、そんなことがあっていいだろうか。もっとも谷博士の
「この三角岳メトロポリスには、われわれ木のほかに、
「ふしぎだ。それはいったい何のためです」
「生化学の研究が、生命と
「ありがとう。では、お別かれします」
大学生は立ち木に礼をいって、いそいでそこを立ちさった。こんなおそろしい目に出あったのは始めてである。二人は、三角岳研究所の見えるところまで来たけれども、研究所の建物の
谷博士の評判は、一時大したものだった。それはこの三角岳村が、最新文化都市に生まれかわり、村人の生活が非常によくなったころのことである。
ところが、その後になって、博士の評判は少しわるい方へ引きかえした。
それは博士の作るものが、あまり
そのかわりべんりなこともあった。さあ、
「だんだん化けもの村になるよ。困ったことだ」
「気がいらいらして来てたまらない。昔の村はのんきでよかったね」
そんな会話が、ひそかに村人のあいだにとりかわされるようになった。
谷博士の行きすぎたやりかたが、こんなに評判をわるくしたことは明きらかだ。
だが、当の谷博士は、こんなことを、行きすぎたこととは思っていない。博士は、もっともっとこの三角岳メトロポリスをべんりな世界にしたいと思って、さらにいろいろと研究と工夫を進めているのだった。
例の五人の少年たちは、その夏、正式に谷博士の研究所で
はじめ少年たちが実習をさせてもらいたいと谷博士に申しこんだとき、博士はいい顔をしなかった。その場でことわった。しかし少年たちはあきらめないで、また申しこんだ。そうしてその結果、戸山君たちの望みは、かなえられたのだ。
この少年たちが三角岳の研究所で
博士は、姉ガ岡病院で、目の
少年たちは、かたい約束をして、博士の正体をくわしく調べることになった。そして五少年が研究所で探偵みたいなことをしていることは、博士にさとられないように、深い注意を払うことになった。
少年たちはひそかに博士の日常生活に目を光らせていたのだ。
あるとき、少年たちは、博士が夜になってすべての扉に
なにか秘密の実験を始めるのに違いないと思われた。
少年たちは、かねてそういうこともあろうと思って、その実験室の中を、二部屋向こうからのぞくことのできる
その望遠装置を通して、少年たちが見たものは何であったろうか。
それは身の毛もよだつような光景であった。谷博士がまっ
「あッ、おそろしい。ぼくは、もう見ていられないよ」
「なぜだろう。なぜあんなことをされているのだろう。だれが谷博士を、あんな目にあわせているのだろう」
少年たちには、この地獄のような光景が、どうして演ぜられているのか、見当がつかなかった。
ところが、谷博士は何も悪者のために、こんな恐ろしい目にあわされているのではなかったのである。
広い実験室には、博士のほかに、人一人見えはしなかった。ただ一人の
しかし、ふつうの人間ならば、百万ボルトの高圧電流を頭にあびては、一分、いや一秒でも、生きていられるはずはないのに、博士は平気で、にたにたと悪魔のような笑いを浮かべているではないか。
しかも博士は、高い
そのような恐ろしい放電は、六分ぐらいつづいた。
「もうよかろう、電気をとめてくれ」
博士はひくい声でうめいた。
「先生、もうよろしいですか」
機械人間は、念をおして、機械のスイッチを切った。
実験室の中は一瞬、深い
「一……二……三……」
博士は、ひらりと宙を飛んで、空中でとんぼがえりをすると、床の上にまっすぐ降り立った。
「ああ、これでやっとせいせいした。たまには電気をかけないと、どうも疲れてやりきれないよ」
まるで、あんまかマッサージでも、してもらったというように、博士はにやにやと笑って、腕に力こぶを作り、二三度深呼吸をしていたのであった。
「おい、あの五人の少年は、もう寝たかね」
博士はタオルで、からだの汗をぬぐいながら、機械人間にたずねた。
「はい、もう部屋にかえって寝たと思いますが、見てまいりましょうか」
「きょうはおそいから、もういいよ。しかしあの五人の行動にはちょっとふにおちないところもある。あすからあの部屋に、
「はい。かしこまりました。何にしかけましょうか」
「テーブルか、壁か、そうだ。壁がよかろう。むかしから壁に耳あり、というからな。はっはっは」
博士は、自分のしゃれが、愉快でたまらないというように、両手をひろげて、大声で笑った。
「おい、着物をくれ」
「はい……」
機械人間は、そばのテーブルの上においてあった博士の着物をとって渡した。じつにべんりな機械である。人間ならば、こんな
「サルはどうしている。食物はよく食べているかね」
「はい。どうしておれを、こんな
このふしぎな場所では、機械人間ばかりか、ふつうの動物や植物、いや生命を持たない道具までが、動いたり、話したりするのであったから、サルが話をするというのも、けっしてふしぎはないのであるが……。
「では、あすの準備はよろしくたのむ」
「承知しました」
「それでは寝てよろしい」
「お休みなさい」
機械人間はピョコリと腰をかがめて一礼すると、扉を開けて、廊下へ出て行った。
「さあ、寝る前に、いっぺん、サルにあいさつをしておこうか」
博士は、ぶきみな笑いを、唇のあたりに浮かべると、実験室の壁の前に立って片手を高くあげ、大声で叫んだ。
「ひらけ、ゴマ!」
これはどうしたことだろう、何もなかった
「とじよ。ゴマ!」
中から聞こえる声とともに、壁の穴は、また音もなく、もとのようにとじてしまったのであった。
一方、五人の少年は、望遠装置にうつった、博士の恐ろしい姿に、すっかりおどろいてしまったのである。
「戸山君、いったい博士はどうしたのだろうね。どんな悪者のために、あんな目にあわされているのか知れないが、みんなで助けに行こうじゃないか」
「うん……」
そういいながらも、戸山君は、望遠装置からはなれようとはしなかった。
「戸山君、どうしたんだい。早く行こうよ」
「君たち、これはたいへんな話だよ。ちょっとあわてずに待ちたまえ。いったいあれはほんとうの谷博士かしら」
「そんなこと、あたりまえじゃないか。谷博士でなかったら、だれだというんだい」
「もしかしたら、……X号が博士のからだの中にしのびこんで……」
このおそろしい想像に、少年たちは冷水をあびせかけられたように、
「どうして……どうして、そんなことがわかる」
「だって、君、ふつうの人間なら、百万ボルトの電流を頭にかけられたら、一分一秒でも、生きていられるわけがないじゃないか。それだのに、博士はにやにや笑っている。ほんとうの博士なら、どんなに
だれも答えるものはなかった。
「いつか博士はぼくたちに、病院で、X号のことを話してくれたね。博士が作った人工生物、
四人はがたがた震えていた。
「そんなことができるくらいなら、X号が谷博士を殺して、その
「そうかも知れないね。だけど、それではぼくたちは、どうすればいいんだい」
「X号というのは、どんなことを考えているのか。ぼくたちにはまだよく分らない。だが、こうしてこのあたりが、まるでお
「それではどうすればいいんだね」
「なんとかして、X号の秘密を探りだして、みなに報告するんだ」
「どうして探るんだい」
「うーむ。それはね……」
さすがの戸山少年も、その方法には、ちょっと困った様子であった。何しろこの建物の中では、机が動きだすかも知れず、壁に耳があるかも知れないので、何一つゆだんはできないのであった。
その時である。廊下にことことという足音が聞こえて来た。人間の足音ではない。機械人間が、廊下を一人で歩いているのだ。
「やはり機械人間だよ。実験室からこちらへ歩いて来た」
扉を細目にあけて、のぞき見をしていた、少年がふりかえってささやいた。
「するとさっき望遠装置にうつった機械人間だな……」
戸山少年は、何かしきりに考えこんでいた。
「おや、何も見えなくなったよ。実験室は
望遠装置をのぞきこんでいた一人の少年が、おどろいたように叫んだ。
「それじゃあ、実験はすんだんだね」
戸山少年は、唇を血の出るようにかみしめて、しきりに首をひねっている。
「ちょっと、便所へ行くふりをして、様子を見てくるよ」
戸山少年は、みなのとめるのをふりきって、廊下へとびだしたが、まもなく帰って来てふしぎそうにいいだした。
