豆潜水艇の行方

海野十三




   世界一の潜水艇


 みなさんは、潜水艇というものを知っていますね。
 潜水艇は、海中ふかくもぐることの出来る船です。わが海軍がもっているのは、潜水艦といいますが、これは世界一のりっぱなものです。潜水艇がりっぱなだけではなく、それにのりくんでいる海軍の士官や水兵さんや機関兵きかんへいさんたちもりっぱで、これも世界一です。
 私がこれからお話ししようと思いますのは、「豆」という名をもった小さい潜水艇の話です。
 もっとも、豆潜水艇という名は、この豆潜水艇の発明者であり、これをつくりあげた青木学士がつけた名前ですが、その青木学士と大の仲よしの水上春夫少年みなかみはるおしょうねんは、これを豆潜水艇といわないで、ジャガイモ潜水艇といっています。
 ここで、ちょっと二人のこえをおきかせしましょう。二人がいいあっているところは、その豆潜水艇がおいてある青木造船所の中です。
「おい春夫君。君は、この潜水艇のことを、ジャガイモ艇などとわる口をいうが、なぜ、ぼくがいうとおり、豆艇とよばないのかね」
「だって、青木さん。豆というものは、だいたい丸いですよ。ところが、青木さんのつくった潜水艇は、でこぼこしているから豆じゃなくて、ジャガイモですよ」
「でこぼこしているって。なるほど、それはそうだ。かじがついていたり、潜望鏡せんぼうきょうといって潜水艇の目の役をするものをとりつける台があったり、それから長いくさりのついたうきがとりつけてあったり、すこしはでこぼこしているよ。しかしとにかく、海軍の潜水艦にくらべると、たいへん小さい。豆潜水艇の中のひろさは、バスぐらいしかないから、ずいぶん小さいではないか。だから、豆のように小さい潜水艇、つまり豆潜水艇といっていいじゃないか」
「だって、青木さん。ぼくには、でこぼこしているところが、気になるんですよ。どう考えてみても、やっぱりジャガイモ艇だなあ」
「いや、豆潜水艇だよ」
 豆がほんとうか、それともジャガイモがほんとうか。青木学士と春夫君のことばあらそいは、どこまでいっても、きりがつきません。
 だから、そのきまりは、もっとあとにつけることにして、私はここで、二人とも、まだ気がついていない一大事について、皆さんにお話いたしましょう。
 皆さん、ここは東京の山の手にある大きな洋館のなかです。
 森にかこまれたこの洋館は、たいへんしずかです。
 窓のそとは、まっくらな夜です。そして、ほうほうと、森の中からふくろうの鳴いているこえがきこえます。
 部屋には、明るく電灯がついています。そして三人の西洋人が、大きな椅子いすにこしをかけて、お酒をのみながら、話をしています。
「むずかしいのは、わかっているよ。しかし、われわれはどうしても、命令にしたがって、やるほかない」
 三人のうちで、一ばんえらい人が、英語でそういいました。この人は、たいへんやせぎすですが、一ばんりっぱな顔をしています。
「しかしタムソン部長。あれだけ大きいものをもちだすのは、なかなかですよ」
 軍人のように、がっちりしたからだをしている西洋人が、両手を一ぱいにひろげました。この人の顔は、酒のためにまっかです。
「スミス君。われわれは今、大きいだの、おもいだの言っていられないのだ。本国の命令で、ぬすめといわれたのだから、ぬすむよりしかたがない。そうじゃないかねえ、トニー君」
 と、タムソン部長は、もう一人の、女のようにやさしい顔つきの青年によびかけました。
「はい。部長のおっしゃるとおりです。命令ですから、やるほかありません。早く、どうしてそれをぬすみだすか、その方法をごそうだんしようじゃありませんか」
「いや、トニーの言葉だけれど、いくらぬすむといっても、かりにも潜水艇一せきだ。あんな大きなものをぬすめると思っては、まちがいだ」
 この話から考えると、三人は潜水艇をぬすむ話をしているのです。そしてその潜水艇というのは、じつはさっきお話しした青木学士のつくった豆潜水艇のことなのでありました。だからこれはたいへんです。
「考えれば、きっといいちえが出てくるものだ。およそ世の中に、人間がちえをしぼって、できないことはない。さあ、三人でちえを出そうじゃないか」
 と、タムソン部長は、二人をはげましながら、酒のはいったびんをとりあげて、二人のまえのさかづきに、酒をついでやりました。


