特務機関から命ぜられた大陸に
鬼仏洞は、ここから、揚子江を七十キロほど
これは某国の
わが特務機関は、未だに公然とこの鬼仏洞の中へ足を踏み入れたことがないのであるが、近頃この鬼仏洞を見物する連中が
これが最後の御奉公と思い、彼女は勇躍大胆にも単身○○に乗りこんで、ホテル・ローズの客となった。まず
それから三日がかりで、彼女はようやく鬼仏洞の部屋割を、宙で
無理をしたため、頭がぼんやりしてきたので、彼女は、その日の午後、しばらく
その日は、土曜日だったせいで、街は、いつにも増して、人出が多かった。彼女は、いつの間にか、一等
三千子は、ふとした気まぐれから、
「あんちゃん。おいしいところを、一袋ちょうだいな」
といって、銀貨を一枚、豆の山の上に、ぽんと放った。
「はい、ありがとう」
店番の少年は、すばやく豆の山の中から、銀貨を
「おいしい?」
「おいしくなかったら、七面鳥を連れて来て、ここにある豆を皆拾わせてもいいですよ」
といってから、急に声を低めて、
「……今日午後四時三十分ごろに、一人やられるそうですよ。三十九号室の出口に並べてある人形を注意するんですよ」
と、謎のような言葉を
三千子は、それを聞いて、電気に
もうすこしで、彼女は、あっと声をあげるところだった。それを、ようやくの思いで、咽喉の奥に押しかえし、
無我夢中で、二三丁ばかり、走るように歩いて、彼女はやっと電柱の蔭に足を停めた。腕時計を見ると、時計は、ちょうど、午後四時を指していた。
(今の話は、あれはどうしても、鬼仏洞の話にちがいない。あと三十分すると、第三十九号室で、誰か人が死ぬのであろう。なんという気味のわるい知らせだろう。しかし、こんな知らせを受取るなんて、幸運だわ!)
三千子は、
(行ってみよう。時間はまだ間に合う。――もし鬼仏洞の話じゃなかったとしても、どうせ元々だ)
三千子の心は、既に決った。彼女は、南京豆売りの少年が、なぜそんなことを彼女に囁いたのかについて考えている余裕もなく、街を横切ると、鬼仏洞のある坂道をのぼり始めたのであった。
三千子が向うへ行ってしまうと、豆の山のかげから、一人の青年が、ひょっくり顔を出して、三千子の去った方角を見て、にやにやと笑った。
見るからに、
すると、入場券は、ひとりでに、奥へ吸い込まれたが、とたんに何者かが奥から、
「これを胸へ下げてください」
と云ったかと思うと、丸型の赤い番号札が例の穴から、ひょこんと出て来た。
(
そのとき、三千子の眼は、素早く或るものに
三千子は、とたんに
「
ぴーんと音がして、番号札が、
(手首だった。切り放された黄色い手首が、この番号札を前へ押しだしたのだ。――そして“これを胸へ下げてください”と、その手首がものをいった!)
女流探偵風間三千子の背筋に、氷のように冷いものが伝わった。
なるほど、噂にたがわぬ怪奇に充ちた鬼仏洞である。ふしぎな改札者に迎えられただけで、はやこの鬼仏洞が容易ならぬ場所であることが分ったような気がした。
だが、風間三千子は、もう訳もなく
入口の重い
ぎーい!
とたんに、彼女のうしろに、金属の
ふしぎ、ふしぎ。第二のふしぎ。
彼女は、しばらく、その薄暗い室の真中に、じっと
一陣の風が、どこからとなく、さっと吹きこんだ。
それと同時に、
彼女は、おどろいて、音のする方を、振り返った。するといつの間にか、後に、出入口らしいものが開いていた。その口を通して、奥には、ぼんやりと明りが見えた。
(あ、なるほど、やっぱり第一号室へ通されるのだ!)
