科学が臍を曲げた話

海野十三




 みなさん、科学サイエンスだって、時には気むずかしいことがありますよ。そんなときには、へそを曲げちまいますよ、臍をネ。
 童話みたいですが、昔、オーストリヤの王様が、世界最大のダイヤモンドを所有したいという欲望を持って、持っているだけのダイヤを全部坩堝るつぼに入れて融合させようと思ったところが、もともと炭素のかたまりであるダイヤは、たちまち一陣の炭酸瓦斯ガスと変じて、空中にき消えたという昔話があります。これも臍まげの一つです。
 この時代、天下を横行した錬金術れんきんじゅつというのは、すこぶる大きな目標を持っていました。万物ばんぶつ何でもきんに変えるというのです。到るところで錬金術師はふいごを吹いたりレトルトをあぶったりしましたが、ついに成功しませんでした。何でも、「哲学者の石」というのがあって、それさえ使えば万物が黄金にかわるはずだと云い出したものがいて、今度は哲学者の石を探し歩く宝探しのようなことが始まりました。これも遂に駄目だったことは、今日こんにち金の高いことによって皆さんご存知のとおりです。
 しかし科学の上に於ける失敗は、他の失敗と違って、失敗しぱなしで終るものではありません。錬金術のお蔭で、化学というものが大変発達しました。日本には錬金術師が居なかったお蔭で、化学というものは一向に芽をふいて来ませんでした。――しかして、近代になって、長岡半太郎博士は水銀を金に変化する実験に成功して、遂に人類のあこがれていた一種の錬金術を見出したわけです。その方法は、水銀の原子の中核を、α粒子アルファりゅうしという手榴弾しゅりゅうだんで叩き壊すと、その原子核の一部が欠けて、俄然がぜん金に成る。つまり物質は、金とかなまりとか酸素とか水銀とか云うが、これを形成している物質は共通であり、唯それに含有がんゆうせられている数が違うために、いろいろ違った物質となっているものだという見地けんちから、この名案が考え出されたのです。
 しかし科学は矢張り臍まがりで、この方法はまだ実用に遠く、金には成るには成るが、顕微鏡で探さねばならぬ程ですから、費用仆ひようだおれで金にはならない。……だが油断は出来ませんぞ。最近になって人造じんぞう宇宙線の研究がにわかに盛んになりましたが、この研究が進むといよいよこの人造宇宙線を使って、水銀を金にすることが他愛たわいもなく出来るようになりそうな気がします。勿論そうなったからといってよろこぶのは早い。金が簡単に出来るようになったら、今日一もんめ十何円なりという金が、一匁一銭也位になるでしょうから、いくら金がドンドン手に入っても仕方がないでしょう。まあそのときは、鼻紙に金でもって頭文字イニシャルでも入れることですネ。
 宇宙線の人造ということも面白い問題ですが、その宇宙線と並んで現代で人気のあるのは超短波ちょうたんぱでしょう。
 超短波というと電波の一種で、波長がたいへん短い。一メートルから十メートル位の間のものです。ラジオ放送に使っているのは二百から五百メートルですから、いかに短いかということが判りましょう。
 この超短波についても、いろいろと面白い失敗が繰りかえされました。超短波を使って近くで通信をすると、びっくりするくらい大変よく聴える。しかるに何百キロ何千キロという遠方えんぽうになると、どんなに電力をしても聴えない。これは可笑おかしいというのでいろいろ調べてみました。
 電波というものは、地表の一点から発射されると、どんな道を通って前進するか? お月様がかさかぶったときに外に輪が見えますが、あれに似た恰好かっこうに、地球の外には、地球を包んで電気天井てんじょうというのがあります。電気天井の高さは、地表から百キロぐらいです。電波はこの電気天井と地表との間に明いている空間を走るのです。走るといっても、波長が長いラジオのような電波なら、足を地表につけたままで前進するし、短波のように短い電波になると、地上から探照灯たんしょうとうを出したような恰好に空に向けて前進し、電気天井にあたってまた下へ下りて来ます。例えば青森で出すと上へ上って門司もじの上空で電気天井にぶっつかり今度は反射して台北たいほくへ下りてくるという風に、下りたところに受信機じゅしんきがあれば聴える。この電気天井へ反射するため、短波は遠方でもよく聴える。中には下りて来たのが又地面にあたって反射し、再び電気天井にあたって反射し、もう一度下へ下りて来るというのもあります。しかしようするに、電波は上へ上っても、電気天井でねかえされることが判りました。
 ところが例の超短波になると、いくら電力を増しても届かぬので、一体どこへ行ってしまうのだか判らない。きつねに鼻をつままれたような恰好で、大迷宮だいめいきゅう事件にぶっつかったとでも云いたいところです。使いに出した者が途中で煙のように消えてしまうのですから、これは面妖めんような話。
 ところが其の後だんだん調べてみると、少しずつ判って来ました。そしてついに確かな結論が生れて、人々は「なアーんだ」ということになりました。超短波は一体何処どこへ行ったのか。地表と電気天井の間で煙のように消えてしまったものではなく、実に電波にとっては金城鉄壁きんじょうてっぺきだと思われていた電気天井をばまるでかごの目から水がるように、イヤそれよりもX光線が木でも肉でもすかすように、超短波は電気天井をスースー外へ抜けていたのでした。スースー外へ抜けているのですから、いくら放送局で電力を増してみても、地上には少しも応答おうとうのないのも無理はありません。超短波は電気天井を抜け、地球の羈絆きはんを切って一直線に宇宙へ黙々もくもくとして前進しているのです。
「ああ、ちょっと聞き給え、変な電波が聴えるぜ。我が火星にはこんな符号ふごうを打つ局はないはずだ、ハテナ?」
 というような訳で、この超短波は案外火星あたりで問題にしているのじゃないかと思われます。とにかく超短波の行方不明ゆくえふめい事件がさいわいになって、電波の中には電気天井をスースー抜けるものがあることが判りました。とは云うもののいまだに火星からも、