   どくガスだん


 酒をのみながら、ものを考えて、どんなちえが出るでしょうか。とにかくその夜のうちに、タムソンたちは、ついにある奇妙な方法を考えつきました。
「はははは、これなら、きっとうまくいく」
「なかなかおもしろい方法ですね」
「いや、考えてみれば、やっぱり方法があるものですねえ」
 三人は、たいへん、うれしそうでありました。その喜んでいるありさまから見ると、豆潜水艇をぬすみだすのになかなかいい方法を考えついたようです。いったいそれは、どんな方法であったか、それはしばらくおあずかりにしておくことにしましょう。
 それから、十日ほどすぎました。そこで話は、造船所のすみにころがっている豆潜水艇のことになります。
 この潜水艇は、すっかり出来あがっていました。艇内には、すでに食べものや、水や、ハンモックなどもつみこまれ、いつでも出かけられるようになっていました。ただ、この豆潜水艇は、まだ台のうえにのっています。艇の下をささえているくさびをはずせば、この潜水艇は、台の上をよこすべりして、ぼちゃんと海へおちて、うかぶようになっていました。つまり、あとは進水式だけがのこっていたのです。
 進水式のことを、青木学士も春夫少年も、どんなにか、待ちこがれていました。豆潜水艇は、進水をすませると、そのまま港を出かけることになっていました。もちろん、乗組員というのは、艇長ていちょうの青木学士と、それから副艇長の春夫少年の二人きりでありました。
 それは、いよいよ明日が、待ちに待った進水式だという、その前日の夜のことでありました。青木学士と春夫少年は、潜水艇の中にはいって、しきりに艇内をとりかたづけていました。
 そのとき、このまっくらな造船所へどこからやってきたのかくろい服をきた、十四五人のからだの大きい人が、しのびこんでまいりました。
「あ、部長。あれが潜水艇ですよ。青木学士の発明した世界一小さい潜水艇は、あれなんです」
「おお、あれか。あのぼーっとあかるいのは、なにかね」
「あれは、潜水艇の出入口のふたがあいているのです。艇内にはだれかがいて、電灯をつけているから、それが出入口のところから外にもれて、あのように、ぼーっとあかるいのです」
「ああ、そうかね、トニー。しかし、中に人がいるのでは、ぬすむのに、つごうがわるいじゃないか。なぜといって、そうなると、きっと相手がさわぎだすにちがいないからね」
「しかたがありません。すこし荒っぽいが、あいつらを、ねむらせてやりましょう」
「ねむらせるといって、どうするのか」
「毒ガスを使うのです。みていてください」
 トニーは、三四人の仲間をつれて、そっと潜水艇の近くにしのびよりました。トニーの手には、手榴弾てりゅうだんのような形の毒ガス弾がにぎられています。
「やるから、みんな、用心をして……」
 トニーは手をあげて、合図をしました。それから、豆潜水艇のそばによると、蓋のあいだから毒ガス弾を、えいとなげこみました。
「それ、蓋をしろ!」
 トニーの二度目の合図で、うしろにしたがっていた数人の大きな男は、豆潜水艇のうえにとびあがると、ちょっと蓋の中に手をさし入れて、つっかい棒をはずし、蓋を上からおさえて、ぴしゃんとしめてしまいました。
「よし、大出来だ。早く、あれをかぶせろ」
 トニーの号令で、うしろに待っていたタムソン部長たちの一団は、懐中電灯をふって合図をすると、くらやみの中から、大きなトラックが、あとずさりをしてきました。
 そのうえには、大なバスの車体がのっていました。ぎりぎりと音がして、もう一台別のトラックの上にしかけてあった起重機きじゅうき(重いものをつりあげる機械のこと)から、くさりのついたかぎがおりてきて、バスの車体をつりあげました。そしてその車体を、豆潜水艇のうえに、すっぽりかぶせてしまったのです。
 つまり、そのバスは、ちょっとみると、本物のバスのようですが、じつは、車がついていないもので、いわば箱の蓋ばかりのようなものでありました。
 豆潜水艇は、外から見ると、まるでバスのようなかたちになりました。
 そのうちに、別のトラックが、ぎりぎりと鎖をくりだして、豆潜水艇を、トラックのうえに引きあげました。これはただのトラックではなく、軍隊でよく使っている牽引車けんいんしゃというものと同じで、すばらしい力を出すものでありました。
「よかろう。いそいで、出発しろ」
 タムソン部長が命令をくだしたので、豆潜水艇を、バスの車体の中にかくしてつみこんだトラックは、そのまま走りだしました。そしてやみの中にかくれると、どこともなくいってしまいました。
 さあ、たいへんなことになりました。毒ガスにみまわれた青木学士と春夫少年は、どうなったでしょうか。そして、豆潜水艇は、どこへもっていかれたのでしょうか。


   警戒の目


 豆潜水艇をつんだトラックは、いま国道をどんどん西の方へ走っていきます。
 国道には、おまわりさんが、交番の中から、じっと夜の番をしていました。
 もし、国道をあやしいものがとおれば、「とまれ!」と命令して、しらべるつもりでありました。
 お巡りさんの前を、豆潜水艇をのせたトラックは、すこしもとがめられないで、通りすぎていきました。
 その次の交番でも、やはりおなじように、通りすぎました。
 なにしろ、お巡りさんが見ても、憲兵けんぺいさんが見ても、造船学の大家が見ても、まさかトラックのうえに豆潜水艇がのっていると、気がつくわけがありません。
 それもそのはずです。そのトラックの上にあるのは、どう見てもバスとしか見えません。まさかその下に、豆潜水艇がかくれていようなどとは、神さまだって気がつかないでしょう。
 トラックは、どんどん国道を西に走りつづけます。
 豆潜水艇は、トラックのうえで、ごとんごとんと、ゆれています。
 トラックの運転台では、運転手と、その横にのっているトニーという外人とが、英語で話をはじめました。
「トニーの旦那、ちょっとうしろを、みてください」
「なんだって、うしろをみろというのかね」
「なんだか、うしろでごとんごとんといっているが、大丈夫ですかい」
「なに、ごとんごとんといっているって。あ、そうか。ひょっとしたら、豆潜水艇が、車の上からすべりおちそうになったのかもしれない。まてよ、いましらべてやる」
 トニーは中腰ちゅうごしになって、うしろへ懐中電灯をてらしてみました。
「大丈夫だよ。綱はちゃんとしているよ」
 トニーは、バスと車体とをむすびつけている綱のむすび目が、しっかりしているのをみて、安心したのでありました。
 そういわれて、運転手は、
「そうですかねえ。しかし、ごとんごとんと、いっていますよ。ふしぎだなあ」
「それは、お前の気のせいだろう」
「そうですかなあ」
 運転手の耳には、トニーにはきこえない変な音がかんじるのでしょうか。
 しばらくたって、運転手はまたトニーにはなしかけました。
「あ、またきこえた。トニーの旦那、いままた、大きくごっとんと、うごきましたよ。ああ気持がわるい。そのうちに、豆潜水艇が、道のうえに、ころがりおちてしまいますよ。もういちど、よくしらべてください」
「大丈夫だというのになあ」
 トニーは、もういちど、綱のむすび目をよくしらべました。しかし、さっきと同じで、べつにとけた様子もありませんでした。


