のろのろ砲弾の驚異

――金博士シリーズ・1――

海野十三




     1


 今私は、一人の客人をともなって、この上海シャンハイで有名な風変ふうがわりな学者、金博士きんはかせの許へ、案内していくところである。
 博士の住居すまいが、どこにあるか、知っている人は、ほんの僅かである。人はよく、博士が南京路ナンキンろ雑鬧ざっとうの中を、れ切った紫紺色しこんしょく繍子しゅうしの服に身体を包み、ひどい猫脊ねこぜを一層丸くして歩いているのを見かけるが、博士の住居を知っている者は、殆んどない。
 金博士の住居は、南京路でも一等値段がやすく、そして一等繁昌はんじょうしている馬環ばかんという下等な一膳飯屋いちぜんめしやの地下にあるのだ。
「さあ、ここがその馬環です。どうです、たいへんな繁昌でしょうが」と私は、客人をふりかえった。「足の踏み入れようもないというのがまさにこの店のことだが、第一このむーんとする異様な匂いには、慣れないものは大閉口だいへいこうで、とたんにむかむかしてくる。だが、とにかくこの中へ入っていかねば、博士に会えないのだから、一時鼻をつまんで、息をしないようにして、私についていらっしゃい。邪魔になるお客さんは、遠慮なく突きとばしてよろしいのである。お客さんは、突きとばされてどんぶりの中に顔を突込つっこもうと、誰も怒るものはいないであろう。遠慮していれば、いつまでたっても、奥へ通れない。さあ遠慮なく、こうして突きとばすですな。しかし懐中物かいちゅうものだけは要慎ようじんしたがいいですぞ。突きとばされるのをあらかじめ待っていて、突きとばされると、とたんにこっちの懐中物を失敬する油断のならぬ客がいるからね。あれっ、もうやられたって。ああ待った。もうさわいでも駄目です。一度やられると、たとえやった犯人の顔がわかっていても、二度とおたからは出て来ないのです。さわぎたてると、どうせろくなことにはならない。また何かられます。生命いのちなどは、盗られたくないでしょうから。
 さあ、ようやく奥へ来ました。ここには小房しょうぼうが、いくつか並んでいる。こっちへ来てください。ここへ入りましょう。はいったら入口のカーテンを引きます。さあ、椅子に腰をおかけなさい。そして、両手でこの大きな円卓子まるテーブルを、しっかりとおさえていてください。しっかりつかまっていないと、あとで舌をんだり、ひっくりかえって腰をうったりしますよ。はい、今うごきます。秘密のボタンを今押しましたから。そら床もろとも、りだしたでしょう。しっかり卓子につかまっていなさいといったのは、ここなんだ。そうです、この小室しょうしつ全体が、エレベーター仕掛じかけになっているのです。床も天井も壁も、一緒に落ちていくのです。もう今はたいへんなスピードで落ちていますよ。なにしろ、これがエレベーターなら、地階三十階ぐらいに相当する下まで下りるのです。なにしろ、地面から測って、二百メートルもあるそうですからね。
 爆撃ばくげきをさけるためですかって。もちろんそれもありましょうが、もう一つの理由は、金博士は宇宙線を極度きょくどけて生活していられるのです。あの宇宙線なるものは、二六時中、どんな人間の身体でも、つらぬいているので……」
 話の途中に、エレベーターはとまった。
 私は客人の手をとって、エレベーターを出ると、しばらくは真のやみの中の通路を、手さぐりで歩いていった。
 二百メートルばかり歩いたところで、通路は行き停りとなる。そこで私は、今切り取ったばかりのような土の壁を、ととんとんと叩いた。すると、ぎーいと音がして、私たちはまぶしい光の中に、放り出された。
 そういう段取だんどりになれば、私は間違まちがいなく、闇の迷路めいろをうまくり通ってきたことになるのである。下手をやれば、いつまでたっても、この光の壁にぶつからないで、しまいには、進むことも戻ることもならず、腹が減って、頭がふらふらになる。
 私は、はげしい目まいをおさえて、しばらく強い光の中に、うつしていた。土竜もぐらならずとも、この光線浴こうせんよくには参る。これも博士の警戒手段の一つである。
 私は、ようやく光になれて、顔をあげることが出来た。
「やあ金博士。とつぜんでしたが、ロッセ氏を案内して、お邪魔じゃままいりました」
「ほう、その人は、英国人えいこくじんじゃないだろうな。英国人なら、ここには無用だから、さっさと帰ってもらおう」
 と、金博士は、大きなウルトラマリン色の色眼鏡いろめがねを手でおさえながら、椅子のうえから立ち上ったのであった。