三千子は、
その部屋の飾りつけは、夜明けだか夕暮だか分らないけれど、
第一号室は、たったそれだけであった。
何のことだと、つづいて第二号室に足を踏み入れた三千子は、思いがけなく
瞳をよく定めて、その部屋を見廻すと、なるほど、これは鬼仏洞へ来たんだなという気が始めてした。横へ長い三十畳ばかりのこの部屋には、中央に
赤鬼青鬼の合掌は、一体何を意味するのであろうか。三千子は、気をのまれた恰好で、
するとそのとき、どやどやと足音がして、一団の人が入ってきた。見ると、それは、
「さあ、いよいよこれが
案内役らしい背のひょろ高い男が、一行を振りかえって
三千子は、この第二号室の人形の意味が分って、なるほどと
三千子は、それとなく、この一行の後について、各室を
三千子は、その説明を聞きたさのあまり、ついて歩いているのであったが、鬼仏の群像には、二通りあって、一つは鬼が神妙らしい顔つきをして僧侶になっているもの、それからもう一つは、顔は
「仏も、遂には人間の悪を許しかねて、こうして剣をふるわれるのじゃ。はははは」
かの案内人は、説明のあとで、からからと笑う。
あたり
そのうちに、例の時刻が近づいた。南京豆売りの小僧が教えてくれた午後四時半が近づいたのである。三千子は、この一行に分れて、一刻も早く、例の第三十九号室へいってみなければ間に合わないかもしれないと思った。そこで彼女は、一行の前をすりぬけ、かねて勉強しておいた洞内の案内図を
第三十九号室! そこは、どんな鬼仏像が飾りつけてある部屋だったろうか。
そこは、案外平凡な部屋に見えた。
室は、まるで
(この室で、やがて誰か死ぬって、本当かしら)
と、三千子は、桃の木の
そのときであった。隣室に人声が聞え、つづいて足音が近づいて来た。
(いよいよ誰か来る)
時計を見ると、もう二三分で、例の午後四時三十分になる。すると、今入ってくる連中の中に死ぬ人が
すると、間もなく見物人は入ってきた。見れば、それは先程の五六人連れの中国人たちであったではないか。
(やっぱり、そうだった)
三千子は、心の中に
一行が、この部屋に入り、人形の方に気をとられている間に、三千子は、入口をするりと抜け、その一つ手前の隣室、つまり第三十八号室へ姿を隠したのだった。そして入口の蔭から、第三十九号室の有様を、
「これは、水牛仏が、
案内役は、とってつけたように笑う。
「水牛仏はこの人形だろうが、桃盗人が見えないじゃないか」
と、一行の中の、
「や、こいつは一本参った。この鬼仏洞のいいつたえによると、たしかにこの水牛仏が、
「それは、どういうわけじゃ」
「さあ、どういうわけかしらんが、無いものは無いのじゃ」
「こういうわけとちがうか。この鬼仏洞の中には、何千体か何万体かしらんが、ずいぶん人形の数が多いが、桃盗人の人形は、どこかその中に
「あー、なるほど。なかなかうまいことをいい居ったわい。はははは。しかしなあ、紛れ込んどるということは、絶対にない。もう何十年も何百年も、毎日毎日人形の顔はしらべているのじゃからなあ。それに、その桃盗人の人形の人相書というのが、ちゃんとあるのじゃ」
「本当かね」
「本当じゃとも、その桃盗人の人相は、まくわ
「あははは、こいつはいい。おい、顔子狗、黙っていないで何とかいえよ」
「……」
顔子狗と呼ばれた男は、無言で、ただ唇と拳をぶるぶるとふるわせていた。そのときである。どうしたわけか、室内が急に明るく輝いた。急に真昼のように、白光が明るさを増したのであった。人々の
「やよ、顔子狗。なんとか
「それで、わしを
そういって顔子狗は、さっさと、向うへ歩みだした。
「おい顔子狗よ」と例の案内役が、後から呼びかけた。
「お前とは、もう会えないだろう。気をつけて
「勝手に、笑っていろ」
顔子狗は、
「
一行は、群像のようになって、それより四五メートル手前で、顔子狗のふしぎなる
遥か後方にはいたが、風間三千子は、
(あ、あの人が危い!)