   くらい海


 そのうちに、トラックは、大きな川っぷちにつきました。
 石垣いしがきの下に、だるま船が待っていました。
 岸から板がわたしかけてありましたから、トラックのうえのにもつであるバスは、しずかに板のうえへおろされ、そしてだるま船の中につみこまれました。
「オーライ。さあ、早いところ、でかけよう」
 トニーが手をあげると、だるま船は、すぐエンジンをかけました。
 一同は、だるま船の中にのりうつりました。だるま船は波をけたてて、川下へくだっていきました。
 くらい川の面には、このだるま船の行く手をさえぎるものもいません。
「しめた。水上警察すいじょうけいさつも、こっちに気がつかないらしい。さあ、どんどんいそげ。本船じゃ、まっているだろうから」
 だるま船は、川口を出て海に入ると、こんどはさらに速度をあげて、沖合おきあいへすすんでいきました。
「トニーの旦那、針路は真南でいいのですかね」
「まあ、しばらく真南へやってくれ。そのうちに、無電がはいってくるだろうから、そうしたら、本船の位置がはっきりする」
 トニーは、ともに腰をおろして、しきりに受信機をいじっていました。
 それからしばらくたって、トニーが、耳にかけていた受話器を両手でおさえました。
「あ、本船が出た。エデン号だ」
 トニーは、耳にきこえるモールス符号ふごうを、すらすらと書きとっていましたが、そのうちに、彼も電鍵でんけんを指さきで、こつこつと、おして、なにごとかを無線電信で打ちました。
 そうして、両方でしきりに通信をかわしていましたが、やがてそれもおわりました。
「おい、わかったぞ。左舷さげん前方三十度に赤い火が三つほばしらに出ている船が、われわれを待っているエデン号だそうだ。船をそっちへ向けなおして、全速力でいそげ」
 トニーは、ふなべりをたたいて、そうさけびました。船は、向きをかえると、出るだけ一ぱいの力を出して、くらい海面をいそぎました。
 エデン号に行きついたのは、それから約二時間のちのことでありました。
「エデン号かね。こっちはタムソン部長の命令で、豆潜水艇をつんできたトニーだよ」
「おう、まっていた。トニー君。大へんな手がらをたてたものだな。わが海軍でねらっていた青木学士の豆潜水艇を、そっくり手に入れるなんて、この時局がら、きつい手がらだ。あとでうんと懸賞金が下るだろうぜ」
「その懸賞金が、目あてさ。その金がはいれば、おれは飛行機工場をたてるつもりさ」
「はははは、もう金のつかいみちまで、考えてあるのか。手まわしのいいことだ、はははは」


   あぶない荷あげ


「さあ、その大したえものを、こっちの船へ起重機きじゅうきでつりあげるから、お前たち、下にいて、ぬかるなよ」
「おい来た。大丈夫だい。まずこのバスがめんどうだから、そら、みんな手をかせ。こいつを海の中へ、たたきこんでしまうんだ」
「よし、みんな手をかせ」
「うんとこ、よいしょ」
 だるま船の中では、豆潜水艇のうえにかぶせてあったバスの車体を、みんなでもちあげました。
 そして、舷のそばまでもっていって、よいしょと海中へなげこみました。大きな水音がすると同時に、船がぐらっとゆれました。
 いきおいあまって、二人ほど、海中へおちこんでしまいました。しかし、いずれも船へおよぎついてきました。
 さあ、それからいよいよ、豆潜水艇を起重機でつりあげる作業です。
 本船からは、起重機の腕が、ぐっとだるま船の上にのびてきました。そしてその先から、くさりがじゃらじゃらと音をたてておりてきました。
「困ったなあ。この潜水艇は、丸いうえにすべっこくて、くさりをかけるところがありゃしないよ。トニーの旦那、どうしましょう」
「どうしましょうといって、どんなにしてもつりあげなくちゃ、せっかくのえものが、役に立たんじゃないか」
「でも、こいつをくさりでつりあげるのは、ちょいと大へんですぜ」
「ずるをきめこまないで、さあ、くさりをこういうぐあいにかけて、むすんだむすんだ」
「こういうぐあいにですかい。そんなぐあいにいくかな。なんだか、あぶないと思うが……」
「やれ。やるんだといったら、やるんだ」
 トニーがしかりとばすので、みんなも仕方なく、大汗を出して、くさりを豆潜水艇にぐるぐるとまきつけました。
「おーい、まだかい」
 本船では、どなります。
「もうすぐだ。よし、起重機のくさりをまけ」
「おいきた」
 がらがらと、起重機のくさりがまきあがっていきます。やがて、くさりはぴーんとはり、豆潜水艇はしずかに、だるま船の上につりあげられていきました。
「うまくいった。そこで超重機をまわして……」
 起重機は、豆潜水艇をつったまま、本船へ、横にぐっとまわしはじめました。
「あぶない!」
 だれかがさけんだのです。
 そのときはもうおそかった。豆潜水艇をつったくさりが、ぎしぎしなると同時に、くさりはすべり、豆潜水艇の胴からはずれました。あれよというまに豆潜水艇は、がたんとかたむき、そして次ぎの瞬間には、艇はくさりからぬけ、大きな水音をたてて、海の中におちてしまいました。
 さあ、たいへん。せっかくのえものが、海底へおちてしまったのです。


   豆潜水艇の中


 さあ、たいへんなことになりました。
 みなさんがごしんぱいの豆潜水艇は、まっくらなふかい海のそこに横たおしになってねています。
 あたりの海底には、林のように昆布こんぶるいが生いしげっていて、これがひるまなら、そのふしぎな海のそこの林のありさまや、ぶくぶくと小さな泡が上の方へつながってのぼっていくのが見えるはずですが、今は夜中のこととて、何も見えず、一切まっくらです。
 さあ、豆潜水艇は、もうたすかる道はないでしょうか。中にのっている水上春夫君と青木学士は、今どうなっているでしょうか。二人とも、怪しい外人のなげこんだ毒ガスにやられて、冷たくなっており、いま海のそこにねていることにも気がつかないのではないでしょうか。ところが、そのときです。とつぜん豆潜水艇が、ぱっと黄色い二つの目をひらきました。
 いや、それは本当の目ではありませんでした。それは豆潜水艇の横腹についている、丈夫なガラスをはめたまどに、あかりがともったのであります。もちろんそのあかりは、艇の中にあるあかりです。窓から外へ、さっとながれだした黄色い光が、すこしずつうごいて、海藻かいそうの林をてらしつけます。その間にねむっていたたいのようなかたちをした魚の群が、とつぜん、まぶしいあかりにあって、あわてておよぎはじめました。まるで銀のほのおがもえあがったようです。あかりは、なおもすこしずつうごいていきます。
 はてな、一たいどうして豆潜水艇の中にあかりがともったのでしょうか。
 そうなると、豆潜水艇の中を、ちょっとのぞいてみたくなりますね。では、のぞいてみることにしましょう。
 豆潜水艇の中は、うすぐらい電灯でてらされていました。
 ごっとん、ごっとん、ごっとん。
 重い機械がまわっているらしく、かなり大きな音がしています。それはエンジンとポンプとが一しょにまわっている音でありました。
 水上春夫君と青木学士は、どこにいるのでしょうか。
 あ、いました。二人は、豆潜水艇のともに近いかべに、いもりのように、へばりついているのでした。
「青木さん。海のそこは、きれいですね」
「ああ、きれいだよ。しかし春夫君。今は、きれいだなあなんて、かんしんしていてはこまるよ。できるだけ早く、ここをはなれないといけないのだ。これで、あたりの海のそこのようすは、だいたいわかったから、すぐに艇をうごかそう。さあ、君も手つだいたまえ」
「ええ、こうなったら、どんなことでもやりますよ」
「では、もう外のあかりをけすよ」
 スウィッチの切れる音がしました。そしてさっきからうしろ向きになっていた二人は、かべからはなれて、こっちを向きました。
 二人は、防毒面をかぶっていました。