     2


 博士は、大の英国嫌いである。英国人と酒とは、大嫌いであった。
「ああ博士。ロッセ氏は日本人です」
「本当か、綿貫わたぬき君。氏は、日本人にしては色が黒すぎるではないか」
 綿貫とは、私の名前だ。
「氏は、帰化きか日本人です。その前は、印度インドせきがありました」
「どうぞよろしく」
 ロッセ氏は、流暢りゅうちょうな日本語で、金博士にいんぎんな挨拶あいさつをした。
 博士は、無言のままうなずいて、私たちに椅子を指すと、自分は再び椅子に腰をおろした。私たちの囲んだ机の上には、何をやっているのか分らないが、おびただしい紙片しへんが散らばっていた。そして紙片の上には、むずかしい数字の式が、まるでありの行列のように、丹念たんねんに書き込んであった。
「きょうお連れしたロッセ氏は、電気砲学の権威です」と、私は紹介の労をとって、「ロッセ氏は、三ヶ月程前に、初速しょそくが一万メートルを出す電気砲の設計を完成されたのですが、残念にも、今日本では、それを引受けて作ってくれるところがないために、すっかりくさってしまわれたんです。それでこの上海シャンハイへ、憂鬱ゆううつな胸を抱いて、なにか気分をほぐすものはないかと、遊びに来られたのですが、私は、博士を御紹介するのがよいと思ったので、実は、ロッセ氏には事前じぜんに何にも申さないで、とつぜんここへお連れしたわけですから、どうぞ話相手になってあげていただきたい」
 私が思いがけなくすっかり底を割ってしまったので、ロッセ氏は、私の話の途中、いくたびも仰天ぎょうてんして、私のそでをひいて、話をやめさせようとしたほどであった。
 博士は、かるくうなずいていたが、私の話を聞き終ると、
「それは、くさるのも無理ではない」
 と、同情の言葉をらし、
「わしは、あなたがロッセ氏であることは、今綿貫君の紹介で初めて知ったわけだが、しかしあなたのことは、電気砲の論文を読んで、前から知っていたよ」
 と、たいへんいい機嫌きげんの様子で、立ち上ってロッセ氏の黒い手を握った。
 ロッセ氏の面上めんじょうには、いたく感激の色が現れた。
「だが、ロッセ君。そんなに初速の早い電気砲をこしらえて、どうするつもりなんかね」
「これはしたり、そのような御たずねでは恐れ入ります。初速の大きいことは、すなわち射程しゃていが長いことである。しからば、われは敵の砲兵陣地ほうへいじんち乃至ないしは軍艦の射程外にあって、敵を砲撃することが出来るのです。こんなことは常識だと思いますが……」
 と、ロッセ氏は、はじらいながらこたえた。金博士からメンタルテストをされたように感じたからであろう。
「そういう考えじゃから、命中率はだんだん低下し、砲弾代などが、やたらにかかるのじゃ。射程には、おのずから限度がある。ただ砲弾を遠方へ飛ばすだけなら、射程をいくらでも伸ばし得られるが、砲門附近の風速ふうそくと、弾着地点だんちゃくちてん附近の風速とを考えてみても、かなりちがうのである。射程長ければ、命中率わろしである。そうではないか」
 金博士は、鉛筆を握って、紙のうえに、しきりに弾道曲線だんどうきょくせんを描きつつしゃべる。
「ですが、金博士。僕はぜひともいい大砲を作りたいと思って、そのような初速の大きい電気砲を設計したのです。一発撃ってみて、命中しなければ、二発目、三発目と、修整しゅうせいを加えていきます。十発のうち、二発でも一発でも命中すれば、しめたものです」
「そういう公算的こうさんてき射撃作戦は、どうも感心できないねえ。なぜ、そんなにせるのであるか。もっと落着いて、命中しやすい方針をとってはどうか。ロッセ君、あなたの話を聞いていると、聞いているわしまで、なんだかいらいらしてくる。それでは、戦闘に勝てない。ロッセ君、あなたは日本人だというけれども、あなたの電気砲設計の方針は、日本人的ではないですぞ。それとも、近代の日本人は、そんなにいらいらして来たのかな」
 色眼鏡いろめがねの底に、金博士の眼が光る。
 ロッセ氏は、次第しだい沈痛ちんつうな表情に移っていって、しきりに唇をんでいる。私は、それをとりなそうにも、いうべき言葉を知らなかった。――ロッセ氏が、或るごとを、ここで告白するのでなければ、どうにもならないのであった。
 しばらく、息づまるような沈黙が、金博士の書斎に続いたが、やがて博士は、やおら椅子から立ち上って、室内をこつこつと歩きだした。
「ねえ、ロッセ君」
「はあ」
「わしは君に、一つのヒントを与える。砲弾の速度を、うんと低下させたら、どんなことになるか」
「射程が短縮されます。技術の退歩たいほです。ナンセンスです」
「いや、わしのいっているのは、射程は、うんと長くとるのだ。ただ砲弾の速度を、きわめて遅くするのだ。そして命中率を、百パーセントに上げることが出来る。それについて、一つ考えてみたまえ。解答が出来たら、また訪ねてきなさい、わしは相談に乗ろうから」
「砲弾の速度を下げるのは、ナンセンスですが……とにかく折角せっかくのおすすめですから、一つ考えて来ましょう」
「そうだ。そうしたまえ。それが、うまくいくようなら、あなたの企図きとしている英国艦隊一挙撃滅戦えいこくかんたいいっきょげきめつせんも、うまくいくだろう」
「えっ、なんですって」
「いや、あなたの懐中かいちゅうからった財布さいふをお返しするよ。これは上から届けて来たものだが、いくら暗号あんごうで書いてあるにしても、英艦隊撃滅作戦の書類を中にはさんでおくなんて、不注意にも、程がある」