「どうしたのか、実験室の戸は開いているし、中にはだれの姿も見えない。しかし、たしかに博士はあの部屋から出たはずはないから、どこか秘密の抜け穴がつくってあるにちがいないよ。みんなでその秘密をさぐろうじゃないか」
「うん、ではみんなで行ってみようよ」
この中で、どんな恐ろしい目にあうとも知らず、五人の少年は、足音をしのばせて、まっくらな実験室の中へしのびこんだのだった。
実験室の中には、人間一人いなかった。壁のスイッチをひねっても、部屋の中には、大きな放電装置と、いくつかの機械が並んでいるばかり、博士はこの部屋から出て来たはずはないのに、今その姿はどこにも見えないのだ。
「まさか、いくらX号だといって、消えてなくなるわけはないだろうにね」
この少年たちは、谷博士を、X号の化けたものときめこんでいるのだった。
「いや、きっとどこかに、秘密の抜け穴があるんだよ」
「でも、それなら、なんだよ。壁なり床のどこかに接ぎ目がありそうなもんじゃないか。このとおり、床は厚いコンクリートだし、壁もそのとおり、探すだけ、むだだぜ」
「そんなのあたりまえの考えかたさ。ここの建物は、まるで
戸山少年は、あくまで自分の考えをすてようとはしなかった。
だがいくら壁をたたき、床をはい、機械や戸棚のかげや下を探しまわっても、そんな抜け穴は、どこにも発見できなかった。
「とてもだめだよ。もしそんなものがあったとしても、ぼくたちにはぜったいに見つからないようになってるんだろう」
少年たちは、もうすっかりのぞみをなくした
「ちぇッ、残念だなあ。どこかにあるにはちがいないんだがなあ。むかしのアラビアンナイトというおとぎばなしなら、こうして立って壁へ向かって、何か
「どんなふうにするんだい。やってごらんよ」
「あの呪文はなんといったっけな。そうそう、たしかひらけゴマと叫ぶんだよ……」
「あッ、戸山君、壁が、……壁が動きだしたよ……」
少年たちは顔色をかえて、身ぶるいしながらたがいに身をすりよせた。それもそのはず、戸山少年が、ひらけゴマ、という
「これだ。これだったんだ。あの物語と同じようにひらけゴマといえば、秘密の通路への入口がひらくんだよ」
「じゃあ、どうする」
「このままにしちゃおけないよ。いったんこうして入口が見つかった以上、最後の最後まで博士の秘密を見やぶってやろうじゃないか」
「よし、では行って見よう」
戸山君のほか四人の少年は、恐ろしさにいくらか二の足をふんではいたが、戸山少年があまり元気がよかったし、X号の秘密を見やぶってやろうという
だが、そこはまるで
「戸山君、これはだめだよ。きっとちがうところへはいったんだ。このとおり、中には何もないじゃないか。出ようよ」
「いや、きっとここには何かあるはずだ」
そのことばが終るか終らぬうちだった。
「あなたがたはどこまで行くのですか」
どこからともなく、ひくい声が聞えて来たのである。
「谷博士のところへ行きたいんだ」
戸山少年は、どきょうをきめて、元気よく答えた。
「それでは戸をしめてください。ここをしめてもらわないと、私は動けませんよ」
だれが話しているかは知れないが、人間のものとは思われなかった。
ここまで来てひっかえしては、かえって怪しまれることになる。だがまぐれあたりで、壁の扉はひらいたものの、扉をしめる合言葉までは知らないのだった。だが、「ひらけゴマ」ということばで扉がひらいたのだから、あのアラビアンナイトの中の文句どおりに、「とじよゴマ」といって見たらどうだろう。
こう思った戸山少年は、手をあげて叫んだ。
「とじよ、ゴマ!」
その瞬間、音もなく、壁はまたもとのようにぴたりととじた。そしてその小さな部屋はたちまち、矢のように下におりはじめた。
エレベーターだ。この部屋はそのまま、エレベーターになっていたのだ。そしてさっき話しかけたのは、このエレベーターだったのだ。
何十メートル、いや何百メートルくだったのだろう。いつのまにか、建物の下の丘の中には、こんな深い穴が掘られてあったのだ。
五六分もすぎたころだろうか。エレベーターはしずかにとまった。
「はい、着きました」
こんどは何も合言葉をいわなくても、目の前の壁はしずかにひらいた。そして五人の目の前にはせまい廊下がつづいていた。
五人がその廊下へ出ると、うしろの壁は、音もなくとじた。
さて、これからどこへ行ったらよいのだろう。廊下の両がわには、いくつも部屋が並んでいるが、博士がどこにいるかは、ぜんぜん分からなかったのだ。むやみに扉を開けてまわるわけには行かないし、それにまた、扉がかんたんにひらくかどうか疑問である。
だがこうしていても、しかたがないから、ためしに一番手前の扉の引き手を廻してみると、扉は手ごたえもなくすーッと開いた。しかし鍵がかかっていないだけあって、中は空、何もはいってはいないのである。
「この部屋はだめだね。何もないよ」
「それでは別な部屋を探そうや」
戸山少年は先に立って、部屋を出ようとするほかの少年をおさえて、廊下の様子をのぞいたが、思えばこれがよかったのだった。
その時、右がわの三番めの部屋から、谷博士がぷんぷん怒ったような顔をして、ポケットに手をつっこんで出て来たのである。
もし五人がここで見つかったら、どんなひどい目にあったかも知れないだろう。だが博士は、この部屋に五人の少年が、かくれていることには気がつかず、エレベーターの方へ行ってしまったのだった。
「しまった。みんな、たいへんなことになったよ」
さすが元気にみちみちた、戸山少年も、その時はぞッとしたのである。
「どうしてなんだい」
「だって、博士がエレベーターへ乗って、上へあがってしまったろう。そして博士が実験室へ出てしまったら、エレベーターは上へあがりきりになるんだから、ぼくたちは帰るわけには行かないじゃないか」
なるほど、このエレベーターは、ボタンをおすと、ちゃんとその階まで、あがったりおりたりするような、ありふれたものとはちがうのである。
「こまったな」
「みんなどうする」
五人が頭をあつめて相談しても、これという名案は浮かばなかった。
「戸山君が、あんまりむちゃなことをやりだすから、こんなことになるんだよ」
「そんなことをいったって、いまさらどうにもしようがないよ。ここまでせっかく来たんだから、博士の出てきた部屋には何があるか、まずそれから探ることにしようじゃないか。そのうちには、また名案も浮かぶだろう」
五人は部屋から飛びだして、いま博士の出てきた部屋の扉の前に
部屋の中には、大きな
日本ザルではなく、オランウータンかチンパンジーの類かと思われたが、そのサルは五人の顔を見ると、とたんに檻の中で飛びあがった。そうしてうれしそうに、涙をぽろぽろとこぼしていたのである。
「おや、へんだね。サルが泣くなんてことがあるのかしら」
「きっと、目にごみか何かが、はいったんだよ」
「しかし、博士はこの部屋で、サルを相手に、いったい何をしていたんだろう」
少年たちが、部屋の中を、きょろきょろと見まわしていた時だった。どこからか、「戸山君」と、少年の名を呼ぶものがあった。
「おや、だれか、ほくの名まえを呼んだかね」
「だれも呼ばないよ」
「へんだね。気のせいかしら」
「戸山君、ぼくだよ。ぼくが分からないかね」
なんとなく、聞きおぼえのあるような声だった。だがどこから聞こえて来るかは分からない。
「戸山君、わかった。わかったよ。このサルが、君の名まえを呼んでるんだよ」
一人の少年がおどろいたように叫びをあげた。ほかの少年も思わず、ふりかえって、檻の中のサルを見つめた。
「そうだ。やっと気がついたかね。よく助けに来てくれたね。ぼくだよ。ぼくが分からないかね」
サルは鉄の
「早くここから出してくれ。そうしないと、たいへんなことがはじまるんだ。早く、早く、この檻を開けてくれ」
「あなたはいったいだれなのですか」
戸山少年は、
「ぼくは谷だよ。X号のために、こんな目にあわされたんだ」
サルの答えは、五人の少年を、心から
「あなたは、ほんとうに谷先生なんですか。それでは、いまここから出ていった、谷博士はいったい何者でしょう」
戸山少年は、うんとおなかに力をいれて、十分念をおしたのである。
「わからないかね。君たちは、あれがX号の
サルは檻の中で、じだんだふんでくやしがっている。