   かたむき直し


右舷うげんメインタンク、排水用意!」
「用意よろしい」
「ほんとかね。弁は開いてあるかね」
「大丈夫ですよ、青木さん。もっとしっかり号令をかけてよ」
「よし。それじゃ、やるよ。……圧搾あっさく空気送り方、用意。用意、よろしい。圧搾空気送り方、はじめ! はじめ! 傾度けいど四十五……」
 豆潜水艇の中で、青木学士はひとりでさけんでいます。自分で号令をかけて、自分で仕事をやっているのです。なにしろ、この艇の中には乗組員はたった二人しかいないのですから、いそがしいことといったら、たいへんです。
 かん、かん、かん、かん。
 金具がすれるような音がきこえています。それとともに、今までたいへん右舷へかたむいていた豆潜水艇が、すこしずつかたむきをなおしてくるのがわかりました。
「青木さん。うまくなおってきましたね」
「ああ、この分なら、あと十六七分のうちに、ちゃんとなるだろう」
 エンジンとポンプとが、あらい息をはいて、力一ぱいうごいています。
「どうして、左舷のメインタンクが開かなかったんだろうなあ」
「だって、いきなり艇が海の中へおちたから、故障がおきたのでしょう」
「さあ、どうかね。とにかくそんなことはないようにつくったつもりだったがねえ」
 青木さんは、ふしぎそうにそういいました。
 青木さんは、艇が海のなかにおちたと知ると、すぐにエンジンをかけ、メインタンクを開いたのです。そうすると、水がはいってきますから、潜水艇はしずみます。
 そうしないと、艇はおちたいきおいで一たんしずみ、しばらくすると、また海面にうきあがるから、それでは悪人どもにまたつかまると思ったので、すぐタンクをひらいて、艇が海底におりたまま、うきあがらないようにしたのです。しかしそのとき、右舷のタンクはひらいたが、左舷のメインタンクがひらかなかったので、左舷タンクには水が入ってきませんでした。そこで、艇はひどくかたむいていたのです。
 エンジンは、しきりにまわっています。
「防毒面はもうしばらくがまんしてかぶっているのだよ。今、艇内の毒ガスをおいだすと、そばにいる例の怪しい船にしれるからね」
 青木さんが、ふと気がついたようすで、いいました。
「いつまでも、がまんできますよ」
「しかし、あのときは、あぶなかったねえ。悪い奴が、毒ガス弾をなげこんだとき、あわてないで、すぐ用意の防毒面をかぶったからよかったが、うっかりしていれば、今ごろは冷たくなって死んでいるよ」
「それよりも、ぼくは、青木さんが、艇内に防毒面をそなえておいた、その用意のよいのに、かんしんするなあ」
「そんなことは、べつにかんしんすることはないさ。コレラのはやる土地へいくには、かならず、水を水筒すいとうに入れてもっていくのと同じことだ。これからは、防毒面なしでは、外があるけないよ」


   忘れもの


 豆潜水艇のかたむきは、すっかりなおりました。艇は今、海のそこから五メートルほど上に、うきあがっています。
 艇長さんの青木学士は、こんどはかじをうごかす舵輪だりんにとりついて、かおを赤くしています。
「よし、このくらいで、ここをさよならしよう」
「青木さん、これからどっちの方へいくのですか」
「これから、ずっと沖の方へ出てみよう。その方が安全だし、ちょうど試運転にもいいからねえ」
「じゃあ、このまま外洋に出るのですね。ゆかいだなあ。青木さん、艇には、いる品ものはみんなそろっているのですか」
 春夫は、しんぱいになって、たずねました。
「うん、ちょっと入れのこした品ものがあるんだ。しかし今さら、とりにかえるのも、めんどうなのでね」
「そのりない品ものというのは、一たいなんですか。たべものとか、水とかが足りないのではないのですか」
「あははは。君はくいしんぼうなんだね。だから、たべものだの、水だののことを、しんぱいするんだね。安心したまえ。その方はじゅうぶんとはいかないが、せつやくすれば、二人で三十日ぐらいくらしていけるだけはある」
「へえ、そんなにあるのですか」
 春夫は、三十日分もあるときいて、目をまるくし、つばをのみこみました。
「それで、なにが足りないのですか、青木さん」
「その足りない品ものというのはね、当局からもらった機関銃きかんじゅうだよ」
「へえ、機関銃ですって? そんなものを、どうしてもらったのですか」
「だって、太平洋は、いま武装しないでは、あぶなくて航海できないじゃないか。おねがいしてやっともらったんだけれど、大切なものだから、一番あとでのせるつもりでいたから、つめなかったんだよ」
 なるほど、いま太平洋はいつ敵国の軍艦や飛行機から攻撃こうげきをうけるか、たいへんあぶない時期にはいっていた。そういう場合に日本男子は、おめおめ敵のためにしずめられたり、とりこになったりしてはいけない。むかってくる敵にたいしては、あくまでたたかうのが日本男子である。もうこうなれば、兵隊であろうが、なかろうが、かくごはおなじことである。
 そういう時期にはいっているのに、青木学士は、身をまもる機関銃を忘れたといって、あんがいへいきでいるのである。
 春夫は、あきれた。
「そんなものをわすれてきては、こまりますね。ほかに、武器はあるんですか」
「かくべつ武器と名のつくものはないよ。しかし、敵が向ってきても、またなんとかうまくあしらってやるよ」
「銃も刀ももたないで、敵に向うなんて、らんぼうじゃありませんか」
「そうだ。ちょっとらんぼうらしいね。あははは」
 青木学士は、べつにおどろいた風でもなく、なぜか、からからとわらいました。
 豆潜水艇は、どこへいく?
 次ぎの日に、海上において、おどろくべき事件がおころうとは、春夫はもちろん、青木学士さえも、しらなかったのでありました。