     3


 外へ出ると、ロッセ氏は、大昂奮だいこうふんの面持で、私をとらえて、放そうとはしなかった。
「ねえ、綿貫わたぬき君。われわれは、もっと語ろうではないか。素敵すてきなブランデーをのませる家を知っているから、これからそこへ案内しよう」
 私は、初めから覚悟をしていたので、ロッセ氏のいうがままに、ついていった。
 ホテル・クナンの、しずかな酒場さかば片隅かたすみに、ロッセ氏は、私を連れていった。
「この卓子テーブルは、僕の特約の席なんだ。では、お互いの健康をしゅくして……」
 と、ロッセ氏は、琥珀色こはくいろの液体の入ったグラスを高くさしあげて、唇へ持っていった。
「ふう、これでやっと落着いた。金博士も、ひどいところを素破すっぱぬいて、よろこんでいるんだねえ。宿敵艦隊しゅくてきかんたいの一件が、あそこで曝露ばくろするとは、思っていなかった」
「まあいいよ。私も、すこし独断どくだんだったけれど、あなたを早く、博士に紹介しておいた方がいいと思ったもんだから、黙って連れていったんだ」
「ああ、金博士は、驚異きょういあたいする人物だ。一体あの人は、中国人かね、それとも日本人かね」
「そのことだよ」
 と、私は、グラスの酒を、きゅうとのみして、
「一体、金という名前は、中国にもあるし、日本人にもある。それから朝鮮にもあるんだ。もちろん満洲にもあることは、君も知っているだろう。ところで博士は、その中の、どこの人間だか知らないといっている。博士は捨児すてごだったんだ。たしかに東洋人にはちがいないが、両親がわからないから、日本人だか中国人だか分らないといっている」
「赤ちゃんのときは、何語を話していたのかね」
「それは広東語カントンごだ。もっとも、博士がまだ片言かたこともいえないときに、広東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語をしゃべったのは、あたり前だ」
「ふしぎな人物だ。そして、あの穴倉あなぐらの中でなにをしているのかね」
「博士は、科学者だ。いや、もっと説明語を入れると、国籍のない科学者だ。国籍のない人といっても、ユダヤ系というわけではない。博士はいわく、わしは国籍こそ無けれ、あくまで東洋人だといっている」
「で、博士は一体、毎日どんなことをやっているのか」
「博士は、なんでも、気に入った科学をとりあげて、どんどん研究を進めている。今は、宇宙線と重力じゅうりょくとの関係を研究しているが、今までにも、たくさんの発明がある。その中で、かなり古臭ふるくさくなった発明を、方々の国に売って、莫大ばくだいな金を得ている。博士の資産しさんは、何百億円だか見当がつかない。が、それよりも驚異に値するのは、博士の自主的研究は独得なる発展をげ、今世界中で一等科学の進んだアメリカや、次位じいのドイツなどにくらべると、少くとも四五十年先に進んでいると、或る学者が高く評価している。だから、博士は、科学に関しては、世界の人間宝庫にんげんほうこであるともいわれている」
 私が最大級の讃辞さんじを博士にささげていると、ロッセ氏は、そうかそうかと、ペルシャねこのようにんだひとみをくるくるうごかして、しきりに感服かんぷく面持おももちだった。
「だから、博士がうんといえば、あなたの設計した電気砲も、博士の秘密工場の手で実際に作ってくれるだろう。そうすれば、あなたの念願している英艦隊えいかんたい撃滅げきめつのことも――」
「いや、博士は、初速の速い電気砲が気に入らないらしい。むしろ、速度の遅い、そして射程の長い砲弾を考え出せといわれたが、僕には、何のことだか分らないのだ。なぜなら、速度を遅くすることと、射程を長く伸ばすこととは、互いにあいきずつける条件なんだからねえ」
「うむ、まるで謎々なぞなぞだね」
「そうだ、謎々だ。それも解答のない謎々を出題されたような気がする。博士は、ひょっとしたら、僕をからかったのかもしれない」
「そんなことはないよ。博士は、からかうなんて、そんな人のわるいことはしない。ああまで真剣で、大真面目おおまじめなんだ。謎々をかけたにしても、博士は必ずその解答のあることをたしかめてあるのだと思う」
「そうかなあ。速度の遅くて、射程の長い、そして命中率百パーセントの砲弾! そんなおそろしいものが、この世の中にあるとは、どうしても思われないが……いや、僕たちは、既成きせい科学に対し、すっかり囚人しゅうじんになっているのがいけないのかもしれない」
 ロッセ氏は、そういって、ぶるぶると身顫みぶるいをすると、急いでグラスを唇のところへ持っていった。