「でも、先生は、目をわるくして、ぼくたちの顔をごらんになったことがなかったでしょう。それによく、ぼくたちだということが分かりましたね」
何しろ、いままで何度もだまされているので、戸山君もなかなかゆだんをしないのである。
「それはね、目は見えなくても、君たちの声はちゃんとおぼえていたし、それにX号が、君たちがこの研究所に来ていることを話してあったから、君たちがこの部屋へはいって来たときには、ちゃんとけんとうがついたんだよ」
サルは
「よく分かりました。だけど、この檻はどうしてあけたらいいのです」
「となりの部屋に、鍵がおいてあるはずだから、それをさがして来てくれたまえ」
戸山少年は、あわてて部屋をとびだして、となりの部屋をさがしたが、あいにくそこには鍵はなかった。ただそこにも大きな檻があって、中には谷博士と同じ種類のサルがぐうぐうと大きいいびきをかいて、眠っていたのである。
「先生、鍵はどうしても見つかりませんでしたよ」
戸山君は、さっきの部屋へかえって、サル――いや本物の谷博士に報告した。
「そんなはずはないんだが――さてはX号が持っていったかな」
サルはばりばりと歯ぎしりをした。
「ところで先生、先生はどうしてこんな所にとじこめられたのです」
「それがね、ぼくもゆだんしていたんだ。X号がぼくを病院からさらって逃げたことは、君たちもよく知っているだろう。ところが君たちが、ぼくに化けたX号をにせ者だと見やぶって、この研究所を襲撃したので、X号は火辻軍平のからだにはいっていては危険だと思ったんだね。それでぼくを殺して、ぼくのからだの中へはいりこみ、君たちの目をごまかしたんだ。そしてぼくの
「すると、となりの部屋にいたサルは……」
「あのサルも、ぼくのからだと同じ、
「それでX号は、これからどんなことをやりだそうというのです」
「あいつは恐ろしいやつなんだ。智恵の力はふつうの人間とは、くらべものにならないくらいすぐれているが、感情だの、
「そんな恐ろしいことが、ほんとうにできるんですか」
少年たちは、恐ろしさにがたがたとふるえていた。
「できる。X号にならできるとも。君たちは、この地下室をなんだと思うかね」
「さあ、ぼくたちには、よく分かりません」
「X号の秘密工場だよ。あいつは、いつのまにか、機械人間の力をかりて、この
ぜったいに防ぎようのない、
なんと恐ろしいものがたりだったろう。少年たちのからだは、木の葉のように
五人は、またしてもはっ、とかたずをのんだ。うしろの扉が音もなくひらいて、一人の機械人間がはいって来たのだった。
五人の少年は、その機械人間の姿を見たとき、思わずぞっとしたのだった。
しかし、この機械人間は、五人めがけてとびかかるような
「戸山君、君たちはここでいったい何をしているんだね」
その声には、機械人間に特有の、きいきいとした金属的な音ではなく、ふつうの人間の声のような、やわらかさがあった。
「べつに……何も……」
「早く、自分の部屋にかえりたまえ。こんなところでうろうろしているところを、博士に見られたらたいへんだ。みんな殺されてしまうよ」
そのことばにも、
「君、君はいったい何者だね」
「おや、このサルは口をきくんだね。そういうおまえこそいったい何者だ」
機械人間はおこったようであった。
「きさまらは、X号の一味のくせに、ぼくの
機械人間は、おどろいたように、二三歩よろよろとよろめいた。
「そんなばかな……そんなはずは……だがいったいそれはほんとうですか」
「ほんとうだったら、どうするんだ」
「そういえば、声もたしかに先生の……これは失礼いたしました。ずいぶん先生を、おさがししていたんですがね。まさか、こんなところにおられるとは気がつきませんでしたから。先生、X号の
「知っている。知っているとも。X号は気が変になってしまったんだ」
「そのとおりです。先生、早くこの檻から出てください。そして先生のお力でなんとかして、このX号を倒してください。さもないと、あとわずかのうちに、とりかえしのできないことになりますから……」
「わかっているよ。君がそんなにいうのなら、ともかくここから出してくれたまえ」
「
機械人間はこつこつと足音を立てて、
「戸山君、これはどうしたんだろうね。見つかったら命がないと思って、ひやひやしていたら、あの機械人間は、ふしぎなほど、こちらに親切じゃないか」
一人の少年が、戸山君の耳にささやいた。
「そうだね。じっさいふしぎだ。機械人間はぜんぶ、X号の手下だと思っていたら……きっと、機械人間もああして考える力を持つようになったものだから、X号に反対する仲間もそのうちにできて来たんだろうね」
こうでも考える以外、まったくなんとも考えようはなかったのである。
そのうちに、機械人間は、手に何か、
「先生、それではこの
しゅーッと音がして、機械からは、紫色の
「さあ、これで扉はあきましたから、出ていらっしゃい」
サルは、おどりあがって、檻からとびだした。
「ありがとう。機械人間君、お礼をいうよ。このとおりだ」
サルは機械人間の鉄の手をにぎって、ぽろぽろと涙をこぼした。
「お礼なんか、どうだっていいんですよ。だれかに見つかるといけませんから、ちょっと
機械人間は、檻をたたいて何か合図をした。すると空になった檻は、すっかりひとりでに動いて廊下へ出た。と思うと、廊下からは、となりの部屋にあったはずの、サルの眠っている檻が、ひとりではいって来たのである。
「こうしておけば、しばらくは先生がここから逃げだしたこともごまかせるでしょう。X号は、先生がいつのまにか、サルに
機械人間はこういって、からからと笑った。なんとふしぎな機械人間ではないか。
「それでは先生、みなさん、こちらへ」
「いったい、君は
サルの谷博士は、まだまだこの機械人間に気は許せないという様子であった。機械人間は、ふふふとふくみ笑いをすると、サルの耳に口をよせて、何かくしゃくしゃ、ささやいた。
「えッ、君はすると……」
「しッ、先生、大きな声を出しちゃいけませんよ。この建物の中では、何一つゆだんして物がいえないのですよ」
機械人間はこういって、じッとあたりの様子をうかがっているのだった。
その翌朝、X号の谷博士は、大きなあくびをしながら、自分の部屋の寝台の上で目をさました。
「ああ、いい気持ちだった。ゆうべ電気をかけておいたおかげで久しぶりによく寝たが、これでせいせいしたわい」
こんなひとりごとをいって、博士は
扉がひらいて、一人の機械人間が、銀の
顔も洗わず、歯もみがかずに、X号がもりもりと、朝食をたべはじめた時である。扉のかげから、いま一人の機械人間が、あわてたようにかけこんで来た。
「先生、たいへん、たいへんですよ」
「なんだ、うるさい。朝っぱらから、そんな大きな声でさわぎたてては、
X号は、
「でも、先生、これは天下の一大事ですよ。あの五人の少年が、どこかへ姿を消しました」
「なんだと」
さすがにX号も顔色をかえて、スープの中へハムエッグスをぽたりと落とした。
「そればかりではありません。実験室の二つ向こうの部屋から実験室の中がうつるような、望遠装置がしかけてありました。きっとあいつらのしわざにちがいありません」
「ちくしょう」
X号は、ばりばりと歯ぎしりし、お盆をひっくりかえして、寝台の上へむっくと立ちあがった。
「さては、あのがきめら、わしの正体を見やぶったな。ゆうべ電気をかけていたところをのぞいて、それで恐ろしくなって逃げだしたな。さあ、こうしてはおられぬわい。さっそくつかまえて、
目を
「見張りはなにをしているんだ。この建物から夜のあいだに出はいりすれば、かならず
「いいえ、機械にも何も
「よーし、それではあいつらは、まだこの研究所からは逃げだしていないな。きっとわしの姿を見てこわくなって、どこかへかくれて、青くなって、がたがた
X号はかんかんになって、しきりにどなりたてたのである。
まもなく、研究所の内部には、けたたましいサイレンの音が鳴りひびいた。
――
研究所にやって来た五人の少年は、
このような恐ろしい命令が、ラウドスピーカーから、研究所の建物中にひびきわたった。もちろん、この研究所の中には、ほかに人間はだれもいないのであるから、この命令はこの研究所ではたらいている機械人間にあてて出されたものである。