と思った瞬間、彼女は、ハンドバックの中に手を入れるが早いか、小型のシネ撮影器を取り出し、顔子狗の方へ向け、フィルムを廻すための
自分でも、後でびっくりしたほどの
だが、彼女は、さすがに女であった。顔子狗の身体が、地上に転ってしまう、とたんに、気が遠くなりかけた。
もしもそのとき、後から声をかけてくれる者がいなかったら、女流探偵は、その場に
だが、ふしぎな早口の声が、彼女の背後から、呼びかけた。
「おっ、お嬢さん、大手柄だ。しかし、早くこの場を逃げなければ危険だ」
「えっ」
三千子は、
だが、どこからかその声は又言葉を続けるのであった。
「お嬢さん。おそくも、あと五分の間に、裏口へ出なければだめだ。知っているでしょう、近道を選んで、大急ぎで、裏口へ出るのだ。
その早口の中国語は、どこやら聞いたことのある声だった。だが彼女は、それを思い出している
「ありがとう」一言礼をいうと、彼女は、一旦後へ引きかえし、宙で憶えている近道をとおって、
空は、夕焼雲に、うつくしく
帆村探偵登場
特務機関長が、最大級の言葉でもって、風間三千子の功績を
「ああ、これで新政府は、正々堂々たる抗議を○○権益財団に向けて発することができる。いよいよ敵性第三国の○○退却の日が近づいたぞ」
そういって、特務機関長は、はればれと笑顔を作った。
「抗議をなさいますの。鬼仏洞は、もちろん閉鎖されるのでございましょうね」
「やがて閉鎖されるだろうねえ。しかし、今のところ、抗議をうちこむため、鬼仏洞は大切なる証拠材料なんだ。
特務機関長は、もうこれで、すっかり前途を楽観した様子である。
その翌日、新政府は、○○権益財団に向けて、厳重なる抗議文を発した。
“わが政府は、○○の治安を確立するため、同地に、警察力を常置せんとするものである。
といったような趣旨の抗議文であった。
ところが、相手方は、これに対し、まるで木で鼻をくくったような返事をよこした。
“○○の治安は、充分に確保されあり、鬼仏洞内に殺人事件ありたることなし”
これではいけないというので、新政府は、更に強硬なる第二の抗議書を送り、且つその抗議書に添えて、風間三千子が撮影した顔子狗の
これなら、相手方は、ぎゃふんというだろうと思っていたのに、帰って来た返事を読むと、
“なるほど、洞内に於て、
とて、
なるほど、そういえば、相手方のいうことも、一理があった。
だが、一旦抗議を発した以上、このまま引込んでしまうことは許されない。そこでまた、相手方の攻撃点に対して、猛烈な
そのような押し問答が二三回続いたあとで、ついに
“では、鬼仏洞内の現場に
ということになって、
新政府側からは、八名の委員が出向くことになったが、うち三名は、特務機関員であって、風間三千子も、その一人であった。
その朝、新政府側の委員五名が、特務機関へ
「まあ、あなたは
帆村というのは、東京丸の内に事務所を持っている、有名な私立探偵
そういう先輩であり、命の恩人でもある帆村が、所もあろうに、大陸のこんな所に突然姿を現わしたものであるから、三千子が花瓶を取り落としそうになったのも、無理ではない。
帆村は、にこにこ笑いながら、彼女の傍へよってきた。
「やあ、風間さん、大手柄をたてた女流探偵の評判は、実に大したものですよ。それが私だったら、今夜は晩飯を
「あら、あんなことを……」
「いや、遠慮なさることはいらない。何しろあの場合の、咄嗟の撮影の
「おからかいになってはいや。で、帆村さんは、政府側の委員のお一人でしょうが、どんなお役柄ですの」
「僕ですか。僕はその、戦争でいえば、まあ
「斥候隊は、向こうへいって、どんなことをなさいますの」
「そうですねえ。要するに、斥候隊で、敵の作戦を見破ったり、場合によれば、
「まあ、――」
といったが、三千子は、帆村の身の上に、不吉な影がさしているように感じて、胸が苦しくなった。
○○権益財団側からは、やはり同数の八名の委員が出席したが、その外に、前には姿を見せなかった鬼仏洞の番人隊と称する、
いよいよ交渉が始まった。
相手方から、背のひょろ高い一人の委員が、一番前にのりだしてきて、
「わしは、この鬼仏洞の長老で、
と、始めから、喧嘩腰であった。