     4


 私たちが外に出たときは、夜もだいぶん更けて、さすがの南京路ナンキンろも、人影がまばらであった。
 二人は、アルコールにほてった頬を夜風に当てながら、別に当てもなく、路のあるままに、ぶらぶら歩いていった。私たちの話題は、やはり金博士と、そして博士よりロッセ氏に与えられた奇怪なる謎々とに執着しゅうちゃくしていた。
 それはもう、四五丁も歩いた揚句あげくのことだったと思うが、ロッセ氏は、急に両の手を頭の上にのばし、拳固げんこをこしらえて、まるで夜空にいどみかかるような恰好かっこうで、はげしく振り廻しはじめた。たいへん昂奮こうふんの様子である。
「おい、ロッセ君。一体、どうしたのか」
「うん。やっぱり、われわれは、金博士にだまされたんだ。あんなばかばかしいことが出来てたまるものか。砲弾が低速で走れば、たちまち落ちるばかりではないか。高速であればこそ、遠いところへも届く」
「それはそうだね」
「あの金博士の意地悪いじわるめ。僕は、英艦隊を一挙いっきょにして撃沈げきちんしたいため、うまうまと博士の見えいた悪戯いたずらに乗せられてしまったんだ。ちくしょう、ひどいことをしやがる」
「……」
 ロッセ氏は、天に向って、しきりに博士の名を呪いながら、停っては歩き、そして又停っては歩きした。よほど口惜くやしそうだった。
 私は、博士のことを、そんな人物だとは思わないが、ロッセ氏から、のろのろ砲弾についての討論を聞いているうちに、だんだんと氏のいうところももっともだと思うようになった。
「なるほど、反対条件だねえ」
「博士よ、豚にわれて死んでしまえ」
「まあ、そういうな。背後うしろをふりかえってから、ものをいって貰おうかい」
 ふしぎな声が、とつぜん、私たちのうしろから聞えたので、私ははっと思った。
「誰だ?」
「あっ!」
 生れてからこの方、私はこんなにおどろいたことは初めてだった。悲鳴をあげると共に、私は愕きのあまり、鋪道ほどうのうえに、腰をぬかしてしまった。なぜといって、私が振り返ったとき、そこには声をかけたはずの誰もいなかった。しかし何物も居ないわけではなかった。私は、まっ黒の、大きなつつのようなものが、私の背中にもうすこしで突き当りそうになっているのを発見して、愕いたのである。それは、どう見ても、口径こうけい四十センチはあると思う大きな砲弾であったのである。
「どうだ。この砲弾が見えるかね」
 砲弾が、ものをいった。ふしぎな砲弾であった。そういいながら、砲弾は、私の鼻先はなさきかすめてそろそろと向うへ、宙を飛んでいった。大体地上から一メートルばかり上を、上から見えない針金はりがねられたかのように落ちもせず、すーっと向うへいってしまった。そして最後に、私は、その砲弾がつじのところを、交通道徳こうつうどうとくをよくわきまえた紳士のように、大きくまがったのを見た。そして間もなくそのあやしい砲弾は、ビルの蔭に見えなくなってしまった。なんというふしぎなものを見たことであろうか。夢か? だんじて夢ではない。
 ふと、かたわらを見ると、ロッセ氏も、鋪路アスファルトのうえに、じかに坐っていた。氏も、私と同様に、腰を抜かしたのにちがいない。
「見ましたか、今のを……。ねえ、ロッセ君」
 私は、氏の肩を、ぽんとたたいた。
 するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、くじらのようにふかい溜息ためいきをついた。そして私にかじりついたものである。
「ロッセ君、しっかりしたまえ」
「見ました、たしかに見ました。しかし、僕は気が変になったのではないだろうか。大きなまっ黒な砲弾が、通行人のように、落着きはらって、向うへいったのを見たんだからね」
「それは、私も見た」
「砲弾が、ものをいったでしょう。あの声は、たしかに金博士の声だった。金博士が、砲弾にけて通ったんだろうか。わが印度インドでは、聖者せいじゃが、一団いちだん鬼火おにびに化けて空を飛んだという伝説はあるが、人間が砲弾になるなんて……」
「ほう、なるほど。あの声は、金博士の声に似ていた。それは本当だ」
 私は、ロッセ氏には答えず、思わず自分の膝を叩いた。