そのうちに、機械人間Z16号から報告があった。X号の部屋のラウドスピーカーから、このようなことばが聞こえて来たのである。
「Z16号報告。実験室から地下工場へ通ずるエレベーターの報告によりますと、ゆうべおそく、五人の子供は、地下十六階へおりたそうであります。ただしその後あがって来た形跡はありません。報告おわり」
「さては、あいつら、わしのあとをば、つけおったな。どうするかおぼえておれ」
X号は手をふり足をふって、部屋の中をあばれまわっていた。そしてマイクロホンに近づくと、
「地下十六階の全員に命令。五人の少年は、ゆうべそこへおりていったことが判明した。おそらくまだそのままそこに残っているものと思われる。
このようなおそろしい命令をくだしたのである。
ところが、地下十六階からは、ぜんぜんなんの報告もなかった。
「地下十六階、地下十六階、Q37号はどうしている。Q28号はどうした……」
X号はマイクロホンに向かって、どなりたてたが、地下十六階からは、ぜんぜん何も聞こえて来ない。
X号も、さすがに不安になって来たのだ。
「Z27号、おまえはいまどこにいる」
「はい、地下十二階におります」
ラウドスピーカーから機械人間の声が聞こえた。
「地下十六階から、なんとも返事がないんだが、どうしているのか、おまえ行ってしらべてくれ。ゆうべ、五人の少年が、しのびこんだような形跡があるが、谷博士と連絡をとられたら一大事だからな」
「はい、行ってまいります」
だがいくら待っても、Z27号からもなんの返事もなかった。
「ええ、なんとたのみがいのないやつらだ。そんなことなら、わしが行くわ」
X号は、こうして待ってはいられなくなったのであろう。護衛の機械人間五人ばかりをひきつれて、地下十六階へおりて行ったのであった。
ところが、これでは返事がなかったのも
といっても、人間とちがうのだから、
そんなものだから、こうして頭の中にある、電波の
「おや、いったいだれが、こんないたずらをしたのだろう。これはけしからん。あの子供ら、なかなかあじなことをしおるわい」
X号は口の中で、ぼそぼそとつぶやいた。いまこの階へ、命令をうけて、やって来たばかりのZ27号も、頭をとかされて、完全にのびてしまっていたのであった。
「おまえらはさっそく、ここをくまなく捜査して、この
X号は大声に叫んだ。
さて機械人間は大急ぎで四方へ散って、血まなこであちらこちらを探しまわった[#「探しまわった」は底本では「探しまった」]が、この時には、この階には、人間はおろか、機械人間の影さえ見あたらなかったのである。
「先生、もうどこにもなんにも見つかりません。きっと上へ逃げたんでしょう」
一人の機械人間が帰って来て報告した。
「いや、そんなはずはないよ。エレベーターも、階段も、機械人間以外にはぜったいにあがりおりしたものはないといっている。まさか、消えてなくなるわけはないではないか」
一人の機械人間が、ふんがいしたようにことばをかえした。
「おかしいな。この階で鍵のかかっている所はないか」
「サルの部屋に鍵がかかっていて、その鍵がどうしたのか見えません」
「ははあ、分かった。あいつらはその部屋へ逃げこんで、中から鍵をかけおったな。みんなこの扉を
「はい」
二三人の機械人間は、扉に体あたりをしていたが、さすがの機械人間の
「相手は手ごわいぞ。火焔放射器を持っているらしいから、よし、この部屋の
X号はいまは、かんかんに怒っていた。一人の機械人間は、さっそくその準備に飛びだしたが、その時X号は、ふと思いたったことがあった。
「さてはあの子供らめ、谷博士としめしあわしてのしわざだな。いよいよ博士も生かしておけんぞ」
X号は、あの谷博士のとじこめられていた部屋へとびこんだのである。
「いや、なんだ、まだ博士はどこへも逃げてはいないじゃないか」
さすがの超人X号も、まだ博士とサルの入れかえには気がつかなかったのである。
「やい、谷博士。きさまはよくも、あの小わっぱどもとしめしあわせて、このおれに手むかおうとたくらんだな。もうこのままにはしておけんぞ。八つざきにしてやるから、かくごしろ」
ところが、サルはそのことばの意味も分からないように、鉄棒をゆすぶってキャーッと叫んでいただけである。
「そんな手で、わしをだまそうとしたって、ききめはないぞ。さあ、小僧たちに何をおしえた」
「キャーッ、ウォーッ」
あいかわらず、サルは返事をしないのだった。
「いわないなら、いわんでもいい。いま聞いてやるからそう思え」
X号は、壁にかかってあるレシーバーを耳にあて、壁のボタンを押した。この檻全体が一つの
「はてな。こんなはずはないが。どうしたのかな。機械の故障かな。それとも博士がいつのまにか、ほんとうのサルに
さすがのX号も、この時は、思わず首をひねったのである。
その時、うしろの廊下から、一人の機械人間があわててとびこんで来た。
「毒ガス
「よし、それではすぐに
「はい」
消毒作業はまもなく終った。
「それでは火焔放射器で、この扉を焼ききれ」
「はい」
一人の機械人間が、火焔放射器を扉にむけ、またたくまに、錠はとけて焼けおち、扉はガタンとひらいたが、中には五人の少年とサルが毒ガスにやられて、倒れていると思いのほか、残っているのはからの檻だけ――中には何もはいっていなかった。
「しまった。まんまと小僧めと博士にしてやられたわい。さては博士はサルと入れかわって、となりの部屋から逃げだしたと見える。だが、どうしてこの階から上へ逃げだしたろう」
X号はがくがくとからだをふるわせて、
ところが、X号のおどろきは、まだまだそれではすまなかった。廊下いっぱいに、ラウドスピーカーから、大きな声がひびきわたった。
「非常警報、非常警報。
ただいま機械人間操縦室に、火焔放射器を持ったあやしい機械人間が七名侵入、目下
けたたましい
さすがのX号も、こんどというこんどは恐ろしさにたまりかねた。あわててあたりを見まわすと、まわりにいた機械人間は、一人のこらずばたりと動かなくなってしまったのである。
さては怪機械人間の一味が、機械人間操縦室を占領したのだ。そうして機械を停止して、機械人間へ送る電波を切ったのだろう。
だが事はそれだけではすみそうにもない。
X号は血まなこになって、エレベーターへとびこんだ。
「地上二十四階へ」
エレベーターは矢のように、地下十六階から、この研究所の最上階、二十四階へ飛びあがっていった。
「やれやれ、これでやっと一仕事かたづいたわい」
機械人間操縦室を占領した、怪機械人間の一隊は、さすがにほッとした様子であった。
部屋の中には、五六人の機械人間が、火焔放射器でやられてひっくりかえっており、壁にはめこまれた、数千のダイアルの前では、ちゃんと人間の形をした、人造人間が、うつぶせになって倒れていた。
「先生、これでもうこっちのものですね。機械人間さえやっつけてしまえば、X号の一人ぐらい、恐るることはありませんよ」
その声は、どうやら戸山君らしかった。
「いやいや、まだまだゆだんは
その声は、たしかに谷博士である。
「ではどうして、あの
別の機械人間がたずねた。
「あいつを作りだしたのは、ぼくとしても、一生一代の失策だったよ。やはり人間というものは、自分の力の限界をさとるべきだった。生命を作りだすということは、神さまだけのなすことで、人間の力でくわだてることではないんだ。それをやろうと思ったのが、ぼくがこうして苦しむもとになったのだ……。
いや、今さらそんなことをいっている場合じゃない。X号の電臓は、三千万ボルトの高圧電流で生命を受けたのだから、ちょっとやそっとの方法では、殺すことはできない。ここにいたような、ふつうの電臓なら、実験室の百万ボルトぐらいで動きだした、下等な電臓だから、火焔放射器でのびてしまうけれど、あいつはそんなことではとうていだめだ。たった一つのこされた方法は……」
「それはいったいどうするのです」
「恐ろしい方法だが、いまここではいえない。それよりもまず、一刻も早く、外部に連絡をとろう。山形君、短波放送で、警察に連絡をしてくれたまえ」
「はい」
一人の機械人間が答えて、短波放送機に近づいた。
山形――といえば、どこかで聞いたような名ではないか。そうだ。X号によって、娘のからだの中へとじこめられた、山形警部が、あの地下室へあらわれた、怪機械人間の正体だったのである。