三千子は、後から、その長老陳程と名乗る男の顔を一目見たが、胸がどきどきしてきた。この長老こそ、先日顔子狗たちを連れて各室を廻っていた莫迦笑いの
彼女は、そのことを帆村にそっと告げようとしたが、その前に帆村は、前へとび出していた。
「やあ、陳程委員さん、私は帆村委員ですがね、こんなところで押し問答をしても仕方がない。
「現場かね。現場は、ちゃんと用意ができている。すぐ案内をするが、あなた方は、
「そんなことは常識だ。さあ、現場へ案内してください」
一同は、やがて問題の第三十九号室に、足を踏み入れた。
室内の様子は、前と同じで室内には例の
「……
陳程長老は、手にしていた白墨で、
「こんなに遠くへ離れていて、顔の首を斬ることは、手品師にも、出来ないことじゃ。それとも出来るというかね。はははは」長老は、勝ち誇ったように笑った。
帆村探偵は、別に
「ほう、ちょうどこの水牛仏の前で、息を引取ったんだな。水牛仏に引導を渡されたというわけか。すると顔は、
帆村は、いつもの癖の軽口を始めた。そして手にしていた煙草を口に
「おい、こら。煙草は許されないというのに。さっき、あれほど注意しておいたじゃないか」
長老陳程が、顔を赤くして、とんできた。
「ほい、そうだったねえ」
帆村は、煙草を捨てた。火のついた煙草は、しばらく水牛仏の
そのとき帆村は、なぜか、その煙の行手に、真剣な視線を送っていた。
(水牛仏がふりまわしているあの青竜刀は、本当に斬れそうだな。しかし、まさか顔子狗は、わざわざあそこへ首を持っていったわけではないのだ。こっちで
帆村は、興味ありげな顔付で、じっと水牛仏が、右へ払った青竜刀を
(なるほど。すると、この人形が、このまま一まわりぐるっと廻転したとすると、あの青竜刀はここに立っている人間の首をさっと斬り落せるわけだ。してみると……)
帆村は、長老の傍へいって、
「長老、あの水牛仏は動きだしませんかね。いや、ぐるぐると廻転しませんかね」
長老は、それを聞くと、かっと眼を
「とんでもない。人形が動いたり廻ったりしてはたいへんだ。傍へいって、よく調べたがいいじゃろう」
「調べてもいいですか。あなたは、困りゃしませんか」
「あの人形が動いているのを見た人があったら、わしは水牛の背に積めるだけの銀貨を
「本当ですな、それは……」
「くどい男じゃ、早く調べてみたがよかろう」
帆村は
そのとき、室内が、
「誰だ、照明をかえたのは……」
「照明は、自然にかわるような仕掛になっているのじゃ」
長老が返事をした。しかし帆村は、長老がひそかに廻廊の柱に手をかけて、ちょっと押したのを見落しはしなかった。
(へんなことをしたぞ。とたんに照明がかわったところを見ると、あの柱に、照明をきりかえるスイッチがついているのかもしれない)
煌々たる
帆村探偵は、つかつかと水牛仏の方へ近づこうとしたが、そのとき、何に
「
と、低く叫んだ。
「おい、その棒を貸せ」
帆村は、後を振返って、傍に立っていた番人の手から、棒を受取った。
「さあ、皆、僕に注意していてください」
そういったかと思うと、帆村は、その場に
「この棒に注意!」
帆村は、跼んだまま棒を高く差上げた。そして、しずかに水牛仏の前に近づいていった。一同は、声をのんだ。
風間三千子だけは、帆村が何を見せようとしているかを感づいた。
ぴしり。
高い金属的な音がした。と思った
帆村は
「見えましたね。この太い棒が、鋭い刃物で斬られると同じように、切断されたのです。棒の切口の高さを
委員たちは、首を左右に振った。帆村の首が切断されたらということは分るが、なぜ、そうなるのか分らなかった。
「棒を切ったのは、鋭い刃物です。その刃物は、皆さんの目には見えないと思うでしょう。ところが、ちゃんと見えているのですよ。この水牛仏が手にしている大きな
「おい君。そんな
長老陳程が、
「出鱈目だというのか。じゃ、君は、立ったまま、ここまで来られるか」
「行けないで、どうするものか」
「えっ、ほんとうか。危い、よせ!」
帆村が叫んだときは、もう遅かった。
長老は、つかつかと帆村の方へ駈けだした。
「ああッ」
次の瞬間、長老陳程の首は、胴を放れていた。そして鈍い音をたてて、床の上に転った。