   ねむりにつく


「春夫君。君はもうねたまえ」
 と、青木学士がいいました。
「まだねむくありませんよ。それにこの豆潜水艇には、まだいろいろ用事がのこっているのでしょう。ぼくも手つだいますよ」
 春夫少年は、防毒面の中から、二つの目をくるくるうごかして言いました。
「いや、君はねたまえ。明日になったら、また、うんとはたらいてもらう用事ができるから、今夜はもうねたまえ」
 青木学士が、しきりに春夫少年にやすむようすすめました。
「じゃあねますが、この豆潜水艇に、なにかかわったことがあれば、すぐおこしてくださいね。ぼくだって、これでなかなか役にたちますよ。航海のことは、海洋少年団にいたとき、一通りならったのですからね」
「わかったわかった。早くねたまえ」
 そこで春夫少年は、すこしきゅうくつですが、防毒面をかぶったまま、きかいときかいの間に毛布をしいて、その中にもぐりこみました。やがて、その日のつかれが一度に出て、春夫は大きないびきをかいて、ねむってしまいました。
 青木学士は、そのありさまを、にこにこわらいながら見ていましたが、春夫がすっかりねむってしまうと、彼はひとりで配電盤はいでんばんの前にたち、受話器を頭にかけ、水中聴音機ちょうおんきのスウィッチを入れました。そして目盛盤めもりばんをしきりに右に左にまわしてみながら、なにごとかをうかがっているようでありました。その顔は、しんけんに見えました。
 しばらくして、学士が、ほっとためいきをつくのがきこえました。
「もう、よかろう。エデン号は、よほど向うにはなれているから……」
 学士は、別のスウィッチを入れました。すると、ごとごとと音がして、ポンプがまわりだしました。それから、しゅう、しゅうと音がして、酸素ガスが鉄管から出てきました。そんなことが三十分ほどもつづいているうちに、室内の毒ガスは、きれいに洗いきよめられてしまいました。
 学士は、そこで防毒面をとりました。
「大丈夫だ」
 学士は、うなずきました。そしてこんどはよくねむっている春夫少年のそばによって、防毒面をぬがせてやりました。春夫のひたいや、鼻のあたまには、玉のようなあせがふきでていました。学士は、ハンカチーフを出して、それを念入りにふいてやりました。
「さあ、これでいいだろう。では、こっちもしばらくねむるとしようか」
 学士は、ひとりごとをいって、椅子いすにこしをかけ、配電盤のまえの机に両ひじをつき、顔を腕のうえにのせました。
 やがて、学士もまた、ぐうぐうといびきをかきはじめ、ゆめをたどったのでありました。


   深度零しんどれい


 春夫少年は、ふと目がさめました。なにか大きなもの音をきいたように思いました。毛布から出て、むくむくと起きあがってみますと、青木学士が、潜望鏡にとりついて、うんうんうなっているのです。これにはおどろきました。
「青木さん、どうしたのですか」
「ああ、春夫君か。どうもへんなんだ。潜望鏡が上らなくなったんだ」
「故障ですか」
「故障にはちがいないが、ふつうの故障とはちがう。三センチばかりは、らくにあがるが、あとはどうしてもあがらないのだ」
「ふしぎですねえ」
 春夫少年は、小首をかしげて、青木学士のそばへやってきました。学士が、潜望鏡のハンドルをもって、ごっとんごっとんやっているのを、しばらく見ていた春夫少年は、やがてぷっとふきだしました。
「なんだい、笑うなんて」
 青木学士が、きげんのわるいこえでいいました。
「だって青木さん。夜中に潜望鏡を出しても、仕方がないでしょう。なんにも見えないじゃありませんか」
「なにをねぼけているんだ、君は……時計を見たまえ。今は夜じゃないよ。朝の五時ごろなんだぜ」
「えっ、もうそんな時刻ですか。こいつはしまった」
 春夫少年は、腕時計を見ました。なるほどもう五時です。彼は、きまりわるに、あたまをかきました。
「よくねむったもんだなあ。まだ夜中だと思っていましたよ」
「ねぼけちゃ、こまるねえ。しかし、こいつはよわった。外が見えないでは、こまるなあ」
 春夫は、心細くなってきました。が、そのとき、気がついたことがありました。
「青木さん。そんなら、海面へうかんで、昇降口をあけたら、どうですか」
「そんなことをしては、危険だよ。先に潜望鏡を出して、あたりに敵のすがたのないことをたしかめた上で、うきあがるようにしなければなあ」
「なるほど、それはそうですね」
 春夫は、またも失敗したかと、顔をあかくしながら、ふと深度計の針を見ました。するとおどろいたことに、深度計は零をさしていました。
「青木さん。この潜水艇は、もう海面へうきあがっているのじゃないのですか」
「そんなことはない」
「だって、これをごらんなさい。深度計の針は、零をさしていますよ」
「そんなはずはない」
 学士は、すぐさま、つよく言いかえしましたが、念のために目をうつしてみますと、これは意外!
「おや、いつの間に、深度が零になってしまったんだろうか。これはますますへんだぞ」
 学士は深度計のガラスを、手でもって、かるくとんとんとたたいてみました。それは、もしや針がどこかにくっついていて、うごかなくなったのではないかとおもい、針をはずすために、かるい震動をあたえてみたのです。しかし、深度計の針は、あいかわらず、零のところにとまったきりでした。
「これは、ふしぎだ」
 青木学士は、深度計のまえに腕組をして、うーむと呻りました。一体、どうしたわけでしょう。