彼は、自分の体がはずかしいので、役所にも出ず、自分の家へひきこもったきりだったが、何度もとのからだにかえしてくれとたのんでも一向にらちがあかず、そのうちに博士がふしぎなことばかりやりだしたので、いよいよ博士の正体に恐ろしい疑いをいだき、一人の機械人間をばらばらに分解して、その中の機械をとりだし、自分がその中にはいって、機械人間のように見せかけ、この研究所の中へはいりこんで、内部の様子をさぐっていたのである。谷博士や少年たちが、地下十六階から
――谷博士は、まっかなにせ者、X号が化けていたことがわかった。山形警部は、戸山少年たち五名と協力し、ほんものの谷博士を救いだして、研究所の中心部を占領し、機械人間を活動停止させた。
こういう短波放送が、くりかえしくりかえし、電波に乗って流れて行った。まもなく、
――大手柄を感謝す。武装警官百五十名は、いまトラックに分乗して、三角岳に向かった。ひきつづき、X号の逮捕に努力せられたし。署長――
という返事があったのである。
だが谷博士は、ふきげんだった。
「逮捕など、そんな生やさしいことが、X号に向かってやれるものか。X号を殺すか、われわれが殺されるか。食うか食われるかの争いなのに、そんなことでは、どうするんだ」
そして、博士のことばのとおり、X号の反撃は、またたくうちにはじまったのである。
その時、扉のそばに立っていた少年が大声で叫んだ。
「先生、たいへん、たいへんですよ。倒れていた
「そんなばかな……」
と答える博士の声も、とたんに上ずっていた。
しかし、これはけっしてうそでもなんでもなかったのである。部屋の中に倒れている機械人間こそ、頭の受信装置を、
どこからか、電波が送られはじめたのだ。ここの
先頭に立った機械人間は、恐ろしい勢いでこちらへとびかかって来た。さいわいに火焔放射器がものすごい火焔をふきだして、その機械人間は、ウワァーッといって倒れたが、つづいて一人、また一人――
五人の少年は、戸口にならんで、火焔放射器で火の幕を作った。そしてどうにか、その先頭部隊だけを倒すことができたが、残りの機械人間が、全部活動をはじめたとなると、これはどんな武器を持って襲撃してくるか。多勢に無勢、はじめの
「山形君、大急ぎで地階へおりてくれたまえ。そして発電装置を破壊するんだ。ぼくはそれまで、この操縦装置を動かして、向こうの電波を
警部の機械人間は、壁のボタンを押して、エレベーターへ飛びこむと、さっそく地階へおりて行った。博士の機械人間は、操縦盤の前に坐ると、しきりにダイアルを動かしはじめたが――
「先生、また機械人間の一隊が、向こうにあらわれましたよ。こんどは何か手に黒い
戸山少年の機械人間は、ついに
「その机の前に、
博士はけんめいに叫んだ。
向こうにあらわれた機械人間は、手に手に手榴弾のようなものを持ち、こちらへ向かって、投げつけようとしたが、戸山少年が機械のボタンを押すやいなや、目に見えぬ怪力線が放射されたのであろう。
機械人間の手に持っていた
「先生、
機械人間の
「それはいいが、困ったことになってしまったよ」
博士の声は
「どうしてです」
「いまの爆風と破片で、こちらの操縦装置がこわれてしまったんだよ。もうこちらからはなんの電波も送れないんだから、機械人間の活動を妨害する方法はないんだ。いまに毒ガスでも使われたら、こちらには防ぐ方法がない。早く山形君が、発電装置をこわしてくれないかぎり、戦いはこちらの負けだよ」
博士のことばは
「山形君、どうしたんだね」
「先生、だめなんですよ。発電室の前には、何十人という機械人間が、火焔放射器を持って立っていて、めったなことでは近づけません。こちらの戦法を、向こうに横どりされましたよ。それでこうして逃げて来たんです」
山形警部は、いまにも泣きだしそうな声であった。
「困ったな。それで君のだいているそのからだは、いったいどうしたんだい」
「どうせ死ぬのなら、こんな女のからだではなく、せめて自分のからだで死にたいと思いましてね。いよいよ
山形警部はついに泣き声になってしまった。
「困った、困った……」
博士の機械人間は、腕を背中にくんで、部屋の中を、こつこつと歩きまわっていた。第一次、第二次の攻撃は、どうにか撃退したものの、いつあらたな武器を持って、第三次の攻撃が始まらないともかぎらないのだ。
「よし、
博士は一同をひきつれて、エレベーターへ乗りこんだ。
まさに、危機一髪という瞬間であった。もしあと五分おくれたら、みんなの命はなかったろう。
X号の命令で、猛烈な毒ガスが、この階に
階上二十四階の、第二機械人間操縦室で、X号はにたにたと、悪魔のような笑いを浮かべていた。
「M53号報告。七階全部に、毒ガスの充満おわりました」
「よし、第一機械人間操縦室へ侵入して、敵の
さすがに、この時には、X号にも、博士たちがどうして地下十六階を逃げだし、七階を攻撃したか、その方法がわかっていたのである。
しばらく、ぶきみな沈黙がつづいた。
「M53号報告、M53号報告――」
ふたたびラウドスピーカーからは、機械人間の声が流れだす。
「どうした。屍体は発見できたか」
「それがだめです。ここにいる機械人間は全部味方のものばかり、人間などはどこにもはいっておりません」
おどろいたような声であった。X号もまた顔色をかえて、操縦盤の前に立ちあがった。
「おかしいな。あの毒ガスの中をくぐって逃げられるわけがないが。さては、そのまえにいち早く逃げだしたな。これはまた、やっかいなことになったわい」
その時である。またラウドスピーカーからひびいて来た機械人間の声。
「B8号報告。ただいま、武装警官の一隊を
X号は立ちあがって、部屋の中を二三歩、歩きまわっていたが、割れるような大声を出してどなりたてた。
「よし、第一、第三、第五ロケット砲発射準備。
いよいよX号は、人類と全面的な戦闘を開始しようとしたのである。
その時だった。ラウドスピーカーから、勝ちほこったような、谷博士の声がひびいて来た。
「X号よ。X号よ。わしの声が聞こえるか」
「なんだ、きさまは谷博士だな」
「そうだ。谷だ。X号よ、おまえの
「何を世まよいごとをぬかす。わしは無限の生命を持って生まれた。火でも水でも電気でも、わしを殺すわけにはいかないのだぞ」
「そのとおり。だがわしはおまえの
「それは――」
「原子爆弾で、この研究所の建物といっしょに、おまえのからだをこっぱみじんに吹っとばす。おまえの
「ちくしょう」
X号は鬼のように、
「そんなことをしてしまったら、きさまらだって生命はないぞ」
「もとよりそれはかくごのまえだ。X号よ。では永遠におさらばだよ」
博士の声は、ぷつりと切れた。しかしそれと同時に、その部屋の短波受信機は、次のようなことばを捕えたのだった。
「――武装警官隊に告ぐ、武装警官隊に告ぐ。三角岳研究所はまもなく、原子爆弾によって爆発する。三角岳から
もちろんX号も、原子爆弾の
「よし、残念だが、背に腹はかえられない。十分のあいだにここを逃げだして、
X号も、ついに最後のかくごをきめたのである。
「L19号、L19号」
X号はラウドスピーカーに向かってよびかけた。
「はい。ご用はなんですか」
「五分以内に、原子爆弾全部と、原料ウラニウムを、二十四階に運びあげろ」
「はい。承知しました」
「よし、あれが手もとにありさえすれば――」
X号は、またしても、悪魔のような恐ろしい笑いを浮かべたのだった。
そのころ、武装警官の一隊は、五台のトラックに分乗して、氷室検事といっしょに、この三角岳のふもとに迫っていた。
いよいよ道はのぼり坂になる。一番前を走っている乗用車には、警察署長と氷室検事がのりこんで、一生けんめいに、三角岳の上にそびえる研究所の建物をながめていた。
「すると、あの谷博士は、やっぱりにせ者だったのだね。ぼくもはじめて会った時から、どうも
というのは氷室検事。
「いや、どうも私がうかつで申しわけありませんでした。おかしいおかしいとは思っていたのですが、何しろこのあたりは、メトロポリスとかいう
署長は、振りこぶしを鼻の前にあてて、
署長の高い鼻も、とたんにペシャンコになってしまった。
「ストップ、ストップ、この車をはやくとめるんだ」
「はい」