「あ、危い。誰も近よってはいけない。われわれの目には見えないが、この水牛仏は、青竜刀を手にもったまま、
帆村は、そういうと、跼んで、一同のところへ引返してきた。
一同は、急に不安に襲われ、帆村より先に、前室へ逃げだそうとしたが、そこを動けば、また自分の首が飛ぶのじゃないかという恐れから、どうしていいか分らず、結局その場にへたへたと坐りこんでしまった。
ふしぎな
「風間さん。あれは、人間の眼が、いかに
事件のあとで、帆村は風間三千子の質問に
「残像にごま化されているといいますと……」
「つまり、こうですよ。今、目の前に、回転椅子を持ってきます。僕がこれを、一チ、二イ、一チ、二イと、ぐるぐる廻します。そこであなたは、目を閉じていて、僕が、一とか二とかいったときだけ、目をぱっと開いて、またすぐ閉じるのです。つまり、一チ二イ一チ二イの調子にあわせて、目をぱちぱちやるのです。すると、この椅子が、どんな風に見えますか。ちょっとやってみましょう」
帆村は、廻転椅子を三千子の前において、それに手をかけた。
「さあ始めますよ。調子をうまく合わせることを忘れないで……。さあ、一チ、二イ、一チ、二イ、……」
三千子は、いわれたとおり、調子をあわせて、目をぱちぱちと開閉した。
「三千子さん、椅子は、どんな具合に見えましたか」
「さあ――」
「椅子は、じっと停っていたように見えませんでしたか」
「あ、そうです。椅子は、いつも正面をじっと向いていました。ふしぎだわ」
「そうです。それで実験は成功したのです。つまり、僕は椅子を廻転させましたが、あなたには、椅子がじっと停っているように見えたのです。これは、なぜでしょうか。そのわけは、あなたは、僕の号令に調子を合わせたため、椅子がちょうど正面を向いたときだけ、ぱっと目をあけて椅子を見たことになるのです。だから、椅子は、じっとしていたように感ずるのです」
「まあ、ふしぎね」
「そこで、あの恐しい水牛仏のことですが、あれも青竜刀をもって、ぐるぐる廻転していたのです。とても、目にもとまらない速さで廻っていたのです。しかしちょっと見ると、じっと静止しているように見えるのです」
「そう見えましたわ。でも、あたしたちは、誰も、目をぱちぱち開閉したわけではありませんわ」
「もちろん、そうです。しかし目をぱちぱち開閉するのと同じことが行われていたのです」
「同じことが行われていたというと……」
「水銀灯がつきましたね。あの水銀灯が、非常な速さで、
「ええ。それは、そうなりそうですけれど、しかしあたしは、あの水銀灯が、別に
「それは、人間の眼が残像にごま化されるからです。あなたは、普通の電灯が、明るくなったり暗くなったり、ちらちらしているように感じますか」
「いいえ。電灯は、いつも明るいですわ」
「ところが、あの電灯も、実は一秒間に百回とか百二十回とか、明暗をくりかえしているのです。しかし人間の眼は、大体一秒間に十六回以上
「そのお話で、いつだか教わった映画の原理を思い出しましたわ」
「それが分れば、しめたものです。猛烈な勢いで廻転している水牛仏が、あたかも、じっと静止しているように見えるわけがわかったでしょう。分らなければ、今の廻転椅子のことを、もう一度思い出してください」
「やっと、分ったような気がしますわ。しかし水牛仏の前を通った人で、首を斬り落とされなかった人が沢山あるのじゃないでしょうか」
「そうです。赤色灯のついているときは、安全なんです。そのときは、水牛仏は静止しているのです。そして水銀灯に切り
「あの水牛仏が、廻りだしたことが、よくお分りになったものね。危かったわ」
「いや、本当に危いことでしたが、僕にそれを知らせてくれたのは、煙草でしたよ」
「煙草?」
「そうなんです。長老陳程に叱られて、僕が捨てた煙草は火のついたまま、真直に煙をあげていたのです。その煙が、急に乱れたので、僕は、はっと気がついたんです。
「そのときは、まだ赤色
「そうなんです。――そうそう、いいわすれましたが、自殺した長老陳程は、われわれにとっては悪い奴でしたが、永く某国で働いていた機械工だそうです。顔子狗を私刑したことから、はからずも一件の仕掛がばれて、彼の運命が
科学を悪用する
そういって、科学者の探偵帆村荘六は、彼の