   口蓋ハッチひらかた


「じょうだんじゃない。この潜水艇は、推進器すいしんきがからまわりをしているぞ」
 青木学士が、大きなこえをだしました。よほどおどろいたものと見え、学士の顔は、まっかです。
「からまわりって?」
「からまわりというのは、推進器が、水の中でまわっていないで、空気の中でまわっているという意味だ」
「え、空気の中で? すると、この豆潜水艇は、飛行機になって空中をとんでいるというわけですか。すごいなあ、この潜水艇は……」
「おだまり」
 学士が、しかりつけました。
「え」
「いくらなんでも、豆潜水艇が飛行機になったりするものか」
「あ、そうでしたね。この艇はジャガイモみたいな形をしているから、とても空中をとべないや」
 春夫少年は、つい青木学士にわるいことをいってしまって、気の毒になりました。
 しかし、つぎからつぎへと、このせまい豆潜水艇の中に、ふしぎなことがおこるものですから、春夫少年はなんとかして青木学士のため力をかしたいと思い、いろいろ考えるのですが、どうも青木学士にほめられるようなことになりません。
「思いきって、昇降口をあけてみよう」
 と、青木学士は、とつぜんいいだしました。
「えっ」
「空中に推進器がでているものとすれば、昇降口をあけても、水ははいってこないわけだ。少しは危険かもしれないが、とにかく外の様子がわからないことには、なにもできやしない」
 学士は、ついに決心をしたようです。
「春夫君。君に重大な用をいいつけるよ。昇降口を、用心しながら、そっとひらいてくれたまえ。そしてぼくが、しめろ! といったら、大いそぎでしめるのだよ」
「青木さんは、どうするのですか」
「ぼくか。ぼくは昇降口のわずかの隙間すきまから外をのぞくのだ。なにが見えるか、のぞいてみよう」
「ああ、あるほど、ぼくは大役ですね」
 さあ、たいへんなことになってしまいました。へたをやれば豆潜水艇は、ここでぶくぶくと沈んでしまうかもしれません。春夫少年は、昇降口をひらくハンドルにつきました。
「よろしい、口蓋ハッチひらかた、はじめ」
「はーい」
 栄螺さざえが、そろそろとふたをもちあげるように、いまこの豆潜水艇は、昇降口の蓋を、そろそろともちあげはじめました。学士は、軽業師かるわざし梯子はしごの上へのぼったような恰好かっこうをしています。
「あっ、しめろ!」――とたんに学士の命令です。
 春夫は、あわてて口蓋を、がたんとしめました。
「島だ、島だ。島へのしあげている。そして……」
 学士は、うわずったこえでさけびました。


   ふしぎな島?


 さすがの青木学士も、よほどおどろいたものとみえ、にぎりこぶしで、とんとんと自分の胸をたたくばかりで、しばらくはあとの言葉がつづけられませんでした。
 これを横からみている春夫少年は、気が気ではありません。
「ねえ、青木さん。早く話をしてよ。いま、ぼくに口蓋ハッチをあけさせて、青木さんは、いったい、なにを見たの?」
「し、島だ……」
「島を見ただけなら、なにもそんなにおどろくことはないじゃありませんか」
「と、ところが、あたり前じゃないんだ」
 と、青木学士のことばは、すぐとぎれてしまいます。
「あたり前の島でないというと、どんな島?」
「それが、どうもへんなのだ。外国の水兵が立って番をしているんだ。しかも服装から見ると、アメリカの水兵なんだ。おどろくのもむりではないじゃないか」
 青木学士は、ようやくあたり前にお話ができるようになりました。
「なんです、アメリカの水兵ぐらい。ちっとも、こわいことはないや」
「それはそうだけれど、その水兵はものものしく武装をしているのだよ。つけ剣をした銃をもっていた。防毒面をかぶっていた。おかしいではないか。日本の領土から、それほどとおくないところに、アメリカの水兵が、こんなものものしい姿をして番に立っている島があるのは、ふしぎすぎる話じゃないか」
 青木学士にそういわれてみると、なるほどふしぎでもあり、へんです。日本の海岸をはなれて、船足ふなあしで、わずか二日か三日ぐらいのところに、そんな島があるとは、おかしな話です。
「グアム島じゃないかしら」
 と、春夫少年が、思い出していいました。
「いいや、ちがう。グアム島へいくのには、もっと日数ひかずがかかるはずだ」
 青木学士が、うちけしました。グアム島でないとすると、いよいよこれはふしぎなことです。一体ここはどこなのでしょう。


   エンジンの音


 とんとん、とん、とんとんととん。
 今しめたばかりの口蓋ハッチが、外からしきりにたたかれるのでした。春夫少年は、青木学士の顔を見上げて、
「青木さん、あの音は、なんですか」
 といえば、青木学士は、しっといって、目をくるくるさせました。青木学士は、そのとんとんいう音に、じっと耳をすましています。
 しばらくして、青木学士は春夫のうでをぐっとつかみ、
「あれはモールス符号ふごうだよ。国際通信の符号によって、あの音をとくと、『ここを、すぐあけろ。あけないと、外から焼き切るぞ』といっているのだ。焼き切られては困るぞ」
「焼き切るぞなんて、けしからんアメリカの水兵ですね」
「しかし、本当に焼き切られてしまっては、とりかえしがつかない。なぜといって、口蓋に大孔おおあながあくわけだから、そうなると、この豆潜水艇は、二度と水の中へもぐれなくなるわけだ。だから、しかたがない。しゃくにさわるが、艇を傷つけられてしまってもこまるから、口蓋をあけることにしよう」
「でも、口蓋をあけて外に出ると、アメリカ水兵のために、捕虜ほりょみたいな目にあわされるのじゃない? そんなの、いやだなあ」
 と、春夫は口蓋をあけるのをいやがりました。
「でも、しかたがないよ。ここは、そういうことにして、またなにかいいことを考えるよ。艇がこわされては、それこそどうすることもできない」
 青木学士の顔は、くるしそうに見えました。そして春夫に代って、ついに口蓋をあけました。
 とたんに、上から軽機関銃の口が、ぬっとこっちをのぞきこんだではありませんか。
「出ろ。抵抗すると撃ち殺すぞ」
 英語で命令です。
 青木学士も、むっとするし、春夫少年も、その様子をさとってしゃくにさわりました。
 でも、どうすることもできないので、青木学士は春夫をうながして、昇降口をのぼり、とうとう豆潜水艇から外に出ました。
「おとなしくしているんだぞ。抵抗すると、一撃ひとうちだ」
 いつの間にあつまったか、そういって号令をかけている目の青い下士官のほかに、武装をしたアメリカ水兵が六人ばかり、二人をとりまきました。
 春夫は、べつにおそろしいとも、なんとも思いませんでした。日本の水兵さんにくらべると、アメリカの水兵なんか、たいへんだらしないものに見えます。
 それよりも、春夫をおどろかせたものがありました。それは、そのあたりの風景でありました。
「こんな島があるだろうか?」
 青木は口蓋のすきまからここをのぞいて、これは島だといいました。なるほど、下は砂地です。そして椰子やしのような植物が生えております。小さいけれども、岩のようなものも見えます。海中から、いきなりこんなところにつれてこられたなら、なるほど、だれだってここは島だとおもうにちがいありません。
 しかし島にしては、ちとおかしいことがあります。それは、水平線も見えなければ、あの青い海も見えないことです。頭の上を見ますと、すりガラスの天井があります。
 これを島だというのは、どうでしょうか。一体ここはどうした場所なんでしょう。
「こら、少年。なぜ、じっとしていない。きょろきょろすることは許さん」
 下士官のぺらぺらいう英語がわからないので、なおもきょろきょろしていたものですから、水兵がこわい顔をして、つかつかとそばへよってきました。
 青木は、それと気がついて、春夫に注意をあたえ、彼を水兵からかばいました。