「オイ地球君! 待望の電波を有難ありがとう!」
 などと云って来ないところを見ると、出奔しゅっぽんした超短波の落ちつく先は案外怪しいかも知れないんですが、まだそこまで判っていません。
 この超短波をデアテルミーのように、人体じんたいに通しますと、がんなどに大変き目のあることが発見されました。これをラジオテルミーと呼んでいますが、デアテルミーよりもずっと効き目が強いのです。この施術しじゅつの方法は、超短波が盛んに通っている二つの電極でんきょくの間に、人体の患部かんぶを入れるのです。電極というのは金属板で出来ていましてぼんのように丸い平べったい板です。
 ところが或る時、研究室で飛んでもないことが起りました。超短波を盛んに起して置いて、実験者がそれに手を近づけましたのですが、本当は先ず手を先に電極板の間に入れて置いて、あとでスイッチを入れて超短波を起す方がよいのです。このときはつまり逆の順序でやりました。実験者は研究中のことですから、いろいろやって見る必要があります。そうしないとよい装置も出来ないし、性質も深く知ることが出来ません。実験者はその手を電極板の中央に入れる代りに、電極板の端の方に近づけてみました。おそらく違った結果が現れるだろうと思ったのです。近づけるに従って、指の股の辺がスースーと涼しくなりました。それをなおも近づけると、指が急に熱くなり始めました。それを辛抱しんぼうしていますと、急に手が吸いつけられるように、電極板に引寄せられました。
「こいつは、いかん!」
 と思う間もなく、指が電極板のはしに触れました。途端とたんにうずくような痛みが感ぜられ、同時にコロリと下に落ちたものがあります。サーッと真赤な血が花火のようにしました。
「ウム……」
 実験者はもぎとるように手を強く引きました。手は幸い極板きょくばんを離れました。実験者はホッとして、その手を眺めました。ところが、サア大変です。指が足りない! 美事みごとに伸びていた四本の指が根こそぎ切り落とされ、残っているのは拇指おやゆび一本! 指の無くなった跡からは、盛んに血が飛び出して来る。実験者はサッとあおくなりました。一方の手で傷口を抑えたまま、ウンといって其の場にたおれてしまった。一体どうしたというのでしょう? 医療器いりょうきだと思って安心していたのが、俄然がぜん殺人器に転じてしまったのです。おどろいたのも無理がありません。
 超短波メス――というのが生れたのは、それから間もないことでした。意外な失敗、それは超短波についての認識不足から起ったことでありました。しかしその思い違いがただされると、超短波はまた一つの仕事を受け持つようになりました。それは電気メスです。超短波電流をナイフようとがった金属片きんぞくへんに通じ、これを肉に近づけると、面白いほど切れます。それはどれほどよくいだメスよりも軍刀ぐんとうよりも切れ味がよいのです。科学が臍を曲げると妙なことになります。
 臍で思い出しましたが、臍にえんのあるかみなりさまの話ですが、あれを避けるのに避雷針ひらいしんというものがあります。避雷針は屋根の上に尖った金属棒を立て、その下に銅線をつなぎ、下に下ろし、その尖端を地中に埋めます。銅線の尖端には大きな銅板をつけると一層効果があります。雷が上空から来ると、針の鋭い電気吸引力きゅういんりょくで、雷がたちまち吸いよせられ、この針の上に落ちますが、落ちると同時に電線を伝わって地中へもぐりこみ、いきおいを失ってしまいます。これは云うまでもなく雷の正体は電気ですから、針に引っかかったと同時に、導電体どうでんたいを伝わって地中へ潜るのです。この道が出来ているために、大きな音もなんにもしません。ピチッという位です。
 或る所で、それはそれは立派な避雷針を建てました。主人公は大自慢です。何処どこの家のより立派だというのです。ところが、間もなく雷鳴らいめいが始まりましたが、雷は天地もくずれるような音をたてて真先まっさきにこの家に落ちました。勿論もちろん人死ひとじにが出来、家は雷雨らいうの中に焔々えんえんと燃えあがりました。これはスグスグ雷はいつもの調子で、針の上に落ちてみますと、針の下から地中へ行く道が作ってないのです。つまり銅線がつないでありません。仕方なしに屋根や柱、ふすまに障子などを伝わって地中へかろうじて逃げたのです。この家の主人は避雷針の針ばかりを見て来て、肝心かんじんの銅線や接地板せっちばんの必要なことに気がつかなかったのでした。
 それと又別の話に、或る村で避雷針を立てましたが、これは電気的に完全な避雷針でしたが、ところがその針を立ててから、その村の落雷がにわかにえたという噂が立ちました。そんな馬鹿な話はないと、学者はてんで受けつけません。避雷針を立てて、落雷が殖えるなんて、およそ有りべからざることです。
 ところが段々研究して行ってみると、そういう有り得べからざることが有り得るかも知れないということになりました。早く云えば避雷針は雷を殖やすことあるべしということです。その解釈かいしゃくを申しますと、避雷針は雷を引き寄せるのですが、避雷針の高さの三倍までの距離以内のものは、避雷針へ吸い取ることが出来る。しかしそれ以上のものまでかない。だから四五倍の距離の空中まで呼び寄せられ、その辺でマゴマゴしている雷は、むを得ず人家や森を伝わって下に落ちねばならぬことになる――というのです。





底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房
   1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年9月号
※初出時の署名は、丘丘十郎です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年6月14日作成
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