運転手も、あまりあわてて、ブレーキをかけたものだから、その次に走っていたトラックは、この車にしょうとつして、乗用車の方は横たおしとなり氷室検事も署長もほうぼうをすりむいて、やっと車の中からはいだして来た。
「ばか、何をするんだ」
署長はかんかんになって、トラックの運転手を叱りつけた。
「すみません。署長さんが、あまり急げ急げといわれましたし、それにまた、この車が思いがけなくとまりましたので」
「それはそうと、全員
「ここまで来て、ひっかえすんですか」
「ばか。命令だから引っかえせ。たった今、山形警部から、短波放送で連絡があった。あと十分もすれば、原子爆弾の爆発がおこって、あの研究所はこっぱみじんに吹っとぶんだ。おまえたちは、原子爆弾の恐ろしさが分からないか」
「えッ、原子爆弾ですか。それではわれわれもまごまごしていると、原子病にかかるわけですね」
「そうだ。そのとおり。さあ、引っかえそう」
その時である。道の三百メートルばかり向こうで、ぱーッと物すごい
「さあ、ピカドンだぞ」
検事も、署長も、警官隊も、あわてて道のそばの谷そこへ逃げ込んだ。
「どうも君、へんだよ。いまのは原子爆弾ではなさそうだぜ。まだ研究所の建物は、あのとおり、しっかりしているじゃないか」
「そういえば、なるほどそのとおりですね。どうしたんだろう」
これがロケット砲弾の砲撃だった。署長のことばが終らぬうちに、第二弾がとんで来て、乗用車もトラックも、こっぱみじんに吹きとばされた。さいわいに、警官隊はみな車をとびおりて、穴の中や
砲撃はますますはげしくなりはじめた。ところが、あまり
その時、研究所の屋上からは、ものすごい
「おや、あれはなんだ」
「きっとV一号だぜ」
その瞬間、砲撃がばたりとやんだかと思うと、大地もくずれるかと思われる
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ……」
署長は、谷博士、山形警部それから勇敢な五少年の死をいたんで、思わずお
ところが、谷博士も、山形警部も、五人の少年も、けっしてこの爆発で最期をとげたわけではなかった。
谷博士は、機械人間の操縦装置が破壊された時、屋上からヘリコプターによる脱出を考えたのである。
ところが、屋上へ来て見たときには博士もすっかりおどろいた。というのは、X号がサルになった谷博士を脳波受信機でいじめながら作っていた、宇宙航空船ができあがって、そこにおかれてあったからだった。
これは、総軽金属製、世界最大の飛行機の二倍も大きく、原子力によるロケット装置で活動し、時速三千キロ、月世界はおろか、火星ぐらいまでなら往復できる、おそるべき性能を持った航空船であった。
X号はこれによって、世界中をふつうの飛行機や、高射砲のとどかない高空から、原子爆弾で爆撃しようと計画し、すでに今日、その試験飛行にとびたつばかりで、第一の原子爆弾を東京に落とそうと、その中につみこんであったのだった。
入口に番をしていた機械人間を、
何しろ、三階建てのホテルぐらいは十分ある大きさだったから、山形警部や少年たちは、大分まごついたが、博士は道に迷いもせず、その操縦室にたどりついた。
「しめた。機械はすぐ動くように準備ができてあるし、原子爆弾もつみこんである。これならば、もうこちらの勝ちだ。X号もこうなったら運のつきだぞ」
博士は小おどりして喜んでいた。
「さあ、さっそく出発して、空中から研究所を爆撃しよう。まあ、なんにしても、このやっかいな、機械人間のきものはぬごうじゃないか」
七人はほッとしたように、首をとり、手をとり、足をとって、機械人間ならぬ、もとのからだにかえったのである。いや、もとのからだといっても、五人の少年はともかく、博士はサルのからだのままだったし、山形警部は女のからだのままだったが――
「先生、まだ手術はしてくださいませんね」
警部は、小わきにかかえている自分のもとのからだを見て、心配そうにたずねた。
「いまはそんなことをしているひまはないよ。もう少し待ちたまえ」
博士は機械をいじりながら、それどころではないというように、いらいらした調子で答えた。
「でも、それでは、夏ですから、からだがくさってしまいますよ」
なるほど、警部にとっては、それこそ天下の一大事である。
「それが心配だったら、冷蔵室へ入れておきたまえ」
「この中には、冷蔵室はあるのですか」
「もちろんだよ。この下の二階の中央のM17と書いてある部屋だ」
「ああ、それでやっと安心した。では行って来ましょう」
山形警部は、あぶら
「よし、機械の調子はしごく
博士はマイクロホンに向かって、あの宣告を行ったのである。
「さあ、出発だ」
博士は
「おや、どうしたんだろう」
博士もさすがにあわてていた。あちらを直し、こちらをいじって、どうやら故障の原因はのみこめたようであったが、いざ出発となるまでには、七八分の時間がかかった。
「では出発」
博士はふたたびボタンを押した。それとともにこの三百トンのロケット航空船は、流星のように中天へ舞いあがったのだった。
宇宙航空船は電光のように大空を横切って、まっすぐに上へあがって行く。博士の目の前のテレビジョン装置には、研究所や三角岳の建物が
「先生、ものすごいスピードですね」
「ああ、あれが富士山ですか」
少年たちは、今までの命がけの冒険も忘れて、大陽気に、まるで遠足にでも行ったようにはしゃぎ立てていた。
ところが航空船は、だんだん速力を落とし、しまいにはぴったりととまってしまった。
「先生、どうしたんですか」
「とまっては、ついらくしやしませんか」
少年たちはとたんに顔色をかえたが、博士は一向に平気だった。
「大丈夫だよ。速力ならいくらでも出せるが、いまは重力による落下速度とつりあったスピードを出しているから、あがりもしないし、落ちもしないんだよ。これから少し研究所の方へひっかえして、爆撃にうつるとしようか」
高度計の針はその時、二万五千メートルを示していた。しかし内部は完全に暖房されているから寒くもないし、酸素が十分に供給されているから、呼吸もちっとも困難ではないし、高速で飛行する時、機体に生ずる大気とのまさつ熱も、完全に
一万、九千、八千、六千、四千、三千、二千五百、二千。
高度計の針はぐんぐんとくだりはじめ、ふたたびテレビジョンのスクリーンの上には、三角岳と研究所の建物がうつりはじめた。
「先生、千五百メートルですよ」
「よし、では原子爆弾を投下しよう」
博士は、右手のハンドルを廻した。
一秒……二秒……三秒……
息づまるような時間がすぎたと思うと、研究所の建物は大爆発をおこし、むくむくとした
「ばんざい、これで先生、ばんざいですね」
六千メートルまで高度をあげて、この航空船はふたたび停止していたが、その瞬間、がーんというような動揺が、この高空まで伝わって来たのだった。
「ふしぎだ。こんなはずはないが……」
博士はしきりにつぶやいていた。
「先生、どうしたんです」
戸山少年は、なんだか心配になって来たのだった。
「思ったより、爆発の
そういえば、たしかにそのとおりである。何かふしぎな不安が、少年たちの心にも、しだいに浮かびあがって来た。
その時である。どこからともなく、あの恐ろしいX号の声が、みんなの耳にひびいて来たではないか。
「谷博士、谷博士――」
博士の手は、ぶるぶると
「おまえはだれだ。何者だ――」
「きさまが殺したとばかり思っていたX号だよ。おれの力が分かったか。おれは無限の生命力を持っている。原子爆弾の爆発ぐらいでは、おれのからだはびくともしないぞ」
「それではまだ、おまえは死んでいないのか」
「あたりまえだ。これからきさまにこの
X号は火のように、
「これはいけない。さっそくどこかへ着陸して、X号の行方をつきとめることにしよう」
博士にもX号の行方は分からなかったのだ。X号の声は、ラジオのマイクロホンから聞こえて来たのだし、あのような原子爆弾の大爆発の中でも、ゆうゆうと生きのびておられるようなX号のことである。どんなことをやりだすか知れない、と人々は考えたのである。
だが高度をさげて、地上へ近づこうとする博士の努力も、いまはまったく効果がなかった。
高度計の針は、ふたたびぐんぐんと廻りはじめた。
七千、八千、九千、一万、一万五千……