   隊長らしい紳士しんし


 これからどうなることかと、春夫少年が思っていると、下士官たちに命じて、二人の前後をまもらせ、前へ進めと、あるかせました。
 どこへつれていかれるのでしょうか。
 砂地のうえをすこしばかりあるいていくと、地下室の入口のようなものが見えてきました。
「ここからおりるんだ」
 下士官は、先に下りました。
 春夫たちも、そのあとについて、階段をおりていきました。
 おりたところは、天井の低い、ちょうど軍艦や汽船の中と似たようなところでありました。このとき春夫は、足の下から、かすかではあるが、ごっとんごっとんと、エンジンが廻っているらしい震動が、ひびいてくるのを感じました。
「一体ここは、どこだろうか?」
 春夫には、そのなぞをとくことが、たのしみになってきました。もしもこのとき春夫が、おどろいたり、あわてたりしていたら、このかすかなエンジンの音などは、もちろんききのがしたことでありましょう。
 やがて青木学士と春夫とは、ある一室へつれこまれました。そこは、天井こそ低いけれど、たいへんぜいたくなかざりのある部屋でありました。正面には、りっぱな机があり、ふかふかしたひじかけ椅子いすが一つおいてありましたが、その椅子には誰がすわるのでしょうか。
 下士官が、ドアをひらいて、さらに奥にはいっていきました。やがて彼が出てきたときには、白い麻の背広服をきた一人の紳士をともなっていました。
 からだの大きい、顔のたいへん赤く、鼻のとがった、そしてほそい口髭くちひげのある、目のするどい人物でありました。その紳士が、れいのふかふかした肘かけ椅子に、どっかり腰をおろしました。その様子から考えると、彼はどうやら隊長らしいのでありました。
 春夫は、その隊長紳士が、なにをはじめるのかと、目をみはっていました。
 すると、その隊長紳士は、ポケットから、ピストルを出して、机の上におきました。それから、青木学士と春夫を、ぐっとにらみつけ、
「ああ、ここでは、わしの命令にしたがうか、それとも、このピストルの弾丸だんがんをくらって死ぬか、二つのうち一つしかないのだ」
 と、いやにおどかし文句をならべ、
「われわれは、いつでも、ほしいと思ったものを、かならず手に入れる力をもっている。お前たちは、小型潜水艇を、われわれの手にわたすまいとして、いくどもにげまわったが、もうこれからのちは、そんなむだなことはやめにするがいい。わかったか」
 と、彼は、いやにいばっていいました。
 すると青木学士は、からからと笑いだしました。
「あははは。なにをいうか。われわれ日本人のやることに、君たち外国人のさしずはうけないぞ。からいばりはやめて、なにかそっちで、おしえをうけたいことがあるなら、ぼくらの前にどうぞおしえてくださいと、すなおに頭を下げたがいい」
 青木が、きっぱりいい放ったことばに、隊長紳士は顔をいっそう赤くそめて、ぶるぶるふるえ出しました。きあ、この場のおさまりは、どうなることでしょうか。


   とりかえっこ


 その怪外人は、じつにいばっています。二人にむかって、
「なにをいっても、もうだめだ。ここへはいったが最後、お前たちを生かすのも殺すのも、わしの自由だ。なんでもはいはいといわないと、ためにならないぞ」
 といって、彼はピストルをふりまわします。
 青木学士は、考えました。
 自分ひとりだけならいいが、水上少年と一しょですから、あまりひどいことをされてはこまると思いました。またその外人も、いいだしたら、あとへひきそうもない様子ですから、ここはしばらく相手のいうとおりになって、あとですきをみて、なんとか、にげだす方法を考えることにしようと決心しました。
 そこで青木学士は、二三歩、怪外人の前へあるいていって、
「おい君。君がそんなにいうのは、あの豆潜水艇の中をしらべてみたが、どうしたら動いたり、浮いたり、沈んだりするのか、それがわからないので、僕たちをせめるのだろう。どうだ、あたったろう」
 白服の怪外人は、それをきくと、うーんとうなって、また一そう顔をあかくし、下士官たちの方をふりむきました。
 そこで、青木学士は、ここぞと思い、
「だから、わからないなら、わからないとはっきりいって、僕たちにおしえをえばいいじゃないか。礼をつくせば、僕だって、おしえてやらぬこともない。自分のよわ味をかくそうとして、いばりちらすなんて、よくないことだ」
 こういわれて、さすがの怪外人も、こまった様子です。それからというものは、急に彼は態度をかえて、ことばをやわらげました。
「いや、わしも、べつだん、事をあららげたくはないのだ。君が、かくさずおしえてくれるというのなら、尊敬をもって、説明をきいてもいいと思っている」
 なにが尊敬でしょう。自分たちに都合がいいとなると、どんな白々しいことでもいう彼らでありました。
「じゃあ、説明をしましょう。しかしその前に一つ、非常に不審ふしんなことがあるんだが、あなたにたずねて答えてくれますかね」
 と青木学士がいいました。
「ははあ、交換条件というやつだな」
「まあ、そうですね。これはアメリカでもやることでしょう。承知してくれますね」
 そういうと怪外人は、しばらく考えていましたが、やがてうなずいて、
「よろしい。一つだけ、君の質問に応じてもよろしい。ただし一つだけだよ」
 青木学士は、一体なにを聞くつもりでしょうか。