     5


 金博士秘蔵ひぞうの潜水軍艦弩竜号どりゅうごう客員きゃくいんとなって、中国大陸の某所ぼうしょを離れたのは、それから、約一ヶ月の後だった。
 もちろんロッセ氏も、共に博士の客であった。
 弩竜号は、おどろくべき精鋭せいえいなる武装船ぶそうせんであった。総トン数は、一万トンに近かったが、潜水も出来るし、浮かべばちょっとした貨物船に見えた。弩竜号に関しては、ぜひ報告したい驚異がいろいろあるが、本件の筋にはあまり関係がないから、ここには記さない。
 弩竜号は、大陸を離れて五日目には、灼熱しゃくねつ印度洋インドように抜けていた。その日のうちに、セイロン島の南方二百カイリのところを通過し、翌六日には、早やアラビア海に入っていた。
「ソコトラ島とクリアムリア群島との、丁度ちょうど中間ちゅうかんのところへ浮き上るつもりです」
 と、金博士が、地図の上を指でおさえながらいった。
「博士、もっと、例の反重力弾はんじゅうりょくだんのことについて、話をしていただきましょう」
「ああ、あなた方を愕かしたあのものをいう、のろのろ砲弾のからくりのことかね。印度洋へ入ったら、いう約束だったから、それでは話をしようかね。からくりをぶちまければ、他愛たあいもないことなのさ。砲弾が、ものをいったのは、砲弾の中に、小型の受信機じゅしんきがついていて、わしの声を放送したんだ」
「それは、もう分っています。それよりも、なぜ、あのように低速で飛ぶのですか。落ちそうで、一向いっこう落ちないのが、ふしぎだ」
「それは、大したからくりではない。重力を打消うちけ仕掛しかけが、あの砲弾の中にあるのだ。これはわしの発明ではなく、もう十年も前になるが、アメリカの学者が、ピエゾ水晶片すいしょうへんを振動させて、油の中に超音波ちょうおんぱを伝えたのだ。すると重力が打消され、油の中に放りこんだ金属の棒が、いつまでたっても、下に沈んでこないのであった。その話は、知っているだろう」
「ええ、その話なら、知っています」
「そのアメリカ人の着想ちゃくそうもとづいて、わしが低速砲弾に応用したんだ。つまり、砲弾の中に、それと似た重力打消装置じゅうりょくうちけしそうちがある。もし重力を完全に打消すことができたら、砲弾は、地球と同じ速さで、地球の廻転と反対の方向に飛び去るわけだが、それはわかるだろう」
「なるほど、なるほど」
 と、私も前へのり出した。
「しかし、重力をそれほど完全に打消さず、或る程度打消せば、それに相当した速度が得られる。低速砲弾においては、ほんのわずか重力をうち消してあるばかりだ。それでも、途中で地面に落ちるようなことはない」
「それはいいが、砲弾の飛ぶ方向は、どうするのですか」
 ロッセ氏が、息をはずませてく。
「それは飛行機や艦船かんせんと同じだ。かじというか帆というか、そんなものをつけて置けば、いいのだ。操縦は遠くから電波でやってもいいし、砲弾の中に、時計仕掛とけいじかけ運動制御器うんどうせいぎょきをつけておいてもいい。――それはまあ大したことがないが、わしの自慢したいのは、この砲弾は、はじめに目標を示したら、その目標がどっちへ曲ろうが、どこまでもその目標を追いかけていくことだ。だから、百発百中だ」