「これはいったいどうしたことだ」
博士も機械を操縦する手をやめて、しばらく
「それ見たことか。うわあはっは、わっはっは……」
X号の高笑いが、あてもなくこの
宇宙航空船は、いま、まるで迷ってしまったように、大空を矢のように走りつづけている。
高度はすでに、二万メートルをこえた。このままでは、地球の
操縦装置は、いまや全然博士の手におえず、この航空船の行手を知っているものは、ただ超人間X号だけだった。
「だめだ。もうぼくにはどうすることもできない。諸君もいよいよかくごをきめてくれたまえ――」
博士があきらめたように、目をとじた時である。操縦室の扉をひらいて、山形警部がとびこんで来た。
「先生、先生、たいへんです。たいへんなことが起りましたよ」
「これ以上、たいへんなことが起こるもんか」
博士の答えはぶっきらぼうだったが、警部はつかつかと博士のそばに歩みよると、その耳に口をよせて、恐ろしいことばをささやいた。
「先生、X号がこの飛行機の中にしのびこんでいますよ」
「えッ、なんだって、それはほんとうかい。どうしてそんなことが分かった――」
博士は警部の腕をとらえて、はげしくゆすぶった。
「いま、冷蔵室へ、私のからだを運びこんで出て来たとき、廊下の
「そしてその男はどこへ行った」
「気がつかないように、あとを追いかけましたが、どこにも見えません。X号の恐ろしさはよく私も知っていますから、一人であぶないことをするよりは、こう思って、先生に報告をしに帰って来たんです」
「そうか。よくやってくれた。それならばまだいくらか望みはあるぞ……」
博士はしきりに考えこんでいたのだった。
「分かった。きっとそれにちがいない。X号は原子爆弾とウラニウムの原料を持って、この飛行機に乗りこんだんだ。それだから、原子爆弾を投下しても、あの程度の爆発しか起こらなかったんだ」
博士はひざを
「でも、いつのまにそんな離れわざをやったんでしょう」
戸山少年が、ふしぎそうにたずねた。
「あの放送をしてから、この航空船が飛びだすまでには、五六分の時間があったろう。そのあいだに、きっとX号はこの冒険をやってのけたのだよ」
「それではいったいどうすればよいのです」
「X号を倒して、機械の調子を直し、また地上へ帰りつくのだ。きっとどこかでX号が機械の調子を狂わせているのにちがいないのだから、X号を倒しさえすれば、またこの航空船は、思うとおりに動くようになるよ」
だがそのX号を倒すには、いったいどうすればよいのだろう。あの電臓は火にも水にも
博士はその時とつぜん口をひらいていいだした。
「その壁のボタンを一つ一つおして見てくれないか」
左手の壁には、小さなスクリーンがあって、その下には五六十個のボタンがついていたのである。戸山少年がためしに、その一つ、17という番号のボタンをおしてみると、スクリーンの上には、設備のよく行きとどいた、手術室の光景がうつしだされた。
「先生、これはなんですか」
「テレビジョンだよ。この航空船の各部屋には、テレビジョンの送信装置がしかけてあって、どの部屋でいまどんなことが起こっているか、すぐこの操縦室に分かるようになっているんだ。それでX号の場所を探してごらん」
少年たちは次から次へとボタンをおした。そして23というボタンをおしたときである。何か複雑な機械の前に坐りこんで、一生けんめいに、ダイアルを廻しているX号の姿が、スクリーンの上にありありとうつしだされたのであった。
「先生、先生、いましたよ。X号の姿がみえました。23という番号のついた部屋です」
戸山少年は、必死になって叫んでいた。
「ああそうか。やっぱりあそこにおったのか――」
博士はほっとため息をついた。
「いったいなんの部屋なんです」
「第二操縦室だよ。万一、この操縦室がだめになったとき、その部屋から操縦ができるように設計しておいたのだが、二カ所で思い思いに機械を動かしては、このロケットも、変になるのもあたりまえだよ」
「それはどうすればよいでしょう」
「ぼくはここで機械を守っているから、君たちは火焔放射器でX号を攻撃してくれたまえ」
「でもX号は、火焔放射器には抵抗できるのでしょう」
「いや、電臓は殺すことはできないが、皮膚にやけどをさせることはできるのだから、X号もある程度は、力を失うことになる。そのあいだに、向こうの操縦装置を破壊して、このロケットを、思うように動かし、負傷させたX号を、この航空船の中にはいっている小型ロケット機に乗せて発射し、それを原子ロケット砲で
なるほど、それはじつにどうどうたる計画だった。だがX号ともあろうものが、おめおめとその計画にひっかかってくるであろうか。
だが博士は、大きな声でこのようなことをいいながら、その手は鉛筆をにぎって、このようなことばを紙の上に書きしるしていたのである。
――今の話の内容は、ぜんぶX号に知れたものと思わなければならない。だから諸君がこの部屋を出たら、きっとX号は姿をかくすか、わしをおそってくると思う。だからとりあえず、第二操縦室を占領して、3というボタンをおせ。そうすれば、この部屋でどういうことがおこっているか、向こうのスクリーンにうつるから、それによって、十分注意するように――
この紙きれにうなずいて、山形警部は、五人の少年といっしょに操縦室を出た。火焔放射器を手に、足音をしのばせ、決死のかくごで第二操縦室へ――
ところがその時すでに、X号はどこかへ姿をかくしていたのである。
「やはり、先生のいったとおりだ。X号はどこにもいないよ」
「ほんとうだね。あの紙きれに書いてあったとおり、もとの操縦室をテレビジョンにうつして見ようじゃないか」
だが、自らがいままでおった、第一操縦室の光景が、テレビジョンのスクリーンにうつしだされた時、少年たちも山形警部も、おどろいた。
谷博士のなりをしたX号が、サルのかっこうをした谷博士におどりかかろうとしているではないか。
博士が手ににぎっていた、火焔放射器をただの一撃でたたきおとすと、X号は大手をひろげて博士の上へとびかかった。
しばらくは上になり下になり、人とサル、いや博士とX号の必死の
六人はあまりのおそろしさに、助けにとびだすことさえ忘れて、しばらくは、そこにだまって立ちすくんでしまった。
そのうちに勝負はきまった。サルはぐったりと人間の前の床の上に倒れてしまったのだ。
X号はにたにたと、
「どうするんだろう」
「ちょっと待ってみよう」
六人はささやきかわして、そのありさまを見まもっていた。と思うと、X号は博士の頭の中から脳髄をつかみだし、自分の頭の中から取りだした脳髄と手ぎわよく入れかえたのである。
山形警部も、少年たちも、恐ろしさにがたがたと震えていた。
「また脳髄を入れかえたよ。こんどは博士のからだにはいっているのがほんとうの谷博士で、サルのからだにはいったのがX号だよ」
山形警部は、そっと少年たちの耳にささやいた。
手術はまたたくまに終りをつげた。まるでりんごかなしをおきかえるように、血一滴出ないくらいであった。
X号は谷博士のからだを、床の上に横たえると、すぐに部屋からとびだしたのである。
「よし、これで向こうの計画はわかった。X号は博士だけは後の役に立てるために生かしておいて、われわれだけを殺そうとするんだ。そのために、サルのからだにはいって、われわれをだまそうとしているんだ。だから、もうけっしてサルのいうことには、ゆだんをしちゃあいけないよ」
少年たちはごくりとつばをのみこんで、うなずいたのである。
まもなく、サルのからだにはいったX号は、この部屋の扉をひらいて姿をあらわした。
さてX号はどのようなことをいいだすだろうか。第一第二の操縦室ともに、操縦者を失ったこの宇宙航空船は、自動操縦機の力によって、二万五千メートルの高空を、電光のような速力で、飛びつづけているのだった。
「さあ、みんなぐずぐずしてはいられないよ。X号はこの航空船に爆弾をしかけて、小型ロケット機で逃げだしたんだ。われわれもこうしていては、命がないから、一刻も早く、別の小型ロケットで、ここから脱出しよう」
サルのからだに入りこみ、谷博士だとみせかけたX号は、声まで谷博士に似せて、このようなことをいった。
「先生、それはほんとうですか」
「ほんとうだとも、うそだと思うなら、これを見たまえ」