   とつぜんのさわぎ


「これは、ぜひ知っておきたいことですが――僕たちの命はないものだと知っているから、死に土産みやげにきいておきたいと思うのだが、一体ここは、どこですか。島ですか、地下街ですか、それとも船ですか」
「ふーん、そんなことを知りたいというのか。そいつは、困ったね」
「さあ、答えてください。約束です」
「うむ、約束は約束だが……」
 と、その怪外人はしばらく考えていましたが、やがて下士官をよんで、相談をしてから、
「よろしい。では話をしよう」
「それはありがとう」
「これは、わがアメリカが秘密に作った動く島なんだ」
「えっ、動く島ですか」
 と、学士は、わざとおどろいた顔をしました。すると、かの怪外人は、ますますいい気になって、
「うふふん、どうだ、おどろいたろう。つまりこれは、浮きドックから思いついたもので、ふだんは海面下にかくれていて、エンジンでもって思う方向へ動けるのだ。なにか太平洋に――太平洋にかぎったことはないが、とにかく事があると、この動く島は潜水艦や飛行機の母艦ぼかんになるのだ。油もうんとつんでいる。修繕工場しゅうぜんこうじょうもある。食料も一ぱいある。実はこの動く島は、いま試験のため、こうして……」
 と、ここまでいったとき、かの怪外人は、急に口をつぐみました。
 それは、うしろにいた下士官が服をひっぱったからです。調子にのって、秘密のことまで、ぺらぺらといいそうになったので、おどろいて注意をしたのです。
「いや、むにゃむにゃむにゃ。もうこのへんでいいだろう」
「ありがとう」
 青木学士は、礼をいいました。
 彼は、心の中にこう思いました。
「どうもそうだと思ったが、やっぱりそうであった。これは、いかにもアメリカがやりそうな、ばかばかしい仕掛しかけである。こういう動く島を、これからたくさんこしらえて、太平洋の方々に浮かべておくつもりなんだろう。もちろんそれは、太平洋に、戦争がおこる日に役立たせるつもりにちがいない。これは試験的のものだというから、アメリカでは、まだこの動く島をたくさんは、つくっていないと見える。とにかく、これはいいことをきいたわい」
 青木学士は、急にいのちがおしくなりました。
 いのちがおしいといっても、青木学士が急に卑怯ひきょうな人間になったのではありません。
 そのわけは、だれもしらないこれだけのアメリカの秘密を知ったものですから、なんとかして、これを、祖国日本にしらせたいものと思ったのです。これなら、皆さんもきっと、満足に思われるでしょう。そうなのです。まったく、そのとおりなのでありました。


   大手柄おおてがら


 さて、皆さん。
 これから青木学士が、水上少年と力をあわせて、どんな風にして、アメリカ製のこの動く島から逃げだすことができたかとお思いですか。
 もちろん、二人は、アメリカ人たちの手からのがれて、出ていってしまいましたとも。そのかわり、二人はいのちをなげだし、日本人の名をはずかしめないことをちかって、じつに大胆不敵な方法でもって、この動く島から逃げだしたのです。
 そのいさましい冒険物語を、くわしくかくと、とても、皆さんがおよろこびになると思いますが、ざんねんながら、私はそれをいま、くわしくお話ししているひまがありません。
 だから、そのあらすじを、かいつまんでお話をいたしておきましょう。
 かの怪外人が、豆潜水艇のうごかし方がわからないという知らせを部下の人たちからうけて、たいへんざんねんがり、そして、青木学士をせめつけたことは前にいいました。
 そこで、ともかくも学士が折れて、怪外人をその豆潜水艇の中に案内したのです。もちろん、そのほかに、三人ばかりの下士官や、機関兵が中へはいってきました。
 学士は四人を前にして、いろいろと熱心そうにみせかけて、なるべくむずかしく、機械類の説明をはじめました。四人はだんだんそれに気をひかれて、水上少年のいることを忘れてしまいました。
 じつは水上少年は、学士としめしあわせてあって、四人の外人がすきをみせたら、この豆潜水艇の中にかくしてある軽機関銃をとりだして、うしろから四人に手をあげさせ、それからつづいて、潜水艇の口蓋ハッチをとじて、四人をあべこべに捕虜ほりょにしてしまうつもりでありました。
 そのようにしめしあわせて、水上少年がすきをねらっているとき、とつぜん思いがけないことがおこりました。
 それはこの動く島が、一大音響とともに、急に非常に大きくゆれだしたことです。つづいて、大ぜいのうなりごえがきこえました。
 一体、なにごとであろうと思っていると、豆潜水艇のそばへかけつけた一人の下士官が、外から大きなこえを出して、たった今、この動く島がとつぜん、もうれつな魚雷攻撃をくらい、ついに穴があいて沈みそうだというのです。それをきいた怪外人をはじめ、艇内にいた四人は、あわてて豆潜水艇の外へとびだしていきました。
 あとにのこったのは、青木学士と、水上少年との元の二人です。学士はいそいで口蓋をぱたりとしめました。そのころ動く島の中へは、どうどうと海水がはいってきて、中にいたアメリカの水兵たちは、おぼれそうになって、しきりに悲鳴をあげていました。
 が、そのうちにその悲鳴も、ついにきこえなくなりました。動く島は、すっかり水びたしになり、おまけにあの大きな図体ずうたいが四つぐらいにわれて、海の底にしずんでいったのです。
 それにひきかえ、二人ののった豆潜水艇は、ゆっくりおちついて、割れた動く島の間からゆらりゆらりと海中にうごきだし、そして安全に航海をつづけて、また元の日本へかえってまいりました。
 二人のお土産は、例の動く島の秘密と、そしてめずらしいこの冒険ものがたりとでありました。二人はお手柄をたてたというので、たいへんほめられましたが、これもあの小さい水上少年までが、あくまでつよい子供として頑張ったから、それでこのようにうまくいったのでしょう。
 大分かけ足で申しあげましたが、まだ何かお話ししないことがのこっていますか。ああそうか、動く島へ魚雷をうちこんだのは、どこの国の軍艦かというのですか。それはいまさら私が申しませんでも、もう皆さんにおわかりでしょう。





底本:「海野十三全集 第9巻 怪鳥艇」三一書房
   1988(昭和63)年10月30日第1版第1刷発行
初出:「家の光」家の光協会
   1941(昭和16)年8月〜1942(昭和17)年1月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について