「ほう、おどろきましたな。目標を必ず追いかけて、はずさないなんて、そんなことが出来ますか」
「くわしいことは、ちょっといえないが、軍艦でも人間でも、目標物には特殊な固有振動数こゆうしんどうすうというものがあって、これは皆違っている。最初にそれをはかっておいて、それから砲弾の方を合わせて置けば、砲弾は、どこまでも、目標を追いかける。先夜せんや、あなたがたを追いかけていったのも、その仕掛けのせいだ。もっとも、君たちに会えば、用がないから、わしのところへ戻ってくるように調整しておいたのだ。これはわしの自慢にしているからくりじゃ」
「なるほど。そんなことになりますかな」
 と、感心しているとき、監視部かんしぶから電話がかかってきた。敵艦隊が遂に現れたというのである。博士は、すぐさま弩竜号に、浮揚ふようを命じた。
「二百発の低速砲弾を、敵の四せき巡洋戦艦じゅんようせんかんに集中する。一艦につき五十発ずつだ。五十発の命中弾をくらえば、どんな甲鈑かんぱんでも、はちの巣になるじゃろう。しかも、第一発が命中した個所かしょを、次の第二弾が又同じ個所をねらって命中するのだから、まるで、きりでボール紙の函に穴をあけるようなものじゃ。まあ、見ていたまえ」
 博士は、テレビジョンの映幕スクリーンを見ながら、八もんの四十センチ砲の射撃を命じたのであった。二百発の砲弾は、まるでいたずら小僧こぞうむれを襲う熊蜂くまばちの群のように、敵艦にとびついていったが、まことにふしぎな、そして奇怪な光景であった。それから十五分ほどたって、四隻がてんでに舷側げんそくから火をふきながら、仲よく揃って、ぶくぶくと波間なみまに沈み去ったその壮観そうかんたるや、とても私の筆紙ひっしつくし得るものではなかった。
 ロッセ氏は、映幕スクリーンの前に、金博士の手を握り、子供のように慟哭どうこくした。余程よほどうれしかったものと見える。無理もない、それは確実に、印度民族奮起ふんきの輝かしき序幕を闘いとったことになるのであったから。
 しかしその日の新聞電報は、地中海から廻航中かいこうちゅうの英艦隊が、例によってドイツ潜水艦のため、多少の損傷そんしょうこうむったとだけ報ぜられ、四隻とも即時そくじ撃沈げきちんされたことにも、また金博士の弩竜号が活躍したことについても、全然れていなかったのは、どうしたわけか、私には一向分らないところである。





底本:「海野十三全集 第10巻」三一書房
   1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1941(昭和16)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:まや
2005年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について