X号はつかつかと壁に歩みより、13というボタンを押した。スクリーンには、またもや別な部屋の光景がうつしだされたが、その床には黒い爆弾のようなものがおかれてあって、その上の時計は、こつこつと時を
「時限爆弾だよ。あと五分で爆発する」
「さあ、それはたいへんだ。先生、助けてください。みんな、早く逃げだそうじゃないか」
山形警部は、ほんとうにおどろいたようにあわてて見せたのである。
「さあ、それじゃあ、みんなこちらへ」
X号は先に立って、部屋を出ると、階段をどたどたと一階までおりて来た。その
「さあ、みんなこの中へはいるんだ」
X号は中を指さして命令した。
「先生、ちょっと待ってください」
山形警部は、出口の方へかけもどろうとした。
「何をする。君は気が変になったのか。あと二分で爆弾が爆発するというのに、どこへ行くつもりだ」
X号は、目を怒らせて、警部をにらみつけた。
「いや、自分のからだが、冷蔵室においてありますから、大急ぎであれを持って来ようと思って……」
じつは山形警部は、博士に急を知らせにかけるつもりだったが、そういえないものだから、このようなうそをついたのである。
「ばか、おまえは命が惜しくないのか。もうそんなことをして、ぐずぐずしたりしているひまはないわ。どんなからだにはいっていても、命あっての物だねではないか。ぶじに地上へかえったら、からだぐらいはまたもとのように作ってやるよ」
X号は警部を、なぐりつけかねないような
少年たちも、さすがに弱ってしまったのである。X号にてむかっても勝目はないし、といってこの中に入りこんでは、みすみす死を待つばかりなのだから……
その時、戸山少年は立ちあがって、X号のうしろの方を指さした。
「先生、それそこに、先生のからだにはいりこんだX号が……」
「なんだと……」
サルのからだにはいったX号は、谷博士がほんとうに、この場にあらわれたかと思ったのだろう。ぎょッとしたように戸口の方へふりむいた。
それが戸山少年の待ちかまえていたすきであった。少年はX号の腰へとびつくと、足をかんでX号をひっくりかえしたのである。ふいを打たれたX号は、もんどり打って穴の中へ落ちていった。
「それみんな、ふたをしめろ」
「それ」
六人は、おどりあがって鉄のふたをしめ、かたくボルトでねじあげたのである。
「さあ、もしX号が出て来たら、火焔放射器で攻撃するんだ。ぼくはすぐ先生のところへ知らせてくる」
戸山君は、廊下をまっしぐらに、もとの操縦室へかけこむと、床に倒れていた博士のからだをだきおこし、はげしくゆすぶって叫んだのである。
「先生、先生、しっかりしてください。ぼくです。戸山ですよ……」
やがて博士はぱっちりと目をひらいた。
「ああ、戸山君か。ここはどこだね」
「先生、
「ああ、そうだった。頭がずきずきいたんで仕方がないが、X号はどこにいるんだ」
「一階の最後部の部屋の穴の中へ、おとしこみました」
博士は頭のいたみも忘れて、おどりあがって喜んだ。
「しめた。それでX号もこんどこそ完全に運のつきだぞ。あの下は小型ロケット機の内部なんだ。よし、あれを外部に発射してやろう。戸山君MLQと書いてあるスイッチを切ってくれ」
「こうですか」
戸山君がそのスイッチを切った瞬間だった。
機体はズシーンというはげしい反動を感じて、ぐらぐらと
「先生、いまのはいったいなんですか」
「ロケットがとびだした反動だよ。前のスクリーンには何も見えないかね」
はたして博士のことばどおり、そのスクリーンの上には、うしろからものすごい
「さあ、全速力であのロケットを追いかけて、原子ロケット砲で
博士は血の出るような声を、ふりしぼって叫んだ。
山形警部と五人の少年は、喜んでこの部屋へかえって来た。そしてX号をのせて飛びだしたロケットを追って、大わらわの活動がはじまったのである。
一人は
――敵のロケットは、いま高度六千、サハラ
一人の少年が、電波探知機を見つめて報告した。
「どうしたのか。大分敵は速度がにぶったな。よし、全速力にて
博士は頭を両手でおさえながら命令した。
X号をのせたロケットは、この航空船をはなれるが早いか、方向をかえて、こちらと反対の方向に全速力で逃げだしたので、大分距離も離れたが、何しろこちらの方が早いので、その距離はぐんぐんと接近して来た。
――敵との距離はあと六百キロ、敵の高度は、地上三百メートルにさがっています。――
またも電波探知機の方から報告があった。
「おかしいな。こんなに高度をさげてどうするのだろう。
博士も一時は首をひねったが、やがてある
「これはいけない。ひょっとしたら、X号は、ロケットを着陸させて、飛びおりるつもりかも知れないぞ、全速力で追撃せよ」
宇宙航空船はいま、三千キロの全速力を出して、電光のようにサハラ沙漠の上空を飛びつづける。
前のロケットとの間の距離は、見るみるうちに接近して来た。
――敵との距離、あと三千メートル、――
またもや探知機からの報告。
「原子ロケット砲、射撃準備」
博士はマイクロホンで命令をくだした。一機のロケット砲室では、山形警部が
「発射!」
宇宙航空船の巨体はまたもや、大きくがくーんとゆれた。白い煙をうしろに残した六本の原子ロケット砲弾は、ほとんど静止している敵のロケットを追って、青空を目にもとまらぬ速さで走りつづけて行く。
「全速上昇!」
宇宙航空船はものすごい勢いで上昇しはじめた。
四千……五千……六千……七千……
この時、眼下では、ものすごい
「さあ、これでX号も完全に
博士は
このようにして、X号はサハラ沙漠で最期をとげ、その最期の地の上空にたなびく原子雲のまわりを、二三度
三角岳の研究所は、あとかたもないまでに破壊されていた。
さいわいにこのあたりが、メトロポリスになってから、気味わるがった人々は、いつのまにか、ここを捨てて、ほかに
武装警官隊も、
この建物が破壊されたことは、かえってよかったともいえるのである。なぜかというと、このために、物をいう木や、ひとりで動く道具や、あのぶきみな機械人間や、そういったものは皆姿を消してしまって、三角岳はまたもとの自然のままの姿にかえったのだから。そしてまた、X号の作りだした、防ぎようのない
三角岳へこの宇宙航空船がかえりついた時、博士は社会からはげしい非難をうけ、警察のとりしらべも受けたのだが、X号の恐ろしい計画について、山形警部がいちいち証言をおこなったので、かえって博士たちの努力が認められ、なんの
頭のきずが回復した時、博士の第一にした仕事は、山形警部をもとのからだにかえしてやったことだったのは、いうまでもない。
博士のかたくなな性格は、それからまったく生まれかわったようになってしまった。本心からおだやかな、人好きのする円満な性格となり、博士は自分の研究の結果を、すべて広く社会に公開し、社会と人類の文化の向上をはかったのである。
それはX号のように、
宇宙航空船につまれてあった、
ただ一つ、博士がどうしても公開しなかった研究の秘密――それは人造生物をつくる方法だけだった。
「生命というものは、神だけが生みだすべきものである。人間の手でそれを作りだそうとすることは、かえって人類の破滅をまねくにすぎない。自分がこのような恐ろしい目にあったのも、人間の力の限度を知らないから生じた
博士は口ぐせのように、こうくりかえしていたのである。
戸山君はじめ五人の少年は、博士の下で研究をつづけ、日本でも有数の大科学者となった。しかし、戸山君たちの心の中には、いつまでもいつまでも、このような恐ろしい疑問が、たえず残っていたのである。
「あのX号は、あの時サハラ沙漠の上で、ほんとうに死んでしまったのだろうか。ひょっとしたら、あのまえにロケットから飛びおりて、どこかにかくれ、まだ生きのこって
戸山君は、一度博士に向かって、その
「戸山君。あるいはそうかも知れない。ぼくにしても、そうでないとは、いいきれないのだ。だがもしX号が、かりにどこかに生きておったにしても、感情もない、愛も道徳もない生物は、いくら智力がすぐれていても、世界は支配できないよ。そうした生物は、けっきょく自分の智力の前に倒れるのだ。X号のことなどはもう気にかけずに、人類の智力を、一歩でも向上させるために、死ぬまで働きつづけようじゃないか」
これが、この